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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012

Category:  - 連載小説は古い順に表示されます。小説を最初から読みたい方のための設定です。それ以外は新しい順です。


Posted by 八少女 夕

scriviamo! 2023のお報せ

お知らせです。今から当ブログの年間行事である参加型企画「scriviamo!」を開催します。既にご参加くださったことのある方、今まで様子を見ていた方、どなたでも大歓迎です。また、開催期間中であれば、何度でも参加できます。


scriviamo!


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scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。

私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。この企画、毎年年初に行ってきて、今回で11回目です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。

では、参加要項です。(例年と一緒です)


ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)

  • - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
  • - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
  • - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
  • - イラスト
  • - 写真
  • - エッセイ
  • - Youtubeによる音楽と記事
  • - 普通のテキストによる記事


このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。

記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩(短歌・俳句)」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)

参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。

過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)

また、「プランB」または「プランC」を選ぶこともできます

「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。

「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。

「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)


「プランC」は「何でもいいといわれると、何を書いていいかわからない」という方のための「課題方式」です。

以下の課題に沿ったものを150字から5000字の範囲で書いてください。また、イラストやマンガでの表現もOKです。
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
 メインキャラ or 脇役かは不問
 キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「冬」
*建築物を1つ以上登場させる
*「大切な存在」(人・動物・趣味など何でもOK)に関する記述を1つ以上登場させる

(注・私のキャラなどが出てくる必要はありません)



期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2023年2月28日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも1月31日(火)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。

皆様のご参加を心よりお待ちしています。



【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから1週間ほどお時間をいただきます。

小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。

ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合はおよそ3,000字~10,000字で返させていただきますのでご了承ください。

当ブログには未成年の方もいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。

他の企画との同時参加も可能です。その場合は、それぞれの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。当ブログのの締め切っていない別の企画(神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の(ブログ等)企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません。ただし、過去の「scriviamo!」参加作品は不可です)

なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

read more



締め切り日を過ぎましたので、「scriviamo! 2023」への参加申し込みを停止させていただきます。この記事へのコメント書き込みはできませんが、すでに参加表明していらっしゃる方のご連絡は、他の記事のコメ欄をお使いくださいませ。
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Category : scriviamo! 2023

Posted by 八少女 夕

【小説】再告白計画、またはさらなるカオス

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第1弾です。ダメ子さんは、今年もプランBでご参加くださいました。ありがとうございます! プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。お返しを考える時間も必要でしょうから、とりあえず早急にアップさせていただきました。

ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

さて、「scriviamo!」では恒例化している『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ、もともとはダメ子さんのところに出てくる、「チャラくんにチョコレートを渡せない後輩ちゃん」をネタに書かせていただいたものです。後輩ちゃんを勝手に名付けてしまったアーちゃんだけでなく、付き添いで勝手に出したつーちゃんまでも、いつの間にかダメ子さんの「ダメ鬱」のキャラクターに昇格させていただいています。

最近、つーちゃん&ムツリくんの方に関心が向かいがちなので、強引にアーちゃんの恋路に話題を戻そうとしましたが、なんだかもっとカオスになってしまいました。あはははは。


【参考】
私が書いた『今年こそは~バレンタイン大作戦』
ダメ子さんの描いてくださった『チョコレート』
ダメ子さんの描いてくださった『バレンタイン翌日』
私が書いた『恋のゆくえは大混戦』
ダメ子さんの「四角関係』
私が書いた『悩めるつーちゃん』
ダメ子さんの『お返し』
私が書いた『合同デート』
私が書いた『つーちゃん、プレゼントに悩む』
ダメ子さんの『お返しのお返し』
私が書いた『やっかいなことになる予感』
ダメ子さんの『疑惑』

私の作品は以下のリンクからまとめ読みできます。
『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ

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再告白計画、またはさらなるカオス - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 びっくりした。どこかに行ったかと思ったら、帰ってきたアーちゃんが、とんでもないことを言い出すんだもの。

「ねえ、つーちゃん。もしかして、ムツリ先輩に強引に迫られちゃったの?」

 私は一瞬絶句。氣を取り直してこういうのが精一杯だった。
「何わけのわからないこといっているの? そんなわけないでしょ」

「でも、つーちゃん、ずっとため息ついているよ。何かあったのかなって」
そう言われて、ドキッとした。私、ため息なんてついていたっけ。

「そ、そうかな? それに、どこからムツリ先輩……?」
ダメだこりゃ。我ながら狼狽えすぎ。これじゃ、誤解されてもしかたないかも。アーちゃんは、ますます疑い深い顔になっている。違うってば。

 そもそも「モテ先輩の彼女になるためにチャラ先輩を使って暗躍している」という噂が広まって、アーちゃんが女の先輩たちに睨まれている件をなんとかしようとして、ムツリ先輩に相談をしたかったんじゃないのよ。すっかり忘れてた。

 だって、ムツリ先輩、あの大人っぽい女の人と特別な関係みたいだったし。いや、だから、私にはまったく関係のないことだけど。

 私のことなんか、どうでもいいのよ。それよりもアーちゃんの件を何とかしないと。好きなのはモテ先輩じゃなくて、チャラ先輩だって、女の先輩方に認識してもらわないとこれから面倒だよ。

 そう言おうとして、アーちゃんを見ると、なんか様子が違う。妙に嬉しそうだ。目が合うと、はにかんで笑った。
「さっき、チャラ先輩と普通にお話しできちゃった。名前も憶えてもらったし、嬉しいな。つーちゃんが助けてくれたから、ここまで親しくなれたんだもの。私もつーちゃんのために頑張るよ」

 私は、慌てて断った。
「私の推しは日本にはいないから、頑張るのは難しいよ。氣持ちだけで十分。ありがとう」

 こう言われたら、やっぱりアーちゃんのために頑張らなくちゃ。改めて作戦を練らなくちゃ。

「ねえ。アーちゃん。やっぱり、チャラ先輩の誤解をちゃんと解いた方がいいと思うんだ」
そういうと、アーちゃんはぱっと顔を赤らめて言った。

「それは、私もそう思うけど、どうしたらいいかわからないんだもの。来年のバレンタインデーまで待ってもいいかなあ」

 そんな悠長なことを言っていたら、モテ先輩大好きな先輩たちに袋だたきにされちゃうよ。

「1年も待つ必要なんてないよ。なんなら明日にでもまたお菓子作ってきなよ。『作ったので、お裾分けです』とかなんとか言ってさ。そこで『なぜ』って訊かれたら、『バレンタインのチョコもチャラ先輩宛だったんです』って言えるじゃない」

 アーちゃんは、きょとんとしていた。どうやら今の中途半端な仲の良さでも悪くないと思っているらしい。モテ先輩好きの皆さんからの悪評については氣づいていないみたい。とはいえ、私が強引に勧めたので、明日はクッキーを作ってくるみたい。

 というわけで、私はムツリ先輩を探して、再告白のためのお膳立ての協力を仰ぐことにした。やっぱり、教室みたいな目立つところではあがり症のアーちゃんが告白できるわけはないし、目立たないところに連れ出してもらう必要がある。

 またバスケ部にでもいるんだろうと、部室の方に歩いていったら無事にムツリ先輩を発見した。

『先輩。ちょうどいいところに。ちょっとアーちゃんのことでお願いが……」
「俺に? うん、なに?」

「このままじゃ、アーちゃん、モテ先輩のファンの先輩たちに睨まれてバスケ部でも立場が悪くなりそうですよね。だから、この辺で再告白させて、話をすっきりさせようかと」

「あー、なるほどね」
「で、明日、彼女がクッキーを焼いてくるってことにしたんですけれど、先輩を目立たないところに引っ張ってきてくれないかと……」
「あ。そういうことか。明日の放課後?」

「なになに、仲良く相談? 聞こえちゃったぞ」
その声にぎょっとして振り向くと、なんと当のチャラ先輩が後ろにいた。いつの間に。忍者か。

「えっと。つまり、その……」
慌てる私に、チャラ先輩は「みなまで言うな」という顔で続けた。

「それは、俺もいい案だと思うよ。もう1度モテの野郎にはっきりと告白するってのはさ。でも、俺たち男が告白場所まで行けと言っても、あいつ、簡単には行かなそうだろ。ちょっと策を練らないとなぁ。あ、思いついたぞ!」

 そう言うと、チャラ先輩は校門に向かって歩いている1人の先輩を呼び止めた。
「おーい。いいところに、なあ、ちょっと!」

 その人はおかっぱ頭の小柄な女性だ。たしかムツリ先輩と同じクラスだったような。

「まずい。チャラが暴走している」
ムツリ先輩が困ったように、チャラ先輩の後を追ったので、私もついていった。チャラ先輩は帰宅しようとしているその先輩と話し始めている。

「なあ。君さ。モテの隣の席じゃん、名前、なんだっけ、えーと」
「多迷さんだろ」
ムツリ先輩が小さな声で指摘する。

「そうそう。あのさ。明日の夕礼の直前にさ、モテにメモを渡してくれないかな。あいつに告白したい子がいるんだよ。俺たちが言っても素直には来てくれないと思うけど、普段、関わりの少ない多迷さんからメモをもらったら、モテもつべこべ言わずに来てくれると思うんだ」

 多迷先輩は、先ほどからなんだか慌てた様子で、ほとんどはっきりとした返答を返していない。アーちゃんとは違うタイプだけれど、コミュニケーションが上手ではなさそう。

 私とムツリ先輩は、無言でうなずき合った。こうなったら、この状況を利用させてもらおう。

 あとで、この多迷先輩に事情を説明して、そのメモはモテ先輩には渡さないようにしてもらおう。そして、ムツリ先輩には、告白を遠くで見守ると称してチャラ先輩をここに連れてきてもらい、ここでアーちゃんに告白させる。うん。それでいこう。

 多迷先輩は、チャラ先輩に押し切られて何かモゴモゴ言っている。大丈夫、その役目、やらずに済むから。

 そんなやり取りをしている時に、また別の先輩が通りかかった。わりと明るめの髪をしたこの人は、知ってる。たしか愛瀬ミエ先輩。前、モテ先輩とつきあっているって噂になっていたような……。

「ダメ子っちじゃん。楽しそうに、なにしているの? 私も混ぜて」
「お。君も協力したい? 実は、俺たちの後輩の子がさ。明日モテのやつに告白するのを多迷くんに協力してもらうことになったんだよ」

「おい、チャラ……その子さ、たしか……」
ムツリ先輩も、噂は知っていたみたいだけど、チャラ先輩は知らないのかな? あらあら、多迷先輩も焦っているし、愛瀬先輩はその多迷先輩を見て涙目になっているみたい。

 ああ、ちゃちゃっと告白し直しで話がおさまるかと思いきや、また別のカオスが起き始めているかも。明日が思いやられるよ。

(初出:2023年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】黒猫タンゴの願い

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第2弾です。

かじぺたさんは、別ブログの記事で参加してくださいました。ありがとうございます!


かじぺたさんの書いてくださった記事 『2023年1月10日の夢』

かじぺたさんは、旅のこと、日々のご飯のこと、ご家族のことなどを、楽しいエピソードを綴るブロガーさんで、その好奇心のおう盛な上、そして何事にも全力投球で望まれる方です。いつも更新していらっしゃる2つのブログはよく訪問しているのですが、美味しそうなごはん、仲良しなご家族の様子、お友だちとの交流、すてきなDIYなどなど、すごいなあと感心しています。ご自分やご家族のお怪我やご病気の時にもまったく手抜きをなさらない姿勢にいつも爪の垢を煎じて飲みたいと思うのですが、思うだけできっと真似は出来ないでしょう。

そのかじぺたさんが去年はとてもおつらそうで悲しかったのですが、5年前に愛犬のエドさまをなくされた上、去年のこの時期にアーサーくんも虹の橋を渡ってしまわれたのですよね。

じつは、今回のお返しには、このエドさまとアーサーくんをイメージした2匹のコーギー犬をお借りして登場させています。2017年の「scriviamo!」でのお返し作品に出したうちのキャラと少しだけ縁がありそうな記事を書いてくださったので、そのままその世界観を踏襲して作りました。かじぺたさん、内容に少しでもお氣を悪くなさったら書き直しますのでおっしゃってくださいね。

なお、今回のストーリーは、先にかじぺたさんの記事を読まれることを推奨いたします。そうしないと意味不明かも……。


【参考】
今回のストーリーで触れられている『黒色同盟』と『黒い折り鶴事件』については、ここで読めます。読まなくても大丈夫なように書いてはありますが……。
『黒色同盟、ついに立ち上がる』

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黒猫タンゴの願い
——Special thanks to Kajipeta san


 黒蜘蛛のブラック・ウィドー、そして黒鳥のオディールは眉間に皺を寄せてひそひそと話をしていた。といっても2人、いや2匹とも全身完膚なきまでに黒いので、寄せた皺が定着してしまうのではないかと心配する必要はない。このストーリーの本題とはまったく関係のないことだが、レディたちにとってこれ以上に重要なことはない。

 額の皺の次に2匹の心配の種となっているのが、黒猫のタンゴである。3匹とも『黒色同盟』の初期からのメンバーで、種の違いを超えた絆がある。例えばオディールはそこらへんの湖に浮かぶ白鳥には挨拶を返す程度の親しさしか持たないが、ブラック・ウィドーとは徹夜で恋バナをすることもある。

 『黒色同盟』というのは、体色が黒い動物たちの互助組合のようなもので主に「黒いからといって排除されたり嫌われたりする理不尽について」定例会議を行い、事例の共有と対策を話し合っている。

 さて、タンゴである。タンゴは誇り高き黒猫だ。真っ黒のつややかな毛並みが自慢。もちろん前足や後足などに白足袋を履いているような中途半端な黒さではなく、中世のヨーロッパにでもいたら真っ先に魔女裁判で薪の上に置かれたような完全な黒さだ。

 子供の頃に、飼い主の車の前を横切ったら、その午後に飼い主が一旦停止違反でその月に何度目かの違反切符をくらいそのまま免停になってしまったという理由で里子に出された。新しい飼い主が密かに猫虐待を趣味としていることがわかったので、人間界に見切りをつけて自立し、それ以来、野良猫としてこの街に暮らしている。

 みかんと温泉などで有名な、比較的温暖な県に暮らしているので冬の野宿も何とかなった。また、漁港も近いので干し魚などをちょろまかす機会にも恵まれた。追いかけてくる人間に追いつかれないようによく走るので運動不足とも無縁。飼い猫だった頃よりもずっと健康的に暮らしていると、淡々と語っていた。

 そのタンゴが、塞ぎ込んでいる。

 『黒色同盟』の定例会議に出てこなかったので、心配して探しにいくと、宝物であり唯一の財産ともいえるアジの干物を抱えてメソメソと泣いていたのだ。

「なに、いったいどうしたの?」
オディールが訊くと、小さな声でタンゴは答えた。
「鯛、ブリ、牡蠣、焼き肉……」

 オディールと、ブラック・ウィドーは顔を見合わせてから笑った。
「何よぅ。食い意地張って、寝ぼけているだけ?!」
「もう。起きてよ!」

 するとタンゴはキッとなっていった。
「寝ぼけてなんかいないよ。寝ていないもん」

「じゃあ、どうしたっていうのよ」
オディールが訊くと、タンゴは再びメソメソしながら言った。

「暖かいお家で、焼き肉&お刺身パーティーしていたんだよう。コタツもあるんだよう。僕も中に入れてもらって、パーティーに加わりたいって思ったんだけど、夜には僕って目立たないじゃないか。だから、氣づいてもらえなかったんだ」

 ブラック・ウィドーは「ふん」と鼻を鳴らした。
「大人しく、玄関の前で待っていたって、開けてくれる人間なんかいないのは百も承知でしょ。勝手に入り込むのよ」

 オディールは異議を唱えた。
「あんたのサイズなら、それも可能だろうけど、タンゴが入り込んだらバレて追い出されるに決まっているじゃない。そりゃ刺身のひと切れをくすねるくらいはいけるかもしれないけど、コタツで丸くなるのは無理でしょ」

 タンゴはさらにメソメソした。
「そうなんだ。あの家は動物に優しいんだけど、でも、さすがに不法侵入者にコタツを提供するわけはないよ」

「さっきから、具体的な家のことを言っているみたいだけど、どこの家なのよ」
オディールが優しく訊いた。

「あの家だよ。ほら、『黒い折り鶴事件』の家」
タンゴがしょんぼりと答えた。

「あら。あの家ねぇ」
ブラック・ウィドーも「なるほど」と頷いた。『黒い折り鶴事件』とは、以前に『黒色同盟』が抗議行動をしようと押しかけた家である。きっかけはタンゴが通りかかって、「たくさんの折り鶴から黒い鶴だけ排除しようとしている、また差別だ」と早とちりしたからなのだが、結局黒い折り鶴は「かわいい」と飾ってもらえるという厚遇を得ていることがわかり、『黒色同盟』が喜びでお祭り騒ぎになったのだ。

「あの家なら、2匹のコーギーがいたはずでしょ。彼らに手引きしてもらえないの?」
オディールが首をひねった。

「2匹とも、虹の橋の向こうに引っ越したんだ」
「ええっ、いつ?」
2匹とも知らなかったので大層驚いた。

「えーっと、5年前と去年。どっちも今ごろだったっけ……あれ?」
タンゴが顔を上げて考え込んだ。

「どうしたっていうのよ」
オディールは羽をばたつかせた。

「うん。そういえば年上の方、たしか今日が祥月命日だ。来ているかも」

 虹の橋の向こうに引っ越した動物たちは、お盆、お彼岸、キリスト教圏だと11月の死者の日、それに祥月命日には休暇をもらい、こちらに遊びに来ることが多い。残念ながらヒトには見えないことが多いのだが、動物たちは普通に会うし、会話を交わすこともある。

「あの家なら、来ているんじゃない? 行ってみたら?」
2匹に後押しされて、タンゴは『黒い折り鶴事件』の家に足を運んだ。

 見るとコーギーはしっかり来ていた。命日ではないがもう1匹も仲良く休暇を取って遊びに来たらしかった。久しぶりの我が家で楽しく寛ぎ、飼い主たちに甘えまくっているようだ。

 ガラス戸の外からタンゴがじっと眺めると、氣づいた年上のコーギーが近づいてきた。
「どうした、黒猫の坊や。ひさしぶりだな」

「ぼ、僕、相談があって……。今日なら、ここに来ているかもって思ったから」
「ほう。言ってごらん? 見ての通り、ヒトにはあまり氣づいてもらえないから、出来ることは限られているけどね」
その言葉を聴いて、もう1匹も面白そうだと近づいてきた。

 タンゴは、彼の問題を話した。年末に美味しそうなパーティーを見て、入れてもらいたいとここに座っていたこと。でも、真っ黒で氣づいてもらえなかったこと。ペットだったときに邪険にされてばかりいたので、どうやってヒトに仲良くしてもらえるか知らないことなどだ。

「そうか。君はここの家の家族になりたいのかい?」
「そこまでは望んでいないけど、格別寒い夜には、入れてもらえたらいいなとか、刺身の端っことか、まだ肉のついている骨を分けてくれたら嬉しいなとか。あと、たまには、なでなでも……」

「ああ、ああいうの、いいよねぇ」
若いコーギーはうっとりと同意した。

 年上のコーギーは、ふむと頷いた。
「なるほどねぇ。僕たちがこっちに住んでいたときなら、連れて行って紹介も出来たけれど、いまだとそれは難しいな」
「そ、そうですよね」

「僕たち、ときどきやるけどね。勝手に入り込んで食べたり、寛いだり」
若いコーギーが言うと、年上コーギーが言った。
「それは無理だろ。この坊やは、まだこっちの世界の住人だ。夢の中に自由に移動なんて……あ、まてよ!」

 年上コーギーは何か思いついたようだった。若いコーギーは尻尾を振って期待の瞳を向ける。タンゴもじっと年上コーギーの言葉を待った。

 年上コーギーは、しばらく何かをシミュレーションしていたようだったが、やがて満足げに頷くと重々しく言った。
「彼女の夢にしよう。幸いモノトーンの猫たちの思い出がたくさんあるからね」

「というと?」
タンゴは訊いた。

「僕たちや虹の橋の向こうに住んでいる仲間が、こっちに里帰りをしてもヒトには見えないことが多いんだけれど、夢の中ではお互いに見えるし、会話をすることも可能なんだよ」

 年上コーギーがそう言うと、若いコーギーが口をはさんだ。
「でも、ヒト、起きるとすぐに忘れちゃうじゃないか」

 タンゴはそうなのかと少しガッカリした。それを慰めるように年上コーギーは微笑んだ。
「だから、メインのメッセージがよく伝わるように、もしくは、多少違った風に記憶されても、後の現実世界で起こったときに氣づきやすいような印象を残すことが大切なんだよ」

「へえ。どうするの、どうするの?」
若いコーギーは尻尾を振って、年上コーギーとタンゴの周りをグルグルと周った。

「彼女の昔の友達たちに協力してもらうのさ。黒っぽい猫たちに、次々と家の中に入っていってもらう。そうすると、彼女の印象の中には『黒い猫の友達を、家に上げるのも悪くない』ってメッセージが残るだろう? そして、次に君がここに来たときに、そのメッセージがぼんやりからはっきりに切り替わるんだ」

 タンゴは、年上コーギーを尊敬の目で見上げた。若いコーギーは尻尾を振ったまま訊いた。
「その夢、僕たちも一緒に行く?」

「いや、その夢には入っていかない方がいいな。僕たちが行くと、メッセージが正しく伝わらないだろう? 『コーギーを家に上げるのが悪くない』は夢で伝えなくてもわかっているし、僕たちが加わったらそもそも『会いたいよ』って意味だと印象に残ってしまうからね。僕たちは、別の日にあらためて逢いに行こう」

 若いコーギーは頷いた。タンゴは、親切なコーギーたちにお礼を言って、またねぐらに戻っていった。

 夢でのメッセージが上手く伝わったら、いつかタンゴも魚のあらを食べさせてもらったり、コタツ布団の上で休ませてもらったりする日も来るかもしれない。

 そう考えるだけで、1月だというのに春が近づいてきたかのようにポカポカとした心地になってきた。今日はあの親切なコーギーたちのために福寿草の花と、お宝のアジの干物を供えようと思った。

(初出:2023年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】童の家渡り

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第3弾です。

かじぺたさんは、引き続きもう1つの記事でも参加してくださいました。ありがとうございます!


かじぺたさんの書いてくださった記事 「波乱万丈の年末年始R4→R5しょの6『かじぺたは2度まろぶ』」

参加していただいた記事は、実際に起こった事件についてなのですが……。実はかじぺたさんは、この年末、大変なお怪我をなさっていたのでした。そして、そんな状態でも、まったく休まずに年末年始を働きづめで過ごされていらっしゃるんですよ! 水槽の水替えって、どういうことですか?! 私なら、全て放棄して寝ていますよ〜。とにかく引き続きお大事に。

さて、お返しですが、前回同様、かじぺたさんお宅風の『黒い折り鶴事件の家』で作ってもよかったのですが、ちょっと趣向を変えて江戸時代の宿場町を舞台に江戸ファンタジー(なのか?)を書いてみました。かじぺたさんのお怪我が「禍転じて福となる」ことを祈りながら。ブログ上のおつきあいですのでお名前などは、もちろん存じ上げませんので登場人物の名前などはかじぺたさんご本人やご家族とはもちろん関係ありませんのであしからず。

なお、今回のストーリーも、先にかじぺたさんの記事を読まれることを推奨いたします。そうしないと意味不明かも……。


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童の家渡り
——Special thanks to Kajipeta san


 小とよは、なまこ壁が続く通りをとぼとぼと歩いていた。小さな身体ながら彼女は、八福屋に八代にわたり棲みつき、大名屋敷の御用商人になるまで吉祥をもたらしてきた。

 先月新しく当主となった虎左衛門は「座敷童ごときに供え物をするなぞ勿体ない」と言いだして、塩せんべいの代わりにネズミ捕り餅を置いたので、しばらく屋敷を出ることにした。

 座敷童が自ら玄関を出ていくと、よろしくないことが起こるのが常だ。

 小とよが、玄関を跨いで表に出た途端、季節でもないのに庭の五代松に落雷があり、そこから出火した。

 虎左衛門が心を入れ替えて小とよに塩せんべいを供えるつもりになったかどうか、今となっては知りようもない。屋敷がなくなってしまったので、小とよはもう戻れないのだ。

 年の瀬、あと二晩で年が明けるというのに、小とよは宿無し妖怪として通りを彷徨うことになったのだった。

 ここは宿場町として栄えていて、特にこの通りは大きい屋敷が多い。一つ後ろの通りは、染め屋や織り屋など職人たちが小さな家を構えている。立派な武家屋敷からさほど遠くないところに、武家の家人や奉公人たちの家が立ち並ぶ一角もある。

 小とよは、どこにいったらいいのかわからなかった。ある程度の名のある屋敷には既に別の座敷童がいるし、そうでない屋敷には恐ろしい犬や半分猫又になりかけている飼い猫などがいて、入っていく氣にさせない。

 夜も更けて、小とよは宿場を行ったり来たりしながら歩いていた。人通りは絶えて久しくなっていたが、月が真上に来た頃、1人のおなごが武家屋敷の界隈から出てきた。

 服装からみると、武家の内儀のようだ。1人で出歩いているところをみると大名の奥方といった大層な身分ではないのだろう。こんな時間に珍しい。小さな提灯を持っているが、月明かりも十分にある。晩酌でもしたのであろうか、鼻歌などを歌いながら楽しそうに歩いていた。

 と、後ろから蹄の音がして、馬が走ってきた。内儀はそれを避けようと脇に寄ったが、馬は狂ったように走ってきたので間に合いそうもなかった。

「危ない!」
小とよは力の限り、彼女をなまこ壁の方へと押した。その力で均衡を保てなくなった内儀は倒れた。その横を馬はものすごい勢いで駆け抜けていった。

 馬の上には、武家らしき男が乗っていたが、内儀の難儀に目もくれずに立ち去った。お国の一大事で一刻を争うのかもしれぬが、このような振る舞いは天が許さぬぞ。小とよは消えてゆく土ぼこりの向こうを睨んだ。

「これ、ご内儀。いかがなされました」
小とよは、内儀に話しかけたが、その声は届いていないようだった。無理はない。小とよの姿が見えて声が聞こえるのは、通常、数えで七つくらいまでなのだ。

「いたたたた。これはちょっと、ひどくひねってしまったみたいだねぇ……」
内儀は、つらそうに立ち上がると、なまこ壁に掴まりながらもと来た道を戻りはじめた。

 見ると、先ほどまで掲げていた提灯が落ちている。
「あの……、これ……」

 聞こえていないので振り返ることもない。小とよは提灯を手にすると内儀の後ろに続いた。彼女が怪我をしたのは、自分にも関係あることであるし、いずれにせよ他に行く宛てもない。

 ついた家は、大名屋敷ではないが、小さくもない。徒士あたりの武士の家であろう。小とよの考えたとおりだった。

「お梶! いかがしたか」
中から、出てきた壮年の男が、内儀の様子に慌てた。

「ご心配かけて、申しわけございません。急な早馬を避けようとしたところ、なにかに躓いたらしく転んでしまいまして」
お梶は、痛みを堪えて話した。

「いま思い出しましたが、転んだおりに手にしていた提灯を取り落としてしまったようでございます。取りに戻りませんと……火事にでもなったら大変でございますし」

 お梶がいうと、主人は小とよが戸口にそっと置いた提灯に目をやって言った。
「そこにあるそれではないのか」

「おやまあ。まことに。どうしたことかしら」
「そなた、自分で持ってきたのであろう。それも忘れるほど痛いのだな、さあ、入って。手当をせねばな」

 なかなかいい感じの夫婦ではないか。小とよは考えた。主人は偉ぶることもなく内儀をいたわり、お梶の方もあの早馬のひどい仕打ちをなじることもない。相当痛そうではあるが、優しい主人に肩を貸され、無事に奥に戻った。

 入っていいと言われたわけではないが、これまでも許可を得て入った家はなかったことであるし、小とよはそのままその家に上がった。

 玄関の両脇に小さな犬が二頭座って、小とよを眺めているが、二頭共にこの世の者ではないらしく吠えることもなく尻尾を振って小とよを歓迎した。

「このような年の暮れに、ご面倒をおかけしてしまい、もうしわけございません」
お梶の声が聞こえてくる。小とよは、奥の方を目指して歩いた。二頭の犬も、小とよに続いて歩いてきた。

 寝所に座らされたお梶は左足を主人に見せている。刻一刻と腫れがひどくなっている。見ると右の頬まで腫れている。二頭の犬はその足元に駆け寄り、一頭は頬を、一頭は女主人の腫れた足を必死でなめた。

「心配するでない。明日はお真佐が戻るではないか。家のことはあの子がやってくれるであろう」
「でも、せっかくの参勤が終わり戻ってくるのに働かせるのは氣の毒ですわ」

 なるほど。娘も女中勤めでもしているのか、大名とともに江戸から戻ってくるのだな。せっかく揃っての正月だというのに、怪我とは氣の毒に。これは何としてでもこの一家に何やら福を呼び込まねば。

 小とよは、自分にできることはないかと家の中を歩き回った。しかし、童の小とよは宵っ張りには慣れておらず、座敷であっさりと眠り込み、氣がつくと朝を迎えていた。

 目が覚めたのは、勝手口からの声が聞こえたからだ。
「おとと様、おかか様。真佐が戻りました」

 途端に、家の奥からバタバタとした音が聞こえた。
「お真佐、お帰り!」

 目をこすりながら、小とよが座敷を出て、勝手口の方へと歩いていると足を引きずりながら急いで出てきたお梶と正面衝突してしまった。小とよの方は蹲って事なきを得たものの、既に昨夜からの痛みを堪えて無理に歩いていたお梶の方は、すぐに体勢を崩し、柱に激突して倒れてしまった。

 ものすごい音を聞いて、娘のお真佐も飛んできたし、奥から主人も小走りで出てきた。
「おかか様!」
「お梶!」

 お梶は二度目の激痛にしばらく声も出せずに耐えていた。二頭の犬があわてて駆け回り、二人に介抱されてお梶がまた寝所に向かうのを、小とよは震えながら見ていた。

 一度ならず二度までも転んだのは、かなり自分のせいに近い。もちろん小とよがそれを望んだわけではないのだが、あまりといってはあまりだ。

 しかも、よく見るとお梶が派手に転んだあたりに眼鏡が落ちている。前にいた八福屋では主の虎左衛門が舶来の貴重品として嬉々として使っていたので、小とよもこれが大切なものだとわかった。ギャマンにヒビは入っていないが、額当てが曲がってしまっている。

 小とよは、その眼鏡をもってそっと寝所に行き、文机にそっと置いた。

 二人に介抱されている間も、お梶の顔は打撲のために新しく腫れてきて、昨日打ったと思われる腕には大きな青あざが広がっていた。

 小とよは、玄関口に行って、やるせなく往来を見回した。頼りになる鬼神でも歩いていれば、助けを求めようと思ったのだ。

 年末で、忙しいのは人ばかりではない。福の神たちも今年の仕事納めと、年明けの初詣の時にきちんと座にいられるように忙しなく動き回っているのだ。

 跳ねている白兎を見つけて、小とよは急いで呼んだ。
「いいところに、白兎さん、ちょっと止まってください」

 来る年の干支としていつも以上に多忙の白兎は、「それどころではない」という風情で一度は通り過ぎたが、思い直したのか「しかたないな」と振り返ってやって来た。

「おや。座敷童の小とよか。あんた八福屋にいたんじゃなかったっけ?」
「それが、八福屋に邪険にされて、ちょっと出たの。そしたら、お屋敷が燃えちゃって、昨日からここに来たんです」

「へえ。八福屋はずっと羽振りがよかったけど、あんたのおかげだと知らなかったのかねぇ。……ところで、困っている様子だけど、どうしたんだい?」

 小とよは、今とばかりに昨夜からのお梶の不運について訴えた。
「助けてあげたかったのに、かえっていっぱい怪我をさせてしまったみたいで、心苦しいの。ねえ、白兎さん、少彦名命さまにお取り次ぎしてくれない? 少しでも早く治していただきたいのよう」

 白兎も、さすがにお梶が氣の毒だと思ったのか、頷いた。
「わかったよ。この家の者は日頃の行いもいいと聞いているからね。今日、お願いしてみるよ。あと、眼鏡が壊れたといったね。そっちは玉祖命さまの管轄だから、伝えておこう」

 神様へのお願いが上手くいったので、小とよは安心して家の中に戻った。 

 少彦名命さまは、医薬と健康だけでなく、酒造りと温泉療法も司る。それらにたくさん触れれば、治りも早くなるだろう。小とよは、すぐに風呂場に向かい、心を込めて掃除をすると、温泉の水を運んできて風呂桶を満たした。

 それから、台所に向かうとお供え用に用意してあるお正月用のお酒を極上のものに移し替えた。これで、少彦名命さまをお迎えする準備は万全。ついでに、お梶がこのお風呂に浸かって、このお酒でお正月を祝えば、きっと少彦名命さまの霊験あらたかとなるだろう。

 玉祖命さまは、眼鏡の神様であるだけでなく、三種の神器である八尺瓊勾玉を作った宝玉の守り神。こちらにも、この家の者たちが見守っていただけるように、供物を用意しておこう。

 見ると、お梶はきれいな物が好きなのか、さまざまな輝石や貝殻などを飾っている。ちょうどいいので、それらをピカピカに磨いてお正月に備えた。

 二匹の人には見えない犬たちは、一生懸命働く小とよを不思議そうに眺めていたが、立派な神様たちをお迎えするためだと氣がついたのか、一緒になって準備を手伝ってくれた。

 奥では、痛みを堪え腰掛けたまま用事を果たすお梶と、その母親の代わりに帰宅後すぐに張り切って働く娘のお真佐、そして、参勤交代から戻った主たちの御用に忙しく立ち向かう主人がそれぞれに、よりよき年迎えのために動き回っていた。

 小とよは、なんとなく入ってきた家ではあるが、とても心地よい家だと思い、このままこの家に居着くことに決めた。来たる歳が、この家の皆にとって福に満ちたものとなるために、精一杯働こうと心を決めた。

(初出:2023年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】教祖の御札

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第4弾です。

ポール・ブリッツさんは掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!


ポール・ブリッツさんの書いてくださった 『ひたり』

ポール・ブリッツさんは、オリジナル小説と俳句、それに鋭い書評や愛に溢れた映画評論などを書いていらっしゃる創作系ブロガーさんです。毎年ポールさんのくださるお題は手加減なしで難しいんですけれど、今年もまためちゃくちゃ難しかったです。

ポールさんがくださったお題は、ホラーのショートショートです。このお話の解釈は人によって違うと思いますし、ましてやポールさんが意図なさったお話も、私のお返し掌編とはかけ離れているんではないかと思います。

とはいえ、せっかくなので私なりにつなげてみるとどうなるかにトライしました。オリジナルの記述とできるだけ違わないように考えたので設定にいろいろと無理がありますが、そこはご容赦ください。


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教祖の御札
——Special thanks to Paul Blitz-san


 部室の窓から道の向こうを見ると、落ち武者が立っていた。幽霊を見ることは珍しくないけれど、江戸時代からの筋金入りは、まず見ない。

 私は、落ち武者のそばに行くのが嫌で、裏門から帰ることを決めて、下駄箱に向かった。同じクラリネットの篠田理恵がブツブツと文句を言いつつ校門の方に向かう。
「コンクール優勝なんて、絶対に無理じゃん。ほんとうにあの顧問、頭おかしいんじゃないの」

 理恵にはあの落ち武者は見えないんだろう、そのまま横を通り過ぎた。落ち武者は、理恵に興味を持ったようで、そのまま理恵の後ろについていった。

「……なんかヤバいかも」
私は、理恵と後ろを歩く落ち武者の姿を見ながら震えていた。

「何がヤバいって?」
声がしたので振り向くと、そこには桜木東也が立っていた。

 彼は、クラスメートだ。私や理恵と同じ吹奏楽部に入ったのは最近で、しかも何の楽器も吹けない。顧問からは足手まとい扱いで、邪険にされている。なぜ入部したのか、他の部員は首を傾げている。でも、私は知っている。彼は理恵が好きなのだ。

「えっと、その……理恵に……いや、なんでもない」
ただの友人にだって、友達に落ち武者がついているとは言えない。普通の人には見えないのだから。ましてや理恵を好きな男の子に、そんなことを言うほど無神経ではない。

「篠田くんに、なにかが憑いているのかい?」
東也が訊いた。

「え。いや、その……」
「隠さないでいいよ。君が芳野教祖のお嬢さんだということは、僕知っているし」

 桜木くん、うちの信者だったんだ! 私は驚いた。

 新興宗教「御札満願教」の教祖の娘であることを百合子は高校ではひた隠しにしてきた。宗教法人は星の数ほどあるし、自慢すべきことでも恥じるべきことでもないが、たまたま弱いながらも霊能力を持って生まれてきた百合子からしてみると、自分の父親をはじめとして教団幹部はみな霊能力がゼロで、彼らのやっている教団のあれこれは単なる事業にすぎないことに氣がついていたからだ。

「なあ、君ならお父さんに頼んで、霊験あらたかな御札を用意できるんだろう?」
東也は熱心に言った。

 うわあ、この人、マジで御札のことを信じているよ。あれは、単なる墨書きの紙だよ。さっき、パパの書き損じを面白がって理恵にも1枚あげたけれど、それでも落ち武者が憑いていくぐらい霊験ゼロだよ。それを1枚20万円で売っているのはどうかと思うけどさ。私は、目を宙に浮かせた。

「あ〜、理恵なら、大したことないと思うから、心配しなくてもいいよ。もしなんかあったら、もちろん、私からパパに頼むから……、ね」

 私は、東也を宥めてから裏門から帰った。それから毎日のように、理恵の件で御札を用意しろと責め立てられることになるとも知らずに。

* * *


 急に寒くなったので、新しい防寒肌着をおろしたけれど、それでも効果がないほどの寒さだ。原田はマフラーを巻き直して雪の降り始めた通りを歩いた。

 教団にノルマとして課された御札の量が倍になったので、いつものように電話して信徒に売りつけるだけでは捌けない。飛び込みで販売する必要がある。

 教祖が交代してから半年、ノルマは厳しくなる一方だ。先代の作った御札は間違いなく悪霊退散の効力があると証言する信者が多く、連れられて入信も多かったのだが、先代が亡くなったときに指名したと言い張る今の教祖芳野泰睦は、どうやらまともな霊能力も無さそうだ。いずれにしても原田には何も見えないし感じ取れないので、糾弾するつもりもない。

 今日は定期的に御札を買ってくれる信者の家に行ってみよう。原田は、とぼとぼと歩いた。

「こんにちは。原田です」
つとめて明るく声をかけると、中から女が出てきた。

「ごめんなさい。今日は家に上げられないわ」
原田は、頷いた。この家は、まだ夫が入信していない。名簿上は既に信徒になっているが、それは本人には内緒だ。原田としては、この女が定期的に御札を購入して夫や子供たちも信徒としてカウントすることに署名してくれればそれで十分だと思っていた。

「大丈夫です。こちらも先を急ぎますので。それで、新たにありがたい御札が届きまして……」
原田が鞄から大きめの封筒を取りだしていると、女は小さい声で遮った。

「ねえ、原田さん。前に購入させていただいた御札なんだけど……」
「なんですか?」
「家内安全、交通安全、学業成就、3ついただいたけれど……」

女は、とても言いにくそうにしていたが、やがて意を決したように原田の顔を見て口を開いた。

「あれから逆のことばかりが起こるのよ。夫と姑との喧嘩は絶えないし、天井は落っこちてくるし、舅は当て逃げに遭うし、娘は留年よ」

 原田は思わず息を呑んだ。これで今週3度目だ。教祖の御札を買うと効果がないどころか真逆の災禍に見舞われると、多くの信者が思い始め、クレームが増えている。

「信心が揺らいでいることを試されているのかもしれませんよ」
こういうときに、原田はこう脅すように教育されている。巧みに責任を回避して、新たな御札を2枚ほど売りつけることに成功したが、原田の中の疑問も膨らむばかりだ。

 女の家の戸が閉まると、原田は鞄からまだ100枚ほど残っている御札入りの封筒のうち、1つを取りだして眺めた。
「交通安全……かあ。きたねえ字だな。でも、ただの和紙に書かれた墨書きだ。効力がないのは別として、少なくともこれで事故が起きるわけないだろう」

 原田は、昼頃に教団に戻って集めた金を出納係に渡した。それから、タクシー会社に出勤した。彼の本業はタクシーの運転手だ。これから深夜までタクシーで市内を巡回し、場合によっては客の悩みを聞きつけては「御札満願教」に勧誘する日々だ。

 20時頃には、市内の塾に立ち寄り、教祖の娘である百合子を届ける役目もある。

「お嬢さん。お待たせしました」
塾の前に立っていた百合子は「どうも」といって後部座席に座った。それから、変な目つきで助手席を見た。

「どうかなさいましたか?」
原田が訊くと「……うん」と言って眼をそらした。

「原田さん、今日、父さんの御札、直接、手に取った?」
しばらくして百合子が訊いた。

「え? ええ。1枚だけ。交通安全の御札でしたけれど、なぜですか?」
原田は訊いたが、百合子は答えなかった。それから、急に「止めて」と言った。

「どうなさったんですか?」
「なんでもないの。悪いけど、私、歩いて帰る。今日はありがとう」
 
* * *


 百合子は、昨日起こったことを考えながら歩いていた。父にもらった悪霊退散の札の封筒を、桜木東也に渡した。

 理恵がずっと休んでいること、誰かに後をつけられているとノイローゼになっているという級友の話を聞いて、とにかく御札を用意しろとうるさかったのだ。それが何の効力も無いことを知りつつも、信者である東也の圧力には耐えられず、百合子は父親に御札を1枚もらえないかと頼み込んだのだ。

「ありがとう。僕、届けてくるよ。これがきっかけで篠田くんと知り合えるかもしれないし」

 そう言って、東也は封筒から御札を取りだし、まじまじと眺めていた。
「でも、これ、交通安全って書いてあるよ?」

 百合子は驚いた。
「なんですって? 悪霊退散って頼んだのに、パパったら、取り違えたのね。明日、今度こそちゃんとしたのを持ってくるから。それは、桜木くんにあげるわ。持っていても悪くないでしょ?」

 東也は笑った。
「もちろん。ありがたい御札には違いないからね。」

 歩き去って行く東也の後ろを、どこからともなく現れた虚無僧姿の男が歩いて行くのが見えた。なんで?

 そして、今朝、学校に来てみたらクラスは大騒ぎだった。昨夜、桜木東也が交通事故で亡くなったと。

 一方、篠田理恵は、すっかり元気な様子で普通に登校してきていた。百合子は、その理恵の両脇に虚無僧と東也の2人が立っているのを見た。落ち武者はいなかったので不思議に思っていたが、理恵がお寺の住職にお祓いしてもらったと言っていた。そうか、ちゃんとお祓いしてもらったんだね。また、くっついているけど。

 東也は、百合子のことなど目に入っていないようだった。虚無僧に負けないように、必死で理恵にまとわり付いていた。

 それからの数時間、百合子は生きた心地もしなかった。塾でも、勉強はまったく頭に入らなかった。ようやく終わり帰って寝ようと思ったら、今度は迎えにきたタクシー運転手の原田にも異変が起こっていた。

 百合子は、原田のタクシーには座っていられなかった。助手席にはのっぺらぼうの花魁が座っていた。
 
 今までほとんど見たことのなかった江戸時代のお化けをやたらと目撃するようになったことと、父親の書いた御札とは関係ないと思いたい。でも、これだけ重なると氣分がよくない。

 桜木くんも、理恵も、パパの御札を開いて直接手に取った後から、あの幽霊たちに魅入られたし。原田さんまで、「交通安全」の御札を手に取ったなんて言うし。

 原田さん、大丈夫かなあ。うちじゃなくてちゃんとした霊能者にお祓いしてもらうように、言った方がいいかなあ。そうか、理恵に紹介してもらおう。明日忘れずに頼まなくちゃ。

 また雪が降ってきた。雪に慣れない都会の運転手たちが、ノーマルタイヤでもスピードを変えない危険な運転をしている。百合子は、家路を急いだ。

(初出:2023年2月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】ミストラル Mistral

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第5弾です。

山西 左紀さんも、プランCでご参加くださいました。ありがとうございます! プランCは、私が指定した題に沿って書いてくださる参加方法です。


山西左紀さんの書いてくださった「モンサオ(monção)」

今年の課題は
以下の課題に沿ったものを150字から5000字の範囲で書いてください。また、イラストやマンガでの表現もOKです。
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
 メインキャラ or 脇役かは不問
 キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「冬」
*建築物を1つ以上登場させる
*「大切な存在」(人・動物・趣味など何でもOK)に関する記述を1つ以上登場させる


山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

左紀さんが書いてくださったのは、私の『黄金の枷』シリーズとも縁の深いミクやジョゼの登場するお話でした。

お返しをどうしようか悩んだんですけれど、今回のサキさんのお話に直接絡むのはちょっと危険なのでやめました。だって、ミクの昔の知りあいですよ。ミクの方が何を考えているかは知らないし、勝手に過去を作るわけにもいかないし。

なので、左紀さんの書いてくださったお話を骨格にしたまったく別の話を書いてみました。あちらの飛行機は夜行列車に、そして季節風はミストラルという風に……。そしてせっかく夜行列車を描くなら、長いことイメージとして使いたかった曲があって、それも混ぜ込んであります。


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ミストラル Mistral
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 雨のパリは煙って見えた。夏であれば、天候など氣にしない。いずれにしてもオステルリッツ駅まではメトロで行くし、たとえ悪天候だろうと出張に陽光は必要ないのだ。

 だが、冬の雨は身に堪える。雪のように美しくもなければ、仕事が遅れる言い訳にすらなってくれない。

 ファビアンは、20時半に駅に着いた。出発までは20分ある。彼にしては早く着いた方だ。コンパートメントのあるワゴンを探すのに手間取るだろうと思ったからだ。

 構内は天井のガラス窓に雨が打ち付けられて、電車のモーター音に混じりとてもうるさかった。頭端式ホームの並び、色とりどりの車両が並んでいる。オレンジ色に照らされた夜の駅は、いつも必要もない悲しみに近い感傷を呼び起こす。

 探している列車は、機関車牽引のアンテルシテ・ド・ニュイ5773、ニース行きだ。

 かつてTGVの普及とともに夜行列車は次々と削減された。が、ニース路線などの場合、6時間弱の乗車時間を過ごしたがる乗客は少なく、かえって格安の航空便に客を奪われる結果となった。

 ここに来て夜行列車を復活する動きが出てきているのは、環境に優しい移動方法をSNCFが推奨したいからという建前になってきているが、おそらく他国における夜行列車ビジネスの成功を見ての動きだろう。

 実際にファビアンも、ニースで中途半端な1泊するなら、夜行列車で早朝に着く方を選んだ。一連の復活した夜行列車のうちで、最初に運行が始まったのが、このICN 5773、パリ-ニース路線だ。

 この路線は、かつてかの『青列車トラン・ブル』が走っていた区間だが、ファビアンにとっては、『ミストラル号』の印象が強い。なぜなら彼自身が子供の頃に乗車したからだ。

 それは特別な夏だった。6歳だったファビアンは両親に連れられてニースへのバカンスに行った。乗ったのは1等車のみの豪華列車『ミストラル号』。全車にエアコンが完備され、食堂車はもちろんのこと、バーや秘書室、書籍の販売スペース、美容室なども揃っている贅沢な列車だった。後から知ったのだが、1982年、それは『ミストラル号』の走った最後の夏だった。

 今から思えば、父親にとっては精一杯の背伸びだったのだろう。そんなに豪華なバカンスはその年だけで、それどころか数年後には事業に失敗した父親が破産したため、学校を卒業するまで家族バカンスの思い出はない。

 乗り合わせている他の乗客たちは、みな裕福であることが子供のファビアンでもよくわかった。着ている服が違ったし、夕食前にバーに行くか値段をひそひそと語り合っていた両親と違い、メニューすら見ずに無造作にシャンパンを注文していた。

 両親との態度の違いは、ファビアンに階級の差というものを悟らせた。バーに隣接された売店スペースでコミックや興味深い図鑑、そして、オモチャなどを目にしても、ねだることがためらわれた。

 今でも憶えているのは、バー『アルックス』で楽しそうに語る大人たちから離れて、ブティックに立っていた少女と、その母親だ。少女は、スモモ色のやたらとフリルの多いワンピースを着て、髪に同じ色のリボンをつけていた。母親の方は対照的に非常にシンプルなシルクワンピースを着ていた。目の覚めるようなマラカイトグリーンで、ピンヒールも同じ色だった。

 その少女の母親の姿を見て感じた衝撃がなんであるか理解できなかった。『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』。自分の母親や同世代の女性とはまったく違って見えた。単純に美しいとは違う存在。今ならたとえば「妖艶」といった単語で表現するのかもしれない。だが、当時のファビアンは、幼すぎた。

 彼女の姿が『ミストラル号』の思い出を、特別なものにしている。ファビアンは、ICN 5773の凡庸なクシェットに腰掛けて思った。同室者が1人だけのコンパートメントはどこか息苦しかった。

 ファビアンは、廊下に出て自動販売機を探して歩いた。隣の車両はクシェットではなく、個室のようだ。廊下を足早に通り過ぎようとすると、中から出てきた男性とぶつかりそうになった。

「ファビアンじゃないか!」
その男は、驚いたことに大学の同窓生だった。
「ドミニク! 驚いたな。君もニースに?」

 同じ教授のクラスでファビアンがもっとも苦手としていたのがドミニク・バダンテールだった。裕福な銀行家の息子で、常に高価なブランドものを身につけ、ポルシェを乗り回していた。苦労して学費を捻出したファビアンは、ドミニクと取り巻きがよく行くクラブには一度も行かなかった。だから、授業以外で彼と会ったことはない。もう四半世紀も前の話だ。

「ああ。君、まさかこんな時期にバカンスじゃないだろう?」
「いや、仕事だ。君も?」

 ドミニクは笑って首を振った。その時、ドミニクの隣の寝台の扉が開いて女性が出てきた。
「ドミニク? お知り合い?」

 ファビアンは、その女性を見て、息を飲んだ。まさか! 『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』。

 だが、もちろん彼女ではなかった。とてもよく似ているが、ファビアンと変わらないくらいの年齢と思われる女性だ。オールドオーキッドのシックなツーピースが艶やかな栗色の髪とよく似合っている。

 ドミニクは彼女の栗色の巻き毛に触れてから肩を抱き、言った。
「ああ、大学の時の友人だ。ファビアン・ジョフレ。たしか行政書士だったよな。ファビアン、彼女はロズリーヌ、ロズリーヌ・ラ・サール。来年にはマダム・バダンテールになるんだよな」

 ファビアンは、ということはドミニクは離婚したのかと考えた。確か大学を卒業してすぐに、学内でも有名だった美女と派手な結婚式を挙げたと友人づてに聞いたのだが……。

「ジョフレさんですか。どうぞよろしく」
「こちらこそ、どうぞよろしく」

「いまファビアンに、どうしてニースに行くのかって話をしていたんだ。いい家が売りに出されたんで、一緒に見にいくんだよな。夏のあいだ過ごすとしたら、君が女主人として切り回すことになるだろうしね」

 ドミニクが、髪にキスをしたりしながら、話しかける間、彼女はファビアンの目を氣にして、居心地悪そうにしている。

「ちゃんとした食堂車でもあれば、ちょっとワインでもといいたいところだけれど、この列車にはないんだよな」
ドミニクは言った。

 親しい友人であれば、彼のコンパートメントに誘ってくれるだろうが、そういう仲でもないので、ファビアンは自動販売機のところにいくのでと話して、2人に別れを告げた。

 ファビアンは、背中の向こうで2人が夜の挨拶をしてそれぞれの部屋に戻るのを聞いた。同じ部屋で過ごすことはないようだ。ずいぶんと他人行儀な婚約者たちだな。

 だが、そのことに彼はどこかほっとしていた。彼女が、ほかでもないあのドミニクに心酔している姿は見たくない。それが正直な想いだ。

 ファビアンは、自動販売機の前でしばらく選びもせずに立っていた。

 ニースに向かうこのなんでもない夜行列車は、すでにファビアンにとって特別な世界に変わりつつあった。彼にとって特別な『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』によく似た女性が乗っている。

 ロズリーヌ・ラ・サール。小さい薔薇か。ふいに思い出した。『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』は、たしか娘に「私の小さな薔薇マ・プティト・ローズ 」と呼びかけていた。

 まさか、そんなことがあるだろうか。あの時の少女なのか。

 ファビアンは、長いあいだ自動販売機の前で『ミストラル号』でのことを考えた。母親の容姿は細かく憶えているのに、少女の顔はあまりよく憶えていない。ただ、ブティックで交わした言葉は忘れていない。

「ミストラルは冷たい風よ」

 ミストラルは、ローヌ川沿いに、リヨン湾まで吹き込んでいく風を指す。低気圧がティレニア海もしくはジェノバ湾にあり、高気圧がアゾレスから中部フランスに進んでくるときに吹く。非常に乾燥した冷たい強風で、それによって湖畔などでは氷柱が横向きにできることもある。

 あの時は夏だったので、それを意識することはなかった。だが、今、冷たい冬のローヌ川に添って地中海へと進むこの列車は、痛いほどの冷たい風を呼び起こしているはずだ。

 どれほど自動販売機の前に立ちすくんでいたのか。ファビアンは結局何も買わずに、自分のコンパートメントの方へと戻りだした。個室のあるワゴンに来ると、妙に寒い。みるとラ・サール嬢が1人窓辺に立っており、窓を開けていた。

 ドミニクは寝てしまったのだろうか。どうして彼女は、窓を開けて立っているんだろうか。

「どうしたんですか」
ファビアンは小さい声で訊いた。

「見て、星よ」
ロズリーヌが指さした。

 いつの間にか雲1つない夜空が広がっていた。汚れた車窓を開けたその向こうに、冷たく瞬く星空が見える。だが、吹き込む風の冷たさに、まともに目を開けているのは難しい。
「ええ。美しいですね。でも、寒くありませんか?」

「ミストラルは冷たい風よ」
彼女は言った。

 ファビアンは、言葉を失い、ただ彼女を見つめた。その凝視が尋常ではないと感じたのか、ロズリーヌは、不思議そうに見つめ返した。

 突如として、車両はトンネルに入りひどい騒音がファビアンの思考を止めた。車内灯の作りだした写像が窓に映る。ガラスの向こうにいるのは『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』だ。美しく妖艶な存在しない女。

 長いトンネルが過ぎ去るまで、奇妙な時間が流れた。お互いに窓ガラスに映る姿を黙って見つめている。どうしようもなく冷たい風が非情に強く廊下を走っていく。

 世界は再び広がり、星空と遠くに見える街の灯、ずっと控えめになった車輪の音が、2人を現実の世界に戻した。

 ファビアンは「風邪をひきますよ」と言った。頷いた彼女が腕を窓に伸ばしたので、彼はすぐに手伝い窓を閉めた。

「ありがとう」
ロズリーヌは、小さく答えた。

「82年の夏、『ミストラル号』でニースに行きませんでしたか?」
ファビアンは、言いかけた言葉を飲み込んだ。

 それを知ってどうするというのだろう。『ミストラル号』は、もうない。彼は中年のくたびれた行政書士で、『ミストラルの淑女ダーメ・デュ・ミストラル』とは無縁に生きていかなくてはならない。

「おやすみなさい」
彼は、彼のクシェットに向けて歩み去った。

 振り返りたい衝動が身体を貫いた。そうすれば、世界が変わるのだと、妙に強い確信が彼にそうするように囁いた。

 しかし、彼は常識に従い、そのまま自分のワゴンに向かう扉を開けて歩み去った。

(初出:2023年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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Sting & Chris Botti La Belle Dame Sans Regrets Full HD

このMVの列車はたぶんオリエント・エクスプレスです。ま、ミストラルもワゴン・リ社の車両を使っていたとということなので、単なるイメージで。しかし、「ったく、これだからフランス人は……」というような映像ですね……。
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】バッカスからの招待状 -18- レモンハイボール

scriviamo!


今日の小説は、「scriviamo! 2023」の第6弾です。もぐらさんは、オリジナル作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

もぐらさんが書いて朗読してくださった作品「第663回 大事な壺」

もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。いつもとても長くて本当にご迷惑をおかけしています。

今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品群です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。

今年の作品はケチな爺さんと、貧乏神さんのいろいろと考えさせられるお話。お返しは考えましたが、今回は強引に『Bacchus』に持ってきました。もぐらさんが最初にうちに来てくださり、朗読してくださるようになったのが、『Bacchus』でしたよね。

お酒はレモンハイボールですが、今回の話の主役は、大きな壺とサツマイモです。

それと、本当にどうでもいいことですが、今回登場する客のひとりは、この作品で既出です。ちゃっかり常連になっていた模様。


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バッカスからの招待状 -18- レモンハイボール
——Special thanks to Mogura san


 日本橋の得意先との商談が終わったのはかなり遅かった。直帰になったので、雅美は久しぶりに大手町に足を向けた。『Bacchus』には、しばらく行っていなかった。

 そのバーは、大手町のビル街にひっそりと隠れるようにある。飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく『Bacchus』と書かれている。

 バーテンダーでもある店主田中の人柄を慕い、多くの常連が集う居心地のいい店で、雅美も田中だけでなく彼らにも忘れられない頻度で足を運んでいた。

 早い時間なので、まだ混んではない。田中と直接会話を楽しめるカウンター席は常連たちに人氣なので、かなり早く埋まってしまうのだが先客が1人だけだ。

「柴田さん、いらっしゃいませ」
いつものように田中が氣さくに歓迎してくれるのが嬉しい。雅美は、コートを脱いで一番奥のカウンター席に座った。

 反対側、つまりもっとも入り口に近い席には、初老の男が座っている。質は悪くないのだろうが、今ではほとんど見かけなくなった分厚い肩パッドのスーツはあまり身体に合っていない。金色の時計をしているのだが、服装に対して目立ちすぎる。

 雅美にとっては初めて見る顔だ。1度目にしたら忘れないだろう。人間の眉間って、こんなに深く皺を刻めるものなんだ……。雅美は、少し驚いた。

 その男は、口をへの字に結び、不機嫌そうにメニューを見ていた。仕事で時おりこういう表情の顧客がいる。すべてのことが氣に入らない。どんなに丁寧に対応しても必ずクレームになる。2度と来ないでくれていいのにと思うが、どこでも相手にされないのが寂しいのか、結局、散々文句を言ったのにまた連絡してくるのだ。

 少なくとも現在は、自分の顧客ではないことを、雅美は嬉しく思った。田中さんに難癖つけないといいけど。

「どれがいいのかわからないな。洋風のバーにはまず行かないからな」
男は、メニューをめくりつつ、ため息をついた。

「どんなお酒がお好みですか。ビール、ワインなどもございますが」
田中が訊くと、男は不機嫌そうな顔で、でも、とくに怒っているとは感じられない口調で答えた。
「せっかくバーに来たんだし、いつもと同じビールを飲んでもしかたないだろう。カクテルか……。なんだか、わからない名前が多いが……これは聞いたことがある……ハイボール」

 雅美は、ああ、ハイボールってここでは頼んだことなかったかも、そう思った。

「なんだ、ウイスキーの炭酸割りのことなのか。自分でもできそうだが、奇をてらったものを飲んでまずいよりも、味の予想がつくのがいいかもしれないな」

 男は、ブツブツと言葉を飲み込んでいる。雅美は、少し反省しながら見ていた。クレーマータイプだと決めつけていたが、いたって普通の客だ。

 田中は雅美にもおしぼりとメニューを持ってきた。既に彼女の心の8割がたはハイボールに向いている。
「田中さんが作るなら、ハイボールもありきたりじゃないように思うの。お願いしようかしら」

 そういうと、田中は微笑んだ。
「ウイスキーでお作りしますか。銘柄のご希望はございますか?」

「田中さんおすすめのウイスキーがいいわ。ちょっと爽やかな感じにできますか?」
「はい。では、レモンハイボールにしましょうか?」
「ええ。お願いするわ」

 そのやり取りを聞いていた初老の男性は言った。
「僕にも、そのレモンハイボールをお願いできるかな」

「かしこまりました」

「おつまみは何がいいかなあ。あ、さつまいものサラダがある! こういうの好きなのよねぇ。お願いするわ」
「かしこまりました」

 初老の男は「さつまいも……」と言った。

 あれ。眉間の皺がもっと濃くなった。あれ以上眉をしかめられるとは思わなかったわ……。雅美は、心の中でつぶやいた。

 田中も、そちらの方には、声をかけていいか迷っている様子だ。2つのグラス・タンブラーに、大きい氷を入れてから、すぐにはハイボールを作らずに、さつまいものサラダの方を用意し、雅美の前に置いた。

 それから、タンブラーの中で氷を回すように動かした。

「何をしているの?」
雅美が訊くと、田中は笑った。

「タンブラーを冷やしているのです」
「ええ? 氷を入れるのに?」

「アルコールと他のものが混ざるときには希釈熱という熱が発生して、温度が上がるんです。ハイボールの場合、これによって炭酸が抜け、氷もすぐに溶けてぼんやりとした味になってしまいます。それを避けるためにできるだけ温度が上がりにくくするわけです」
「なるほどねぇ」

 氷と溶けた水を1度捨ててから、あらためて氷を入れて、レモンを搾って入れ、ウイスキーを注いだ。田中は再びグラスを揺らし、ウイスキーの温度を下げた。それから、冷えたソーダ水を注ぐと、炭酸が飛ばないようにほんのわずかだけかき混ぜた。

 田中がカクテルを作る姿を見るのは楽しい。1つ1つの手順に意味があり、それが手早く魔法のごとくに実行に移されていく。そして、出来上がった見た目にも美しいドリンクが、照明の真下、自分の前に置かれるときには、いつもドキドキする。
 
 さつまいものサラダは思っていた以上に甘く、しっかりとした味が感じられた。
「美味しい。これ、特別なさつまいもですか?」

「茨城のお客様が、薦めてくださったんです。シルクスイートという甘めの品種です」

 それを聞いて、初老の男は、なんとも言えない顔をした。先ほどまでは怒っていたようだったのが、今度は泣き出しそうだ。

 ハイボールを彼の前に置いた田中は、その様子に氣づいたのか「どうなさいましたか」と訊いた。

 初老の男は、首を振ってから言った。
「いゃ、なんでもない。……シルクスイート……。これもなにかの縁なのかねぇ……。僕にも、そのサラダをくださいませんか」

 それから、田中と雅美の2人に向かっていった。
「なにか因縁めいたことなんでね、お2人に聞いてもらおうかな」

 田中と雅美は思わず顔を見合わせた。男は構わずに話し出した。
「題して『黄金の壺』ってところかな」

「壺……ですか?」
「ああ。だが、ホフマンの小説じゃないよ」
 そう言われても、雅美には何のことだかわからない。

「ホフマンにそんな題名の小説がありましたね」
田中は知っていたらしい。

「おお、知っていたのか。さすが教養があるねぇ。ともかく、そんな話じゃないけれど、まあ、黄金の詰まった壺と、それに魅入られた困った人間の成り行きというところは、まあ、違っていないかもしれないね」

 黄金の壺とさつまいもの関係はわからないけれど、面白そうなので、会話の相づちは田中に任せて、雅美は黙って頷いた。

「今から30年近く前の話なんだけどね。僕は、火事でほとんどの家財を失ってしまったんだ」
「それは大変でしたね」

「ああ。うちは、もともとカツカツだったけれど、田舎の旧家でね。蔵もあったんだよ。その奥に置いた壺に親父の代から、いや、もしかしたら、その前の代からか、当主がコソコソと貯めた金やら、貴金属やらを隠していたんだ」

「壺にですか?」
「ああ。妻には言わずにね。それで、女を買いたいときや、その他の妻には言いにくい金の使い方をするときには、そこから使っていくんだと親父に教わったものさ」

 男もへそくりするんだ。雅美は、心の中でつぶやいた。

「僕は、元来、倹約するタチでね。親父に言われたとおりに、自分もかなりの金品をその壺に隠していたんだが、自分で使ったことは1度もなかったんだよ。なんだかせっかく貯めたのに勿体ないと思ってね」

 ああ、わかった。この人、クレーマー体質なのではなくて、要するにケチなタイプだ。雅美は、納得した。

「そうですか。それならば、かなりたくさん貯まったでしょうね」
「まあね。でも、件の火事があってね」
「それで、すべて失ってしまったと?」

「そうじゃないんだ。すべて燃えてしまったとしたら、むしろよかったかもしれない。でも、火事の後、すっとんで蔵に行き、壺の安全を確かめたのを見られたのかねぇ。火事で母屋のほとんどが焼けてしまっただけでなく、その後しばらくして、その壺が忽然となくなってしまったんだ」

「壺、丸ごとですか?」
思わず雅美が言うと、彼は頷いた。
「壺と言っても、小さな物じゃない。胸のあたりまである巨大な壺だ」

「そんなに大きな壺だったんですか」
田中も驚いたようだ。

 男は頷いた。
「常滑焼っていってね。その手の大型の壺は昔から米や野菜を貯蔵するために使われてきたものなんだよ。冷蔵庫が普及してからは、ほとんど誰も使わなくなって作るところも限られているけどね。今は、無形文化財に指定される職人さん1人だけが作っているっていうなあ」

「その壺を誰かに持って行かれてしまったんですね」
田中が、氣の毒そうに言った。雅美は訊いた。
「トラックかなんかで、運び出したのかしら」

「うん……。どうだろうねぇ。あとで、あまり遠くない空き地で、たくさんの破片が見つかったので、なんとも言えないんだ。……実は、妻がなくなった後に、遺品から盗まれたはずの古い紙幣が見つかってね」

「え?」
雅美は、驚いた。田中もボトルを棚に戻す手を止めて男の顔を見た。

「それで当時の日記などを見たら、それは妻がやったことだと書いてあったんだ。ずっと金がないと、苦労を強いられてきたのに、夫がこんなに隠し持っていたことが許せないと。金がほしくてやったわけではないと書いてあった。実際に少なくとも僕がしまった現代のお札や、以前見たことのある貴金属はすべてそのままだったし、古い紙幣もまったく手をつけていなかったようだ」

 火事で家財をなくし大変だったときに、隠し持った大金をまったく使わずに、夫を責めることもなく、自分のやったことを告白することもなく、ただ、黙っていた妻の複雑な心境を考えて、雅美は手もとのハイボールのグラスを見つめた。

「妻の死後にそれらが出てきて、僕は先祖からの伝統をまた元通りにしようと、常滑焼の壺を買い求めようと思ったんだ」
「常滑って、愛知県ですよね?」
「ああ。だから電話で連絡したら……しばらく時間がかかる。岐阜県の焼き芋屋用に、たくさん注文が入っているからって言うんだ」

「焼き芋?」
「そう。それで、焼き芋屋がなぜあの壺を必要としているのか、見にいってみたんだ」

 岐阜県の大垣市では近年とあるフードプロデューサーの広めた「つぼ焼き芋」が人氣だ。石焼き芋は直火で焼くが、「つぼ焼き芋」は常滑焼の大きい壺の底に炭火を熾し、壺の首あたりに吊してある籠に芋を入れる。底から上がってきた炭火の熱が巨大な壺の中で循環し、焦げることなくじっくりと均一に熱が通る。60度から70度で1時間半から2時間かけて、さつまいものデンプンは麦芽糖に変わり、甘みが増していく。

「食べてみたんだ。そしたら、信じられないくらい甘くて、美味しかった。日によって種類を変えているらしいんだが、僕が食べたのはまさにシルクスイートでね」
「そうだったんですか。それはすごい偶然ですね」

「ああ。客がたくさん来て、みな喜んで買っていた。辺りは、かなり賑やかでね。焼き芋が地域の町おこしになっていたよ。そのフードプロデューサーはその『つぼ焼き芋』を独占もできたのに、周りの同業者にも勧めて一緒にこの焼き芋を広めたんだね。考えさせられたんだよ」
出てきたさつまいものサラダを食べながら、彼は言った。

「僕は、自分の宝物を壺に隠すことしか考えていなかった。その中身を活かすことも、妻と楽しむこともしなかった。また同じ壺を買って、見つかったお宝を再びしまっても、同じことの繰り返しだ。でも、あの焼き芋屋の芋は違う。金色に輝いて、ほくほくとして暖かい。店主が喜び、客が喜び、同業者が喜び、そして、壺焼き職人も喜ぶ。どちらが尊い宝物なのかなあとね。そう思ったら、再び大きい壺を買って、余生を倹約して暮らすよりも、誰かと一緒に使うことをしてみたいと考えて帰ってきたんだ。いま、その帰りなんだよ」

「そして、今、またここで、さつまいもと出会ったというわけですね」
雅美が言うと、彼は頷いた。

「ああ。このハイボールは、美味いな。自分で作った味とは雲泥の差だ。それに、このさつまいもによく合う」
彼は、しみじみと言った。

「恐れ入ります。さつまいもとレモンの相性はいいです。シルクスイート種が甘いので、おそらく普通のハイボールよりも、レモンハイボールの方が合うのではないかと思っています」
田中が言った。

「そうね。この組み合わせ、とても氣に入ったわ。ハイボールって、そちらの方もおっしゃったように、うちでも作れるからと頼んだことなかったけれど、こんなに違うなら、今度からちょくちょく頼むことにするわ」
雅美が言った。

 男は、言った。
「そちらの方か……。僕は竹内と言います。僕も『ちょくちょく頼む』ような客になりたいからね」

「それはありがとうございます、竹内さん。今後ともどうぞごひいきにお願いします」
田中が頭を下げた。
 
 やがて、他の客らも入ってきて、『Bacchus』はいつもの様相に戻っていった。田中は忙しく客の注文にこたえている。雅美は、カウンターをはさんだ竹内とは会話ができなくなったが、時おりグラスを持ち上げて微笑み合った。

 竹内の眉間の皺は、はじめに思ったほどは深くなくなっている。自分がそれに慣れてしまったのか、それとも彼の心にあった暗い谷がそれほどでもなくなったのか、雅美には判断できなかった。

 1つわかることがある。彼の新しい壺は常滑焼ではなくて、この『Bacchus』のように心地よく人びとの集う場所になるのだろうと。

レモンハイボール(Lemon Highball)
標準的なレシピ

ウイスキー - 45ml
炭酸水 - 105ml
1/8カットレモン - 1個

作り方
タンブラーにレモンを絞り入れ、そのまま実も入れる。氷とウイスキーを注ぎ、冷やしたソーダで満たし、軽くステアする。



(初出:2023年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】仙女の弟子と八宝茶

scriviamo!


今日の小説は、「scriviamo! 2023」の第7弾です。津路 志士朗さんは、オリジナル掌編で参加してくださいました。ありがとうございます!

志士朗さんが書いてくださった「女神の登場はアールグレイの香りと共に。」

志士朗さんは、オリジナル小説と庭とご家族との微笑ましい日々を綴られる創作系ブロガーさんです。代表作の『エミオ神社の子獅子さん』がつい先日完結したばかりです。派生した郵便屋さんのシリーズで何度かあそばせていただいていますよね。

今回書いてくださった作品は、スーパーダーリンならぬスーパーハニーをテーマにしたハードボイルド。とても楽しい作品で一氣に読んでしまいました。

お返しですが、あちらの作品には絡めそうもないので、全く別の作品を書いてみました。テーマは志士朗さんの作品同様スーパーハニーです。ただし、中国のお話、お茶ももちろん中国のもの。下敷きにした怪談は「聊斎志異」からとってあります。


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【参考】
今回の作品とは直接関係はないのですが、今回登場した紅榴を含む空飛ぶ仙人たちの登場する話はこちらです。
秋深邂逅
水上名月




仙女の弟子と八宝茶
——Special thanks to Shishiro-san


 朱洪然は福健のある村に住む若者で、童試の準備をしているが、後ろ盾もなく、また際だった頭脳もないため受かる見込みはない。妻の陳昭花は家事、畑仕事に加えて、近所の道士の手伝いまでして朱を支えていた。

 いつものように朱が昼から酒などを飲みながら、桃の花を眺めて唸っていた。
「桃の灼灼たる其の華……」

 陳氏は部屋をきれいに拭きながらその声を耳にしたので、通り過ぎるときに訂正した。
「桃の夭夭たる 灼灼たり其の華 之の子于き帰ぐ 其の室家に宜し」

 それを聞くと、朱は顔を真っ赤にして怒り、盃を投げ捨てると「こんな邪魔の入るところで勉強はできない」と叫び、出て行ってしまった。妻の陳氏の方が優秀だという近所の噂に苛ついていたからである。

 田舎ゆえ、近所に知られずに昼から酒などを嗜める店はない。やむを得ず、どこかで茶でも飲もうと道をずんずんと進んだ。

 しばらく行くと村のはずれにこれまで見かけなかった茶屋があった。新しい幟がはためいているが、誰も入っていないようだ。朱は中を覗いた。

「おいでなさいませ」
出てきたのは、皺だらけの老婆で、あけすけなニヤニヤ笑いをしている。

「ここは茶屋か。何か飲ませろ」
横柄に朱が命じると、婆はもみ手をしてから茶を持ってきた。

 それは、水の出入りのない沼のようなドロドロの黒緑色をしており、生臭い。朱は、茶碗を投げ捨てると、つばを吐きかけて地団駄を踏んだ。
「こんなひどい茶が飲めるか。なんのつもりだ!」

 婆が、茶碗を拾ってブツブツ言っていると、奥から衣擦れがして女が出てきた。立ち去りかけていた朱は、思わず立ち止まってそちらを見た。

 それは沈魚落雁または閉月羞花とはかくやと思われる美女だった。烏の濡れ羽のような漆黒の髪を長くたなびかせ、すらりとした優雅な柳腰をくねらせて茶を運んできた。

「このお茶をお飲みになりませんか。とても喉が渇いているんでしょう? あたくしが、手ずから飲ませてさし上げましてよ」

 婆の持ってきた茶とほとんど変わらないものだったにもかかわらず、朱は女に飲ませてもらえるのが嬉しくて、座って頷いた。

「この茶は水莽草すいぼうそうのお茶なんです。お勉強に明け暮れている貴方なら、何のお茶かわかりますわよね」
女は嬉しそうに笑うと、なんのことかわからないでいる朱の口にまずくて苦い茶を流し込んだ。

 女は、代金も取らずに朱を送り出した。ぼうっとしたまま家に戻った朱は、玄関でそのまま倒れてしまった。

老公あなた、いかがなさいましたか」
妻の陳氏が、あわてて出てきた。

「なんだかわからんが、水莽茶とやらを飲んでから、具合が悪い」
そういうと、そのまま息を引き取ってしまった。

 陳氏は、朱と違い水莽草が何を意味するのか知っていたので驚いた。

 この毒草を食べて死ぬと水莽鬼という幽霊になってしまい、他の水莽鬼が現れないと成仏できない。それで、水莽鬼は生きている人に水莽草を食べさせようと手を尽くすのである。

 陳氏は、急ぎ夫の亡骸を寝かせると、鬼にならないように御札を貼り、急ぎ馴染みの道士の元に急いだ。

「どうした、小昭花」
慌てて入ってきた陳氏を見て、道士は訊いた。

 かなり赤みの強い髪をしたこの人物は、数年前からこの庵に住み修行をしていることになっている。身の回りの世話に通う陳昭花の他には付き合いもないので知られていないが、実は単なる道士ではなく天仙女である。

「紅榴師、どうぞお助けくださいませ。夫が水莽鬼にされてしまいます」

 紅榴は、片眉を上げた。
「村はずれの水莽鬼に化かされたのか。お前のような立派な妻がいるのに、全くなっていないな、あの者は。もう、見限ってもよいのではないか」

「そうおっしゃいますが、それでもわが夫でございます。なんとかお助けいただけないでしょうか」
昭花は床に額をこすりつけて願った。

「しかたない。あの男を助けてやりたいとはみじんも思わぬが、お前が氣の毒ゆえ助けてやろう」

 そう告げると紅榴は陳昭花に墨書きの札をいくつか授けた。深く抱拳揖礼をしてから札を受け取った昭花は、そのまま夫の元に戻ろうと戸口を出ようとした。

「待ちなさい。これも持っていくとよい。あちらが茶で人を取り込むのならば、こちらも茶で対抗せねばな」
紅榴は、笑うと最新の愛弟子に包みを授けた。

* * *


 陳昭花が家に戻ると、そこは瘴氣で満ちていた。見ると家の中には夫の亡骸だけではなく、老婆と若い女の幽鬼がいる。殺した男を水莽鬼に変えようと長い爪で朱の亡骸の上を引っ掻いていた。

 見れば、昭花が貼った鬼除け札はほとんど剥がされている。紫の顔をした夫も、胸をかきむしり御札を剥がそうとしていた。

「悪鬼ども。わが夫より離れよ」
昭花は剣を構え、鬼女たちに斬りかかる。

「こざかしい女め。人間の分際で我らに敵うと思うのか」
老女は、白髪を逆立て、血走った目に蛇のような舌をちらつかせて長い爪で昭花の喉を切り裂こうと飛びかかってきた。

 昭花は、紅榴元君の元で何年も修行しただけあり、軽々とそれを避けて後ろに飛び上がった。

 師が授けた封印の札を投げつけると、それは若い鬼女の口を塞ぎ、瘴氣が漏れてこなくなった。瘴氣は鬼女自身にも仇をなす毒を持つらしく、若い鬼女の動きが止まった。

 昭花は、老女にも御札を投げつけたが、こちらは長い爪でビリビリに裂いてしまった。老婆は高らかに笑うと、昭花に向かって飛びかかってきた。

「ぎぇ!」
瞬時に振り下ろされた昭花の剣が鬼婆の長い爪を切り取った。それこそがこの幽鬼の瘴氣の源であったので、瞬く間に老婆は干からびて、干し魚に変化して床に落ちた、

「おのれ、母上に何をする!」
ようやく御札を取り去って自由になった若い美女だった鬼が、姿を変えた。漆黒の髪は束になって持ち上がり、それぞれが毒蛇に変わった。口は耳まで広がり、獣のような牙がいくつも剥き出しになった。

 見るも恐ろしい鬼女だったが、昭花は臆さずに剣を構え、襲いかかってくる毒蛇を一匹ずつ切り落としていった。

 最後の蛇が落ちると、鬼女も断末魔のうめきをあげながら足下に倒れ、そのまま薄氣味悪い染みを残して消え去った。

 昭花が夫を見ると、紫色の顔をした水莽鬼として蘇った朱は、ガタガタと震えながら妻を見ていた。

老公あなた、これでもこの女の方がよろしゅうございますか」
昭花が訊くと、朱は首を横に何度も振った。

「美しい女だと思ったのに、あんなバケモノはごめんだ。助けてくれ。そんな物騒なもので、俺を斬らないでくれ」

「さようでございますか。では、私の淹れるお茶を飲んでくださいますか」
昭花は、水莽鬼としての瘴氣すら醸し出せぬ夫に詰め寄った。

「先ほどの茶みたいな、まずいものは飲みたくない」
朱はうそぶいた。

 夫の言い分には全く耳を貸さず、昭花は紅榴にもらった包みを開けて中の茶をとりだした。湯の中に入れると、それは白い菊のような花、龍眼、クコの実のほか、貴重な薬草を惜しげなく使った八宝茶だった。

 昭花に助けられて、その茶を飲んだ朱は、激しい咳をした。そして、水莽草の塊が口から飛び出してきた。蛇のように蠢くそれを、昭花は剣ですかさず斬った。

 しばらくすると、朱の顔色は普通の肌色に戻ってきて、そのまま彼は失神してしまった。直に大きないびきをかきだしたので、昭花には夫が人として息を吹き返したことがわかった。

 悪鬼どもの屍体や水莽草の残骸を片付け、部屋を浄めていると、どこからともなく紅榴が入って来た。

 大いびきをかいて寝ている朱を呆れたように眺めると、ため息をついていった。
「小昭花。そろそろこの男に愛想を尽かしてもいいのではないか。妾は間もなく泰山に戻る心づもりだ。そなたが望むなら連れて行くぞ。向こうで心ゆくまで修行して化仙するとよい」

 昭花は、師の言葉を噛みしめていたが、やがて言った。
「たいへん心惹かれるお言葉ですが、今しばらく夫に従うつもりでございます。また次にこのようなことがございましたら、その時は私も人としての契に縁がなかったと諦め、修行に励みたいと存じます」

 紅榴は頷いた。
「ならばしかたない。では、次にこの男が問題を起こしたら、潔く捨てて妾のもとに来るのだぞ。お前には見どころがあるからな」

 そのことがあってから数ヶ月は、朱が柄にもなく試験の準備に心を入れたと噂になった。だが、その後、酒に酔って村長の妻に言い寄ったためにひどく打ち据えられてから牢に入れられた。

 朱が半年後に牢から出てきたときには、家に妻の陳氏はいなかった。きれいに浄められた家には女が住んでいた痕跡は残っていなかった。朱の物を持ちだした様子はなく、金目のものも一切なくなっていなかった。

 卓の上には、いま淹れたばかりのような熱い八宝茶があった。陳氏の行方を知るものはいない。

(初出:2023年3月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】モンマルトルに帰りて

scriviamo!


今日の小説は、「scriviamo! 2023」の第8弾です。TOM-Fさんは、『花心一会』の外伝的な作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

TOM-Fさんの書いてくださった 『ソリチュード ~La Route semée d’étoiles~』 

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広い小説を書かれるブログのお友だちです。現在メインで連載なさっているのは、古事記と日本書紀に見える衣通姫伝説を下敷きにした古代ミステリー『挿頭の花 -衣通姫伝説外伝- 』。もともとの記紀にある人物がみなさんアレなので、もちろんものすごい展開なのですが、そのシチュエーションの中で胸キュンの純愛を織り込むという離れ業に感心しながらドキドキ読ませていただいています。そんなTOM−Fさんは、「scriviamo!」も皆勤、いつも全力で剛速球を投げてくださり、必死で打ち返しております。

さて、『花心一会』ワールドの若い(むしろ若すぎる)家元誕生の成り行きが明かされた今回のお話、ストーリーからいったら当然のことながら華道に対する知識がとても大切なポイントになっているのですよ。お返しを書き始めて困ったのがこれでした。私、全然わかっていない……。

なのにあえて火中の栗を拾いにいってしまいました。以前ヒロインの方のお家元がたった1人のために生ける『花心一会』をなさる様子を勝手に書かせていただいたことがあるのですが、今回はお母様にも無理やりです。ああ、玉砕しそうな予感。でも、レネがメインだから、逃げ切れるかな……。うう、ごめんなさい。


「scriviamo! 2023」について
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【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物

大道芸人たち・外伝




大道芸人たち・外伝
モンマルトルに帰りて
——Special thanks to TOM−F-san


「やっぱり迷惑なんじゃないかなあ……」
「いや、連絡したときにはそんな感じじゃなかったって」

 ここに来るまでに、3回は繰り返した問答を、レネと稔はもう1度した。稔は、つい1週間ほど前に訪れたアトリエの呼び鈴を鳴らした。

 中から現れた水無瀬愛里紗みなせありさは、涼しやかな微笑みで2人を中に招き入れた。

 今日の装いは落ち着いた紫の絞り小紋に、蒲公英の柄が微笑ましい濃い緑の名古屋帯。この色の組み合わせは早蕨襲、春を感じさせる。そうか。もう3月になったんだっけ。

「お忙しいのに、無理なお願いを聞き遂げてくださり感謝します。彼が、電話で話したレネ・ロウレンヴィルです」
「マダム・ミナセ、はじめまして。どうぞよろしく」
「どうぞよろしく。そんなに恐縮しないでくださいね」

 そこは、パリの真ん中にあるというのに、東京以上に日本を感じさせる空間だ。

 日本ブームがヨーロッパに広がってから、各地でそれらしい和室を目にしてきたが、畳が正方形だったり、障子の桟が白く塗られた合板だったりと、どこか「なんちゃって」感を否めない和室が多かった。そうした和室は、スーパーで売られる「SUSHI」と同じ香りがした。サーモンとアボカド、またはやけに鮮やかなトビコの安っぽさを眺める度に、「日本はそこまで近くはない」と感じ、かつ自分の方が日本を知っているのだとつまらない自負心を満足させるのだ。

 だが、このアトリエには、稔が逆立ちしても叶わない日本文化の真髄が感じられた。

 小上がりの座敷には、きちんとした炉が切られている。窓はわざわざ円窓にしてある。

 この部屋を維持するのがいかに大変か、稔はよく知っている。日本にいれば電話一本で畳屋が来てくれるし、障子が破けてもホームセンターに行けば簡単に新しい障子紙を購入できる。梅や桃、桜や椿などもさほど苦労せずに入手できるだろう。極上の茶や主菓子も同様だ。

 だが、ヨーロッパで、これだけの完璧な日本を維持するのは、並大抵のことではない。もちろんパリは大都会なので、日本人のネットワークを使えばそれは可能だろう。でも、この人は、日本人会などで同国人と固まっているタイプには見えない。まあ、俺には関係ないけれど……。

 煎茶とともに小ぶりの大福餅が出てきた。和菓子の大好きなレネの顔が喜びに輝いたのを見て、稔は「本題を忘れるなよ」の意味を込めて肘で小さくつついた。

「それで、私に作ってほしいというのは?」
本題は、彼女の方から切り出してくれた。

「先日、ここにお伺いした日に、水無瀬さんのことを特別な人のための特別な花を生けるプロだって説明したんです。そしたら、彼が花をお願いできないかって……。ただ、俺はうまく訳せなくて英語でフラワーアレンジメントって言ってしまったので、生け花との違いも説明していただけると助かります」
そう言って稔は、レネに顔で続きを促した。

「ある女性のためにブーケかアレンジメントを作っていただけませんか」
レネが頼んだとき、愛里紗の顔にはなんとも微妙な表情が浮かんだ。おそらくそれは、この異国で先入観と無知に彼女の華道がフラワーアレンジメントと混同されたときの一瞬の抵抗なのかもしれないと、稔は思った。

 愛里紗は、けれど、レネの頼みを簡単に断るようなことはしなかった。
「大切な女性への花なのかしら?」

「はい」
稔は「ふうん」という顔をした。ヤスミンはここに来ていないとはいえ、義理堅く一途なブラン・ベックがわざわざ特別な花をねぇ。

「承るかどうかを決める前に、どんな目的なのかを訊いても差し支えないかしら?」
愛里紗は、英語で話し続けている。レネとだったらフランス語で会話した方が早いだろうに、稔が同席しているのでそうしているのだろう。

「もちろんです。僕はここにいるヤスたちと出会って大道芸人として暮らし出す前は、ここパリで暮らしていました。その時に出会った女性です」
レネはゆっくりと語り出した。

 レネにとって、パリの日々にはつらい記憶が多い。手品師の専門学校を終えて希望を持って花の都に上がってきたものの、ショーの花型になるどころかまともな稼ぎを得ることすら難しかった。

 モンマルトル界隈のナイトクラブを転々として、はじめはホールスタッフと変わらぬ扱いを受けた。ようやく前座としてマジックショーを披露できるようになるまでは数年かかり、その間にもいろいろな人に利用されたり出し抜かれたりしながら、いつかは手品だけで食べていける日を夢見て暮らしていた。

 恋もした。もともとはホールスタッフとして勤めだしたジョセフィーヌが、レネのアシスタントとして一緒にショーに出演することになってからは、彼女に夢中になった。

 ええっ。その女かよ。稔は話を聞きながらぎょっとした。そいつ、ライバルに寝取られた同棲相手だろ?

「お花を贈りたいのは、その方?」
愛里紗が、口をはさむと、レネは首を振った。

「違います。彼女に、僕は夢中だったけれど、ジョセフィーヌはこの街で僕の味方になってくれた人ではなかった。それはエマだけだったと、今になって思うんです」

「エマ?」
稔は思わず訊いた。一度も聞いたことのない名前だったから。

 レネは、頷いて彼のパリでの物語を続けた。

 ムーラン・ルージュをはさんで、レネの勤めるナイトクラブとちょうど反対ぐらいの距離に小さい煙草屋があった。そこには店の染みのような小さな老婆がいて、いつもなにかに対して文句を言っていた。

「この頃の政治家ってのはなってないね。きれいな顔をして偽善的なことを口にすればまた当選するとでも思っているのかね」
「あんたの横柄な態度になぜこのあたしが我慢しなくちゃいけないのさ。嫌なら2度とこの店に足を踏み入れなければ良いだろ」
「あんたは母国がサッカーに負けたからって、周り中に当たり散らす権利なんかないんだよ」
「禁煙がトレンドだって? ひとの商売の衰退をわざわざ告げに来るとはいいご身分だね」

 それがエマだった。

 レネは煙草の類いは何も嗜まないので、この店に入るときはチョコレートを買うときだけだった。他の店にはない故郷プロヴァンスの小さな工場で作っている銘柄がこの店にはあったのだ。

 レネにとって忘れられない思い出がある。

 それは、パリを去った夏のことだ。ナイトクラブからクビを言い渡されたレネは、とぼとぼと帰り道を歩きながら、故郷の懐かしいチョコレートで心を慰めようとエマの煙草屋に入った。

 レネは、思わず涙をこぼした。今日の午後、買い物から帰ってアパルトマンのドアを開けたら、なぜか同じナイトクラブで働くラウールが、ジョセフィーヌとベッドの上にいた。それだけでもショックなのに、出勤した途端にオーナーから彼のマジックショーは、今後ラウールとジョセフィーヌがやるのでお前はもう来なくてもいいと宣告されてしまったのだ。

 自分の要領がよくないことはわかっていた。ラウールが優れた容姿で客たちから人氣があることもわかっていた。でも、真面目に精一杯生きてきたのに、こんな風に何もかも取りあげられたのかと思うと、やるせなくて涙が止まらない。

 エマは「商売の邪魔になるから泣くな」などとはいわなかった。レネが落ち着くまで待って、話を聞いてくれた。今になって思えば、この街で、レネが自分の弱さや悲しみを吐露できたのは、これが初めてだった。

「あの雌狐なら、そのくらいのことをしても不思議じゃないと思うね。だから何度もいっただろ。あの娘には温かい血が流れていないって。あんたがこのチョコを勧めたとき、小馬鹿にしてそっちの大量生産のチョコをわざわざ買ったことがあったよね。人の思い出を踏みにじるようなヤツは、どんなに見かけがよくても中身は爬虫類と一緒だ」

 レネは、それを聞いてよけい強く泣いた。ジョセフィーヌが、彼の故郷のあらゆる物を馬鹿にしていたことを思いだした。見下されていたのは彼の生まれ故郷ではなくて、彼自身でもあったのだと思うと情けなくて逃げたしたかった。

「仕事も恋人もなくなって、僕はどうしたらいいんだろう」
また1からこの街で手品をやらせてくれる場を探すかと思うと、レネは心から途方に暮れた。

 エマは冷徹にも思える調子で言い放った。
「そもそもこの街はあんたみたいな弱くて純なヤツには向いていないんだよ。ここを離れるのが一番だ」

 レネは言葉を失った。ようやくパリに慣れてきたと思ったのに。少し間を置くと、おずおずと言った。
「でも、どこにいったら……?」

 エマは、少し温かく思える調子に変えてゆっくりと言った。
「南へお行き。あんたの故郷のプロヴァンスでも、もっと南の地中海でも、どこでもいい。ただし、ニースみたいなスノッブでおかしな人間の集まるところに行っちゃダメだ。広くて、大地に足をつけて人びとが助け合いながら生きている土地に行くんだ。最初にいったところにはいなくても、どこかには必ずいる。それを探すんだね。あんたの正直で優しい心持ちを大切にしてくれる輩がね。それを見つけたら、それがあんたのいるべき土地さ」

 稔は、思わずレネの顔を見た。レネは、稔の目を見返して、はにかみながら笑った。

「その通りになったのね」
愛里紗が問う。

「はい。僕は、コルシカでこのヤスに会いました。それから、他の生涯の友達にも」

 エマの直接的でお節介なアドバイスが、あの時レネをコルシカ島に向かわせた。悲しみに押し潰れることなく、新しい人生を探すための必要な背中のひと押しをしてくれたのは、店の染みのような小さな老婆だった。

「わかったわ。その方へ捧げるお花、ぜひ私に作らせてちょうだい」
愛里紗が微笑んだ。

「ありがとうございます、マダム」
レネが前のめりで礼を言う。

「でも、1つだけ確認したいの。西洋で作るいわゆるフラワーアレンジメントは、全方向から見られることを意識して作るものだけれど、日本の生け花というのは、たった一つの方向から見ることを想定してデザインするものなの。その方がどのように受け取るかのシチュエーションは決まっていたら教えてほしいわ」
愛里紗が訊くと、レネははっとして、1度下を見てからふたたび愛里紗の目を見据えた。

「正面は……どういえばいいのか。墓石の上に載せるので……。彼女はモンマルトル墓地に眠っているそうですから」
その言葉に、稔と愛里紗が同時に息を飲んだ。

* * *


「エマ・マリー・プレボワ ここに眠る」
小さな墓石は、必死で探さないと見過ごしてしまいそうだった。エドガー・ドガ、モーリス・ユトリロ、エミール・ゾラ、アレクサンドル・デュマといった錚々たる有名人の墓は大きく立派だが、そのモンマルトル墓地には、地域の一般人も埋葬される。

 まだ、春といっても早いので、陽光は弱く柔らかい。周りの木々には膨らんだ芽はあるが若葉が現れるにはまだしばらくかかるだろう。

「お。来た来た」
稔が手を振ると、かなり向こうから蝶子とヴィルがこちらに向かってくる。

「ごめん。私たちが先につくぐらいだと思ったのに」
「探していた墓は、見つかったのか? ランパルだっけ?」
「ええ。せっかくここに来るんなら、お詣りしたくてね」

 フルートの名手であったジャン・ピエール・ランパルも、モンマルトル墓地に眠っている。そういえば、ブラン・ベックはハイネの墓の場所を探していたから、後でそこに行くんだろうな、と思った。

「それが、例の日本人に作ってもらった花か」
ヴィルが珍しく明らかに感銘を受けたとわかる顔つきで訊いたので、稔はそうだろうなと思った。

 レネは頷いた。手にしているのは半球型に盛られた、花かごだった。といっても花器として使われている籠は苔山で覆われほとんど見えない工夫がしてあり、まるで何もないところに偶然にも木や草花が育ったかのように見える。

 1度左に向かってから弓なりに右に向かう盆栽のような枝振りの木はミモザだ。黄色い花が力強く明るく咲いている。そして、根元に絶妙なバランスでいけられたのは、フランス人のこよなく愛する『田舎風シャンペトルブーケ』でよく使われるカヤ、ユーカリ、コバングサなどだ。それらとともに、薄紫と若緑の野の花を思わせる花々が絶妙なバランスで配置されている。

 レネがその籠を墓石の上に置くと、まるで彼女の墓から草花が遅い春を待てずに萌えだしたかに見えた。

「すごいわね。ここまでフランスっぽい素材だけを使っているのに、これはフラワーアレンジメントじゃなくって華道だってわかるように作れるものなのね……」
蝶子が感心してつぶやいた。

 亡き人を悼む草花は弱い風にそよいでいる。

 レネは、眼鏡を取ると涙を拭った。エマの声が蘇ってくる。
「くよくよするんじゃないよ。あんたが悪いんじゃない。今のめぐり合わせとの相性が悪いだけさ。あんたにふさわしい居場所はきっとあるからね」

(初出:2023年3月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

【小説】藤林家の事情

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第9弾です。

山西 左紀さんは、もう1つ掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!


山西左紀さんの書いてくださった「ドットビズ  隣の天使」

今年2本目の作品は、「隣の天使」シリーズの1つです。といっても過去の作品とは直接関係がないようです。賭け事が大好きで世間的に見ると若干問題があるような行動の兄ちゃんと、世間の評価なんて全く意に介さない自分軸のはっきりした女の子の風変わりな関係が面白い作品でした。

この作品に直接絡む要素はなさそうでしたので、今回は単純に「周りが見ている関係は、本人たちにはどうでもいい」をテーマにちょっとあり得ない世界を書いてみました。


「scriviamo! 2023」について
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藤林家の事情
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 暖かくなると、女たちも噂話の度に凍えなくて済む。今日のようにポカポカしているとなおさらだ。
「見てみて。山田さんのところの……」
「あ。本当だ、いい目の保養になるわねぇ」

 彼女たちが眺めているのは、半年ほど前に7階に越してきた若い男性だ。こざっぱりとした身なりで、すらりと背が高く、非常に整った顔立ちをしている。

「俳優なんですって」
「ああ、そういう感じね~。テレビには出ていなさそうだけど……」
「まあ、テレビでよく見るくらい売れていたら、ああいう方とは住まないわよね」

 意地の悪いクスクス笑い。それが半分やっかみだとわかっていても、彼女たちは山田淑子へ辛辣な評価をしてしまうのだった。彼らが引っ越してきた当初、同じマンションの住人たちの多くは2人が親子、まはた祖母と孫なのだと勘違いしていた。

 それを確認する、婉曲表現を交えた挨拶に、淑子はにこやかに答えたのだ。
「いいえ。ヒロキは私のパートナーですのよ」

 噂は瞬く間にマンション中に広まった。7階はもっとも広く日当たりのいい部屋のある階で、値段も高い。そこを建設中に2軒購入し、壁を取り去って大きな1軒にした人がいた。投資目的で買ったのか、しばらくは誰も入居しなかった。そこに入居してきたのが、そんな曰く付きカップルだったので、なおさら噂話の格好の餌食となったのだ。

 買い物の袋を持っているのは、常に「売れない俳優」ヒロキだ。淑子だけで外出する姿はあまり目撃されない。たいていヒロキが一歩下がって付き添っている。

 淑子の服装は、同年代の女性を考えると派手めだというのが、近所の女たちの評価だ。趣味が悪いというわけではない。だが、例えば紫だと薄紫などよりもはっきりとした京紫を使うし、柄も小花柄などは好まず、市松やウロコ柄、麻の葉といった幾何学紋様をアレンジしたものが多い。

「いやぁね、自分を客観視できないって。それに、あんなに若くて素敵な男性がお金目当て以外の理由で自分を選ぶとでも思っているのかしら」
「ほんっとよね。さっきも外でね、あの人、ちょっと派手めのお姉さんに因縁つけて追い返していたわよ」
「ああ、あれ、イケメンくんが連絡先きかれていたからよ。そりゃあ、真っ青になって追い払うでしょうね。おかしいわぁ」

* * *


「坊。何度申し上げたらわかるんですか。今年の減点はすでに6点ですよ。平均点がこのざまだと、来年も本家には戻れませんが、それでいいんですか」
部屋に戻ると、淑子は詰問をはじめた。

「ごめんよ、篠山。先週現れたばかりだし、またくノ一で接触してくるとは思わず油断しちゃったんだよ」

 この青年、山田ヒロキとは、世を欺く仮の名で、本名は藤林光之助という。忍法藤林家の跡取りであり、当主弦一郎の長男である。

 藤林家のしきたりとして、跡取りは都で一定期間の修行をしてはじめて認められることとなっている。修行期間中には、見聞を広め、当主にふさわしい知見を得ると同時に、仮想敵からの接触に正しく対処し、『三十三の宝』といわれる仮の宝物を1つでも多く守り抜くことが期待されている。

 つまり、やがて当主となる人物の修行と、全国の一族郎党に跡取りが当主としてふさわしい才覚の持ち主であることを明らかにするためのシステムである。『三十三の宝』を1つ1つ自力で取得した後に、それを修行期間中守り抜く事が要求される。

 一方、全国の一族郎党にとっては、修行中の跡取りが手にした『三十三の宝』を奪取することで、個人としての才能が認められ本家での要職につく絶好の機会であり、腕に覚えのある忍びが次々に跡取りの周囲に集まってくる。

 顔だけはいいものの、かなりぼんくら若様である光之助は、物理的攻撃だけでなく、すでに数回のハニートラップに引っかかっており、修行を始めて2年のうちに『三十三の宝』の9品を失っていた。

 また、年間の平均減点が10点を下回ることがなく、このままでは跡取りとして本家に戻れる可能性が限りなくゼロに近いと思われたので、急遽今年からお付きが変更となり、分家の篠山がサポートにつくことになったのだ。

 篠山を引っ張り出したということは、すなわち実権を握る前当主俊之丞が孫息子に対して絶望的な見解を持っていることを意味している。

 俊之丞は、忍び界では藤林家きっての名当主として知られていた。

 40年ほど前の跡取り修行期間は最低限の2年のみ、失点はたったの2点だった。歴代当主の総合失点がおおむね10点前後であることを鑑みると、それだけでも有能なことは証明されているが、『三十三の宝』も奪われたのはたったの1品だった。

 そして、奪ったのは他ならぬ篠山だった。

 藤林で篠山に何かを命じることできるのは、前当主俊之丞とその妻の壱子だけだと言われている。『鬼の篠山』と言われた亡き夫ですら、彼女の納得しない事を強制することは不可能だった。現当主である光之助の父親、弦一郎も篠山に連絡をするときは書状のみ、失礼だというので電話をかけることはしない。

「明日は、合羽橋に行きます。手順は、おわかりですね」
篠山は、光之助が冷蔵庫にしまおうとした薄切り肉のパックを目にも留まらぬ速さで奪った。ぼうっと顔を見てくる若者をじろりと睨むと、卵を取りだし、調理台の方に移動した。

「ええっと、なんか小刀を受け取るんだったっけ?」
光之助は、父親弦一郎から送られてきた指示の巻物を広げながら、ところで合羽橋ってどこだっけなどと情けないことを考えていた。

「韮山の雪割れ花入れ、です。なんのことだかおわかりですよね」
まず、炒り卵、それから甘辛く味をつけた薄切り肉にさっと火を入れて、絹さや、甘酢生姜とともに丼にしたものを食卓に運ぶ。

 ぼーっと座っている光之助は、首を傾げた。
「花入れってことは、陶器かな?」

 篠山が、さっと何かを投げた。頬杖をついている光之助の右手1センチのところで風を切って曲がると、それは回転して箸置きの上にきちんとおさまった。竹の箸だ。

「怖っ。怪我したらどうすんだよ」
「これっぽっちを避けられずに当主になれるとお思いですか。それに何度言ったらわかるんですか。ボーッと座っていないで、食膳を用意なさい」

 光之助は、とりあえず頭を下げた。
「すみません」

 子供の頃から甘やかされた彼は、いまだに怠惰な行動を取ってしまうが、これまでのお付きと違い篠山に楯突くと後でどれほどキツく指導されるかこの半年で十分に学習していた。

 手早く用意されたお吸い物も食卓に運び、自分も座ると篠山は冷たく光之助の無知を指摘した。
「韮山の雪割れといったら竹に決まっているんですよ。明日、行っていただくのは竹製品の専門店です」

「そんなもんまで『三十三の宝』に入っているんだ。竹の花入れなんてゴミみたいなもんじゃん」
「ゴミ……。千利休の愛用品ですが」
「えっ?」

「とにかく今回の品は小さくて奪いやすいので、十分に注意してください。受け取りに時間をかけすぎないこと。また、前回みたいに必要以上にキョロキョロしないことをおすすめします」

 光之助は、前回の失敗を反省しているようには見えなかった。篠山はため息をつきながら青年を見た。惚れ惚れするような美しい所作で吸い物の椀を手にしている。忍びとしては入門したての7歳児よりも使えない男だが、役者としての資質は十分すぎるほどにある。本人をよく知らなければ、「ものすごくできる男」「信じられないほどの切れ者」と勘違いさせるだけの立ち居振る舞いはできるのだ。

 これまでのお付きや身の回りの世話をしてきた者たちが、教育に失敗してきたのは、ひとえにこの青年の外見と中身のギャップに慣れることができず、結局は甘やかすことになったからだった。

 残念ながら、藤林家の当主たるものは、台本を覚えて堂々と振る舞えればいいというものではないので、俊之丞は篠山に頭を下げることになった。

 表向きは、跡取り修行中の光之助の世話をする老女という体裁を取っているが、実際には外で行動するときの警護ならびに任務のサポートに加えて、屋内では忍びとしての再訓練も行っていた。

* * *


 合羽橋は浅草と上野の中間に位置する問屋街の通称であり、さまざまな調理器具、食器、食品サンプルなど料理に関するものはなんでも購入できると評判で観光客にも人氣がある。専門店の数は170を超えると言われる。中には江戸時代からの老舗もあり、さらにその中の一部は藤林の系列一族が経営していた。

 竹製品専門店「林田竹製品総合店」の店主である林田もまた藤林の出身である。隣の食料サンプル店のポップな店構えに押されて、小さな竹製品専門店があることすら氣づかれないことが多いが、高齢の店主と地味な従業員ならびにパートの女性だけで回すのは難しそうなほど、店は奥に深く大量の商品を扱っている。

 光之助は指示書の通り、クレーマーを装って店主の林田と直接話すことになっていた。だが、パートの女性がやたらとにこやかに対応するので、うまく店主を呼び出すところまでたどりつかない。

 しかたなく篠山は店の影から吹き矢を使い、竹製の楊枝を光之助の尻めがけて拭いた。
「いででっ!」

 篠山の睨みに氣がついた光之助は、しかたなく再びクレーマーらしく振る舞い始めた。
「なんだよ。こんなところに楊枝が刺さったぞ。怪我するじゃないか。店主を呼んでこい」

 パートに呼ばれて奥から出てきた林田は、光之助の様子を見て、いかにも実直な老店主のように振る舞っていたが、そばに立っている篠山を見てぎょっとした。跡取り光之助が韮山の雪割れ花入れを受け取りに来ることは知っていたが、だれが付き人となっているかを知らなかったのだ。林田は、篠山の顔を知っている数少ない忍びの1人で、当然ながらすべての失態が当主に伝わることも即座に予測できた。

 急に用心深く奥に案内すると、従業員とパートにわざわざ用事を言いつけて奥に来られないようにした。篠山は、林田と光之助の入った部屋と、店の中間位置に立ち、花入れの受け渡しに邪魔が入らないように見張った。

「今後、氣をつけてくれよ!」
クレーマーの負け惜しみのような捨て台詞を言って光之助が出てきた。林田は光之助ではなく、篠山の顔を見ながらヘコヘコとお辞儀をして見送った。

 店を出る直前に、例のパート女性がにこやかに近づいてきた。
「またどうぞお越しくださいませぇ」

 その手が不自然に光之助の鞄に近づくのを察知して、篠山は再び吹き矢で楊枝を飛ばした。
「うっ」

 光之助は、もうここに奪取者が待っていたことに驚愕したようだが、篠山に目で促され、しかたなく店の外に出た。

 マンションに戻るまで、サラリーマン風の忍び2人と、女子大生を装ったくノ一を撃退せねばならなかった。光之助のあまりの警戒心のなさに呆れつつ、篠山はその夜再びこんこんと説教した。あいかわらず反省した様子は見られない。

「篠山って、若い頃からお祖父ちゃんと仲良かったの?」
光之助は前々からの疑問をぶつけた。

「俊ちゃんとは、入門以来ずっと一緒に訓練してきましたよ」
「へえ。その頃から、お祖父ちゃんは無双だったの? あれ、それとも篠山の亡くなった旦那さんの方が強かったんだっけ?」

 それを聞くと、篠山はふんっと鼻で嗤った。
「一番強かったのは、俊ちゃんでも、篠山でもありませんでしたよ。私が2番、2人はその下でした、常に」

「ええっ。そんな話、初めて聞いたよ。で、誰がもっとも強かったの?」
光之助は、身を乗りだした。

「壱ちゃんですよ」
あたりまえでしょうと言わんばかりに篠山は答えた。

「お祖母ちゃん?! まさか。だって、あの人、箸より重いものは持てないみたいな風情じゃないか」
光之助は腰を抜かさんばかりに驚いた。

「壱ちゃんは、どうしても俊ちゃんと結婚したかったので、俊ちゃんの好みに合わせた振る舞いをしているだけで、本当はわが一族で一番強いんですよ。俊ちゃんも、壱ちゃんが化けていることは重々承知で、当主として一族をまとめるのに壱ちゃんの協力がどうしても必要だったから騙されたフリをしていたんだと思いますよ」

 光之助は、少し口を尖らせていった。
「なーんだ。じゃあ、僕だってこんなに苦労して修行しなくても、できるお嫁さんをもらって、何とかしてもらう方がよくない?」

 篠山は、頭を抱えた。
「いいですか。くノ一は裏方にされることに慣れています。それは男の忍びも同じで、表だった成功は必ずしも求めません。でも、その分仕える相手に対してはシビアなんですよ。顔だけよくてもあなたみたいな無能に、壱ちゃんクラスのくノ一が惚れ込むわけないでしょう」

 光之助は、わずかに目を宙に泳がせた。周りにいくらでもいるくノ一たちは、そういえば誰も彼に惚れてくれなかった。近づいてくるのはハニートラップばかり。ま、でも、もしかしたら全国のどこかには、そういう物好きもいるかも知れないよなあ。

 坊は明らかにわかっていないようだと目の端で捉えた篠山は、今後を思って深いため息をついた。

(初出:2023年3月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】ウサギの郵便

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2023」の第10弾、ラストの作品です。大海彩洋さんは、大河ドラマの第二世代である「ピアニスト慎一」シリーズの作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

 大海彩洋さんの書いてくださった『【ピアニスト慎一シリーズ】光ある方へ 』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。いろいろなことに造詣が深いのは、みなさんご存じの通りです。今回は大河小説「真シリーズ」のメインキャラの1人、ピアニストでもある相川慎一のお話を別の人物の視点から語ってくださいました。私も大好きなラフマニノフのピアノ協奏曲第3番をメインモチーフに書いてくださった重厚な作品です。

お返しどうしようか悩んだのですけれど、今回は彩洋さんの作品とも、ラフマニノフはもちろんのことクラシック音楽とも関係のない作品にしてみました。いや、ラフマニノフの2番をメインモチーフに作品書いた、めちゃくちゃチャラいピアニストとか出している場合じゃないだろうと思ったんですよ。

かすっているのは「亡くなった人からの手紙」だけです。あまりにも遠いので、どこが彩洋さんの作品へのお返しなのかとお思いでしょうが、個人的に、私の今の心情的に、これがお返しです。


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ウサギの郵便
——Special thanks to Oomi Sayo-san


 家具が全てなくなり、がらんとした窓の向こうに、まだ眠っている庭が見えた。施設の中で割り振られたこの部屋は、偶然にも外に小さな薔薇園とハーブ園があって、生涯にわたって庭仕事を愛してきた母親の最後の住処としてはこれ以上望めない僥倖だと喜んだのが昨日のことのようだ。

 彼女は、この部屋に2年半住んだ。たった1週間前には、カリンはここをこんな風に片付けるとは思いもしなかった。このように空っぽの部屋を見るのは2度目で、その時は、誰か親族が一定の期間住んだ痕跡を消し去る作業をしたことを想うことはなかった。思ったよりも早く施設に空き室が出たことを単純に喜んだだけだ。

 父親が亡くなってから10年以上住んだ4部屋もあるフラットでの1人暮らしが難しくなり、2年ほど訪問看護の世話になった後、母親は自らの意思で老人施設に入ることを決めた。トイレとシャワーのついた部屋は、キッチンや冷蔵庫・洗濯機などはないものの、備え付きのベッドとテーブルや椅子・ウォークインクロゼットの他に、小さな家具や装飾品などを運び込むことが許されていて、それぞれが小さいながらも自分のプライベートな生活を楽しむことができた。

 とはいえ、それまでの暮らしで持っていたたくさんの家具や衣装、寝具、家電などの多くを処分することになった。カリンと、遠くで暮らす姉や弟が受け継いだものもあるが、亡くなった父の遺品を始め多くの品物をその時点で処分することになった。

 カリンが受け取ったのは、高価な食器や花瓶などの日用品が大半で、カリン自身が子供の頃に使っていたものなどの大半は処分してもらった。

「これは? 持っていきたいんじゃないの?」
カリンは、その記憶をたどる。その時に母親が見せてきたのは大きいウサギのぬいぐるみだった。郵便屋の制服を着てバッグを斜めがけにしているもので、子供のときの一番のお氣に入りだった。

「やだ。こんなの、まだとってあったの?」
「だって、あなたがとても大切にしていたんだもの。捨てられないわ」
「それは子供の頃だもの。心置きなく捨てちゃっていいわよ。それとも、私がセカンドハンドショップに持っていく?」

 そういうと、母親は残念そうに眺めていたがこう言った。
「喜ぶかもしれない女の子を知っているから、要るか訊いてみるわ」

 カリンは、それを覚えていたらいいけど、という言葉を飲み込んだ。足腰だけでなく、記憶力が衰え始めたために1人暮らしが困難になって施設に入ることになったのだが、それを指摘するのは残酷すぎる。それに、カリン自身の忙しい生活の中で、徒歩で10分以内の距離とはいえ常に観察し続けることは不可能だったので、ようやく施設に行くことを決意してくれてホッとしていたことへの後ろめたさもあった。

 ほぼ毎日のように様子を見にいっていた1人暮らしの頃と比較して、施設に入ってからはずっと楽になった。それでも、毎週、必ず訪問しているのは自分だけで、年に2回ほどしか訪問しない姉と弟についてズルいという想いを持つときもあったし、記憶を失って同じ言葉を繰り返す母親に苛つきぎみに返答してしまうことに落ち込むこともあった。

 たった1週間ほど前まで、それは終わりの見えない日常だった。それが突然に亡くなり、そんな風に解放されることは望んでいなかったと枕を涙で濡らす日々だ。

 思い出すのは、ここ数週間に交わした会話のあれこれだ。

「もうじき春が来るといいわ」
彼女は、訪れる度に同じことを口にした。そう言ったことを、20分後には憶えていなかった。

 昔は春が近づくと「もうじきカリンちゃんのお誕生日ね」と言っていた母親。成人してからはカリン自体が4月に楽しみにするのは復活祭の連休であって自分の誕生日には興味を示さなくなった。それでも、毎年祝っていてくれた母親が、物忘れがひどくなってからはそれも言わなくなった。

 彼女が春を待つ理由はなんだろう。私の誕生日は憶えていないし、でも復活祭は待っているのかしら。

「もうじき春が来るといいわ」
何度もそう告げる母親に、カリンはうんざりしたように答えた。
「そもそも冬なんか来なかったようなものじゃない」

 今年の冬はとても暖かかったので、1月にはヘーゼルナッツの花が咲いてしまったし、ダフネの花もクリスマスの頃からずっとダラダラと咲いていた。

 それでも母親は、窓の外を見ながら言った。
「でも、まだ外で散歩するには早いもの。春になったら……」

 カリンは、それで申しわけのない心持ちになって少し柔らかい言葉を使わなくてはと思った。

 母親がかつてのように外を出歩けないのは、寒い冬のせいではなくて、歩くのがおぼつかなくなっていたからだ。足がむくみ、それを改善するためにと、施設のケアマネージャーの指示で足には強めに圧力バンドが巻き付けられ、それの痛みと暑さで、彼女は以前にも増して室内で座って過ごすようになっていた。

 本を読み、編み物をする。施設の中で与えられた部屋の空間は十分すぎるほどに広いし、彼女はまったく不満を漏らさないけれど、だからといって彼女が幸せの絶頂にいると勝手に判断するべきではなかった。

 カリンはそれらの、たった2週間ほど前に心の中にあった逡巡を思い出して涙を流した。母親を大切に思う氣持ちと、苛立ちとを何度も行き来していたあの日々に、母親はその場に、この世界にカリンと共にいたのだ。

 今は、こんなに春めいている午後に、それをひたすら待っていた母親のいない部屋に立っている。

 家具を自宅の屋根裏へ運び、残っていた衣類や小さな電化製品などをセカンドハンドショップに引き取ってもらい、ほぼ何もなくなった部屋は、掃除をしてゴミと残りの小さな私物を運び出して、ケアマネジャーと確認するだけになっている。

 庭に通じるガラス戸を開けると、まだ眠っている庭の脇に、母親が鳥用に吊していたボール状の餌が見えた。そして、その横に小さなプラスチックの卵がつるしてあった。イースターエッグを吊すにはまだ早かったのにね。カリンは、また少し涙ぐんだ。イースターを待っていたんだね。

 ノックが聞こえたので、カリンは目許を拭って振り向いた。そこには、ケアスタッフのユニフォームを着た女性が立っていた。

「リエン……」
カリンは、その女性を知っていた。かつて母親の住んでいたフラットの隣人だったベトナム人だ。

「心からお悔やみ申し上げます。一昨日ベトナムから帰ってきて、昨日出勤したらマルグリットが亡くなったって聞いて、私ショックで」
リエンは、涙ぐんでいた。

「どうもありがとう。あなた、ここで働いていたのね。知らなかったわ」
カリンが言うと、リエンは頷いた。
「マイが学校に入ったので、去年の秋から働き始めたんです」

 カリンは頷いた。それから、不思議そうにリエンが手に抱えている袋からのぞいているものを見た。リエンは、頷いて中からウサギのぬいぐるみを取りだした。

「これ、マルグリットが、ここに入るときにマイにくれたぬいぐるみなんですけれど……」
「ええ。これ、昔は私のものだったの。母は、あのとき誰かにあげたいと言っていたけれど、マイのことだったのね」

「そうだったんですね。その、それで……」
リエンは袋からウサギのぬいぐるみを出すと、ウサギがしている郵便鞄のボタンを外して中を見せた。

「あ……」
そこには小さな封筒が入っていた。リエンは、それを取りだしてカリンに渡した。

「ごめんなさい。これに氣がついたのは、2か月前なんです。でも、ウサギをもらってから2年も経っているし、次に出勤するときにマルグリットに返せばいいかと思って、そのままベトナムに帰省しました。でも、昨日訃報を聞いて……。これはマイに宛てた手紙じゃないので、お返しした方がいいと思いました」

 カリンは震える手で封筒を開けて、手紙を読んだ。

カリンちゃん、7歳のお誕生日おめでとう。
あなたの健やかな成長と幸せを祈って、このウサギを贈ります。
ウサギのように元氣よく飛び回ってください。
好奇心いっぱいに世界を嗅ぎまわってください。
たくさん食べて、ぐっすり眠ってください。
そして、悲しいことや辛いことがあっても、次の朝にはすっかり消えてしまいますように。

パパとママより


 カリンは、リエンの前だということも忘れて泣いた。母親は、ぬいぐるみの鞄にこの手紙を入れたままにしていることを忘れて、ウサギをマイにあげたのだろう。

 カリン自身はこの手紙の存在は全く憶えていなかった。子供の頃は意味がよくわからなかっただろうし、わかっていたとしても今ほどの重みは感じなかっただろう。

 リエンは、号泣するカリンの背中をしばらく撫でていたが、やがて言った。
「このカードだけじゃなくて、もしかしたらこのウサギも、今のあなたに必要なんじゃないかと思って、持ってきました」

「だって、マイが悲しむんじゃないかしら?」
「いいえ。マイはほかにもたくさんぬいぐるみを持っていますから、大丈夫です」

 カリンは、礼を言ってウサギを受け取った。リエンが去った後、しばらく部屋の中で座っていた。

 自分の子供が成人するような年齢になって、大きなぬいぐるみを抱えることになるとは思わなかったけれど、今はたしかにこの温もりが必要だった。

 ぬいぐるみに顔を埋めると、長いこと忘れていた今はない実家の絨毯に転がったときと同じ香りがした。まだ子供で、自分も両親もこの世からいなくなるようなことが、まったく脳裏になかった幸福な時代。
 
 大切な人がいなくなり、何もなくなったがらんどうの部屋に、ウサギの郵便屋が遅くなった郵便を届けに来た。

 想いも絆も消えていない。ただ、遠く離れただけだ。これから幾度の春を、あなたなしで迎えることになるのだろう。その度に、私はこの手紙を読んではウサギを抱きしめるのだろう。

 カリンは、葬儀の日にうたった賛美歌を口ずさみながら、部屋の中に夕陽が入ってくるのを眺めていた。

また会あう日まで、
また会あう日まで、
神の守り
汝が身を離れざれ。

「賛美歌 405 かみとともにいまして」より



(初出:2023年3月 書き下ろし)

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Gott mit euch, bis wir uns wiedersehn
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Category : scriviamo! 2023
Tag : 小説 読み切り小説