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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

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Posted by 八少女 夕

【小説】黒髪を彩るために

scriviamo! 2017の途中なのですが、今日は別枠の小説を発表します。月に一度発表する読み切り短編集「十二ヶ月の……」シリーズ、去年は試験的に「四季の……」で年四回にしたんですが、今年は再び月一シリーズとして復活しました。今年は「十二ヶ月のアクセサリー」です。一月のテーマは和風に「つまみ簪」です。

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黒髪を彩るために

 紅、白、薄桃色。指の先の大きさにも満たない布のパーツを順番に並べていく。「つまみ」は、小さな絹を折ったパーツを組み合わせて簪や櫛飾りなどを作る、江戸時代から続く伝統工芸だ。

 折った布の曲線が外に出る丸つまみ。赤いちりめんのパーツを五つ使って梅の花。大きさを変えて咲き誇る紅白の梅の花をつくる。

 折り目を外側に尖らせる剣つまみは、たくさんの花弁にできるので、菊の花を作る。外側を華やかな曙色、わずかずつ白みの多い桃色の布を使ってグラデーションをつけていき、一番内側は純白にした。そして、枝垂れ梅のように紅白の花房さがりを垂らす。花の中心は小さな淡水パールで上品に留めた。

 できた。恵美は簪を外の光にかざして眺めた。

 かつて姉の初子が作っていたものとは違って、よく見ると糊がしみ出してしまっているところや、上手く折れていなくて左右対称でないところもあるのだけれど、こんな大作を一人で作ったのは初めてだから満足だった。

「簪、恵美ちゃんの成人式に間に合わせなくちゃね」
初子は、大学生だった恵美に優しく微笑んだ。

「そんなこといいから、休んでいてよ。一昨日退院したばかりなのに、もうこんなに根を詰めて」
恵美は慌てて言ったものだ。

 初子は身体が弱くて、いつも家にいた。大学に行くこともなかったし、就職もしなかった。家の中でできること、体力を使わなくていいことしかできなかったが、その分手先がとても器用で、手芸の類いは何でも出来た。

 通信教育で習ったつまみ細工にもその才能が遺憾なく発揮されたので、和装小物のメーカーに納品するようになった。

 大きいかまぼこ板のような木の板の上に薄く糊を伸ばす。ピンセットで器用に折った小さなちりめんや羽二重の布を手早く並べていく。そして、それを銀色のパーツの上に載せて美しい小さい花を完成させていく。つまみ細工はその繰り返しだ。辛抱強くて几帳面な初子にぴったりの仕事だった。

 恵美が成人式に振袖を着ることになると、大喜びで簪を作ってくれると言った。

 恵美は、大正ロマン風の振袖を買ってほしかった上、つまみ簪よりもオーガンジーなどで出来た洋風の飾りが欲しいと思っていたのであまり乗り氣ではなかった。両親が大喜びで「よかったわね」と言うのも面白くなかった。

 子供の頃から、両親の姉と自分への関心には差があるように感じていた。彼らは身体が弱くて入退院を繰り返していた娘を心配していたのだろう。運動会にも出られない、遠足にも行けない初子のことを「かわいそうにね」と慰め、国語や算数で優秀な成績をとると褒めちぎった。一方、健康だけれど成績もそこそこだった恵美は、褒めてもらった記憶もあまりないし、何事も二の次にされてきたと感じていた。それによく叱られた。

 恵美は初子のことを嫌いだったわけではない。少しは妬んだけれど、いつも優しく穏やかだった初子、苦しくてもけなげに耐えている姉のことを偉い人だと思っていた。それに、いつまでもそうやって一緒にいてくれるのだと思い込んでいた。

 でも、初子は恵美の成人式まで生きられなかった。つまみ簪も完成しなかった。

 成人式用に、好きな髪飾りを買ってくれると母親に言われたとき、恵美は首を振った。
「初子姉さんの作ってくれた簪をする」

「でも、あれは作りかけで、目立つところの花弁が欠けているわよ」
「いいの。あれをつけたいの」
恵美は泣きながら言った。他の髪飾りが欲しいなどと思ったりしなければよかった。姉さんに作ってくれたお礼も言えなかった。

 伝統工芸だから、レンガ色と抹茶色で幾何学的な模様のモダンな着物には合わないだろうと思っていたが、それは恵美の思い違いだった。初子は、若竹色と落ち着いたレンガ色のちりめんを使い、剣つまみの内側の花弁を黒にすることで、モダンなデザインの簪を作ってくれていた。

 行動範囲が狭まっている分、彼女の宇宙は小さなピンセットと細い指先から生み出されて自在に広がっていたのだ。恵美は、生きているうちにもっと姉と話して、その心の中の宇宙を覗けなかったことを後悔していた。偏狭で思い込みに縛られていたつまらない自分を悔やんだ。

 同級生たちはその簪を見て、変な顔をした。黙って目を見合わせてから、影でくすくす笑った。恵美は、姉の形見であることを誰にも言わなかった。それは、心ない同級生たちとの会話で穢されたくない神聖な思い出だった。人になんてわかってもらわなくていい。私の黒髪を美しく飾ってくれようと心をこめてくれた姉さんの想いがここに刺さっているんだからと。

 そして、その成人式からもうじき十五年が経つ。

「お母さん、ただいまー」
玄関の引き戸ががらりと開いた。恵美は、もうそんな時間かと驚いた。

「おかえりなさい、初音。あら、またそんなに汚して」
お転婆娘は、またどこかで泥だらけになってきたらしい。

「公園でちょっと滑り台に乗っただけだよ。でも砂場が湿っていたんだもん」
「公園に行くのは、一度帰ってランドセル置いて、着替えてからっていつも言っているでしょう、もう」
「ごめんなさい。忘れちゃった」

 恵美は初音の頭をそっと撫でた。両親が自分に対して感じいていたことを、今は理解できる。健康で元氣よく飛び回っていることは、どんなに有難いことだろうか。漢字の書き取りがバッテンだらけでも、何を着せてもすぐに泥だらけにしてしまっても。何度叱ってもいう事をきかないので、しょっちゅうは褒めないけれど、でも、愛しい娘であることには違いはないのだ。

「お母さん、これ作っていたの? きれいだね」
初音は、簪を覗き込む。

「ふふ。これは初ちゃんのよ」
「私の? 本当? 今もらっていいの?」
「あら、今オモチャにしちゃダメよ。初詣の時に、おきもの着るでしょう。その時にね」

「ふうん。そうか。マイコさんみたいにするんだものね。でも、お母さん。おきものはいいけれど、ぞうりはいたいから、きらい。ビーチサンダルはいちゃダメ?」
「う~ん。それは、いまいちだと思うなあ。でも、痛いのはつらいよね。写真撮らない時はそれでもいいかしら。少なくとも運動靴よりはいいわよね」

 せっかくの簪でばっちり可愛く決めようと思ったんだけれどなあ。カエルの子はカエルだからしかたないかなあ。

 恵美はため息をつくと、タンスの上の初子の写真を振り返った。姉は、昔と変わらずに優しく微笑んでいた。


(初出:2017年1月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】人にはふさわしき贈り物を

もう三月になっていますが「十二ヶ月のアクセサリー」二月分を発表します。二月のテーマは「ブローチ」です。

日本でも「●●お宝探偵団」的な番組があるようですが、ドイツ語圏にもその手の番組がいくつかあって、「先祖から受け継いだ」「蚤の市で買った」「離婚した夫が置いていった」などといったいろいろなアンティークや美術品、古い調度などが思いもよらぬ値段をつけてもらっていたり、反対に「これは二束三文です」といわれてがっかりして帰ったりするのが放映されています。今回の小説は、その番組にヒントを得て書き出しました。


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人にはふさわしき贈り物を

 宝石鑑定士の厳しい顔を見て、クルトはこれはだめだな、と心の中で嘆息した。一攫千金を夢見てここまで来たが、どうやら無駄足だったようだ。テレビで毎日のように放映されている「お宝鑑定」では、蚤の市で50ユーロで購入した陶製の壺が4000ユーロにもなったりしている。だから、彼もかねてから価値を知りたかったブローチを持って半日もかけてここまで出てきたのだ。

「残念ながら、これはルビーではありません。ルビーとよく間違えられるスピネルですらないんですよ」
「じゃあ、なんなんですか」
「アルマンディン(鉄礬ざくろ石)またはパイロープ(苦礬ざくろ石)です。どちらかは組成をみないとわかりませんが、どちらにしてもガーネットの中でもっともありふれたタイプの石ですな。もし、両者が入り交じっているとすると半貴石扱いになりますのでもっと価値は下がります」

 そう簡単にうまい話が転がっているわけはないな。

 クルトは、その石を持って帰るつもりになり、鑑定士の方に手を差し出した。
「そうですか。あまり価値のない石ってことなんですね」

 だが、宝石商は何か考え込むように、自分でありふれた宝石と断定したこの赤い石を見ていた。
「何か?」
不安に感じたクルトが訊くと、ためらいがちに答えた。

「カットと、この台座のデザインがですね」
「台座?」

「ええ。この石はスターストーンです。一つの光源のもとでだけ、内包された別種の鉱物に光が反射されて放射状の光が見える石のことをそう呼ぶのです。ほら、こうすると見える。この六本の白い光彩です。普通はこのスターを生かすように滑らかなカボッションに加工するものなんですが、この石はブリリアントカットを施されている」

 クルトは宝石を覗き込んだ。そう言えば一度白い筋のようなものが見えて、傷かと思っていたが違うのか。価値を落とすものじゃないならなんでもいい。

 宝石商はさらに石をひっくり返し、周りを飾っているすっかり黒くなった台座の細工を眺めた。

「この台座もずいぶんと凝っている。これは職人が手作業で作った台座ですが、今どきこのような加工をするととんでもない値段になるんですよ。大きいとは言え、この手のガーネットにねぇ。誰が何のためにこんなわけのわからないことをしたんだろう。このブローチの由来をご存知ですか」

 クルトは、肩をすくめた。
「亡くなった祖母さんが、戦争中に一晩だけ匿った将校にもらったって言っていましたよ。価値のあるものだから大切にするように、一緒に渡された手紙に書いてあったってね」

「手紙? どこにその手紙があるんですか?」
「さあね。祖母さんは、学がなくてよく読めなかった上、戦後の混乱の中でどっかいってしまったって言っていましたよ。少なくとも宝石だけはちゃんととっておいたと威張っていましたけれどねぇ」

「そうですか。いずれにしても、これだけの大きさの石ですからこの程度はお支払いさせていただきますよ。いかがですか」

 クルトは眉をひそめた。ここに来るまで期待していた額の十分の一もない。現金が欲しいのは間違いがないが、もし後から手紙が出てきてもっと価値が上がったということになると悔しいだろう。

「いや、ルビーじゃないかと思っていたのでね。そういう金額でしたら無理して売らなくてもいいんですよ。そちらには大したことのない石でも僕にしてみたらたったひとつ残った祖母さんの形見ですしね」

 彼はそのブローチを布にくるんでから箱にしまうと、持ってきたときよりも明らかに雑な動作でポケットにしまい、その店を出た。わざわざこんなところまで来たのにな。妻に散々に言われるんだろうな。そう思いつつ、村へと帰っていった。

* * *


 まだ春には遠い。彼は暖房の入っていない冷え冷えとした部屋を見回した。エレナは寝息を立てている。生まれて初めて男を知ったというのに泣きもしなかった。それに、この戦火でいつ人生が終わるかもしれない極限の状態にもかかわらず、ぐっすり眠れる神経というのは大したものだ。

 彼は服を着ると窓辺の小さなデスクに座り、満月の明かりを頼りに手紙を書き出した。こんなところを見回りの奴らに見つかったら、終わりだ。だが、これを書くチャンスは今を置いてはもうないだろう。彼はずっと楽観して生きてきた。だが、さすがの運命の女神の恩寵もこんどばかりは尽きたらしい。彼の叩き込まれた考え方からすると、今すべきことはたった一つだった。

 首からかけて肌身離さず持っていた絹の袋を開けた。中からそっと紅いカーバンクルを取り出した。そっとそのブリリアントカットの表面を指でなぞる。彼の存在の唯一の証明といってもいい宝物だ。手放すのはつらい。ましてやこの粗野な娘にその運命を託すのは心細い。だが、そうする他はない。彼とともにあれば先祖代々より託された全ての希望が潰えるのだから。

親愛なるエレナ。

 戦争中だからといって、見知らぬ男にこんな目に遭わされたことを恨みに思うかもしれないね。君は、僕を匿ってくれただけでなく、残り少ない食糧をわけてさえくれたのに。でも、僕は一時の欲望に突き動かされたわけでも、君を軽んじてこんなことをしたわけでもない。

 僕には君の助けが必要なんだ。

 僕は、君にはペーター・ポスティッチと名乗ったけれど、本名をアンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチといって今はなきアレクサンドロスベニア王国の正式な継承者なんだ。残念ながら祖父の代に起こった革命のせいで父はポーランドでの亡命生活を余儀なくされた。そして、追って来た狂信的な革命派の残党どもに惨殺された。

 それから僕は、身分を隠して生きてきた。アレクサンドロスベニア王国再興の良機を待ち続けていたが、どうやら僕の代でも悲願は叶わないようだ。僕は、君も知っているように追われている。ずっと親友だと信じていた男に密告され、先祖代々の財宝のほとんどを奪われた上、身分詐称の罪で軍の地位も剥奪された。

 おそらく数日で僕は捕まり、命を落とすことになるだろう。逃げ切りたいとは思うが、もはや僕にはどんなカードも残されていない。だが、アレクサンドロスベニア王家の未来にはまだチャンスがある。昨日、君のお母さんが闇市に出かけ、君と二人でこの家に残された時に、僕は確信したんだ。

 アレクサンドロスベニア国王として、ふさわしい王妃を迎えることが出来ないまま現在に至った今、僕は緊急避難として君に未来を託すことにした。

 もし神が僕を憐れみ、国の再興を許すならば、きっと君は子供を産むだろう。そしてその子供を正しい地位につけるために、僕は君を王妃に迎えようと思う。アレクサンドロスベニア国王であるアンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチは、エレナ・シマンスカにカレクシュザスカ公爵夫人の称号を授与し、アレクサンドロスベニア王妃として迎える。生まれてくる子に神の恩寵あれ。

 世が平和になり、君が世界にこの手紙を公表できるようになったら、君の子供、もしくはその子孫は再びアレクサンドロスベニア王としてあの地を統べることになるだろう。

 ここに君に預ける『アレクサンドロスベニアの血潮』は、代々の王位継承セレモニーで王が身につけるマントを留めた家宝だ。この星のある紅い宝石は、大きいだけでなく非常にユニークだから、この手紙の真贋を証明し、君の子供がふさわしい地位を得るのに大いに貢献するだろう。

 どうかこの戦争を生き延びてわが王朝の命運を引き継いでほしい。君が栄誉にふさわしき母となるよう命ある限り祈る。

心からの感謝を込めて
 アンドレイ・トミスラヴ・ペトロジョルジェヴィチ



 エレナ・シマンスカが目を覚ますと、かくまった青年将校の姿はもうどこにもなかった。闇市から母親が戻ってくる前に彼が姿を消してくれて本当によかった。親切にしてあげたのに、あんなふしだらなことをするなんて。

 お礼のつもりなのか、大きな赤い石のブローチとなんだか難しい言葉がたくさん書かれた手紙が残されていた。学校で書き取りをもっとちゃんとやっておけばよかった。達筆すぎてよく読めないし、読みとれたところも意味がわからない。

 宝石なんだろうとは思うけれど、こんなに大きな石は見た事がなかったし、下手に人に見せると盗んだのかと疑われたり、どうしてもらったのかと訊かれたり、面倒なことになりそうだ。しばらく、誰にも言わないでおこう。あの手紙は、みつかったらお母さんにひどく怒られるだろうから、頃合いを見つけて暖炉のたき付けにでもしてしまおう。

 エレナはブローチを無造作にポケットに突っ込むと、支度をして動員されている工場へと向かった。

(初出:2017年3月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】永遠の結び目

立て続けで恐縮ですが新連載を始める前に「十二ヶ月のアクセサリー」三月分を発表します。三月のテーマは「十字架」です。

今回のストーリーの舞台は念願かなって2015年に行くことが出来たエーヴベリーです。ヨーロッパ最大のストーンサークルで、セント・マイケルズ・レイライン上にある、その手のことが好きな人は一度は行ってみたいところ。でも、なかなか簡単にはいけないんですよ。このストーリーではいろいろと差し障りがあるので土産物屋は三軒と書いてありますが、実際には二軒しかありません。念のため。


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永遠の結び目

 灰色に垂れ込めた雲がどこまでも広がっていた。ようやく日の長さと夜の長さの割合が逆転して、春の訪れを期待できるようになってきたとは言え、枯れた牧草の間から新しい生命の息吹が世界を明るく変えるには少し早かった。牧草地に乾いた風が渡っていく。形の揃わぬ大きな灰色の岩が、その牧草地の所々に立っていて、無言で風の問いかけに答えていた。それは何千年も続いた光景だ。

 美優はバスから降りると頼りなげにその光景を見回した。ここが本当にヨーロッパ最大のストーンサークルなんだろうか。ケチらないでガイドのついたツアーで来た方がよかったかな。

 エーヴベリーはイングランド南西部ウィルトシャーにある。新石器時代の紀元前2600年頃に作られたといわれるこの遺跡は、周縁部に大きなストーンサークル、土手と溝でできた大規模なヘンジ、それに独立した二つの小さいストーンサークルで構成されている。

 有名なストーンヘンジにも使われている巨石はこのエーヴベリー近郊で削りだされた。そして、正確な目的はわからないものの、人びとはここでも地をならし、クレーンもない時代に50トンにもなる巨大な石をひとつ一つ運んでサークルを作り、千年以上に渡って使用していた。

 そのサークルはあまりにも巨大なので、丘の上に立つか、上空から眺めないと全容が掴めない。その目的が忘れ去られてしまった後、人びとは牧草地のど真ん中に立つ巨大な岩をこれ幸いと切り出して建材に使っていたらしい。バスから降りたばかりの日本人には、歯抜けになってしまったサークルの間に立っていることがなかなか理解できなかった。

 ストーンヘンジのように次々と訪れる観光バスをピストン輸送したり、各国語による音声案内や土産物屋で歓迎するような観光地化が進んでいなかったおかげで、美優は日本からずっと心を騒がせていた想いに再び浸ることが出来た。

 ようやくこの地に来たのだ。ずっと私を呼んでいた、不思議な古代の力に導かれて。

 ケルトのドルイド僧たちが活躍した時代と同じように、風は幾ばくかの不安を呼び起こしながら、運命の女神たちのささやきのように岩の間を通っていく。美優はゆっくりと牧草地を進みながら自分の身長の数倍ある巨石に手を触れた。古代からの叡智が、話しかけてくれはしないかと期待して。

 けれど、美優には岩の言葉は聞こえなかった。なぜこれほどまでストーンサークルとケルト文明に心惹かれたのか、そして、居ても立ってもいられない心地でここまで来たのか。

 しばらくヘンジの土手の上から、サークルを眺め、何枚もの似たような写真を撮り終えた後、彼女は釈然としない想いを抱えて、バス停の近くの店に入った。ガイドブックでは、ここには土産物屋は二軒しかないとあったのに、どういうわけか三軒ある。

 ナショナル・トラストの公式ショップを覗いてから、ニューエイジ関係の書籍などが置いてある店をぶらついて、最後に一番小さな店に入った。そこは、暗い狭い店だったが、アーサー王と円卓の騎士を題材にしたポスターやケルトモチーフの土産物がたくさんあって美優の心は騒いだ。

「いらっしゃい。よく来たね」
奥には、伝説の魔女のようなしわくちゃの老婆が座っていて、まるで美優が来るのを待っていたかのようににやりと笑った。

「何かお探しかい」
「いえ。ケルト風のお土産でも買おうかと思って……」

「ケルト神話に興味があるのかい」
「……」

 美優は少しの間迷ったが、せっかくここまで来たのだから何か知ることが出来ないかと思って正直な氣持ちを打ち明けることにした。

「その……私は東京生まれでケルトと関係があるはずはないんですが、いつからか、ここへ来たい、行かなくちゃいけないと思うようになってしまって」
「おやおや」
「呼ばれている……そんな感じがして。でも、なぜだかわからなくて」

 老婆は壁にかかっているTシャツのケルト文様を眺めている美優を見て、なるほどという顔をして見た。

「もしかしてあんたはこれに呼ばれてきたんじゃないかね?」
そういうと、対面ケースの奥に入っている青い天鵞絨の箱をそっと取り出した。中には錆び銀の大きめの十字架が置かれていた。

 普通の十字架ではなく、中心に円がデザインされたケルト十字だ。その円の部分にケルト特有の組紐文様がくっきりと描かれている。100ポンドの札が見えた。

「これはイヴァルのサーキュラーノットがデザインされた十字架だよ。サーキュラーノットは、エタニティーノットともいわれるが、始まりも終わりもない組紐のデザインで、永遠を表すんだ。そして、イヴァルとはイチイの木でね。有名なディアドラとノイシュの悲恋からきているんだよ」

「ディアドラとノイシュ?」
「そうだよ。ディアドラは生まれた時に、絶世の美女に育つが、そのために災いと悲しみを招くと予言された。そこでコンホヴォル王が彼女を引き受けて妻にするために閉じこめて育てさせたんだ。そして、彼女は若く美しい騎士ノイシュを見かけて恋をし、彼に自分を連れて逃げだすようにゲッシュ(誓約)を課したんだよ。そのために戦争が起こり、ノイシュとその兄弟たちは殺されてしまい、ディアドラはコンホヴォル王のもとに連れ戻された。そして、ある日彼女は王とノイシュに手をかけたイーガンの間に馬車に乗せられて笑い者にされたために、悲しみのあまり身を投げて死んでしまったのさ。そして、その墓から生えたイチイの木は、ノイシュの墓のイチイの木と枝を絡ませ、離れなくなったということさ」

「それが、その十字架と関係が?」
「そう。アルスターの神話では、ダーナ神族の女神たちは転生する。千年もかけて何度も転生すると自分がかつてダーナ神族であったことも忘れてしまう。でも、運命の組紐は決して途切れずに、何度も生まれ変わる神々を再びこの地にたぐり寄せるのだよ。私は、どうしてこのイチイの永遠の結び目をもった十字架がここへやってきたのか、ずっと不思議に思っていた。そして、運命に導かれたディアドラがノイシュと再び出会うための道しるべとしておそらくこれを探しにくるはずだと予想していたのだよ」

 美優は震えた。これが、私がずっと心落ち着かなかった理由なんだろうか。そうじゃなかったら、どうしてここにその十字架が来たりするんだろう。

「その、十字架……。特別なルートでここに?」
「そうさ。この店では一度も扱ったことのないモチーフなのだが、ある日突然やってきたんだ。これは妥当な値段で、ロンドンではもっとするはずだが、卑しくもアルスターの子供たちの血を引くこの私は、神々に対する敬意は失っていないのさ。こんなめぐり合わせはアルスター神話の一部だ。おそらく生まれる前から、これはあんたに属していたんだろうさ。だから、他ならぬあんたに100ポンド払ってもらおうとは思わないよ。本来ならタダであげたいところだが、私らも仕入れる時にかなり払っているからね。少しでも足しになるように10ポンドでも15ポンドでも置いていってくれるとありがたいね」

「もちろん、お支払いします」
そういうと、美優は財布を開けて中身を確認した。ロンドンまでの電車賃や夕食代を考えるとあまりたくさんは出せない。考えて20ポンドを払い、他にポストカードなども買った。老婆は頷くと黒い革紐で十字架を重々しく彼女の首にかけてくれた。

 美優には、自分の周りの空氣が突然変わったように思われた。アルスター神話時代からの途切れなかった想いが形をとってその場に現れたようだった。このケルト十字が運命の相手ノイシュがやはり生まれ変わった相手に自分を導いてくれるのだろうか。

* * *


 その日本人が思い詰めた様子で店を出て、バスに乗って去った後、老婆は肩をすくめると代金をレジにしまった。

 裏から出てきた老人がため息をついた。
「お前な。あんな嘘八百を並べ立てて良心は痛まないのか」

 老婆は夫をじろりと睨んで答えた。
「あんたが同じような商品ばかり仕入れるからだよ。私たちに、永遠の命があるとでも思っているのかい? あと何十年土産物屋をやっていくと思っているのさ。ああでもしないと厄介払いできないだろう」

 対面ケースの下には、同じ十字架の入った天鵞絨の箱が十八個並んでいた。他にも大きな指輪が十三個残っていたし、もっと厄介なのはトリスケル・スパイラルの組み合わせでデザインされたやけに目立つ腕輪で、これを四つも売りさばかねばならなかった。

 熱にうなされたような観光客は、世界中から次々とやってくる。ケルト神話をアレンジして少し話をすると、大抵は生まれ変わりだの、アーサー王の遺産と自分の縁を感じて、これらの商品を引き取ってくれる。これまでのところ大抵は十分な金額も置いていってくれていた。

 老人は商売上手な妻が、そのうちに与太話に騙された観光客に袋叩きにされるんじゃないかと思いつつ、黙って店の奥で帳簿を付けることにした。


(初出:2017年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】あの人とお茶会に

「郷愁の丘」の連載中ですが、今週と来週はお休み。今週は「十二ヶ月のアクセサリー」四月分を発表します。四月のテーマは「和装小物」です。

アクセサリーと言うならば、正確には帯留めの飾りぐらいかなと思ったんですが、もう少し幅広くアクセサリーという事にして、乱暴ですが、帯締め、帯揚げ、伊達衿までを含めてしまいます。

和装は、日本人の民族衣装なのですが最近ではほとんど着ないという方も多いですよね。コストが高い、一人で着られるようになるまでのハードルが高い、決まり事が多くてどうしていいかわからないなど、理由はいろいろとありますが、知れば知るほど奥の深い世界で、世界に誇る民族衣装としてもっと普及してほしいなあと思います。


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あの人とお茶会に

 桜が終わり、藤の若緑が次々と公園を彩りはじめると、結花はしょっちゅうため息をつくようになった。月末の日曜日が永久に来なければいいのに。

 去年始めたお茶のお稽古。もともと茶道にはまったく興味はなかったけれど、同じ課に配属された一瀬美弥子が通っているというので興味半分で習い始めたのだ。美弥子がおっとりとして立ち居振る舞いも洗練されているのは、噂の通りお嬢様だからだと思っていたけれど、一緒にお稽古に通いだしてあの動きは茶道の決まった動きで鍛えられたのかと納得した。

 もっとも一年程度、お稽古に通ったからといって、美弥子のような洗練されたお嬢様らしい様相に変わるわけはなく、そもそものお茶の方もお菓子を食べてお茶を飲む動作はまあまあと言える程度になったぐらい。そして、今月末に初めてお茶会に参加する事になったのだけれども。

「はあ」
結花は、また、ため息をついた。なんで洋服で行っちゃいけないんだろうなあ。

 お茶会では、付下か訪問着、もしくは一つ紋以上のついた色無地を着るように宗匠に言われた。去年就職したばかりの結花はお稽古代やお茶会の費用を捻出するのが精一杯で、和服を新調するどころかレンタルする金額すら出せない。だから、叔母に相談したら三つ紋のついた色無地を譲ってくれたのだが、それがどうも思っていたような物とは違った。とはいえ、今さら別の物を用意したら叔母が傷つく。それ以来、お茶会に行くのが嫌になってしまったのだ。

「結花さん、どうしたの?」
お稽古の帰りに美弥子が話しかけてきた。

「え?」
「今日のお稽古、いつもよりもずっと憂鬱そうで、身が入っていなかったから。何かあったのかと思って」

 美弥子はおっとりとしているけれど、同僚や後輩にいつもきちんと心配りをして、心配事があるとすぐに声を掛けてくれる。きれいで、お金持ちのお嬢様なのに、誰からも妬まれたり嫌われたりしないのは、こういう天性の人のよさが自然と溢れ出ているからだろう。

 結花は、この際、いじけた思いを吐き出してしまおうと思った。
「お茶会に着ていく色無地の事なの。叔母が若いころに作ったものをくれたんだけれどね。なんかちょっとくすんだ黄土っぽい色なの。お婆さんみたいじゃない? この若さでそんなの着てくる人いないだろうし、季節にも合わないから借り物っぽいって嗤われるかもしれないって、今から恥ずかしくって」

 美弥子は「まあ」と目をみはった。それからニッコリと笑って言った。
「紋付の色無地はいろいろなシーンで着られるし、きっと長く使えるからその色になさったんじゃないかしら。大丈夫よ。着物は、組み合わせで全く違った印象にできるの。よかったらこの週末にでも、そのお着物を持ってうちに遊びに来ない? 私の持っている小物を組み合わせてみましょうよ。貸してあげられる物がたくさんあると思うわ」

 結花は驚いたけれど、大喜びでその提案を受け入れた。都心にある豪邸に住んでいると噂で聞いていた美弥子の家に行くのは初めてだったし、小物の合わせ方などにも自信がなくてそれも着物でお茶会に行くのが憂鬱な理由の一つになっていたからだ。

 土曜日に、なんとか一瀬家にたどり着いた結花は、都心だというのにまるでお寺の境内のような立派な庭園に囲まれた大きな日本家屋を見て圧倒された。呼び鈴を押して出てきたのが使用人だというのにも怯んだけれど、美弥子は応接間で優しく迎えてくれて、お手伝いさんが持ってきてくれたケーキとお茶を楽しんだ。

 その後に、彼女の案内で二階の広い和室に向かった。その部屋には和簞笥がいくつも並んでいた。美弥子の指示で、結花は畳の上で持ってきた着物のたとう紙を開いた。

「まあ、素敵な色じゃない」
「ババ臭くない?」
「全然。黄土色じゃないじゃない。花葉色か淡黄色っていうのよ。秋から春までの三シーズン使えるわよ。それに、いまでもミセスになってもおかしくない、オールマイティな一枚だと思うわ。帯はどんなのをいただいたの?」

「これ」
もう一枚のたとう紙を開き、朱色の帯を見せる。

「いいと思うわ。名古屋帯だけれど、金糸が入っているからかなり格も上がるし。結婚式だと袋帯の方がいいけれど、今回のお茶会ならこれでもいいと思うわ。じゃあ小物を合わせていきましょうよ」
そういうと、美弥子は嬉しそうにいそいそと、簞笥の引き出しを開けてたくさんの箱を取り出した。

 それはまるでおもちゃ箱をひっくり返したようだった。つやつやと輝きのある鮮やかな組紐、絹の美しい布が次から次へと出てくる。

「洋服だと、えっというような色の組み合わせも、和服だと素敵に見えるのよ。それに、小物の組み合わせ方で、清楚にも、大正ロマン風にも、現代っぽくもなるの。でも、宗匠は少し反動的だから、あまりアバンギャルドにはしないようにしましょうね」

 白にオレンジの混じった組紐の帯締め、鮮やかなひわ色に金糸の混じった帯締め、きれいな黄色の組紐、やさしい桃色の羽二重の帯揚げ、絞りで出来たオレンジと緑の帯揚げ、白地にちいさな花が刺繍された半襟などが次々と出てきて、着物の上に置かれた。

「さあ、どうしましょう。春らしい感じを出すならこのあたりよね」
美弥子がひわ色の帯締めを帯に合わせる。

 結花は黄色には黄色を合わせるのかと思っていたが、言われてみるとそうやって若草のような色を合わせると春のイメージが強くなる。
「へえ。こういう組み合わせもありなのね。帯揚げは? このオレンジと緑の?」

「そうね。そうするとわりと大人っぽくなるかしら。この薄桃色だと花霞のイメージだから若さを強調する感じ?」
美弥子が、それぞれを合わせてみる。言われてみるとその通りだ。同じ着物と帯なのにずいぶんと印象が変わる。

「でも、実際に着る人の顔に合わせてみるとまた感じが変わるのよ。この組み合わせで鏡の前で合わせてみましょうよ」
美弥子の言葉に、結花の心はワクワクしてきた。つまらないと思っていた色無地は、素敵な着物に思えてくる。

「帯が変わるとまた全く違った印象になるのよ。このあたりが和装の面白さなの。この着物も帯もオーソドックスだからいろいろな組み合わせに使えるわ。次に着物や帯を買うときにもきっと使えるわ」

 お茶会の日、結花は再び美弥子の家に行き、着付けを手伝ってもらった。一人では上手く着られないけれど、美容院で着付けてもらうとさらに出費がかさむからどうしようと悩んでいたのを、美弥子が察してくれて提案してくれたのだ。その分、結花は着付けに便利な専用の腰パッドや襟元が崩れないようにするゴムベルトを、美弥子のアドバイスで購入し、一人でそれなりの着付けが出来る手順を習った。

 柳の若葉が芽吹きだし、八重桜と藤の瑞々しい房が一斉に花ひらいた庭園に、それぞれの春の装いをした和装の女性が集まった様子は壮観だった。

 美弥子の訪問着は、サーモンピンクの地色に桜や藤などが描かれた優しい御所車柄の加賀友禅で、白金の無地の帯を合わせていた。朱色の帯締めやオレンジに近い帯揚げが柔らかい彼女の装いにきれいなアクセントとなっている。

 その彼女にぴったりとくっついている結花自身は、淡黄色の色無地に合わせた朱色の帯と、美弥子が見立ててくれた若草色の帯締めに薄桃色の帯揚げが、庭園の花爛漫と合っているようで嬉しくてしかたなかった。

 宗匠みずからのお点前をいただく時も、洋服でお稽古をしているときよりも少しだけ背筋が伸びて、優雅にいただけているような心地がした。

「美弥子さん、どうもありがとう」
後で二人で庭園を散歩している時に結花は言った。美弥子は、不思議そうに彼女を見つめた。
「改まって、どうしたの?」

「私ね、着物の件でこのお茶会が憂鬱で、お稽古までもが嫌になりかけていたの。でも、今日こうして晴れ晴れしいお茶会に参加できて、本当によかったなと思って。もともと私には敷居の高い世界だと思っていたけれど、ちょっとでも垣間みる事が出来たのと、尻尾を巻いて退散するのは大きな違いだもの」

 美弥子は、静かに笑った。花ひらく庭園がとても似合う優しい笑顔だった。彼女は、所作も歩き方も、結花よりずっと慣れていて洗練している。優美で惚れ惚れとする。

 彼女が素敵なのは、お稽古の成果である事は間違いないだろう。お金持ちの家に生まれて、そういう躾を受けてきた事もきっと影響している。でも、それだけではないと思った。暖かくて押し付けがましさのない思いやりは、たぶん彼女特有の人の良さだ。いろいろな意味で追いつけない事があるし、比較してもダメなんだろうけれど、それよりもこういう人と親しくなれた事、仲良くなっていろいろ教えてもらえるようになった自分もラッキーなのだと結花は思った。


(初出:2017年4月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】麗しき人に美しき花を

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」五月分を発表します。五月のテーマは「コサージュ」です。

子どもの頃「大人になったら、何になりたい?」と訊かれていつも答えていたのは「お花屋さん」でした。なぜ実際に花屋を目指さなかったかというと、子どもの頃の私はあかぎれとしもやけにひどく悩まされていて、水仕事というのは全く現実的な選択ではなかったからですね。

実際に大変なお仕事のようです。買う方が手にもつ花束はそんなに重くないですが、大量の花や、水の入った容器や鉢を動かすので腰を悪くしたり、朝がとても早かったり、たくさん勉強をしなくてはならなかったりと、「綺麗なお花に囲まれて幸せ」だけではないですよね。実際に携わっている方を尊敬します。今回は、そんな花屋を経営するちょっと変わった若いカップルの話です。


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麗しき人に美しき花を

 おお、来た。久しぶりにミウラ様が。加奈は顔がにやけないようにしつつ、上品な営業用笑顔をつくった。
「いらっしゃいませ」

 その三浦という名の男性客は、美形だ。ただの美形ではなく、本当に本人の肌なのか疑うほど瑞々しく皺ひとつない張りのある肌と、親か祖父母あたりが日本人ではないに違いないと思われる彫りの深い顔立ちをしている。そして自分の美貌の世間に与える効果をよくわかっているらしく、髪型から靴の先までいつも完璧に決めて登場するのだ。かつて「王子キャラ」を前面に打ち出していた歌手兼俳優がいるが、正にあのタイプ。ああ、麗しい。これこそ眼福だわ。これだけで今日の午後は幸せに過ごせそう。

「こんにちは。今日は、ご主人はいらっしゃらないのですか」
彼がいうご主人とは、加奈の同居人であると同時に、この『フラワー・スタジオ 華』の共同経営者でもある華田麗二のことだ。

「いますよ。奥でちょっと休憩中です。呼びましょうね」
「いえ。休憩は大切ですから。じゃあ、今日は奥様にお願いしましょう」
ミウラ様はどうやったら可能なのかさっぱりわからないが、どこにも皺を作らずに微笑んでみせた。その麗しさに、加奈は麗二よりもアレンジのセンスなどで信用されていないといわれたも同然の悲しみは忘れる事にした。

「あ、でも、彼の休憩、そろそろ終わりますよ。とにかくご希望をお伺いしましょうか」

 ミウラ様は微笑んだ。
「来週の日曜日にコサージュを作ってほしいんです。実は、ちょっとした祝い事のパーティを開く事になって、タキシードの胸元にコサージュを挿そうということになって。僕の分と、それから、とある女性の分の二点をこちらでお願いしようと思って」

 な、なに! 女性の分? まさか、その祝い事って結婚披露宴じゃないでしょうね。だとしたらショックだわ。動揺して、受注伝票を何枚も書き間違えてしまった。

「あれ。三浦さん、こんにちは」
後から麗二が出てきた。野太い声がどこかくぐもっているのは、何かを口に咥えているからだろう。ミウラ様の前でなんて接客態度! そう思って振り返ると、案の定、麗二は口に棒キャンディーを咥えている。

 名前から想像するのとは大違いの筋肉ムキムキ男で、『フラワー・スタジオ 華』の響きから想像する格調高さはみじんもない。ま、それでもミウラ様が麗二のことをお氣に入りのようだからいいんだけど。

「へえ。パーティ用コサージュね。えっと、つまり結婚披露宴ですか?」
わあ。そんなこと私の前で訊かないで! ショックに対する心の準備が。

「いいえ。違います。仕事上でのちょっとした受賞パーティなんです。ですから、べつに同僚と対にする必要はないです」
加奈は、それを耳にした途端に笑顔になり、麗二はそんな彼女の様子を見てため息をついた。

「お前な。顧客を妄想のオカズにするのはやめろよ」
上機嫌で三浦が帰って行った後、麗二は呆れた様子で言った。

「失礼ね! オカズだなんて。この私がミウラ様を穢すような事、するわけないでしょ!」
「でも、お前の同人誌のなんとかって作品のモデルなんだろ。ほんっと、あれだけはわかんないよ、男と男が絡んでいるのを想像して、何が面白いんだ」

「ちょっと! 私は腐女子でもなければ、オコゲでもないのよ! 単にミウラ様のように麗しい男性がステージ上でパフォーマンスするのを想像するのが楽しいだけで」
「でも、どうせ男しかでてこないんだろ」
「え。そりゃ、だって想像でも他の女性に盗られるのは嫌じゃない? でも、べつにハードな描写があるわけじゃないのよ」

 麗二はため息をつくと、陳列用のアレンジを作るために材料を作業台の上に並べつつ言った。
「あってたまるか。だいたいさ、なんか神格化しているみたいだけれど、あの人だって俺と同じに毎朝トイレにこもるだろうし、髭だって生えてくんだぞ」
「やめて! ミウラ様がトイレになんて行くわけないでしょ! 顎だって、脛だって、つるつるにきまっているのよ」

 そもそも、なんでトイレにこもるなんて話をしながら、薔薇やかすみ草をカットしてんのよ。だが、彼はそのあたりのことは、氣にもならないようだ。飴を咥えたままリラックスしながらどんどん手を動かしている。

「うへっ。すね毛をピッセットで抜く男なんてキモチ悪い」
「ピンセットで抜くわけないでしょ! 元からまったく生えてこないか、百歩譲っても、サロンで永久脱毛よ」

 麗二はおもいきり馬鹿にした顔をした。まあ、麗二とは無縁の世界よね。加奈は思った。彼の手元を見ると、ミウラ様が背負っていてもおかしくないような、紅薔薇とかすみ草の完璧なアレンジメントが出来上がっている。毎度の事ながら、言動と仕事のギャップがありすぎる。

 アレンジメントをショーウィンドウに置くと、麗二は先ほどの受注伝票を見ながら「う~ん」と言った。

「どうしたの?」
加奈も覗き込んだ。

「希望の花さ。こっちの三浦さん用のオーキッド系というのはいいんだけれどさ。女性の方はコサージュ向けじゃないんだよなあ。デルフィニウム、ストック、金魚草、スイトピーのような優しい花、野の花の雰囲氣かあ」

「え。でも、麗二、そういう花束はしょっちゅう作るじゃない」
「花束は問題ないけれど、コサージュだからさ。しかも主役だろ。水が下がってしおれたらクレームになるよ。よりにもよって水の下がりやすい花ばっかり」

「あ。そうだね。どうしようか」
「そうだなあ。希望を全部無視するわけにはいかないから、まあ、強い花を中心にして萎れても目立たないようにギュウギュウにして希望の花を入れるか」

 筋肉ムキムキ、すね毛ボーボーのワイルドな外見とは裏腹に、麗二の生花の知識と大胆なテクニックは、まさに花屋になるために生まれてきたと言っていいほどだった。子供の頃から「お花屋さん」に憧れて、なんとなくこの道を目指した加奈は、最初のバイト先で彼に出会い衝撃を受けた。

 当時から彼は天才肌で、セオリー通りの組み合わせでまとめようとする加奈には信じられない花同士をぱっぱとまとめて、どこにもない個性的でかつ優雅な、もしくはかわいいアレンジを作った。ユリと向日葵。さまざまな蘭の競演。紫陽花を使った花束。プロテアと薔薇。ネギ科の花で作ったポップなアレンジ。

 はじめは適当にやっているのかと思っていたが、つきあうようになり彼の部屋に初めて行った時に本棚に並んでいた膨大な蔵書を見て、彼がどれほど勉強家であるのかも知った。それに彼は「緑の親指」の持ち主で、どんなに難しい花でも咲かせる事が出来るし、部屋の隅で捨てられるのを待つばかりになっていた弱った鉢植えもいつの間にかピンピンにする事が出来るのだった。

 その麗二でも眉をひそめるような難しいコサージュかあ。人ごとのように思った時、麗二は腕を組んで意外な事を言った。
「これは加奈の出番だわなあ」

「私の?」
加奈は驚いた。ごく普通のなんて事はない花束やアレンジはするものの、大事なお客様の特別な注文はいつも麗二任せだし、彼女もそれが当然だと思っていた。加奈自身が得意なのは、どちらかというとワイヤリングや、いろいろな新素材を使ったラッピングの工夫だった。

「うん。普通よりもたくさんの花をぎゅうぎゅうにするだろ。絶対にへたらないように22番くらいでクロスしたいけど厚ぼったくしたくないんだ。そこで加奈にワイヤリングとテーピングとリボンをやってもらいたいんだ」

 麗二だって、ワイヤリングは上手だけれど、これはミリ単位で完璧なワイヤリングをしろってことね。麗二が私に頼るなんてめったにないことだし、他でもないミウラ様のためだし、頑張る! 加奈は奮い立った。

「わかった。じゃあ、一緒に完璧なコサージュ作ろうね。ところで、なんの受賞パーティなのかなあ。演劇とかかなあ。それともデザイナーとか?」
加奈が夢見がちに言うと、麗二は驚いたように答えた。

「なんだよ、お前、あの人の職業知らないのか?」 
「え? 知らないよ。麗二はそんな事教えてもらったの?」
「うん」

 何で今まで教えてくれないのよ。そう思いつつ、加奈は麗二にすり寄った。
「で、何? もったいぶらないで教えてよ」
「う~ん。知らない方がいいんじゃないかな。お前の妄想をぶち壊すかもしれないしさ」

「ええ~、ひどい。そんなこと言われたら氣になるよ」
「ま、いいじゃん。芸能人だと思っていりゃ。コサージュ作るのには、問題ないだろ」

 加奈は地団駄を踏んだ。
「教えてよ。教えてくれないと、今度の特別号で麗二をモデルにしたキャラとカップリングするよ」

 麗二はぎょっとして立ち上がった。
「おいっ。勘弁してくれ。それだけはやめろ! 自分の伴侶をオモチャにすんなよ!」
「じゃあ、教えてよ」

「なんだよ。お前のために黙っていたのにさ。ほら、この間、オヤジん家にシロアリがでたじゃん。その駆除の相談で窓口に行った時にさ……」
「ま、まさか、ミウラ様が……」
「うん。結構偉いみたいだったけれど、職場では作業着姿だったから、薔薇の花は背負っていなかったぜ」

 イメージが崩壊して打ちひしがれる加奈を横目でみながら、麗二はコサージュにする花のプランを紙に書きはじめた。適当でそうとは見えないイラストだが、彼のプラン画を見慣れている加奈にはどんなコサージュになるのかがすぐにわかった。じゃあ、あそこにこうワイヤーを通して……。頭の中には二人で作る最高傑作がどんどん出来上がっていく。

 うん。ミウラ様がどんな職業でもいいや。害虫駆除も大事な仕事だし。なんか受賞するってことはすごい人ってことだし。あの人とその同僚が、私と麗二の作る最高の花を身につけてくれれば、それで。

 カランと音がして、入口のドアが開いた。あ、新しいお客さんだ。おお、超美人。カトレアやカサブランカを背負うのがふさわしい感じ! 今まで、私の作品にはいなかったタイプのキャラだわ。

「いらっしゃいませ」
加奈は元氣よく迎えた。

(初出:2017年5月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】それもまた奇跡

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」六月分を発表します。六月のテーマは「メダイ」です。「なんだそれ」と思われる方もあるかと思います。カトリックで使われるお守りのようなメダルのことです。

宗教的なもの、とくに「奇跡を起こすメダル」の話をするとアレルギー反応を示される方もあります。特に私がカトリックを公言しているので警戒なさる方もあるかもしれませんが、今回の話はとくに信仰心や奇跡とは関係のない話ですのでご安心ください。むしろどちらかというと「塞翁が馬」的なストーリーですね。

全く必要のない情報ですが、出てくる男性が勤めている「健康食品の会社」の社長は「郷愁の丘」のヒロインの兄、マッテオ・ダンジェロだという設定です。でも、この作品には出てきませんし、これはただの読み切りです(笑)


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それもまた奇跡

 ケイトは、行ったばかりのデパート、ボン・マルシェの方に戻った。その近くにある『奇跡のメダイのノートルダム教会』に寄ってくるように、トレイシーに懇願されていたことを思い出したのだ。

 彼女自身はカトリックではなく真面目なキリスト教徒とはお世辞にも言えなかったし、聖母出現だの、奇跡を起こすメダルなどというものはナンセンスだと思っていたが、それを信じて待っている人間のために、デパートの帰り道に寄るくらいのことを断るほど偏狭ではなかった。でも、くだらないと思っていたせいか、もう少しで忘れるところだった。

「何それ?」
パリに行くと話した時に、トレイシーがおずおずと口にした願いを耳にしたケイトは、何を買ってくればいいのか全く理解できなかったので問い直した。

「奇跡を起こすメダルよ。楕円形でね。表に聖母マリア像と『原罪無くして宿り給いし聖マリア、御身に寄り頼み奉るわれらのために祈り給え』って意味のフランス語が、裏には十字架とM、それにジーザスと聖母マリアの心臓が打出されているの。パリの教会で買う事ができるの」

「一つの教会でしか買えないの?」
「他のカトリックの教会で置いているところもあるかもしれないけれど、似ていて違うものとあなたは見分けがつかないでしょう? 道端で売っているものや、通販などだと偽物がほとんどよ。そもそも転売は禁止されているの。だから、本家の教会で買って来てほしいの」

 トレイシーは、現在入院中でパリに自ら行くことはできない。奇跡が必要なほどの重病でもないので、わざわざ家族が行くこともない。要するに親友が行くついでに欲しいと言ってみたのだろう。ケイトは、「わかったわ」と頷いた。

「ところで、その教会にそのメダイとやらは一種類しかないの?」
「いいえ。銀色だったり、ブルーだったり、いろいろとあるみたいだけれど、その教会で売っていればどれも本物だわ。このお金で買えるものを買ってきて。おつりはあなたにあげるから、好きなものを買ってね」

 彼女の手渡してくれたドル紙幣は、とっくにユーロに両替した。これで買って行かなかったら詐欺になってしまう。六月の日差しは刺すように強い。今日はとても暑い。何も考えずにタンクトップできてしまったけれど、その教会にこの格好で入れるかなあ。ケイトは先ほど暑くてしまったスカーフをカバンから取り出して、申しわけ程度に肩から羽織った。

 白い教会の門は、先ほど通り過ぎたところだった。中に入り、きょろきょろと見回した。熱心な信者なら教会で祈ってからメダイを買いに行くのだろうが、ケイトはそれを省略して売店に直行した。ボン・マルシェでの買い物にはあれほど時間をかけたのに、しかも、この後にスケジュールが詰まっているわけでもないのに、ひどい態度だ。敬虔なカトリックだった亡き祖母が知ったら、さぞ憤慨したことだろう。

 メダイはどこにありますかと訊く必要もなかった。壁際にたくさんぶら下がっていて、人びとが次々と買い求めていた。ケイトは近づいて見て驚いだ。一つ一つを結構な値段で売っているのかと思ったのだが、多いものは50個ほどがビニール袋にどさっと入っている。それでいて15ユーロほどの値段だから、ほぼ材料費だろう。最もいいものも一つ六ユーロなので、商売として売っているのではないようだ。

 ふーん。よくわからないけれど、とにかく買って帰ろう。

 トレイシーが身につけるように、一番高い一つ入りのものを一つ、それから彼女が他の人にプレゼントできるように大入袋を一つ買った。それに、信じていないのにどうかと思うが、試しに十個入りのものを自分用に買った。これはトレイシーから預かった金額ではなく、自分のお財布から出したつもりで。

 
* * *

 
 こんな踏んだり蹴ったりの旅は生まれて初めて。ケイトは心底腹を立ててシャルルドゴール空港のベンチにうずくまった。ケチがつき始めたのは、ボン・マルシェに行った水曜日からだ。

 ホテルに戻るとフロントの感じの悪い男に「さっさとチェックアウトしろ」と言われた。金曜日まで六泊する予約だから今日チェックアウトするはずはないと答えると、予約は三泊だけで昨夜までだという。

 そんなはずがあるかと予約確認書を見たら、どういうわけか本当に三泊分だけだった。慌ててインターネットで探してなんとか残りの三泊分の宿を確保したが、少し郊外で足の便が悪かった。そのせいで帰りの空港行きバスに乗り遅れた。

 次のバスで空港に向かうと、飛行機には乗れないという。まだチェックインは締め切っていないのになぜと問いただすと、ダブルブッキングでもう席がないという。次の便に代わりの席を用意してくれるというが、それでは乗り継ぎ便に間に合わなくなり、最終的には八時間も遅れることになった。

「はあ。本当に腹がたつ。こっちで八時間遅れるなら、まだパリ観光ができるのに」
ケイトは、使い切ろうと買い物をしてしまったために残り少ないユーロで、バゲットサンドイッチとオレンジジュースを買い、ゲート前のベンチで食べた。

 財布の中は、わずかなコインと、水曜日に買って財布に突っ込んだ『奇跡を起こすメダイ』だけが虚しい音を立てていた。
「そういえば、これを買いに行ったっけ。奇跡が起こるって言われたけれど、反対じゃない。礼拝堂に行かずにこれだけ買いに行ったのがいけなかったのかしら」
サンドイッチをかじりながら、ケイトはメダイをながめて首をかしげた。

「失礼。この席は空いていますか」
その声に振り向くと、スーツを着た小柄な男が立っていた。周りを見回すと、確かにもう空いているベンチはほとんどなく、ケイトは隣の席に置いていた彼女の手荷物を足ものとに置き直して「どうぞ」と言った。

 男は「ありがとう」と言って腰かけた。それからケイトの手元のメダイを見て話しかけた。
「カトリックですか」

「え。いいえ。母方の祖母はカトリックでしたが、私はプロテスタントで洗礼を受けています。もっとも、大人になってからは冠婚葬祭以外では一度も教会に行っていないかも。これは、友人に頼まれて買いに行ったついでに、つい自分用に買ってしまっただけ」
「どこで?」
「『奇跡のメダイのノートルダム教会』よ。他にもあるの?」

 男は身を乗り出してきた。
「ええ。同じデザインのものはあちこちの教会で売っています。けれど、いわゆる『奇跡を起こすメダイ』は、その教会で買ったものだけなんです。通信販売などはなく、しかもプレゼントは構わないが転売は禁止されていて、インターネットなどで売っているものでは奇跡は期待できないんです。では、あなたは本物を買われたんですね。羨ましい」

「あなたはカトリック? これを買いそびれたの?」
そうケイトが訊くと、男は頷いた。
「ええ。こちらにはビジネスで来て、昨日、やっと時間が空いたので買いに行ったんですが、教会が見つからなくて探している間に売店が閉まってしまったんですよ。闘病している母に頼まれたんですが、買えなくて残念です」

 ケイトは、それを聞くとカバンからビニール袋を取り出した。十個もいらないと思っていたところだったから。中から五個とりだすと、男に渡した。「どうぞ」

「え。そんなつもりではなかったんですが、本当にいいんですか? お支払いしますが、おいくらでしょうか」
「転売すると効果がなくなるんでしょう? 大した値段じゃなかったし、プレゼントするわ。お母さん、早く治るといいわね」

 男は、「ありがとう」と言って頭を下げた。
「お礼にご馳走させていただけませんか。目的地はニューヨークですか? それともどこかへ乗り継ぎですか?」

「ロサンゼルスまで行かなくちゃいけないの。実は、前の便にオーバーブッキングで乗れなくて、ニューヨークで四時間も待たなくちゃいけないの」

「でしたら、空港の近くのおいしいレストランにご案内しましょう。空港内よりもおいしいものが食べられますし」
「ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて遠慮なく」

「僕は、ブライアン・スミスと言います」
「私は、ケイト・アンダーソンよ。よろしく」

 搭乗の案内が始まった。ファーストクラスとビジネスクラスから先にと言われ、ケイトはブライアンが立ち上がったのを座ったまま見送った。
「エコノミーなんですか?」
「ええ」

「ちょっと待ってください」
ブライアンは、カウンターに行くと何かを係員と話してからケイトに来るように合図した。なんだろう?

 ケイトがカウンターに行くと、係員が彼女の搭乗券の提示を求めた。
「こちらのスミスさまのマイレージで、ビジネスクラスにアップグレードをいたしますね」
「え? そんな、悪いです」
「いいんですよ。どっちにしても、マイレージは使い切れないんですから」

 係員の計らいで、ブライアンの隣の席にしてもらい、ニューヨークまでのフライトで彼とずっと話すことになった。話は面白いし、感じのいい人だ。

 話しているうちに、彼は健康食品の販売で有名な会社の重役であることがわかった。ふ~ん。道理でマイレージを捨てちゃってもなんでもないわけだ。ケイトはちらりと彼の上質なスーツを眺めた。若いのにすごいなあ。エリートってやつかあ。パリに遊びに行くのに五年も旅費を貯めなくてはならないケイトとは、随分と違う世界に住んでいる。

「ロサンゼルス市内にお住まいなんですか? 実は、今度の土曜日にロスの母の家に行く予定なんですよ。もしお時間があったら一緒にいかがですか。メダイを譲ってくれたご本人に母は会いたがるはずですから」
ブライアンはニコニコと笑いかけた。

 ええっ。これっきり二度と会わないはずだと思っていたけれど、この人そうじゃないの? いやいや、失礼な想像をしちゃダメよね。こんなにお金持ちで有能そうで性格も良さげな人は、放っておいても女性が群がるだろうし。まあ、ものすごくかっこいいってわけじゃないけれど……。

「ええと。その日は、私もトレイシーに会ってメダイを渡す予定なんです。彼女は今月いっぱいUCLAのリハビリ科にいて、そこなら我が家からそんなに遠くないし、それに彼女はこれを待っていると思うので……」

 その後でもいいなら、という前にブライアンは身を乗り出してきた。
「UCLAメディカル・センター? トレイシーさんはそこに入院しているんですね。なんて奇遇なんだろう」

 あ。トレイシーのお見舞いにも行くのね。ま、そうだろうなぁ。それじゃ、きっと彼女に夢中になるな。男性は、みんなトレイシーみたいな美人が好きだし、ましてや入院中の儚い感じは破壊力抜群だもん。よけいな期待しないでよかった。うんうん。

 ケイトは、変に安心して、自分の幸運の取り分を大いに楽しむことにした。すなわち、このビジネスクラスのフライトと、ニューヨークのレストランでの豪勢なランチだ。五個全て足しても五ユーロに満たないメダルと引き換えのラッキーとしては、奇跡とまではいかないけれど十分お釣りがくるだろう。ホテルを追い出されたことやフライトの遅れを差し引いても。

 ブライアンが連れて行ってくれたのは、予想に反して高価そうに見えないイタリア・レストランだったが、何もかも信じられないくらいおいしかった。食事がまずいことで有名な空港界隈にこんなにおいしいレストランがあるなんて。さほど値もはりそうになかったので、ケイトは安心して食べたいものをオーダーした。おいしいワインに、もちろん終わりのドルチェまで。もっともその食事で一番よかったのは、ブライアンとの楽しくて興味深い会話だった。

* * *


「ケイト! 奇跡をありがとう」
土曜日に、約束通りにメディカル・センターへ行くと、トレイシーが待ち構えていた。

「トレイシー。私があれをちゃんと買えたって、どうしてわかるのよ」
ケイトは笑いながら、『奇跡を起こすメダイ』を鞄から取り出してトレイシーの透き通るように白い手のひらに置いた。

「だって、スミスさんが全部話してくれたもの。そしてね。私たち、おかげで婚約したの!」
トレイシーの発言に、ケイトはずっこけた。いくらなんでも展開が早すぎる。

「え? も、もう?」
「ふふ。私たち、ずっとお互いにいいなって思っていたのよ。でも、ケイトの冒険のおかげで、月曜日からずっと個人的に話をすることになって……」

 えっ、月曜日? ケイトは首を傾げた。
「ミスター・スミスったら、そんなにすぐにここに来たの?」

 トレイシーは、きょとんとしてから、笑い出した。
「ごめんなさい。説明不足だったわね。私の言っているのは、あなたが出会ったブライアン・スミスさんの弟のダニーのことよ。ここで療法士をしているの。そもそも、あの『奇跡を起こすメダイ』のことを教えてくれたのもダニーなの。あなたとお兄さんがパリで知り合って、しかもメダイを譲ってもらったと聞いて、翌日に興奮して話に来たのよ。それがきっかけで、私たち、お互いにいいなと思っていたことがわかって」

 ケイトは、なるほど、と思った。婚約したのは弟さんか。ケイトはうっとりするトレイシーのますます綺麗な横顔を眺めた。
「今週に入ってから、私の回復のめざましさに、先生たちも驚いているわよ。やはり『奇跡を起こすメダイ』なのね。ケイト、本当にありがとう」
いや、それはメダイのおかげというか、愛の力なんじゃ……。そういう無粋なことは、この際言わないほうがいいのかな。

「で。ミスター・ブライアン・スミスは、お見舞いに来たの?」
「いいえ。でも、昨日ダニーがあなたの来る時間を訊いてきたの。きっとブライアンはもうじき来るでしょうね。あなたにしては、妙に首尾よく彼を夢中にさせちゃったのね、ケイト」

 ええっ? なんの冗談?
「それはないと思うわよ。もう二度と会わないと思って、ガサツに食べて飲んじゃったし」

 トレイシーはウィンクをした。
「ダニーによると、彼はあなたのことを周りに全然いなかったナチュラルなタイプで、とても氣になるって言っていたんですって。そもそもあなた、新しい出会いなんて全然ないってこぼしていたじゃない。これもメダイの奇跡かもしれないわよ」

 あんなに真面目に祈っている人たちの信じているメダルで起こる奇跡が、こんなどうでもいいことのわけないじゃない! まあ、でもラッキーというのはどんな形でもうれしいけれど。

 病室の外でコツコツと靴音が近づいてきた。ノックの音が聞こえて、ケイトは、真っ赤になった。


(初出:2017年6月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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この小説で扱っている『奇跡を起こすメダイ』はこういうメダルです。(画像はWikimedia Commonsより)

Miraculous medal
By Xhienne (Own work) [GFDL, CC-BY-SA-3.0 or CC BY-SA 2.5-2.0-1.0], via Wikimedia Commons
Medal of the Immaculate Conception (aka Miraculous Medal), a medal created by Saint Catherine Labouré in response to a request from the Blessed Virgin Mary who allegedly appeared rue du Bac, Paris, in 1830. The message on the recto reads: "O Mary, conceived without sin, pray for us who have recourse to thee — 1830".
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Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記  母の櫛

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」七月分を発表します。七月のテーマは「櫛」です。

櫛はジャパニーズなものを書きたいと思っていたので、また例の放浪者に登場してもらうことにしました。「樋水龍神縁起 東国放浪記」の続きです。江戸時代の話にすれば完璧にアクセサリーになったんですが、平安時代ですからまたしても「これ、アクセサリーじゃないじゃん」になってしまいました。ま、いいや。「十二ヶ月の野菜」の時もかなり苦しい題材を使いまくりましたから、いまさら……。

今回の話、実は義理の妹姫も出そうと練っていたんですが、意味もなく長くなるので断念しました。本当は五千字で収めたかったのですが、止むを得ず少し長めです。すみません。


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樋水龍神縁起 東国放浪記
母の櫛


 それは、屋敷の庭では滅多に見ない大木であった。大人が抱えるほどの幹周りがあり、奥出雲の山深き神域で育った次郎ですらも見たことがないほど背の高い柘植は、おそらく樹齢何百年にもなろうかと思われた。屋敷を建てる遥か昔からここに立っていたのであろう。根元から複数の枝が絡み合うように育ち、一部は苔むしている。

 安達春昌と付き従う次郎は、丹後国を通り過ぎようとしていたところだった。一夜の宿を願ったのは村の外れの小さな家で、人好きのする若き主は弥栄丸といった。

「すると、あなた様は陰陽師でいらっしゃるんで?」
彼は昨夜、春昌に陰陽の心得があることに大きな関心を示した。

「かつては陰陽寮におりましたが、現在はお役目を辞し、この通りあてもなく旅をする身でございます」
春昌は、この旅で幾度となく繰り返した答えを口にした。弥栄丸は春昌が役目を辞した事情よりも氣にかかっていることがあったので、詳しい詮索をしなかった。

「実は、私めがお仕えしているお屋敷で、なんとも不思議なことが起きまして、困っているのでございます。先日、この辺りでは名の通った法師さまに見ていただいたのですが、どうも怪異は収まらず、殿様は、もっと神通力のあるお方に見ていただきたいと思っていらっしゃるのです。と申しましても、このような田舎ではなかなかそのような折もございませんで。ですから、都の陰陽師の方がここにおいでになったとわかったら、殿様は何をおいてでもお越しいただきたいと願うはずです」
「あなたがお仕えしていらっしゃるのは」

「はい。この郡の大領を務める渡辺様でございます。私めは従人として、お屋敷の中で姫君がお住いの西の対のお世話を申しつかっているのです。その寝殿の庭の柘植の古木に人型のようなものが浮かび上がってまいりまして、女房どもがひどく怖がっております。そして、お元氣だった姫君が病に臥すようになられたのです。もしや何者かが調伏でもしているのではと、お殿様は心配なされていらっしゃいます」

「姫君? お一人別棟にお住まいなのですか」
「はい。実は、この姫様は、北の方のお生みになった方ではなく、殿様のもとで湯女をしていた方がお生みになったのです。殿様は、北の方に隠れて長いことこの女を大切にしていたのですが、何年か前に流行り病で亡くなってしまわれました。姫君はそれから観音寺に預けられておりました。ところが、位の低い女の娘とは思えぬほど美しくお育ちになり、殿様がこの娘をこちらを狩場となさっておられる丹後守藤原様のご子息に差し上げたいとお思いになり、一年ほど前にお引取りになったのです」

「姫君のお身体に差し障りが起きたのは、それ以来なのですか」
「いいえ。床に臥すようになられたのは、ここ半年ほどです。殿様も北の方もご心配になられてお見舞いにいらしたり、心づくしのものをお届けになったり、なさっていらっしゃるのですが」

「そうですか」
春昌は頷いた。

「姫様をお助けいただければ、私めもありがたく思います。ほんにお優しい姫君でして。私のことも心安く弥栄丸と呼んで頼みにしてくださっているのです」

 そして、二人は翌日の昼過ぎにこの弥栄丸に連れられて、渡辺のお屋敷へと向かったのだった。
「お殿様から、ぜひお力添えをいただきたいとのことでございます。御礼はできる限りのことをさせていただきたいと仰せでした」
「何かお手伝いができるかわかりませぬが、まずはその柘植の木を拝見させていただきましょう」

 弥栄丸は春昌と次郎を屋敷へと案内した。西門から入ると件の大木はすぐに目に付いた。その根が庭の半分以上を占めていて、しかもよく見る柘植の木のように行儀良く育たず、太い幹が伏してから斜めに育っていた。大きく枝を広げておりそのためにその木の下は森の始まりのような暗さだった。西の対の寝殿に面した側面に、言われてみると確かに人型に見える文様が浮き出ていた。

「弥栄丸。都の陰陽師さまとは、そちらのお方か」
寝殿の縁側からの明るい声に振り向くと、菜種色の表地に萌黄の裏が美しい菖蒲襲を身につけた女性が御簾から出てきたところだった。

「これ。姫様! なりませぬ」
慌てて、侍女と思われる歳上の女が追いすがるが、姫君は履物を引っ掛けさっさと春昌のところまで進んできた。さほど位の高くない大領の娘とはいえ、とんでもない行為だ。次郎はあっけにとられた。

「安達春昌にございます」
春昌は深く礼をし、次郎もそれにならった。こんなはしたない姫君に国司のご子息を婿に迎えようというのは、無謀にもほどがあると次郎は心の内で思ったが、確かになかなかに美しい姫君で、しとやかに振る舞えば評判にもなろうと思った。

「あたくしは夏といいます。安達様。これは誠に禍々しいものですの? あたくしには、ちっとも恐いものには思えませんの。それにあたくしの病、いつもひどいわけではないのよ。例えば、今日はとてもいいの。あたくしなんかを呪詛しても、誰も得をしませんし、とてもそんな風には思えないのだけれど」
 
 夏姫は人懐こい笑顔を見せた。次郎は、確かにこのように朗らかで、誰にも分け隔てなく接する姫は、皆に好かれるであろうと思った。

「今から、調べてみようと存じます」
春昌も、珍しく柔らかい表情をして姫君に答えた。

 姫はにこにこと笑った。
「あたくしも見ていていいでしょう。ああ、今日はとても暑いわね。生絹すずしぎぬで、出てこれたらいいんだけれど、それだけはサトも許してくれないから、我慢しなくちゃ」

 それを聞いて次郎は真っ赤になった。生絹は袴の上に肌が透けて見える着物だけを身につける装束だ。彼がかつてお仕えしていた奥出雲樋水の媛巫女はもちろんそのようなだらしない姿をすることは決してなかったが、やんごとない女性は御簾のうちでそのような形をしていると、郎党仲間に教えてもらったことがあった。

「でも、これくらいはいいわよね」
そういうと、姫は懐から美しく彩色された櫛を取り出して長い髪をまとめ出した。そして、櫛を口に咥えるとまとめた髪をあっという間に紐で縛った。

「姫様!」
サトと呼ばれた侍女が姫君らしくない振る舞いをたしなめるが、夏姫は肩をすくめただけだった。

 その様を横目で捉えた春昌は、柘植の木を見るのをやめて、寝殿の縁側に控えているサトに訊いた。
「姫君の御患いはいかなるものなのですか」

 サトは、突然話しかけられて少し驚いたが、丁寧に答えた。
霍乱かくらんのように、悪しくなられます。また高い熱がでて、ひどい眠たさに襲われることもございます。他の皆様と同じものを召し上がられておりますが、姫君だけがお苦しみになり、暑さ寒さに拘らず悪しくなられます」

「左様でございますか。姫、大変失礼ですが、そちらを拝見してもよろしいでしょうか」

 姫は、何を言われたのか一瞬分からなかったようだったが、春昌が自分の櫛を見ているのがわかると笑った。
「これですか? きれいでしょう。 このお屋敷に来て、北の対の母上様と初お目見えした時に頂戴したあたくしの宝物なのです。悪しきものから身を守る尊い香木で作った珍しい櫛なのですって。確かに観音寺で焚いていたお香と同じ香りですわ。とても高価だとわかっているのですが、毎日使ってしまうのです」

 姫はその櫛を愛おしげに撫でてから春昌に渡した。彼は、その美しき櫛の背の部分の色が褪せているのを見た。
「恐れながら、あなた様はいつも先ほどのように髪をお結いになっておられるのではないですか」
「ええ、そうよ。わかっているわ。やんごとない姫君は自分で髪を結ったりしないって。でも、とても暑いのですもの。どなたもお見えにならない時には、つい昔のように装ってしまうの。たくさんの美しい装束をご用意くださった父上さまや母上さまに申し訳ないとは思っているのよ。でも、どうしてわかるの」

 春昌はやさしく微笑んだ。片時もじっとしていられそうもない、この愛すべき姫君を、はしたないと思いつつも周りが甘やかしてしまう様子が手に取るようにわかった。弥栄丸は傍で笑いをこらえている。

「髪を結うのは侍女の方にお任せいただけないのですね」
「それは無理よ。そんなことをしているのがわかったら、サトが叱られてしまうもの。私がいつの間にか勝手にこんな形をしているってことにしなくちゃいけないの」
「左様でございますか」

「安達様?」
弥栄丸は、春昌が姫と禍々しきものとは全く関係のない話をいつまでもしているように思われたので、不思議に思って口を挟んだ。春昌は、微笑んで櫛を姫君に返すと、弥栄丸と姫君に庭の柘植の木を示した。

「こちらに現れていますのは、姫君の御生母様の御魂でございます。お屋敷に上がられ、これまでとは全く違うお暮らしをなさっている姫様のことを心配なされているのでしょう。私に、姫様に形見の御品を身近にお使いいただきたいと訴えかけておられます。たとえば、お母様のお形見に柘植の櫛はございませんでしたか」

 姫は「あ」と言って、奥で控えている下女のサトを見た。
「この櫛をいただくまで使っていた、母上の櫛はどこにあったかしら」

「こちらの小箱にございます。ほら、このように」
サトは、道具箱から飾りの全くない柘植の櫛を取り出すと、一行のもとに持ってきた。春昌はそれを受け取ると、柘植の古木に近寄り、件の人型にあてて小さな声で呪禁を呟いてから、それを姫君に渡した。

「こちらの櫛を肌身離さずお使いくだいませ。そして、その美しき櫛は、特別の祭祀の折にサト殿に梳いていただくときだけお使いくださいませ。亡くなられたお母様の願いが叶い、その憂いが収まれば、姫様の病も治ることでしょう」

 それから、春昌は柘植の古木に近寄り、人型に両手を当てて呪禁を呟いた。次郎には、主人が木に何らかの氣を送り込んでいるのがわかった。春昌がその手を離すと、明らかに人型のようなものがあった木の幹には、よく見なければわからないような瘤があるだけになっていた。

「なんと! 法師様がどうすることもできなかった、あの人型が……」
「母上様のお心は、この屋敷を動けぬこの木を離れ、新たにそちらの櫛の方に宿っておられます。どうか、私の申し上げたことをお忘れになりませぬよう」

 夏姫は深く頷き、弥栄丸とサトは春昌の神通力に感銘を受けてひれ伏した。

* * *


 夏姫の父である渡辺の殿様から、新しく拝領した馬はこれまでの痩せ馬よりもしっかりと歩んだ。いただいた礼金の重みは久しくなかったほどで、次郎を憂いから解き放った。しばらくの間は宿を取るにも物乞いのような惨めな思いをせずに済む。

 その領地を出てしばらく森を歩き、ひどく歪んだ古木を見て、次郎はあの古い柘植の木のことを思い出した。

「春昌様。お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なんだ、次郎」

「どうして柘植の櫛のことがおわかりになったのですか。あの老木に、私は何も見えなかったのでございますが」

 春昌は口元をわずかに歪めた。
「次郎。あれはただの木瘤だ。幹の氣の流れを変えて、乾いた樹皮を落としたのだ。あそこに母君の御魂が現れたり消えたりしたわけではない」

「なんと。では、母君の御魂が柘植の櫛を使うようにとおっしゃられたというのは……」
「あれが柘植の木だったので、思いついたまでのこと。弥栄丸殿の話では、御生母は湯女だったとのこと。あまり位の高くない女ならば高価な香木などではなく柘植の櫛を使うのが常であろう。その読みがあたったまでだ。私はあの姫があの香木の櫛以外の物を使ってくれればなんでもよかったのだ」

「なぜでございますか?」
「あの姫君が件の櫛を日々咥えているのを知ったからだ」
「え」

 まったく合点がいっていない次郎を、春昌は優しく見下ろした。次郎は、他の者には見えぬものを朧げに見る能力はあったが、陰陽道はもちろん本草の知識にも欠けており、春昌がどちらの知識を用いて人々の苦しみを取り除いているのか分からないことを知っていたからだ。

「あの櫛は、しきみの木から作られている。香りが良く珍重される木だが、口に含むと毒になる。熱が出て、眠たくなり、腹を下し反吐を吐く霍乱かくらんのごとき病となる。ちょうどあの姫君が苦しんでいたのと同じだ」

「なんですって。では、まさか北の方が、継子である姫君を亡き者にしようとしてあの櫛を贈ったということなのですか」

「それはわからぬ。北の方が、草木の知識に長けているとは思わぬ。そもそも姫君が口に櫛を咥えるとは、北の方のように位の高いお方は夢にも思わぬであろう。それを知っていた誰かの入れ知恵かもしれぬが、長く逗留せねばそれはわからぬ。余計なことを申せば、あの家に大きな諍いの種を蒔くことになる。私にわかっているのは、ひとつだ。樒の櫛を口に咥えるようなことは、すべきでない。あの姫が再び丈夫になれば、それでよいのだ。身寄りのなかった娘が、ようやく手にしたと喜んでいる家族との仲を不用意に裂く必要はあるまい」

 次郎は、主人の顔を改めて見上げた。聡く天賦の才に恵まれた方だと畏怖の心は持っていたが、どちらかというと冷たい心を持つ人なのだと思っていた。彼が神にも等しくあがめ敬愛してやまなかった亡き媛巫女が、なぜこの陰陽師を愛し背の君として付き従ったか長いこと理解できないでいた。

 媛巫女さまは、私めなどよりもずっと多くのことを瞬く間にご覧になったのだ。彼は心の中で呟いた。

 もっと効果的に毒の櫛のことを大領に話せば、ずっと多くの謝礼を手にすることもできたのに、春昌はそれを望まなかった。それよりも、一つの家族の和を壊さずに、問題のみを解決して姿を消すことを選んだ。

 彼は、この旅がどれほど辛く心細くとも、この主人に付き従っていくことを誇らしく思った。


(初出:2017年8月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】麦わら帽子の夏

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」八月分を発表します。八月のテーマは「帽子」です。

このキャラ、どこかで見たぞと氣になる方がいらっしゃるかもしれません。「十二ヶ月の野菜」の中にあった「あの子がくれた春の味」に出てきた林かのんが再登場しています。あの掌編のコメントで「どういうわけであの子がああいう所に嫁に行くことになったのか知りたい」というお声を幾つかいただきましたので、そのリクエストにお応えするつもりで書きました。


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麦わら帽子の夏

 大学の英語のクラスで初めて林かのんを見た時、あまりいい印象を持たなかった。

「おい。あの子、まるで人形みたいにかわいいぞ」
クラスメートの男どもの大半は、彼女のフリフリな洋服や、完璧に手入れされた長い髪、それに整った顔立ち、とくに形のいい唇に惹きつけられていた。

 だが、太一は大きな目をゆっくり伏せたり、妙に首を傾げたりする、思わせぶりな動作に演技臭いものを感じて「けっ」と思ったのだ。

 砂糖菓子かよ。何ひらひらしてんだよ。可愛ければ、いいってもんじゃない。

 太一が通うことになったのは、総合大学で様々な学部がある。一年生の間だけ共通の教養学を全ての学生が一緒に学ぶことになっている。例えば、英語の授業はいろいろな学部の学生がランダムにクラス分けされていた。

 太一の入った農学部には、女学生は少ない。ましてや林かのんのようなふわふわしたお嬢さんタイプは、まず見かけないだろう。千葉の農家で生まれ育った太一の周りには、これまでこんな風が吹いても泣きだしそうな女はいなかった。がっつり食べて、朝から晩まで畑で作業する母親に代表される骨太の女ばかりに囲まれていたのだ。

 それは、新学期が始まって一ヶ月ほど経ったてからだと思う。

「大崎くん。かのん、ここに座っても構わない?」
横をみると、林かのんが一人で立っていたので仰天した。隣の席は、確かに空いているが、なぜわざわざここに。振り向くと、トイレすらも集団で行く、ひっつき虫の女どもはまとめて後ろの席に座っていた。そして、その列にはもう空きはなかった。

 だが、林かのんと親しくなりたがっている野郎どもの隣はまだいくらでも空いているのに。それよりも、この女が、女の集団に尻尾を振らないで一人で行動したことのほうにもっと驚いた。

「いいけど、ここに座るとかなりの確率で当てられるぞ。教壇からちょうど目にはいる席だしさ」
「大丈夫。かのんね、ちゃんと予習しているもの」

 へえ。そりゃ、ご立派なことで。そもそも、なんだよ、その一人称。自分の名前を呼ぶの、痛々しいぞ。

「後ろの方、みんなおしゃべりしていてあまり授業に集中できないんだもの。先週、大崎くんは、ちゃんと聴いていたでしょう? だから、次はかのん、ここに座りたいなって思っていたの」

 それから、妙なことになった。彼女がひっついて来るようになったのだ。最初は、授業に集中できる席のために隣に座るのかと思っていた。変な女だとは思ったけれど、一理あると思ったので、それ以上のことは考えなかった。毎週のことだから、林かのんと付き合いたがっている男子学生たちからは妬まれたけれど、「知るか」と無視していたら、大したライバルではないとわかったのか相手にもされなくなった。

 太一は雑誌に出てくるみたいな格好をして、ナンパに血道をあげているような男たちとは、全く仲良くしたくなかったので、クラスの男にしろ女にしろ他の学生たちとつるまずに一人でいることにはまったく問題がなかった。ところが、別の授業に行こうと移動しようとすると、林かのんが一緒についてくることがあった。

「なんだよ」
「大崎くん、次の授業は西棟四階でしょう。かのん、三階で美学史だもの」
「あ、そうか」

 来るなというのも変なので、一緒に歩いたが、これでは周りにつきあっていると誤解されるじゃないかとちらっと思った。っていうか、誤解されてもいいのか、この女は。

「ねえ。大崎くん。農学部だから知っていると思うんだけれど」
「なんだ?」

「かのんね。夏休みに普段できないような仕事を体験するアルバイトをしようと思って、いろいろと探してみたの。そうしたら、地方の農家で住み込みで働くというのが結構あるんだけれど、まったく知らないところに行くのを親が心配して反対するの。大崎くん、知っているお家でそういうバイト探していないかしら」

 太一は、目を丸くした。こんなマシュマロ女が、農家でバイト? ありえん。
「いや、君さ。農家はきついぞ。そう簡単に……」

「かのんだって、それはちゃんとわかっているよ。ママもそう言って許してくれないけれど、そんな事言っていたら、いつまで経ってもやりたいことにチャレンジできないじゃない? 就職したら、きついなんて言っちゃいけなくなるのに」

 うん。まあ、正論だ。でもなあ、言いたくはないが、農業体験ができるという触れ込みで実は嫁探しをしていたなんて話も聞いたことがあるし、知らないところは奨められない。でも、知っている農家にこんな弱そうな女を紹介して、キツさに泣いて一日で辞められたりしたら、俺が叱られるじゃないか。

「あー、俺が紹介して、林が速攻で弱音を吐いても迷惑をかけずに済むところと言ったら、一つしか浮かばないな」
「どこ?」

「俺んち。オヤジの農園。千葉で野菜を作っているんだ。遠いけれど、絶対に日帰りできない距離じゃないし、泊まるならちゃんとうちの敷地に玄関も別の部屋がある。なんなら親父とお袋に訊いてみるけれど」

「本当? かのん、やってみたい。バイト代、安くても構わないから、是非お願い」
彼女は目を輝かせた。おいおい、いいのか、そんな安易に。いつもこの調子で色んな男のところにホイホイついて行っているんじゃないだろうな。太一は首を傾げた。

 そして夏休みになると、彼女は本当に大崎農園にやってきて、一ヶ月も住み込んだ。まさかフリフリのスカートでくるんじゃないだろうなと心配したが、一応、デニムでやってきたので安心した。もっとも、ベージュだの薄い水色だの、舐めているんじゃないかという色のジーンズで、Tシャツもやけに可愛いオシャレなヤツだった。もちろん、うちのような田舎では浮きまくっていた。

 どういうわけか、母親に妙に氣に入られ、作業中だけでなく、夜の食事の手伝いなどでもいつも一緒にいたし、初日からずっと近所で育ったみたいに馴染んでいた。そして、珍しい動物が来たみたいに、父親や近所のおじさんたち、それに他のバイト兄ちゃんたちからも可愛がられて、ものすごく重いものは持たされずに済んでいたようなので、可愛いというのは得だなと妙な感心をした太一だった。

 太一が驚いたことに、ふわふわしたイメージとは裏腹に、彼女は実によく働いた。ネギを引っこ抜く作業は見かけよりもきつい肉体労働だが彼女は「疲れた」などということは一言も言わなかった。それに綺麗にして並べて出荷用に箱詰めするときも、とても丁寧だけれど思いのほか機敏でバイトの中で一番早く父親を満足させる作業ができるようになった。

 UVケアに必死で日傘でもさすんじゃないかと思っていたが、日焼け止めは塗っているようだけれど、外での作業もまったく嫌がらずに、つばの大きい麦わら帽子を被って作業をしていた。

「林、大丈夫か。熱中症にならないように氣をつけろよ」
一緒の作業になった日に、太一は言った。

「かのんね。このくらい何ともないよ」
麦わら帽子の下で、いたずらっ子のように大きい瞳が輝いた。太一は、その笑顔にどきっとした。

 彼女がバイトを終える前の晩に、別れを惜しんだ両親や、近所のおじさんたち、それにバイトの若者達が集まって、大きな宴会をした。

 採れたての枝豆や、母親が得意な手作りこんにゃくのステーキなど、ビールによく合うつまみが多くて、ついみんなメーターが上がってしまう。林かのんの送別会のはずだが、ただの飲み会になって、当人が何度も台所と往復するようなことになっていた。

「本当によく頑張ってくれたな。よかったら、また来年も来てくれよな」
父親が、空になったビール瓶を片付けるために台所へ向かおうとする彼女を引き止めて隣に座らせ、酔いで真っ赤になりながら上機嫌で云っていた。太一が最初に電話で訊いたときは「女の子は即戦力にならないからなあ」なんて言っていたくせに。

「太一は、無愛想だけれど、よかったら引き続き仲良くしてやってくださいね」
母親が、なんだかドサクサに紛れてとんでもない事を頼んでいる。ところが林かのんはにこにこ笑って答えた。
「私の方こそ、ずっと仲良くしていただきたいです」

 なに言ってんだ? その言い方は、もっと誤解されるぞ! 太一は、ビールをどんどん注がれて酔っぱらい、ふらふらになった頭で林かのんに説教をした。
「そーいうふーにー、けいかいしんのー、ないげんどう、を、しているとー、あぶないから。なっ。わかってんのか」

 彼女がにこにこと笑っていたような氣がするが、なんと答えたのかの記憶は、ほとんどないまま翌日になってしまった。

 太一は、母親に厳命されて、近くの無人駅にかのんを見送りに行った。
「あー、一ヶ月ありがとう。林が思ったよりもずっとよく働いてくれて驚いたよ。親父達も感心していた。バイト代、少なくてごめんな。少し色をつけたみたいだけれど、それにしても少ないだろう」

「ううん。全然少なくないよ。それに、一ヶ月、大崎くんと一緒に過ごせて、とても楽しかったの。もし、嫌じゃなかったら、また来年も来たいな。それに、二学期もまた大学で仲良くしてくれると、かのん、とても嬉しい」

 彼女の言葉に、太一はまたしても目を丸くした。こいつ、こんなことを誰にでも言うとしたら天然すぎる。

 太一は、以前から一度訊いてみたかった事を口にした。
「なあ、林。君、なんで俺なんかについてくるんだ? もっと、ちやほやしてくれる男が、いくらでもアプローチしてきているだろ」

「う~ん。かのんね、たくさんプレゼントしてくれる人や、なんでもしてくれる人、ちょっと苦手なの。大崎くんは、かのんがいてもいなくてもどっちでもいいのに、話しかけるとちゃんと答えてくれるし、一緒にいて心地いいの。それにね……」
「それに?」

「ずっと仲の良かった友達がいたの。今は、離れてしまったんだけれど。いつも背筋をピンと伸ばしていて、他のみんなが一緒にサンドイッチを食べようと言っても、私は好きなカレーを食べるっていうような子だったの。そういうところが大好きだったの。大崎くん、彼女みたいなんだもの」

「ふ、ふーん。確かに俺もカレーは好きだけれど……」
太一は、そういう問題じゃないとわかっていつつも、ピントのずれた答えしか返せなかった。

「じゃあ、今度、かのんがとびっきり美味しいカレーを作るよ。大崎くん、うちに食べに来る?」

 麦わら帽子についているオーガンジーのオレンジのリボンが風に揺れた。帽子の下に、溢れている笑顔は、これまでに見たどんな女の子の笑顔よりも可愛らしかった。太一は、やられたと思った。

 夏が終わり新学期が始まるまで、麦わら帽子を見るたびに俺はこの笑顔を思い出して、おかしくなってしまいそうだ。太一は、昨日の酒がまだ抜けていないのかと、ぐるぐるする頭で考えつつ、黙って頷いた。

(初出:2017年8月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】いつもの腕時計

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」九月分を発表します。九月のテーマは「時計」です。

「郷愁の丘」がぶつぶつ切れるなあとお思いの方、すみません。でも、今回はあの世界の外伝になっています。主人公は初登場の人物なのですが、雇い主のほうがお馴染みの人物です。「郷愁の丘」のヒロインの兄ですね。もっとも、「郷愁の丘」をはじめとする「ニューヨークの異邦人たち」シリーズを全く知らない方も、問題なく読めるはずです。

ちなみに、同じ「十二ヶ月のアクセサリー」の六月分「それもまた奇跡」に出てきたブライアン・スミスも同じ会社の重役なので、名前だけ出してみました。


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いつもの腕時計

 彼は、入ってきた彼女の服装に対する賛辞を口にしたが、言おうとしたことの三分の一も言えないうちにもう遮られた。
「マッテオ、褒めてくださるのは大変嬉しいのですが、今朝は本当に時間がないんです」

 セレスティン・ウェーリーは、ヘルサンジェル社の社長秘書だ。それも、非常に有能な秘書だった。しかも、社長夫人に収まろうという野望を持たずに仕事に全力を傾けてくれるという意味で稀有な存在だ。

 会社の創立者であり最高経営責任者であるマッテオ・ダンジェロは有能かつ魅力的で氣さくな人物ではあるが、若き独身の億万長者であるため女性関係が派手で、その副作用として女性秘書が長く居着かないという悩みを抱えていた。

 が、セレスティンがこの職を得てから九年、へサンジェル社の最高総務責任者であるブライアン・スミスは、やたらと入れ替わりの激しい社長秘書の面接をせずに済むようになった。

 「天上の青」を意味するそのファーストネームは、極上のサファイアを思わせる濃いブルーの瞳から名付けられたと思われる。ダークブロンドの髪は垂らせばこれ以上ないほどに男性を魅了すると思われるが、いつもシニヨンにまとめていて、その隙のない様相と、シャープな服装、怜悧な視線でもって近づき難い印象を与えていた。

 今日は、月曜日。マッテオは自由の女神が見える開放的な社長室の革張りの椅子にリラックスした姿勢で座り、ここ二日の予定を淀みなく説明しているセレスティンをニコニコと笑いながら眺めていた。今日の彼女は、シャープな襟の白いシャツに瞳によく合うセルリアンブルーのタイトスカート、それに少し感じ悪く見えるくらい鋭利な伊達眼鏡をかけている。

「マッテオ。大変申し訳ないのですが、少し真剣に聴いていただけませんか。私には二度説明する時間はありませんから」
「わかっているよ。でも、大丈夫。今、聴いた件はちゃんと用意ができているし、あとは直前まで忘れても五分前に君が促してくれるだろう」

「そういう訳にはいきませんの。なにしろ……」
そういって彼女は自分の左手首をちらっと見た。

「おや、今日はあの腕時計を忘れたのかい、セレ」
マッテオは、さも珍しいという顔つきで訊いた。当然だった。シンプルとはいえ、常に流行を意識した服や靴やアクセサリーを組み合わせて、日々目の保養をさせてくれるセレスティンが、何があろうと決して変えずに身につけているのがその金の腕時計だった。

 彼女の持ち物にしては、少し安物に見える金メッキの外装、しかも今時ネジを毎日巻かなくてはならないアナログな時計だった。彼女は、この時計に大きな思い入れがあるらしかった。秘書となって一年経った時に、ふさわしい時計をプレゼントしようとマッテオが提案しても「これをつけていたいんです」とハッキリ断った。

 セレスティンはため息をついた。
「どこに置き忘れたのか、見つからないんです」

「おや。金曜日には付けていただろう」
「ええ。少なくともディナーに向かう時には付けていたはずなのに」
「そうか。あれは確かお祖母さんからのプレゼントだったよね」

 セレスティンはちらりと雇い主を見た。相変わらず細かいことを憶えているわね。
「ええ。小学校に上がった時にもらったんです。安物ですけれど、毎日ねじを巻いて時間を合わせればほとんど狂わずにこれまで動いてくれたのに。今日はスマートフォンで時間を管理していますが、慣れないのでいつものように細かくコントロールできないんです」

 マッテオは頷いた。少し、他のことを考えていたが、会議が迫っていたのでいつまでも腕時計の話をしているわけにはいかなかった。

 だが、彼はその時計を思わぬところで見ていたのだ。見覚えのある時計だと思っていたが、まさかセレスティン本人のものだとは思わなかったので素通りしてしまったが。

「思い出したぞ」
マッテオが呟いたのは、その日の夜、高級クラブ《赤い月》で席に着いたときだった。とある女優とディナーを楽しんだ後に立ち寄ったのだ。

「何を?」
女優は、綺麗にセットした赤毛の頭を、完璧な角度で傾げながら微笑んだ。

「何でもないんだ、マイ・スイートハート。おととい、ここで見たもののことを急に思い出したのさ。でも、大したことじゃない。それよりも、君の最新作での役作りについて聴かせてくれないか」

 マッテオは、にっこりと微笑んだ。女優は、仕方ない人ねという顔をしてから、彼にとってはどうでもいい話を延々と語り始めた。それで、彼は思考を自由に使うことができた。

 彼女が化粧室に消えたとき、彼は立ち上がり、バーのカウンターに向かった。

 一昨日、スーツを着た男がそこに座り、金色の女ものの時計を目の前にぶら下げるようにして眺めていた。それから「ちっ。安物か」といいながらすぐ横にあった大きな陶製の鉢の中に投げ込んだのだ。妙な行動だったので記憶に残っていた。

 そして、今から思うとあれはセレスティンの腕時計にそっくりだったような氣がしてならない。彼は、カウンターに立っている馴染みのバーテンダーに一言二言話しかけると、鉢の中を見てもらうことにした。

* * *


 翌朝、マッテオはセレスティンが入ってくるなり予定を話し出したのを手で制して、口を開いた。
「その前に、少し個人的なことを訊いてもいいかな」

 彼女は伊達メガネを冷たく光らせて答えた。
「いま必要なことでしょうか」
「忘れると困るから」
「では、どうぞ」

 マッテオは、セレスティンの積み上げた書類の山を無造作に横に退けて、マホガニーのデスクの上で両手を組み、彼女を正面から見据えた。

「君は、例のテイラー君と、もう付き合っていないんだろう」
「ええ。たしかに、ジェフとは別れました。でも、それは三ヶ月前のことで、その後に《赤い月》でお会いした時に、ミスター・フェリックス・パークにお引き合わせしたと思いますけれど」

「ああ、そうだったね。で、そのパーク氏とも別れたのかな」
「……。ええ、金曜日のディナーで、別れましたけれど、それが何か」

 マッテオは、極上の笑顔を見せながら言った。
「そうだと思ったよ」
「笑い話にしないでください。そもそも振られたのはあなたにも責任が有るんですから」

「ほう。それは驚いたね。なぜだい」
「あなたがお給料を上げてくださったので、彼の年収を超えてしまったんです。我慢がならないんですって。もちろん、それだけが理由ではないんでしょうけれど」
「そんなことを理由にするような男と付き合うのは時間の無駄だ。別れてよかったじゃないか」
「その通りだと思いますわ。でも、なぜそんなことをお訊きになるんですか」

「なに、いまフリーなら、僕と付き合わないか訊いて見ようと思ったのさ」
「セクシャルハラスメントで訴えられるのと、パワーハラスメントで訴えられるのだと、どちらがお好みですか」
「どうせなら両方だね。でも、君は、そんなことはしないさ、そうだろう?」

「あなたが、いつもの冗談の延長でおっしゃっているなら訴えたりしませんけれど。ともかく真平御免ですわ、マッテオ。あなたをめぐるあの華やかな女性陣との熾烈な争いに私が参戦するとでもお思いですか。そういうどうでもいいことをおっしゃる時間があったら、法務省への手紙に目を通していただきたいのですが」

「わかった、わかった。ちゃんと目を通すから、その前にもう一つだけ訊かせてくれ」
「どうぞ」
「君がなくしたという、あの腕時計だけれど、デザインが氣に入っていたのかい、それとも機能? 他の時計を買いに行く予定があるのかい?」

 セレスティンは、意外そうに彼を見た後、首を振った。
「いいえ。センチメンタル・バリューですわ。思い出がつまっているし、人生のほとんどをあの時計と過ごしてきたので、ほかの時計がしたいとは思えなくて。安物で、周りの金メッキが剥げてきただけでなく、留め金が外れかけていたのでとっくに買い換えるべきだったのでしょうけれど……。仕事に支障をきたしますから、諦めて何かを買おうとはしているんです」

 マッテオは頷くと言った。
「買う必要はないよ。仕事に必要なんだから、僕が用意してあげよう。それまでは、スマートフォンでやりくりしてくれ」

 セレスティンは、じっと彼を見つめた。また何かを企んでいるみたい。でも、用意してくれるというなら頼んでしまおう。自分では、あの時計でないものを買うつもりになれないから。マッテオのプレゼントなら、納得することができるかもしれない。

 マッテオが、誰かに何かをプレゼントする時は、必ず相手の好みを考え、ふさわしいものを贈っていた。成金と陰口を叩く人がいるのも知っていたが、単純に高価なもので人が喜ぶという傲慢な考え方をする人ではないのは、誰よりもセレスティンが知っていた。

「わかりました。お言葉に甘えさせていただきますわ。ところで、手紙に目を通していただけますでしょうか」

 マッテオは悪戯っ子のような魅惑的な笑みを見せてから、最上級の敬意に溢れ、法務省の担当官が必死に粗探しをしても何一つ見つけられないように書かれた、セレスティンの最高傑作である手紙に目を走らせた。

* * *


 それから五日後に、マッテオはいつもより少し遅れてオフィスに入った。ことさら丁寧に朝の挨拶をするセレスティンの様子を見て、内外からのたくさんの電話攻撃を雄々しくかわしてくれたのだろうと思った。嫌味の攻撃が始まる前に、これを渡してしまおう。

 ジャケットのポケットから、無造作に突っ込んであった濃紺の天鵞絨張りの箱を取り出して彼女に渡した。

「え?」
「約束の腕時計だよ。メッキ職人のところに受け取りに行ったんだけれど、十時まで開かなかったんだ」

 メッキ職人? セレスティンは、意味がわからずに戸惑いながら、箱をおそるおそる開けた。そして、自分の目を疑った。愛用していた祖母のプレゼントの時計と全く同じデザインの時計だった。けれど、五番街の高級店で売っているものと遜色がないほど上質のコーティングがされていた。

「どうして……全く同じデザインの時計が? どうやってこのデザインを?」
 マッテオは笑った。
「僕がそれを憶えていたと? まさか。種明かしをすると、これは例の君の時計さ。たまたま僕が見つけたというだけだ」

「見つけた? このオフィスにあったのですか?」
「いや、《赤い月》だよ。偶然、例のパーク氏がこれを捨てようとしたのを目にしてね。君が時計をなくしたと聞いてそれを思い出したんだ」

 セレスティンははっとした。そういえば、別れ話をする前には確かにその時計をしていた。留め金が壊れかけていて、修理しないと落とすかもしれないと思ったのだ。そのあとのデートの惨めな展開に心を乱されたので、時計のことはその晩はもう思い出さなかったのだが。フェリックスが私の去った後にあの時計が落ちていたのを見つけたというわけね。

 それでも、この時計の幸運なこと! 捨てられる現場に居合わせたのが、この時計の彼女にとっての価値を知っている数少ない人物だったというのだから。

「なんてお礼を言っていいのか、わかりませんわ、マッテオ。見つけた時計をそのまま渡していただけるだけでも飛び上がるほど喜んだでしょうに、なんだかものすごく素晴らしく変身していますわね」
「せっかくだから、ちょっと化粧直ししたんだ」

 コーティングし直すときに、純金を使う事も出来たけれど、耐久性を考えて18金のホワイトゴールドにした。怜悧なセレスティンの美しさにふさわしい。金属アレルギーなどが出ないようにもっとも高価なパラジウム系コーティングにしてもらったのだが、メッキが剥がれやすくなるので、通常より多く丁寧に塗り重ねてもらった。

「ちょっとどころではないことぐらいは、わかりますわ。それにネジの部分も変わっていますけれど?」

 前の時計と違っているのは外見だけではない。個人的に交流のある老いた時計師に頼み込み、重さを感じないマイクロローターを組み込んだ自動巻きに変えてもらったのだ。
「ああ、これからは毎朝自分で巻く必要はないよ。これは自動巻きだから」

 一週間近くかかった理由がわかった。それに、おそらくスイス製の高級時計を購入するよりもずっと多くの費用がかかっている。セレスティンは、戸惑いながら訊いた。
「どうしてこんなに良くしてくださったんですか?」

 マッテオは自信に満ちた太陽のような笑顔を見せた。
「君の大切にしている物を、二度と安物か、なんて言わせたくなかったんだ。さあ、セレ。これがあれば、またこれまでのように僕の時間管理を完璧にしてくれるんだろう?」

 セレスティンは、腕時計を左手首につけた。うまく回っていなかった世界の歯車が、カチッと音を立ててあるべきところに収まった。彼女の才能を遺憾無く発揮することのできる世界だ。  

 セレスティン・ウェーリーは、ヘルサンジェル社経営最高責任者マッテオ・ダンジェロの最も有能な秘書として、その日の遅れていてる予定をうまく調整するために、その冷静で切れる頭脳を有効に使いだした。

(初出:2017年9月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月のアクセサリー
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】カササギの願い

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」十月分を発表します。十月のテーマは「指輪」です。

今回の話を書くにあたって、ヨーロッパで一般に信じられている「カササギが光るモノを盗んでいく」が本当なのか少し調べてみました。そして、「光るモノを自分の巣に運ぶという習性はない」ということを知り、ウルトラがっかり。ただし、カササギが光るモノを警戒して、本来あった場所から自分の邪魔とならないところに運び去るということはあるらしいことを確認しました。やれやれ、よかった。もう少しでこの話を破棄しなくちゃいけないところでした。


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カササギの願い

 街から離れ石畳の上を車輪が走らなくなると、馬車の中の揺れは心地よいものとなり、僕は軽い眠氣に襲われた。森林の中を進みハンプトン荘へと向かう現在とまったく同じ道の、けれど秋の弱い光に照らされた黄色に支配された今の木立ではなく、みずみずしい夏の光景が瞼の奥に広がった。どこからかカササギのギーッという鳴き声が響く。それは、八年前の記憶だ。あの時、僕はまだ十三歳の膝までのズボンの方が心地いい少年だった。

 年間通して街にある本屋敷にいることを好んだ母のために、ハンプトン荘に行った事はほとんどなかったが、その夏だけは例外だった。兄のエドガーが怪我のために除隊となり、静かな療養が必要となって遅い春から滞在していたのだ。

 使用人達がいるのだから、敢えて僕たちも行く必要はなかったのだろうが、夏休みが始まってしばらくしてから、突然両親は家族全員でハンプトン荘に滞在する事を決めた。
「なんといっても、エドガーにはコートレーン家令嬢との縁談が進んでいるのですから」

 縁談と僕たちの別荘行きがどう関係しているのか、僕にはさっぱりわからなかったが、自然に溢れたハンプトン荘での滞在は僕を感喜させた。厳格で面白みのない執事ウィルキンソンもついてこなかったし、二言目には綴りの間違いがどうのこうのと騒ぐミス・カーライルもいない代わりに、素朴で妙な話し方をする庭師のチェスターや、美味しいパイをつくってくれるマクレガー夫人、そしてとても優しい女中のマリーが、僕に思いもかけなかった伸び伸びとした二ヶ月を約束してくれた。

 マリーは、あの頃の僕には他の人たちと同じように大人に見えたけれど、実際にはまだ十八歳だったはずだ。優しくて氣が利いて、僕の味方をしてくれる彼女が大好きだった。

 屋敷の裏にはいくつもの大木があって、僕は一人でターザンごっこをしたり探検をしたりして遊んだが、その度に服を汚して母に叱られた。でも、次第にマリーが先回りして助けてくれることが多くなった。
「またこんなに汚してしまわれたのですね、パトリック様ったら。お母様に知られるまえにお召替えをしておきましょうね。お召し物もすぐに洗えばわかりませんもの」

 母がマリーに厳しく当たるのは、僕の味方をして隠し事が多かったからだと、当時の僕は思っていた。だから、あんな理不尽な疑いもかけられたのだと。

 あの忌々しい指輪を僕が初めて見たのは、ヴァレリア・コートレーン嬢が到着する前の晩だった。母がディナーの席で重おもしく取り出して、エドガーに手渡したのだ。

「これは私がお前のお父様に婚約の印にいただいた指輪よ。このレイボールド子爵家の跡取りが妻となる女性に贈る伝統は二百年以上続いています。だから近いうちにお前がこれを必要とする日がくる事を期待して、渡しておきます」

 一カラットはあると思われる大きなエメラルドの周りをいくつものダイヤモンドが取り巻いた指輪はシャンデリアの光でキラキラと輝いた。僕は指輪になんか興味はなかったし、次男だからあの指輪とも全く縁がないけれど、それでもあの時は身を乗り出してもっとよく見てみたいと思った。

 給仕のために後ろに立っていたマクレガー夫人とマリーもその指輪に目が釘付けになっていたみたいだけれど、物欲しそうにしていたのはむしろマクレガー夫人の方だった。それなのに、あれがなくなった時に真っ先に疑われたのはマリーだったのだ。

 あの翌日に到着したヴァレリアはロンドンの社交界で花形だという触れ込みが納得出来る華やかで美しい女性だった。いくら爵位が自尊心をくすぐり、財産がそこそこあるからといって、こんな田舎貴族の跡取りと結婚するなんて想像もつかない美しさで、思春期に入りかけていた僕も、少しポーっとなってしまった。

 結婚には興味はないと言っていた兄のエドガーもあっという間に意見を変えたらしく、二人はいつも一緒にいて、散歩をし、見つめ合い、幸福で建設的な未来について思いを馳せたらしい。そして、兄は早くも彼女に結婚を申し込もうと心を定めたらしかった。

「大変だ!」
滅多に動揺したところをみせない兄の声に驚いた。彼は例のディナーで母が渡した指輪の赤い箱を手にして青ざめていた。箱の中は空だった。
「こんな風に開いたままの箱がライティングデスクの上に置かれていたんだ」

 ハンプトン荘は大騒ぎとなり、警官もやってきた。母は他にもたくさん宝石を持ってきていたが、盗まれたのはあの指輪だけだった。容疑者から除外されたのはその存在を知らなくて、たとえ知っていても指輪がもらえるはずだったヴァレリア。そして僕を含めて家族も一旦容疑から外された。

 僕にはよくわからない理由で、マリーが一番の嫌疑を受けた。金銭的なものだけでなく、この婚約を邪魔したい動機も持っているというのだ。僕は「マリーはそんな事をする人じゃない」と訴えたが母は冷たく言い放った。
「お前は子供でまだ何もわかっていないのよ」

 もちろん、マリーは否認したが、状況は彼女に不利だった。マリーはあの晩、指輪を見ていたし、なくなった朝にも掃除するためにエドガーの部屋に一人で入っていた。

 僕は、彼女の持ち物から指輪が出てこないにもかかわらず、マリーが幾晩も帰ってこないことにやりきれなかった。部屋の窓から毎日遊んでいた裏の大木を眺めていた。マリーがいなければ服をこっそり洗ってくれる人もいない。大木に登ること自体よりも、マリーと秘密を共有することが楽しかったのだと思った。何度も助けてくれた彼女のために何もできない自分が悲しかった。

 ギーッという鋭い鳴き声がして、白と黒の大きな鳥がバサバサと羽ばたいた。カササギだ。僕は、その動きをぼんやりと眺めていた。何か銀色のものを加えている。あれはスプーンかなんかだろうか。そして、僕はハッとした。あの指輪だったらきっと泥棒カササギも欲しがるだろうと。僕はカササギの動きを注意深く観察し、大木の近くの地面を掘っているのを見た。

 カササギがスプーンを隠していた穴からエメラルドの指輪が見つかり、僕はちょっとした英雄になった。警察本部長から感謝の言葉を述べてもらったし、マリーも釈放されて帰ってきた。両親がマリーに謝罪して彼女がそれを受け入れたので不穏な空氣は感じられなくなって、僕は嬉しかった。

 それからすぐに、エドガーがヴァレリアに感動的なプロポーズをした。婚約祝いが本屋敷で行われることになり、僕たちは慌ただしくハンプトン荘を去った。

 あれから八年間、僕は一度もハンプトン荘を訪れなかった。遠い寄宿舎に入り、それから大学に進んだ。少し根を詰めて勉強をしすぎたせいで、いや、それは表向きの理由で、本当はあまり好ましくない友人たちと酒場などに入り浸ったのを両親に知られたせいで、僕はしばらく大学を休み、静養することになった。

 せっかく静養するのだから、街の本屋敷ではなく、ハンプトン荘でゆっくりしたいというと、母は僅かに渋ったが結局は許してくれた。というのは、少なくともハンプトン荘の周りに入り浸れるような酒場は一軒もないのが確かだったから。

 馬車が停まった。僕は扉を開けて、あの夏とは打って変わり、色づき始めた木立に覆われた屋敷を眺めた。小鳥のさえずりと羽ばたき、乾いた木の葉の間を渡る風だけが音を立てる静かな世界。まるで時間が置き忘れたような古く秘密めいたハンプトン荘が変わらぬ様相で立っていた。

「ごきげんよう、パトリック様。すっかり大きくなられましたね」
玄関に目をやると、随分と小さくなって見える年老いた女性がニコニコと笑って立っていた。

「ああ、マクレガー夫人。世話になるよ。皆あの頃と変わらないんだね」
「ええ。チェスターはまだ庭の世話をさせていただいていますし、ほら、この通りマリーも変わらずにこちらでお世話になっています」

 夫人の後ろに思い出とほとんど変わらぬ姿だけれど、やはりあの時ほど背が高くないマリーが立っていた。

 僕は、自分が二十一歳の若者となり、ずっと背が高くなったことを改めて感じた。そして、マリーの儚くも優しい、それでいてぴったりとした女中服から感じられる女性らしい体つきを目にして、かつてのように自分の世話をしてくれる大人の使用人とは感じなくなっていることを知った。

 マリーの僕を見る瞳の中に、わずかな驚きがあった。それからどこかやる瀬ないほとばしる輝きがあり、それからすぐにその光を消した。まるで僕の中に別の誰かを見て、それから急いでその想いを打ち消したように。

 すぐそばから、ギーッというけたたましい警戒音を立てて、カササギが大きく羽ばたいて大木の中へと姿を消した。

 僕は、その時すべてを理解した。あの指輪を持ち去ったのは、確かにカササギだったけれど、それを望んだのはあの鳥だけではなかったことを。僕たちが到着する前、この世間から切り離された館で療養していた兄エドガーとマリーの間にあった、誰も語ろうとしなかった物語を。

 僕は、マリーを誤認逮捕から救った小さな英雄ではなくて、彼女の切なる願いを打ち砕いてしまった愚か者だったのかもしれない。

 ロンドンでエドガーと暮らす兄嫁ヴァレリアの即物的で浮ついた様相を思い出し身震いをした。マリーをこの館に悲しみとともに置き去りにしたことをエドガーはどう思っているのだろうか。

 そして、見つかったあの指輪が自分の目の前で、美しく華やかな令嬢に贈られるのを見ていたマリーは、どんな想いで立ちすくんでいたのだろう。

 僕があの日、土の中から見つけ出した指輪は、銀のスプーンや真鍮の蝶番に紛れて、夏の揺れてまぶしい木洩れ陽に輝いていた。許されないとわかっていてもどうすることもできない、悲しく強い想いのように。

 カササギはあの指輪を誰にも見えないところへと消してしまいたかったのだ。僕がそれを邪魔してしまったのだ。

 弱く柔らかくなった秋の木洩れ陽と枯葉が舞い落ちていく午後、僕はカササギの苦しがっているような鳴き声を聴きながら、時に忘れ去られたようなハンプトン荘へと入って行った。

(初出:2017年10月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】耳元に光る愛

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」十一月分を発表します。もう十二月ですけれど。十一月のテーマは「ピアス」です。

私が書く小説の題材でわりと多いのが比較文化ものですけれど、今回はそれが顕著な話です。所変われば習慣も違うのですね。

そして、今回少しだけ今っぽい女の子の口調を書いてみましたが、合っているかなあ。実物、見たことないんですよね。まあ、いいや。おかしかったらどなたか指摘してくださるだろう、きっと。異国から来た方の女の子の口調は、明らかに変ですが、こちらはわざとです。


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耳元に光る愛

 リタは、いつもの大人しさに似合わぬ鬼のような形相で、担任の山下を睨みつけていた。未央はあちゃーと思った。山下は驚いている。ほぼ毎日、舌戦を戦わせている未央ならともかく、大人しくて言葉もたどたどしいリタが、校則違反を指摘されたのに、反抗して改めないと言い張ったのだから。

 ヤマモト・リタは、ブラジルで生まれ育った日系三世だ。去年までサンパウロで暮らしていたが、不況の煽りを受けて失業した両親が親戚を頼って日本への移住を決定したのだ。彼女は、日系人街で生まれ育ったため、両親ともに日系人で、家庭では日本語が使われることも多かったという。

 とはいえ、祖父母の時代の日本語がそのまま伝わっているだけなので、妙な日本語だった。例えば、転校初日に「はじめまして」と知り合ったばかりの子にいきなり「アンタ」という二人称で話しかけて驚かれた。それも、おずおずとはにかんだ表情でそれを言うものだから、言われた子はどう反応していいかわからず絶句した。

 未央は、その様子を遠くから眺めていた。このクラスの子たちは、今時には珍しく陰でコソコソ言ったり、いじめの対象をババ抜きのババのごとく押し付けあっているような陰湿な空氣はない。家庭が複雑で、思ったことを黙っていられない(山下センセイ曰く「問題児」の)未央ですら、特に村八分にされることもなく、若干遠巻きにされながらも、平和が保たれてた。

 リタは、その突拍子もない日本語にもかかわらず、すんなりとクラスに受け入れられた。最近ではおかしな古い日本語に、今風の「ヤバい」などの言葉も混ぜる、ドナルド・キーンあたりが耳にしたらがっかりすることこの上ない日本語を話すようになっていた。

 その日は、反抗的な未央を晒し者にしてやろうという魂胆なのか、朝礼の時に山下先生がいつものどうでもいい思いつきを実行に移した。

「肩よりも長い髪はお下げにするか、後ろできちんと縛れと何度も言っているだろう。ちゃんと身だしなみを整えていない生徒は、放課後残ってもらうぞ。坂田未央。それに、近藤美恵。ああ、ヤマモト・リタももう肩にかかっているな。ヤマモト、わかるか。明日髪を切ってくるならいいが、そうじゃなかったら、後ろで縛るんだ」

 そうリタに話しかけると、素直な彼女は「ハイ」と頷き、文房具を留めていた輪ゴムで髪を後ろに縛り出した。その時、彼女の耳元にキラリと光るピアスが見えたのだ。

「おい、ヤマモト。それはピアスじゃないか」
「ソウデス」

「そうですって澄ましているんじゃない! ピアスは禁止に決まっているだろう。外せ。そして、二度としてくるな」

 皆、当然ながらリタがピアスをおとなしく外すと思っていた。ところがリタは髪型の時と違ってそれを断ったのだ。
「イヤデス」

「なんだと?」
「毎日、外シテ学校キタラ、穴、塞ガル」
「当たり前だろう。穴あけちゃいけないんだ」
 
 さすがのあたしも耳はまずいから臍ピアスで我慢しているのに。未央は感心してリタを見た。山下も未央を吊るし上げるという元々の目標をすっかり忘れてしまったようだった。

「とにかく外せ」
そう言って、近づいて来た。リタは「イヤ!」といって後ずさった。山下の手が乱暴にリタの耳たぶに向かうのを見て、未央は思わず言った。
「センセ。下手に触ると生徒にセクハラとかニュースになるよ」

「なんだと」
山下は、ぎょっとして未央を見た。たまたま昨日、似たようなケースで不登校になった女のコの話がニュースになったばかりだったので、及び腰になったのだろう。

 彼は、ことさら胸を張って未央に言った。
「じゃあ、坂田未央。お前が責任を持って外させろ。わかったな」
ええ。なんであたしが。ま、いいか。未央は思った。

 その日の昼休みに、未央はリタと一緒に弁当を食べた。
「なあ、リタ。やっぱ高校でピアスはまずいんじゃね? このあたしですら、やらないよ」

 するとリタは驚いたように未央の耳を見た。それから、周りを見回して他の女子の耳も見た。
「誰モ、シテイナイ」
「そりゃそうだよ。ブラジルじゃみんなしているのか」

「ウン。女ノ子ハ、生マレルトスグニ、ピアススル」
「ええ! 生まれてすぐって、赤ちゃんじゃん」
「ソウダヨ。キレイニ、幸セニ、ナルヨウニト、オッ父ト、オッ母ガ、ツケテクレタ。悪イコトシテナイ」

 そ、そうなんだ。国が変わると、習慣って違うものなんだな。未央は思った。これまでは、女の子ならしているのが当たり前のことを急に禁止されても納得行かないだろうなあ。

「まあな。大人になったら、皆していいんだから、悪いことじゃないと思うけどさ。でも、日本では校則違反すると目をつけられてマズいことになるって。少なくとも山下の目の前ではしないようにしろよ。特にそのキラキラした石は大きいから目立つしさ」
リタの耳元のピアスは赤い石の周りを桃色の石が取り巻くとてもかわいいものだった。

「モット小サイノハ、ブラ下ガルヤツダカラ、目立ツ」
そりゃだめだ。髪で耳元を隠してもバレるわ。

 未央は少し考えてから、スマホを取り出した。少し検索して通販サイトで目的のものを見つけた。

「放課後一緒に、これ、買いに行こう」
リタは不思議そうに首を傾げた。

 放課後、未央はリタと一緒にショッピングセンターの隅にある小さなショップへと連れて行った。
「ほら、あった。これこれ」
「ナニ?」

 未央は、リタに小さな箱を見せた。中には樹脂製のピアスが五組ほど入っている。
「これ、シークレットピアスって言うんだ。日本ではピアスをしちゃいけないところが結構あるから、そういう時にせっかくの穴が塞がらないようにするための商品。トウモロコシ樹脂でできているからアレルギーも起きにくいんだって」

「ヘエ。初メテ見タ」
「いいか。学校に入る前には、これも外せ。でも、登校中には、これをしておけ。これならよほどよく見ないとつけているってわからないから、チクられることもないしさ。そして、休みの日はいつものママのピアスをすればいいじゃん」

 リタは大きく頷いて、そのシークレットピアスを買った。
「未央、アリガトウ。デモ、コレモ校則違反デショウ? 先生ニ、知ラレタラ未央モ怒ラレルヨ」

「いいんだよ。あたしは、もうとっくに目をつけられているし、今更ひとつくらい怒られることが増えても、どうってことないさ。それより、国際化の時代とか言っておきながら文化の違いも考慮しないで校則を押し付ける山下がムカつくんだ。あたしは、リタが卒業するまであいつの目を欺けるかトライするんだ!」

 未央はくっくと笑った。リタは、不思議そうに頭を傾げた。耳元のピンクのピアスがキラキラと光った。

 綺麗に、幸せになるように。お父さん、お母さんの愛情のこもったピアス。山下、あんたとあたしの頭脳戦だよ。これから卒業まで、リタのピアスの穴はあたしが守るからね。あ、それに、あたしの臍ピアスも。


(初出:2017年12月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】帰りを待っているよ

今年最後の小説は「十二ヶ月のアクセサリー」十二月分をお送りします。

十二月のテーマは「リボン」です。リボンが重要な役割を果たす小説は一度書いたことがありますけれど、今回はちょっと趣を変えて包装についていたリボンです。

あらかじめ大金を払っておいて、子供たちが好きなものを手にできるようにするという篤志は、今年見たニュースからヒントを得ました。で、さりげなく書いていますが篤志しているのは、社名から分かるかもしれませんが、最近やたらと登場するあのヒトです。この話にはまったく関係ないですけれど。

このシリーズ、今年も結構な綱渡り&自転車操業でしたが、無事に全部書いて発表できました。ああ、よかった。来年のこのシリーズは、大半をみなさまからのリクエストに基づいて書いていく予定です。詳細はもう少し先に発表しますのでお待ちくださいね。


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帰りを待っているよ

 メイは額をぴったりと窓ガラスにくっつけて、ウィルソン家の居間兼食堂を覗き込んでいた。昨日の朝、お祖母さんの家庭訪問ナースがいつものように綺麗に片付けたはずなのに、ジミーがパンやお菓子を散らかしながら歩いたあとが残っていて、それに帰って来たばかりのジミーのダディが脱いだ服やさっき使ったのであろうバスタオルを置きっ放していた。

 夕焼けの西陽が差し込むテーブルの上には、食べ終えて後片付けのしていない朝食が残っていた。失敗したような目玉焼きと油の多すぎるベーコン、焦げてしまったトーストなどはメイの食欲をそそらないし、興味もなかった。

 視線を移すと、急いで着替えたらしいジミーのTシャツと短パンがソファに無造作に置かれていた。おとといメイと一緒に遊んだ時に着ていたものだ。二日も替えていなかったのかと思うと、少しジミーがかわいそうになった。メイのママは、ご飯が終わると三分でテーブルを片付ける。メイが外から帰ってきて服が汚れているとすぐに着替えさせてくれる。

 そして言うのだ。
「ジミーは、どうしているの。お祖母さんとご飯?」

「うん。ご飯の用意して、ジミーが寝るまでいてくれるんだって。でも、補聴器を外して睡眠薬のんで寝ちゃうので、夜中に目が覚めても起きてくれないんだって。ジミーは、目が覚めたら必死で目を瞑って、朝になるように願いながらお布団に潜り込むんだって」

「まあ。なんて可哀想に。でも、お祖母さんがいるのにわが家に来た方がいいとは言えないしねぇ。とにかく、ジミーには優しくしてあげなさいね。あんなに小さいのにお母さんを亡くして氣の毒なんだから」

 ジミーのママは去年お星様になった。
「いい子にするのよ。愛しているわ」
その最後の言葉を守って、ジミーはわりといい子にしている。少なくともメイの知っている六歳児の中では一番のいい子だ。

 お祖母さんが遠くまでいけないせいで、他の子供たちと簡単に遊べないから、いつも隣のメイの所に遊びに来る。自分のママが死んじゃって、ダディも遠くに出かせぎに行ったままなんて状況に自分が耐えられそうもないと思うので、メイはジミーに優しくしてあげなくちゃと思う。私はもう八歳だし。

 汚れた窓ガラスから覗き込む居間の奥に古い大きな肘掛椅子があって、そこに大きなテディベアが座っている。首には大きな派手なリボンが蝶結びにしてあった。

 そのリボンは、メイの一番のお氣に入りだった。

 この州で一番大きいデパートメントストアに、毎年「サンタクロースの贈り物」が届く。ニューヨーク在住の若い大富豪が慈善として子供達へとあらかじめ料金を払ってくれているので、クリスマスの前の一週間におもちゃ売場に行くとタダで欲しいおもちゃをもらえるのだ。

 メイは、去年はじめてそのデパートメントストアに行った。そして、筆箱をもらった。パッケージについていた虹模様のオーガンジーのリボンは、半年間、メイの一番好きなリボンとしてそのポニーテールを彩った。ジミーがそれを欲しがるまでは。

 それはジミーのダディがまた出稼ぎ先に帰ってしまった週で、寂しがってわがままになってしまったジミーがテディベアの首に欲しいと泣いたのだ。ジミーのためにおもちゃを譲るのも、出かけるのを諦めるのも、メイはあまり残念だとは思わなかったけれど、このリボンだけはとても残念だった。

 あのクリスマスプレゼントをもらいに、ママは二時間もかけてわざわざあのデパートメントストアにはもう行かないだろうし、似たようなリボンはどこにでもあるわけではなかったから。

 ダディやママを失うことに較べたら、リボンをあげることが何でもないことぐらいわかっている。その事でジミーに腹をたてているわけでもない。

 でも、今日のテディベアは、とても寂しそうだ。ジミーは、クリスマス休暇で帰ってきたダディに抱きついて離れなかった。そして、今日は早くから二人でどこかへと出かけて行ったのだ。

 半年ぶりだものね。二人でゆっくりしてくるんだろうな。

 ジミーのいない週末は、本当に久しぶりだ。あの子のことを心配せずに楽しめる滅多にないチャンス。そう思ってもメイはなんとなく落ち着かなかった。夕焼けの光に赤く染まった誰も居ない部屋に、座ったテディの黒いボタンの瞳が寂しそうにこちらをみている。メイがこの部屋にいる時は、ほとんどいつもジミーが抱きしめていたので、ぽつんとこんな風に座っている姿は初めて見た。ジミー、何しているのかな。 

「メイ! どこにいるの、メイ!」
ママだ。どうしたんだろう。

「いま行く!」
メイは急いで自分の家に戻った。

「あなたにサンタクロースからの使者が来たのよ」
玄関でママはニコニコ笑っていた。メイは不思議に思い靴を見ようと玄関を覗き込んだ。くたびれた大きい靴と、それからよく知っている少し汚れた小さい靴。なあんだ!
「ジミー!」

 バタバタと音がして、奥からジミーが走ってきた。
「メイ! どこにいたの?」

 ジミーの家を覗き込んでいたんだよ、というのも妙だったので「その辺」とだけ言った。奥からジミーのお父さんも出て来た。手に赤い包み紙の箱を持っていた。

「メイ。久しぶりだね。僕のいない間、ジミーの面倒をとても良く看てくれたそうだね」
そう言って、赤い包みを差し出した。その包み紙とリボンを良く知っていてドキドキした。

 ニューヨークの健康食品会社ヘルサンジェルのロゴが金色で散りばめてある真っ赤な包装紙は、あのデパートメントストアで渡される「サンタクロースの贈り物」にだけ使われる。そして、ジミーのテディベアが首にしているのと同じ七色で針金入りのオーガンジーリボン。二人は今日、あそこに行ったんだ。

「これ、あたしに?」
メイはどきどきしてジミーのダディとジミー、そしてメイのママの顔を代わる代わる眺めた。「サンタクロースの贈り物」は、連れていった子供の数しかもらえない。メイがもらえるということは、つまりジミーはもらえないということではないのか。

「いいんだよ。メイ。ジミーもほら」
ジミーのダディは、ジミーが手にしている飛行機のおもちゃを視線で示した。

「ジミーの欲しいものは、ウィルソンさんが支払って、その分あなたの好きそうなものをジミーが選んでもらって来てくれたんですって。二人にお礼を言ってね」

「ジミー、ジミー。ありがとう!」
メイは、ジミーに抱きついた。メイのママとジミーのダディは一緒に笑った。
「まだ包みを開けてもいないのに」

 メイは、そのリボンがまた自分のものになったことがとても嬉しかった。ジミーが、それを贈ってくれたのが何よりのプレゼントだと思った。ジミーがメイの好きそうなものを選ぶと、いつも警察の車とか、ティラノサウルスのフィギュアとか、全然メイの好みとは違うものになるけれど、そんなことはどうでもよかった。

 今年のクリスマスはとても素敵だ。こんなにみんなが幸せに思えるプレゼントを用意できるなんて、サンタさんってすごいなと、メイは思った。

(初出:2017年12月 書き下ろし)
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