サンドメンヒェンの話

Bundesarchiv, Bild 183-1984-1126-312 / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 DE, via Wikimedia Commons
『砂男』って、ご存じでしょうか。私はかつて『ホフマン物語』に興味を持った時に芋づる式にE.T.A.ホフマンの『砂男』を知ったんですけれど、背景を知らずに読んだのでグロテスクかつ不気味な内容に怯えてしまいました。繊細な男性が発狂しては元に戻り、最終的に死んでしまう話でした。(端折りすぎ?)
砂男は、ホフマンの小説にも出てくるとおり「眠らない子供の目玉を奪っていくヨーロッパの妖精」なんですが、要するにドイツなどの子供たちは(昔は)「さっさと眠らないと砂男がでるよ!」と脅されてベッドに向かったようです。
そういう恐ろしいイメージの妖精なので、私がよく知っているかわいいキャラクターが同じ出自だとずっと氣がついていませんでした。
画像は『Unser Sandmännchen(わたしたちの砂男ちゃん)』という人形劇シリーズの写真です。白黒であることからわかるように1959年から続く長寿番組で、だいたい10分くらい心温まる子供たちとの交流が描かれる、教育TV的な人形アニメです。いろいろなパージョンがあるのですが、後半で「砂男ちゃん、砂男ちゃん、まだ早いよ」という歌『サンドメンヒェンの歌』が必ずバックで流れるんですね。最後にサンドメンヒェンがキラキラ光る砂をまいて、子供たちは目をこすりながら別れを告げるというお約束がついています。
この番組が始まってから、おそらく砂男はヨーロッパの子供たちにとっては怖い魔物ではなくなったようです。
私はこの東欧風の番組が大好きで、偶然これが流れると全てを止めて見入ってしまいます。癒やされますよ。ホフマンの『砂男』と同じだったと氣がついたときには、かなり衝撃を受けました。
そういえば、睡魔がなぜ砂男なのか不思議に思っていたのですが、「魔法の砂が目に入るので目をこする」という設定の模様。
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サン=サーンス 交響曲第3番『オルガンつき』

Nadar, Public domain, via Wikimedia Commons
毎年3月になるとひたすらリピートする交響曲があります。カミーユ・サン=サーンスの交響曲第3番『オルガンつき』です。クラシック音楽をめったに聴かない方でも、もしかすると第4楽章だけは聞き覚えがあるかもしれません。子豚が大活躍する映画『ベイブ』でテーマ曲になっていましたから。
私がこの曲を3月限定で聴くのは、20年以上前に鬼籍に入った父が亡くなる少し前に聴きまくっていたからです。父が急逝したのは3月の終わりでした。彼はコントラバス奏者だったのですが、どういうわけかオルガンも大好きで日本にはないような文献も集めているのでオルガン研究者が資料を借りに来るくらいのマニアでした。そして、凝り性で、その時に好きな曲はエンドレスリピートをする人でした。音楽の才能は全く受け継がなかった私ですが、このエンドレスリピートだけは、父譲りなのかもしれません。
さて、そんなわけで3月に入ると(のこりの11か月間はすっかり忘れているくせに)追悼と称してこの曲を聴くわけです。でも、それ以外の時期は全然聴かないので実はサン=サーンスについてあまりよく知りませんでした。
調べてみたら、去年が没後100周年だったようですね。どうやらダ=ヴィンチばりの多角的な天才だったようで、2歳半で作曲をはじめたたクラシック音楽だけでなく、詩人戯曲作家、天文学者、哲学者、考古学者、民族学者、ジャーナリストとどこまで手を出すんだというものすごい活躍ぶりで、そのうちの多くで成功しているのです。
エスプリの効いていた人らしく、私の大好きなもう1つの作品である『動物の謝肉祭』では、キレッキレのジョーク精神も発揮しています。じつは、この中の『象』は、裏方にされがちなコントラバスがメインで活躍できる貴重な作品で、父が家で練習していたのを今でもよく思い出します。それで彼はさらにサン=サーンスびいきになったのかもしれませんね。本当のところは知りませんが。
前回小説で題材としたシューベルトにしろサン=サーンスにしろ、こういう名曲をプライヴェートのコンサート用にサラッと書いてしまうのはすごいなあと思います。
さて、『オルガンつき』に話を戻しますけれど、私はこの曲を生では聴いたことがありません。 スイスに来てからは田舎に引っ込んでいるので演奏会そのものもほとんど行かないのですけれど、日本にいたときにも全然聴かなかったのは、たぶんこの曲が父親追悼の専用曲になってしまっているからでしょうね。
それに、そもそも、日本ではあまり演奏されませんよね? パイプオルガンがないと演奏できないので、ホールが限られるせいかもしれません。
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時代劇音楽は殺陣シーンがベスト
すでに何度か冗談小説を書いたり、記事で公言しているのでご存じの方もあるかと思いますが、私は昭和の時代劇が大好きです。
昭和の時代劇のファンといっても、ざっくり分けると3タイプがあって、これを間違えると同じようにキャーキャー騒げないなと思っているんですけれど、それはこんな感じです。
- 『鬼平犯科帳』『大岡越前』系の重厚で荒唐無稽ではないタイプ
- あり得ない設定つきで楽しむ系
『暴れん坊将軍』『遠山の金さん』『水戸黄門』『3匹が斬る』など - 『必殺』
なぜ『必殺』を分けたかというと、どういうわけか「『必殺』以外は興味なし」というタイプのファンが一定数いるから。どんなお好みもその人次第ですし、それに対して説得をしようなどとは思いません。でも、私も『必殺』は好きでしたけれど、他のよりもずっと好きということはなかったな。
そして、おわかりのように、私にとっての「昭和の時代劇」には、NHK大河ドラマや、年末の定番『忠臣蔵』は入っていません。あれはあれで好きですけれど、私にとってはあれは言うなればジャズとボサノヴァくらいにジャンルの異なるエンターテーメントなので、今日の話題とは関係ないということで。
で、本題。私の好きな『昭和の時代劇』のほとんどは上の「2. あり得ない設定つきで楽しむ系」です。8代将軍が火消しのところで居候したり、天下の副将軍が全国行脚して悪代官を懲らしめて回るなんて、小学生の私だってあり得ないと知っていましたよ。それでも、あれはそういうものとして楽しめばいい、そういう世界です。で、一番大切なのが、だいたい40分くらいから始まる殺陣シーンなんですよ。「であえ、であえ!」のシーンですね。
そのシーンには、音楽もとても重要です。例えば、この曲なしに上様は立ち回れません。
この曲、わざわざiTunes Storeで購入しましたが「IIII-43(暴れん坊将軍)」なる素っ気ないタイトルがついています。もう1つ、購入した『三匹が斬る』の殺陣シーンも「5-M-05_B(三匹が斬る)」だそうで(笑)
時代劇というとオープニングの方が有名なのですけれど、殺陣シーンは個人的に氣分が上がる曲が多いです。 CDの時代は、「こんな細かいシーンのBGMまでは要らないよなあ」という理由で購入しなかった時代劇BGMですが、こうして1曲ずつ買えるようになったので、ときどき喜んで購入ダウンロードしています。
そして、購入したからには、以前から持っている『大江戸捜査網のテーマ』やら『鬼平犯科帳』のエンディングに使われたGipsy Kingsの「Inspiration」とともに「マイ時代劇プレイリスト」としてiPhoneに入れて時おり聴いております。
買ってしまった

若い人は、ピンとこないと思うんですけれど、たぶん同年代の人はわかってくれるような……。
先日、なんとなくYoutubeめぐりをしていたのですよ。それもお侍さん関係で。わかる方はわかると思いますけれど「成敗!(上様のあれです)」とか「お奉行!(♪うーうーうううううー)」とか北町奉行の奥方が紫頭巾とか、まあ、その他あれこれ。懐かしくて。
今って、時代劇がどんどん終了しているのですってね。残念。時代が違うといったらそうなんでしょうけれど、あれって、今みてもメチャクチャ面白いし、数年で古くさくもならないし(最新の機械がギャグになることもないという意味で)、それにテーマ曲も素晴らしいものが多いので、盛り上がるシーンでやけに心躍るんだけどなあ。
で、結局iTunesストアを巡回することになったんです。時代劇のテーマ曲を求めて。でも、あまりないんですよね。「暴れん坊将軍」と「必殺」関係はそこそこあるのですけれど。私はオムニバスでみんな欲しかったんだけれどなあ。まあ、いろいろと大人の事情があるのでしょうかね。
そんな中で見つけたのが、このシエナ・ウインド・オーケストラの「THE刑事 ☆ 究極の刑事ドラマ・テーマ集」というアルバムだったのです。全然お侍じゃないというツッコミはちょっと待って。その通りですけれど。
いや、最後だけ、「必殺」と「大江戸捜査網」が入っているんですよ。それで単品で買おうかなと思ったんですけれど、なんか試聴していたらまるごと欲しくなってしまいました。「ルパン三世 '80」「西部警察」「太陽にほえろ!」「Gメン'75」「はぐれ刑事純情派」全部いるもん。「刑事コロンボ」はオリジナルのパーシー・フェイスのCDも持っているけど、それでもいるもん。
同世代の方は、試聴してみたら私のいわんとすることがわかると思います。どの曲も「おお、これは、懐かしすぎる!」なんですよ。で、今のところは必要ないけれど、長い車通勤がまた必要になったときに、これ聴いて運転したいなーと思ってしまったんですね。
昭和のちょうどこれらの番組がリアルタイムだった頃、実は私は自分の周りに存在する世界があまり好きじゃなくて、早く未来になって、ここじゃないところに行きたいと思っていたものですが、実際にそうなってみたら、当時を懐かしんで聴いている。あの頃は、まだ大切な人たちもこの世にいたし、今は手の届かない大切な物がすぐ側にあったのですよね。
そんなわけで、お侍さんのことでも、刑事ドラマのことでも、誰とも盛り上がれない、刑事コロンボがドイツ語を話している(小池朝雄じゃないとイヤ!)そんな世界でひとり、ニヤニヤしそうになるのを堪えながらこのアルバムを聴いております。
こういう話が書きたい
この動画、教授こと坂本龍一の2013年に行われたコンサートのものらしいです。
Happy End - RYUICHI SAKAMOTO
この曲、もともとはシンセの曲らしいのです。シングル「フロントライン」のB面(レコードのシングルにはA面とB面というのがあったんです!)で、YMOのアルバムでも使われていました。そしてピアノバージョンもあるみたいですが、とにかくこのオケ・バージョンが氣にいったので、ここに貼り付けました。あ、iTunesストアで購入しましたよ。
で。題名、「Happy End」です。この曲調で、ですよ。YMOで演奏するときは、なぜかこの美しいメロディを省略してしまうそうです。いずれにしても「Happy End」……。
私が書きたい小説は、こういうのです。意味不明かもしれませんね。
ハッピーエンドという文字(あらすじでは、そうなる話)の裏に、この曲をも耳にしたときに感じるような何かを喚起する小説を書けたらいいなと、切に思います。本当に。
You'll Never Walk Alone
André Rieu - You'll Never Walk Alone
日本を離れて長いので、この曲がどのくらいポピュラーなのか知らないのですけれど、個人的に好きな上に、社会的にもタイムリーな感じがするので、取りあげてみようと思いました。
「You'll Never Walk Alone」は、もともとは、ブロードウェイ・ミュージカル『回転木馬』の挿入歌です。初演は1945年ということですから、75年前ですね。なんどか映画化されたり、日本でも上演されているのでミュージカルファンの方には「何を今さら」な名作かもしれません。
で、その中のナンバーの1つであった「You'll Never Walk Alone(人生ひとりではない)」が、イギリスのロックバンドジェリー&ザ・ペースメイカーズによって歌われて大ヒットになりました。そして、リヴァプールFCの応援席で歌われるようになったことから、各国のサッカー観戦の応援歌として愛唱されるようになったそうです。
というわけで、英語の歌なんですけれど、サッカー好きの間では広まっているようです。私はサッカー観戦はしないので、この曲を知ったきっかけは、この動画で演奏しているアンドレ・リュウ・オーケストラの公演の放送を耳にしてからです。動画を見ていただくと、観客が一緒に歌いながら涙ぐんでいるのがわかると思います。耳にすると条件反射的に涙ぐんでしまう曲は、人によってそれぞれかと思いますが、おそらくこれも、それぞれの人たちがサッカー観戦をしたり、その他の人生の局面で耳にして、歌詞に想いを馳せて自分たちの身と重ね合わせた、その記憶を呼び起こすタイプの曲なのだと思います。
現在のコロナ禍で、世界の人々が同時に様々な苦難に直面し、未だに嵐は過ぎ去っていないし、いつまで続くのかわからない不安を抱えています。この歌詞はちょうどそんな状況にマッチしていて、聴くと「そうだよ。嵐の過ぎ去った後には、黄金の空が広がる。1人じゃない、ひたすら歩いて行こう」という心持ちになるわけです。
今日は、たまたまですけれど、母の命日です。その後も私の人生は続いていて、さらにうっかり命日を忘れそうになるくらい、いろいろなことが同時にあり、コロナ禍以外にも「これって人生の中では嵐に値するのかな」と思う状況の中にいるのです。しかし、まあ、連れ合いと深緑の下でワインを楽しむような余裕もあるなど、それなりに毎日を楽しみつつ、健康にやっています。
みなさまも、お体を大切に。共に頑張って未来へと歩いて参りましょう。
(あ、これ、ブログの最終回じゃないですから!)
シンデレラ
![Hermann Vogel (1854-1921) [Public domain], via Wikimedia Commons](https://blog-imgs-126-origin.fc2.com/y/a/o/yaotomeyu/Hermann_Vogel-Cinderella-3s.jpg)
Hermann Vogel (1854-1921) [Public domain]
私は子供の頃にバレエを習っていました。それも分不相応に、後に世界的バレリーナになった人たちと同じ先生に習っていたのです。超絶下手っぴいな上に、努力もしなかったので、もちろん大成しませんでしたし、習い事としても全くひどい踊りでした。いま考えると本当に先生に申し訳ないし、月謝を払ってくれた親にも申し訳ないことをしました。
そんなことはともあれ、そういう環境にいたので、観にいく方も世界のトップレベルをリアルタイムで観ていました。ジョルジュ・ドンの伝説の「ボレロ」も観ましたし、シルヴィ・ギエムがパリ・オペラ座バレエ学校の生徒として日本デビューした公演も観ています。そう、あの頃の話です。マーゴット・フォンティーンやマヤ・プリセツカヤ、それにノエラ・ポントワも素敵でした。
いや、今日は、そういう話ではなくて。
一度、東京バレエ団の「シンデレラ」に連れて行ってもらいました。そして、その世界に夢中になってしまったのです。お伽噺としての「シンデレラ」は、どちらかというと嫌いだったのに、です。その理由は、音楽だったのです。(ようやく本題だ)
「シンデレラ」は、ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフの手によります。彼の作曲したバレエ音楽では「ロミオとジュリエット」の方がはるかに有名ですが、私はこの「シンデレラ」の音楽が大好きになり、以来好んでLPをかけていました。(だから、そういう時代なんですよ)
何十年も聴いていなかったのですが、不意に思い出して聴きたくなり、iTunesストアでアルバムを購入しました。Guennadi Rosdhestvenski指揮でMoscow RTV Large Symphony Orchestraのものです。
プロコフィエフの曲全般に言えることですけれど、普段私が好んで聴くロマン派の作曲家の音楽に比べて、不協和音をつかう、もしくは、リズムが不規則になることが多く、いわゆる「胎教にいいクラッシック」のような心地よさではありません。でも、いわゆる前衛的な現代音楽のような「奇天烈な感じ」ではなくて、実に叙情的で美しいメロディを織り込んであり、その切ない美しさが魅力なのです。
「シンデレラ」は「意地悪な継母とその娘たち」の出てくるシーンでは不協和音や攻撃的なリズムなどが特徴的ですが、それによって「仙女のテーマ」や「シンデレラと王子の踊り」などの美しさが際立っています。「ロミオとジュリエット」は悲劇なので、両家の諍いを象徴する不協和音や攻撃的なリズムの割合が多すぎて、ずっと聴いているのがつらいのですけれど、「シンデレラ」の方はずっと聴きやすいのです。
プロコフィエフらしい特徴的なメロディで、いつもどこかわずかに不安を感じるのですけれど、それが妙にクセになります。たぶん私は、こういう感情に慣れているのだと思います。ラフマニノフやベートーヴェンの音は、本当に好きでいつまでも聴いていたい強い憧れがあるのですけれど、それとは違う、かなり後ろ向きな叙情、たぶん私の本質的な考え方に近い、それ故に場合によっては少しつらい感情を呼び起こす音なのですよね。
少し説明が難しいので、興味を持たれた方はぜひ聴いてみてください。
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最近のプレイリスト
でも、さすがにこの作品の詳細を語るのは止めようと思い、その代わりにiPhoneで聴いているプレイリストの話をしようと思います。
交流の長いブログのお友達の皆さんはよくご存じだと思いますが、私が作品を書く時は、同じプレイリストをしつこく聴き続けることで集中力がなくなるのを止めています。つまり、その作品の「My BGM」を聴き続けることでその作品脳のままにしておくのですね。
というわけで、このプレイリストの曲をまとめて流していれば、おそらく私がどんな作品を書いているかがわかってしまう……かな?
プレイリストの名前は伏せておきます。まんま作品のタイトルなんで(笑)
作曲者 | 曲名 | 演奏 |
Johann Sebastian Bach | Brandenburg Concerto No. 3 in G Major, BWV 1048: I. Allegro | David Parry & London Philharmonic Orchestra |
Dmitri Shostakovich | Suite from "The Gadfly", Op. 97a: VIII. Romance | Sofia Symphony Orchestra, Ivan Peev & Ivan Marinov |
A. Galbiati; E. Ramazzotti | Più che puoi | Eros Ramazzotti / Cher |
Johann Sebastian Bach | Double Concerto in D Minor for Two Violins, BWV 1043: Vivace | London Philharmonic Orchestra, David Parry, Pieter Schoeman & Vesselin Gellev |
Sergei Rachmaninoff | Vocalise, Op. 34 | London Philharmonic Orchestra, David Parry & Pieter Schoeman |
Johann Sebastian Bach | Cantata, BWV 147 "Herz und Mund und Tat und Leben" X. Chorale: "Jesu bleibet meine Freude" | Bach Collegium Japan & Masaaki Suzuki |
Heitor Villa-Lobos | Chôro No. 1 "Chôro típico" | Dakko Petrinjak |
Sergei Rachmaninoff | Rhapsody on a Theme by Paganini, Op. 43 | Tamás Vásáry, London Symphony Orchestra, Yuri Ahronovitch |
Arcangelo Corelli | Concerto grosso No. 8 in G Minor, Op. 6 "Christmas Concerto": III. Vivace - Allegro - Pastorale ad libitum. Largo | London Baroque & Charles Medlam |
これだけで脳内に「ああ、こういう好みね」と浮かんだ方はかなりクラッシック音楽好き。三曲目だけはイタリアンポップスですが、残りは全部クラッシックですね。あ、二曲目は映画音楽で、七曲目は、稔でも弾きそうな感じのギター曲です。
バロックのやロマン派の音楽が多いので、格調の高い話かと思われそうですが、そうでもないです。まあ、いつもの私の話に近いですね。
ちなみに、これをひたすら聴き続けているので、先ほども書いたように私の脳内は、この世界につなぎ止められています。つまり『Artistas callejeros 大道芸人たち』や『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』などはまたしても放置です。
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Baba Yetu
アフリカが舞台の話を連載中なんですけれど、マイ・サントラ(あ、痛たたた……)代わりにしているiPhoneのプレイリストには、あまりアフリカっぽい曲は入っていません。でも、これだけは別。超アフリカ。めいっぱいケニアです。
もっともこの曲、もともとはゲームのサントラとして作られたらしいので、そのゲームを知っている方からすると「どこがアフリカ?」なのかもしれませんね。
Baba Yetu (The Lord's Prayer in Swahili)-Alex Boyé, BYU Men's Chorus & Philharmonic; Christopher Tin
この曲の歌詞は、スワヒリ語(ケニアの公用語)による「主の祈り」なのです。「主の祈り」はキリスト教で一番大切な祈祷文です。
「Baba Yetu」には、ゲームのオリジナルバージョンをはじめとして、いろいろなアーティストによる動画がありますが、私が一番好きで購入したのがこのアレックス・ボエがリードボーカルを歌っているもの。この方、アメリカでモルモン教の宣教師もしている方のようですが、「あなたは神を信じますか」といきなり言われるよりも、こうやってアフリカの大地でキリスト教とかアニミズムとか関係なく見せて聴かせてくれる方がその偉大さが伝わります。
バックで歌って演奏しているBYU Men's Chorus & Philharmonicの欧米的な合唱と演奏、それにアレックス・ボエのアフリカ的な歌い方がミックスして、私の作品のイメージとしては理想的な曲になっているのです。なんというのでしょうか。黒人の声帯や歌い方は、いわゆるクラッシックな合唱の歌い方とは全く違うのです。これはいいとか悪いとかではなく単純に違うのです。私はどちらも好きなのですが、この曲のリードボーカルとしてはやはりこの歌い方が一番しっくり来ます。
「ライオン・キング」のメイン・テーマである「Circle of Life」もこれに近い音楽ですが、あちらは天下のディ○ニーの映画音楽ですし、そのイメージが強すぎます。歌詞も英語ですし、「欧米によって理想化されたアフリカ」の印象が強すぎて、私には少し「コレじゃない」なんです。
「Baba Yetu」は「主の祈り」ですので「天にまします我らが父よ。願わくは御名の尊まれんことを、御国の来たらんことを、御旨の天に行わるる如く地にも行われんことを」と祈っているわけです。
私がアフリカに行ったとき、果てしない大地を動物たちが悠々と移動して行き、生と死の神秘が目の前で展開され、これでもかと荘厳な光景を目にしました。普段はほとんど意識しない偉大な何かの存在を感じる体験でした。おそらく通勤電車に揺られたり、リア充競争のためにインスタグラムに小洒落たカフェごはんの写真をアップしたり、芸能人の挙動に一喜一憂したりしていると、なかなか感じにくくなっていく、特別な何かです。もちろん「だから人はアフリカに行くべき」と言いたいわけではないのですが。
私の作品「郷愁の丘」では、ニューヨークで生きる一人の女性が、ケニア中部のサバンナに行きます。話の中心はアフリカ体験そのものではないのですが、サバンナで見聞きした事が、彼女の心境に大きく影響する、その切り離せない関係を描きだせたらいいなと思っています。
私の脳内イメージでは、この曲は作品の途中で野生動物がいっぱい出てくるサバンナのシーンと、それから最期のエンディングのクレジット部分にかかる感じです。(映画じゃないって)
【参考】
![]() | 「郷愁の丘」 |
「ポール・モーリアのホワイト・クリスマス」
もぐらさんとはるさん主催の「クリスマスパーティ」に参加させていただきました。先日発表させていただいた「バッカスからの招待状 アイリッシュ・アフタヌーン」を朗読していただいています。
わたしの作品だけでなく、いろいろな方の作品が一堂に会していて、賑やかなパーティになっています。下記のリンク先、是非いらしてみてくださいね。
「クリスマスパーティ」
クリスマスというと、12月24日の夜、彼氏や彼女とイチャイチャする日と思っている方もいらっしゃいますが、世界的にはクリスマスは12月25日に祝います。それに24日からまたいだ25日の午前0時は、ホテルにしけこむのではなく、教会で深夜のミサに参加して、救い主であるイエス・キリストの誕生を祝うのがキリスト教徒的な過ごし方です。
そして25日には家族揃って食卓を囲む、日本でいうところのお正月に近い過ごし方をするのですね。
お正月に近いと言えば、この日の前に大掃除を済ませておく、「夫の生家に行くのが嫌だ」と憂鬱になる、ギリギリまでクリスマスカードの発送が終わらなくて泣き言をいう人。どれも「おめでたい」の裏にある風物詩。日本のお正月のそれによく似ています。
この時期には、クリスマスキャロルの類いを耳にすることが多いのですが、我が家でBGM的に聴くことが多いのは「ポール・モーリアのホワイト・クリスマス」というアルバムです。
といっても、いま聴いているのは、そのアルバムに入っていた曲をもう一度買い集めて作ったプレイリスト、という方がいいかもしれません。
このアルバムは、1960年代にフランスで発売されたクリスマスアルパムに入っていた曲を中心に、日本で1980年代に特別に再編集されたもので(同名のアルバムで1984年版と1985年版があるようです)、私が最初に買ったのはその日本版のカセットテーブです。発売された年ではなくて、少し後になってから買ったように記憶しています。
はい。そうです。いまの方はご存じないかもしれませんが、ネット配信どころかCDも存在していなかった頃、アルバムはLP(レコード)またはカセットテープで買うものだったのですね。LPも売っていましたが、私はまだ高校生で、自分の部屋にLPを演奏するためのプレーヤーがありませんでした。だから劣化するとわかっていてカセットテープを買ったのですね。クリスマスの時期になる何度も何度も聴きましたっけ。
そのテープは、スイスに持ってきましたが、現在はカセットテープを再生できるプレーヤーがありません。前の車、SUBARU Justyはカセットプレーヤーがあったんですけれど、車を買替えて以来聴けなくなってしまったのです。
二年ほど前に、思い立ってポール・モーリアのベストアルバムのCDを買いました。その中に入っていた曲と、中には入っていなかったけれどiTunesストアなどで購入できる曲をひとつ一つ集めて、もともとのアルバムと同じ曲順に並べたプレイ・リストを作り、さらにCDに焼いて、車や自宅でこのアルバムをまた聴けるようにしました。
「ホワイト・クリスマス」「きよしこの夜」「ジングル・ベル」「アディステ・フィデレス」など誰でも知っている定番の曲の他、「雪のクリスマス(Snow Desert)」「真夜中のミサ(Minuit Chretien / Oh Holy Night)」といった、当時の私も知らなかった美しい曲が入っています。
テロがあったり、いろいろな不安があったり、やたらと沢山の請求書が届いてうんざりする季節でもあったり、子供の頃のように純粋にクリスマスと年末年始が待ち遠しいわけでもなくなりましたが、少なくともこのアルバムを聴いていると昔と変わらずに心躍ったり平和な心地になります。
「もうクリスマス終わりじゃん」と思った、そこのあなた。ここでこの記事の最初に戻るんです。クリスマスは、25日。そしてクリスマスの飾り付けを外す1月6日まで続くのですよ。だから我が家でもそれまでクリスマスツリーを飾って、このアルバムを聴き続けるのです。ええ、誰がなんと言おうと。
Paul Mauriat - Minuit, chrétiens! (1967)
一番好きな、「真夜中のミサ」です。
「ひぐらしのなく頃に 奏」
このブログによくいらっしゃっている方は、私がゲームやアニメに弱いことをよくご存知だと思います。もともとアニメに限らず映像作品をあまり観ない、テレビも観ないのですけれど、スイスに移住してからさらに何も観なくなって、日本のある程度の年齢の人間であれば観たことはなくても知っていて当然だという作品のことも何も知りません。
にもかかわらず、いきなり某ゲーム&アニメ作品の関連音楽の話をすることになったのは、ひとえに演奏者が知り合いだからです。
「ひぐらしのなく頃に」はもともとコンピュータゲームで、その後にテレビアニメにもなった作品のようですが、その音楽を弦楽四重奏とピアノで演奏した作品がこの秋にリリースされたのです。
このピアニストが、私の高校の先輩である栗原正和氏。同じ合唱部に一年間所属していたのですが、当時からピアノのウルトラ上手な憧れの先輩でした。(私が「ピアノを弾くいい男」を作品に登場させるようになったのは、この方への憧れに遠因があるのですよ)
今はプロのピアニストとして大変ご活躍なのですが、いわゆるクラッシックの演奏活動の他に、こうした少し変わった試みにも積極的に挑戦する方なのです。
で、CDの発売されたのが私が日本にいた時と前後していたのですが、iTunesからもダウンロードできるというのでダウンロード版で購入しました。
原作は私の苦手なホラー系の作品ということなんですが、音楽の方は全くそんな感じはなく、とても美しい旋律です。それも日本の自然のように、光や樹木、水、風といったものを感じさせて、思考を邪魔しない心地いい音楽です。
原作をご覧の方は、私のような感想や聴き方はしないでしょうけれど、私はまた例によって、自分の創作を妄想する時のBGMにしてしまいそうです。実際にそうやって使うのがぴったり来る系統の音楽です。
iTunesでは試聴も可能ですから、興味を持たれた方はぜひどうぞ。
メフィスト・ワルツ
先週の月曜日、チューリヒのトーンハレで行われた津田理子氏のピアノ・コンサートに行ってきました。いろいろとご縁あって、出不精な私がたくさん聴かせていただいている方なんです。いやあ、すごいコンサートでした。
で、難しい曲目がたくさん並んでいたのですが、中でも「ひえ~」と思ってしまったのが、リストの「メフィスト・ワルツ 第一番」でした。
この曲、もちろん録音では聴いた事はありましたが、生で聴くのは初めて。どんな風に弾いているのか目にすると「ありえない」と思ってしまう曲でした。(というか、コンサートで弾くような曲はどれも人間業には見えないですけれどね)
名前が示すように、この曲は「ファウスト伝説」をモチーフに作曲されていて、「村の居酒屋での踊り」といわれるこの第一番は、「農民たちが踊る居酒屋をファウストと訪れた悪魔メフィストフェレスが、ヴァイオリンを弾き始めて農民たちを陶酔に巻き込む」情景を表しているとのこと。
聴いているうちに引き込まれてしまうメロディもすごいのですが、このピアニスト泣かせの超絶技巧の嵐、弾いている人は「あんたが悪魔だよ、リスト」って言いたくならないのかなあと、ちょっと思ってしまいました。
私はピアニストではないので、人ごとで堪能できるんですけれど。
そして、この曲、頭の中で回り続けます。一週間もぐるぐるしています。
どんな曲かご存じない方のために、Youtubeで拾ってきた演奏を。演奏はトリフォノフ氏。この方、すごいですね。
Trifonov, Liszt mephisto-valse
サン=プルーにはまっています
Saint-Preux Légende
フランスのサン=プルーという作曲家の「Légende(伝説)」という曲だったのですね。これを見つけてから、サン=プルーの他の作品も氣になって、結局iTuneストアで買いまくりです。
ちなみに、日本の方でもたいていの方が聴いたことがあるほど有名なこの人の代表曲は「Concerto pour une voix(一つの声のためのコンチェルト/邦題・ふたりの天使)」です。
で、私は、代表曲ではないものばかりダウンロードしていますね。
たとえばこの曲は「Sur les Ailes du Temps(時の翼にのせて)」というんですけれど、ヴァイオリン協奏曲風。同じアルバムに入っていた曲ですが、とても素敵なので、こちらもダウンロードしました。
(ちなみに、このアルバム、ジャケットが私の大好きなマックスフィールド・パリッシュ!)
最近、クラッシックではないけれど、クラッシックに近い作曲をする人の曲をたくさん聴くようになりました。クロード・ボーランや、アルノー・ババジャニアンなど、私の作品で既にモチーフにしている作曲家もありますけれど、このサン・プルーも直に仲間入りですね。
メロディアスで、ドラマティックで、さらに物悲しい。かなり私の好みにど真ん中です。(こういうのばっかり聴いているから、小説もああなるのか……)
こういう音楽に会えるようになったのも、インターネットのおかげなんですよね。
ラプソディ・イン・ブルー
ガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」ですね。
といっても、この音楽からお話が生まれたというわけでもなく、特別の場面に使っていたというわけでもないので、なぜこれがBGMなのか自分でもわからなかったりします。
この曲は、「Manhattan」というプレイリスト(私のiPhoneのですよ)に入っています。既に完結した「マンハッタンの日本人」シリーズと、今年の後半に連載予定の「ファインダーの向こうに」の両方に関したBGMをつっこんであるプレイリストですが、そこに何故かこれが入っています。理由は、アメリカだから。単純。
実をいうと、アメリカについては全然詳しくありません。思い入れもかなり少ないです。行ったことがあるのはニューヨークだけ、それも六日くらいですね。ウィスコンシンやラスベガスに連れ合いの遠い親戚がいて、「一度はおいでよ」と言われていますが、行くかどうかも微妙。こんな「遠さ」だから、ヨーロッパのように小説の舞台にもしにくい国だったのです。「マンハッタンの日本人」も、もともとは一話完結の短い読み切りのつもりでした。それが、私の意志とは関係なくどんどん話が進んでしまった上、今度は自らもう一つ中編(「ファインダーの向こうに」)を書く事にしてしまい、すっかり調子が狂ってしまいました。
そういうわけで、ニューヨークやアメリカは、自分の経験が少ない分、イメージが優先している場所です。だから「ラプソディ・イン・ブルー」なのです。
若い世代の方は、ピンと来ないかもしれませんが、1984年のロサンゼルス・オリッピックの開会式で、やたらとたくさんのピアノで演奏されたのがとても印象的でした。それで、ティーンエイジャーだった私の脳裏に、アメリカというスケールの大きい国の象徴として擦り込まれてしまったのですね。
あれから時代も私も変わって、「アメリカすごい!」ではなくなってしまいましたが、今でも「ラプソディ・イン・ブルー」だけは、私の中の「アメリカ的なもの」の中心に残っていたりするのです。(他には、ド派手なダイナーや、それからMGM系でジーン・ケリー時代のミュージカル映画、そしてジャズ……かな)
そういえばディズニー映画「ファンタジア2000」にも入っていましたね。「ラプソディ・イン・ブルー」。ニューヨークとこの曲が私の中でくっついてしまっているのは、たぶん、その影響かも。
Rhapsody In Blue: Gershwin
音楽による作品への誘い 2
数がとても多いので、目的別おすすめ作品などという記事でピックアップをしたりもしているのですが、「音楽による作品への誘い」記事に続き、元ネタとなった音楽に注目してご紹介していきたいと思います。「この作品はこの音楽のために書いた」という作品ですね。
◆ラフマニノフ ピアノ協奏曲第二番
「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」
この作品、かなりいろいろなクラッシック音楽が出てくるのですが、何よりも裏テーマがラフマニノフのコンチェルト第二番なのです。たぶん、最初から最後まで全てが好きと言い切れる協奏曲って、これだけじゃないかなあ。中学生の時に夢中になって以来、ずっと好きな曲。だから、作品の中でも特別な役目を持たせました。
◆M.ラヴェル 「La Valse」
「ラ・ヴァルス」
これは標題小説ですね。この曲が題名にまでなり、当然ながらこの曲が重要なモチーフになっている作品です。この曲にも一時狂いましたね。
◆レハール 「金と銀」
「ウィーンの森 — 金と銀のワルツ」
ウィーンというお題をいただいて書いた小説なのですが、ウィンナワルツの中で一番好きなこの曲をモチーフに書いてみました。晴れがましくて幸せな感じがして、ハッピーエンドにしたくなります。
◆クライスラー 「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」
「格子の向こうの響き」
シーンにあわせて曲を探すのではなくて、音楽ありきで書いた小説。どうしてもこの曲に合う人物が欲しくて、とあるキャラクターをヴァイオリン弾きにしてしまいました。
◆J.C. Bach/Casadesus Viola concerto in C minor
「大道芸人たち 番外編 〜 Allegro molt energico」
「大道芸人たち Artistas callejeros」と「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」の両方に重要な脇役として出てくる園城真耶というキャラクターがいます。彼女をもう少し掘り下げるために書いた作品で、なくてはならない役割を果たしたのがこのカサドシュのヴィオラ協奏曲。こういう曲を見つけると、短編が書きたくなるのです。
音楽による作品への誘い
こちらはBGMにはしていませんが、この時代の空気を感じていただきたいという事で。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」(連載中)は中世ヨーロッパ風の仮想世界の話です。といってもドラゴンや小人や魔法は全く出てこないです。あくまで実際の中世に可能だった事しか書かないというのがこの作品のポリシー。劇中歌の「Cantum Silvae」は、この音楽のような中世風のトーンだったという設定です。(ちなみにBGMはTOM-Fさんおすすめのブルックナーの第四交響曲「ロマンティック」を使わせていただいています)
Medieval Music

中編小説「夜想曲(ノクターン)」(完結)のイメージを生み出したのは、ヨーヨー・マのチェロが美しいボリングの「ロマンティーク」。「アイデンティティ・プロブレム」をテーマに据えたこの作品、私の小説群の中では、一番バランスがとれているように思うのですが、どうでしょう。この曲がなければ生まれてこなかった話です。
Suite for Cello & Jazz Piano Trio - Romantique | Claude Bolling

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」(完結)の紹介用音楽は、フォーレの「レクイエム」からイントロ。この曲を「龍の媾合」の晩にヒロイン瑠水が勝手に龍王の池に潜っちゃったシーンのBGMにしていました。ちなみに「樋水龍神縁起」本編のほぼ最後のシーンではモーツァルトの「レクイエム」のイントロがBGMでした。
Faure - Requiem (Introit et Kyrie)

こちらはバリオスの「最後のトレモロ」、クラッシックギター曲です。「大道芸人たち Artistas callejeros」の第二部で一番重要になる曲です。こちらは現在執筆中なのでこれ以上語るのはやめます。リンクはこのブログで一番ポピュラーな第一部(完結)へのものです。
David Russell, guitar - El Ultimo tremolo (A. Barrios Mangoré)

「Infante 323 黄金の枷」(連載中)はこの曲がなければ生まれてきませんでした。ベートーヴェンのピアノ協奏曲「皇帝」の第二楽章。これから浮かんできたシーンが最終章になっています。主人公でタイトルロールである23のモデルは二人います。一人がポルトで実際に観たポルトガル・ギター奏者。もう一人がベートーヴェンです。ごついヴィジュアルと、紡ぎだす音楽の、つまり魂の叫びとのギャップにやられている私です。
Excerpt from Piano Concerto No. 5 in E-flat Major, Op.73 ("Emperor Concerto")

最後にご紹介するのは、フィービッヒの「詩曲」です。私の作品とは関係ありません。大好きで、勝手に自分の「愛のテーマ」に設定している曲。こう書くと痛いなあ。単純に、こういう風に生きたいなあって思っているんです。
Z.Fibich: Poem
ポール・モーリアが好きでした
こういう創作のやり方は、たぶん小学校の頃に遡ると思います。当時は小説を書いていたのではなくて、ショウワのノートにマンガを描いていたのです。その内容は黒歴史そのもので思い出したくもないのですが、当時からなぜかオリジナルのみでした。
その発想の源になったのが、ポール・モーリア(グランドオーケストラの演奏する曲)だったのです。
私とポール・モーリアの音楽との出会いは、当時通っていたバレエ教室でした。発表会用にいろいろと曲を集めていた先生が聴かせてくれたテープに「薔薇色のメヌエット」が入っていたのですね。
当時、私は父の極端な教育方針のためテレビを観る事も流行歌(ピンク・レディーやゴダイゴなどです)を聴く事も禁止されていました。家で流れていたのはクラッシック音楽だけ。そりゃ好きなクラッシック音楽もありましたが、小学生なのにバッハのよさをわかれと言われても、ねぇ。でも、かといって流行歌が好きだったわけでもないのです。そこで聴いたポール・モーリアは、なんというのか軽くて心地よいのに、流行歌とも違う、要するにまったく別世界だったわけです。当時は現在のように「リラクゼーション」や「ワールドミュージック」というジャンルはあまり大きなマーケットではなくて私は存在すらも知らなかったのです。だから、アメリカン・ポップでもなく、歌謡曲でもなく、さらにクラッシック音楽でもないイージーリスニングの世界は、とても新鮮だったのです。
それから誰もが知っている「恋はみずいろ」や「エーゲ海の真珠」の入っているベスト盤をはじめ、ポール・モーリアの日本で発売されていたアルバムのカセットテープ(CDの前の時代です)をかなり長い事かけて集めたものです。なんせお小遣いが月に300円。お年玉も合計で5000円くらいしかもらえなかったので、大変でした。それでも高校生くらいまでは、ずっとポール・モーリアに入れあげていました。
なぜあそこまで夢中になったんだろうと、ずっと不思議に思っていたんですが、最近ようやく理由がわかりました。つまり、誰にも言わずにずっとこそこそやっていた創作の源だったからだと。歌詞のある曲だと発想は限られます。でも、ポール・モーリアはインストルメンタルだけなので、自分の感じた通りのイメージを膨らませる事ができたのです。
書いている作品に行き詰まった時に、新作のアルバムを聴いていると、まったく違うシーンが浮かんできて続きを書く事ができたのですよね。
青春時代、それから後も、誰にも言わずにずっとそうやって書き続けてきたので、それが普通になってしまったのでした。ポール・モーリアはいつの間にか卒業して、他のイージー・リスニングやリラクセーション系の音楽や映画音楽、それにクラッシック音楽などを聴く事が多くなりました。創作の元ネタになる音楽もポール・モーリアからは離れましたが、歌詞がない音楽ばかりを好み続けてきたのはたぶん同じ理由からだと思います。
つい先日、あれほど好きだったポール・モーリアがずいぶん前に亡くなっていた事を知ってちょっとショックでした。今さらですがご冥福をお祈りします。
「薔薇色のメヌエット」の動画です。
Minuetto Paul Mauriat
「ラ・ヴァルス」について
再掲するほどのものでもないので、いちおう、こちらにリンクだけをのせておきます。
【短編小説】ラ・ヴァルス
さて、この小説はモーリス・ラヴェルの管弦曲「ラ・ヴァルス」にインスパイアされて書いた小説です。そう、視覚からではなく聴覚から物語を生み出してばかりいる私の小説の書き方は特殊だとよく言われるのですが、クラッシック音楽にインスパイアされて物語を書くという手法を使いだしたのは、この小説が最初だったと思います。リンク先にも書いた通り、この小説はおよそ20年前に書いたものです。
よく考えるとめでたい新年の一本目としてふさわしいとは思えない結末ですが、まあ、それは毎年のことで。
こうなる原因は当時の私の人生観も影響しているのですが(今よりもかなり悲観的でした)、この曲の狂騒的なトーンが影響していることも確かです。
私はラヴェルが好きです。オーケストレーションの天才だと思います。他にも好きな曲はいくつもあるのですが、この曲は別格に好きです。何故かを説明するのかは難しいです。私の中に平和としか言いようのないものがあり、それと同時に狂ったように暴れ回る衝動があります。この曲とリズムはその双方を同時にかき回すのです。
「ラ・ヴァルス」とはフランス語でワルツのことです。小説の一番最初に引用した言葉は、この曲の楽譜に書かれたラヴェルの説明です。当時の私はウィーンを訪れたこともなかったし、ヨーロッパの宮殿というものをこの目で見たこともなかったのですが、「十八世紀の宮廷でワルツを踊る人びと」の幻影をこの曲でイメージしました。聴覚で感じるべきラヴェルの音楽を色彩の魔術だと感じるのは、このせいだと思います。ヨーロッパがもっと身近になりいくつもの十八世紀の宮殿を見た現在でも、そのイメージは、ほとんど変わっていません。
そして、小説の内容の方ですが、人生において「壁の花」でいなくてはならない存在の人間や、その心の痛みに対する感覚も未だに変わっていません。二十年前に書いた小説ではありますが、個人的にはいま自分が書くものとかけ離れていないかなと思います。技術的にも、内容も。要するに二十年間、進歩していないってことかもしれません。
Ravel: La Valse / Bernstein · Orchestre National de France
創作のイメージづくりになりそう
「Melodyphony~Best of Joe Hisaishi~」というアルバムです。
私は日本に住んでいないので、可能ならiTuneストアで購入します。早く手に入りますし。で、まずはスイスのアカウントで探したのですが、発売されておらず。次に日本のアカウントで。あった。2000円でした。ぽちっ。即購入。
もともと知っている曲もけっこう入っていたのですが、全部別アレンジですし。ロンドン交響楽団が演奏していて、オーケストレーションが華麗だと感じます。例えば「千と千尋の神隠し」など、オリジナルのサントラも持っていて、それはそれでとても好きなんですけれど、あれはあくまで映画と一体化していて、こっちは別に純粋に音楽を楽しむアルバムとして聴いています。
で、個人的には、こういうドラマティックな演奏を聴いているうちに、また次の作品への妄想が動き出すんですよ。勝手に自分の作品のサントラ化。来年以降の創作の源としてしばらく聴いていようと思います。
テーマ曲
「大道芸人たち Artistas callejeros」を連載していた時には、Mixpodっていうサービスがあって、小説の中で使った曲やイメージ曲をまとめて右カラムメニューで公開していたのですよ。だけどMixpodがなくなってしまいまして。
で、今さらなんですが、いまだに「大道芸人たち」を読んでくださる方も多くてこのブログでは一番の有名小説なのでBGMについてもここから語っちゃおうかなと。
あの小説を書いていたのは、まだブログをはじめる前でしたので、当然ながら何をしようとも自分一人の世界でした。だからBGMなんかもどっぷりと酔っちゃっていたわけです。
で、作中に出てきたクラッシック音楽等は当然挿入曲としてマイ・サントラの中に入っているわけですが、それとは別に「勝手にオープニング曲」というのもありました。もちろん自分で作曲できるわけではないので、どっかからもってくるわけです。それがこれ。葉加瀬太郎の「冷静と情熱のあいだ」よく聴くと、ぜんぜんフルートもギターもピアノも関係ないんですが、あくまでこれはオープニングなんで(笑)
それから、こっちは終わりの曲、といっても最終回のではなくて、各章の終わりで(連続テレビドラマのエンディングってイメージ)、ちょいと深刻な時にはこんな感じで。
Come Across the Wind / 風たちとの出逢い
小松亮太&斉藤恒芳
どちらも日本で番組や映画を観てしまった方には「どこが」になっちゃうんだろうなと思うのですが、私は付随する映像を観た事がないので、純粋に音楽だけを知っていて、自分の中では勝手に「大道芸人たち」のテーマになってしまっていると言う(笑)
とっくの昔に書き終わって、連載も終わっているのですが、それでもこの二曲を耳にすると心は「大道芸人たち」執筆中の感覚にすっと戻っていくから不思議です。って、はやく第二部を書けって話かしら。
「Alegria」の歌詞を訳してみた
なぜこうなったかというと、全然集中していないからなんですね。私の場合、小説は脳内映画で完結させて、実際の執筆は観たものを書き写す感覚で作るのですが、現在、脳内は色々な映画が同時上映中なのです。で、私は「貴婦人の十字架」のシアターでなくて、別の映画館についつい吸い寄せられて入ってしまっていると言うか。ま、それでもいいんですけれど。
で、どこのキャラが、いま激しく動き回っているかというと。自分でも予想外でしたが「夜のサーカス」の皆さんでございます。月刊ステルラは月刊だから、そんなに激しく動かなくてもいいんだけどな~。
で、Cirque Du Soleil のアルバム「Alegria」を「夜のサーカス」を書く時のイメージを練るために聴いているのですが。日本にいた時には、まったくわからなかった歌詞が、半分聴き取れるようになっていて、氣になって調べてみました。(もちろん全部聴き取れているわけではありません)
で、調べれば調べるほど、現在向かっている「夜のサーカス」のイメージにぴったりになってきたので、本氣で訳してみました。
以前は、こういう事をしても、自己満足で終わっていたのですが、こんなに苦労したし(この翻訳に使った時間、小説が三本くらい書けたかも……)、「夜のサーカス」は、私の小説の中では多くの方に読んでもらっているので、公開しちゃえと。
ええと、イタリア語とスペイン語は専門外なので(英語もですが)、間違いがあったらご指摘ください。あと、詩として耳に心地よく、また、日本語として意味が通るように、ちょっと意訳しています。ここからコピーして使うと、翻訳としては間違っている可能性がありますので、お氣をつけ下さい。
オリジナルの歌詞は下に貼付けました。どんな曲か聴きたい方は、
「ヴァイ・ヴェドライ」シルク・ド・ソレイユ - アルバム「アレグリア」より
お行き、私のかわいい子、行って観るのよ
お行き、私の小さな子、観にお行き
運なんかこれっぽっちもない所
もうこの心では行く事は出来ないから
おまえの足で月の上に行くのよ
ああ、我が子よ、お行き
大きな悲しみをいつも隠している
彼の微笑みを観にお行き
あの男の狂氣を観にいくのよ
狂氣
義のなき男の
狂氣
怖れなき戦士の
狂氣
天国で遊ぶ
生き生きとした子供は
戦士に殺された
大きな悲しみをいつも隠している
彼の微笑みを観にお行き
あの男の狂氣を観にいくのよ
狂氣
大きな悲しみをいつも隠している
彼の微笑みを観にお行き
あの男の狂氣を観にいくのよ
お行き、私のかわいい子、観にお行き
お行き、私の小さな子、観にお行き
ご覧
運なんかこれっぽっちもない所
もうこの心では行く事は出来ないから
おまえの足で月の上に行くのよ
ああ、我が子よ、お行き
大きな悲しみをいつも隠している
彼の微笑みを観にお行き
あの男の狂氣を観にいくのよ
「アレグリア」 シルク・ド・ソレイユ - アルバム「アレグリア」より
歓喜
生命の閃光のよう
歓喜
狂える雄叫びのよう
歓喜
罪びとが咆哮ぶよう
麗しく轟く疼み、こんなにはっきりと
猛り狂う愛のよう
歓喜
陶酔の旋風のよう
歓喜
私は生命の輝きが光を放つのを見た
歓喜
若き吟遊詩人が歌うのを聴いた
悦びと哀しみの
麗しく轟く叫び、これほど激しく
私の中には荒れ狂う愛がある
歓喜
心おどる神秘的な想い
歓喜
生命の閃光のよう
歓喜
狂える雄叫びのよう
歓喜
罪びとが咆哮ぶよう
麗しく轟く疼み、こんなにはっきりと
猛り狂う愛のよう
歓喜
陶酔の旋風のよう
歓喜
生命の閃光のよう
歓喜
嘆く道化師のよう
歓喜
狂った哀哭の
轟く雄叫びのよう
こんなにはっきりと
猛り狂う愛のよう
歓喜
幸福が押し寄せる
私の中には荒れ狂う愛がある
歓喜
心おどる神秘的な想い
「Vai Vedrai 」 - Cirque Du Soleil
Vai, vai bambino vai vedrai, vai
Vai, vai piccino vai vedrai, vai
Vedrai
Dove mancha la fortuna
Non si ca piu con il cuore
Ma coi piedi sulla luna
Oh mio fancillu(o) vedrai
Vai Vedrai che un sorriso
Nasconde spesso un gran' dolore
Vai Vedrai follia del uomo
Follia
Del uomo senza driturra vai
Follia
Del guerrier senza paura vai
Follia
Del bambino pien' divita
Che giocando al paradiso
Dal soldato fu ucciso
Mio fanciull(o) vedrai
Vai Vedrai che un sorriso
Nasconde spesso un gran' dolore
Vai Vedrai follia del uomo
Follia
Vai Vedrai che un sorriso
Nasconde spesso un gran' dolore
Vai Vedrai follia del uomo
Follia
Vai Vedrai che un sorriso
Nasconde spesso un gran' dolore
Vai Vedrai follia del uomo
Vai, vai bambino vai vedrai, vai
Vai, vai piccino vai vedrai, vai
Vedrai
Dove mancha la fortuna
Non si ca piu con il cuore
Ma coi piedi sulla luna
Oh mio fancillu(o) vedrai
Vai Vedrai che un sorriso
Nasconde spesso un gran' dolore
Vai Vedrai follia del uomo
「Alegria」 - Cirque Du Soleil
Alegria
Come un lampo di vita
Alegria
Come un pazzo gridar
Alegria
Del delittuoso grido
Bella ruggente pena, seren
Come la rabbia di amar
Alegria
Come un assalto di gioia
Alegria
I see a spark of life shining
Alegria
I hear a young minstrel sing
Alegria
Beautiful roaring scream
Of joy and sorrow, so extreme
There is a love in me raging
Alegria
A joyous, magical feeling
Alegria
Come un lampo di vita
Alegria
Come un pazzo gridar
Alegria
Del delittuoso grido
Bella ruggente pena, seren
Come la rabbia di amar
Alegria
Come un assalto di gioia
Del delittuoso grido
Bella ruggente pena, seren
Come la rabbia di amar
Allegria
Come un assalto di gioia
Alegría
Como la luz de la vida
Alegría
Como un payaso que grita
Alegría
Del estupendo grito
De la tristeza loca
Serena
Como la rabia de amar
Alegría
Como un asalto de felicidad
Del estupendo grito
De la tristeza loca
Serena
Como la rabia de amar
Alegría
Como un asalto de felicidad
There is a love in me raging
Alegría
A joyous, magical feeling
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Mixpod設置してみました
左のメニューのわりと下の方、「BGMを試し聴き」というプラグインです。
わざわざYoutubeまで調べにいくつもりはないけれど、どんな曲かちょっと興味がある方には、便利なシステムだなと思います。ただ、私が聴いていた曲のすべてがYoutubeにあるわけでなく、また著作権がグレーなものは設置できないので、全てご紹介できるわけではありません。ちょっと残念ですが。
そういえば、先週、またテンプレートもいじりました。お知らせからあまりスクロールしなくても最新記事が見えるようにしてみました。ま、氣がつかないほどの変更ですけれど。
この曲をBGMにして書きました
重要なモチーフになっていたり、作品中に出てくる曲の場合もありますし、単にサントラ風に聴きながら書いていたものもあります。
最近は、どんな曲でもYoutube等で試し聴きもできますよね。私も、そうやって出会った曲をよく購入します。
ラ・ヴァルス
M.ラヴェル 「La Valse」
夢から醒めるための子守唄
C. ボーラン(ボリング) 「室内楽とジャズ・トリオのための組曲」より 4. Aria
大道芸人たち Artistas callejeros
G. フォーレ 「ペレアスとメレザンドより- シシリエンヌ」
O. レスピーギ 「リュートのための古代舞曲とアリア第3組曲」より「シチリアーナ」
久石譲 「ENCORE」より「Friends」
A. ピアソラ 「Libertango」
上妻宏光 「Acceleration」
S. マイヤーズ 「Cavatina」
葉加瀬太郎 「冷静と情熱のあいだ」
A. ピアソラ 「Invierno Porteño」
F. タレガ「Recuerdos de la Alhambra」
E. レクオーナ「Suite Andalucía」より「Andaluza」、「Malagueña」
M. ラヴェル 「Pavane Pour Une Infante Defunte」
F. プーランク 「Sonate pour flute et piano FP164」
C. ボーラン(ボリング)「Suite for Flute & Jazz Piano」
小松亮太&斉藤恒芳 「風たちとの出逢い」
【断片小説】「詩曲」より
E. ショーソン 「Poème」
明日の故郷
Queen 「The Show Must Go On」
幸い(?)観ていなかったので
その内に「おいっ、それは!」というのも書くようになると思います。ごく普通の日本在住の人なら「そりゃ、あのCMのイメージしかないよっ」とか「いや、あのドラマのイメージと小説、合ってないって」とか、思うかもしれません。
でも、私、日本で大ヒットしたドラマやアニメ、みなさんの頭にコピーがぐるぐる回るくらい有名なCM、どれも観ていないんですよ。だから、たぶん、曲を聴いても全く違う印象を持っているのかもしれませんね。
ここ一年くらいは、長編を書く時には、勝手にマイ・サントラ、作っています。そういう馬鹿な事する人、あまりいないかと思っていたら、他の方のブログのコメントで、似たような事をしていらっしゃる方を発見。嬉しくなりましたね。
みなさんが書いている時に聴いている曲も、機会があったら聴いてみたいですねぇ。
iPhoneのプレイリストで
長い作品になると、BGMも多岐にわたり、まるでサントラのようになっている。
一つの作品が終わって「次どうしようかな」という時には、こういうサントラ系プレイリストは意識的に聴かないようにしている。いつまでも、前の作品の音楽に浸っていると、次の作品が書けないから。音楽がその切り替えのスイッチになっている。
現在、入れているプレイリストは、まだどの作品用と固まっていないもので、いくつかの氣にいった曲が適当に入っているんだけれど、そのうちの三曲が、別々の作品に合ってきだしている。で、曲が替わる度に別の作品の世界にスイッチが入るようになりつつある。とても忙しい。
そろそろプレイリストを分けないとダメかも。音楽聴く度にこんな事しているのって、私だけかなあ。
クラッシック音楽
クラッシック音楽の中でも好きなのは器楽、交響曲の類い。物書きの時のBGMとしても、そのほうがいい。日本語でなくても歌詞があると脳が混乱するからだ。
標題音楽や、当時の作曲家の置かれた状況を考えながら正統の方法での聴き方もあるが、物書きのBGMにしてしまった後は、どちらかというとその作品のものになってしまう。もちろん、私一人の中でだけれど。例えるなら、「ツァラストラはかく語りき」を聴いて、多くの人が映画「2001年宇宙の旅」を思い浮かべてしまうような条件反射が起こる。
好きな音楽から物語が生まれる→書いている間はBGMになる→書き終わったらその作品のテーマ曲に変わっている
こういう変遷をとった、大好きな曲は数知れず。ほかのもの書きの皆さんも、こんなことをしているんだろうか。
もの書く時のBGM
小説やその他の文章を書く時に、とても大切な要素がBGMっていうのは、私一人ではないと思う。私の場合は、ちょっと特殊かなと思うのは、どちらかというと構想を練る時に大きな役割を果たすこと。
その時々に夢中になっている音楽があって、それを聴いていると、感情が違う方向に動いていくんだけれど、それで構想中のストーリーが変わってしまう事すらある。
で、一つの話にかかっている時は、ほぼ常時、勝手に設定したテーマ音楽(集のこともある)をかけているので、書き終えて、その話から離れた後に、たまたまその音楽がかかると突然その世界に引き戻されたりもする。それで続編できちゃったりして。