【小説】終焉の予感
「十二ヶ月の歌」の十一月分です。
「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十一月はAdeleの「Skyfall」を基にした作品です。これはご存知ですよね? 同名の007映画の主題歌だった、あの曲です。
ボンド・ガールって、使い捨てですよね。この作品の出発点は、もちろんこの曲の歌詞なのですが、それに加えて「一作限りで使い捨ての存在の心はどんなものだろう」でした。一緒にいるヒーローは、ショーン・コネリーでも、ハリソン・フォードでも、お好きなイメージでどうぞ。

終焉の予感
Inspired from Inspired from “Skyfall” by Adele
「見ろよ。あれだ」
夕闇の中、彼は森に囲まれた廃墟に見える建物を指差した。猛烈な湿度のジャングル、体中から吹き出した汗が不快だった。どんな動きをするのも億劫になるが、眼の前の男はそんなそぶりは全く見せず機敏に動き、そのがっしりした背中に疲れの片鱗すら見せなかった。彼の差し出した双眼鏡を覗くと、蔓植物にぎっしりと覆われた今にも崩れそうな石造りが目に入る。ゆっくりと動かしていくと、ここに辿りつくまでに何度か目にした特徴のある文様が塔に浮かび上がっていた。間違えようがなかった。あれがゴールだ。私は大きくため息をついた。
時間は迫っていた。地球に逆さに置かれた砂時計にはもうわずかの砂しか残っていない。この密林に多くのチームを送り込んだ組織にとって、私は最後の希望だった。そして、隣に確かな存在感を持って立っているこの男もまた、彼の組織、いえ、彼の生まれた大陸にとっての唯一の希望だった。
私たちほど強い信頼と絆で結ばれたチームはなかった。お互いにはっきりとわかっている。どちらが欠けても目的に達することはできない。多くの優れた仲間たちが失敗したのはそのためだったのだから。彼はこのジャングルのことを知り尽くしていた。現地の人間を自由に利用し、類いまれな知恵と体力で、私に不足しているそれを補うことができた。あの夜も、100%の湿度と猛獣の徘徊するあの危険地帯を全く意識のない私を背負って通り抜けたのだ。彼にはどうしても私が必要だったから。
ここに来るまで何度もぶつかった古代遺跡での暗号解読、それを即座に誰との通信もせずに、コンピュータすら使わずにできるのは世界中で私だけだった。
私は子供の頃から落ち着きのないダメな人間だと皆に蔑まれていた。普通の学校に行くのも無理だろうと言われていた。両親は私を施設に入れようと考えていた。でも、難易度の高いクイズを容易に解く姿に教師が目を止め、政府の役人がテストにやってきてからすべてが変わった。暗算が正確でコンピュータよりも速いことがわかり、暗号解読のエキスパートとして秘密の訓練を施された。
政府はたぶんあの当時から私をここへ送り込むことを想定していたのだろう。この星の汚染が進み人類が住めなくなると想定される期限は当時は200年後だった。あの隕石さえ落ちてこなければ。あれですべてが変わってしまった。人類には突如として時間がなくなった。世界の各国と連携協力して全人類を救済する余裕もなくなった。現代科学が用意した最高の浄化システムは、全ての大陸を覆えるほど大きい範囲に届かない。そして、そのシステムを動かすことのできる唯一の知られた永久エネルギー源は、このジャングルに眠る太古の遺産たった一つだけだった。
《聖杯》と呼ばれるそれは、もちろんキリストの血を受けた盃などではない。それはただのコードネームにすぎない。奇妙なことに、多くの機関が「それ」に同じコードネームをつけた。だから、この男もそれを《聖杯》と呼ぶ。
私には多くの仲間がいた。そしてそれよりもずっと多くの敵がいた。この男もその敵の一人だった。お互いを出し抜くために、戦いながらこの地を目指した。そして、私の仲間は全て力つきてしまった。私には助けが必要だった。暗号解読には長けていても、体力と戦闘能力の訓練が不十分なまま時間切れで出発を余儀なくされた。この私の体力と知識だけではどうしてもここへは辿りつけないことはわかりきっていた。だから、私は彼の提案に乗った。二人の目的は一つ、ここに来ること。その同じ目的のために彼のことを100%信頼することができた。まだもう少しは信じていられる。
「明日、夜明け前に出発すれば午前中には着くな。いよいよだ」
彼はこちらを見ると笑った。
明日。では、今夜は私の最後の夜になるのかもしれない。
いつも通りに野宿の準備をする男の背を私の目は追った。野生動物に対するカムフラージュ。もっと恐ろしいのは同じ目的を持ってやってくる人間。そちらの方はもうほとんど残っていないけれど。水を浄化し、火をおこす。食べられる果物や草を集め、捕まえた小動物とともに調理する。鼠の仲間だけれど、初めての時に感じた嫌悪感は全くなくなっている。慣れてしまえば肉は肉だ。仕事の分担に言葉はいらない。そう、長年のパートナーのごとく。食事が済んだあとは星を眺め、お互いの国での言い伝えを語りあう。
最後に宿屋で寝たのは一週間前だった。そこに辿りつくまで、お互いの素性を偽り旅行中の夫婦を装った。私たちはいくつものパスポートを用意していたので、トランプをするように役割を決めた。スペイン語訛りで夫婦喧嘩をしている演技をしたり、オーストラリアからの能天氣なハネムーン客の振りをしたり、ずいぶんと楽しんだ。彼は夫婦としてダブルベッドで眠る時に本能に逆らったりはしなかった。お互いに無防備に体をさらけ出したとしても寝首をかかれることなどはないのだ。《聖杯》を手にするまでは。
野宿の時には体を重ねるようなことはしない。欲望に流されてしまい危険に対する瞬発力がなくなるようなことは命取りだからだ。それでも、今夜だけは抱いてくれたらどんなにいいだろうと思う。たとえ彼にとっては欲望の処理でしかないとしても、私にとっては人生の最後の喜びになるのだろうから。
ここに辿りつきたくはなかった。《聖杯》を永久に探していたかった。同じ目的のために協力しあい、同じ道をゆき、そして共に眠った。居心地がよく心から安心することができた。彼は強く、ウィットに富み、臨機応変で、優しかった。右側のこめかみ近くの髪が出会った頃よりもはるかに白くなってきている。左手の薬指に着いていた指輪の痕は強い陽射しに焼かれて見えなくなっていた。私だけが知っている男の人生のひと時。明日の夜には、誰も知らなくなること。
《聖杯》は一つだ。どちらかの大陸に行く。もう一つの大陸は次の正月を迎えることもなく死に絶えるだろう。《聖杯》を持ち帰れなかったものは絶望と怒りにさらされて終末の日を待たずに抹殺されるだろう。だから、彼が私の予想していることを実行してもしなくても同じなのだ。
明日、《聖杯》を手にしてあの砦を出た瞬間から、私は彼にとってただの足手まといとなる。放っておけば寝首を掻くかもしれないもっとも危険な存在になる。だから、最初にやるべきことは私を殺すことだろう。彼の大陸の数十億の人間を救うために、完全に正当化される罪だ。私も彼から《聖杯》を奪わなくてはならない。けれど、私にはできない。そもそも彼がいなければこのジャングルから出られないけれど、それは本質的な問題ではない。家族や同僚、何十億の人びと、その全ての命がかかっていても私はこの男に刃を向けることはできない。私の故郷と組織はもうとっくに負けているのだ。
私が暗号を解かなければ、《聖杯》は永久に太古の知恵に守られ続けるだろう。そうなれば、彼の故郷も彼自身も死に向かうだろう。私は人類にとっての希望でもある。
私は《聖杯》を守っている最後の暗号を解き、彼の手にそれを渡すだろう。それが私の死刑宣告になる。その瞬間が近づいてきている。だから、今夜、もう一度抱きしめてほしいと思う。周りを欺き夫婦のふりをするためではなく、責任の重圧から逃れるためでもなく、ただ、生まれてきてよかったと思えるように。
「すごい星だな」
天の川を見上げて彼は言った。私はそっと彼の横に座り、同じ角度で空を見上げた。
「世界が終わりかけているなんて、信じられないわね」
そういうと、彼はそっと肩を抱いてくれた。
流れ星がいくつも通り過ぎる。この人が無事に帰れますように。声に出したつもりはなかったが、肩にかけられた腕に力が込められた。
「大丈夫、帰れるさ。俺たちが出会ったあのバーで、もう一度テキーラで乾杯しよう」
私は少し驚いて彼の横顔を見つめた。それから黙って彼の肩に頭を載せた。嘘でも構わない。まだ夢を見続けることができる。今は少なくともこの男の恋人でいられる。星は次から次へと流れていった。私は夜が明けないことを願った。
(初出:2013年10月 書き下ろし)
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【小説】終焉の予感
「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十一月はAdeleの「Skyfall」を基にした作品です。これはご存知ですよね? 同名の007映画の主題歌だった、あの曲です。
ボンド・ガールって、使い捨てですよね。この作品の出発点は、もちろんこの曲の歌詞なのですが、それに加えて「一作限りで使い捨ての存在の心はどんなものだろう」でした。一緒にいるヒーローは、ショーン・コネリーでも、ハリソン・フォードでも、お好きなイメージでどうぞ。

終焉の予感
Inspired from Inspired from “Skyfall” by Adele
「見ろよ。あれだ」
夕闇の中、彼は森に囲まれた廃墟に見える建物を指差した。猛烈な湿度のジャングル、体中から吹き出した汗が不快だった。どんな動きをするのも億劫になるが、眼の前の男はそんなそぶりは全く見せず機敏に動き、そのがっしりした背中に疲れの片鱗すら見せなかった。彼の差し出した双眼鏡を覗くと、蔓植物にぎっしりと覆われた今にも崩れそうな石造りが目に入る。ゆっくりと動かしていくと、ここに辿りつくまでに何度か目にした特徴のある文様が塔に浮かび上がっていた。間違えようがなかった。あれがゴールだ。私は大きくため息をついた。
時間は迫っていた。地球に逆さに置かれた砂時計にはもうわずかの砂しか残っていない。この密林に多くのチームを送り込んだ組織にとって、私は最後の希望だった。そして、隣に確かな存在感を持って立っているこの男もまた、彼の組織、いえ、彼の生まれた大陸にとっての唯一の希望だった。
私たちほど強い信頼と絆で結ばれたチームはなかった。お互いにはっきりとわかっている。どちらが欠けても目的に達することはできない。多くの優れた仲間たちが失敗したのはそのためだったのだから。彼はこのジャングルのことを知り尽くしていた。現地の人間を自由に利用し、類いまれな知恵と体力で、私に不足しているそれを補うことができた。あの夜も、100%の湿度と猛獣の徘徊するあの危険地帯を全く意識のない私を背負って通り抜けたのだ。彼にはどうしても私が必要だったから。
ここに来るまで何度もぶつかった古代遺跡での暗号解読、それを即座に誰との通信もせずに、コンピュータすら使わずにできるのは世界中で私だけだった。
私は子供の頃から落ち着きのないダメな人間だと皆に蔑まれていた。普通の学校に行くのも無理だろうと言われていた。両親は私を施設に入れようと考えていた。でも、難易度の高いクイズを容易に解く姿に教師が目を止め、政府の役人がテストにやってきてからすべてが変わった。暗算が正確でコンピュータよりも速いことがわかり、暗号解読のエキスパートとして秘密の訓練を施された。
政府はたぶんあの当時から私をここへ送り込むことを想定していたのだろう。この星の汚染が進み人類が住めなくなると想定される期限は当時は200年後だった。あの隕石さえ落ちてこなければ。あれですべてが変わってしまった。人類には突如として時間がなくなった。世界の各国と連携協力して全人類を救済する余裕もなくなった。現代科学が用意した最高の浄化システムは、全ての大陸を覆えるほど大きい範囲に届かない。そして、そのシステムを動かすことのできる唯一の知られた永久エネルギー源は、このジャングルに眠る太古の遺産たった一つだけだった。
《聖杯》と呼ばれるそれは、もちろんキリストの血を受けた盃などではない。それはただのコードネームにすぎない。奇妙なことに、多くの機関が「それ」に同じコードネームをつけた。だから、この男もそれを《聖杯》と呼ぶ。
私には多くの仲間がいた。そしてそれよりもずっと多くの敵がいた。この男もその敵の一人だった。お互いを出し抜くために、戦いながらこの地を目指した。そして、私の仲間は全て力つきてしまった。私には助けが必要だった。暗号解読には長けていても、体力と戦闘能力の訓練が不十分なまま時間切れで出発を余儀なくされた。この私の体力と知識だけではどうしてもここへは辿りつけないことはわかりきっていた。だから、私は彼の提案に乗った。二人の目的は一つ、ここに来ること。その同じ目的のために彼のことを100%信頼することができた。まだもう少しは信じていられる。
「明日、夜明け前に出発すれば午前中には着くな。いよいよだ」
彼はこちらを見ると笑った。
明日。では、今夜は私の最後の夜になるのかもしれない。
いつも通りに野宿の準備をする男の背を私の目は追った。野生動物に対するカムフラージュ。もっと恐ろしいのは同じ目的を持ってやってくる人間。そちらの方はもうほとんど残っていないけれど。水を浄化し、火をおこす。食べられる果物や草を集め、捕まえた小動物とともに調理する。鼠の仲間だけれど、初めての時に感じた嫌悪感は全くなくなっている。慣れてしまえば肉は肉だ。仕事の分担に言葉はいらない。そう、長年のパートナーのごとく。食事が済んだあとは星を眺め、お互いの国での言い伝えを語りあう。
最後に宿屋で寝たのは一週間前だった。そこに辿りつくまで、お互いの素性を偽り旅行中の夫婦を装った。私たちはいくつものパスポートを用意していたので、トランプをするように役割を決めた。スペイン語訛りで夫婦喧嘩をしている演技をしたり、オーストラリアからの能天氣なハネムーン客の振りをしたり、ずいぶんと楽しんだ。彼は夫婦としてダブルベッドで眠る時に本能に逆らったりはしなかった。お互いに無防備に体をさらけ出したとしても寝首をかかれることなどはないのだ。《聖杯》を手にするまでは。
野宿の時には体を重ねるようなことはしない。欲望に流されてしまい危険に対する瞬発力がなくなるようなことは命取りだからだ。それでも、今夜だけは抱いてくれたらどんなにいいだろうと思う。たとえ彼にとっては欲望の処理でしかないとしても、私にとっては人生の最後の喜びになるのだろうから。
ここに辿りつきたくはなかった。《聖杯》を永久に探していたかった。同じ目的のために協力しあい、同じ道をゆき、そして共に眠った。居心地がよく心から安心することができた。彼は強く、ウィットに富み、臨機応変で、優しかった。右側のこめかみ近くの髪が出会った頃よりもはるかに白くなってきている。左手の薬指に着いていた指輪の痕は強い陽射しに焼かれて見えなくなっていた。私だけが知っている男の人生のひと時。明日の夜には、誰も知らなくなること。
《聖杯》は一つだ。どちらかの大陸に行く。もう一つの大陸は次の正月を迎えることもなく死に絶えるだろう。《聖杯》を持ち帰れなかったものは絶望と怒りにさらされて終末の日を待たずに抹殺されるだろう。だから、彼が私の予想していることを実行してもしなくても同じなのだ。
明日、《聖杯》を手にしてあの砦を出た瞬間から、私は彼にとってただの足手まといとなる。放っておけば寝首を掻くかもしれないもっとも危険な存在になる。だから、最初にやるべきことは私を殺すことだろう。彼の大陸の数十億の人間を救うために、完全に正当化される罪だ。私も彼から《聖杯》を奪わなくてはならない。けれど、私にはできない。そもそも彼がいなければこのジャングルから出られないけれど、それは本質的な問題ではない。家族や同僚、何十億の人びと、その全ての命がかかっていても私はこの男に刃を向けることはできない。私の故郷と組織はもうとっくに負けているのだ。
私が暗号を解かなければ、《聖杯》は永久に太古の知恵に守られ続けるだろう。そうなれば、彼の故郷も彼自身も死に向かうだろう。私は人類にとっての希望でもある。
私は《聖杯》を守っている最後の暗号を解き、彼の手にそれを渡すだろう。それが私の死刑宣告になる。その瞬間が近づいてきている。だから、今夜、もう一度抱きしめてほしいと思う。周りを欺き夫婦のふりをするためではなく、責任の重圧から逃れるためでもなく、ただ、生まれてきてよかったと思えるように。
「すごい星だな」
天の川を見上げて彼は言った。私はそっと彼の横に座り、同じ角度で空を見上げた。
「世界が終わりかけているなんて、信じられないわね」
そういうと、彼はそっと肩を抱いてくれた。
流れ星がいくつも通り過ぎる。この人が無事に帰れますように。声に出したつもりはなかったが、肩にかけられた腕に力が込められた。
「大丈夫、帰れるさ。俺たちが出会ったあのバーで、もう一度テキーラで乾杯しよう」
私は少し驚いて彼の横顔を見つめた。それから黙って彼の肩に頭を載せた。嘘でも構わない。まだ夢を見続けることができる。今は少なくともこの男の恋人でいられる。星は次から次へと流れていった。私は夜が明けないことを願った。
(初出:2013年10月 書き下ろし)
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チーズ・フォンデュの季節だよ

で、冬と言ったらこれなのですよ。チーズ・フォンデュ。
日本で売られている「チーズ・フォンデュ温めるだけセット」では「四人分、400g」などと書いてあります。そして、これだけを食べる人はいませんが、スイスではこれだけを食べるのですよ。一人分は250gです。四人分作る時はチーズ1キロですよ、もちろんナチュラスチーズで作るのが本物。出来合いのパックとは味が違います。
まず、ニンニクで鍋に香りをつけます。そしてみじん切りニンニクはチーズに混ぜます。鍋に白ワインを入れてコンロにかけます。水なんか入れてはいけません。削られたチーズ(配合は乳製品屋ごとに違うのです。ヴァシュランとグリュイエールの半々が多いかな)を少しずつ鍋に入れ、溶かしていきます。全部溶けきったら、胡椒とナツメグで味を整え、キルシュ(強いおサクランボの酒です)で溶いた片栗粉を投入。
白パンは二日前のものがベスト。ただし、工場で作ったようなパンではなく、ちゃんと皮がぱりっとしたものでないといけません。ふにゃふにゃのパンはチーズの中で見失います。チーズを落とした人は罰として白ワインを奢る事というルールがあります。
そして、あとは食べる。専用フォークに突き刺したパンで鍋をかき回しながらチーズをすくいます。携帯コンロで温め続けているので、必ず誰かが鍋をかき混ぜているようにしなくてはならないのです。そこから焦げますから。(それを洗う主婦は大変なんですよ! 焦がさないで!)
一緒に飲むのは白ワインか紅茶を。水や冷たいジュースを飲んではいけません。お腹の中でチーズが固まってしまうそうです。
そして、それから数日間、家の中はチーズ臭に満ちます。冬と言ったら、チーズ・フォンデュ、試される方は自己責任で(笑)
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なぜカメラ目線?
お知恵をお借りしたいのです。来月の帰国で、一晩だけ岡山に泊るのですよ。夜ついて翌朝発ってしまうのですが。で、岡山駅のすぐ側で晩ご飯を食べようと思っているのです。「これだけは食べておけ!」というアドバイスがありますでしょうか? もし何かおすすめがありましたら、コメント欄で教えていただけるととても嬉しいです。
この下からが、本日の本文です。
会社の昼休みに、外を散歩しているのです。そして、ここ数週間で奇妙な事が。



猫と遭遇するのはそんなに珍しくないんですけれど、ふつう猫って知らない人が近づいたらそっと去るじゃないですか。ところが、どうもここしばらく遭う猫はわざわざポーズ作って待っているのですよ。
いや、そんなのただの思い過ごしだと思うでしょう? 私もそう思ったんですけれどね。でも、写真を撮り終わるのを待って、おもむろに去るんですよ。しかも、どいつもこいつも。
いったい何があったんだろう。これってウゾさんのいうNNN?
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【小説】夜のサーカスとブロンズ色の仮面
この連載を始めた時から、一度やってみたかったコメディア・デラルテ風の演目をヨナタンとマッダレーナにやってもらっています。もっとも主役は雄ライオンのヴァロローゾですが。そして、いじけたステラはライオン舎へ。このくだりは、実は山西左紀さんのコメントがヒントになってできたエピソード。ブログの交流からストーリーがふくらむのって楽しいですよね。
![]() | 「夜のサーカス」をはじめから読む あらすじと登場人物 |

夜のサーカスとブロンズ色の仮面
赤、青、緑、黄色の原色が強烈な印象を与える。舞台が暗転するまでは青い厳かな光のもとで、ブルーノがストイックな逆立ち芸を見せていたので、突然カラフルな光が満ちて観客たちの多くは思わず目をこすった。
明るくて楽しくて、しかも時代かがった演出。コメディア・デラルテの恋人たち、ブロンズ色の仮面を付けたアルレッキーノとアルレッキーナが馬鹿馬鹿しい恋愛模様を広げる。もっとも、このアルレッキーナは手に鞭を持っている。恋人たちの楽しい語らいの時間に、どういうわけだかライオンが襲ってきて、本来ならば恋人を救うべく勇敢に戦うべきアルレッキーノの代わりに、アルレッキーナが鞭を振るっては特別な芸をさせているからだ。
チルクス・ノッテの新シリーズが始まった。新しい演目の目玉は、ステラとマッテオによるデュエットのブランコ、そして、マッダレーナとヨナタンによるコメディア・デラルテ風のライオン芸だった。
はじめは、鞭を使って襲ってくるライオンから恋人アルレッキーノを守っていたアルレッキーナは、何度かじゃれあっているうちに、ライオンと仲良くなってしまう。楽しく芸をする二人。それを見て慌てるアルレッキーノ。その無様な様子に観客は大喜びだった。
観客も、受けを見て大満足の団長夫妻も大いに喜んでいたが、マッダレーナとヨナタンは常に非常に緊張していた。マッダレーナ一人の時は他のライオンも舞台に乗ったがこの演目に使えるライオンはヴァロローゾだけだった。犬のように従順にマッダレーナに従っているが、そこにいるのは放された本物の雄ライオンだった。間違った動き一つで、ヨナタンの命は危険に晒される。ヨナタンはマッダレーナと一緒にヴァロローゾと同じ空間に立つ所からはじめて、腕を差し出す、急に横を向くなどの一つひとつの動きをゆっくりと着実に訓練してきた。
舞台ではみっともない動きの演技を面白おかしくしているが、そのブロンズ色の仮面の奥から二人は常に真剣にアイコンタクトを続けて、舞台をこなしていた。練習と舞台をこなすと二人はいつもくたくたになり、口数も少なかった。もっとも彼の口数はもともと多くなかったのだが。
マッダレーナとヨナタンが一緒にいる時間はずっと多くなり、ステラに対して優しい氣遣いをしたり、以前のように二人で散歩に行ったりする時間もほとんどなくなった。それどころか、食事の後にヨナタンとマッダレーナは町に出かける事が少なくなり、共同キャラバンで例の古いラジオから流れるクラッシック音楽をしばらく聴いて、それからさっさとそれぞれのキャラバンに戻って寝てしまう事が多くなったのだ。
今宵もそうだった。他のメンバーはみな町のバーに行ったのだが、二人が行かないと聞いてステラは行くつもりになれなかった。かといって、二人で静かにラジオを聴いている共同キャラバンに入っていく事も出来ず、しばらく周りをウロウロとしていた。
ステラはそっとその場を離れると、うなだれて自分のキャラバンに向かったが、そのまま寝る氣もちになれなくて、テント場の中をぶらぶらと歩いた。口を尖らせて行ったり来たりしていたが、ライオン舎から灯りが漏れていたので覗き込んだ。マッダレーナが消し忘れたのだろう。それでもライオンたちは眠っていた。ただ一頭、ヴァロローゾだけが、すっくと首を持ち上げてステラを見上げた。「何か用か」と言っているかのようだった。
「用はないの」
檻から五歩の所に近寄ってからステラは言った。ヴァロローゾは唸ったりしなかった。初夏に助けてもらったお礼でステラが大きな肉のかたまりをプレゼントした時、彼はいきなりがっついたりせずに、まずマッダレーナを見た。
「プレゼントだって。食べていいのよ」
ライオン使いが言うと、今度はステラの方を見た。
ヴァロローゾはライオンなのだが、時々人間が化けているんじゃないかと思うくらい、動物的でない所があった。右の前足で肉をポンと触り、それからステラを見た。ステラが頷くと、ゆっくりと肉を引き寄せてガシっと食いついた。周りのライオンたちがガルルと唸った。ステラは思わず後ずさったが、マッダレーナはクスクスと笑っただけだった。ヴァロローゾは鋭い牙で肉を引き裂くと小さな固まりを咥えてから大きく頭を振り、斜め前の檻めがけて投げ込んだ。そこには一番若くてまだ鬣(たてがみ)も生えていない仔ライオンのアフロンタがいて、飛んできたおこぼれを喜んで食べた。それからヴァロローゾは他のライオンたちの唸り声は完全に無視して自分の肉を悠々と食べ、丁寧に前足を舐めるとステラの方を見て、ゴロゴロと喉を鳴らした。それからヴァロローゾはステラを見ても唸らなくなったのだ。
さて、はじめてマッダレーナのいない時にライオンと対峙して、ステラは用心深く届かない程度に檻から離れてライオンに話しかけた。
「ずるいな。今の共演者は、ヴァロローゾ、あなたなんだよね。以前は、ずっと、私だったのに」
それから、ちょっと横を向いて、本当はライオンに対してではないやっかみを口にした。
「舞台も一緒。練習も一緒。それに、煙草を吸ったり、音楽を聴くのも一緒……」
ステラは下を向いて唇を噛んだ。私がヨナタンでも、マッダレーナの方がいいと思うだろうな。あんなにきれいで、大人で、煙草も吸えるし、それにラジオから流れてくる音楽のこともよく知っていて。ヴァロローゾはじっとステラを見ていたが、小さくゴロゴロと喉を鳴らした。ステラはまぶたの辺りをこすって言った。
「ごめんね。ヴァロローゾ。八つ当たりしちゃったね。また、愚痴をいいに来てもいいかな?」
ライオンは再びゴロゴロ喉をならして、交差させた前足の上に頭をのせてステラを見上げた。
共同キャラバンに鍵をかけてヨナタンとマッダレーナは自分たちのキャラバンのある方へとゆっくりと歩いていった。月が高く上がっていて、テントの赤と青の縞がくっきりと見えた。
「涼しくなってきたわね」
「そろそろ暖房を出さなくちゃいけなくなる。外で煙草を吸うのもつらくなるな」
そう言うと、ポケットを探った。切れているらしく肩をすくめたので、マッダレーナが「はい」といって自分の煙草を差し出した。一本受け取って火を差し出すマッダレーナの近くに身を屈めた時だった。
大テントから黒い影が音もなく出てきて、もう少しで二人とぶつかる所だった。
「なんだよ、こんなところで、こそこそ逢い引きかよ」
ブルーノだった。どうやら今までポールに登っていたらしい。
「こそこそでもなければ、逢い引きでもないわよ」
マッダレーナが自分の煙草を取り出してくわえながら言った。
「けっ。そりゃ残念なこった」
「何が残念なのよ」
「お前は逢い引きしたいんだろ? ガキを出し抜いてさ」
ヨナタンは煙を吐き出して言った。
「失礼なことを言うな」
「ははあ、騎士道精神か。結構な事だよな」
「僕の事は、何とでも言うがいい」
するとブルーノは、ヨナタンの前にぐいっと近づいて言った。
「そのお坊ちゃんぶった言い方、虫酸が走るぜ」
「つっかかるの、やめてよ。あんたに関係ないでしょ」
マッダレーナが間に入って、腕を組んで言った。
腹を立てたブルーノはマッダレーナに手を上げかねない勢いで言った。
「お坊ちゃんを、お坊ちゃんと言って何が悪い」
ヨナタンはマッダレーナをかばうように場所を再び変えて二人の間に立った。思わず拳を上げたブルーノは冷静に見上げるヨナタンの顔を見て怯んだ。不意にいろいろな事が脳裏に浮かんだ。
団長が拾ってきたばかりの頃、まだ少年だったブルーノが同じように腹を立ててこの白人の少年を殴ったら、どういうわけだか次のショーで必ず失敗をした。偶然かもしれない。だが、しばらくしてトマの事故があった。
ブランコ乗りトマは次期団長の座を狙っていた。それなのに、急に団長が何の芸も出来ない少年を拾ってきた。もしかして、養子にでもして跡継ぎにするつもりかもしれない。そう心配して「追い出してやろうぜ」とブルーノに持ちかけてきた。ブルーノはショーでの失敗の事があり、悪い精霊に目をつけられると嫌だからといって断った。「弱虫め」と罵ったトマはその晩のショーでブランコから落ちて命を落とした。
ブルーノは「ほらみろ」と言った。あいつにはとてつもなく強い精霊がついているんだ。アフリカの迷信だなんて笑ったお前が悪いんだ、トマ。
それは全て単なる偶然だったかもしれない。だが、アフリカの血が流れるブルーノの頭には偶然などという言葉は存在していなかった。団長がこの男には絶対に手を出さないことも、マッダレーナやステラが夢中になるのも、人智を越えた精霊の力せいだとしか思えなかった。だから、急に怖くなってその拳を収めた。
「僕はただの道化師だ」
ブルーノの想いを知ってか知らずか、ヨナタンは月の光で青白く浮き上がる顔に夜のように秘密めいた瞳を輝かせて静かに言った。
ブルーノとマッダレーナは顔を見合わせて、それから同時に肩をすくめた。全く違う意味で、二人ともその言葉を受け入れていなかった。だが、それ以上は何も言わなかった。
(初出:2013年10月 書き下ろし)
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「くり返し見ている映画や本はありますか?」
もともと氣にいった本やフィルムは手元において何度も繰り返して鑑賞するタイプなのですよ。加えて、現在はよほどの事がない限り新しい日本の本や映画が手に入らないので、日本から持ってきたものをさらに繰り返して手に取る事になります。
文庫本だと読み過ぎてバラバラになってしまった本なんてものもあります。ジェイムス・グリック著「カオス」、ヘルマン・ヘッセ「デミアン」、マイクル・クライトン「北人伝説」、ライアル・ワトソン「アース・ワークス」あたりはボロボロです。
映画だと「雨に唄えば」(これは持っていない、映画館で繰り返し観た)「2010年」「紅の豚」「ファンタジア2000」あたりでしょうか。他にもありますけれど。
詳しい方はおわかりでしょうけれど、万人向けでもなければ、通好みでもありません。でも、好きなんだもん。
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当加瀬です(^v^)/今日のテーマは「くり返し見ている映画や本はありますか?」です。先日、ずっと見たかった感動系の映画をやっと見る事ができ、見終わった後に「やっぱり映画っていいなぁ~」と改めて思った加瀬です…実際にはないストーリーであっても、役者さんの演技や、話の面白さでそのストーリーの世界にスッと入る事ができるのが、映画の良い所ですね加瀬は一度気に入...
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「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」座談会 その2
「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」座談会 その1
「その2」は「瑠水をめぐる男たち」でお送りいたします。
大手町のBar『Bacchus』にて。
(田)今日は、お忙しいところ、皆さんお集まりいただきましてありがとうございます。今回の座談会は、東京はこの店で開催しろという事で、司会も仰せつかりました。私は当店のバーテンダー田中佑二です。って、新堂さんじゃないですか、大変ご無沙汰しています。(作者注・新堂朗は『樋水龍神縁起』本編の主役で『Bacchus』の常連でした。ついでにいうと樋水龍王神社で祀られている三柱のうち背神安達春昌命ならびに最近よく現れる蛟はこの人という設定です)
(新)こちらこそ、久しぶりだね。今回のメンバーは、皆勝手に話すはずなんで、特に仕切らなくてもいいそうだ。
(田)ええと、今回は、龍王様はいらっしゃらなかったんですか?
(新)神在月だからね。龍王神と媛巫女神は行事が目白押しでね。あとで「なかったことにする」のと、島根組が通ってきた根の道を閉じなくちゃいけないので今回は私が来たんだ。前回同様コストは樋水龍王神社に請求してくれたまえ。
(田)はい。それで今回は「瑠水さんをめぐる青年たち」編ですか。で、いらっしゃった方は……。
(真)生馬真樹です。出雲から来ました。お忘れかもしれませんが、チャプター1で主役だったはず……。
(拓)結城拓人です。ピアニストやってます。チャプター2で瑠水といろいろあった所です。
(彰)早良彰です。瑠水の幼なじみで義兄です。本当はずっと瑠水の事を……いや、言うまい。
(稔)えっと、作品違うんですけれど、瑠水さんにときめいたつながりで来てみました。安田稔って言います。(作者注・稔は『大道芸人たち』の日本編で瑠水にデレデレでした)
(三)三ちゃんこと、三造です。「大衆酒場 三ちゃんの店」をやってます。ただの部外者です。瑠水ちゃんにもときめいたりしてませんが、新堂先生がシン君連れて飲みにいくって聞いちゃね。ま、みんな勝手にやってて。バーテンさん、この間と一緒で、梅酒サワーとチェイサーとして焼酎ね。
(真)あの……もしかして、あの結城拓人さんですか? うわっ、本物なんですね。あの、サインをいただいても……。
(拓)ああ、サインね、はいはい。ん? 君、出雲から来たって言ったか?
(真)はい。そうですが?
(拓)ってことは、お前が例の島根男かっ! くっそ〜。
(彰)拓人さんはいいじゃないですか。瑠水の水揚げもしたし、いい人扱いだし。僕なんてただの悪役ですよ。
(稔)なんだって、結城、お前いつの間に!
(拓)んな事言ったって、僕だっていい面の皮だったんだからさ。く〜(泣)
(真)えっと、東京でいったい何が? (作者注・田舎者で、会話の意味について行っていません、幸い)
(拓)(冷たく)君は何も知らなくていいよ。
(彰)ところで、瑠水は今どこに?
(拓)(島根に帰ると)聞いたけれど、教えてやらない。(と、ちらっと真樹をみる)
(稔)お前、陰険だぞ。
(拓)うるさい! 失恋してまだ一週間経っていないんだ!
(稔)他の女に慰めてもらえばいいだろ。それか園城にさ。
(拓)他の女じゃ代わりにならないよ。それに真耶は「デートしないで時間があるなら、練習でもしろ」って冷たいしさ。
(彰)自業自得……。
(新)君、会話に加わらないの。
(真)いや、どうも氣遅れしちゃって。都会の皆さんとはテンポが違うのかな。それに、どうも結城さんにも嫌われているみたいだし。
(田)まあ、理由はさっきからの会話を聞いているだけでも、なんとなくわかりますが。(といって、真樹と朗にウィスキーをそっと出す)
(三)あ。バーテンさん! 俺っちもそれ飲みたいな。
(真)あの、この後の事なんか、訊いてもいいですか? (すっかり朗と飲むモード)
(朗)訊いてもいいけれど、この座談会が終わったら記憶消すことになっているよ。
(真)だったら訊いてもしかたないか。ふう。
(朗)チャプター3は、君の話から始まるってことだけは伝えておこうかな。出番が近づいているから、覚悟しておいてくれよ。
(真)はい。読者の皆さんも、今後ともどうぞよろしくお願いします。
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【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (13)第三楽章 -2-
ラフマニノフのコンチェルト第二番といったら、誰がなんといおうとこの第三楽章のメロディなのですが、瑠水はなんとこの日まで聴いたことがなかった、という設定です。思い出が強烈な第二楽章の終わりを聴くのが怖いと避けていたから、当然第三楽章にはいかないわけです。なんてもったいない。中学の時からもしかしたら一番たくさん聴いているクラッシックかもしれません。「どんな曲?」と思われた方は、先週の更新分にくっつけた動画へどうぞ。今日のは拓人の最後の一曲をイメージしてくっつけてあります。
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この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物
樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(13)第三楽章 -2-
わずかな間があり、第三楽章がはじまった。オーケストラの華やかな導入にあわせて、拓人は再び華麗に装飾音型を紡ぎだしていく。真樹の部屋から逃げ出してしまったために、今まで瑠水が聴いていなかった、美しい第二のテーマが流れる。確認するごとく拓人が力強く奏でる旋律は瑠水の心を強くつかんだ。
私はたった三十分の曲ですら第三楽章まで聴かなかった。シンはこの曲を最後まで知っていた。知っていて、もう一度最初から私と聴いてくれた。私が大人になるのを三年もの間ひたすら待っていてくれたのだ。私は知らないまま逃げ出した。
樋水のためになることをしたいと言いながら、まだ何もしないうちにもう、瀧壺の底の、カミの世界の至福を手に入れようとした。あの池の底で感じた『水底の皇子様とお媛様』の苦しみをすべて飛び越して。龍王様は私をどんなに思い上がった小娘だと思ったことだろう。
拓人の演奏は、佳境に達していた。真耶がショーソンの『詩曲』で魅せた、あの神域の世界をいまや拓人が実現していた。虹色に輝く黄金の世界。
瑠水は突然悟った。真耶さんや結城さんは、ここで至高の存在に仕えている。シンが消防士として真剣に天命を果たそうとしていたように。では、私は、何をしているのだろう。樋水のために何かをしたいと防災地質学を学んだというのに、何もしていない。愛してくれたシンや結城さん、それに私に神域を見せてくれた真耶さんに胸を張って誇れるようなどんなことも成し遂げていない。
私はただ待っていただけだ。自分のすべき仕事が与えられるのを希んでいた。『水底の二人』の至福にただ加わらせてもらおうとした。シンが連絡してくれるのをひたすら望んでいた。結城さんが愛してくれるのを、または飽きて捨ててくれるのをただ期待していた。両手を広げて星が降ってくるのを待ち受けていた。星をつかもうと手を伸ばしたことすらなかった。
生身のシンに『水底の皇子様』の抽象的な愛だけを求めたように、寂しかったから結城さんにシンの身代わりをさせようとした。私がこんなだから、龍王様が私を『水底の二人』の幸福に加わらせてくれなかったんだ。
オーケストラと拓人の激しくも力強い手の動きは、階段を昇るかのように聴衆を連れて盛り上がり、幸福の絶頂に伴って華麗にフィナーレを迎えた。
割れるような喝采がおき、聴衆が一斉に立ち上がった。立ち上がっていない真耶は、隣にいる瑠水の涙と決意に満ちた横顔を黙ってみつめた。激しい喝采に拓人が何度も袖と舞台を往復しているその興奮の中、真耶と瑠水の席だけは違う空氣が漂っていた。
瑠水は静かに低い声で言った。
「真耶さん。ありがとうございました。私、二人にお会いしたことを生涯忘れません」
真耶は、それだけで瑠水が何を決心したか理解したようだった。
「ありがとう、瑠水さん。私もあなたが拓人にしてくれたことを生涯忘れないわ。幸せになってね」
オーケストラには、休憩の後まだ別のプログラムがあり、場内は二十分の休憩になった。聴衆はまだロビーや客席にいたが、その間に瑠水は一人で楽屋の拓人のもとに向かった。
楽屋で拓人は瑠水に抱きついた。
「ありがとう、瑠水。君のおかげだ」
瑠水はじっと目を閉じて、それからはっきりとした声で言った。
「私こそ、お礼をいわなくては。結城さん。本当にありがとうございました。私、島根に帰ります」
拓人は信じられないという顔をして瑠水を見た。
「結城さん。あなたが教えてくれたんです。どうやって生きるべきか、どういう風に人を愛するべきか。私は、何もせずに待っているだけの弱虫でした。あなたの音楽が、私に勇氣をくれたんです。あなたと真耶さんの音楽には到底較べられないけれど、私も天に応えられるように、自分の人生を踏み出します」
拓人は、黙ってしばらく瑠水を抱きしめていたが、やがて言った。
「どうしてもか?」
「ええ、どうしても」
「そうか」
深いため息が聞こえた。拓人にもわかっていた。この世にはどうしても変えられないことがある。拓人はどれほど好きでも島根に瑠水を追いかけていくことは出来ない。音楽と瑠水を天秤にかけなくてはならないなら、あきらかに音楽の方が重かった。
「もし、島根でどうしてもうまくいかなかったら、僕の所に帰っておいで。しばらくは一人でいるだろうから。いつまでとは約束できないけどね」
瑠水は一度拓人を強く抱きしめてから、「さようなら」と言って、その場を離れた。そして、涙も拭かず、後ろも振り返らずにホールを後にした。
チャイコフスキーの『悲愴』がはじまったが、真耶は客席には戻っていなかった。そっと、楽屋に向かうエレベーターに乗った。楽屋におかれたアップライトピアノの音色がわずかに聞こえていた。
ドアを開けて音を聴いた真耶は微笑んで頷いた。拓人の弾くショパンの『幻想即興曲』はこれまでに何度も聴いていた。だが、どうしても技術だけが勝り、感心する演奏を聴いたことがなかった。いまのこの音は違う。目の色も違っていた。テンポが揺れていたが、その音には凄みがある。真耶は、拓人の経験に足りないのは嫉妬と絶望だと常々思っていた。そして、いま彼はそれを手に入れたのだ。次は『革命』が聴きたいわね。今ならいい演奏になるはずだわ。
「なんだよ」
拓人は弾き終わってから一分ほど経ってから振り返り、ドアにもたれている真耶に声をかけた。
「見事だわ」
「お前は、何でも演奏の肥やしになればいいと思っているんだろ」
「そうね。でも、あなたを心配していないわけじゃないのよ。なんせ、最初の失恋ですものね」
「馬鹿にしているのか」
「まさか。もっと弾いてよ。こんなにあなたのピアノが聴きたいと思ったの、久しぶりだわ」
「それは瑠水に言ってほしかったな」
真耶は優しく妖艶に微笑んだ。本当にどこまでもわかっていない男ね。いつか思い知らせてやるわ。
拓人は『別れの曲』を弾いた。思い出のように甘い穏やかな旋律、心かき乱されていく中央部、全て失ったあとに諦念の叫びのように繰り返される最初のテーマ。真耶は拓人がひとつ階段を昇ったことを感じた。今すぐ家に戻ってヴィオラを弾きたいと思った。いい音が出せる確信があった。
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「自分の取扱説明書」らしい
1 自分の取説を作ってみよー
2 テンプレートは増やしておk
3 それじゃあ早速行ってみよ♪
【八少女 夕の取説】
○基本事項○
1 ユーザー名:八少女 夕(やおとめ ゆう)ペンネームですよ。
2 性別:♀
3 年齢:オリキャラ新堂朗と同い年。興味のある方は「樋水龍神縁起」を読んでね。
4 理想の年齢:同上
5 身長:五尺二寸八分。
私の学生時代にはそんなに低くなかったけれど、今の若い子たちには低いんだろうな。でも、ハイヒール嫌いなんで履きません。
6 理想の身長:同上。どこまで唯我独尊なんだか。
7 体重:九二斤。
10年くらいあまり変わっていなかったんだけれど、ここ数年ちょっと、お腹が……。連れ合いに「ミシュラン?」と可愛く指摘されたのが衝撃だったので、現在ぷちダイエット中。進まず。
8 理想の体重:マイナス八百匁かな……。頑張ります。
○小説情報(リンク貼りOK)○
1 一番プッシュしたい自作品:
どの作品もプッシュしたいんですが、全部って、多すぎますよね。で、一つと言われると「樋水龍神縁起」かなあ。これは奨めないと誰も読まない、でも、読んでくださった方の評価はそんなに悪くないので。でも、長いんですよ。それに官能表現ありなんで一応18禁。続編の「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」は現在このブログで連載中で、こっちは官能表現ありません。よろしかったらどうぞ。
2 総合評価が一番高い自作品:
ブログだと「大道芸人たち Artistas callejeros」かな? 評価が高いというよりは、皆さんにおなじみですよね。コラボの希望が一番多いのもこれですね。多くのキャラが愛されているのが嬉しい。
3 連載速度:
週に1から2回。必ず更新しているものは、長編(今は「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」)が月二回、「十二ヶ月の○○」シリーズが一回、そして「月刊・Stella」に提出しているもの(今は「夜のサーカス」)が一回のペースです。あとはリクエストによる番外編かな。特別企画「scriviamo!」などインプットとアウトプットが多い時は週三回になる事も。
4 主な人称:
三人称。なのに文の途中で突然一人称になる事がよくある。わざとです、すいません。
5 得意ジャンル:
ないです。よく読んでくださっている方、「八少女 夕といったらこれ」ってジャンル、ないですよね?
6 苦手ジャンル:
ラノベかな。
7 得意描写:
なんだろう、あれ? ない? 音楽の描写はときどき褒めていただくけれど……。
8 苦手描写:
怖い事と痛い事。あと、機械。
○他記事項○
1 好感度が上がる瞬間:
絶対読まないだろうなと思っていた方から小説の感想をいただいた時など。
2 好感度が下がる瞬間:
紳士で憧れなおじ様が泥酔して口説いて来た時など。
3 怒った時の対処法:
スルーが一番。三歩歩くと忘れるニワトリ脳なので、寝るともう怒りは八割方消えている。
4 懐く瞬間:
飴と鞭を上手に使い分けていただければ、かなり簡単に懐きます。
また口説く場合には、奥ゆかしくさりげない純日本式ではなくて、かなりラテンを極めていただければ。ああ、だから国外流出しちゃったんだ!
5 貰うと喜ぶモノ:
みかん。梨。海苔。大分産冬菇椎茸。ヴァルテリーナ産の極上ワイン。褒め言葉。
あ、他にMac Book AirとかiPad Miniとか世界一周旅行のチケットとかどうしてもプレゼントしたいという方がいらっしゃいましたら喜んで! いないと思って好き勝手書いています。
6 貰っても嬉しくないモノ:
記事にも、私にも、スイスにすら、かすってもいないブログコメント(宣伝とか)
ちなみにここ半年ほど嬉しくないコメントは返事しないどころか、承認もしない事にしてます。あしからず。返事しているコメントは、嬉しいコメントです。
7 自分を動物に例えると:
ロバ。嫌だと思うとテコでも動かない。動物占いだとゾウでした。(「耳は大きいが人の話はほとんどきいていない」だそうです。あたっている)
8 動物に成れるなら何:
大鷲。かっこいい〜。でも禿鷲になるのはいやだな。
9 今欲しいモノ:
う〜ん。あえて言うなら新しいコピー&スキャナつきのプリンターかなあ。まだいいかなあ。今のプリンタ、日本から持ってきたもので、いちいちインクを日本から送っていたのですが、もうそういうのはやめようと思って。以前はスイスで変えるプリンタはハガキの縁なし印刷が出来なかったんですが、最近のエプソンやCanonのプリンタは、出来るようになってきたのですよ。ため込んだインクを使い終えたら、買い替えようと思っています。
10 好きな曲(1つ):
Claude Bolling「Suite For Chamber Orchestra & Jazz Piano Trio」
何故か本人演奏した動画ないんですよ。まだ生きていらっしゃいますからねぇ、著作権に触れるんでしょうね。
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「携帯やスマホ、機種変更のタイミングは?」
さて、久しぶりのトラックバックテーマです。「携帯やスマホ、機種変更のタイミングは?」がテーマですが、携帯だった時は「壊れるまで」でした。もともと電話ほとんどしないし、待ち受け&目覚ましぐらいしか使っていませんでした。

本文とは全然関係ないけれど、この間iPhoneで撮った写真です。
ヨーロッパでiPhone 3Gがはじめて売り出された時に飛びついて買って以来、二年前に買い替えたiPhone 4Sで二代めですが、あの時はiOSが機種に対して重すぎてうまく動かなくなり、さらにアップデートも出来なくなり、う~んと思ったので買い替えました。あ、そうそう、スティーブ・ジョブスがなくなって「4Sはフォー・スティーブだ」と噂がひろがったのも買い替えた一因かも。これは別として、買い替えて本当に良かったですね。現在iOS7を入れていますが、問題なくサクサク動きます。容量も十分。
今のところ、持って歩ける機械として、欲しい機能は全てついているんですよね。欲を言うと、iPad Miniくらいの画面ならWEBがもうちょっと見やすいけれど、そうなるとポケットやポシェットには入らないので。カメラを持っていないときの緊急カメラ、アドレス帳とスケジュール帳、iPodとしての役割、持ち歩ける校正マシン、もちろんかかってくる事もあるので電話としても結構重要。あ、出先でいただいたコメントを承認したりもしますね。だから、いまからただの携帯に戻るのは無理。でも、これ以上の機能は今のところいらない。つまり当分、機種変更はしなくてもいいかな。そろそろ二年の縛りも終わるんですが。
iPhoneはそのままでいいとして、そろそろモバイルバッテリーを変えたい。重いんで、普段はフル充電できなくてもいいからもうちょっとコンパクトなものに。旅行には、今の大容量のが活躍すると思うんですが。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の西内です今日のテーマは「携帯やスマホ、機種変更のタイミングは?」です。皆さんが今使っている携帯やスマホは何年目ですか?私は気がついたら3年目に突入していました新しい機種が出ると必ず電気屋さんで触ってみたり、店員さんに話を聞いてみたりするのですが今すぐに買い換える必要はないか~と思って機種変更しませんでした今までの機種変更のタイミングを思い返してみる...
FC2トラックバックテーマ 第1749回「携帯やスマホ、機種変更のタイミングは?」
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【小説】樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero (13)第三楽章 -1-
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この作品は下記の作品の続編になっています。特殊な用語の説明などもここでしています。ご参考までに。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物
樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero
(13)第三楽章 -1-
そして、N交響楽団との共演の日がやってきた。ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番を拓人が練習していたのはこの日のためだった。プログラムの最初がこの曲だった。瑠水はこの日が来るのが怖かった。真樹の部屋を飛び出して以来、まだこの曲をきちんと聴いたことがなかった。その整理されていない心のまま、拓人との関係ものっぴきならない所に来てしまっていた。このままではいけないと思いながらも、どうしていいかわからない。
真耶は拓人にはっきりと言った。
「このまま、いつまでも瑠水さんを舞台袖に隠しておくわけにいかないでしょう。今日だって、あなたは大舞台に集中できないじゃない」
「でも、会場で彼女を一人にするのは……」
「じゃあ、私が一緒にいる。私がいれば親衛隊だって簡単には近寄れないはずだもの」
「わかった。頼む」
あたりを払う堂々とした姿の真耶と一緒に、瑠水は会場に入っていった。取り巻きの女性たちのざわめきに心が揺らいだが、もし拓人と一緒に居続けるならばこれに慣れなくてはならないのだと思った。
隣にいる真耶を見た。この人はここに属している人だ。結城さんと同じ世界に、この大ホールに。だが瑠水はそうでなかった。
演奏前の拓人は基本的には誰にも会わない。主催者か、マネジメント会社の人間か、そして家族だけが楽屋に行くことができる。親衛隊はそれを知っていたので、誰一人楽屋には向かわなかった。
真耶は常に唯一の例外だった。そして、今日、真耶は当然のように楽屋に瑠水を連れて行った。親衛隊の目が背中に突き刺さったが、真耶の堂々とした動きが誰にも何も言わせなかった。
楽屋のある階につくと真耶は言った。
「あそこの突き当たりよ。私はここにいるから」
「真耶さん」
「今、拓人にはあなたが必要なの。行ってきて」
瑠水は黙って頷くと、廊下を進み、拓人の楽屋のドアをノックした。出て来た拓人は、瑠水を中に入れると何も言わずに彼女をきつく抱きしめた。瑠水には拓人が大舞台の前でいつもよりもずっと大きな不安を持っているのがわかった。
拓人は瑠水に会うまでずっとある種のスランプに陥っていた。彼のキャリアは常に上向きだった。中学生の頃の華々しいデビュー以来、テクニックは常に研ぎすまされ、多くのファンに恵まれてすっかり有名になっていた。全てが順風満帆だと世間では思われていた。しかし、拓人も真耶も知っていた。拓人は単なる技術屋になりかけている。芸術家としてのもう一つの階段がどうしても昇れない。真耶が出すような、魂を揺さぶる音が出せない。それはどれほど練習を重ねても得られないものだった。拓人の人生は安易すぎた。血のにじむような努力はしたが、それさえすればいくらでも手に入る立場と環境にいた。簡単に言えば苦悩を知らなかった。
この半年で拓人の人生は大きく変わった。はじめて簡単に手に入らない女に出会った。瑠水を愛するようになって、しかも瑠水の心を得られないことで、男としての自信がぐらついた。それがピアノにも影響するようになった。ピアノに向かう時に、どんな音を出せばいいのか突然わからなくなった。
ラフマニノフは瑠水が初めて現れた時の思い出の音楽だった。この大舞台で、自分がきちんと弾けるのか、拓人は本番直前になって突然不安に襲われた。そこに、瑠水が一人でやってきた。いつもの澄んだ瞳で。泣きそうに見える表情で。拓人は瑠水を何も言わずにしばらく抱いていた。瑠水も何も言わなかった。そのぬくもりが、次第に拓人の心を落ち着かせていった。
「もう大丈夫だ。ありがとう」
瑠水は頷くと、そのまま無言で外に出た。涙が出そうになったが、こらえて真耶の元に戻った。真耶は黙って、エレベーターのボタンを押して、客席へと向かった。
客席に座ると、真耶は静かに言った。
「ねえ、瑠水さん。私は拓人があなたに会えて、本当によかったと思っているのよ」
「真耶さん」
「悪く思わないでね。拓人と私は双子のように本当に何でも分かち合うの。だから、あなたのことも拓人からたくさん聞いているのよ。拓人はあなたに好きな人がいることも知っている。それでも拓人はあなたと人生を共にしたいのよ。でも、瑠水さん。自己犠牲で結論を出さないで」
「……」
「あなたとのことは拓人には、どうしても必要だったの。つまり拓人の音楽にはね。だから引け目を感じたりしないで。もし、時間をかけても拓人を本当に愛せるようになると自信があるなら、拓人と結婚するといいわ。彼は日常生活では軽薄だけれど、素晴らしい魂を持っている。あなたと彼はきっと幸せになるわ」
「真耶さん。私が結城さんに釣り合わないとはお思いにならないんですか」
「馬鹿なことをいうのね。あなたはすてきよ。でも、私は拓人が言っていたように『音楽の鬼』なの。彼にも『鬼』でいてほしいの。だから、私にはあなたが彼の音楽に与える恐ろしいほどの影響力の方がずっと大事で、もっと評価しちゃうのよ。私はそういう風にしか生きられないの。でも、あなたは私たちの音楽に奉仕する必要はないわ。あなたの人生をあなたらしく生きればいいの。わかる?」
「真耶さん」
ベルが鳴り、会場が暗くなる。オーケストラが入ってくる。指揮者が、拍手の中入ってくる。真耶は真っ直ぐ前を見据えた。瑠水も口を閉ざした。
やがて更に大きな拍手に迎えられて拓人が入ってきた。軽く頭を下げた後、拓人は燕尾を翻して、椅子に腰掛けた。落ち着いた顔をしていた。瑠水は真っ直ぐに座り直した。
指揮者と目を合わせると、拓人の手がゆっくりと挙がり、最初の和音を響かせる。ゆっくりとクレッシェンドしてゆき、オーケストラが加わり華麗な主題を奏でだす。ゆったりとした、あるいは華やかなオーケストラの響きとみごとに調和しつつも拓人は激しい動きで装飾音型を奏で続けている。CDで聴いていた時にはまるで氣がつかなかった華麗なテクニック。だが、それは単なる技量に終わらず、オーケストラの美しい旋律からも遊離せず、曲全体として聴き手の心をつかむ。
第二楽章になり、瑠水の体は緊張で固まった。拓人は完全に曲を自分のものにしていた。木管楽器とやさしく絡みながら、甘い旋律を紡ぎだしていく。その音色には甘いだけでなく、どこか苦さが感じられた。ピアノから聴こえてくる音は、鍛錬によって培われた類い稀な技術から出てくるのではなかった。音と音との間に含まれる微妙な沈黙が、これまでの拓人の音色になかったなんとも言われぬ深みを出していた。
真耶は目を輝かせて聴き入った。お互いに文字を覚えるよりも先に厳しくしつけられたレッスンの日々。真耶は拓人がどれほどの情熱を賭けて技を磨いてきたか誰よりもわかっていた。だが、それだけではどうしても出せなかったこの深みを、どうしても伝えられなくてどれほど悔しい思いをしたことか。だが、拓人はようやくジュニアのピアニストでも、著名なアイドルピアニストでもなく、真の芸術家への道を踏み出したのだ。真耶が共に目指したいと思っている高みを目指せる同志になったのだ。
瑠水は、身じろぎもせずに拓人を見ていた。はじめて拓人のピアノを聴いた時とは違っていた。あれから半年も経っていないのに、拓人はまったく違う音色を奏でていた。そして瑠水にとっても、いま目の前でピアノを弾いているのはどこかの知らないピアニストではなくなっていた。どれほどの努力と想いがこの三十分の協奏曲に込められているのだろう。どれほどの情熱が彼の中で燃えているのだろう。尊敬の念でいっぱいになった。
けれど、第二楽章の最後の部分が再び訪れたとき、その楽音に込められた拓人の深い感情をも突き破り、瑠水は出雲のあの小さな部屋へ戻っていた。あの口づけだけが瑠水を支配していた。溢れて止まらない真樹への想い。どうしても忘れられない樋水での幸福な三年間。笑顔と、思いやりと、信頼と。そのすべてが東京ではどこにもみつからない樋水の光とともに瑠水の心に溢れた。どうしようもなかった。
シンに会いたい。もう遅くても、叶わなくてもいい。
流れる涙を止めることも出来なかった。その瑠水に、優しく語りかけるように、第二楽章は終わった。
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ザウゼルの季節

この時期に、私が楽しみにしているのは、ワインではなくてザウゼルです。これはですね。葡萄ジュースをワインにする過程の、発酵しはじめたばかりの飲み物なのです。アルコール分はほとんどありません。(甘酒以下でしょう)でも、葡萄ジュースでもないんです。なんというのか、「あっさり、すっきり、葡萄ジュース」ではなくてもう少し複雑な味で秘密を隠しているような、そんな感じなのです。

九月の半ばから今ぐらいのザウゼルが、私は一番好きです。これが十月の終わりだと発酵が進み過ぎて、秘密もへったくれもない、謎の飲み物になってしまうのです。それだったらワインの方がずっと美味しい。
もし九月にスイス、それもグラウビュンデンにいらっしゃる方は、ぜひ飲んでみてくださいね。実は、スイスでもこの飲み物が普通に出てくる地方は限られているみたいなのです。美味しいのにどうしてでしょう?
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- ピッツァに恋して (12.08.2013)
【小説】銀の舟に乗って - Homage to『名月』
ぜひ、まずは、こちらでご一読くださいませ!
TOM-Fさんの10000Hit記念掌編その2 『名月』
行けなかった方はこちら
そしてですね。刺激されると書いちゃうのが、私の悪いクセ。はい、やっちゃいました。アンサー掌編です。え? もちろんフィクションですよ。TOM-Fさんの作品を読んでいて浮かんできた近未来ものでございます。
銀の舟に乗って - Homage to『名月』
Special thanks to TOM-F SAN

くっきりとした大きな月が川面に浮かんでいた。私は手を休めて空を見上げる。ああ、同じウサギがいるんだなと思う。
一昨日は久しぶりにネットカフェなどというもののある町にいたので、日本のニュースを見た。だから今宵が中秋の名月である事を知っている。そう、彼と約束した宵だ。
「次の満月の中秋の名月は八年後ですって」
「ああ、その時も一緒にこうして見上げような」
見上げているかな。いや、見上げているわけないよね。もう日本は丑三つ時なんだから。私だって、あのニュースを読まなければ、すっかり忘れていた。もう終わった事、離れてしまった私たち。
私はここにいる。この河は何千年か前に王女さまがモーゼを救い上げた、いや、もしかするとワニなんかも引き上げちゃったりした、ナイル河。そして、そよいでいるのは、ススキではなくてパピルス。カイロからも遠く離れた田舎の村。私は岩の上で生地をこねている。
ファラオの時代からとは言わないけれどかなり年季の入った石窯に、イブラヒームが火を入れてくれている。私がこねているのは種無しパン。たぶんファラオの時代からほとんど変わっていない原始的なレシピに基づくのだろう。なぜ旅人である私がこねいてるのかというと、他に手伝う事がないから。レンズ豆のおいしいスープをミミが作っている間、私は生地をこねる。
この岩は、足の位置から20センチも離れていない。大学時代の私だったら地面だと判断するはずだ。学食で、転げて椅子に落ちた葡萄を捨てようとしたら、彼はそれをさっと奪った。
「五秒ルール。まだ食べられるよ」
捨てずに済んだから良かったとは思ったけれど、私には無理って思った。それがどうだろう。こんな所で種無しパンの生地をこねている。これはやっぱり石や埃や炭や灰がたっぷりの、あの石窯に入れられて焼かれ、そして今夜の主食になるのだ。
いろいろな事を「無理」だと思った。大好きだけれど、越えられないと思った。こうして言葉も文化も生き方も、全く違う所に流れてみれば、越えられないものなど何ひとつなかった。ここにはJ-POPもない、欠かさず買っていた作品の新刊情報も届かない。それどころかアメリカのヒットパレードやコカコーラすら存在しない、世界に忘れ去られたような土地。私もその一人だ。日本から離れ、世界にも文明にも忘れられた存在になった。
私が旅に出たから彼を失ったのか、彼を失ったから旅に出たのか、もう思い出す事が出来ない。明るい夜。こんなに月が大きくても、少し顔を暗闇へと移せば星がたくさん見える。ナイルの静かな水音。パピルスを渡る風。私は種無しパンをこねる。月見団子の代わりに。
「あら。なぜウサギの模様を入れたの?」
私が持ってきたパン生地を見て、ミミは面白そうに笑った。
「えっと……今夜は日本のお月さまの祭りだから……」
それを聞いてイブラヒームとミミは顔を見合わせてから笑った。
「今月はジェフティ月だ、エジプトでもお月さまを祝う月なんだよ」
イブラヒームは笑って巨大な木しゃもじでウサギつき種無しパンを窯の奥へと大事に置いた。
「お月さまは、銀の舟に乗って、天の川を渡っていくのよ」
銀の舟に乗ってか……。今夜は、水位が高い。満月だからあたりまえよね。大潮のように想いが満ちる。忘れたと思っていたのに。
イブラヒームが夕食の後に焚火を囲みながら演奏する素朴で単純な笛の音は、どこか篳篥に似ていて、あるはずもない郷愁を呼び起こす。音色は私の心を遠い島国へ、彼のもとへと連れて行く。
それは心だけだ。そして今宵だけ。エントロピーは増えるだけで減る事はない。川は上流から海へと流れる。時間も過去から未来へと移動していく。私が旅人となり、日本から文明から彼から離れて行くのも一方向のみで、逆流する事はない。私は旅を続ける。目的を果たすためではなく、ただ離れていくために。
彼の側には、きっともう他の人がいて、ちゃんとした月見団子を供えて一緒に見上げていた事だろう。何時間も前に。八年前に。
人生を教えてくれてありがとう。同じ時間を過ごしてくれてありがとう。もう逢えないけれど大丈夫、心配しないで。私はひとり小さな舟に乗って、少しずつ櫂の使い方もうまくなって、時間の川を渡っていきます。
(初出:2013年10月 書き下ろし)
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【小説】二十世紀の想い出
「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十月はtrfの「BOY MEETS GIRL」を基にした作品です。まさに二十世紀の思い出になってしまった曲で、若い方は知らない事でしょう、うん。いいんですよ。
この作品に出てきた真由美というキャラクターは、このブログで二回目の登場です。「沈丁花への詠唱(アリア)」で初登場でした。(続編ではなくて完全に独立しています)実は、立場が非常に似ているキャラクターに絵梨というのがいます。どちらもスイス人と結婚した日本人女性です。本人としてはこの二人をこういう風に書き分けています。完全なフィクションが真由美、ほぼ私小説が絵梨です。つまり、今回は完全なフィクションです。

二十世紀の想い出
Inspired from “BOY MEETS GIRL” by trf
「飲み物。なに頼む?」
「う~ん、カルピスサワー」
真由美は室内を見回した。ホテルのカラオケルームかあ。カラオケにもいろいろとバラエティができたのね。
久しぶりの帰国。以前来た時には、普通の料理屋だったのだけれど、今回は幹事山本の趣味なのだ。実をいうと、昭和アニメソングを熱唱する山本と田中の他は、誰も真面目に歌っていない。けれど、定期的にコード表とリモコンは回ってくる。適当な曲をセットして、再び食べて飲んで、それからおしゃべりに戻る。曲が流れて、知っている歌は適当にみんなで口ずさむが、マイクはたいていは置きっぱなし。
高校時代は遠い昔だった。卒業直後は頻繁に集まっていた仲間たちも、最近は真由美が帰国する時についでのように集まるだけになっている。それでも、最近はSNSで緩くつながっているので、子供の顔だの、先月どの展覧会に行ったかなど、以前よりもお互いのことを知っているのかもしれない。妙な時代になったものだ。
「ねえ、この揚げたこ焼きが呼んでいるんだけど~」
「わかったよ、勝手に注文しな」
「あ、飲み物来た」
「ほら、真由美。カルピスサワー」
「あ、ありがと」
真由美は、はっと顔を上げた。選曲に没頭していたのだ。
「えっ。まだ悩んでいたの?」
そういわれても、知らない曲がいっぱいで、どうしたらいいか。
真由美は、昔からさほどカラオケが得意ではなかった。歌える曲がほとんどなくて、ウケのいい曲をそつなく選ぶ才覚も備わっていない。十年以上日本を離れていると、最近の流行の曲調のようなものがわからず、何を選んでも場違いのように感じてしまう。でも、一人一つずつ入れていくのが決まりなので、入れないかぎりコード表を隣にまわせない。
「適当な曲を入れとけばいいのよ。どうせみんな懐メロなんだし」
そう言われて、たまたま目に入った中で知っている曲があったので、コードを入力した。
ミックスピザ、鶏の唐揚げ。ポテトフライ。この辺のメニューは時間が経っても変わらないものだわね。真由美は皿と箸を置いて、サワーを飲みながら仲間を見回した。全く変わっていないようにも見えるけれど、よく見ると時間の経過が感じられる。男性陣には髪の毛の後退したメンバーがちらほらいるし、細くて有名だった女の子はそこそこの体型になっている。話し方や性格はあの時のままだけれど、仕事に家庭にそれぞれが責任ある立場になっている。
高校時代は楽しかった。あの頃は本当に箸が転がってもおかしかった。放課後に残って文化祭の準備のためにわいわい騒いだ。模擬店の内装や、メニュー決定や、限られた予算の中でのやりくりや、担当の分担を、時間も忘れて語り合った。缶ジュースを飲むだけで何時間も教室で過ごした。
いまは、それぞれに仕事があり、家庭がある。帰っていくべきベースの場所と人たちがいる。こうして何年に一度数時間会うだけの仲間は、笑ってそれから別れていく。真由美はちらっと向こうのテーブルに座っている吉川を見た。やっぱり変わらない。あの頃と。
三年生の頃、吉川と噂になっていることを真由美は知っていた。委員会が同じで一緒にいることが多かったから、それでだった。真由美は吉川に一学年下の彼女がいることを知っていたし、それを残念に思っていたわけでもなかった。吉川は、大切な友達だった。その頃から、少しずつ難しくなりだした、性別を越えた友情だった。
「げっ。これを入れたの誰?」
小夜子の声で真由美ははっとした。trfの『BOY MEETS GIRL』のイントロがはじまっていた。
「あ。あたし」
「コムロか。久しぶりだわ、確かに」
「うん、キャンディーズやピンクレディの方が、カラオケじゃお馴染みになっているもんね、わたしら」
「それと、アニソン!」
きゃあきゃあ騒ぎつつも、仲間たちはみな曲を口ずさんでいた。
「……20世紀で最高の出来事……かあ」
「あのとき、20世紀だったんだよね~」
「そうそう。それにその前は昭和だった」
ゲラゲラと笑う仲間たちに、曖昧な微笑を見せていた真由美は、ふと吉川と目が合った。彼は黙ってグラスを持ち上げた。ああ、いつも通りビールを飲んでいるんだなと真由美はぼんやりと思った。彼は忘れていなかった。
真由美が五年勤めた会社を辞めて、ニュージーランドに留学することを決めた時、この歌はまだ懐メロにはなっていなかった。あれは転勤者や退職者をまとめて送別する会だった。別の大学に進んだもの、偶然同じ会社の同じ課に勤めることになった吉川もまた、あの晩、私がこの歌を歌った時にその場にいたのだ。
真由美が退職するのは、吉川が結婚を決めたからではないかと噂になっていた。またかと思った。高校の時も吉川に片想いをしていることになっていたっけ。
どうして人は、男と女が一定時間いつも一緒にいるとくっつけたがるのだろう。
真由美は、吉川のことが好きだった。恋をしているというのではなく、親しい友人として大好きだった。信頼できる仲間で、尊敬できる同僚だった。一番近い言葉を探すならば「戦友」がぴったりきた。
「でもさ。美恵ちゃんはそう思えないみたいだよ」
当時、やはり同じ課にいた荘司が言ってきた。この男は、課内の情報通で通っている。仕事の情報よりはゴシップの方に力を入れた情報収集みたいだったが。朝から晩まで一緒にいて、時には二人で十時近くまで残業しているのだから、何かがあってもおかしくないと思うのは当然だったかもしれない。でも、本当に仕事だけをしていたのだ。
あの頃、社内広報の仕事とは体力でするものだった。無駄に多い作業、やけに非効率な手順、二人でこんなの無駄だと上司に代わる代わる直訴したが「そういうものなんだよ」といわれて終わった。ギリギリに大量に送られてくる原稿、DTPマシンののメモリ不足、やたらと細かく決められた定型の言い回し。直して、読み合わせて、印刷して、また修正して。あっという間に九時や十時になった。恋愛をしている暇などなかった。
橋本美恵が特別に嫉妬深い子だったとは思わない。高校のときにちらっと見かけただけだが、礼儀正しくてかわいい子だった。ふ~ん、こういうのが趣味なんだ。そう思ったっけ。
「ねえ、修羅場になっているって本当?」
保存コマンドを送った後、カーソルがふざけたコーヒーマークになって、ユーザーの神経を逆撫でする異様に長い保存時間をやり過ごそうと、真由美は吉川に話しかけた。
「誰がそんな事を」
「荘司くん」
「ったく。別に修羅場にはなっていないよ」
「でも、ご機嫌は悪いのは本当?」
「まあね」
吉川はため息をついた。
「後、やっておくから、帰ってもいいわよ」
真由美がいうと、吉川はちょっと怒ったように言った。
「それは、普通男の俺がいうセリフだろ」
「どっちだって一緒じゃない。関係修復する方が大事なんじゃないの?」
「一日早く帰れてもなあ。これからデートしよって訳にもいかないし。それに……」
「それに、なによ」
「平行線だからさ。俺は仕事のやり方を変えられないし、あいつも『女と二人で遅くまで働くのはいや』と思うのを変えられない」
真由美は肩をすくめた。
「そこにビデオでも設置しておいて、報告したら?」
吉川は呆れた顔をした。
「いや、もっとまずいよ」
「どうして?」
「自分以上に何でも話せる仲の人間がいるってことを、許しがたいって思ってるからさ」
真由美はため息をついた。
「高校時代から十年以上つき合っているんでしょ? 橋本さん、もっと自信を持てばいいのに。私が男だったら良かったね。そうしたら、男には男同士の付き合いってものがあるって言い張れたのに」
吉川が橋本美恵と結婚すると決めたのと、真由美が会社を辞めてニュージーランド留学を決めたのがほぼ同時だったので、荘司たちは余計に噂を立てた。できれば吉川がそれを信じないでくれればいいと思った。そんな風に思われたくなかった。そんな薄っぺらな関係ではないと、そんなものでは「戦友」という言葉にはふさわしくないと、勝手に思っていたから。
「ねえ、真由美。ご主人は来なかったの?」
小夜子の声にはっとした。ああ、そうだったね。高校の同窓会でした。
「ダニエルは今週は会議があるから、来週くるの。関空で待ち合わせて京都奈良に行くんだ」
「そっか。逢えなくて残念」
「ね~。逢いたかったな~。真由美が国際結婚するなんて夢にも思わなかったもんね」
「っていうか、結婚するとも思わなかったよ」
真由美は笑った。自分でも思わなかった。合う男性、そして人生を共にしたいと思ってくれる人がいるとは思わなかったし、それがスイス人だとも思わなかった。ニュージーランドから帰ったら再び日本で働くと思っていたのに、トントン拍子にスイスに住むことになってしまったのも、狐につままれたようだった。
けれど、今の真由美にはザンクト・ガレンでのダニエルとの生活が現実で、時おり帰国して見る故郷の様子の方が夢のように思われた。東京の移り変わりは早い。一年もいなければ行きつけの店の半分がなくなるといっても大袈裟ではない。ましてや真由美は世紀の変わり目の頃にスイスに移住してしまったので、二十一世紀の東京はたまの訪問で旅行者として通り過ぎるだけだ。
いま目の前にいるかつての仲間たちとは、二十世紀を一緒に過ごしたのだった。それは想い出の世界に属していた。笑い転げた友達と、これほど近い存在はないと思った吉川と、そのすべてが夢のように遠ざかっている。
真由美はカルピスサワーをこくっと飲みながら、もう一度『BOY MEETS GIRL』の歌詞の事を考えた。うん。やっぱりこの歌、好きだな。たとえ今は流行らない二十世紀の遺物でも。
Boy Meets Girl それぞれの あふれる想いにきらめきと
瞬間を見つけてる 星降る夜の出会いがあるよに…
Boy Meets Girl あの頃は いくつものドアをノックした
あざやかに描かれた 虹のドアをきっとみつけて
心をときめかせている
Boy Meets Girl 出会いこそ 人生の宝探しだね
少年はいつの日か少女の夢 必ず見つめる
Boy Meets Girl 輝いた リズム達が踊り出してる
朝も昼も夜も風が南へと 心をときめかせている
「BOY MEETS GIRL」より TETSUYA KOMURO作詩
(初出:2013年9月 書き下ろし)
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進捗状況・「貴婦人の十字架」について
縮小モード中の成果をお話ししますと、既に発表したリクエストを三本、それから「夜のサーカス」をいくつか、それから「森の詩 Cantum silvae - 貴婦人の十字架」(長過ぎる。自分でも憶えられないぞ)を書いていました。かなり骨格は出来ていたつもりでしたが、この執筆モード中にとても大事なエピソードがいくつか浮かんできて、ようやく「調べて書いている話」から「私の小説」になりつつある感じです。

以前も貼付けた設定地図です
この「貴婦人の十字架」(前半は長いので省略)は特殊な書き方をしています。表向きは想像の世界の物語という形式をとっていますが、書いている内容は中世のヨーロッパを下敷きにしています。「そういう歴史人物いないじゃん」「地理が変」という話になるのを避けるために、あくまでもフィクション・想像の世界という形をとっているということです。だからドイツ、フランス、イタリア、ライン河というような言葉の代わりに、グランドロン、ルーヴラン、センヴリ、サレア河というような想像上の言葉を使用します。けれど、名前にVonがついたり、「ギリシャ語」などという現実にある言葉が出てきたりもします。そのレベルの細部までいちいち自分の世界を構築すると、読者は絶対について来れなくなるだろうと判断してのミックスです。
ストーリーは笑っちゃうほど簡単なラブストーリー、中世ヨーロッパの民俗学、政治とは、人間とは、というような本来は一緒にしないだろうというようなテーマがごった煮のように詰め込まれています。普通は話をクリアにするために切り捨てているものをあえてさらに投入する、私にとってもはじめての試みです。
大もとは、ただのラブストーリーでした。それも、この話「森の詩 Cantum silvae 」は十代の頃に考えていた三部作で、三つの笑っちゃうほど簡単なお姫さまと王子様のラブストーリーだったものを、「1.姫君遁走」と「3.一角獣奇譚」を捨てて構想を練り直し、もう少し作者の年齢にふさわしい題材に変えました。
題材は昔のもの、空想世界のものですが、「いいたいこと」に関しては、決して現在と関係のない事ではなく、少し普遍的な意味を持たせるようにしました。とはいえ、説教臭くするのではなくテーマを開示しておしまい、みたいな書き方が続きます。それぞれは独立したバラバラのエピソードが、主人公たちの行動や考え方に影響を及ぼしていく、現代社会の日常生活と同じ雑多な構成(もうちょっとドラマがありますが)です。途中まではそれぞれの章に独立した中世民俗が織り込まれています。そして、実は重いテーマが多いです。
私としては全く楽勝記述の「夜のサーカス」ですら「大丈夫かしら、読者が引いている?」と思う事もあるこの頃、「貴婦人の十字架」はもっと引くかなとちょっと心配。あ、エロではありません。「貴婦人の十字架」はその要素はほぼありません。かといって「昔々あるところに」のおとぎ話ではないので、登場人物はやることやってますが。
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