建国記念日と終わりゆく夏の日々

8月1日はスイスの建国記念日です。1291年8月1日に初期3州がリュトリで同盟の誓いを立てたのが、現在のスイス連邦の始まりです。そしてこの日は、普通は花火や焚き火、それに子供たちの提灯行列などで祝うのが普通ですが、今年は静かでした。猛暑と極度の乾燥から、全国に山火事警報が発令中で、花火も焚き火も厳禁だったからです。
それでも、あちこちで国旗が掲げられ、夏らしい晴れた1日を各所で楽しんでいました。コロナ禍で大騒ぎしていた頃は出来なかった、人びととふれあい楽しく食事をすることが、再びできるようになり、人びとは笑顔で日常を楽しむことを大切にしているように思います。
私たち夫婦は、バイクでアルブラ峠を越えて、ポスキアボに行ってきました。もちろん日帰りの半日の旅でしたが、暑すぎず寒くもない爽やかな1日で、バイク旅行には最適の日でした。

それから1週間。8月に入ると明らかに日の入りも早くなってきます。まだ日差しは強いですが、雨のあとには冷え込むことも。平日の誕生日だった4日に、ニュースではロカルノ映画祭が始まったといっていました。
毎年、この映画祭が終わると、毎年秋が訪れます。
でも、私のお楽しみは、もう少し続きます。8月の半ばから2週間の休暇なのです。どこにも行かないでしょうが、それでも休暇には心躍りますよね。
美しい季節

スイスで一番好きな季節は初夏です。これは移住した約20年前から変わりません。日本にいたときも5月の新緑の季節は大好きでしたが、東京では公園の横を通ったときに「ああ、いい季節になったなあ」と感じる感じでした。現在、私は田舎に住んでいるので目にする自然の量が違います。冬の間はダイニングの窓の向こうに立つ木々は全て葉を落としているので道が見えているのですが、これが5月の数日間に一斉に芽吹き出す新緑であっという間に見えなくなります。この緑の萌え方は、明るく生命力にあふれていて、毎年のことながら見るたびに感極まってきます。

冬が終わる3月末ごろには昨年刈り取ったプランターを少しきれいにします。古い根っこなどを取り去り、肥料と新しい土を加えて準備します。そして、毎朝水を撒くようにします。
それから2か月くらいすると多年草ハーブを入れっぱなしにしたプランターからは勝手に新しい芽が出てどんどん育ちます。チャイブはもう花が咲いています。いただいたシソを植えた所は毎年こぼれ種で小さなシソが生えてきます。今年はまだ双葉。シソはとても成長が遅いのですが、夏の終わりには楽しめるはず。義母からもらったセージは、そのまま冬を越して、今年の葉がぐんぐんと育っています。
芽の出てしまったタマネギを植えたもの、買ってきたハーブから根を生やさせたマジョラムも元気に育ち、その横に今年もバジルの小さな鉢を買ってきて植え替えました。これで今年の窓辺のハーブはすべて用意できました。

自宅の周りの牧草地や丘の上なども、色とりどりの可憐な花が咲き乱れています。
去年前の会社に放り出されてから、フリーで働き、なおかつコロナ禍でずっと自宅にいるので、健康のために近所を散歩し続けて1年が経ちました。一巡した自然を見るのは感慨深いです。そして、半フリーター的な生活、ついに終わります。6月からまた定職について働くことになりました。
この1年、コロナ禍で労働市場は動かないし、こちらは高年齢、資格足りず、しかも外国人とやたらと不利で再就職はほぼ不可能かと諦めかけていました。そんな中でもフリーのままでも収入は以前の70%くらいは常にあり、日本語教師など新たな挑戦もして、朝は二度寝もOKというのんびりライフをしていたのでした。それも悪くなかったのですけれど、やはり来月どれだけ収入があるかわからない、先の予定も決められないというのがかなりストレスになっていました。今月に入ってからトントンと話が進み、無事にフリーターを卒業できることになりホッとしています。
世界が以前のようになるにはまだ当分かかるか、もしくは2度と前のようにはならないかもしれませんが、とりあえず「家賃や食費が足りないかも」と心配せずに生きていけるのはありがたいことだと思いながら、頑張っていこうと思います。ご心配をおかけした皆様、すみません。そして、ありがとうございました。
2021年空見の日

今日3月20日は、春分の日です。そして、同時に「2021年の空見の日」です。これはブログのお友達もぐらさんが毎年主催されているイベントです。
「お花見」 があるんだから 「空見」 があってもいいんじゃないかと。
「空見」 の日を決めて、何時でもいいので 空を見上げる。そして 深呼吸する。
そのとき 見上げた空の写真を撮って 自分のブログに載せてもらう。
そうすればその日は 参加してくださったみなさんと同じ空を見上げた 「空見の日」。ブログ「土竜の只今 準備中」の記事から引用
いろいろな意味で、自信をなくしたり不安に思ったりすることの多い日々。今日から休暇として行くはずだったポルト行きも、今年もキャンセル。しかたありません。しかも、暦の上ではとっくに春なのに、ここしばらくやたらと寒い。そんな中、Apple Watchの運動リングを閉じるために30分以上の散歩を続けています。
私や人類がイマイチな日々を過ごそうと、空は変わらずに広がっていて、世界は変わらずに美しい。ちっぽけな存在であることは、間違いないけれど、それは別に悲しむことでもなくて。とにかく今日も美しい世界にいることを感謝して、てくてく歩いて行こうと思います。
雪が止むと

1月の半ばにがっつりと雪が降りました。30年くらい前は、冬といったら1メートル程度の雪はいつものことだったらしいのですけれど、地球温暖化の影響か、私はそんな冬はあまり経験したことがありません。もちろん雪はしょっちゅう降りますけれど、ふくらはぎくらいまでの雪を搔き分けるのが「普通」です。
何年に1度か、たくさん降って「これ、大丈夫か?」というような積もり方をします。今回はそんな降り方で、2日2晩降り止まず。もちろん通路や階段は何度も雪かきをしているので通れるようになってありますが、庭など雪かきのしていないところは胸のあたりまで積もっていました。
そんな雪も、「屋根からの落下は大丈夫?」「氷柱が危険なことに!」という心配を経て、やがて溶けていきます。とくに私の住むあたりはフェーン現象で急に暖かくなったりするので(この時期にプラス10℃になったりするのです)、それでガンガン溶けていきます。

現在ほぼ100%が自宅勤務なので、健康のため(Apple Watchのアクテビティの輪を閉じるため、が正解かも)毎日外を歩くようにしています。一度ビタミンD不足と診断されたことがあるので、ちゃんと日光のあたる時間を選んで歩きます。
雪原を見ながらの散歩はきもちよくて、とくに青空の日はワクワクしながら歩いています。
そして、雪原にはいろいろな足跡が見えます。人間や飼い犬のものもあるのですけれど、上の写真はなにか野生動物のものだと思います。人間社会は、1年以上続く大混乱のさなかですが、動物たちは例年通りに普通に生きているようですね。
ほぼずっと自宅にいるようになって間もなく1年です。自宅周りの散歩も季節がめぐり、そうか、この辺りの四季ってこうなっていたんだと、今さらながらに納得しています。
冬がきた

いつも同じことばっかり言っているようですが、今年はいつにも増して1年が早かったように思います。もう待降節ですよ! クリスマスまであと4週間、そして、今年も終わりです。
今年は、家の近くにいることが多かったので、ほぼ毎日、散歩をしていました。大体30分くらい歩くのですけれど、季節の移り変わり、温度の移ろい、どんな草花が育ち、草地が景色を変え、日の出や日の入りの時間がどう変わっていくかをいつもに増して肌で感じていました。
そして、認めたくなかったけれど、秋もまた終わり、いまは冬です。毎朝、霜が降りて、氷点下になりつつあります。光が弱くなっていく、どこか悲しい色合いの夕暮れ。冬至になり、太陽が生まれ変わるのを祝った古代の人々の想いを「そうだろうなあ」と納得する、そんな季節です。
秋の散歩道

ヨーロッパは、ふたたびCovid-19の感染がすごいことになっていて、来週からまたロックダウンかも……という話になっています。
春のロックダウンが終わったら、みんな、ばーっとバカンスにいってしまったので、そのせいなんじゃないかなあ。私の住む州では、ずっとソーシャルディスタンスの話はされていて、公共交通期間内でのマスク着用義務はあったのですが、ついに全ての公共施設内でマスク着用義務になってしまいました。ううむ。
さて、そんな中ですが、時は普通に過ぎてゆき、秋たけなわです。世界の未来が、なんとなく不安に思われるからこそ、秋の光景が愛おしく目に染みる、そんな心地です。来年もまたこの光景を見ることができるであろうか……千年前の風流人なら絶対にここで一句詠んでいると思います。私は詠めませんけれど。
嫌われものの花

この花をご存じでしょうか。サフランやクロッカスに似ていますが、全く別の花で、和名をイヌサフランといいます。ドイツ語では、Herbstzeitlose(「秋に咲く季節はずれの花」という意味)というのです。クロッカスやサフランは春を告げる花なのに、こちらは秋に咲くからですね。
で、この花、2つの意味でめちゃくちゃ嫌われています。1つには猛毒の花なのです。なのですが、球根がニンニクやベオラウフという春の山菜に似ているので、たまに事故が起こるのです。また、家庭にうっかり植えたりすると、イヌが食べて死んでしまったりするそうです。そういえば、この草を題材に掌編を書きましたっけ。あ、その小説でも誰も殺していませんよ。
そして、もう1つの嫌われる理由、こちらの方が私たちには深刻なのですけれど、この花が咲いたら非可逆的に秋なのです。つまり、スイスの夏って、8月くらいに雪が降ったり、ちょっと涼しくても、またすぐに夏が戻ってきたりするのですが、この花が咲いてしまったら、いくらどんなに抵抗しても夏はおしまい、あとは長い冬に向かっていくだけ……という宣告みたいな花なのです。そりゃ嫌われるわ。
で、今年はもう3週間くらい前に咲き出してしまって、かなりがっかりです。まあ、もう9月なので文句言うほど早くはないのですが。
野良ニンジン

現在、一番咲き誇っているのが、今回話題にしている「ノラニンジン」です。英語では「Wild carrot」または「Queen Anne's Lace」というのだそうです。私は、iPhoneに植物の名前を同定するためのアプリを入れているのですけれど、それで初めて知りました。「ニンジンか! たしかに葉っぱはニンジンっぽいわ」
どうやら食卓でおなじみのニンジンの原種のようですが、ものすごい繁殖力で牧草地一帯に広がっています。
しばらく経つと農家が根こそぎ刈っていくのですけれど、私は少しだけ採って母の写真の前に供えます。他の野の花よりもずっと花持ちがいいのも、実際に採ってみて初めて知りました。
もう真夏

夏至が過ぎてしまったんです。つまり、これからは日が短くなる一方。
つい先日まで雪が降っていたので、そんな感じがしないんですけれど、このままでは一番美しい季節がすぐに終わってしまう……。
ここのところ、ほぼ毎日散歩をしています。やはり、家から出ないでいると不健康ですから。これはそんな散歩道の途中で見た光景です。農家が十分に育った草原でせっせと草を刈るので、数日ごとに光景がガラッと変わります。
さて。一週間ほど留守にしています。コメ返等が遅れると思いますが、ご容赦ください。
イクメン・エンテ

以前は、この池では雄の顔が緑で「デコイ」っぽい外見のマガモしかいなかったのですが、いつの頃からか白いアヒルがかったカモが住むようになりました。
野生のカモのように見えますが、どうやら近くの農家が飼育している状態で、毎年夏に増えてはクリスマスの時季になるとパタッと数が減る、おそらく一定数お皿にのってしまっているのではないかと思われます。
そして、白いカモは少し体が大きく、今では交雑の結果、純粋なマガモっぽい個体と、アヒルっぽい個体、その間のあらゆるバリエーション、おそらく合鴨なんだろうなという個体が同居しています。どっちにしてもドイツ語では「エンテ」です。
さて、アヒルっぽい白い個体の血が濃く出た雛は黄色になります。マガモっぽい個体は茶色です。明らかに黄色い方が目立つので猫などに襲われやすくなるようです。それとも、自然の摂理がそうなのか全体的に黄色い雛の数は茶色い雛より少ないのです。
今年見かけたのは、白い雄と体の小さいマガモっぽい雌のカップルです。このカップル、前からそうだったんですが、妙に雄が雌を追い回していました。もともとカモはカップルで行動することが多いのですけれど、あんなに雌の後を追い続けている雄も珍しいと思って見ていたんですよ。
そして、二匹の雛が孵ったのですけれど、それから驚きました。ずっと家族で育児しているんです。

普通、雛が孵った後は、雄は離れていることが多いんです。この写真のように、雌だけが雛にぴったり寄り添って育児をしている姿を見慣れていました。ところが、雌を追い回していた白い雄は、ずーっとそのまま育児でも雌と雛たちに寄り添っています。雛たちは二匹しかいないのですがどちらも父親の色を受け継いだ黄色い子たち。
日本人みたいに「育児をするのなんて父親として当然でしょう。イクメンとかいって威張らないで!」という話でもないんでしょうが、変わったエンテ家族の姿に、通りかかるたびに癒やされている私です。
野性動物のいる生活

By derivative work: Massimo Catarinella (talk) Red_deer_stag.jpg: Mehmet Karatay (Red_deer_stag.jpg) [CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0) or CC BY-SA 3.0 (https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0)], via Wikimedia Commons
私は東京育ちなので、身近に野性動物はそれほどいなかったのですよ。まあ、鳥はいましたけれど、いわゆる動物は野良猫と、たまにドブネズミを見かけるくらいでしたっけ。
で、こちらに来てからは、さすがに田舎ですから、野性動物がものすごく身近にいるのですよ。狐、リス、ノスリ、鷹、ハリネズミ、イタチ、フクロウ、キツツキ、ヤマネ。この辺りは、東京でいう野良猫レベルでその辺に出没します。

この足跡は先日見かけた謎の動物のもの。雪の朝の楽しみは、こうした動物の足跡を自宅で見かけたりすること。こんなところにいるのですね。
ここまで近くには寄ってこないのですけれど、冬によく見かけるのがカモシカと鹿です。
先日、会社の飲み会の後で、私は素面だったので割と近くに住む社長を自宅まで届けたのです。その村は鹿の通り道で有名らしく「ここは氣をつけて」といわれたのですが、帰りに本当に遭遇しました。目の前をいきなり横切ったんです。
いやー、鹿って、本当に大きいんですよ。立派な角もあるせいで、普段見慣れている馬が可愛く見えるほどの巨大さ。こちらの安全もありますけれど、鹿を殺したりするのは寝覚めが悪そうでいやですし、それに轢いたらそのまま立ち去ることはできないのでいつ帰れるかわかりません。夜中にそれは嫌です。二メートルも離れていないところに飛び出されましたが、警戒していたのでスピードが出ておらず、ちゃんと停まれました。いやはや肝を冷やしました。
と、こんなこともありますが、通勤途中にカモシカの群れと目があったりするのはなかなか嬉しいものです。それに、我が家はとても静かな一角で、夜中はフクロウの鳴き声しかしないなんてこともあるのですよ。そういうわけで田舎暮らしがかなり好きな私です。
水辺に魅かれて

旅行に、通勤に、常にカメラを携帯していますが、「これを撮りたい」という光景は似通っているように思います。街の光景や美味しそうな食事、動物の姿、ちょっとした人びとの姿(顔が映らないようにしたりすることが多いし、ほとんど公開できませんが)の他に、多いなと思うのが水辺の写真です。
水に光が反射している、一瞬の光景に「あ」と思うことが多いみたいなのです。
スイスには海がないので、普段よく撮るのは湖や、沼、それに川などの写真ですね。
この写真は先日訪れたルガーノでの一瞬の光景です。
Herbstzeitlose(イヌサフラン)

この花、ご存知でしょうか。イヌサフランです。この小説にもでてくるように、実は猛毒の草で、サフランに似ているから「ラッキー」などといって食用にしたりしてはいけません。
というような話がしたかったわけではなくて、この花が意味することを。
ドイツ語では「Herbstzeitlose」と呼ぶのですが、訳すると「秋の時を開くもの」で、要するにこの花が咲くともう完全に秋だと決定的になる季節のバロメータになっている花なのです。
スイスで一番素敵な季節は、夏です。(ウインタースポーツ好きの方をのぞいて)
その美しく素晴らしい夏が終わった事を宣言するこの花は、ちょっと嫌われていたりします。
少なくとも私と連れ合いは、この花を見ると「うわぁ」と大騒ぎします。
実りの秋

夏を惜しんで、「この寒さは何かの間違い」と念仏を唱え続けていましたが、やはりとっくに夏は終わっていたらしいです。暦の上でももう堂々たる秋で、9月の頭からは狩りのシーズンが始まっているので、レストランでもスーパーでもジビエ料理推し(笑)
周りの植生もどんどん秋色になっていて、そろそろ今年のワインが準備される頃になってきました。
普段なら、こういう本格的な秋になる前に遅い夏休みを取って旅行に行くんですが、今年は日本に行く予定があるためにまだ休暇を取っていません。その日本行きも、まもなく。
せっかくですから日本の秋を存分に楽しもうと思っています。
芝生のお手入れ

日本と違って、スイスでは雑草がボウボウ生えているという光景はあまり見ません。ないわけではないんですが、氣がつくときれいに刈られています。
例えば公道でも数週間に一度芝刈りの車が通って刈っていきます。でも、すぐに回収しません。しばらく放置して乾かしています。そうなんです。刈った草は干し草にして家畜の冬のご飯にするんですね。
そういうわけで、わざわざ生やしてから一斉に刈り取るときもありますが、果樹園などそう簡単には刈り取れない所もあって、そんな時は夏の動物たちのレストランとなるわけです。
果樹の方も家畜の糞が肥料になるので一石二鳥。有機農法になるわけです。
ここのところ毎朝みかけるこの三頭の羊たち。キュートなので停まって眺めてしまいます。
空見に参加

この写真は今日の空見のものではありません。今日みた空は、後ほどアップする予定です。
私の住むグラウビュンデン州は、スイスの中でも特別に青空が綺麗な州なんです。低地(チューリヒとかルツェルンとかですよ)では、冬の間やたらと霧が多くて、空はどんよりという事が多いのですが、そういう所に住むお金持ちたちは、グラウビュンデン州に別荘を買って、この抜けるような青空を楽しみにくるのです。
この動画は、グラウビュンデン州の観光アピールなんですが(地元民しかわからないスイス方言ですみません)、アイベックスのジャンとジャッチェンが「あいつらこの下にわざわざ行くんだってさ」「し、下って、まさか霧の中に?」「そうなんだよ、俺たちも山も全然見えないのにさ」「あいつら頭おかしいんじゃないのか」と語っているんです。そこでナレーター「グラウビュンデンでは、霧はあっても温泉の中だけです。それにスキーパスもついてきますよ」とアピール。
今日の空見も、そういう風に晴れてくれるといいな。
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落葉松の秋

まもなく移住して15年になるんですが、住んで自然を眺めていると、同じ四季の移り変わりでも、同じ光景が繰り返されるのではないことがわかります。
花の美しい年もあれば、雪景色が感動ものの年もあります。その一方で、果物の収穫がいまいちの年や、シャッターチャンスを待っていたのにぱっとしない景色のまま終わってしまう年もあるのです。
今年は、2003年以来、ずっとなかった猛暑でした。まあ、日本と違って、クーラーがなくても乗り切れるのだから、大した猛暑じゃないでしょうけれど。その分、例えばラズベリーの出来はいまいちで、私の作るシロップを待っていた男どもをがっかりさせた年でもありました。
その夏が影響したのか、久しぶりに秋の黄葉が最高に綺麗になったようです。エンガディンの落葉松は有名ですけれど、これはもっと我が家に近いスプリューゲンの近くの光景。こんな美しい光景のすぐ側に住んでいるのだから、幸せだよなと思います。でも、この光景もいつまでも続く訳ではありません。天候や、時間が違えば、同じ年でも見られない自然。だから、一瞬の美しさを目に焼き付ける日々なのです。
立ち会った風景

よくブログに写真は載せていますが、私は写真に関しては初心者以下です。「行った」ということの証拠写真に過ぎないようなものも多いのですが、たまには目にしている感動を映し出したくてシャッターを切る事もあります。大抵は「なんだかなあ」になってしまうのですが。
デジタルの時代になって、写真を撮るのはお金のかからない趣味になりました。以前は24枚撮りを現像してもらって、プリントとしてもらうのに1200円くらいはかかったはずです。だから、どこへ行くのもカメラを持って「とりあえずシャッターを切る」という事はしなかったように思います。今は、動くものを1分以内に24枚くらいを連写で撮って、一番いいものを残すというような使い方もします。いらないのは消してしまえばいいのですから。
そういうわけで、私は家からでる時に大抵、愛機OLYMPUS SZ-31MRを持っていきます。このカメラを買うときに優先した事の一つは小さくていつでも持っていけるという事でした。
この写真を撮ったのは、何でもないある夕暮れ、連れ合いのバイクでアルプスの向こうに行った帰りです。名所でも何でもない、たぶんスイスにいたらよく見る事の出来る光景です。でも、時間が止まったような平和を感じる光景でした。
東京にいた頃に較べると、田舎生活でのんびりしているのですが、それでも普段は仕事に、家事にと動き回ってバタバタしています。そんな生活の合間に、こういう静かな何にも乱されない光景に面して、「きれいだなあ」と眺めるだけ、そんな時間を持つ事が好きです。
そして、それが意外と簡単に可能である、そういう環境にいる事を幸せだなと噛み締めたりするのです。
大好きな季節

なんどかこのブログでは書いていますが、スイスの春というのは感覚的にとても短いのです。日本のように少しずつ少しずつやって来て数ヶ月のあいだ「早春、春、晩春」と春を楽しむというよりは「まだ冬、かなりゆるめの冬」の後に、突然やってきて即座に終わる感じです。冬が七ヶ月、春は一ヶ月、夏が二ヶ月、秋が二ヶ月、そんな感じです。
もっとも、ここ数年に限って言えば、夏が夏らしくなくて、冬も冬らしくない感じなので、冬が七ヶ月という感じではなかったのですが。
それはそうと、本格的に春がやってくると、世界はほぼ一週間でがらりと変わります。我が家のダイニングの窓から眺めると、冬の間には敷地の向こうを歩く人がよく見える(つまり向こうからもこちらは丸見えな)のですが、この「春が来た」一週間の後には新緑で壁ができます。その緑の鮮やかなこと、本当に自然とは力強くて美しいものだと、毎年同じように感動しています。
通勤路の半分以上が牧草地です。こちらも新緑とタンポポで満ちます。桜、リラ、林檎、その他の数々の美しい花が咲き乱れています。「生きていてよかった」なんて感想を書くと「大袈裟な」と思うかもしれません。でも、実際にそのくらい心が昂揚します。
自然界には特別なエネルギーが満ちわたっているようです。それが、その間を通って行く私に影響しているといったら伝わるでしょうか。都会にも自然はありますが、この圧倒的な自然の驚異、西洋美術でよく見る春の女神の息吹が一瞬で世界に春をもたらすイメージは、やはり田舎ならではだと思います。

で、草原には家畜たちが放牧されるようになりました。牛、山羊、羊、馬。新鮮な草とぽかぽかの日だまりの中、のんびりと草を食べてから寛いでいる姿を見かけます。
私は、つい声を掛けながら通ってしまうのです。たぶん傍目から見たら、ちょっと怪しい人でしょうね。
冬の光景

ライン河も他の河と同じように、支流を集めながら大きい流れとなっていきます。そのうちの一つがヒンターライン(後ライン)で、これが我が家の側を通っているのですね。
そこらへんの渓谷も、もともとは氷河や河によって削られてできたもの。ですから、小さな滝や水の流れはあちこちにあるわけなのです。こういうことは、山岳部に住む人にとっては「何を今さら」なんですが、なんせ私は、ここに来るまで、東京にしか住んだことがなかったもので、あたり前の自然の姿にいちいち感動していたわけです。
で、これが、冬の谷の道。つららがびっしりです。通る時は、注意深く。地面が滑りやすくなっています。春先は、落っこちてくるつららにも要注意ですね。
突然の青空

この間の週末旅行の話。
私の住んでいる州は大ざっぱにいうといくつかの特徴的な地域が山で分断されているのです。特徴的というのは、ドイツ語圏の場所であったり、イタリア語圏の場所であったり、スイスでもこの地域でしか話されていないレトロロマンシュ語を話す人びとの地域だったり。谷の数はおよそ150。そして、それらの地域を分断しているのは「アルプス山脈」なのです。
で、電車に乗っていく時も、基本は登山電車になるわけです。「ベルニナ急行」もしくは「ベルニナ特急」などと呼ぶ方もいらっしゃいますが、時速30キロのエクスプレス(笑)新幹線などとは対極ののんきな旅をして行くことになります。
世界で三つ目に認められた、ユネスコ世界遺産指定の私鉄、赤いレーティシュ鉄道に乗っていく旅は移動ではなくてそれそのものが旅の楽しみでもあります。
で、仮にも四千メートル近いアルプスの峰々に遮られているので、山を越える前と後では全く違う天候が待っていたりするわけです。
私たちが帰って来た日、泊っていたイタリア側はまさに霧のスープの中にいるよう。数メートル先もよく見えないどんより状態でした。その中を電車はどんどんと登っていきます。登っても登っても霧の中なので、ずっとこのままだなと油断していたのです。すると、突然雲の上に出てしまったのですよ。
真っ青な空と、くっきりと空に映える白い峰。写真の下方に見えているのが、通ってきた霧というか雲。
スイスには冬の間、どんよりと霧に覆われてずっと暗い地域が多いのです。そういう所に住んでいると、心も落ち込んでいく人が多いと聞きます。私たちの住む州は、こういうスコーンと青空の広がる地域が多く、国内でも人びとが競ってきたがる場所です。その心持ちがよくわかりました。
青空と太陽、そして白く輝く峰。この光景は、値千金の贅沢です。
フルムーン列車の旅

木曜日から、週末延長旅行中です。三月末までに有休の残りを消化しないといけないんです。せっかくなので、一度行きたかった「フルムーン列車」に乗る旅にしてみました。満月前後の週末に、雪に反射した月光の中、アルプスの山の中を走る列車なのですよ。そして、山頂近くでチーズフォンデュです。
それだけではもったいないので、アルプス以南でお泊りします。ものすごい寒波がやってくるって聞いているんですが、さてどうなることでしょう。
※この記事は予約投稿です。
聖マルティニーの前に
この下からが、本日の本文です。

26日は10月最後の日曜日でした。この日は、サマータイムが終わって、通常時間に戻る日です。サマータイムの是非は別として、このタイミングは個人的に納得なのです。
日の出の時間がどんどん遅くなって、ちょうど家を出る頃が「まだ暗いんだよね」になってくるのがこのあたり。上の写真のように、家を出てちょうど日の出ですか、という感じになるのですね。これが、サマータイムが終わって、一時間遅く家を出られるようになると、またしばらくはお日様が出てから通勤できるようになります。
もちろん、その分日の入りは早くなるのです。で、これからクリスマスに向けて、「朝も真っ暗、帰るときも真っ暗」になっていくわけです。でも、それもクリスマスまで。そこから先は、また「どんどん明るくなるぞ」という希望の日々になります。

さて、この写真は、先週の木曜日の朝。雪が我が家にも降りました。このあたりの農民の間の言い伝えで「聖マルティニーの日(11月3日)の前にライン河底まで雪が降りたら、その冬は半分終わったも同然」というのがあります。雪が早く来ると、暖冬になりやすいらしいのですね。13年この辺りに住んでいますが、だいたいあたっています。
去年の初雪は10月10日で、言い伝えに違わず、とんでもない暖冬でした。ということは、今年も暖冬になるのかな。さて、どうなるでしょう。
黄色い秋
というわけで、この週末は、三つの作品を書いていたので、みなさまのブログで読ませていただいた記事や小説へのコメントが遅れています。本日以降、順次書かせていただきますので、ご理解くださいませ。
また、小説連投のため、小説に興味のない方には大変申し訳ありませんが、次の小説でない記事は28日になります。ご了承くださいませ。
本日の本題は、久しぶりに「美しいスイス」カテゴリーです。

この写真は、上下とも昨日わたしの住む州で撮影したものです。上が我が家からアルブラ峠に向かう途中のもので、下はサン・モリッツ湖のもの。
前回の記事で発表した「ウィーンの森 — 金と銀のワルツ」にも登場させたように、私は秋の黄色く色づいた樹々という光景が好きで、時々作品に書き込んでいます。
ちなみに、昨日は連れ合いのSUZUKIで周ってきましたが、「落葉松の交響曲」という(私)小説で書いたそのままのルートでした。

この光景は、毎年シーズンの終わり、つまり「バイク納め」の時に見る事になります。間もなく長く厳しい冬がくることが分かっているのですが、その前に世界がこれでもかと言いたげに美しく輝くのですよね。
かつて私は秋が嫌いでした。秋がというか、冬の訪れの予感が嫌だったのです。でも、今は秋を楽しむようになりました。その時々の嫌なことを思うのではなく、かけがえのない一瞬の美しさを楽しめるようになりました。この美しさは天からの贈り物ですよね。
この丘に
で、今日の本題は、私の第二の故郷の話。

私は日本生まれで日本育ちの日本人です。今のところ日本国籍で。スイス人の連れ合いと結婚するためにここに移住して13年以上経ちました。
結婚とは、家族ではない見知らぬ人間と一緒に暮らし、その人と家族になっていくことです。一般に「三年もてばなんとかなる」「七年もてば後は大丈夫」などと言いますが、まあ、そういうものだと思います。三年ぐらいで自分が相手とその環境を知り、七年ぐらいの間に歩み寄れる所は歩み寄り、諦められる所は「どうでもいい」という境地に達する。それがなんとかなればあとは何十年も添い遂げられるんだろうなと思えるようになりました。
で、そうなると、私はここにずっといるんだなと。それまでは何をするにしても「でも、いつまでいるかわからないからな」と考えていたんですよ。それが、私の余生はこのスイスの、具体的にいうとこの村で送るのだなと思うようになってきたわけです。
この写真は、私の住まいの裏手にある丘です。この小さな教会には墓地があって、村人はここに埋葬されるのです。で、自分で思うわけです。ここかと。ここに骨を埋めるのかと。
いま現在、持病があるわけでもなく、だからなんらかの悲壮感があるわけでもないのです。ただ、ここか、そんな風に思うわけです。
家族も友達も日本にいるので、たまには里帰りするんです。で、それからスイスに「戻ってくる」のです。いまの私には「帰国」というのは日本に行くことでもあるのですが、スイスに帰ることでもあるのです。その割合がかなり後者に移ってきている、そんな状態です。
考えるのは日本語だし、読むものも日本語が一番楽です。日本人としての誇りもあるし、それをなくしたいとは思っていません。でも、関東の人間が関西に嫁いで、だんだん関西に馴染んでいくように、スイスのこの地が私の第二の故郷になっているのだなあと思うのです。
いつの間にか大人になってた

最初に黄色い子に氣がついたのが7月9日。この写真だと左上ですね。生まれて数日だと思うんです。それから右下の姿の写真を撮ったのが9月20日なので80日もしないうちに、成鳥になっちゃうんだとびっくりです。
どうですか、堂々たるカモになりましたよね。もはや、大きさでもお母さんとあまり変わらないんですよ。来年もまた次世代の黄色い子が生まれるのかな。茶色い子たちも、無事に大人になったようです。自信がないのは、黄色かった子たちほど周りのカモと見分けがつかなくて……。
続報・黄色かった子

ずいぶんと大きくなりました。黄色い子は白くなるんですね。だいぶ白くなってきました。元氣に毎日動き回っていますよ。お母さんカモは、この白い子に近い感じの色。池に数匹だけいるのです。白いカモ。残りはいわゆるデコイという感じの茶色と緑のマガモ、メスは茶色ですね。
毎朝、近くの農家のおじさんがパン屑を撒くんですが、わーっとよってきて食べる様子が可愛いです。
黄色いのはいったい?

今年はやたらと早くに五匹生まれたっきりで、もう生まれないのかと思っていたら、例の通勤路にあるカモのお池でまた雛が孵っていました。
しかし、なぜか二匹だけ黄色い。同じ母親から同じ色の鴨が生まれるわけじゃないんだと、驚愕しています。
あ、「みにくいアヒルの子」式に一匹だけ不格好ということはありません。黄色い子もラブリー。茶色い子もラブリー。
今年も生まれた

通勤路が変わって二度目の初夏です。いつも通る池でまたマガモの雛が生まれていました。去年より少なくてまだ五羽です。でも、ほかのメスから生まれるかもしれませんしね。経過を見守りたいと思います。
野生なので当然ですが、近づくと逃げます。でも、近づかないと写真は撮れません。もちろん望遠という手もあるのですが、望遠で動くものを追うのはかなり難しい。だから、このくらいそれらしく映る写真を撮るのは本当に難しいのですよ。一日中、池の側に陣取ってればいいかもしれませんが、仕事にも行かないと(笑)
こうやって、可愛いと騒いでおきながら、つい最近、鴨肉のローストなんてメニューを書いたような……。すみません。実は好物です。ごめんなさい!
【お報せ】
44444Hitが近づいてきました。代わり映えしませんが、みなさまからの記念リクエストを募集しようと思います。過ぎてからの早いもの順で三名様から承ります。やり方はいつもと同じで、「お題」「指定キャラ」「(リクエストをくださった方の)オリキャラとのコラボ」などをご指定ください。
馬との遭遇

あまりにいつものことなんで、記事にするのも忘れていましたが、通勤路でよく乗馬をしている人たちとすれ違います。いつも同じ人ではないですね。どの方もギャロップなどはしないで、ポクポク歩いているだけですが。走られたら危険ですよね。草原じゃないので。
大人は大きい馬に、子供はポニーに乗って、とことこと歩いてきます。平日でも多いのでよくある趣味なのでしょう。日本にいた時の私には乗馬とは金持ちのみに許される贅沢という勝手なイメージがありましたが、こちらではそうでもない様子。馬を飼っている農家もかなり多いです。
馬は驚きやすいので刺激しないように停まったり、かなり離れてゆっくりとすれ違ったりします。
そういえば、のんびりと歩いている牛の群れともすれ違ったりするなあ。どこまで田舎なんだか。
幸せなひと時

私は自転車通勤です。自宅からカタツムリのようなトロさで片道20分程度を毎日キコキコ漕いでいます。その通勤路が輝くように美しいこの季節が大好きです。新緑が目に嬉しいし、たまに牛や羊がぼーっと草を食んでいる平和な光景にも出くわします。たった二ヶ月前にはここが雪原で、野生の鹿が走っていったなんて嘘みたいです。ああ、いい季節になりました。

そして、林檎の花も満開になりました。桜も好きですが、やっぱり、林檎は綺麗です。この蕾のピンクと花の白さ、葉の可愛い緑、組み合わせがたまりません。大好きです。実はスイスに来てはじめて見た花でもあります。東京のその辺には林檎の花は咲かないですよね。

雪山と満開の花、黄色い絨毯みたいな野の花。コントラストがたまりません。これはランチタイムのお散歩中にパチリ。田舎暮らしはやめられませんね。眼福とはこのことだなあと思いながら歩いておりました。
霧の季節

ブログのネタ探しにこの時期の写真を歳をまたいで見てみたら、氣付いた事があります。霧の写真が多いのです。
実は、スイスの他の地域に住んでいたら霧なんて珍しくないし見たくもないと思うのですよ。この時期から春になるまでずっとどんよりしょっちゅうスープみたいに深い霧に覆われるというのがふつうのパターンらしいからです。でも、私の住んでいるグラウビュンデンは違うのです。スイス中が霧の中でも、ここだけは真っ青な空というパターンが多い。基本的に私にとって霧とは写真に撮りたくなる珍しい光景なのです。
山道で霧だなあと思いながら通り過ぎたらしばらく下った所で「ああ、あれは雲だったんだ」と認識する事がよくあります。霧の中にいるのと、雲の中にいるのは、その場にいる者にとっては違いがなくて、自然現象としても同じものなんですよね。その事から、霧が出ると「ああ、私は山に住んでいるんだった」と思い出すわけです。
それでも、珍しいので写真を撮ってしまう。そして、ふいに認識する。これってこの季節の特徴的な現象なんだと。
フランス革命の時に設定された暦でも、この時期はBrumaire ブリュメール(霧月)というのですよね。
実りの季節

春のリンゴの花をお見せしたのは五月の今ごろでしたか。それが今ではこんな感じになってきました。
このへんの人たちはよくリンゴの木を植えています。農家が作物として植える場合も、ただの庭木として植える場合も作業にあまり差は見られません。日本だと一般の農家は大量に農薬をまいて、受粉も手でやって、花の間引きをして、実にカバーをかけてと、ものすごく手間をかけているようなのですが、こちらではそこまでの作業が皆無なのです。肥料は根元で放牧させた牛の糞、草刈りも牛が食べているのでなし。水すらやっていません(ジーザスよろしく方式?)。受粉はもちろん昆虫まかせで、間引きもしなければカバーなんて存在も知らないことでしょう。
で、出来上がるリンゴはもちろん小振りだし、蜜も入っていません。色や形も不揃いですし。だからお店で買うリンゴと、そこら辺に落ちてくるリンゴに差はないのです。自分の家にリンゴの木があればそれを食べていますね。
無農薬なので、皮をむく人もいません。ぱきっと木からもいで、もしくは落っこちていたのを拾って、ジーンズにこすって泥を落としてそのまま齧っています。私? 私もそうですよ。あ、人の庭木からもいじゃダメですよ。スイスではそれは許可がないとダメです。
北へ、南へ、ここからはじまる

久しぶりにここを通ったので、写真を撮りました。二つの池のようなものが写っていますよね。一つは濃い青で、もう一つは緑白色。どちらも天然の水の色なのです。今は、混ざらないように壁で区切っているのでくっきり分かれていますけれど。
これはベルニナ峠にある分水域です。この濃い青の水からはじまる川はいずれはイン川に流れ込み、ドナウ河に合流して黒海へと流れていきます。そして緑白の方がアルプスの南へと流れていき、やがてはポー川になるのですよ。ヨーロッパの歴史を彩った川がどちらもここからはじまるんだと思うとワクワクします。
え。そうです。ただそれだけのお話。
建国記念日ですよ

今日8月1日はスイスの建国記念日ですよ。スイスではどこでも花火をあげたり篝火をたいて盛大に祝います。
1291年のこの日に、ウリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンという三つの国が誓約同盟を結成したのが現在のスイスのもとになっているのです。「ウィリアム・テル」の伝説(この人は実在しませんけれど)にあるように「ハプスブルグ家の圧力に負けずに自治を守るためにお互い協力しようね」の約束ですね。
もう、国中、スイス国旗だらけですよ。どこかの国のように国旗を掲げるだけで悪いことをしているように騒ぐ国民はいませんね。純粋に「VIVA! 独立」という感じです。
私にとっても、この日はありがたい日。なんせこの国やけに勤勉で祝日がウルトラ少ないのです。日曜日に重なっても振替休日もないし(号泣)そういうわけで、今日の祝日を楽しみます。次の祝日は、クリスマスです(笑)
ただの散歩道

週末の晴れた日に、家から十数キロ歩いて、レストランのテラスに行く、それだけのことをするのです。周りには特別なものもなくて、レストランにも特別なメニューはなくて、刺激的な都会生活とはまさに正反対な牧歌的な生活。それはある人には退屈でしかないのかもしれませんが、私には最高の贅沢に思えるのですよ。
見渡すかぎり、美しくないものが何もない。青空と心地いい風と、眼に鮮やかな緑。ここで暮らせて本当によかったなと思う瞬間です。
お披露目されたばかり

日本のリアル友人は一ヶ月以上前に「カルガモの赤ちゃんがかわいい!と騒いでいたのですが、私が毎日通るカモの池には成鳥しかいなくて、今年はもう生まれないのかと思っていたのです。
ところが先々週あたりから、急にこのようにひな鳥オンパレードになっていました。そして、その数も半端じゃないのですよ。一羽のは羽鳥から七、八羽なんて不思議じゃないと思うのですが、一羽で田舎の小学校の一学年分くらい連れているんですよね。数えたわけではないんですが、20から30羽くらいが一羽の雌ガモを追って泳いでいる。「もしかして、これは保育園か?」なんて思いながら、微笑ましく眺めていますよ。
おとぎ話のような……
「scriviamo!」の時の「君をあきらめるために」で恒樹は勝手にあちらの世界に潜り込みミツの兄の栄二も同じ高校に通っている事にしてしまいました。それから「ロンドン便り」では恒樹&リナが出会っているという無茶をしたのですが、今回紗那さんはリナとミツをヒロインたちのお買い物シーンに登場させてくださったのです。紗那さん、本当にありがとうございます。大好きな「Love Flavor」の世界に入り込めて二人も私もとても嬉しいです。紗那さんの素敵なラノベの世界を、みなさんもぜひご堪能くださいませ!
紗那さんの作品: Love Flavor 004 : "そっか。じゃあ、ウチ来る?"
で、この下からが本日の本文です。
数年前でしょうか、かなり前の事でした。でも、この時期の話です。例によって自転車をキコキコとこいでいると向こうからこんな馬車がやってきました。

結婚式のカップルを乗せるためだと思うんですよね。さすがにヨーロッパの田舎とはいえ、21世紀に馬車が普通に乗り合いとして使われているわけはありません。観光か、それとも結婚式ぐらいです。
とはいえ、その馬車と周りの光景には違和感がなく、とても素敵だったので、思わずシャッターを押してしまいました。
日本で、結婚式場にセットされたゴンドラに乗って登場するような演出は、演劇がかっていて恥ずかしくなってしまうのですが、ここまで世界に溶け込んでいる演出なら乗ってみたいなあと、ちょっと思いました。とはいえ、私の結婚式は、とうの昔に済んでしまっていて、しかも、ほとんど何もしなかったのでほんの少しだけ心残りなのですよ。まあ、周りで派手に式を挙げた人たちがことごとく破局している中で、なんだかんだいってずっと連れ添っているんで、結婚式の演出の事でぶちぶちいう必要はないんですけれどね。
リラの花咲く頃

宝塚で有名な「すみれの花咲く頃」という歌、ドイツ語やフランス語だと「リラの花咲く頃」であるのはご存知でしょうか。日本でスミレが咲くような時期はまだ少し肌寒さが残り、その時期に出会った少女との仲もまさに「清く正しく美しく」の清潔感の漂う、いかにも日本的浪漫のイメージですが、「リラの花咲く頃」となると少し違います。
日本の、私の知っている東京の春は、二月の沈丁花や梅からはじまって、じわじわとやってきます。三月いっぱいを使って三寒四温という感じでゆっくりと春になっていきます。それが恋とも友情とも言えないような淡い想いを抱える爽やかな出会いに似ているし、今はともかくかつての日本ではそういう淡白に見える関係からじわじわと愛が育った、そんなイメージがあるのです。
こちらの、私の今住んでいるスイスの春はそういうものではありません。昨日は冬なのに突然爆発するがごとくやってくるのです。ある時は一日で、長くても一週間でやってきます。ありとあらゆる花が、申し合わせたかのように花ひらき、香りに満ち、世界が鮮やかな色彩に溢れます。そのパワーと力強さは信じられないほどです。
「大道芸人たち Artistas callejeros」で、ヴィルが蝶子をたとえた花はこのリラでした。すみれのようなおしとやかな花ではなく、溢れるばかりのパワーを秘めた香り高い花。そう、私の大好きな花なのです。
春だから、注意しましょう

これ、わかります? 冬眠していたカエルが出てくるから、ひかないでね、という標識です。確かにこの時期はカエルやら、蛇やら、いろいろ轢かれてしまいがちなので、運転する方も氣をつけるべきなんですけれどね。わざわざ公式に立てるのかとびっくりしたわけです。
鹿の飛び出し注意というような標識は前からよく見ていて、それは事故が起きると車に乗っている方も危険だからだと思っていました。でも、カエルは確実にカエルのことを心配しての標識です。優しい。
田舎だから、平和だから、他にやることがないから、なのかもしれません。そうであっても、この心に余裕のある交通標識の世界はいいなと思います。なごみました。
復活、おめでとう

今日は、復活祭です。クリスマスと違って、さほど日本ではイベント化していないのは、毎年日にちが変わって、「この日に予約して彼女(彼)と過ごそう」という予定を立てにくいからか、もしくは春は日本では忙しいのでイベントどころではないからなのか。いずれにしてもクリスマスのように本来の目的とはかけ離れた商業イベントにはなっていません。
なぜ毎年日付が変わるのかというと、「春分の次の最初の満月の次の日曜日」と決まっているからです。その前の金曜日(聖金曜日)にナザレのイエスは磔刑で命を落としましたが、三日後の日曜日に甦ったと聖書に書かれており、その「キリストの復活を祝う日」というのが公式の理由付けとなっています。そういうわけで、もちろんキリスト教国にだけある祝日です。(ちなみに教会がグレゴリオ暦の使用を拒んでいる正教会の国ではユリウス暦をもとに算出するので、今年の復活祭は5月5日だそうで)
ただし、クリスマスがキリスト教以前から祝われていた冬至の祭りと縁が深いように、復活祭は春を祝うお祭りと解釈するのが妥当でしょう。春の訪れは、冬の間に死んだようになっていた大地から、次々と生命が甦る、まさに復活の時期です。この時期、生命の象徴である卵を食べて祝うです。
そして、偶然ですが、今日は三月最後の日曜日なので、ヨーロッパではサマータイムの始まりです。時刻が一時間早まります。仕事の後に日光を楽しむ時間が増えるのです。
サマータイムと通常時間の切換は三月と十月の最後の日曜日の夜中の二時に起るので、私たちが意識することはあまりありません。もちろんアナログの時計は自分で一時間進めたり戻したりしなくてはならないのですが、私の場合は、朝起きてiPhoneのエアプレーンモードを解除すれば、勝手に正しい時間に変わります。ただ、日曜日に仕事をしなくてはならない人や、この日に夜行電車に乗らなくてはならない人は注意が必要です。下手すると一時間の遅刻になってしまいますから。
ノスリが飛んだ
新しいカメラの一番のポイントは、ポケットに入る事です。シャッターチャンスはいつめぐってくるかわかりませんからね。

数週前の土曜日に、義母が半泣きになって、連れ合いの所に電話してきました。散歩の途中に野鳥が怪我をしているらしく飛べないというのです。で、彼と私が見に行った所、確かに飛ばずにウロウロしているノスリがいます。ただ、私たちはちょうど知り合いとレストランで待ち合わせをしていて、時間がありませんでした。で、専門家に電話して様子を見てもらうという事にしました。
知り合いと別れた後、義母に電話した所、「専門家が言うにはいなかった」ということで、連れ合いが暗闇の中、懐中電灯を持って見に行きましたが、やっぱりいなかったらしいです。
で、翌日、また義母が「同じ所にいる」と言うので、私たち夫婦と、再び呼び出された専門家が行くと、そこにはいませんでした。もう少し離れた所にじっと座っているのがいたので、連れ合いが近寄ってみると、それは普通に飛んでいきました。それが、この写真のノスリです。望遠を最大にしたので、若干ぼけていますが。
専門家曰く、ノスリは飛べるのに、ぼーっと座っている事も多いそうで、今回は義母が早とちりして騒ぎすぎたみたいです。まあ、ノスリが無事でよかったということで。
こういうふうに、この辺りの人びとは、野生生物に優しいですね。田舎なので、いろいろな野生生物がいます。鹿や山羊の仲間、狐、兎、イタチやリスやハリネズミなどはごく普通に目撃できますし、鷲や鷹、フクロウなど猛禽もよく見られます。
いよいよ、本格的に……

ちょうど零度などという温度は、まだ序の口なのです。ようやく冬らしくなってきたなと思うのが、マイナス8℃前後ぐらいからでしょうか。へらへら外にいると、防寒を突き破って手足がかじかんでくる、という温度ですね。これがマイナス15℃を下回ると、「下手すると凍死しちゃう!」と思う寒さです。自転車で我慢できるのが15分程度ですね。てくてく歩いていたりすると、やはり15分くらいでカフェにでも入って暖をとらないとまずいことに。
この辺だと毎年いってもマイナス20℃ぐらいなのですが、場所によってはマイナス30℃なんてところもあります。シベリアではマイナス30℃というのは「冬にしちゃ暖かい」んだそうで。人間はどこまで環境に順応してしまうのか、驚きますね。
冬には冬の美しさ

私が子供の頃に冬が嫌いだった一番の理由は、しもやけでした。冬になるとかならず手足が1.5倍の大きさにふくれてしまっていたのですよ。暖かい室内ではパンパンにふくれて菓子パンみたいでした。かゆくてかゆくて何にも集中できませんでしたね。また外では青紫になってしまい、痛かったのです。途中からはあかぎれになって……。たぶん、血の巡りが悪かったのでしょうね。学校に行ってもみっともなくて恥ずかしくて、いたたまれなかったものです。
今は、足が少し赤くなることもありますが、手は大丈夫です。東京の寒さなど鼻で笑えるほどの低温になるし、冬自体も二倍くらい長いのですがなのですが、大丈夫なのですよ。
そういうわけで、冬は冬で楽しめるようになりました。
田舎の素晴らしい所は、雪が綺麗なところですね。東京だと、翌日には「汚れちまった雪」になってしまいますが、こちらでは大草原に降った雪が数ヶ月真っ白なままだったりもします。(もちろん低温が続いた場合だけですが)森の中で、野生の鹿が駆けていく姿に遭遇したり、きゅっきゅと雪を踏んで散歩をしたり、楽しみが色々あるのです。誰も聴いていないときには「うぉーきんぐ いんな うぃんた わんだら〜んど」とやりますね。
クリスマスを待ち望む

デパートはこうなっています。各家庭のクリスマスツリーにかける情熱は、たぶん日本よりも強いんじゃないでしょうかね。基本は本物の樅です。ですから、ツリーを飾るのは早くても12月22日ぐらいです。けれども、我が家のツリーはプラスチックのものを毎年使うので12月に入ったら飾り付けをはじめます。
「あらまほし」とされているツリーには、本物のロウソクがつけられますが、私はそんな事をすると火事が恐いのでまたしても邪道の電球。
ツリーの飾りはいろいろあるのですが、毎年少しずつ買い足したりして楽しんでいます。本当に色々な種類のものが売り出されていて、見ているだけでも楽しいのです。
この時期は、日々日照時間が少なくなり、実に暗くて寒いので、人々は心からクリスマス(冬至)を待ち望んでいるのです。みんなで集まって食べて飲んで、ツリーを飾り、薪の火を眺めるんですね。
スイスらしい雪山

これは、グラウビュンデンのてっぺんを通るベルニナ急行の車窓から撮った光景です。たぶん、ピッツ・ベルニナ。でも、確かではありません。
もう、バイクの旅は難しくなってきたので、しばらくは遠出をするのは電車になります。車窓から眺めれば、凍える事もなく、雪山の光景もとても美しい。今年もスイスの冬も楽しもうと思っています。
寝ているには惜しい
この建物、何だと思います? 教会、修道院? そう昔は修道院だったのです。今は病院なのです。

写真だと、私がびっくりしたインパクトが伝わっていないような氣がします。門構えといい、秋の美しい樹々の様子といい、カフェテリアの横を流れていくライン川の光景といい、あまりの美しさに訪れた当初の目的を忘れそうになったほどです。そう、私たちはお見舞いに行ったのです。
病院と言っても、ここには大手術をするような施設はありません。そういう病院はもっと近代的な建物です。でも、術後の経過を見る、もしくはリハビリ目的で入院しているような人たちは、近代的な建物である必要はなくて、むしろこの美しい、静謐な空間でゆっくりと癒されていくのは素晴らしいことだと思います。
趣だけではない、けれど機能だけではない、そのバランスの作り方が、この国は本当に上手だと感心します。そう、スイスなので、たとえ昔に建てられた古い建物であろうと、超がつくくらいに清潔です。
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
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シヨン城のお話
早速 リクエストさせて 頂きます。
バイロンの詩集 「シヨンの囚人」 の舞台になった シヨン城
其れと ムゼック城砦の時計塔等の スイスの建築物に付いての記事を
読みたいです。
で、まずは、シヨン城について。といっても、全然詳しくないんです。たぶんウゾさんと知っている事は同じ程度。旦那の生まれ故郷から帰ってくる時にバイクで横を通るので、何度も目にしているのですが、なんせ誰かが停まってくれないので写真もないじゃない! で、WikiMediaのフリー画像をリンクしておきますね。

Gustave Courbet [Public domain], via Wikimedia Commons
さて、おさらいしてみましょう。モントルーにあってレマン湖に浮かんでいるこのお城は現在のフランス、イタリア、スイスの一部にまたがるサヴォア王国のお城でした。その地下牢に修道院長フランソワ・ボニヴァールが六年間繋がれていたのです。それを19世紀にバイロンが「シヨンの囚人」という詩に謳って世界的に有名になった訳です。
もう少し掘り下げてみましょう。サヴォアは、ジュネーヴとは時々戦争なんかもしていた国です。いまでも、ジュネーヴではサヴォアの急襲をスープで撃退したという「エスカラード」のお祭りを毎年祝っています。で、ボニヴァールはジュネーヴの宗教改革と独立を支持したので捕まえられてしまったのです。それをベルンをはじめとするスイス連合軍が解放したのという宗教改革とスイス独立を象徴するお話なのですね。
スイス人のプロテスタントの方々は、カトリックと王制や貴族制が嫌いなので、宗教改革や抵抗してスイスが勝ったという話が大好き。「そんなに鬼の首を取ったように……」と思う事もあったり。まあ、そんなわけで、「シヨンの囚人」もその手のスイス人の大好きなストーリーである訳ですね。
とはいえ、私だけでなく、本当にお城を訪ねたというスイス人が周りに全然いないので(遠いんですよ、要するに)、中がどうなっているのかは謎です。たぶん、ボニヴァールが繋がれていた地下牢も見学出来ると思います。バイロンの肖像のついた「シヨンの囚人」ワインもここで買えるとか。周りには葡萄畑が広がっているので、きっと美味しいんだろうなと思います。
行った事のある方は、ぜひコメントで教えてくださいませ。
Japanisch - 園芸のブーム

これはもちろん日本からの輸入種で、一般にJapanisch Ahorn、つまり日本の楓と呼ばれています。楓はこちらにもあるのですが赤くならないし、もちろんメープルシロップも採れない種のものしかなくて、まあ、そこら辺に生えているのですが、とくに注意が向けられる事もありません。氣がつくと葉っぱが落ちて冬眠に入っている。でも、日本種は鮮やかな紅葉を見せるので、近隣の注目を集めます。
田舎だけあって、園芸に命をかけている住民は多く、競ってエキゾチックな植物を植えたがります。で、人氣のあるものにはなぜかJapanischとついているものが多いのです。雪柳、木瓜、八重桜、藤、石楠花、小手鞠など。また、菖蒲や紫陽花など「日本の」とはついていなくても日本起源のものもよくみかけます。
もちろん、日本の庭園のような侘び寂び、菖蒲が八つ橋とセットになっているようなお約束もまるでないので、全く日本的ではないのですが、それでもこの楓の紅葉のように、きゅっと心を締め付けられる事があります。
葡萄畑を眺めながら

レマン湖を見渡す小高い丘に、葡萄畑がずっと広がっています。秋になると、農家の人たちが畑の一角に東屋のような小さな場所を設けて、そこでワインをとても安く飲ませてくれるのです。ワインを買ってくれる事を期待しての半分試飲みたいなものでしょうか。
たとえば、エペスの白ワイン。癖がなくて飲みやすいです。スイス全土で好まれています。レマン湖では淡水魚を沢山食べますから、白ワインは大活躍するでしょうね。
どこまでも続く葡萄畑の間を、ドライブして行くのはとても氣持ちがいいのです。ロザンヌやニヨンあたりにいらっしゃった方は、ちょっと足を伸ばして、こんな風景を楽しむのも悪くないと思いますよ。