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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

【小説】終焉の予感

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

「十二ヶ月の歌」の十一月分です。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十一月はAdeleの「Skyfall」を基にした作品です。これはご存知ですよね? 同名の007映画の主題歌だった、あの曲です。

ボンド・ガールって、使い捨てですよね。この作品の出発点は、もちろんこの曲の歌詞なのですが、それに加えて「一作限りで使い捨ての存在の心はどんなものだろう」でした。一緒にいるヒーローは、ショーン・コネリーでも、ハリソン・フォードでも、お好きなイメージでどうぞ。


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終焉の予感
Inspired from Inspired from “Skyfall” by Adele

「見ろよ。あれだ」
夕闇の中、彼は森に囲まれた廃墟に見える建物を指差した。猛烈な湿度のジャングル、体中から吹き出した汗が不快だった。どんな動きをするのも億劫になるが、眼の前の男はそんなそぶりは全く見せず機敏に動き、そのがっしりした背中に疲れの片鱗すら見せなかった。彼の差し出した双眼鏡を覗くと、蔓植物にぎっしりと覆われた今にも崩れそうな石造りが目に入る。ゆっくりと動かしていくと、ここに辿りつくまでに何度か目にした特徴のある文様が塔に浮かび上がっていた。間違えようがなかった。あれがゴールだ。私は大きくため息をついた。

 時間は迫っていた。地球に逆さに置かれた砂時計にはもうわずかの砂しか残っていない。この密林に多くのチームを送り込んだ組織にとって、私は最後の希望だった。そして、隣に確かな存在感を持って立っているこの男もまた、彼の組織、いえ、彼の生まれた大陸にとっての唯一の希望だった。

 私たちほど強い信頼と絆で結ばれたチームはなかった。お互いにはっきりとわかっている。どちらが欠けても目的に達することはできない。多くの優れた仲間たちが失敗したのはそのためだったのだから。彼はこのジャングルのことを知り尽くしていた。現地の人間を自由に利用し、類いまれな知恵と体力で、私に不足しているそれを補うことができた。あの夜も、100%の湿度と猛獣の徘徊するあの危険地帯を全く意識のない私を背負って通り抜けたのだ。彼にはどうしても私が必要だったから。

 ここに来るまで何度もぶつかった古代遺跡での暗号解読、それを即座に誰との通信もせずに、コンピュータすら使わずにできるのは世界中で私だけだった。

 私は子供の頃から落ち着きのないダメな人間だと皆に蔑まれていた。普通の学校に行くのも無理だろうと言われていた。両親は私を施設に入れようと考えていた。でも、難易度の高いクイズを容易に解く姿に教師が目を止め、政府の役人がテストにやってきてからすべてが変わった。暗算が正確でコンピュータよりも速いことがわかり、暗号解読のエキスパートとして秘密の訓練を施された。

 政府はたぶんあの当時から私をここへ送り込むことを想定していたのだろう。この星の汚染が進み人類が住めなくなると想定される期限は当時は200年後だった。あの隕石さえ落ちてこなければ。あれですべてが変わってしまった。人類には突如として時間がなくなった。世界の各国と連携協力して全人類を救済する余裕もなくなった。現代科学が用意した最高の浄化システムは、全ての大陸を覆えるほど大きい範囲に届かない。そして、そのシステムを動かすことのできる唯一の知られた永久エネルギー源は、このジャングルに眠る太古の遺産たった一つだけだった。

 《聖杯》と呼ばれるそれは、もちろんキリストの血を受けた盃などではない。それはただのコードネームにすぎない。奇妙なことに、多くの機関が「それ」に同じコードネームをつけた。だから、この男もそれを《聖杯》と呼ぶ。

 私には多くの仲間がいた。そしてそれよりもずっと多くの敵がいた。この男もその敵の一人だった。お互いを出し抜くために、戦いながらこの地を目指した。そして、私の仲間は全て力つきてしまった。私には助けが必要だった。暗号解読には長けていても、体力と戦闘能力の訓練が不十分なまま時間切れで出発を余儀なくされた。この私の体力と知識だけではどうしてもここへは辿りつけないことはわかりきっていた。だから、私は彼の提案に乗った。二人の目的は一つ、ここに来ること。その同じ目的のために彼のことを100%信頼することができた。まだもう少しは信じていられる。

「明日、夜明け前に出発すれば午前中には着くな。いよいよだ」
彼はこちらを見ると笑った。

 明日。では、今夜は私の最後の夜になるのかもしれない。

 いつも通りに野宿の準備をする男の背を私の目は追った。野生動物に対するカムフラージュ。もっと恐ろしいのは同じ目的を持ってやってくる人間。そちらの方はもうほとんど残っていないけれど。水を浄化し、火をおこす。食べられる果物や草を集め、捕まえた小動物とともに調理する。鼠の仲間だけれど、初めての時に感じた嫌悪感は全くなくなっている。慣れてしまえば肉は肉だ。仕事の分担に言葉はいらない。そう、長年のパートナーのごとく。食事が済んだあとは星を眺め、お互いの国での言い伝えを語りあう。

 最後に宿屋で寝たのは一週間前だった。そこに辿りつくまで、お互いの素性を偽り旅行中の夫婦を装った。私たちはいくつものパスポートを用意していたので、トランプをするように役割を決めた。スペイン語訛りで夫婦喧嘩をしている演技をしたり、オーストラリアからの能天氣なハネムーン客の振りをしたり、ずいぶんと楽しんだ。彼は夫婦としてダブルベッドで眠る時に本能に逆らったりはしなかった。お互いに無防備に体をさらけ出したとしても寝首をかかれることなどはないのだ。《聖杯》を手にするまでは。

 野宿の時には体を重ねるようなことはしない。欲望に流されてしまい危険に対する瞬発力がなくなるようなことは命取りだからだ。それでも、今夜だけは抱いてくれたらどんなにいいだろうと思う。たとえ彼にとっては欲望の処理でしかないとしても、私にとっては人生の最後の喜びになるのだろうから。

 ここに辿りつきたくはなかった。《聖杯》を永久に探していたかった。同じ目的のために協力しあい、同じ道をゆき、そして共に眠った。居心地がよく心から安心することができた。彼は強く、ウィットに富み、臨機応変で、優しかった。右側のこめかみ近くの髪が出会った頃よりもはるかに白くなってきている。左手の薬指に着いていた指輪の痕は強い陽射しに焼かれて見えなくなっていた。私だけが知っている男の人生のひと時。明日の夜には、誰も知らなくなること。

 《聖杯》は一つだ。どちらかの大陸に行く。もう一つの大陸は次の正月を迎えることもなく死に絶えるだろう。《聖杯》を持ち帰れなかったものは絶望と怒りにさらされて終末の日を待たずに抹殺されるだろう。だから、彼が私の予想していることを実行してもしなくても同じなのだ。

 明日、《聖杯》を手にしてあの砦を出た瞬間から、私は彼にとってただの足手まといとなる。放っておけば寝首を掻くかもしれないもっとも危険な存在になる。だから、最初にやるべきことは私を殺すことだろう。彼の大陸の数十億の人間を救うために、完全に正当化される罪だ。私も彼から《聖杯》を奪わなくてはならない。けれど、私にはできない。そもそも彼がいなければこのジャングルから出られないけれど、それは本質的な問題ではない。家族や同僚、何十億の人びと、その全ての命がかかっていても私はこの男に刃を向けることはできない。私の故郷と組織はもうとっくに負けているのだ。

 私が暗号を解かなければ、《聖杯》は永久に太古の知恵に守られ続けるだろう。そうなれば、彼の故郷も彼自身も死に向かうだろう。私は人類にとっての希望でもある。

 私は《聖杯》を守っている最後の暗号を解き、彼の手にそれを渡すだろう。それが私の死刑宣告になる。その瞬間が近づいてきている。だから、今夜、もう一度抱きしめてほしいと思う。周りを欺き夫婦のふりをするためではなく、責任の重圧から逃れるためでもなく、ただ、生まれてきてよかったと思えるように。

「すごい星だな」
天の川を見上げて彼は言った。私はそっと彼の横に座り、同じ角度で空を見上げた。
「世界が終わりかけているなんて、信じられないわね」
そういうと、彼はそっと肩を抱いてくれた。

 流れ星がいくつも通り過ぎる。この人が無事に帰れますように。声に出したつもりはなかったが、肩にかけられた腕に力が込められた。
「大丈夫、帰れるさ。俺たちが出会ったあのバーで、もう一度テキーラで乾杯しよう」

 私は少し驚いて彼の横顔を見つめた。それから黙って彼の肩に頭を載せた。嘘でも構わない。まだ夢を見続けることができる。今は少なくともこの男の恋人でいられる。星は次から次へと流れていった。私は夜が明けないことを願った。

(初出:2013年10月 書き下ろし)

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で、動画を貼付けておきますね。


ADELE - Skyfall
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Category : 小説・終焉の予感

Posted by 八少女 夕

【小説】終焉の予感 — ニライカナイ

50000Hit記念リクエスト掌編の第四弾です。山西左紀さんからいただいたお題は「ニライカナイ」でした。そして素敵な作品も書いていただきました。ありがとうございます。

 左紀さんが書いてくださった作品: ニライカナイ

で、私の作品ですが。情けないことに「ニライカナイ」って何? という所から出発しました。なんと、沖縄にそんな伝承があったのですね。全く知りませんでした。お返しは、サキさんの小説っぽくしたいなと思ったのです。といっても私の書くものなので似ても似つかぬものになっちゃうことは始めからわかっていましたが。私の小説群の中でSFっぽいのはこれしかありません。以前書いた『終焉の予感』。あれの続きではなくて前日譚を書いてみました。「ニライカナイ」を使ったのは新しい設定ですが、キャラや設定は既に頭の中で固まっていたもの。上手く融合できたかな。

あ、現在いただいている50000Hitリクエストはこれで全て書きましたが、引き続き無期限で受け付けています。よかったらいつでもどうぞ!


 50000Hit記念リクエストのご案内
 50000Hit記念リクエスト作品を全て読む



終焉の予感 — ニライカナイ

 暗い店内を、ヴィクトールは見回した。牛脂灯か。こういう地の果てには、まだ原始的なものが残っていたんだな。この街から、いや、全世界から、電灯が消えて半年が経っていた。

 半年前、直径300m程度の隕石が、海洋に浮かぶ島を直撃した。その衝撃は惑星規模の厄災を引き起こした。地震、津波、熱波による火事、粉塵による寒冷化の被害もひどかったが、人類にとって壊滅的な被害を及ぼしたのは、その衝突が引き起こした強い電磁パルスだった。全ての電子回路と半導体が損傷を受けて使えなくなった。携帯電話、コンピュータ、車、ビル、工場、交通機関、全てが麻痺した。発電所は停まり、浄水施設も機能停止した。

 各国、各大陸の政府も正常に機能しなくなった。最優先で非常用電源を用い、人類がじきに迎えるであろう次なる厄災に備えるべく手を打っているが、テレビもラジオも壊れ新聞も配達されなくなったため人びとの耳には噂話しか入ってこなかった。

 ヴィクトールは、その中ではもっとも多く情報を得ている人間の一人だった。職業はと訊かれれば「冒険家」と答えるのが常のこの男は、未開の地や密林で秘宝を見つける「探し屋」として名をあげていた。この数年間彼が取り組んでいたプロジェクトは伝説の永久エネルギー源、コードネーム《聖杯》を発見して持ち帰ることだった。

 《聖杯》は大陸を覆うほどの超エネルギーシェルターを動かすことのできる、理論的には唯一のエネルギー源で、それを狙っているのは彼の故郷であり雇い主でもある《旧大陸》だけではなかった。

 《旧大陸》《北大陸》《南大陸》《中大陸》《黒大陸》。人口爆発が、統制なくしては手に負えなくなることがはっきりした百年ほど前より、世界は五つの大陸に分かれ統括されるようになった。特別な許可証を持たない人間は、他の大陸へ渡航することすらも許されなかった。ヴィクトールがこの《南大陸》に入る許可証を得るのも大変だった。普段は許可証ぐらい自分のつてでなんとかするのだが、今回だけは依頼人経由で入手してもらう他はなかった。誰もが《聖杯》を狙っている。妨害がひどいということはすなわち、《聖杯》を手に入れられる可能性のある者として、彼がそれだけ知れ渡っているということだった。

 他大陸へ渡航する許可証の必要ない唯一の例外が、《コウモリ》と陰口を叩かれる《アキツシマ》の人びとだった。彼らは本来《旧大陸》に属する大きい群島に住んでいた。だが、半世紀ほど前にその島々を載せていた三つのプレートが崩壊し、全ての島が消滅した。生き残った一億一千万の難民を《旧大陸》だけで受け入れるのは不可能だったため、五大陸の合意の上、彼らだけは移動の自由が与えられ、望む大陸へと移住できるようになった。

 ヴィクトールの入ったこのバーの持ち主チバナは、《アキツシマ》だった。
「いらっしゃい」
チバナが、きたわね、という顔をした。ちょっと見ただけでは男か女かわからない妙に中性的な小男だ。いつも赤かピンクに近い色のものを身につけているので余計そう感じるのかもしれない。

 まっすぐに彼の前のカウンター席に座った。
「いつものテキーラを」
「あんたのためにとっておいたよ。あれも、もうなかなか手に入らなくなってね」
「工場が放棄されたのか」
「途中に電解プロセスが必要なんだって」

 チバナは氷の入っていないテキーラを彼の前に置いた。冷凍庫が動くはずはないのだから文句を言う客は居なかった。ヴィクトールもライムが入っていることに感謝しながら飲んだ。

「それで」
「来ているよ」
「本物なのか」
「どういうこと?」
「本物のアダシノ・キエなのか」
「それは、あんたがテストしてみればいいじゃない。あたしは、ここで以前に三度見ただけ。《南大陸》や《黒大陸》の連中が奪おうとしていたけれど、《北大陸》の連中が守りきっていたわ」

「護衛は」
「全滅みたいね。一人で困っている。あそこの隅よ」
チバナが目で示した奥の席をそっと見ると一人の女が寄る辺なく座っていた。ヴィクトールは思わず十字を切った。まったく場違いな女だった。密林どころか、街から一歩も出たことがないようなひ弱なタイプだ。

「あれか?」
「そうよ。見えないでしょう?」
「見えないどころか、数時間でお陀仏になっちまうんじゃないか」
「そう。肉体的なトレーニングまで手が回らなかったんでしょう」

 彼はもう少し情報を集めようとした。
「本当に一人なのか」
「当然でしょう。《北大陸》のリチャードソン総帥の秘蔵っ子で、最後の切り札よ。それが、護衛もなくあんな状態で居るんだから、本当にもう誰も残っていないのよ。でも、一人で居るのが分かるのも時間の問題ね。そうなったら、とんでもない争奪戦が始まるはずだわ」
「この世にたった一人しかいないんだからな」

 ヴィクトールの愛用の暗号解読マシーンも半年前の電磁ショックでの被害を受けた。十年以上かかけて用意したデータが全て消失し、暗号を解くのは不可能だった。それはどの「探し屋」も抱えている悩みだった。現在、暗号解読が可能なのは、外部データと電子回路を使わずに自身の脳だけで情報処理ができる特殊訓練を受けたサヴァンのみだ。アダシノ・キエの能力は、中でも群を抜いており、世界中のエージェントが欲しがっていた。彼はもう一度振り返って、店の片隅に寄る辺なく座る女を眺めた。精神的に不安定な挙動は特に見られない。人付き合いが良さそうにも見えないが。

「ところで、顔立ちから言うと、あんたと同じ《コウモリ》か?」
「さあ、どうかしら。可能性はあるわね。少なくとも遠い祖先はそうかも。名前はそうだから」
「あれは、本名なのか?」

 チバナはちらっとヴィクトールを見た。
「役所に届けられた名前という意味なら、そうなんじゃない」
「他にどんな意味があるんだ」
「帰属意識がない人間ってのはね、自分の存在そのものに違和感があるの。外側の自分と名前に嫌悪感を持ち自分だけしか知らない名前を持つことで心の平安を保とうとする者が多い。だから、あの子がアダシノ・キエ以外の本当の名前を持っていても、あたしは驚かないわ」
「あんたにも本当の名前があるのか」
「当然でしょう」

 それはなんだと訊いてみたかったが、答えないのは分かっていた。無駄な質問に使っている時間はなかった。
「このチャンスを作ってくれたあんたの狙いはなんだ」
「何を言っているのよ。あんたとあたしの仲でしょう」
「あんたが友情なんて甘い概念なんかで動くタマか」

「ふふん。分かっているでしょう。あたしにできるのは、《聖杯》がどの大陸に行くのかを正確に見極めることだけ」
「で、俺に賭けるってわけか」
「あんたが最有力なのは間違いない。でも、大穴もありえるわね。あたしは《旧大陸》と《北大陸》のどちらに行ってもいいのよ。見極めたら、そちらに行くんだから」
「たいした《コウモリ》だな」
ヴィクトールが軽蔑したように言うと、チバナは笑った。

「ニライカナイって、知っている?」
「いや。コウモリ語か?」
「イエスでもあるしノーでもあるわね。《アキツシマ》の支配民族じゃない民族の間で信じられていた場所なの。東の果て、海の底にあり、あたしたちが生まれてくる前にいたところで、死んでから帰るところ」

 彼はいつものノートブロックを取り出して、その聞いたことのない言葉を書き込んだ。ニライカナイ。
「あんたはその民族の出身なのか」
「ええ。でも、そんな区別はもう意味がないわね。わかるかしら。支配民族も被支配民族も居場所を失ったの。神々は、ニライカナイからやってきて、あたしたちに豊穣をもたらしてからまた帰って行くというけれど、かつては海と島という違いのあった双方が、今では海の底にあるの。この惑星に残された時間もわずかな今、大陸の所属も意味を失っている」

「何が言いたい」
「今のあたしはニライカナイにいるのと変わらない、死んでいるとは言わないけれど、生きる以前の状態でしょう。いくべき所に行って根を張って生きたいの。それがどこにあるのか見極めたいの」
そう言って、チバナは空になったヴィクトールのグラスをもう一度テキーラで満たした。

 ヴィクトールは立ち上がって言った。
「ようするに生き残れる場所ってことだろう。それは《旧大陸》さ。そうでなくてはならないんだ、俺にとっては。なんせ俺は《コウモリ》じゃないからな」

 店の一番奥に座っていた女は、近づいてくるヴィクトールを見て一瞬怯えた目をしたが、下唇を噛み、体を強ばらせて、まともに彼を見つめた。彼は、どっかりと彼女の前の椅子に座った。
「俺は、ヴィクトール・ベンソン。はじめまして、アダシノ・キエさん。チバナから聞いているだろう」

 キエは頷いた。
「私を《聖杯》のある神殿まで連れて行ってくれる人が居るって。あなたが《北大陸》のために働いているという証拠を見せていただけませんか」

 ヴィクトールは首を振った。
「隠してもしかたないから言うが、俺は《旧大陸》に雇われている」

 キエは眉をひそめた。
「私が協力すると思っているんですか」
「するさ」
「理由を言ってください」

 ヴィクトールはキエの瞳をじっと見つめて言った。
「あんたは一人では神殿まで辿りつくことはできない。《北大陸》のヤツでそれを助けられるヤツはいまこの辺りにはもういない。上のヤツらがそれに氣づいて、他のヤツらを送り込んでもここに到達するまで、数日から数週間かかる。その間、あんたは丸裸だ。あんた自身がよくわかっているはずだ」

 キエは眼を逸らした。彼は続けた。
「あんたのことは他の大陸のヤツら、全員が狙っている。《旧大陸》に雇われた俺以外のヤツも含めて。俺はあんたを人間的に扱い、あんたの意志を尊重するが、他のヤツがそうしてくれる可能性は低い。むしろ目的のために手段は選ばないだろう。あんたを拷問するか薬漬けにしてでも協力させようとする。いずれにしてもあんたは神殿に行くしかない。あんたが相手を出し抜いて《聖杯》を《北大陸》に持ち帰るためには、少なくとも五体満足でいなければならない。もちろん俺も簡単に渡すつもりはないが、それでも俺と行くのがあんたにとっての最良の選択だ。そうだろう」

 キエはしばらく下を向いて考えていたが、ヴィクトールのいう事がもっともだと思ったようで、頷いてからもう一度彼の顔を見た。ほとんど黒く見える瞳に強い光が灯っている。根性はありそうだ、彼は思った。

「契約条件を教えてください」
「簡単だ。俺はあんたを神殿まで連れて行く、そのために必要な全ての助力をし、あんたを守る。あんたは、ここから神殿までの間にぶつかるはずの全ての暗号を解き、神殿で《聖杯》を取り出す」

「あなたが私に危害を与えないという保証は」
「証明はできないから信じてもらうしかない。あえていうなら、こんなところで契約を持ちかけていることだ。暴力や薬物を使うなら、もうとっくに実行している。俺にはあんたと行ってもらう以外の選択肢はないし、浪費する時間もない。俺は拷問や薬には詳しくないが、人間ってものを多少はわかっている。強制したり憎みあったりするよりも、好意的な人間関係を築く方がずっとエネルギー消耗が少なく時間短縮になる。だから俺はあんたに危害を加えるよりも好意的にするんだ」

「……納得しました」
「じゃあ、念のために三つの質問で、あんたの能力をテストさせてもらう。もしあんたが詐欺師か誇大妄想狂だったと後でわかっても、やり直す時間は俺にはないんでな」
「どうぞ」

 ヴィクトールは懐からいくつかの紙片を取り出した。一枚めの紙には二つの長い文字列が書かれている。彼が携帯マシンのテスト用に用意したもので、数年の時を経て黄ばんでいた。
「この文字列は暗号化されている。下にあるのが暗号化する前の文字列で、アルゴリズムは言えない。キーを解読してほしい」

 制限時間は15分だと言おうとした時に、キエは口を開いた。
「RSA、秘密鍵はM@rga1ete2987」

 彼は動きを止めた。彼の自慢の専用マシンで二時間半かかった演算だ。彼の卒業した大学のスーパーコンピュータなら三日はかかるはずだ。
「次はこれ。前近代的なメソッドを併用してある」

 キエはじっとそれを見た。彼はメモと鉛筆を差し出したが、彼女は見ていなかった。視点が定まらなくなっている。白目が見えた。ヴィクトールが眉をひそめた。が、それは二十秒くらいのことだった。

「ヴィジュネル暗号とシーザー式の併用ね、ケチュア語の『iskay chunka hoqniyoq』は21。これをシーザー式の鍵にしたのね。元の文字列はポルトガル語で『E nem lhe digo aonde eu fui cantar』」
ありえない。俺のテストでは15時間かかったのに。

「最後は、本物の俺たちが探している古代文明の暗号だ。こっちが書いてあるのが、あんたも知っている『密林の書』の暗号ページ。それから、俺が先日奥地でみつけた礎石にあった文字列……」
そう言ってから、ヴィクトールはふと不安になった。キエの尋常ではない解読のスピードに何かのトリックがあるのではないかと疑ったのだ。どこかと秘密裡に接続していて、連絡を取りあっているのではないかと。

 紙片を見せるのをしばらくためらった。それは実際に最初の砦に行ったヴィクトールだけが持っている情報であると同時に、他の「探し屋」に対する唯一のアドバンテージだった。これを今《北大陸》に知られたら、俺にチャンスはなくなる。彼は腹の中でつぶやいた。

 彼はもう一枚の別の紙をキエに見せた。
「この文字列が鍵かどうかは、俺にはわからん。次の砦のある位置を解読できるか」

 それを見たキエは眉をひそめた。『密林の書』の方は見ようともせず口を開いた。
「正しい情報をインプットしなければ解は得られません」

「試しもしないで間違った情報だとなぜわかる」
「ニライカナイ。これは砦にあった文字列ではなくて、チバナさんに聞いた言葉でしょう」

「あいつ、あんたにもその話をしたのか?」
「いいえ。でも、私も《アキツシマ》ですから」
「そうか。すまなかった。あまりに解読が速いんで不安になったんだ。あんたは俺を信用できるか」
「わかりません。今までそういう人は一人も居ませんでした」
「そうか。それでも契約するつもりはあるか」

 キエは黒い瞳を伏せた。暗号解読よりずっと長い時間をかけていたが、やがてまた彼の目を見た。
「連れて行ってください」

 ヴィクトールは頷いて、チバナのもとに戻り、もう一つのテキーラのグラスを持って戻ってきた。グラスを重ねて彼はここ数年のもっともポピュラーな乾杯の言葉を口にした。
「《聖杯》の救いに」

 キエは同じ言葉では答えなかった。
「《聖杯》で救われるなんて信じていません」

「では、なぜ行くんだ?」
「個人的な興味です。知りたいんです」
「何を」
「これまでしてきたこと、これからすること、生まれてきたこと、生きることに価値があるのかどうか」

 彼は彼女の目を見つめ返した。
「あんたは、いや、俺たちは、きっとその答えを得るよ」

(初出:2014年10月 書き下ろし)
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Category : 小説・終焉の予感
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