scriviamo! 2020のお報せ
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「scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。
私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。
では、参加要項です。(「プランC」以外は、例年と一緒です)
ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)
- - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
- - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
- - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
- - イラスト
- - 写真
- - エッセイ
- - Youtubeによる音楽と記事
- - 普通のテキストによる記事
このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。
記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩(短歌・俳句)」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)
参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返画像(絵は描けないので、フォトレタッチの画像です。念のため)」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。
過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)
また、「プランB」または「プランC」を選ぶこともできます。
「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。
「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。
「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)
今年の「プランC」は「何でもいいといわれると、何を書いていいかわからない」という方のための「課題方式」です。
以下の課題に沿ったものを150字から5000字の範囲で書いてください。また、イラストやマンガでの表現もOKです。
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
メインキャラ or 脇役かは不問
キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「春」
*食べ物を一つ以上登場させる
*色に関する記述を一つ以上登場させる
(注・私のキャラなどが出てくる必要はありません)
期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2020年2月29日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも2月2日(日)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。
皆様のご参加を心よりお待ちしています。
【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから一週間ほどお時間をいただきます。
小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。
ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合はおよそ3,000字~10,000字で返させていただきますのでご了承ください。
当ブログには未成年の方もいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。
他の企画との同時参加も可能です。その場合は、それぞれの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。当ブログのの締め切っていない別の企画(神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の(ブログ等)企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません。ただし、過去の「scriviamo!」参加作品は不可です)
なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。
嫌がらせまたは広告収入目当の書き込みはご遠慮ください。
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
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【小説】お菓子天国をゆく
「scriviamo! 2020」の第一弾です。ユズキさんは、プランBでご参加くださいました。ありがとうございます! プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。
ユズキさんは、小説の一次創作やオリジナルのコミックを発表、それにイラストライターとしても活躍なさっているブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『片翼の召喚士-ReWork-』の続編『片翼の召喚士-sequel-』、そして『アストリッド様と「行くわよ愉快な下僕たち!」』などを連載中です。そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストも描いてくださっています。
今回はプランBで完全お任せということでしたので、どうしようかなあと悩みました。アスト様の世界も好きなのですけれど、まだ世界観をちゃんとわかっていないですし、(あ、アルケラの世界もちゃんと読み込めているかというとかなり不安ですけれど)、勝手にコラボはやはり何回かしていただいている皆さんにお願いしようかなと……。
今回メインでお借りしたのは、愛くるしいフロちゃんですが、仔犬ではなくて神様です。うちのレネが相変わらずぼーっとなっている【ALCHERA-片翼の召喚士-】世界のヒロイン、キュッリッキ嬢を護るために地上にいらしているのですけれど、おやつに目がないところがツボで、うちの甘い物好きと共演させたくなってしまったのです。ユズキさん、勝手なことを書きまして失礼しました。リッキーさんたちの活躍の舞台はこの惑星じゃないんですけれど、うちの連中のスペックが低過ぎてそちらに伺えないので、無理矢理ポルトガルに来ていただきました。
【参考】
![]() | 「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結) あらすじと登場人物 |
![]() | 「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部 あらすじと登場人物 |
「scriviamo! 2020」について
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大道芸人たち・外伝
お菓子天国をゆく
——Special thanks to Yuzuki san
春のポルトガルは雨が多い。大道芸にはあまり向かないのだが、大道芸の祭典『La fiesta de los artistas callejeros』の準備で来たので、今回の渡航目的のメインではない。余った時間に偶然晴れていて稼げたら儲けもの程度の心づもりでやって来た。
思いのほか珍しくよく晴れて今日は十分稼げたので満足だった。マグノリアの紫の花が満開になっていて、青空によく映える。白と青のタイル、アズレージョで飾られた教会の前には、若葉が萌え立つ街路樹が楽しそうにそよいでいた。
稔は、街中の楽器店を回って、ようやく目当ての弦を見つけた。ギターラと呼ばれるポルトガルギターの弦ではないので、ポルトガル以外でも買えるのだが、これからミュンヘンに戻るまでは大きな都市に滞在しないので、できれば入手しておきたかった。途上でもかなり激しく弾くから、また切れるなんて事もあるしな。それに、ずいぶん安かったのは、有難いよな。そんな独り言を呟きつつ坂を下った。
さてと。ブラン・ベックたちを拾って行かなきゃ。稔は、通りの洋服屋や靴屋は存在を無視し、土産物屋を覗くこともせずに、ショーウィンドウに菓子がズラリと並んでいるパステラリアのみをチェックした。ポルトガルでコーヒーを飲もうとする地元民は、カフェまたはパステラリアに行く。違いはパンや菓子などを売っているかどうかだ。パステラリアは「お菓子の博覧会」状態で、ポルトガル人の愛する卵黄を使ったお菓子のために全体的に黄色く見える。
三軒目の入り口近くに、ニコニコ笑いながら菓子を選んでいるレネがいた。稔がガラスの扉を開けて中に入ると、太った店員がレネの言葉に従い茶色の袋に次から次へと菓子を放り込んでいる。ブラン・ベック、どんだけ食うんだよ。それ一個でも、めちゃくちゃ甘いぞ。
稔に氣付いたレネは、すこし照れたように笑ったが、指示はまだ続いた。抱えるほどの大きさになったところで、ようやく会計するように頼んだ。
稔は奥を覗いたが、他のメンバーは見当たらない。
「あれ。お蝶とテデスコは?」
「先に行って飲んでいるそうです」
四人は小さなアパートを借りて滞在し、夜はいつも通り宴会をする予定だ。甘い物に興味があるのはレネだけなので、スイーツ選びに飽きて帰ってしまったのだろう。
「こんなにどうすんだよ。そんなに食えないだろ。酒に合わせるならタパスにすりゃあいいのに」
レネは人差し指を振ってウィンクした。
「ヤスが教えてくれたんじゃないですか。お菓子は別腹です」
お菓子は別腹という、謎の言い草は日本でしか市民権を得ていないのだが、レネの心にはヒットしたらしい。確かに彼はいくらご飯でお腹いっぱいになっても、スイーツは無限に食べられる特異な胃袋の持ち主だった。
ポルトガルは、甘い物に目のないレネにとっては、天国のような国だ。パステラリアのショーケースは、彼にとって宝石箱のように見えるらしい。洗練されたディスプレイではない上、日本のケーキ屋のように見かけには凝っていないし、それぞれの名前も書いていない。店員も日本のケーキ屋の恭しい接客はしないが、ポルトガル語が堪能でなくても欲しいものを指さして手軽に買うことができる。
マカオでエッグタルトとして有名になったパステル・デ・ナタはもちろん、シントラ名物のケイジャーダ、ライスケーキの一種ボロ・デ・アロース、ココナツで飾ったパン・デ・デウス、豆を使ったパステル・デ・フェイジャオン。ドイツで有名なベルリナーの黄味餡バージョンのボラ・デ・ベルリン。稔にわかるのはそのあたりだ。
レネの知識は、さらにそれを凌駕していた。次々と未知の菓子を解説してくれる。
「名前がいいんですよ。ミモス・デ・フェイラは《修道女の甘やかし》。ケイジーニョス・ド・セウは《天国のミニチーズケーキ》、トラオン・レアルは《ロイヤルクッキー》、こっちは《黄味あん入りの宝箱》」
「お前、いつそんなにポルトガル語に詳しくなったんだよ」
「お菓子の名前しかわからないんですけれどね」
「俺もなんか買おうかな」
稔は、ショーケースを見回してから、甘みの少なそうな黒い菓子を一切れだけ買った。
「なんだろ、これ」
「《チョコレートのサラミ》って言うんですよ。ビスケットの欠片を少し柔らかめのダークチョコで固めてあるんですよね。美味しいですよ」
「ふ、ふーん」
ようやく会計を終えて帰ることにした。レネは大量の菓子の入った袋を抱えているので、稔が扉を開けてやる。
通りの向こうを白い長衣を着た男性と、空色のドレスを着たカップルが歩いて行くのが見えた。外国人を見慣れている稔でも凝視せずにいられないほど、美男美女だ。後ろを白い仔犬と黒い仔犬がとことこと付いていく。
二人が仲睦まじく話している声が届いた。
「ねえ。メルヴィン。その教会の尖塔に昇ってみたいの」
「ああ、上からは街が隅々まで見渡せるでしょうね。エレベーターはないから、階段をかなり昇らなくてはなりませんが、大丈夫ですか?」
レネは、ぼーっとその美少女に見とれていた。
「おい、ブラン・ベック。またかよ。めちゃくちゃ綺麗な子だけどさ。どう考えても、相思相愛のカップルだぜ」
レネは抗議するように振り向いた。
「違いますよ。もちろん、綺麗だなあって見とれましたけど、それだけじゃないですよ。ほら、僕たち、あの女の子に一度逢ったことあるなって」
「どこで」
「モン・サン・ミッシェルで。ほら、見てくださいよ、二人の後ろにいるあの白い仔犬……ヴィルがしばらく連れていた迷い犬……」
稔は首を振って遮った。
「おいおい。お前、大丈夫か? 飼い主の女の子までは憶えていないけど、あの白いのは、たしかにあの時の仔犬にそっくりだよ。だけどさ。あれから何年経っているんだよ。ずっと仔犬のままのはずないだろう」
「そうですよね。確かに……。それに、今度は二匹だし」
そう言った後に、レネは首を傾げた。
「だったんですけれど……もう一匹、どこに行ったんだろう?」
通りの向こう、目立つ美貌のカップルが教会の尖塔を見上げている足下には、かつてあのヴィルが珍しくかわいがった仔犬とそっくりな白い仔犬が座っている。だが、つい数秒前に一緒にいた黒い仔犬はいない。
稔が、レネの肩を指でつんつんと叩いた。見るともう一つの指はレネの足下を示している。目で追うと、そこには……。
「ええっ!」
飛び上がった、足下には青いつぶらな瞳を輝かせて、黒い仔犬が座っていた。親しみ深い口元を開けて、ちょこんと座る姿は実に愛らしい。かつてモン・サン・ミッシェルでヴィルが肩に載せていた白い仔犬と較べると、ずいぶんと丸々としているし、いかにも何かを期待している様子も大きく違う。
前足をレネのに置き、催促するように布地を引っ張った。
「え?」
黒い仔犬が期待を込めて見つめる視線の先は、お菓子のあふれている紙袋のようだ。
「もしかして、お菓子が食べたいとか? まさかね」
「わざわざお前のところに来たって事は、そうかもしれないぞ。こんなに菓子買っているヤツ、他にはいないもんな」
そう言って、稔は自分の買った《チョコレートのサラミ》をパクパク食べた。
黒い仔犬は「どうして僕にくれないの」とでも言いたげに、稔の足下に移動してぐるぐると動いた。
「お。悪い。でも、これはダメだよ。犬にはチョコは毒だろ?」
仔犬は不満げに見上げていたが、さっさと切り替えてまたレネを見上げた。
「仕方ないですね。どれがいいかな」
レネがしゃがんで、お菓子の袋を開け、選ぼうとした。すると、黒い仔犬はまっすぐに袋に顔を突っ込んで食べ出した。
「ええっ! ちょっと、それは!」
ほんの一瞬のことだった。仔犬の頭は袋の中にすっぽりとハマり、躊躇せずに食べている音だけが聞こえる。
二人ともあっけにとられていると、後ろから短い鳴き声がした。仔犬と言うよりは狼の遠吠えのようだ。いつの間にか白い方の仔犬が、レネたちの足下に来ている。
黒い仔犬は、ぴたっと食べるのを止めた。白い仔犬は、黒い仔犬の尻尾を口にくわえて引っ張り、紙袋から頭を出させた。黒い仔犬の口元は、ありとあらゆるお菓子の破片がベッタリついている。黄味餡、アーモンド、ココナツラペ、ケーキの欠片。
「フローズヴィトニル! なにしてるの?!」
「申し訳ありません。もしかして、あなたのお菓子を食べてしまったのでは」
道の向こうにいた二人が、なにが起こったかを察して慌ててこちらに走ってきた。当の黒い仔犬は可愛い舌をペロリと見せて、愛くるしく一同を見上げる。
「いや、いいんです。それより、勝手にお菓子をあげてしまったりして、大丈夫でしょうか……」
レネがもじもじと、二人に答えている。
稔は、またブラン・ベックのビョーキかよと呆れながら傍観することにした。黒い仔犬はどうやら白い仔犬に叱られているようだ。って、そんな風に見えるだけかもしれないけどさ。
「ごめんなさいなの。この子、ウチでいつもケーキとか食べさせてもらっているので、遠慮なく食べちゃって」
「弁償させていただきたいのですが、このくらいで足りますでしょうか」
背の高い青年もそつのない態度で頭を下げ、財布から何枚ものお札を取り出した。
「とんでもない。ポルトガルのお菓子はとてもリーズナブルですから、そんなにしません」
レネは、感謝して、20ユーロ札を一枚だけ受け取った。
もう一度同じお菓子を買うために、レネがパステラリアへ足を向けると、黒い仔犬は当然のように自分も入ろうとしたので、二人と白い仔犬に止められた。稔は堪えきれなくなって爆笑した。なんなんだよ、この食い意地の張ったワンコは。
でも、ブラン・ベックにとっても、この黒ちゃんにとっても、ここがお菓子天国なのは間違いないな。右も左もパステラリアだらけだし、十分楽しむがいいや。
レネから譲り受けたかつてお菓子の入っていた袋にまた頭を突っ込んで残りのお菓子を平らげる黒い仔犬は、わかっているよと言いたげに、小さな尻尾を振って見せた。
(初出:2020年1月 書き下ろし)
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【小説】アダムと私の散々な休暇
「scriviamo! 2020」の第二弾です。ポール・ブリッツさんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!
ポールブリッツさんの書いてくださった「わたしの五日間」
皆勤してくださっているポール・ブリッツさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。お名前の通り、電光石火で掌編を書かれるすごい方です。毎年ポールさんのくださるお題は手加減なしで難しいんですけれど、今年はオーソドックスな難しさですね。
書いてくださった作品、舞台はどこと明記されていませんので、私も「なんとなく」を匂わせつつ、明記はしませんでした。そして、次の舞台にした場所も読む方が読めば「そこでしょ」なのですが、敢えてどことは書きませんでした。すみません、ポールさん、「わたし」の居住地、そんなところにしてしまいました。
この掌編、軽く説明はしていますが、ポールさんの作品と続けて読んでいただくことを想定して書いてあります。
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アダムと私の散々な休暇
——Special thanks to Paul Blitz-san
荷物を運び込んだポーターが、物欲しげな瞳で微笑んだので、仕方なく一番安い額面のお札を握らせた。自分で持ち運べば、払わずに済んだかもしれないけれど、鳥籠と荷物の両方をもって初めてのホテルで部屋を見つけて、カードキーを上手に使うのは難しい。
もらうものをもらったので、さっさと踵を返したポーターにアダムがろくでもないことを叫び出す前に、急いで部屋の扉を閉めた。鳥籠を覆っていた布カバーを外すと、彼は「低脳ノ守銭奴メ!」と得意そうに叫んだ。
私がこのオウムの世話を隣人や友人に頼めないのは、ひとえにアダムの口の悪さが尋常でないからだ。どうやっているのかわからないが、相手をもっともひどくこき下ろす言葉を選んで罵倒する芸当を、この鳥はいつの間にか身につけた。私が教え込んだことがないといくら言っても、きっと誰も信じてくれないだろう。
アダムは、四年ほど前に当時の恋人に押しつけられた。特別養護施設で大往生した女性が飼っていたとかで、十一歳のオウムが残されたと。施設はその引取り先に困り、とある職員がその弟に泣きついた。「私が飼ってあげたいけれど、鳥アレルギーなんですもの」
その弟こそが私のかつての恋人で、自宅に引き取ったけれど全く世話はしなかった。それどころか、まもなく他に女を作って逃げていった。残された私は、確かに彼のことを罵っていたけれど、その時に使ったのよりもずっとひどい罵声をアダムがどこで憶えたのか、どう考えてもわからない。
とはいえ、たかが鳥だ。そんなに長い間のはずはないから、命あるうちは世話をしよう。そう高潔なる決意をして優しく微笑んだらコイツはバタバタと羽ばたきながら甲高く叫んだ。
「生憎ダナ! おうむノ寿命、五十年!」
一人暮らしの女がペットを飼いだしたらお嫁に行けないと言うけれど、アダムみたいな鳥を飼っていたら、間違いなく恋人なんてできない。部屋まで送ってきてくれた優男が、甘い台詞を囁きいいムードになるとすかさず「ソイツノ腕時計、偽物! 金ナンテナイ!」などと叫ぶのだ。いや、私、金目当てでつきあっているわけじゃないってば。でも、相手は真っ赤になって震え、私の性格と思考回路がどのようなものかを勝手に結論づけて、連絡が途絶えるのだ。
もしかして、コイツがいる限り、私は独り者ってこと?
「生憎ダナ! おうむノ寿命、五十年!」
OK、当面ボーイフレンドのゲットは諦めよう。でも、休暇は諦めたくない。誰かにアダムの世話を頼むのは問題がありすぎるので、連れ歩くことになるけれど、それでも自宅にずっといるよりはマシだ。あんなところに冬の間中こもるなんて、死んでも嫌。っていうか、死んじゃう。
私の住んでいる村は、そびえる雪山の麓にある。夏は涼しく爽やかで、早番の仕事が終わった後にテラスのリクライニングチェアでのんびり日光を楽しむことができる。自転車で森をめぐり辺りの村にいったり、緩やかな山を越えるハイキングも楽しい。肩に載せたアダムが、放牧されている牛や羊、それにリスやイタチに喧嘩を売るのを見るのも微笑ましい。夏は、村そのものがリゾートみたいなものだと思い込むこともできる。
でも、冬は最悪。日は短いし、暗いし、寒いし、道はツルツルに凍るし。子供の頃に事故を起こしてから、ウィンタースポーツを禁じられてしまった私には、いい事なんて何もない。田舎過ぎてショッピングも楽しめないし。
スキーリフトもない谷なので、冬は閑古鳥の村で、夜になると通りはゴーストタウンみたいに誰もいなくなる。そんな寒村だから、村で唯一のちゃんとしたホテルは、二ヶ月の長期休暇にして閉めてしまう。私が勤めている安宿は、隙間で稼ぐいい機会だからと開けているけれど、光熱費の無駄だと思う。
でも、そんな宿にも常連がいる。その一人が、毎年この時期にやってくる外国人で、五泊して行く。村に店はないし、隣村にもスーパーや衣料品店、ガソリンスタンドくらいしかない。面白いものなんて何もないけれど、その客ときたら外出することもなく、部屋でパンとチーズをプランデーで流しこんでいるらしい。ワインじゃないのはなんだと思うけれど、その辺は好き好きだから別にいい。
ルームサービスで、追加のパンとチーズを持って行くと、とろんとした目で顔を上げる。ブツブツ言っていて、妻がどうとか、終末期医療の看護がこうとか、論文がああとか、私には理解できないことばかり。
私なら、こんな村、寒くて暗い冬の安宿なんて、一度来れば十分だと思うけれど、なぜかこの客は十五年も通っているらしい。私は去年の夏から雇われているので、この客に逢ったのは初めてだけど。
十五年って、アダムと一緒、私がアダムと暮らした日々の三倍だ。そんなに長く冬のこんな村に通うなんて、本当にどうかしている。どうかしているといえば、我が家のアダムもその客がいた五日間は、いつもにましてけたたましかった。
ドクターのくせに教授職に就かないのはいかがなものかとか、著作が一冊もないなんて恥ずかしいとか、意味不明なことをギャーギャーと騒ぐのだ。
「うるさいわね。私は博士号なんて持っていないし、持つつもりもないわよ! 本を書くとしたらイケメン俳優と結婚して、離婚して回想録を書くくらいでしょ。アンタがいたらどうせイケメン俳優と結婚なんてできないんだから、黙りなさいよ!」
仕事から帰って疲れているのに、オウムに理不尽なことで責められるのは勘弁ならない。
「これ以上、意味不明なことをいうと、フライドチキンにしちゃうわよ!」
そういうとアダムはキッと睨み言った。
「オレサマ、鶏ジャナイ! フライドパロット!」
仰有るとおり。って、オウムに言い負かされてどうする。
そんなこともあり、イライラと、冬由来の欲求不満が積み重なっていたが、その客がようやく帰ったので、私は休暇を取ることができた。
もちろん、太陽を求めて南へと旅立つのだ。青い海、白い建物、地中海料理が私を待っている。あ、私とアダムを。
荷物を解いて、一息ついてから、私はバーでウェルカムドリンクを飲むことにした。ほら、映画ではそういう所にハンサムな御曹司かなんかがいて、恋が始まったりするし。部屋に放置するのもなんなので、アダムの入った鳥籠をもって私はバーに向かった。
鳥籠を置けるカウンターの一番端に陣取ると、バーテンダーにダイキリを頼んでバーの中を見回した。イチャイチャするハネムーンカップルや、ケチそうな観光客はいるものの、御曹司タイプはみかけない。そうはいかないか。がっかりしていると、アダムがバタバタと羽を動かした。
「犯罪者メ! かくてるニでーとどらっぐ入レタナ!」
振り向くと、バーテンダーがダイキリのグラスを差し出そうとしているところだった。
「ちょっと! そんな言いがかりをつけるのは止めなさいよ!」
そして、バーテンダーに「ごめんなさい」と謝って、グラス手を伸ばそうとすると、バーテンダーは少し慌ててグラスを引っ込めた。
「申し訳ありません。今、ハエが飛び込んでしまって、取り替えます」
私の方からは、ハエは見えなかったけれど、親切な申し出に感謝した。これ以上アダムがろくでもないことを言わないことを祈りつつ。新しく作ってもらったダイキリは美味しかったけれど、周りの観光客に見られているのが恥ずかしくて、まだ見ぬ御曹司の登場を待つこともなくレストランに移動した。
レストランでは、鳥を連れていることに難色を示されたけれど、交渉してテラス席ならいてもいいと許可をもらった。海に沈む夕陽の見える素晴らしい席で、ラッキーだと思った。ここまで来たんだから、地中海料理を堪能しないと。
前菜は魚卵をペーストにしたタラモサラダ。羊の内臓などを煮込んだスープ、パツァス。スパイスのきいたミートボールのケフテデス。もうお腹いっぱいだけれど、どうしても食べ高かったブドウの葉っぱでご飯と挽肉を巻いたドルマデス。デザートは胡麻や果物を固めたハルヴァ。アシルティコの白ワインも美味しかったし、ヴィンサントのデザートワインもいい感じ!
「ソンナニ食ウナンテ正氣ノ沙汰ジャナイ!」
アダムの毒舌に「失礼ね、このくらい普通でしょ」と言おうとしたのだけれど、言えなかった。食べ過ぎのせいか、お腹が痛い。っていうか、激痛……。えー、なんで。あまりの痛さに汗が出てきて目の前が暗くなった。
目が覚めたら、ベッドの上にいた、白衣の人たちが歩き回っている。首から提げた聴診器を見て、ああ、病院にいるのかと思った。記憶を辿って、あのレストランでお腹が痛くなり、そのまま倒れてしまったのかと思う。
ここは旅先だったっけと思うと同時に、アダムはどうしたんだろうと考えたが、長く思案する必要はなかった。視界にはいないがけたたましい声が聞こえたからだ。
「イツマデ寝テイルンダ!」
「大丈夫ですか? わたしがわかりますか?」
視線を声のする方に向けると、男がのぞき込んでいた。服装から見ると看護師のようだ。どこかで聴いたような声だ、どこでだったかしら。
「どくたーナラ、本ヲ沢山出版シナサイヨ! 教授二ナリナサイヨ!」
ちょっと待って。またあの戯言が始まった。
「私は博士号なんて持っていないと、言ったでしょう、アダム!」
私が叫び返すと、目の前の看護師は静かに答えた。
「わたしは持っていますよ。あなたは宿屋でも同じ事を訊きましたよね」
私は、ぼーっとした頭の奥で脳細胞に仕事をしろと叱咤激励し、ようやくこの男が数日前に職場の宿に滞在していたあのブランデーを飲んだくれていた男であることを思い出した。
それから、別の事も思い出した。専門は終末医療だって答えたよね、この人!
「えええええっ。私、死ぬんですか?」
「人生百年時代! デモ、必ズ百歳ニナルトハ限ラナイ!」
アダム、黙って!
「ご心配なく。人間は例外なくみな死にますから」
淡々と男が答える横から、聴診器をつけた別の男性が遮った。
「こらこら、そんな答え方をしないように。心配しないでください。ここは救急病棟です。氣分はいかがですか」
どうやら、救急病棟の当番でこの看護師がここにいるらしいとわかったので、ずいぶんと氣分がよくなった。もちろん、すぐには死なないと太鼓判を押してもらったわけではないのだけれど。
「古イおりーぶおいるニアタッタ、間抜ケ。寝テテモ治ルケレド、ココデハ高イ医療費フンダクラレル!」
アダムが、期待を裏切らぬ無礼さで騒ぎ出すと、親切そうな医者の額がひくついた。
「私たちは、医療はビジネスではなく、尊い仕事だと思っていますので、ご心配なく」
そう断言する隣で、看護師の顔が奇妙な具合に歪んだ。
忙しそうに、医者が退室すると、看護師はかがみ込んで小さな声で言った。
「命拾いしたかもしれないな。ああ言われても不必要な処置をして高額請求できるような、肝っ玉は据わっていないんだ、あのセンセイは」
私は、ギョッとしてつい数日前まで客だった看護師の顔を見た。
「本当……だったの?」
彼はウィンクした。
「旅行健康保険は入っている?」
「ええ。っていうか、クレジットカードに付いているの」
「ならいい。確実に払えってもらえると確認できない旅行者は退院させてもらえないしね。ところで……」
彼は、鳥籠の中のアダムを見て訊いた。
「この鳥は、エスパーかなにかかい?」
私は、首を傾げた。
「ひどく口の悪いオウムですけれど、エスパーなんてことはないかと……」
彼は、首を傾げたままだ。
「さっきの言葉、とても偶然と思えなくてね」
「さっきのって、ドクターや教授がどうのこうのって、アレですか?」
「ああ」
それで思い出した。
「そういえば、我が家で同じようなことを言っていたのは、あなたの滞在中でしたね。でも、勤務先には連れて行きませんでしたから、あなたの言葉をおぼえたってことはあり得ないと思いますけれど」
「それじゃあ、ますます……不思議だな」
無事に食あたりもおさまり、救急搬送や深夜医療の代金を保険が払うことを確約してくれたので、私とアダムは翌朝にはホテルに戻ってもいいと許可をもらえた。
私の休暇は一晩を無駄にしただけで済んだし、親切な看護師……不思議な縁もあるお客さんでもある人と知り合えたし、そんなに悪い経験じゃなかったかも。
私は、鳥籠をもって終末医療セクションに向かい、彼に美辞麗句を尽くしてお礼の言葉を述べた。こういう時に印象をよくしておくと、次に繋がるはずでしょう。毎年あの宿に泊まるくらいだから、私の住む村のことは結構好きなはずだし、これって運命かも。
そう思っているのに、アダムはあいもかわらず看護師に向かって謎の非難を繰り返している。ちょっと、なんなのよ!
「十五年も聴かずに済んだのに、またこれを繰り返されるのはたまらないな」
小さな声で、看護師は呟いた。
それで、私は納得した。これって、私のボーイフレンド未満の男性陣を追い払った罵声と同じなんだ。なんなのよ、こんなところに来てまで邪魔するとは。これじゃ、いつになったらボーイフレンドができるやら。
アダムは、得意げに宣言した。
「生憎ダナ! おうむノ寿命、五十年!」
(初出:2020年2月 書き下ろし)
【小説】あべこべの饗宴
「scriviamo! 2020」の第三弾です。津路 志士朗さんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!
志士朗さんの書いてくださった「桃の咲く季節に。」
志士朗さんは、オリジナル小説と庭とご家族との微笑ましい日々を綴られる創作系ブロガーさんです。大海彩洋さん主催の「オリキャラのオフ会」でお友達になっていただき、今年、「scriviamo!」にも初参加してくださいました。
書いてくださった作品は、お嬢さんをモデルにしたメインキャラきいこさんの登場する、素敵なひな祭りのお話です。魔法のひな壇、かなり羨ましい。欲しいです。
あちらのお話は、綺麗に完結しているので、無理にコラボする余地はなさそうでしたので、こちらも春のお祭りをモチーフに書いてみました。そして、どうもプランCが氣になっていらしたようなので、あえてプランC仕様で書いてみました。5000字以内ギリギリです。
参加するキャラは、うちのやたら沢山いるキャラからイタリアにいそうなキャラを考えたのですけれど、志士朗さんがアンジェリカ以外ではまだご存じないだろうなと思ったので、「クリストフ・ヒルシュベルガー教授とヤオトメ・ユウ」という掌編にしか出てこない「食いしん坊コンビ」を出してみました。名前は同じですが、このヤオトメ・ユウは私とは別人です(笑)
中に一瞬だけ志士朗さんの作品を意識した文を紛れ込ませてあります。
【参考】「ヒルシュベルガー教授」シリーズ
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あべこべの饗宴
——Special thanks to Shishiro-san
赤と青の菱の組み合わせで彩られたダボダボの服を着た男がフラフラ歩いていた。灰色のフェルト帽を被り、その上に紙でできた金の安っぽい王冠を巻いている。
街は、おかしな服装をした人々がたくさんいたので、誰も彼の様子に目を留めなかった。ミモザの黄色い花が街を明るくしている。潮風がわずかに香るが、人々の心はやがて食べられなくなる肉の塊にある。グラッソ、グラッソ、グラッソ。マンマの手作りサルシッチャがあるんだ。マケロニも手打ちだぜ。浮かれた会話が聞こえる。
「ところで、フラウ・ヤオトメ。グラッソとは、何のことか知っているかね?」
仮装をしている集団の中で、それに加わる意思のないことを暗示した、茶色い上質なツイード上着を着た男が、連れの女性に問いかけた。彼は立派な口髭を蓄えた、知性漂う風貌を持っている。
一方、話しかけられた女性はもう少し若いアジア人で、旅行中の歩きやすさを最優先したスニーカー風のウォーキングシューズと身につけている春用コートが今ひとつ合わない、垢抜けないタイプである。彼女は、首を傾げながら答えた。
「たしか脂肪のことじゃなかったでしょうか、ヒルシュベルガー教授」
「その通りだ。それに加えて、脂肪分の多い物事、もしくは脂肪の多い人物の形容にも用いられる。イタリア語に限ったことではないがね」
「ああ、『Weihnachtsspeck(クリスマスの脂身=ドイツ語で年末のご馳走続きで増えてしまった腹回りの肉のこと)』の『Speck(脂身、ベーコン)』みたいな使い方ですね」
「その通り。そして、この狂騒に満ちた祭りのあいだ、彼らはベトベト、ギトギトを敢えて求めるというわけだ。たとえ、復活祭のための潔斎は適度に省略してしまうとしても」
カルネヴァーレ(謝肉祭)は、「
ユウは、「それはあなたも同じですね」という言葉を飲み込んだ。教授は、カトリック教徒でもないし、教会に繁く通うタイプでもない。すでに何年も彼の秘書を勤めている彼女は、彼が食べ物に異常な執着を見せることを指摘できなくもないが、ひと言に対して十倍辛辣な返答が返ってくるのを知っている。せっかくのシチリア旅行を憂鬱にはしたくなかった。
寒く日の短いスイスの冬に飽き飽きしていた彼女は、出張で訪れた南イタリアの一足早い春を満喫していた。街中にあふれるミモザの花は、黄色い金平糖のよう。
白く可憐なアーモンドの花も盛りだ。暖かい日差しが降り注ぐので、コートのボタンを外して歩いていた。スイスでは、この下にウルトラライトダウンジャケットを着ていても寒かったんだけどな。
市場の屋台のアーティチョークを眺めて、教授は満足そうに頷いた。
「そうだ。旬のアーティチョークも、ぜひ食べなくては」
どうやら、頭の中は相変わらず、次に入るリストランテのことでいっぱいらしい。ユウは、市場の賑わいを眺めた。そして、フラフラと向こうから歩いてくる、派手な服装の男に目を留めた。足下がおぼつかない様子で、しかもきちんと前を見ていなかった。酔っているのか、それとも具合が悪いのかわからないが、このままでは歩いているユウたちとぶつかってしまいそうだ。
子供たちが笑いながら走り、市場の屋台にぶつかった。山積みにされたレモンやオレンジが転げ落ち、フラフラと歩く《愚者の王》の足下に散らばった。
小さくちぎられた、紫、緑、黄色、白、桃色の紙吹雪をここぞとばかりまき散らす子供たち。オレンジとレモンに足を取られてふらつく男は、視界も失いついにどぉと倒れた。
「王様が倒れたぞ!」
そばかすだらけの少年が甲高く叫ぶと、少年たちもどっと囃し立てた。
ユウはすかさず近寄り、倒れた男に「
「いや、正しく(right=右) はないね。凶星とはむしろ邪悪(sinister=左) なもの。招ばれていないあべこべの王に、居場所はない。来るのが遅くなれば歓迎もされないさ」
「なんですって?」
ユウは、男の台詞がまったく飲み込めなかった。もしかしたら、本当に呑んだくれなのかしら?
困って、顔を上げると、嬉しそうに髭をしごいているヒルシュベルガー教授と目が合った。ちょっと、突っ立っていないで、助けてよ!
「なるほど。十億㎞の彼方からこの星を訪問するにはしばらくかかるというわけだね」
教授の言葉に、紙の王冠を抱いた男は、ニヤリと笑った。
「おや。通じる者もいるというわけだ」
「遅いとは言えない。これだけ暖かければ、サトゥルナリア祭で終えた農作業も間もなく始まる。出番はすぐだろう。それに、あなたの祭りに源流があるとされるエイプリルフールもまた、今では春の祭りだ」
ユウにはさっぱりわからない。教授の言葉も、男の右だの左だのの回答の意味も。まあいいかと立ち上がった。
倒れた男も自力で立ち上がると、三人を囲んで囃し立てているうるさい子供たちに、「ぐわぁ!」と吠え立てた。子供たちは驚いて一斉に逃げ散った。
「親切なお嬢さんに、奴隷の王から花を」
そう言うと、男は転がっているアーティチョークの花穂を拾って、ユウに恭しく捧げた。泥だらけの顔、道化のような佇まい。けれど、どこかがただの酔っ払いとは違う。ああ、そうか、目が酔っていない。
「これ、もらっちゃったけれど、いいんでしょうか。屋台のお店のものでは?」
しばらく歩いてから、ユウは教授に問いかけた。
教授は、片眉を上げて、何を今さらという顔をした。
「問題があれば、あの時点で店主が何か言っただろう」
ま、そうよね。
「ところで。あの人、ご存じだったんですか?」
教授は、勝ち誇ったように言った。
「君の教養では、あの男の身につけていたあらゆる象徴を読み取れなかったと見える」
はあ、すみませんねぇ。
「ヒントをあげよう。あのフェルトでできた帽子はピレウス帽と呼ばれ、ローマでは奴隷が被るとされたものだ。そして彼は自ら凶星と名乗った。これでわかるかね?」
「いいえ、全然」
「やれやれ。ローマ時代、年末には全ての農作業を終え、サトゥルナリア祭を祝ったのだ。この祭りでは地位が入れ替わり、奴隷に貴族が奉仕したり、貴族がトーガの代わりに身分の低い者の衣装を身につけたりしたものだ。この謝肉祭の伝統にも繋がる無礼講の祭りだったのだ。君の国の祭りで言えば、ひな祭りのひな壇で、三人官女がお内裏様の場所に座ったり、お雛様が最下段に座ったようなものかな」
変なたとえ。でも、言い得て妙だ。
「で、あの人が、その祭りの関係者なんですか?」
「そうだとも。奴隷の帽子の上に、王冠を被っていただろう。そして、サトゥルヌス神は、英語で言うとサターン(土星)だ。当時知られていた惑星の中ではもっとも遠くにあり、時おり逆行することもあるあべこべの星だ。タロットなどでは、凶星とされているのだよ」
「そうか。あれはサトゥルヌス神の仮装だったわけですね」
わかりにくすぎるわよ。スターウォーズとか、スパイダーマンの仮装なんかと違って、これだけ説明を聞かないとわからないなんて。
教授は、意味ありげに口角を上げた。
「仮装かもしれないし、そうではないかもしれん。どちらでも構わないさ。さあ、その角だ。このリストランテには、何が何でも入らなくては」
リストランテの中も、ミモザで華やかに飾りつけてあった。鮮やかな黄色は心まで温かくする。教授は、太った店主とあれこれ話し、奥の席に案内してもらった。
ブラッドオレンジのリキュール、アマラが運ばれてくる。前菜はアーティチョークのパン粉詰め、綺麗に洗って広げたアーティチョークの花芯にニンニクやチーズ、ハーブを混ぜたパン粉をたっぷり詰めて焼いたもの。
「うわ。美味しい。昔、ニューヨークで頼んだとき、なんか緑の葉の根元をかじりながら食べろと言われて食べにくいし美味しくないなと思っていたんですけれど……」
「普通は、外側の緑は全て取り去って心臓と呼ばれるクリーム色の柔らかい部分のみを食べるんだよ。だが、こうやって全体を調理して、普段は捨ててしまう所も美味しくするんだね。このリストランテは、たんなるアーティチョークCarciofiではなくて、若くて柔らかい小さなアーティチョークCarciofiniだけを使うので、こんなに美味しいのだよ。高いけれどね」
さすが、美味しさの追求は半端ないなあ。ユウは感心しながら食べた。これ前菜なのに、こんなに食べていいのかなあ。
「この後は、パスタに、肉料理ですか?」
ユウが訊くと、教授は首を振った。例の「そんなわけはないだろう、この愚か者が」とでも言いたげに皮肉な微笑をたたえている。
「ここに来たら、特製ティンバッロを食べなくては」
「なんですか、それは?」
「フランスのブルボン家がシチリア王国を支配していた時代にできたシチリア料理だよ。茹でたパスタをラグーであえ、揚げたナスとパスタ・ブリゼという生地で包み、オーブンで焼きあげた料理でね。ほら、きた」
わ。なんて大きな……。これ、二人前ですか? む、無理。ユウはたじたじとなる。これはシナモンの香りかな? ウェイターが恭しくナイフを入れると、中から湯氣があふれ出した。中の様々な肉の薫りが立ちこめる。焼けた小麦粉や茄子の香りも食欲をそそる。
取り分けられたティンバッロに、ウェイターは艶やかで濃厚なソースをかけて、ユウの前に置いた。これは、プロシュット、牛肉に鶏肉、マカロニも入っているみたい、茄子との組み合わせが美味しい!
ヒルシュベルガー教授は、どうやっているのか全くわからないが、髭に付かないように上手に食べているのに、ウエイターと話し、ユウに説明しつつも、その三倍の速さで皿を空にしていった。
ワインは、DOCベスヴィオのラクリマ・クリスティの赤。
「ラクリマ・クリスティって白だけだと思っていました」
「ピエディロッソ種の赤も美味しいだろう? ティンバッロに合わせるならやはりこれだね」
美味しいけれど、もうお腹いっぱい……。
「まだ、ドルチェがあるぞ。なんせできたてのリコッタチーズの旬だしね」
……絶対に無理。でも、食べたい。後悔したくない。
「安心なさい。この時期に無茶をやるのはサトゥルヌスの祝福を受けたものに相応しいからね」
「そういえば、エイプリルフールもサトゥルナリア祭と関連があるっておっしゃっていましたけれど、そうなんですか?」
教授は、ユウが会話に関心を持っていたことに満足して頷いた。
「そう、もともとは愚か者の饗宴(festum fatuorum)というのだよ。偽の王様ならぬ、偽の教皇が登場し、偉いものは仕え、普段一番下に見られているものが上になる。文句などは言わせない、十字架に掛けられる前に、神の子である救い主イエスも自ら弟子たちの足を洗ったのだから。だから、フラウ・ヤオトメ。君も女王様のように食べなさい」
それって、私が普段は奴隷だってこと? ま、いっか。この美味しい饗宴のご相伴にあずかれたし。ユウは、ティンバッロをまた一口、じんわりと噛みしめた。
(初出:2020年2月 書き下ろし)
【小説】愛の駆け引き
「scriviamo! 2020」の第四弾です。山西 左紀さんは、掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!
左紀さんの書いてくださった「砂漠のバラ」
山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。
今年書いてくださった作品は、「アリスシンドローム」シリーズの新作で、サキさん曰く「思い切って夕さんの作風には全く合いそうも無い作品」だそうです。サキさんらしさ全開の近未来SFの戦闘機パイロットのお話でした。
二人の超優秀な女性パイロットが、淡々と敵機を打ち落としていく様子、そのどちらかというとゲームと現実の境目がなくなっているような特別な感覚が、なんともいえない感情を呼び起こす作品です。
お返しの作品は、サキさんの作品とはまったく関係のない話です。ただし、サキさんの『砂漠のバラ』に触発されて書いた作品です。どこがどの部分に触発されたのかについては、読み手の自由な感想を左右したくないのでここでは触れません。
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愛の駆け引き
——Special thanks to Yamanishi Saki-san
しつこく降り続けていた雨がおさまり、十日ぶりに太陽が輝いた。木漏れ日がキラキラと揺れている。彼女がここに住むようになってしばらくが経つ。生まれ故郷は岩沙漠だったので、揺れる木漏れ日の心地よさなどとは無縁だった。
故郷が嫌いだったわけではない。単純に統計上の問題だ。彼女がよく口にする《狩り》の、もっと上品な言い方をするなら《生きるため必要なあれこれを得ること》や《愛の駆け引き》のチャンスを増やすには、この土地の方が向いているのだ。
ミラは、生活を支える手段も、本能から来る快楽も、ロマンティックな感情も、全て一緒くたにしてしまうタイプの女だ。楽しくて、キモチよくて、さらに生活に必要なあれこれが手に入るならば、それにこしたことはない。上品さや貞節、それに誇りなとどいう言葉は彼女にとって大した重みを持っていない。
《愛の駆け引き》は、なによりも好きだ。
たとえば、あの角にいる若い男。若い子は大好き。柔らかい巻き毛を優しく撫でて、甘い吐息を吹きかけてあげたいの。
ミラは、相手がどんな行動に出るのか注意深く観察した。経験豊かで魅力的な彼女を狙っているのはわかっている。小麦色の長い足、黒い瞳。積極的で美しいミラは、危険な魅力をたたえている。
相手の容姿などには頓着しない。もっと重要なことがある。彼女を満足させることができる男を慎重に選ぶのだ。快楽を与えてくれる相手を。脳天がクラクラするほどの快感。
沙漠にいたときの、記憶が蘇る。夕方の最後の光が突き刺した忘れられない瞬間に、ミラは最初の恋人と愛を交わしたのだ。たくましい男が、彼女を組み伏せた。抵抗する彼女を彼は縛り付けた。手の自由を奪われて、屈辱と怒りに我を忘れ、彼女は足を蹴り上げた。彼は笑いながら足を絡めて彼女を征服した。彼女の心に決して消えない焼き印を押しつけ、笑いながら消え去った。
ひどい人、縛られた私を放置して、笑いながら逃げていった、ひどい人。絶対に許さない、死ぬほどの快楽を、私に教えたあの人。
ミラは、ずっと一人だ。友だちと呼べる人はいない。誰かとなれ合ったり、つるんだりするのは性に合わない。誰かと一緒に食事をするのも嫌い。
世のためになる仕事をするほど高尚ではない。子供の世話に心を尽くすような女がいるのも知っているけれど、ミラはさほど母性にあふれているタイプではない。純粋に、男と寝るのが好きなのだ。私の獲物、若い男に縛られて組み敷かれる、倒錯した愛の時間が欲しい。
若い男が近づいてくる。嫌われないように、恥をかかされないように、慎重に、スマートに誘おうとしている。すべてわかっているのよ。
愛の手練手管を知り尽くしているミラは、ゆっくりと振り向き、黒い瞳を潤ませた。そして、唇を突き出した。彼女の身につけた香水が、彼を惹きつける。フェロモンに満ちた薫り。さあ、いらっしゃい、私の可愛い坊や。少しだけ、隙を見せてあげる。あなたから行動を起こしたと、思わせてあげる。
木漏れ日がキラキラと輝いた。
「あなたのことばかり考えてしまうの。どうしてかしら」
ミラは彼の柔らかい巻き毛をそっと撫でる。
「本当に? その……君みたいに綺麗で、もてそうな女性が、僕を選んでくれるなんて」
「私が怖いの?」
「うん……少し。僕、実は初めてなんだ」
ミラは、優しく笑って彼の足に彼女の長い足を絡ませた。
「心配しないで。あなたの好きにしていいのよ。私の自由を奪って、アドバンテージを取るといいわ。それなら怖くないでしょう?」
「いいのかい? 君がそういうなら……」
彼は、痛くしないように優しくミラの両腕を縛った。柔らかい絹のタッチで、縛られていく感覚にミラは恍惚となる。瞳の奥には沙漠の夕暮れが蘇る。おずおずとミラを抱きしめる男は、ああ幸せだと呟いた。
ミラにも、絶頂の瞬間が訪れる。ああ、なんて素敵なの。いい子ね、私の坊や。可愛くて、柔らかくて、食べちゃいたいくらい。
愛の昂揚で、相手の動きの止まった瞬間を、ミラは逃さなかった。躊躇せずに鋭い歯を彼の喉に突き立てた。驚き逃げようとする男を彼女は渾身の力で押さえつけた。弱々しく巻き付けてあった両腕の枷は、あっという間に断ち切った。
ミラの身体の半分ほどしかない男は、力では彼女には敵わない。両腕にうまく糸を巻き付けなければ、彼女の動きを封じることはできないのだ。彼が生き延びるチャンスは、糸をきちんと巻き付けられなかったあの時に消えていた。
彼は、まだひくついている。頭はもうミラの喉を通って胃の中に向かっているのに。可愛い子ね。とても美味しい、可愛い子。私の産む子蜘蛛たちの一部となって、世界に旅立っていきなさい。
木漏れ日がキラキラと揺れている。今日は最高に美しい日だ。《狩り》が成功すると、とても氣分がいい。
《愛の駆け引き》と食事を終えたミラは、彼女を縛ったまま逃げていった沙漠の恋人のことを考えた。彼に会いたいと願っているわけではない。彼を探して彷徨うような時間はない。子供たちが卵嚢から出て、世界へと拡散していくその後に、彼女に多くの時間がのこされているわけではないから。
ただ、可能な限り幾度でも《愛の駆け引き》を繰り返し、恍惚の中で男を抱き寄せる、たくさんのミラたちで世界をいっぱいにするのだ。沙漠の突き刺すような夕陽に。優しい木漏れ日の輝く昼下がりに。
(初出:2020年2月 書き下ろし)
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【小説】休まない相撲取り
「scriviamo! 2020」の第五弾です。もぐらさんは、オリジナル作品の朗読で参加してくださいました。ありがとうございます!
もぐらさんの朗読してくださった作品「相撲取りと貧乏神」
もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。お一人、もしくはお二人で作品を朗読なさり、当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。いつもとても長くて本当にご迷惑をおかけしています。
今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。どうぞあちらで聴いてみてくださいね。
お返しですが、去年までは平安時代の「樋水龍神縁起 東国放浪記」の話を書いてきましたが、今年は趣向を変えて現代の話にしてみました。もぐらさんとも縁の深い『Bacchus』……ではなくて姉妹店(違う!)の『でおにゅそす』を舞台にしたストーリーです。
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休まない相撲取り
——Special thanks to Mogura-san
引き戸が開いて客が入ってくるとき、いつもの二月なら寒い風のことでヤキモキするのだが、今年はあまり氣にならない。暖冬。涼子は思った。
「いらっしゃいませ」
恰幅のいい若い青年が、いそいで扉を閉めてから、カウンターを見回した。
東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと立っている。ママと呼ばれる涼子が切り盛りをするこの飲み屋は、二坪程度でカウンター席しかないが、そのアットホームさを好む常連客で毎夜そこそこ賑わっていた。
涼子や常連たちに見つめられて、青年は戸惑ったように言った。
「坂本源蔵……は、来ていませんか」
「源さん?」
奥の席で出来上がっている西城が裏返った声で叫んだので、隣の橋本がどっと笑った。困った人ね、と言いたげに見つめてから、涼子が引き取った。
「ああ、甥御さんね。どうぞお座りになって。源さん、魚を受け取りに行ってくださったんだけれど、道が混んでいて少し遅れるんですって」
源さんというのは、近所に住む元板前だ。『でおにゅそす』開店以来の常連の一人で、西城や橋本とも旧知の仲だ。もともとはただの客として通っていたのだが、付けを払う代わりにカウンターの中に入り、つまみを用意することが多いので『でおにゅそす』の半従業員のようになっていた。
青年は、頭を下げて入り口に近い空いている席に座った。
「そうですか。はじめまして。小島津与志です」
西城が大きな声を出した。
「源さんの甥っ子って、たしか関取だよなっ? 四股名で名乗れよう」
すると、青年は下を向いて唇を噛みしめた。それから、顔を上げて小さい声で告げた。
「
店内は、察して微妙な空氣が流れたが、すっかり酔っている西城には通じなかった。
「なんだい、もっと大きな声で言ってくれ。ひがーいしー、橋本やまぁ。にしぃ、西城がわぁ。はっけよい、のこった、のこったぁ!」
涼子は、おしぼりを渡しながら言った。
「どうぞ。氣になさらないでね。西城さんは、もうずいぶん飲んでいらして」
「いえ。僕こそ」
ガラッと引き戸が開き、待ち人が現れた。
「おう、津与志、来てたか。遅くなってすまん」
「源さん、ごめんなさいね。どうもありがとう」
涼子が言うと、源蔵は首を振りながら、上着を脱ぎ、前掛けをすると、クールボックスを抱えてそのままカウンターに入った。
「買ってきました。とくにサワラと平目、いいのが手に入りましたよ」
涼子に嬉しそうに言った後で、甥の方を向いた。
「津与志。今日は、少しゆっくりしていけ。親方には話してあるからな」
大きな身体を縮めるようにして、小島青年は頷いた。源蔵は、涼子に説明した。
「こいつは、二年前は前頭四枚目まで番付を上げたんですが、膝の怪我でしばらく成績が低迷していましてね。悩んでいるようなので、ここに来いと。涼子ママに話を聞いてもらえと、しつこく言って、ようやく来たんですよ」
「甥御さん、源さんにとてもよく似ているわね」
涼子が言うと、源蔵は笑った。
「顔は、似てますがね。この子は、わしとは似ても似つかぬ真面目なタチでね。部屋の掃除も、ちゃんこ鍋の用意も、もちろん稽古も手を抜かずにやりまくって、コツコツと番付をあげてきた努力家なんですよ」
「へえ、じゃあ、やっぱり似ているんじゃないか。源さん、そう言うけど真面目を絵に描いたような板前だもんな」
橋本が言うと、涼子も他の常連たちも頷いた。
「その真面目さが、助けにならない時もある。石頭なのも、似ているのかな。壁にぶつかって、でも、横に避けたり、戻ったりするのが難しいみたいでね。わしが言っても、アレなんで、助言してやっていただけませんかね」
源蔵は、グラスにも全く手をつけずに下を向いている甥を眺めた。
「涼子ママに相談するの、いいんだよなあ。俺っちも、かかあのことも、娘の反抗期のことも、いっぱい助言もらったよなあ」
西城は、熱燗を空けながら大きな声を出した。
橋本も続ける。
「そういえば、僕も、偏頭痛を治してもらいましたよね」
「あら、メガネの度が合っていないのかもって言っただけでしょう。治してくださったのは眼鏡屋さんよ」
「まあ、ママはわしや皆さんにとっての福の神みたいな存在だって事ですよ。津与志、だからお前もここでいい運をもらっていきなさい」
源蔵が言うと、青年は小さく頷いた。
「お怪我は、もういいの?」
涼子が訊くと、小島青年はいっそう暗い顔をした。
「完治する前に、すぐに稽古を始めるから治らないって、親方に言われただろう」
源蔵が言うと、青年は顔を上げた。
「でも、休場したらどんどん番付が下がるだけだ」
「あれ? コーショー制度は?」
西城が言った。酔っていても、話にはちゃんとついて行っているらしい。
「なんですか、それ?」
橋本が首を訊いた。
「ハッシー、わかってないなー。怪我で休場しても、復活したときには同じ地位から始められるんだよ。なっ!」
青年は首を振った。
「いえ。確かにその制度はあったんですが、2003年に廃止されたんです。公傷が乱発されて休場する力士があまりにも多くなってしまったので。ですから、僕は怪我をした場所で途中休場しただけで休まずに出ているのですが、負けが込んでしまって。期待してくださった親方や先輩方にも申し訳なく、もう引退した方がいいのかと……」
「怪我をしているのに土俵に上がって、大丈夫なのかい?」
相撲に詳しくない橋本は、純粋な質問を投げる。西城が解説した。
「ぶちかましとか、突っ張りとか攻める手は、膝をかばいながらでも、わりといけちゃうんだよね。問題は、向こうが積極的に攻めてきたときに、踏ん張ったり上手に凌ぐのが難しいわけ」
「西城さん、詳しいのね」
涼子が言うと、嬉しそうに答えた。
「惚れ直した、涼子ママ? 熱燗、もう一本頼むよ」
小島青年は、ビールをゴクンと飲み干した。源蔵が捌いたヒラメの昆布締めをキュウリの薄切りと一緒に小鉢に入れて、涼子は彼の前にそっと置いた。柚醤油の香りがほのかに漂う。
「どうして引退した方がいいとお思いになるの?」
涼子が訊いた。青年は、少し言葉に詰まった後で、答えた。
「幕下だと給料も出ませんし、ただの穀潰しです。周りの士氣にも影響するし、まるで貧乏神だなと……」
涼子は、小さく笑った。
「幕下の方はたくさんいるでしょう。貧乏神は、そんなにいるかしら」
「……」
「相撲の世界は、勝負がとてもシビアでしょうけれど、それ以外のお仕事でも、必ずしも結果や利益を生み出している人たちだけではないと思うわ。でも、結果だけで、その方たちの価値が決まるわけではないと思うの」
すると、西城や橋本も頭をぶんぶんと振って頷いた。
「俺っちもさぁ。どっちかっていうと日当たりのいい席に座らされているけどさあ。くさくさしたって仕方ないもんな。いる場所で、やれることをコツコツやるっきゃないだろ、なっ、ハッシー!」
橋本は、いきなり背中を叩かれて吹き出しそうになった。
涼子はテキパキと皆の前の空いた皿を片付けて、新しい小皿を置いていく。小島青年は、伯父も含めて和氣あいあいとした『でおにゅそす』の一同を眩しそうに眺めた。
「焦る氣持ちは、よくわかるわ。私たちのような仕事と違って、スポーツは何十年もかけてのんびり結果を出せばいいというものではないでしょうから。でも、がむしゃらに頑張るか、そうでなければ辞めるか、その二つしか道がないのかしら。怪我が治れば、結果はむしろ出やすくなるのではなくて?」
源蔵は、椎茸の肉詰めを皆の前に置いていきながら言った。
「行き詰まっているときには、自分のやり方を続けても道は見つからないぞ。急がば回れっていうだろう」
「俺っちたちも考えようぜ」
西城が赤い顔で大きな声を出した。涼子は取りなすように小島青年に言った。
「あなたもずっと考えていらっしゃるでしょうし、親方のご指導も受けていらっしゃるでしょうけれど、素人たちの突拍子もない意見ももしかしたら参考になるかもしれないわ」
「俺っちは思うんだよ。何よりも優先すべきは怪我の治療だろ。だから、稽古にしたって膝に負担のかかることはやめる」
「膝に負担のかからない稽古ってあるのか?」
「あるんじゃないかい? 柔軟体操みたいな稽古あったよな? 詳しくはわかんないけど、今までの稽古では沢山時間をかけられなかったことを、目一杯やっておくとかさ」
小島青年は、はっとしたように頷いた。
「確かに、早く復帰することや部屋に貢献したい一心で、ぶつかり稽古や三番稽古を少しでも多くしようとしていたかもしれません」
「すみません。それなんですか?」
橋本が小さな声で訊く。西城が解説する。
「三番稽古ってのは、力士同士で何度も取り組むやつで、ぶつかり稽古というのは、片方が目一杯攻めて、もう一方はそれを受け止めるヤツだ。どっちも膝には悪そうだよな」
「そういうのはしばらく休んだら、ダメなんですか」
「なんか一人でやるトレーニングあったよな。
「あ。四股ってのは聞いたことあります。なんだっけ」
「ほら、取り組みの前にやってんじゃん、足を片っぽずつどーんと上げるヤツ」
「ああ、あれか」
「鉄砲ってのは、柱に向かって張り手みたいなのを繰り返すヤツだろ?」
小島青年は頷いた。
「その通りですが、腰を落としてすり足で片方ずつ足を寄せながらやりますので、全身運動にもなっています。どちらにしても全身の筋肉を鍛える大切な基礎で、本当はもっと沢山やった方がいいと思っていましたが、取り組み稽古ほどは熱心にしていなかったかもしれません。膝をかばいながらでも、できるんだから、本当はもっとやるべきだったんだ……」
「休場して、怪我の治療に専念すると言って、そういうのだけをやらせてもらえばいいんじゃないか?」
「そんで、部屋の役に立つのは、もっと他のことにするとかさ」
「他の事って?」
「うーん、ちゃんこ作り?」
「関取さんになったら、お料理当番はしないのでは?」
涼子が訊くと、小島青年は首を振った。
「いえ、負け越してしまったのでもう関取ではなくて幕下です。ちゃんこ番もあります」
「お。だったら、めちゃくちゃ美味い鍋を極めるとかさ。それこそ、源さんにコツを訊いてさ」
「ですよね。美味しいものを食べられれば、みんなハッピーだし」
いつの間にか店中の客たちが、怪我で苦しむ若き力士の復帰プランと当面の部屋での身の振り方をああだこうだと論じていた。実際の大相撲の制度やトレーニング、生活のことなどのわかっていない人々の考えでなので、実際に機能するかどうかはわからない。皆アルコールが入っているので、氣が大きくなっていることも確かだ。それでも、引退することや、世話人・マネージャーなどへの転身などをせずに、もう一度関取に返り咲くことができそうだと、前向きな予想ばかりだ。
作っていた吸い物を一通り客たちに出して、一息ついた源蔵がみると、甥は大きな身体を縮めるようにして下を見ていた。白木のカウンターに、ぽたりと一粒、何かが落ちた。涼子がすかさず差し出したおしぼりで、顔を拭いてから彼は顔を上げた。目は赤いが、悲しそうな様子ではなかった。
「僕は、自分では精一杯頑張っている、なのに報われていないと思っていました。でも、どうやら自分のやり方に固執して、引くに引けなくなっていただけのようです。皆さんに応援していただいて、空回りの努力は止めて、もう一度頑張ってみようと思いました。本当にありがとうございます」
その言葉が聞きたかったんだ、と誰かが叫んだ。店内は青年の関取返り咲きを祈念して、盃が重ねられた。
涼子と源蔵は瞳を合わせた。青年に憑いていたかもしれない貧乏神は、きっとどこかに去り、代わりに福の神と一緒に部屋に戻れそうだと微笑み合った。
(初出:2020年2月 書き下ろし)
【小説】合同デート
「scriviamo! 2020」の第六弾です。ダメ子さんは、毎年恒例のバレンタインの話で参加してくださいました。ありがとうございます!
ダメ子さんの『お返し』
ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。
さて、「scriviamo!」では恒例化しているこのシリーズ、もともとはダメ子さんのところに出てくる、「チャラくんにチョコレートを渡せない後輩ちゃん」をネタに書かせていただいたものです。後輩ちゃんを勝手に名付けてしまったアーちゃんだけでなく、付き添いで勝手に出したつーちゃんまでも、いつの間にかダメ子さんの「ダメ鬱」のキャラクターに昇格させていただいています。一年に二十四時間しか進まないのに、展開は早いこのシリーズ、今回はなんとお返しデート! モテくん、さすがモテる男は行動早っ。でも、デートにはモテくん来ないらしいので、相変わらずのメンバー……。
【参考】
私が書いた「今年こそは~バレンタイン大作戦」
ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」
ダメ子さんの描いてくださった「バレンタイン翌日」
私が書いた「恋のゆくえは大混戦」
ダメ子さんの「四角関係」
私が書いた「悩めるつーちゃん」
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合同デート - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san
日曜の朝、私は決心した。なんとしてでもアーちゃんとチャラ先輩を二人っきりにする! そもそも、この大混戦になったのは、アーちゃんとチャラ先輩が二人っきりでちゃんと話をしていないからだ。いくら重度のあがり症とはいえ、休みの日に数時間二人っきりになったら、あの子だって、自分の想いを伝えられるだろう。
事の起こりはバレンタインデーだ。中学の頃から憧れているバスケットボール部のチャラ先輩に、アーちゃんはようやく手作りチョコを手渡した……っていうのかな。まあ、手渡したのは事実。ところが、あがり症でちゃんと告白できなかったアーちゃんの不手際が誤解を生み、チャラ先輩はそれをモテ先輩へのチョコだと思って渡してしまったらしい。
しかも、翌日に、改めて告白しようとしたアーちゃんに、先輩は「好きな人が誰かなんていわなくていいから」と言って去ってしまったそうな。「これってお断りってことだよね」とメソメソするアーちゃんに「誤解だと思う」とは伝えたものの、実際のところ私にもどっちなのかわからない。
私はこの恋はお蔵入りかなともう半分諦めていたのだけれど、なんとあのモテ先輩が手作りチョコのお礼で五人で遊びに行くことを提案してくれたらしい。モテる人って、ここまでマメなのか。私にはそういう世界はわからない。まあ、でも、次の作品の参考にさせてもらおう。
いや、私の萌えの話は、ここではどうでもいい。アーちゃんとチャラ先輩を二人っきりにする大作戦のほうが大事。
幸いそつのなさそうなモテ先輩だけでなく、ムツリ先輩もかなり察しがよさそうなので、私が上手に誘導したら、その場から上手に消えてくれるに違いない。そして、その後、私は上手にアーちゃんたちの後をつけて、必要ならアシストする。
私は、ワードローブを覗いた。うーん、何を着ようかな。適度に消えるとはいえ、しばらくはチャラ先輩の前にもいるわけだから、とにかくアーちゃんよりも目立つ服はダメだよね。もっさり系の服なんて、あるかな。
あったけど、このパーカー付き部屋着はダメだよね。「ベニスに死す」展でつい買っちゃったヤツだけど、ビョルン・アンドレセンの顔写真プリントされているのって、やっぱり外には着ていけない。チャラ先輩はともかく、ムツリ先輩に軽蔑されそうだし。あ、ムツリ先輩に氣に入られたいとか、そういうんじゃない。ほら、その、私服が変な子とか噂になりたくないし。
アーちゃん、かわいい系でいくだろうから、かわいくない感じの服にすればいいか。女捨てている感じだとこれかな、革ジャンとジーンズ。あ、この間買ったブーツ合わせちゃお。
待ち合わせした駅前に行くと、アーちゃんはまだ来ていなかった。きっとギリギリまで何を着ていくかで迷っているんだろうな。あ。ムツリ先輩、いた。
先輩は、私の服装をみて少し驚いたようだった。どうでもいいでしょう。私はどうせ付き添いだし。
「こんにちは。お誘いくださり、ありがとうございました。えーと、チャラ先輩とモテ先輩は……」
そう言うと、ムツリ先輩は頭をかいた。
「チャラはトイレ行っている。モテは来ない。チャラには言っていないんだけど、始めから言われてた。その方がいいだろうからって」
へえ。モテ先輩、よくわかっているんじゃない。って、ちょっと待って、ってことは、これはアーちゃんとチャラ先輩を二人きりにする絶好のチャンスなのでは? 私は、ムツリ先輩に近づいて宣言した。
「じゃあ、私たちもトンズラしましょう!」
「えっ?!」
あ、いや、ムツリ先輩と二人でどっかに行こうって意味ではなくて!
「このまま、私たちが姿を現さなければ、あの二人のデートになるんですよ。そうなったら、さすがのアーちゃんでも、誤解を解けるかと! 私たちは、こっそり後をつけてアシストするんです」
「あー、そういうこと」
ムツリ先輩は、氣のない返事をした。名案だと思ったんだけれどなあ。
「わかった、じゃあ、隠れるか。って言っても、どこに」
ムツリ先輩と見回す。
「あ、あの駅ビルに大きい窓が。あそこから様子を見ましょう」
私たちは、急いでその場を離れ、広場に面した駅ビルの中に入っていった。
「ところで、今日って、どこに行く予定なんですか?」
ムツリ先輩は首を傾げた。
「チャラに任せたから知らないんだよな」
えー、チケットとか買ってあったりして。
駅前広場を見下ろすウィンドウについて改札の方をみると、出てくるチャラ先輩が見えた。辺りを見回している。そして、私が予想したとおり、アーちゃんはこのビルの横の歩道橋を渡って現れた。おお、ピンクのワンピース。私には絶対に着られない甘い服。よく頑張った!
しかし、二人きりで慌てているのか、ものすごく挙動不審だ。普段の私が集合五分前には必ず行くので、まさかいないとは予想もしていなかったに違いない。チャラ先輩は、スマホを手に取って操作している。
「あ。チャラからだ」
見ると、ムツリ先輩がスマホを見ている。
「今どこ、だって」
「私が遅れているので、拾って行くから先に行って欲しい、どこに行くか知らせろって返事してください」
「君、策士だね」
ムツリ先輩は、メッセージを書き込む。すかさず電話がかかってきた。
「よう。俺? ええと、俺もトイレ行こうと思って。うん、つーちゃんからメール来た……いや、バックレないよ、行く行く。うん、アーちゃんにも言っておいてって。……わかった。じゃ、後で」
改札前のチャラ先輩がアーちゃんに説明している。彼女はますます挙動不審の慌てぶりだ。何やってんのよ、せっかくチャンス作ってあげているのに。
「えーと。このビルの五階、サンジャン・カフェで待っているって」
ムツリ先輩が言った。
「ええっ。そんな普段っぽいチェーン店? どういうチョイスなんですか?!」
「っていうか、最上階の映画館にいこうとしているらしい。でも、俺たちが来るまで待つらしい」
むむ。そういうことか。いずれにせよ、私が遅れている設定なので、見つからないようにどこかで時間を潰す必要があるわね。
ムツリ先輩と私は、二人と鉢合わせしないように急いで階段を昇り六階に向かった。そこはフロアの半分がゲームセンターになっている。その奥にある催事場でしばらく時間を潰そうと横切っていった。
ふと振り返ると、ムツリ先輩がプリクラゾーンのど真ん中で突っ立っている。ちょっと待って。まさかプリクラ撮りたいわけでもないでしょうに、なぜそんなところに引っかかるのよ。少し戻ると先輩はプリクラ機を見ているのではなく、その奥の誰もいないようなくらいゾーンを見ていた。
のぞき込むと、どうやら格闘ゲームのコーナーらしい。ゲームセンターは友だちとワイワイ行くところなので、プリクラとか音ゲーとかは行くけれど、格ゲーはやったこともない。
「なんですか?」
「いや、今聞こえた音楽……」
そう言いながら、そちらに吸い寄せられていく先輩を追った。他の場所と較べて明らかに閑散としているコーナーの一番奥に、先輩のお目当てはあったらしい。
「げ、本当に『時空の忠臣蔵』だ……」
「なんですか、それ」
「え。ああ、四年くらい前にあちこちのゲーセンにあったんだけれど、マイナーですぐに入れ替えられちゃった格ゲーなんだ。ここにまだあったのか」
「えーと。好きだったんですか?」
「ああ、うん。出てくる敵とか設定にツッコミどころが多くて、やっていても飽きなかったというか……」
へえ。どうツッコミどころが?
「ちょっと、やってみてくださいよ」
「え、いいの? じゃあ、ちょっとだけ」
オープニングが流れ、元禄15年12月14日つまり討ち入りの当日、仲間とはぐれている早野勘平が吉良上野介の屋敷に急ぐことが告げられる。ところが、次から次へと邪魔が入ってなかなか屋敷まで進めないという設定らしい。
「ほら出た」
すぐに出てきた敵キャラ。でも、それはイノシシ。えー、人じゃないの?
「この辺はまだまともなんだよ。『仮名手本忠臣蔵』では勘平は猟師として暮らしていて、イノシシを撃とうとするエピソードもあるんだ」
へえ。先輩、詳しい。すごくない?
その次に出てきた敵キャラは「義父を殺して金を奪った斧定九郎」というテロップが出た。先輩は慣れた様子でそのキャラも倒した。
「設定がおかしくなるのはこの後から」
次のキャラは、打って変わり立派なお殿様っぽい服装だ。「何をしている」と言って出てきたけれど、名前を見ると浅野内匠頭って、えーっ、ご主人様じゃん。なのに戦うの? っていうか、この人が松の廊下事件を起こしたあげく切腹したから討ち入りに行くことになったんじゃなかったっけ?
「よっしゃ。次」
ちゃっちゃと主君を倒した勘平は角を曲がる。次に出てきた腰元女キャラ。え。お軽って……それは恋人じゃ……。
その後、将軍綱吉の愛犬や新井白石、桂昌院など変な敵と戦った後、なぜか将軍綱吉まで倒して先を急いで行く。なんなのこれ。
そして、次の敵は、まさかの堀部安兵衛。ちょっと仲間と戦うってどうなのよ。ムツリ先輩は慣れた様子で堀部安兵衛との戦いを始める。えー、やるの?
「もう、つーちゃんったら!」
その声にギョッとして振り向くと、後ろにアーちゃんとチャラ先輩が立っていた。
げっ。なんで? ムツリ先輩も予想外の事態に呆然として動きが止まった。その隙に、堀部安兵衛はあっさりと早野勘平を倒し、エンディングテーマが流れる。
「命を落とした早野勘平は、討ち入りに参加することは叶わなかった……」
チャラ先輩はニヤニヤ笑っているが、アーちゃんは激怒に近い。
「もしかしたらここじゃないかって、先輩が言っていたけれど、私はそんなはずはないって思っていたのに!」
えーっと、謎の格ゲーに夢中になっていたら、けっこうな時間が過ぎていたらしい。
「あ、いや、ついてすぐにサンジャン・カフェに行こうと思ったんだけど……」
「じゃあ、なぜカフェより上の階にいるのよ! もう」
アーちゃんのいつものあがり症は、怒りでどこかへ行ってしまったらしい。
チャラ先輩は、ムツリ先輩に近づくと言った。
「映画、始まっちゃったよ。次の回は夕方だけどどうする?」
「う。申し訳ない」
私はアーちゃんに小声で訊いた。
「で。先輩と沢山お話できたの?」
誤解は解けてちゃんと告白できたんだろうか? 仲良く二人でここにいるって事は、そうだと願いたい。
「いっぱいしたけど、主につーちゃんたちが今どこにいるかって話よっ!」
ありゃりゃ、だめじゃない。策略、大失敗。
結局、映画は次回にしようということになり、そのままゲームセンターで遊ぶことになった。氣を遣う私は、アーちゃんとチャラ先輩がプリクラで一緒に収まるように誘導する。まず男同士、女同士でさりげなく撮り、先輩方が微妙な顔をしているところに提案をした。
「私は、ムツリ先輩と撮りますから、先輩はアーちゃんと撮ってくださいね」
もとのあがり症に戻ってしまったので、喜んでいるのかはいまいちわからないけれど、とにかくあのプリクラはアーちゃんの宝物になるだろう。
問題は私の方。ムツリ先輩とのプリクラ、どうしたらいいのかしら。無碍にしたら失礼だからちゃんと持って帰るけど、捨てるのもなんだし……でも、これずっととっておくのかしら、私。先輩はどうするんだろう。うーん、もっと可愛い服着ておけばよかったかな……。
(初出:2020年2月 書き下ろし)
【小説】露草の雨宿り
「scriviamo! 2020」の第七弾です。limeさんは、素敵な掌編小説で参加してくださいました。ありがとうございます!
limeさんの書いてくださった『どうってことない雨になれ』
limeさんは、繊細で哀しくも美しい描写の作品を書かれるブロガーさんです。小説においてはコンテストの常連受賞者であるだけでなく、イラストもとても上手で羨ましい限りです。現在は文章教室で本格的に勉強なさっていらっしゃるので、ブログでの作品発表は抑えていらっしゃいますが、投稿サイトのエブリスタでは代わらずにご活躍中です。
今回は、「傘」をテーマにしてお書きになった作品でご参加くださったので、私も「傘」と「つらい日常の(実際の解決はしていないけれど)心の方向転換」をテーマにごく短い話を書いてみました。はじめから謝っておきますが、とくに事件が起こるわけでも、素敵なオチがあるわけでもありません。
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露草の雨宿り
——Special thanks to lime-san
ああ、この季節は憂鬱。雫は灰色の空を見上げた。大人になったら梅雨のない国に移住したい。ハワイはどうかな。いつも青空じゃないかしら。もちろん本氣で移住できるなんて思っていない。一介の高校生には遠すぎる夢だから。
マッハスピードで掃除を終わらせ、急いで帰路についた。この様子だといつ降り出すかわからない。折りたたみ傘を持ってこなかったことを悔やんだ。
家に帰るのが嬉しいわけではない。母親はいつも苛々している。主に同居している祖母、つまり彼女にとっては姑との不仲が原因だが、雫があまりできのいい娘でないことも彼女の不機嫌の焰に油を注いでいる。母は、いつも帰りが遅く休みの日も家にいない事が多い父親とも上手くいっていなくて口論ばかり、かといって父親や祖母が雫の味方になってくれるわけでもない。
成績が低空飛行ゆえに、クラブ活動や課外活動をしたいと言い出すこともできず、たとえ許してもらえたとしても友だちがいないので、何に参加していいのかわからない。だから雫は帰宅部だ。授業が終われば、一人で帰る。部屋に籠もり、勉強をするか、図書館で借りた本を読む。今日の空のように灰色の日々ばかりで、これからもそんな日が続くようだ。
英語の成績もろくでもない。でも、いつだったかテレビで見たような海外の生活を夢見てしまう。広い家。可愛いインテリアの個室。家族揃って、冗談を言いながらの食事。きれいな私服。沢山の友だちや優しいボーイフレンド。……転生でもしない限り叶いそうもない。
下駄箱の所に、同じクラスの岡崎莉子と橋口エリカがしゃべりながら立っていた。
「先週発売されたミックスベリーフラペチーノ、ヤバくない?」
「うん。お小遣い、もらったし行ける。寄ってこ。あ、ルリも行こうよ!」
二人は、通りかかった別のクラスメートも誘った。
靴を替えている雫を見て、三人は押し黙った。雫は、下唇を噛んで上履きを下駄箱に押し込むと、三人に挨拶もせずに立ち去った。
クスクスと笑う三人の声が背中に刺さる。雫のことを笑っているのかどうかは定かではない。もしかしたら、被害妄想なのかもしれない。
莉子たちはクラスの中心的存在だ。きれいに巻いた髪、上手なメイク、可愛いキャラ弁、最新流行の文房具やバッグ、スマホはいつも最新機種。どれも雫には無縁なあれこれを揃えている。
クラスカーストの最上位にいるのが莉子たちなのか、それとも、来年は特進クラス間違いなしといわれている斉藤君をはじめとする優等生たちなのかは、微妙なところだ。でも、勉強も体育も可愛さもお小遣いの額も全てにおいてイマイチな雫が最下位に近いところにいるのは間違いない。
なぜお父さんとお母さんは、せめて陽奈とか、夏海とか、そういう可愛くて明るい名前にしてくれなかったのかなあ。六月生まれだからって、雫なんて地味で湿っぽい。
わかっている。莉子たちが微妙な顔をするのは、名前が地味なせいではない。お小遣いが少なくておしゃれなカフェに行けないせいでもない。そもそも彼女たちに誘われたこともない。上手く会話に加われない。さりげなくグループに入っていけない。でも、一人でいることが嬉しいわけでもない。
あ、降り出した。雫は仕方なく走り出した。普段の通学路はやめて商店街へ向かう。アーケードの下は濡れずに済むから。
水たまりを踏み込んでしまった。靴下に染みこむ惨めさ。母親の小言がもう聞こえ、こめかみの辺りがキリキリする。帰りたくない。
買うつもりもないのに、果物屋や煎餅屋の前を行ったり来たりした。アーケードの天井を打つ雨音が大きくなる。
後ろから聞き慣れた少女たちの声が響いてきた。莉子たちだ。そうか。なんとかフラペチーノって言っていたから、やはりここにくるのよね。家にも帰りたくなかったが、また彼女たちに笑われるのもごめんだった。駅に一番近い出口に向かうのを諦めて、その一つ手前の角を曲がる。
一度も行ったことのないその一画には、日本茶を売っている店や、呉服屋、布団屋、金物屋などがあった。今どきのおしゃれとはほど遠い店の連続だから、クラスメイトは絶対に足を踏み入れない。
莉子たちに氣付かれる前に……そう思って急いだせいかもしれない。出会い頭に店から出てきた誰かとぶつかってしまった。
「きゃっ」
「これは失礼」
着物だ。最初にそう思った。ぶつかった男性は、藍色の和装だった。お父さんよりは若いけれど、お兄さんと呼ぶには失礼な感じだ。
「怪我はなかったかい?」
「いえ、まったく。よそ見していて、ごめんなさい」
雫と同じくアーケードの出口に向かっているらしく、並んで歩くこととなった。出口が見えてきて、雫はため息をついた。ずいぶんと降っている。走ってもずぶ濡れになるだろう。
男性は、雫の様子を見て傘がないことに氣付いたのだろう、紺の傘を広げて差し掛けてくれた。
「駅までかな? よかったらどうぞ」
それは洋傘ではなかった。
「蛇の目傘!」
思わず口走った雫に、彼は笑って答えた。
「いや、蛇の目ではないんだ」
「違うんですか?」
「蛇の目と同じ和傘だけれど、番傘というんだ」
「どこが違うんですか?」
「こちらは柄が竹でできている。蛇の目傘は、木の柄で持ち手に籐が巻いてある。それに……」
彼は、内側の骨の部分を指さした。
「蛇の目傘はこの部分に装飾が施してある。番傘はこのようにシンプルな作りなんだ」
雫は傘をのぞき込んだ。普段使っている洋傘と較べるとずいぶん沢山の骨に支えられている。和傘を近くで見たのは初めてだった。
「これ、もしかして紙ですか?」
「そうだよ。和紙に油を染みこませて水をはじくようにしてあるんだ」
「きれいなブルー……。広げると淡い色になるんですね」
「草木染めでね、露草色っていうんだ。和紙なので光が透けて明るい色合いになるんだよ」
雫は、駅までの数分間、ずっと傘を見上げていた。駅に着いたと氣がついたのは、男性が傘を閉じたからだ。
「ありがとうございました」
お礼を言った。男性は穏やかに笑った。
「どういたしまして」
駅の階段を上がる様子がないので、ここに来る予定はなかったのに送ってくれたのかと思い至った。
「あの……すみませんでした」
「そこに用があったから、氣にしないでくれ」
駅前の和菓子屋を指さしている。もう一度頭を下げてから階段を上がった。改札に向かう前に、和菓子屋を見ると、傘立てに露草色の番傘を挿し、彼は店内に入っていくところだった。
雫は、彼の職業を想像した。呉服屋さん、茶道や華道の師匠、和菓子屋の関係者、能楽師か日本舞踊の先生、それとも和傘屋さん?
ほんの数分間、同じ傘の下にいただけだが、全く知らない世界にい迷い込んだようだ。ずっと憧れていた外国とは全く違うけれど、それよりももっと知らない世界だった。あそこは学校と駅の間、いつもどこか知らないところに行きたいと願いながら歩いていたところと十数メートルしか離れていないのに。
電車の窓から眺めるいつもの光景に光が射してきた。雨は上がったのだ。雲間から柔らかい光が射してくる。
雫は、次のにあの商店街に行ってたら、またあの一画へ行きあの人を探してみようと思った。番傘のことや、他のよく知らない日本文化のことを教えてもらおうと。
(初出:2020年3月 書き下ろし)
【小説】Fiore di neve
「scriviamo! 2020」の第八弾です。TOM-Fさんは、『花心一会』の登場人物と私のところのキャラクターとのコラボ作品で参加してくださいました。ありがとうございます!
TOM−Fさんの書いてくださった『惜春の天花 《scriviamo! 2020》』
TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広い小説を書かれるブログのお友だちです。現在連載中のフィジックス・エンターテイメント『エヴェレットの世界』では、難しい物理学の世界で真実を探るジャーナリストの奮闘を描いていらっしゃいます。
「scriviamo!」には皆勤してくださり、毎回趣向を凝らした名作でご参加くださっています。そして、毎回難しいんだ……。さて今回も名曲にちなんだ作品で、「なごり雪」をテーマにして書いてくださいました。(諸般の事情で、原曲が簡単に連想されないように改稿なさっています)で、私も雪にちなんだ名曲がいいかな……ということで中島美嘉の『雪の華』を選んでみました。ただし、もう一ひねり。イタリア語のカバー曲をモチーフにしたんですよ。
現実の北イタリアでは、現在こんなことはできないのですけれど、こちらは2020年の春ではないということで、ご理解くださいませ。
【参考】
世界が僕たちに不都合ならば
きみの笑顔がみたいから
その色鮮やかなひと口を -3 -
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Fiore di neve
——Special thanks to Tom-F-san
ふんわりと、よく見えないほど微かな白い粒が、ガラス窓の向こうに舞った。
「あ……」
向かいに座るロメオも窓の外を見やる。湖の半ばに浮かぶサン・ジューリオ島が淡く霞んでいく。
「降り出したね」
予報では昨夜から降るはずだったが、外れたと思っていた。二人とも傘は持っていないが、このくらいの雪ならホテルまで帰るのに問題はないだろう。
夏には各地からの観光客で賑わうオルタ湖畔にも、この季節にはほとんど外国人の姿は見られない。珠理とロメオは、ミラノの喧噪から逃げだして穏やかな週末を過ごしていた。
なごり雪……。珠理は、それに類するイタリア語はあったかしらと考えた。
小さなカフェテリアで、二人はホットチョコレートの湯氣を挟んで座っていた。チョコレートをまるごと溶かしたような濃厚な飲み物を初めて見たとき、珠理は飲み終えられるのか不安になったが、いつの間にか冬になくてはならない風物詩になった。この飲み物もそろそろ季節はずれになる。
店内には有線放送がかかっていて、一つの歌が終わったところだった。続けて流れてきたのは聞き覚えのある曲だ。イタリアンポップスでありながら、日本を思い出させる曲でもある。
曲名は『Fiore di neve』。歌っているのはSonohraというグループ名の兄弟だが、中島美嘉の『雪の華』のカバーなのだ。
ウインドウの向こうに舞っている雪片に合わせてかけたのではないだろうが、三月も半ば過ぎに雪の舞を眺めながらこれを聴くのは不思議な心地がする。
僕の腕の中で、君は花、雪の華のようだった
(Sonohra『Fiore di neve』より)
おなじ「雪の華」について歌っていても、原曲と違ってこの歌は終わってしまった過去の愛について語りかける。
イタリア語の言葉の選び方は日本語のそれとは違う。愛するという感情、言葉にするまでに胸の中で反芻する想いも、もしかしたら珠理の慣れているやり方とは違うのかもしれない。
僕らは魂の両輪、鷲の両翼、雪の涙だった。僕らは海の稲妻、二粒のアフリカの真珠、二滴の琥珀だった。僕らは剣のように四本の腕を絡ませた太陽の下に立つ木だった……
(Sonohra『Fiore di neve』より)
少なくともロメオは、もう少し珠理にとって心地のいい、すなわち、もう少し日常生活に近い言葉を使う人だ。そのことを珠理は強く感じた。
珠理は、ミラノに住んでいる。ロッコ・ソヴィーノ照明事務所でデザイナーとして働き始めて五年が経っていた。その前にいたドイツでも、そして、ソヴィーノの下で働き始めてからも、決して順調にキャリアを積んだとは言えなかったけれど、なんとかこの地に根を下ろし始めていると感じている。
そう思えるようになったのは、ロメオがいてくれたからだ。イタリア人男性のイメージからはかけ離れている無口な彼だが、とても細やかに敬意をもって彼女を愛してくれる。珠理はかつて恋人だったオットーの、言動の一致しない不実な態度に傷つき恋愛関係を築くことに絶望していた。その彼女を職業的なコンプレックスも含めてすくい上げてくれたのは、ロメオの口数は少なくとも誠実で芯の通った愛し方だった。
オットーがしょっちゅう投げてよこした愛の言葉は、ティッシュペーパーを丸めたように身がないものだった。だから、珠理は愛情表現と愛情は比例しないし、たとえ自分の中に確かな想いがあってもそれを表現することが必要だと思えなかった。
けれど、口数が少ないのと、何も伝えないのは違う。珠理は、ロメオからそれを習った。
夢破れてイタリアを去った珠理を、ロメオは日本まで追いかけてきてくれた。控えめで無口な彼が、行動だけで伝えてくれた大きなメッセージ。それは、何億もの言葉に勝った。一緒に朝食をとるだけの仲だった二人が、人生のパートナーという別の次元へ移るきっかけとなった出来事だ。
彼は、それからも空虚な言葉を並べるようなことは決してしなかったけれど、静かに、でも確実に、珠理を大切に思っていることを表現した。言葉ではなくて態度で示すことの方が多かったけれど、その一つ一つが珠理にとっては、命の宿った本当の花のようだった。朝露の中で輝く薔薇のように。それとも真冬に艶やかに花開く椿のように。初夏の訪れに身を震わす花水木のように。
口にしなければ、身をもって示さなければ、決して伝わらない想いを珠理は少しずつ表現するようになった。それは、彼女がこだわり続けてきた色の重なり、ほんのわずかの違いで表現する色の競演にとても似ていた。絵の具で色を重ねれば、濃くなりやがて黒くなってしまう。けれども、光は重ねれば重ねるほどに明るくなり、やがて白く昇華されていく。この雪片のように。お互いに重ねた愛情が、優しく明るさを増し、やがて純白になるのだ。その考え方は、珠理をとても幸福にした。
はじめて『Fiore di neve』を聴いて違和感を感じたのは、甘い言葉にむしろ傷つけられていた時期だったからだ。だから彼女は歌詞を素直に受け入れることができなかった。舞台の台詞のように、心とは裏腹の演じられた文言に感じられたのだ。
けれども、いま耳にする同じ歌をあの頃よりもずっと心地よく感じるのは、寡黙で温かいロメオから贈られた愛情のお陰だ。一つ一つの小さな愛の光線が重なり白く輝いていることを確信できるようになって、珠理は慣れなかった言葉の花束に、素直に耳を傾けられるようになったのだ。
その一方で、原曲に歌われている素朴な幸福は、向かい合う二人の間にあるホットチョコレートの湯氣のようだ。掴むことは難しいけれど、そこに確実に存在している。温かく懐かしい。こうして眺める雪片は、なんと美しく優しいものなんだろう。
舞う優しい雪片を眺めながら、何か大切なことを忘れているように思った。この温もりの向こうに、ガラスで隔てられた寒空に何かを置き忘れている。嗚咽を堪えているような、喉に何かが引っかかっているような感覚がする。それはとても遠くて、何がそんな感覚を引き起こすのか、珠理はどうしても思い出せなかった。
「雪に、インスピレーションを刺激された?」
その声に前を見ると、ロメオが優しく笑っていた。それで珠理は、またやってしまったのかと思った。何かを考えていると、つい他のことを忘れてしまうのだ。
「ごめんなさい。この曲や、色の重なりのことを考えていたの」
ロメオは頷いた。
雪が少し小降りになったので、二人はホテルに戻ることにした。カフェテリアを出る時に、彼がガラス戸を引いて珠理を通してくれながら話を続けた。
「考えていたのは、前に話してくれた、千年前の服のルールのこと?」
それを聴いて、珠理は驚いた。いつだったか平安時代の襲のことをロメオに説明したのだが、それを憶えていてくれたとは夢にも思わなかった。
「ロメオ、すごいわ。襲の話は、一度しかしなかったわよね」
「うん。でも、君が図鑑で見せてくれたその色の組み合わせ、とても印象に残っているんだ。自然の言葉との組み合わせや、僕たちの慣れている色使いと違う感覚に、君の色使いの原点を見たように感じたから」
そういえば。珠理は脱いでいるコートを見た。ほとんど白に近い薄ベージュに純白の雪の結晶がふんわりと舞い落ちる。
「これは……『雪の襲』だわ」
ロメオは首を傾げた。
「うん。雪だね……?」
「ごめんなさい。わかりにくいわよね。白と白を重ねる組み合わせのことを『雪の襲』または『氷の襲』って言うの。平安時代に書かれた長編小説『源氏物語』の中で、我が子の将来を思って別れることになった母親が、悲しみの中でこの組み合わせの衣装を纏っていた印象的なシーンもあるのよ」
「白と白の組み合わせ?」
ロメオは少し驚いたようだった。彼の感覚ではそれは「色の組み合わせ」とは言わないのだろう。単なる同色だから。白だけを纏うのは、イタリア人の彼にとってはおそらくローマ教皇の装いだ。冬や高潔さを伴う母の悲しみとは無縁だろう。親しんできた文化の違いは時に違う感覚を生み出す。
珠理は、その時ようやく思い出した。色の襲について、こんな風に隣で話を聞いてくれた故郷の青年のことを。あれもまた春、この季節だった。呼び戻せずにもどかしい思いをした記憶が、屏風が開いていくように、鮮やかに珠理の前に現れた。
「雨宮くん……。『紅梅匂』の襲……。雪降る駅……」
何かを告げたがっていた青年の瞳が蘇る。ドイツへの移住を相談したときの彼の答え。いつも優しかった友人が、不意に見せた苛立ち。あれは……なんだったのだろう。
「わからないよ、僕には。どうして、ここではだめなのか。言葉も生活も、なにもかも違うのに、どうしてそんな遠い国に行くのか……」
彼の言葉が心に鮮やかに蘇る。
珠理は、その青年との思い出をロメオに説明した。
「そんなことを軽々しく相談されても、困らせるだけよね。申し訳のないことをしたわ」
ロメオは微かに笑って首を振った。
「違うと思うよ、それは」
「違うって?」
「彼は、ただ君に遠くへ行って欲しくなかったんだ、きっと。あの時の僕と同じに」
珠理は驚いて彼を見た。雨宮君が? そんなこと、あるだろうか。大学の研究室でいつも一緒にいたのに、彼はそんな素振りを全く見せなかった。
それから、彼の瞳の光を思い出した。珠理が自然の魅せる色の妙に我を忘れてしまった時、彼はいつも珠理を待ってくれていた。我に返り横を見ると、彼は珠理を見ていた。瞳に光を宿して。
瞳は心を映す窓だ。……それをのぞき込む用意のある者には。あの日、珠理は彼の語らなかった言葉を読み取ることができなかった。今、ロメオの瞳を見つめて彼の想いを理解し、彼の温かい掌に彼女のそれを重ねられるようには。
彼は、あれからどんな時間を過ごしたのだろうか。彼の心の言葉に応えることのできる誰かと出会い、幸せになったであろうか。そうであって欲しいと、心から願った。
オルタ・サンジュリオ街の石畳に雪片が舞降り、静かに消えていく。積もることなく、冬は去っていくようだった。
(初出:2020年3月 書き下ろし)
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【小説】青の彼方
「scriviamo! 2020」の第九弾です。山西 左紀さんは、掌編で再びご参加くださいました。ありがとうございます!
左紀さんの書いてくださった「青の向こう」
今年二作目として書いてくださったのは「太陽風シンドローム」シリーズの新作で、「補陀落渡海」をモデルにした空想世界のお話のようです。
日本、もしくは関西では常識なのかもしれませんが、無知な私は「補陀落渡海」を知りませんでした。なんとこんな風習があったのですね。即身仏のことは知っていましたが、船で渡っていくんだ……。
さて。お返しの作品ですが、サキさんの作品を先に読んでくださることを前提に書きました。そして、サキさんの書き方、「詳しくは想像にお任せします」も踏襲しています。あ、「補陀落渡海」だと思って読むと「不可能」で終わってしまいますので、現実の地理での整合性確認(たとえば和歌山県からの出航などの限定)は、しない方がいいと思います。更にいうと、サキさんの作品の続きかどうかも、はっきりしていません。全然関係のない作品として読んでいただいてもOKです。案の定、オチもありません。
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青の彼方
——Special thanks to Yamanishi Saki-san
サゴヤシの林を抜けて海岸へたどり着くと、強烈な光で一瞬目が見えなくなったように感じる。
アンジンは、海の彼方を眺めた。砂浜の上の白い波頭をアクセントにした透明な水が、やがて淡い緑色になり、それから濃く冷たい濃紺になり紺碧の大空と繋がる。押し寄せては消え去る波と、時おり訪れる海鳥以外は、何一つ変わらぬ光景だった。
空に雲が現れると、やがてやってくる灰色の世界と嵐の予兆になるが、今日の所はその兆しもなかった。
アンジンは、自分の所有するサゴヤシ十数本をゆっくりと確認した。半年前に亡くなった【おじい】から相続したこれらの木は、一人で生きていかなくてはならない彼女にとって生命線と言っても過言でなかった。
アンジンは村の鼻つまみ者だ。若くもないし、美人でもない。身よりもなく【おじい】の身の回りの世話をする代わりに、寝食を恵んでもらって生き延びてきた。名前も「どこから来たのか得体の知れぬ犬」と誰かが毒づいたなごりでアンジンと呼ばれるが、産んでくれた母親がなんと名付けてくれたか、誰も知らない。
サゴヤシを倒して収穫する時には、急いで参加し、根氣のいる濾過作業を買ってでては、持ち主にわずかなデンプンを分けてもらう。ゴマすりが上手だと蔑まれても、生きていくためには仕方ない。魚を捕まえて売ったり、サゴヤシ葉の繊維を織ってスカートや網を作り果物と交換してもらうこともある。
みなし児は、この島では珍しい。いくつかの大きな集落に分かれているとはいえ、元を辿ればみな親戚のようなものだ。あちらの子はうちの従姉妹の子、隣の娘は母方の伯父と繋がりがある、そういった具合にたとえ両親が一度に亡くなったとしても、必ずどこかの家庭が引き取って身内として育ててくれる習わしだ。だがアンジンは本当にこの島に一人の身寄りも居ない存在だった。
彼女は、両親と共に海の彼方から舟に乗ってたどり着いたそうだ。どこから来たのか知るものはない。両親はそれを語ることのないままこの世を去っており、赤ん坊の彼女だけが残されていた。だから、もちろん彼女も自分がどこから来たのか、両親がどのような言葉を話していたかも知らない。村で一番の偏屈者で嫌われていた【おじい】が引き取ってくれなかったらそのまま死んでいたはずだ。
ケチで見栄っ張りな嫌われ者が、みなし児を引き取ることに、何か裏があるだろうと皆が陰口をきいた。おそらく赤ん坊を包んでいる珍しい布が欲しいのだろうと。この島では布を作ることはできないが、近隣の島との交易を通して裕福な家庭は布を所有し、主に壁に掛けていた。様々な色や柄があったが、黄色い布だけは手に入らないと言われていた。アンジンは、その黄色い布に包まれて発見されたのだ。
【おじい】は、まったく親切なところはなく、彼女を徹底的にこき使った。少なくとも立って歩けるようになるまで、村の女たちにお前の世話をさせたのだからありがたいと思え、いつもそんな言い方をした。【おじい】が亡くなった時、アンジンがそれを悲しいと思うことはなかった。村の女たちは、淡々と小屋を片付けるアンジンを見て「恩知らず」と聞こえるように噂をした。
そうは見えなくとも、本当のところ、アンジンはひどく不安だった。【おじい】の後継者としてサゴヤシや小屋を相続できなければ、今後どうやって生きていけばいいか皆目わからなかったからだ。幸い集落には【おじい】と近い親族は一人もおらず、かなり離れた集落に遠い親戚がいるだけだった。【おじい】のサゴヤシは大して多くない上にその親戚のサゴヤシ林からあまりにも離れていたため、彼らはアンジンが相続人となることに異を唱えなかった。
この島では、他の人たちと同じやり方を踏襲する他に生きる手立てがない。サゴヤシを倒し、デンプンを漉し、果物を集め、魚を獲り、家の屋根を葺くことから、サゴヤシのスカートや釣り針を作ることまで全て集落のやり方に沿って行う。ルールに反して追放されれば、飢え死にするだけだ。
アンジンの両親たちは、そんな世界とはかけ離れた世界から来たのだろう。浜辺に打ち上げられていた舟も、アンジンが包まれていた黄色い布も、この島で作ることはできない材質で作られていたという。
彼女は、なぜ両親は美しい布を買うことのできるけっこうな生活を捨てて、こんな何もない島へと向かったのだろうと考えた。もし、その故郷に行くことができたら、そして、そこで大金持ちの跡継ぎとして迎えられたら、どんな幸せな人生を送れることだろうと、両親の決定を恨めしく考えたりもした。
砂浜をカニがにじっていた。アンジンは駆け寄ると手にしていた木の棒で殴りつけた。砂浜にめり込んだため、カニは一度は難を逃れたが、アンジンは容赦なく何度も叩きつけ、ようやく獲物を掴まえた。殻が割れて中身の飛び出しかけた小さな赤黒いそれを背負った小さな籠に放り込むと、他に似たような獲物がいないか、用心深く見回した。
波打ち際に何か太陽光を反射するものが見える。魚かもしれない。彼女は、急いで駆け寄った。
それは魚ではなかった。けれど、アンジンにとってはもっと心惹かれるものだ。朱色の木棒。自然の木ではなく、艶やかに何かで色を塗ってある。似たような木の破片を【おじい】が持っていた。アンジンの両親が乗っていた舟の一部だったそうだ。
アンジンたちが流れ着いてから三十年近くもここにあったはずはない。彼女は心臓が大きく高鳴るのを感じた。
見回すと海岸のずっと東、岩場しかない湾に茶色い小舟が見えた。アンジンが手にしているのと同じ朱色の木の柱で飾られた内側に大きな男の背丈ほどの長さをした小さな木製船室がある。
岩場にたどり着き、よく見ると、船室の入り口は乱暴な様で壊されていた。慎重に近づき、全く物音がしないのを確認してから、舟の下手まで歩いた。岩場に嵌まっているので動かないが、どこかに固定されている様子はなかった。またのぞき込み誰もいないのもわかった。
舟の中には白っぽい薄く平たいものが何枚も散乱していた。そこには黒く文様が書き込まれている。果物の皮や動物の肉を干したものの残骸が散乱して腐敗しだしている。そのためか、ひどく嫌な臭いがしていた。
けれど、そんなことよりも、アンジンにとって心惹かれるものが目に付いた。鮮やかな黄色い布だ。
彼女は、急いで舟の中に入り込み、黄色い布を掴んだ。この舟がどこから来たのかはわからないが、自分のルーツと関係あるのだろうと思ったのだ。
布を拾い上げてギョッとした。その布の床に触れていた部分の大半が赤黒く染まっていた。血だ。よく見ると、木の壁や天井も含めて、周り中に似たような赤黒いシミが見られた。打ち破られた出入り口といい、この舟の中では、ごく普通の乗り降りだけではない何かが起こったらしい。
アンジンは、急いで舟から出ようとした。その性急な動きで船倉が傾き、ギィィと大きな音がした。波が打ち寄せ、舟は岩場から離れて海に浮いた。四つん這いになったアンジンは、無様に這いながら壊れた戸口を目指した。
舟は、引き返す潮に乗せられて、静かに陸から離れていく。アンジンは声にならない悲鳴を上げながら陸の方を見た。
見ると岩場に誰かが座っている。布でできた服を全身に纏い、頭に黄色い布を巻き付けている小柄な人物だ。男か女かもわからない。アンジンは助けを求めて必死で手元の黄色い布を振った。
岩場に座っていた人物はそれに氣が付いた様子はなかった。ただじっと遠く水平線を見やっていた。遙か北の青く冷たい海の彼方を見つめて微動だにしなかった。
(初出:2020年3月 書き下ろし)
【小説】秋深邂逅
「scriviamo! 2020」の第十弾、そしてラストの作品です。大海彩洋さんは、『オリキャラオフ会@豪華客船』の作品で参加してくださいました。ありがとうございます!
大海彩洋さんの書いてくださった『2019オリキャラオフ会・scrivimo!2020】そして船は行く~方舟のピアニストたち~ 』
大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。いろいろなことに造詣が深いのは、みなさんご存じだと思いますが、今回はピアノとピアノ曲に関する愛をたっぷりと詰め込んで、「何でもあり」の豪華客船に乗せてくださいました。そもそも主要キャラたちが「そんなふうに集まるのは本編ではないでしょ」な状態に大集合しているのですけれど、加えてお友達のブログのそうそうたるメンバーも乗っちゃっている「オリキャラのオフ会」です。
うちのチャラいピアニストもちゃっかり加わってすごいピアノに触らせていただいているようですが、さすがにこのストーリーに直接絡むのは無理だわ……。うちオフ会参加メンバーはほとんど逃げたした後だしなあ……。
というわけで、単純なオマージュ作品を書いてみました。このお返しの方法は、TOM−Fさんの作品には何回かしたことがありますが、彩洋さんへのお返しでは初めてかも?
「船旅」「四人の演奏」「一人の女の過去」あたりを踏襲してあります。歴史的事実と「聊斎志異」に出てくるとある怪異譚もちゃっかり絡めてありますが、加えて私の未公開(黒歴史ともいう)作品由来の嘘八百も混在しています。こちらもオリキャラのオフ会と同じくアトラクタBだということで、ご容赦ください。
読む上では関係ありませんが、使ったメインの四人は、先日のエッセイにちらりと語った「黒歴史で抹殺した神仙もの」のキャラクターたちです。つまりワイヤーワークで空飛ぶ仙人だと思っていただいて結構です。今回用意した通名は、ガーネット、翡翠、アクアマリン、紫水晶の中国名で、これは石好きな彩洋さんへのサービス(笑)
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秋深邂逅
——Special thanks to Oomi Sayo-san
深まる秋の夜空に大きな月が煌々と輝いていた。出立より荒れ狂う波にひどく悩まされた航海で、このように凪いだ宵は初めてである。紅榴は
紅榴と呼ばれるこの弾き手は、揚州出の高官という触れ込みである。まるで少年のように若く、ひどく赤みの強い髪を髷に結っているために露わになっている首がほっそりとしている。文人でありながら武術もなかなかの腕前である。大使と共に第一船に乗る晁衡大人からの推挙状を持っていたため、この船でも破格の扱いを受けている。なぜ本名ではなく紅榴と呼ばれるのか、また、どこで流暢な日本の言葉を身につけたのか、皆が訊いたが笑みを浮かべるのみで多くを語らなかった。
蘇州黄泗浦を出て三日、遣唐使船四艘のうち二艘の姿は見えない。が、渡航が上手くいき阿児奈波に着けば消息も知れよう。
紅榴のつま弾く箜篌の音は、近くを走行するもう一艘に届いているらしい。むせび泣く声がこちらにまで届いてくる。
「おそらく普照どのではないか。鑑真和上を日本にお連れできなかったことを嘆いておられるのだ」
顔を上げると、いつの間に側まで来たのか、翠玉が立っていた。紅榴は、「そうやもしれぬな」と口先だけで笑った。
十九年の長きにわたり、日本で授戒を行うことのできる高僧を探し、苦労を重ねてきた普照にしてみれば、五度の失敗にもかかわらず、日本へ行こうとしてくれた鑑真を置いて日本へ帰らねばならぬことは耐えがたいに違いない。同じ志を持ち共に辛苦を耐えた栄叡は唐で客死し、鑑真和上と共に日本へと向かおうとした弟子の多くも波間に消えていった。ようやくやって来た遣唐使の船に鑑真を乗せることができたというのに、発覚を怖れた大使藤原清河が一行を降ろしてしまったのだ。
「ご存じないのはお氣の毒だが、あれだけ派手に嘆いてくれれば、清河殿は和上を密かにお連れしていることに氣付くまい。大伴様としてはありがたいのではないか」
背の高く深緑の装束に身を固めた男は、持っていた縦長の包みを前に置いて紅榴の横に座った。絹の包みを取り去り現れたのは七弦琴だ。黒く漆塗りが施され金銀や螺鈿で装飾されている。
翠玉と呼ばれるこの男もまた、謎に包まれている。太い眉の下に鋭い光を放つ切れ長の目を持つ剣士で、口髭の下の口元は一文字に結ばれ、長い髪は乱れ一つない。途中でこの船を襲った海賊どもを軽々と撃退したときですら、顔色一つ変えなかった。しかし、武門だけでなく風流にも通じているのか、七弦琴を嗜むらしい。紅榴は、この男と旧知の仲らしく現れた琴に驚きすらも示さなかった。
二人が静かに演奏を繰り広げるところに現れたのは、二人の僧侶である。老いた一人は手に五絃琵琶を手にしている。
「これは海藍どの。あなたも加わっていただけますか」
翠玉は琴を少し引いて、僧の座る場所を作った。
「このような月夜に、ともにつま弾くことができるのは、願ってもないことでございます。仏のご加護ですな。ところで、こちらにおりますのは、私と同室で過ごしております常白殿です。鑑真和上と共に日本に向かわれるのです。紅榴どのの弾いておられた曲のことをお訊きしたいと仰せでしてな」
紅榴は眉を上げて、壮年僧の顔を見た。思い詰めているのか、それとも怖ろしい思い出があるのか、わずかに震えている。
「先ほどそなたが弾いていた曲といえば……」
翠玉は、琴をつま弾いた。紅榴は、音色を絡ませながら答えた。
「……紫娘娘が我らに教えた曲だ」
「紫娘娘!」
常白の顔色は一層悪くなった。
「失礼ですが、あなた方は、どこかでその娘娘にお会いになったのですね」
その僧が震えながら訊くと、老僧海藍までがバチを手に合奏に加わった。
「その通り。そして、今そなたもな」
船倉から誰かが簫笛を奏でながら上がってきた。淡い紫の薄物を纏った女だった。明るい月の光に照らされて、女の白い顔がくっきりと浮かび上がる。この世の者とも到底思えぬ美しさだ。
演奏をしていた三人は、一様に手を止め、笛を吹く女に拱手礼をした。常白だけは、ガタガタと震えながらその場に立ちすくんでいた。
女は吹き終えると緩やかに笛を放し、三人に一人一人深く抱拳揖礼をした。
「海藍上人、翠玉真人、そして、我が師、紅榴元君、お久しゅうございます」
「紫娘娘、頭をお上げください。あなたも、日本へと向かうおつもりとは存じ上げませんでした」
海藍が愉快な声で告げた。
「みなさまがこの船に乗られるのを知り、急ぎはせ参じました。お声がけいただけなかったことを、恨みに思いますわ」
紅榴は箜篌をつま弾いた。
「そなたは泰山にて修行中と聞いた。我らが酔狂、鑑真和上の密航が発覚したときの安全弁の仕事などで邪魔するには忍びなかった」
「まあ。安全弁ですって?」
紫娘娘が大きく目を瞠る。
翠玉が答えた。
「さよう。皇帝は、高僧鑑真を連れていくなら、道教を広めるのため道士も連れて行けと、難題を押しつけたそうだ。それで大使の清河殿は、皇帝からの正式な許可を得るのを諦めた。大伴古麻呂殿は、晁衡大人と謀り、一度降ろされた鑑真和上と弟子たちを密かにこの第二船に乗せた。それにあたり、我らは用心棒かつ役人に捕まった場合の申し開き用の道士として招聘されたというわけだ。ついでに日本の見学もできるしな」
紫娘娘は鈴のような笑い声を上げた。
「でしたら尚更、お誘いくださらなくては。私はみなさまと違いかの
そこまで言ってから、いまにも倒れんばかりに震えて立つ壮年僧を見て、艶やかに微笑んだ。
「私、紫石英と申します。どうぞお見知りおきを。……それとも」
海を一陣の冷たい風が立った。紫娘娘の黒髪と薄絹がゆらりと泳ぎ、それに伴い牡丹の花のような芳香がただよった。
「紫葛巾と名乗った方が、よろしゅうございますか?」
常白は、地面にひれ伏し叫んだ。
「許してくれぇ! 葛巾、許して……頼む、許してくれ……」
紫娘娘は、ひんやりとした眼差しを向けて立っていた。その口元にはうっすらと微笑みすら浮かべている。
常白は、その顔を仰ぎ見る勇氣もないらしい。
「そなたを置いて逃げたのは、申し訳なかった。皇子さまに嫁ぐ予定の貴人と駆け落ちするなど、とんでもないことをしでかしてしまったと、恐ろしくてならなかったのだ」
紅榴がおかしそうに口を開く。
「なるほど。娘娘を盗み出したあげく、破れ屋に置き去りにした日本からの進士受験生というのはこの男だったか」
翠玉が、やはり口元だけで笑いながら琴をかき鳴らした。口を挟むつもりはないようだが、わざわざ唐までやってきた志も果たせず、見捨てた女の怒りを怖れて震える小人に呆れている様子が見て取れた。
「どうか祟らないでくれ。成仏して欲しい。……おん あぼきゃ べいろしゃのう まかぼだら まにはんどま じんばら はらばりたや うん」
固く目を瞑り、真言を唱えて震えている。
海藍上人は、笑いながら常白の肩をトントンと叩いた。
「心配せずとも良い。このお方は怨霊などではない。ここにいる紅榴どのの弟子にて我らが同志でもある。そなたごときに去られたぐらいで、命を落とすほど弱々しき女子ではない」
「ご上人、その言い様はあんまりでございます。あのとき私は悲しみと飢え苦しみで生きる望みを失っておりました。実際に通りかかった師がお救いくださらなければ、あのまま山中で朽ち果てていたはずでございます」
紫石英は、氷を吹くように告げて、ゆっくりとかつての愛しい男に近づいた。
「仏門に入ったのも、私の菩提を弔うためではありませんのでしょう」
「いや……その……」
「鑑真和上は、ご自身で費用を賄われてまで日本行きを決意しておられた」
海藍は、琵琶をかき鳴らす。
「渡航の禁を破ってまでな。……お側にいれば、日本に戻る機会に恵まれる」
紅榴が箜篌で加わり、翠玉も琴をつま弾きながら答えた。
「進士に受からず遣唐使船で大っぴらに帰国できぬ日本人には、唯一の手立てだろうな。元来望んでいなかった剃髪をしても」
常白は、もはやきちんと立っていることもできなくて、紫娘娘から離れようとガタガタと震えながら船室の方へと這っていく。彼が退くと、彼女はゆっくりと歩みを進め、その距離はほとんど変わらない。月がゆっくりと歩むのと同じように、青白く浮かび上がった二人は移動していった。
残った三人は、もう二人を見ることもなく和やかにそれぞれの楽器を構え、再び先ほどの曲を合奏し始めた。
かつて二人が恋人同士であった唯一の満月に、微笑みながら共に奏でた曲が凪いだ海を渡っていく。もう一つの船で嘆く普照の泣き声と、許しを請う不実な常白のわめき声は、共に闇夜に消えていった。
悲鳴と何かが階段を転げ落ちる大きな音がして、こちらの船の不快な声はピタリと止まった。船室の奥で、何事が起きたのかバタバタと駆け寄る音がしているが、紫娘娘は興味を失ったかのごとく身を翻し、合奏する三人の元へと戻ってきた。
三人とも手は休めずに、女の方を見やった。紫娘娘は、ほんのわずかの微笑みを口に浮かべたが、何も言わずに簫笛を構えた。美しい音色が加わり、冴え渡る月は輝きを増したようだった。
凪いだ地平線の彼方にわずかに黒い影が見える。鑑真和上が熱望した日本への玄関である阿児奈波は、もうさほど遠くないようだった。
(初出:2020年3月 書き下ろし)
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