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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

今日は……

「今日は」ってお題だけれど、実は前日に予約投稿してます。ここしばらくずっと。だって、時差があって、みなさんが起きている時間に投稿できないんですもの。

で、今日で五月も終わり。つまり、「第三回目となった短編小説書いてみよう会」の投稿締め切り日でもあるのです。私はとっくに投稿してしまったので、リラックスしまくっていましたが、まだ終わっていません。

投稿したらおしまいではなくて、参加作品の感想を書くって義務もあるんですね。それの締め切りは6月10日。書こうにも作品が投稿されなきゃ書けないもん、と思っていたら、実は私のグループの方の作品はほとんど出揃っているんですね。もう一つのグループも、お一方出ているんで、書こうと思えば書けるんですが。

でも、書くの躊躇してます。だって褒めるだけなら喜んで書くけれど、「いい所」と「悪い所」を書くってルールがあるんですよ。自分の小説だって至らない所がいっぱいあるのに、人の「悪い所」ですか……。う〜む、困ったな。誰か先に書いてくれないかな、そう思ってキョロキョロしております。

でもね、私の所は、本当にこてんぱんに書いて下さっていいんですよ。私は勉強のつもりで参加したんで。どうぞよろしく。
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Category : 『短編小説書いてみよう会』

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (15)ロンダ、崖の上より

アンダルシアでもう一つのお氣に入りの街がロンダです。崖の上に浮かんでいるような街。マラガからバスに乗って行きます。遥かに広がる大地を眺めていると、日々の生活のつまらない事を忘れていきます。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(15)ロンダ、崖の上より


「ヤスは、遅いわねぇ。今からみんなで出るとすれ違っちゃうかもしれないし、どうしようかしら」

 蝶子は買い出しにはもうあまり時間がないと、心配して時計を見た。

 稔は園城真耶に電話をしにいっていた。蝶子がそろそろ手紙が着いた頃なので電話をしにいくというと、大学以来面識のない自分の分まで戸籍謄本をとってもらうのに、挨拶の一言もないというのは礼儀にかなわないと主張した。それももっともだと蝶子も思ったので、電話の方は稔に頼むことにしたのだ。しかし、思ったよりも時間がかかっているようだった。

「二人で行ってきてください。ヤスが帰ってきたら、そういいますから」
レネが言った。
「なんだか熱っぽいんです。今晩は食事抜きで寝ていますよ」

 怪訝な顔で蝶子はぐったりするレネの額に手を置いた。レネは赤い顔をもっと赤くした。

「いやだ。すごい熱じゃない! 今すぐベッドに入って」
蝶子は命令した。ヴィルはすぐに上着を取り、出て行く準備を始めた。閉店前に薬を買ってこなくてはならない。蝶子は「すぐにもどるから」と言ってヴィルと一緒に外に出た。

「確か、パラドール前の広場に薬局があったはずよ」
その通りだった。ヴィルは熱冷ましの薬と体温計を買った。

 蝶子は外に出ると言った。
「ビタミンCも摂った方がいいわよね。オレンジかしら。ついでに買いに行きましょう」

「交渉は、あんたがするんだな」
ヴィルはぼそっと言った。蝶子は吹き出した。はじめて会った時、この人イタリアの果物屋の親父にぼったくられていたわよね。

 果物屋を求めて、橋の向こう側へと渡る。橋の上にきた時に、蝶子は思わず停まった。
「まあ」

 ロンダの街は本当に崖の上にあるのだ。橋は地上百メートルの高さに浮かんでいるようだ。その先にはアンダルシアの大地が広がっている。

 鷹が風に支えられて遥かに続く赤茶けた大地の上を遠くへ遠くへと飛んでいく。その力強い飛翔をみつめる蝶子の横顔に夕日があたっていた。
「ああやって、飛べたらいいっていつも思っていたわ」

 ヴィルは黙っていたが、聴いているという印に蝶子の方に向き直った。蝶子は鷹を目で追っていた。父親のことを考えているのだろうかと、ヴィルは考えた。腹の底に痛みが走る。ミラノで会った時には、こんなことになるとは夢にも思わなかった。

 半ば強制的に引かされた二枚のタロットカード。愛の始まりと誤算。ブラン・ベック、あんたは本当に大した占い師だ。これが運命だとしたら何の因果なのだろう。父親が愛し、母親が憎んだ女。

 父親は絶対に認めないだろうし、母親が今でも生きていたとしたら、間違いなく更に逆上した事だろう。

「ああいう風に自由になりたかった。本当の自由になんか、誰もなれないのにね」
蝶子は続けた。

「あんたは今でも過去から自由になれないのか」
蝶子は、振り向いた。
「逃れたかったものからは自由になったわ。でも、失いたくないものが出来てしまったの。前はそんなもの何もなかったのに」

「あんたがいま持っているものは、何も失わない」

 蝶子は意外そうにヴィルを見た。ヴィルは青い目で蝶子の目を覗き込みながら続けた。
「あんたは最低限のものしか持っていない。そしてそれは誰にも奪えない。あんた自身が手離そうとしない限り」

 でも、それはヤスやブラン・ベックやそれからあなたの事なのよ、テデスコ。蝶子は思った。私が絶対にあなたたちを失わないなんて、どうして知っているの。

 だが、ヴィルは蝶子の言う意味を正確にわかっていた。稔やレネはArtistas callejerosから離れる事はない。つまり蝶子の側を離れない。ヴィルの心も同じだった。だが、いつかは俺が誰なのか、あんたにわかる日が来る。その時にはあんたは俺から離れていくだろう。

「急がなくちゃね」
蝶子は足を速めた。ひどい後ろめたさを感じて。かわいそうなブラン・ベックのことを完全に忘れてしまったじゃない。青い目に吸い込まれそうだった。

 レネや稔だけでなく、蝶子もヴィルの変化を感じ取っていた。出会った頃は殻にこもり、いつもひどく身構えていた。そしてもっと冷たかった。とくに蝶子に容赦がなかった。あの頃、蝶子はヴィルとの舌戦を楽しんでいた。すぐに傷ついてしまうレネや、日本人同士の稔とは出来ないゲームだった。世界を斜めに見ているヴィルの冷たさは、自分も同じく世界に熱くなれない蝶子には心地が良かった。それでいて、多くを語らなくてもわかり合える何かがあった。蝶子がヴィルの無表情から、彼の喜怒哀楽を正確に読み取れるようになるのにさほど時間はかからなかった。稔やレネも同じくその技術を身につけた。

 ヴィルはレネに優しく、稔に敬意を表し、蝶子に厳しかった。そのバランスが三人ともとても心地よかった。それが動き始めている。蝶子に対しての鋭さが薄れてきているのだ。時には優しいとすら言えるような態度を示す。それが蝶子を不安にさせた。

 変わらないでほしい。それが蝶子の願いだった。この果てしない旅をいつまでも四人で続けたい。本来は無理な願いを蝶子は持っていた。いつ、レネがパリに戻りたいと言い出すか、いつ稔が日本に戻ると宣言するか、それは誰にもわからないし止められなかった。過去の事を一切語ろうとしないヴィルも、まともな暮らしをもとめていつ去ってしまうかわからなかった。けれど蝶子には帰るところがなかった。

 かつては誰にも求められない存在である事に傷ついたりはしなかった。フルートを吹きたい、それだけが蝶子の生きている意味だった。家族や友だちなど必要なかった。自分に愛を打ち明けた何人もの男性を拒否することにも何の感傷もなかった。彼らがその後、簡単に自分の人生から姿を消してしまったことにも苦痛はなかった。

 けれど、蝶子はArtistas callejerosのメンバーは失いたくなかった。最初からレネが女としての自分に興味を示していても、頑として無視したのはそのためだった。レネは蝶子のコンピュータの重要データのたとえを理解し、蝶子には真剣になっていない。いつものブラン・ベックとして蝶子の側にいる事を選んでくれている。この距離感があれば、蝶子はレネと百歳になるまで仲間として一緒にいられる事を肌で感じていた。

 稔が蝶子をトカゲ扱いして、最初から恋愛対象から完全除外してくれているのもとても有難かった。兄妹のような近さで、同じ国から来た同胞としてやはり変わらない友情と尊敬を保ち続けられる、その予感が蝶子を安心させていた。

 けれど、ヴィルの事は何もわからなかった。何も知らなかった。知りたいと思うのは、興味本位ではなく、信頼の問題だった。はじめの頃は一切話さなかった両親との確執や、エッシェンドルフ教授との問題を、蝶子はぼかした形とはいえ、三人にさらけ出していた。他の二人も、そうだった。ヴィルだけが違った。レネが泣きながら妹の思い出を語ったような、もしくは稔が遠藤陽子にあてた送金の話を打ち明けたような、痛みの共有が何もなかった。両親の思い出も、バイエルンでの体験も何も話そうとしなかった。なぜピアノがあれほど上手いのか、それでいてなぜ演劇をやっていたとしかいわないのか、それも蝶子を不安にさせた。

 最初は蝶子のようなタイプの女が嫌いなのだと思っていた。こういう性格だと女としては好かれるよりも嫌われる事が多いので、不思議はなかった。稔がそうであるように、人間として仲間として認めてくれていれば、それで十分だったし、かえって有難かった。蝶子も安心して男としての除外範囲に押し込められるからだ。ハードディスクの重要データとして、それはとても大切な事だった。そうでなくともレネのようにうかつに尻尾を振ってくれれば、軽くいなす事もできた。

 けれど、先ほどのように青い目でじっとみつめられると、蝶子の居心地はひどく悪くなる。めったに口を開かないくせに、全く不似合いな優しい言葉を遣われると、どうしていいのかわからなくなる。何を考えているのかわからない。彼も、自分も。蝶子にできるのは、はぐらかす事だけだった。


「う~ん。ひどい熱だな」
稔が体温計を透かしながら言った。レネはヴィルから薬と水を入れたグラスを受け取り、難儀そうに飲み込んだ。蝶子はオレンジを絞っていた。

「いつから具合悪かったんだ?」
「今朝寒いなと思ったんですけれど……」
赤い顔でつぶやくレネはまるで稔に怒られてしょげているように見えた。

 稔はオレンジジュースを持ってきた蝶子に場所を譲った。
「この部屋は風が通るんだよな。少しましな宿に移そうか」
「そうね。その方がいいかもね。ホテル探してこようかしら」

 するとレネは大きく首を振った。
「探さなくていいです。みんなが側にいる方が安心だから……」

 三人は顔を見合わせた。ヴィルが毛布をもう一枚かけてやった。やがて薬が効いてきたのかレネは寝息を立てだした。

 三人はレネが目を醒まさないように、小声で話をした。
「どうする。ブラン・ベックが治るまで、仕事には出ない方がいいよな」
「そうね。ずいぶん心細くなっているみたいだし」

「医者に診せなくていいのか」
「明日の朝まだ同じ状態だったら、診せた方がいいと思うわ」

 蝶子は不安そうにレネを見た。今まで仲間の誰も医者が必要になるような病氣や怪我をしたことがなかった。だから、そういうものとは無縁だと思っていた。けれど、生きている以上、こうしたことはいつでも起こりうる。明日蝶子自身もそうなるかもしれないのだ。蝶子は健康保険に加入していないことを思い出した。

「ブラン・ベック、保険に入っているのかなあ」
稔も同じことを考えていたらしかった。

「フランスの保険はスペインでは効かないぞ」
ヴィルが言った。

「だよなあ。テデスコ、お前は?」
「かつては、海外でも効く保険に入っていたよ。だが、ドイツを出て以来、掛け金を払っていないから申請をしても支払いを拒否されるだろうな。あんたたちは保険かけて大道芸人しているのか?」

「そんなわけないでしょう。私たち全員アウトだわ」
蝶子はため息をついた。

「大道芸人生活って、若くて健康だからこそできるのよね」
「そうだな。ヴィザすらない俺たちは保険だってかけられないぞ」
稔も真剣な顔でいった。

「ねぇ。なんとかしましょう」
蝶子はきりりとした目で稔を見つめた。稔はたじたじとなった。
「なんだよ、なんとかって」

「ヴィザよ。とにかく少しでも合法的にこの生活が続けられるように、取得しましょう」
「そんなこと言ったって、どうすんだよ」

「だって、私たちには何人か雇い主がいるじゃない。コモのロッコ氏とかマラガのカデラス氏とか。誰か一人でもヴィザの申請をしてくれるように頼んでみるのよ。なんなら、色仕掛けでも……」

「やめろよ、そんなこと」
稔が即座に否定した。

「なぜよ」
「そりゃ、お前なら、結婚でもしてすぐにヴィザ用意してくれそうなヤツだってすぐに見つかるだろうけど、そんなことをしたらせっかく逃げ出してきた意味がないじゃないか。それに男の純情をヴィザのためなんかに利用するんじゃねぇ」

 稔が蝶子にこんこんと説教するのを、ヴィルは少しほっとして聴いていた。稔が言っているのはカルロスのことだと思った。だが、稔は実はヴィルのために蝶子を説得していたのだ。自分の分も含むヴィザのためにヴィルが苦しむようなことをさせるのは絶対に嫌だった。

「わかったわ。色仕掛けはやめるわよ。でも、助けてくれるか頼むぐらいはいいでしょう? それとも、私たち二人、日本に帰るべき?」
「ち。なんだよ。俺の泣き所をついてくるじゃねぇか。まあ、いいよ。とりあえず例によってギョロ目にでも相談するんだな。だけど、色仕掛けは厳禁だぞ」

「カルちゃんに色仕掛けの必要はないわよ」
蝶子は澄まして答えた。ヴィルが苦しそうな表情をしたのを、稔は目の端で捉えた。


 幸いレネの熱は朝には下がっていた。
「すみません。お騒がせしました」
「まだ寝ていなきゃ。あらやだ、すごい汗をかいたんじゃない。すぐに着替えて。ついでだから今日は洗濯日にしてしまいましょう」

 蝶子はてきぱきと面倒を見た。レネは幸せだった。弱っている時に頼れる仲間がいるってなんて素敵なんだろう。
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Category : 小説・大道芸人たち
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

「1日に最大何km歩いたことがありますか?」

確実にこれはやったと、断言できる長さは24km弱ですね。片道12kmを往復。海外の面白い街にいたりすると、一日中、足が棒になるまで歩いていたりするので、本当はもっと歩いた事があるのかもしれないと思ったりもします。

歩いた距離が長いことよりも、足場が悪い山道、もしくは膝まである雪をかき分けて、という方が大変だと感じる事があります。例えば、最寄り駅から我が家までは3kmしかないんですが、真冬の雪の中、特に日が暮れてから冷え込みだしたときなど、まさに涙目で家に辿り着きました。

距離が大変と言えば、お遍路さんや、サンチアゴ・デ・コンポステラへの巡礼に参加する人たちは、毎日ものすごい距離を歩きますよね。到達しなくては意味がないので、「疲れたし、もういいや、帰ろ」とか「ここから先はバスでいいか」と勝手に出来ないのも大変だと思います。ちょっとやってみたい氣はするものの、ヘタレなのでやり通す自信はゼロです。

こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「1日に最大何km歩いたことがありますか?」です。水谷は、昔、7年くらい前に歩いて旅をしていたことがあったのですがその時に、1日で最大40km歩いたことがありました。荷物を持ちながら、景色も楽しんだりしたのもあって40kmの距離を歩くのに、8時間~10時間くらいかかりました。マラソン選手は、42.195kmもの距離を2~3時間で走ると...
トラックバックテーマ 第1436回「1日に最大何km歩いたことがありますか?」

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Posted by 八少女 夕

「ワタシ」と「アナタ」

きちんと日本語を学んだ外国人が、途中から発狂しだすのが「人称」と「数詞」です。英語で言うと "I" と "you" でしかない一人称と二人称がどれだけあることか。なぜ牛の数え方とコップの数え方は違うのか。(なぜウサギやイカは普通に数えられないのか、という高度な問題に達したガイジンには幸い逢った事がありませんが)

なぜ、そうなったのかという考察は、言語学者に任せておくことにします。単に、私は自分が小説を書くから、日本語って便利だなと思っているのです。

設問:以下の(1) - (3)の一人称ならびに二人称を(a) - (c)の人物に結びつけよ。
 (1) 僕 あなた
 (2) アタシ あんた
 (3) 余 そなた

 (a) バー『dangerous liaison』の経営者トミー(ゲイ)
 (b) グランドロン国王 レオポルド一世
 (c) 「大道芸人たち」登場人物、フランス人レネ・ローレンヴィル

正解: (1)-(c), (2)-(a), (3)-(b)
私の小説を一本も読んだ事がなくても、まず全員正解できると思います。

私がこのブログに投稿した(またはする予定の)小説には、本当に日本語を話しているという設定はほとんどなく、上記の人物たちも実際には "I" と "you" か "Ich" と" Sie (Du)" などの人称を使っているのですが、私は登場人物の設定と同時に必ず日本語での人称も設定しています。なぜかというと、読む方にも誰が話しているのか、どういう人物なのかが、うっすらとこれでわかるからです。

「大道芸人たち」の主要登場人物たちは、それぞれ違う日本語の一人称と二人称の組み合わせを使います。だからそれで話し手がわかる場合には、「と、○○は言った」を省略したりもしています。実際には彼らは英語で会話をしている設定なので "I" と "you" しか使っていないのですが。

ごく稀に、話の都合や流れで、彼らの人称や呼びかけが一致しない事があります。しかし、実際には想定している言語では完全に一致しているのです。「お前」「あなた」「あんた」(すべてYou)、「お父さん」「親父」(Mein Vater) などです。それらを見つけた時にはこれは英語またはドイツ語をその時の感情と状況に合わせて日本語訳している結果だと思っていただければ幸いです。

薔薇が咲いた
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Posted by 八少女 夕

峠は山の上下

というわけで、無事に帰って参りました。

昨日は、「ちょっと近場までドライブに行こう」と言われたのですが、これまでの経験からささっと用意した「パスポート、歯ブラシセット、肌着とTシャツ」が役に立ちました。ま、パスポートはいらなかったんですけれど、我が家はイタリアからもオーストリアからもつまりリヒテンシュタインからもそれぞれ30分も走れば行ける距離にありまして、「近場」の範囲に海外が混じっているんですね。(笑)

ルクマニア峠

ほんのちょっと走れば「おお、スイス」な風景に恵まれています。この写真は、昨日彼の思いつきで越えたルクマニア峠です。たとえ先ほどまでタンクトップでも暑いくらいであっても、アルプスを越えるのですから寒いです。とくにバイクなので、防寒ばっちりにしないと。もちろん防寒具は常に持って行くのです。で、夕方に峠を越えると言われた時点で、「こりゃ泊まりだな」と察する私。結婚して十年もすると、相手の無計画さ、唐突さにも全く動じなくなります。

峠を越えたら、そこはイタリア語圏。つい先程までどっぷりイタリア語の会話に浸かっていました。太陽の光の下、新緑に輝く葡萄棚の下でメルローの赤、できたての生乳チーズとバゲットをつつきながら、幸せな日曜日を過ごしました。

で、再び峠を越えてドイツ語圏に戻ってきました。全く雰囲氣の違う世界ですが、我が家に帰るっていうのも悪くないですね。さて、今夜は何を作ろうかな……。
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Posted by 八少女 夕

遠出ついでに



ドライブしているうちに、遠くまで来てしまいました。
泊まりになったので、コメントの返信と皆様のブログ訪問は明日になります。

いつもありがとうございます\(^o^)/
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Posted by 八少女 夕

理屈っぽさについて

おや〜? こんなテーマなのにいつものトラックバック記事より、さらに反応がいい?

ということで、再び引っ張ってみる事にしました。まさか、火山の部分がウケたわけじゃないですよね? そっちじゃないと勝手に決めて話を進めます。

スイスに来て、最初に面食らったのが、こちらの人間の発する「Warum(なんで)?」攻撃でした。「私、洋梨はあまり好きじゃないんだ」とうっかり口にしても、「うちの旦那は迎えにこないでしょ」と自虐的に断定しても、速攻で「理由を述べよ」と突っ込まれてしまうのです。日本だったら「へえ」とか「そんなことないって〜」と返ってくる話だから、自分の発言に責任を持つなんてことはあまりなかったのですが、こちらはそんな事は許されません。謙遜で身内を若干貶めるという風習もないので、下手な事を言うと本氣で心配されてしまいます。

何でもない話題でこれですから、深刻な話題になると、普段からよほどきちんと考えて回答を用意しておかないととんでもないことになります。例えば「第二次世界大戦の事をどう思うか」とか「フクシマは今、どうなっていて、今後はどうなっていくのか」とか「スイスとヨーロッパ連合の未来についてどう考えているのか」または「移民についてどう思うか」というようなテーマです。

彼らはどんな事についても、自分の得た情報をもとに(デマもありますが)理路整然と話す事こそが会話だと思っているので、日本式の会話の進め方には時々面食らうようです。

我が家に日本からの客が来ると、うちの旦那をはじめとしてほぼ全てのガイジン軍団は初対面の人でも「フクシマについてどう思う?」と必ず訊きます。で、多くの日本人(女性)は笑って何も答えないんですよね。「1. こんな深刻なテーマなのになぜ笑うのか」「2. なぜ当事者なのに意見がないのか」この二つにガイジンはたいていショックを受けます。言葉の問題ではありません。はっきり日本語で意見を言ってくれれば、私は当然通訳しますから。でも、笑って終わりなんですよ。「え〜、えへへ」って。

ガイジンが理屈っぽいのは確かです。洋梨の好き嫌いまで、つべこべいうなというのは理解できます。でも、多くの日本人がものすごく大切な事を自分の頭で考えていないのも事実です。考えていないわけではなくても、起承転結をまとめて口にした事がないので、それを突然命じられても二秒で切り返せない、そういう事だと思います。ガーガー意見を言うのが偉いというわけではありません。でも、よく考えて、理論を口にする事も大切です。世界の多くの国では、意見を言わない者の氣持ちは全く尊重されないということを知るべきです。それと、ヨーロッパで照れ隠しに笑うのはやめましょう。ものすごく誤解されますから。

そういうわけで、私は鍛えられてそうとう理屈っぽくなっております。「こいつ、キツっ」とお思いになった方、もしくは「理屈っぽいよ」とうんざりした方、これはゲルマン病の一種と思ってご容赦ください。

夏のせせらぎ
この画像は本文と全く関係ないです。夏っぽくなったので嬉しくて。
こういう訳の分からない事をするからガイジンにも突っ込まれるのかな。
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Posted by 八少女 夕

大道芸人たちの見た風景 - 1 -

海外っぽい写真、わりと評判がいいので、読んでほしい小説「大道芸人たち」のアピールを交えてシリーズ化してしまおうという無茶な企画です。

コルドバにて

第一回目に選んだのは、スペインの光と影を一番表していると思うこの一枚。コルドバのメスキータです。もともとモスクだった建物をそのまま教会にしてしまっているので、モスクのアーチにステンドグラスの光が投げかけられていて、それが単に美しいだけでなく、どこか悲しさを漂わせている、まさにスペインな風景。

「大道芸人たち」の登場人物たちは、このスペインの光と影にどっぷりとやられ、イタリア時代とは違った雰囲氣になりつつあります。そう、何もかもスペインのせいなんです。

この記事を読んで「大道芸人たち」を読みたくなった方は、こちらからどうぞ
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Posted by 八少女 夕

「怒りはためる方?すぐ発散するほう?」

そうですね。そんなに長くため込む方ではないですね。ただ、キラウェア火山ではないですね。つまりいつも怒りを垂れ流しているわけではないです。でも、休火山と間違えられるほど、噴火しないわけではありません。桜島って感じかな。

怒りとはちょっと違うんですが、移住してこちらの人たちに慣れたせいか、日本の人たちから「キツくなった」と言われる事が増えましたね。欧米人、特にゲルマン系の人たちは理屈っぽいんですよ。で、彼らとの会話に鍛えられているので、日本人と会話していてもつい言葉尻を捕らえちゃうみたいで。で、ちゃんと背景なり理屈を訊いているだけなのに、日本の特に女性の方は「怒られた」と感じる方が多いみたい。そうじゃないんです。単に、「好きなのか、嫌いなのか」「したいのか、したくないのか」「どういう理由でそう思うのか」と訊いているだけなんです。でも、そう訊いても「みんなが」とか「なんとなく」とか返ってくる方が多かったりするんで、そうなったら諦めて会話を終わらせます。

私程度でショックを受けていたら、ゲルマン人の間では三日と暮らせないと思うんですけれどね。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。今日のテーマは「怒りはためる方?すぐ発散するほう?」です。腹立つことがあっても、それを誰かに言ったり怒ったりしないで溜め込むタイプの人。すぐにその相手や物事にカーッとなって、発散させてしまう人。いろんなタイプがいると思いますが、あなたは怒りをどう処理するタイプですか?ほうじょうは、怒ったことに余り気づかず、あとでムカムカしてきて、それ...
トラックバックテーマ 第1434回「怒りはためる方?すぐ発散するほう?」

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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (14)カルモナ、白い午後 -2-

真夏のアンダルシアの光はとても強く、真っ白い壁の街はその光をさらに強烈に旅びとの心に刻みます。午睡を楽しむ街の家のパティオを覗き込むと、アラブ風のタイルと南国の植物に囲まれて凊やかな噴水が見えます。これ、王宮の話ではなく、カルモナのただの一般民家のことです。異国情緒を楽しみたい方にはおすすめの街ですよ。

さて、二回に分けたカルモナの章の後編です。


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大道芸人たち Artistas callejeros
(14)カルモナ、白い午後  後編


「二人は遅いわね。もう一杯頼もうかな。テデスコ、あなたは?」
空になったティント・デ・ベラーノのグラスを振りながら蝶子が訊いた。
 ヴィルは黙って自分の空になったセルベッサのグラスを示した。蝶子は肩をすくめるとウェイトレスを呼び、二人分のお替わりを注文した。

「さ。私は書き終えたから、ひと言書いてちょうだい」
蝶子は、便せんをヴィルに渡した。

「一足早い春を楽しんでいる」
そう書き添えた。蝶子が覗き込んでいった。
「テデスコって、まさにドイツ人っていう字を書くのよね。きっちりとして、読みやすい、カリグラフィのお手本みたい」

「あんたの字の方がきれいだ」
「ドイツで仕込まれたのよ。汚い字は人生の面汚しだって」
蝶子はせせら笑うように言った。親父のいいそうな事だ。ヴィルは思った。

 ヴィルの字も父親に強制された結果だった。ロッコ氏が感心した蝶子とヴィルの身のこなしも、偏執狂的と言ってもいいほどの完璧主義のエッシェンドルフ教授の厳しい教育の成果だった。もちろん二人の奏でる音楽も。蝶子とヴィルはどちらも教授の自慢の作品だった。ヴィルは幼少の頃から父親の美意識を叩き込まれて育った。どれほど反発し、憎むようになっても、同じ音楽を愛するように、女に対しても同じ理想をどこかに持っていたのかもしれない。よりにもよってなぜこの女なんだ。世界中にはこんなに女がいるのに。

 ヴィルには三つものハンデがあった。一つははじめての経験でどう感情表現していいか、まったくわからないことだった。舞台の演技とは全く違う。セックスだけが目的で行きずりの女を誘うのともわけが違う。二つ目のハンデは蝶子がArtistas callejerosの仲間は恋愛除外に指定している事だった。こんなに近くにいるのに。そして三つ目は、自分が誰だか明らかに出来ない事情だった。さっさとこんな馬鹿げた感情は摘み取ってしまわなくては、ヴィルはそう思っていた。しかし、それと反対に心は動いた。


「おい、ブラン・ベック。いい本が買えたのか」
「ええ。なんとロルカのフランス語対訳本があったんですよ。セビリヤにはなかったから期待していなかったんですけれど」

 稔はレネがコブラ女の呪縛から放たれたことを感じてほっとしていた。基本的にこの手の呪縛からの解放には物理的な距離が大きな助けとなるのだ。ひとまず安心だな。だが、稔はArtistas callejerosの潜在的なリーダーとして、もう一つの呪縛には同じ解決策を適用できないことを感じていた。

 稔は、かなり先に見えているバルに座っている蝶子とヴィルを見て腕を組んだ。蝶子が何か紙を覗き込んでいるのだが、ヴィルはその蝶子を見つめていた。

「おい。どう思う」
稔は顎で二人を指して言った。

「どうって、あの二人のことですか」
レネは答えに困った。

「テデスコだよ。やばいよな」
「やばいって、何がですか」
「トカゲ女にはまったらしい」

 レネは多少ふくれっ面で抗議した。
「僕だって、パビヨンをずっと好きだったのに、ヤスはなんでテデスコだけ心配するんですか」

 稔は笑った。
「そうだっけな。でも、お前はいいんだよ。だって、トカゲ女だけじゃなくて、あっちにもこっちにも惚れて、黙って思い詰めているわけじゃないじゃないか」

 そういわれてみれば、その通りだった。

「でも、テデスコだって『外泊』とかしていたじゃないですか」
「それだよ」
稔は再び考え込むような顔になった。

「あいつ、『外泊』しなくなっちゃったじゃないか。相当マジになりかけているってことだろ」
「そんなに心配することなんですか? パピヨンが素敵なのは事実だし、別にいいと思うんですけれど」

 稔は少し黙った。
 あれはアルヘシラスに向かうバスの中だった。グラナダで遅くまで飲んでいて、朝が早かったので、蝶子はバスの中で眠っていた。誰が誰の隣に座るなどということは誰も氣にしていない。その日は稔が蝶子の隣だった。深く眠りに落ちて、蝶子は稔にもたれかかった。

 口をきかなければ、こいつかわいいじゃん。稔はそう思った。けれど、次第に重くなってきた。特に肩甲骨の上に重みをかけられると痛い。

「ちょいと、ごめんよ」
そういいながら、稔は蝶子の頭を少し動かした。それが日本語だったので、深い眠りから戻ってこなかった蝶子は自然に日本語で寝ぼけた。

「やめてよ。眠いの」
 そういって、こんどは稔の腕に顔を埋めてしまった。おい。トカゲ女。誰がそんなことしていいって言った。そのときに蝶子の日本語の声でこちらを振り向いたヴィルと目が合った。

 ヴィルはいつもの無表情だった。けれど、その乏しい表情から正確な喜怒哀楽を読み取る能力のある稔は、ヴィルの心の痛みを即座に感じ取った。いや、こいつが寝ぼけているだけで、俺とトカゲ女は全くなんでもないから。稔は目で必死に訴えたが、ヴィルは何も言わずに目をそらした。げ。こいつマジかよ。稔はそのときにヴィルが蝶子に魅かれていることを知ったのだ。こんなやつ、やめた方がいいって。稔は思った。けれど、人の心が止められないことぐらい、稔にはよくわかっていた。

「テデスコはお前と違って、想いを外に出せないだろう。クールに見えるけれど、そうとうの情熱家なのは音を聴けばわかる。ああやって黙っていると、どんどんはまると思うんだけどなあ」

「テデスコは口や表情には出さなくても、ちゃんと想いを外に出していますよ」
レネが言った。

「ん?」
「ピアノ、すごくロマンティックに弾くじゃないですか」
「それだよ。この間のピアソラ。あんなに苦しい音を出されたんじゃ、こっちが持たないじゃないか」
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Category : 小説・大道芸人たち
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (14)カルモナ、白い午後 -1-

セビリヤから30Kmほどバスに揺られて行くと、こじんまりとした美しい城下町カルモナに着きます。母がパラドールに泊まりたいと言ってはじめて行ったこの街は、後に旦那もすっかりファンになり、私は合計で三回訪れています。丘の上のお城を改造したパラドールに宿泊するのは決して安くはありませんが、とても素敵です。私たちは城下のもと修道院を改装したホテルに泊まり、朝食だけパラドールに行くようになりました。

この章も長く二回に分けての更新です。単なる酒飲みの仲間の旅行から、少しずつ関係が動き出しています。


あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(14)カルモナ、白い午後  前編



 春先であっても、白い壁に反射する光は強かった。迷宮のように入り組む白い壁。開けられたいくつかの家の玄関からは、アラベスク模様のタイルが敷き詰められた涼しげな中庭が見えた。アンダルシアに残るイスラム世界の名残りは、訪れる人に異国情緒を与える。


 バルの表に出た椅子に腰掛けて、ヴィルは通りかかったドイツ人たちの会話を意識もせずに聞いていた。

「今夜はどのチームだ?」
「バイエル・レヴァークーゼンとSCフライブルグだよ」
「やめてよ。アンダルシアに来てまでなぜサッカーを見なきゃいけないわけ?」

 大方のドイツ男のサッカー好きは異常だと、大抵のドイツ女は思っている。そうであっても、サッカーのルールさえも知らないドイツ女はやはり珍しいに違いない。アウグスブルグの小さな劇団に所属して、一番最初にヴィルが戸惑ったのは、演技でも演出でもなく、このサッカーの話題についていけないことだった。ゴールにボールを入れる事ぐらいしか知らなかったからだ。

 ヴィルは他の子供たちと一緒に遊ぶ機会がないまま成人した。幼稚園の頃に始めさせられた音楽教育で多忙を極めたからだ。エッシェンドルフ教授の心はとうに離れていたが、母親のマルガレーテ・シュトルツはそれを認められなかった。息子を認知はしたものの、共に住む事も教育する事にも興味のない教授の目に留まるようにと、彼女は躍起になった。やがて、フルートとピアノの両方で天賦の才能を発揮しだしたヴィルに教授は興味を持ち、急に父親顔をしだしたので、マルガレーテは我が意を得たりと、さらに夢中になってヴィルを追い立てた。

 学校で同級生たちが母親の手作りのパイの話をしたり、家族でイタリアにキャンプに行ったという話をした時に、ヴィルは自分の家庭は他と違う事を認識した。両親にとって愛情とは音楽を教え込む事だった。優しく抱きしめられた記憶もなければ、サッカーの練習や釣りなどで笑い合いながら語ったこともなかった。クリスマスのガチョウを家族で囲んだ事もなかった。学校の成績が悪いと「エッシェンドルフの跡継ぎにふさわしくない」と怒られ、夏休みの子供キャンプに行きたいと言えば、「フルートのレッスンに差し支える」と却下された。

 父親は、そのうちにフルートのレッスンだけではなく、生活の全ての事に口を出すようになった。いずれは自分の跡継ぎとして社交界デビューをするために、上流社会のしきたりや振舞が完璧でなくてはならない。テーブルマナー、手紙の書き方、立ち居振る舞い、社交ダンス。教え込まなくてはならない事は山のようにある。あの低俗な母親には任せておけない。それが父親の考えだった。ヴィルにはほとんど自分の時間がなかった。母親と住むアウグスブルグと、父親のミュンヘンの館を移動する電車の中だけが、ヴィルに許された学校以外で音楽と父親の支配から離れられる時間だった。

 父親の厳しい指導の成果が上がり、フルートの技術は急激に向上した。父親がいい教師に変えさせてから、ピアノの技術もピアニスト志望の生徒を軽々と超えてしまった。

 だが、ヴィルは大きな問題を抱えていた。抑え続けられたために日常生活で感情を表現できなくなってしまったのだ。思春期の性の目覚めの時期にも、両親や音楽の教師たちは無頓着だった。彼の感情表現は奏でる音楽の中だけに集中した。それがますます音楽の才能を伸ばしたので、誰も彼の問題に真剣に取り組まなかった。

 十九歳の時、ヴィルはフルートのコンクールで優勝した。父親は、息子のデビューのために着々と準備を進めていた。大学に入学して以来、ヴィルは母親のフラットを出てWG(共同生活)で暮らし始めていたのだが、父親は契約を解除してミュンヘンのエッシェンドルフの館に遷れと命じた。

 ヴィルは、突然我慢が出来なくなった。遅い反抗期だったのかもしれない。フルートをやめると宣言した。父親も母親も許さなかった。自分はもう児童ではない、強制はできないはずだと言い切った。そして、前から興味のあった演劇の道に入った。

 劇団の雑用係を兼ねて演技指導をしてもらう所から始めた。人と上手く接する事が出来ないのは感情表現の問題だと思っていたので、その指導はフルート以上に役に立つはずだった。そして、確かにある意味では役に立った。ヴィルはあっという間に演技の技術も習得していった。子供の頃から厳しい指導に慣れていたので自己克己が並大抵ではなかった。加えて自己流の感情表現がほとんどなかったために、技術としてそれを表現する事に全く抵抗がなかった。しかし、職業としての演技は身に付いても、単に仮面が増えただけのことだった。自分の真の感情を適切に表現するのはかえって難しくなってしまった。

 恋も上手く出来なかった。本能としての性欲の対象として女性とつきあう事は出来ても、相手に対する恋情も愛情も生まれてこなかった。

 それでも劇団の仲間たちは次第にヴィルを受け入れてくれた。「変なヤツ」であることを前提に、一緒にビールを飲み、オクトーバーフェストに出かけ、サッカーのルールを丁寧に解説し、演劇の未来について自説を熱く語ってくれた。演技力を買って、準主役級の役をつけてくれる事もたびたびになってきた。だが、もちろん演劇だけでは食べられなかったので、ナイトクラブでピアノを弾いた。こちらの腕は言うまでもなく確かだったので、生活に困る事もなかった。

 その八年間に、父親は新しい生徒を見つけたようだった。たまに呼び出されて帰ると、母親の酒量が増えていた。父親が女の生徒に手を出すのはいつもの事じゃないかと言っても、母親はお前のせいだと責め立てた。お前がフルートを続けて、館に遷っていれば、あの女の出る幕はなかったはずだと言って。どうやら父親はその女を館に住まわせているらしかった。フルートの教えだけでなく、パートナーとしてありとあらゆる場所に連れていくらしい。

 やがて、婚約したので、未来の母親に会えと父親から連絡が来た。
「結婚するのはそっちの勝手だ。俺には関係ないだろう」
「馬鹿なことを言うな。フルートはやめても、お前がエッシェンドルフの跡継ぎである事は変わらない。家族の一員として、会うんだ」
その有無を言わせぬ言い方に腹が立った。

 マルガレーテは大きなショックを受けたらしかった。たとえ、教授が何人の女に手を出そうとも、最後に選ばれて妻になるのは彼女のはずであった。それを奪った女への憎しみが爆発した。
「絶対に許さない。姑息な牝犬め」

 シュナップスを飲み暴れる母親から、ヴィルはその瓶を取り上げてから帰った。みっともない姿に心からうんざりしていた。それが生きていた母親を見た最後だった。

 翌日、母親が死んだという報せを受けて、仕事を休んで飛んでいった。睡眠剤と酒の相乗効果だと医者に説明された。父親にそのことを報せようとミュンヘンの館に電話したら、ザルツブルグ音楽祭に行っていると言われた。連絡がとれ報せた時にも、大して興味はなさそうだった。

 ヴィル自身は混乱していた。亡くなった母親との関係は良好とは言えなかった。自分はずっと父親の氣を引くための道具のように感じていた。だが、だからといってまったく思い出がないわけではない。厳しい音楽の教育ばかりが押さえつけて来た記憶の隅々に、やはり息子を愛していたごく普通の母親としての顔があった。もっと優しくしてあげるべきだったかもしれない。もっと話をすべきだったかもしれない。あんな男にこだわるのはやめて、自分の人生を生きろと。だがすべてもう遅すぎた。一方で、少しだけほっとしている自分もいた。全く望みのない夢にこだわる愚かな女の妄執を、もう蔑まずに済むことをありがたく思っていた。そう感じる自分の冷たさにショックを感じてもいた。

 母親の葬儀を済ませて、事後処理をしていると、父親の秘書からすぐに来てほしいと連絡が入った。

「お父様が大変なショックを受けておられて、あなたを必要としています」
そう言われたのだ。行ってみると、婚約者が失踪して、完全に取り乱した父親がそこにいた。


「ドイツ人の同胞に惹かれるの?」

 蝶子が皮肉っぽく笑っていた。まぶしい光の中に、ヴィルは戻って来た。そこに座っているのは華奢な日本人。冷淡で奔放なのに、たぶん世界で一番近く感じる女だ。この女が誰なのかを知る前に、鋭く腹の立つ物言いと守る氣にまったくさせない強さを知る前に、ヴィルは彼女の奏でるフルートの音色を聴いていた。それが蝶子の印象を決めた。自分にとって感情の発露がフルートとピアノだったので、彼は他人の音色にも敏感だった。ヴィルは透明で美しい音色の奥底に痛みを感じた。理解してもらえなかった過去と折り合いをつけて生きているのがわかった。そして冷静な表面の奥には、隠せない情熱の炎が燃え盛っていた。

 稔の印象も三味線の音が決めた。明るく力強く愉快だが、その音は単純ではなく、深みの度に違う音色の層が重なっていた。そしてずっと底の方に危うさがある。リーダーとしての思いやりがあり、きちんとした周到さがあるかと思えば、無頓着でちゃらんぽらんな所もある。そのバランスが絶妙だった。実際、稔はグループのバランスを上手にとっていた。蝶子、レネ、ヴィルとあまりにも個性の違う三人だけだったなら、一週間と持たなかったかもしれない。稔はArtistas callejerosの要石だった。

 レネは、ヴィルにとってはじめて身近なフランス人だった。フランスは国境を接した隣国であるのに、ドイツ人にとってのフランス人は極東の日本人よりも遠い事がある。レネは典型的なフランス人だった。実際的ではなく、ロマンチストで、惚れっぽい。言う事が理論に則っておらず、さらに時間に正確ではない。けれど、ヴィルは最初の日にもう、この情けないフランス人が大好きになってしまった。ヴィルはこれほど柔らかく、感情を大切にする人間に会ったことがなかった。人に優しくて、人懐っこい。蝶子にいいようにあしらわれても、子犬のように尻尾を振っている。そして、その優しさと柔らかさの下に、静かな知性が光っている。図書館がそのひょろ長い肢体のどこかに詰まっているようだった。移動の度に新しい本を読んでいた。もちろん、荷物の量が限られているので、読み終わった本はどこかに行くのだが、一度読んだ本の内容は全て彼の内なる図書館に収められるらしかった。とくに詩の知識は豊富で、フランス語だけでなく、英語もドイツ語もイタリア語もすべて原語で暗記しているらしかった。けれど、その膨大な知識には全く嫌味がなかった。

 ドイツ人の同胞に惹かれるなんてとんでもない。そこにいるやつらはサッカーの話しかしない。

「サッカーには興味はない」

 蝶子は片眉を上げた。ヴィルがArtistas callejerosにいて心地のいい事の一つに、仲間たちの反応があった。ヴィルが必要最小限の事しか言わなくても、極わずかな表情しか見せなくても、彼らはそれを簡単に理解した。そして、それ以上を要求しなかった。

 レネが本屋に行き、稔が散髪に行っているのを待つ間、蝶子は、ティント・デ・ベラーノを傾けて園城真耶あての手紙を書いていた。稔と蝶子のパスポート更新のためには戸籍謄本が必要だった。二人とも家族には頼めないので、委任状を書いて代わりに取得してもらわなくてはならなかった。それを頼めるのは今の二人には真耶しかいなかった。

 ヴィルには蝶子を観察する時間がたっぷりあった。父親が会うようにと命じた婚約者。日本人だとは聞いていたので、見かけが予想と大きく離れていたわけではない。しかし、こんな生意氣な女にあの父親が夢中になったとはとても信じられない、ミラノではそう思った。威圧的で周りを支配しないではいられないハインリヒ・ラインハルト・フライヘル・フォン・エッシェンドルフが、この女に振り回されたのだ。

 だが一緒にいる間に、ヴィルは少しずつ理解するようになった。蝶子には魔性があった。怜悧な近寄りがたい横顔から一転して溢れる笑顔になる時がある。こちらの心を突き通すような魅惑的な目つきでかすかに微笑む事がある。そして厳しく挑むような表情で考え込んでいるときもある。レネのような初心な若者はもちろん、カルロスのような人生経験の豊かな男も、ロッコ氏のような広く浅くどのような女でも好む男も、蝶子の魅力に簡単に振り回される。そして、それはヴィルも例外ではなかった。

 ヴィルはどちらかというと女を見下してきたので、以前は女に振り回される男を軽蔑していた。蝶子を念入りに観察してきたのは、父親がなぜこの女に夢中になったのか知りたいためだったが、そんな事はすべきではなかった。自覚したのはバルセロナだった。自分の中に今まで一度も感じた事のない感情が芽生えていた。蝶子とアルゼンチン・タンゴを踊るカルロスに対するいわれのない嫌悪感、それは嫉妬だった。
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Posted by 八少女 夕

夏はまだ来ない

日本も、今年は妙なお天氣みたいですが、スイスもなんだかぱっとしない天候が続いています。
この写真は去年、北イタリアで撮影したものなんですが、こういう澄んだ青空が恋しいですね。

花水木

スイスには梅雨はありません。春が終わると突然「盛夏」です。時には35℃くらいまで上がる事もありますが、それも年に一週間程度。大抵は26℃くらいの過ごしやすい時期が続き、八月半ばにはもう秋の気配です。

例年ならもう夏なんですが、今年はめそめそとしたしょぼくれた雨が続き、とても夏という感じではありません。短いんだから、お願い、ちゃんと夏になって〜と空を見上げる日々です。

*    *    *

全く関係のない話ですが、今日、日本のみなさんのブログは「金環日蝕」の話題が多かったです。まるでトラックバックテーマみたいに。同じ日蝕の写真でも、みなさん個性的な写真で、とても楽しめました。同じ太陽や影でも、それぞれの方の感性が現われるんだなあと楽しくなりましたよ。
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Posted by 八少女 夕

伏線を張る

この記事には【小説】大道芸人たちの過去に発表した分についてのネタバレが含まれています。まだ、これまでの分をお読みになっていなくて「これから読んでみようかな」とお思いの方は、ご注意ください。大したネタバレではありませんが。



連載小説、とくに「大道芸人たち」のように長いものは、プロットの関係上、何をどこで明らかにするかっていうのも悩みどころです。現実の社会の中では、雑多の情報、プロットと関係のない登場人物が山ほどいるので、いちいちネタの公開に氣をつけなくてもいいのですが、小説では、必要のない人物なんかさほど出せないのでどうしても読者にはある程度の勘が働きます。だから、書く方も「これはそろそろバレるかな」と悩みつつ、陳腐にならないように書くことを迫られるというわけです。

例えば、「大道芸人たち」の中で、ヴィルがエッシェンドルフ教授の息子だという事実は、どう考えても読者にバレバレになると判断して、かなり最初の方で読者にだけ知らせる、という方法をとりました。一方で、ストーリー上の変化は、さりげなく伏線を張っていく必要があるわけで、その書き方に氣を遣ったりしています。長い話でそうとうの伏線が張られていますが、どのくらいバレているかなあと思っています。

とあるブロともさんの、大好きな小説では、言われてみればいくらでも伏線はあったのに、全く考えもしなかった展開もありまして、そう考えると伏線の張り方に悩むのは無駄かなあとも思ったり。

次回の「大道芸人たち」の更新では、ようやく話が「本題」(の一つ)に入ります。長過ぎる前振りだったかな、と反省しつつ、次回以降もおつき合いいただければと思います。
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Posted by 八少女 夕

作品と現実と

私の尊敬するブロともの方は、いつも心に響く素晴らしい詩を書いていらっしゃるのです。力強い応援の詩、暖かく優しい観察の詩、それから切ない愛の詩……。

で、つい先日、悩みに関する詩を発表なさって、私はそれを読んでその言葉の中にある苦しみに共感しつつ、氣持ちを伝える言葉を探している最中だったのです。で、もう一度サイトを訪れたら、別の読者の方から心配するコメントが入っていました。そう。私も心配したから、その方の反応としてはごく自然だったと思うのですが、そこで私は考え込んでしまったのです。

小説は詩とは違います。「これは作り事だよな」と読者がわかって読んでいます。たとえ書く方の経験や、心の動きや、悩みや喜びが投影されているとしても、それは一度バラバラにして、組み立て直した虚構として認識されているはずです。ありていにいえば、私の小説の登場人物がドロドロに悩んでいても、私の精神状態を心配をする読者はほとんどいないでしょう。かつて悩んでいたものの投影だとしても、それを書ける時点で、それを乗り越えているのだと判断されるから。更に言えば、小説の書き手は自分自身が一度も悩まなかった事についてでも、人を観察する事によって書いていく事もあるのです。

では、詩はどうなのでしょう? 詩だって発表した時点では既に作品なのですから、必ずしも現在の精神状態の反影だと思う必要はないのでは? でも、小説と違って、現在の精神状態だということも大いにあり得る……。そこで私は逡巡してしまうのです。

詩も小説も作品です。それと同時に、実際に作り手の心の中にあったものの具現化です。魂の叫びが強ければ強いほど、現実に暮らしている社会人として自分との間に差異が生まれます。でも、どちらも作り手にとっては真実の自分です。こんなに長く作品を生み出す事と向き合っていても、私はいまだにその自分の中の差異に対する折り合いがつけられないでいます。それと同時に、知り合ったばかりで、相手の事を何も知らない、それなのに勝手に一方的に「魂の友だち」にしてしまっている人の心のうちを想って、かけるべき言葉を見つけられないでいます。
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Posted by 八少女 夕

「一ヶ月、旅行に行けるなら何処に行きたい?」

南米かな。

実を言うと、一ヶ月じゃなあ、という感じ。一ヶ月以上の旅行ってもう何度もやっていますからね。学生時代のヨーロッパ二ヶ月の旅、アフリカ二ヶ月、ヨーロッパ三ヶ月という具合に。四週間は意外と短いものです。

今の願いは、一年くらい自由に使える時間とお金があって、それで世界旅行がしたいというもの。そうしたら、マダガスカル島と、ギアナ高地と、メキシコと、ニューカレドニアと、全然行ったことのないアジアのいろいろな国に行きたいですね。

ま、言うだけは自由ですからってところで。

こんにちは。 トラックバックテーマ担当の水谷です。今日のテーマは「一ヶ月、旅行に行けるなら何処に行きたい?」です。旅好き水谷の、恒例(?)の旅関係テーマです。今日・・・5月16日は、松尾芭蕉が『奥の細道』に旅立った日ということで『旅の日』だそうです。水谷は、もし、一ヶ月旅行に行けるなら四国でゆっくり過ごしたいと思います。一ヶ月というと、結構長い時間ですが旅していると、あっという間に時間が経つのでき...
トラックバックテーマ 第1430回「一ヶ月、旅行に行けるなら何処に行きたい?」

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Posted by 八少女 夕

「最近撮った写真は何の写真?」

ここの所、写真を撮りまくっています。そのものとしてよりも、何らかの原稿の説明用として。例えば、今日は近くの農場へ取材に行って、その方のお話を伺いつつ、フォトシューティングしました。ブルーベリーの話題がメインだったのですが、この写真は、その時に撮った珍しいブルーベリーの花の写真。食い意地の張っている私は、収穫には行くんですが、花は見た事がなかったんです。小さな鈴のようで可憐ですよね。

ブルーベリーの花

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の木村です。今日のテーマは「最近撮った写真は何の写真?」です。みなさん、写真撮ってますか~?ブログを書いてる方は頻繁に撮ってる方も多いと思いますが、最近はどんな写真を撮りましたか?携帯のカメラの性能がどんどん上がっているのでとってもキレイな写真が撮れますよね私は外食した時に料理の写真を撮ることが多いですよく撮る前に食べ始めちゃって「しまった!」となる...
トラックバックテーマ 第1429回「最近撮った写真は何の写真?」

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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (13)セビリヤ、 蛇 - 3 -

セビリヤ編は今回で終わりです。アンダルシアはイスラムの影響が強く残っているのですが、その悲しげな残像が、強い太陽の光とそれと対で織りなされる陰にくっきりと浮かび上がり、独特の雰囲氣をもたらします・ドイツやスイスなどとは全く違った、風景に関する強い感情を感じる旅が楽しめます。

あらすじと登場人物
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(13)セビリヤ、 蛇  後編



カルロスは、マリア=ニエヴェスの忠告を伝えるのをすっかり忘れていた。いつも四人が一緒にいるので油断していたのかもしれない。また、あれだけ恥をかかされたのに、再び前妻が別荘にやってくるとは思ってもいなかったこともある。

エスメラルダの面の皮は厚かった。意地になっていたのかもしれない。翌日四人が戻ってくると、またしても居間に陣取っていた。

「カルロスはどこ?」
「バロセロナに帰ったよ。あんた、昨日ギョロ目に言われたことを聞いていなかったのか?」
稔が呆れて言った。

「なんのこと?」
「ギョロ目はあんたがここを自宅のように使うことに同意していないじゃないか」

「そう? でも、私は、ここが好きなの。どっちにしてもあなたに命令される筋合いはないのよ」

「そんなにカルちゃんが好きなら、どうして離婚したわけ?」
蝶子が意地悪く訊いた。エスメラルダの目が吊り上がった。よりにもよってこの女にそんなことを言われるなんて。

「誰が、誰を好きですって?」
二人の間だけ空間が歪んでいるようだった。稔は首をすくめた。くわばわくわばら。なぜこの手の女たちってのはこうなんだよ。

稔の観察によれば、少なくともこれはカルロスの愛をめぐる戦いではなかった。蝶子はカルロスになついていたが、それは明らかに恋愛関係とは無縁だった。その判断は妙といってもいいかもしれない。バルセロナの館では、蝶子は何度もカルロスと二人で部屋にこもっていた。つまり二人には少なくとも『外泊』に相当する程度の男女関係があると稔は見ていた。それでいながら、蝶子はカルロスに対して恋愛感情を持ち合わせているようには見えなかった。むしろArtistas callejerosのメンバーに対するような感情に近いと判断していた。その二つは本来相容れないものだった。蝶子の人間関係には、例のハードディスクのたとえでいうところの『重要書類』と『どうでもいい書類』しかなかったはずだった。そして『重要書類』とは一切ややこしい関係にならないと決めているようだった。しかし、カルロスだけはその中間にいるようだ。そんな複雑なことが可能なんだろうか?恋愛感情なしに体だけの関係を持ちつつ、固い信頼関係を築くなんて。

この前妻だって、カルロスに未練があるようには見えなかった。カルロスの持つ物質的な贅沢に対する未練は大いにあるようだったが。もしかすると、これはカルロスの物質的な寵愛をめぐる、女同士の戦いなのかもしれない。そうだとしたら、ギョロ目はかわいそうな男だな。稔は考えた。

エスメラルダは短い沈黙を破った。
「はっきりさせておくわ。私が彼に我慢ならなくなったの。私のような女は束縛されるのがたまらないの。それに程度の低い女に侮辱されるのもね」

「そう? あなたの行動は、そんなふうには見えないわ」
蝶子は興味を失ったように言った。

エスメラルダは本氣になった。つまり、この日本女の鼻っ柱を折ってやると、固く決意したのだった。エスメラルダのような女にとって一番の屈辱とは取り巻きの男たちを取られることであった。それで、コブラ女はなんとしてでも蝶子の周りの三人の男を自分に膝まづかせてやろうと決意したのだ。

エスメラルダが彼女の部屋と決めている豪華な寝室に消えたので、四人はこの変な対決は終わったものだと思っていた。いつものように夜更けまで飲んでいたが、やがて就寝した。


「おはよう」
蝶子が食堂に入ってきた時、ヴィルと稔が妙な顔で迎えた。

「おはよう、どうしたの?」
蝶子は二人の顔を見比べながら訊いた。稔が首を傾げながら答えた。
「ブラン・ベックがいないんだ」

「いないってどういうこと? まだ寝ているんじゃなくて?」
「朝起きたら、あいつの寝ていた部屋のドアが開いていて、ベッドは空だった」

稔の言葉に蝶子は目を白黒した。
「あんな遅くに、もしくは早朝に出かけたってこと?」

「外出用の靴は残っている」
ヴィルが短く補足した。

蝶子は食堂を出て、階段の上のエスメラルダの使っている部屋の方を見た。ドアは閉じられたままだ。いずれにしてもあの女はそんなに早くは起きてこない。

「そういうことだと思う」
稔が後ろから付いてきて腕を組んだ。

「やるわね、あの女」
蝶子は笑った。

「笑い事じゃない」
ヴィルが言った。

「心配しているの? ブラン・ベックはティーンエイジャーじゃないわ」
「だが、あんたみたいに恋愛慣れしているわけじゃないだろう」

蝶子は肩をすくめて食堂に戻った。
「朝食、食べましょう。で、ブラン・ベックが来たら、次の行き先についてみんなで話をすればいいんじゃない?」
三人が一致すれば、多数決は成立する。つまりすぐにでもブラン・ベックをセビリヤから引き離すことが可能だった。

「さあな。俺はまずはあいつがどうしたいか、訊いてみたいよ」
稔が食堂の入り口を見ながら言った。

いつもの出かける時間を三十分過ぎても、階段の上の部屋のドアは閉じられたままだった。それで、三人は諦めて三人で大聖堂前に行った。仕事をしていれば、そのうちにレネが来るだろうと思ったのだ。

レネは、実際に昼近くにやってきた。皮肉を言うのもためらわれるほどうなだれていているので、稔は何も言わずに手品を始めるようにと合図をした。それから一時間ほど稼いでから、全員で広場前のバルに食事に入った。
レネは食欲がないらしく、飲み物しか注文しなかった。

ヴィルがレネの好きなオリーブを差し出してやると、楊枝に刺したまましばらく手にしていたが、やがて眼鏡を取って腕で目を拭った。

パン・タパスをかじっていた稔も、ティント・デ・ベラーノを飲んでいた蝶子も、手を止めた。ヴィルがセルベッサのグラスを押しやって、珍しく最初の口を切った。

「どうした」
「僕、馬鹿だなって……」

蝶子は賢明にも発言を控えた。ただし、彼女にしては優しい表情でレネを見ていた。稔が静かに言った。
「お前、すぐにでもセビリヤから離れたいか?それとももう少しここにいたいのか?」

レネはしばらく下を向いて黙っていたが、やがて再び目を拭うと、顔を上げた。心配する蝶子と目が合った。彼女が全く怒っているように見えなかったので、まずはほっとした。

「僕、どうしたらいいか、わからないんです。この前から、ずっとそうなんです。あの人が来ると、他には何も考えられなくなってしまって、でも、あの人はいとも簡単にいなくなってしまう。そうなるとほっとするのに、どこかでずっと待っているんです」

蝶子は、そういう支配に覚えがあった。エッシェンドルフ教授のレッスン内容がお世辞にも純粋なフルートのレッスンとはいえなくなった時に、蝶子ははっきりと断ることができなかった。それどころか蝶子は次のレッスンを待ち望んでいた。やがて教授は蝶子に下宿を引き払って館に遷ってくるように命じた。蝶子はそれに逆らわなかった。週に一度のレッスン時間はあまりにも短かった。蝶子は、フルートのレッスンを邪魔されたくなかった。しかし、その時間に代わりに行われている教授の別レッスンはもっと頻繁にしてほしかった。

「あの人が僕に興味がないのなんかわかり切っています。ヤスとテデスコが簡単にはいかないので、僕にとっかかりを求めているんだってことも」

けれど、レネはエスメラルダに恋をしてしまっているのだった。蝶子への憧れや、今までぽうっとなった多くの女性たちとはわけが違った。パリでつきあっていたアシスタントのジョセフィーヌとも全く違った。彼女たちは意思の力でレネを狂わそうとしたりなどしなかった。それが可能なわけでもなかった。

「行き先の候補はある?」
蝶子が静かに言った。レネが自ら決められないならば、仲間が決定してもいいだろう。時に人は誰かに行動を決定してもらいたいものなのだ。特に、こういう状況の時には。

ヴィルも蝶子と同じ考えだったので具体的に答えた。
「三十キロくらい先に、カルモナという小さい城下町がある。一度行ってみたいと思っていた」

レネがセビリヤに舞い戻ろうとすればできなくはない距離だが、近すぎもしない絶妙な立地だった。

「なら、私もそこに行ってみたいわ」
「OK。三票目だ。これで決まりだな。夕方のバスに間に合うように荷造りだ」
稔が言った。レネはだまって頷いた。


「何をしているの」
居間で荷づくりしているヴィルの後ろからきつい香水の香りが漂ってきた。女の腕が蔦のようにヴィルの周りに絡み付いた。ヴィルは嫌悪感を覚えたので自分で驚いた。

「抱きつく相手を間違っているぞ」
「いいえ。私は今、あなたに問いかけているのよ」
女は豊かな胸をヴィルの背に押し付けた。

「あんたはそんなことまでしなくちゃいけないほど、シュメッタリングにプライドを傷つけられたってわけか」

折しも居間に自分の荷物を運んできた蝶子が、その光景を見て立ち止まった。まあ、テデスコったら、この状況でも冷静だこと。さすがSS(ナチス親衛隊)のお仲間ね。

エスメラルダはまだ自信たっぷりだった。
「そうでもないわ。でも、あなたまでが私に夢中と知ったら、そこの女性はさぞショックでしょうね」

ヴィルは振り向いて蝶子がそこにいるのを見た。その振り向いた顔にエスメラルダが顔を近づけてまともにキスをした。蝶子は興味津々でそのまま見ていた。エスメラルダの行為ではなく、蝶子の物見高い冷静な態度がヴィルをいらつかせた。珍しく手荒に女を振りほどくと、口紅の付いた唇を拭いながら、荷物を持って、入ってきた稔とすれ違い様に玄関の方へ出て行った。

蝶子は笑った。
「馬鹿ね。あれはテデスコに対する最悪のアプローチよ。他のドイツ人でもっと練習した方がいいんじゃないの?」

逆上したエスメラルダが近づいてきて、男たちへの誘惑よりも、もっとしたかったことを実行に移した。つまり蝶子に平手打ちを食わせようとした。稔がそのエスメラルダの手を捉えてねじり、簡単に地面に突き倒した。稔はヴィルと違って、女性に対する礼儀などという概念は全く持ち合わせていなかったのだ。倒れた女を軽蔑したさまで見下ろすと、階段の方に向かって怒鳴った。
「さあ、行くぞ。ブラン・ベック。早くしろ」

それから蝶子の肩を抱いてにやりと笑うと、やはり玄関の方に向かった。玄関に、レネが直接やってきた。レネがコブラ女に会わないようにできるだけ急いで、三人はレネをガードするかのようにカルロスの別荘を後にした。女のヒステリックな泣き声にレネは何度も振り向いたが、三人が阻んでいて、戻ることは叶わなかった。

カルモナ行きのバスは夕方の五時に出発した。稔はレネの荷物を頭上の棚に載せてやった。

「ヤスは恋したことってないんですか」
レネは訊いた。

「あるさ。たくさん。失恋もお前並にしているよ。単にああいうタイプじゃないだけだ」
「そうですか。だから優しいんですね」

「失恋経験と優しさはあまり関係ないさ。俺は、いや、俺たちはみんなお前が心配なんだ。大事な友達だからな」

レネは夕闇の中に遠ざかるセビリヤの街を振り返った。レネにとっても疑う余地はなかった。あの女をどれだけ好きであるとしても、この仲間達と離ればなれになることは考えられなかった。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (13)セビリヤ、 蛇 - 2 -

セビリヤ編の二回目です。私はセビリヤには二回行きました。一度は旦那と、もう一度は母と。電車で行くのとバイクで行くのでは、見るものも違ってきます。季節も全く違うので別の街に行ったようでした。個人的にはあまり暑すぎない季節に行くのが好きです。

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(13)セビリヤ、 蛇  中編



氣温もかなり上がってきて、二月の終わりだというのに二十度近くあった。青い空とヒラルダの塔をバックにたわわに実るオレンジの木が南国であることを実感させてくれる。アンダルシアはもう春なのだ。大聖堂の近くはにぎわっていて、なかなか稼ぎがいがあった。

「マリポーサ!」
一休みしていると、カルロスの声がした。

「カルちゃん! 早かったじゃない。まだ午前中よ」
「一本、飛行機を早めたんですよ。会議は午後からですが、その前にあなたたちを捕まえたくてね」

「あんた、嫁に会ったのか?」
稔が訊いた。

「前妻です」
カルロスが訂正した。それから、首を振った。
「まだですよ。別に会いたくもないんですが。あなたたちは、午後もここで稼ぐんですか?」

「そうするつもりよ。カルちゃんの会議が終わったら、どこかで合流する?」
「そうですね。ここか、この辺りの店にいてください。私のよく行くタブラオを予約しておきます」

去っていくカルロスの後ろ姿を見ながら、稔はつぶやいた。
「コブラはまだ未練があるっていってなかったか?」

「会うと、ぼうっとなっちゃうんじゃないんですか」
レネが言った。

「ブラン・ベックが言うと説得力あるわね」
蝶子が笑った。コブラとトカゲを並べたら、ギョロ目はどっちを崇拝するんだろう。稔はそのシーンを思い浮かべてニヤついた。


そのタブラオには、もちろん観光客がいた。しかし、バスで大挙して押し寄せるような観光客ずれはしていなかった。それで、カルロスは外国からの客をセビリヤで接待する時にはよくここを使うのだった。ダンサーの元締めのマリア=ニエヴェスは六十五歳になるダンサーとしては盛りの過ぎたヒターナ(ジプシー女)だが、眼力と腕の動きだけは、若いダンサーが束になっても敵わない。実生活では、ジプシーたちの大いなる母として機能し、女としてはもちろん未だに現役だった。若かりし頃のカルロスに女の愉しみ方を教えたのもこの女だった。

カルロスがエスメラルダと婚約してこのタブラオにつれてきた時に、マリア=ニエヴェスは頭を振って言ったものだ。
「カルロス。あんたには女のことを、もう少しちゃんと教えたものだと思っていたよ」

カルロスは、ヒターナが美しいエスメラルダに妬いているのだと取り合わなかった。
「ああいう女とは、いくらでも寝るがいい。しかし、結婚なんかしちゃダメだ。やめられないなら、これだけは覚えておきなさい。あんたは骨の髄まで絞りとられて、ダメにされるよ。憎んで離婚できたら大したものだ。ドン・ホセにならないように、それだけは心しなさい」

カルロスとエスメラルダの結婚生活はそれでも八年ほど続いた。怒号と嫉妬と愛欲のループを永遠のごとく繰り返し、カルロスの身代が傾きかけ、それ以上に精神の崖っぷちまで追いつめられ、カルロスは一人でこのタブラオを訪れ、ようやくヒターナの忠告が正しかったことを認めた。そこで彼はようやく自己を取り戻し、なんとか妻から免れることができたのだ。マリア=ニエヴェスが単なる精神的な支えだけではなく、なんらかのジプシーの魔術を使って離婚にこぎ着けさせたと噂するものもあったが、真偽のほどは確かではない。しかし、カルロスがこのジプシー女にただの接待先の女主人以上の恩義を感じているのは確からしい。

カルロスがArtistas callejerosの四人を連れて行くと、マリア=ニエヴェスの娘婿であるミゲルは五人をすぐに上席に連れて行った。その席は、踊り手たちが出入りする入り口に近いけれど、舞台がどこよりもよく見え、そして、ただの観光客とは違う上等のタパスや酒が優先的に出てくるのだった。そして、ミゲルが中に引っ込むと直に、女主人が自ら出てきた。

「おや。毛色の違う連中を連れてきたんだね」
ヒターナはさも面白そうに四人を見つめた。カルロスが連れてくる海外からの経済人たちは、ジプシー女には大して興味をそそられないことが多かった。最初に興味を持ったのは、ギターを手にした稔だった。

「何か弾いてみておくれ」
ぶしつけに命じたのでカルロスは驚いたが、稔はフラメンコギターに興味があったので、喜んで短く『ベサメ・ムーチョ』を弾いた。もちろんフラメンコギター風ではなく、自分の慣れているようにではあったが。ジプシー女はじっと聴いていたが、満足したようだった。

「フラメンコギターの技法に興味があるかい」
「もちろん」

稔が言うと、女はミゲルを呼んだ。娘婿は自分のギターを持ってきた。
「同じ曲を弾いてやりな」
ミゲルは『ベサメ・ムーチョ』をフラメンコギターの技法で弾いた。稔は真剣にそれを聴いていた。やがて、同じように加わりだした。ミゲルは、稔に次々と新しい曲を教えた。稔は、熱心にその技法を追い、新しい技術をどんどんと吸収していった。

その間に、ジプシー女の興味は蝶子に移った。
「中国人かい」
女はカルロスに訊いた。

「いや、日本人です。あのギター弾きと同じで」
「おや。日本人には珍しいタイプだね。あんたが新しく夢中になっている女ってわけだね」
「まあ、そうですね。残念ながら、今のところパトロン化しているだけなんですが」
カルロスはあっさりと言った。

「あんたの趣味はわかっているよ。だが、この女にも氣をつけなさい。あの女のような邪悪さはないが、特別な女だ。巻き込まれると火傷をするよ」
首を傾げるカルロスにマリア=ニエヴェスは続けた。

「光だけの人間はいない。だが、光のあたらない部分が多いと、ドウェンデの炎が暗闇の中から勝手に燃えだす。この女は己の中にも、男の中にもそうした予期せぬ運命の火を生むタイプだよ。私の娘がこの女の半分もこの性質を持っていれば、さぞいい踊り手になるだろうに」

ジプシー女はため息をついた。カルロスはミゲルの妻であるマヌエラが朗らかでかわいらしい善良タイプであったのを思い出して笑った。ヒターナは蝶子を氣に入っているのだ。
「マリポーサはやはり芸術家です。フルートを吹くんですよ」

「そっちの金髪男は?」
「パントマイマーですが、やはり卓越したピアニストです」
「ゲルマン人には珍しく、ドゥエンデのあるタイプだね。いい音を出すのは聴かなくてもわかるよ。こっちの毛色の違う男は音楽家じゃないだろう?」

今度はレネの方を見て品定めをした。
「違います。手品師です。趣味のカード占いの腕は大したものときいています」

「おや、そうかい。それでも、自分のことは見えないだろうから、女に氣をつけるようにいってやりなさい」
スペイン語のわからない三人にも、品定めされているのはよくわかった。しかし、カルロスが特に目立った反応もしていなかったので、通訳してもらわないままで構わなかった。

いずれにしても、ジプシー女は四人がたいそう氣に入ったらしかった。

やがて、少しずつ客が入りだし、フラメンコショーが始まった。稔は、ショーの間中、空氣でできたギターを抱えてミゲルの奏でる音とリズムを体得しようとしていた。蝶子はマヌエラや他のダンサーたちの踊りを楽しんでいた。だが、一番感心したのは、マリア=ニエヴェスと卓越した中年のダンサーによる踊りだった。激しい動きなどは何もないのに、ギターと歌と手拍子に合わせて、二人はゆっくりと絡み合い激しい恋に落ちていく様を演じてみせる。肉感的な美しいマヌエラにぽうっとなっていたレネも、ワインを楽しみ踊りには大して興味がなさそうだったヴィルも、次第にその踊りに引き込まれていった。

ヴィルがその二人に重ねていたのは、クリスマスパーティの日の蝶子とカルロスのアルゼンチン・タンゴだった。同じ種類のアイレがそこにはある。今、踊っている二人に実生活でどのような関係があるかはわからない。ただの舞踊上のパートナーに過ぎないのかもしれない。しかし、踊るその瞬間には、実生活のパートナーや恋愛関係をすべて排除して、二人の間だけに火が熾る。時には、その火が実世界に飛び火することもあるだろう。多くのドラマがそうして生まれたはずだ。手拍子と、ギターと歌も、次第に踊り手の火に巻き込まれていく。ちょうど、あの日のヴィルのピアノが二人の踊りに強く影響されたように。


真夜中近くに、カルロスの別荘に戻ると、居間にはエスメラルダと若い男がいた。

「ここで何をしているのか、説明してもらえませんかね」
カルロスは、招かれざる客である前妻と、さらに招かれざる客である見知らぬ男に言った。

「退屈していたのよ。私、待たされるのは嫌いなの。知っているでしょう、カルロス」
「あなたとここで再会する約束をした覚えはありませんね。だいたい、何故ここの鍵をあなたが持っているんですか」

「私はどの別荘の鍵もまだ持っているわよ。私の荷物もまだ残っているし。私は私が好きな時にここを使うわ」
「あなたにその権利がもうないことは、認識していないんですか」

エスメラルダは、若い男を完全に無視して、カルロスに近づいてきた。オレンジ色と黒の鮮やかなワンピースが、優美なネコ科の動物のような動きに華やかさを添えている。緑色の目がギラギラと輝いている。うげ。コブラが鎌首をもたげているぞ。稔はぞくぞくとした。カルロスの近く、顔に息がかかるほどまでに寄り、赤いマニュキアのつややかな爪をカルロスのネクタイに這わせて下から上目遣いに覗き、低い声で言った。
「私に何かを禁じるなんてことは、あなたにはできない。そうでしょう?」

カルロスは息を飲んだ。エスメラルダは勝利を確信して微笑んだ。

しかし、その時、その空氣が壊れた。くすくす笑いが響いたのだ。笑っているのは稔と蝶子だった。あまりにも絵に描いたような悪女ぶりに我慢できなくなったのだ。エスメラルダに魅せられていたレネは怪訝な顔をし、ヴィルには何がおかしいのか理解できなかった。けれど、日本人二人には、この絵柄はギャグだった。

笑い声が響いたことで、カルロスは呪縛から解かれた。彼はあえて英語でエスメラルダに話しかけた。
「その若いお友達と一緒に、出て行ってくれませんか。はっきりさせておきましょう。あなたと私は完全に終わったんです。それはあなたも望んだことでしょう」

「私は自分の好きなようにするわ。カルロス、まさかあなた、この私よりもその日本人女の方がいいなんていうんじゃないでしょうね」
「あなたと比較するなんてマリポーサへの冒涜です」

そうか? トカゲとヘビの比較は俺もするけど。稔は小声の日本語でちゃかして、蝶子につねられた。

エスメラルダは、スペイン語で若い男に何か短く言うと、一行をきっと睨みつけながら、ものすごい勢いで出て行った。やがて表に停めてあったフェラーリが爆音を響かせて去っていった。

「マフラー壊れているんじゃないのか、あの車?」
稔がのんびりと言った。カルロスは大きく息をついて、稔に笑いかけた。
「助かりましたよ。あの女がどうにも出来ないのはヤス君がはじめてじゃないのかな」

稔は肩をすくめた。
「俺は、どっちかというと、今日の婆さんの娘みたいな女が好みでね」

「マヌエリータですか。確かにいい女ですが、やめておいた方がいいでしょうね」
「なぜ?」

「ミゲルはたいそう嫉妬深くてね。もう何人も怪我をしているんですよ」
蝶子が吹き出した。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (13)セビリヤ、 蛇 - 1 -

はじめに謝っておきます。長いので三分割しました。三日連続でアップしますので、ご面倒ですがよろしくお願いします。セビリヤはオレンジの実る温暖な土地。四人はカルロスの別荘で勝手にくつろいでいます。

あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(13)セビリヤ、 蛇  前編


カルロスの別荘はセビリヤの繁華街から近いものの、静かな一角にあった。四人は、言われた通りに、それぞれの部屋を決め、そこに一週間ほど滞在することにした。ドミトリーに泊まる時にはなかなかできない、昼間は稼ぎ、夜は騒ぐバルセロナ式生活パターンをここでも続けることができるのは有り難かった。

ドアが開いた。最初に目を向けたのはヴィルだった。それから他の三人も騒ぐのをやめてドアの方を見た。女が立っていた。ただの女ではない。ものすごい美女だった。緩やかにウェーブする豊かな黒髪を派手なスカーフで留めている。小さい顔の中で、すぐに目がいくのは、緑色のギラギラした瞳だった。それに真っ赤に縁取られた薄く形のいい唇に、完璧な弓形の眉。女優も真っ青の美人だ。スカーフと同じ絹の多彩なドレスをまとい、真っ赤なハイヒールは九センチだろう。

「¿Quiénes son ustedes?」
スペイン語で言われても、答えられる人間はいない。それを察して、女は英語に切り替えた。
「あなたたち、いったい誰?」

「コルタドさんの許可をもらって滞在しているものですが」
稔が答えた。

「ああ、そうなの。カルロス、私が時々使うって言っていなかった?」
女は言った。

「いいえ。何も聞いていませんが」
一番ドアの近くにいた蝶子が立ち上がって言った。急に空氣が変わった。二人の女が一瞬にしてお互いに反感を持ったのを、男三人は感じ取った。

「げ。ハブとマングース……」
稔はつい日本語でつぶやいて、振り向いた蝶子に睨まれた。

女は蝶子を無視して、その横を通り抜け、ぽーっとしているレネの前まで来るとにっこりと笑って手を差し出した。
「私は、エスメラルダ。私のことはカルロスに訊いて。今夜はここに泊まるから」

レネは反射的にその手に口づけをしてしまい、蝶子の視線を避けてうつむいた。エスメラルダは同じことをヴィルにもさせようとしたが、ドイツ人は女の美しさに全く感銘を受けた様子を見せずに無表情のまま頷いただけだった。当ての外れた女は、さらに勝手の違いそうな稔には、自分の神通力を試そうとはしなかった。

エスメラルダは、カップボードから、バカラのグラスを取ってくると、レネに微笑みかけた。蝶子の冷たい視線に戸惑いながらも、レネはおとなしくリオハのティントをそのグラスに注いだ。

「ありがとう」
一息に飲み干すとグラスをその場に置いて、冷やかすように蝶子を見ながら、香水の匂いをまき散らしてエスメラルダは居間を出て行った。そして、階段を上がると慣れた様子で奥の部屋に入っていった。

稔はにやにやと笑った。蝶子はきっとなって言った。
「何が面白いのよ」
「お前とあの女の戦い。実に興味深い」

「なによ。ブラン・ベックったら鼻の下伸ばしちゃって」
レネは赤くなって頭をかいた。

「このまま騒ぎ続けていいのか?」
ヴィルが言った。稔は、電話を取った。
「何かあったら、電話しろってギョロ目が言ったんだ。してみるか」


「えっ。エスメラルダが、そこに……」
電話の向こうでカルロスが絶句した。

「鍵を開けて普通に入ってきて、慣れた様子で部屋に行ったし、あんたとも親しげだったから特に断らなかったけど、まずかったのか?」
稔は困惑した。

「いや、本来はそんな簡単に出入りされちゃ困るんですが、まあ、今夜追い出すというのも剣呑なんで……。どちらにしても私は明日そちらに向かう予定ですから、朝に会ったらそう伝えてください。それを聞いたら逃げ出すかもしれないな」
カルロスは言った。

「なあ、ギョロ目、あれ、誰なんだ? あんたの親戚?」
稔が畳み掛けた。

「離婚した妻ですよ」
カルロスが答えた。

電話を切った稔にそれを聞かされた三人も絶句した。あれが、イネスさんの言っていた「結婚にはもうこりごり」か……。

「氣を遣う必要はないそうだ。好きなだけ騒ぎ続けろってさ」
稔はそういったが、なんとなくその夜の四人は静かになった。とはいえ、いつも通り真夜中まで飲んでいたが。


四人が朝食を食べていると、水色の透け透けのナイトガウンを着たまま、さも眠そうにエスメラルダが降りてきた。

「あんな遅くまで起きていたのに、もう起きたわけ?」
ちょうど胸の谷間が見えるようなポーズをして、赤くなるレネの隣に座ると、妖艶に笑いかけて
「私にもコーヒーをいれてくれる?」

ニヤニヤ笑う稔と冷たい蝶子の視線を避けるようにしながら、レネは美女の言うままにコーヒーをカップに注ぎ、さらに言われていないのに皿やカトラリーまで用意してやった。

「それで。あなたの名前を教えてくれないの?」
エスメラルダはレネが自分の魔力の支配から逃れないようにその瞳を捉えて言った。
「レネです」

「それから、お友達の名前は?」
「俺は稔だ。こっちが蝶子で、そっちはヴィル」
これ以上、かわいそうなレネが蝶子に睨まれないように、稔が助け舟を出した。

「あんた、ギョロ目の別れた奥さんなんだって?あいつに会いにきたのか?」
エスメラルダはけたけた笑った。
「ギョロ目ですって。あなたいい度胸しているわね。いいえ。私は彼に会いにきたわけじゃないわ。彼はバルセロナでしょ。私はセビリヤに来る時にはいつもここに泊まるっていうだけ。でも、彼が私に会いたいなら、別に会ってあげてもいいのよ。結局のところ、彼はまだ私に夢中みたいだから」

それから、ヴィルの方に向き直り、まさにエメラルドのように瞳を輝かせて言った。
「それで、あなたたちは何者なの?どうして、カルロスの別荘に泊まっているわけ?」

ヴィルは稔とレネが感心するほどの完全な無表情のまま短く返答した。
「俺たちは大道芸人のグループで、よくセニョール・コルタドの世話になっているんだ」

いつもと様子が違う。エスメラルダはイライラした。普段ならエスメラルダが登場するだけで、場にいる男のほぼ全員が彼女を求めて競争を始めるのだ。そして、エスメラルダはその場を自分の自由に操れるはずだった。いつも通りにいくのは、このひょろ長いフランス人だけじゃない。何を言ってもにやにやしているだけの日本人男と、この私と田舎のおばさんの違いもわからないみたいなこのドイツ人、それにだんだん得意げな顔に変わってきた腹の立つ日本女。なんでカルロスがこんな奴らの世話なんかしているのかしら。

「そろそろ時間よ」
蝶子が計ったらマイナス五十度ぐらいじゃないかと思われる冷たさで言って、皿をシンクに運び出した。

ヴィルは黙って自分とレネの使った皿をシンクに運び、蝶子の洗っていく皿を隣で拭き、稔はそれを棚にしまった。それから三人は出かける準備を済ませた。レネは自分も席を立とうとするのだが、その度にエスメラルダに話しかけられて、機を逸していた。

世話のかかるヤツだな。稔がテーブルに行って、レネを羽交い締めにして立たせながら言った。
「悪いな。俺たちこれから仕事なんだ。お楽しみは、前のダンナとやってくれ。直にここに来るらしいから」
「なんですって?」

稔はレネを押し出すように玄関に向かわせるとにやりと笑いながら食堂の扉を閉めた。


「ブラン・ベック、あなたったら本当に美女に弱いんだから」
蝶子はすでに怒っているというよりは呆れていた。レネは少々恥じて、不可抗力だということを立証するために稔とヴィルを見た。

ヴィルはエスメラルダに目や鼻が付いていたかも覚えていないといわんばかりだったので、稔の方に助けを求めるように言った。
「ヤスは、なんともないんですか? あの目に見つめられても」

稔は首を振って言った。
「ありゃあ、女としては、俺の一番苦手なタイプだ。お蝶どころじゃないよ」

「トカゲよりひどいのか」
ヴィルが珍しく楽しそうに訊いた。といっても、三人以外にはいつもの無表情にしか見えない程度の違いだったが。

「ありゃ、コブラだ」
稔の返事を聞いて蝶子は吹き出した。それから不思議そうにヴィルに訊いた。
「テデスコはどうなの?」

「何が」
「あの女よ」

「美人だし、セクシーだな。ベッドで楽しむにはやぶさかではないな」
「えっ。そう思っているようには見えなかったぞ」
稔がいうと、他の二人も頷いた。

ヴィルは肩をすくめた。
「あの女は、俺たちを支配しようとしていた。俺はそういうことをされるのが嫌いなんだ」

「なるほどね。あの女はゲルマン人へのアプローチ方法を変えるべきだな」
稔が笑った。

蝶子はヴィルに敬意を持った。支配に屈しない、それは蝶子ができなかったことだった。五年もの間、自分を支配し続けたエッシェンドルフ教授に対するたった一つの反抗は、彼のもとから失踪することだった。はじめから、きっぱりと教授を拒否できていれば、もっと早くに自由でいられたかもしれないのに。もちろん蝶子は知らなかった。ヴィル自身が人生の大半を教授に支配され、やはり蝶子と同じ方法で自由になったことなど。結局のところ蝶子のエスメラルダに対する激しい反感と、ヴィルの彼女に対する冷たい拒否は同じ根からきているのだった。
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Posted by 八少女 夕

ウルトラかわいい

産まれたばかりの子羊

会社の隣の野っ原から「メェェ、メェェ」と聞こえると思ったら、羊が放牧されていました。小さいのもいるなと、よく見たら、ヨタヨタしたのを発見! これは今日産まれた仔に違いない! 一匹だけ異様に小さいし。でも、好奇心旺盛で、私がiPhoneを向けると寄ってきてくれました。

和みますね。田舎暮らしは、これだから好き。
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Posted by 八少女 夕

チョコレート・タルトの思い出

まだ、ケーキネタを引きずっております。

子供の時に実家から五分くらいのところにアンナ・ミラーズが出来たんですよ。ほら、それは昭和の話ですからね、すごく昔です。男性にはウェイトレスの制服こそがあのチェーンの存在意義だったようですが、私は女なので一貫して制服はどうでもよかったんです。

友達と行って、一度タルトとコーヒーを頼めば、あとは何度でもお姉さんがコーヒーのお代わりを持ってきてくれました。永久に居座り続ける事が出来るというので、貧乏な学生時代に仲間とよく利用したものでした。今から思えば、なんて迷惑な客だったんだろう、ごめんなさい。

そういう厚顔無恥な存在だったにも関わらず、二十五歳くらいまでは一人で入って食べるという事が出来ない、妙な羞恥心を抱えておりました。

通勤途中に、ほぼ毎日、横を通ったんですよ。で、時おり急に食べたくなりました、チョコレート・パイが。あのこってりプルンとしたチョコレートのクリーム、星形に絞ってある生クリーム、かりっと歯ごたえのあるチョコチップ……。仕事で疲れていたり、ちょっと嫌な事があったりした時に、「うう、自分を甘やかしたい」と。

そして足はアンナ・ミラーズに向かうものの、結局入る決心がつきませんでした。一人だっていうだけで。今なら考えもせずに直行でしょうが。それで、入り口にあるお持ち帰り用のショーケースを眺め、チョコレート・パイを一切れだけ購入しました。普通のケーキ屋なら、一切れなんて買い方は無理ですが、アンミラのサイズなら問題なし。500円くらいでしたかね。それを持ち帰って、実家の台所で一人食しましたよ。当時は、毎日帰宅は10時を過ぎていましたから、みごとに皮下脂肪になったはずです。そうであっても、幸せな思い出ですよね。

そのアンミラも、いまは実家のある街から消えてしまいました。日本に帰国して、実家に帰る度に、そういう思い出の詰まった風景が消えている事にわずかな痛みを感じています。

あ、旦那は最初の来日で、ギリギリ、アンミラに入る事が出来ました。お約束通り、制服に驚喜していましたね。
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Posted by 八少女 夕

また、テンプレートいじりました

ほとんどわからない程度ですが、再びテンプレートをいじりました。

これまでは、何が何でもトップに表示したい記事は、日付を未来にして置いていたのですが、そうするとはじめて来て下さった方や、記事とは関係なくコミュニケーションを取りたい方が自動的にその未来の記事にコメントや拍手をくださるという事態になってしまいました。

もちろん、「このブログについて」のようなトップ記事の場合はそれでもいいんですけれど、ここ一ヶ月ほど置いている記事は、そういう類いの内容でもないので、いずれは下に行ってしまうんですよね。

で、よく考えたら、「どの記事とも関係ないけれど、コメント上でコミュニケーションしたいのに」専用の記事もない事に思い当たりました。

解決策ですが、テンプレート上にトップ記事っぽい内容を埋め込み、常に表示させるようにしました。それからブログ全体のコミュニケーション用の記事と拍手ボタンも用意し、期間限定のお知らせと一緒に表示する事にしました。テンプレートに埋め込んでいるので、日付とは関係ありませんし、お知らせは不必要になった時点で削除すればいいし、これで解決!

いままで、「どこにメッセージ書けばいいんだよ!」とイラッとさせてしまった方がいらっしゃいましたら、お詫びします。今後ともどうぞよろしく。
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Posted by 八少女 夕

「好きなケーキの種類を教えてください」

生地のしっとりとしたガトー・ショコラが好きです。理想をいうと真っ黒で甘味は少ないもの。ザッハートルテのように中にジャムが塗ってあるよりも、チョコレート生地だけのものが好きだなあ。

スイスでよくみかけるジュヴァルツ・ヴァルダー・トルテ(黒い森のトルテ=生クリームでコーティングしたチョコレートケーキに薄く削ったダークチョコレートがまぶしてある黒いケーキ)も好きですが、真っ赤なチェリーが入っていない方がベター。これのヴァリエーションでホワイトチョコレートで作った「白い森のトルテ」を作るケーキ屋さんがあって、自分でオーダーする時には、それからチェリー抜きにしてもらったりします。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の新村です今日のテーマは「好きなケーキの種類を教えてください」です!まぁ、全員が全員甘いものが好きというわけでもないと思いますが、ケーキで何の種類が一番好きですか??私は��...
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Posted by 八少女 夕

scribo ergo sum

このブログのタイトルは、十分くらいで決めました。「Seasons」に投稿してから、その交流用にブログをあわてて作ることを決め、アカウントを作成して、いざブログ開設。さて、タイトル?

小説をこれほどガンガンアップするとは思っていなかったし、小説に関する想いを書くことは決めていたけれど、具体的にはイメージできていなかったので、タイトルといわれても困ってしまいました。

「私と書くこと」って感じの言葉がないかなあと思った時に、ふと浮かんだのが、「私は書く、ゆえに私は存在している」って意味のこのラテン語。もちろん、有名な「cogito ergo sum(我思う、ゆえに我あり)」をもじったもの。やっつけの十分で決めたにしては、これ以上のタイトルってなかったかもと思っています。

ラテン語そのものは、実は二年ほど授業をとったのです。でも、全くものになりませんでしたね。まあ、いちおうどういう文法上の変化があるか、だから簡単に言葉を並べるだけじゃダメとわかる程度には理解したんですが、でも、とても「履修しました」といえるような状態ではないです。二年目の教科書は『ガリア戦記』だったんですが。
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Posted by 八少女 夕

【小説】梨に関する他愛もない小譚

「大道芸人たち」は一時置いておいて、昔書いた小説を、また載せてみようと思います。デモテープが「カセット」だったというのが、時代を感じさせますね。でも、そのままアップしました。




梨に関する他愛もない小譚

 私は、今日、この地を去ろうと思う。梨の花が満開の今日こそが、それにふさわしいと思うから。彼はこの街だけでなく、全世界で新しい伝説のひとつになったけれど、私は直に忘れられるだろう。この美しい、懐しい、そして、はじまりから終わりまでの全て舞台となったこの地から離れさえすれば。

 それは、ただの幻想だった。多くの人々の好奇心をいたずらにかきたて、スキャンダラスに語られた夢物語。私と彼の間には、本当に何もなかったのだ。梨の花に関する小さな感情をのぞけば。

*          *       *


 何おかしい、そう気づいたのは、たぶん五年くらい前の今ごろだった思う。店に、今までとは違う客層の、つまり、落ち着かない様子の、若い、どちらかといえばクラッシック音楽なんか一度も聴いたことのないと思われる女性達が、胡乱な目つきで入ってくるようになった。叔父さんは、どの客とも区別したりせずに、気持ち良く迎えていたが、彼女達は常連になることはなかった。

「あの人たち、コーヒーにもクラッシック音楽にも興味がなさそうなのに、どうしてこの喫茶店をわざわざ訪ねてくるんだと思う?」
私はコーヒーマシンをいつものようにきれいにしながら、叔父さんに話しかけた。 

「さあ、どうしてだろうねぇ」
叔父さんはカウンター越しに一人の常連に笑いかけた。すると、その常連は驚いたように言った。
「なんだ、マスターたち、知らないの?」

 そして、私を見ながら言ったのだ。
「君を見に来ているんだよ。ロックスターの片想いの相手ってんでね。この街で知らない人はいないぐらい有名な話だよ」

 彼が冗談を言っているのかと思ったが、彼は大まじめだった。ロックスターに知り合いはいなかったし、思い当たる人などいなかった。「ノヴァ」と言えば、いまや世界中で知らない人などいないバンドになったが、その頃はまだ知る人ぞ知る、というか、私や叔父さんのように、ロックになど興味のない人間は知らなくても不思議はなかったのだ。もちろん、五年前にはもう、「ノヴァ」はこの国のロックシーンでは、かなり知られた存在になっていた。

 その後、何人かの常連を通して知った情報では、彼、すなわちあのロックスターが、デビュー前後に作った曲「スタッカート」に、時々通う喫茶店で働く女性に恋して打ち明けられないという苦悩を歌っているそうで、彼の故郷であるこの街には「スタッカート」という名のクラッシックばかりかける喫茶店は、叔父さんの経営するここしかなかったため、彼のファンの間で有名になってしまったのだそうだ。そして叔父さんは、私以外の従業員を置いたことがないので、だから、いつの間にか私がロックファンの女性達にいわれのない嫉妬の目を向けられることになってしまったのだ。


「ああ、思い出した。あの学生さんか!」
叔父さんは、そのロックスターのまだデビュー前のことを憶えていたらしい。その時からさらに三年くらい前によく通っていた青年のことらしかった。

「よくお前に話しかけたそうにしていたっけ」
そんなことを今さら言われても、その時に言ってくれなければ、気づきようもないではないか。そういうと叔父さんはちょっと非難がましく私を見た。

「そんなことをいうけれど、お前はそういうことに対して、ことさら鈍感な性質だと思うよ。普通は、何度もここに通って、いつもお前の前のカウンターに座って、何かいいたそうにしているのを、気づかなかった、なんことはないはずだよ。こっちは、嫌だからことさら気づかないふりをしていると思うじゃないか。それを教えてくれればなんとかしたなんて、今さら言われてもねぇ」

 そういわれて、私もふいに思いだした。彼の目を。

 私は、気づかなかったのではない。うとましくて気づかないふりをしていたのだ。そのことすら、その時まで記憶の底に沈めていたのだった。彼は目を惹くほどの美形でもなく、かといって醜かったわけでもなかった。といっても、その時思い出したのは彼の黒髪と、あの印象的な目だけだった。黒目がちで、もの言いたげにみつめる。その目にからめ捕られるような感覚が、私にはうとましかった。そういえば音楽をやっていると言っていたような気がする。売れないバンドのボーカルかと思っていたのに、なんと数年経ったら有名なスターになっていたとは驚きだった。

 ああ、そういえば、時折送られてくる、ロックコンサートのチケットの差出人は、彼の名前ではなかったか? 興味がなかったのと、喫茶店の趣旨を誤解した誰かからのものだと思っていたために、私は一度も気をつけて見たりしないで捨ててしまっていた。それに思い当たったのも、彼の名前からではなく、「ノヴァ」という名前をどこかで聞いたような気がすると思っていたからだった。「ノヴァ」のコンサートの招待券を捨てていたなんて、ロックの好きな人がきいたらさぞ驚くことだろうが、そもそもその時まで、そのコンサートにそんなに行きたがっている人がいることすらも、私は知らなかったのだ。彼が、店に来ていた学生で、デビューして、だからコンサートに来てほしいと、ひと言でも書き添えてくれたなら、私でももう少し気をつけていたのに。いや、もしかすると彼は、デビューしたらチケットを送ると私に言ったのかもしれない。それを私が忘れてしまっていたのかもしれないのだ。ああ、そうだ。彼は確かにそんなことを言っていた。

「はじめて、コンサートを開くことになったんだけれど、一度聴きに来てくれないか」
彼にしては珍しくはっきりとした口調で言ったのだ。それを私は
「クラッシックのコンサートならいくけど……」
と、気のない返事をして断わった気になっていたんだっけ。

 彼は、それでもチケットを送り続けたのだ。デビューして、どんどん有名になっていっても、変わらずに。


 私が彼の事を意識しだしたその頃から、彼の存在はこの街に大きな経済的効果をもたらすようになっていった。過疎気味のこの街に活気が戻り、一度も訪れたことのない若者たちも、聖地巡礼のようにこの街に足を運ぶようになったのだ。

「特徴的なのは、いつも一人の女性を真摯に愛するという、今どきのロックには珍しい純情ぶりなんだよ。今の若者の心は渇いているのかと思ったけれど、いや、渇いているからこそ、『ノヴァ』のメッセージが受け入れられて、熱狂的に支持されるのかも知れないね」
彼のことを教えてくれた常連はこんな風に言っていた。問題は、その愛されている女性というのが、世間一般的には私だと思われていることだった。

「大して綺麗でもないわよね」
「なんか期待していてがっかりじゃない?」

 そんなささやき声が聞こえてくると、私はたまらなく気が滅入ってしまうのだった。余計なお世話だと思った。自分でも夢物語の主人公になるほど美人だと思ったことはない。けれど、どうして好奇と悪意の目にさらされて、小馬鹿にしたような批評を受けなければならないんだろう。私は、そのロックスターのことを、ことさらうとましく思った。

 一度、カミソリ入りの封筒を送られてケガをしたことがある。さすがにその時は腹を立てて、「ノヴァ」の所属する事務所に抗議の電話をした。それは「月明かり」という曲がヒットしていたときだ。ようやく思いを遂げた夜に、月明かりに照らされた愛しい女性の寝顔をいつまでも見つめているという歌詞だった。

「けれど、それがあなたのことだと、どこかに書いてあるわけじゃありませんからね」
のらりくらりと事務所の男はそういった。そうだ。彼はただ、曲を作り、歌っているだけだ。それがフィクションである可能性、というか、フィクションに決まっているのに、勝手に怒ってカミソリを送り付けてきた人が悪いのだ。わかっていても、あのスーパースターに対する怒りはおさまらなかった。

「だけどねぇ。あれは名曲だよ」
例の常連客は、叔父さんに言った。ちらっと私を見ながら。私が彼の話を聞くたびに、嫌な顔をするのを知っていたからだ。

「ロックだけどさ。それでも、心に響くハーモニーを持っているし、それにあの歌詞もとても繊細でさ。僕ぁ、彼は天才だと思うな。三十年に一度の逸材だよ」
それが、なんだっていうのよ。むかっ腹を立てた私は不機嫌にカップを洗っていた。

 電話が鳴った。叔父さんは、電話をとると、びっくりしたように私を見た。そして指で合図をした。私は洗い物を中断して、エプロンで手を拭くと、叔父さんから受話器を受け取った。

 その電話の主は、彼だった。間違いなく、彼の声だった。一日に何度もラジオでかかる「月明かり」で聞きなれた、低く甘い声。彼の声は、特別のちからを持っていた。多分、法律文を朗読していても、愛を語っているように響くだろう。ケガをした私を心配し、謝っていることに、私はしばらく気がつかなかった。ただ、呆然として、その声を聞いていたのだ。ラジオのように。

「会ってくれないか」
彼は言った。私は慄然として、現実に戻った。うとましい、関わりあいたくないという思いが、体中を巡った。

「そんな時間はありませんし、そんなつもりもありません。それに、そんなことをしたら、今度はどんな目に合わされるか、わかったもんじゃありませんから」

 私はものすごく腹をたてていた。迷惑をかけられるということよりも、一瞬でも彼の声に陶然としてしまった自分自身が悔しくて、電話機を投げつけたいほどのイライラ感に襲われた。電話を切ると、ものすごい顔をしていたらしい私を見て、叔父さんは散歩に行くようにいいつけた。私もそうするべきだと思った。とてもそのまま働き続ける気にはならなかったのだ。

 それは春だった。この街の名産である梨の花が、一斉に咲き誇る特別の季節だった。匂やかに清冽で、優しく華やかな梨の花。私は、梨園の中を一人歩いていた。やわらかな暖かい風が、私に触れ、そして梨に触れていく。

 咲き誇る花の下で、私はいつも泣きたい気持ちになる。一人である寂しさと、春の喜びを寿ぐ気持ちがないまぜになり、このまま、白い嵐の中に消えていってしまいたいと思うのだ。しかし、毎年、梨は私を連れていってはくれない。私は一人残され、それから次の年に梨が咲くまで、散文的に、コーヒーマシンを手入れする日々が続く。

 誰かを好きになったりすることがないわけではなかった。少女だった頃は、同じ学校の上級生に夢中になって、手紙を書いたりもした。その時に、手紙を笑いものにされて、それ以来、人にあまり心を開かなくなったけれど、それでもこれまでにひとつ二つの恋愛はした。最後につきあった人はこういった。
「君は悪い人じゃないけれど、誰か人といるというより、モノの横にいるみたいに感じるんだ」

 叔父さんは、やはり独り者で、人あたりはいいのに、誰かと濃厚な関係を築くことのできない人だった。「スタッカート」は静かなクラッシック音楽を聞かせ、叔父さんのブレンドするコーヒーも癖がなく、とても飲み心地が良かった。叔父さんと私は、現実的なドロドロした生活から、ほんの少しだけ非現実に浸りたい人たちに、休息をもたらすコーヒーマシンのようなものだった。

 私は、そういう生活に満足していたけれど、時折、たとえば、梨の花の嵐の中で、そうではない自分と対峙するのだった。寂しいというのとも違う、わかってほしいというのとも違う、しかし、そのどちらにもとてもよく似た、狂気に近い哀しみを、私は心の奥底に潜ませていた。

 この街の人は、梨のことを話すときに、コーヒーマシンや、電気掃除機と変わらないような調子で話した。私が感じるような特別な思いを口にした人には会ったことがなかった。たぶん彼らの心の奥には、不安も狂気も潜んでいないのだろう。そのことが、春に私を一層孤独にした。あのスーパースターに対して、怒り狂っていた時は、その哀しみを忘れていられた。それはむしろ幸せなことだったのだ。


 あの小包みが送られてきたとき、もう少しで私はそのままごみ箱に放り込んでしまうところだった。彼の文字は汚かった。でも、彼なりに丁寧に書いてきたことが、宛名で読めたので、私は開けてみることにした。電話の彼の声が耳に甦って、私は戸惑った。こんなにうとましくて、仕方のない人なのに、どうして陶然とするんだろう。あれからラジオで彼の声を聞くたびに、平静でいられなくなる自分を感じていた。街で見かけるポスターの、アップになった彼の顔を正面から見つめられない自分に腹が立った。それなのに、また、こんなものを送ってきて!

 それはカセットテープだった。十分くらいの短いテープ。新曲のデモテープだった。関係者以外でこの曲を聴くのは私がはじめてであろうことは、いくら私でもわかったので、それをかけるときは、すこし震えた。それは、あの曲、後に彼を世界的に有名にしたヒット曲「君は風に揺れる梨の花」にふさわしい震えだった。涙が止まらなかった。なんという暖かい声。心を震わすメロディ。そして、この歌が梨の花を歌っていることに、私は激しく動揺した。誰にも見せたことのなかった私の心の秘密の花園を、彼は知っていたのだ。それとも、これは彼の秘密の花園なのだろうか。

 彼は間違いなく天才だった。「ノヴァ」はアップテンポのロックが多いバンドだったけれど、このスローバラードは、彼らの代表曲になった。

 私は、もう彼の音楽を軽蔑したりはしていなかった。あいかわらず送られてくるコンサートのチケット、特別席のプラチナチケットをごみ箱に捨てることはなくなった。でも、一度も行かなかった。怖かった。彼をうとましく思い、軽蔑し、思い切りよく捨てられた頃に戻りたかった。コンサートの日まで、何度もチケットをとりだしては、どうしようかと迷い、行ったらどうなるかを想像し、そして、平和な日々を固持したほうがいいのだと、目を伏せた。

 そのうちに、チケットがくる間隔は、どんどん開いていった。「ノヴァ」はもはや、ただのロックバンドではなかった。彼らは活動拠点をロンドンに移した。この街には全然帰ってこなかったし、世界ツアーが大成功しているせいで、この国でコンサートを開くとしても、年に一〜二回になっていた。

 時折、後悔することがあった。もし、あの時の電話で、もっと普通の対応をしていれば。もし、あのテープを受取ったときにせめてお礼をいっていれば。もし、一度でも彼のコンサートに出かけていれば。彼がこんなに有名になってしまい、ますます私は彼に対してひけめを感じるようになっていた。

 もはや、私のことを嫉妬する女性ファンはいなかった。マスコミは、ハリウッドの有名女優と彼の熱愛を報道していたし、私は世界のスーパースターの相手としては、あまりに貧相で、彼が私を愛していると信じるものは、もう一人もいなかったから。彼は実はホモセクシュアルであるという噂もまことしやかに流れていたので、ことさら私のことは取りざたされなかった。私はうとましさから解放されて、嬉しいはずなのに晴れやかにはなれなかった。


 彼からの最後のコンタクトは、いつもよりも重い封筒だった。ニューヨーク行きのファーストクラスのチケットと、カーネギーホールで開かれるガラコンサートの招待券が入っていた。私と叔父が大好きな世界的に著名なソプラノ歌手と競演することになったと手紙が入っていた。
「これは、まちがいなくクラッシックのコンサートだ。今度こそ、君が来てくれると信じている」 

 彼の字は、あいかわらず汚かったが、丁寧で真摯だった。その時に、私は彼のことを愛しているということをはっきりと知った。会ったことも話したこともほとんどなく、うとましくて苛立たしくてどうしようもなかった男なのに、どうしようもなく彼に魅かれていることを認めざるを得なかった。そして、彼はどうして私にこのチケットを送ってくれるのだろうと思った。彼の曲で言い続けているように、本当に私を愛してくれているのだろうか。そうだとしたらいったい何故? 才能があり、成功して、なんでも手に入る彼が、この田舎の喫茶店で働くぱっとしない女を愛し続けるなんて事が本当にできるのだろうか。単に習慣となってしまったから、送り続けてくれているのかも知れない。ただ、意地になっているだけかも知れない。それとも、いつも空いている特別席が、既に定番になってしまっているので、それを続けているのかも知れない。

 彼とハリウッド女優は、婚約間近だと報道されていた。公の場に2人で登場したその姿は華やかで、私をうちのめした。「梨の花のようにあでやかな婚約者と」そのタイトルは、私には堪え難かった。彼がそういったとはどこにも書いていない。でも、私は大切な思い出を踏みにじられたような気がしたのだ。だから私は飛行機に乗らなかった。


 彼の死は新聞の一面に大々的に報じられた。我が国の生んだ世界のスーパースターの突然の死に、人々はショックを隠しきれなかった。表向きは心臓発作ということになっているけれども、実は麻薬の使いすぎだったとか、急性アルコール中毒だったとか、複雑な情事がからんだ未の自殺だという報道もあった。中には、私に振られて、という話もないわけではなかったが、その説は大方のマスコミには無視された。しかし、この街と私の周りは、しばらくは騒がしかった。彼の追悼特集で、彼のデビュー当時のことを振り返るときには、私のことは無視できないエピソードだったから。

 私は多くを語らなかった。あのカセットテープのことも、カーネギーホールのことも、自分の口からは語らなかった。もちろん彼を愛していたことも。

*          *       *


 わずかな荷物を小さな鞄に詰め、どこへというあてもなく、私は旅立つ。叔父さんは私のわがままを許してくれた。

 最後に一度だけ、梨の花の間を歩いてみる。

 生暖かい風が吹き、梨の花びらが舞った。嵐が吹きおこる。私を巻き込み、どこまでも深い青空へと連れていく。目の前が曇り、歩くことができない。愛していると言わなかったがために罰せられる自分のためにではなく、愛されていることを知らずに逝った彼のためでもなく、たぶん、ここでつながった、ここでだけひとつの心になった、私たちの、何もなかった物語のために、私は日が暮れるまでそこで泣き続けていたのだった。

(初出 : 二〇〇三年九月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

「計算する時は暗算?電卓?」

電卓です。間違いなく。暗算なんて無理無理。そろばんもやらない学校だったので、いまだに出来ず。こんなに数字に弱い頭をしているのに、どうして私、プログラマーなんて仕事に就いちゃったかな。

愛用のCASIO HS-8LUというソーラー電源で動く軽い電卓は、本当に使いやすくて一生のお友達のつもりでいますが、最近は出先ではiPhoneアプリのCalcを使うことが多いかも。無料のアプリなのに本当に秀逸で、Appleのデフォルトの電卓アプリは、一番後ろの画面に追いやってしまいました。

CASIO HS-8LU

こんにちは。 トラックバックテーマ担当の加瀬です(^v^)/今日のテーマは「計算する時は暗算?電卓?」です。数字関連が大の苦手な加瀬は、本当にちょっとした足し算でもすぐに電卓を頼ろうとする情けない人間です…ゴハンを食べに行って、割りカンの時には、携帯電話付属の電卓をフル活用!足し算くらいパパッと出来れば良いのですが、ついつい文明の利器に頼ってしまいますそんなナマケモノな加瀬は、小さい頃からずっと"...
トラックバックテーマ 第1425回「計算する時は暗算?電卓?」

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Posted by 八少女 夕

ちょっとした誤算

11日にアップしますと言っておいて、昨日、いきなり「第3回目となった短編小説書いてみよう会」の参加作品をアップすることになってしまいました。その事情でございます。

私はFC2小説の方にも、このブログで発表した小説をアップしていて、基本的にほぼ時間差ぐらいのちょっと前にアップするのです。ところが今度の11日はブログの更新をする時間もなくて、当然FC2小説の更新が出来るはずもないので、早めに用意しておいて11日にiPhoneからの操作で公開すればいいやと思っていたわけです。

ところがついうっかり公開にチェック入ったまま…。

「あれ? ま、いっか、どうせ一人か二人ぐらいしか閲覧しないだろうし」と軽く考えたのが間違いのもとでした。なんと24時間以内に42人もの方に閲覧していただいてしまい、レビューまでいただいてしまいました! ありがとう。

しかし、こうなるとまずいのは、主宰の自分自身さんにも報告していないのに〜、という義理の立たない状態。こんなことが三日以上続くのはよろしくないので、急遽公開を早めることにしたのでした。

春の夕暮れ -impression-
写真はSeasons 2012 Springに掲載してもらったものです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】明日の故郷 - 2. 帰還

この記事は、「明日の故郷」の後編です。



「明日の故郷 2. 帰還」

 六月の半ばを過ぎた頃、一行がビブラクテといわれる土地にたどり着いた時、長老たちは行く手にローマの軍勢が待ち伏せしていると言う報せを受けた。わざわざ進路を変更し、セクアニ族にローマの支配下でない彼らの土地を通らせてもらいここまで来たのに。

 ユリウス・カエサルはヘルヴェティ族がハエドゥイー族の土地を襲い、財産を奪おうとしているという陳情を受けたと元老院に報告した。そして、元老院でその件が審議される前に、もう「かわいそうなハエドゥイー族」を救援するための軍隊をビブラクテに向かわせたのである。

 カエサルにとって、ケルト人が東から西へと移動することなど、本質的にはどうでもよかったし、ハエドゥイー族がその他のケルト人よりも同情すべき一族と考えていたわけでもなかった。単に、分裂し混乱する他民族の事情を利用して、ローマの勢力を伸ばし、その功績によって自分の地位が上がるチャンスを逃さなかった、それだけのことだった。

 だが、ヘルヴェティ族たちは、今度は方向を変えて逃げ出すわけにはいかなかった。彼らの約束の土地に辿り着くためには、喧嘩を売るローマ軍と戦うしかなかったからだ。


 戦闘が始まってしばらくは、不安なだけでアレシアたちは安全だった。戦士たちがローマ兵と戦っているのは、ヴィンドクスの荷車のある草原ではなく、丘を越えた更にその先だったからだ。もちろん戦うために去っていった勇者アルビトリオスとその甥のことは心配だったが、二人が強いことはわかっていたので、命に関わることはないと思っていた。

 風に乗ってわずかに届く閧の声がまだ戦闘が終わっていないと知らせるが、それは現実とは思えぬほど遠いものだった。だが、それらの音は次第に近づいてきた。

 やがて、丘の近くに荷車を置いていた仲間たち、男や女たちの悲鳴が聞こえてくるようになった。逃げ惑う人々、訓練されていない男たちまでが戦っている氣配が伝わってきた。それは多くの戦士たちがローマ兵を防げない状態になってしまったことを意味していた。

 アレシアは、泣きながら走ってくる二人の幼い少女に目を留めた。同じ村のフリディアの娘たちだ。
「どうしたの? お父さんとお母さんはどこにいるの?」

 アレシアとヴィンドクスの姿を見ると少女たちは泣き叫びながら抱きついてきた。
「わからない。みんなで逃げている間に、いなくなっちゃったの」

 すぐ後に、ローマ兵たちが丘を駆け上ってくるのが見えたので、ヴィンドクスはアレシアと少女たちを荷車の陰に押し込めて隠した。そして自分も身を隠しながら、荷物の中を探り、奥にあった布に包まれた長いものを取り出した。

「お父さん、どうするつもりなの?」
アレシアは、その中から古い一振りの剣が現われたことに驚いて、父親に問いかけた。
「心配するな。父さんだって、昔は祖父さんに少しは剣を習ったんだ。お前たちを守ることぐらいはできる。見つからないように隠れていなさい」

 そういうと、ヴィンドクスはアレシアとフリディアの娘たちを荷車の陰に押し込めて、戦場に出て行った。
「お父さん!」
アレシアは父親を止めたかったが、幼い少女たちが泣き叫ぶ声がローマ兵たちに届かないように、必死で抱いていたので追いすがることは出来なかった。

 荷車の陰から見た光景は凄惨たるものであった。父親が無事かどうかを見届けたいだけなのに、数十メートル先で、若い牛飼いの青年が槍で突かれたのを目にしてしまった。あちらにもこちらにも、敵や味方が横たわっている。しばらくは父親が剣を振り回しているのを確認することが出来た。

 だが、小一時間もしないうちに、ヴィンドクスが何人かのローマ兵に囲まれ、盾代わりにしていた樽の蓋を失ったのを見た。声にならない叫びを絞るアレシアの祈りも虚しく、父親は崩れ落ち、ローマ兵たちは他の相手を求めて去っていった。


 午後になると、突然静かになった。昆虫のように次から次へと襲ってきたローマ軍の動きが止まった。つまりもう攻めてこなくなった。

 アレシアは荷車の影から身を起こすと、父親が倒れた所に走っていった。
「お父さん……」

 一目見ただけで、もう息がないのがわかった。肩から背中をざっくりと切られて、うつぶせになっていた。
「お父さん。ごめんね。お父さん」

 やがて、必死で娘たちを探していたフリディアをみつけて、自由に出歩けるようになったので、泣きながら父親の衣服を整えてやり、一緒に葬るために彼の剣を探した。だが、それは見当たらなかった。彼女は、どこかに落ちているかと見回し、ローマ兵たちの去って行った丘を越えて歩いていった。

 少し離れた所に、ボイオリクスが呆然と膝まづいているのを見つけた。彼は真っ赤だった。返り血なのか、怪我をしているのかわからなかった。思わず近づくと側に見慣れたチェックの外套を着た男が息絶えているのも見えた。

「アルビトリオスさま……」
「俺のせいだ」
ボイオリクスが呆然とつぶやいた。

「敵に囲まれた俺を助けようと、叔父貴は……」
 彼の左肩から腕にかけて傷が見えた。彼は痛みで氣を失いそれ以上戦えなかった。薄れていく意識の中で最後に見た叔父は、傷だらけになりながらも両手に持った剣で十人以上の男たちと打ち合いながらボイオリクスの方に向かってくる勇姿だった。


 長老が戻ってきた。重い足を引きずって、生き残ったヘルヴェティ人たちに声が届く所まで来ると、手を挙げて静粛にさせた。

「諸君。ご存知の者もあるかと思うが、我々は降伏した。ローマの示した降伏の条件は次の通りだ。我々が殺したローマ兵たちの首を狩り持ち帰ることは許されない。我々が捕虜にしたローマ兵たちは全て彼らに引き渡し、死亡した我らが戦士の持ち物はローマが没収する。既に捕らえられたものは、捕虜となってローマに連行される。残りの我々は、ガリアに留まることは禁じられた」

「ということは?」
「つまり、元の土地に戻れということだ」

 大きな溜息が漏れた。元の土地。ただの焼け野原。雨露をしのぐ屋根すらないのだ。冷たい風が吹き、陽の差す時間は短く、葡萄もない谷間だ。だが、他に選択の余地はなかった。半数以上の仲間を失い、負傷した体を引きずって、もと来た道を帰るしかないのだ。来る時には希望に満ちていたのに。

 アルビトリオスの亡骸の側でうずくまっていたボイオリクスは、土に頭をこすりつけて、大声で泣き出した。
「ちくしょう! 俺たちは何のために戦ったんだよ。戦士として役に立たなかったと、生き恥をさらすためかよ。こんなんだったら、死んだ方がマシだよ。ここで叔父貴と一緒に」

 その弱音を聞いたアレシアは、怒りにかられた。アルビトリオスの亡骸に走りよると、肩のところを渾身の力で押して仰向けにした。体の下にあった巨大な剣が姿を現した。固まった指を外し、剣を両手で引き抜いた。アレシアが想像していたのよりずっと重かったが、それを引きずるようにしてボイオリクスの前に持ってきて、手を離した。ゴトッと鈍い音がして、それはうずくまるボイオリクスの額のすぐ側に落ちた。

 アレシアは面を上げた青年を睨みつけて叫んだ。
「死にたいなら、これで死になさいよ! これはもう、あなたのものなんだから。持ち主が死ねば、ローマの奴らが、喜んで戦利品として持っていくはずだわ」

 ボイオリクスは震える手で、その血にまみれた名剣をつかんだ。叔父が死しても守り、ボイオリクスとヘルヴェティ族に残してくれた形見だった。
「叔父貴……」

「父さんも、アルビトリオスさまも、私たちを救おうと命をかけてくれたのよ。その私たちが、命を粗末にしていいと思っているの?」

 ボイオリクスは大声で泣きに泣いた。アレシアは、ゆっくりと彼に近づくと、自分のスカートの端を引き裂いて、細い布をつくり、ボイオリクスの傷をぎゅっと縛った。

 誰かが、素晴らしいユートピアに連れ行ってくれるわけではない。それどころか、この悔しさや悲しさから救い出してくれるわけでもない。ただ、生きていくためだけにですら、自分たち一人一人が行動を起こさなくてはならない。アレシアは、今それを肌で感じていた。


 彼らは、亡くなった戦士たちを出来るだけ簡素に弔うと、ローマ軍に追われるようにして、もと来た道を戻りだした。旅の間、アレシアはやはりボイオリクスと一緒に居た。一日に何度も彼の傷の手当をし、その傷が塞がってくるのを自分のことのように喜んだ。アレシアが途中で熱を出した時には、今は亡き父親の代わりにボイオリクスが一晩中、側について面倒を見た。

 ボイオリクスは旅の始まりの頃とは別人のようだった。叔父のように無口になり、目つきは少し厳しくなった。さぼりがちだった鍛錬を、叔父の小言はなくなったのに一人で実行し、夕方には何匹もの小動物を捕らえてはアレシアと自分の分だけでなく、大黒柱を失った女たちにも配って歩いた。

 アレシア自身も変わっていた。西のユートピアにたどり着いたらどんなにいい暮らしが出来るのかと、夢ばかり見ていたのはほんの一ヶ月前のことだったのだ。だが、アレシアはもう誰かに与えてもらうユートピアなど信じていなかった。ラバや馬の世話、荷車の整頓、炊事、ボイオリクスと自分の衣類の洗濯など出来ることを黙々とこなし、それから星空の下で焚火にあたりながら、母親を失った幼い子供たちを子守唄で寝かせてやった。


 ヘルヴェティ族が旅立ったもとの土地にたどり着いたのは秋風が吹く頃だった。一族の数は半減していた。戦いで命を落とした者や捕虜になった者の他に、長旅による疲れと病で命を落とした者たちも多くいた。だが、彼らをもっとも落胆させたのは、わかっていたこととはいえ、戻ってきた時に目にした故郷の変わり果てた姿だった。

 アレシアは変わらぬ丘の上からかつて村のあった場所を目にした時に、思わず涙ぐんだ。かつてこの時期には金色の小麦が風になびいて輝いていた場所はただの草原になっていた。あの川の曲がったところに広がっていた集落とその境界もすべてただの草原になっていた。それが集落だったとわかるのは、アレシアが愛していたいくつもの美しい大木が、黒焦げになって佇んでいたからだった。

 ゆっくりと体を休められる我が家はもう存在しない。冬が来るのに、一粒の穀物もない。ここに戻れというのは、冬の間に死んでしまえってことなのね。アレシアは体中の力が抜けていくのを感じた。それは彼女だけではなかった。文句もいわず、黙って旅を続けていた多くの女たち、老人たちのすすり泣きがあちこちから聞こえてきた。

 だが、伝令は馬で威勢良く駆けてきて、丘の上の一族に声を張り上げた。
「皆、心配するな。ローマから冬を越すための穀物が送られてくる。村や町を建て直すのに必要な資材や援助も明日には届けられるそうだ。我々が今しなくてはならないのは、冬が来る前に住める家を建て直すことだ。ここで泣いていないで、我々の土地に入ろう。あれが我々の生きていく土地なのだ」

 ボイオリクスは不審に思って質問した。
「なぜローマの奴らが負けた俺たちにそんなに親切にしてくれるんだ?」

「スエービー族のせいだ。我々がここで死に絶えてしまったら、春にはスエービー族がここに入植してくるだろう。現に、北や東の土地にはもう奴らが入り込んでいるんだ。カエサルは、我々にここでスエービー族を食い止める役割を期待している」

 どう利用されるとしても、他に生き延びる術のない敗者ヘルヴェティ族には、断る選択はあり得なかった。


「あなたは、コンダに帰るの?」
アレシアはボイオリクスにずっと訊けなかった問いを口にした。離れがたいけれど、それを口にしてはいけないような氣がしていた。

 ボイオリクスは最近生やし始めたあご髭をしごきながら少し考えるふりをした。
「どうかな。北はもうスエービー族にやられたって言っていたよな。わざわざ行って、ダメだからって戻って『この村に俺を住ませてくれませんか』って訊いてまわるのも面倒だよな」

 アレシアが嬉しそうな顔をしたのを横目で捉えながら、彼は今までのようにアレシアの荷車につなげてあるラバの鼻面を叩いて丘を降りだした。

「お前の親父さんや、フリディアの旦那の分の力仕事をする男手が必要だろ?」
アレシアは満面の笑顔で彼を追った。


 村作りは順調に進んだ。ヘルヴェティアは秋の好天に恵まれた。アレシアは大量の葦を運んでくると、息をついて屋根を葺いているボイオリクスに声を掛けた。
「ねえ。疲れちゃったわ。少し水でも飲んで休まない?」

 村のあちらこちらに、家の形を成していく建物が次々と完成していく。ボイオリクスは降りてくるとどっかりとアレシアの隣に座った。

「ねえ。直に村は元通りになるわね」
アレシアの言葉に、彼は首を振った。

「元通りじゃないよ。もっと大きくして、立派な町にするんだ。俺たちの世代には無理かもしれないけれどさ。俺は叔父貴と『雷鳴』の名に懸けて、この村をスエービーやローマから守ることに生涯を捧げるぞ。だから、お前も、女としての使命を果たせよ」
「女としての使命って?」
「産めよ、増やせよってヤツさ。立派な町にするには、今の人口は少なすぎるもんな」

 彼女は呆れて若い男の顔を見た。
「だけど、私はまだ未婚なのよ。どうしたら子供を産みまくれるって言うのよ」

 ボイオリクスはウィンクしてみせた。
「それについては、この俺が大いに協力できると思うぜ」

 アルビトリオスさまに似てきたと思ったけれど、とんでもないわね。アレシアは図らずも顔が弛んでしまうのを見られないように、ことさら澄まして立ち上がった。白い壁が目に眩しかった。

 ここは日照時間の少ない寒い土地だ。小麦は年に一度しか収穫できない。葡萄がたわわに実る土地でもない。輝く深紅の石もなければ、市場を歩く美しい奥方もいない。でも、それが何だというのだろう。明日も、来年も、何百年も、私たちはここに根を下ろすのだ。

 ボイオリクスと一緒に、ここに居るみんなで、心地よい村を作っていこう。家の壁にはお母さんが描いてくれたような美しい絵を描いていこう。生まれてくるヘルヴェティの子供たちに素晴らしい故郷を用意してあげよう。私たちの手で、誰にでも誇れる素晴らしい国にしていこう。

 アレシアは次の葦を運ぶために、川の方へと歩いていった。

(初出:2012年5月 書き下ろし)







前書き
1. 希望の旅立ち
2. 帰還
後書きならびに感想&反省
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Posted by 八少女 夕

【小説】明日の故郷 - 1. 希望の旅立ち

この記事は、「明日の故郷」の前編です。



「明日の故郷 1. 希望の旅立ち」

 アレシアは住み慣れた家をもう一度見回した。全ての持ち物は荷車に載せられた。持っていけないもの、家具やアレシアが小さい頃に描いた落書きを、今は亡き母が美しく装飾してくれた壁の絵はこれで見納めだ。二度とこの家に戻ってこない。

 皆で素晴らしい国に移住するという長老の決定を聴いたあの日から二年が経過していた。葡萄の実る暖かく肥沃な土地、西のガリアへ行くのだ。暖かい日だまりでゆったりとした冬を過ごすことが出来るという。恐ろしい蛮族に怯える日々からも解放される。


 野蛮なスエービー族たちが、頻繁に襲ってくるようになったのは、アレシアがまだ幼い少女だった頃だ。日当りが悪く、作物はギリギリしか穫れないこの土地で、なんとか暮らしている村人たちは、町で頻繁に起こるというスエービーの略奪の話を聞く度に不安になった。

「怖い大きい人たちは、どこから来たの?」
「北の寒い所だそうだ」
「じゃあ、私たちの遠い親戚なの? 私たちの祖先も、ほら、北からこのヘルヴェティの地に遷ってきたんでしょう?」
「とんでもない。あいつらは俺たちの親戚なんかじゃない。戦ばかりをする野蛮な奴らで、北の果てからやってきたんだそうだ。我々の祖先は旅程にしてひと月ほどの北から来たんだよ」


 アレシアの父親ヴィンドクスも、ゲルマン人とケルト人の明確な違いなどはわかっていなかった。ヘルヴェティ人は紀元前一世紀頃、現在の西スイスに居住してきたケルト系の民族だ。ケルトと言っても、かつての獰猛な戦士やミステリアスな魔法の部族のイメージはなく、農業や商業を中心に暮らす小柄な人々だった。

 アレシアが「怖い大きい人たち」と表現したゲルマン系のスエービー族は現在のフランスにあたるガリアに住むセクアニ族と同盟を結び、肥沃で暖かい地域に勢力を伸ばそうとしていた。当然ながら、その中間の位置にあるヘルヴェティは、押し寄せるスエービー族に悩まされるようになったのである。


 アレシアが若い娘となる頃には、事態はますます深刻となっていた。その頃、ヘルヴェティ族の富豪の一人が、ガリアのハエドゥイ族の領主の一人と手を結び、彼らの住む肥沃な土地に部族ごと移住するというアイデアを持ち出してきた。

 部族はこれに賛成し、二年の入念な準備期間が設けられた。長旅の間、部族が飢えないように持ち運べる穀物を沢山用意し、沢山の駄馬と荷車を買い集め、途中で通してもらう近隣の部族と友好関係を築いた。

 そして、準備期間が過ぎ、いよいよ旅立ちの日がやってきたのだ。紀元前五八年三月二八日だとカエサルの『ガリア戦記』には記されている。


「ほら、時間がないんだ、早く村の外に出て」
伝令が戸口から顔を突っ込んだ。

「ちゃんと荷造りは終わったわ。父はもう荷車と出たのよ。掃除が終わったらすぐに追いかけます」
アレシアが答えると伝令は頭を振った。
「掃除だって? そんな必要はないんだ。早く来なさい。一人でも村に残っていると最後の仕事が始められないんだよ」

「最後の仕事?」
「焼き払うんだよ」
アレシアは戦慄した。焼き払うって、何を? 

 伝令に引っ張られるようにして外に出ると、村はずれを数人の男たちが松明をもって歩いているのが見えた。彼らは茅葺きの屋根に火をつけているのだ。

「何をするの? あれはフリディアの家じゃない」
「そうだ。だがフリディアの所だけじゃない。村全部の家に火をかけるんだ。わかるだろう。早く離れないと危険なんだ」
「嘘でしょう? だめよ。お母さんとの思い出が詰まった家なのよ」

 伝令は厳しい顔をした。
「我々はこの地から離れるんだ。どんな思い出があろうと、もう二度と戻ってこないんだよ。簡単に戻ってこようとするものが出ないように、全部焼き払うんだ。ヘルヴェティの総意なんだ」

 総意じゃないわ。私はそんなことに同意していないもの。

 だが、もう遅かった。風上から煽られた炎は、激しく燃え盛り、あっという間に村を飲み込んだ。松明を放り出して男たちが走ってくる。彼らを追うように炎の舌が次々と襲いかかってくる。まだ昼過ぎだというのに、辺りは夕暮れのごとく真っ赤になった。黒い煙が上がり、顔を向けていられないほどの熱があたりを満たした。アレシアの育った小さな家も炎に飲み込まれた。お母さん! アレシアは涙を飲み込んだ。こうしてヘルヴェティの十二の町と四百あまりの村は全て灰燼と化した。

「さあ、行こう。今日中に、川まで行くつもりなんだよ、長老は」
伝令は、振り返るアレシアを叱咤した。


 アレシアはその日の夕方にはヴィンドクスの荷車に追いついた。
「ああ、アレシア。遅かったね。心配したよ」

 父親は、二人の立派な体格の男たちと並んで荷車を引くラバを歩かせていた。お揃いのチェックの外套を羽織った戦士と思われる二人の男は馬に乗っていた。一人は白髪まじりの明るい茶色の髪を持ち見事なあご髭をたくわえた男だった。その馬には立派な鞍と蹄鉄がついていた。もう一人のトゲネズミのように硬くこわばった黒髪の若い男は簡素な鞍の上で澄ましていたが、アレシアのたおやかな姿を見ると相好を崩し、馬から下りて近づいてきた。

 一度も会ったことのない男たちだったので、アレシアは戸惑って父親の方を見た。
「こちらにおいで、紹介するから。びっくりするぞ」
 父親はさも得意そうにアレシアに壮年の男を示した。

「こちらは、コンダのアルビトリオス殿だ」
「アルビトリオスさまって、まさか、あの有名な『両手使い』の?」

それは、この戦士が右手でも左手でも自在に剣を操るのでついたあだ名だ。
「そのまさかの、本人がここにいらっしゃるのさ。さっき、荷車が溝にはまって立ち往生していた所をこのお二人がお力添えしてくださってな。お名前を聞いたら、我が一族随一の英雄だったというわけだ」

 アルビトリオスは、スエービー族の襲撃を食い止めるのに何度も貢献した著名な戦士だった。名前だけは何度も聞いたことがある。アレシアは若い方の男の方を見た。
「こちらは?」

「それは私の甥のボイオリクスです」
アルビトリオスは短く紹介をした。ボイオリクスはウィンクした。


 アルビトリオスはヴィンドクスと意氣投合した。偶然にも、子供の頃にアレシアの祖父に剣術の指導を受け、彼が推薦してくれたおかげでコンダのドゥブノクスのもとに弟子入りすることが出来たというのだ。彼は幼い頃をアレシアの父親とほぼ同じ場所で過ごした。アレシアの知らない固有名詞が飛び交い、二人は楽しそうに話をし、それは尽きることがなかった。それ故、英雄とその甥は、旅の間中ヴィンドクスたちと一緒に行動することにしてくれたのだった。

 アレシアは成り行きからボイオリクスと話をすることが多くなった。ボイオリクスは、悪い人間ではないのだが、軽薄なところがあって、偉大な戦士である叔父と比較すると、アレシアにはどうしても頼りなく思えてしまうのだった。

「あなたは、叔父さまに剣を習っているの?」
「そうさ。剣だけじゃないぞ。俺が一番得意なのは、実は槍なんだ。でも、その内に俺も『両手使い』っていわれるような剣士になりたいんだよなあ」

「利き手でない方で剣を使うのって、そんなに大変なの?」
「そうさ。文字を書くだけだって、右と左とでは違うだろ? 剣だってそうなんだ。俺はまだこの程度の剣しか使いこなせないんだけどさ」

 そう言ってボイオリクスは手のひらを広げたほどもある広さの剣を取り出してみせた。きれいに手入れされて鋭利な刃先にアレシアはおののいた。柄には黒ずんだ銀色でトネリコの文様が彫られている。

「すごい剣ね。有名な鍛治師が作ってくれたんでしょう?」
「まあな。これは叔父貴にもらったんだ。今、叔父貴が愛用している『雷鳴』も、その内に譲り受けたいな。もちろん叔父貴が引退する時にだけどさ」

 それを聞きつけてアルビトリオスは振り向いた。
「俺が死んだら、この剣はお前のものにしてもいいが、そうでなければ俺が認める腕になるまで絶対にやらん。第一、毎朝の鍛錬をことあるごとにさぼろうとするヤツがこの剣にふさわしいと思っているのか?」
ボイオリクスは、ちっと舌打をした。図星のようだった。アレシアはそっぽを向いて笑った。


 旅は楽ではなかった。住み慣れた家の屋根の下で、自分の懐かしい寝台で寝るのは違っていた。風よけにもならないテントの中で寒さに凍えながら固い地面の上で寝るので、くたくたになるほど歩き疲れていても夜中によく目が覚めた。起きると体は痛い。長い髪を解いてきっちりと結い上げる習慣も途絶えた。体が重く何もかもが億劫になっていた。

 朝も昼も歩く旅が続く。一日の終わりには、アレシアは男たちのために煮炊きをしなくてはならない。もちろん薪は父親が集めてきてくれるし、二人の戦士は小動物を捕まえてきてくれるのだから文句を言うわけにはいかなかった。帰りたいという言葉を口にすることは出来なかった。あの懐かしい我が家はもうないのだ――燃え尽きて。

 星が煌めく草原で、焚火を囲みながら男たちが昔話をするのを、アレシアは黙って聴いていた。時には、話を聴かずに、夢を見ていた――この旅が終わる時のことを。――新しく住む素晴らしい土地のことを。

 葡萄がたわわに実り、小麦が年に二度収穫できるという、西のガリア。男たちが建てる新しい快適な家のことを考えた。新しい家がどんどん建設されて地平線の彼方にまで広がっていく。アレシアの想像は果てしなく続いていく。

 村じゃなくて町になればいいのに、そうアレシアは考えた。毎週活氣のある市場が立っていたというコンダのようなところは面白いに違いない。父さんの着ている外套はもう古いし、ボイオリクスが言っていたような珍しい石で出来たネックレスを見てみたい。アルビトリオスさまのような有名な方や綺麗な奥方がそこら辺を歩いている町。悪くないじゃない?

 その一方で、アレシアは素朴な村の生活をも夢見ていた。咲き乱れる香り高い花を摘みにいこう。清らかなせせらぎで女たちと談笑しながらゆったりと洗濯をしよう。

 どんなふうになるかはわからない。村かもしれないし、町かもしれない。どちらにしても素晴らしい場所が待っている。私の新しい故郷になる場所だ。あと二ヶ月もすれば、手に入る夢の生活だった。


 旅の半分以上が過ぎたある日。前を行っていた仲間たちの動きが突然止まり、それから半日以上も動かなかった。伝令たちが行ったり来たりし、男たちが厳しい顔で話し合っていた。そして、翌日、再び伝令たちが人々に何かを伝えていくと、隊列はもと来た道を戻りだした。途中の峠まで戻ってから今度は北へと向かうのだと言う。

「どうしたの? どうして予定を変更することになったの?」
アレシアは穀物のことを考えた。目的地に着くまでに食料が尽きてしまうかもしれない。

 ボイオリクスは肩をすくめて説明した。
「ローマだよ。アロブロケーズ族の領地は、ローマの支配下にあるんだ。通らせてくれないから、遠回りをしてジュラ山脈を越えなくちゃいけなくなったんだ」

「どうしてはじめから北に向かわなかったの?」
「長老は『アルプス向こうのガリア』を通らせてほしいとローマに頼んであった。だが、今になって彼らはそれを拒否し、軍隊を差し向けたのだ」
アルビトリオスが苦虫を噛み潰したような顔をした。

「恐れることがあるもんか。俺たちは何も悪いことをしていないのに、いちゃもんを付けるつもりなら、受けて立ってやればいいだろう。ローマなんて、馬に蹄鉄もつけていない奴らで、この辺りには大した数の軍もいやしないんだし、簡単に片付くだろう?」
そうボイオリクスがうそぶくと、アルビトリオスは甥に厳しい顔を向けた。
「お前は、ローマと戦ったことがあるのか? あいつらの戦い方を知らないだろう」

「スエービーの蛮族とどう違うんですか?」
アレシアは不安になって訊いた。

「我々やスエービーは戦士一人一人が剣で戦う。だがローマ軍はフォーメーションを組み、槍や投石バリスタなどで攻めてくるのだ。統率がとれた集団よる戦術で打ち破るのが難しい。特に、今、ガリアに向かっているのは、新総督ガイウス・ユリウス・カエサルだ。天才的な司令官だと聞いている」

 アルビトリオスの声は低く静かだった。彼はいくつもの戦争をくぐり抜けてきたからこそ知っていた。戦争の準備はできていない。長旅で一族はみな疲れており、武器や食料も足りていない。土地勘もない。勝てない戦いなどすべきではないのだ。

 風が吹いてきた。丘の向こうから灰色の雲がゆっくりと向かってくる。嵐になるかもしれない。人々は不安な面持ちで行く手を見つめていた。






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1. 希望の旅立ち
2. 帰還
後書きならびに感想&反省
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Posted by 八少女 夕

【小説】明日の故郷 - 前書き

この記事は「明日の故郷」の前書きです。



「明日の故郷」は、「生きていく村」をテーマにした短編小説で、紀元前58年に現在の南フランスで起こった第一次ガリア戦争(ビブラクテの戦い)に題材をとっています。

戦争の経緯ならびに結果、ヘルヴェティ族がどうなったかは小説の中に記述してありますので、ここでは繰り返しませんが、史実と創作の部分をはっきりさせるために一つだけ述べておきます。

この小説に出てくる固有名詞で、実在の人物は世界中の人間が知っていて、『ガリア戦記』の著者とされている人物たった一人だけです。あとの固有名詞は全て私の創作です。固有名詞は、ケルト人のものであるにもかかわらず全てラテン語化していますが、これはラ・テーヌ時代のケルト人が文字による記録を残さなかったため、どういう固有名詞だったのか、私はもちろん誰にもわからないからです。

ここに、参考にした文献を記載させていただきます。
C. IULIUS CAESAR「Commentarii de Bello Gallico
G. ヘルム著 関橘生 訳「ケルト人」河出書房新書




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