生命は道を見つける

今週はキリスト昇天の祝日で4連休でした。とはいえ、イタリア方面は渋滞になることがわかっているので、遠出はせずにいました。そんなわけでのんびり過ごしたのですが、普段はしないことをしようと思い立って、同じ村に所属するペトログリフを見学に行ってみました。その話は別に記事にしますが、その途中でこんな木々を見つけてちょっと嬉しくなったので、それについて語ります。

1か月ほど前のことですが、近所に生えている立派な木がほとんど伐られてしまいました。もちろん土地の所有者は木を伐採して売る権利はあります。でも、涼しい木陰を作っていた美しい木々を全部一斉に伐って光景が変わるほどの丸坊主にするなんてと、近所の皆が憤っていました。この写真のような木材の山が5つくらいできて、それを大きなトラックが根こそぎ持って行き、土地は無惨な切り株だらけになりました。散歩の度にそれを眺めるのがとても悲しかったのです。

それが、金曜日にペトログリフを見るために、近くの山に登っている途中にかなり昔に同じように伐ったと思われる切り株をいくつも見たのです。この道を歩くのは初めてではないのですが、それまでは切り株にはさほど注目していなかったのですね。
見ると、切り株の根元から立派な木が2本も育っています。それに、冒頭の写真のように、切り株から新しい枝がぐんぐん生えている様子もたくさん見かけました。
私がかつてカオス理論とマイクル・クライトンにハマるきっかけをくれた映画『ジュラシック・パーク』には、数学者イアン・マルカムの「生命は道を見つける」という台詞がありました。「恐竜が勝手に増えないように最新テクノロジーで完璧に制御している」という人たちの傲慢さに対しての警告的な言葉で、ホラー的展開への一種の予言となっていた言葉ですが、今回の私が見た切り株から生えた生命に関してだけいえば、植物の生命力に対する讃美ともいえる言葉でした。
我が家の近くの切り株だらけの無惨な土地も、よく見ると残された切り株から
たぶん私が生きている間には、かつての森のような土地には戻らないかもしれませんが、その後には再び緑豊かな散歩道に戻るのかもしれないと思うと、嬉しくなりました。「もののけ姫」のシーンのようにみるみる生えてくれればいいですけれど、現実はそうは行きません。でも、植物たちにはたくさんの時間があります。その時間を祝福したい想いでいっぱいになった午後でした。
片付け
この施設に入るときに1度大きな片付けがあったのですが、日本でいうワンルームの大きさでも、3年生活するといろいろな荷物があり、中には大切な思い出の品物もあるので、1つ1つやらなくてはなりません。
とはいえ、月をまたぐとかなりの出費になることが予想されるので、すべての他のことを放置しています。
というわけで、ブログのことも小説のことも今月中は進まないようです。来月から元に戻しますのでご了承ください。ごめんなさい!
動物たちは、もしかしたら……

私がスイスの田舎に住んでいることや、家畜や野生動物と非常に近い距離で暮らしていることは既におなじみかもしれませんね。
2020年から、それまでの自転車通勤がなくなったという理由で健康のために毎日30分以上の散歩を実施しているのですけれど、特に面白い店があるわけでなく、風景もいつもの見慣れたものなので、自然と動物たちに目がいくようになりました。
夏と違って我が家の猫ゴーニィは散歩についてくることが稀になったので(というか、そもそも散歩に猫がついてくる方が普通ではないのですけれど)、私はひとりで動物たちを見ながら歩いています。
それでですね。どうも動物たちにはテレパシーみたいなものを感じる能力があるんじゃないかと思うようになったのですよ。
いや、私にはそれを感じる能力は、今のところ全く開花していないです。でも、私が放牧されている羊や牛の方を見ながら「もうちょっと近くに来てくれるといいなあ」と思うと、何も口にしていなくてもふっとこっちを見て、とことこやってくる、というようなことが何回かあったのです。
上にも書きましたが、私の方は家畜たちの意思を理解できないので、それがどうしてなのかを確認できないですし、「ただの偶然だろ」といわれれば「そうかも」という程度の感触なのですが。
というわけで、最近はわざわざ顔を向けずに、脳内で語りかけてみたり、反対に特に何も望まないでずっと見つめたりとあれこれパターンを変えて実験をしています。
これ、100回以上実験を繰り返したら「やっぱりそうだった」とか「単なる偶然だった」とかいった報告ができると思うのですけれど、今のところは「何となくその手の偶然が続いて、あれ? と思っている」程度の与太話だと思ってください。
少なくとも、こういうことをやっていれば、何の変哲も無い田舎暮らしもそれなりに楽しいという話です。
テニス帝王の引退

Roger Federer, Winner, Centre Court, Wimbledon 2012 by wikimedia
スイスの人たちというのは、あまりミーハーではない国民性を持っていると、私は感じています。そこらへんでどこかの国王がスキーをしていても、往年の銀幕スターが村を歩いていても、大騒ぎしてサインをもらおうというような行動はほとんどしません。
ちょっと有名なタレントが国会議員に立候補しても、まともな政策も言えなければ相手にもしないくらい、冷静な物の見方をする人が普通ですし、冬季オリンピックでも、サッカーのワールドカップでもヨーロッパの他の国にに比べたら、興味のない人は誰がどこと対戦しているのかわからないくらい、人びともマスコミも抑えた盛り上がりをすると思います。
でも、私の印象では、たったひとり例外があって、それがロジャー・フェデラーです。少なくとも私がこの国に住み始めて20年間、ずっとそうでした。この人のことになるとマスコミも人びとも急に大騒ぎをして、少しでも批判しようものならムキになった反論が10倍くらい返ってくる、そんな印象です。
そう言えば、いつだったか世界中がサッカーのワールドカップで大騒ぎしていた最中に、スイスのスポーツ新聞だけフェデラーのニュースを優先していたことがありました。さすがだなあと思ったのを思い出します。
15日に彼が現役引退を表明したときも、帝王らしい大騒ぎになりました。スポーツ新聞だけでなく各紙こぞって1面トップですよ。普段お堅いことしか書かない新聞が何ページも特集。いや、昨日まで大騒ぎしていたエネルギー危機は、戦争はどこいったと、ツッコみたくなる騒ぎようです。
とはいえ、私も実はロジャー・フェデラーは好きです。強いだけでなく、性格もいいみたいです。実は、スーパーで会ったことあるんですよ。威張った感じもないし、有名選手ですという近寄りがたさもない、普通にいい方。どんな御殿に住んでいても、広告でどれほど稼いでいようと、反感を全く持たせないあの佇まいはたぶん天性のもので、皆に愛されるのも納得しています。
実績だけでいったら、彼よりもすごい現役選手は他にもいます。フェデラーの実績として語られるグランドスラム通算20勝という記録に対してナダルは22勝、ジョコビッチは21勝しています。最近の彼は故障に悩まされてコートの上よりも広告で見かけることの方が多かったのも事実です。
でも、そんなこと関係ないのです。彼こそが「テニスの帝王」で、好きなスポーツ選手と訊かれれば真っ先に思い浮かぶ、20年近くそういう存在であり続けたことは驚くべきことだと改めて思うのです。
それは簡単にはわからない

わりと最近、有名なモデルのカップルの離婚が話題になりました。よくあるような「不倫が原因」というのではなく、公表したコメントから類推するにどうも1人の性自認が原因だったようです。
これって、どんな他のカップルの破局とも同様に、本人たちの問題で外からどうこう言うことではないと思いますし、ましてや当の配偶者が納得しているのなら、それ以上話題にする必要もないと思います。
私がこの話題を取りあげようと思ったのは、実際に知っている人が似たようなことの当事者になっているからです。そのモデル・カップルのケースと同じかどうかは、もちろん私からは判断できませんが、今回は私の知りあいの女性(元男性)Aさんのことを中心に書こうと思います。
Aさんとは別に、私にとってはとても大切な日本の友人の中に、2人いわゆるLGBTQにカテゴライズされる存在の人たちがいます。Bさん、Cさんとしておきましょう。この2人はどちらも生まれたままの性を手術や役所の手続きによって変更することはしていません。
ただし、私は、2人ともに「あなたのジェンダー自認は具体的にはなんなのか」という質問をしたことはありません。恋愛対象が同性なのは知っていますが、自分の内面を生まれ持った性と違うと認識しているかどうかは、また別の問題です。私や他の親しい仲間たちの間でのカミングアウトはとても早くてもう何十年来それが普通だと受け入れていますが、日本という国では「誰かと同じ」であることに価値を見いだす人がまだ多いので、学校卒業後の人生で囲まれている人たちに100%公表するというのもしんどいのではないだろうかと考えています。
私がBさん、Cさんにもっと詳しいことを訊かないのは、それが私の好奇心を満足させる以外、なんの役にも立たないことだからです。その質問に傷つき敏感になっているかもしれないのに、訊いたらまずいだろうなと慎重になっている間に、私と2人の距離は1万メートル離れてしまいました。そして、この手の話は、メールでするようなものではないのです。(実は、チャンスがあったのに、私は戸惑いから無難な対応をしてしまいました。まだそのときのことは少し悔やんでいます)
さて。話はAさんに戻ります。Aさんはトランスジェンダーで、書類上も変更し、現在もホルモン療法を続けています。私がスイスで知り会ったときには既に女性でした。
Aさんは常にファッショナブルです。そして、それが彼女の人生における苦悩の始まりだったそうです。彼女は、インタビュー形式のドキュメンタリー本で、彼女の体験を明らかにしていてその本を貸してもらったので、普段なら到底訊けなかったような詳細まで、私が知ることができたのです。
子供の頃から、女装に興味があり、隠れて母親の服を着てみた、というのが彼女の男性としての違和感の始まりだったようです。そして、Aさんはそれを「罪」と捉えていたようです。その罪の意識から解放されるには、「自分は男性ではなくて、女性なのだ」という方向に進まなくてはならなかった。私はそう分析しています。
私は、「HENTAI大国」日本に慣れすぎているのかもしれません。「女装したければ、(そういう界隈で)すればよかったのに」とどこかで考えてしまうのです。
また、私が女性だからよけいそう感じるのかもしれません。私は男装をすることに罪の意識などカケラも持ちませんし、世間が後ろ指を指すこともないでしょう。反対には、もっといろいろな抵抗があることもわかっています。でも、男性ジェンダーの象徴であるあの器官をカットするほどの罪とはとても思えないのです。それに、女性であることで、男性よりも不利益を被ることもありますし、反対に女性に生まれたから得られるアドバンテージ(若くてきれいだとちやほやされるとか)を、現在のAさんがたやすく得られるとは思いません。
「罪の意識を感じずに、後ろ指も指されずに、女性の装いができること」。それはAさんにとっては夢にまで見た大切なアイデンティティーだと思うのですが、私がそれに全く価値を見いだしていないのは、私がおしゃれに全く興味が無いタイプだからだと思います。「女装/男装が好き/嫌い」という以前に、そもそも興味が無いんです。
清潔だけには氣をつけていますが、服装を考えるのが面倒なので特別なTPOがないときはほぼ常に同じ格好をしています。Tシャツとパンツかジーンズに、シャツかカーディガンかジャケット。Tシャツは選ぶのが面倒なので色違いを用意して順番に着ているだけです。石は好きなのでときどきアクセサリーはつけますが、おしゃれでつけているわけではありません。髪も時間がかからない楽なカットをずっと替えませんし、ほぼノーメークで、ネイルはしたこともありません。スイスという国にはノーメークやストッキングをはかない女に、あれこれ言うような人などいないのです。
でも、私はそのことで性自認に悩んだことはありません。恋情を感じる相手は常に男性でしたが、それで「性自認や恋愛指向がノーマル」だと思ったこともありません。たまたまその人たち以外に興味をもたなかっただけです。生まれ持ったジェンダーがアイデンティティー・プロブレムの要因になったこともないのです。女性差別に憤ることはあり、日本の女性の扱いにイラッとしたことはありますけれど。
だから、思うのです。女性らしいといわれる装いと、女性であることは同じではないのだと。もっといえば、「自分であること」とその服装は、あまり関係ないのだと。ファッションに何よりも興味がある人にとっては、「自分であること」イコール「自分らしい装い」でしょうが、それは万人に言えることではないのだと思います。
Aさんは、いつも素敵な服を着ています。会う度にきっちりメークをしていますし、2週間に1度はネイルサロンにも通っています。きっと彼女は、その度に幸せを感じていると思います。私はそのことを祝福しますし、よかったなとも思います。でも、彼女が常に戦い続けているパニック症候群や、ホルモン療法の副作用と思われるさまざまな不調、そして、人生でこれ以上はないというほどの愛だった元奥さんとの破局を思うと、複雑な思いに囚われるのです。Aさんが女性となってからも数年間は一緒にいてくれた元奥さんは、結局は別れを決意しました。
Bさん、Cさんの場合も、恋愛対象が同性だと自認・カミングアウトしても、その後望んだ恋愛相手と出会うことは容易ではなかったようです。少なくともCさんには家計を共にするパートナーはいません。探す界隈が変わればチャンスは増えますが同性ならば誰でもいいわけではない。これは異性同士にも言えることです。私の世代は、経済的に自立している女性が多いせいか、独身を選んでいる人が多いので、Cさんたちのケースが特殊だといいたいわけではありません。つまり、女性だから好きな男性すべてに愛されるわけでもないし、レズビアン女性だから好きな女性につねに愛されるわけでもないということなのでしょう。男性も然り。
そういえば、私が書く小説の中にはゲイのカップル(既にハッピーな状態)はいますが、同性同士の恋愛模様はほぼ書きません。自分の周りの当事者の繊細な苦しみを考えてしまうので、なかなか手を出せないのです。なぜなら、今回私が考察しているように、その苦しみを私自身が理解しているとはお世辞にも言えない状態だからです。男女間の普通の「ぐるぐる」は、自分なりに咀嚼しているものなので見てきたように書いていますが。
Aさんの場合は、少なくとも男性であった頃の恋愛対象は女性で、愛する人と結婚することもできました。彼女を失うことを怖れて、カミングアウトがとても遅くなったとインタビュー本には書かれていました。Aさんは元奥さんだけでなく、ご両親やお兄さん、そして職場の同僚の理解も得て、女性として受け入れてもらいました。誰もがとても驚いたことと思いますが、それでも精一杯の誠実さと優しさで決断を認めてくれたことはAさんにとっては大きな支えだったと思います。
現在のAさんは、奥さんのいなくなった家にひとり住み、女性としての人生を歩んでいます。大きな苦しみと決断との後に、彼女が得たものと失ったものは大きく、そして、それはもう元に戻せるものではありません。堂々と女性として装い、女性として生きることを選んだ決断について、彼女がどう感じているのかわたしにはわかりません。彼女自身にそれがわかっているのかも、わからないのです。
夏が過ぎていく

漏れ聞く日本は相変わらずの猛暑らしいですが、こちらは申し訳ないほどの爽やかな8月です。一時期ヨーロッパが猛暑というニュースが日本にも伝わったので、多くの方に心配していただいたのですが、いかに猛暑でも日本の夏に比べたら全く大したことがありません。
小学生だった○十年前、東京も今ほどは暑くなくて家庭にエアコンがなくても普通に暮らせた時代、「朝の涼しいうちに宿題を済ませましょう」と口を揃えていわれました。そして、本当に朝はとても涼しかったのですよ。
今年の「猛暑」のスイスでは、たった1日「夜でもけっこう氣温あるかも」と思った日がありました。そして、その翌朝、窓を全開しても「あれ?そんなに涼しい風じゃない」と思ったんですが、たぶんその「暑すぎる朝」が、記憶にある小学生だった真夏の朝と同じぐらいでした。それ以外の日は、「猛暑」といっても夜に窓を開ければ快適な涼しい風を楽しめるし、36℃くらいある日中も北側の日の当たらない部屋にいれば25度くらいの快適な温度でした。もちろんエアコンなしで。
一方、水不足の夏でもあるので、あちこちで「山火事注意」の警報は出ています。上流のスイスはめったに水には困らないのですが、下流の国々では水不足が深刻になってきているようです。
去年は、COVID-19、COVID-19と大騒ぎをしていました。大きなイベントは中止になるし、海外旅行も高額な検査があったり飛行機のキャンセルが相次いだりしてバカンスにもなかなか行けない雰囲氣でした。さまざまな行動制限に加えて、心理的圧迫のせいで夏も楽しめませんでした。
今年は、その去年が嘘みたいで「コロナ禍なんかなかったことになっている」ように思います。2月に屋内での法的マスク強制が解除されてから一瞬で町ではマスクを見なくなりました。私も手作りしたたくさんの布マスクを掃除布にしておさらばしました。一時は毎日のように騒いでいたウクライナ問題についても、ニュースで耳にすることは稀になりました。
一方で、ガソリンの値段は上がったままですし、隣国ではエネルギー問題が人びとを不安にさせており、真冬に17度までしか暖房を入れられないとか、薪の購入での詐欺が横行したり、決して2019年までの「なんの心配もない夏」が戻ってきたわけではありません。
スイスは、どういうわけか食糧危機の兆しも感じられないし、マスク着用や望まぬ注射を強制されることもありません。なので、もっと晴れ晴れとした想いを持ってもいいと思うのですが、そうではない日々を送っています。
2019年までの日々には、もう戻れないのだと思います。疑問を持つこともなく、調べることもしなかったあの頃、世界は基本的に法と正義と善良さを中心に回っていて、平和でちょっぴり退屈ですらありました。真面目に働いていれば、少なくとも日々の生活は保障されて、老後も慎ましく暮らせば困らない場所のはずでした。
個人的には、あれから失業して、スイスの失業保険受給も体験しました。それから再び幸運に恵まれ、新しい職種と前の職種の両方の仕事ができるようになりました。各国の感染対策上も、私のお財布の中身も、理論的には以前と同じように年に3回国外旅行をしても問題はないようになりました。
でも、コロナ以降、私と連れ合いは全く海外旅行には行っていません。その間に猫が生活の中に入ってきてしまったということもあるのですけれど、それは本質的な問題ではなくて、たぶん世界が私の考えていたものと全く違ったので浮かれて楽しめなくなってしまったというのが一番の理由だと思います。
空を見ても、山を見ても、新聞やネットからあふれてくる文字を見ても、もう以前と同じようなまっすぐな受け止め方はできなくなってしまいました。私は「自由でもっとも恵まれた時代に生まれてきた、歴史上もっともたくさんの知識を得た霊長」の1人ではなくて、おそらくそれとは真逆の『青い錠剤』で宥められただけの愚かな羊だったんだなと。
それを受け止めるのは、とても困難でつらかったのですけれど、1度消化したらあとは生き延びるために、動き始めることもできるようになりました。
それに、これまでは教え込まれたことを考えもせずに受け入れていたのですが、ごく当たり前の自然現象や古い建築など、いつも身近にあった多くのことについて自分で観察し考えるようにもなりました。まだ世界の真実がわかったとは言えない、思考の入り口付近にいるのですけれど、多くの小さな物事について自分の仮説を立てたり、ネットで仮説に対する裏付けとなる知識を探したりしながら、思考を繰り返しています。
そんなわけで、旅行と創作のネタ探しばかりをしていた頃とは、ずいぶんと違う時間の使い方をするようになりました。
世界の不安は、終わったわけではなく、ますます不穏な方向に向かっています。次に何が来るのか、私にはわかりませんけれど、少なくとも警鐘がならされたものについては自分なりの準備はしています。それが充分かどうか、もしくは単なる杞憂なのかは、実際に問題が起こらないとわかりませんし、何が起ころうとまた起こらないままだろうと、それに順応して生き抜くべく歩き続けるしかありません。
この夏休みも、そんなあれこれを考えながら、たまに近場にツーリングと食事に行く程度の日々を過ごしています。あと1週間、のんびりと、少しは執筆も進めながら過ごすつもりです。
季節は緩やかに移ろい、既に朝晩は秋を感じるようになっています。足下にも枯れ葉が舞ってくるようになり、植えた野菜のほとんどは収穫時期を迎えています。
Heimweh(望郷の想い)

海外に住んでいると「日本に対してホームシックにならない?」とかなりの頻度で訊かれます。大体は「そうでもない」「インターネットも以前と比べて発達しているし」というような当たり障りのない返事をするのですけれど、その背景にはもっと違う事情が潜んでいます。でも、「きっとこの国の人に話しても簡単にはわかってもらえない」もしくは「説明が難しい」ので、あえてそんな回答をしているのです。
ドイツ語で「Heimweh」という言葉は、文字通りに訳すと「故郷への痛み」です。そして、私は時折そうした感情を持つことがあります。でも、それは、航空チケットを買ってひとっ飛びして現存している日本国に降りたっても癒やすことのできない痛みなのです。
例えばこんなことです。時代劇のテーマの動画を検索していたら『大岡越前のテーマ』動画に行き着きました。それを聴いていたら、居ても立ってもいられない想いにとらわれてしまいました。
前回の記事でも書いたように、私がより好んでいたタイプの時代劇は、『暴れん坊将軍』や『水戸黄門』『遠山の金さん』タイプで、『大岡越前』も好きでしたが、どちらかというと当時の私には大人向けのしっとりとした内容で、何が何でも観る番組ではなかったのです。
でも、母はかなり好きだったようで、一緒に並んでみていた記憶があります。冬だとこたつみかんで、1時間ほど一緒に座っていたと思います。その記憶そのものが、私に帰りたいけれど帰れない故郷を想起させたのでしょうね。
スイス人であるわが連れ合いは、大好きなアフリカで何ヶ月も旅をしている間に、たまたまラジオなどでアルプホルンを聴いただけで泣けてきたといいました。普段アルプホルンなどはどちらかというと小馬鹿にした感じのあるタイプであるにもかかわらずです。私は、もちろん、アルプホルンをどこで聴こうと泣きたい思いになどなることはありません。たぶん、この感覚が、私が『大岡越前のテーマ』に対して条件反射的に感じてしまった想いの正体なのだと思います。
ブラウン管のテレビ、和室、『大岡越前』一緒に見ていた母親、当時は特に帰るのが嬉しかったわけでもなかったあの家。どれもがもう存在しません。
いま、私が成田空港に降り立っても「あと2時間ほどすれば帰ることができる」と思う場所はどこにもありません。めまぐるしく変わる東京は知らない建物ばかりで、風景に懐かしさを感じることもありません。
きっと、どうやっても戻ることはできない、二度と目にすることのできないあの時代への想いが、私にとってのHeimwehなのでしょうね。
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Our Day Will Come
今日は音楽の話です。というか、同じ歌の同じ歌詞に全く違うものを感じてしまった話。
先週の日曜日に、庭先の大きな木の下から青空を見上げていたときに、ラジオから往年の名曲『Our Day Will Come』が流れてきたんですよ。
歌詞の意味するところは若くて周囲に反対されているカップルの恋愛で、「愛し合っていればいつかは認められる」というものなのですけれど、それが全く違って聞こえてきてしまったのです。
「いつかすべてを手にすることができる」「しばらく待っていればいい。わたしたちの愛を想って笑顔でいよう」って。つまり今はダメだけれど、待っていればいずれ素晴らしい日が来るという歌詞が身につまされたわけです。
現在起こっているあれこれを、本当に乗り越えられるかどうかなんて、誰にもわかりません。人類が乗り越えることは可能かもしれませんが、そこに自分たちが含まれていなければ「私たち」ではないですよね。恋人たちだって、反対に抵抗しているうちに疲れて別れてしまうことだってあるかもしれません。そんなものです、すべての希望的観測は。
でも、だからこそ、それを信じて日々生きていくしかないんですよね。
思えば、私たちの世代とその前後は、素晴らしい日々を過ごしてきました。自由で楽しい日々がずっと続くと信じることができたものです。好きなことをする時間は、まだ数十年あって、その間に大きな不安や制約がかかる長い年月日があるとは考えもしませんでした。もしかしたら、それは、最後の輝きだったのかもしれません。
でも、まだ、そうであるとは思いたくないです。しばらく耐えて生き延びることが出来たら、いずれまた自由で楽しい、ささやかな楽しみを満喫できる世界が戻ってくると信じたいです。
Our Day Will Come
by Ruby & the Romantics
Our day will come
And we'll have everything
We'll share the joy
Falling in love can bring
No one can tell me
That I'm too young to know (young to know)
I love you so (love you so)
And you love me
Our day will come
If we just wait a while
No tears for us
Think love and wear a smile
Our dreams have magic
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come
(Our day will come; our day will come)
Our dreams have magic
Because we'll always stay
In love this way
Our day will come
Our day will come
Copyright: Universal Music Publishing Group, BOURNE CO.
Writer(s): MORT GARSON, BOB HILLIARD
心配しちゃうけれど

私は、思われているよりもずっと心配性です。肝っ玉が小さいという方が正しいかも。先のことを考えて不安になってしまうんですね。
子供の頃、文化祭や運動会や体育祭の前日はなかなか寝付けませんでした。いつもと違う起床時間にちゃんと起きられるだろうか、本番で失敗したらどうしよう、自分だけ一緒にご飯を食べてくれる人がいないかもしれない。
親には、そういうことをあれこれ言わなかったし、遠足や体育祭の集合写真を見ると普通に笑っているので、周りはそんなことでグルグルしているとは思われていなかったと思います。
大きくなってからも、本質的にはあまり変わりません。久しぶりに飲み会がある、旅行に行く、出張といった普段と違うことのある前日は寝付けなくなりますし、1か月以上先の研修予定のことでもあれこれシミュレーションをしてくよくよします。去年は、このまま収入が途絶えたらどうなるだろうなんてことも、その堂々巡りに加わりました。
対策のあることはいいんです。それは手をつければいいのですから。例えば「掃除をしていない、まずい」というようなことなら、掃除をはじめればいいだけです。あれこれ心配するのは、今できることは何もなくてその時点になってみなければどう転ぶかわからないことなんですよね。
で、先日、個人としての大きな心配ごとがタタタタタッと解決してしまったので、急に心が軽くなりました。
それまでは定職が決まっていなかったので、3つから4つの別口の仕事の予定を組み合わせていたのです。1日に2つ以上の予定が入ることも多く、今後ちゃんとこなせていけるのかも疑問でした。一方で、コロナ禍の影響で、あったはずの予定がガタッと減ることもあり、今月の収入はどうなるんだろう、数ヶ月後は食べていけなくなるかもと、別の意味の心配も同時にしていました。
定職が決まり、今年いっぱいで他のフリーの仕事を順次片付けていける道筋がついたので、4月までの心配ごとはすべて杞憂に終わりました。
それで、「なるほどな」と思ったことがあります。
今年の初め頃だったかSNSで流れてきた情報ですが、「心配事の80%は起こらない」ことがわかったとか。米国ミシガン大学の研究チームがした発表だそうです。実際のソースがどこか探してみたのですが、英語で書かれた情報は85%という数値が多く、その中の1つはダウンロードできる論文のリンクに紐つけられていました。有料だったのでとりあえずしませんでしたが。
日本語と英語による二次情報を総合してみると、多くの人に長年にわたり心配事を1つ1つ書き留めてもらい、後にどれだけその心配事が実際に起こったかを照合させるという研究のようです。そして、80%だか85%の心配事はそもそも全く起こらず、残りの起こってしまったうち自力で対処できなかった心配事に至っては、たったの数%しかない、ということのようです。
翻ってみれば、この3年間で私があれこれ思い悩んだうち、ほとんどの心配ごとは現実には起こりませんでしたし、起こったこともすべて対処できていました。
人間は神経伝達物質セロトニンが不足すると、不安になったり睡眠障害になったりするそうです。で、遺伝子によってセロトニンのリサイクルを進めるセロトニントランスポーターなる物質の量が変わってくるらしいです。詳しいことは専門書を読んでいただきたいのですけれど、遺伝子量の多いL型(不安やストレス対してに強く楽観的になる)と遺伝子量の少ないS型(不安を感じやすく悲観的になる)の組み合わせでできているそうです。そして、日本人は圧倒的にS型を持つ人が多いそうです。細かく事前に心配してあれこれ準備をする日本人氣質は、このあたりからくるのかもしれませんね。ちなみにアメリカ人やアフリカ人はL型を持つ人が多いとか。
私がどんな遺伝子を持っているのかはわかりませんが、どう考えてもLL型ではなさそうですね。一方で、「心配事の8割以上は実際には起こらない」も自分の経験に当てはめても正しい感じがします。
残りの2割弱についても、起こってしまう時には起こってしまうけれど、それが今でないならば心配してもしかたがないということなのでしょう。心配のしすぎは、意味がないだけでなく、睡眠不足を招き健康を害するので、くよくよのループから抜け出す努力も必要なのでしょうね。
そうはいっても、まだとても大きい心配事があります。現実ではどうなるか正確には予測できないし、実際に何かが起こったとしてもどうやって解決できるかさっぱりわからないことです。私個人のことではなくて、全世界で起きていることです。情報が錯綜しているし、何が真実で何がデマなのかも、現時点ではわかりません。
なので、私としては可能な限りの情報を集め、いま現在できることを自分の信念に従って粛々と進めるしかないのでしょう。つまり、いつも通りの生活を淡々と続けるだけです。
セロトニン不足が、現在の自分にはどうすることもできないことについて余計な不安とストレスを誘発するというのならば、それを少しでも避けるべく、よく寝て、よく食べて、適度に運動し、日光を浴びる、ようするに健康的な生活を心がけるべきなのでしょうね。
聖週間によせて

現在、キリスト教世界では「聖週間」つまりキリストの復活を待つ準備の1週間となっています。キリスト教国にとって復活祭(イースター)は、クリスマスとならびとても大切なお祭りで、日本でいうとどちらがお盆でどちらがお正月か、ちょっと断定できないほど。(実際に、この時期に人々は日本の年の暮れのように大掃除をします)
敬虔なキリスト教徒ならば、灰の水曜日から40日間の潔斎期間(肉などを食べずにキリストの苦難を思う)はずなのですが、少なくとも私の周りにはそこまで敬虔なキリスト教徒はいないみたいです。それでも例えばカトリックの多いポルトガルなどでは、この時期はバカリャウ(ポルトガル人の大好きな干し鱈)がたくさん食卓に上ると聞いたことがあります。
そして、いよいよ復活祭の近づいてきた聖週間には、敬虔に過ごす、または、少しギョッとするような外見の行列の祭儀を執り行ったりする地域があるようです。ちなみに、我が家の近くには、なにもありません。
今年は、どのキリスト教国も、カトリックもプロテスタントも、復活祭を大きく祝うことはできません。平素はガラ空きの教会もクリスマスと復活祭には満杯になるのが普通だったのですが、それも禁じられて異様な祭日になっています。
去年の復活祭は、ロックダウンで誰もいないミラノの街をドローンで撮影したアンドレア・ボチェッリの「Music For Hope」が話題になりました。
今年もまた、ヴァチカンのミサは縮小して行われるそうですし、こちらの地域の教会もみな集まらないように、歌わないように、抱き合ったり握手をしたりしないようにと、異様な状態で迎えます。
昨年「たった1年のことだ、いま耐えればきっとすぐに元通りになる」と、口々に言っていた人たちが、いま長引く厄災に疲弊しながらこの1年のことを考えています。
そういえば、イエス・キリストが磔刑にされたのはユダヤ教の大切な祭り「過越祭」の時でした。神に与えられた疫病が世間を覆い尽くす間、それが通り過ぎるのをひたすら待ち生きながらえさせてもらったことへの感謝の祭りです。ですから、現在でもユダヤ教信者は、キリスト教の復活祭と同じ時季(春分後最初の満月の後の祝日)に過越祭を祝います。
いまは、全世界のあらゆる人々が、禍が通り過ぎるのを待っています。それがいつになるのか、どんな形で終わるのか、私にはわかりませんが、少しでも早い事を祈る復活祭になりそうです。
ここのところ

といっても、基本は自宅でフリーランサーとして働くか、オンラインで日本語教師をしているので、ずーっとうちにいます。コロナ禍の影響もあり、用がなければ街には出ないという生活をすでに1年近くしていることになります。
街に出ても、レストランは営業禁止だし、どこへ行っても距離がどうのこうの、マスクがどうのこうのと規制が厳しくて楽しめる感じはしません。週に1度の買い物を急いで済ますだけですね。
昨年は、あれこれあって「休暇なんて行っている場合じゃない」だったのですが、今年は休暇を予定しています。ただ、どこかに行けるかどうかはかなり怪しく、単に「仕事はしない日々」になるのかも。
普段の毎日も、家にこもっていると体に悪いので、毎日30分以上は外で歩くようにしています。夏は、仕事を5時で終わらせてから歩いていたのですけれど、現在それをやると真っ暗な上、凍死しそうな寒さになるので、お昼ご飯を食べた後にまず外で歩くようにしています。
散歩中は、ほとんど誰にも会いません。雪原を宮沢賢治の「雪渡り」のように「キックキックキックキック」と踏みながら歩いて行くのが楽しい。足下の足跡は、人間や犬のものだけでなく、「これはウサギかな」とか「この小ささはイタチかなんかかな」と思うようなものもあって、つくづく田舎だなあと思います。時おりカモシカなども見るんですよ。
さて、「scriviamo!」立て続けに3つの宿題をいただきましたが、既に発表した分も含めて全部一通り書き終わったので、ちょっと余裕をかましています。今のうちに、2月発表分の作品でも書いておこうかなと思っています。
クリスマス、どうしよう問題

私の住むスイス(や多くの欧米諸国)では家族にとっての大切なお祭りです。日本でいうお正月のように、家族が集まって祝うのです。
ところが今年は(州によって決まりはいろいろですけれど)「2家族まで」とか「合計10人まで」というような制限があって、たとえば両親を兄弟姉妹である子供たちがその子供たち(つまり孫たち)を連れて同時に祝うなんてことが不可能になってきているわけです。かといって、2日に分けて両親を訪れても65歳以上の感染リスクは同じですし、クリスマス期間は10日以上間隔を開けて祝うわけにもいかないので、同時に集まったのと変わらない状態になるわけです。また、孫たちが来て、去年までは抱きついていたのに、今年は握手もしないなんてことは、たぶんこちらの人たちはできなさそう。
しかし、もっとできないのは、「老いた両親をクリスマスに訪れない」という選択です。いや、施設にいて訪問禁止というのならしかたありませんし、本人たちが「感染は勘弁だ、絶対に来るな」と言うのなら可能ですけれど、そうでない限り「1年我慢したのに、クリスマスも祝えない」というのは何とか避けたいというのが、多くの方の悩みどころのようです。
我が家は、少なくとも私の方は、もともとこの時期に帰国したことはなかったですし、いまは両親とも他界したので、その問題に悩まされることはありません。義母は施設にいますし、連れ合いの兄弟はもともとクリスマスに集まるような人たちではないので、そちらも通常運転です。
さて、せっかくクリスマスの話題なので、もう1つ。最近の日本のニュースで、わずかに引っかかったことを。
こんな感じのタイトルを戴いたニュースを見かけたのですよ。
「クリスマスに間に合う! 縁結びにご利益がある神社」
なんというか、どう突っ込んでいいのか迷う感じになりました。いや、日本は八百万の国だから、一神教の生誕祭のために彼または彼女をよこせとお願いしても、縁結びの神様が文句を言うことはないかもしれませんが。
しかし、縁結びって、クリスマスのためにやるもの? そんな間に合わせ感覚でいいの? っていうか、バブル期じゃあるまいし、クリスマスのデートって、もう下火になったって話は? そもそも、今年は外出自粛じゃないの? などなど、いろいろと疑問が渦巻きました。
「アウグストゥス」読んだ

友人がブログに上げていたのが、このジョン・ウィリアムズ著「アウグストゥス」(作品社 布施由紀子 訳)の感想。アメリカの作家で、この作品が遺作らしいのです。私は、失礼ながらこの方を知らず、同姓同名の作曲家を思い浮かべて「まさかね」と思ってしまったぐらいです。
しかし、この方の作品は、21世紀になってから「再発見」されて以来、欧米では絶賛されているそうで、日本でもこの作品と同じ作品社から、3作が翻訳されて順調に重版となっているとのことで、単に私が知らなかったというだけですね。
さて、どうしてこの作品に興味を持ったかというと、友人の絶賛も氣になったのだけれど、それに加えて、私はこちらに来てから10年くらい、毎週ドイツ語の個人レッスンを受けていて、その時の雑談にローマ帝国初期の複雑怪奇な人間関係をほぼ毎週耳にしていたからなのですね。つまり、この本を読む一般的欧米人と同じくらいか、それよりもう少しこの本に出てくる人々に対する基礎知識があると踏んだからなのです。
で、読みたいなあと頼んだら、なんとプレゼントしてスイスまで送ってくださいました! 大感謝。
で、読んでみて、感動しました。この作者、本当にすごい方です。
この作品はご本人も前書きではっきりと書いているように「小説」です。つまり、作者の創造に当たる部分が入っていて、人間ドラマも人間関係も「史実」そのものではありません。とはいえ、考古学や文献に書かれた史実をないがしろにしたわけではなく、むしろその隙間を見事に織りなして、壮大ながらももの悲しい人間ドラマを綴っているのです。
一般に「○○」だと見なされている登場人物は、本当にそういう人物だったかは今となっては誰にもわかりません。史書は書いた人間に都合よく書かれるので、敵対した人物は極悪人のように書かれるのが常です。そして、それがイメージとなって語り継がれるのですけれど、この小説ではそうしたイメージに反する人物像をつくりだし、それがまたどれも説得力抜群、「本当にこれが事実だったのかも」と思わせる世界観になっています。
これ以上書くとネタバレになるので、興味のある方はぜひ手に取って読んでいただきたいと思います。
ちなみに、ものすごくたくさんのことを丁寧に調べて書いているのに「こんなに知っています。僕ってすごい」感が全く出ていなくて、作品としての完成度が異様に高いのも感服ものです。加えて、この本に出てくる固有名詞のうち「シーザーとアントニーとクレオパトラしかわからない」というような方でも、ほとんど混乱なくストーリーを追えるように書いた構成も見事。もう、こんな作品が書けたら死んでもいいと思いますけれど、200回生まれ変わっても無理そう。
読書家の方には、本当におすすめしたい一冊です。
もう10月

氣がつくと今年ももう3/4が終わってしまいましたね。
123456Hitの最終作品もまだ書けていない体たらくなのですけれど、すでに来年のことを考えなくてはいけない時期ではありませんか。
実をいうと、リアルの方がかなりやることが多くて、なかなか創作に熱中できない状態です。ブログを開設してから今年ほど上の空な歳はなかったように思います。現在もまだ同じ状態が続いていて、先が見えていないのでご報告はもう少しはっきりしてからにしたいと思います。来年くらいかなあ。まあ、健康にのんきにやっておりますので、ご心配なく、とだけ言っておきますね。
といいつつも、実は現在連載中の『Filigrana 金細工の心』実は見切り発車です。つまり完成していない状態で発表しています。もちろん主要シーンはすべて終わっているんですけれど、かなり空いているところがあるんですよ。ちゃんと書かないと完全な自転車操業になってしまう……。
もっとも、これが終わったら、のこりの「書く書く詐欺」は『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』と『大道芸人たち Artistas callejeros』の第2部だけなので、頑張ろうと思います。一体、何年かけているんでしょうねぇ……。これからは、もう少し慎重に物を言うようにしなきゃ……。
そういうわけで、みなさま、芸術、読書、スポーツ、食欲の秋などをそれぞれにお楽しみくださいませ。
もう戻りたくない

本人としては、途中でサボりまくった記憶もないし、自分のできることを懸命にやってきた人生だとは思っているのですけれど、ふと周りを見回すとみなさん立派に大成していたりして、「あらあ……差が出たわね」と思わないこともないのです。高校時代や、大学時代の頑張りが違ったのか、その後なのか、そもそもキャパシティや素材が違ったのか、その辺はわかりませんけれど。
とはいえ、時間のリールを巻き直して、もう1度たとえば10代前半からやり直したいかと問われれば、私の答えは「ノー」ですね。あの時代に戻ったら、「あの時間はこう使うし、こんなこともしただろうし、あれは無駄だったから手を出さなかったし」ということはあるのですが、それでも、もう戻りたくないです。
それは、この8年間にしてもそうで、このブログのサイドバーを見ても思います。こんなに書いたんですよ。今ならもっといいものが書けるかもしれないけれど、これをまた1から書くなんて、本当にごめんです。
同様に、体験した1つ1つのこと、積み上げてきたすべてのことを、またはじめからやり直すのは、勘弁願いたいです。
下り坂の歩き方

人間の平均的な一生を四季にたとえると、生まれてすぐから子供時代が春、青春というような時期から30〜40代くらいまでが夏だと思うのですよ。そして、それからが70代の頭くらいまでが秋で、その後老いて体も動かなくなり冬の時代をむかえるのかなと。
なので、今日の話題は別の言い方をすれば「人生の秋の過ごし方」なんですけれど、今の日本はまだ本格的な夏も来ていないのに妙かなと思い、こちらのタイトルにしました。
別に何かつらいことがあって、世をはかなんでいるわけではなく、「終活」というほどのことでもないのです。ただ、単純に年齢を重ねたことで、以前と同じようにやっていくことが難しくなってきたので、意識的に変えたことを覚え書きのように書いてみようかなと。
1. 食事や栄養を意識的にとる
代謝がわるくなってくるんでしょうか、普通に3食にするとどんどん太るのですよ。で、夜21時から朝9時までは何も食べないようにして、朝の9時ごろにヨーグルトと足りていないと思われるミネラルを含む食品をミューズリーに入れて食べています。たとえば、キヌア、ヘンプシード、小麦胚芽、大豆などですね。昼食は普通にしっかりと、夕食はスイスの一般的家庭と同じく軽くを心がけています。そして、水分も意識的に摂っています。
2. 体を毎日動かす
Apple Watchを買うことにした理由の1つがこれなのですけれど、毎日30分以上の軽い運動をしています。だいたい心拍数が105ぐらい越えていないといくら歩いてもカウントしてくれない仕組みになっているので、早歩きをしたり、自転車で遠出をしたり、ここのところ意地で続けています。Apple Watchは、ほかに「座りっぱなしだよ」と教えてくれたりするので、便利です。
それに、心拍数だけでなく、ストレッチやスクワットなど、普段使わない筋肉を使ったり伸ばしたりというようなことも意識的にするようになりました。体育の授業がなくなってから放っておいた体は、なまりまくっていて大変ですけれど。
3. 脳を使う
これは、若い人には「何それ」だと思うんですけれど、放っておくと脳みそって本当に退化するのですね。普段使っているつもりでも、ルーティンな生活をしていると、全く使わない部分ができてきて、そこから脳が老化していってしまうらしいです。とくに現在氣にしているのは前頭葉のトレーニングです。こういうことをやっても、アルツハイマーなどのような病でわからなくなってしまうこともあるのでしょうけど、単純な老化でわからなくなってしまうことは、少しでも回避できたらいいなと思うんですよね。
ブログや小説を書くということ自体も前頭葉のトレーニングとしてはいいらしいのですけれど、それはいつもやっていることなのでその他に、簡単なゲームのアプリを使って計算をしたり、神経衰弱のようなことをしたりしています。それに、ギターの練習も、左右の手を同時に別の動きをさせたりするので、脳の老化防止にはいいといわれています。せっかくだから続けてみましょう。
4. きちんと生活する
もともと几帳面な性格の方は、こういう必要性はないのでしょうけれど、私は非常にアバウトな性格なので、放置すると何もかも適当になってしまうのです。なので、週にどのくらい何を食べて、掃除や洗濯はどの頻度でやって、というようなことを決めてそれを実行することをずっと心がけています。それに加えて、最近は季節ごとのイベントを意識的に取り入れるようになりました。「またこの季節がめぐってきたな」「これってあと何回やれるかな」と噛みしめながら。たとえば七夕飾りや、クリスマスツリー、それに果物のコンポート作り、もしくは季節の花を生ける、というようなあれこれです。
5. 無理をしない
もとからあまり無理はしない人ですけれど、体力と能力が減ってきているのに、前と同じことをすると必ずオーバーキャパになってしまいます。というわけで、以前にも増してゆったり暮らすことを目指しています。スケジュール帳は真っ白が理想。実際はそういうわけにはいきませんけれど。同じ週にいくつかの予定が入りそうになったら、1つはずらすか断ります。今はいずれにせよ無理ですけれど、コロナ禍がなかったとしても、毎年日本に帰るようなことはしません。日本行きは、スケジュール的にも体力的にもきついので。そのくらいでないと、私はこなせないのですよね。
6. 日々を楽しむ
若い頃は、「今はこれに集中して、いつか後で時間ができたら、あれとこれをやって」というような考え方をしていたのです。でも、「いつか」なんて日は、来ないんですよね。もしくは時間やチャンスはあっても、体力がなかったり、興味対象が変わってしまったり。予定を詰め込まないで、ゆったりと暮らすのならなおさら、今やっていることを楽しもうと思うようになりました。それはたとえば、散歩の途中で景色や草花、風の匂いなどをもっと楽しむことであったり、日々の食事を美味しく満足の深いものすることであったり、とくに目新しいことをしなくても可能な楽しみです。
そんな風に、日々を過ごすようにしています。
コロナウィルス禍の話 2

まず、全スイスで行動制限措置がとられています。スイスというのは、日本では考えられないくらい地方分権が発達していて、たいていどんなことでも州ごとに対応が違うのが普通なのですが、今回はスイス政府による行動制限措置なので、例外はありません。それだけ状況が深刻で地方分権がどうのこうのといっている場合ではないということですね。
・食料品店及び薬局を除く全店舗,飲食店,娯楽施設等を4月19日迄閉鎖。
・公私を問わず全てのイベントを禁止。
・全国的に義務教育以上の学校,教育機関を4月4日迄休校。
それから下記の項目の遵守が求められています。
・他人との距離の確保:高齢者と十分な距離を確保すること。
行列や会議の際に他人との距離を確保すること。
・きちんと手を洗うこと
・握手をしないこと
・咳やくしゃみをする際にはティッシュペーパーや腕を使うこと。
・発熱や咳がある場合は自宅待機すること。
・電話で予約してから病院や救急窓口に行くこと。
スーパーマーケットに行くと、レジの所に線が引いてあって、並ぶ人同士が近づかないようにしてあります。また、出入り口に消毒液も置いてあります。会社には、テレワークのできない人だけが出勤し、やはり距離をとるようにしてあります。日本と違ってもともとパーソナルスペースが広いオフィスが多いので、さらに多くの人が出勤していないとガラガラです。
病院や老人ホームは、お見舞いや訪問を禁止していますし、人口の多いチューリヒでは夕方以降は65歳以上の人、既往症のある人の外出は禁止だそうです。
さて、前回スーパーマーケットの買い出しパニックの話を書きましたが、どうやら四、五日だけで終わったそうです。この金曜日に買い物に行きましたが、どの商品もたっぷりありましたし、人はとても少なかったです。店員さんに訊いたら「月曜日にはもうガラガラだったのよ」と教えてくれました。やっぱり。
もともと過疎化で静かな私たちの住む地域は、それ以外の変化は特に感じられません。電車ももとから一時間に一本なので車のある人は滅多に使っていませんでしたし、街も夜はもとからゴーストタウンみたいなものでした。でも、都会のチューリヒやジュネーブなどは、あまりにも人が少なくてブキミ、なんて状況になっているのかも。
私のポルト行きはキャンセルになったので、大人しく家に籠もり「書く書く詐欺」の解消に努めることにしています。
コロナウィルスパニック
お隣のイタリアでは、国全体が休止状態になりました。フランスとスペインも全国で人の移動を制限、食料品店や薬局など生活必需品を扱う店以外の商店やレストラン、バーなどについて当面、営業を停止する措置が執られることになりました。それ以外のヨーロッパの多くの国で、イベントの中止、休校などが相次いでいます。
スイスの中でもイタリアに隣接している我が家のあるグラウビュンデン州は、早くから50人以上のイベントの禁止などの措置が続いていましたが、ついに休校とスキー場の閉鎖なども決まりました。(追記:16日午後からは、食料品店と薬局、ガソリンスタンド以外は営業停止になりました。ありゃりゃ……)
これまでは、スイスの中でも田舎にいるせいか、ずっと人々は冷静に振る舞っていて、日本でのマスク争奪戦やトイレットペーパー狂想曲を他人事のように眺めていたのですが、一昨日辺りから食料品の買い出しパニックが始まりました。どうやら14日分の食料を確保すべしという情報が出回ったようです。ニュースで告げたのかその辺りは不明ですけれど。
私はその二日前にいつもの買い出しに行き、その時はなんともなかったのですけれど、金曜日と昨日は全てのスーパーマーケットの棚が空になっていると複数の隣人から聞きました。
でも、行かない私。
だって、食料の二週間分はあるもの。
育ち盛りの子供がいて、三食ばっちり食べる家族は大変でしょうけれど、我が家は連れ合いと二人、それも三食必ずちゃんと作るわけでもないのです。ただでさえ、買い置きしてあるパスタや米などをいつになったら使い切れるんだと思っていましたし、冷凍庫の中もパンパンだし。
それに考えてみれば、今全員がラッシュして買いに行ったら、その家庭の貯蔵庫はいっぱいです。来週はそれを消費するのでいっぱいでしょう。でも、来週入荷したものだって、店は売らなくちゃいけないんですよ。だったら来週か再来週に行けばいい話。
それに……。実は、まだ再来週のポルトガル旅行キャンセルしていないんですよ。スイスもポルトガルも人の移動は禁止されていないし、感染の危険性はどっちもどっち。
まだ様子見状態です。
同居するカップルのあり方に思う

このブログでは滅多に政治問題には触れないのですけれど、これは政治問題であると同時に社会のあり方の話であるし、同時に比較文化の話でもあるので、現在感じることを綴ってみることにしました。
国会で野党からの選択的夫婦別姓に関する質問中に「だったら結婚するな」という与党女性議員のヤジが飛んだ、とニュースになっていました。
この発言、発した本人は「言ったのは私です。逃げも隠れもしません」と正々堂々という覚悟も「(婚姻において一つの姓しか名乗れない)民法750条には、これだけの正当性がある」という論拠もないようです。だったら言うなよと思いますが、言ってしまったのは、本人の中に、もしくはその方を「あなたは正しい」と日頃持ち上げている人たちの中に、「婚姻関係を結ぶ」ことがすなわち「●●家に所属する」という発想が深く根を下ろし、実際の多様な家族のあり方との差に目を向けることがないからなのではないかと推察します。
論拠としては「日本の伝統」(実際にどれほど長い伝統なのかという疑問はさておき)なのかもしれませんが、現在の日本国憲法では「婚姻」について下記のように定めています。
婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。
要するに「婚姻」と「とある家に属する」ことは特に関連性はなく、単純に民法750条の縛りが必要なのかどうかという問題だということになります。そこで、その論議をしようとしている、という話ですよね。
人によっては、全て混同してしまいがちなのですが「婚姻」と「結婚」と「入籍」同じではありません。(いま話しているのは、日本の制度と法律に限っての話です)
「結婚」は定義が難しいのですけれど「人生を共にしようと決めた二人が、社会的にそれを宣言すること」で、ようするに「あの二人は社会的に固定カップルになった」という社会的認識の話です。具体的な法手続をすること、もしくはしないことは、別問題です。
「婚姻」は、法律手続きのことで、日本の場合は「異性の二人(自治体によって例外もある)が、婚姻届を提出することによって、両方の所属していた戸籍から抜けて新たな一つの姓による戸籍を作成すること」です。
ちなみに誤用されている「入籍」は、「ある一名が既に存在している戸籍に入ること」なので、二人で新たな戸籍を作る「婚姻」ではなくたとえば「養子縁組」などに使う言葉です。
誤用される原因の一つが、「●●家の嫁になる」「●●家の婿養子になる」という家制度の認識のもと、二人で一つの戸籍を作成する「婚姻」と本当にある一つの戸籍に追加登録される「入籍」をごちゃ混ぜにしているからだと思います。この認識が「うちの嫁に来たくせに、いつまで経ってもしきたりをおぼえない」といわれて苦悩するとか「婿養子なので肩身が狭い」とかいった誤った苦しみも副次的に生み出しているようです。
話を元に戻しますが、というわけで、たとえば事実婚といわれる二人のあり方や、同性同士のカップル、国際結婚には民法750条の「婚姻」はあてはまりません。私は国際結婚をしたので、「婚姻届」を提出しましたが、日本国籍のない連れ合いはおなじ籍には入れないので、新しく作った戸籍には私一人しかいません。彼の名は、但し書きみたいに書いてありますが、私がもともとの姓をそのまま使っているので、連れ合いとは夫婦別姓ということになります。
スイスではどうなのかというと、私は外国人でパスポート上の名前が正式名になり、夫婦が同性である必要はないので、とくに論議することもなく夫婦別姓です。
そして、その別姓が、同姓を選んだ人とどう違うのかというと、社会的には何の違いもそれに伴う問題もありません。そりゃそうなんですよ。姓が同じだから愛情が増すわけでもないし、その反対でもないです。
私たちには子供はいませんが、いるカップルでも同様です。母親または父親と子供の姓が違うことも、「あ、違うのね」と紹介の時に認識してそれでおしまいです。いろいろな民族が一緒に住んでいますので、それぞれの風習が違いますし、姓が違うことをいちいち考えないという方が近いかもしれません。たとえば中国の風習では夫婦は常に別姓ですし、ポルトガルのように母親の姓−父親の姓という順番で名乗る国もありますし、そもそも姓がなくて「●●(親の個人名)の息子」という単語を姓のように使っている民族もあります。
更にいうと、そのカップルが法律的に結婚しているかどうかも、周りからはわかりにくくなっています。法律的な「婚姻関係」を結ぶかどうかは、主に税法上の法律的な意味合いは持ちますが、社会的には(ようするに他人にとっては)どちらでも同じなのですね。
私の住んでいるドイツ語圏スイスや、同じドイツ語圏の他の国では、そのことが言語にも表れています。「Meine Frau」「Mein Mann」という言葉は、直訳すると「私の女」「私の男」ですが、婚姻関係を結んだ二人だけでなく、事実婚状態またはこの間から同棲を始めたカップルまで幅広く相手のことを呼ぶのに使われます。
婚姻関係というのは法律上の家族関係だけであり、愛情の強さとか、家族の絆とか、子供のいじめ問題とかその他のあらゆる問題と直接的な繋がりはないし、ましてや夫婦が同姓であるとか別の名前を名乗るかで何かが変わることはありません。
スイスでも結婚に伴い、相手の姓を名乗ることを決める人も多くいます。「名前とメールアドレス変わりましたのでよろしくお願いします」ということは別に珍しくありません。それはその人の選択だというだけで、別に「いいこと」でも「悪いこと」でもありません。このほかに相手の姓の前か後ろに生まれながらの姓をつけるオプションもあります。
いずれにしてもそれはそれぞれの生活上の便宜を考えて本人が決めることで、相手や国やましてや関係のない他人に強要されるべき事ではないと、私は思います。二人が選んで同姓になる権利を奪われないならば、同姓であることを望まない当事者二人が違う姓を持ちながらも法律的な婚姻関係を結ぶことができるようになることの、どこがそんなに問題なのか理解に苦しむ私でした。
新年早々、体調悪かった話
あ、というわけで、明日、イレギュラーですが今日発表する予定だった作品を発表します。

日本でもインフルエンザが流行っていると風の便りに聞きましたが、こちらも妙な風邪が流行っています。かかった身からいううと、これ、よくあるインフルエンザではないと思うんですよね。でも流行性のウイルス疾患だとは思うんです。私は医療関係者ではないですし、実際にはわかりませんけれど。
ようするに熱が全然出ないんですよ。高熱、筋肉痛、胃痛、下痢みたいな「よっしゃ! これなら堂々と休める!」症状がないんですね。なのに咽頭痛、鼻汁、咳、痰などだけがひどいんです。あまりにひどいので、迷惑すぎて出勤できず、かといって仕事ができないほどではないので、結局二日休んだ後は、週の残りを自宅勤務しました。遠隔で仕事できる職場でよかった。
もともとは、年末の休暇の時にずっと連れ合いが同じ症状で、ずっと家にいたので最終的に私にも伝染ってしまったというわけです。もっとも、連れ合いだけでなく、谷中でみなが同じような症状で苦しんでいたらしく、不思議でも何でもないということになっていましたが。そして、十日ほどかかると言われたとおり、本当に十日ほど何しても治りませんでした。現在二週間経っていますが、まだ少し名残があります。
で、そのこと自体は、まあ、普通のよくあることのなのかもしれませんが、そこで思ったこと。
精神論でも、努力でも、治らないものは治りませんね。
しっかり睡眠を取り、ビタミンも取り、暖かくしても早く治すことはできませんでした。
夜に咳こんで眠れないし、ボーッとしてつらいといったらつらいのですけれど、もちろんもっと大変な病で苦しんでいらっしゃる方と較べたら大した症状ではないんですよ。
もともと私は有難いことに健康です。なのですが、そのありがたさを日々の努力の結果と考え、どこかそれを当たり前と思う傲慢さに、どうしても頭を支配されているように思うんです。
でも、健康は、「こうすればかからない」とか「こんなことをするからなるんだ」とか、そんな単純なものではないのですよね。そして、「こうすれば治る」というようなものでもない。まあ、だからといって一日二本もワインを空けて、さらに薄着で寒空に転がったりしたら、ダメなんですけれど。
だから、これまでと同じように、規則正しい生活、健康だと思う食事、適度な運動などを続けて、少しでも健康を維持できるように努力は続けますけれど、それはどちらかというと「人事を尽くして天命を待つ」でいう「人事を尽くす」に当たることをしているだけだと、なんとなく思った年の初めでした。
まもなく一年

昨年五月の終わりの日、突然の母の訃報にショックを受けつつ日本行きの荷造りをしたのですが、あれからもう一年なのですね。
親離れができていなかった私にとって、母の死は天地がひっくり返るくらいの大きなショックでしたが、そうした心理的なものだけでなく、手続きや身辺整理という意味でもスイスに移住した頃と同じかそれよりも大きな変化を伴った一年でした。
この間、日本には母の葬儀も含めて二度行きました。そして、その間二度ベルンの日本大使館に行き、あれこれ手続きをして、姉と相談しながら母の遺品を整理し、日本に放置していた私物とともにスイスにいろいろと送りました。
そんなあれこれをこなし、さらにはずっと欠かさなかった週に一度の母との電話がなくなって、自分と日本をつなげていた小さな糸のようなものが、どんどんとほどけてなくなってきているように思います。
私は日本生まれの日本人ですから、その根本が変わるわけではないのですけれど、結婚した時になくなった住民票や印鑑証明、その後にできたマイナンバーをもらえない存在であること、それに銀行に登録している住所、さまざまな会員証に使っていた実家の住所や電話番号を変えなくてはならなくなったこと、等々の物理的実質的な結びつきがどんどんとなくなっているのですよね。
それに、日本に帰る度に、昔馴染んでいた物が次々となくなり、変わってしまい、懐かしい風景や故郷といえる存在が少なくなっています。まあ、これだけ時間が経てば、それは自然なことなのですけれど。
日本の通販でいろいろと買い物をして、届けてもらうのは姉になりましたが、買うのはどうしてもこちらでは入手できなくて困る物だけにする努力を始めました。
同じMade in Japanもしくは日本のブランドでも、ヨーロッパで入手できる物も多くなってきました。三月にイギリスに行った時には、日本で買いそびれた無印良品やユニクロの製品を買いました。日本よりも割高ではありましたが、でも、送料を考えたらそんなに悪い買い物ではなかったです。最近チューリヒにも無印良品ができたらしいので、いずれはそこでどうしても欲しいものを買うかもしれません。
日本で買い込んでいた食品も、本当に必要な物の大半は割高ですがスイスでも入手できるか、代用品を自分で作ることができることがわかってきました。
そんなわけで、今後はもしかするとこれまでよりもずっと長い間隔を開けて日本に帰ることになるのかなあと思っています。いや、もしかしたら次回は「行く」になるのかなあと感じています。
それでも自分はまだ精神的な日本人なのだと思う拠り所は、日々こうして日本語で何かを綴っている活動です。ますますコウモリ化していく自分の立ち位置に戸惑っていますが、小説にしろエッセイ的な文にしろ、こういう特異な存在であることもある種の利点だと前向きに受け止めて、書き続けていこうと思っています。
おじさま好きのはずが……
昨年のオフ会で話題になったのですけれど、「どんな対象に萌える」みたいな質問に私は速攻で「おじさま!」と答えたんです。昔からの傾向なんですけれど、お目々キラキラ、お肌つやつやの美少年にはあまり興味がなく、いや、可愛いなあとは思いますけれど、恋愛対象としては「特に何も感じない」だったのです。(あ、私は誰がどんな方を恋愛対象にしていてもいっこうに問題ないのですけれど、本人としては異性以外には恋愛感情を持たないタイプです)
で、学生のころから、周りがアイドルなどにキャーキャー言っている時におじさま好みを口にしてドン引きされていました。
最近、「ああ、この人、追っかけたいぞ」(リアルじゃないですよ! あくまで心のアイドルとして)と思った芸能人は、英国のスーパーモデルのデイヴィッド・ギャンディです。服着てもこの通りダンディですが、脱いでも素晴らしい。眼福です。

David Gandy by Conor Clinch (2013) - cropped.jpg
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
で、あいかわらず「なんてオヤジ趣味なんだ、私」と思っていたのですけれど、実はこの方、1980年生まれです。えっと……ずっと歳下だわ。それを認識した時に、自分がものすごく痛い存在だとがっくりきました。
あ、でも、ファンは辞めませんけれど。
近況報告
で、それ以外は何をしていたんだという話を少し。
今回は、かなりの時間を使って、亡き母の家を片付けたり相続関係の事務を姉と行っていたりしたのですが、その合間に日本に来る度にいつもやることもこなしていました。すなわち、お買い物とグルメ三昧と、それから日本の家族親戚や友人に会うといったことですね。
はじめの一週間は仕事もしました。ま、仕事の話はどうでもいいんです。
その後は休暇であり、帰国でもあるんですけれど、せっかく日本にいるのだからとスイスにいるとできないことや食べられないものを、と走り回ってしまうのですね。
普段の私は、スケジュール表が真っ白なタイプです。月に一回か、二回、予定が入りますが、どれも予定表に書かなくても憶えられる程度の予定です。それが、この一ヶ月は、パズルのようにいろいろと組み合わせることになり、「あそこにも行かなくては」「これも問い合わせなくては」「この日は夜からなら会える」という具合に妙にたくさんの予定が詰まるのです。それに、ネットで買ったお買い物や、発送するものを引き取りに来てもらうなど、運送系の方との約束もたくさんあり、自分でも何が何だかわからない状況でした。
そんなわけで、ネットの環境はあるにもかかわらず、ずっとまともにブログの交流もできない状態が続いています。
きっと、これがほかの皆さんの生活に近いんでしょうね。普段どれだけ暇なんだ、私。
さて、年内に書かなくてはいけない、レギュラーではない作品が二つあるのですが、まだ構想すら立っていません。あ、頑張ってなんとかする予定です。ただ、それもあり、スイス帰国後も通常運転に戻るまでは二週間ほどかかるかもしれません。
ご理解いただけると嬉しいです。
『荒鷲の要塞』を見ながら
先日から連れ合いが、よくかけているDVDの話です。観ているといわないのは、彼がすぐに寝落ちしてしまうので、けっきょく別の日にまたかけて、更に寝落ちするという繰り返しのループの中にいるからです。
さて、その映画は邦題『荒鷲の要塞』、原題は『Where Eagles Dare』といい、はブライアン・G・ハットン監督、リチャード・バートン、クリント・イーストウッドが出演する1968年の戦争映画です。もちろん、連合軍のヒーローが大活躍で、ドイツ軍が悪者&お間抜け。そして、下に貼り付けた予告編でもわかるようにずーっと「ババババババ」と「バーン」の繰り返しのアクションムービー。
さて、ストーリーはともかく、私が注目しているのはDVDの音声の話です。
メインの音声はもちろん英語です。そして、彼は英語版をかける時と、フランス語版をかける時があります。彼にとっての母国語はフランス語なんですね。
最初は、フランス語でかけていましたが、すぐに英語にしました。主人公たちの会話がフランス語だと女々しく響いて合わないというのが理由です。私はフランス語では映画にはついて行けないので、「ふーん」程度でした。ところが、英語版で会話を聞き出したら、なんだか妙なのです。
主人公たちではなくて、でてくるドイツ人たちが変なんですよ。全員英語をしゃべっているんです。
なぜフランス語の時に違和感がなかったのかというと、フランス語吹き替え版では、ドイツ人はドイツ語で会話をしているのです。フランス人、そんな吹き替えでわかるのか、という問題がありますけれど、それはさておき、やはりナチスドイツは、フランス語や英語で会話すると変なんです。
よく考えると、こういう映画はけっこう多いように思います。こちらで映画やテレビ番組を観ていると、ちょい役で外国人が出てきて、ほとんどの会話をその国の言語で話すというのがよくあります。字幕なんてつきません。でも、なんとなく通じてしまうし、それの方がリアリティがあるんですよね。
それはたぶん、私たちが日頃からそうした多言語の中で生きているからだと思います。本当にイタリア語やフランス語やドイツ語が、普通にその辺で話されているんですよ。スーパーのレジで、道ばたで、職場で。まあ、日本語ともなると無理ですけれど。
でも、アメリカやイギリス制作の映画では、全部を英語でやるんですね。当然のことなのに妙に響くこのパラドックス。うーむ。
さてさて。そんなこんなで英語音声とドイツ語音声で、私一人が何度も観ている『荒鷲の要塞』。結末がある意味衝撃です。ネタバレは避けようと思いますが、あれですよ。日頃会社でクライアントの氣まぐれに振り回されて無駄なプログラミングをしたことなんて、「ま、いっか」と思えますね。
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
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悪筆の話
最近は、ほとんどのことがデジタル通信で済むようになったので昔ほど苦悩しなくなりましたが、私は悪筆です。
よくブログのお友達がノートを公開なさっていたりしますが、私があれをできないのはメモった字が解読不可能なレベルに汚いからです。手紙を書かなくてはいけない時は、頑張りますのでもう少しまともですが、それでも「女性の筆跡」とはとても思えないろくでもない字です。
で、最近のニュースで著名な講師でタレントの方が「勉強のできる子は字が綺麗というわけではない」というような話をしたということを耳にして、なんだか少しほっとしてしまいました。いや、自分が勉強ができるといいたいわけじゃないですよ。そうじゃなくて、悪筆でも「人じゃない」みたいな扱いをする風潮が減るかなーと。ま、勉強のできるできないは別として、悪筆だと社会人としてどうよ、というのはありますけれども。
デジタルがメインの時代に生きているだけマシかも。はあ。
片付け中
もちろん最初の数日のようなショックは去り、メソメソすることもほとんどなくなってきていますが、何かの折に「あ、これ次に電話する時に……」などと思ってしまい、もう母がいないことに改めて愕然とすることはあります。二年も三年も逢わずに、週末に電話するだけということが日常になっていたので、普段の生活に母がいないことは慣れていたのですけれど、日本にもどこにもいないという現実を完全に受け入れるのにはまだしばらくかかるのかもしれません。
私は既に父親を亡くしているので、親を亡くすということをわかっていたつもりでしたが、そうでもなかったのですね。
大好きなアーティストStingに「Fragile」という曲があります。人間の存在がいかに儚いものであるかを歌ったものです。普段あまり意識していないのですが、この五十日はこの曲のことをよく考えました。
さて、父も母も突然亡くなったので、私もできればそうであって欲しいなあと願うようになりました。普通に元気に歩き回って、それから苦しまずにあっという間に逝くのって理想的ですよね。
でも、そうなると周りは本当に大変だろうなあと。母は、後期高齢者だったので、それなりに準備をしていたのですけれど、それでもこちらはわからないことだらけで困りました。それに今、日本の姉が猛暑の中やっている片付けの大変さがわかって、人間が一人亡くなると本当に後片付けに手間がかかるものなのですね。
それで、私は自分が亡くなった後のことを考えてぞっとしてしまいました。日本で日本人が一人亡くなるだけでもこれだけ大変なのに、私の場合は外国にいて、しかも周りは日本語がわからない人ばかり。それに、ちょっと不安になって調べてみれば見るほど、手続きもものすごく面倒くさいということがわかってきました。法律が二つ。関係省庁も二倍。今の予定では定年後の年金は二カ所からになりますし、これで住む国が変わって、国籍も変わったりしたらもっと大変なことに。たいした財産もないのですが、残された人たちの大混乱を防ぐためには、公的な遺言書を日本とスイスと両方に用意する方がいいらしいことがわかってきました。
それに、私はネット関係でもいろいろとやっているので、残された誰かが何も痕跡がなくて大迷惑することにも氣がつきました。
というわけで、遺言状の他に二カ国語でエンディングノートを用意しなくてはならない。不要な銀行口座やネットのアカウントはできるだけ今のうちに消しておくべきですし、それに始末に困るような荷物はどんどん処分して身軽にしておくべきだとわかりました。ものすごく面倒くさいです。
こういうのを老い支度っていうんだろうなあ。
スイスに戻っています

皆様の暖かいお言葉、心に染みました。
いつかはこういう形で駆けつけることになるだろうと、覚悟はしていたのです。でも、どこかでまだずっと先だと思っていました。
母は今あちらへいくつもりは全くなかったはずですが、私が訃報を受けてから、ここに戻ってくるまで、まるで母が全部お膳立てをしてくれているとしか思えないようなトントン拍子でした。
報せを受けた翌日の直行便に空席が残っていました。有休の残り日数や仕事のことを悩むまでもなく、もともとこの一週間は休暇でした。家を出る数分前まで降っていた大雨が止んで晴れたこと、帰りも梅雨に入っているのに晴天だったこと。珍しく左側の窓際に座ったのですけれど、富士山がよく見えました。さらに、私が本当は帰国用に取りたくて取れなかった一日後のフライトは、大雨(台風?)で悪天候でした。
葬儀の準備や当日も、過ごしやすい爽やかな天候で、日本の夏を知らない連れ合いは「日本の夏っていいねえ」と驚いていました。「これ、夏じゃないよ」と釘を刺しましたけれど。
悲しさがなくなったわけではないし、やることはまだ山のように残っているのですけれど、生活の方も待ったなしです。折り合いながら続けていくしかないと思いますし、そうすることで、みな立ち直っていくのだろうなと思っています。
来週辺りから、ブログも再開しようと思っています。どうぞよろしくお願いします。
日本に向かいます
昨日、母が急逝したためです。海外に生きるからには、死に目に間に合わないことは十分わかっていましたが、最後にそばにいてあげられなかったことが残念です。
本当に急で、姉と姪がギリギリで間に合い、看取りました。長く苦しまなかったことは、ありがたいことだと思いますし、メソメソしていると母が困るだろうと思うのですが、しばらくはハンカチが手放せないでしょう。
身内のことは謙遜するのが日本の美徳で、それに大いに反していますが、自慢の母でした。まっすぐで、明るくて、しなやかで強い人でした。私は、彼女の生き方から、実に多くのことを学びました。誰よりも幸福でいてほしい人でした。できれば、あちこちに楽しく歩き回る余生を、もっと満喫してほしかったです。
海外移住することで寂しい思いもさせましたし、この秋に逢うのをお互いに楽しみにしていました。先週の日曜日に電話し、それからその翌日にメールをしたのが最後になりました。もっと何度も電話をすればよかった、メールも書けたはずと後悔してはいますが、人生とは常にそういうものなのでしょうね。
ブログを始めてから、ここまで近い身内に不幸があったのは初めてです。いつきちんと再開できるかまだわかりませんが、一週間ほどでいったんまたスイスに戻りますので、その後に追々通常運転に戻していくつもりでいます。
この記事のコメント欄は開けておきますが、このような事情でしばらくお返事はできないと思います。どうぞご容赦ください。
ペンギンは好きだけれど……

私は、なぜか白黒の動物が好きです。パンダが好きで子供の頃はランランとカンカンに夢中になりました(いつの時代だ)し、「郷愁の丘」で重要な役割を与えたくらいシマウマが好きですし、そして、ペンギンはポスターや絵を飾っているくらい好きです。で、我が家は子供がいないのでおもちゃは何もないのですが、なぜかペンギンのぬいぐるみはいくつかあるのです。
ご存知の方はよくご存知ですけれど、ぬいぐるみやキャラクターグッズを愛でても微笑ましいというような歳ではないです。日本での感覚とはまた違って、大人がキャラクターグッズを使用するようなことはほとんどない国に住んでいるので、身の回りにはさほど「かわいい」グッズが溢れない様にしています。
ペンギンのぬいぐるみも、増えない様にしているんですけれど、やはり我が家にいらした方に「あそこの嫁はペンギンの好きな子供っぽい女だ」との印象が強いのか、なぜかペンギングッズをくださる方がいるのですよ。でも、ほんとうに申し訳ないのですが、全然可愛くない、自分なら絶対に買わない様なものをくださるのです。子供が工作の時間に作った粘土細工みたいなのも含めて。せっかく持って来てくださったのでお礼を言ってしばらく飾りますが、あまりグッズがあると埃になりますし、増えすぎるとやがて処分することになります。申し訳ないのですけれど、何もかも持ち続けるわけにはいきませんし。
なぜ、こんなことを突然書き出したかというと、ニュースを読んでいて思ったんですよ。某有名アスリートの方が、好きだというぬいぐるみをたくさんプレゼントしてもらったのだけれど、その量ときたらはんぱなくて、どうやっても全部持ち帰って大切にするなんて不可能だと、だれでもわかるほどです。しかも、ほとんど全部同じ……。
連盟や他の人に頼んでいろいろなところに送ってもらい思い出だけ持ち帰るということを「森に帰りました」と表現していたようですけれど、なるほどなあと思ったんです。
で、後に記者会見でもさらにくわしくその件について聞かれて、ご本人はそうしたプレゼントをファンにもらったことを「そうやってお金を使ってもらってありがたい」「経済が回ってるんだったら、それで十分です」というようなことをおっしゃっていましたけれど、立派だなあと思うと同時に、他に言いようもないよなあとちょっと思ったんです。だから「森に帰りました」といったら、それ以上はあまり追求しなけりゃいいのにって。
私も、どんなにペンギンが好きでも、部屋がペンギンで埋まったら困るんですよ。いただいたことには感謝しても、処分せざるを得ないこともあって、それはそれで心苦しいです。さすがに私の周りには「あの粘土細工のペンギンはどこ」という様な方はいませんが、いたら今度は「南極に帰りました」と言うことにしようかと思っています。
運動音痴

子供の頃から、スポーツが全て苦手だった私は、今でもほとんどスポーツをしません。で、家から十五分のところにスキー場がある環境にいるのですけれど、スイスに来てから一度もスキーをしたことがありません。
こちらは学校の冬休みと春休みの間に「スポーツ休み」というのがあるくらい、ウィンタースポーツが盛んなお国柄。子供は小学校に入るぐらいからみなスイスイ。少し大きくなると大抵スノーボード。大人の初心者など滅多に見ません。加えてリフトの一日パスが高いんですよ。滑れないのに行きたいと思うような金額ではありません。
地元の人達はどうしているのかというと、好きな人はみなシーズンパスを買っているようです。家族皆でひと冬、州内のどのスキー場もフリーバスというタイプのものみたいですが、○十万らしいです。ひえ〜。
健康のためにスキーをやりたい人達は、クロスカントリーをやっているみたいです。こちらはリフトには乗らないのでタダのようです。体力的にはキツそうですけれど……。
こういう人達は、夏は自転車ででかけるのですけれど、そこら辺の丘を走り回っているわけではないですよ。アルプス山脈を登っているです。ちょっとした坂でヒーヒー言っている私には、「一緒に行こう」という氣がまったく起こらないです。
というわけで、私は「運動音痴のままでいいや」と冬も夏もインドア派です。
所変われば……

この写真、商品名「Glückstea(幸せのお茶)」だそうです。なんのお茶だか、わかります?
日本だったら所持しているだけで逮捕される、アレです。この国では持っていても逮捕されないし、そこらへんで吸っている人も多いので、私はどんな匂いなのか知っています。栽培して売ったりすれば違法なんですが、吸うことそのものは合法(?)らしいんですね。
で、今年から、その成分を用いたお茶などを売ってもいいということになったのです。で、さっそく店頭に並んでいたんです。
でも、このスーパー、お酒は良くないと言うポリシーで、料理酒ですら売らないのですよ。そして煙草も販売しないのですよ。なのに、こっちはいいの? お茶になっていれば中毒性はないのかしら。だからいいのかなあ。飲んだことないので、味はわかりません。
天邪鬼をすこし控えようと思うわけ
私は人が群がっていることに「私も!」と駆けつけるのが好きではありません。混んでいるところを辛抱強く待って、譲り合いながら一瞬だけ楽しむというのが苦手なのです。たっぷりのんびりと楽しめないのだったら私の分は譲るから、と思ってしまうのです。
まだ知られていない素敵なスポット、まださほど売れていない劇団の公演、めちゃくちゃ対応が良くて美味しいのにガラガラのレストラン、お城なのに妙に安くてフレンドリーなホテルなど、素晴らしい事をほぼ独り占めが好きなのです。
といっても、趣向が特殊というわけではなく、一般受けするモノにけっこう胸キュンしたりしているので、単なる天邪鬼です。
この傾向は、芸術作品を観賞するチャンスにも影響しています。
例えば東京にいると、世界中のどこにいるよりも名画を見るチャンスが多かったりするじゃないですか。アルフォンス・ミュシャが来たり、フェルメールが世界中から集まってきたり。もちろん今はもう東京に住んでいないので観に行けないんですが、行けたとしても炎天下で何時間も行列をして観に行くことにうんざりしてしまうのです。
私はラファエロの絵画が大好きなので、ローマでも、フィレンツェでも、ウィーンでも、ドレスデンでも率先して観に行ってぼーっと何十分も絵の前に座っていたりします。でも、それが全部自分の住んでいる町に来たとしても、平日八時半の山手線の中みたいな混雑の中で、誰かの頭越しにまとめて観たくはないのです。別に絵画の方はどう観られても何も感じないに決っていますが、私はどうしても一対一で対峙したいと、くだらないこだわりに負けて、足を向けられないのですね。
さて、天邪鬼は音楽の好みでも影を投げかけているようです。
私が子供の頃、苦手なクラッシック音楽のラインアップはこんな感じでした。モーツァルトの「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」「フィガロの結婚」、ベートーヴェンの「運命」「田園」「エリーゼのために」シューベルト「野ばら」「魔王」……。
どれも音楽の授業に出てくるウルトラ有名な曲ばかりです。そうやって聴かされすぎたイメージに辟易してしまっていたようなのですね。「運命」の最初のジャジャジャジーンが聞こえると、もうラジオのチャンネルを換えてしまう、そういうところがありました。
でも、よく考えると、私はその交響曲の全てを丁寧に聴き込んでいたわけではないのです。大人になってから改めて聴くと、ベートーヴェンの意図していた音の構成、完成度に改めて唸らされますから、単に有名だからと言って「けっ」と避けるのは馬鹿げているという事がわかります。
最初に書いた展覧会の話も、私のようにドレスデンだのウィーンだのに、国内旅行と同じような氣軽さで行ける場合はいいですが、これが生涯で最初で最後のチャンスだという場合は、たとえ山手線内のような混雑の中でも、印刷を見るよりは本物を見た方がいいのでしょうね。
「モナリザ」と「サモトラケのニケ」だけを駆け足で観るようなルーブル美術館の見方は嫌いだけれど、でも、「モナリザ」は絶対に観たくないというのは、天邪鬼を通り越して勿体ないと思います。正直言って「サモトラケのニケ」よりも「瀕死の奴隷」にグッと来た私ではありますが、名作と言われる芸術品には、なるほど素通りしない方がいい何かがあります。「有名だから観賞すべき」ではなくて「有名になるべくしてなった何か」を感じる事ができるから。だからこそ、押し合いへし合いの中では観賞したくないのですが。
たとえば、もともと私は現代芸術、現代建築というものは今ひとつわからない人で、ピカソでも「?」な作品が多いのですが、マドリッドで観た「ゲルニカ」には圧倒されました。あれほどの衝撃を感じた芸術作品は他にはあまりないので、ピカソがゲルニカへの攻撃について世の中に訴えかけようとした事を具現する能力の物凄さは、もはや天才という言葉しか浮かびません。
「有名だから嫌だ」「現代芸術だから嫌い」というのではなく、何を伝えようとしているのかを感じる事のできるモノ、そして、その訴えかけに共感できるモノは素直に素晴らしいと思うのです。
そんなこんなの考察を経て、今の私は、やはり天邪鬼のままではありますが、できる限り先入観による食わず嫌いに支配されないように心がけることにしています。それに、かつては「今見なくても(聴かなくても)そのうちに素晴らしいシチュエーションで経験できる機会が回ってくるかもしれないから、今はいいや」と思う事も多かったのですが、最近は「う〜ん、これを逃したらおそらく生涯なさそう」と感じる事が多くなってきていますので。
夏の土曜日、やっていたことは
そんなこんなもあって、どこにも行かずに自宅にこもっていました。そして、ここ数日やっているのは、あいかわらずMacの番人なのですが、先週から少しいつもと違う事をしています。
以前もこのブログで少し書いたことがあると思うのですが、私の曾々祖母、つまり祖母の祖母は明治時代に日本に嫁いできたドイツ人なのです。で、しばらくはあったドイツの親戚との交流は、日本の敗戦、二度の世界大戦でドイツが負けて国の変わった地域のドイツ人が移住を余儀なくされたことで途絶え、現在どこにいるのかわからなくなっています。
私がスイスに来てから、せっかくドイツ語が話せるし、近くに住んでいるのだからと何度かこの失われた親戚を探せないかとトライしているのですが、いまだに果たせていません。
その捜索に、新しい展開が起きたのがこの月の初めです。
かつて電車で偶然知り合った方からの紹介で、ある親切な方の協力を得て、曾々祖母の両親のことがわかったのです。
もともとこの父親のことがわからなかったのは、出生時に両親が結婚していなかったせいで洗礼時の苗字が母親の旧姓だったから。そんなこと知るわけないし!
で、それがわかったのと、こういう事を調べるための特別なサイトの存在を知ったおかげで、芋づる式に曾々祖母の祖父母や姉妹のこともわかってきました。わかったはいいけれど、これまで聞いていたことと結構違っていて、わかればわかるほど検証が大変になりました。
なんで私、1850年代の、こういう手書きの読み難いアルファベットと夜な夜な格闘しているんだろう。

おかげで書かなくちゃいけない「十二ヶ月のアクセサリー」も「バッカスからの招待状」も全然手つかずのまま。これはまずいです。
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
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葬儀の希望
父が鬼籍に入ったのはもうじき二十年も前の事になります。「亡くなるには早すぎる」といわれる年齢でした。私はまだしばらくありますが、連れ合いはそろそろそんな年齢になる頃で、それだけ歳をとってくれば当時わからなかった事もわかってくるし、なるほどなあと思う事もあります。
父の葬儀の時に「昔、葬儀ではこれをかけてほしいと言っていました」と母が伝えて、出棺の前のお別れの時にモーツァルトの「フリーメイソンのための葬送音楽(Maurerische Trauermusik)」をループでかけてもらいました。
私の父は、プロテスタントの家庭で育ったのに、私が三歳の時にカトリックに改宗するという変わった事をした人(それを欧米の人に話すとみな驚愕します。改宗の方向が普通と反対なので)で、葬儀ももちろんカトリックの教会でしたが、これ仏教のお葬式だったりしたら「かけてくれと言われても」と困るんじゃないかなあと思います。それに父のチョイスは、さほど悪くはなかったと思いますが、たとえば「ヴェルディのレクイエム。怒りの日をループで」などと遺言されたら実行する方は困るだろうなあと、いろいろと想像してしまいます。
また、ある別の方の話ですが、とある共同体の中でいろいろとトラブルがあって「●●さんにだけは葬儀に来てほしくない」と言い残されたそうです。ところがお嬢さんがそれを共同体のトップの方に申し出てみたところ「そんなことは言うべきではありません」と拒否されてしまったそうで、結局「来ないでほしい」とは言えないままだったらしいのです。そのご本人は堂々といらして目立つところに座っておられたそうで、お嬢さんは悶々とされたとか。
またあるかなり名のある方が、お子さんのご負担を減らそうと「密葬で、四十九日が明けるまで誰にも知らせなくていい」と言い残されたらしいのですが、実際にそうしたところ、結局亡くなられた事が公にわかって、それから引っ切りなしの弔問が始まり大変なことになってしまったんだとか。お通夜やお葬式では、ご記帳やお香典の受け取りも含めてシステム化されていて、それに乗っていればお香典返しも含めてかなり楽にできるようになっているのですが、個別の弔問だけだとそうもいかず、ご家族は悲しむ暇もなくひたすら対応に追われる事になりました。
「結婚式を希望通りにしたくてあれこれ夢見る」というのは、本人がいることで、希望通りに行かなくても本人が納得すればそれで済みますが、お葬式は「そうはいっても」になってしまうこともあるし、しかも本人はもういないのですから、よほどの事でなければあまり希望は言わない方がいいのかもなあと思ってしまいました。
でも、なんか言っちゃうんですよね。「この曲いいなあ。私のお葬式で流して」とか「お葬式しなくていいから南太平洋かなんかで散骨してよ」とか。それを言い残された人があとで困るかどうかなんて全く考えずに。私何回そういうことを言ったかしら?
Strohwitwe生活の終わり

Strohwitweを直訳すると「藁の未亡人」ですが、こう書いて意味のわかる方は皆無だと思います。ドイツ語がわかっても直訳だと意味不明。Wadoku.deでは「空閨を守る妻」と上手に訳されていました。要するに「家にいない夫を貞淑に待ち続ける妻」ということらしいですが、「Witwe」というのは未亡人ということで、「夫に出て行かれちまった妻」「夫は死んでいないけれどいないからフリーな妻」というニュアンスでも使うみたいです。軽く言うと「メリー・ウィドー」ならぬ「フリー・ウィドー」ってところでしょうか。なんだそりゃ。
ともあれ、私の連れ合いは七週間アフリカに遊びにいき、その間私はスイスで一人暮らし。これがまた自由でのんびりできて楽しいこと(笑)もちろん仕事に行っているので、その間遊びまくっているわけではありません。それに一ヶ月以上は「scriviamo!」の執筆期間だったので、自由時間のほとんどは書きまくっていました。
でも、二人でいると食事時間を氣にしなくてはいけませんし、土日は一緒に出かけたりするし、掃除をしたくても楽しそうにテレビを観ている人の横で掃除機をかけられないなんてこともあるし、まあ、いろいろと自分の都合だけで動けないじゃないですか。それが七週間、自分のやりたいことばかりしまくっていました。
昔のコマーシャルで「亭主元氣で留守がいい」と言っていたのを思い出しました。本当にそうだと笑ってしまいました。
その「藁の未亡人ライフ」もあと数日でお終い。また二人での生活が始まります。まあ、それはそれでいいんですけれどね(笑)
過去のことではなくて
周りを見て、「不謹慎と言われるかもしれないから」という動機で記事を書くのは好きではないのですが、それでも、ここしばらく思っていることを書くのに、この日は最適です。
こちらのドキュメンタリーで、関東大震災の時に何が起こったかを見ました。地震による被害だけでなく、その後起こった火事、それから熱風の竜巻で多くの方が犠牲になったこと。あまりにも痛ましい再現ドラマでしたが、もし同じことが再び起こるならば、その場に残ってはいけないのだと強烈に印象づけてくれる番組でした。東日本大震災の再現ドラマも、いざという時に生死を分ける正しい判断をするために、つらくても放映し、情報を共有した方がいいのでしょうね。
日本に住む方にとっては地震・火山・津波・台風など大きな自然災害は、過去のことや他人事ではなく、明日自分の身に起こるかもしれないつらい現実です。
一昨日、スイスの中央部で地震がありました。私の住む東部では「あれ。脱水機動いていたっけ」と勘違いする程度のわずかな揺れで、おそらく日本なら毎週あるぐらい。アルプス山脈という大きな地殻変動があったところにしては、スイスは地震が少ないのです。歴史上の最大の地震カタストロフィはおそらく中世にあったバーゼルの大地震でしょうか。
少し南に行くと、イタリアでは何度も大きな地震災害が起きていますから、ヨーロッパにいれば安全というわけでもないのですが、四つのプレートの真上に住む日本の方々からしてみたら「安全なところから何か言っているヤツがいる」存在なのかなと思います。
海がないので、津波の被害にあうこともまず考えられません。それだったら、おそらく雪崩に巻き込まれるか、ダムが決壊して巻き込まれる可能性の方がずっと大きいかと思います。
東日本大震災の起こった日、私はスイスにいましたので、あの日がどんなだったかの実感はありません。テレビで観たこと、家族や友人から聞いたことから、頭で理解していただけです。世界が変わってしまったと国中で人びとが悲しみ怯えていたその氣持ちを本当の意味では共有していません。
「311が風化していっている」という話をあちこちで聞きます。まだ被災地は復興していないし、大きな問題が依然として残っているのに、まるで何事もないかのように扱われているという話も聞きますし、私自身が日本に帰国する度にそれを思います。
昨年の一時帰国の時に「シン・ゴジラ」を観に行ったのですが、あの作品を見ながら「その解決策、フクシマに使えたらいいのに」と思った観客はたぶん私だけではないと思います。
目に見えない健康被害を受けている方、行方不明の方を未だ探し続けていらっしゃるご家族、避難先でのいじめに耐える子供たち、風評被害と戦う農家の皆さん、その他、あの震災で人生の青写真が大きく変わってしまった人びとのことを考えると心は痛みます。それでいながら、あまりにも問題が大きすぎて、手を差し伸べることが不可能に思えてしまい、氣がつくと考えないようにしている自分がいます。
見えないように蓋をしても、それは解決にはつながらないことはわかっています。でも、ヨーロッパで暮らしていれば、テロやなだれ込む移民の問題のほうがずっと身近な脅威で、問題意識や何かをしなくてはという想いは、なかなか祖国に向いていきません。ましてや、帰国する度に「なんともない」顔を見せる東京の姿は、よけいに私の忘却に言い訳を与えてしまうのです。
そして、3月11日がめぐってくると、その日だけ殊勝な顔をする自分がいて、そのことに腹立ちを感じます。それは大きな偽善でしかないと思うから。
「○年前のこの日に、あんなことがあったんだよ」と、過去の話として語り継げる、それも、「私は何も出来ないのに、しかも忘れている」という後ろめたさを感じずに話せる日が来てほしいと切に願います。それと同時に、普段は忘れているとしても、何かこちらからでも出来ることがあったら、積極的にしたいなと……また、この日だけ思うしようもない自分なのでした。
樅の木のゆくえ

日本だと各家庭にあるクリスマスツリーは、プラスチックのことが多いですよね。スイスやドイツでは、本物の樅の木とロウソクを使うことの方が多いのです。日本だと火事が心配でそんなことはしない(もしかして許可制?)だと思うんですが。
その樅の木は根がついていないので、クリスマスが終わると枯れてしまいます。
ドイツ語圏の人たちというのは、何事にも「環境が」とか「使い捨てはよくない」とか言います。ところがその同じ人たちが、毎年ものすごい量の樅の木が使い捨てにされていることには全く別の人のような態度を示すのです。
「プラスチックの木と電球なんて、本当のクリスマスじゃない」「これは伝統なんだ」「森は木を間引かないと健全な状態にならない」って、それぞれ理由をつけて抵抗してくるのです。
自分たちのしたいことになると急に「伝統が」「文化が」と言い出すのは、何もドイツ語圏の人たちだけではありません。日本人も例えばマグロをもう食べるな、鰻が絶滅危惧種だと言っても、やはりいろいろと理由をつけて資源の大量消費からは目を背けようとしますよね。
日本人がマグロをこんなに食べるようになったのも、土用の丑の日に鰻を食べるようになったのも、実は古来の伝統ではないですよね。
それと同様に、スイスの各家庭にクリスマスツリーが飾られるようになったのは、伝統なんかではなくてまだ100年も経っていないことです。私の知り合いの95歳の方は、子供の頃はクリスマスツリーは教会か学校にしかなかったと語っていますから。この樹々は森の間伐材じゃないこともはっきりしています。クリスマスのために育てているんですよ。サイズも形もいらない木ではなくて、ツリー用にちゃんと用意している商品です。
なぜ鰻を食べなくてはならないのか、もしくは、なぜ大量に廃棄のでる恵方巻を流行らせるのか、他の文化の人たちになんと言われようとも、それを振り切ってでも突っ走る心理は、この樅の木の扱いにもよく表れていると思います。
美しいもの、楽しい思い出、美味しいものを特権階級ではない人たちでも楽しめる時代になったことは有難いことです。私もマグロも鰻も好きですし、樅の木の香りもロウソクのついた厳かな姿も好きです。
それでも、この歓びの裏には巨額のお金、マーケティングなどが蠢いていて、実際に使い捨てや大量廃棄を生み出している問題もあることを意識すべきだと思っています。流行、マーケティングなどに踊らされて、必要もないのに何かを大量消費し、結果的に環境や生物の生存を脅かす前に、少し立ち止まってこれは本当に必要なのかと一人一人が考えるようになるといいのになと毎年思う待降節です。
というわけで(?)我が家のクリスマスツリーは、もちろんプラスチック製です。
人生のポイント獲得
私のように普段まったくゲームをやらない人でもポケモンGOはやっているタイプは、確かにいるようで、「なぜその人たちはハマるのか」というような記事を読んだんですよ。うろ覚えですけれど、要は、「目の前に出現した何かを自分のものにできるチャンスを逃すのががまんならない人間の性質に上手く訴えたゲームだ」というような論調でした。
そうかもしれません。それに、つまらないスズメや芋虫みたいなポケモンでもコツコツと捕まえることで、経験値が上がっていき、レベルアップするってことも。それが普段の生活と直結しているというのも大きいかもしれません。けっこう忙しい生活の中で、ずっとゲーム機の前に座っているわけにはいきませんが、通勤はいずれにせよ毎日するわけでその時間内で楽しめるわけですから。
で、話はようやくこれから本題です。
ゲームにしろ、趣味にしろ、仕事にしろ、人間関係にしろ、「ポイントを獲得してステージが上がる」っていうのは、誰もが求めることなんじゃないかなと思ったんですよ。
ゲームは、簡単ではないかもしれませんが、リセットもできるし放り投げることもできます。趣味もまあ、そうですね。どちらもどのくらいの生き甲斐になっているかによって、その人生における重要性は変わってきますけれど。
職業や家族・人間関係などは、「選択を失敗した」「思ったようにはレベルアップ不可能」と思ってもそんな簡単には放り投げられなくて、ずっと深く悩んだりすることになります。
だからこそ、その代替としての別の「ポイント獲得&ステージ向上」をそれぞれに求めるのかもしれないなと思ったりします。
例えば、Twitterやインスタのフォロアー数、SNSの友達数や「いいね!」の獲得に夢中になってしまうことや、戻りますけれどポケモンの捕獲に目の色を変えてしまうこと、果てはおつき合いする異性の獲得数やステータスをその舞台に選ぶことも。もうひとつ例を挙げると、ブログで小説を発表して、「読んでもらえるか」「感想をいただけるか」「拍手をもらった!」と一喜一憂することもそういう行為なのかもしれません。
いや、反対に小説の方がメインの願いで、代替行為が仕事やら家事だったりする場合もあります。それのどれがよくてどれが悪いというわけではありません。基本的には。誰かに迷惑をかけていない限り、それはその人の人生ですから。
そして、どこかでポイントがたくさん獲得できて、さらにステージがどんどん上がると、他のことはどんどん念頭から追い出されていく、そんな風に感じます。婚外恋愛にうつつを抜かして、家族をないがしろにするなんとこともあるでしょうし、ポケモンGOに夢中になりすぎて仕事が疎かになることもあるでしょう。どこかでは小説がガンガン更新されるようになり、また別のどこかでは連載途中なのに広告が出っぱなしになる。
では、自分はどうなのかなと考えると、まだポケモンGOは仕事や家族や旅行や、そして何よりも小説ほどの価値は持っていないようです。SNSの「いいね!」がなくても焦ることもないですし、異性にモテるなんてことはハナから勝負しようと思ったことも無し。
結局のところ、私は実人生でやりたいことをやって、そこそこのポイントを獲得し、レベルアップしてきて、上にはずーっと上がいようとも氣にせずに暮らせる、かなり恵まれた幸せな状態にいるのかもしれないなと思いました。
サルスベリのこと

これはpixabayで公開されているパブリックドメイン画像です。作者はphoenix727氏です。
日本では2回ほど引越をしたことがあるらしいが、記憶にある住居は2つ。そのうちのほとんどは東京都の目黒区の現在母が一人で住んでいる家です。この家の2階の南側に私がずっと使っていた部屋があって、庭のサルスベリの樹が見えていました。
私は8月生まれで、夏は私の季節と勝手に決めていました。暑かったり、やたらと蚊に愛される体質だったりで、なぜそんなに夏が好きだったのかわからないけれど、とにかく夏が一番だと思っていた私です。そして、サルスベリの濃いピンクの花は、そんな私に「夏が来た」と宣言してくれる大切な存在でした。
スイスに移住してから、サルスベリの花が咲いているのを一度もみていないなと、ふと思いました。なぜか、そりゃ夏に帰国しないからです。スイスの夏って本当に快適で、たまに「今日は暑くて大変だな」と思う時も木陰に入ってしまえば問題なしという程度なんですよ。イタリア側と違って蚊もほとんどいませんし。私には子供がいないので、学校の夏休みとは何の関係もありません。だから、暑くて湿度が高くてしかも飛行機のチケットが高い夏に一時帰国するメリットは何もないんです。
日本の夏に帰らないから、入道雲も、麦茶も、スイカも、蚊取り線香も、花火もないんです。あ、いま、心がキュウっと痛みました。なんなんだこのノスタルジーは。
そして、サルスベリですよ。こんなに長く花を見ていない……。今年が結婚15周年でしたから、15年も花を見ていないんですね。あの木、まだ大丈夫なのかな。動物と違って樹は、目に見えるように老いたりはしませんが、でも、永遠にあるわけでもないんですよね。
スイスではまったく見ない花だけに、もう二度とあの花を見ることはないのかなと思うと寂しく感じます。
訳詞に思うこと
今日はミュージカルの話を書きます。といっても、私はそんなに詳しくないし、熱心なファンと言うわけでもないので、詳しい方や大ファンの方からすると「なんだこいつ」と思われるような内容かと思います。だからこそ、今まではあまりこの話題はしなかったんですけれど。
私はこれまでに四、五回ロンドンに行っています。あ、ニューヨークにも一度行きましたっけ。いずれにしても、90年代にロンドンに行った時には一回の滞在で三回くらい(ニューヨークは個人旅行ではなかったので一回のみ)ミュージカルに行きました。でも、観た演目ってけっこう少ないんです。
「Cats」「The Phantom of the Opera」「Starlight Express」「Miss Saigon」これだけです。つまり、同じ演目を繰り返し観ていたりするわけです。最初の二つですね。私は、のめり込むタチのようです。一度観て、記念にCD買ってというだけでは満足できなくて、何度も足を運んでしまうのですね。
でも、上の演目のどれひとつとして日本では観ていないんです。日本でもかなりロングランでしたからチャンスはいくらでもあったんですけれど。理由は、歌詞が日本語訳だからなんです。
私は、もともと日本語歌詞のためにつけられた歌曲は聴くのですが、訳詞の歌は基本的にあまり好きじゃないのです。なぜかと言うと、多くの場合は曲と歌詞の抑揚があまり合っていなくて氣になってしまうからなのですね。それに、ニュアンスが違っていたり、反対に意味は正しくても日本語にした途端ちょっと間抜けになる単語ってありますよね。そういうのが苦手なんですよ。のめり込めなくなってしまうので。
例外はもちろんあります。私がよくブログを訪問している歌手の別府葉子さんは、例えばシャンソンを日本語で歌っていらっしゃるのですが、この方の使う訳詞は本当に考え抜かれていて、メロディと歌詞に違和感がなく、日本語の歌として素晴らしい響きになっています。本当にどうやってこんな訳詞を、と思ったらご本人が一つひとつ丁寧に訳されていらっしゃるのですね。私はこの方の歌う日本語シャンソンの大ファンです。
というわけで、日本語訳だから聴きたくないというわけではないのですが、ことミュージカルに関して言うと、なんせ長丁場ですし、全部をそんな風に特別に訳す訳にもいきませんし、それをやると劇として情報が足りなくなったりもしますから、現在のように訳した詞で上演せざるを得ないというのはよくわかるんです。そして、それを演じる歌い手兼役者の方の実力と努力が並ならぬものであることも知っています。
でも、私はそれじゃイヤなんです。
似た話ですが、私はまだ「スターウォーズ フォースの覚醒」を観ていません。なぜって片道一時間以内に行けるところに、英語で上映する映画館がないからです。「誰がドイツ語で話すハン・ソロを聞きたいものか」と変なことにこだわってしまい、おそらく日本でDVDを買うと思います。日本語字幕付きだから。(我が家のDVDプレーヤーはNTSC方式も観られるのです)
ミュージカルの話に戻ります。
今はともかく、学生時代は、上演される英語がちゃんと理解できていたわけではありません。日本でたとえばCDを購入して、対訳を読んでようやく「あ、こういう意味だったんだ」とわかるのが普通でした。
当時とは較べ物にならないくらい外国語に耳慣れた今、はっきりわかります。これは日本語だから嫌だったわけではなく、他の言語でもやっぱり違和感があって嫌なのです。例えば、ドイツ語で「メモリー」を聴いたりすることが時々あるんですけれど「やっぱり英語がいい」と思います。その一方で、もともとドイツ語のために作られた曲が英訳されていたりすると、それも「う〜ん。原語でやってよ」と思います。フランス映画をドイツ語に訳して上演していたりするとそれまた「違う〜」と思ってしまいます。そういえば、先日「もののけ姫」をドイツ語で放映していましたが、違和感ありありでした。あたりまえですね(笑)
敬称問題
それは敬称問題です。ブログの記事で現実に存在する人、もしくは作品のキャラクターについて書く時に敬称はつけるのか付けないのか、必ず一度はぶつかる問題だと思うのですよね。
他の方がどうしていようと、それは構わないのです。単に自分はどうしているか、それはなぜかということを書いておこうと思います。
基本的に私はいちいち敬称を付けないというスタンスをとっています。
つけてもつけなくてもいいんですけれど、統一したいのです。で、つけると奇妙なケースが出てくるので、だったらまとめてつけない方がいいのかなと。
たとえば、芸能人のことを書く時に「さんづけする」とルールを決めたとします。では「マドンナさん」「ハンフリー・ボガードさん」と書くのか。それは奇妙ですよね。だから日本の芸能人について書く時にも、失礼かもしれませんが敬称はつけないことにしているのです。
「あたりまえじゃない」と思われた方、「先生問題」はどうですか。
創作ブログでは、作家の名前に「先生」をつける方がとても多いのです。同じ小説(マンガでも詩作でもなんでもいいですが)を書く者として、偉大なるプロに対する敬意をこめての敬称だと思いますが、私はこれにひっかかるのです。だから、自分ではそれはやりません。
なぜか。やはり統一すると奇妙な事例が出てくるからです。「森鴎外先生」「葛飾北斎先生」「シェイクスピア先生」「紫式部先生」「アガサ・クリスティ先生」って変じゃありませんか。そして、現在ご存命だから先生をつけるというなら、これまで「水木しげる先生」と書いていた記事を、新しい記事からは「水木しげる」と書くようになるのでしょうか。それまた変だと思うのです。
だから、私はこうしています。
自分が実際に習った本当の意味での師に対して、または、その世界でひとかどの人物に対して「先生」と敬称を付けるのは、お目にかかっている時と、私信を送る時、それに共通の弟子仲間でその先生の話題をするときだけです。たとえば大学の恩師や、プロの演奏家などです。これはブログとは関係ないことです。
そういう個人的に面識のある方をブログで一般の人に紹介する時は「さん」をつけます。
個人的に面識のない方、一般的な有名人を一般論として語る時には呼び捨てにします。文章に敬意を込めていれば、それは失礼なことだとは思いません。私が心酔し誰よりも尊敬する作家ヘルマン・ヘッセであっても、私は「ヘッセは……」と呼び捨てています。であれば、たとえば「又吉先生」と書く必要はないですよね。読んだことがないから尊敬すべき作家かどうかもわかりませんし。
ブログのお友だちのオリジナルキャラクターの名前は、実は、難しい問題です。
ブログのお友だちご本人に対しては、コメントやメッセージで呼びかけることも多々ありますが、その時は本名でなくても「さん」づけです。ブログの記事で取り上げる時も、「さん」づけです。「様」を使うと、親しくなってからハマりますので、最初から馴れ馴れしく「さん」で統一させていただくことにしました。
オリジナルキャラクターは、その方にとってはお子さんと同じように大切な存在ですが、基本的には「敬意を持って呼び捨てにさせていただきます」と宣言して呼び捨てにします。(同様にプロの作品のキャラクター、たとえば「アシタカ」とか「ハン・ソロ」だって呼び捨てです)
でも、呼び捨てが難しい場合もあるんですよ。ご自分のキャラクターに対して敬称で呼んでいらっしゃる方もあって、そうなるとそのキャラクターを呼び捨てするのは氣が引ける。氣を悪くされるんじゃないかと思うからです。
で、ここで宣言させていただきます。うちのキャラクターは、誰であっても呼び捨てで構いません。初コメントだろうがなんだろうが関係ないです。まあ、うちは呼び捨てにしやすいと思います。基本的に外国人キャラが多いので。
自分でも氣をつけていることがあります。たまに忘れてしまうので統一されていないかもしれませんが、作品紹介記事(あらすじと登場人物紹介を除く)やコメント欄などでは、キャラクターに敬称をできる限り付けないようにしているのです。自キャラに対して「蝶子さん」などというのははじめからやっていないのですが、たとえば「ドンナ・アントニア」などという記述もしないようにしています。これは「アントニア」と書くべきだと思っているんです。「レオポルド国王陛下」などど作者が書くと、コメントする方も「ここは陛下ってつけなくちゃだめかも」と迷うじゃないですか。それでです。(あ、でも「瑠璃媛」はけっこうやっちゃっている。ダメじゃん)
あ、私は敬称をつけないようにしていると書いていますが、愛称やあだ名は別です。たとえば「カルちゃん」には「ちゃん」がついていますが、これは尊敬してついているのではなくて単なる親しみの現れです。みなさんには「カルロス」と呼び捨てにしていただいて構いませんし、「カルちゃん」でももちろん嬉しいです。他のキャラも冗談まじりで「閣下」でもいいですし、要するになんでもいいのです。単純に、私のところのキャラクターに対しては「失礼があってはならない」などとは一切お考えにならないように、という話でした。
名づけは大切
日本のテレビなどは一切観ない環境にいるので、何があるのかはネットのニュースで知ることだけです。だから、私が感じることと、実際の日本にいる方が感じることに温度差があるのかなあとも思うんですけれど。
ネットで見聞きする限り、とあるタレントと某バンドボーカルの不倫を発端にした騒ぎ、ずいぶん大きく取り上げているなあと思います。正直言って、そりゃ、快く思わない視聴者もいるだろうけれど、そこまで騒ぐほど日本には他に大事なニュースがないのかと。
でも、今日書きたいのはその件じゃありません。
その某というボーカルの所属するバンドの名前です。初めて目にしたとき、信じられませんでした。なんて名前だと。とても売れているのですね。そして、「音楽さえ素晴らしければ、私生活やバンドの名前は関係ないでしょ」という意見もあって、それについて否定するつもりはありません。
むしろ、眼を惹くから、その方がいいんだという考えもあるかもしれません。
でも、私はそういう考え方はしない人間です。私は、そのバンドの音楽は聴いたことがありませんし、今後も聴く予定はありません。ましてや購入する予定はまったくありません。だからいい音楽なのかはここでは論じません。
単純に、「結婚したばかりなのに、他の女性と好ましくない関係になった」という人が、そういう名をもつバンドのボーカルだとニュースで読んで「名は体を表す、そのままじゃない」と思ったのです。
誘われることは1000%ないでしょうけれど、そのような名前のバンドの人に「つきあわない」的なことを言われたとして、ほいほいついて行くつもりには全くなれません。子どもの頃からよく知っていて、バンド名なんか関係なくよく知っているという場合は別ですけれど、全く初対面でよく知らない場合、名前やタイトルって、判断材料になると思うのです。つまり、自分がこれから活動していこうとする、顔になるバンド名に、そういう言葉を遣おうと思う人とは親しくなりたくないないと思ってしまうのです。
これは個人名にも言えます。というか、もともとの発想は個人名に関する、私の頑固ともいえるこだわりにあるんだと思います。
それは、おそらく子どもの頃に夢中になった、様々な国の神話や考え方に共通してある「名前がその人間の本質を表す」という考え方を、いまだにもち続けているからじゃないかなと思います。「真実の名前を知っている人間には従わなくてはいけない」とか「運命はつけられた名前に沿って進む」とかその手の考え方ですね。かっこいいとか響きがいいとかではなく、もちろんシャレなんて軽いものでもなく、もっとも大切な言霊として扱うべきだと思っているのです。
私が小説で名前を付ける時には、その響きや意味が、現在作ろうとしているキャラクターにふさわしいものを探します。これだけたくさん作り出していると、一つ一つに「言霊」とまで思ってつけてはいませんが、何でもいいと思ってつけることもありません。そのことによって、読む側も「たぶんこういうキャラ」と想像をつけやすくする意図があるからです。読者というものは、作者である自分ほどそのキャラクターを読み解くのに熱心ではありません。薔薇を背負いそうなキャラに「みよ」、地味で貧乏なキャラに「麗華」とつけてしまうと読者は意図したようには読んでくれなくなる可能性があります。そういう意味でも、名づけは、とても大切なのです。
そして、ブログ名も同じように大切だと思っています。このブログの名は「scribo ergo sum」にしました。わかりやすくはありませんが、「どういう意味だろう」ともう少し詳しく見て下さった方には、私がいいたいことが伝わるタイトルだと思っています。ちなみに「書くからこそ私は存在する」という意味です。
謙遜は日本人の美徳だといいますが、それが行き過ぎて、たとえば「読むに値しない駄文の置き場」といったブログ名をつけてしまうと、意図を誤解されて読んでもらう前に「それなら読む必要ないか」と回れ右されてしまうと思うのです。読んでほしいのに決まっているから公開しているのに、そんなブログ名にするのは天の邪鬼です。
とても親しくなって、ブログ名なんて関係ない、そこを訪問すると決めている時には、もうブログ名や見た目の印象については氣にしません。でも、偶然見つけたブログや足跡から辿ってみたようなブログでは、ぱっと見というのはとても大切だと思うのです。印象のとても悪いブログ名や、反対に極端に卑屈な印象のブログで、長い記事や小説を読もうかなと思うことはまずないのですよね。
それに、先ほどの言霊の話に戻りますが、自分のブログ名が、発表されていく作品とそこで紡がれる人びととの交流の運命を決めていくんじゃないのかなと、そんな風に日頃思っているのです。
あまりにもひどいと感じてしまうバンド名が話題になっているのを見て、こんなことを改めて考えたのでした。
七十回目の終戦記念日
実は、二日前に突然なった全身じんましん、昨日の夕方も酷くぶり返してきて、この記事の予約投稿を一時見合わせました。コメントをいただいても、返事のできるような状態ではなかったので。昨夜の深夜がピークで、本当にどうなる事か、明日は真面目に病院行かなきゃ、とまで考えていたのが、そのちょっと後に急に収束に向かい、今は、ほぼ大丈夫になっています。というわけで、今日以外に発表するのもなんだなと思うこの記事を改めて公開することにしました。
私がいま住んでいるスイスは、永世中立国です。でも、「永世中立国=平和=戦わない」と思っていらっしゃる方がいたら、それは間違いです。
スイスには軍隊があり徴兵制があります。これは成人男子の義務です。現在は軍隊ではなくて民間防衛(Zivilschutz)という形で奉仕する事も許されているので、主義で軍隊に加わりたくない人はそちらを選ぶ事ができるようになっていますが、健康である限り、どちらかで奉仕しなくてはなりません。障害があったり健康問題があって奉仕のできない人は、代わりに高額の税を徴収されます。日本と違って直接民主制でありとあらゆる事が国民投票で決められていて、民意が政治に反映される度合いはピカイチの国ですが、徴兵制はなくなっていません。それは多くのスイス国民が軍隊を必要だと考えているからです。
ヨーロッパの歴史を紐解けば、「わが国は戦争を放棄します」と言うだけでは、別の国の侵略を防げない、そういう感覚があるのは事実です。だからスイスが軍隊を持っていて成人男子が機関銃を背負って訓練に行くのがごく普通の光景でも不思議はないと思います。
でも、今日私が主張したいのは「だから日本も現実的になれ」というような話ではありません。
防衛の現実を考えたら、「自衛隊は許容範囲かな」と思います。あくまで、これまでの自衛隊の活動のイメージで言っています。外国の侵略を受けた時に、おまわりさんの警棒とピストルだけで何とかなるとは思えませんので。それに、自衛隊が海外で道や井戸を作るといった援助活動をすることにも賛成です。
でも、現在政府がごり押ししようとしている「安保法案(安全保障関連法案)」には反対です。
違憲だから、という話ではありません。すでに自衛隊を持ってしまっている時点で「違憲」であるとも思うし、そこから論議をすると「では、国防はおまじないですればいいとでも?」という話になってしまい、先に進めません。「殺人はいけない」という大原則はあるけれど「正当防衛は認められる」という例外もあるように、お隣の国からミサイルが飛んでくるような時代にあって「自衛隊は違憲だから解散させろ」というのは、非現実的だと思っています。もっとも政府も憲法自体に問題があるというなら、それを変えるところからちゃんと手続きに則ってやるべきだと思いますけれど。
今回の安保法案で、よく賛成論者が口にする「日本人が海外で生命の危機に襲われても、他の国にお願いしないと助けにいけない状況はマズい」というのは、理解できます。それだけなら、私も反対はしないと思います。
でも、「集団的自衛権とは、日本が攻撃されていなくても自国と密接な関係にある国に対する武力攻撃を実力で阻止できる権利のこと」で、しかも「要件を満たせば、我が国を武力攻撃していない国や、我が国に対する攻撃の意思のない国に対しても我が国は武力行使することがあり得る」って、なんですか。「うまく口実を作れれば、こっちから攻撃するのもあり」ってことですよね。
日本は、かつての戦勝国でありかつ同盟国であるアメリカの都合の良いように動かされてきました。アメリカをはじめとする世界の国が「正義のために」戦争をしているなんて信じている人は途方もなくおめでたいと思います。
彼らが戦争をするのは基本的には「金」のためです。軍事産業を養っていくには定期的に戦争をしなくてはいけない。そういう構造があるのです。「死の商人」を肥えさせるために、言いがかりをつけてでも戦争をしてきたのは、イラク戦争ではっきりしましたよね。安保法案が通った後であれば、イラク戦争の時と同じような、完全に言いがかりの侵略戦争であっても、自衛隊が相手の国を攻撃できるってことですよね。
現在する必要のない、その手の武力攻撃をわざわざできるようにする、そんな必要がどこにあるんでしょうか。しかも、国民の多くが納得していないのに、理解を得ようともせずに立法を急ぐ裏には、何があるのでしょうか。
世の中には、いろいろな立場があり、利害があります。綺麗ごとだけで済まないのも現実です。でも、戦争が幸せにする事ができるのは、一部の人間だけで、残りのほとんどの人間は苦しまなくてはなりません。徴兵されるのが嫌だとかそういう話ではなく、一部の人たちの利益を武力行使、つまり誰かの苦しめて得る「あやまちを繰り返し」てはならない、そういう問題だと思います。
七十回目の戦争記念日に、人びとが「あやまちをくりかえさない」ことを想うのは、大切な事だと思います。日本の犯した過ちだけでなく、歴史で繰り返されてきた全ての過ちです。その中にはイラク戦争も含まれています。
そして、今回の安保法案、論議が十分でないのに、また世論も無視して強硬採決を可能にしたのは、選挙で選ばれた国会議員です。近年の選挙の投票率の低さは、利権のない多くの人たちの無関心を表しています。選挙権のある人たち、一人一人がもっと真剣に考えて国会議員を選ぶべきというのは、今に始まった議論ではありませんが、その重要性は強まっていると思います。日本国民一人一人が、国政についての関心を持ち続け、次回の選挙では投票率が最低を更新などという事がないようにしてほしいと願っています。
天下の回りもの

このブログだと、しょっちゅう外食したり、週末旅行したり、海外旅行に行ったりしているみたいに見えますよね。実際、しょっちゅうやっているんですけれど。
そのかかっている金額をお知らせしたら、きっと皆さん驚かれるんじゃないかなと思います。スイスって、外食や宿泊、びっくりするほど高いんですよ。それだけでなく、私はあまり買わないから関係ないけれど、衣類やインテリアにしても日本の常識からは考えられないくらい何でも高いんです。
たとえば、お昼ご飯を二人で食べたら、一万円くらいなくなるのは普通です。外食ランチを1000円以下で済まそうと思ったらファーストフードくらいしか選択肢はありません。しかも、日本のファーストフードの値段を知っている方は「なんでこの値段!」といっそのこと一食抜きたくなるに違いありません。
というわけで、勤務先のランチを毎日外食なんて事はしません。働いている意味なくなっちゃうし。普段は自炊をきちんとして、それなりの食費内に納める努力もしています。
でも、外食や週末旅行にも行くんです。そして、そういう時は、「日本より高い!」ということをあまり考えないようにしています。
私たちには子供はいませんので、生活のランニングコストはそれほどかかりません。借家暮らしですが、ローンなどの借金もありません。衣類や化粧品には全然お金がかかっていない分、将来の事を考えて残している分を除いても、外食をするくらいの贅沢はそこそこできる余裕があります。まあ、別荘やヨットに回す余裕は全くありませんけれど。
そして、スイスの物価が高い理由がわかっているので、文句もあまり言わないようにしているのです。
スイスは、人件費が高いのです。つまり、働いている人たちの給料が高いという事です。日本のアルバイトの時給、私が日本にいた時よりは上がっていると思いますけれど、今でも一時間1000円以下というのもありえますよね。スイスで1000円以下というのは、通常だとありえません。あるとしたら不法移民が不法就労して搾取されているケースです。
スーパーのレジなどを担当している人であっても、100%(週42時間くらい)働くとおそらく3000フランくらいのお給料はもらえるはずです。30万円くらいと考えてください。もちろんボーナスに当たるものもないですし、法定の健康保険料が日本と較べ物にならないくらい高いとか、なんだかんだ言って引かれてしまう金額もありますが、それでも手取り2000フラン以下という事はないはずです。日本で大学を卒業したのにも関わらず、手取り十万円くらいしかない方たちの困窮ぶりをたまに読んだりしていますけれど、それと較べると雲泥の差なのがわかると思います。
その分、もちろん物価は高いのです。とくに外食や、嗜好品など生命維持に不可欠とは言えないものの値段は高いです。そしてですね。消費税も8%です。けれど、スイス人はそれを「高い、高い」と言わないんですよね。(外国人は言います、もちろん)
安いものもあるんですよ。国境を越えれば、ドイツのスーパーマーケットに置かれる商品などはぐっと安いです。スイス国内のものでも、国産品より輸入物は割安です。安かろう悪かろうの代表のような、アジアの某国からの製品もたくさんあります。
でも、私は安さだけを追求しないようにしています。その商品がどのような過程で作られて、どんな状態であるかが大切だと思うからです。生まれてから文字通りベルトコンベアに乗せられて生産ライン上で殺されてしまう某隣国の鶏肉は買いません。どんな危ない薬品がついているのかもわからない某アジア国製品も可能な限り避けています。
そして、人件費と丁寧な作業が、値段を押し上げてしまうスイスや近隣諸国の信用できる製品を選んで買う事が多くなりました。また見えない部分ですが、原子力発電ではなく水力発電だけを送電してもらう追加料金というのがあるんですけれど、それにしてもらったり、近くの有機農家で買い物をしたり、同じ商品でもフェアトレードの製品だけを扱う店から買ったりと、わずかずつですが高コストでも私の信じるよりよい世界のためにお金を遣うようにしています。
同じようにしたくても、育ち盛りのお子さんがいて、その養育費などでそんな贅沢はできないという方も多いと思うんです。旅行や外食も同じです。それができる状況にあるというのも、一種の社会的役割のように感じるのですよね。
そして、いつかよぼよぼになってしまっても、私には子供がいないので、まちがいなく社会のお世話になると思うのです。だから、その前に、楽しめる事はそこそこ楽しみ、社会に幾ばくかは還元しておきたいと思っているのです。
国歌や国旗のこと

スイスの国歌って、ご存知でしょうか。よその国の国歌は、スポーツの時に耳にする機会が多いですよね。スイス国歌はサッカーなどで耳にする事はかなり稀(笑)その点、ロジャー・フェデラーやステファン・ランビエールのファンの方ならあるいはご存知かもしれません。こんなメロディーです。
少し前にスイスの言語事情をお話ししましたよね。四カ国語が公用語だと。そうです。上の動画はドイツ語のテキストしかありませんが、四カ国語バージョンがあります。全部歌える人はいるんでしょうかね。
たとえば私の連れ合いは、上のドイツ語の国歌、歌えません。彼が日本によくいらっしゃる「国歌は歌わねぇ!」的な思想の持ち主というわけではありません。別に、聴く度に喜んで起立するタイプでもないですけれど。
なぜ彼がこの国歌を歌えないのかというと、習わなかったからです。この国歌、比較的新しいんですね。彼が習ったのはこっちだったそうです。聴いてみてください。
「ごっと・せいぶ・ざ・くい〜ん、じゃん」そう思った方、大正解です。スイスが大英帝国の一部だったことは一度もありませんが、ずっと同じメロディを使っていたようです。
しかも、今またしても変えようとしているらしく、「六案あるから、これを聴いて投票してね」というのを五月あたりまでやっていたらしいです。メロディをがらりと変えるのから、歌詞だけ変えるのまでいろいろです。他の言語はどうするつもりなのか、いまいちわかりませんが、どっちにしても外国人の私は国民投票の蚊帳の外なのでまあ、いいでしょう。
http://www.srf.ch/news/schweiz/positiv-und-singbar-schweiz-sucht-neue-hymne
こういうのを見て思う事は、日本の国歌や国旗の扱いについてです。あまり政治的な事は書きたくないのですが、まあ、年に一度くらいは。
私は、国歌と国旗には敬意を持っています。もちろん日本のものだけでなく全ての国歌と国旗に対してです。中には「なんだかなあ」という行為を繰り返す困った国家もありますが、だからといってその国に住んでいる人たち全てがそういう方とは限りませんし、彼らを尊重する意味で敬意を持ちます。具体的に言えば、国歌が歌われれば立ちますし、国旗を焼いたり破いたりするような事はしません。
日本の国家と国旗に対してはなおさらです。私は日本人として生まれた事を誇りに思っていますし、日の丸を見たり、国歌を聴く機会があると嬉しくなるたちです。デザインも、歌詞も、どこが軍国主義的でよくないものなのか、さっぱりわかりません。シンプルでかつ平和に満ちたものだと思っています。スイスの国旗もシンプルでわかりやすいですが、日の丸のデザインは、右に出るものがないスーパーデザインだと思っています。
でも、それに反対し、「どんな事があっても歌いたくない」「敬意を持ちたくない」のご意見は尊重します。ただし、そうおっしゃるのなら、そうじゃないものを合法的に提案してほしいと思います。日本で「○○に反対」とおっしゃる方って、その多くが「ただ反対」なんですよね。だったらどうしたいのかヴィジョンが全く見えてこない事が多いと思います。だから、いつまで反対しても現実的な動きにならないんじゃないかなと思います。
もっとも、個人的な意見ですが、国家と国旗を変えようということになって、どんなデザイナーと作曲家・作詞家が用意しても、現在の国歌国旗を凌ぐものを作るのは困難だと思いますし、できれば変えてほしくはないと思っています。
我関せず
ある六月の日曜日のこと、高速道路で同時に三つの交通事故が発生し、大変な渋滞になっていました。バイクにタンデムしていた我々を含めた少しでも道を知っている人たちは、高速道路から出て、一般道で少しでも早く行こうとしたのですが……。なんとちょうど家に帰る牛の群れがいました。
この国では、道を歩く家畜の群れがいたらとにかく大人しく待つしかないのです。

その結果、こんな渋滞になっていました。小さくて見えにくいかもしれませんが、地平線までずっと車が並んでいるのです。文字通り「牛歩」のスピードで。

すごいのは、この状態でも牧童が焦ることが全くなかったことです。確かに焦っても家畜に早く歩いてもらうことは出来ません。無理して騒いで暴走でもされたら困るでしょう。でも、日本人の私は、この状況なら一番前の車の人に謝るそぶりを見せるとか、後ろを氣にするとか、オロオロすると思うんですよね。
でも、思ったんですよ。少しこういう風になりたいなって。
私は神経が図太い方なんですが、それでもいろいろとクヨクヨすることがあるんです。一喜一憂とでもいうのでしょうか。ブログのことでも、小説を発表すればその反応が氣になるし、別のブログでコメントを書き込むとお返事をいただくまで怒らせていないか心配するし、アルファポリスの大賞ものにエントリーした先月は毎日ドキドキしっぱなしでした。
かといって、「振り回されるのが嫌だから、全部やめちゃえ」という方向にはいかないし、基本的には「のど元過ぎれば熱さを忘れる」タイプで、簡単に平静さを取り戻すんですけれど。
スイスに移住してきてよかったなと思うことの一つに、日本ほど「周りの人がどう思うか」を氣にしなくていいということがあります。そうなんです。私は若干(じゃないか、かなり)変わり者なので、「みんなと同じ」ということをするのが苦痛なんです。なのに、やはり日本人なのか、どこかで人の目というのを常に意識しているのですね。
例えば、郵便局で窓口に一人しか人がいなくて、列が出来ているとします。こちらの人は、そうであっても窓口の担当者と平然と延々と話しているんですよ。それも業務ではない世間話までしていたりします。私は、出来るだけ手っ取り早く手続きを済ませて、おつりを財布にしまうのも窓口から離れてからしてしまうのです。後ろの人が窓口に立てるのにたった数秒しか違わないとしても。
まあ、あまり迷惑をかけまくるのはよくないですけれど、不必要に人の顔色を見てびくびくするのはよくないなあと常々思っているのです。この牧童ほどでなくてもいいんですけれど、もう少し「我関せず」の境地に至れたら楽だろうなあと思ってしまうわけです。
ある国の民であるということ
というのはさておき。今日は、ちょっと考えてしまったことを。

このブログを読んでくださる方の99%は、考える必要の全くないことなんでしょう。私もこれまではあまり考えなかったことなんですが。ここの所考えるのです。私は将来的にどこの国に属するべきなのかなあと。具体的に言うと、国籍の問題なんですよ。
私は日本生まれの日本人で、日本の文化を愛し、他の国の人間になりたいと思って国際結婚したわけではありません。たまたま嫁に貰ってくれたのがスイス人で、その男が日本に住むなんてどう考えても無理なので、私がスイスに来たというだけです。日本のパスポートは、スイスのパスポートと同様にどこでも行けるし、外国人だからといってスイスでそんなに苦労したことはないので、これまではずっと日本国籍のままでもいいかなと思っていたのです。
でも、思うんですよ。日本という国にとって、私って歓迎される国民なのかなって。日本の国民年金保険料は払い続けています。義務でもないんですけれど。でも、もう日本の税金払っていないんですよね。考えると日本で働いていた時間よりスイスで働いていた時間が長くなりました。
今は、スイスで働いて、スイスの税金と社会保険料を払っています。で、このまま老年になってじゃあ日本に帰りますって帰って、日本の国民年金貰って……生活できませんよね。どう考えても。厚生年金に当たるものを払っていたのは五年ほどなので、それでも足りません。スイスの年金はもらうことになると思うんですが。
もちろん、全然税金払ってこなかった身で、楽して生活できるような年金を日本からもらえたらどこかおかしいわけです。スイスでは、国民投票もさせてもらえない身で、とにかくいっぱい払っているんで、くれると言うものは堂々と貰いたいんです。でも、日本に帰るとなると、そういうわけにもいかなくなるんですよね。スイス人じゃないんで。
国籍って、あたり前すぎてさほど氣にしないと思いますが、「もし何かがあった時に、どの国が責任もって面倒看てくれるか」ってことでもあるんですよ。たとえば、どこかで連れ合いと一緒に拉致されてしまったとして、スイスは連れ合いの救出には頑張ってくれるでしょうが、私は外国の馬の骨、なんですよね。扱いとしては。
そこまで行かなくても、私が老女になって、貧乏で行き倒れ寸前だとします。スイス国籍を持っていたら間違いなく本籍に当たる市町村が責任を持って面倒を看てくれるんですが、外国の馬の骨は看てくれないと思うのです。かといって、日本の本籍地も面倒看てくれるとは思えないんですよね。特に今の日本を見ていると、日本国内にいる人たちに社会福祉を行き渡らせるのも大変そうで、スイスの田舎の村にいる何十年もいなかった国民の面倒を見る余裕なんてなさそうじゃないですか。
で、一度も考えたことのない「ところでスイス国籍をとるには」っていうのを、ちょっと調べてみたんです。資格はあるのはわかっていたんですよ。最低五年以上スイス人と婚姻関係にあるし、その状態は維持しています。スイス人の話す言語のうち最低一つでの意思疎通も出来ます。住まない限り絶対に習得できないスイス方言が聴き取れるんですから。でも、歴史や政治のことにとても詳しいとは言いかねます。試験があって結構撥ねられるらしいんです。スイス国籍はポピュラーでみんなが欲しがる上に、「ガイジンが多すぎ!」ということで、審査がキツくなっているらしいんですよね。
申請すれば貰えるんじゃないのか……。そう思った途端、少し後ろ向きになっている私。いや、スイス国籍貰ったら日本国籍はなくなっちゃうんで、いますぐどうこうってわけではないんですが、でも、定年までには考えておかないとなと思うんですよ。子供がいないので、老後にボケちゃったときのことなんかも考えておかなくちゃいけないし。でも、自動車免許じゃないんだし、一度撥ねられたら、もうだめなんじゃないの? なんて事も考えて、グルグルしていたりする私なのでした。
アプローチの話
「人間には、一生に一度はモテ期がある」みたいな話をききますが、そういえば私の人生にも一度だけありました。二十代のほぼ終わりころ、二年くらいでしょうか。
「女子校だったから縁がなかったんです」とか「男性と知り合う機会が全くなくて」のような言い訳が全くできない状況だったにもかかわらず、私はそれまで全くモテませんでした。「○○ちゃんと●●くんつきあっているんだって」というような話題に「ええ〜」と驚き、男友達からも女友達からもその手の相談をされたりして、なのに本人は常に蚊帳の外。「お前は、男みたいなもんだし」とありがたくもない認定を受けたりしていました。
就職してから、男性対女性比が20:1なんて逆ハーレムな職場にいても、事態は全く変わりませんでしたので、いつのころからか「私はそういうのとは無縁なのだな〜」と思っていました。多くの日本の男性は歳下の美人で謙虚な女の子が好きです。さらに「出る所のでている体型ならなおよろし」でしょう。そういう意味では私が殿方の恋愛対象にならなかったのは当然です。
だから、自分がモテている時にもそれがわからなかったのです。その二年くらいの間、多くの同年代の男性と定期的に食事に行っていました。それが一人だったら「もしかしたら」って思ったかもしれません。でも、五、六人が入れ替わり立ち替わり誘ってくれていたのです。その当時の仕事が、夜の九時や十時に終わるので、同僚と「こんな時間だし、軽く飯でも食いにいくか」ってなったりするじゃないですか。ほぼその延長で、男でも女でも関係なく、ご飯を一対一で食べに行くことはあたり前だったのです。
誘ってくれた中には、大学の時の友達や、高校の時の同級生もいました。これがまた、三ヶ月に一度くらい電話がかかってきて「ご飯食べにいかない?」と。で、「マンハッタンの日本人」の美穂じゃないですが、ステディな男性がいるわけでなし、友達ですから、誘われれば用事がない限りは行くわけです。で、ご飯食べて、普通に話をして、帰るだけ。やっていることはジョセフと変わりません。まあ、一週間に一度だったら「あれ?」と思ったかもしれませんが、三ヶ月に一度なんて間隔のお誘いじゃ「そりゃないな」と思います。ましてや「僕の好みなのは、こういう(かわいい)子でさあ」みたいなことを言っていた人たちですから、明らかに私は好みじゃないはずです。まあ、アフリカに行くような変な女だから、話題に興味があるのかなと思っていました。
後で考えると、どうやら彼らは嫁を探していたようなのですね。それぞれにお好みの可愛い女の子たちとつき合ってみたけれど、若くて可愛い女の子のお相手というのはなかなかに骨が折れる、その点、こいつは面倒がないし、肝も据わっているようだし、無料飯炊き女としてはなんとかなりそうだし、「●●は三日で慣れる」じゃないけれど好みじゃないくらいいいや、という感じで。
問題は、無料飯炊き女候補の本人が、全くわかっていなかったことです。わかったのは、私が某スイス人とつき合いはじめたからです。その食事に行くだけだったほぼ全員に、そのつもりであったと言われてしまったのです。青天の霹靂。もっと前に言ってくれたら考えたのに。
私が鈍感すぎたのかもしれません。でもねぇ。別に薔薇の花束を持って告白してくれなくてもいいんですよ。でも、たまに食事して、世間話しているだけじゃ、わかりませんよ。そんなに言い出しにくいオーラを醸し出していたのかなあ。
某スイス人が、地理的にも、言語的にも、時間的にも、圧倒的に不利な状況にめげずに、無料飯炊き女(しかも共働き)をゲットできたのは、ひとえに意思表示が明白だったからです。意志を表示されれば、こちらも考えますし、関係は深まっていきます。かっこいい告白である必要はないし、始めから燃えるような激情がなくてもかまわないのです。
考えすぎて、先回りして「やっぱり言わないでおこう」と、友達に徹されてしまうと、まったくわかりません。まあ、わからなかった鈍感女が一番悪いのかもしれませんけれど。
冬は冬らしく

寒いのが苦手な私ですが、ちゃんとした夏も来ず、まともな冬も来ないここ数年の天候には辟易しています。この週末にようやくちゃんとした雪が降り、今ごろ冬らしい景色となりました。でも、今週はまた暖かくなってしまうんですって。
どこまでも続く雪景色と宇宙に続いていくような深い青空、そして肌が痛いほどの冷氣、わたしにとってちゃんとした冬とはこういう光景です。マイナス10℃からマイナス15℃あたりになると、例えば郵便受けを覗きにいくだけでもきちんとしたコートの閉じて手袋をつけていかないと後悔することになります。
以前、まだ車を持っていなかった頃、一時間に一本のバスを逃したので、徒歩で30分の街まで徒歩で買い物に行こうとした事がありました。普段はどうってことはないのですが、この日はマイナス15℃でした。で、15分歩いた所で、音を上げました。そこは私の村の中心地で(といってもレストランが三軒あるだけ)、レストランに入って熱いお茶を飲みました。本当に遭難するかと思うくらい寒かったです。
今は車も持っているので街まで歩こうなどという事はしませんが、朝の通勤は真冬でも可能な限り自転車です。マイナス15℃くらいになる朝もありますが、自転車を漕いでいると体も温まるので20分くらいはなんとかなります。もっとも一度だけマイナス23℃という時がありまして、この時は会社に辿りつく前に倒れるかと思いました。これはちょっと危険でした。
でも、去年の冬と今年の冬はまだそこまで寒くなった事がありません。いってもマイナス5℃程度。こういうのは通勤は楽なのですが、氣持ちがすっきりしません。やはり冬は冬らしく、夏は夏らしくあってほしいと思うのです。
コミュニケーションの力
あ、文ばっかりで殺風景なので写真入れましたが、本文とは無関係です。

ブログの活動をしていると、それを始める前には全く考えもしなかった世界が見えてきて、それがコミュニケーションというものを考えるきっかけになりました。
まず、この世界はとても狭いですよね。Aさんのブログのお友だちは、Bさんのお友だちでもある。Cさんのブログのコメント欄で数人で盛り上がるなんて事もあります。その交流を読んで、Bさんの別のお友だちがCさんのお友だちと仲良くなるなんてことも。
ごく普通の対面関係と同じで、誰とでも交流したくてそれが簡単にできる方もいれば、そうでない方もいる。交流の多さと本人のお城(人間性であったりブログの中身)に対する評価が必ず正比例するわけではありませんし、心から「交流はできることならばしたくない」と思っていらっしゃる方がいるのも事実です。だから、他の方がどのようにブログを運営しようと、それは自由だと思っています。
その一方で、交流にしろ、その裏にある本当の目的(例えば「私の小説を読んで」)にしろ、ある種の法則はあると思うのです。すなわち一方通行は難しいということです。
義務でない何かの社会的な発信、私の場合はブログやfacebookですが、そういうものをやっている人は強いにしろ弱いにしろ衝動や願いがあるはずです。「私のやっていることを知ってね」か「私のやっていることを評価してね」か、その両方か。
で、小説やオリジナルの文章がメインの場合、黙っていても人びとが殺到して大ファンになってくれるということはまずありません。絵と違って、文は一瞬で人の心をとらえられませんから。なんらかのアクションを起こすことによって「これを読んでみようかな」という氣にさせるしかないものです。で、そのアクションとは「なんとか大賞」への応募して受賞するような「作品勝負!」の方法と、友達を増やして読んでもらう「コミュニケーション利用」法がありますよね。私は前者は全くやっていないので、後者のみです。
よく意外だと言われますが、私は対人コミュニケーション力に欠けているタイプです。誰かと親しくなりたくてもなかなか話しかけられない、迷いに迷ってから「ま、いっか」と諦めて一人でいる方を選んでしまう、そういうところがあります。また、一人でいることにもあまり苦痛をおぼえないので余計その傾向が強まります。
またマメさに欠けるため「去る者は追わず」にもなりがちです。つまり、こちらからまんべんなく周りに目を配り、色々な方との関係を保つような社会性は持ち合わせていません。かといって、「連絡をくれない人は大切じゃない」と単純に思っているわけではありません。単純に、限られた時間で行うコミュニケーションはどうしても日々交流のある人が優先になってしまうということです。
私のブログは、現在小説の発表数が多すぎて、収拾がつかなくなってきています(だから来年の抱負は、それをどう収拾させるかという後ろ向きなものになってしまう)。それを律儀にほぼ全て読んでくださる方もいらして、大変恐縮しますがもちろんそういう方に対しては足を向けて寝られないと思うと同時に、たとえ寝る時間を削ってでもその方の書くものを読もうという氣になります。また、シリーズ物を続けて読んでくださる方に対しても、「えっ、この方読んでいてくださったんだ」という方に対しても、やはり、向かう姿勢が違ってきます。こういう心理的な部分に関しては「人類皆平等」は通用しません。
不思議なもので、最初は「作品を読んでくださって、コメントをくださったから」という理由で訪問して、作品を読みコメントをしていた方に対しても、そのままの義務・義理的な氣持ちのままでつき合い続けることはまずありません。同じ作品に対するコメントでも、それぞれの反応する場所や感じることが違うように、最終的にはそれぞれの方の作品を越えた人間としての部分に共感して、その方そのものを好きになり親しくなっていくように思うのです。
たとえば、日本のある地方で台風の大きい災害があったというニュースを目にすると、たとえネット上でしかお付き合いがない方だとしても、何年も交流のない学生時代の知人よりも日々交流しているブロガーさんの安否をまず氣遣うようになります。たぶん、いま私がどんな生活をしているかも、実際に面識のある人たちよりもブログのお友だちの方がずっと詳しいはずです。
そして書かれている作品についても、次第に義務や義理ではなくて本当に面白くて、世界観やキャラが好きになり、次が読みたくてしかたなくなってくる、そういうものだと思います。さらにいうと、商業出版されている書籍ならば絶対に買わないようなジャンルの作品でも、そういう形で親しくなった方の作品は好んで読むようになるのです。かといってそのジャンルに目覚めるというとのも違うように思います。相変わらずその手の本を買いたいとは思いませんので。
ブログに限らず日常生活のコミュニケーションについても同じことが言えます。
自分に問題があった時、話を聞いてほしいときにだけ連絡をしてくる人がいます。連絡してくるときは心に余裕などないときなので、私がいま何をしているかに対しても関心はありません。それでいて、大して親しいと思えない私に「誰も話をまともに聞いてくれない」と訴えるのです。
そういう方が、特別人間性に問題があるというわけではありません。ただ、そのコミュニケーションのし方が「私をみて」の一方に偏りすぎると、持ってもらえたかもしれない関心すらも失ってしまうのではないかと思うのです。
ということを含めて、コミュニケーションについてブログの交流を通して考察できたのは大きな収穫だったなと思いました。(とはいえ、私のコミュニケーション下手が改善されるわけでもないんですが)