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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】「文章を書く人への問い」に答える


今日は、バトンをやることにします。X(旧Twitter)で流れていたという質問らしいです。私はXですら辺境に存在しているらしく、見かけなかったのですが。TOM−Fさんのところで見て、これまで回答したことのないような質問だなと思ったので、強引にいただいてきちゃいました。

TOM−Fさんもおっしゃっていましたが、もともとは小説書きには限定していない問いみたいです。でも、私も小説に限定して回答してみました。というわけで、いきます。



文章を書く人への問い

もの書きイメージ by Public Domain


Q1 書く文章のジャンルは?

ジャンルは「小説、あれこれ」ですね。とくに決まったジャンルでは書いていないと思います。
比較的共通しているのは、比較文化がどこかに含まれているような内容でしょうか。あと本人が『旅』と『食べること』が好きなので、登場頻度は高いです。

書かない(というか書けない)ジャンルはある程度はっきりしていて、以下のようなものは手を出しません。
*ミステリー
*ホラー
*戦闘シーンが最重要となるような戦争もの
*本番シーンがメインとなるようなエロまたはBL/GLなど
*RPGゲームの知識が必要になるようなファンタジー

「あれこれ」じゃないじゃん。「人氣の出そうなもの以外」かも。


Q2 どんな雰囲気の文章が得意ですか?

得意かどうかは別として、書きたいのは、そこそこの上品さの感じられる文章です。対象とする読者の性別や年齢を特定していないので、誰が読んでも不快ではないように書き方を工夫しています。

それから、もっと大切にしているのが「読みやすくわかりやすい文章」です。といっても、いちおう最後まで投げ出さないでもらえるぐらいとかなりハードルは低めに設定していますが。(自分に甘い)


Q3 ストーリー重視の文章ですか、描写重視の文章ですか?

あえていうならストーリーですかね。とくに長編では明らかにストーリー構成重視です。もちろん描写も大切だと思っています。

それと作品や、その長さによって比重を変えています。作品のなかに観光案内を入れようと決めたような小説では、そうした描写の比重が大きくなります。短い掌編で雰囲氣だけを表現したいときなどは、ほぼ描写のほうにだけ力を入れます。


Q4 どういう文章を書く練習をしていますか?

訓練のためにしているわけではないですが、毎年開催している「scriviamo!」という企画やキリ番リクエストなどで、即興的に作品を書くことを定期的に行っています。自分の発想を超えたテーマや題材をだいたい1週間くらいの間に作品にするので、それが大きな訓練になったように思います。


Q5 将来プロを目指す文章を書いていますか?

とくにプロを目指した訓練はしていません。この8年ほどで、ほかの方に購入してもらうためではなく、自分が書きたいものを自由に書く、このブログでの発表というやり方が合っていると思うようになりました。


Q6 普段どのくらい文章を書いていますか?

日本語の文章は、このブログと小説書きがメインで、小説だけでも月に2万字くらいは書いているはずです。日常生活は日本語をほとんど使わない所に住んでいるので、日常的にほかの文章を日本語で書くことは稀です。メールやSNSは別として。


Q7 文章量をこなす書き方はできますか?

質問の意味が、今ひとつはっきりしないのですが「長い文章も書けるか」という意味であれば、できると思います。また、「コンスタントに書き続けられるか」という意味でも問題ないと思います。少なくともここ11年ほど続けています。

連載している長編小説と並行して、毎月5000字前後の掌編を書くというタスクもずっと続けていますので、文字数だけでいえば大丈夫です。まあ、中身はどうかと問われると、そっちはね……。


Q8 今の文章力をどう自己分析していますか?

あくまでアマチュアレベルの話ですが、「わかりやすい」は、そこそこかなあと分析しています。

現代および中世ヨーロッパ、アフリカなどを舞台にしたり、平安時代の話も書くなど、現代日本の読者には馴染みのない物事についての描写をよくしますが、そこで「意味がわからない」と思われないだけでなく「説明臭い」と鼻につかないような表現を常に探しています。その辺は、まだまだ向上したいところです。

それと、わたしの日本語はだいたい25年くらい前のものなので、古くさいかもしれません。とくに流行語の類いは致命的と思われるので、わざわざ昭和風のさらに古い言葉を交ぜてごまかしたりもしています。



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Posted by 八少女 夕

クリスマスに関する作品を集めてみました

クリスマス

今日は、発表する作品がない代わりに、このブログで以前に発表したクリスマスに関する作品をあれこれ集めてみました。

いや、新作連載を開始してもよかったんですけれど、すぐに3か月の「scriviamo!」で中断だし、年内はこんな感じでお茶を濁そうかと。すみません。

そんなにないだろうと思っていたのですが、探してみたらかなりありました(笑)

もし読んだことがない作品があったら、この機会にぜひどうぞ。




【小説】大道芸人たち (10)バルセロナ、 フェリス ナビダー
『大道芸人たち Artistas callejeros』内のクリスマスストーリーの1つです。

【小説】大道芸人たち 番外編 — アウグスブルグの冬
こちらは番外編。ドイツのアウグスブルグのクリスマスをモチーフに書いています。

【小説】二人きりのクリスマス
バレエ『くるみわり人形』をモチーフにして書いた話。大海彩洋さんの企画で書いた作品です。

【小説】冬、やけっぱちのクリスマス
これは日本的クリスマスに無縁で地味な紗英と、モテるお隣の歳下坊や宙の色氣のないクリスマスの話。

【小説】君の話をきかせてほしい
『いつかは寄ってね』『バッカスからの招待状』『ウィーンの森』という3つのシリーズのコラボ作品? 舞台は『でおにゅそす』で涼子がクリスマス風和装をしていますよ。(話にはその和装は全く関係ないですが)

【小説】バッカスからの招待状 -7- アイリッシュ・アフタヌーン
こちらは『Bacchus』が舞台で『いつかは寄ってね』『バッカスからの招待状』のコラボです。田中が涼子の想いに氣づかぬ朴念仁ぶりを発揮中。

【小説】バッカスからの招待状 -15- ブランデー・エッグノッグ
『Bacchus』が舞台の作品をもう1つ。つい先週発表したばかり。そういえば私もバブルの頃のバーは足が向きませんでしたね。まあ、まだ学生でしたし。入社したらもう弾けていたんだよなあ。

【小説】クリスマスの贈り物 (前編) / (後編)
『郷愁の丘』の外伝で、絶賛片想い中のさみしい中年主人公・グレッグのクリスマスを描いています。

【小説】帰りを待っているよ
読み切り短編で、子供のクリスマスの話。モチーフはリボンです。

【小説】追憶の花を載せて
こちらもよみきり。ポール・ブリッツさんのキャラクターをお借りして書いた作品。クリスマスそのものはあまり関係ありませんが、クリスマスローズが使われています。

【定型詩】孤独な少年のためのクリスマスソネット
これは『夜のサーカス』の世界観を使って書いたドイツ語のソネット(14行定型詩)ですね。
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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】創作者と読者と男と女

久々に【もの書きブログテーマ】を書くつもりになりました。【もの書きブログテーマ】は、ブログのお友達であるlimeさんの発案なんですけれど、創作ブログの方で同じテーマで書きたい方がありましたら、どうぞご自由に、です。今回のテーマは、「男女の考え方や感じ方の違い」です。

つい先日、とある男性創作者の方と交流する機会がありまして、「女性のことも普通に書いているけれど、女性から見てどうか」という話になったのです。これって、私にも悩ましいテーマでして、好き勝手書き散らしていますが、たとえば男性読者からは「こんな男いるか」とか「わかっていないなー」って感想を持たれているんじゃないかな、と思うんですよね。

昔(大昔です。元号がまもなく二つ前になるくらいの)は、一人で書いていましたし、リアルは全く充実していなかったので、とんでもない男性像を書いていまして、その当時よりはマシになったかと思いますが、それでもいまだに「結局オンナの書く絵空事だよな」的な小説であるのでしょうね。

ちなみに昭和時代にどんな話を書いていたかといいますと、女主人公の相手役は常に優男でした。(長髪率高し)

で、その優男は、何があってもどんなときでも、女主人公のピンチにはどこからともなく現れるんですが(仕事はしていないのか、っていうか、エスパーなのか、どこから湧いて出るのか)、ピンチを助けるだけで特に他の要求もせず、せいぜい手を握るだけ。

結婚して現実に男性と生活を共にすると、そんな優男はあり得ないことがはっきりします。で、現在連載しているような「手を出さない男性」を書く時には、「なぜ出さなかったのか」無理にでも納得できるような理由を考えるわけです。

書く方としては、もちろん「自分の書きたいもの」を書くわけですから、「そうあってほしい」方向に寄るのは仕方ないかなと思います。たとえば、私が別の男性のペンネームで、男性のフリをして男性読者を対象に、男性の喜びそうな小説を書いても、結局どこかに「これ女じゃないか?」とバレる要素が出てくると思うんですよね。それは、やはり今風の言葉で言う「萌え要素」が違うからだと思うのです。

女性作家は必ずそうだと言うつもりはありません。あくまで平均的な傾向です。私自身も普段は「女っぽさが足りない」といわれる性格・振る舞いであるにもかかわらず、どこか平均的な女性的感性を持っているように思います。

たとえば、恋愛でいえば、結果よりも途中が重要なんですね。どこへ行った、どんな台詞を言われたまたは言った、何を見た、何を共感してどこで泣いた、みたいなことの方が、実際に付き合った、服脱いだ、やることやった、などの結果より重要なわけです。

極端なことを言うと、たぶん同じ映画を観ていても、男性の多くが早送りしたい部分と、女性の多くが早送りしたい部分って違うと思うんですよ。

それで、滅多にないけれども私の小説で官能シーンを書くとなると、肝心なシーンは数行(しかもすぐに朝チュン)なのにその前がやけに長くなるわけです。盛り上がらせようという書き手としての「萌えポイント」が、その前の情景だの、台詞だの、実際の行為よりも前の部分に置かれているから。

さて、私が(全ての女が、ではないですよ。個人的な意見です)、プロの男性作家の小説で「ここ映画のDVDなら早送りしたい」とよく思うのは、例えば(戦闘能力が高くてかっこいい)主人公が、本筋から考えると必要もないのに、いい女の品定めをするシーン。たとえば、胸の谷間がどうとか、腰の位置がどうとか、その手のシーンです。それにそのセクシーな女となぜか秒速でベッドインする。これ、セクハラがどうとかいう理由ではないのです。口説きが全然ロマンチックじゃないんですもの、それだけ。

それに、武器の手入れをするとかいって、技術的な記述が一ページ以上も書いてあったりすると、読まずにめくっちゃいます。だって、どうせ理解できませんから。これは乗り物も同様です。私は乗り物で移動するのは好きなんですけれど、乗り物そのものにはまったく興味がない人なんです。SLでも新幹線でも、アルファロメオでも耕運機でも、あまり関係ないのです。

その一方で、花や宝石(鉱物含む)の記述なら一ページ続いても大丈夫です。勝手だ……。

そういう意味では、全ての読者を同様に夢中にさせる作品など、存在しないのかもしれませんね。その一方で、「女性読者をもっと増やしたい」とか「男性にも呆れられない作品を書きたい」という意思を持っているならば、まずは、異性作者の作品をたくさん読んで「なんでここがこんなにたくさん記述あるんだろう」というところを意識的に自分の作品に取り入れるといいのかもしれないとも思います。

それをできるのがプロなのかもしれませんね。(といって、またアマチュアを隠れ蓑に逃げようとする私……)
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Posted by 八少女 夕

「オリジナル小説書きさんへバトン」やってみた

久しぶりにFC2のバトンをやってみようと思いました。

自分でHTMLを使わなくていいのはいいんですけれど、回答の字数が短いんですよね。まあ、だから短時間で回答できるんですけれど。でも、ちよっとこれでは伝わらないという部分もあって。仕方なく、敢えてHTMLで編集し直しました。

すでにご存知の方も多い内容もありますが、また改めて回答し直してみました。


オリジナル小説書きさんへバトン



Q1. 小説を書き始めてどのくらいですか?

創作は長いけれど、文字オンリーの小説に転向してから……三十年は経っているかも。

Q2. 処女作はどんなお話でしたか?

忘れたけれど、神話系の短編だったかな。あ、今流行っているゲーム系じゃなくて、民俗学から入ってます。それから、短編集みたいなのを書いていた時期もあったな。いまでいうと「十二ヶ月の〇〇」シリーズのようなオムニバスですね。

Q3. どんなジャンルが書きやすいですか?

ジャンル、わけにくいです。無理に押し込むと恋愛系になるけれど、恋愛そのものはテーマじゃないし。だから恋愛ものでもはっきりとしたR18シーンは少ないです。嫌いだからというわけではなくて、重点がそこにはないというか。

Q4. 小説を書く時に気をつけていることは?

わかりやすいこと。読み易い文章、その世界の事を知らない人でも理解出来る内容などですね。

私は海外在住で、その経験に基づいた旅行ものなども書くんですが、文字だけではまったく理解できないような風物はできるだけ登場させないようにしています。

また、時代や国家の違う題材で書く時に、その当時、またはその国で存在しない概念や口調などをしないように氣をつけています。同じ色を表すのも例えば現代では「ピンク」でも平安時代には「薄桃色」「朱鷺色」と表現するなど。

もう一つの例を挙げると、現代日本の話ではない場合に、いくらわかりやすくても「女子会」とか「リア充」などのスラングで表現せずに一般的な普通名詞を使うことをルール化しています。

Q5. 更新のペースはどのくらいですか?

ブログでは最低でも週一度は小説を発表しています。反対に更新が多すぎないようにも氣をつけています。

Q6. 小説のアイデアはどんな時に浮かびますか?

通勤中、旅行中、ドキュメンタリーを見たり、本を読んだとき、あとは音楽を聴いているときに浮かんできたりします。

Q7. 長編派ですか? 短編派ですか?

どちらも書くけれど、力を入れるのは長編ですね。もちろん短いものでも言いたいことを伝えることは可能なんでしょうが、題材によってはそう短くはできないのです。

最近困っているのは、書き終えてから発表までにブランクがあるんですけれど、連載を終えるまでに勝手に続編の妄想が始まってしまい、書ける保証もないのについ「続編書きます」と宣言してしまうこと。これでまた続きがのびていく……。

Q8. 小説を書く時に使うものはなんですか?

Mac上で小説用エディタScrivenerで執筆。ePub形式に出力してiPhoneで校正と推敲します。

それから、資料は限られるんですが、可能な限り集めます。スイスに移住してから買った本のほとんどは小説用の資料だったりします。こちらで中世の城や博物館などを訪れる時もすぐに取材モードになります(笑)

Q9. 執筆中、音楽は聞きますか?

執筆中よりも、構想段階で聴きます。クラッシック、イージーリスニング系が多いかなあ。

Q10. 自分の書いた小説で気に入っているフレーズを教えてください。

一つだけだと、なんか伝わらなかったので、三つほどピックアップしてみました。余計伝わらなかったりして。

 流れ星がいくつも通り過ぎる。この人が無事に帰れますように。声に出したつもりはなかったが、肩にかけられた腕に力が込められた。
「大丈夫、帰れるさ。俺たちが出会ったあのバーで、もう一度テキーラで乾杯しよう」

 私は少し驚いて彼の横顔を見つめた。それから黙って彼の肩に頭を載せた。嘘でも構わない。まだ夢を見続けることができる。今は少なくともこの男の恋人でいられる。星は次から次へと流れていった。私は夜が明けないことを願った。

「終焉の予感」より



 風の音に耳を傾けた。

 人生とは、何と不思議なものなのだろう。閉ざされていた扉が開かれた時の、思いもしなかった光景に心は踊る。フルートが吹ければそれでいい、ずっと一人でもかまわないと信じていた。世界は散文的で、生き抜くための環境に過ぎなかった。

 だが、それは大きな間違いだった。蝶子は大切な仲間と出会い、そして愛する男とも出会った。風は告げる。美しく生きよと。世界は光に満ちている。そして優しく暖かい。

「大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 風の音」より



 バスがカーブを曲がった時に、瀧が目に入った。勢いよくほとばしる水の流れが悲鳴を上げている。黒い瞳が心を射る。その光はチェロの響きのように泣いている。私は彼の心を殺した。彼を弁護しなかったからではなく、あの時に二人が共有した想いを、ただの幻影として切り捨ててしまったから。私は二人の魂が閉じ込められたままの鏡を壊してしまったのだ。マヤの瞳からは涙が溢れ出した。蓋をしていた想いだった。それは止まらない。存在しなかったはずの魂は、まだそこにあったのだ。

「夜想曲」より


Q11. スランプの時はどうしてますか?

ご飯食べて、お風呂入って寝ます。出てこないものは出てこないんです。

Q12. 小説を書く時のこだわりはありますか?

特にない……かも。敢えて言うなら「ウケるポピュラーなジャンル」ではなく「自分だからこそ書ける物語」を書く事かな。まあ、だからこういう地味な小説になるんですけれどね。

Q13. 好きな作家さん&影響を受けた作家さんはどなたですか?

H.ヘッセ、M.クライトン、G.マルケス、福永武彦

Q14. 感想、誤字脱字報告、批評……もらえると嬉しい?

もちろん嬉しいです。いいものも、悪いものも。誤字脱字報告はほんとうに有難いです。

Q15. 最後に。あなたにとって「書くこと」はなんですか?

このブログのタイトルどおり、「scribo ergo sum (書くからこそ私は存在する)」




やってみたい方は、どうぞおもちかえりください。
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Posted by 八少女 夕

「赤スグリの実るころ」に見る私の小説

さて、「赤スグリの実るころ」という小説を書くにあたって、考え込んだことについてここに書こうと思います。

赤スグリ

この小説はscriviamo!という私の主催している企画のなかの一篇です。この企画では、さまざまなブロガーの方が創作作品や記事で参加してくださったものに対して、私がお返事という形で主に掌編をお返しする企画なのですが、「赤スグリの実るころ」は、GTさんが書いてくださった作品へのお返しです。

この「赤スグリの実るころ」は、不定期で連載している「リゼロッテと村の四季」というシリーズの番外編で19世紀末から20世紀のスイス・グラウビュンデン州にある架空の村を舞台に話を展開させています。このカンポ・ルドゥンツ村は、私が現在住んでいる村がモデルです。そして、出てくるモチーフや風習などは、全て当時のものを調べたか人づてに聴き取ったことを反映させています。つまり、私の創作ではありますが、かなり実際の地理天候ならびに文化・歴史が反映された作品になると思います。

この作品を書くにあたって私が意図したのは、もちろん常に意識している私の創作テーマが根底に流れていますが、その上に現在96歳になるある歴史の生き証人から直接口頭で聴いたことを日本語の文章で残すことです。そして、その中にはおそらく日本人が日本で書こうとしても決して書けない内容がたくさん含まれています。私は日本人としては特別優秀な書き手ではありませんが、「日本語でこれを書けるのは世界に私一人だ」という題材を持っているラッキーな人間の一人だと思っています。

さて、話は元に戻ります。

「赤スグリの実るころ」を書いたのはGTさんへのお返しだと先ほど書きましたが、このGTさんは世界名作劇場の熱烈なファンでいらっしゃいます。そしてですね、私の周りにはこの世界名作劇場の熱烈なファン、またはそれに関わっていらっしゃる方がけっこういらっしゃるのです。どなたも並ならぬ情熱を傾けていらっしゃって、さらには児童文学にも強い関心をお持ちの方がいらっしゃいます。

なぜそういう方が私の周りに多いかというと、偏にマイエンフェルトのあるグラウビュンデン州に住んでいるから、必然と聖地巡礼をなさる方とのご縁ができるわけなんですね。

そして、私本人は、実はそのフィールドにとても弱い人間なんです。

もともとスイスに関する関心はゼロで、一生足を踏み入れなくても構わないと思っていました。「アルプスの少女ハイジ」のアニメも放映当時に見ただけですから詳細はほとんど憶えていません。その程度の関心しかなかったのです。その他のスイスを舞台にした名作劇場は存在すら知りませんでした。

実際に、名作劇場ファンの方、もしくは、関わっていらっしゃる方とお話しさせていただくと、その想いや情報の詳しさは驚くべきレベルです。一つの愛好ジャンルとして多くの人びとの中に完全に定着しているのですね。

愛されている作品群に共通するのは、もともと子供向けに作られたものであること、純粋で、努力を尊び、最終的に(大抵の場合は)優しくけなげな主人公たちが報われて、幸せな結末を迎える、そういう「いい作品」であることだと思います。また、子供には理解できないような複雑な人間関係や、どうすることも出来ない世の中の理不尽もほとんどでてきません。それはいい悪いではなく、そういうものです。

その世界は、実は、私の描き出すものとは少し、いいえ、まったく違う世界なのです。

なにが言いたいかというと、同じような舞台設定、同じような時代の小説を書いていても、表現する人間が意図するものによって全く違う中味になると言うあたり前のことなんですけれど、それが「スイスの田舎の子供たちの出てくる小説」とまとめてしまうと、どうもそれがなかなか見えにくいように思うのです。

スイスの児童文学っぽい小説には、ずっと手を出すつもりはなかったんですが、それをすることになったのは、上でも書いたように、ある方から口承で得たこの時代のこの世界の話を書き残すためにはこういう形が一番だと思ったからです。でも、やはりパッと見には同じタイプの小説に見えるかなと思ったんです。

それで、「赤スグリの実るころ」のあえてGTさんの書かれたモチーフを重ねてみました。重ねることでその違いが明らかになるようにです。うちのヒロイン・アナリースには、非常に可愛げのないところがあります。勉学のために旅立つ将来の夫となるヨーゼフの身を案じたり、「早く帰って来てね」と泣いたり、心をこめてて料理を振る舞うという女の子らしさ、GTさんの作品で見られたけなげなヒロインの姿はなく、むしろ正反対の女性像を持ってきました。

このエピソードは、既に私の頭の中にあったものですが、私は「これがアニメではなく実際のスイスの当時の女性だ」と言うために書いたわけではありません。作品に書かれた女性の権利についての記述はすべて当時のこの地域の常識だったことですが、「可愛い純粋なヒロイン」が存在しなかったということではないんです。

単純に、私の興味は、等身大の人間の心の動きに向いているということです。それもどちらかというとピュアで幸せな心の動きよりも、弱くてよどみ蠢く、けれど決して邪悪ではないごく普通の小市民の心の動きなのです。

「黄金の枷」シリーズの中でもテーマに据えていましたが、人間はその周りに据え付けられた社会慣例や因習、貧富の差や時代背景といった簡単に越えられない枠組みに捉えられています。物語を書く人の中には、魔法や持って生まれた才能、超人的努力、もしくはその枠組みそのものを見えなくすることで主人公が幸福を獲得していく、現実とは違うものを描き出したいと思われる方がいます。そして、そうした物語の需要の方が多いのもまた事実です。

私が書こうとする物語は、枠組みの中で苦悩する人間そのものなので、かならず枠組みがそのまま提示されます。平ったく言わせてもらうと、簡単に枠組みを克服されると、書くことがなくなってしまうんですよ。

ということを、なぜここで長々と語っているかと言いますと、世界名作劇場が好きでそのつながりでここにたどり着いた方は、「赤スグリの実るころ」を読んでおそらく戸惑われるだろうと思ったからです。

他の作品はともかく、「赤スグリの実るころ」ならびに「リゼロッテと村の四季」シリーズは、「きれいなスイスが好き」「世界名作劇場みたいな世界が好き」という方にはきっと肩すかしな小説になっているだろうなと、しみじみと感じたここ二週間でした。
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Posted by 八少女 夕

毎週水曜日は……そして年のはじめの二ヶ月は……

今日のカテゴリは「もの書きブログテーマ」ですが、もしかしたら「このブログのこと」でもいいのかなあ。そういう微妙なカテゴリのお話。

今年最後の小説として発表している「ヴィラ・エミーリオの落日」ですが、記事にも書いたように2007年に書いた古い小説です。

「これをなぜ今ごろ、しかも季節が全く合っていないし」
そうお思いになられている方もあるのではないかな、と想像しています。正にその通りです。

この謎の発表のし方には、理由があります。要するに、今年中にピッタリ終わる小説のストックが他になかったんですよ。

来年からは、例によって「scriviamo!」が始まります。そうすると二ヶ月間程、連載ものは発表できません。だからここで新連載を始めるわけにはいかない。その一方で、一回読み切りのストックは今のところひとつしかなくて、それは「バッカスからの招待状」う〜ん。この間クリスマスバージョンを発表したばかりだしなあ、それに残りの2週間は発表するものがなくなっちゃ困る。そう思うと、あれが一番都合のいい長さだったんです。

そうなんですよ、私の中で「毎週水曜日は、小説を発表する日」という縛りがあるんですね。別にそうする契約をしているわけでもないし、プロじゃないんだから、一ヶ月間でも二ヶ月間でも、何も発表しなくてもいいんですけれど、なんでしょうね。そうしたいんです。

「来てきて」「読んで!」と騒いだからには、「じゃあ、読みに行ってやるか」と、どなたかがいらした時に「なんだよ、全然小説更新していないじゃん」と舌打されるのが嫌なんですよ。そして、そういわれてもしかたないくらい、私は「読んで読んで」と騒いでいます(笑)

それと、連載物はある程度コンスタントに発表したいんです。前のことを憶えていてもらいたいような関連性のある続き物は、一週間ごと、やむを得ない事情があっても三週間以上は空けたくありません。なぜかと言うと書いた本人は憶えていても読まされる方は「この○○って誰だったっけ。あ、ヒロインだった」というところまで忘れちゃうものだと思うから。もちろん、私が伺っているよそのブログのように、熱烈なファンが作品の発表を待っているところは、どれほど空けてもみんな憶えていてくださると思いますよ。でも、うちはそういうところじゃないくらいの自覚はあるんです。

かといって、短い間にブランクを置かないで一万字や二万字ずつを更新するような頑張りを発揮しても、おそらくついてきてくれる方はわずかです。というか、私の小説のような題材でそんなことをしたら、迷惑に思われることと思います。みなさん忙しいですしね、そこまでこういう小説に使う時間はないんですよ。

五年くらいブログを運営してきて、実感でこれぐらいが「いやいやながらもみなさんがつき合ってくれる」と思えるのが、週に一度、二千字から八千字、という更新のし方なんですね。だから、私はそれを死守しようと思うんですよ。

誰もが飛びつくような「萌えどころ」や、寝食を忘れて読んでいただけるような面白い内容、誰もが唸るような技術といった、もの書きとしての「売り」が足りていないと自覚しているから、少なくとも「ここに行けば何となく読むものはある」「しかも極端に多すぎない」という安定性だけは欠かしたくないのです。(しかも今年もここまでそれをほぼ死守したんで、今さら三週間も穴を空けたくないんです……)

「scriviamo!」を続けるのも同じ理由です。みなさんが書いて(描いて)くださる渾身の力作と比較すると、私のお返しする作品ひとつひとつは「え〜と」な出来です。でも、二ヶ月間続けることに意義があって、みなさんと盛り上がれることが一番大切だと思うんです。一年のはじめは「あれがあるぞ」とみなさんに思っていただけてこその企画。

「継続は力なり」の精神で頑張っています。だから、懲りずにおつき合いいただけると、とてもとても嬉しいです。
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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】描写と得意分野の話

今日は自作小説について語るんですが、どこに分類していいのか微妙なので、いちおう「もの書きブログテーマ」に入れてみました。

「もの書きブログテーマ(limeさん発案)」にしたので、よかったら皆さんもこのテーマで何か書いてみてくださいね。


ある日曜日の外食……

二次創作や漫画は別なんですけれど、オリジナル小説は、作者の関心の多い所に描写が偏るように思うんですよ。それはいい悪いではなく、そのままその人の味になるのだと、私は勝手に思っています。

例えば、私がよくお邪魔させていただくお友だちのブログでは、メカ系の描写がすごいところもあるし、女の子のファッションに目をみはるものの所もあります。音楽の専門知識が全体を見事に彩っているところもあるし、魔法の呪文の設定やそれをかけられた結果の描写が細かい所もありますし、きれいな男の子の繊細な美しさに描写が集中している所もあります。

これらはすべて私自身は苦手としている内容ばかりなので、よけい「すごいわ〜」と感心して印象に残るんですけれどね。

で、私は何が得意なのかなと見回してみると、目をみはるようなすごい描写って全く書けていないぞと愕然。こればかりは「今日からこれを得意にしてやっていきます」と宣言しても書けないのでしかたないんですけれどね。

アマチュアにしろプロにしろ、私小説に近い題材で華々しくデビューした方が、二作目でぱたりと書けなくなってしまうという話を聞きますけれど、それは「書きたいこと」はあっても、それに伴うリアルな肉付けが現実のことを書いた第一作に較べて書きにくくなるからじゃないかなと思うのです。

私は、レベルの話は棚上げにして、ずいぶんとたくさんの作品を書き散らしていますけれど、どれにも共通するディテールの書き方があるように思います。それはとても単純な法則で「知っていることは細かく書き、知らないことはあっさりと触れる」ということです。

という法則に照らすと、例えば上で出てきたような「女の子のファッションについて」などは、悲しくなるくらい描写が少なくなるのです。これは現代ものでもそうですし、中世ヨーロッパをモデルにした世界でも同じです。

とはいえ、全く触れないわけにはいかないこともあります。例えば「大道芸人たち Artistas callejeros」のヒロイン蝶子は「大道芸人のくせにおしゃれにうるさい面倒くさい女」という設定なので、洋服のことを書かないわけにはいかず、たま〜に触れています。でも、それほど必要でもない「夜のサーカス Circus Notte」のヒロインステラなどは、ファッションの描写がほとんどない、というような状態になります。だって、そんなのあの話では必要じゃないもの。(なんて開き直り)

さて、小説を書くからには細かい描写がないのはつまらなくなるので、何かしら普段自分の関心のあることでそこを埋めていくわけです。それが私の場合は、旅で目にする景色と、音楽と、それから食事のシーンということになるわけです。

普段の生活でも、自分のために買うものといったら、洋服や化粧品よりもキッチングッズの方がずっと多い私です。海外旅行に行っても、食べることばかり考えているように思います。きっと私はものすごい食いしん坊。(「きっと」じゃないよ、何を今さら……)

「十二ヶ月の野菜」シリーズは、もともとテーマが野菜だからいいとして、それ以外の小説でも本当に食べてばっかりです。「大道芸人たち」も、「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」も、「夜のサーカス」も、「ニューヨークの異邦人たち」シリーズも、「バッカスからの招待状」シリーズも、「Infante 323 黄金の枷」も、それどころか、美味しいものなんかそんなになかったはずの「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」まで、何かあると食べるシーンばかりになってしまいます。

「ヒルシュベルガー教授」の出てくるシリーズなんて、食べる以外何があるのか……。

今、メインで書いている「郷愁の丘」にも食べるシーンが何回か出てきます。ジョルジアの手料理もでてくるんですよ。

たぶん、私が書いているものをたくさん読めば読むほど、私が普段何を食べているか全部バレてしまうような氣がします。

ちなみに「あのシーン、お腹が空きました」とおっしゃっていただくのは、飛び上がるほど嬉しい讃辞です。実際には視覚でも嗅覚でも、味覚でも訴えられないものを、文字だけで伝えられたら、作者冥利に尽きますものね。
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Posted by 八少女 夕

主人公とヒーローとヒロインと

またしても自作小説に関して語るコーナー。

このブログでは、長編のはじめに、「あらすじと登場人物」を出来るだけ置くようにしています。これは連載の始めに来訪者に「あれ、こんな話なら読んでみようかな」と興味を持っていただくための仕掛けであると同時に、連載途中で「こいつ何者だったっけ」と思われた方が簡単に思い出せるように常にリンクをしておく役割も持たせています。

で、もちろん最初は主要な役割をする人物から書いていくわけですがそこでいつも筆が止まります。

「この作品のヒロイン」はさらっと書けるんですが、「この作品のヒーロー」と書こうとすると「そうか?」と首をひねってしまうんですね。

話をわかりやすくするために過去に連載した長編の話で書きますね。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の主人公はマックスです。(異論があろうとなかろうと、マックスなんです。レオポルドじゃありません・笑)でも、あの人のことを「ヒーロー」と書けるであろうか、いや、書けない(漢文翻訳調)

ヒーローという言葉には「英雄」という意味が含まれているように思うんです。でも、うちに出てくる主人公的男、英雄が少なすぎ。というか、ゼロ? 英雄とまでいかなくても、主体的に問題を切り拓いて、少なくともヒロインを救い出していれば「ヒーロー」と書いてもいいように思うんですけれど、そんなことやっている人もほとんど見当たりません。ほとんどじゃないか、全然いません。

「ヒロイン」というのは「ヒーロー」の女性形ですが、別に英雄的役割が期待される単語ではないと思いますし、一般的なヒロインのお約束のように外見的美しさと内面の美しさの両方を兼ね備えているタイプのキャラクターはうちにはいないんですけれど、それでも「ヒロイン」という言葉に疑問を持つほどではないかなと思います。そう思うと「ヒロイン」という言葉のさす範囲は「ヒーロー」よりずっと広いのかもしれませんね。

私が「この作品の主人公」と「この作品のヒロイン」という言葉を遣うのは、「この作品の主人公」が二人いると奇妙かなと思うからで、実は主要な役割を女が持つ場合でもこうやって書くことが多いです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」は別で、この話だけは主人公は「Artistas callejeros」と呼ぶグループ4人全員という位置づけになっています。

さて、どうして私の小説のメインキャラクターに、こんなタイプばかりが来るのかなと考えてみました。

おそらく書こうとしているものが「憧れ」を発端としての小説ではないからなのではないかと思います。小説の書き方をものすごく乱暴に二つに分けると「自作小説くらいは好きなものやこうあってほしい世界で構成したい」という方と「自分がみて考えている世界を投影したい」に分けられるように思うんですよ。で、私の小説はきっと後者なんですね。頑張って前者を目指して書き出しても、必ず後者に寄って書き上がってしまうのです。

私は例えば「水戸黄門」の世界も好きです。週に一度、悪代官と悪役商人が懲りずに悪いことをして、それをバッタバッタの殺陣と印籠で制して世界を平和に導く、あのわかりやすい物語性にスカッとします。同様に職業作家や多くのブログのお友だちの書かれる上でいう前者タイプの小説を読むのも好きです。でも、それは私の書きたい物ではないんですね。

私が書いているのは、もしかすると、一種のセラピーなのかもしれません。誰に対してではなく、自分に対しての。

特定のジャンルに分けられる作品を書きたいのではなく、面白い物を書きたいのでもなく、起承転結にあたる完璧な構成の物を書きたいのでもない。ましてや私が愛している人格のことを書きたいわけでもないようなのです。

男でも女でも、私の書く主要人物は美点よりも弱さや欠点、欠点というのが言いすぎならば抱える問題の方が目につきます。

私が書き続けている全ての作品を貫くメインテーマ(漢字で二文字の「○○」)は、私自身に対する客観的なアプローチです。私はそれを私自身の抱える問題とは呼びません。全ての物事にいい面と悪い面があるように、私の対峙する大テーマにもいい面と悪い面があります。私はそれを、自分の生涯に寄り添うパートナーとして、ありのままに受け入れたいと思っているのです。

私小説のように現実の具体的な出来事に対するアプローチではなく、もっと多角的に新しい世界を作り出す楽しみの中で、常に同じテーマに対してそのいい面とよくない面、もっというなら様々な選択と受容を提示しつつ書いているのだと思います。

話は戻ります。こういうタイプの小説の主要人物を語るのにちょうどいい単語って、「主人公」「ヒーロー」「ヒロイン」に他にないんでしょうかね。

今一番メインで書いている小説、どうひっくり返しても「ヒーロー」と「ヒロイン」の物語じゃないんですよね。
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Posted by 八少女 夕

感想コメントの話

今日は、「もの書きブログテーマ」に分類していますが、とくに皆さんにも書いてという話題ではなく、なとんなくここの所思っていることを書いてみようかなという程度の動機で書き始めました。

長編小説の最終回や、一遍に発表できる読み切り掌編や記事はいいのですけれど、連載小説って発表する場合も、他の方の小説を読んでコメントを書く時も困ったりすることがあります。

わかりやすくするために話を単純化しますね。

例えば、ミステリーの長編小説で第1回目に「あ、こいつ犯人」と思ったとして「犯人は○○じゃないかと思います」という感想って書きにくい。というのはコメントに答える方は最終回までその話題に触れたくないとわかっているからです。「そうです」とも「違います」とも言いたくないに決まっているじゃないですか。

もしくは、「この人いい人で好きです」と感想をもらったとして、実は「こいつが一番のブラック!」というどんでん返しを用意している作者は「いい人なんですよ」とも「騙されないでください」とも書けない。反対に、全く的を得た指摘でも、ここで「そうです」って言ったら、「あとの一年間の連載は意味なくなるし」ってこともありますよね。

そんなことを考えると、自分が小説を読んでコメントを書くときにもけっこう悩みます。しかも、それでもいろいろと地雷を踏みまくります。コメ返の行間から作者の方が「……」となっている様子がにじんでたりすると「あらら、やっちゃった」と。

とはいえ、自分ではコメントはどんな形でも嬉しいし、反対に全くコメントがつかないと「ド、ドン引きされている?」と不安になりますし、「こういうコメントはしてくれるな」というつもりは全くないのです。単純に難しいなと。

考えると、長編だと発表する度に感動するシーンばかりではないですよね。全く面白くないシーンや、「?」なシーンだって途中に挟まなくちゃならない。特に私の場合、大体二千字を目安に切ったりするので「その質問はごもっとも。でも、それは来週」という記述もあるし、たぶん読者の方もわかって感想を書かざるを得ないというのもあると思います。

新聞の連載小説だったら、感想をもらっても作者がいちいち回答することはないから、反対にいうと心置きなく感想を書けるでしょうし、だいたい毎回感想を送るような方もいないかと思います。でもブログの交流の場合は、「ちゃんと読み続けているよ」という意味を込めて書くということもあるし、もらった方も「この人のだけはネタバレに繋がるので返事はやめちゃえ」というわけにはいきません。

このブログに関して言えば、毎回、本当に申し訳なくなるくらい皆さんが氣を遣ってコメントを書きこんでくださり、それがとても嬉しいのです。だからネタバレになろうとなんだろうと返事はします。

全員に回答しないという選択肢もあるでしょうけれど、一日に何百とコメントの入る有名人のブログならまだしも、せっかく構っていただけているのに無視って、私としては考えられないので、いただいたコメントには(単なる商品売り込みなどは別として)ちゃんと返事をしたいんですよ。(たまに誤摩化すけれど)

そして、自分が感想を書くときにも、もし自分だけに返事してくれなかったら、二度とコメント書き込まないでしょうし。

というわけで、毎回、いただいたコメントに返事する時も、コメントを書くときにもものすごく悩んでいます。あ、悩んでも結局、地雷は踏むんですけれど。
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Posted by 八少女 夕

「創作者バトン」もらってきました


今日は、バトンをやることにします。しかも一度答えたことのあるバトンです。大昔(ブログを始めた頃)だけれどね。

で、なんでやろうかと思ったかというと、canariaさんのところで見て、なんか自分の回答が当時と変わったかもと思ったからでございます。その後にも、創作や小説に関するバトンは既にいくつも答えているのだけれど、けっこう大事かなと思った質問に変化が出ているので、最新回答として再トライすることにしました。



創作者バトン



Q1 小説、漫画などの創作媒体は何ですか、またそれを選んだ理由はありますか。

小説。
消去法です。マンガとイラストは、絵を描くのが大変で挫折しました。つまり表現したいことを自在に描写するのに、文章しか残りませんでした。そして、詩は、ソネット(十四行定型詩)をたまに作りますが、とにかく難しいですね。


Q2 主に行っているのは一次創作ですか二次創作ですか。

一次創作です。誰にも氣兼ねなく登場人物や物語を動かしたいので。


Q3 得意なジャンルは何ですか、また苦手なジャンルは何ですか。

得意: って、訊かれると「ない」としか答えられないなあ。よく書くというか、そういうのしか書けないから書くものは、日常の中で心の動きが変化するタイプの小説か、異なる文化から来た人たちの交流の小説でしょうか。

苦手: 絶対に書けないものは、戦争や社会問題に深く切り込むような小説。圧倒的に知識が足りないから。書けるとしても今後も書くつもりのないものは、BLと魔法もの。山のように書きたい人がいて、実際にそういう方がたくさん書いているジャンルに、わざわざ足を踏み込む必要はないと思うから。


Q4 作品を作る際にプロットや設定資料のような物を作りますか。

長編は作ります。というか、どこかにまとめておかないと、途中で忘れちゃいます。「森の詩 Cantum Silvae」シリーズや「黄金の枷」シリーズのような、現実に存在しない設定を作らなくてはならない時はなおさらです。地図、年表、人間関係、年齢なども適当にダラダラ書いていると、あとから矛盾が見つけにくくなるので、要注意ですかね。短いのは、プロットもへったくれもなく、そのまま書いちゃいますが。


Q5 創作中に設定の練り直しや、文章の推敲等は行いますか。

推敲は、章ごとくらいに一度します。長編の場合、始まりと終わり、それに主要シーンが脳内で確定してから書きはじめるので、設定を大きく変えることは稀です。でも「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」はやりましたね。ストーリーそのものは変えていないんですが、構成を組み替えて主人公たちの物語よりも、背景となる中世ヨーロッパの時代の方にもっと重点を置く話に書き直しました。


Q6 Q5を答えた方でその際に修正に気がとられて創作が先に進まなくなることはありますか。

細かい推敲では影響はありません。話を書き進める時間と、推敲をする時間が違うので。推敲は、会社の昼休みや夜寝る前、もしくはブログで公表する前などにちょこちょこします。

それよりもブログの記事に時間をとられて、創作が進まなくなることの方が……。


Q7 ジャンル、メディアを問わず、自分に大きな影響を与えていると思う作品はありますか。

へルマン・ヘッセ「デミアン」
マイクル・クライトン「北人伝説」
ジェームズ・グリッグ「カオス」
ガルシア・マルケス「エレンディラ」
フェンテス「アウラ・純な魂」
ライアル・ワトソン「アフリカの白い呪術師」
それにあちこちの神話伝承かな。

クラッシック音楽やニューエイジまたはヒーリングといわれるジャンルの音楽も創作の源流だったりします。


Q8 スランプ等は経験したことがありますか、その原因は何だと思いますか。

スランプというほど、追いつめられたことがないかも。書きたいときにしか書いていないので。ブランクはいつも適度にあって、長かったのは1991年から2010年までで、この間は10作品も書いていないかも。もっともそれはスランプで書かなかったのではなくて、単に書くつもりがなかった、他にやることが山ほどあったからですね。妄想は常に頭の中にありましたから、創作そのものをやめていたわけでもなかったんですよね。



Q9 自分が創作を行う際の目的や原動力はなんだと思いますか。

目的はないです。勝手に出てくるものを書き留めるか、そのまま行ってしまうにまかせるか。


Q10 作った作品は公開していますか、またその方法は何ですか。

かつては同人誌や参加費無料の商業誌にも書いていましたが、現在はこのブログで発表するものがほとんどです。


Q11 こういった作品は好きになれない、苦手だというようなものはありますか。

好きになれない、苦手とまではいきませんが、日本から離れて長いので最近の常識のような知識が欠けています。ですから、たまに前提知識が全くなくて、何の話をしているのかついていけない小説にあたることがあります。魔法ファンタジー系やラノベに多いですかね。単語の意味が分からないレベルですから。そもそもそういう読者は想定していないと思うので、そっと読むのをやめています。それとホラー、スプラッタ系は本当に苦手です。


Q12 あなたの作品を色にたとえると何色だと思いますか。

グレーとか、焦げ茶とか、その手の地味な色合い。


Q13 あなたの作品を風景にたとえるとどのような風景だと思いますか。

どこにでもある、なんの変哲もない日常風景かな。


Q14 自分的には良い出来だと思う作品、真剣に作った作品が、他人からは評価を受けなかった場合はありますか。

自分が思った以上の評価をいただいてばかりいるように思います。


Q15 Q14とは逆に自分では失敗作だと思った、手を抜いていた作品が、他人から評価された場合はありますか。

手を抜くというような器用な書き方はできない(笑)失敗作だと思ったら公表しないんですが、内容から「これはきっとドン引きでスルーされるな」と思った作品が評価されて驚いたことはあります。


Q16 自分の作品はどういった人に評価してほしいですか、またどのような人に見てもらいたいですか。

評価していただけるならどんな方でも嬉しいですとも。評価していただけなくても読んでいただけるのは嬉しいです。


Q17 科学的な根拠や、現実性の追求等、リアリティにこだわりますか。

そうですね。基本的には現実、もしくはその時代になかったものを登場させないように心を配ります。「樋水龍神縁起」関係では陰陽師や「見えないものを見える」人たちがでてきますが、ここにも当時の役所であった陰陽寮や学問であった陰陽道の部分を強調したり、「見えない人たち」を配置して両方の視点を持ちながら書くようにしています。


Q18 創作を始めたきっかけは何ですか、またそれはいつ頃ですか。

記憶にある限り昔から「お話」を考えている子供でした。最初の記憶は幼稚園に入る前です。稚拙なマンガを描き始めたのは小学校。文字だけで作品を書きだしたのは高校生の終わりくらいからです。


Q19 ストーリーを前半、中半、後半に分けた場合、それぞれの場面でどういったことに注意しますか。

前半は説明の部分が多くなるので、丁寧にしますけれど、しつこくならないようにしますかね。中盤部分には飽きないように盛り上がるシーンを入れます。起承転結の承や転がわざとらしくならないように考えます。後半は、ちゃんと畳むことが大事だと思っています。でも、説明くさくならないようにしたいですよね。


Q20 創作をしていてよかったことはありますか、また苦労したことや悩みはありますか。

小説ごとにいろいろな人生を生きるようなものですから「こういう風に生きたかったのに、生きられなかった」と悩むことから解放されます。苦労や悩みはないですよ。私はアマチュアですから悩むほど大変ならやめます。プロはそうはいかないから大変でしょうね。


Q21 自分の作品に共通するようなテーマやキーワードはありますか。

これは何度も書いていますが、発表したすべての作品に共通するメインテーマがあります。読者の方の自由な読み方を制限したくないので、公表していませんが、どの作品も似たような傾向になるのは、このメインテーマのせいです。メインテーマは漢字にすると二文字です。あ、「恋愛」じゃないです。それとは別に作品ごとに、個別にサブテーマも設けています。サブテーマに関しては公表することが多いです。


Q22 自分の作品の気に入らないところ、改善したいところはありますか。

う……。実は、公表したものはみな氣にいっています。素晴らしいとは全く思っていませんが、氣にいらないものは公開しないし、そもそも書かないです。でも、改善すべき所はありますね。文章のクセで良くない所もあります。あと、何度校正してもくだらない変換間違いを見逃したりするのは悲しい。(ご指摘くださるみなさん、本当に助かっています)


Q23 過去の創作で一番気に入っている作品は何ですか、またその作品のどのような点が気に入っていますか。

う~ん。一つだけって言われるとなあ。「樋水龍神縁起」と「大道芸人たち」のどっちがと言われても困るし、「Infante 323 黄金の枷」も「夜のサーカス」も「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」もどれも可愛いんだ……。(そういう問題じゃないって)

いいや、これにしよう。「十二ヶ月の野菜」毎月ひとつの野菜(というか食卓に上がる植物)を取り上げて小説を書いた連作なんですけれど、話のバラエティもいろいろとあって、さらに、それぞれの野菜を割合に上手く生かせたかなと思っているので。


Q24 その作品のキャッチコピーを考えてみてください。

こんな野菜がある。こんな人生もある。


Q25 主要登場人物の年齢や性別に傾向はありますか、また作中の人物の男女比などを気にしますか。

比較的成年が出てきやすい傾向はありますかね。男女比は、偏りすぎない程度は氣にします。


Q26 未完成で投げてしまった作品はありますか、またその作品を完成できなかったのはなぜだと思いますか。

ありますよ。時間を置いているうちに根本的な設定を「くだらない」と思うようになってしまったから。


Q27 その時の流行等を意識して作品を作りますか、またそういった作品に対してどういった考えを持っていますか。

意識します。というか、極端にサイクルの短そうな流行は書き込まないように意識します。例えば「ヤバい」は会話の中で使いますが「萌える」は使わないようにしています。理由は「ヤバい」は30年ほど生き抜いている言葉ですが「萌える」はいつ死語になるかわからないからです。


Q28 その時自分が熱中している物事の影響が作品に出やすいですか。

出やすいですね。


Q29 自分の作品が販売されることになったとします、表紙等はどのようにしたいですか。

プロのイラストレーターさんに描いていただけたら、そりゃ嬉しいですよね。なくても販売されたらそれだけで嬉しいけれど。


Q30 登場人物を作る際、どのようにして人柄やイメージを作りますか、また人物で重要視することは何ですか。

モデルがいる場合は、その人の言動を思い出しつつエピソードごとの言動を考えます。いない場合は、自分の都合でキャラクターの言動がコロコロ変わらないように注意します。


Q31 自分は登場人物を殺す方だと思いますか。登場人物を殺すことに対してどのような考えを持っていますか。

あまり殺さない方です。作品で扱う話が、そう簡単に人が死ぬような極限のシチュエーションでもないので、バンバン死ぬのは不自然です。ストーリーの進行上それが必要な場合は死なせることももちろんあります。


Q32 暴力やグロテスクな表現、性描写に対してどのようなスタンスを持っていますか、また自分は使用しますか。

扱っているサブテーマによります。大人の人生や恋愛を扱っている場合は性の問題は入れない方が不自然なので入りますが、官能小説ではないので、あまり具体的には描写しません。具体的に書いてもうっすらと匂わせても、表現できることが同じ場合はうっすらと。最近の傾向として「恋愛ものを描くならR18描写をしないと評価されない」的にわざわざR18シーンを書かれる方が多いようですが、そういうものを目的に読まれる方には別に読んでもらわなくてもいいと思っています。暴力も必要なら書きますが、性描写よりもっと少ないですね。


Q33 日常的(食事風景等)な描写に対してどのような価値観を持っていますか、また自分は使用しますか。

「この人はきちんとした性格だった」と一文で書くよりも、例えばどんな風に食事をしているかを描写して表す方がいいかなと思います。お箸の持ち方、コーヒーカップの置き方、どんな料理をするか、どんなものを注文するか、洗濯のし方、部屋の様子などなど、日常的な描写はものすごく大切だと思っています。


Q34 作品の評価ポイントはどこにあると思いますか、他人の作品を見る際はどのような点に注目して見ていますか。

この方は何を伝えようとしているのかなと最初に考えます。例えば「ひたすらエンターテーメント!」な作品なら一緒に楽しみますし、社会の不条理に対する怒りから書かれたものならそのポイントに注目します。でも、「こうあるべき」というような思い込みで頭から判断をしないようにしています。ものを書く者としては「自分には書けない点」を何か学ぼうとは思っています。思っているけれど、たいていはマネすらも出来ないんですけれど。


Q35 意図的であるなしにかかわらず作中で多用する表現、台詞、描写などはありますか。

ありますね。文章のクセという困った問題もあるんですけれど、別の作品で似たようなシチュエーションになってしまうこともあり「しまった。あっちの作品でこれを使わなければ良かった」と後悔することもしばしば。


Q36 登場人物と自分とを切り離して考えていますか、性格や思考などが登場人物に出やすいことはありますか。

これ、みなさんきっぱり別れるんですよね。「投影派」と「絶対に投影させたくない派」と。私は「投影派」です。まあ、全員じゃないですが、主要人物は、入り込んで書きますので、その人物の思考回路が出来ないと書けません。というわけで主役級は私自身の考え方に近いことが多いです。


Q37 他の創作を行っている人に対して聞いてみたいことはありますか。

みなさん、かなり専門知識のいる小説をどんどん発表なさっていらっしゃるんですけれど、専門知識はどこで仕入れていらっしゃるのかなあと。インターネットが使えるようになってずいぶんと楽になりましたけれど、それでも私はよく七転八倒しているんですよ。みなさんはどうしていらっしゃるのかなあと。


Q38 今後はどのように創作と関わっていきたいと思いますか、あなたにとって創作とは何ですか。

脳内での創作は寝たきり老人になっても勝手にやっていることでしょう。創作は私にとっては人生そのものです。実際に文章にするかはまた別の話で、今のところ可能な限り、こうやって書いて公表していけたらいいなと思っています。


Q39 おつきあいくださり有り難うございました。バトンを回したい方がいましたらあげてください。

な、長かった。こんなに長かったっけ……書いていても疲れましたが、ここまでおつきあい下さった皆様、ありがとうございました。どなたかやりたい方がいらっしゃいましたら、どうぞ~。


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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】あちゃ~って思った事

「もの書きブログテーマ」の新テーマ来ました。この「もの書きブログテーマ」は、ブログのお友だちlimeさんの始められたシリーズで、テーマを設定して、それについて創作ブロガーが自分の思うことを自由に書くという、バトンみたいな記事です。どなたでも書けるそうですので、書いてみたい方はどうぞお持ち帰りください。

で、いただいたテーマです。

今回はサラッといきます!
ブログを続けていて、『あちゃ~~(>人<;)』って思った事、です。
これはけっこう皆さん違うんじゃないでしょうか。


だそうです。小説に関してでもあるし、ブログでの発表に関してでもあるかなと思いました。ちょっと考えてみましょう。



limeさんは、あれだけ実力がおありになるのに謙遜なさって「ご自分の過去の作品を読んだとき」と書かれていらっしゃいましたが、私は実力もへったくれもなくても、ブログで発表した過去の作品や文章について「うぎゃあ」となることは少ないように思います。(未発表の大昔の黒歴史は別)

これ、「自信があるんです」という意味ではありませんよ。もちろん「あれ、これだめじゃん」とツッコミを入れる部分はあるんですが、「あちゃー」ではないんですよね。おそらく私の文章力も構成力も、ブログをはじめる前とその後の三年間ではほとんど変わっていない(つまり上達していない)からだと思います。それどころか「あれ、こんな文章だったか。うんうん、上手くはないけれど、わたし好みだわ」と忘れていたものに対して感心することすらあります。(おいっ!)

では、「あちゃー」はないのかというと、あります。

自分の文章ではなく、作り出したシチュエーション、発表してからシャレじゃなくなることがあるんです。

ファンタジーや、ラノベ、もしくはミステリーなどのジャンルを書いていらっしゃる方は、あまり小説に書いたことがそのまま現実に起るということは少ないと思うんですけれど、私の書いている小説は、どちらかと言うと現実の問題や人生を扱っているので、たまにかぶるんですよ。

一番シャレになっていなかったのは、ギリギリ発表前でしたので発表せずに済みましたけれど「樋水龍神縁起」の本編でした。実は、あの作品、2011年の3月に一度ネットで発表するつもりで準備していたのです。まだブログを立ち上げる前ですから、ほとんど誰も来ていなかった旧ホームページの方ですけれど。どこがシャレになっていなかったかは、未読の方のためにぼかしておきますが、とにかく3月11日とそれに続く日本の状況の中では、あの作品の結末はアウトでした。

それで、ブログを立ち上げてからもしばらくはあの作品は表に出さなかったのですが、他の長編を読んでくださった方のコメントにお答えしているうちに、十年ブランクの後に再開した私の小説の原点として、あの作品を隠しておくのはどうしても嫌で、2012年の後半から少しずつ公開したのですね。

それに較べれば「あちゃー」感は弱いものの、他の作品でもそういう事があります。例えば親との確執を扱った作品や、周りに馴染めなくて苦しんだ子供を扱った作品などで、まさかそんな背景をお持ちとは思わなかったブログのお友だちから「私と重なる」と感想をいただいてしまってぎょっとしたり、それから、「ファインダーの向こうに」のジョルジアのコンプレックスの一つである身体的症状のことが、たまたまでしょうけれどニュースで扱われていたり。

もちろん、どの作品を書くときも、それがどんな状況になっているシーンでも、本人としては面白半分で書いている訳ではありません。表現しようとする感情を読者に納得してもらうための設定であり、さらに私が取り組んでいる執筆のテーマを理解してもらうためには、必要だからその描写が出てくる訳ですが、それでもそれを読んだ方に「ぐさっ」と刺さることは本意ではありません。

なんどか公言していますが、私の小説には(冗談・コラボ作品をのぞく)全ての作品に共通の大テーマがあります。そのテーマは決して心地よいものではありませんので、全体として暗いトーンの作品が多い訳です。そして、だからこそ、時に痛々しい状況を書かざるを得ないのです。

それは、これからも続きます。なんどか「あちゃー」と思い、「もうブログで小説公開するの考えようかな」と落ち込んでいますが、それでも同じことを繰り返すのは、私がそういう作品だけを書こうとしている以上しかたないことだなと思ってしまっているからです。

というわけで、過去のことも、今後のことも、ここで謝っておこうと思います。傷ついた方がいらしたら、本当に申しわけありません。

もっとも、ずっと強い「あちゃー」は、小説ではありません。コメントです。いくつやってしまったんだろう。これは……言い訳はやめます。本当にすみません。
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Category : もの書きブログテーマ

Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】タイトルの話

「もの書きブログテーマ」このあいだ書いたばかりですが、書かないでいると思いつきを忘れそうなんでまた書いちゃうことにしました。これ、もともとはlimeさんの始められたシリーズなんですけれど、テーマを設定して、それについて創作ブロガーの方が自由に書くという、バトンみたいな記事です。

で、新テーマです。ちょっと漠然としていますが「タイトルについて」書いてみることにしました。もし、もしこのテーマで書いてみたいなと思われた方は、どうぞご自由にお持ち帰りください。




「小説というのは、中身で勝負」というのはもちろん大前提なんですけれど、それでも惹き付けられる題名か、もしくはストーリーにふさわしい題名か、というのはとても大切なことだと思うのです。

もっとも、この話題はすでに「題名の話」という別記事で語っていますので、ここでは繰り返さないことにします。

今日、わたしが語ってみようかなと思っているのは、小説そのもののタイトルではなくて、各章または各話につけているサブタイトルの話です。

もちろん、このサブタイトルというのは義務ではありません。「第一章」「第一話」もしくは「(一)」で十分です。でも、かなり苦悩しているのにも関わらず、私は毎回サブタイトルを付ける形式を用いています。

一つは、読んでいただく方に「お? 今回はどんな話だろう?」と興味を持っていただけるようにです。でも、実はもっと大きな目的があります。書く時に「こういう流れにしよう」という簡単なイメージを用意するんですけれど、その指標みたいに使っているのですね。

何度か開示していますが、私が長編を書く時は「鉄道停車駅方式(自称)」で書くのです。まず最初に「始発駅」と「終着駅」を決めます。それに「特急電車なら止まる大きい駅」の部分を書いていきます。それから「急行停車駅」最後が「各駅停車しか止まらない駅」です。そのそれぞれがどういう駅(ストーリー展開)なのかは何となく決めておいて、それを忘れないように駅名(タイトル)を決めておくのです。後で変えることもありますけれど、そのままの方が多いです。

ものすごく分かりやすいのは「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の「マールの金の乙女の話」や「水車小屋と不実な粉ひきの妻」でしょうか。そのまんまですね。

サブタイトルとは言え、中身と関連があるように設定すべきでしょうし、でも、あまり散文的なのもどうかと思うので、毎回容量の少ない脳みそを絞ります。

中には、私にしか分からないだろうなと思われるサブタイトルを使っている場合もあります。「樋水龍神縁起 春、青龍」のエピローグとして使った「去年の春」というサブタイトルは、もちろん内容と関連しているのですが、このシーンのBGMとして使っていたグリークの「Letzter Frühling」から来ているのです。これ日本語だと詩的に「過ぎし春」と訳すみたいですが、歌詞を調べるとまだ過ぎていないし、語り手がおそらく来年は生きて迎えられないと感じているから「最後の春」と訳すのが正解です。ドイツ語ではどちらも同じ「Letzter Frühling」なのです。で、主人公視点で言えば一年前の春が「最後の春」で、このエピローグの語り手からすると(心理的に「過ぎた春」でもなく)「去年の春」なので、「去年の春」というタイトルにしたのです。もちろん、自分以外には誰にも分からない(笑)

というわけで、時に異様にこだわりつつ、時に適当すぎるほど簡単に、たくさんのサブタイトルを作り出してきています。内容と見た目とがぴったり合った時などは、一人で勝手に「よっしゃ!」と小躍りしたりしています。そんなの私だけかしら?



ついでなので、自分で納得のいっているサブタイトルをいくつか開示してみましょう。
「大道芸人たち Artistas callejeros」「バルセロナ、色彩の迷宮」
「京都、翠嵐」
「東京、積乱雲」
「樋水龍神縁起 春、青龍」「味到」
「青龍時鐘」
「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」「百花繚乱の風」
「龍の宵」
「命ある限り」
「夜のサーカス」「夜のサーカスと紅い薔薇」
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」「森をいく」
「優しい雨」
「Infante 323 黄金の枷」「海のそよ風」
「雪の朝」(これはまだ未発表)
「夜想曲(ノクターン)」「瀧の慟哭」
「太陽の乙女」
「十二ヶ月の組曲」「歓喜の円舞曲(ロンド)」
「落葉松の交響曲(シンフォニー)」
「狩人たちの田園曲(パストラル)」
「樹氷に鳴り響く聖譚曲(オラトリオ)」
「十二ヶ月の歌」「なんて忌々しい春」
「終焉の予感」
「十二ヶ月の野菜」「あの子がくれた春の味」
「帰って来た夏」
「大道芸人たち 外伝」「熟れた時の果実」
「菩提樹の咲く頃」
「Séveux 芳醇」
「黄金の枷 外伝」「願い」
「格子のむこうの響き」
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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】設定のこだわり

今日は小説の設定の話です。興味のない方はスルーしてくださいね。カテゴリ「構想・テーマ・キャラクター」にしようかとも思ったのですが、せっかくなので先日limeさんからいただいた「もの書きブログテーマ」バトンの続きにしちゃいます。このテーマで書いてみたいなと、思った創作系のみなさん、どうぞご自由にお持ちください。あ、新しいお題を作ってくださったら、それにも乗りますよ~。

さて、今回、語ってみようかと思うのは、「どんな設定にこだわるのか」という話です。

わたしの小説、かなりたくさん外国人が出てくるのですが、たくさん読んでくださっていらっしゃる方は国籍に偏りがあるのにお氣づきだと思います。出てくる人物の出身地を地図上に印つけていくと、ほぼわたしの住んでいるところとその周辺に集中しているのですね。

そうでない場所は、例えばアンダルシア地方やポルトなど、「通う」といっていいくらい何度も行っているところの出身者が多いのです。

なぜかというと、そうでないところの人物のことは、イメージが湧かないのでたくさん描写できないからです。

小説を書かれる方はおわかりだと思いますけれど、ガンガン書いていた小説でも、二行ぐらいの描写に止まってしまう事ってよくあることなんです。「彼は△△を注文した」の△△がそのキャラクターに合っていないといけないのですが、その設定のリアリティを確認するために半日かける事もあるのです。それが主役ならいいんですけれど、脇役一人一人にそんなことまでやっていられないので、わたしは自動的にイメージできるキャラを組立てます。そのためにはよく知っているところの人間でないと難しいのです。つまり少なくとも数人はモデルとなる個人的知り合いがいる地域や国の事です。

わかりにくいと思うので、とある外国人が日本を舞台にした小説を書いていると仮定しましょう。「彼女は、ある戦国大名の血を引く由緒正しい令嬢だった」という記述の後に「彼女の苗字はチャンだった」と書いたら、たまたまこれを読んだ日本人はひっくり返ると思います。「お袋の味はシシカバブだった」とか。

欧米キャラを書いていらっしゃる日本人のアマチュア作家(たまにプロでもみかけますが)の方が、これに匹敵するような「ありえない」設定をなさるのは珍しくありません。でも、日本語で書いたら読者もほとんどは日本人ですし、引っかかる人の方が珍しいのでしょうね。基本的には、わたしは別の方が書かれる記述の事は引っかかっても素通りします。言われたらご本人だって氣になるでしょうから。

でも、わたし自身はそういうことには、とてもこだわるのです。

その一方で、たとえば登場人物の服装であるとか、乗っている車種、それに建築の詳細などには無頓着です。そういうものです。自分の意識しないところは、実生活で重要と思っていないところは、結局記述も適当になるのです。

なぜ、国民性や民俗といった設定にこだわるのかというと、わたしが書いている内容が比較文化的なものが多いからだと思います。つまりそれがわたし自身の興味対象でもあるわけです。

現実の生活で、よく知らない国の人と知り合う時、話題にはとてもナーバスになります。その国にはどんな歴史があり、現在どんな紛争を抱えているのか。主な宗教はなんで、その人本人はどんな宗教を信じているのか。何を食べる人びとで、タブーはなんなのか、それを理解し尊重しつつ会話をする事がとても大事なのです。これは既に何回か地雷を踏んだからこその身構え方です。

欧米人にとって、日韓中の違いがあいまいなように、日本人の多くもたとえば「アフリカ人」とか「スカンジナビア人」とか「東欧人」というように全く異なる国や民族のことをまとめて一緒くたにしてしまう事があります。もちろん国民性と個人の個性も全く違うのですが、その話はまた別。

実をいうと、わたしだって例えばノルウェー人とスウェーデン人の違いをはっきりと描写しろと言われたらできません。だから、ノルウェー人とスウェーデン人についてたくさん描写をしなくてはならないような話は絶対に書かないのです。それをやるとハマるのがわかっているから。

現在メインで連載している「ファインダーの向こうに」という小説で、主人公をイタリア系にしたのもそれが理由です。「ごく普通のアメリカ人」という存在の風俗習慣がわたしには浮かばないからです。かといって、小説にイタリア関係の描写がいっぱい出てくるわけではありません。それどころか「どこがイタリア系?」というくらい抑えてあります。

実をいうと、山のように設定して、それをすべて描写するのは好きではないのです。それぞれの人物には、映像にできるくらいの細かい設定があって、どの部分でどう書く時にもそれがさらっと脳内で再生できるようにして書くのですが、その設定が100あるとしたら、小説全体の中ででてくるのは10くらいです。それでも90の出てこなかった設定は無駄ではなくて、次のシーンでこの人物が何を話し、どう動くかというイメージを決めてくれます。それがいつ出てきても「こいつはこいつ」というキャラクターらしさを作るのだと思うのです。
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Posted by 八少女 夕

【もの書きブログテーマ】視点・人称

limeさんのお作りになった新・お題バトンシリーズに便乗してみる事にしました。

(雑記)私設☆物書きブログテーマ・・・視点・人称

新しくお題を出してもいいんですけれど、帰宅後のリハビリも兼ねて、同じテーマで少し書いてみようかな〜、なんて。limeさん、ありがとうございます。




limeさんの書かれた記事や、他の方がよくコメントで語られる内容を読むと、「視点」や「人称」をものすごく強く意識して書かれる方が多いんだなあと思います。

こういうことを書いている時点で、おわかりになると思いますが、はい、私は視点や人称にウルトラ無頓着です。そもそもブログをはじめて、小説を一般の方に公開するまで、「視点」や「人称」にお作法があることすら知りませんでした。私は、「小説の書き方」みたいなものを学んだ事が一度もないのです。何となく一人で書き出して、それを人にも見せる事もなくずっと書き続けていた「野良」なんですね。

作法は、とても大切な事だと思います。プロだったり、文学賞を狙おうと思うなら、とにかく作法に則ったものを書けてこそスタートラインに立てるでしょうし。でも、まあ、私は「野良」でも、自分らしい小説の方にこだわっているので、たぶん、これからも視点と人称は、メチャクチャだと思います。「できていない」ではありますが「わざとやっている」でもあるんですよね。

基本的には一人称で小説を書き出したら、それは終わりまでそうします。一人称で書く小説は、ストーリーを俯瞰できない制限があるので、長編を一人称で書く事はまずないです。

銀の舟に乗って - Homage to『名月』
北斗七星に願いをこめて - Homage to『星恋詩』
第二ボタンにさくら咲く
終焉の予感
君との約束 — 北海道へ行こう

ぱっと思いつくのでは、このあたりが一人称の掌編です。共通するのは、前の事も、後の事も読者にはあまりわかる必要はなく、さらに語り手も相手の事は何もわからない、わからないことで読者が自由に想像を膨らませる事ができる、という一人称らしさを使ったストーリーの時にそうなっています。

あ、でも、実は深く考えて書いているわけではないんです。結果的にそうなっているというだけでして。

* * *


長編に至っては、本当に何も考えていないです。基本的には三人称で書く事が多いですが、「誰々視点」でというような縛りはほとんど課しません。なぜって? 制限が増えるじゃないですか。ミステリーだったら「フェア」じゃないといけないかもしれませんけれど、私が書いているのはミステリーではないですから、謎も伏線も視点も、とにかく自分の書きたいように書いてしまうのです。

Infante 323 黄金の枷」は、一応ヒロイン・マイア視点がほとんどです。でも、これは私が「改善」したからというよりは、結末があっさりわからないようにそうしているだけで、途中で別の人間の視点も出てきます。ただ、主人公23の視点だけは出てきません。そう、結末を隠す意図があるからです。だって、わかっちゃったらつまらないじゃないですか。

大道芸人たち」には誰々視点もへったくれもありません。好き勝手に視点が動いています。ある時は蝶子、ある時は稔、ある時はレネ、そしてある時はヴィル。教授視点もあったな。そういえば「神様視点」だとコメントをいただいて「なんだそりゃ?」と思ったのは、この作品でしたね。そういう概念すら知らなかったのですね。

森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」は、ひとりの視点で書くのが事実上不可能な構成の小説です。なんせ前半、一話ごとに視点が主人公とヒロインの間を行ったり来たりするのです。その間二人は一度も逢った事がありません。視点の基点となるキャラクターは別の人間に動きますが、実際には、読者はその視点を通して中世ヨーロッパを覗き見るという構成にしているので、こんなにめまぐるしくてわかりにくい構成でも、それほど混乱しないんじゃないかなと思いますが、どうでしょう。

そして、私の小説で「小説お作法」に厳しい方が絶対に許さないと思うのが、三人称の地文に突然一人称が登場する書き方です。たとえば、こんなの。

 あいかわらず、メシをねだる時の笑顔だけは最高なんだから。稔は呆れて天を見上げた。レネはいつも通り悔しそうにしていたし、ヴィルもいつも通り眉一つ動かさずにいた。だが、その目の光は以前よりも強くなっていた。ゲルマン人って、本当に損な人種だな。ギョロ目の半分でも積極的に誘えば、ブラン・ベックよりはるかに脈ありそうなのに。

 稔はだまってベベベンとバチを当てた。バレンシアってのはいい街だ。太陽が溢れると人は開放的になる。財布の紐も緩むらしい。ギョロ目がおごってくれるなら、思いっきり美味いものが食えて飲みまくれるってわけだ。結構。


大道芸人たち Artistas callejeros (27)バレンシア、 太陽熱



これは、わざとやっています。リズムの方が大切だと思うからです。これを、いちいち括弧で囲んで改行したりしたくないのです。それをやると、私が書いている時にそうなっている、その時点の視点の持ち主に入り込む感覚が難しくなるんですよ。作法も大切だけれど、こだわりを優先しているというのは、このあたりのことを言っています。まあ、でも、それも程度の問題ですよね。読み手に伝わらなくなるほど、独創的な書き方はよくないと思います。そのバランス感覚をどう持てるかがこれからの課題だと思っています。
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Posted by 八少女 夕

捨てられないノートの話

「どこが断捨離だ」と言われそうですけれど。捨てられないものもあるんですよ。

そのうちの一カテゴリーが、カセットテープの一山。カセットプレーヤーがないんだから捨てればいいんだけれど、まだためらっています。中学生の頃、買い食いのおやつも含めて月1000円だったお小遣いを貯めて貯めて買ったポール・モーリアのベストアルバムなんてのもあるんですよ。ま、最近、CDやデジタルで集められるものは集めましたんで、これは単なるノスタルジーだな。

そして、もう一つが「黒歴史」でもある、子供の頃から大学生の頃まで(社会人になってからはデジタル化しました)の各種の作品集です。マンガとも恥ずかしくて言えないようなお絵描きと、それから小説の類い。いま残っているのは、中くらいの段ボール一箱分くらいでしょうか。大海彩洋さんとコメント欄でお話ししてましたが、当時はデジタル化なんて一般人がするものじゃなかったので、全部手書きですよ。

私の最初のデジタル化はワープロでした。もちろんワープロという機械はもっと早く売り出されていましたが、個人、しかも食いぶちも稼げない学生に買い与える親はかなり稀だったと思います。私は、大学の卒業論文を書くのに必要になったので、バイト代を貯めて買いました。それが自分の小説が活字で打たれているのを見た最初。感動でした。活字になると五割り増しはいい文章のように思えたものです。ま、今の若い子は、小学校に上がる前からキーボード叩いているんだろうな。いや、書けないか。でも、クリックなどはできるんですよね、きっと。

私の話に戻しますが、そんな時代だったので、コクヨのA5サイズの厚めのノートに書いていた時期がありました。今の作品で言うと「十二ヶ月の○○」シリーズみたいな、読み切り連作を構想して書いていたのですね。デジタルじゃないんで、後ろにずらしたりなんてできませんから、一つはこのくらいの分量と枚数で決めて、書きたい所から書いていくスタイルでした。今とほとんど同じだな、最初から順番に書いたりしないんですよね。

それから、原稿用紙を買ってきて、それを書く前に分厚く製本して書いたこともありました。結局、原稿用紙は紙の分量が増えるし、縦書きが書きにくかったのですぐにやめました。自分一人の趣味だったので、原稿用紙でなくてはならない理由は皆無だったのです。

入試の準備期間は、小説や絵で遊んでばかりいて、全然勉強しないことに我ながらまずいと思って、「全部一緒くたノート」を作った事もありました。浮かんでくる作品の構想が消えないうちに書き留めたり、これこそ今は読み直したくもない「詩」なんかも書き綴ったりしていますが、いちおう大半は歴史のお勉強や英語の書き取りなどがびっしりでした。最終的に七、八冊は分厚いノートがありました。これを捨てるにあたって、主に一年間の構想や詩などを別に書き写した総集編なんかも作りました。(そんなことやっているから浪人したんだな)

そんなこんなで、誰にも言わずにため込んだ秘かな趣味の紙媒体は、一度は大きな収納ボックス一つ分くらいにはなっていたでしょうか。自由帳、それから「葉○明の白い本」系のノート。こういう事を子供の頃からず〜っとやっていたので、他に自由時間などはなく、乙女っぽく書いた日記帳のようなものは皆無です。

で、スイスに引越すにあたって、船便とはいえかなりコストがかさむので、普通の引越ではありえないほど厳選した荷物を送ったのです。最初の数年は、これらの「八少女 夕作品集」は実家の私のもといた部屋に放置していましたが、さすがにいつまでも置いておくのはまずいかなと思って、数年後の帰国時に怖々例のボックス収納を開けてみました。

実家もいつまであるかわかりません。親が引越すかもしれないし、その時に開けられて人目にさらされるのは死んでも嫌です。でも、こんなに送ったらいくらになる事か。それで、心を鬼にして三分の二くらい捨てました。その時、捨てられなかったものだけスイスに送り、現在物置に置いてあります。(連れ合いに見つけられたってへっちゃら。読めませんからね。私の作品だって事すらわからないでしょう、きっと)

厳選した分ですら、先日「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の当時の設定の確認のために開けたら、恥ずかしくてのたうち回りました。つまり、捨てちゃった分は、相当ひどかったに違いありません。でも、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の基本ストーリーは今でも同じなのですよ。でも、自分で読み直してものたうち回らないのは、なんでだろう。表現の違いなのか、中世の事をきちんといれたからなのか、それとも面の皮が分厚くなっただけなのか、なんだかよくわかりません。

この「パンドラの箱」の中にある作品で、いずれはリライトしてもいいかなと思っているのは、「バイフリート・シリーズ」(ヘルムート・バイフリート・アリトンという青年が主人公なので)と勝手に呼んでいるイギリスの田舎の村のお話。それに「ジグゾーパズル・ロマンス」という情けない題名のついているこれもイギリスのお話。それから「森の詩 Cantum Silvae」のジュリアと馬丁ハンス=レギナルド(マックスのご先祖様ですな)の話は短編かなんかに改編してもいいかなと思っていたり。それから、短編集は、よほど行き詰まったらアイデア探しに使おうかなと。

というわけで、ここはまだ捨てずに閉じておこうと思っています。
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Posted by 八少女 夕

「創作系バトン」いただきました

トップのお知らせにも書きましたが、これまで投票専用アカウントだったアルファポリスではじめて大賞ものにエントリーしました。「第一回 歴史・時代小説大賞」が6月から開催されるので、短編「明日の故郷」で参加してみることにしたのです。少しでも多くの方にこの小説と、それからこのブログに足を運んでいただけることを願って。投票期間になりましたらまたお願いするかと思いますが、みなさまに応援していただけると嬉しいなと思っています。
「明日の故郷」を読む
「明日の故郷」へはこちらから

さて、本日はバトン大臣のTOM-Fさんからいただいたバトンです。


「創作系バトン」

1 あなたのユーザー名とその由来を教えてください。

八少女 夕(やおとめ・ゆう)です。小学生の時に使っていたペンネームです。使える漢字が限られていたのがよくわかりますね。実は、当時、天平時代が好きでして「天つ風 雲のかよひ路 吹きとじよ をとめの姿 しばしとどめむ」を意識してつけていたりします。「夕」の方は、本名のファーストネームが「源氏物語」の登場人物由来なので、その息子の名前からとりました。

2 小説を書くにあたって一番得意なジャンルは?

え。不得意なジャンルならはっきり言えるんだけれどな。得意? なんだろう。あ〜、オチも救いもない日常もの? それ、得意って言わないか。

長編を書く時には、恋愛は絡みますね。「恋愛小説」が得意かと言われると「う〜ん」だけれど。個人的な執筆テーマ(読み方を限定したくないので公言していません)がはっきりとあって、それは「恋愛」ではないのです。でも、そのテーマを具体的に描き出す時に、わかりやすい題材として「恋愛」があるんですよね。基本的には、人間とその心の動きがメインとなる小説を題材を取っ替え引っ替えして書いています。でも、いくら書いても「得意」にはならないんですよね……。

3 主人公の性別はどちらが得意?

女。男性は、よくわかりません。でも、ウケるのは男性キャラの方が圧倒的に多いような。じゃ、女は得意じゃないのかしら?

4 執筆した中で一番思い入れのある作品は?

う〜ん。TOM-Fさんと同じで、今書いているのが一番かも。ということは、題名を書いても読んだことのある人は私しかいないんだよな〜。でも書いちゃお。「ファインダーの向こうに」と「Filigrana 金細工の心」。あ、リンクを探しても無駄ですよ。まだ公開していませんから。(2015年5月現在)

猛プッシュしている割に知名度も読者数もいっこうに上がらない作品ということでは「樋水龍神縁起」です。別館からどうぞ。

5 自作キャラで一番好きな子は?

これもけっこうよく変わる。寵愛は長く続かないかも。今は23かな。比較的新しいキャラだからだけれど。基本的に物量を書けば書くほど、特定キャラへの思い入れは減りますよね。そもそも私、キャラのための長編小説は書かないんで。

「好き」ということではないのですが、若い子よりも歳いったキャラのほうに氣合が入る傾向はあります。比較的若くても苦労していたり屈折していると同じ扱いになりますけれど。なんていうのかなあ。人生の酸いも甘いも経験して、その人生哲学がにじみ出るような人物は書き甲斐があります。「大道芸人たち Artistas callejeros」のカルロスや、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」のザッカ、それに「樋水龍神縁起」の朗、「夢から醒めるための子守唄」のホルヘなんかは、書き甲斐がありました。あれ? 男ばっかりじゃん。

6 小説を書くときに特に意識することは?

実は、何も考えていません。浮かんできたストーリーを形にしているだけだから。あ、起承転結は疎かにすることかはあるけれど、テーマ(いいたいこと)は、意識しながら書くかな。でも、テーマが後付けで、むりやりってこともあります。

7 執筆に行き詰まった場合の対処法は?

別のものを書く。もしくは推敲校正をして、足りないものを検討する。でも、基本的に流れが決まった状態から書き出しているので、続きが湧いてこないということはない。単純に面倒くさくなったとか、飽きたとかで投げ出したくなるか、それ以前に「駄作」スタンプを押されて忘却の彼方に押しやっているだけだから。

8 いつか書いてみたいストーリーは?

あ〜「書く書く詐欺」のリストのことでしょうか。追い打ちはかけないでください(しくしく)

9 小説の構想で何か参考にするものはありますか?

構想ではないですね。自然と浮かんできたものが構想になるので。

参考にしているわけではないですが、たまたまラジオで流れてきて、好きになってしまった音楽がイメージの源流になってある章や、短編が丸々生まれてくることはあります。クラッシック音楽などだと作品中で「この曲」と書くこともありますが、映画音楽などだと「え。その曲でなぜこの話が?」という意外な作品だったりもします。

10 どんな場面を書いている時が一番楽しいですか?

最終回や、人間関係の緊張が高まって盛り上がるシーン。でも、基本的にかなりはじめの頃に最終回や書いていて楽しいシーンから書いてしまうので、最後の方は「ち。この場面、必要なんだけれど面白くないんだよな」と思いつつイヤイヤ書いていることが多い。

11 書いてみたい一場面を教えてください。

「終焉の予感」で、本当に世界が終わりそうになる終末っぽい描写。無理そうだな。

それに、「ヴァルキュリアの恋人たち」という長編のオープニングっぽいのに実は何の設定もないハードボイルド風短編がありまして。もし、その続きがちゃんと書けるのならば、主要登場人物五人のうち、冗談作品によく出てくるマイケル・ハーストという筋肉塊のアメリカ人と高飛車ハンガリー美人アレクサンドラが、恋のライバルのはずなのに何故かデキてしまう、というシーンは何となく書いてみたい。でも、この作品はどうやっても私の手には負えそうもないので、書くことはないだろうな。

12 お疲れさまでした。指名、フリー、地雷、お好きなコースを選んでください。

「地雷」ってなんですか? よくわかりませんが、まだやっていらっしゃらない方はよかったら拾ってくださいませ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more


と、これだけで終わりにしてもよかったんですが、せっかく創作について答えたので、関連してここ数日思ったことを。

創作って、誰でも始められるし、お金もかからないし、こうやってブログで公開すれば読んでくださる奇特な方や、またいい刺激をくださる素敵な仲間に出会える素晴らしい時代になったなと思うんです。

その一方で、一年、二年、三年とある年数を続けて、そのお付き合いを続けて行くのには、二つのファクターが必須だなと思うようになったのです。それは「時間」と「熱意」。どちらが欠けても創作とその交流は続けられないんだなと思います。

私にとっては、自分の創り出した物語を完結させることは、たぶん仕事や家庭と同じか、それよりもほんのちょっとだけ大切なことです。だから「時間」は創り出します。それに、たぶん私は何万人もいるだろうアマチュア小説書きブロガーの中でも、かなりヒマな方です。

でも、多くの方にとっては、仕事や学業や、恋愛や友情や、社会関係の中での様々なシチュエーション、他の趣味、健康問題など、「創作よりずっと大切なこと」に意識が向いたり、向かざるを得なくなった時点で、あっさり中断もしくは終わってしまう一趣味なんだなあと思います。

自分がブログを始めるまで、こんなにたくさんの方が小説を書く趣味を持っているということを知らなかったのですが、もっと驚いたのは、ものすごい量の小説、それも複数の読者が続きを待っているとコメントをくれている作品が、キリもへったくれもない所で中断したまま二度と発表されなくなるということでした。

誰にだって事情がありますから、どうしてそうなるかなんて論じてもしかたのないことですし、一年や二年も間の開いてしまった話の続きが読めるとはほとんど期待していませんが、残念なことは間違いありません。

だからこそ、長くつき合ってくださっているブログのお友だちのありがたさを思うのですよ。その方達だって、死ぬほど忙しいことだってありますし、創作はともかく「ブログめぐりなんてやっていられない」と思われることだってあると思うのです。でも、コンスタントに書いて読者としての私を喜ばせてくださり、私が書いて発表すれば、時間を取って読んでくださるし、「かまってちゃん」のオーラを醸し出せば「はいはい」とつき合ってくださる。

私のリアルの友達で、この趣味を知っているのは数人です。その人たちはこのブログのURLも知っています。が、たぶんブログのお友だちの1/50も作品を読んでくださっていないでしょう。個人的に知っている人であっても、それが普通なのです。そういう意味では、ブログのお友だちが、ご自身の作品やブログ運営に加えて、私の作品と私との交流にかけてくださっている「時間」と「熱意」は大変なもので、そのことには感謝してもしきれません。この交流こそが、私がブログで小説を発表し続ける原動力です。かけていただいた「時間」と「熱意」が、私自身の「熱意」に変換されるのです。

つまり、私の創作とブログにかけられるエネルギーは、いま、この長い記事を最後まで読んでくださっているあなたからいただいているのです。

本当にありがとうございます。これからも仲良くしていただけると嬉しいです。
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Posted by 八少女 夕

描写の話

小説を読む時に思うことがあります。「こりゃ私には書けないわ」って。この手の感想は、自分が書く人以外は持たないと思います。書いちゃう人は、読者として楽しんでいるその裏のどこかで、いつも自分が書くときのことを意識しているように思います。

で、大抵の方が書くものは「私には書けない」なのですが、それを感じるのは主題部分ではなくて、描写のことが多いのですね。あ、主題でも書けないものもありますよ。でも、今回は描写の話。

小説を書く時に、描写なしで済ますのはほとんど不可能に近いことだと思います。だからそれぞれが詳しいジャンルを舞台に話を語るわけですよね。

私の場合、日本だと関西を舞台にすることはほとんどありません。例えば関西圏のブログのお友だちが「近鉄が」「阪神が」「阪急が」と、電鉄会社の話題をしていらっしゃるとき、私の頭の中は「?」が渦巻いています。でも、たとえば品川から横浜に行く時に、「山手線で渋谷に出て東急線に乗り換えるよりも、京急でいくよね」というセリフは、何かを見なくてもサラッと出てきます。つまり、自分が知っていることは書きやすいのですが、知らない世界のことは調べてもまだ不安が残るのですよね。どんな嘘くさいことを書いてしまうか予想がつかないので、知らない世界のことは極力描写したくなくなるのです。

「大道芸人たち Artistas callejeros」をはじめとして、私の小説では、いくつかの例外をのぞいて、実際に行った事のある街をモデルにすることが多いです。頭の中で「あそこからああ降りてくると、あそこに出るんだよね」とイメージできた方が描写しやすいからです。また、食べたことのある料理、聴いたことのある音楽、着たことのある衣類などを八割方持ってきているようにします。その間に、「じつは全然知らないんだけど」というネットで調べただけのことや、伝聞の話を混ぜるのです。

「樋水龍神縁起」を書いた時に、神職のことはまるで知らなかったため調べまくったので、かなり嘘っぱちを書いている可能性があります。その一方で、全く調べずに書いたのが和服の話。とある有名百貨店で呉服の販売に関わっていた時に仕入れた知識がそのまま使えたからです。

一方で、どうやっても行けない場所を書く時は、どんなことが頭の中で展開しているのかというと、たとえば「樋水龍神縁起」の平安時代に関するような話は、やはり時代劇やかつて読んだマンガの影響が強いと思います。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の中世ヨーロッパの話は、本やドキュメンタリー番組、それにヨーロッパでよく開催される「中世祭り」(コスプレ祭りみたいなもの)、残っている城などをイメージして書きます。

ただ、上記のように「私は見たことはないけれど、見たことのあるヤツなんかどうせ一人もいないじゃん」な話は、さほど神経質にはなっていません。

氣になるのは、やはり最初の例のように、わかっていないのに「関西を舞台にして、さらに電車の乗り換えをトリックに使ったミステリーを書く」みたいなことでしょうか。本人は「やった! すごいトリック」と思っていても、関西在住の方には一瞬で「これ、不可能」と断言されちゃうかもしれないでしょう? そういう失敗が怖くて書くつもりになれないのです。

あ、ミステリーを書かないのは題材だけの話ではなく、そもそも私の思考回路がミステリー脳ではないからだけなんですが。

その他に全然書けないのは、男らしさ全開のハードボイルドとか、最新医学の先端を題材にした小説とか、知識が全く足りていないもの。たとえばリボルバーと言われても、どんな形をしているのか頭に浮かばないんですよ。STAP細胞とES細胞は違うと言われても、どう違うのかわからない。時事ですらこれなんですから、話題にもなっていないごく普通の医療用語はお手上げです。

まあ、そういうわけで、私の書く小説の舞台は、かなり似たり寄ったりな場所に限定されていると思います。使うモチーフもそうですよね。食べ物や飲み物の話が多いのは、ええと、私が食いしん坊だから、かもしれません。(かもしれません、じゃないだろう……)
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Posted by 八少女 夕

題名の話

小説を発表する時の悩みどころシリーズ(いつからシリーズになったんだ?)です。今回はタイトルのお話。
Lugano
本文とは関係なく先日行ったルガーノ湖の秋の風景

中身の話は棚に上げて語りますが、題名は作品の顔です。本屋さんに並ぶプロの本の場合は装丁や表紙イラストなども大切ですが、私の発表している場では、そういうアイキャッチは不可能なので、タイトルがとても大切だと思うのです。とはいえ、「なんとなくかっこいい」題名をつけても作品の本質とかけ離れていたら意味はありませんし、自分の美意識やこだわりも疎かにできません。

特殊な作品(題名指定リクエストや神話系・地名系お題シリーズなど)を除いて、タイトルは後から付けます。「もうこれしかない!」というものもあれば、「違う」と思いつつもよりよいタイトルが浮かばないときもあります。

自分一人で書いていた時はたとえピンと来なくても「○○(仮題のつもり)」でずーっと放置というのもありでした。「それ、いったい何の関係があるのか」みたいな題でもツッコむ人はいませんでしたし。

ブログで小説を発表するようになってからは、そうはいきません。とはいえ、作品を書き上げてからタイトルを決定するまでにあまり時間がなくて、「まずい! タイトル決まらない。妥協だけれど、これでいいか」みたいな作品もちらほら。

たとえば「夜のサーカス」シリーズはもともとリクエストの短編「夜のサーカスと紅い薔薇」でした。単純に「チルクス・ノッテ」というサーカス団を考えついたのでそれの日本語訳を題名につけたのです。旅行中にiPhoneのメモ帳で書き、そのままアップしたので何も考えなかったんですが、どうやら「夜のサーカス」という商業作品があるみたいなんですね。たまに検索で紛れ込んできます。

主題とぴたりとはまって、題名としても、シリーズ物の総称としても、見苦しくないと自分で思うのは「樋水龍神縁起」と「大道芸人たち Artistas callejeros」の二つでしょうか。

中編や読み切りについては、「題名に心惹かれて」と読み出してくださる方もいらっしゃるので、「題名って大事!」と思うのですが、このあたりは大量生産があだになり、時おり自転車操業で慌ててつけているので「ごめんなさい!」と謝りたくなるようなものもあります。「十二ヶ月の○○」シリーズの半分くらいは、やっつけでつけてしまい、本当は変えたいのもあったりします。

『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』については幻の三部作『森の詩 Cantum Silvae』シリーズの二番目という位置づけに自分一人がこだわった結果、こういう題名になってしまいましたが、結局よくわからない題名になっているかも。でも、外伝を書く時には『貴婦人の十字架』は合わないので、むりに『森の詩 Cantum Silvae』をくっつけておいてよかったのかとも思いますが。

失敗したなあと思っているのは「Infante 323 黄金の枷」です。これは今年の三月に思いついて、五月末に連載を開始してしまったのですが、一作で完結するつもりが、その後に勝手に三部作になってしまい、残りの二つはまったく23の話じゃないんで、この題ではまずいのです。だから、これからメインタイトルを決めなくちゃいけない。でも、発表しない可能性もあるので(なんせまだ書き上がっていないし)そうなるとこのままでもいいしと、ぐるぐる悩んでいたりします。ちなみに『Usurpador 簒奪者』『Filigrana 金細工の心』とあわせて三部作になる予定。今のところ『ドラガォンの血族』ってのがシリーズ全体の仮題なんだけれど、なんか違う……。
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Posted by 八少女 夕

あなたにとって小説とは?バトン

バトン大臣(彩洋さんの命名)のTOM-Fさんが「小説家になろう」のお友だちからうけとっていらしたバトンをまたしても受け取ってみました。小説の書き方に関するバトンです。既にご存知の方もいる内容も含まれていますが、コメントではなくて記事で書いたのは初めてという内容もあるので、よかったら読んでみてくださいね。参考にはあまりならないとは思いますが。


「あなたにとって小説とは?バトン」


1.物書き歴を教えてください。

うっ。長いです。物語を作っていた歴は年齢−3年。小説として文字で書き出したのは、年齢÷2くらいでしょうか。あ、もう少し長いかな。小説の技法そのものは、最初の頃からほとんど進化していません。長けりゃいいってものではないの典型です。


2.あなたが小説を書く「手順」をくわしく説明してください(ストーリー構成・世界観・登場人物・書き出し・伏線・エピソード・台詞・エンディング・推敲・テンポ・タイトルの決め方等)。

短編と長編では違うんですが、ここでは長編の場合を説明しますね。

最初に妄想をします。ここで何度も何度も繰り返しているうちに主要シーンが決まります。違うパターンが出てこなくなるまで妄想します。最後の方は既に映像みたいな感じ。最短で一ヶ月、長いと半年くらいこれをやっています。この段階で駄作と判断したものはお蔵入りです。

scrivernerというMac用の小説書ツールで、その小説用のファイルを作ります。最初に「あらすじと登場人物」を書き出します。主要人物の妄想映像で固定した設定を、ここで書き込んでおきます。主要な脇役の容姿などは大体それまでは決まっていないので、ここで決めます。タイトルもこの時点で決めることが多いですね。仮称とすることもありますが、後から変わることはあまりないです。

章ごとにページを作っていって、もう決まっている主要シーンを、文章または説明用の短文で書き込んでいきます。そして、決まっている所から文章にしていきます。最初に書くのは最終回のことが多いですね。何回か開示していますが、小説全部を鉄道にたとえると、まずは特急の停まるような主要駅にあたるシーンから書いていきます。その間に急行駅、それから各駅停車駅にあたるシーンを順次埋めていくわけです。

もともとの骨格が固まっているので、ストーリーの結末が違うものになったり、伏線の回収忘れなどはほとんどないと思います。新たに伏線を張る時は、回収する予定の章のページに箇条書きで書いておきます。ついでに必要になる資料(画像、地図、用語、祭儀の詳細など)も集めては同じファイルにどんどん保存していきます。

あとは、書き上がった章と章の間を埋めていくだけ。scrivernerには、各種ファイルへの書き出し機能があるので、epub形式に書き出して、iPhoneに移します。iBookで読みながら推敲・校正をします。書き終わってからではなくて、少しでも書いたらその日のうちに書き出します。で、翌日新しい部分を書き出す前に、前日の推敲部分を変える所から始めるというわけです。


3.小説を書く際に心がけていることは何かありますか?

これも何度か書いていますが、「わかりやすい」を基本にしています。

辞書を使わないとわからないような言葉を多用しないこと。少しならいいということにしていますが。

「何がいいたいのかよくわからない」と文頭に戻って読み直すような複雑怪奇な文章を書かないこと。

自分の常識が読者の常識ではないので、あまりメジャーでない言葉や事項は登場人物が質問するシーンをはさむなど説明を入れること。

反対にストーリーにもキャラの心象にも関係のないどうでもいいことは極力短く描写すること。一度しか出てこないし本筋とも関係のない描写までいちいち細かくやっていると、煩雑になるだけなので。

重要なことをさせるキャラクターは、他のキャラと区別がつくような個性を持たせること。

一つの長編に二つ以上の大きな主題を書かない、どうしても書きたいなら続編や番外編にしてすっきりさせること、などです。

あ、「わかりやすい」とは関係ありませんが、一年ぐらいで廃れそうな流行語は入れないことも心がけています。


4.あなたの小説のなかでの「風景描写:心情描写:台詞」の比率を教えてください。

え〜っと。意識していません。でも、どれもゼロにはならないようにはしています。単調にならないように。


5.影響を受けた作家さんは居ますか?

純文学だけでなくて、こういう小説も書くんだ! と嬉しくなって、自分の壁を取り外すきっかけになったのは福永武彦の「風のかたみ」

それから小説と歴史の違いがわからなくなるような書き込み方を教えてくれたのはマイクル・クライトンの「北人伝説」

小説とは自分の伝えたいことを語るためにあると教えてくれたのはヘルマン・ヘッセの多くの作品。とくに「デミアン」


6.そもそもあなたが小説を書き始めたきっかけは何ですか?

最初の創作はマンガだったんですが、絵を書く才能のなさ、文で書く方がずっとまともに表現できることに氣がついた。


7.あなたが小説を書くときの環境は?

自宅の自分の机。

雑音に関してはさほどナーバスではありませんが、日本語の歌詞の曲は消します。日本語の放送もダメです。ドイツ語やフランス語やイタリア語は聞き流せるので氣にしません。


8.小説を書くときの必需品等はありますか?

Macとその周辺機器だけかな。調べ物もほとんどネットでしています。あ、でも、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」のように時代物を書く時はやはり参考書が必要になりますので、買いそろえますね。Amazonで検索購入して、スイスに送ってもらいます。


9.作成ツールはケータイ派? PC派? それとも紙と鉛筆派?

コンピュータはMac。アプリはscriverner。それをiPhoneのiBookに入れて推敲校正。

出先などで思いついたアイデアは取り急ぎそこら辺の紙に書き込みますが、帰宅したらscrivernerのファイルに打ち込んでなくならないようにします。

紙への下書きはしません。一度書いたものを再び書くような時間がないから。あと、急いで書く時の自分の文字が汚くて、思考と同じスピードで文字を書くと、後で判読できなくなるから。


10.あなたの文章に、こだわりや特徴と言えるものはありますか?

冗談作品やリクエスト作品を除いて、常に何を伝えたいのか、テーマを念頭において書いています。全体を流れるマイ・テーマと、各作品ごとの主要テーマがあります。それと自分の信条と相容れないものはテーマには据えませんね。(あたりまえか)

それと二次創作(私の場合は、ブログのお友だちの作品の二次創作しかしませんが)をする時には、原作の主要設定を変えるようなことをしないこと、勝手に増やすキャラは原作者様の邪魔にならないように一過性(二度と出てこないのが自然に見える)の設定にすること、それと、原作を全く知らない方でも一つの作品として読めるようなものにすることを意識して書いています。


11.ズバリ、あなたの小説は面白いと思いますか? その理由も教えてください。

面白いかな。自分ではわかりません。私自身にとっては面白いです。でも、これって主観的なものなので他の人にとってはどうなのかわかりません。


12.「小説」において最重要事項は何だと思いますか? また、その理由も述べてください(文の精巧さ、面白さ、ストーリー構成、等々)。

伝わること。例えばエンターテーメントとして書くならストレートに面白いことだし、テーマがあるならそのテーマについて読者が想いをめぐらせられること。作者の意図が読者に伝わらなければ書く意味はないと思うから。

 
13.あなたが「読みたくない」と思う小説はどんな小説ですか?

生理的嫌悪感のある内容の小説。具体的にいうとエログロシーンばかりが書いてあったり、精神的に歪んだ思想で埋められているもの。それと、何を伝えたいかもわからない内容の全くない小説も苦手。


14.あなたの小説で、読む際に読者に注意してほしい点や見てもらいたい点はありますか?

ないです。読者はどんな風に読むのも自由だと思います。

そりゃあ、終わりまで読んでくれたらいいなと思いますし、最後まで読まないと意図が伝わらない書き方をしているものもあるんですが、それでも「こんなの読みたくない」と放棄するのも読者の自由なんですよね。最後まで読んでもらえるように書けない作者本人の落ち度でしょう。



15.これからも小説は書き続ける予定ですか?


どうでしょう。たぶん書き続けると思います。今のペースでずっと書くとは思いませんが、また、いつまで発表し続けるかはわかりませんが、物語を作り続けことは死ぬまでやめないでしょうし、形にできる環境(Macだな)がある限り書くように思います。


16.いずれにしろ頑張ってくださいね。……では最後に。あなたにとって小説を書くこととは?


自己表現、でしょうね。それに生き甲斐でもあるかな。

これをやっていれば、かなり幸せです。いろいろな人生を歩めるようなものですし。日常生活に不満がたまらないのは、小説を書いているからじゃないかなと思います。


そういうわけで、おしまいです。もし、まだでやってみたいという方がいらっしゃいましたら、どうぞご自由にお持ち帰りくださいませ。あ、TOM-F大臣のバトンには、テンプレートもついていましたよ!

 ・TOM-Fさんのバトン



【おまけ】
イタリアの仔猫

先日の旅行中の一枚。この仔猫、とある小さな村の道のど真ん中を歩いていました。「げっ、あぶない!」と我々もオロオロしましたが、でっかいトラクターに乗ったおじさんが、わざわざ停まって飼い主を探しにいき「おい、なんとかしろ」と叫んでいました。かわいかったな。
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Posted by 八少女 夕

名前の話 キャラ編 その2

前にも、このタイトルで記事を書いたので、今回は「その2」としておきましょう。

私の小説での命名のルールやら、クセなどについて書こうと思います。


日本人の登場人物を書く時と、外国人とでは若干命名のルールが違います。なぜかというと、実際の命名ルール、その自由度が違うからなんですね。日本語の場合は人名漢字表にあればどんな漢字、どんな読みでもいいということになっていますよね。で、自分の大事なキャラだから特別な名前にしたいと思うわけです。キラキラじゃなくてもいいですが、ちょっと特別な感じに。

でも、たいてい考え直します。「名は体を表す」ので地味なキャラは地味な名前にすべきだと思いますし、派手なキャラでもあまりに奇抜な名前はよくないと思うから。それが作品やキャラの個性(コンプレックス)に直結しているなら、それもしますけれど。

私の小説の書き方ルールとして、「わかりやすいことが大切」というのがあります。文体を読みやすいものにする事、時代物以外では難解な熟語などをできるだけ使わないなどもマイ・ルールに入れているのですが、「不必要に難解な人名を使わない」というルールもあります。「この名前なんて読むんだっけ」と出てくる度に読者を止まらせることのないように。作者である自分は30回も書けば慣れるでしょうが、読者は毎回忘れますから。

冗談作品で使った「稲架村はざむら 」なんかはこのルールで言うと完璧にアウトです。誰も読めやしない。だから出てくる度に一々ルビを付けて対処する事になります。

「瑠水」はかなりアウトに近いセーフだと自分で思っています。ルビは付けませんでしたが初登場時に幼い姉が片言(ひらがなで表現)で母親に喋り「るみ」という読みを口にするという苦肉の策を使いました。一度わかればそれほど忘れるような読みではないかと思ったので。

外国人の場合は、別の点に注意します。まず、ありえない名前を付けようとしない事。いや、ファンタジーやSFなら、実際にありえない名前こそがリアリティを増すと思うのですが、私はそういうものはほとんど書かないので。

日本と命名のルールが違いますので、「ありえない」名前をわざわざつけるならきちんとした根拠が必要だと思っています。例えば女なのに男の名前なら、なぜその名前をわざわざ付けられたのかという設定が必要なのです。

響きがかっこいいからというような理由で、(人名ではなくてただの名詞のような)ありえない名前はつけません。(例:ライオンがかっこよくても「ローヴェ」というドイツ語の人名はつけられません。もちろんあだ名としてならアリですし、ライオン起源の「レオンハルト」はれっきとしたドイツ語の人名です)また、貧民なのに貴族みたいな名前を付ける、その逆も妙です。設定している言語と合わない名前もひっかかります。

「23(Infante 323)」は例外です。でも、このおかしな呼称には重要な設定があります。読者にも「なんでそんな名前?」と思ってもらえてこそ正解なので、これでいいのです。

さらに細かくいうと、日本の男子名で「猛」というのと「涼」というのでキャラクターのイメージが変わってくるように、「ブルーノ」と「アンリ」もキャラのイメージが違います。もちろん子供が生まれた時に、大きくなったらこうなるとわかって命名するわけではないので、実際には逆のイメージの実在人物もいますが、わざわざ混乱するような命名をする必要はないと思っています。これもマイ・ルール「わかりやすい事が大切」につながります。

しかし、ここまで偉そうに語ってきておいてなんですが。何よりも「なんだかなあ」になってしまったのは、自分のペンネームです。これ、小学生の時に使っていたもので、漢字としては全く難しくない上、画数も悪くなかったので採用したんですが。一発で漢字変換されない苗字でした(orz)今さら変えられないんですけれど、ええ、コメントをくださる方の半分以上が「八乙女」と書かれるんですよね。で、あとで氣づかれて平謝りされてしまったりするのですが、すみません、悪いのはこちらです。変えようのない本名でもないくせに変換されにくい漢字を選んだのが敗因です。どちらで書かれても、私は喜んで返事をしますので、みなさまお氣になさいませんよう。「変換が面倒くさいけれど間違えるのは嫌」という方は、どうぞ苗字はつけず、ただ「夕」とだけお呼びください。
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Posted by 八少女 夕

少しでも……とは思う

小説に興味のない人は困ると思うので、関係のない写真もアップしておこっと。下の写真は、夕暮れの散歩中に撮ったもの。うちの村の夏らしい風景です。

村の夕暮れ時

小説をブログで公開している人は、多かれ少なかれ「自分の小説を誰かが読んでくれたらいいなあ」と思っていると思います。私もその一人だからこそ公開しているわけで、それに加えて当然ながら「好きになってくれたらいいなあ」とも思っています。これが○十年ちかく作品を人目から隠してきた理由でもあるのです。公開して「けっ。こんなクズ」と言われたら立ち直れないと思っていたので。

このブログを開設したのは、(この話は何度か話しているかと思いますが知らない方もいらっしゃると思うので)もともと無料参加のできる商業誌「Seasons」に参加するにあたって、連絡先にあたるURLがなかったので何か作らなきゃと思ったからです。で、せっかく小説のブログを立ち上げたのだからと怖々と小説を公開しはじめたのです。

で、最初は、誰か読んでくれたんだろうか。拍手もコメントもなかったと思います。でも、「クズ」とも言われませんでした。まあ、訪問者も数人しかいなかったしほとんどが小説とは関係のない畑のブロガーさんでしたから、読んだ方そのものがいなかったのだと思います。それが、「大道芸人たち」の連載の途中ぐらいから、拍手やコメントなどの反応が出てきて、その前に発表した作品も遡って読んでくださる方も出てきました。その度に小躍りしましたよ。

皆さんがとてもお優しいから、実のところ凹むようなコメントをいただいたことは一度もありません。むしろ、「そんなに褒めていただいていいんだろうか」というような恐れ多いコメントをいただくことの方が多いです。もちろん、そのことで「私の小説のクォリティって高いのね」と慢心するわけではありません。単純に厳しい批評が当然の所にまだ出て行っていないというだけだと判断するくらいの冷静さはまだ持ち合わせています。

でも、思っちゃうんですよ。わざわざそんな厳しい所に行く必要あるのかなと。

そりゃ、私も人間です。他のブログで一つの小説に100近い拍手があったり、賞賛のコメントがものすごい量あったりすると「羨ましい」と思わないではないです。それは最低でも100人の方が、もしくはコメントの数にあたる熱烈なファンがそのブログに日参して読んでいるからですよね。だから読んでいただく分母が少ない人はその結果にならないのが前提です。でも、その小説は、もちろんそれに値する素晴らしい内容だからこそ、そういう反応になるわけで、単純に同じ数の方に私の小説を読んでもらっても、そうはならないわけです。(あたりまえ)

例えば、素晴らしい小説を書く方が読んだ50人中50の拍手をもらうとしたら、私が50拍手をもらうためにはどのくらいの方に読んでもらわないといけないのか。想像するとくらくらしてきます。読んでくださる方の分母を少しでも増やすために、もっと努力すべきなのか。例えば、なんとか大賞にエントリーしたり、みなさんが切磋琢磨していらっしゃる小説サイトに登録すべきなのか。ちらっと考えるのですよ。

でもねぇ。今、幸福であることも大切だと思うんですよ。たとえみなさんが優しいからつき合ってくださるとしても、発表する度に少なくとも15人くらいの方が長文を読んでくださっているのがわかります。かつてはブログ拍手のランキングのほとんどが通常の記事だったのが、今は小説が半分以上になっていて、それから判断すると日々お忙しい中わたしの小説を読んでくださっている方がいつもではないにしろ30人近くいるらしいという事実、つき合ってくださる方が本当にいい方ばかりで心地いいこと、それに感謝でいっぱいで、幸せなんですよね。

で、現在の私は、努力の方向が間違っているのかもしれませんが、日常生活の中で小説とブログにかける時間と手間がMaxに近いのですよ。生活を支えるために働き、家事をこなし、その残った時間の中で趣味として使える時間の最大限を使っているのです。倒れるほどとは言いませんが、それなりに頑張ってもいるわけです。それを支えている一番のご褒美は、みなさんからいただいている反応なのです。(あ、しょうもない作品でもご意志に反してでも評価しろと言いたいわけではありません。当然ながら)ブログを始める前も書いていましたが、こんなすごい量ではなかったし。喜んでいただいていると感じるからまた書くわけです。それを「お前の書いているものはクズだ」と書く方がいるような大海原にわざわざ船出していく必要はないだろうと思っちゃうのです。

若いころと違って、思考も手法もかなり硬直してきています。いまから努力して書き方を改善できるかというとかなり難しい。運動などと違って、長時間の努力で飛躍的に改善できるものではありません。私の書くものは、ほとんどが私の人生と普段の思考に基づいて作られていますから、厳しいお言葉をいただいてもそう簡単には変えられないのです。そうなると大海原で大時化にあう危険を冒してまで新大陸を目指さんでもと、小人物な発想が……。

で、みみっちいながらも自分なりの唯一の努力がおつき合いしているブロガーさんとの交流だったりするわけです。特に「scriviamo!」は二ヶ月限定とはいえ労力と体力とド根性が必要。労力と効果が見合っているのか、もしくは需要と供給があるていど一致しているのかどうか、正直言ってわからないのですけれど。でも年々、このブログで発表する小説を読んでくださる方は増えているように思うので、多分効果はあると信じたい……。

なんて風に、ときおり悶々としていますが、どうなんでしょうね。大海原で頑張っていらっしゃる方々はどんな風に考えていらっしゃるのかなあと、ちらっと思った夏でした。
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Posted by 八少女 夕

陳腐?

スイスの話やグルメの話と違って需要はあまりないだろうなと思うんですが、やっぱりここは小説のブログだし、小説書きの方と盛り上がるのも好きなので、無理矢理こういう記事を投下してみます。興味のない方はスルーしてくださいませ。

小説書くにあたって、登場人物のキャラクター設定も大事だし、テーマも大切ですが、ストーリーもとても大切だと思うのですよ。

なんですが。ストーリー、どうなんでしょう。

ブログ始めるまでは、いろいろな方の反応に触れなかったので、好き勝手に書いていて、「自分が好きならそれでいいや」だったんですけれど、ブログをはじめてコンスタントに読んでくださる奇特なお友だちに恵まれ、その反応を読んで驚くことになったわけです。「こういうのがウケるのか」って。

で、キャラクター設定は(好き嫌いは別として)わりとウケていて、ある程度独自のものを生み出せているみたいなんですけれど(っていうか、へんなキャラ多すぎ?)、それに住んでいる所や経歴の利で、設定に関してはかなりオリジナルと言っていいみたいなんですが、その分、ストーリーが今ひとつ、つまり、ありがちなものに偏っているじゃないかと。想像力が足りないのか、陳腐なものがもともと好みなのか、どうもベタな感じになっているような。それとも、ベタのままでいいのかなと、なんだかわからなくなってきました。

読み切り短編はいいんですよ(本当はよくないけど)。読んでくださる方も、週をまたいで期待したりしないじゃないですか。でも、連載ものだと「これだけ(一年以上)ひっぱっておいて、これかよ!」って、思うんじゃないかなあと。別に、もったいぶって「次回に乞うご期待」ってやっているわけではなくて、ブログという媒体の性質上、あまり長いと読む方もつらいだろうなあと思って切り、間を空けた連載になるわけです。でもねぇ。

「大道芸人たち」にしても「Dum Spiro Spero」にしても「夜のサーカス」にしても、行き着いた終着点で肩すかしを食らった方、多いんじゃないかしら。

自分としては、「こうなるしかない」と思ってストーリーを組立てているわけです。(しょうもないことに、自分で書いているもののことはけっこう好きなのです)そして、二次創作でもなければ、誰かと誰かのカップリングを楽しむためだけの目的におざなりにストーリーを付けるのではなくて、あくまでもそれがメインです。社会正義を問うような深いテーマを扱っているわけでもないし、今どきの言葉で言うと「萌える」題材を扱うわけでもないし。なのにその肝心のストーリーが陳腐なのっていかがなものかと。

それともストーリーってある程度普遍的なもので、設定がオリジナルなら、かえってベタな方が読む方としては安定していいのかなあ。う〜ん、本当にわからなくなってきました。わからないまま、結局、同じようなベタな話を書き続けるんだろうなあ。このブログで小説を読んだことのない方、そうなんです、そういう小説が置いてあるブログです。
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Posted by 八少女 夕

麗しのキャラクターの話

ユズキさんのところでファンアートが発表されていました。ある方の小説のヒロインだそうです。それだけで心をわしづかみにされてしまう可憐な美少女でした。で、ふと思ったんですが、私の書く小説の主役って、いまいちイラスト映えしないなと。(いまさら氣づくなって……)

美貌のヒロインって、「大道芸人たち」の蝶子以来一人も書いていないんですよね。あれを発表していたのがもう二年前です。

蝶子は確かに美人だしスタイルも抜群という設定ですが、性格に難ありなので好き嫌いが分かれます。ヴィルも顔はいい設定だけれどこちらもコミュニケーション能力に大問題ありでもてない。稔とレネは醜くはないと思うけれど、別に格好よくはありません。

「夜のサーカス」のヨナタンは、団長ロマーノに言わせれば「上玉」らしいけれど、あくまでそっちの趣味の人から見た「上玉」で、キャラクター的にも面倒臭さで負けていない。ステラは美人であるマッダレーナにコンプレックスを持っているから、たぶん十人並みの外見。

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」のラウラは美貌の王女の陰に隠れて、存在感ほとんどなし。マックスはのんきに旅をする性格はまあまあの主人公ですが、みかけが麗しいという設定は皆無です。

「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」の瑠水と真樹も羽桜さんがとても可愛いく&格好よく描いてくださったのですが、じつは外見上に他の人間より美しいという設定はありません。

「Infante 323 黄金の枷」のマイアは、「十人並み」設定で、23に至ってはまだ出てきていない描写ですが外見上のマイナスポイントすらあります。

これで「イラストを描いてください」と頼むのは、もしかしてものすごくイラストレーターさん泣かせですよね。

キャラの配置の癖を自己分析してみると、重要な脇キャラに美男美女を持ってくる傾向があります。そっちの方が絵になりやすいタイプ。「樋水龍神縁起」の摩利子と瑠璃媛、「Dum Spiro Spero」「大道芸人たち」の真耶と拓人、「夜のサーカス」のマッダレーナ、「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」からはマリア=フェリシア姫と《黄金の貴婦人》、「Infante 323 黄金の枷」はともに未登場だけれどドンナ・アントニアとライサ・モタという美貌キャラがいます。あ、24も美青年設定。でも、「一つ描く」って時に脇役をわざわざ選ぶ方はいらっしゃいませんよね……。

ネット上でゲームやマンガの広告がありますよね。当然ながら主役にあたる人間のイラストが描かれているのですが、やはり目に飛び込んでくるその姿は、美貌で、ついでにいうと「そこまでセクシーにせんでも」というスタイル強調服装。テレビで活躍するアイドルも見かけはとても重要ですよね。見かけがさほど重要でない分野でも、美貌が加わると注目されやすいという事実もあります。流行の「美しすぎる○○」はその典型例だと思うんですよね。

と、自覚はしておきながらも、なぜ麗しくない人間のストーリーの方が多いのかというと。「美しくて性格もいいヒロインが、格好よくて素晴らしいヒーローと結ばれる」ような話は書けないからです。正確に言うと一度書けば、書く方として十分なんです。見かけのいい人に惹かれるのは普通なことだと思うのですが、「そんな当たり前のことを何度も書いてなんになる」なのです。そう、そういうのは一人で書いていた頃にもう書いてしまったのですよ。

世間に出回っている作品やブログのお友だちのストーリーで美男美女の主人公が登場する場合は、単にそれだけでなくて大変なことが起こったり、巨悪に立ち向かったりする間に、愛情や友情がめばえるので「要するに綺麗だからでしょ」にはなっていないのが普通です。ところが、舞台設定が派手なので、一見いろいろなことが起こっているように錯覚されがちな私の小説では、ストーリー上はほとんど何も起こっていません。だから「要するに綺麗だからでしょ」になりがちなのです。それを避けるために、わざわざそうでない設定にしているのです。

しかし。設定とは違ってもやっぱり綺麗に描いていただけると、それはそれで嬉しい。複雑な親心なのでした。
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Posted by 八少女 夕

「創作裏話バトン」

TOM-Fさんが「小説家になろう」のお友だちからうけとっていらしたバトンをさらに受け取ってみました。
これは、作品を思いついた当初と、実際執筆された際に変化や変更のあった内容をまとめるものだそうで。単体の作品だけでも、複数の作品を組み合わせてもいいらしいです。一つの作品ではあまり変更はしないので、ごった煮にしました。たぶん常連さんはもうみんな知っていることばかりじゃないかなあ。

この回答には若干のネタバレも含まれています。大したネタバレではないですが。作品へのリンクは、今回ははしょります。



「創作裏話バトン」


1.キャラクターの名称

「夜のサーカス」に出てくる雄ライオン、ヴァロローゾは最初はアフロンタでした。(どちらも「勇猛」って意味です)それだとメスに聞こえるかなと思って、変更。ま、どうでもいいですね。


2.キャラクターの性格

「大道芸人たち」の蝶子の元になったキャラは、あんなにズケズケしていなかったな。その分、決断もいまいちで、一度は教授の元に戻って、男(稔とレネの合の子みたいなキャラ、なんだそりゃ)がドイツまで追いかけてくるって話でした。面白くないのでボツりました。


3.キャラクター以外の名称

変更はしたことないな。裏話ということでは、「樋水龍神縁起」に出てくる島根県奥出雲にあることになっている架空の村「樋水村」ならびに樋水龍王神社のご神体でもある樋水(川)は、二つの大事な理由で名付けています。一つはモデルとなった川、島根県の奥出雲に実際に流れていて八岐大蛇とはこれのことではないかと言われている斐伊川の古名、肥河を意識しました。それから重要なモチーフとなっている翡翠(勾玉)と音を合わせました。


4.設定

「大道芸人たち Artistas callejeros」のヒロイン蝶子はヴァイオリニストで、エッシェンドルフ教授もヴァイオリニストでした。そっちの妄想と重なるために、ヴァイオリニストだった園城真耶をわざわざヴィオリストに変えたら、「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」での神業シーンが無茶になってしまった。蝶子がフルート奏者なら真耶はヴァイオリニストのままでもよかったのかも。蝶子をフルート奏者に変えたのはコルシカフェリーのシーンを書きたかったから。ヴァイオリンを水に濡らすのはまずいと思ったんです。でも、その時は三味線の方がもっと水に弱いことを知らなかった。orz


5.背景

「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」は、作者である私が高校生ぐらいだった当初の案だと三話くらいで終わるしょうもないストーリーでした。今でも大枠は変わっていないのですが、そのしょーもないストーリーを「ああ、だからこうなるのね」と納得させるため、そして「この話をこんな年齢のヤツが書くのはナイーヴすぎてちょっとイタイ」と自らのツッコミに耐えうるものにするために、中世ヨーロッパのことを調べまくり、かなりつらいことや悲しいことをてんこもりにしています。単純なノーテンキ恋愛ストーリーから、人間や政治などをも含めた話にするために背景をやたらと膨らませました。


6.人称

一人称は、いつも考え抜いてからつけるので変更はあまりないですね。女だとあまりバリエーションないですが、それでも「私」と「あたし」のどっちにするか考えます。たいてい「私」だけど。男は「僕」にするか「俺」にするかすごく大事です。ヴィルや稔は「俺」でレネやマックス(この人だけ「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」、後の三人は「大道芸人たち Artistas callejeros」のキャラです)は「僕」。

小説の本文としての人称の問題は……。ええ、わかってます。いつもごちゃごちゃにしてすみません。地の文を三人称で書いていたはずが突然一人称になるのは、よくないと知りつつ、わざとやっています。たぶん、怒られてもやめないと思います。


7.ボツったキャラ

「森の詩 Cantum Silvae」シリーズの第一部と第三部をまるごとお蔵入りにしたので、そっちに出てきていたキャラは全滅です。でも、面白そうなのはジュリアだけだったから、あまり未練はなし。


8.ボツったストーリー

「樋水龍神縁起」のラスト。最初の案では、二人は氣がついたら京都の笠宮神社のかくし幣殿にいたという救済案を用意していました。でも、それだと緻密に作った世界観と合わないので、最後に泣く泣く変更。

あ、ストーリーが馬鹿馬鹿しすぎて発表できないどうしようもない未完の長編というのもあります。そのうちの一つに「ヴァルキュリアの恋人たち」で使った戸田雪彦という俳優が出てきます。そして、この作品には早瀬燁子というヒロインがいたのですが、ストーリーをボツったので、名前だけ「彼岸の月影」という作品のヒロインに流用しました。よく考えたら、この作品はメインキャラが四人(というか四人半)で「大道芸人たち」の四人組に近いキャラたちが出てきていました。燁子は蝶子ポジションで、雪彦はヴィルポジションでした。そして、稔そっくりのキャラもいたな。



9.バトンご指名

自作について語りたくてしかたない、そこのあなた。さあ、やってみよう!

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Posted by 八少女 夕

『小説バトン』もらってきました

TOM-Fさんと山西左紀さんのやっていらっしゃった小説バトンをいただいてきました。あいかわらずあまり面白くありませんが、興味のある方はどうぞ〜


Q1 書くならパソコン? 携帯? パソコンなら使っているツールを教えて下さい。

A1 基本はMacです。「Macで小説」この話題だけはどいうわけか毎回すごい勢いで検索されています。もう一度書きます。ツールはScrivenerというエディタです。基本英語ですが、日本語化もできるようです。もちろん英語メニューのままでも日本語の小説は問題なく書けますよ。設定も、必要な資料や写真もすべてこのエディタの書類の中に突っ込んでおけます。そして、小説部分を書けたところまでe-Pub形式に書き出してiPhoneに突っ込み、iBookで推敲をしています。もっとも一度、旅行中にiPhoneのメモ帳だけで一本書いたことがあります。「夜のサーカスと紅い薔薇」ですね。


Q2 下書きはしますか?

A2 しません。もともと、頭の中で何度も何度も場面が再生された後、それを書き取っているような感じなので。で、勢いに任せて書くと、順番がおかしかったり、てにをはが狂っていたりするので、それを推敲で整えていきます。


Q3 執筆は早い方?

A3 ええと。早いと思います。というか、「速いだけが取り柄」かもしれません。ただ、それは書くモードになっているときだけで、書くつもりがないと十年で二本なんて寡作なこともあります。


Q4 今まで何作書きましたか?

A4 ……。わかりません。デジタルで残っているものだけなら数えられますが、昔の手書きのものを含めるといったいいくつになるやら。このブログ(およびfc2小説)で発表した小説は読み切りが43、中編が4、長編が3、外伝系読み切りが12くらいあります。(きちんと数えられなかった)う〜む、やけに多いぞ。


Q5 尊敬する作家、影響を受けた作家は?

A5 これもしつこいくらい書いているのだけれど、思想の面でヘルマン・ヘッセ。それから小説家たるもの、あそこまでいろいろなことを知っていなくちゃいけないんだと心から感心しているのがマイクル・クライトン。どちらの作品も大好きです。


Q6 書くにあたって気をつけてること、自分ルールは?

A6 奇をてらった文章はできるだけ書かないようにしています。具体的には、例えば、たいていの方が辞書を引かなくてもわかるような平易な単語を用い、一息で読める程度の長さで文を切るようにしています。それから、ブログのお友達の作品の二次創作やコラボをするときの自分ルールですが、お借りしたキャラの設定を動かさない(勝手に愛の告白させたり、くっつけたり、抹殺したりしない)というのと、お借りした世界で勝手に増やしたキャラは一掃するようには氣をつけています。


Q7 キャラ設定は細かくする方?

A7 するときと、全くしないときがあります。長編はかなり細かく設定しているはずです。基本的に、私の小説はまず私の脳内で映像化してから書き始めるので、私の中ではすべてのキャラは何らかの視覚イメージを持っています。だから外見の設定はしていますよね。ただ、どこで生まれたかとか、好物は何とか、そこまではしないこともありますね。


Q8 ここだけの秘密、あのお話の裏設定を聞かせて。

A8 本編とはまったく関係ないのですが、「大道芸人たち」のヒロイン蝶子の妹の名前は華代といいます。そう、「蝶よ花よ」から来ています。以前は第二部には蝶子の姪がヨーロッパ留学をしてきて、そこでヴィルに疑似横恋慕してという話があったのですが、馬鹿っぽいのでやめました。そうでなくてもいろいろと(親子問題で)複雑なので。


Q9 自分で執筆した作品は好きですか?

A9 ええと。はい。しょーもないくらい好きですね。一番繰り返し読んでいる小説の作者はという質問があったら自分をあげなくてはならないという痛いことになっております。


Q10 今後書いてみたい設定など教えてください。

A10 時代物ですかね。ひとつは平安時代のお話。「樋水龍神縁起」の安達春昌と郎党次郎の二人旅の話。もうひとつはだいぶ前に発表した「明日の故郷」のアレシアとボイオリクスの話。どっちも勉強が足りていなくて……。ま、そのうちに。


Q11 このバトンは……

A11 えっと、物書きのみなさんで、まだやられていらっしゃらない方、いかがでしょうか。

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Posted by 八少女 夕

名前の話・愛称編

何故か反響の大きい名前の話。続けちゃいます。

日本で一番有名なスイス人名といったら「ハイジ」ですよね。正確には「ハイディ(Heidi)」です。これは「アーデルハイド(Adelheid)」の愛称です。「つけたはいいけど長いのよね」で「アーデル」を省略ですね。最後についている「ィ(-i)」は何だと思いますか? これはドイツ語圏に共通する語尾で小さくて可愛いものにつけるのです。いくつかパターンがあって「ィ(-i)」「リィ(-li)」「ライン(-lein)」「ヒェン(-chen)」という具合に名詞によってつけるものが変わります。

私の連れ合いは非常に間抜けなことに「ちゃん」が「女の子などにつけられる呼称」だと説明されてからそれに勝手に「ィ(-i)」をつけて「○○チャンニィ」と発音することになってしまいました。普段は氣にも止めていませんが、日本人の方がいらっしゃって聞かれるとちょっと恥ずかしい。閑話休題。

日本で歌われている「おおブレネリ」という歌、これは二つはつっこみどころのある歌詞でして、まず「ブレネリ」という名前は聞きません。この歌詞を日本語に導入した方はドイツ語を知らなかったのでしょう。スイスにとても良くある女性名「Vreneli」を英語式に発音してしまったのですね。正しくは「フレネリ」です。「V」はドイツ語では濁らないのです。これは「フェレーナ(Verena)」という女性名での愛称です。フェレーナはスイスにやってきた聖女なのでスイスではとてもよく聞きます。「フェレーナ→フレーニー(Vreni)→フレネリィ」と愛称の愛称となって変化したのでしょうね。ちなみにウィキペディアで「Vreneli」を検索すると金貨が出てきます。スイスで発行され続けた金貨の愛称で持っているとかなりのお宝です。

この歌詞のもう一つのつっこみどころは「私のお家はスイッツァランドよ」ですかね。日本語なんだから普通にスイスと言えばいいものを何故かそこだけ英語にしています。でも、スイスにはわざわざ英語を使わなくても五つも正式な国名がありまして(Schweiz、Suisse、Svizzera、Svizra、Confoederatio Helvetica-独、仏、伊、ロマンシュ語、ラテン語)フレネリィが英語で国名を言うのはちょっと変です。

で、再び愛称問題に戻ります。ある女性が例えば「フェレーナ(Verena)」として洗礼を受け役所に届けられたとします。でも、普段はずっとフレーニー(Vreni)で通していると、表札もフレーニー、銀行のサインもフレーニー、結婚証明所のサインもフレーニーでOKなんですよ。日本でいうと「美知子さん」が「みっちゃん」でサインしちゃうって感じでしょうか。で、大往生なさり新聞に死亡広告が載ります。(スイスでは一般人でも死亡広告を新聞に載せるのです)そこには「Verena(Vreni)」とカッコ書きで愛称が書かれます。そうしないとフレーニーしか知らない人たちが困るからなんですね。
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Posted by 八少女 夕

名前の話・アルファベット編

今日はちょっとした雑学を。

ヨーロッパ人の名前、言語によって違うものになるのはご存知ですよね。

ドイツ語フランス語イタリア語スペイン語
ヨゼフジョセフジュゼッペホセ
パウルポールパウロパブロ
カールシャルルカルロカルロス
ハインリヒアンリエンリコエンリケ
ユリウスジュールジゥーリオフリオ


カタカナで書くと、「なんで同じ名前?」と思うくらい違うのですが、アルファベットにすると、意外と同じだったりします。

ドイツ語フランス語イタリア語スペイン語
JosefJosephGiuseppeJosé
PaulPaulPaoloPablo
KarlChalelesCarloCarlos
HeinrichHenriEnricoEnrique
JuliusJulesGiulioJulio

同じ「J」でなぜ発音がヤ行だったりザ行だったりするのかも、昔は謎だったのですが、ラテン語の成り立ちを知って疑問が氷解しました。ラテン語では「i」と「j」は同じ一つの文字でそれはヤ行だったのです。だから「ユリウス・カエサル」だったんですね。それが後に「J」が分離してそれにザ行を当てる言語ができた。だから例えば英語だと「ジュリウス・シーザー」になるわけです。ちなみにラテン語では「C」はカ行だったりチの発音だったりします。ドイツ語ではカの発音に「K」を当てたのに対して他の言語では「C」を当て、一方では「C」がチの発音だったりするので「チャールズ=カルロス=カール」になっちゃったりするわけです。

日本人は「R」と「L」や「C」と「K」、「W」と「B」の違いが発音できないと、よく欧米人に嗤われるのですが、実はこの違いは外国人にも曖昧だったのか、国によって綴りが変わったり愛称が生まれたりしているのです。「ウィリアム・クリントン」の愛称がなんで「ビル」なんだと思ったことありませんか? 「ヴィルヘルム→ヴィル→ビル」なんですよ。

ドイツ語で「フランスの太陽王ルードヴィヒ14世」と言われたら、「ルイ14世」に脳内変換しなくてはなりません。「カール大帝」と「シャルル・マーニュ」が同一人物なのもそうですよね。名前はけっこう奥深いのです。
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Posted by 八少女 夕

小説の長さ

偉そうに「小説の長さ」などどタイトルを書いたけれど、実は私はあまり考えていないのです。商業誌である「Seasons」に投稿する時は「五千字以内」という決まりがあるのできちんと数えますが、普段書くものは適当です。

「明日の故郷」を書いた時に「これは10000字に収めるにはちょっと話が大きいのでは」というようなご意見を頂いて、はじめてこういうストーリーにはどのくらいの長さが適当というようなことを意識するようになりました。とはいえ、今も「とりあえず書いて、何文字になるまで削る」というような作業はほとんどしていません。

一応自分の目安として、一つの章を3000~7000字の範囲内で収める、というのはあります。で、この範囲に収まるようなら切らずにそれで一つの短編(掌編)としてしまいます。

章が三から八あると自分の中では中編。それ以上は長編です。あ、一般の正しい区分けとは全く違いますので、万が一、調べていてここに辿りついた方は氣をつけてください。

ディテールも小説には必要なのですが、短い作品ではバッサリ切り捨てることも多いです。そのどれを切り捨てて、どれを細かく書いていくかの取捨選択も、すみません、ものすごく適当です。自分なりのルールがあるとしたら、読者が想像で補えるだろうというもの、もしその想像と自分の描いている物の差が主題に影響を及ぼさない程度のものならば切り捨てます。例えば、その登場人物の身長がどのくらいか、その日着ているものが何かなどは、書かないことの方が多いです。でも、それが内容に関係している場合は書きます。

最近増えて来たのが、そもそものメインストーリーを全く書かない、想像にお任せ小説。「ヴァルキュリアの恋人たち」「赴任前日のこと」「彼岸の月影(scriviamo!で書いたものですね)」なんかがこれにあたります。書けば陳腐になることが、書かないことで余韻になる。だったら読者の想像に任せてしまう方がいいかなと。自分で書いて唸らせることができればもっといいんでしょうけれど……。
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Posted by 八少女 夕

苦手なシーン

小説を書いていて、しかも、量産していると、どうしても苦手なシーンを書かなくてはいけないことがあります。

例えば、愛の告白シーン。書いていて恥ずかしいんですよね。かなり苦手です。これまで書いた中で、まあまあ氣にいっている告白シーンはたった一つだけ。「大道芸人たち」のあのシーンだけです。苦手だから告白もへったくれもありゃしない、というストーリーの方がずっと多いというていたらく。全体量からすると愛の告白セリフはとても少ないのですよ。

それと同じくらい苦手なのは、謎解きシーンです。二時間ドラマでいえば崖の上のシーンですね。私はミステリーはほとんど書かないのですが、それでも最後の最後に説明をしなくてはならないことがあります。例えばネタバレを防ぐためにわざと読者の目を違う方向に向けさせた場合は、それも説明しなくちゃいけません。きちんと納得できるように、でもいかにも「説明してます!」ってセリフ棒読みみたいにはしたくないんですが、なっちゃうんですよ。

そう、実はここ数日「夜のサーカス」の最終回を書いておりました。長い! なんとかならないかな、このセリフ臭さ。もうちょっと自然になるようにこねくり回そうとは思っています。
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Posted by 八少女 夕

名前の話・キャラ編

ブログをはじめるまではあまり氣にしていなかったけれど、最近ちょっと困っていることが。

短編を山のように書いているので、適当な名前がつきかけているのですよ。しかも、数の限られている欧米人の名前よりも、日本人キャラの名前に苦悩しています。とくに男性の名前。

ストーリーや中に何が書いてあるかも、もちろんこだわりますが、それと同じくらい私は人物の名前にもこだわってしまいます。たとえば、「ごく普通の何でもない人」を表すのに、いまはやりのキラキラネームは合わないじゃないですか。

私の頭の中にお話が降りてくる時、しばらくは名前がないことが多いのです。妄想を続けるうちに、キャラも増えてくるのでとりあえず名前を付けます。ところが、その名前がけっこう同じだったりするのですよね。

何故そうなるのかというと、知っている人の名前を付けるのに抵抗があるからなのです。ドロドロの恋愛を妄想するのに、それが元同僚の名前だったりしたら、「ちょっと待て」とそこでブレーキがかかってしまう感じです。で、なんとなくそういうしがらみのない名前がいくつか頭の中にストックされていて、とりあえずその名前で続きを考えると。だけれども、その妄想が長くなると、定着してしまってもう他の名前が付けられなくなってしまうのです。

自分一人で妄想しているだけなら、「またこの名前か」でもいいのですが、発表するとなるとそれでは困る。それで、かなり早い段階から別の名前を考えなくてはならないんですよね。困ったものです。

話はちょっと飛びますが、基本的に珍しい名前は、エキセントリックな人にしかつけません。例えば「蝶子」。基本的には、よくきく馴染みのある名前を考えます。同じ音でも漢字によってイメージが変わるので慎重につけます。本当はひらがなにしたかったけれど、地の文に紛れると読みにくくなるので漢字にしたということもけっこうあります。

一方で、ヨーロッパ人の方は、もう少し感覚的につけています。こちらは同じ名前の人がたくさんいるので、「この知り合いと同じ」でも、全く問題なく使っています。同じ名前でも国によって全く違ってくるので(「シャルル」と「カルロス」のように)国籍によっていろいろとバリエーションがつけられて便利です。

欧米の名前にも、ちょっと上流階級の人がつけたがる名前と、下々の名前というのもあるので、その辺も考慮しながら楽しんでつけています。
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ありがたい話

先週の木曜日に「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」に鍵つきコメントを頂戴しました。私が長い間何も考えずに使っていた言葉の間違いについてのご指摘でした。

ヴィオラ奏者という意味で正しくは「ヴィオリスト」とすべきところを何も考えずに「ヴィオラニスト」と書いていたのですね。本来の単語を考えれば明らかに間違いなのですが、思い込みというのは恐ろしいもので疑問すら持っていなかったのです。

ご指摘をくださった方は、「おかしい」と思われてそのままにせず、ちゃんと調べてくださった上でコメントをくださったのです。感謝でいっぱいです。

「おかしい」と思われたということは、小説を読んでくださったということです。そして、他人の書いた小説など間違っていようと知ったことではないと素通りしても当然だと思います。それを時間をかけて、調べて指摘してくださったとは……。

編集者だったら作家の間違いを指摘するのは仕事です。家族だったら「みっともないよ、はずかしいよ」と言ってくれるのが普通でしょう。でも、通りすがりのブログの他人の間違いを指摘するのは、むしろ氣のとがめる億劫なことだと思うのです。私もそうですから。でも、指摘してくださり、今後の恥の上塗りを防いでくださった。本当にありがたいことだと思います。

この場を借りて、心からお礼を申し上げたいと思います。

また、普段から親しくしている左紀さんやTOM-Fさんも、現在の日本での死語や表現上の間違いを億劫がらずに指摘してくださっています。ブログでもの書き仲間と交流する大きな利点の一つを噛み締めると同時に、いいブログの友達に恵まれて本当にありがたいことだなといつも感謝しています。

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投影してる?

基本的に小説を書く作家(テレビや雑誌にでてくるような有名人ではなくてブロガーなど)はペンネーム(ハンドルネーム)を使うし、男性だか女性だかはっきりしない事が多い。まあ、私のようにいちいち性別やら年齢やらがわかるように記事やプロフィールに書いてしまうタイプもあるが、一年近く男性か女性か全くわからない場合もある。いや、それ自体は問題ないし、それでいいのだと思う。

で、作品を読んでいて、この作者は男性ではないか、もしくは女性ではないかとふと頭をよぎることがある。たとえば乗り物や兵器に対する描写が丁寧だったりすると男性かなと思う。単純に私のイメージとしてそういうものには男性の方が深い興味を持つんではないかと思ってしまうから。女性かなと思う方は、宝石や洋服の描写の方にリアリティがこもるイメージがある。

そして、それと同じくらい「ほぅ?」と思うのは、(その作者から見て異性と思われる)キャラ。例えばある女性が、もしくは男性が「こんなに魅力的だ」という時に書く内容が違う氣がする。それは初対面の女性もしくは男性のどこを無意識に見ているかの話でもある。ありていにいうと、男性はそんなところを見ているのかと、はっとさせられる描写だったりする。

一方で、実際には存在しない憧れの存在を、作者にとっての異性に向けているような氣もする。たとえば私は女なのでぱっとしないヒロインが、よくできた男性と恋をする話が何故か多くなる。一方、私がこの方は男性かもと思う作者の作品では、男の描写はかなり現実にいそうな親しみのあるタイプなのに、かわいくてスタイルもよく頭脳優秀なヒロインがきらっと光っていたりするのだ。

してみると、自分では「女の妄想に過ぎない」と言われるような小説は書きたくなくて、懸命に男性心理も普段から勉強しつつ書いているつもりだが、実のところは私が書くものはやはり女の視線のみで書かれているのかもしれないと思う。
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シリーズ用アイテムの話

これだけ大量に書き散らしているので、既に傾向がおわかりの方もあるかと思いますが、私が小説を書く時には、なんらかのアイテムをシリーズにしてそれを核にストーリーをつなげていく事が多いです。

たとえば「大道芸人たち」だったら、旅先の街。「次はミラノに行こう」「その次はコモ」という具合に都市を核にしてそこへストーリーを動かす事象を付け加えていきます。「十二ヶ月の組曲」は最初に題名がシリーズで決まっていました。「ロンド」「プレリュード」などですね。「十二ヶ月の歌」シリーズはもっと明確で、核になる歌と歌詞があってそこからイメージして話を作り上げていきます。

「夜のサーカス」では一見、関係のなさそうな「色」でつなげています。「今度はどの色にしよう」と最初に決めてそれからの連想でモチーフが決まり(「孔雀色のソファ」「極彩色の庭」など)、大枠のストーリーに絡めていくのです。

「リナ姉ちゃんのいた頃」シリーズは異文化交流がテーマですので、それにあたるアイテムをメインに話をつくっていきます。

つい先日なりゆきで創り出してしまった「バッカスからの招待状」シリーズのアイテムはお酒です。毎回、カクテルを出して、それとバー『Bacchus』に集う客たちの人生を書いていけるといいななどと考えているのです。

こういう縛りがあると書きにくいんじゃないかと思われるでしょうがその反対です。主題だけだと観念的な話になってしまうのですが、アイテムがあると主題に即して具体的なエピソードを思いつきやすいのです。で、連想でいろいろと出てきますし。
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Posted by 八少女 夕

バランスの話

小説の話です。ということは、私の場合は自分の人生観の話なんですが。

この世で起こることには全てバランスが必要、というか、自分でどうにか出来るものではなく、本人の意思とは関係なくプラスマイナスが相殺されていくものだと思っています。

で、私の小説に出てくる人物は、突出した幸運を持ち続ける人や、逆に悲惨のデパートになるようなことはあまりないのです。理想の男と、なりたい自分の条件を全て並べて作った非の打ち所のない女の二人がハッピーエンドになるという事もありません。誰からも愛される人が出てこないかわりに、問答無用で成敗されてしかるべき極悪人もでてきません。光だけで影のない人間、もしくは黒いだけでいい面のない人間ではバランスがとれません。

もう一つ、別の角度からアプローチしましょう。例えばあるキャラクターが誰かを深く傷つけたとします。その人物が、最高のパートナーと出会ってお金持ちになって順風満帆になるということはありません。因果応報というと説教臭いですが、そうでなければ決してとれないバランスもあるのです。

反対に言うと、完全な幸福に至れるほど、何もマイナスとなることをしていないキャラクターというのは、書けません。好きなものを集結した夢物語ではなく、人生を書きたいと思っている以上、どんなにそれをやりたくても、その方向にはならないのです。

これをひっくり返せば、私の小説で「散々な目に遭っている」がデフォルトのキャラクターは、かなりの確率で幸せをつかみます。これまたバランスの問題だと思うのです。「天網恢恢疎にして漏らさず」って感じでしょうか。
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黒歴史の話

キリスト昇天の祝日で昨日から四連休です。洗濯しかしていないけれど……。と、どうでもいいことを語ってみました。今日の話題は全くそれとは関係なく。

さすがにもう時効だと思うし、ちょっと語ってみようかな。私の創作の原点の話です。

私は、四歳か五歳、つまり記憶にあるもっとも昔の時点から、物語の妄想癖がありました。何故だかはわかりません。もちろん当時は文章に書いていたわけではなく、マンガにしていたわけでもありません。一次創作と二次創作の区別もつかない段階で、ストーリーもあってなきがごとし。

で、そういうことをペラペラ話す子供ではなかったし、小学校に入ってからもそのことを話すような友人はいなかったので、勝手に一人で黙々と妄想していました。

で、四年生ぐらいの時でしょうか、クラスで交換日記なるものが流行りました。親しい友達と一日おきにノートを受け取り、何かを書いて翌日渡すもの。今でもそんなことをやっている子供っているんでしょうか。私は当時一番親しかった友と交換日記をはじめました。そのノートに文字で「あったこと」「おもったこと」のようなごく普通の日記を書いていた時期があったかは、もう憶えていません。どういうわけだか私たちは交換創作マンガを書くようになってしまったのです。

当時私の通っていた私立小学校にはフランス語の授業があり、クラスの生徒はそれぞれ授業時間はフランス語の名前で呼ばれていました。交換日記の主人公たちは、私とその友達のフランス語名を持った、(たぶん)フランス人の女の子たちでした。どんなストーリーだったかも忘れましたが、やけにドラマティックでした。とっくになくなってしまったその何冊かのノート、見つけることがあっても頭を抱えるに間違いありません。

「scriviamo!」の「二十年後の私へのタイムマシン」で書いた「タイムマシンの出てくる話」は実話で、この交換日記の直後に私が一人で描きはじめた作品です。このストーリーはよく憶えていて、今から廃品利用しようにもキャラの名前くらいしか使えるところがありません。まさに黒歴史です。

でも、あの作品で書いたように、私はその誰にも見せられないひどすぎるマンガに愛着を持っています。あれからずいぶん時間が過ぎて、私は厚顔無恥にも作品をバンバン公開するようになりました。その原点があの時代のショウワのノートに書かれた稚拙な作品にあります。(もう地球から消滅してしまいましたが)

今でもまだまだ発展途上ではありますが、少なくとも当時よりは上達していることは間違いありません。そう考えると黒歴史を通るのもさほど悪いことではないのではないでしょうか。
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Posted by 八少女 夕

創作に関するバトン、ですって

今日は、ホワイトデー。(六甲山ホテルで驕ってもらった誰かさんは、どんなお返しをしたのだろう……。すみません、内輪受けなことを書いています)

さて、ブログのお友だちのTOM-Fさんと山西左紀さんがほぼ同時にやっていらっしゃっていたんで、急遽、私もやることにしちゃいました。



1、小説を書く際、資料などは使いますか?
 使いますねぇ。普段はネットが基本ですが、大きな小説の場合は日本から資料となる本を取り寄せることもあります。

2、プロットやフローを用意しますか?
 長編はね。でも、主要シーンから突然書いて間を埋めるなんて事もします。作品によりけりです。「樋水龍神縁起」は詳細にわたって用意しましたが、「大道芸人たち」は、かなり適当に……。

3、小説をどこかに投稿したことはありますか? 
 昔は同人誌、今は商業誌である「Seasons」、それからWEB月刊誌の「Stella」に出しています。

4、あなたの小説(文章)で一番影響を受けている作家様は誰ですか?
 ヘルマン・ヘッセでしょうね。

5、あなたの書いた情景描写。そのなかで一番好きなものを一つ。(ネタバレなどは伏せ字でかまいません)

 空は燃えていた。丘の上に立ち、初めてみるこの広大な朝焼けに立ちすくむ。樋水の東にはいつも山が控えていた。瑠璃媛は朝焼けを見た事がなかった。これほど広い地平線も見た事がなかった。向こうに遠く村が見える。今まで一度も行ったことのない村。一度も会ったことのない人たち。そしてもっと遠くには春昌の帰りたがる京がある。瑠璃媛にとって京とは極楽や涅槃と同じくらいに遠いところだった。そこに誰かが住んでいることは聞いた事があっても自分とは縁のないところであった。瑠璃媛にとって世界とは樋水の神域の内と外、奥出雲の森林の中だけであった。そこは瑠璃媛にとって安全で幸福に満ちた場所だった。
 安達春昌に遭い、瑠璃媛はまず心の神域を失った。龍王とのつながりを失った。場としての神域と奥出雲を出ることで、氣の神域を失った。そして、安達春昌にすべてを与えたことで肉体の神域も失った。瑠璃媛は今、あらゆる意味での神域から無力にさまよい出た一人の女に過ぎなかった。その類い稀なる能力をすべて持ったまま、それをまったく使うことのできない裸の女に変貌していた。その心もちで、朱、茜、蘇芳、ゆるし色、深緋、ざくろ色、紫紺、浅縹、鈍色と色を変えて広がる鮮やかな空と雲を眺めて立ち尽くした。

「樋水龍神縁起 第一部 夏、朱雀」より



6、上記の心理描写verをお願いします。

 ゆりの魂が夢に見て、朗が感じ取ることができるのは悦びとともに受ける風だった。馬の上での、Kawasakiの後ろでの。苦しみや不安が押し寄せる前の、至福の時間だった。それは当時の朗の魂も同じように共鳴した悦びでもあった。肉体が消え去り、言葉や概念が届かなくなっても、まだ残る輝かしい想い。二人の体は乳白色に輝いていた。
 そして朗の心には次々と忘れられない光景が去来していった。蝉時雨の降り注ぐ丘の上の抱擁、泡雪の降りかかる満面の笑顔、十二単姿で翡翠の勾玉を差し出す真剣な表情、魂がもどり開かれたアーモンド型の双眸、菩提樹の黄葉が降りしきる下のはにかんだ微笑み。朗と一緒に紡いで来たゆりの時間だった。
 蜻蛉の薄羽色の被衣を持ち上げてこちらを見る女は、もはや瑠璃媛ではなかった。それは今のゆりでも過去のゆりでもなかった。肉体が代わり変わろうとも全く変わらない魂の顔をしていた。月夜に浮かび上がる濡れた白いからだもゆりの肉体ではなかった。体の奥に潜む、薔薇色の輝きを放つ魂そのものだった。
 常に側にいられる郎党の次郎に、一緒に笑い転げている高橋一に、当たり前のように共に泳ぐ龍王に対して燃やした激しい嫉妬の炎がようやく鎮まっていった。奪っても、力の限り抱いても決して満たされることのなかった渇きもようやく癒されていった。
 それはお互いの肉体の中にはなかった。共に過ごした短い時間の中にもなかった。けれど二人の内に常に存在していた。太古、二つの魂は一つだった。そして、二つに別れた一つの魂は、再び一つになることを熱望していた。その願いは叶い、いまようやく一つになれたのだ。風は悦びを載せて走っていく。
 部屋の奥まで差し込む明るい月の光に照らされて、みじんも動いていない二人の周りを、至福の風が通り過ぎていく。広縁の向こうでは、春の訪れを報せるレンギョウの葩が緩やかに舞っていた。動くものはそれだけだった。

「樋水龍神縁起 第四部 春、青龍」より


情景描写と心理描写が全然書き分けられていないぞ……。

7、あなたが書いた小説で登場した台詞。好きなのを三つどうぞ

「ねえ。新堂さん」
「なんだ?」
「ちょっと、見直しちゃった。今回はゆりさんのために遠慮するけど、次に生まれ変わったら、猛アタックするから覚悟しておいてね」
「光栄だな」

「樋水龍神縁起 第四部 春、青龍」より


「聖ヴァレンタインの夜のディナーはあんたと一緒に食べたかったの」
それからちらっと壁時計を見てから付け加えた。
「あと40分しか残っていないから、早くして」

(出典はまだ内緒)


 電車は動き出した。ヴィルは蝶子の傍らに立った。そのヴィルを鬼のごとく睨みつけると騒音に負けないように蝶子は叫んだ。
「本氣の恋なんてまっぴらよ。それなのに、なんでよりにもよってあんたなのよ!」
 ヴィルは起こった奇跡を信じられないまま、列車が完全に過ぎ去るまで蝶子の泣きそうな美しい顔を見つめていた。それから、風に踊る蝶子の髪と頬の間にそっと手のひらを滑り込ませ、感無量の声にはまったくそぐわない、いつもの無表情で答えた。
「それはこっちの台詞だ」

「大道芸人たち Artistas callejeros」より


このバトン、傍目から見たら、そうとう痛いんじゃないかしら……。ええい、なんでもいいやい。本人は氣にいっているんです! (開き直り)

8、あなたが書いている小説の先の展開で、これは! と言う台詞をどうぞ。
 どこで、誰が、誰に言うかは、内緒。(って、なんとなく、わかるか)
 

「じゃあ、今夜くらいは、お互いにその忌々しい運命に休日をあげない?」

(出典はまだ内緒)



9、執筆中音楽の類いは聴きますか?
 執筆中というか、構想(妄想)段階で聴きまくります。好きな音楽で、作品ができます。

10、日々の生活で、「あのキャラならここはこうするだろう」「あのキャラならこれを選ぶだろう」といった妄想が展開されることはありますか?
 ありますかって、私の脳内は、ほぼそれだけで占領されております。

11、これから小説を書かれる方などに、アドバイスなどがあれば。
 まだ一度も書いたことのない方で、書いてみたいと思われていらっしゃる方がいたら。ええとですね。名作を書こうとしないで、とにかく完結させるのが第一だと思います。完結した後で、自分の作品が大好きだったら、もう、あなたもお仲間です。一緒に書いていきましょう!

12、バトンをよければ五人程に回していただければ……。
 まわすんですか? やってくれる人いるかなあ。よかったらやってみてくださいね。
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Posted by 八少女 夕

いろいろ起こるから

義兄が離婚していた事をつい先日知った私です。いや、実の兄弟である連れ合いも、その日に知ったんだから、私だけが抜けているってわけでもないと思うのですが。

しかし、まあ、「そんなものか」と思ってしまうほどに、こちらはいわゆる修羅場が多いのです。私の村なんて人口千人ほどしかいないのに、年に一度くらいは「○○さんの奥さんが△△さんのもとに走った」なんてニュースを耳にします。

小説を書く時には、平凡な何も起こらない日々を書く事もありますが、それだけを書き続けても退屈なだけですのでなにか事件を書きますよね。日本にいた時には「こんな事ばっかり起こるわけないよね」と思うくらいだったのですが、どうもこちらに来てからは、私の小説の世界の方がよっぽど平凡というくらいに、すごい話に事欠きません。

で、モデルにさせていただくわけです。まったく同じ事を書くわけではありませんが、何かが起こるときのきっかけのようなものは、現実に見聞きした事件をよく使っています。
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タイトルの話

小説書くときに、題名から出来る場合と、ストーリーから出来る場合とありまして。題名から出来る場合はもちろんそれで問題ないのですが、ストーリーが決まったあとに、はたと題名どうしようと悩む事があります。

「大道芸人たち」はストーリーから決まったもので、書きはじめた当初は題名がありませんでした。「Artistas callejeros」というチーム名が決まったあとで、しばらくはこのスペイン語だけを題名にしていましたが、公開するにあたって日本語訳をくっつけました。これは悪くない題でした。というのは、ヒロインだけ、もしくはヒロインと恋をする誰かさんだけを示唆するような題にしたくなかったからです。実際にそういう話でもないので。

「夜のサーカス」はもともと旅行中にiPhoneで書いた小説で、かなり適当につけた題名です。スカイさんのご要望は「サーカスのピエロ」だったので、サーカスが出て来ればそれでいっか、というような軽い感じでつけました。というか、サーカス団の名前を適当なイタリア語で、とやっているうちに「チルクス・ノッテ」になって、そこからの和訳なのです。でも、連載するにあたり、この題名から話のイメージを拡げたので、ストーリーとは合っていると思います。

ブログにお邪魔させていただく皆さんの小説を拝見すると、それぞれよく考えられた素敵な題名がついています。題名って「読んでみようかな」と思わせるとても大きなファクターなので、適当につけちゃダメだろうとは思うのですが、どうも、皆さんのような素敵な題名が浮かんでこないんですよね。ううむ、困ったものです。
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Posted by 八少女 夕

喫煙シーンの話

「夜のサーカス」の感想で篠原藍樹さんが目ざとく見つけてくださったのですが、実はこの小説では、私には珍しく喫煙シーンをたくさん書いています。

私は吸う方を毛嫌いする方ではありません。もちろん、閉め切った部屋でガンガン吸われるのは好きではありませんが。一方、私は非喫煙者です。今まで吸った事もないし、これだけ吸わずに来たのだから、これから始める事もないだろうと思います。それに、私が吸っても絵にならないのですよ。個人的には、マレーネ・ディートリッヒみたいだったら吸うのも絵になると思うんですけれどね。また値段も高いものですから、どちらかと言えばチョコレートやオレンジジュースにそのお金を遣った方がいいやと思ってしまうわけです。

まだ、煙草を吸った事のない若い方は、出来る事ならば、手を出さない方がいいと思います。理由は、ここに述べる必要もないと思うので、省略。

しかし。それでもなぜ「夜のサーカス」に喫煙シーンがたくさん出てくるかというとですね。単純に作者の都合です。とっても便利なのですよ。

小道具としては、吸い殻の扱い方で人物の性格を描写する事が出来ます。また、とても自然に「そこにいて欲しい人」を登場させたり、不自然にならないように退場させたりする事が可能なのです。

イメージとしては、マッダレーナはメンソール系の細い煙草を吸っていて欲しい。でも、ヨナタンはもうちょい男っぽいものを吸っていて欲しいですね。でも、セブンスターではありません。イタリアですから。
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Posted by 八少女 夕

ヒトの小説が勝手に動き出したら

好きな小説を読んでいて、お氣に入りキャラが出来て、その小説の事をしょっちゅう考えている事ってありますよね。で、そのうちに、そのキャラが勝手に動き出したら……。書く方は、わかりますよね? 勝手に動き出すって感覚。

まあ、有名作家のキャラの場合は、「よくあること」で済みますよね。「二次創作しちゃおう」でOKな訳ですが。これがブログのお友達の小説だったりすると、困りませんかね? しょっちゅうコメントを入れあっている親しい方のキャラだって、入れ込んでいればそのうちに動き出しちゃうと思うんですけれど。

黙っていて、作者さんがほぼ同じ展開を書いてくだされば「よっしゃ!」なんでしょうけれど、違ったら「しょぼん」なのかなあと。

私は、自分でお話が書きたくなるほど、ブログのお友達のキャラに激しく動かれた事はまだないのですが、「この二人がこうなるといいなあ」と期待していた二人のうちの一人があっさりご逝去なさってしまい、ぐったりしたことはあります。

反対に、自分のキャラについてどうかといわれれば、目を覆うほどえぐい展開を想像されると困りますが、ごく普通に入れ込んでいただけるのは嬉しいです。まあ、そのためにはとても魅力的なキャラを生み出さないといけないでしょうけれど……。
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Posted by 八少女 夕

記念のバトン

人氣ブログランキングのWeb小説部門で一位になった記念に募集したリクエスト。TOM-Fさんからいただいたのは、このバトン。TOM-Fさん、ありがとう。「小説家になろう」でまわって来たものだという事です。もし、やってみたい方がいらっしゃいましたら、どうぞお持ち帰りください。では、挑戦。



1.名前を教えて?
八少女 夕です。
2.男? 女? それとも阿部さん?
女です。阿部さんって何?
3.学生? 社会人?
もうずいぶん前から社会人ですよ。
4.好きな番組は?(アニメでもドラマでもバラエティーでもあり)
ZDFなどで制作している自然と野生動物を紹介するドキュメンタリーは好き。映像が美しいので。
5.今なにしてる?
ええと。このバトン書いています。そうじゃなくて職業の話? なら、プログラマー。
6.あなたが書いている小説を教えて?
現在ブログで連載しているのは「大道芸人たち」です。ヨーロッパを旅する四人の仲間と音楽の話です。って、このブログではしつこいくらいに宣伝していますが。
7.あなたは小説を書くとき、どのくらいの時間集中してる?
二時間くらいでしょうか。それを超えると飽きますね。
8.あなたの部屋には、何種類の小説がある?
いろいろありますが。恋愛ものも、歴史物も、時代物も、探偵小説も。それとも、私が書いているものの話? だったら、ヨーロッパもの、神話もの、比較文化の話かな。
9.最近の悩み事は?
小説の事を考える時間がもっと欲しい。贅沢な悩みですね。
10.怖い話。苦手?
ものすごく苦手です。子供の頃、怪談のテレビ番組を姉が観ていて、そのテーマ曲聴くだけで毛布被っていました。でも、本物の霊は全く見えない体質。
11.歴史上の人物で最も会いたい人物は?
ベートーヴェン
12.自分が描く作品内のオリキャラに(作者or作品の)紹介をさせて
「ハ〜イ。あたし、カンポ・ルドウンツ村のバー『dangerous liaison』を経営しているトミーよ。「大道芸人たち」ばかりの紹介をするえこひいき作者だけれど、あたしたちカンポ・ルドウンツ村の住人がでてくる小説もいろいろとあるの。「夢から醒めるための子守唄」「歓喜の円舞曲」のほか、この秋に公開予定の「夜想曲」もぜひ読んでね。それから、よかったらアタシのお店にも寄ってね」
13.皆におすすめしたいモノ(漫画やアニメ、小説などなんでもアリ)
カオス理論の話で盛り上がれる友だちがいままで皆無だったので、どなたか興味があったら……。
14.好きな歌、アーティストは?
基本的にはクラッシック音楽が好きなんですが、ポップの世界ではStingやMichael Bubléは好きですね。
15.好きなスポーツは?
すみません、運動音痴です。
16.執筆にどんなツールをつかってる?
Scriverner(Mac用の小説エディタ)
17.ペンネーム、ハンドルネームの由来は?
う。小学生の時に使いはじめたんですが、由来が思い出せません。天平時代に夢中になっていて、どっか関係あるんじゃなかったかなあ。
18.構想中の小説があったら、紹介して。
現在、執筆中なのは「Cantum Silvae - 貴婦人の十字架 -」で、舞台はヨーロッパの中世をイメージした架空の王国。ルーヴラン王国の世襲王女の縁組みを軸に話が進んで行きます。もっとも、これを公開する前に、「夜想曲」とたぶん「樋水龍神縁起 DUM SPIRO, SPERO」を連載すると思います。時間稼ぎとも言う? 終わったら、「大道芸人たち」の第二部ですかね。
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Posted by 八少女 夕

詩や短歌について

私は小説を書くし、エッセイも書きます。でも、「詩や俳句・短歌もどうぞ」といわれると怯みます。

マンガは「絵心ないんで」のひと言で済むんだけれど、詩や短歌などは小説と同じ言葉で作るものだから、出来ない事はないだろうと言われそうですが、公式に発表するようなものは、ちょっと無理かなと思うのです。

昔は、そんな事なかったんですけれどね。受験なんてものをしていた頃、毎日部屋にこもって机に向かって、分厚いノートに向かっていました。そのノートは私の「何でもノート」で、もちろん参考書の問題を解いたりしていたのですが、同時に絵を描いたり、小説の構想を書いたり、それに散文詩などもかなり書いていたのですよ。

詩が書けなくなったのは、むしろ、小説やエッセイで公開を前提に書きはじめてからです。(公開を前提に書いていても、結局この三月までは一部の知り合いを除いてはずっと隠していたんですが)

海外の歌の歌詞をよくみると、すべてきちんと韻を踏んでいますよね。また、日本の詩歌には季語をはじめとしていろいろなルールがあります。私が学生時代に書いていたものは、すべて散文詩で何のルールもなく、かといってわかっていて崩している訳でもない、本当に中途半端なものでした。それでも中身があればいいのですが、はい、そうです。今風の言葉で言うと「黒歴史」。もちろん、あの時の自分の氣持ちそのものを否定したい訳ではありません。私個人としては、あのひどい詩のファンでいてやってもいいやと思うくらいです。でも、世界に向けて公開するには……。

で、時を経て、小説とエッセイは厚顔無恥で公開してしまうのですが、何故か詩歌の類いだけはそれが出来ない。もしかすると、それは私の自分の才能に対するせめてもの良心なのかもしれません。

とあるブログのお友達の冗談企画で、ちょっとだけ詩のようなものを書きましたが、それは別。ほとんど中身がなくて単純にお題の言葉を並べただけなので。やっぱり、私は同じ言葉を遣っても、長ったらしい散文で物語を紡ぐ方が性に合っているようです。
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Posted by 八少女 夕

趣味で小説書いている人バトンってやってみた

ブログのお友だちの栗栖紗那さんのところで答えていらしたバトンが面白そうだったのでいただいてきました。

質問があまり多すぎず、答えやすかったです。


バトン

Q1 おもにどんなジャンルの作品を書いてますか?
A1 海外に住んでいるので、比較文化っぽいものを入れた現代物が多いかも。でも、雑食性。
Q2 書いた作品はどこで公開していますか?
A2 FC2ブログ、FC2小説、季刊誌Seasons plus
Q3 同人誌など書籍化したことはありますか?
A3 昔は同人誌に参加しました。今はSeasonsですね。
Q4 他のアマチュア作品を読みますか?
A4 読みます
Q5 読む(好きなジャンル)と書くジャンルは同じ?
A5 う~ん、私と同じようなもの書いているブログには出会っていないです
Q6 長編が多い? 短編が多い?
A6 メインは長編ですね。短編は5000字ものを毎月一つの割合で書いています。
Q7 執筆ペースは?
A7 一日200字から5000字。
Q8 ネット以外の知人にも読ませてますか?
A8 数名。どうしても見たいと言われれば。
Q9 今まで一番評判の良かった作品を教えてください
A9 中編「明日の故郷」かな?
Q10 なにか一言あれば
A10 小説を書くのは人生の一部になっています。
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Posted by 八少女 夕

外国語の響き

ヨーロッパものを書く時には、その人物の話している言葉を設定します。もちろん文章は日本語ですが、それでも固有名詞などが変わってきますからね。

同じ都市でも、言語によって呼び名が違うのです。その国の呼び方で統一すればいいじゃないかと思われるでしょうが、かつてその都市が別の国に所属していたときの伝統などで、そう簡単に変えられないみたいなんですよね。

「ヴェニス」「ヴェネツィア」「ヴェネディク」これは一つの都市の名前。他にも「ゲンフ」「ジュネーヴ」「ジェノヴァ」。この場合の「ジェノヴア」とイタリアの都市のジェノヴァは違うのです。モナコ公国の「モナコ」と、ミュンヘンで知られている都市の「モナコ」も要注意。特に電車に乗るときですね。

同じことは人名でもおこります。「太陽王のルードヴィヒ14世がさ」といわれたら頭の中で「ああ、フランスのルイ14世ね」と変換しなくてはなりません。「カール」といわれても「シャルル」の可能性もあります。「ゲオルク」と「ジョルジュ」も困りものです。

私は理由がない限り常に現在の言語にあわせて、人名や地名をカタカナにしています。それぞれの言葉の持つ雰囲氣の問題もありますしね。
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Posted by 八少女 夕

オリキャラへの愛

作品の構想ができてから作成したキャラもいれば、先にキャラが生まれてそのキャラのために作り出された物語もあります。同時に出てくる場合もありますけれど。

後から出てきた方が、実はお氣にいりになる場合もありますよね。勝手にスピンオフまで作っちゃったりして。

私の発表した作品の中で、一番読まれることが多いのは何故か「沈丁花への詠唱(アリア)」なんですが、この作品実は二日で書き上げたもので、キャラも二分で作り上げました。実は、かなり私小説でして、主人公真由美への思い入れは自分に対するそれなので、「オリキャラへの愛」というほどのものは(笑)。

一方で「大道芸人たち」のヒロイン蝶子は、何から何まで自分と正反対で作ってあるので、完全に自分と分離した存在です。まあ、私は女なので、女のキャラに惚れ込むことはあまりないんですが、今まで書いたことのないタイプの女なので、相当の思い入れを持って書いていたりします。楽しんで好きで書いているのは稔かな。ま、時々深刻になったりするんですけれどね。

子供の頃に、ショウワのノートに書いていたシリーズ物のマンガでは主人公に惚れ込んでいましたね。勝手に一体化して、その世界に酔っていました。あまりにもくだらない設定なので、どうやっても小説にして公開することの出来ないお話ですけれど。

作品を書いて(描いて)いるいろいろな方のブログをまわってみると、それぞれ訪問者と作者がオリキャラの話題で盛り上がっていたりします。あれがちょっと、いや、かなりうらやましいのです。まあ、それが度を超して、BLのおかずにされちゃったりすれば「え゛……」と思うんでしょうけれど。
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Posted by 八少女 夕

一人称問題、ふたたび

以前、「ワタシ」と「アナタ」という記事で考察した一人称問題、まだ引きずっております。

ジェンダーと一人称が一致しない人物っていますよね? ブログの書き主にも、それから作品の登場人物にも。私の作品ではゲイである設定のバー『dangerous liaison』の経営者トミーがそうなんですが、そのパートナーのステッフィは「俺」という設定にしてあります。その、役割がこれではっきりしますよね。いや、必ずしも、そういうものでもないのかもしれませんが……。この二人にはモデルがいまして、さらにヨーロッパではそういう関係は日本よりもオープンなので珍しくもなかったりするんですが、いくら親しくても、そういうことにまでは突っ込めません。

一人称問題は、私が知る限りでは日本語だけでおこります。あの人物が自分の性別と一致しない一人称を使う場合、
(1)本人が自分の生物学的なジェンダーに納得していない
(2)生物学的なジェンダーに異議はないが、性別による社会的な差別に納得がいかない
(3)性的に幼い未発達の状態、もしくは中性的な様相をあらわすため
(4)特に意味はない、なんとなく、もしくは照れ隠しで
などがあるのですが、よほど親しくないとそのどれかはわからないわけです。

同じような問題で、性同一性障害 (GID) と異性装と同性愛は全く違うとはわかっていても、自分が直面している「その人」がどれなのかはっきりと区別するのが難しかったりします。しかも、繊細な問題だけに興味本位では質問できません。

それを観察して書くとなると、それはそれで注意が必要かな、と思います。よくわかっていないで書くと、苦しんでいる人を傷つけることもあるからです。個人的には『dangerous liaison』の二人は好きなキャラで、人生の指南役としてちょくちょく出てきてもらう予定です。この二人に関しては作者としては愛情たっぷりであるということをあらかじめお伝えしておきたいと思います。ただし、私はBLには全く興味がないので、そういう場面は一切出てきませんので(笑)
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Posted by 八少女 夕

小説はできたけれど

小説のタイトルって悩みません?

って、もちろん小説(や、その他の文芸作品)を書く前提でのお話ですが。

格好よくしたいという欲があります。でも、かっこいいだけじゃダメ。その作品をひと言で表さなくてはいけない。しかも、あまり難しい、もしくは自分にしかわからないタイトルでは、読者に「読もうかな」と思ってもらえない。反対にいくらドンピシャでも、ネタバレになるのは困る。そんなわけで、私は作品を書くだけ書いてから「うう、困ったぞ。タイトルが決まらない」と悩む事が多いのです。

明日の故郷」は本来の題は「Patria crastinum」ですが、ラテン語だけなんてまさに「なんじゃそれ」なので邦訳したものをタイトルにしました。「大道芸人たち Artistas callejeros」もスペイン語だけでは最初のクリックをしてもらうのも難しいかなと思い、日本語訳を最初に持ってきています。

これでおわかりのように、私は横文字のタイトルをつけたがる習性があります。横文字の中で暮らしていて、話も外国のものが多いので、自然と言っては自然ですが、こんなに語彙の豊かな言語を母国語にしておきながら、ぴったりとして美しい日本語タイトルがつけられないのかと、自分で情けなくなる事もあります。「樋水龍神縁起」という作品は、日本語タイトルと中身がぴったりと一致した珍しいもの。現在執筆中の作品は、中世の架空の王国ものでまたしてもラテン語題がメインですが、美しい日本語のタイトルがつけられないものかと、七転八倒中です。
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Posted by 八少女 夕

「ワタシ」と「アナタ」

きちんと日本語を学んだ外国人が、途中から発狂しだすのが「人称」と「数詞」です。英語で言うと "I" と "you" でしかない一人称と二人称がどれだけあることか。なぜ牛の数え方とコップの数え方は違うのか。(なぜウサギやイカは普通に数えられないのか、という高度な問題に達したガイジンには幸い逢った事がありませんが)

なぜ、そうなったのかという考察は、言語学者に任せておくことにします。単に、私は自分が小説を書くから、日本語って便利だなと思っているのです。

設問:以下の(1) - (3)の一人称ならびに二人称を(a) - (c)の人物に結びつけよ。
 (1) 僕 あなた
 (2) アタシ あんた
 (3) 余 そなた

 (a) バー『dangerous liaison』の経営者トミー(ゲイ)
 (b) グランドロン国王 レオポルド一世
 (c) 「大道芸人たち」登場人物、フランス人レネ・ローレンヴィル

正解: (1)-(c), (2)-(a), (3)-(b)
私の小説を一本も読んだ事がなくても、まず全員正解できると思います。

私がこのブログに投稿した(またはする予定の)小説には、本当に日本語を話しているという設定はほとんどなく、上記の人物たちも実際には "I" と "you" か "Ich" と" Sie (Du)" などの人称を使っているのですが、私は登場人物の設定と同時に必ず日本語での人称も設定しています。なぜかというと、読む方にも誰が話しているのか、どういう人物なのかが、うっすらとこれでわかるからです。

「大道芸人たち」の主要登場人物たちは、それぞれ違う日本語の一人称と二人称の組み合わせを使います。だからそれで話し手がわかる場合には、「と、○○は言った」を省略したりもしています。実際には彼らは英語で会話をしている設定なので "I" と "you" しか使っていないのですが。

ごく稀に、話の都合や流れで、彼らの人称や呼びかけが一致しない事があります。しかし、実際には想定している言語では完全に一致しているのです。「お前」「あなた」「あんた」(すべてYou)、「お父さん」「親父」(Mein Vater) などです。それらを見つけた時にはこれは英語またはドイツ語をその時の感情と状況に合わせて日本語訳している結果だと思っていただければ幸いです。

薔薇が咲いた
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Posted by 八少女 夕

伏線を張る

この記事には【小説】大道芸人たちの過去に発表した分についてのネタバレが含まれています。まだ、これまでの分をお読みになっていなくて「これから読んでみようかな」とお思いの方は、ご注意ください。大したネタバレではありませんが。



連載小説、とくに「大道芸人たち」のように長いものは、プロットの関係上、何をどこで明らかにするかっていうのも悩みどころです。現実の社会の中では、雑多の情報、プロットと関係のない登場人物が山ほどいるので、いちいちネタの公開に氣をつけなくてもいいのですが、小説では、必要のない人物なんかさほど出せないのでどうしても読者にはある程度の勘が働きます。だから、書く方も「これはそろそろバレるかな」と悩みつつ、陳腐にならないように書くことを迫られるというわけです。

例えば、「大道芸人たち」の中で、ヴィルがエッシェンドルフ教授の息子だという事実は、どう考えても読者にバレバレになると判断して、かなり最初の方で読者にだけ知らせる、という方法をとりました。一方で、ストーリー上の変化は、さりげなく伏線を張っていく必要があるわけで、その書き方に氣を遣ったりしています。長い話でそうとうの伏線が張られていますが、どのくらいバレているかなあと思っています。

とあるブロともさんの、大好きな小説では、言われてみればいくらでも伏線はあったのに、全く考えもしなかった展開もありまして、そう考えると伏線の張り方に悩むのは無駄かなあとも思ったり。

次回の「大道芸人たち」の更新では、ようやく話が「本題」(の一つ)に入ります。長過ぎる前振りだったかな、と反省しつつ、次回以降もおつき合いいただければと思います。
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Posted by 八少女 夕

「好きだよ」の意味

いきなりの記事ですが。結婚してよかったこと。

いや、結婚するかしないかは個人の自由だから、いいも悪いもないんですよ。お間違えなく。単に、もの書きとして「こりゃよかったぞ」と思うことがありまして。

それはですね。男性陣が「こいつはターゲット外」とはっきり認識してくれたおかげで、独身だった時には絶対に耳にしなかったような本音を語りだしてくれたことです。旦那だけではなくて、学生時代の友達も、旦那の友人も、「恋愛除外モード」に入るとぺらぺら喋るしゃべる。

それでですね。この春にアップした小説の主人公のモデルにした人なんですが、小説の主人公は幸せを見つけたってのに、本人はいまだに迷走中でして、今度は結婚して子供もいる男性との恋愛に飛び込んでしまいました。で、ご本人はいたってまじめに恋愛をしているんですが、そうやっていろいろと「氣のある女には言わない本音」を聴かされた後の私には「やめろ」としか思えないんですよね。

「彼は、私に対してとても強い感情があるの。その感情を私は感じることができるの」と、彼女は言います。それは、真実かもしれません。ただ、妻子のある男性が、強い感情を持って「君のことが好きだ」という時、女は勝手に「(奥さんや子供よりも)好き(だから将来のことも真剣に考える)」ってところまで変換しているのですが、男性の方は非常に強い激情を感じつつ「君のことが好き(だから寝室に向かいたいな)」と思っているんじゃないかなと。本氣で将来のことを考えているなら「好きだ」というかわりに「将来のことを考えている」って言うよな〜、と。

何が言いたいかというと、男と女は同じ言葉に対する感じ方が違うので、男の人が正直に言ってくれるようになって本当に助かったってことなんです。

こんな冷静なモノの見方は、本人や身内が巻き込まれているんでなければ、本来必要じゃないんでしょうが、小説を書く時には、絶対的な助けになると思います。女の方の感情だけで書くと独りよがりになりすぎるので。
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