お尻に火がついて

この1週間は休暇でした。
私は、現在、プログラマの仕事と日本語教師の2足わらじを履いているのですが、どちらも休みにして仕事をしない1週間でした。
2019年までは仕事をシャットアウトするために旅行に行ったものですが、そういうわけにはいかず、ずっと家にいました。でも、家にいて何もしなくてもどんどん時間だけが過ぎてしまうことがわかっていたので、この1週間は執筆またはその準備をメインにするぞと誓っておりました。
まあ、毎日、執筆できたわけではないのですけれど、何も計画しなかったよりは頑張りましたよ。
というのは、現在発表中の連載小説が終わりそうなんですけれど、その後の連載が全く準備できていないのですよ。場合によっては来年はしばらく毎週の連載というのはお休みすることになるかも、というくらい全然用意できていないんです。
次の連載にしようとしているのは、『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』です。ええ、もちろん、骨格はあるんですよ。でも、全然肉付けが終わっていなくて、この休みの半分は読書をしていました。中世に関する本を8冊くらい並べて、あれこれとうなっていたのです。
これがある程度形になったら、週末ごとにまとめて書いていけるかもしれませんが、今のところまだまだという感じですね。ううむ。本当にまずいな。ま、アマチュアなので、まずいもへったくれもないんですけれどね。
「明日の故郷」をご紹介します
「明日の故郷」は、もともと自分自身さんが主催しておられた「第三回目(となった)短編小説書いてみよう回に参加するために執筆した小説です。この時のお題は「村、また街」というものでした。それで私は「生きていく村」というテーマを設定して、私が住んでいるスイスの史実に題材を取った物語を組立てました。
みなさんもよくご存知シーザーこと、ガイウス・ユリウス・カエサルが書いた「ガリア戦記」に出てくるビブラクテの戦いで、ローマにコテンパンにやられてしまったヘルヴェティ族。ケルト人である彼らが、後にスイスとなる国を築き上げていくのです。「Confoederatio Helvetica(ヘルヴェティ族の連邦)」という言葉は、いま現在でもラテン語でのスイスの正式名称です。スイスを意味するドメインの「ch」もここから来ています。
すぐ側にイタリアやフランスというラテンな氣質をもった隣人がいながら、狭くて資源が少なくて寒い国で勤勉に生きるスイス人がどのようにして成立したのか、その一端を感じられる史実。私が「明日の故郷」で書こうとしたのは、このスイスに対する讃歌でした。
アルファポリスの「第一回 歴史・時代小説大賞」にエントリーするにあたって、結果はどうあれ、一人でも多くの方にこの小説を読んでいただけたらと思いました。
参考までに、アルファポリスの「○○大賞」の仕組みなんですが、登録したページ(私の場合は、「明日の故郷」バナーをクリックすると飛ぶページ)に置かれたバナーが表示されるたびに1ポイント獲得する(ただし24時間以内の同一IPは1ポイントのみと数えられる)のと、アルファポリスのアカウントを持つ方の投票(一人500ポイント)の合算ポイントで順位が決まるそうです。順位のページにはリンクがあるため、順位が上の方ほどそこから未知の方に読んでいただけるチャンスが増えるという事なので、頑張ってみようかなと思ったわけです。
もしお時間がありましたら、ぜひご一読いただき応援していただけると、幸いです。
ちなみに「明日の故郷」のBGMはこちらでした。PVでは「なぜこれが……」なんですが、歌詞と曲調が、この話のテーマと合っていました。
Queen - The Show Must Go On (Official Video)
少し離れたくて
私が毎月参加している「月刊Stella」ですが、ここしばらく参加者が少なく寂しい状況で運営の藍樹さんもお困りのご様子です。参加の可能な方、何かで単発で発表する作品のある方、よかったらStellaの方にも出していただけないでしょうか。
参加方法はとても簡単で、専用タグを該当記事に貼付けて、URLを藍樹さんに『月刊Stella』コミュニティで報告するだけです。(詳しくはこの記事を参照してください 『月刊Stella 詳細記事』)(fc2の方のみですが、コミュニティは『月刊Stella』で検索できます。あ、管理画面の「コミュニケーション」項目をクリックするとコミュニティを検索・閲覧できます。わからない方は、このブログのコメ欄でも質問を受け付けます。ご遠慮なく)
もう一人の主催者スカイさんが現在受験でお休み中ですので、藍樹さんお一人で頑張っておられます。どうぞよろしくお願いします。
意味深なタイトルですが、深刻な話ではありません。ご心配なく。
一つの小説に心が入り過ぎていて、どうも逃れられない。なぜなんだろうと思ったら原因が分かりました。iPhoneのプレイリストですよ。ずっと「Infante 323 黄金の枷」用に編集したBGM集になっていました。そりゃ、切り替わりませんわ。試しに「樋水龍神縁起」用に変えたら、あっさり思考がそっちに流れました。私ってわかりやすすぎ。ここで「大道芸人たち」BGMに変えるのは危険。そっちを書いている時間は、今はない。
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の仕上げにかなり差し支えているのですが、こっちが進まない原因も同じでした。だって、この小説はBGMがないんですよ。でも、今さらしょうがないので、頑張ってなしで書き終えようと思います。
お勉強の日々
で、打ちのめされております。ダメじゃん、私。何もわかっていなかったじゃん。で、四冊の本を並行して読み進めているのですが、新しいことを知る度に、ここはああ変えた方がいい、あそこにはこのエピソードをくわえた方がいいと焦るばかり。既に八割方書いたつもりだった小説は、ほぼ全面書き直しになりそうです。
実をいうと、まだ読んでいないブログのお友だちの長編小説がいくつかあって、氣持ちとしては一刻も早く読みたいのですが、もうちょっとお預けになりそうです。ここしばらく、コラボ小説のお話をいただいてから慌てて読破する、あまりにも失礼な状態が続いていまして、それは避けたいとは思っているのですが。
Stellaに参加しませんか

私のブログを定期的に訪問してくださっていらっしゃる方はご存知だと思いますが、月に一度、「月刊・Stella ステルラ」という企画に小説を出しています。この企画はふたりの学生さんブロガー、スカイさんと篠原藍樹さんが、学業の合間に毎月編集してくださるWEB月刊誌で、小説・詩・イラストなどで参加が可能です。
月刊・Stellaの紹介記事はこちら
月刊・Stellaに関する質問のまとめ記事はこちら
毎月参加しなくてはならないという義務はありませんし、もちろん無料です。
Stellaの参加といっても、そんなに大変なことではないのです。私と交流をもつさまざまなブロガーさんは、小説や詩、それにイラストを定期的に発表なさっていらっしゃいますよね。月末の、新しい作品のひとつにStellaのタグ(この記事にもついている、黒いタグです)をつけて普通に発表し、運営さんに報告するだけでOKなのです。もちろん、Stella専用の連載をしてもOKです。私は「夜のサーカス」をStellaで定期連載しています。
もし、ご自分の作品を他の方に見ていただきたいと思われていらっしゃる方がいらしたら、ぜひ参加なさってみたらいかがでしょうか、というお誘いの記事です。
月刊・Stellaの運営のお二人と常連のみなさんはとてもいい方で、交流もとても楽しいです。また、参加すると、確実に作品を「ちゃんと読んでくださる」方が増えます。緩やかなルールですが、発表された作品は全員が読みに(観に)いって感想を残すことになっているからです。創作ブログの孤独を経験した私としては、交流の嬉しさをいろいろな方に知っていただきたいなと思うのです。
「参加してみたいけれど、知らない方に、突然申し出るのは……」と思っていらっしゃる方、どうぞご遠慮なく、「scribo ergo sum」の記事を見ましたと、こちらにご連絡くださいませ。また、この記事へのコメでおっしゃっていただければ、私からスカイさんたちに橋渡しもしますよ。
新たな方のご参加を心よりお待ちしています。
やることは多いのだけれど
しばらく「貴婦人の十字架」の執筆をやめていました。どうも背景や政治の部分が嘘っぽいので、中世ヨーロッパに関する本を取り寄せて、もう少し勉強しようというのがその理由です。で、取り寄せた本がそろそろ全部手元に来るので、読んで勉強しなくちゃいけないんですよね。
「Seasons」の春号の原稿と、もう一つの執筆の仕事の原稿も書かないといけない。「夜のサーカス」は常に二ヶ月分くらい先のものを書いているのですが、これもうかうかしていると追いつかれてしまいます。
「十二ヶ月の歌」の二月分はまだ書き終わっていないし、これに「scriviamo!」が加わります。おお、やること目白押し。でも、イタリア語もやるんだものね。かわいそうなのは連れ合いですね。ま、三月の旅行で家族サービスをたっぷりすればいいかな……。
はまりまくり
「夜のサーカス」の各章に表紙的なイラストをつけたくなった最初のきっかけは「夜のサーカスと孔雀色のソファ」に出てきたレカミエ・ソファです。そういう種類のソファがあるのですが、どのくらいの方がその名称を知っていて、即イメージ出来るか怪しいと思ったのですよ。それで、写真で補足したくなったのです。
で、ただの写真じゃ我慢出来なくなって、レタッチして、色を変えて、さらにペイズリー柄をつけて、という具合にどんどん深みにはまり、さらにライオンをくっつけたりなんかしたものだから、午前様。そして、一つつけたら、全部につけたくなって、過去の分から、これから発表する分まで、合計で七枚のレタッチ+コラージュ作品がすでに出来てしまいました。こうなったら全部の章につけるつもりです。
ご覧になりたい方はこちら
可能な限り、自分の撮った写真をベースに作りますが、難しいものもありますので、著作権フリーの素材を組み合わせています。自分でイラストが描ければ、もっと自由になるんでしょうが、「夜のサーカス」に関してはこれでいいかなと思っています。
今後の予定
今後の小説の予定でも書き出してみようかなと。
【ブログでの発表予定】
・「十二ヶ月の組曲」(読み切り短編)の七月分、十一月分
・「大道芸人たち」チャプター5
・「夜想曲」六回連載
・「樋水龍神縁起 DUM SPIRO, SPERO」(長編)
・月刊ステルラ用に「夜のサーカス」連載
【執筆予定】
・「夜のサーカス」
・「Cantum Silvae 森の詩 -貴婦人の十字架-」
・「大道芸人たち」第二部
・「十二ヶ月の歌」
・「Leçon de géologie」
なんか、来年も忙しくなりそうです。全然、先は見えていないけれど、何とかなるでしょう。多分。
コラボや企画参加
逐一ご報告していたので、今さらという感じですが、楽しい旅でした。もともと異国にいるんですけれどね。それでも異国情緒というものはありまして、思い切り海外旅行した氣分です。でも、かえってくるとそれはそれで綺麗な景色でした。あらためていいところに住んでいるんだなあと、思ってしまいました。

さて、旅をしている間にも、みなさんから見捨てられず、たくさんの訪問やコメントを、本当にありがとうございました。小説の方も、いつもに増しての拍手とコメントをいただき、感激でした。
また、あちこちの企画にもお誘いいただいたり、コラボが進んだりと、嬉しい事続きです。
「Seasons」への投稿と「第三回目となった短編小説書いてみよう会」への参加で、久しぶりに締切のあるもの書きをしたのですが、ドキドキ感、「私にできるのか」「落とすんじゃないのか」という不安は、その後のいろいろな企画への参加で薄れてきました。
10000Hit記念で書いた二本の小説はなんとか仕上がりました。現在進んでいるコラボ小説、それから近日中に参加予定の企画など、自分のペースで書いているものとは別の作品が続くので、締切の管理をきちんとしなくてはと思うようになっています。
企画に参加するのって、もしくはお題を与えてもらって書くのって、とても楽しいです。もちろん、書いた作品に拍手やコメントをいただける事もそうなんですが、自分は一人で黙々と書いているんじゃないと思えて、わくわくします。
これからも、企画ものにはどんどん乗っかる予定でいます。もし、機会があったら、声を掛けていただければ喜んで参加しますので、みなさん、どうぞよろしくお願いします。
意見は一致しなくても
最初は「この人、絶対私になんか興味なさそうだし、きっと明日から二度と来ないだろうな」と思っていた方が、今では親しいブログのお友達になってしまっていたりするので、世の中って不思議だなあと思います。
で、毎日いろいろな記事を読んでいるのですが、中には私の主張している事と正反対の意見を書かれている記事に遭遇する事があります。私はそうは思えないから、当然その記事には拍手したりしないし、喧嘩をするつもりもないのでコメを入れたりもしません。でも、その一回だけでその管理人さんを嫌いになって二度と訪問しない、などということはしないようにしています。
そりゃ、読むもの読むものすべてがことごとく氣に障るようなら、二度と訪問しない方がお互いの精神衛生上いいと思いますよ。でも、そういうことは稀です。はっきりと意見を書かれる方は、論点がしっかりしていて、読み応えのある記事を書かれる事が多いのです。だから、次に訪問した時に、なるほどなあと思い記事があれば拍手したりコメントしたりしたいと思うのです。
今年も半分
このくらいの年齢になった人はみな実感しているでしょうが、人生の時間というのは全く均等には流れません。私が子供の頃にはあれほど長く感じられた一年間は、まるで一週間のようです。勤め始めた頃、あれほど長く感じられた月曜日から週末までも、飛ぶようです。もう、サザエさん症候群になることはありません。だって、日曜日から金曜日の夜までがものすごく短くなってしまうのですもの。
で、昨日は冬至だったはずなのに、今日はもう夏至なのです。
今年も半年終わりました。
やるべきことの半分を達成したのか振り返る時が来ました。まあ、大したハードルを設置したわけではないのですが、それなりに。
「Seasons plus」への投稿、作品を書き続けること、仕事での精進、それなりに進んでいます。ブログも毎日更新し続けていますし、個人的には満足ですね。
現在、発表している小説は、全て完成している作品ですが、裏では新しい作品を書いています。今まで発表してきたものとは全く違うジャンルで、中世のヨーロッパを想定したファンタジー的なものです。といってもRPG的な「魔法」や「アイテム集め」は全く出てきません。設定は全く違っていますが、書こうとしているものは相変わらずのテーマですので(笑)
大枠の設定だけ決めて既に書き出しているのですが、ようやく納得のいっていなかった穴を埋める内容が生まれてきています。「大道芸人たち」の連載が終わる頃には、公開をはじめられるかもしれません。
というわけで、近況でした。下半期もどうぞよろしくお願いします。
お、おや〜?
「大道芸人たち」ず〜っと連載していたのですが、反応が他の記事とあまりに差があって「もしかして、私の小説、みなさんあまり歓迎していない?」と思い悩み始めておりました。
でも、「冬木立の前奏曲」でこんなに拍手をいただいたということは、要するに読み切りのほうがブログ向きなのかも。そりゃそうですよね。どこか別の記事をクリックしなくても読み終わるんですもの。
「十二ヶ月の組曲」は勘のいい方はお氣づきのように、題名が西洋音楽の楽曲を題名に持ってきたシリーズで、そもそも「Seasons」の投稿用に書き始めたものです。ですから、季節感を出すようにしています。毎月一つなら楽勝で書けるだろうと昨年の12月に書き始め、一番苦悩した最後の二つも含めて六月中に終わりました。来年はどんな「十二ヶ月の○○」にしようか思案中です。
そういうわけで、「大道芸人たち」のインターバルには、少しずつこういう読み切りを挟んでいきます。長編に辟易していらっしゃる方は、この辺を読んで下さると嬉しいです。
今週の水曜日には、先日よりちょくちょく言及している(書くのに苦悩した)八月分をアップしようと思います。
世を忍ぶ仮の姿?
といっても、現実でお金をいただいているプログラマーの仕事を嫌々やっているってわけでもないんですよね。もちろん、スクリプトを夜中まで書いていても嬉しくて仕方ないって程には愛してはいませんけれど。小説なら氣がついたら丑三つ時ってのは普通だから、やっぱり、そっちのほうがいいんです。
また、夫との生活を投げ打ってでも「もの書き」として成功したいかと言われると、そんなことはないんです。例えば、「小説家デビューの条件として日本に帰国しろ」といわれても困るわけです。たぶん「ごめんなさい」するな。
そういう意味で、私は覚悟ができていないのかもしれないですね。年齢的にも「希望に燃え立って」いるわけではありません。諦めているわけでもないんですが。
生活の安定、個人としての幸せ、それから夢を持ち続けること、どれが本当の自分でどれが仮の姿と決めることは出来ません。たぶん全てひっくるめて、これが自分なのだろうなと思っているのです。
作品と現実と
で、つい先日、悩みに関する詩を発表なさって、私はそれを読んでその言葉の中にある苦しみに共感しつつ、氣持ちを伝える言葉を探している最中だったのです。で、もう一度サイトを訪れたら、別の読者の方から心配するコメントが入っていました。そう。私も心配したから、その方の反応としてはごく自然だったと思うのですが、そこで私は考え込んでしまったのです。
小説は詩とは違います。「これは作り事だよな」と読者がわかって読んでいます。たとえ書く方の経験や、心の動きや、悩みや喜びが投影されているとしても、それは一度バラバラにして、組み立て直した虚構として認識されているはずです。ありていにいえば、私の小説の登場人物がドロドロに悩んでいても、私の精神状態を心配をする読者はほとんどいないでしょう。かつて悩んでいたものの投影だとしても、それを書ける時点で、それを乗り越えているのだと判断されるから。更に言えば、小説の書き手は自分自身が一度も悩まなかった事についてでも、人を観察する事によって書いていく事もあるのです。
では、詩はどうなのでしょう? 詩だって発表した時点では既に作品なのですから、必ずしも現在の精神状態の反影だと思う必要はないのでは? でも、小説と違って、現在の精神状態だということも大いにあり得る……。そこで私は逡巡してしまうのです。
詩も小説も作品です。それと同時に、実際に作り手の心の中にあったものの具現化です。魂の叫びが強ければ強いほど、現実に暮らしている社会人として自分との間に差異が生まれます。でも、どちらも作り手にとっては真実の自分です。こんなに長く作品を生み出す事と向き合っていても、私はいまだにその自分の中の差異に対する折り合いがつけられないでいます。それと同時に、知り合ったばかりで、相手の事を何も知らない、それなのに勝手に一方的に「魂の友だち」にしてしまっている人の心のうちを想って、かけるべき言葉を見つけられないでいます。
終わった〜
五月の頭にエッセイの仕事は終了。先週は「Seasons plus 2012 夏号」の原稿も入稿しました。そして「第三回目となった短編小説書いてみよう会」の原稿も終了! アップの準備も完了です。こっちは11日の予約投稿になっています。なぜ今アップしないのかというと、単に11日は予定があってブログ更新が出来ないから、なんですけれど。
私は、「あれもこれもやらなくちゃいけない」「どれも終わっていない」というストレスに人一倍弱くて、一人でパニックしがちです。どれも十分に日にちの余裕があるんですけれどね。で、ふたを開けてみると、たいてい原稿一番乗りになっています。でも、ギリギリまで置いておいて、原稿落とすとか、耐えられないんですよ。本当はギリギリまで頑張った方が、もっといいものが書けるのかもしれませんが。

この写真は「Seasons Plus 2012 春号」に掲載してもらったものです。
季節を考えていなかった
なんか、思いっきりクリスマスになっちゃいましたね。書いていた時も全然シーズンじゃなかったんですが、連載を始める時に「このペースにして、クリスマスに、この章を公開しよう」とか、まるっきり考えていませんでした。秋から公開すればそうなったかも、と今さらながら思っているんですが、これから12月まで放置したら、誰も読んでくれなくなっちゃう。
しかたないので、完全に季節がずれまくったまま、週二回くらいのペースで公開していこうと思います。
ここ数日、小説書いていませんね
先週から会社ではWin2台とMac1台を行ったり来たり。自宅では、普段はMac1台だけれど、昨日は久しぶりに3台も起動した。OS9のMac、もう持っている人少ないんだろうなあ。私も久しぶりの起動で戸惑いました。
で、何していたかというと、Seasonsの夏号のために、以前撮ったはずの写真を探していたのでした。我ながら「こんなのあったんだ!こりゃ、いいぞ」というのを見つけたのはいいけれど。あと、Seasonsの秋・冬号でコラボでイラスト描いてもらう予定で、その準備もちょっとしていたっけ。
それから、エッセイの仕事の文章書いて、写真も用意して。ブログの方も、新しい作品を一つアップしましたよね。「第三回 小説書いてみよう会」のお題が「春」だって言うから、ずっと発表していなかったものだけど、お題変更だというので、じゃ、出しちゃえってことで。
あと、ブロともになってもらった方を訪問して、小説の一氣読みとかもしていました。これはね、楽しかったし、とても勉強にもなりましたよ。まあ、同じようなものは死んでも書けないし、自分らしく書いていくしかないって認識した上での勉強だけど。
そんなこんなで、忙しくしていたんだけれど、どうも、小説が全然進んでいないんですよね。進んでいない理由は、忙しいから、ブログに夢中になっているからでもあるかもしれないけれど、とあるキャラが巧く動いてくれないからだと思います。動く時には、一日で10000字とか書いていた時もあったんだけど。ここのところ、本当に遅筆になっています。
困りましたね。
どうでもいい悩み
作品中で、たま〜に名前の出てくる園城真耶と結城拓人という日本在住のキャラがいます。この二人が、その内に出てくるのですが、この二人、別の作品に出てきた人物なんですよね。で、そっちの話を公開した方がいいかなあということを、ぐるぐる考えている訳なのです。
FC2小説にでも、さくっと公開しちゃう、という手もあるのですが、ここでもう一つ悩みが。この二人が出てくる作品「樋水龍神縁起 Dum spiro, spero」は、それだけでも全然短編ではないのですが、実は、それ以前に書いたもっと長大な作品の番外編なんですよね…。で、その大もとの作品「樋水龍神縁起」は、どう考えてもブログでは公開できない…。長いだけでなく、大した描写ではないのですがR18だし。それに、この大もとの作品は、園城真耶たちとは全く関係がないので、そのためだけにここで公開するのも意味がないし。
さて、どうしよう。このまま、「樋水龍神縁起 Dum spiro, spero」なしで突っ切っちゃおうか、それとも一部公開でもした方がいいのか、ここ数日、馬鹿みたいに悩みまくっています。
ま、ほんとうにどうでもいい事なんでしょうけれど。
「春雨じゃ、濡れて参ろう」
それで、いつも通り自転車に乗ってキコキコと漕いでいたら、なんだかどんどん降ってきました。あちゃ〜とは思ったけれど、悲しい思いをするのは馬鹿馬鹿しいと思ったので、誰にもわからないのをいい事に言ってみました。
「春雨じゃ、濡れて参ろう」 って。
本当は、和風のいい男、たとえば、いつもお世話になっている夜桜書物庫のキャラ、宵さまみたいな人が言うとサマになるんですが、その時の私の格好は…(以下自粛)
海外にいていいことは、日本じゃ人目を氣にして絶対に口に出せない事を、堂々と言えることかも。その分、一時帰国した時のひとり言には要注意です。
ペンネーム
小説はずっと親にも隠して一人で書いていたので、正直言ってペンネームはずっと必要ではありませんでした。
久しぶりに投稿という形で、表に出る事になり、はたと思ったのが、名前はどうすべきかしら、ということでした。
実は、本名(のファーストネーム)がとってもペンネームっぽく、投稿誌やブログを見ると多くの人がそのファーストネームをペンネームとして使っています。そして、私は自分の本名の姓名の組み合わせが大変氣にいっているので、別々にする氣にならず、とはいえ、そのまま使ったら完全な本名、しかも、特殊な場所にいるので完全に個人特定されまくり。それはいかがなものかと思ったのです。それで昔のペンネームを引っ張りだしてくる事になりました。
イラストのこと
で、その内に氣がついたんです。マンガでは背景やポーズもキチンと書けないとまともな作品には見えないけれど、文字だけならいくらでも好きに書けると。それで、マンガはやめました。で、自分じゃなくて誰かマンガの上手な人にイラストをつけてもらいたい。かなり他力本願な事を考えている私なのです。
ブログをはじめて氣のついたこととして、この世には両方をやってるすごい人たちがいるってことです。そっか〜。私の夢は「マンガはいくらでも描けるけれど、あなたの小説のような世界は考えつかないから原作にさせて」といわれるような小説を書く事なんですが、いや〜、需要ないかもしれませんね、これじゃ。
二人ほど現在も交流のある、今でもマンガを続けている友人がいて、その二人は私が小説を書いている事を知っています。この秋にはその内の一人が投稿する小説に挿絵を描いてくれる事が決まっていて、嬉しいコラボ・デビューなのです。原作小説家への野望の第一歩になるといいのですが。
狩人たちの市場
隣村の郵便局に行ったら、メインストリートで狩人たちの市場をやっていたんです。
山積みになった狐とか、はじめて見た。こんなに殺しまくったんだって…。

こういうのもよく見ておくと、その内に作品の中に生かせるかな、そう思って眺めてきました。写真は、背中に狐をたくさん背負ったおじさん。こういう人がわんさかいました。
読む国民性
もっと驚いたのは、オリジナル小説を読む人口もとても多いと言う事。SC2の方にも登録して小説を公開したんですけれど、うわっ。閲覧数がこんなに。といっても、殿堂入りしているような小説は全然桁が違うから、大した事はないんでしょうけれど、それにしても、既に人生で私の小説を読んだ事のある人数はブログ前と後ではすでに20倍近くになっていたりします。
字を読むという事に対する貪欲さが、日本とスイスではものすごく違うような氣がします。こちらの人はそんなに本を読まないんですよね。自宅に本棚がない家もあります。日本ではあり得ませんよね。
たくさん読むから、書きたくなるってことなんでしょうか。
5000字
これには訳がある。友人に誘われて投稿を始めたのだが、そこの字数制限が5000字なのだ。
それまでは、自分の好きな物を好きに書きまくっていたので、5000字ってどのくらい?というのもわかっていなかった。エディタのScrivernerでは、字数を確認しながら書けるので、やってみたら「ええっ?まだ書き始めたばかりなのに、もう700字?」と困惑しまくり。
でも、やっているうちに収まるようになってきた。
SC2小説に登録して、このブログで公開した小説をあっちにも保存したのだけれど、あそこは区切りが2000字…。もっと短い。むりやり三分割して載せたけれど、読まされる方から考えると、5000字でも長過ぎるんだろうか。
これから連載しようとしている、長編小説、半端じゃなく長いんだけれど、どうしよう…。あまり長いとブログだと、読みにくいからSC2小説の方だけにしようかしら。目下悩んでいます。
小説用エディタ
で、毎日書いたものを、一度ePub形式に落として、自分のiPhoneに入れます。これを会社の休み時間などに読み返して推敲の必要な所にハイライトを入れる、という方法を使っています。
出来上がったものを、ブログの場合はそのままコピペして、PDFにする時はテキストに落としてからInDesignに読み込んで、という事も自由自在にできるので、Scrivenerは本当に便利!Mac派でこれからエディタをどうしようかなあと思っていらっしゃる方には、おすすめですよ。
仕事と、書く事
ヨーロッパで外国人と結婚していると言っても、だれもが後藤久美子のようにお城で優雅な生活をしているわけではない。私は、生活のために働いている。最近、お小遣い程度は「もの書き」の仕事でもらえるようになったけれど、メインの仕事は「もの書き」ではない。 コンピュータの前に座って文字を書くのは同じだが、書いているものはスクリプト。感情や考えた事ではなく機能を書くのだ。
月曜日から金曜日まで、朝同じ時間に起きて、会社へ行く。PCを立ち上げる。決められた振舞いを機械がするための命令書を黙々と記述する。会社の帰りに、機械的思考に染まった脳みそを切り替えて、「お話」の続きに想いを馳せる。夕食の準備や掃除をしながら、やはり心はもう一つの世界を周っている。そして、Macの前に座り、脳の中にしかなかったものを現実世界に書き写す。
彼は「会社でも、家でも同じ事ばかりしている」と言う。日本語の読めないあなたには同じに見えるでしょうよ。でも、私には全然違う事。
「もの書き」だけで生活できるようになったら、どんなに素敵だろうと思う。でも、いまの私はそういう状況にない。だから、わずかな書く時間を大切にしたいと思う。仕事がある事もありがたいと思うので、勤務時間中は精一杯まじめに勤め、彼との生活もないがしろにしないようにしたいと思う。
いつ書く?
で、今年になってから立て続けに先方に締め切りを明示されて、それに間に合わせるように書くということをした。で、まったく同じ締め切りのある人がどうしているかを、偶然知る機会もあったのだけれど…。
どうやら、私は早いらしい。
あんまり早くに出して、すぐに訂正したくなると困るからと、しばらく出さなかったとしても、すごく早く書き終えているらしい。
心配性なのかしら?でも、突然仕事が忙しくなって、書けなくなるかもしれないし、家庭に心配事ができてそれどころじゃなくなる可能性だってゼロじゃない。それを考えると、直前に慌てるよりも依頼が来て即書いちゃう方が余裕ができて安心じゃないのかなあ…と。
ただし、子供の頃は、全然違ったタイプだった。夏休みの最終日に、宿題にほとんど手がつけていなくて涙目になっていたっけ。あの頃に、今の半分の心配性があればよかったのに。