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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

ヒトの小説が勝手に動き出したら

好きな小説を読んでいて、お氣に入りキャラが出来て、その小説の事をしょっちゅう考えている事ってありますよね。で、そのうちに、そのキャラが勝手に動き出したら……。書く方は、わかりますよね? 勝手に動き出すって感覚。

まあ、有名作家のキャラの場合は、「よくあること」で済みますよね。「二次創作しちゃおう」でOKな訳ですが。これがブログのお友達の小説だったりすると、困りませんかね? しょっちゅうコメントを入れあっている親しい方のキャラだって、入れ込んでいればそのうちに動き出しちゃうと思うんですけれど。

黙っていて、作者さんがほぼ同じ展開を書いてくだされば「よっしゃ!」なんでしょうけれど、違ったら「しょぼん」なのかなあと。

私は、自分でお話が書きたくなるほど、ブログのお友達のキャラに激しく動かれた事はまだないのですが、「この二人がこうなるといいなあ」と期待していた二人のうちの一人があっさりご逝去なさってしまい、ぐったりしたことはあります。

反対に、自分のキャラについてどうかといわれれば、目を覆うほどえぐい展開を想像されると困りますが、ごく普通に入れ込んでいただけるのは嬉しいです。まあ、そのためにはとても魅力的なキャラを生み出さないといけないでしょうけれど……。
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Posted by 八少女 夕

大道芸人たちの見た風景 - 16 -

普段、内陸国にいるので、海を見るとはしゃいでしまいます。

ビーチ!

同じ地中海でも、イタリアで見る海、フランスで見る海、スペイン、マルタ、モロッコから見る海は全く違う印象を与えます。

フランスのビーチは、どこも洗練されたイメージ。底抜けに明るくて、ヴァカンスという言葉がどこまでも似合います。ここではなんとしてでも魚介類を食べなくては。前回の更新ではブイヤベースをアリオリ・ソースと一緒に食べる稔が登場します。

パリパリのフランスパンと一緒に、燦々と降り注ぐ太陽の下で、魚介のエキスがたっぷりとでたスープを食べた彼は、「ああ、生きていてよかった」とため息をもらしたことでしょう。もちろんワインは白で。海外のこってりした食事に胃が悲鳴を上げたら、魚のスープを。日本人に優しい食事です。

この記事を読んで「大道芸人たち」を読みたくなった方は、こちらからどうぞ

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Posted by 八少女 夕

「何時にお腹が空く?」

わたしの腹時計は恐ろしいばかりに正確です。グウと鳴ったら11時50分なんてことがよくあります。反対に12時になってもお腹がすかないときは、ちょっと体調に問題があるときですね。心配事があってそれどころではないときや、前の日にお腹の皮がはち切れるくらい食べ過ぎてしまったときなど。

普段、会社では、砂糖の入った飲み物は飲みません。何を飲むかというと、夏は水、冬は白湯を飲んでいるんですね。なぜこんな事をするかというと、水分をちゃんと補給するためには、カロリーやカフェインの摂り過ぎを心配したくないからです。で、帰宅したら、ゆったりとコーヒーを飲みます。嗜好品を楽しむ時には、カロリーとか言いたくありませんので。

こんな具合なので、三度の食事の間に口に入れる糖分のあるものは、自分へのご褒美で食べている、チョコレート一列のみ。ま、これと自転車通勤のお陰で、他に全く運動をしていないにも限らず、20年くらい同じ体重を保っている訳ですが。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の新村です今日のテーマは「何時にお腹が空く?」です!だいたい毎日生活リズムが同じだとお腹がすく時間も決まってきませんか?私はいつも11時にはお腹が減って、ぐぅーっと鳴ります。仕事中に結構鳴らしてますそして、やっとお昼を食べて午後午後は16時ぐらいにもう減っていますねお菓子を食べるか毎日葛藤してます・・・もうお腹空く時間も決まってきているのでだいたいその時間になる...
トラックバックテーマ 第1515回「何時にお腹が空く?」

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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (28)サン・マリ・ド・ラ・メール、 異変

サン・マリ・ド・ラ・メールは南フランスのリゾート地です。ここには聖母マリアがお付きのサラたちと一緒に船で到着したなる伝説があります。そして、このサラが何故かジプシーたちの守護聖人として熱烈な信仰を集めていて、年に一度、ジプシー大集合のお祭りがあります。という知識は、本文とは全く関係ないのですが、よかったら行ってみてくださいね。

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大道芸人たち Artistas callejeros
(28)サン・マリ・ド・ラ・メール、 異変


 海岸には、痛くなるほどの陽光が溢れていた。そろそろ夏も終わりだった。それでも最後の輝きで夏とは楽しむためのものだと教えてくれる。遅めのヴァカンスを楽しむ人たちで、サン・マリ・ド・ラ・メールの海岸はいっぱいだった。四人は一稼ぎを終えて、いつもより実入りが良かったので、海の見えるレストランで食事をした。

 ブイヤ・ベースの皿が片付けられて、極上のアリオリ・ソースに未練たっぷりの一瞥をした後、稔は不意に日本語で言った。
「おい、一般論だけどさ」

 蝶子は片眉を上げた。またかという表情だった。詮索好きな男ね。
「何よ」
「ある男が、とある女に本氣で惚れているとしてさ」

 その話ね、と蝶子はうんざりした顔をした。どうりでブラン・ベックもテデスコもいるのに、ルールを破って日本語で『一般論』をはじめたわけね。
「その男にはけっこうな勝算があると、外野からは見えるのに、まったく手を出さない場合、それって国民性なのかな? それとも女が絶対に断るという確信があるからかな?」

「そんなの、人それぞれでしょ。一般論でくくれると思っているの?」
「だから、お前は、どう思う?」

 蝶子はため息をついた。けれど、結局はいつかは説明してやらねばならないことだった。なんといってもArtistas callejerosは運命共同体なのだ。このまま、二人に黙っているわけにはいかない。ブラン・ベックには折を見てヤスが上手に説明するだろう。この複雑な状況を。

「あくまで一般論だけど」
蝶子はわざとらしく付け加えた。稔にとってはこの辺の枕詞はどうでもよかったが、トカゲ女にしゃべらせるにはこれが一番手っ取り早い。

「民族性とか、相手の反応ってこともあるわ。けれど、たいていはもっと個人的な事情が絡んでいるんじゃないかしら」
「例えば?」
「例えば、その女が父親の元愛人だったとか、それが原因で母親が自殺したとか」

 稔は呆然と蝶子を見た。蝶子は平然としていた。たぶん、ブラン・ベックにはこの話の要旨はまったく想像できないであろう。だが、テデスコは? 稔にはヴィルが理解しているとしか思えなかった。

 蝶子は英語で他の二人に言った。
「あたし、デザート食べたくなっちゃった。頼んでもいい?」
まるで、いままで稔とデザートについて日本語で会話をしていたかのように。

 蝶子はムース・オ・ショコラを、レネはクレーム・ブリュレを頼んだ。稔とヴィルはコーヒーだけを注文した。

 稔はまだ先ほどの衝撃から立ち直っていなかった。お蝶、お前はすごい女だぜ。そこにいるのが例の教授の息子だとわかってて、あのバレンシアの晩以来、どうやっていつも通り普通に接する事が出来たんだ? どうやってムース・オ・ショコラなんて頼めるんだ。

 嬉々としてスプーンを口に運ぶレネとは対照的に、蝶子は「そんなに嫌ならなぜ頼んだ」といいたくなるような食べ方をしていた。氣が遠くなるほど甘い上に、量もハンパではなかったからだ。レネの食べ方は稔には異常に見えた。

 黙ってムースと格闘していた蝶子は、ふと視線に氣づいて目を上げた。ドイツ人はいつものように強い光を宿らせて真っ直ぐに蝶子を見ていた。蝶子は婉然と微笑んで、スプーンとデザートグラスをヴィルに渡した。黙って受け取ると、ヴィルは殺人的な甘みの固まりを口に運んだ。女がその手に持ち、いままで口を付けていたスプーンを使って。なんてひどい女だ。稔は心の中で叫んだ。

 やがて、稔とレネの目の前で、この手の間接キスが何度も行われるようになった。蝶子は同じことを稔やレネにはしなかった。自分の使ったスプーンを黙ってヴィルに渡す。もしくはヴィルの使ったフォークを黙って取り上げる。フルートを吹いていたかと思うと、それをドイツ人に渡し切ない響きを強制する。サディストも大概にしろと稔は憤慨したが、レネは別意見だった。

「パピヨンもテデスコが好きなんですよ」
「どこをどう分析すると、トカゲ女がテデスコに惚れていることになるんだよ」
「テデスコは見つめる以外何もしていないのに、パピヨンは挑発しまくりじゃないですか。あれはテデスコが行動を起こすのを待っているってメッセージですよ」

「あの女がそんなまどろっこしいことするかよ。やりたくなりゃ、襟首つかんでベッドに連れていくだけだろ」
「馬鹿だなあ。それだけパピヨンが本氣ってことじゃないですか。ああ、本当にせつない。なんでよりにもよってテデスコなんだろう」

「さあな。そう簡単には片付かないぞ、この話は」
「なぜ? テデスコが行動さえ起こせば、今日にも片付くじゃないですか」
「お前さ。父親のもと愛人で、母親の自殺の原因になった女に惚れたらどうする?」

レネは蒼白になった。
「ほら、お前だって簡単に片付かないって思うだろ?」
稔はそういうと口をつぐんだ。


 蝶子の前には二人のドイツ人がいた。一人は誰よりも大切な仲間。信頼できる無口な男で、誰よりも蝶子のことを理解している。音楽をともに奏でれば、すべてを忘れることができるほどの芸術の恍惚を味合わせてくれる。そして、もう一人が因縁のアーデルベルトだった。その二人が同一人物だということに、蝶子は二週間経ってもまだ慣れることができなかった。

 アーデルベルトの存在を知ったのは、エッシェンドルフの館の楽器置き場で掃除をしていたマリアンと雑談をしたときだった。自分のフルートを箱にしまって置きながら、蝶子はふと、いつもそこに置いてある黒革の箱に手を伸ばした。「A.W.v.E」と小さく金色で刻印されている。ハインリヒのものではないが、フォン・エッシェンドルフ家のだれかのフルートなのだろう。

「ああ、それはアーデルベルト様のものですよ」
マリアンは掃除を続けながら言った。首を傾げる蝶子をその初老の家政婦は興味深そうに見つめていたが、やがておせっかい心をだし、教授には聴かれないように小声で言った。
「旦那様の息子です。こちらの跡継ぎですよ」

「息子さんがいるの? 知らなかったわ」
「それは当然ですよ。ここ七、八年、一度たりともこちらには足を踏み入れていませんもの」
「まあ」
「フルートがとてもお上手で、大学在学中にコンクールでも優勝なさったんですよ。卒業後に旦那様がデビューの準備を大喜びで進めていらっしゃったんです。でも、どういうわけだか急に、どうしてもフルートをやめるとおっしゃって。旦那様は本当にがっかりなさったようでした」

「今は、どこにいるの?」
「生まれたときから、ずっとアウグスブルグですよ」
「跡継ぎ息子なのに、ここでは暮らしていなかったの?」
「正式の婚姻で生まれた方ではないんですよ。旦那様も、もともとは跡継ぎになさるつもりはなかったようです。でも、あまりにも音楽の才能に秀でていらっしゃるので、途中から教育に夢中になられてね」

 蝶子は教授の求婚にイエスと答えたばかりだった。その青年は、私のことをどう思うのだろう。アーデルベルト・W・フォン・エッシェンドルフ。Wはヴァルター、ヴィルヘルム、それとも……?

「どんな人なの?」
「悪い方ではありません。でも、少し変わっていらっしゃいますね」
「どんなふうに?」
「笑ってくださらないんですよ」

 ヴィルは確かにほとんど笑わなかった。音楽の才能にも恵まれていた。けれど蝶子はヴィルとアーデルベルトが同じ人間だと考えようとしたこともなかった。

 会ったはじめの頃から、ヴィルは私のことを知っていたのだろう。だから、あんな風にいつもつっかかってきたのだ。ヤスやブラン・ベックへの態度とは大きくかけ離れて、私にだけとても冷たくて身構えていた。私はその理由を考えたことすらなかった。お母様が私のせいで命を絶ったのだ。

 蝶子が教授のもとから逃げる決心をした時に、心の中にあって行動を急がせたのはアーデルベルトだった。教授はマルガレーテ・シュトルツの葬式にすら行かなかった。アーデルベルトはたった一人で、お母様を弔ったのだ。どれほど私を恨んでいることだろう。それなのにハインリヒは来週にでもアーデルベルトに会えと言った。食事でもしながらお互いに知り合い、結婚式のことや今後のことを話そうと何事もなかったかのように言った。そんな立場に立たされるアーデルベルトの心の痛みを慮って、蝶子は居ても立ってもいられなかった。同情と慰めの想いを伝えたくても、自分が悲劇の原因では話にならない。

 夕暮れに輝く小麦畑のような髪をした男の湖のように青い目がいつもじっとこちらを見つめている。恋をしている優しいテデスコに見える時もあるが、痛みを消化できないでいる冷たいアーデルベルトに見える時もある。そのどちらもを、蝶子は抱き寄せたかった。強い想いで引き寄せられていた。けれど、どちらもルール違反だった。ひとりはArtistas callejerosのメンバーで、もう一人は他ならぬ自分が償うことのできない傷を負わせた相手だった。離れることなど考えられなかった。けれどこれ以上近づくこともできなかった。
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Category : 小説・大道芸人たち
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

ワインの話

あ、 銘柄を語ったりしませんから。そこまで詳しくないし、ソムリエでもありません。

でも、日本にいたときよりは、よく飲んでいるし、自分で選んで買っているので、その話を。

たとえばボルドーがいいとか、オーストリアのこれは美味しいとか、まあ、いろいろと聞くんですが、私が一番重視しているのは実は安全性だったりします。あっちの大陸(営業妨害になるのでどことはいいませんが)で作られるワインには、あれこれ化学薬品が入りすぎている、こっちの国ではダイオキシンが……なんて話を聞くとやっぱり心配ですよね。

だから、私は有機農法で作ったマークの入ったものを選びます。可能ならスイス産で、だめならまあ、ヨーロッパでという具合に。値段はそんなに高くなくても、まろやかで美味しいものが多いように感じます。

プレゼントにするなら、イタリアのアマローネ。これがスイスでのお約束です。美味しいんですよ。高いけれど。

次に氣にしているのは、食事に合うかどうか。といっても、肉なら赤、魚なら白という程度の事ですが。実は白ワインは目が冴えて眠れなくなるとの事なので、晩ご飯のときは、わざとロゼに替えたりもします。

あとは美味しく会話を楽しんで飲むとか、ふさわしいグラスに入れるとか、その程度の簡単な事を氣にしていますね。ワインというものはがぶ飲みするものではありません。ゆったりと楽しく、時間をかけて。ヨーロッパの暮らしとワインは切っても切れない関係にあると思いますね。

いまの季節、スイスには子供でも、アルコールがダメな人でも飲めるワインもどきがあります。ワインを発酵させる最初の段階の状態の飲み物で「ザウゼル」と言います。葡萄ジュースよりは甘味が少なくて、ワインのアルコール分もない、とっても美味しい飲み物なのです。ただし、これ、11月などになると、発酵が進みすぎていて、あまり美味しくないのです。飲むなら九月か十月の頭! もし、この時期にいらっしゃる方は、ぜひ試してみてくださいね。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】リナ姉ちゃんのいた頃 -2-

確定申告に追われている私です。それなのに、ここ数日、ブログのお友達のところでは、じっくりコメントを入れたい重大な記事ばかり。ごめんなさい。復帰したら書きますから!

さて、今日の更新は、人氣ブログランキングのWeb小説部門一位記念に左紀さんからいただいたリクエスト。「リナ姉ちゃんのいた頃 -1-」の続編です。左紀さん、リクエスト、ありがとう!

-1-を読んでいない方のために。このシリーズの主人公は日本の中学生の遊佐三貴くん(もともとのリクエストをくださったウゾさんがモデル)とスイス人高校生リナ・グレーディクちゃん。日本とスイスの異文化交流を書いている不定期連載です。-1-を読まなくても話は通じるはずですが、先に読みたい方は、下のリンクからどうぞ。


リナ姉ちゃんのいた頃 -1-



リナ姉ちゃんのいた頃 -2-

僕はそれまで、かなりそつのない人生を歩んでいたと思う。もちろん、一美姉ちゃんみたいな優等生でもなければ、栄二兄ちゃんみたいに上手く立ち回れる性格でもないけれど、少なくとも、近隣のガラの悪い高校生に目を付けられるようなヘマはしてこなかった。リナ姉ちゃんが家にやってくるまでは。

リナ姉ちゃんは、あっという間に町内一の有名人になってしまった。そりゃそうだろう。テレビでだって滅多に見ないようなスタイルのいい美少女ガイジンが、闊歩しているんだもの。東京にはたくさん外国人がいるはずだ。でも、麻布や六本木ならまだしも、目黒区辺りにはまだ珍しいのだ。それだけじゃない。

「ねぇ。リナ姉ちゃん」
「何、ミツ?」
だから、僕の名前はミツじゃなくて三貴だって、何度言ったら……。いやいや、そんなことはどうでもいいんだ。
「本当にその格好で行くわけ? 商店街に」
「そうよ、いけない?」

スーパーで、タレントがプロデュースしている網タイツを見つけたリナ姉ちゃんは大喜びで買いあさった。でもさ。革のホットパンツに、蝶の文様の入ったその網タイツ、ちょっと目立ちすぎるんだけど。上も、百合の大きな柄が珍しいオレンジ色のしゃれたタンクトップだけれど、ブラのヒモが見えてるし。いや、これも日本で見つけた見せても大丈夫なラインストーンのものだけどさ。そして、七センチヒールの黒い艶つやサンダル。

「どうやっても、道行く人全員の注目を集めるよ」
「そう? タイツ以外は、普通の格好じゃない」
どこが!

「高校生が、シャネルの馬鹿でかいサングラスしているのを、この国では普通とは言わないよ」
「あん?」
ピンと来なかったのか、リナ姉ちゃんはそのサングラスを外すと、さっとカチューシャ代わりに頭にひっかけた。

商店街の百円ショップに行くだけなのに!

夏休みの間に、僕たちがどれだけ有名になっていたか、新学期が始まって学校に行ってようやく知った。教室に入ると、クラスメイトたちがどっと寄ってきて、僕は質問攻めにあった。
「遊佐! お前、超絶美少女とつき合っているって本当かよ!」
「タレントの付き人になったって聞いたわよ」
どれもとんでもないデマだ。
「違うよ。あの人は、家にホームステイにきた交換留学生だよ。家では僕しか意思疎通出来る人がいないから、通訳代わりに引っ付いているだけなんだ」
僕はあわてて説明した。

「ええっ。遊佐くん、英語喋れるの? すごい!」
「ああ、こいつ中一のときから、駅の英会話教室通ってたもんな」
僕は頭をかいた。
「いや、本当はそんなに喋れないんだ。でも、家では、他の全員が日本語しか喋らないから、どうしてもリナ姉ちゃんは、僕に引っ付いてくるんだよ」

実際には、すごいことが起こっていた。リナ姉ちゃんと暮らしはじめてひと月で、お互いの会話の癖がつかめたのか、それとも、腹が据わったのか、僕ははじめの頃より会話に苦労しないようになっていた。そして、夏休みが終わって、再び英会話教室に行ったら、前と全然違っていた。リスニングが明らかに向上していたのだ。

氣のせいかなと思って、家に戻ってからFENを聴いてみた。げっ。言っている事がわかる! 前は、全然聴き取れなかったのに。ずっと下から数えて十位以内だった学校のリスニングテストで、僕は突然学年三位に躍り出た。皆がざわめいたのは言うまでもない。

一方、リナ姉ちゃんは、僕の中学から200m離れた帰国子女も受け入れている高校に通いだした。一応心配なので、朝と帰りは僕が校門まで送り迎えをしている。お陰で、外国人高校生とつき合うませた中学生というデマが横行してしまったのだ。

リナ姉ちゃんを送り迎えしたい輩は、他にいた。登校三日目、僕が高校の門の前で待っていると、向こうから学ランの男子生徒三人が歩いてきた。うっ。あれは若田高校の奴らだ。ひどく着崩された制服の袖を肘までまくり上げている。大して長くない足がさらに短くなる腰パンも三人共通だ。

「君が、噂のませたちゅー坊くんだねぇっ」
真ん中の生徒、仮に名付けてナンバー1がニヤついて言った。僕は後ずさったが、後ろに門柱があって逃げそびれた。ナンバー2と3が横を固めて逃げ道を塞いだ。万事窮す。
「俺たち、君に話があって来たんだ~」
やけに馴れ馴れしい。ナンバー2が続ける。
「綺麗なお姉さんといつも一緒みたいだけどさ。よかったら紹介してくれないかなっ」

勘弁してよ。なんで僕がリナ姉ちゃんを若田高校の不良に紹介しなくちゃいけないのさ。
「そういわれても、僕あなたたちを知りませんし……」

ナンバー3はすぐにカッと来る性質らしかった。
「何だとお! 《バカタの三羽がらす》を知らないってことはねぇだろう」
僕はバカタなんて言っていないからね。自分で言ったんだから。願書さえ書けば誰でも入学出来ると評判の私立若田高校を陰でそう呼ぶ人がいるのは知っていたけれど、まだ高校受験もしていない僕がそんな風に呼ぶのは失礼ってものだろう。だから、僕はいつもちゃんと若田高校と呼んでいる。

僕の衿をつかんで怒鳴るナンバー3をリーダー格らしいナンバー1がやんわりと止めた。
「まあまあ。知らないなら自己紹介から始めようか」
ナンバー2は低い声で補足する。
「さっさと名前を言え」

僕は仕方なく答える。
「遊佐……三貴です」
そう答えた途端、ナンバー1の顔色が変わった。
「う、遊佐? え。えっと、住んでいるのは?」
「え、この先の、三丁目……ですけれど」
「やべっ」
ナンバー2が声を上げ、ナンバー1が急にぴしっと立った。それからまだ僕の襟首をつかんでいるナンバー3の頭をバシッと叩いた。
「何やってんだよ。お前っ」
「え? なんで?」
「わかんねえのかっ。三丁目の遊佐さんってのは一美姐さんの家だよっ」

一美姐さん? 一美姉ちゃんが、なんだって? 僕の姉ちゃんはこの春から八王子の大学の近くに下宿して家にはいない。だけど、若田高校の有名な不良どもが、どうして姉ちゃんを知っているんだろう? 去年まで通っていた有名私立高校は女子校で、しかも若田高校とは全然近くないのに。僕は、勇氣を振り絞って事情を訊こうかと思った。

その時だった。
「ミツ? お待たせっ」
軽やかな英語の呼びかけが響いた。げっ。どうしてこういう場に! リナ姉ちゃんは、状況を全く理解していないので、平然と寄って来た。
「お友達?」
「い、いや、その……」
僕が困っている一方、《バカタの三羽がらす》は、彫刻のように固まってしまっていた。あれれ、君たち、綺麗なお姉ちゃんが、日本語を話せない事を知らなかったのかね。

「こんにちは。私はリナ・グレーディクよ。よろしくね」
よろしくといわれて、三人はますます慌て、捨てられた子猫のような瞳で僕に訴えかけた。
「あなた達に逢えて光栄ですと言ってますが」
僕は当然この三人にだってわかっているだろう内容を通訳してやった。
「こちらこそ光栄っす!」
「ちょーうれしーっす」
「すんませんっ。どうか今日の事は一美姐さんにはご内密に!」
そう、口々に叫ぶと、結局名前も言わずに逃げるように立ち去ってしまった。

「なに、あれ?」
リナ姉ちゃんが首を傾げる。
「《バカタの三羽がらす》だってさ。リナ姉ちゃんのファンらしいよ」
「ふうん?」

僕は、周りにいたたくさんの下校途中の高校生たちがこちらを見ながら通るのを感じながら、困った事になったなあと思っていた。僕の目立たない平和な日々を返してよ。

* * *

そんな事があったばかりだったので、土曜日に商店街に行くだけで、リナ姉ちゃんがこんなに目立つ格好をするのは嫌だったのだ。

姉ちゃんは、東京のショッピング天国に夢中になっていた。たかだかコンビニにまで30分も長居したりするので、僕は辟易していた。でも、ほっておいて何かあったら、父さんが斉藤専務に睨まれる。そしたら僕の来月のお小遣いはどうなることか。

そして、100円ショップだ。
「姉ちゃん。確かに100円だけどさ。毎回そんなに買い込んでどうするんだよ。一年経ったら僕んちに入りきらないほどになっちゃうよ」
「うるさいわね。もし多くなりすぎたら船便でスイスに送るもの。ほっておいてよ」
ちりも積もれば山となる。リナ姉ちゃんのお財布は、到着以来どんどん軽くなっているようだった。

「ねぇ、ミツ。お願いがあるんだけど」
一緒に表を歩きはじめてから、リナ姉ちゃんは僕に話しかけた。
「うん? どうぞ」
「外国為替の出来る銀行ってどこ?」

僕は首を傾げた。リナ姉ちゃんの生活費とお小遣いは、父さん宛に毎月送られて来て、父さんはお小遣いを日本円で渡したはず。
「お小遣い、日本円じゃなかったの?」
「今月分、もう使っちゃった。でも、緊急用のお金をおばあちゃんからもらってあるから、それを両替しようと思って」
彼女が、例のチェシャ猫そっくりの笑顔を見せたので、僕は肩をすくめて、駅前の銀行に向かった。

「スイスフランですか。当行では扱っておりませんね」
ぐっ。リナ姉ちゃん、米ドルかユーロで持って来てくれよ。

「どこでなら両替出来るんですか?」
「○○銀行の渋谷支店は扱っていますよ」
商店街に行くはずが、渋谷に行く事になってしまった。

渋谷駅はいつも通り人でごった返していたけれど、やっぱりリナ姉ちゃんと僕は人目を集めた。リナ姉ちゃん、本当に美人だもんな。笑うとチェシャ猫だけど。ものすごく混んでいる駅の通路が、僕たちの周りだけすうっと開いていく。みんな立ち止まって僕たちを見る。リナ姉ちゃんは、まったく躊躇せずに軽やかに歩いていく。まるで心躍る楽しいミュージカルの舞台をみんなで踊りながら進んでいるみたいに。ハチ公の前を闊歩する。スクランブル交差点で車はリナ姉ちゃんのために全部停まる。あ、いや、これは信号か。そして僕たちはクーラーのきいた○○銀行にすうっと引き込まれていく。

* * *

「でも、僕たち、わざわざ来たんですよ。電車に乗って。ここならスイスフランを両替してくれるって言うから」
僕は、赤くなって窓口で抗議していた。

「確かに当行では、スイスフランの両替をお取り扱いしております。でも、この紙幣は……」
リナ姉ちゃんが、プラダの財布からそっと取り出した紫色の馬鹿でかい紙幣を見て、その女性行員はしどろもどろになった。何がいけないんだろう。
「これは、1000フラン紙幣ですよね。当行では200フランの紙幣までしかお取り扱いしていないのです」

僕は、1000フランと言われてもピンと来なかった。コインはダメって言うならわかるけれど、どうして?
「だって、これもスイスのお金じゃないんですか?」
「ええと、スイスでは確かに1000フラン紙幣は発行されているようなんですが……。すみません、ちょっとお待ちください」

もめている僕と行員の様子を見ていたリナ姉ちゃんは、財布とお揃いのプラダのバッグからiPhoneを取り出すと、どこかへと電話をかけだした。そして、変な言葉で話しだした。英語じゃないからこれがドイツ語なんだろうか。でも、なんか響きがドイツ語っぽくないな。方言なのかな。

あっけにとられていた行員は、はっとすると、ぺこりとお辞儀を一つして、奥へ引っ込んだ。それから、恰幅のいい男性をつれて戻って来た。高額紙幣とか、1000スイスフランとかいろいろと話している。たぶん行員の上司だろう、その男性は、僕の方を見て丁寧に、でも、ちょっと見下した感じで説明しだした。

「ええと、あなたも、このお嬢さんも未成年ですよね」
「はい、そうですが。未成年は両替しちゃいけないんでしょうか」
「いえいえ、そうではないんですがね。この紙幣の価値をご存知ですか?」
僕は正直に首を振った。スイスフランのレートなんか知らない。

「この紙幣は、日本円にすると八万三千円の価値があるんですよ」
げっ。せいぜい一万円ぐらいだと思ったのに! 姉ちゃん、そんなお小遣いがあるか! そりゃ、そんな高額紙幣を中学生が替えに来たら不審がられてもおかしくないよね。
「で、現在こちらには、偽札発見のシステムで200スイスフランまでしか……」
上司は、そこまで説明したが、その時、別の男性が慌ててやって来て、そっと袖のところをつついた。

「なんだね、君。今、私は……」
「頭取からのお電話です。現在、お話中のお客様の事で……」

それを聞いた男性は、顔色を変えて、もう一人の男性行員の差し出したコードレスフォンを受け取って話しだした。
「はい、吉崎です。はい、はぁ、ええっ? あ。はい、はいっ。わかりました。はい、失礼のないように、対処します。はいっ。失礼いたします」

僕は事情が変わった事に氣がついた。リナ姉ちゃんは口を閉じてにっこりと笑っている。こうやって笑えば、無敵なんだけどなあ。

吉崎氏は、さっきとはうってかわった、媚びるような笑いを浮かべると、へこへこしながら僕に言った。
「いや、大変失礼いたしました。グレーディク様。△△商事の斉藤専務と当行の頭取の山口からよろしくとの事です。日本円はいますぐ、用意いたしますので」

女性行員がぽかんと口を開けている。吉崎氏はきっとなって命じた。
「君っ。すぐに手続きをしなさい」

それから僕とリナ姉ちゃんを、何故か応接室に連れて行って、麦茶とお菓子まで出してくれた。

「リナ姉ちゃん、どこに電話したんだよ」
「どこって、スイスよ」
携帯電話で国際電話かける?
「スイスのどこ?」
「ん? 名付け親よ。国際通貨基金の理事やってるんだけどね」
僕は、ぐったりして麦茶をすすった。

姉ちゃんは、手にした八万三千円をきっちりとプラダの財布にしまった。僕はその時に、同じ紫色のスイスフラン紙幣が、ほかに五枚くらいはその財布に入っているのを見てしまった。くわばら、くわばら。それから、姉ちゃんは呆然としている○○銀行の吉崎部長の頬にキスをして、颯爽と渋谷の街にでていった。また、ミュージカルのダンスをするみたいに。

IMFの理事まで引っ張りだして買いたいものが100円ショップにあるなんて、きっと誰も信じないだろうな。リナ姉ちゃんは、呆れている僕の顔を見て、いつもの大きな口でニイッと笑った。やっぱりチェシャ猫そっくりだ。

(初出:2012年9月書き下ろし)

スイスの高額紙幣これがスイスのお札です。紫の方は滅多にお目にかかれませんが……。他に10、20、50フラン紙幣もあります。
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Category : 小説・リナ姉ちゃんのいた頃
Tag : 小説 リクエスト

Posted by 八少女 夕

記念のバトン

人氣ブログランキングのWeb小説部門で一位になった記念に募集したリクエスト。TOM-Fさんからいただいたのは、このバトン。TOM-Fさん、ありがとう。「小説家になろう」でまわって来たものだという事です。もし、やってみたい方がいらっしゃいましたら、どうぞお持ち帰りください。では、挑戦。



1.名前を教えて?
八少女 夕です。
2.男? 女? それとも阿部さん?
女です。阿部さんって何?
3.学生? 社会人?
もうずいぶん前から社会人ですよ。
4.好きな番組は?(アニメでもドラマでもバラエティーでもあり)
ZDFなどで制作している自然と野生動物を紹介するドキュメンタリーは好き。映像が美しいので。
5.今なにしてる?
ええと。このバトン書いています。そうじゃなくて職業の話? なら、プログラマー。
6.あなたが書いている小説を教えて?
現在ブログで連載しているのは「大道芸人たち」です。ヨーロッパを旅する四人の仲間と音楽の話です。って、このブログではしつこいくらいに宣伝していますが。
7.あなたは小説を書くとき、どのくらいの時間集中してる?
二時間くらいでしょうか。それを超えると飽きますね。
8.あなたの部屋には、何種類の小説がある?
いろいろありますが。恋愛ものも、歴史物も、時代物も、探偵小説も。それとも、私が書いているものの話? だったら、ヨーロッパもの、神話もの、比較文化の話かな。
9.最近の悩み事は?
小説の事を考える時間がもっと欲しい。贅沢な悩みですね。
10.怖い話。苦手?
ものすごく苦手です。子供の頃、怪談のテレビ番組を姉が観ていて、そのテーマ曲聴くだけで毛布被っていました。でも、本物の霊は全く見えない体質。
11.歴史上の人物で最も会いたい人物は?
ベートーヴェン
12.自分が描く作品内のオリキャラに(作者or作品の)紹介をさせて
「ハ〜イ。あたし、カンポ・ルドウンツ村のバー『dangerous liaison』を経営しているトミーよ。「大道芸人たち」ばかりの紹介をするえこひいき作者だけれど、あたしたちカンポ・ルドウンツ村の住人がでてくる小説もいろいろとあるの。「夢から醒めるための子守唄」「歓喜の円舞曲」のほか、この秋に公開予定の「夜想曲」もぜひ読んでね。それから、よかったらアタシのお店にも寄ってね」
13.皆におすすめしたいモノ(漫画やアニメ、小説などなんでもアリ)
カオス理論の話で盛り上がれる友だちがいままで皆無だったので、どなたか興味があったら……。
14.好きな歌、アーティストは?
基本的にはクラッシック音楽が好きなんですが、ポップの世界ではStingやMichael Bubléは好きですね。
15.好きなスポーツは?
すみません、運動音痴です。
16.執筆にどんなツールをつかってる?
Scriverner(Mac用の小説エディタ)
17.ペンネーム、ハンドルネームの由来は?
う。小学生の時に使いはじめたんですが、由来が思い出せません。天平時代に夢中になっていて、どっか関係あるんじゃなかったかなあ。
18.構想中の小説があったら、紹介して。
現在、執筆中なのは「Cantum Silvae - 貴婦人の十字架 -」で、舞台はヨーロッパの中世をイメージした架空の王国。ルーヴラン王国の世襲王女の縁組みを軸に話が進んで行きます。もっとも、これを公開する前に、「夜想曲」とたぶん「樋水龍神縁起 DUM SPIRO, SPERO」を連載すると思います。時間稼ぎとも言う? 終わったら、「大道芸人たち」の第二部ですかね。
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Posted by 八少女 夕

【小説】夜のサーカスと金の星

月刊・Stella ステルラという企画に参加する事になり、今回はその最初の作品です。といっても、10000Hitの記念にスカイさんのリクエストで書いた「夜のサーカスと紅い薔薇」の世界を再び書きました。夜のサーカスシリーズ、しばらく続けたいと思っています。
月刊・Stella ステルラ 10月号参加 掌編小説 連載 月刊・Stella ステルラ







夜のサーカスと金の星

夜のサーカスと金の星

 ゆっくりと右のかかとを持ち、そのまま前方へと伸ばす。かかとの位置を次第に挙げながら右横へと移動させる。かかとは彼女の頭よりはるかに上にきて、長い足はぴったりと彼女の右のラインに張り付く。白いレオタードをまとった若い肢体が朝の光に浮かび上がる。

 ステラは、イタリア人らしくない自己克己の持ち主だった。たとえ昨晩のショーが夜中に終わろうと、今日が日曜日であろうと、常に朝の七時には一番大きいテントの円舞台の上で、バレエのレッスンを始めるのだった。

 彼女は今年の秋に十七歳になる。学校の教師はステラに大学で法律を学べるよう高等学校への進学を勧めたが、きっぱりと断った。

「なんと言ったのかね?」
先生の呆けた顔を思い出して、ステラは忍び笑いをした。進学を断る時に、サーカスに入るからと伝えたら、先生は一分ほど口を開けたまま、何も言わなかったのだ。

「チルクス・ノッテです。先週、入団テストに受かったんです。狭き門だったんですよ」
先生はステラが子供の頃から熱心にバレエと体操を続けている事は知っていた。けれどブランコ乗りだって? まさか!

 ステラの住む町は、北イタリアのピアチェンツァから遠くない山の中にある。かつてこの地を治めていた、あまり裕福でなかった領主が残した城は、規模がお粗末で観光客も滅多に来ないため、年間を通じてとても静かだった。かつては牛の競売がされていた大きな広場は、今では通常は街を訪れる人たち用の駐車場として解放されている。三百台くらい収容する事が可能だが、ステラは五台以上車が停まっているのを見た事はなかった。

 数年に一度、イタリア中を回っているチルクス・ノッテがこの巨大で誰も使っていない駐車場にテントを張る。本来ならばサーカスが回ってくるほどの集客力のある町ではないが、近隣のどこにも、このような開けた平らな空間がなかったので、この町に例外的にやってくるのだ。お陰で近隣の町や村からも、観客が訪れ、この期間だけは町も活氣にあふれる。ステラの母親が経営している小さなバーも、そのおこぼれに与っていた。

 チルクス・ノッテに入団するまで、ステラは海を見た事がなかった。海に沈む真っ赤な太陽も、それから、その後に強く光り輝く海上の金星も知らなかった。太陽がトマトのように赤く熟れていく。赤い丸い太陽は、道化師の付け鼻にそっくりになる。

「あなたの鼻みたいね、ヨナタン」
そういうと、ごく普通の目立たない服装の青年が、ほんのちょっと不満に鼻を鳴らした。
「そういう、ロマンに欠ける感想をもらすのは、どうかと思うよ」

 でも、これは私にはとてもロマンティックな喩えなの。入団した時は、ヨナタンが十年前に出会った小さな少女を憶えているか、ステラには定かではなかった。十六歳になれば、彼女にもわかる。六歳の時に、舞台の前で渡された紅い薔薇が、本当に愛する人を迎えにきたサインではない事が。

「白い花を出会いの時に渡した男が次に会った時に赤い花を持って迎えにくる 」
この地方に、いにしえより伝わるおとぎ話。母親のバーで、まだ少年だったヨナタンに白い花を渡されたときから、ステラは決心していたのだ。この人が、私の王子様だから、それにふさわしくなるのだと。だから、ステラはブランコ乗りになった。

 幼稚園の鉄棒でジュリアのように美しく大車輪をしようとして怪我をした。ブランコもあれ程高くは揺れなかった。ステラは、悔しくて泣いた。サーカスに入ってブランコ乗りになりたいと言ったステラを誰も本氣にはしなかった。たぶん、ステラ自身も習いはじめたバレエや体操の魅力の延長として言っているのか、子供の頃の夢物語の延長として言っているのかはっきりしていなかった。そう、十一歳のあの夜まで。

 五年ぶりにやって来たチルクス・ノッテ。ステラは母親に頼んで再び連れて行ってもらい、同じピエロが人々に笑われているのを見た。転んで、自分の大きなボールに追い回されて、それでも紅い薔薇を捧げながら美しいブランコ乗りの姫を追っている。ヨナタン! ステラは六歳の時とは違って少し後ろにいたので、ピエロに声をかける事はできなかった。舞台がはねた後も忙しい母親に連れられてさっさと帰ったので、「私を憶えている?」と声をかける事も出来なかった。

 ステラは、別の夕方、そっとテントの林の中を進んだ。異国の哀しい雰囲気を醸し出す色とりどりの電球。少し色あせたテントの合間。夕闇の中、ステラは人影のないキャラバンの間を、歩いていった。一番奥の、小さなキャラバンの脇に、誰かが立っていた。水色のチェックの半袖シャツに、色のほとんどなくなってしまったジーンズ。そっと背を丸めて煙草に火をつけていた。それから空を見上げてすうっと煙を吐いた。空間に溶けてしまいそうな、特徴のない立ち姿。目立たないように控えめに立つその姿は、少年の華奢な体型から立派な青年のそれに変わっていても、見間違えようがなかった。誰にも見つからないように、誰の邪魔にもならないように、ひっそりと立つその姿に、あのおかしなピエロの面影はどこにもない。夕陽に彩られた横顔にわずかな疲れが見えた。誰にも理解されずに生きる、逃亡者の虚しさが。

 ステラがそっと話しかけようとしたその時、大きなテントの中から逆立ち男ブルーノの野太い怒鳴り声が聞こえた。
「ヨナタン! 来てくれ。ポールが曲がっているんだ。建て直さなきゃ」

 ヨナタンは短く「ああ」と答えた。胸ポケットから小さな携帯灰皿を取り出すと、火を丁寧に消してしまい、立ち去った。ステラは、その場にしばらく立ちすくみ、夢のようなその一瞬を噛み締めていた。その夜、ステラはバレリーナになる夢と体操選手になる夢を消した。私は、あなたの側に行く。

 入団してひと月目の週末、花形スタージュリアの引退興行をステラは舞台の袖からそっと眺めていた。舞台の強いスポットライトの中、光り輝くジュリアをピエロは追いかけてゆく。光の中で姫は天女のように舞う。スパンコールとラメに満ちた羽飾りがキラキラと光る。人々は拍手喝采を送る。もうじきだから。ヨナタン。来週からは、私だけを追いかけてきて。

 道化師は、舞台がはねる直前、ふと、舞台の中央最前列の席をみつめる。大人が座っている事もある。楽しそうに笑っている男の子がいる事もある。ピエロはそこに、泣きそうな幼い少女がいない事を確認して、安心したかのように舞台を後にする。ステラは、舞台の袖でそれを見ている。大丈夫。きっとあなたは憶えている。

 ブランコの上からゆらりゆらりと見る世界は、全く違っている。地上の観客や、威張りくさったブルーノや、馬やライオンが、小さく見える。そして、彼がじっと見つめているのがわかる。紅い薔薇を持って追いかけ回す、おかしな姿のピエロ。白地に赤い水玉のサテンのだぼたぼな服を来て、よろよろと舞台を駆け回る道化師。私に何かが起こったら、ネットと両手を拡げて受け止めてくれる人。

 舞台が終わると、ピエロは化粧を落としてヨナタンに戻る。団長夫人におさまったずっと年上のジュリアを追い回す事は全くなくて、入ったばかりのステラにもただの優しい同僚以上の関心を持たなくなる。

 この間のリハーサルの時に、ようやく私があの時の少女だと伝えたけれど……。ヨナタンは多分あの私の告白を冗談だと思っている。誰がおとぎ話を真に受けて、たった一度会ったピエロを10年も待っているだろうか。

 それでも、ステラはロバのごとく頑固だった。連れて行ってくれないならば、私が自分で追いかけていくから。キャラバンに忍び込んで。ライオンや馬に乗って。火の輪と鞭の林をくぐり抜けて。海に眠りゆく真っ赤な太陽のすぐ側で、輝きながら子守唄を歌う宵の明星になる。

 ステラは、準備体操を終えると、新しい回転技の練習をするために鉄棒にぶら下がった。

(初出:2012年9月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

大道芸人たちの見た風景 - 15 -

光と影

私は、どういうわけだか、ガーゴイルやこの写真のような石に彫られた意味もない動物や怪物のようなものが好きです。この写真は、中でも特にお氣に入り。スペインらしい光と影がでています。

小説でもそうですが、明るいだけの能天氣なものは書きたくありません。けれどドロドロした苦しいだけのものも書きたくありません。日々の淡々とした日常の中にある悲喜こもごもを書けるようになるのが理想です。そう、こんななんてことのない日常の風景のように。

「大道芸人たち」はここ数回、多少重めですが、こういう私の書くものですから、ずっと重いまま続く訳ではありません。ただし、ストーリー上、最重要点にきています。前を飛ばしてこられた方も、この辺は飛ばさない方が……。

この記事を読んで「大道芸人たち」を読みたくなった方は、こちらからどうぞ
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Posted by 八少女 夕

「テレビ、家に何台ある?」

左紀さんからのリクエストで「リナ姉ちゃんのいた頃」の続編をということでしたので、既に構想していた、続編をちょいと書き出したんですよ。そしたら書けちゃった。5800字程度ですが、二時間弱。ううむ、記録更新かも。でも、今週は水曜日の「大道芸人たち」に続き、日曜日にもステルラ用の小説がアップされる予定なので、公開は来週の頭にします。左紀さん、それから主人公のモデルのウゾさん、ごめんなさいね。しばし、お待ちください。
そんなことはさておき、今日はトラックバックテーマ「テレビ、家に何台ある?」です。



一台ですよ! そもそも、私観ないしなあ。

まあ、流れている言語が、ドイツ語だったり、レトロロマンシュ語だったり、フランス語だったりするからでもあるのですが、たとえ日本語だとしても、私はあまりテレビをだらだらと見る習慣がないのです。音楽はだらだらと聴く習慣があるのですが。

子供の頃に、テレビ観るのを禁止されていました。うちの父親はテレビが嫌いだったのです。で、学校では友だちの話題についていけなくて浮きました。(ピンク・レディが踊れなかったのはクラスで私だけでした)しかし、まあ、今はあの特殊な教育方針をした父親と同じような見解をテレビに関しては持っていますね。

あれって一種の麻薬みたいなものですから、一度ボタンを付けると止まらないんですよね。で、ついていないとおかしいような氣持ちになってしまう。でも、必要不可欠な情報はそんなにありません。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当山本です今日のテーマは「テレビ、家に何台ある?」です。開発されて一般市場に出回った頃、それはそれは高価なもので購入できる家庭も少なかったテレビ今では意外とお手軽な値段で購入できますし一部屋に一台ずつあるよって方もいらっしゃるのではないでしょうか山本家は、テレビは3台あるのですが節電前は同じ番組を3台同時に見るという、電気代のかさむことをよくやっていま...
トラックバックテーマ 第1513回「テレビ、家に何台ある?」

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Posted by 八少女 夕

詩や短歌について

私は小説を書くし、エッセイも書きます。でも、「詩や俳句・短歌もどうぞ」といわれると怯みます。

マンガは「絵心ないんで」のひと言で済むんだけれど、詩や短歌などは小説と同じ言葉で作るものだから、出来ない事はないだろうと言われそうですが、公式に発表するようなものは、ちょっと無理かなと思うのです。

昔は、そんな事なかったんですけれどね。受験なんてものをしていた頃、毎日部屋にこもって机に向かって、分厚いノートに向かっていました。そのノートは私の「何でもノート」で、もちろん参考書の問題を解いたりしていたのですが、同時に絵を描いたり、小説の構想を書いたり、それに散文詩などもかなり書いていたのですよ。

詩が書けなくなったのは、むしろ、小説やエッセイで公開を前提に書きはじめてからです。(公開を前提に書いていても、結局この三月までは一部の知り合いを除いてはずっと隠していたんですが)

海外の歌の歌詞をよくみると、すべてきちんと韻を踏んでいますよね。また、日本の詩歌には季語をはじめとしていろいろなルールがあります。私が学生時代に書いていたものは、すべて散文詩で何のルールもなく、かといってわかっていて崩している訳でもない、本当に中途半端なものでした。それでも中身があればいいのですが、はい、そうです。今風の言葉で言うと「黒歴史」。もちろん、あの時の自分の氣持ちそのものを否定したい訳ではありません。私個人としては、あのひどい詩のファンでいてやってもいいやと思うくらいです。でも、世界に向けて公開するには……。

で、時を経て、小説とエッセイは厚顔無恥で公開してしまうのですが、何故か詩歌の類いだけはそれが出来ない。もしかすると、それは私の自分の才能に対するせめてもの良心なのかもしれません。

とあるブログのお友達の冗談企画で、ちょっとだけ詩のようなものを書きましたが、それは別。ほとんど中身がなくて単純にお題の言葉を並べただけなので。やっぱり、私は同じ言葉を遣っても、長ったらしい散文で物語を紡ぐ方が性に合っているようです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (27)バレンシア、 太陽熱

たぶん、この小説で最も大切なシーンのひとつ、ようやくバレンシアの回に辿り着きました。実は、かなり早く書き上がっていたシーンです。そう。私は、小説を最初から順番にではなく、主要シーンから書いて、間を埋めていくような書き方をしているのです。

あらすじと登場人物
このブログではじめからまとめて読む
FC2小説で読む


大道芸人たち Artistas callejeros
(27)バレンシア、 太陽熱


 ゲルマン人でもこんな風にダンスが踊れんだな。稔は感心した。ドイツ人と日本人ってのは同じような朴念仁民族だと思っていたが、やはりヨーロッパの人種ってのはちょっとは違うらしい。こんなトカゲ女のどこがいいのかさっぱりわからないが、テデスコの本氣度は日に日に強まっている。

 さっきまで、ティントとチョリソーとでばか騒ぎをしていたはずなのに、どうしてこうなったんだろう。俺がギターを持ったのが間違いの元だったのかもしれない。いや、ブラン・ベックなんかにリクエストをきくんじゃなかった。ピアソラの『ブエノスアイレスの夏』などといわれたので、稔は頭を抱えた。ここにはギョロ目もいないし、どうすんだ、こんなラテンの世界を展開して。

 だが、ヴィルは稔とまったく逆の反応を見せた。これ以上ないというくらい真面目な顔のまま、黙って蝶子の手を取ると、居間の中央に連れて行った。百戦錬磨のトカゲ女はこの程度ではビビりはしない。タンゴの腕前もカルロスの館で証明済みだ。だが、レネも稔もまさかヴィルがアルゼンチン・タンゴを踊れるとは思ってもみなかった。金髪のドイツ人と生粋の日本人のダンスにしてはやたらと決まっている。これほど官能的な踊りをこの二人がするとはね。苦しい恋ってのは偉大ってわけだ。

 考えてみると、タンゴほど蝶子に合っているダンスは考えつかなかった。それにヴィルの恐ろしいばかりの情念も今回ばかりはぴったりだ。この家には「らしさ」がある。舞台としては申し分ない。ギターじゃなくてバンドネオンだったら完璧だ。もっとも、これだけみんな酔っぱらっていれば、完璧さなんかどうでもいいんだが。曲が終わると、稔はかってに手酌をして、目を二人から離さずにティントを飲んだ。お蝶もテデスコをおちょくるのはそろそろ考えた方がいい。このままだと早かれ遅かれArtistas callejerosには亀裂が入る。

 バレンシアの海岸から10分ほどのところにあるこの家を貸してくれたのは、バルセロナのモンテス氏だった。レストランで四人が仕事をする時には、カルロスが住居と食事代を負担してくれると言ったので、それならバレンシアに行く時は自分の別荘を提供しようと申し出てくれたのだ。

 ヴィルは日本から戻って以来、蝶子と話す機会を待っていたが、それは簡単なことではなかった。日本ではあれほど近く感じられたのに、戻ってきてからの蝶子は全く別人のようだった。側に寄ることすらも難しかった。必要以上にカルロスと親密にし、ヴィルを避けているようにも思えた。たぶんその通りなのだろう、そうヴィルは思った。だが、自分は愛の告白をしようとしているのではない、ただ、自分が誰なのかを言おうとしているだけだ。まずそこから始めなければならなかった。そうでなければ蝶子に対してフェアではなかった。

 ようやくバルセロナとカルロスから離れて、四人だけになったので、ヴィルはもうこれ以上待つつもりはなかった。レネのリクエストを、稔が奏で始めた時に、ヴィルは自然に蝶子を踊りに誘っていた。たぶん氣がついたに違いない。アルゼンチン・タンゴの名手である父親に仕込まれたあのステップには、彼女なら覚えがあるだろう。


 アーチ状になった支柱を通して、月の光がレンガ色のテラスに差し込んでいる。先ほどまでの騒ぎが嘘のように、静まり返った居間には誰もいない。ピアノの上まで月の光が差し込むと、そこに蝶子のフルートが置かれているのがわかる。蝶子はティントを飲み過ぎたのかもしれない。普段はそんな所に大切な楽器を置きっぱなしにしたりしないのに。

 冷たいレンガの音を響かせて、ヴィルがピアノに近寄ってきた。ピアノに手をかけてしばらく佇んでいた。それからフルートの箱に手を伸ばし、中から楽器を取り出す。慣れた手つきでフルートを組み立てると、しばし躊躇していたがやがて、口づけをするようにフルートに唇を当てると、静かに月に向かって奏でだした。

 寝ぼけながら、レネは蝶子がフルートを吹いているのだと思った。稔も、目を覚まして、お蝶め、何時だと思っているんだ、ついに乱心したか、とつぶやいたがすぐに氣がついた。その『亡き王女のためのパヴァーヌ』は蝶子のいつもの音色とは違っていた。まったく違っていた。

 蝶子は、フルートの音色を聴いて、すぐに起き上がり、ナイトドレスの上にカーディガンを羽織り、居間に入っていった。そして黙って月明りの中で無心にフルートを吹くヴィルの背中を冷淡にじっと見つめていた。

 アウグスブルグ。年齢。ピアノの腕前。タンゴのステップ。そしてWの頭文字。だいぶ前にわかっているべきだったわ。そうだったとしても、認めなかったでしょうね。騙されていたなんて思いたくなかった。だけど、この音を聴いてわからないと思うほど馬鹿だとは思っていないでしょうね。

 やがてヴィルは最後の繰り返しを演奏せずに、フルートから口を離した。居間の入り口に蝶子が立っているのはわかっていたが、黙って振り向かずに月を見ていた。しびれを切らしたのは蝶子だった。
「なるほどね。アーデルベルト・ヴィルフリード・フォン・エッシェンドルフ。ハインリヒのご自慢の跡継ぎ息子。こんなに長い間、よくも騙し通したものね」

「騙したりしていない。本当は隠したくもなかった」
振り向いたヴィルの目はいつもの通り青く真っ直ぐだった。

 階段の上で隠れてこそこそと様子を伺うレネと稔は、二人のドイツ語のやり取りに全くついていっていなかったが、蝶子が謎に満ちたテデスコの正体を突き止めたことだけはなんとなくわかった。

「フルートが吹けるとはひと言も言わなかった。私の名前を聞いても何も言わなかった。出雲で自分の名前が出ても。よくそんな台詞が吐けるわね。そんなに私が憎い?」
「憎んでなんかいない」

「私の存在とお母様の自殺は無関係じゃないわ」
「あんたがおふくろを手にかけたわけじゃない。おふくろは勝手に夢見ていた立場が手に入らない事実を受け入れられなかっただけだ。それに親父が生徒に手を出したのは、あんたが初めてじゃない。いちいち憎んでいたら、こっちの体が持たない」

「だったら、どうして今まで黙っていたの」
「最初は、単純に知りたかったんだ。親父にとってあんたは遊びじゃなかった。あの親父があんたのどこにそれほど夢中になったのか。それに、なぜあんたが姿を消したのかもね」

 ヴィルは、いまや蝶子を父親以上によく理解していたし、ミュンヘンを去った理由も蝶子の口から直接聞いていた。
「最初はってことは、今では違うわけね。答えて。今まで黙っていたのにどうして急に正体を明かす氣になったわけ」

 氷のように冷たい蝶子の視線をヴィルは真っ直ぐに見返した。少し間があり、会話がわかっていないレネと稔までが手に汗を握って答えを待った。ヴィルは蝶子の方に大股で歩み寄り、すれ違い様にフルートを蝶子に渡した。そしてささやくように言った。
「あんたはとっくにその答えを知っているはずだ」

 階段を上がり、こそこそと隠れようとするレネと稔を一瞥しただけで口もきかずにヴィルは自分の寝床にもぐりこんだ。

 蝶子は、そのまま眉一つあげずにいたが、やがて、フルートを取り上げると、静かにヴィルの止めた所から『亡き王女のためのパヴァーヌ』を最後まで吹いた。先ほどまで、ドイツ人の唇のあたっていた場所に唇を当てて。


 朝食の前に、稔はひとりでドキドキしていた。なにも俺が狼狽えることはないだろう。ブラン・ベックの野郎は狸寝入りを決め込んで、後から出てくるつもりらしい。ずるいやつめ。稔がダイニングに行くと、ヴィルは既にお湯を沸かして、インスタント・コーヒーを淹れていた。

「おはよう」
「おはよう」

 代わり映えのしないいつもの朝だった。稔はパンを割ると、軽くトーストをして、オリーブオイルと塩と完熟生トマトをつぶしたものを載せた。ヴィルの方に、つぶしトマトの入ったポットを差し出すと黙って受け取り、同じようにトーストパンに載せて食べた。

「美味いな」
「ああ、美味い」

 蝶子が入ってきた。
「おはよう」
「おはよう」
「おはよう」

 蝶子は黙ってコーヒーを淹れると、自分もトーストを作り、それから平然とヴィルの隣に座って言った。
「私も、それ食べる」

 ヴィルも何事もなかったようにトマトのポットと塩を蝶子に渡した。稔はオリーブオイルを渡してやった。なんだ、心配した俺がバカみたいじゃないか。稔は腹の中で毒づいた。


「マリポーサ! ようやく追いついた」
カテドラルの前で一稼ぎをしていると、聞き覚えのある声がした。

「ギョロ目か。また来たのかよ」
稔は呆れて叫んだ。神出鬼没にもほどがある。もっと仕事しろよ!

「カルちゃん! ちょうどそろそろおいしいシェリーが飲みたいと思っていた所なのよ。バレンシアで一番のバルってどこかしら?」

 稔は白い目で蝶子を見た。昨日の今日、テデスコの真ん前でお前はギョロ目に媚を売るのか。デリカシーってもんはないのか、デリカシーってもんは。

「何よ。ヤスだって最高のイベリコを食べたいでしょ。来週はもうスペインにはいないんだし」
「そんな! マリポーサ。バルセロナの私の館には来てくれないんですか?」
「多数決で、Artistas callejerosは来週からフランスで稼ぐことになったのよ。でも、カルちゃんも仕事が一段落したら来れるんでしょう?」

 あいかわらず、メシをねだる時の笑顔だけは最高なんだから。稔は呆れて天を見上げた。レネはいつも通り悔しそうにしていたし、ヴィルもいつも通り眉一つ動かさずにいた。だが、その目の光は以前よりも強くなっていた。ゲルマン人って、本当に損な人種だな。ギョロ目の半分でも積極的に誘えば、ブラン・ベックよりはるかに脈ありそうなのに。

 稔はだまってベベベンとバチを当てた。バレンシアってのはいい街だ。太陽が溢れると人は開放的になる。財布の紐も緩むらしい。ギョロ目がおごってくれるなら、思いっきり美味いものが食えて飲みまくれるってわけだ。結構。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

ええっ?

ええと。人氣ブログランキングのWeb小説部門という120人程度の方の参加しているランキング。バナーを貼らせていただいているのですが。

一位?

いや、最高でもずっと二位だったので、よく五位くらいにもなったりもしていたので、永久に二位以下を行ったり来たりするものだと思っていました。もう、押していただけるだけでも、ありがたいし、永久二番以下ってのも私らしいと思っていたのですが。

どうやらいつもの一位の方々が、カテゴリーを変えたらしい? あれ? 一位……。

ありがとうございます。分母が少ないからでも、偶然でもなんでも嬉しいです。

というわけで、ご希望の方がありましたら、またリクエスト頂戴します。この記事のコメ欄に書いてくださる方、先着三名様。リクエストがありましたらお氣軽にどうぞ。

リクエストの参考はこちらをご覧ください。
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Posted by 八少女 夕

時の流れは……

三月にブログを始めてから、自分のブログだけでなくて、親しくなったブログのお友達のところの日々春秋もつぶさに目にしてきた訳ですが(目にしていないだろう、読んでいるだけじゃん、という突っ込みはおいておいて)、いや、時の流れって早いですねぇ。

最初に親しくなった方が、突然ブログを閉鎖してしまい、いまだにその方がどうなったかはわからないのですが、あの時は自分の事でないのにあたふたしました。落ち込みもしましたね。

それから、いろいろな事がありました。他にもブログを閉鎖してしまわれた方がありました。何も言わずに、突然更新をやめてしまってずっと広告が出ていらっしゃる方もいます。なんとなく、お互いに訪問しなくなった方も。

でも、いろいろな事情でブログを一時休止なさっていた方が、復帰するのも何度か目にする事が出来ました。完全休止でなくても、お仕事やご病氣、もしくは夢を叶えるために集中したい事があってそちらに時間を使いたいと、ブログの更新は最低限に変えられた方が何人かおられ、その方が何ヶ月後に状況の変化に伴って戻ってこられたのです。復帰まで、思っていたほど長くなく、「え? もうそんなに経ったんだ」とびっくりするほどでした。

私も、いつまで毎日更新を続けられるかわかりませんが、まあ、しばらくはこのスタイルで続けて行こうかなと思っています。旅行の二週間もなんとか乗り切ったし、あっという間に半年経ったし、続けられそうだなと思えるのです。休止することくらいはあるかもしれませんが。
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Posted by 八少女 夕

別腹にはならなくなってきたものの……

今日の話題は、甘いもの。わかってます、またかって言うんでしょ? 仕方ないんです。しょっちゅうこんなものの事ばかり考えているんだもの。

甘くてもやめられない

スイスでは、多くのレストランにデザートに対する熱意というものがほとんど感じられません。食後のデザートに用意されているものは、基本的にアイスクリームか、日持ちのするとても重いケーキだけです。つまり、デザートで客を幸せにする事よりも、無駄を出さずに効率よく経営する事を優先している、そんなふうに感じます。

日本はスイーツ(笑)天国ですから、言うまでもありませんが、たとえばフランスやイタリアに行っても、嬉しいデザートとの出会いににんまりする事となります。

で、こうなると戦闘の前に作戦を練る必要が。ヨーロッパのレストランの一皿は大きいので、作戦を誤ると、どうやってもデザートは入らなくなってしまうのです。昔は本当に「甘いものは別腹」だったんですが、この頃は胃は一つに減ったらしく、入らないものは入らない。

それでよくやるのが、ちょっと豪華なサラダ(ニース風サラダや、チキン載せサラダなど)だけを頼んで、デザートを頼む事。今回のコルシカ旅行でも、これでたくさんのデザートを食べ尽くしました。

私は、チョコレートに煩悩しています。写真のようなチョコレートソースがかかったものは、考えなしに注文してしまいますね。ちなみに、この丸いのは小さなシューアイスです。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

コメント欄の設定について

今回の話題は、fc2ブロガーの人だけに意味のあることです。それ以外の方、すみません。

コメント欄、最初は、ブログというものはことごとく炎上するものか、もしくは好まないコメントの山になるものだと思っていたので、ガチガチにガードしていました。

で、実際にしてみたら、承認なんかいらないほど、感じのいい皆さんのもったいないようなコメントだけが入ってきました。

それで、「確認画面(画像認証付き)」を一時停止してみたんです。

そしたら。

くるくる、アダルト系の変なコメント。それも、何故か女性向け。私がクリックすると思っているのか? それとも我がブログのの読者は主に女性だと? 残念でした。間に合っています。

即報告するけれど、次々来るし、メールで毎日何件もそういうのを見るのも不快になります。人を不快にさせてまで儲けようとしないでほしい。

それで、仕方なく「確認画面(画像認証付き)」に再び戻しました。当然なのか、ぴったり止まりました。

画像認証って、嫌いなんですよね。すぐ失敗するし。でも、背に腹は代えられません。「画像認証、うざすぎ〜」と思っていらっしゃる方、そういう事情でございます。すみません。
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Posted by 八少女 夕

現在、死闘中



ホームズとモリアティ教授に扮した協会員が本物のライヘンバッハ滝の前で闘っております。
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Posted by 八少女 夕

大道芸人たちの見た風景 - 14 -


ベルン州のマイリンゲンという所に来ています。
イギリスのシャーロック・ホームズ協会主催のシャーロック聖地巡礼(?)開催中なのです。
イギリス在住の叔母が参加してスイスに来たので、会うために三つの峠越えて来ました。
これから、ホームズとモリアティ教授に扮したメンバーがライヘンバッハの滝で死闘するんだそうです。
そんなことはさておき。

「大道芸人たちの見た風景」カテゴリーは、常連の皆様はご存知でしょうが、評判のいい海外の写真をエサに、読んでほしい小説「大道芸人たち」をアピールしてしまおうという無茶な企画です。

チャプター3の舞台が日本だったので、ここしばらくは日本の写真をご紹介してきましたが、彼らがスペインに戻ったので、再びアンダルシアな写真を一枚。


アンダルシア風の中庭

イスラム時代の名残がたくさん残るエキゾティックなアンダルシア。砂漠の民族の楽園には、いつまでも尽きない美しい泉があるそうです。だから、イスラムの権力者たちが作る庭の真ん中にはいつも噴水があるのですね。

いつの時代も、人びとは自分の持っていないものに憧れ、この世に楽園を実現しようとしてきました。それが噴水の事もあれば、もっとちがう形をとる事も。

四人が、旅の途上で見つめるのは、そういう人々の願いのこもった遺構と現実の姿です。そして、彼らは自分たちの関係の中にも、壊れやすい夢を持っているのです。永遠に続くものなど、何もない。それはわかっていても、人は夢を見続けるのかもしれません。

この記事を読んで「大道芸人たち」を読みたくなった方は、こちらからどうぞ
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Posted by 八少女 夕

「食事の時間、何を食べようか思いつかない!どうする?」

外食のときと、自宅で何かを作らなくちゃ行けない時で、対応は異なりますね。外食の時は、とりあえず「本日のメニュー」みたいなものをチェックしてみます。で、ピンと来なかったら、結局いつも頼みがちなものに落ち着きますかね。

困るのは、実は日本にいる時。だって、レストランが多くて、美味しくてお手頃値段なものがたくさんあって、どこに入っていいか決まらない! グルグルしてしまいます。

自宅では、まず、冷蔵庫を開けてみます。早く消費しなくちゃいけないものをチェック。で、何もなければ、料理本を開ける。現在ある材料で作れて美味しそうなものを探す。この手順ですね。かえって、そういう時の方が、普段作らない珍しいものをつくって好評だったりするのです。

一人だったら、ええと。お餅です、お餅。手っ取り早くてお腹にたまる。栄養なんて考えていないかも。

こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当ほうじょうです。
今日のテーマは「食事の時間、何を食べようか思いつかない!どうする?」です。

世の主婦、主夫の方々は毎日すごいと思います。
どんなに大変でも、自分がお腹が空いてなかったとしても...
トラックバックテーマ 第1505回「食事の時間、何を食べようか思いつかない!どうする?」」

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Posted by 八少女 夕

月刊・ステルラ、参加宣言

スカイさん篠原藍樹さんが企画している月刊・ステルラに参加する事になりました。

自作の小説およびイラスト・マンガをアップする会なのです。特にお題はないという事なので、スカイさんのために作った「夜のサーカスと紅い薔薇」の世界の作品を書こうかなあと思っています。

夜のサーカスってカテゴリを作んなきゃな〜。楽しくなってきました。「リナ姉ちゃん」の続きも書きたいし、「大道芸人たち」の番外編もあるし(うふふ。初コラボ作品です。お楽しみに)、この秋はやる事が目白押しですね。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (26)バルセロナ、 チェス

今回からチャプター4です。前回よりもインターバルが短いのですが、実は、とある企画の前に、チャプター4を終わらせる必要があるのです。

チャプター3の日本編では、皆さんの反応がとてもよくっていい意味で驚きました。ヨーロッパに四人が戻ってからも、関心を持っていただけると嬉しいなあと思ったりしています。チャプター4は「序破急」でいうと「破」にあたります。いまごろかよ、と思われそうですが、「急」にあたるチャプター5まで、変わらずにおつき合いいただければ幸いです。


あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(26)バルセロナ、 チェス


 思い思いに過ごす定休日に、ヴィルはボーランの『フルートとジャズ・ピアノ・トリオのための組曲』を練習していた。レパートリーにボーランのジャズを取り入れたいと言い出したのは稔だった。『ギターとジャズ・ピアノ・トリオのための協奏曲』を演奏してみたかったのだ。『ヒスパニックダンス』『ボルサリーノのテーマ』などボーランつながりで弾ける曲はいろいろあるし、レストランやバーにも合う。フルートのための曲も多く、『ピクニック組曲』はピアノとギターとフルートの三重奏ができる。手品にもテンポが合う。それで、三人は順次レパートリーを増やしていた。

 稔がバロセロナの街から戻ると、食堂でレネが頭を抱えてイネスとひそひそと話していた。

「何があったんだ?」
稔が訊くと、レネは上の部屋を目で示した。

「またかよ」
稔はため息をついた。蝶子がカルロスの部屋に消えたのだ。二人はしばらく出てこない。そうするとヴィルはたいていピアノを弾く。耳聡い稔だけでなくレネまでが怯えるような音を出す。ショパンやリストやスクリャービンを弾いている時もある。今日はボーランだった。

 日本で二人の関係が少し改善されたかと思っていたのに、バルセロナに戻ってきたら元の木阿弥だった。というよりは、ひどくなっていた。蝶子はカルロスにべったりだった。ヴィルはそれを仕方ないことと流すこともできなければ、以前のように無表情に逃げ込むこともできなくなっていた。確かに顔には大して表れていないのだが、広間に置かれたピアノにその矛先が向いてしまっていた。

 二階から蝶子が降りてきた。手にはフルートを持っている。何もなかったかのように平然と歩く蝶子が広間に行く前に、稔はその手首を強引に引っ張って、食堂に連れ込んだ。

「何よ」
「お前さ。少しは考えろよ」

 蝶子は切れ長の目をさらに細めて、じろりと稔を見た。
「何を」
「重要書類でデータの上書きはしないのがお前の主義だったんじゃないのか?」

 蝶子は馬鹿にしたように言った。
「データの上書きなんか、とっくの昔に終わっているのよ」

「じゃ、お前が今やっているのはなんなんだよ」
蝶子は鼻で笑った。
「今やっていること? ビショップにとられないように、クイーンはキングの側に駒を戻したのよ」

 また新しいたとえ話かよ。稔はむすっとして乗らなかった。稔がかなり腹を立てているようなので、蝶子ははぐらかすのをやめた。
「私、ティーンエイジャーじゃないの。自分のやっていることぐらいちゃんとわかっているわよ」

 稔は腰に手を当てて仁王立ちになって言った。
「わかっているって? あの音が聴こえないのか?」

蝶子は勝ち誇ったように言い放った。
「聴こえてるわよ。私、耳は悪くないの」

 そういって、稔を押しのけて広間へと入って行くと、頼まれもしないのに勝手に『Veloce』にフルートを合わせだした。ヴィルはテンポをあげた。蝶子はついていった。凄みのある演奏だった。文句のつけようがなかった。二人は止まっては意見を交わし合いながら曲を仕上げていった。稔もレネも、後から降りてきたカルロスも全く入り込む余地がなかった。


 私の耳は悪くない。蝶子は心の中で繰り返した。わかっている。こんな音を出されたら誰だって氣づく。もしかしたら真耶のことを好きになったんじゃないかって思っていたけれど、そうじゃない。

 蝶子は、想いを寄せられることには慣れていた。学生時代から、そんなことはいくらでもあった。中学生の頃、上級生につきあってほしいと懇願され、三ヶ月近く毎日帰宅路で待ち伏せをされたことがある。大学時代にも結城拓人だけでなく多くの男に言い寄られた。ミュンヘンでもエッシェンドルフ教授と一緒に住んでいるにもかかわらず、熱烈に言い寄ってくる男達が何人もいた。蝶子にとってその男達は、迷惑であったり、誇らしい勲章であったりはしたが、それ以上の存在ではなかった。

 コルシカフェリー以来、数週間にわたってレネに熱っぽい目で見られた時にも、蝶子はおもしろがる以上の感情を持てなかった。そのかわり、レネがその後、他の女性にぼうっとなっていても、残念だとは思わなかった。大切な仲間、親友としてのレネは蝶子からは失われなかったからだ。それはカルロスに対しても同じだった。

 けれど、ヴィルだけは別だった。シベリアの吹雪のような冷たくシニカルな言葉を遣う無表情な青年が、ヴェローナのバーで突然奏でだした音色が既に大きな奇襲だった。稔と一緒に奏でる音楽は愉快で楽しかった。けれど、ヴィルとの競演はそれ以上だった。それは響き合う魂の調べだった。蝶子が一度も出会ったことのない芸術の恍惚そのものだった。真耶にとっての結城拓人のような存在を蝶子はそれまで持たなかった。フルートと音楽への愛は常に孤独の中にあった。

「彼とともに奏でる音楽は私の聖域なの」
真耶が拓人についていった言葉は、そのまま蝶子にとってのヴィルの存在そのものだった。たった一人で音楽のために戦ってきた蝶子の底なしの孤独から、自分を憎んでいるような言葉遣いをする冷たい男が軽々と救い出した。その音色が、いつの間にか変わっていった。誰でも氣づくほどの強い想いがその音色にあふれるようになり、それは当の蝶子を誰よりも強く揺らした。

 けれど、ヴィルはそれ以上の領域侵犯を長いことしなかった。親しい仲間として以上の関係を求めてくることはなかった。蝶子が示唆するまでもなく、ルールをストイックに守り続けた。

 それが浅草で破れた。蝶子の最大のウィークポイントをヴィルは理解していた。たぶん、稔やレネには生涯理解してもらえないであろう孤独を、ヴィルはたぶん本能でもしくは経験で知っている。何でも話し相談するカルロスに、何万の言葉を遣ってでもわかってもらえない暗闇を、ヴィルだけは何一つ語る必要なく包み込むことができる。そして蝶子はそれを必要としていた自分自身に驚いていた。それは由々しき事態だった。

 蝶子はヴィルが稔やレネ以上の存在になってしまっていることを認めつつも、必死で抵抗していた。Artistas callejerosは、蝶子にとって最初にして唯一の居場所だった。そして、Artistas callejerosは蝶子だけではなくて、稔やレネやヴィル本人にとっても大切な場所だった。壊すわけにはいかない。彼が領域侵犯を試みるなら、自分が領域を変えなくてはならない。それがいつまで可能なのか、蝶子にはわからなかった。
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Posted by 八少女 夕

コーヒーと紅茶とホットチョコレートと

ヨーロッパって、小さな空間なんですが、国境がいろいろなものを区切っているところが面白い。

飲み物に関しても、そうなんです。
紅茶

コーヒーと紅茶とホットチョコレートと日本語では同じに訳せる言葉ですが、実態は国によって全然違うのです。国境を越えたら、前の国で飲んでいたものの事は忘れるべし。全然違うので。

たとえば、ドイツでは「ミルク・カフェ」スイスでは「シャーレ」という飲み物が存在します。基本的には若干泡立った、もしくは全然泡立っていない熱い牛乳がエスプレッソの中に入っているものです。もちろんイタリアのがっちり泡立った牛乳がエスプレッソの中に入り、それにココアがかかっている「カプチーノ」とは別の飲み物です。実は、私はあわあわがあまり好きではないので「シャーレ」の愛飲者なのですが、イタリアにはそれはない(笑)。無理して頼むと、エスプレッソ10ccに冷たい牛乳100ccを出されたりします。アイスコーヒーじゃないって……。
というわけで、イタリアではカプチーノを頼むのが無難。フランスには「カフェ・オレ」がありますが。たしかに泡立っていなくていいのですが、でも、その量は困るってくらい出てくる事があって油断出来ません。「ノワゼット」といって、小さいエスプレッソにミルクを入れてもらうのが無難だったりします。

紅茶は、「黒い茶」という言葉で表現します。「シュヴァルツ・テー」「テ・ネロ」「テ・ノワール」って具合に。じっさいにちゃんとした紅茶をヨーロッパで淹れると、硬水のためかかなり黒くなるのです。ただし、レストランで頼むとしたら、そういう紅茶が出てくる事は稀です。お湯が沸騰していない。ティーバックがリ○トンのイエローラベル。そういう事情で、色は赤くて味は何とも薄い、がっかり紅茶が多いです。もちろん英国に行けば話は別です。あそこでは、どんどん紅茶を頼むべし。すごく美味しいですから。

で、ホットチョコレートです。
私は、チョコレート好きなので、冬はもちろん、たまには夏にも飲みます。夏の晩ご飯に餅や鍋物を頼んだかのように驚かれます。いいじゃない、美味しいんだし。

で、これがまた、国によって全くの別物。スイスは9割が熱い牛乳で、この中に透けやすい顆粒状になったホットチョコレートのもとを自分で投入します。砂糖も付いてきますが、十分甘いので、入れる必要はありません。イタリアのは自分で作るのではなく、作ってきてくれて出します。なんというか、すごいものです。熱いチョコレートクリームみたいな濃厚な飲み物です。いや、啜れないくらいに濃厚。スイスのものつもりでオーダーするとショックをうけますね。フランスは、スイスとイタリアの中間の感じ。バンホー○ンのココアのもとが溶けきっていないみたいなものが出てきます。鬼のような顔でかき回すと、まあ、残さずに溶かせます。でも、いつもうっかり忘れて、トルコのコーヒーのかすのようにココアが残ってしまう。まだまだ私も初心者だなと思う瞬間です
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Posted by 八少女 夕

やっぱり綺麗だった

イタリアのサヴォナから一日で450kmを疾走して、スイスに戻ってきました。旅行はもちろん大好きなのですが、スイスの国境をくぐった時の、なんともいえない「ほっとした」感と「ああ、なんて美しいんだろう」の感慨をどう表現したらいいのでしょうか。

湖畔にて

かつてはこうじゃなかったと思うのですよね。帰る先は東京でした。もちろん、ほっとしたというのはあるのですよ。でも、成田空港ってとても自宅からは遠くて、まだ緊張が続いている。それに光景は、時おり日本らしい田園風景なんですが、基本的に美しいとは無縁の普通の町の風景。いいも、悪いもなく、ただ「帰る」だけでした。

一方で、スイスに戻るという事は、ただ帰国するだけでなくて、新しい別の国の美しさに感動するおまけがもれなくついてくるのです。

帰ってきたのは、マッジョーレ湖のロカルノの近くの国境町。そこから美しい湖畔を眺め、アルプスの渓谷美に酔いしれ、静かで泣きたくなるくらいに綺麗な、我が家の近くの谷の光景を目にして。ああ、綺麗だなあと感動したのでした。
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Posted by 八少女 夕

コラボや企画参加

ええと、昨日、無事に帰って参りました。ただいま。

逐一ご報告していたので、今さらという感じですが、楽しい旅でした。もともと異国にいるんですけれどね。それでも異国情緒というものはありまして、思い切り海外旅行した氣分です。でも、かえってくるとそれはそれで綺麗な景色でした。あらためていいところに住んでいるんだなあと、思ってしまいました。

ネコは何かを企む

さて、旅をしている間にも、みなさんから見捨てられず、たくさんの訪問やコメントを、本当にありがとうございました。小説の方も、いつもに増しての拍手とコメントをいただき、感激でした。

また、あちこちの企画にもお誘いいただいたり、コラボが進んだりと、嬉しい事続きです。

「Seasons」への投稿と「第三回目となった短編小説書いてみよう会」への参加で、久しぶりに締切のあるもの書きをしたのですが、ドキドキ感、「私にできるのか」「落とすんじゃないのか」という不安は、その後のいろいろな企画への参加で薄れてきました。

10000Hit記念で書いた二本の小説はなんとか仕上がりました。現在進んでいるコラボ小説、それから近日中に参加予定の企画など、自分のペースで書いているものとは別の作品が続くので、締切の管理をきちんとしなくてはと思うようになっています。

企画に参加するのって、もしくはお題を与えてもらって書くのって、とても楽しいです。もちろん、書いた作品に拍手やコメントをいただける事もそうなんですが、自分は一人で黙々と書いているんじゃないと思えて、わくわくします。

これからも、企画ものにはどんどん乗っかる予定でいます。もし、機会があったら、声を掛けていただければ喜んで参加しますので、みなさん、どうぞよろしくお願いします。
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Posted by 八少女 夕

リンクのみなさんについて - 3 -

無事にイタリアのサボナにたどり着きました。最後のドライブが残っています。朝の6時ですが半袖でOK。ううむ、スイスとは違うな。

そんな事はさておき。

リンクしていただいているブログのお友達の紹介の第三弾です。

多分この順番でリンクをさせていただいたと記憶していますが、順番が前後してしまったらごめんなさいね。



また 吐いちゃった HIZAKIさんの詩のブログ
GID(性同一性障害)の少年涼くんと優しいお姉ちゃん、そして猫のふうちゃんが登場する、切なくも美しい詩の世界。主に三人の絵師様による優しい絵も魅力です。作品も素敵なのですが、書いていらっしゃるHIZAKIさんのお人柄がまたとてもよくって。時々ご紹介なさるお酒のおつまみを見るところ、正に私の好みの感じで、一緒に飲むのもさぞ楽しいんだろうなと。

"minimum"な日々 BMCたかさんの日常を書くブログ
薔薇に関するお仕事をしていられるようです。時おりお仕事関係で出てくるお花の写真がとても素敵です。日常的な思う事もアップされているのですが、とてもソフトで心地よい文章を書かれる方です。ダーツもやっていらっしゃるよう。ダーツってどこで習うものなんだろう?

エデンの東微北 十二月一日晩冬さんの小説ブログ
晩冬さんは、ご自身を主人公になさったミステリーを連載なさっています。また、ちょっと落語風味の怪談や、ハードボイルドな事件ものもあって、守備範囲の広さに驚きます。スポーツライターを目指している学生さん。さらに三国志の事への造詣も深い。なんてマルチな方なんでしょうね。どういうわけか、当ブログを一番上にリンクしてくださっている超奇特なブログのお友達です。

Debris circus 山西 左紀さんの小説ブログ
「第三回目となった短編小説書いてみよう会」で同じ組になったのがご縁で、と~っても仲良くしてくださっている左紀さんとは、なんと誕生日が一日違いだと判明しました。この方の書かれる小説は、一文字一文字が星空のように輝くのですが、たぶん緻密な計算と想像を絶する努力の上にこの華麗な天の川を作り出しているんだろうなといつも感心しています。出てくるものを書き留めているだけの私とは多分対照的な書き方をしていると思われる人です。
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Posted by 八少女 夕

名残りを惜しみながら



コルシカ島の最終日。
人差し指に見えるケープ・コルスをドライブしています。雨の数日が嘘のように晴れ渡り、夏休みの最後を楽しんでいます。
それにしても、食べ過ぎだって(^_^;)
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Posted by 八少女 夕

【小説】南風の幻想曲(ファンタジア)

読み切り小説です。「十二ヶ月の組曲」の六月分。このシリーズにはいろいろな年齢の人々が出てきますが、このカップルは比較的私の実年齢に近い設定です。

ギリシャに行ったのは、以前ちょっと書いた55日間のヨーロッパ貧乏旅行の時でした。食事がおいしかったですね。二月だというのに太陽がいっぱいでした。




南風の幻想曲(ファンタジア)

 一人で来たら、もっと楽しかっただろうな。荷物を置いたら、シャワーを浴びてアテネの街にくり出す。バーかクラブで若い女と知り合い、短いアバンチュールでも…。彼はちらりと観光案内を眺めている妻の方を見た。こいつがいたらそんなこともできないか。今年も「一人で行きたい」と言えなかった。

 妻が嫌いな訳ではない。問題は起こさないし、子供たちの面倒もよく見てくれた。彼らはそれなりに大きくなり、家族の休暇よりは友達とキャンプで過ごす方がいいというようになった。久しぶりに二人だけで夏の休暇に行くことになったのは昨年からで、妻はそれを楽しみにしているようだ。だが、彼は妻と二人だけの時間を持て余していた。静かで穏やかな彼女は空氣のようだった。

 十八年前、官能的だがエキセントリックなミランダとの関係にほとほと疲れた彼は、ふとした拍子で学生時代の友人の妹と知り合い、よく考えずにプロポーズした。考えなしだった割に、この関係は上手くいった。もちろん、日常の小さな諍いはある。だが、周りで半分以上のカップルが破局しても、二人と子供たちは幸福な生活を送ることができた。

 単に、彼は退屈していた。家庭の平和をありがたいと思うと同時に、彼は単調な生活がモノトーンに思われてしかたなかったのだ。興奮と冒険に満ちていたような二十五歳までの人生を、彼は懐かしく思うようになっていた。それを打破したくて、心躍る南国にせっかく来たというのに、きちんと整理された家の中にいるのとほとんど変わらない。


 バスはアテネ市内のホテルに向かって走っている。湿った生暖かい風を吸い込んで、窓の外を見た。
「お、テレース、見てみろよ。あれがパルテノン神殿じゃないか?」
「きっとそうね、明日にでも行ってみる?」

 彼は頷いたが、本当は若き日のミランダとあの上に行ったらどうだろうと考えていたのだ。

「パトリック、あなたお腹空いている?」
妻が案内書のレストランのページを繰りながら訊いた。

「少しな。立派なレストランでなくていいから、地中海らしいものを食べたいな」
「じゃあ、ここはどう?ホテルからもそんなに遠くないし、美味しいと地元民も通うんですって」

 それは海の幸をメインとした料理店だった。
「だけど、お前、魚介類は食べられるのか?」
パトリックは少し驚いた。テレースは普段ほとんど魚介類を口にしなかった。

「もちろん食べられるわよ。スイスでは新鮮でおいしい魚介は高くてとても手が出ないから料理もしないし、レストランでも頼まないけれど。昔、シチリアに旅行に行った時に食べて大ファンになったの」
「そうか。じゃあ、そこにしよう」


 そのレストランは、半地下の細長い作りで、洞窟の中にいるような心地がした。観光客だけでなく地元の人間も押し掛けて大変な熱氣だった。太った年配のウェイトレスがやってくると、パトリックは言った。
「ドイツ語か、英語のメニューをくれないか」

 女は頷くと、別のウェイトレスに声を掛けた。その若いウェイトレスがメニューを持って二人のテーブルにやって来た。

 ミランダ! 一瞬、彼は疑った。もちろん、それはミランダのはずはなかった。顔も似ているのは目と鼻ぐらいで、歳もまだ若い。美しい長い黒髪を後ろで無造作に束ね、きりりとした眉を片方上げて英語で注文を取った。

 テレースは、慣れない英語を読んでいる。
「フライの盛り合わせ、タコとフェタチーズのサラダ……」

 が、パトリックの方はウェイトレスを見ながら、上の空になっていた。ベルギーナ・ビールを飲みながら忙しく働く若い女の様子を目で追う。女はそのパトリックに氣がついて、時折ウィンクを返した。

「美味しいわね」
テレースが焼きエビと格闘しながら言った。しまった、この女がここに居たんだった。彼は慌てて妻の方に意識を戻した。テレースは茶色い瞳を柔らかく輝かせていた。

「私、ずっとギリシャに来てみたかったの。エーゲ海のクルーズに参加したり、エキゾチックな音楽を聴きながらこうやって魚介類を食べたり」
「ずいぶんプロトタイプな夢だな。ツアー会社の宣伝みたいだよ」
パトリックは意外に思って言った。テレースはそんな事を言ったことはほとんどなかったのだ。

「だからよ。ずっと子供たちのためにキャンプに行ったり、湖の周りを自転車でまわったり、健康的で家庭的な休暇ばかり過ごしてきたでしょう。たまには、旅行会社のパンフレットみたいなロマンティックで足が地に着いていない時間を過ごしてみたいの」

 僕も家庭的でない情熱的な休暇を過ごしてみたいよ。彼は言葉を飲み込んだ。袖無しのカットソーにカーディガンを羽織り、いつものシニヨンの髪を肩まで垂らしたテレースは、ロウソクの灯に照らされて、普段の賢く大人しい妻というよりは若い娘のようにはにかんで見えた。もしかしたら、テレースも良妻賢母の生活に飽きているのかもしれないなと思った。

 食事が終わると、テレースは化粧室に行った。それを待っていたかのようにミランダに似たウェイトレスはパトリックに近づいてきた。

「勘定を頼む」
彼が言うと、女は勘定書を置くと、英語で言った。
「ねえ。私、今日は十時までの勤務なの。あなた、私に興味があるなら、忘れ物をしたと言って戻って来るといいわ。ホテルはどこなの?」

 パトリックはドギマキしてアフロディテ・ホテルと答えた。
「あそこね。じゃあ、部屋に行けるように、奥さんにはバーに行っててもらわなきゃね。まずバーに連れて行ってから、忘れ物をしたと言ってちょうだい」

 その女にとっては、妻のある男との逢い引きは日常茶飯事らしかった。やけに段取りが手慣れている。パトリックは少し興ざめした。しかし、テレースが戻って来ると何事もなかったのように勘定を済ませ、店を出る時に再び振り返って女を見た。女は魅力的な微笑みを見せた。

 パトリックは、ホテルに着くと妻にバーで少し飲まないかと訊いた。
「いいわね。ぜひ行きましょう」
テレースは心なしか浮き浮きして言った。パトリックはこれから起こる事を考えて後ろめたさを感じたが、滅多にない冒険に対する期待が勝っていた。

 テレースがロングドリンクを頼んだ途端、パトリックは言った。
「あ、手帳がない。あのレストランで取り出したんだけどな」
そして、テレースにここで待っているようにと言うと、そそくさとレストランに向かって走り出した。


「来たわね」
ミランダに似た女は下唇をなめた。
「さあ、あなたのホテルに行きましょう」
「あの……本当にあのホテルでするつもりか? もし、妻が偶然僕たちを見かけたら?」
「心配ないわ。ペリスが奥さんを連れ出してくれる算段なの。奥さんが帰っていたら探していたとかいいながらバーに戻ればいいのよ」

「なんだって?」
「いいじゃない。まさか、あなただけ浮氣をして奥さんには許さない、なんて言うんじゃないでしょうね。大丈夫よ、ペリスは手慣れているもの。ヘマはしないわ。もちろん、奥さんからも手数料をいただくけど」

 パトリックは躊躇した。テレースに浮氣がばれない事よりも、ギリシャ人と共謀して自分の妻を騙すのが引っかかった。それに、そのペリスとやらは彼女に何をするつもりなんだ。

 テレースは従順でしっかりした女だった。簡単にギリシャ人と浮氣をしようとしたりはしないだろう。でも、ロマンティックな事に憧れるなんて女学生みたいな事を言っていたから、絶対に大丈夫とは言えない。ハイエナみたいな連中に彼女が騙されるのをみすみす許してしまっていいものか。

 パトリックはきっぱりと言った。
「悪いが、僕は帰る。なかったことにしてくれたまえ」

 女は肩をすくめた。何なのよ、馬鹿みたい。目がそう言っていた。


 アフロディテ・ホテルのバーに着くと、テレースを探した。彼女は同じ所にいた。黒髪のギリシャ人が必死で話しかけている。彼女は迷惑そうに断っていた。

「ですから、私は夫をここで待っているんです。すぐに帰ってきますので……」
「あなたは、私の運命の女性なんです。十七歳で死んだ最初の恋人に、本当に生き写しで。ご主人が帰ってくるまででいいから、私と一緒にいて話を聴いてほしいんです」

 よく言うよ、この嘘つきギリシャ人め。パトリックは妻とギリシャ男の間に割って入った。
「悪いが、その夫はもう帰ってきたんだ。死んだ恋人の思い出は、どっかでよそで暖めてくれたまえ」

 ギリシャ人はびっくりしていたが、肩をすくめると素直に去っていった。今日のカモは上手く引っかからなかったらしい。


「ああ、パトリック、よかったわ。あの人、急に話しかけてきて困っていたの」
「何が死んだ恋人だ。典型的なギリシャ人の詐欺師だよ」
「うふふ。わかっているわ。あの人、あのレストランにいたもの」

「なんだって?」
「キッチンの外でエビを焼いていたじゃない、あなた、見なかった?」
いや、全然。ウェイトレスしか見ていなかったからな。

「そう、私はどこかの歌手に似ているなと思って見ていたのよ。あの時には何も言ってこなかったのに、急に運命の人とか言って近づいてきたから、変だと思ったわ」
パトリックは笑った。妻は思ったよりも世間知らずではないらしい。

「手帳はみつかったの?」
「ああ。レストランにじゃなくて、ポケットに入っていたんだ。またあそこに行く必要なんかなかったんだ」
「そう」
テレースは控えめに微笑んだ。

「あなた、何を飲む?」
「そうだな。カクテルもいいけれど、まだレチーナワインを飲んでいなかったな」
「じゃあ、私もそうしたいわ」
妻とバーで傾けるレチーナワインの味はそんなに悪くなかった。


 翌朝、パトリックはゆっくりと朝寝をしていた。部屋のテラスにはテレースが座って、パルテノン神殿を眺めていた。海からの風がアテネを通って内陸へと渡っていく。テーブルに置かれた旅行案内書に目を走らせる。ピレウス港から、明日はエーゲ海のクルーズへと行けたらいいと思う。

 パトリックが昨夜、とても優しかったことを彼女は悲しく思っていた。レストランで彼がウェイトレスばかり見ていた事も、その女が例の色男にこちらのテーブルを見ながら何かをささやいていたのも全て目にしていた。化粧室から戻ってきた時に、パトリックの態度がぎこちない事にも氣がついていた。忘れ物をしたと言った彼の口調も、子供が小学校の文化祭で演じた子供劇の台詞みたいだった。

 だが、パトリックは十分もかからずに戻ってきた。それからの彼の態度はもっと自然だった。不穏な企みは終わったのだ。パトリックがそれに関わっていた、もしくは関わろうとしていた事が悲しかったが、テレースは何も言うまいと思っていた。少なくとも彼は翻意したのだろうから。

 彼女が十代の時には、毎年海外旅行に行くことなど考えられなかった。パトリックと結婚して子供ができてからは、子供たちが中心の生活をしてきた。だから、子供たちが手を離れたいまこそ、ロマンティックな夫と二人の旅をしたいと心ときめかせていた。けれど、それにはもう遅すぎるのかもしれない。彼女はもう若くはなかった。

 テレースは頭を振った。他の道などなかった。諦める事もない。まだ旅は始まったばかりだ。明日は絶対に船旅に連れて行ってもらおう。青い海。白い壁。咲き乱れる花。たくさんの写真を一緒に撮ろう。そうそう。それにふさわしい夏の装いも手に入れなくちゃ。今日は、アテネ市内で前から欲しかった黄色いワンピースと白い帽子を買ってもらおう。昨夜のあの調子なら、いつものようにブティックに行くのを渋ったりはしないだろう。テレースは、夫を優しく起こすために部屋の中にそっと入っていった。

(初出:2012年6月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

フォンダン・ショコラ


モブログってものを試してみます。

写真はこの午後食べたデザート。コルシカはフランスらしくないけれど、デザートだけはさすが(^-^)/

熱いチョコレートがとろ~りと溶けて口の中に幸せがじんわりと広がる極楽。

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Posted by 八少女 夕

踏んじゃった!

ブログのお友だち 山西 左紀さんのDebris circusが、3000Hitのお祭りなのです。で、おおお、と思って誰かもう踏んじゃったんだろうなと、どの位過ぎちゃったんだろうと、見てみたんです。

ぴったり。
↓証拠写真


ひゃっほう! まさか旅行中にiPhoneからのアクセスで踏むなんて‼

左紀さんの小説、大好きなのです。中でも、バイクの出てくる「254」はとっても氣になってまた書いてほしいと熱望していたのですが、書いていただけることになりました。

実は、雨でホテルから一歩も出られなくって、wifiのあるホテルなのをいいことにブログ訪問とかしていたのですよ。
何というラッキー\(^o^)/
来週から仕事だけど、これでしばらくは幸せでいられます。

左紀さん、3000Hitおめでとうございます‼
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Tag : キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

「あなたは人の誕生日を覚えてる?」

ドーナツの入った袋を持っていたら、豚に襲われてかじられかけました。連れ合いは早速それをネタにしています。
ちっ。




そんなことはさておき、今日はトラックバックテーマ「あなたは人の誕生日を覚えてる?」です。


数名ですね。立場上絶対に忘れてはならない人(義母です)、もしくは数日前から騒ぐ人(連れ合いです)、それから日本の家族は当然憶えています。あと、三が日に生まれた友人は忘れません。でも、知人全員というのは無理ですね。一週間前まで憶えていたのに、当日忘れたりなんてポカもやります。

最近は、自分で憶えていなくても、iPhoneやfacebookが教えてくれるようになりました。それにブログのお友達はご自分で申告してくださる方がいらっしゃるとお祝い出来て嬉しいです。偶然一日違いのブログのお友達がお二人いました。獅子座万歳! 来年、忘れないようにしないと。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の新村です今日のテーマは「あなたは人の誕生日を覚えてる?」です!仲の良い友達や家族は覚えていると思いますが、中には一度しか、誕生日を言ったことがないのにちゃんと覚えてくれている人、いますよね!最近ではSNS等で通知してくれることも多いです毎年マメに絶対誕生日にメールをくれる友達や毎年何回言っても「そういえばこの時期やったな~」と全く覚えてくれない友達もいます私は...
トラックバックテーマ 第1492回「あなたは人の誕生日を覚えてる?」

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