【小説】Infante 323 黄金の枷(14)喫茶店
王子様扱いだけれど、囚人でもある主人公23は、誰にも知られずにこっそりとPの街に行っていました。「すわ、なにか陰謀が?」と先読みをなさる読者の皆さんが脱力するような展開かもしれませんが、ひと時の自由を楽しんでいただけのようです。現金を持っていない上、人見知りも激しいんじゃ、外で何もできませんよね。前回、その秘密をヒロインであるマイアと共有することになったんですが、こちらもお花畑脳なので、陰謀とは無縁のようです。
![]() | 「Infante 323 黄金の枷」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Infante 323 黄金の枷(14)喫茶店
マイアが朝食の給仕をしている時にドンナ・マヌエラがメネゼスに言った。
「手紙をサントス先生の奥様に直接渡してほしいんだけれど、今日、誰か外に行く時間があるかしら」
「もちろんでございます。マイア、お前はサントス先生や奥様に面識があったのだったな。ちょうどいい、ジョアナに伝えておくので、セニョール323のお住まいの清掃が終わったら、外出の準備をして奥様の居間に伺うように」
「はい」
せっかく街に行くのだったらと、ジョアナからもいくつかの細かい用事を頼まれた。メネゼスは23の作った靴を、いつもの靴店に届けてほしいと言った。久しぶりに街に行けるだけでなく、外で休憩してもいいと言われたのででマイアはすっかり嬉しくなった。
食堂の後片付けが終わってから、掃除のために23の工房に降りて行った。あの嵐の日以来、二人にはしばらく大きな秘密があった。彼の背中の傷が悪くなっていないか確認して消毒したのだ。ほとんど治り、もう絆創膏も消毒の必要もないと伝えたときの彼の笑顔は嬉しかったが、この秘密がなくなってしまうのは残念だった。共犯関係は絆のように感じられたから。
口に出せない想いが悲しくて時々落ち込むのは同じだっけれど、秘密を共有するようになってからは、一々失敗はしない程度に平静を保てるようになっていた。
ドンナ・アントニアが23に逢いに来るとき、その美しい笑顔を眺めてマイアはいつも複雑な氣持ちになった。この方なら世界中のどんな貴公子のハートだって射止められるだろう。それなのに靴職人をしているこの館に閉じこめられた青年を選んだのだ。お金やスティタスや容姿ではなくて、ただ純粋に惹かれる、マイアは説明のつかない想いのことを知っている。二人が惹かれあうのも当然だと思った。そしてだからこそマイアは悲しくなる。ドンナ・アントニアが登場するだけで、友達として、秘密の共犯者としてわずかに近づいた彼の視界から、彼女は完全に消え去ってしまうのだと感じるから。
彼女が帰る時にも、マイアはやはり複雑な想いを持った。私だったら、檻に閉じこめられて出て行けない彼のもとをあんな風に颯爽と去ったりしないのに。ずっと彼のもとにいて慰めてあげるのに。彼のために、彼を幸せにし続けられる麗人にもっと長い時間を使ってほしいと願う。それでいて、これ以上彼の心を占めないでほしいとも願う。23は懇願したり、嘆息したりはしない。ただ去っていくドンナ・アントニアの背中をじっと見ているだけだ。ドンナ・アントニアのために鍵を開けて、それから再び閉めるとき、マイアは23の心を思って泣きたくなる。そのマイアを見て、彼は氣にするなと言いたげに微かに笑う。だから、マイアはこの瞬間が大嫌いだった。
マイアが掃除で23の居住区に入る時は、できるだけ早く鍵を開けて鍵を閉める。彼にその瞬間を見られたくないから。
「おはよう、23」
「おはよう、マイア」
彼はすっと立ち上がって、エスプレッソマシンのもとに向かった。掃除の度に二人でコーヒーを飲むのはすでにあたり前のことになっていた。何も言わなくても大きいカップに淹れたコーヒーに砂糖を一つとたくさんのミルクが入って出てくる。だから、マイアは掃除を始める前に23としばらくおしゃべりをすることになっていた。
「今日はね、このあと街にお使いにいくことになっているの。奥様のお手紙を届けて、ジョアナの用事もあるけど、23の靴もお店に届けるんだって」
23は「ほう」と言ってコーヒーを飲んだ。
「二足あるんだが、持てるか」
「もちろんよ。あなたの靴がショーウィンドウに並ぶのを見られるの、嬉しいな」
「店主のビエラにいつもありがとうと伝えてくれ」
「うん」
自分だけ街に行けるのは申し訳ないなと思った。彼は出て行けないのに。
突然あの嵐の日の事を思い出した。彼は出て行けるんだ。私以外誰も知らないけれど!
マイアは囁いた。
「ねえ。23、抜け出せるんだよね。抜け出しておいでよ。街で休憩していいって言われたの。喫茶店に一緒に行かない?」
「……」
「イヤ?」
「いや、そんなことはない。考えたこともなかったんだ。目立たない所で、確実に辿りつける所を知っているか?」
マイアはアリアドス通りを下り、ドン・ペドロ四世の銅像を見上げた。あ、頭の上にカモメがとまっている。ウキウキする想いが止まらない。手紙を届けた時に、サントス夫人に「とても嬉しそうね」と言われてしまった。それから、ジョアナに頼まれて入った店で修理の終わった帽子を受け取るときも、はじめてなのに売り子がニコニコ対応してくれたので自分の表情が弛みっぱなしらしいとわかった。
はじめてのデートをする時って、こんな感じなのかな。本当のデートじゃないけれど、でも嬉しい。ねえ、誰か聞いて。私、23と待ち合わせしているんだよ。
あの嵐の日、秘密の外出中に破れて汚れたシャツの処分に彼は途方にくれていた。それを上手に切り刻み、掃除機のゴミパックの中に隠して処分することに成功した。あれ以来、信頼してくれることになったのだろうな。そんな風に思った。
リベルダーデ広場を抜けて、坂を上りきった突き当たりに小さいチェーンの喫茶店がある。暖かい黄色い壁紙と茶色い木の桟やテーブルと椅子が落ち着いた店だった。入ると23はもう来ていた。落ち着かなそうに座っている。マイアが入ってくるとホッとしたように笑った。
「ちゃんと伝えてきたよ。ビエラさん、ものすごく嬉しそうだった。誰かお客さんに電話してた。いますぐ受け取りにくるそうですって言ってた。すぐ売れちゃうって、本当なんだね」
23は黙って微笑んだ。瞳に誇らしそうな光が浮かんでいる。
「注文してくるね。何が飲みたい?」
壁にいくつかのメニューが大きい写真で貼られている。23は自分の真横にあるカプチーノの写真を指差した。
マイアは二人分のカプチーノをカウンターで頼んでトレーに載せてテーブルに運んだ。
店内にはボサ・ノヴァがかかっている。23は珍しそうに耳を傾けていた。マイアは23の境遇が氣の毒になった。あんなにいい仕事をしても彼はこの喫茶店に入るだけのお金すら手にすることができない。秘密の出入り口がなければ、生涯あの館の中に閉じこめられたままだ。そもそもあの背中だって、ビタミンD不足、日光浴が足りなかったからに違いない。なんであんなひどい目に遭わなきゃいけないんだろう。
「ねえ。私、作ってくれた靴の料金を払うよ。そうしたら、23は自分の自由になるお金が少しでもできるじゃない?」
だが、23は首を振った。
「氣もちだけ受け取っておくよ。このままの方がいい。もしかしたらとっくに《監視人たち》に見つかって報告されているかもしれない。だが、俺に制限があって、館に戻らざるを得ない状況のままだったら泳がせ続けてくれるかもしれない。俺にとってはあの出入り口を塞がれないことは何よりも重要なんだ」
「そっか。そうだね。でも、私は何かお礼をしたかったんだ」
「それはもうしてくれたよ」
「何を?」
「こうして、一人ではできなかった体験をさせてくれていること」
マイアはほんの少し恥じて心の中でつぶやいた。これは、私がしたかったことだもの……。
「お礼か。ライサもそう言っていた……」
「ライサが?」
マイアはびっくりした。23が自分からライサのことを話すのははじめてだった。これまではマイアがしつこく訊いたので嫌々答えてくれていたのだ。
「いつだったか、彼女がワインを注ぐときに失敗を繰り返したことがあったんだ。ジョアナに厳しく叱られてね。二度と繰り返すなと言われたらしい。それがストレスになって次の時に、またこぼした。たまたま誰も見ていなかったから、俺が急に動いたと言ってかばった。まともに話をしたこともない俺に助けてもらったのがよほど意外だったのか、次の掃除の時にお礼をしたいと言ってきた」
「それで?」
「必要ない、落ち着いてワインを注げと言った。あの娘と話をしたのは多分それが最初で最後だったな。それから失敗はしなくなったし」
マイアは頬杖をついて聴いていた。ぶっきらぼうだけれど優しいあなたらしい話だね。
「誰かが応援していてくれるのって、とても心強いもの。きっとライサは嬉しかったんだよ。わかるな」
「そうかもしれないな」
23はコーヒーを飲んだ。
ライサのこと、今が訊くチャンスかもしれない。マイアは思った。今なら館の人が聴いている心配もない。
「一つだけ教えて。ライサは事故にあったの?」
マイアの問いに23は答えなかった。けれどその暗い表情と目をまともに見てくれない視線に、マイアはライサに何かが起こったのだと思った。彼はしばらく躊躇していたが、やがて口を開いた。
「ここに来る前に、健康診断を受けさせられただろう」
「ええ。なんだかとても大仰な」
マイアは顔を赤くしてうつむいた。23はそのマイアの様子にはさほど興味がなさそうだった。
「館で働くお前たちに期待されているのは、もちろん任された仕事をきちんとすることだ。だが、《星のある子供たち》である以上、常に別の期待もかかっている。潜在的配偶者と出会い《星のある子供たち》を産みだすことだ。健康診断はその可能性のない者を排除するためにあるし、現実に館では多くのカップルが生まれて人員がよく入れ替わっている」
「……もしかして、ライサは……」
23はマイアの問いを無視して続けた。
「青い星を持つ者は、赤い星を持つ娘に正式の宣告をすることで新しい《星のある子供たち》を作ることを強制することが出来る。かつてはそれは当然のことだった。だが、現代の男女同権や基本的人権の発想をもっている大抵の男は、嫌がる女に強制することはまずない。普通は同意を得るんだ。だが、そうでなかった場合、もしくは、同意は得たものの不本意な扱いを受けた場合、男の許を去ることは一年のあいだ許されない。その間、女にとって残酷な運命が襲うこともある。だがシステムはそれを抑止しない。竜の血脈をつなぐことが何にもまして優先するからだ」
「ライサは……」
「ライサは死んでいないし、肉体はどこも傷ついていない」
23はマイアの目を見て言った。彼女は証拠もないのに彼がそういっただけで一度安堵した。しかし、23が先ほどの話をした意図がつかめなくて不安になった。
「彼女はもともとは恋をした相手と一緒になったはずだった。だがその男は二つの顔を持っていた。甘い言葉で融かされた心が、恐怖に凍るのに時間はかからなかった。逃げたくても、それは許されなかった。そして、男の子供を身籠った。だが幸いというべきか、子供がきちんと胎内で育たなかった。ドラガォンにとっての最優先は子供だから、例外的に男のもとを離れて入院する事ができたんだ。そして、その時に心に大きな傷を受けていることがわかった。簡単に癒すことのできない傷だ」
マイアはようやく理解した。きっとライサの心は壊れてしまったのだろう。だから彼女はもう館にいられなかった。でも秘密を守るために、家族には彼女の居場所も状態も隠されている。でも、ライサを妊娠させ心に傷を負わせた青い星の男は一体誰なんだろう。館にいる男のほとんどが腕輪をしているのでマイアには想像もつかなかった。だが、23はもう少し踏み込んだ。
「どんな理由があるにせよ、こんな風に閉じこめられた生活をしていると大きな影響が出る。俺の場合は、体に出たが、必ずしもそういう形でひずみが表れるわけではない」
23の言っている意味が、はっきりとはわからなかった。けれど、閉じこめられたという言葉で朧げながら彼の示唆している人物のことが脳裏に浮かんだ。
「24のこと……?」
彼は否定しなかった。マイアは青くなった。コーヒーを飲み干してから彼は付け加えた。
「あいつには氣をつけろ」
- 関連記事 (Category: 小説・Infante 323 黄金の枷)
-
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(17)遠出 (19.08.2015)
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(16)休暇 (01.07.2015)
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(15)海のそよ風 (27.05.2015)
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(13)秘密 (25.03.2015)
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(12)礼拝 (21.01.2015)
- 【小説】Infante 323 黄金の枷(11)作業 (07.01.2015)
もしもオリキャラがパジャマパーティをしたら
もし、うちのキャラたちが勝手にオフ会を開いてパジャマパーティをしたら、誰がどんな恰好で参加するかなという、どうでもいい話です。うち、異様に作品が多いので、知らないキャラもたくさんいるかと思います。本編とはあまり関係ありませんし、単なる私のお遊びだと思ってください。
あまりに馬鹿馬鹿しいので、軽〜くスルーしていただければ幸いです。
目下ヒマであるオリキャラが時空と作品を超えて集まり、パジャマパーティをしています。どんな恰好をして、どんなものを食べて飲んでいるでしょうか。(今回はすべて各自持ち寄りです)
- 作品:大道芸人たち Artistas callejeros
- (稔)紺のかまわぬ(鎌と○とぬの字のついた)柄の白い浴衣。「俺って、粋だろ」アピールがうざすぎる。
- (ヴィル)白いTシャツにトランクスという、本当にいつも寝ている恰好で登場してひんしゅくを買う。
(拓人)濃いブルーのガウン。とっても高価なブランドもの(中は何も着ていないかも?)
【持ってきたのは】
レネの両親の作ったワイン2ダースの他に、ドイツのピルスナーと、イタリアのグラッパを持参。つまみは何故かスペインのタパス。イベリコ生ハム、鶏肉とオリーブの炒め物、魚介のパエリアなど。 - 作品:夜のサーカス Circus Notte
- (ステラ)ピンクの象さん柄の綿パジャマ。ヨナタンに「ペアルックしよう」と提案して静かに断られたらしい。
(ヨナタン)Tシャツに水玉模様のズボン。笑いを取る氣は毛頭ないチョイス。
(アントネッラ)浅草で売っている観光客用キモノみたいなペラペラ化繊浴衣。赤地にフジヤマ&舞妓柄。
【持ってきたのは】
ヴァルテリーナの赤ワインに、パルミジアーノ・レッジャーノとモルタデラ・ソーセージを持参。最高級バルサミコ酢に、パルミジアーノ・レッジャーノの塊をつけて食べるのが美味。 - 作品:樋水龍神縁起
- (摩利子)黒いベビードールに透ける生地の黒いガウン。求められている役割がわかっているらしい。
(一)どこかのスーパーで買ったスウェット。しかも安っぽい紫。空氣は読まず、センスもゼロ。
【持ってきたのは】
もちろん島根県産の日本酒を持参。仁多米で作ったものですよ。島根牛のステーキに、鯛めしと出雲そば。日本食に反応する稔に次々奪われている。しじみ汁も? - 作品:森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
- (レオポルド)「マツ○ンサンバ」のように金ぴかな着物で上様ルック。ウケを狙いすぎてキャラ崩壊。
(ザッカ)冷静に臙脂のベルベット・ガウンで登場。
【持ってきたのは】
中世らしく、豚肉の丸焼き、当時は高価だったグローブや黒こしょうに、ニンニクと粗塩をふんだんに使って蜂蜜と各種ハーブでマリネしてから。飲み物は当時のワインは美味しくなかったので、いろいろ加えてグリューワイン化したものを持参。他のメンバーの持ってきた現代のワインの美味しさに感動して瓶ごと奪いまくっている。 - 作品:Infante 323 黄金の枷
- (23)上半身裸は許されないので、海島綿の黒いパジャマ。無地。面白くないヤツだ。
(マイア)クマちゃん柄のフリースパジャマ。
(メネゼス)執事服。この人、夜寝るんだろうか?
【持ってきたのは】
ヴィーニョ・ベルデの白と、ラグリマ(白ポートワイン)を持参。巨大なバカリャウ(干し鱈)を持ってきたらしいが、誰も調理ができないのでただのオブジェ化。貝の形をしたお鍋、カタプラーナにシーフードがたっぷり、これは食べている。
![]() | 四人の仲間が旅するヨーロッパ。当ブログの一番人氣長編小説です。 |
![]() | 個性的なメンバーの活躍するサーカスの話です。 |
![]() | 「樋水龍神縁起」シリーズは、一応私の代表作ということになっています |
![]() | 現在連載中です。中世ヨーロッパ風世界のロマンス。 |
![]() | 現在連載中です。「五感で恋するポルト」がキャッチフレーズの恋愛小説。 |
- 関連記事 (Category: 構想・テーマ・キャラクター)
-
- オリキャラバトンをまたしても…… (20.07.2015)
- 【キャラクター紹介】結城拓人 (08.06.2015)
- 【キャラクター紹介】Infante 322 (18.05.2015)
- 「オリキャラ日常バトン 」やってみました (19.04.2015)
- 妄想だけで終わりそうな話 (25.02.2015)
- 先が見えない作品? (27.01.2015)
Insomnia
まず、トラックバックテーマに答えちゃいます。最低と言われれば六時間ですかね。これ以下になりそうだと、ちょっと「まずい」と思ってしまう最低ラインです。たとえば、明日は仕事だから、絶対に十二時には寝ないと、という感じで計算します。
でも、実はそれ以外にも、就寝時間が深夜十二時過ぎるのも嫌なのですよ。第一に、十二時過ぎると眠くて人の話を聴かなくなります。それに不機嫌になります。第二に、それ以後だと寝付きが悪くなります。だから、十二時に寝て六時に起きるのと一時にベッドに行って七時に起きるのでは、翌日の体調が違うのです。これは、私一人の話なんでしょうかね。
ちなみに朝寝はいつまででもできるタイプ。十二時までぐだぐだしているのも、何ともないのですが、スイスって国はね、人としてそういうのは許されないみたいで。土曜日の朝八時に郵便屋が来ちゃうんですよ。お店の開店も八時ですし、人としての最低ラインがたぶん日本よりも早起きみたいなんですね。義母に至っては八十すぎているのに毎日六時半に起きているらしいし。私なら定年後は毎日九時まで寝ていたいと思うんですけれどねぇ。
で、こちらから先は、不眠症のお話。
実は、スイスに来てからしばらくはひどい不眠症に悩まされていたのですよ。それが今ではいくらでも眠れるようになったという話を少し。
全く眠れないわけではないのですが、毎晩、十一時くらいにお布団に入っても二時くらいまではまったく寝付けず、寝ても何度も何度も起きてしまい、熟睡できないままというのが、一年以上ありましたかね。
その当時は、今のように普通のお勤めしていない無職だったので、体がだるければさらにぐったりしていれば済んだのですが、これが働いていたら全然仕事になりませんよ。
今でも、旅行などでたまにそういう状態になりますが、一晩くらいよく眠れなくたってなんともありません。なんせ毎日あんなでも生きていたんですから。
まあ、いろいろと不安だったのだと思います。異国だし、言葉もよくわからないし、勝手が違うし、経済的にも「こんなんじゃヤバい」だったし、あれで熟睡できる神経はかえって怖いかもしれません。
そういえば、「大道芸人たち Artistas callejeros」の主人公の一人ヴィルは不眠症ですが、私の経験が、そのキャラづくりに使われていたりするわけです。
で、どうやって克服したかというと。もちろん状況が変わって精神が安定してきたというのはあります。新しい住まい、仕事、言葉、それに生活サイクルがちゃんとしてきたんですね。それに加えて、いいマットレスにめぐりあえたということもあります。それに、これを言うと読者の方に殴られそうですが、私のベッド幅160cmなんですが、独り占めです。三回くらいゴロゴロしても下に落ちないんです。
そして、もう一つがホメオパシーです。
私は、いわゆる西洋の薬を可能な限り飲まないのです。そりゃ、命に関わる時には飲みますよ。抗生物質がないと死んじゃう時だってありますからね。でも、例えば風邪を引いたとか、頭痛がするというような時に「とりあえずお薬」ということはしない人なのです。
そういう人というのは、自然療法もしくは代替療法というものが効くんですね。ホメオパシーというのは、日本だと「エセ科学」扱いする方もいますが、ヨーロッパだと代替療法として追加保険料を払うと健康保険がつかえたりするくらいポピュラーに認められているのですよ。
で、なぜ私がホメオパシーを使うかというと、私がオカルト好きだからではなく、本当に効くからです。でも、信じているから効くのではなく、ちゃんと選ばないと効かない。自分で「これだ」思っているものではなくて、正しい選択をした時だけ効果があると実感しているから使うのです。
ここまで書いて「?」な方は、ホメオパシーなどというものは聞いた事もない方だと思います。簡単に言うと、「同じ症状を起こすものをごく微量与えると症状を抑えることができる」という療法です。例えば、玉ねぎのエキスを分子レベルまで水で薄めたものをしみ込ませた乳糖(レメディ)を摂ると、鼻水などの症状が止まるという具合です。
で、私はこのホメオパシーで、自分の体質にあったと思われるレメディを見つけまして、それはもともと咳やPMSの症状をなんとかしたくて摂った「プルサティラ(セイヨウオキナグサ)」だったのですが、それらの症状が治まったと同時に不眠症もなくなってしまったのですね。
ちなみにホメオパシーというのは、この人にこれが効いたから、全員に効くという類いのものではありません。だから、睡眠薬を飲むように、「プルサティラ」を飲んだからといって誰でも不眠症が治るというものではないのです。症状に対して効くのではなくて、その本人の体全体で一番合致するものが効くからなのです。ただし、ポテンシーのあまり高くないもの(薄めた回数がさほど多くないもの)であれば、効かないものを飲んだとしても副作用はありません。小さなお砂糖を舐めただけと同じですから。ところがも効くとなると劇的なのです。五分くらいで体に変化が現れます。「いや、お砂糖飲んでこれは変でしょ」と自分でツッコむくらいなのです。
私の大ざっぱすぎる説明で、ホメオパシーとは何かということを学ぶのは危険なので、興味を持たれた方は専門のサイトや書籍がたくさんありますから、調べてみてくださいませ。
で、不眠症を脱した私は、今度はお布団大好き娘になってしまいました。で、この記事のはじめに戻りますが、土曜日の朝っぱらから郵便配達に起こされて「ちっ」と思う、でも、スイス的には「まだ寝ていたんかい!」と思われてしまうしょーもない女になってしまったのでした。
こんにちは!FC2ブログトラックバックテーマ担当の前川です。今日のテーマは「 1日最低何時間寝たい? 」です。ようやく暖かくなってきましたね少し前まで、夜は早く寝て、朝はお布団の中でウダウダしてました最近まで毎日6時間ぐらいは寝てましたね昔から元々寝る時間があれば、遊んだり、趣味の時間を増やしたいと思ってました冬以外は最低4時間ぐらいの睡眠で頑張れますでも、寒い時期は起きたくても体が動きません。。...
FC2 トラックバックテーマ:「 1日最低何時間寝たい? 」
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
read more
- 関連記事 (Category: トラックバックテーマ)
-
- 林檎とリラの咲く頃 (16.04.2016)
- 「一年間で一番好きなイベントは?」 (06.03.2016)
- 「好きな声はどんな声?」 (17.08.2015)
- 「今一番掃除・整理したい場所」 (10.03.2015)
- 「趣味にかける毎月の費用は?」 (16.12.2014)
- 「あなたのカラダ、堅い?柔らかい?」 (24.11.2014)
【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(28)逮捕
……しますけれど、読者の評価は当たらずとも(以下自粛)頑張っているんですけれど、文人ですしねぇ……。少なくとも、言うべきことは、言ってます。これが精一杯だけれど……。
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(28)逮捕
王宮に戻ると、王はヘルマン大尉とわずかな護衛を連れて、執政室にラウラを連れて行った。彼女はそこで後ろ手に縛られ、床に座らされた。時を置かずにヘルマン大尉の副官、ブロイアー中尉が誰かを連行してきた。
最初に見えたのはやはり後ろ手に縛られたアニーだった。ラウラの姿を見るなりアニーは目に涙を浮かべて言った。
「申しわけございません。私の不手際のせいで……」
ラウラは首を振った。
「ラウラ様も……先生も……」
泣きながら小さく続けた言葉に、彼女は眉をひそめて、侍女を見た。それから、再び扉が開けられて連行されてきたのは、他でもないマックスだった。ラウラは自分の目が信じられなかった。
ブロイアー中尉が口を切った。
「マダム・ベフロアが、姫の侍女のこそこそした動きを不審に思い、ハイデルベル夫人付きのペレイラ嬢に進言したのです。そしてペレイラ嬢が内密に調べた所、この侍女が大量に血の付いた包帯を隠していることがわかりました。姫君がそのような怪我をしているのに医師に見せないのはどう考えても不自然と、誰の血痕なのか、侍女を拘束して尋問するつもりでおりました」
ヘルマン大尉が言葉を継いだ。
「私どもは賢者殿が、恐るべき陰謀についての情報を持っていらしたので、この女が偽物であるという事がわかり、陛下とこの女を探していました。その間に、賢者殿の従者として城に上がったこの者が、あろうことか拘束中のこの侍女を救い出し、この女の行方を聞き出そうとしたのです。当然すぐさま捕らえる事となりました」
へルマン大尉は、後ろ手に縛られたマックスを手荒に突き倒してラウラの隣に膝まづかせた。
彼女は蒼白になってレオポルドに懇願した。
「陛下。どうか、お聞きください。私の事は、ご明察の通りです。何の弁解もございません。でも、この方は、この事には全く加担していないのです。本当に何もご存じなかったのです」
「加担していないならば、なぜ侍女に近づき逃がそうとした」
レオポルドは厳しい目でマックスを見下ろした。ラウラはうなだれた。
「私が、私が巻き込んでしまったのです。先生は同情してくださっただけです。ああ、なんてこと」
レオポルドはもっと厳しい目でマックスを見据えると訊いた。
「この女の申す事は本当か」
「本当の事なぞ、どうでもいい。国同士の確執や陰謀にも関わりたくない。僕はただ、将来を誓った娘の命を救いたいだけだ」
マックスの言葉に、彼女ははっと顔を上げた。彼はラウラを見て頷いた。
「君を救って、二人で自由に生きたかった。それが不可能なら、せめて最後まで君の側にいる。君を一人で死なせたりなんかしない」
レオポルドはその二人を冷たく見ていた。先程よりも強い苛立ちと不快感が見て取れた。それをようやく押さえつけると、静かにヘルマン大尉に命じた。
「三人とも牢に入れろ。もちろん、別々にだ。情報が漏れぬよう、誰であるかはわからぬようにしろ。とくにその口の軽そうな侍女がものを言えないようになんとかしろ」
それからラウラとマックスに言った。
「勝手な事をすると、お互いの命に関わるぞ。考えるんだな」
三人が連れて行かれると、王はどっかりと椅子に座った。右肘をついて両目を手のひらで覆い、しばらくそうしていた。
戴冠してすぐ、一度だけ戦に負けた事がある。戴冠のどさくさにルーヴランに宣戦布告をされて西ノードランドを失ったのだ。あの時の背筋が寒くなるような焦りと不安を思い出した。国を治める事が怖くなり、何もかも投げ出したくなった。
背中を見続けてきた父はもうこの世にはいなかった。母は贅沢にしか興味がなく頼りにならなかった。ヘルマン大尉をはじめ、臣下のものは不安な瞳で、怯えていた。そう、誰も、先程の青年のように命を投げ出してでも状況を変えようとする強い勢いをもっていなかった。
ただ、父王が生涯師事し続け、自分の教育もしてきた年老いた賢者だけが、穏やかで光をたたえた目つきで、じっと待っていた。
「どのようにでも構いませぬ。王よ、決断なされませ。あなた様はこの国を率いなくてはならぬのです。年若いなどという言い訳は許されませぬ。ただ、決断なされませ。そして全てを背負うのです。それが王たるものの宿命ですぞ」
迷いを真に克服できたのは、同じ相手に挑んで今度は勝ち、領地を奪回できた時だった。
戴冠したてのレオポルドは、まだ自分が国を治める覚悟ができていなかった。父に仕えていた将軍をはじめとする廷臣たちも、若い王に対して信頼を寄せていなかった。彼らは覇氣がなく、それでいながら、それぞれのやり方に固執し命令系統がバラバラだった。
レオポルドは、父王に仕えていた軍人たち中心の指揮系統を一新し、経験は少なくとも若くアイデアに満ちて、レオポルドに従う若い軍人たちを中心に作戦を練り直した。その中心となったのが親友でもあるヘルマン大尉だった。その賭けが実を結び、全ノードランドを再びグランドロンのものとすることができた時に、レオポルドは真の王としての自信を持つことができたのだ。
今、あの時と同じ敗北感が襲ってきている。謀は未然に防がれたというのに。ルーヴランに騙された事ではない。噂の宰相ザッカならそれくらいの事はやるだろう。レオポルドは先程の二人の姿を思い浮かべた。かつて、叔母とその夫の睦まじい姿を見て胸に育てた小さな憧れ。来週には実現するはずだった未来。裏切られたのはその未来にだった。
「陛下。お邪魔して申しわけございません」
フリッツ・ヘルマンの声にレオポルドは不機嫌な表情のまま顔を向けた。
「なんだ」
「賢者殿が陛下にお話があると」
「陰謀の全容をそなたが聞いたのではなかったのか」
「それが、それとは別のお話だとおっしゃるのです」
「この件が終わってからにしてくれ」
「それが、どうしても今でないとならないとおっしゃるのです。断られたら、マリー=ルイーゼ王妹殿下のご遺言に関する事だと、お伝えしてほしいと」
レオポルドは眉をひそめていたが、たった今想っていた叔母の名に、意見を変えた。
「わかった。通してくれ」
- 関連記事 (Category: 小説・貴婦人の十字架)
-
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(30)失われた伯爵 (20.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(29)国王と貴婦人 -2- (13.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(29)国王と貴婦人 -1- (06.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -2- (15.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -1- (10.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(26)賢者の嘆き (02.04.2015)
「オリキャラ日常バトン 」やってみました
本当はオリキャラ一人を選んでやるものなんでしょうが、例によって現在連載中の長編からそれぞれの主人公を登場させて比較しています。
どうでもいいことですが、想像すると面白い。というか、作者の内輪ウケ的に面白いです。すみません、自己満足で。
この回答には若干のネタバレも含まれています。大したネタバレではないですが。
「オリキャラ日常バトン (13問)」
オリキャラの日常(?)を妄想して頂くバトンです!
指定キャラ:
Infante323(23)
from 「Infante 323 黄金の枷」
マクシミリアン・フォン・フルーヴルーウー(マックス・ティオフィロス)
from 「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」
- ■いつも何時起床だと思いますか?
- (23)午前七時。365日変わらず。勤務先まで徒歩1分。
(マ)バラバラ。旅の時は夜明け前に起きることもある。お休みのときはのんびり朝寝するタイプ - ■朝起きて、まず最初にすることは?
- (23)窓辺に行って、格子の外を見る。それから、シャワー浴びて着替える。
(マ)一緒にお休みになったお嬢さんが金品もってトンズラしていないか確認、かな? - ■髪型など毎朝どうセットしているのでしょうか?
- (23)ブラシで梳いてから、後ろで一つにまとめます。なんで長髪なんだっけ?
(マ)櫛で梳きます。中世なので整髪剤はあっても油くらい? - ■私服、どんな感じなんでしょう?
- (23)いつもおんなじ。白い襞の多いシャツに黒いズボン。同じ服を何着も持っている。
(マ)旅するときは動きやすく町民みたいな服。宮廷では緞子の上着なんか着ています。 - ■煙草は吸う派?吸わない派?
- (23)吸わない。吸う設定にしなかったからですが、そもそも、煙草吸う人は石鹸の香りなんかしませんよね。
(マ)中世なんで今で言う煙草はありませんでした。嗅ぎ煙草の仲間みたいなものは嗜んだ模様 - ■お酒は飲みますか?飲みませんか?また、お酒には強いですか?弱いですか?
- (23)飲みます。強いです。飲んでも全く変わりません。酔っぱらうこともありません。
(マ)飲みます。ちょっと陽氣になりますが、かなり強い方です。 - ■恋人とデートです!何着ていきます?
- (23)だから、いつも同じだってば。
(マ)女の階級によります。ラウラとデート……したことないぞ! - ■恋人に愛の言葉!なんて言った?
- (23)それは最高機密です。本編が完結するまで内緒です。
(マ)「迷惑だなんてとんでもない。私もあなたに惹かれています」って、自分から告れよ! - ■甘党?それとも辛党?
- (23)どちらかというと辛党でしょう。といっても塩辛い方かな。
(マ)食べられれば何でも食べます。でも、子供の頃はお菓子に目がなかったらしい。 - ■寝るとき、どんな格好してるんでしょう?
- (23)考えたことなかったけれど、たぶん上半身裸じゃないかな。縞しまパジャマとか考えられません。
(マ)中世の下着。ダボっとしているもの。たぶん。あ、女の子を連れ込んでいるときは裸かと。 - ■オリキャラさんはどんな匂いがするのでしょうか?また、香水なんかは使っているんでしょうか?
- (23)Real Saboaria社のFiligranaという銘柄の石鹸を愛用しています。その柑橘系の香りがほのかにするということになっています。
(マ)中世だから臭いんだろうな。想像しない方がいいと思います。宮廷に行くときは香水使っているはずです。ムスクやアンバーなどでしょうか。 - ■オリキャラさんが寝言!なんて言った?
- (23)「2004年はヴィンテージだぞ……いらないなら俺が飲む」
(マ)「次はノードランドあたりに足を伸ばして……金髪の女の子が多いらしい……」 - ■無防備に眠るオリキャラさんを発見しました。…どうする?
- (23)左腕に金色の腕輪をしている未婚女性に限られますが、まず執事メネゼスの所に行って、居住区に入るための鍵を貰ってください。それから階段を上がって、彼の寝室に忍び込む頃には、たぶん起きちゃって待っていると思います。なぜ夜這に来たのかとコンコンと説教をされて、それでもまだ襲うつもりがあったらアタックしてみてください。こじれている人なので成功率は低いと思いますが、ご健闘をお祈りします。
(マ)あなたが女の子なら黙ってお布団に潜り込みましょう。拒否されることはまずありません。男性はそっちは拒否されると思いますので、たたき起して一緒にお酒を飲むといいでしょう。 - お疲れ様でした!
最後に、回す方のお名前とその方のお子さんの指定をどうぞ! - ええと、やっても構わないよという方がいらっしゃいましたら、ぜひぜひ。
--------------------------
このバトンのURL:
http://www.baton-land.com/baton/796
バトン置場の『バトンランド』:
http://www.baton-land.com/
- 関連記事 (Category: 構想・テーマ・キャラクター)
-
- 【キャラクター紹介】結城拓人 (08.06.2015)
- 【キャラクター紹介】Infante 322 (18.05.2015)
- もしもオリキャラがパジャマパーティをしたら (27.04.2015)
- 妄想だけで終わりそうな話 (25.02.2015)
- 先が見えない作品? (27.01.2015)
- 長編の主役を狙うキャラたちの履歴書です (13.01.2015)
ある国の民であるということ
というのはさておき。今日は、ちょっと考えてしまったことを。

このブログを読んでくださる方の99%は、考える必要の全くないことなんでしょう。私もこれまではあまり考えなかったことなんですが。ここの所考えるのです。私は将来的にどこの国に属するべきなのかなあと。具体的に言うと、国籍の問題なんですよ。
私は日本生まれの日本人で、日本の文化を愛し、他の国の人間になりたいと思って国際結婚したわけではありません。たまたま嫁に貰ってくれたのがスイス人で、その男が日本に住むなんてどう考えても無理なので、私がスイスに来たというだけです。日本のパスポートは、スイスのパスポートと同様にどこでも行けるし、外国人だからといってスイスでそんなに苦労したことはないので、これまではずっと日本国籍のままでもいいかなと思っていたのです。
でも、思うんですよ。日本という国にとって、私って歓迎される国民なのかなって。日本の国民年金保険料は払い続けています。義務でもないんですけれど。でも、もう日本の税金払っていないんですよね。考えると日本で働いていた時間よりスイスで働いていた時間が長くなりました。
今は、スイスで働いて、スイスの税金と社会保険料を払っています。で、このまま老年になってじゃあ日本に帰りますって帰って、日本の国民年金貰って……生活できませんよね。どう考えても。厚生年金に当たるものを払っていたのは五年ほどなので、それでも足りません。スイスの年金はもらうことになると思うんですが。
もちろん、全然税金払ってこなかった身で、楽して生活できるような年金を日本からもらえたらどこかおかしいわけです。スイスでは、国民投票もさせてもらえない身で、とにかくいっぱい払っているんで、くれると言うものは堂々と貰いたいんです。でも、日本に帰るとなると、そういうわけにもいかなくなるんですよね。スイス人じゃないんで。
国籍って、あたり前すぎてさほど氣にしないと思いますが、「もし何かがあった時に、どの国が責任もって面倒看てくれるか」ってことでもあるんですよ。たとえば、どこかで連れ合いと一緒に拉致されてしまったとして、スイスは連れ合いの救出には頑張ってくれるでしょうが、私は外国の馬の骨、なんですよね。扱いとしては。
そこまで行かなくても、私が老女になって、貧乏で行き倒れ寸前だとします。スイス国籍を持っていたら間違いなく本籍に当たる市町村が責任を持って面倒を看てくれるんですが、外国の馬の骨は看てくれないと思うのです。かといって、日本の本籍地も面倒看てくれるとは思えないんですよね。特に今の日本を見ていると、日本国内にいる人たちに社会福祉を行き渡らせるのも大変そうで、スイスの田舎の村にいる何十年もいなかった国民の面倒を見る余裕なんてなさそうじゃないですか。
で、一度も考えたことのない「ところでスイス国籍をとるには」っていうのを、ちょっと調べてみたんです。資格はあるのはわかっていたんですよ。最低五年以上スイス人と婚姻関係にあるし、その状態は維持しています。スイス人の話す言語のうち最低一つでの意思疎通も出来ます。住まない限り絶対に習得できないスイス方言が聴き取れるんですから。でも、歴史や政治のことにとても詳しいとは言いかねます。試験があって結構撥ねられるらしいんです。スイス国籍はポピュラーでみんなが欲しがる上に、「ガイジンが多すぎ!」ということで、審査がキツくなっているらしいんですよね。
申請すれば貰えるんじゃないのか……。そう思った途端、少し後ろ向きになっている私。いや、スイス国籍貰ったら日本国籍はなくなっちゃうんで、いますぐどうこうってわけではないんですが、でも、定年までには考えておかないとなと思うんですよ。子供がいないので、老後にボケちゃったときのことなんかも考えておかなくちゃいけないし。でも、自動車免許じゃないんだし、一度撥ねられたら、もうだめなんじゃないの? なんて事も考えて、グルグルしていたりする私なのでした。
- 関連記事 (Category: 思うこと)
【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -2-
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(27)遠乗り -2-
「翌日、城の広間で山積みになっていた焼き菓子をごっそりと集めると、トマスが住んでいると言っていた村へ行った。ひどい状態だった。飢えていたのはトマス夫婦だけではなく、村にはろくな食料がなかった。山のようにあったはずの菓子は、一人一つくらいしか渡らなかった」
レオポルド少年は、そのことを教師のディミトリオスに訊いた。貧困と飢えに苦しんでいるのはトマスの村だけではなかった。ディミトリオスは貧困の連鎖について、わかりやすく説明してくれた。そして父王に簡単に貧困問題を解決できない事情も。
レオポルドは無力な少年である事を恥じた。旱魃が解消され、少しは状態が良くなってきた村人たちと少しずつ交流しながら、王宮では知り得ない事情を目の当りにした。ディミトリオスは、彼が時々王宮を抜け出して行くのを知っていたが、好きなようにさせておいた。トマスたちはディミトリオスのような系統だった教育は出来なかったが、若き青年に権力者として必要な健全な感覚を植え付ける事の出来る大切な教師だったからだ。権力を手にするまでに、王子が学ぶべき事は山のようにあった。
「国王になりさえすれば、トマスたちを簡単に楽な暮らしに導いてやれると信じていた。だが、もちろんそんな単純な問題ではなかった。トマスたちと『デュランの旦那』は友だちだが、王は自分の友だちだけを優遇する事は許されない。だから、王に出来る範囲で、ルールを変えて行くしかない。貧しい医学志望者の援助はそのわずかな成果の一つだ」
「大きな成果ですわ、陛下」
ラウラは静かに言った。なんという違いであろう。ザッカとともに見た、あの貧しく救いのない貧民街では、多くのルーヴランの民が無駄に死を待つばかりだった。彼らは終油の秘蹟は待っていたが、医者の診察などは夢みる事すら許されなかったのだ。
「見なさい。あそこが医学アカデミーだ」
レオポルドは、《シルヴァ》が終わり開けた日当りのいい所にある石造りの長屋を示した。城の近くにあった歴史のある建物の施設は古く、多くの学生が学ぶ事は空間的にも無理だった。かつては特権階級だけが入学していたので新しい入門者は年に二人か三人だった。だからそれでもよかったのだ。王位についてレオポルドはまず、この旧アカデミーに平民を入学させようとしたが、視察をしてそれが無理だと悟ったのだ。
「現在は、年間三十人の入学者でも問題はない。空間の問題を盾に、平民の入学を断っていたジジイどもは黙るしかなくなった」
レオポルドは笑った。
ラウラは、力なく横たわり死を待つだけのルーヴランの貧しい病人の事を思った。
「グランドロンに生まれた人々はたとえ病に伏せる事になっても希望があるのですね」
彼女の深いため息を聞いて、レオポルドは笑った。
「ルーヴランにはまだ民間の医学志望者が通える学校はないと聞いている。それならば、ここにルーヴランの者たちも受け入れよう。あちらで学校を立ち上げるまでの間、一人でも多くの医者を輩出できるだろう」
ラウラは驚いてレオポルドを見た。宰相ザッカはグランドロン人がルーヴランの民が死に絶えるのを待っているように言っていた。特にレオポルド二世は、ルーヴランの国力が弱るのを待って遅かれ早かれ併合するつもりだと。だから、その前に奇襲をかけなくてはならないのだと、そう彼女を説き伏せたのだ。ルーヴランの民を守るためには、グランドロンを倒し、フルーヴルーウー領を奪い、ルーヴランを豊かにする事、それしかないのだと。
けれど、そのレオポルド自身が、ルーヴランの貧しい民を国王エクトール二世以上に思っている。何もかも間違っていたのだ。自分は愚かな井の中の蛙だった。もっと別の形でこの王を知りたかったと、ラウラは思った。上に戴きたい君主とは、こういう人の事を言うのだと。たぶんこの王のためなら《学友》にされ鞭で打たれるとしてももさほど辛くなかっただろう。そして、自分はその人と国を滅ぼすためにここにいるのだ。
「その馬鹿げたヴェールを外せ」
レオポルドは不意に言った。
「余はそなたと腹を割って話している。きちんと目を見て話したいのだ。古くさい伝統はそれ以上に大切なことなのか」
「いいえ。私も陛下の目を見て話しとうございます」
ラウラは覚悟を決めた。全て終わりにするきっかけを待っていた。祖国を裏切り、哀れなアニーにも害が及ぶことになるが、それでもザッカの計画にこれ以上加担するつもりにはなれなかった。
ゆっくりとヴェールを上げると、王の表情がはっきりと見えた。彼の瞳は漆黒ではなくて濃い茶色だった。強い眸の光は信頼と好意に満ちている。だが、その黒い眉がふと顰まった。
「緑の瞳ではなかったのか。伝聞はあてにならぬな」
「違うのは瞳の色だけではございません。髪もこの色ではないのです。濃く長いヴェールをしなくてはならなかったのは姫の絵姿と似ていないからだけではなく、これをも隠さねばならなかったからでございます」
潤んだ瞳で王を見つめながらゆっくりと左腕を上げると、右手で袖をまくり上げて未だ完全には塞がっていない醜い傷痣を見せた。
レオポルドは、しばらく口を利かなかった。だがひどく驚いた様子も見せなかった。怒りに震えているようでもなかった。ラウラには彼の表情にわずかな失望の色が浮かぶのがわかった。
「そなたはいったい誰なのだ」
恐るべき冷静さだと思った。なんという精神力なのだろう。彼女は自分の声が震えているのを感じた。
「ラウラと申します」
「……。ラウラ・ド・バギュ・グリ、《学友》か」
「はい。《学友》でございます。けれど、バギュ・グリ家の者ではありません。名もなき捨て駒でございます」
その時、森の奥から蹄の音が聞こえてきた。
「陛下ーッ!」
ヘルマン大尉の声だった。樹々が大きく揺れると大きな黒駒が飛び出してきた。
「陛下! その女は、ルーヴラン王女ではございませぬ!」
いずれにしてももう露見したのだ。彼女は少しだけほっとした。少なくともこの国王に自分の口から言えたことを嬉しく思った。
「何事だ、フリッツ」
「賢者様が、先ほど登城され、ルーヴランとセンヴリの謀の情報をお持ちくださったのです。婚儀で城の守備が薄くなるのを狙って襲う計画だと……」
そう言いながら馬から飛び降りたヘルマン大尉はラウラにサーベルを向けた。
彼女は動かなかった。動いたのはレオポルドだった。サーベルとラウラの間に腕を伸ばして言った。
「よせ。フリッツ。この女はちょうど今、真実を語りだしていたところだ」
「陛下!」
「すぐに城に戻るぞ。いいか。我々が氣づいたことをルーヴランに悟らせてはならぬ。この女の尋問は城で極秘裏に行う」
「はっ」
ラウラは人ごとのように森の奥を眺めていた。
- 関連記事 (Category: 小説・貴婦人の十字架)
-
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(29)国王と貴婦人 -2- (13.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(29)国王と貴婦人 -1- (06.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(28)逮捕 (22.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -1- (10.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(26)賢者の嘆き (02.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(25)疑い (18.03.2015)
春が来たらしい & 今後の予定

日本のブログの皆さんのアップなさる、春爛漫の桜の写真に較べると、ささやかすぎて涙が出る感じですが、急に暖かくなってこちらの樹々も「そろそろ!」と騒ぎだしています。
この冬は暖冬だった上、三月はとても暖かかったのです。ところがイースターの前後からまた冬に逆戻りの感じで、洗おうかと思っていた真冬のコートに戻ったりしていました。それがここ二日ほど「初夏ですか(笑)」という暖かさなのですよ。
で、敷地内にある大家さんの梨の花が咲き始めました。この花、優しい感じで大好きなのです。そして、ずいぶんと立派な洋梨も成るのですよ。
さて、 このブログの今後の予定について、書いておこうかなと思います。年初から、いままでずっと企画ものが続いたままだったのですが、ようやく通常運転に戻りました。
そうなんです。今までのは通常じゃないんです。って、もう誰も信じてくれないかもしれないけれど。通常運転というのは「小説は週一本、他の記事が週一、二本」という状態です。いずれは「小説と他の記事を隔週で一本ずつ」なんてスカスカ運転も視野に入れているんですが、今のペースだと、永久にそんな所には辿りつけません。なんでだろ。
現在のメイン小説「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」がそろそろ終盤に差し掛かっています。六月の末くらいには完結する予定です。本当は五月中に完結するつもりだったのですが、最近文字数が多いので、一章を二つに分けたり、なんて事をやって少し伸びます。
「Stalla」用に連載している「Infante 323 黄金の枷」は、月一なので、きっと来年の今ごろまでは続きます。
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」が終わったら、「ファインダーの向こうに」という中編を連載しようと思っています。(正式には、この33,000字余りという文字数は中編とは言わないらしいのですが、私の分類では短編というには長過ぎます)「オリキャラのオフ会」にちらっと出てきたイタリア系アメリカ人の写真家の話です。この話が、私が思っていたよりも難産でした。最初は、「マンハッタンの日本人」でご迷惑をおかけしたTOM-Fさんへのお詫び掌編のはずだったのです。その要素も始めからの予定通り入っているんですけれど、それよりもぶち込んだサブテーマと、遊んじゃった設定とに振り回されてまとまりをつけるのに苦労しました。今週末に一応書き終えましたので、これから推敲を繰り返しますが、それでも予定通りに連載を開始できると思います。ちなみに「マンハッタンの日本人」の続編ではなくて、完全に別のストーリーです。
それ以外の連載は、今年は始めないと思います。あとは、「なんとかHit」とか「○○企画への参加」とか、そういうものだけにしようかなと。その分、「黄金の枷」三部作の残り二つと「大道芸人たち Artistas callejeros」を書き終えたいなと考えています。発表のし方は、また悩ましいんですけれど、「大道芸人たち」はブログで連載して、「黄金の枷」は別館かなと、ぼんやりと考えています。まだ、決定じゃないですが。
ここまでが、「公約」レベルの話。ここから先は「書く書く詐欺」程度だと思っていただければ。
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」には、高校生の時に私が作った原作(?)があるんですけれど、今回書き直したことで、いろいろと新しいキャラが生まれ、そこから新しいストーリーが派生してきています。某王様とか、某娼館のねーさんとかにも、もうちょっと活躍の場を。某宰相殿のその後の話なんかも。その辺が書けたらいいなあ、というのが一つ。
それから、「Infante 323 黄金の枷」が終わったら、次のStella用は、毎回読み切りに近いものにしようと思っているのです。「十二ヶ月の○○」シリーズを復活させるという案が一つですが、もう一つの案が「バッカスからの招待状」で、バー『Bacchus』を舞台にしたオムニバス。ま、そんな先の話をしてもしょうがないんですけれど。
その他に「書く書く詐欺」で放置している作品もけっこうあるので、書く楽しみの方は当分尽きそうにありません。読んでいただけるかという問題は、また全然別なんですけれど。
- 関連記事 (Category: このブログのこと)
-
- 66666Hitについて (12.10.2015)
- 今後の予定について (13.07.2015)
- 60,000Hitのリクエストについて (25.05.2015)
- 三年無事に過ぎました (02.03.2015)
- いろいろと、感謝を込めて (16.02.2015)
- 新年あけましておめでとうございます (01.01.2015)
【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -1-
大体、皆さんの予想の通りの状況になりつつあります。若干長いので二つにわけました。
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(27)遠乗り -1-

「おや。デュランの旦那。それが嫁さんですかい?」
貧しい身形をした男がいともたやすくレオポルドに話しかけたのでラウラは驚いた。
国王はそれに対して機嫌良く答えていた。
「そうだ。なんとかいう面倒くさい伝統で、まだ素顔を見せてはいけないそうで、結婚するこの余ですら顔をみた事がないんだが」
「なんとまあ。国王ともなると、そんな妙な伝統にも従わなくっちゃならんというわけですね。わしは国王じゃなかったおかげで、好みの女をかかあに出来ましたぜ」
レオポルドは簡単に肩をすくめた。
「顔はどうでもいいのだ。だが、王女ならどんな女でもよかったわけではない。だからもう一つの伝統は無視して、会いに行って決めたのさ。マリア=フェリシア、これは余の古くからの知り合いでトマスという靴屋だ」
「よろしく」
ラウラは戸惑いながらトマスに軽く会釈をした。
「本物の姫さんと口を利くなんてはじめてですよ。ようこそ、グランドロンへ。お幸せをお祈りいたします」
トマスと話している間に、家々の間から、やはり粗末な身なりの男や女たちがつぎつぎと出てきた。
「デュランの旦那だ」
「ああ、あれがルーヴランの姫さんだとさ」
口々に話す声が聞こえる。ルーヴランではあり得ない光景だった。
「陛下、この方々は……」
ラウラは小さな声で訊いたが、トマスには聞こえたらしくゲラゲラ笑いながら勝手に答えた。
「姫さん、この方はね、まだ王子だった頃に、身分を隠してよくこの辺りにお忍びでいらしていたんですよ。わし等は、どこかいい所の坊ちゃんだとは思っていたんですが、まさか王太子殿下とは夢にも思わんでね、名乗られるまま『デュランの若さん』なんて呼んで、靴の修理を教えたりしてね」
「それで、カレウス村での疫病はどうなったのだ。ねずみの駆除はきちんと行われたのか?」
レオポルドはトマスに訊いた。
「はい。例のお役人さんはやる氣がまったくなくて、駆除を請け負うシュルツのヤツとくだらない金額交渉に時間をかけているとお話ししましたよね。旦那が話を聴いてくださったおかげで、郡司のマーシャル様が自ら指揮を執るようになったんですよ。おかげで三日目には村はきれいになりましてね。寝込んでいる奴らも半分になっているそうです」
「医者は」
「もちろん、ボウマー先生やロシュ先生が足を運んでくださってます。粉屋のパウルが感激していましたよ。あいつお医者さんが村に来るなんて信じられなかったようで」
レオポルドは満足そうに頷いた。ラウラは宮廷で使うのとは違うトマスの言葉づかいに必死で耳を傾けていた。二人の会話の意味はようやく聴き取れていたが、本当に自分が耳にしている言葉が正しいのか自信がなかった。そんなことがあるだろうか。この貧しい人たちの所に医者が派遣されているというのは。
レオポルドと村人たちはなおも親しく会話をしていたが、トマスがふとレオポルドの後方に目を留めた。
「あれ、丘の方からけっこうな馬たちが来ますね。大方、ヘルマンの旦那たちでしょうね」
そう遠くに舞い上がる土ぼこりを見て笑った。
国王はうんざりした顔をして頭を振った。
「なんだ。もうみつかったのか。トマス、悪いがあいつ等を少し足止めしてくれ。少しは未来の花嫁と自由な時間が欲しいんでな」
そう言うと、レオポルドは再びラウラを軽々と馬に乗せて自分も飛び乗ると《シルヴァ》の中へと逃げ去った。トマスは笑って頷いた。
一刻ほど前、後宮のラウラが居る部屋にレオポルドは突然やってきた。
「マリア=フェリシア、そなたに見せたいものがある。ついてまいれ」
ラウラは驚いて「今でございますか」と訊いた。
「そうだ。うるさいフリッツを巻いてきた所だ」
そう言ってから彼は彼女の方をちらりと見た。
「こんな部屋の中でまでそのヴェールをしているのか。鬱陶しくないのか」
レオポルドだけでなく、誰にも顔や左手首の傷を見られるわけにいかないから、室内でも常にヴェールを被っていたが、そうでなくて部屋着でリラックスしていたらどうするつもりだったのだろう。いくら間もなく結婚する相手とはいえ、遠慮がなさ過ぎる。アニーは少々ムッとして、レオポルドに手を引かれてと部屋を出ようとするラウラの後を追った。
彼は振り向くと迷惑そうに言った。
「そなたは来ずともよい。氣のきかぬ侍女だな」
ラウラはつい笑ってしまった。それからアニーに「お前は少し休んでいなさい」と優しく言った。
それから、彼は慣れた足取りで後宮の目立たない所を通り、使用人の利用する出入り口からラウラを連れて外に出た。そこでは少年が分かった様子で馬を連れて黙って立っていた。レオポルドは「よくやった」と少年を褒めてから、軽々とラウラを抱き上げて馬に乗せ、自分もその後ろに座ってあっという間に王宮を抜け出して森へと入っていった。
そして、慣れた綱さばきで、トマスたちの村へと馬を走らせたのだ。だが、フリッツ・ヘルマン大尉もレオポルドとの付き合いが長い分、どこへ行ったかすぐにわかったらしく追って来たようだった。レオポルドはさらに馬を走らせて王宮とは反対側の道を進んだ。強引だが乱暴ではなく、ラウラも不思議と怖れを感じなかった。それよりも、先ほど彼とトマスが話していた内容に驚きを隠せなかった。
「陛下。こちらのお医者様は、貧しい者たちの所にでも診察に行くのですか?」
「ああ、診察費は王家が負担している。もちろん数が多いので、貴族が服用するような高い薬は使えない。だが、実際には正しい休みかた、清潔な処置、民間でも簡単に手に入る薬草などで救える命もたくさんあるのだ」
「お医者様が、派遣されるのを嫌がったりはなさらないのですか」
「ボウマーやロシュはもともと貧民の出で、疫病で両親を亡くしたからな。年々、平民出身の医者の数が増えているので、以前よりずっと状況はよくなっている」
「平民出身の方が、どうやって学費を?」
「学費を余が負担したのだ。ボウマーたちはずいぶんと肩身の狭い思いをしたらしいが、諦めずに医学を修めてくれたのは、高い医療費を払えない貧しい者たちを一人でも救いたいと言う熱情があっての事だ」
ラウラは黙って王の顔を見つめた。レオポルドは小さく笑った。
「はじめてトマスに逢ったのは、《シルヴァ》でだった。余は、単にお目付役のフリッツから逃れたくて馬で遠乗りに来ていた。ガリガリに痩せたトマスは苦くてまずい木の実を集めていた。それを食うのだと。そして弱った家内に持って行くのだと」
それから、レオポルドは少し遠くを見つめた。ラウラは黙って彼が続きを話すのを待った。
- 関連記事 (Category: 小説・貴婦人の十字架)
-
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(29)国王と貴婦人 -1- (06.05.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(28)逮捕 (22.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -2- (15.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(26)賢者の嘆き (02.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(25)疑い (18.03.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(24)姫君到着 (14.03.2015)
オリキャラのオフ会、ご参加ありがとうございました!
第一回「オリキャラのオフ会」 in 松江 にご参加くださいました、たくさんのブロガーさんに感謝いたします。おかげさまで、びっくりするほど盛り上がって楽しいオフ会になりました。
第一回に選んだのは、2015年4月8日、場所は島根県松江市でした。これは私が島根県松江市が大好きで、「島根県公認 島根応援サイト リメンバ〜 しまね」にも参加しているからです。
「オリキャラのオフ会」は、同じ日に特定の場所にオリキャラたちを集めて、それぞれの方が、小説・マンガ・イラスト・詩などを書くという企画です。
当日、そこにいるとわかっているキャラたちと勝手にすれ違ったり、交流したり、ドロドロのドラマを展開してもいいというコンセプトでした。
参加してくださったブロガーさんとキャラクター、その作品へのリンクをここに貼付けさせていただきます。それぞれが、とても上手に絡み合っています。よかったら全てを訪問して、楽しい雰囲氣を味わってみてくださいね。(参加表明の早かった順です)
TOM-Fさんのところからの参加者
セシル・ディ・エーデルワイスとアーサー・ウイリアム・ハノーヴァー
『出雲の祭日(Layer:3 Fairy Story)・前編 』
『出雲の祭日(Layer:3 Fairy Story)・後編』
山西左紀さんのところからの参加者
敷香 &沙絵 &敦子 &洋子
『ガントレットトラック』
ダメ子さんのところからの参加予定者
ダメ家三姉妹
『旅行(番外編)』
大海彩洋さんのところからの参加者
享志・杉下さん・真 のハリポタトリオ&マコト(タケルも?)
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(1)始まりは露天風呂 』
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(2)神の見えざる手 』
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(3)君を忘れない 』
けいさんのところからの参加者
満沢&ナオキ
『半にゃライダー3・番外 「オリキャラのオフ会・松江編」』
limeさんのところからの参加者(他の方の作品で目撃されちゃったキャラ)
リク&玉城&長谷川
cumbrousさんのところからの参加者(ただし4/9メイン)
カロル&ヘレナ・ルジツキー兄妹(松江城の夜桜見物)
『その日、歴史が動いた(嘘)~1919年?2015年?4月9日in松江~』
ポール・ブリッツさんのところからの参加者
ポール
『2015年4月8日夜、島根県松江市玉造温泉・長楽園、大露天風呂の奇妙な事件』
ふぉるてさんのところからの参加者
レイモンドとハゾルカドス(杖)
『らくがき:オリキャラオフ会in松江』
『オリキャラオフ会in松江・2』
『オリキャラオフ会in松江・3(完結)』
イラスト『おまけ(?)』
セシル・ディ・エーデルワイスとアーサー・ウイリアム・ハノーヴァー
『出雲の祭日(Layer:3 Fairy Story)・前編 』
『出雲の祭日(Layer:3 Fairy Story)・後編』
山西左紀さんのところからの参加者
『ガントレットトラック』
ダメ子さんのところからの参加予定者
ダメ家三姉妹
『旅行(番外編)』
大海彩洋さんのところからの参加者
享志・杉下さん・真 のハリポタトリオ&マコト(タケルも?)
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(1)始まりは露天風呂 』
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(2)神の見えざる手 』
『【学院七不思議シリーズ】番外編・松江ループ(3)君を忘れない 』
けいさんのところからの参加者
満沢&ナオキ
『半にゃライダー3・番外 「オリキャラのオフ会・松江編」』
limeさんのところからの参加者(他の方の作品で目撃されちゃったキャラ)
リク&玉城&長谷川
cumbrousさんのところからの参加者(ただし4/9メイン)
カロル&ヘレナ・ルジツキー兄妹(松江城の夜桜見物)
『その日、歴史が動いた(嘘)~1919年?2015年?4月9日in松江~』
ポール・ブリッツさんのところからの参加者
ポール
『2015年4月8日夜、島根県松江市玉造温泉・長楽園、大露天風呂の奇妙な事件』
ふぉるてさんのところからの参加者
レイモンドとハゾルカドス(杖)
『らくがき:オリキャラオフ会in松江』
『オリキャラオフ会in松江・2』
『オリキャラオフ会in松江・3(完結)』
イラスト『おまけ(?)』
私のキャラと参加作品
ルドヴィコ&怜子、和菓子屋「石倉六角堂」のメンバー(松江市在住)
谷口美穂(雲南市吉田町出身)&キャシー&ジョルジア
Artistas callejeros(生まれていないけれど時空が曲がっているので参加)
ヤオトメ・ユウ&クリストフ・ヒルシュベルガー教授
俺様ネコ(ニコラ)
瑠水&真樹(TOM-Fさんの所で目撃していただきました)
大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 ~ 松江旅情
(1)玉造温泉
(2)城のほとり
(3)堀川めぐり
(4)さくら咲く宵に
ルドヴィコ&怜子、和菓子屋「石倉六角堂」のメンバー(松江市在住)
谷口美穂(雲南市吉田町出身)&キャシー&ジョルジア
Artistas callejeros(生まれていないけれど時空が曲がっているので参加)
ヤオトメ・ユウ&クリストフ・ヒルシュベルガー教授
俺様ネコ(ニコラ)
瑠水&真樹(TOM-Fさんの所で目撃していただきました)
大道芸人たち Artistas callejeros 番外編 ~ 松江旅情
(1)玉造温泉
(2)城のほとり
(3)堀川めぐり
(4)さくら咲く宵に
- 関連記事 (Category: その他いろいろ)
-
- 日本語と文化を教えるクラス (01.04.2021)
- スポンサーサイト (01.04.2017)
- 月刊Stella 2015年6・7月合併号 参加者募集中です (13.06.2015)
- 旅行の最中です (07.09.2014)
- 『北人伝説』 (04.11.2013)
- Yaris! (14.08.2012)
【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(4)さくら咲く宵に
アメリカ組は八重垣神社に行き、Artistas callejerosは、昼から夕方まで宴会をしていました。そして、夕方。四人は宍道湖で夕陽を眺め、そして玉造温泉で打ち上げします。なお、私が書くのはここまでですので、話を上手く納める方、さらに混乱させたい方はどうぞご自由に!
【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ


あらすじと登場人物
大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
~ 松江旅情(4)さくら咲く宵に
「何やるの?」
キャシーは、八重垣神社の参詣がすんだ後に、奥の院にある「鏡の池」の前で、美穂に問いかけた。そこには、四人の女性がいて、池の水を覗き込んでいた。正確には、池に浮かべた紫色の紙のようなものとその上にのせられた硬貨を覗いていたのだった。
「で?」
「ほら、見て。さっき買ってきたこの占い用の和紙の上にね、ああやって硬貨を載せて浮かべるの。すぐ近くに沈んだ場合は身近な所に結婚に至るご縁があって、遠くに沈んだ時は遠方に、それにすぐに沈んだ場合は、すぐに……」
「でも、ご縁もヘったくれもあたしたち……」
「わかっているわよ。私たちは既婚だけれど」
美穂はそういってから、黙って写真を撮るのに夢中になっているジョルジアの方を見た。ああ、なるほど。キャシーはそういう顔をしたが、美穂がジョルジアを誘いにいったので、池を眺めている四人の女性の方を見た。
一人の女性が格別目立つ。顔は見えていないが、ボブカットの髪の毛はまるで真珠のように白く輝いていた。その横に二人の女性がいて、あれこれ話していたが待つのに疲れたのか、あたりを散策に行ってしまった。屈んでコインを見ていた女性は、顔を上げて白く輝くボブカットの女性の方を見た。その女性は、何かを考えているかのように、奥の院の緑深い樹々の方を見つめていた。風が通って髪の毛がサラサラと泳いでいた。かがんでいる女性は、深いため息を一つつくと、決心したかのように人差し指を伸ばしてコインをつついた。
「あ」
キャシーが言うと、二人の女性は同時にこちらを見たかと思うと、キャシーの視線を追って沈んでいくコインと、まだ濡れている女性の人差し指に視線を合わせた。
「だからね、ジョルジア、この和紙にコインを載せてね……」
ジョルジアを連れて、美穂がやってくると同時に、他の二人も池の周りに戻ってきた。
「あ。ついに沈んだの?」
そういうと、屈んでいた女性は首を振った。
「もう待っていられないもの。神様の手伝いしちゃった」
そう言って指を見せた。「やだあ」二人の女性の笑い声が響いた。
「お待ちどうさま。さ、次に行こう。ほら、敷香も」
そう言って、屈んでいた女性は、先頭に立って歩き出した。そして、キャシーの横を通る時に、少し切ない微笑みを見せてから会釈して通り過ぎた。
「キャシー、どうしたの?」
美穂が訊くと、キャシーはぽつりと答えた。
「あなたたちの神様って、容赦なく真実を語るんだ……」
「え?」
キャシーは、ジョルジアの方に向き直った。
「やってみる?」
ジョルジアは、首を振った。
「そんなことをする必要はないわ。神様に訊かなくたって知っているもの」
そういって、カメラを持って去っていってしまった。
美穂は、紫の紙を持ったまま、困って立っていたが「もったいないもの」と言って自分の財布から五円玉を取り出すとそっと紙の上に載せて水面に浮かせた。どういうわけだか、五円玉と紙は数秒も経たないうちに、手からほとんど離れない場所に沈んでしまった。
「わかりきったことをしなくてもいいのに」
キャシーが肩をすくめて、ジョルジアを追い、美穂も急いでそれに続いた。
夕方、Artistas callejerosの四人と茶虎の感じの悪い仔猫は、宍道湖夕日スポット(とるぱ)にいた。
「夕陽を見るためだけに、こんななんにもない所に来たのか?」
ヴィルは、例によって身も蓋もないことをいうが、蝶子と稔は無視した。レネは、既にセンチな心持ちになっている。『スズランの君』に貰ったハンカチを取り出して、泣く準備も完了だ。
直に、人びとが集まってきた。すぐ近くに、五十代くらいのとても品のいい金髪の女性が立って、その後ろからやってきたもっと年上の、しかし女性とよく似た風貌の男性が彼女のためにハンカチを広げて座るように促した。小声の静かな会話は東欧系の言葉のように聞こえた。それから女性がふざけてフランス語で「レマン湖に行ったときのことを思い出すわ」と言ったので。レネがびくっと振り向いた。
「あら、フランスの方?」
婦人は優しくレネに笑いかけた。
「はい。ご旅行ですか」
「ええ、そうね。そうと言えないこともないのだけれど……」
困ったように、連れの男性を見た。
「どうやら、紛れ込んでしまったようだが、あたふたしてもしかたないので、美しいと言われる城の桜を見学してから、もともと突然現れたこの湖畔に来てみたのだよ」
豊かな人生経験があって、たいがいのことでは慌てたりしない人のようだと、レネは感じた。会話の内容を英語に訳して三人に話した。すると、次からは二人も英語で話しだした。見事な発音で、二人ともひとかどの人物に違いないと思わされた。
「夜桜でしたら、私たちこの後、タクシーで千手院という所へ行くつもりなんですよ。よかったらご一緒しませんか。その後、私たちは玉造温泉へ行く予定ですが、その前にまたここへお連れしますけれど」
蝶子が言うと、二人は顔を見合わせてから頷いた。
「私は蝶子、こちらはレネ、稔、そしてヴィルです。お近づきになれて嬉しいです」
蝶子が手を伸ばすと、紳士は古風にその手にそっと口づけをした。
「私はカロル・ルジツキー、これは妹のへレナです。どうぞよろしく」
「ルジツキー?」
ヴィルが少し驚いた顔をしたので、ルジツキー氏は少しだけ笑って「ご存知ですかな」と言った。
「父が取引をしていた有名な財閥の名前と一緒だったので」
「ほう、失礼だが、お名前は?」
「エッシェンドルフといいます」
「というと、ミュンヘンの?」
「はい。やはり、あのルジツキーさんなのですか?」
「どうだろうな。お父様の名前は、ルドルフ・フライヘル・フォン・エッシェンドルフではないだろう? おかしく響くかもしれないが、ルドルフとはただの知り合いではなく友人なのだよ。彼は典型的なバイエルン人でね、非常にドイツ的なものと徹底的に反ドイツ的なものを同時に持っている。その分、我々の間にも傍目には理解できないであろう強い愛憎がある」
「……。六代前はルドルフでした。彼は十九世紀の生まれです」
「そうか。我が家もエッシェンドルフ家も、長く安泰のようで何よりだ」
他の三人は、ただ黙って何も聴かなかったことにした。
宍道湖はオレンジに染まっていた。嫁ヶ島のむこうに夕陽が静かに沈んでいく。湖面は静かに波立ち、平和な一日が暮れていく。あたり前のようでいて、全くあたり前ではない一日。平和であることの美しさに、彼らはしばし言葉を失った。
千手院で、多くの人びとと一緒にしだれ桜、枝華桜を見た時にも彼らは同じように無口になった。樹齢250余年の花は、オレンジ色のライトアップで妖しくも美しく咲いている。その間に起こってきた、人間たちの傲慢さや愚かさに満ちた行動も、それぞれの市井の人びとの歓びや哀しみにも、何も言わず、ただ黙々と毎年この美しい花を咲かせ続けてきたのだろう。
「ねえ、ルドヴィコ。あの人たち、今朝来たお客さんだよ」
その声に振り向くと、「石倉六角堂」で接客してくれた女性がそこにいた。レネがあまりに大量に買うので、稔と蝶子が大笑いしたので憶えていたのだろう。
「毎度ありがとうございます。お氣に召していただけましたか」
一緒に立っていた外国人が、あまりにもよどみない日本語で話したので、四人はびっくりした。
「ええ。とても綺麗な練りきりで、それに繊細な味付けでした。あなたもお店の方なんですか?」
蝶子が訊くと彼は頷いた。
「ええ。今朝の練りきりは僕が作りました。和菓子職人なんです」
「ええっ。こちらで生まれ育ったんですか?」
「いいえ、ミラノの近くです。こちらに来て、修行を始めて、そろそろ十年になります」
「げっ。なのに、俺よりも流暢な日本語」
稔がブツブツと言った。英訳を聴いて、レネ、ヴィル、ルジツキー兄妹も驚いて頷いている。
「十年勉強なさったのですか。では、ニホンシュとやらを飲んだわけではないんですね」
ヘレナがそっと訊いた。
「?」
流暢な日本語と日本酒とのつながりのわからないArtistas callejerosの四人とルドヴィコに、ルジツキー氏が説明した。
「先ほど、ここに来たばかりの時は、日本語がまるでわからなかったんですよ。でも、あるお店でニホンシュなるものを飲まされたら、二人とも突然日本語がわかって、話せるようになりましてね。残念ながら、それが醒めてしまったら、また全くわからなくなってしまったんだが」
「え? それは普通の日本酒ではないです。僕たち散々飲んでいますけれど、一度も日本語がわかったことないですよ」
レネは哀しそうに答えた。ルドヴィコもおかしそうに笑って肯定した。
「ここ島根は日本の神々の集まる、特別な場所なんです。建国神話にも深い関わりがありましてね。不思議な話もたくさん伝わっているのですよ。だから、そういう不思議な力のある日本酒があっても驚きませんよ。そうですよね、怜子さん?」
ルドヴィコに突然振られても、英語がわかっていない怜子は首を傾げた。彼が素早く日本語に訳したので、笑って頷いた。
「さてと、この二人は時空を迷子になっているらしいんだけれど、どこに連れて行ったら一番簡単に帰れそうかな。怜子さん、そういう場所のことを聞いたことがありますか」
稔がルジツキー兄妹を示しながら訊くと、怜子は少しだけ首を傾げた。
「さあ、どこでそういうことが起こっても不思議はないと思いますけれど」
「いま、一番行きたい所に行くのが一番じゃないですか? たぶんお二人が心惹かれる所が、そのスポットなんじゃないかな」
ルドヴィコが言葉を継いだ。
皆の注目を浴びて、兄妹は顔を見合わせた。それから、ヘレナが静かに言った。
「実は、こちらの四人が温泉に行くとおっしゃるのを聞いて、私も行ってみたいと思っていたんです」
「君もか。私も、できることならその温泉に行って、月見酒とやらを嗜んでみたいと思っていたのだよ」
「じゃ、決まりですね。行きましょうか。ところで、怜子さん、あなたたちもご一緒にどうですか? 私たち今日たくさんの方と知り合ったんですが、みなさん、玉造温泉に行くみたいなの。こんな不思議なことって、滅多にないでしょう?」
蝶子が言うと、ルドヴィコと怜子は顔を見合わせた。怜子が少し赤くなって下を見たけれど、ほぼ二人同時に頷いた。
「そうと決まったら、早速、移動しよう」
稔が言って、全員は笑いながら大型のタクシーに乗り込んだ。
桜の散りかけている花びらが吹雪のように湯面を覆っている。月が煌煌と明るい。奥出雲の方では、突然の嵐になって、樋水川は急に水量を増したと聞く。だが、玉造温泉は絶好の好天のままだった。
「さっきの宴会飯、上手かったよな」
ぴちゃんと湯を跳ねさせながら、稔は腹をさすった。昨夜入ったときは、蝶子しかいなかった大露天風呂に、今日はずいぶん沢山の人びとがいる。
特筆すべきは、もちろん昨日から目を付けていたかわいい姉妹三人組だが、その他にも、綺麗めの女性四人組もいる。びっくりしたのは、その中の一人がまたしてもオッドアイだったことだ。いったいどうなっているんだろう? それに、不思議な額飾りをした男もオッドアイだったな。
「あとでまた、宴会場に戻るんでしたっけ。また、別のご馳走がでるんでしょうか」
レネは、月を見るか、女性を見るか、それとも日本酒を飲むか、どれをしていいのかわからず混乱しながら言った。
「なぜ俺たちが余興を用意することになったんだ?」
ヴィルが当面の問題について話しだした。もちろん盃を傾ける速度は変わらない。
「一番ヒマそうに見えたのか、それとも大道芸人だから? なんか案はあるか?」
稔は、さりげなくカワイ子ちゃんたちを観察できるポジションをとりながら答えた。
「あ、あれはどうですか? このあいだ憶えさせられた、あの踊り」
レネが恐る恐る訊くと、稔は腕を組んだ。
「ハイヒールを履いて、ビヨンセの音楽で踊るやつか? ウケるのは間違いないけれど、あの時とメンバーが違うからな」
「今度のメンバーの男と言うと……満沢はバッチリだろうな。あれは役者だから」
「あの和菓子職人もイタリア人ですからね、ノリでは問題ないでしょう」
「高校生は?」
「『級長』って方は、ノリノリだろう。オッドアイの方は……」
「冷静に、何やっているんだと見つめられそうです」
「額飾りをつけた、オッドアイの男は?」
「風呂に入るのですら恥ずかしがっているのに、無理だろう」
ヴィルは盃を飲み干した。
「さっきの挙動不審男は?」
稔が言及しているのは、アメリカから来たという四人のうちの一人で、風呂の水に飛び込んだかと思ったら、急に妻にキスの雨を降らせた謎の男だ。いたたまれなくなった妻に引きずられるようにして風呂から出て行った。
「あれか。妻を人質に取れば何でもやりそうだな。だが踊りが上手そうには見えん」
ヴィルが切り捨てている。
「あそこの二人は?」
「猫に睨まれていた玉城とかいう男の方は、『義務だ』とか言えば、やってくれそうだ。美形の方は……」
「あの人にそんなことをやらせたら、僕たち、あの偉丈夫なお姐さんに首の骨折られそうです」
「それに、あのスイスの教授にも踊ってもらうんですか?」
レネがおずおずと訊く。稔は、手酌をしているヴィルから徳利を奪って、自分の盃を満たしながら言った。
「あのおっさんは、食べ物で釣れば、大抵のことはやりそうだ。もっとも見たいヤツがいるかな? それに、お前のご先祖様の友達は?」
ヴィルは眉をしかめた。
「やめた方がいい。あの人は、怒らせると怖いと思う」
「『スズランの君』と同行しているブロンドの長髪の人は……」
レネが訊くと、稔とヴィルは顔を見合わせ、それから同時に言った。
「命が惜しい。他の余興にしよう」
稔たちが、熱心に語り合っている時に、噂になっているとも知らず、セシルとアーサーは並んで大浴場の上にひろがる星空を見て語り合っていた。
「こんなにゆっくりとできるのは、本当に久しぶりだな、セシル」
「そうだな、アーサー。ここでもロンドンと同じ星が見えるんだな」
だが、湯氣が立ちのぼり、空にもヴェールがかかったようになっていた。
「ち。少し、晴れるようにするか」
セシルは、右手をすっと浴場の中心に向かって動かした。はっとして、アーサーが言った。
「やめろ。忘れたのか、今日ここには『ドラゴン』のエアー・ポケットが多数開いているんだ、下手なことをすると空間が予測不能に歪むぞ!」
その二人の動きが、わずかに空間を歪めた。一瞬だけ湯氣が完全に晴れ、おかしな渦が露天風呂の中を走った。
その少し前に、キャシーは、洋子と並んで日本酒を飲んでいた。先ほど八重垣神社の池に指でコインを沈めた女性だ。
美穂が、夫ポールの奇妙な行動に真っ赤になって、彼を引きずるように浴場から連れ出して消えると、それを面白くなさそうに見ていたキャシーの隣にいつの間にか来て、日本酒をついでくれたのだ。
「私、あなたとはいい友達になれそうって予感がしたわ」
洋子はそれだけ言うと、盃を合わせた。キャシーはニヤッと笑って言った。
「さっき、私もそう思った」
それから、日本酒を立て続けに何杯か煽ってすっかりほろ酔いになったキャシーは、「スタンド・バイ・ミー」を歌いながら、上機嫌で風呂の真ん中まで移動していた。両手を挙げて踊りながら。そこを、先ほどの渦が通り過ぎたのだ。
キャシーを覆っていた布が、ハラッとほどけた。途端につんざくような叫びをあげて、彼女はお湯の中に座り込んだ。事態を察知した洋子が、速攻で近くに寄り、布を拾って彼女の周りに巻き付けてやった。一秒後には、再び湯氣が辺りを覆った。
セシルの手を見ていたアーサーをはじめ、それぞれ誰かと話をしていた人物は、場面を見ていなかったが、二人だけ偶然キャシーの裸の上半身を見た人物がいた。一人が『級長』こと享志で、目撃した物をラッキーと判断していいのか、自分の良心に問い合わせていた。
それと、ちょうど対角線上にいて、キャシーの見事な胸を目撃した稔は、享志を見てぐっと親指を突き出した。「超ラッキー」という意味だ。それを見とがめたキャシーがすぐにやってきて、稔は散々お湯を引っ掛けられたので、享志はこの幸運については、自分の胸三寸におさめておくべきだと若くして学んだ。
俺様は、宴会場で風呂チームが戻るのを待っている。ここには、俺様をはじめとして四匹の猫がいる。猫と風呂は相いれないから、これでいいのだ。ニンゲンのくせに、風呂に入りたがらないヤツらも二人ばかりここにいる。イタリア系アメリカ人の女と、国籍不明の、額に飾りをした男だ。それぞれ事情があるのかもしれん。いずれにしても、他の彼奴らが食い散らかした残りのサシミや松葉ガニなどをほぐして俺様たちに食わせる係として使ってやっている。
俺様以外の三匹は、どれも甘え上手だ。白いヘブンは控えめなヤツで、俺様にも挨拶をした。「空氣を読む」猫の典型だ。世界的に有名な『半にゃライダー』ナオキは、スターの傲慢さが全くない。他の二匹にサインをせがまれて、背中に醤油に浸した肉球を押し付けていたが、どうせ価値のわからぬニンゲンどもが、数日でシャンプーしてしまうに違いない。
左右の目の色の違うマコトとやらは、やたらとアメリカ女に対して質問が多いが、ニンゲンが愚かでその言葉を理解していないことには氣がついていないらしい。だが、そのことを指摘してやるほど親切な俺様ではない。猫たるもの、ニンゲンが愚かであることは、自ら悟るべきなのだ。
さて、風呂組も、順番に宴会場に戻ってきている。最初にやってきたのが、やたらと妻に謝ってばかりいるアメリカ人とその日本人妻。妻は「もう、恥ずかしかったんだから」とか言って批難しているが、夫の方は謝りながらも妙に嬉しそうだ。言動が破綻しているぞ。
次にやってきたのは、ああ、この二人は彼奴らの中ではもっとも賢そうな兄妹。
「カロル、本当に楽しかったですね。これでいつ帰っても悔いはないわ」
「そうだな。いい経験だった」
なかなか品のいい二人だ。この二人の所になら、飼われてやってもいいかなと少し思う。毎日美味しいものも食えそうだしな。と思ったら、突然二人は姿を消した。なんと。『根の道』が再び開きだしているらしい。
それを見ていた、額に飾りをつけた男も、はっとしてその閉じかけている『根の道』に飛び込んだ。なんだ、こやつも帰るのか。だが、アメリカ女よ。お前はもう少しここにいて、俺様たちにその白身魚をほぐすがよい。そこのしじみもな。
「じゃあ、やっぱり『半にゃライダー』ごっこでもするか。ちょうど満沢とナオキもいるし」
「俺はまたあのアバンギャルドな髪型をしなくちゃいけないのか」
「テデスコ。サムライ役は格が上なんですよ。ところで、そうなると入浴シーンは?」
「お蝶が、まだ入っているだろ。お色氣シーンは、あいつの独断場だ」
「ああ~、いい湯だった」
「よし。続きでここで飲むぞ!」
そう言って、ぞろぞろとうるさいヤツらが戻ってきた。ちっ。俺様たちの食べ放題はこれでおしまいか。うむ。早く次のオフ会をしてくれないかな。俺様としては、次回は北海道辺りで開催してもらいたいものだ。なんせ、うまい海の幸には事欠かないからな。
(初出:2015年4月 書き下ろし)
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
read more
- 関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
-
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(3)堀川めぐり (05.04.2015)
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(2)城のほとり (20.03.2015)
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(1)玉造温泉 (16.03.2015)
- オリキャラのオフ会やりましょう (05.03.2015)
樋水龍神縁起の日です

2011年から2012年にかけて書いた小説、「樋水龍神縁起」四部作では、重要な日付が二つほどあります。一つが「千年祭」で、これは2012年10月30日でした。「六白の年、六白の月、六白の日」が重なる満月です。しかも、辰年でした。この日は私の小説「秋、白虎」の中では、「龍の
そして、それから891日、すなわち九×九九日後、今度は「三碧の年、三碧の月、三碧の日」がめぐってきて期が満ちるのです。三碧は四神相応の方位では青龍にあたります。そして、私の作品「春、青龍」の中ではこの日に、新しい川「
「大道芸人たち Artistas callejeros」が未来の話になってしまったのも、オリキャラのオフ会を強引にこの日に設定したのも、暦でこれだけの特別が揃う日が、他に見つけられなかったからです。反対に、たまたま書き終えて発表しようと決めた年が「千年祭」の歳だったことや、その歳からブログをはじめたこと、創作を再びものすごい勢いでし始めたことなど、とても偶然とは思えず、私にとっては思い入れのありすぎる二日です。そう、この二日、何かの元ネタがあってそれをパクって使ったのではありません。暦を見ていて自分で見つけたのです。普段そんなインスピレーションが湧くタイプではありませんので、やはりこれの執筆中は、何かがいつもとは違ったのだと思います。
そして、「千年祭」の日に、ブログの記事で「891日後にもこのブログを続けていられるといいなと思います」と書きました。ええ、続けていました。それどころか「オリキャラのオフ会」を企画していました(笑)
「樋水龍神縁起」は、私の作品の中では若干異質な上、読者も限られている作品です。が、一番大切な作品を一つ選べと言われたらこの作品になると思います。再生した私の最初の作品であると同時に、言いたいことを全て網羅した作品、そして、二度と書けない類いの作品です。
「樋水龍神縁起」本編 あらすじと登場人物
官能的表現が一部含まれるため、成人の方に限られますが……「樋水龍神縁起」四部作(本編)は別館にPDFでご用意しています。

- 関連記事 (Category: 樋水龍神縁起の世界)
-
- 「樋水龍神縁起 東国放浪記」の脳内テーマ (16.09.2018)
- 「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」座談会 その2 (18.10.2013)
- 「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」座談会 その1 (22.06.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 8 - (18.05.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 7 - (04.05.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 6 - (13.04.2013)
【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(3)堀川めぐり
TOM-Fさんの所のセシルとアーサー、それに彼らの目撃情報によると彩洋さんちのハリポタトリオ、けいさんのところの「半にゃライダー」コンビも目撃されている界隈、まだまだ目撃情報が続きます。すみません、ストーリーもへったくれもなく、食べて飲んで見学して騒いでいるだけです。なお、私以外誰も知らないイタリア系アメリカ人キャラが一人登場しています。「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の終わった後に連載する中編の主人公です。知らなくても心配なさらずにスルーしてください。
【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ


あらすじと登場人物
大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
〜 松江旅情(3)堀川めぐり
「参りましたね」
レネは、辺りを見回した。ヴィルの表情は変わっていないが、困っているのは彼も同じだ。よりにもよって、なぜ日本人二人とはぐれてしまったのか。しかもこんなジャパニーズな場所で。
松江城の見学が終わってから、四人は一緒に塩見縄手と呼ばれる通りまではやってきたのだ。そして、武家屋敷の中を一緒に見学することにした。松江藩士たちが住んだ屋敷で、二百七十年前のものがとても良い状態保存されているのでショーグンの時代にタイムスリップしたかのようだとレネは大喜びだった。
それだけなら良かったのだが、ついうっかり「お休み処」に心惹かれて、庭を見ている蝶子や稔と離れてしまったのがいけなかったらしい。レネを引き止めにきたヴィルも巻き添えで迷子になってしまった。
「そんな遠くには行っていないはずだ。次にはコイズミなんとかに行くと言っていたから、そこを探せばいいだけだろう」
ヴィルは通りを見回した。
問題は、二人とも日本語が全く話せないということだった。そして、日本人たちというのは、外国人が簡易な英語で話しかけると、どういうわけだか、一様に意味不明な笑みを見せて逃げていってしまうという謎もあった。
「ああ、日本人じゃない人がいましたよ!」
レネが嬉しそうに叫んだ。ヴィルが振り向くと、門の前に、褐色の肌を持った女性が立っていた。どうやら彼女は写真を撮っている別の女性たちを待っているようだった。
「ちょっとお伺いしていいですか」
レネが近づくと、彼女は振り向いた。そしてはっきりとしたアメリカ英語で答えた。
「どうぞ」
「どうやら俺たちは仲間の日本人たちとはぐれてしまったようなんだが、コイズミなんとかにはどうやったらいけるんだろうか」
ヴィルが訊いた。
彼女は、肩をすくめてから、庭をみている二人の女性のうちの一人に英語で声を掛けた。
「ミホ! コイズミなんとかって知っている?」
写真を撮っていた白人女性に一声かけてから、日本人女性がこちらに歩いてきた。
「ええ、すぐ側よ。このあと、私たちもそこへ行こうかと思っていた所だわ。でも、こちらは裏門だから、ここで探しても見つからないわよ」
ヴィルとレネは安心して頷いた。アメリカ英語だが、話の通じる女性がいたのはありがたい。
「すまないが、連れて行ってくれるとありがたい。俺はヴィル、こっちはレネだ」
「よろしく。私は美穂、こちらはキャシーです。それから、あそこで写真を撮っているのは……。ジョルジア! そろそろ行くわよ。じゃ、行きましょうか。ところで、その足元の猫は、あなたの?」
そう言われて、足下を見ると、茶虎の仔猫がじっとこちらを見上げていた。見上げているというよりは、睨んでいると言った方がいいかもしれない。一度も見たことのない猫だった。
「いや、僕たちの猫じゃありません。なんか、おっかない猫ですね」
レネが狼狽えた。

「そう、今日は、やけにたくさん猫がまとわりつく日なのよね。さっきも茶虎の仔猫にあったんだけれど、そっちはやけに可愛くて、しかも目の色が左右で違ったのよ」
キャシーが言うと、ヴィルとレネは顔を見合わせた。二人とも、今朝あった『スズランの君』と、昨日旅館で逢った高校生のことを思い浮かべていた。オッドアイの猫が、二人のオッドアイの人たちが偶然来ている街にいる? どんな確率で起こることなんだろう。
「それに、ニューヨークでも大人氣の『半にゃライダー』のロケ現場にも出くわしたの。本物のナオキを見られるなんて、日本に帰って来た甲斐があったわ」
美穂が嬉しそうに言った。『半にゃライダー』? どこかで聞いたような……。
「あっ。以前、バイトをしたあの番組!」
レネが叫んだが、ヴィルは、ため息をついた。
「ついさっき、お城でショーをやっていたじゃないか。あんたはどうせ団子屋しか見ていなかったんだろう」
「あ、あのショー、あなたたちもご覧になっていらしたんですか? ラッキーでしたよね。『やにゃれたらにゃり返す。あなたには500倍返しにゃ。それが私の流儀なんでにゃ』あの決め台詞を聞けたなんて」
美穂がうっとりとするのに心動かされた様子は皆無で、ヴィルはキャシーに訊いた。
「あんたたちも、あのマスクを被った猫のファンか?」
キャシーは肩をすくめた。
「よくわからないわ。ああいうのは子供のためのものだと思うんだけれど、日本人にとっては違うみたいね。ジョルジア、あなたはどう思う?」
そう言って振り向くと、連れの女はまた遅れていた。写真を撮るのに夢中になっているらしい。
「ジョルジア! 今日くらいは仕事のことは、忘れなさいよ! 今度はあなたがはぐれるわよ」
レネとヴィルは、急いでこちらに向かってくるその女をちらっと見た。黒いショートヘアに飾りのない白いTシャツ、ジーンズにGジャンという少年のような佇まいで、どうやらスッピンのようだ。だが意外と整った南欧系の顔立ちだ。「
「イタリア語も話せるのか」
ヴィルがイタリア語に切り替えて訊くと、少し驚いたが首を振った。
「私はニューヨークで育ったの。相手の言っているイタリア語はわかるんだけれど、ちゃんとは話せないの。あなたたちの方が、私よりずっと上手だわ」
「だって、僕たちは、年の1/3くらいはイタリアにいるんですよ」
「そう」
威張った顔つきの仔猫は、五人にしっかりついてきている。話が分かっているみたいに、時々、バカにしたようにこちらを眺めるのがおかしい。
「ああ! いたいた!」
「おい、お前ら、探したんだぞ!」
小泉八雲記念館のすぐ前にいた蝶子と稔が近づいてきた。
「すみません! つい、うっかり」
レネが謝ったが、その時には二人は、新しく増えた連れの方に興味を示していた。
「へえ。ニューヨークから来たんだ。女性三人で?」
「ううん。ここにいるミホの旦那も入れて四人で。この子たちはサンフランシスコでイタリア料理店を経営しているの。せっかくだからミホの故郷を見にこようってね。私と、ここにいるジョルジアは生まれてからずっとニューヨーク在住。この人は、私の勤めている食堂のお客さんで、フォトグラファーなのよ」
キャシーが簡単に説明した。稔は不思議そうに美穂を見た。
「旦那さんは?」
彼女は肩をすくめた。
「なんだか旅の途中から、様子がおかしくて。具合が悪いのかと訊いてもなんでもないって言うし。なれない長時間旅行で疲れただけだから、三人で観光して来いって言われちゃったの。何度か電話を入れているんだけれど、急病ではないみたいなんで、少し休んでいれば治ると思うんたけれど」
「ジェットラグかしらね?」
蝶子が言って、「小泉八雲記念館」の入り口をくぐった。六人はそれに続いた。
後に小泉八雲と名乗ることになったラフカディオ・ハーンはギリシャで生まれ、アイルランドやフランス、アメリカで暮らした後に、明治23年、日本へやってきて島根県の尋常中学校と師範学校の英語教師となった。そして、松江に住み小泉セツと結婚した。橋姫伝説などの怪異譚を知り、後に『怪談』をはじめとして、多くの日本の伝説や文化について海外に紹介する原点となった松江生活だが、実際には一年と三ヶ月ほどしかいなかったと言う。
「大雪と冬の寒さに堪えたんですって」
展示を見ながら蝶子が言うと、稔が頷いた。
「ここは山陰だからな。降るときはすごいんだろうな」
「春に来て正解でしたよね」
美穂も頷いた。どういうわけか足元の猫も頷いていた。
「私たちこれから堀川遊覧船に乗るんだけれど、よかったら一緒にどう?」
そう蝶子が訊くと、アメリカ組三人はすぐに頷いた。
松江城の堀川は3.7km、所要時間55分で城の周りを一周する遊覧船がめぐっている。すぐ近くにあった乗船場で七人は同じ舟に乗った。
「その猫もですかい?」
そう訊かれて足下を見ると、まだ茶虎の猫がそこにいた。「当然」という顔をされて、周りを見回してから「しかたないな」と抱え上げたのは稔だった。
船頭はなかなかのエンターテーナーで、松江城や松江藩の歴史をよどみなく話し、さらには「松江夜曲」なる歌まで披露してくれた。もっともガイジン比率が高く、内容をわかっていたのは限られていたが。
岸辺と松江城の桜が見事だった。春の陽が波立つ川に反射してキラキラしていた。泳いでいた魚がぴちゃんと跳ねると、仔猫はびくっとして、稔にしがみついた。
「なんだ、魚が怖いのか?」
そういうと、「失敬な」という目つきで睨んだ。稔は「しょうがないな」といって、猫の尻尾の付け根あたりをこすってやった。一瞬、きっと睨んだが、そのポジションからいっこうに動かない所を見ると、もっと撫でろという意味なのかもしれない。周りの全員が桜や松江城を堪能しているのに、どうして俺だけこの猫の面倒を看ているんだろうと、稔は首を傾げた。
一周して同じ発着所で遊覧船を降りた。代わりに乗り込んできたのは、三人組の日本人だった。男性が二人と女性が一人。一番前が、ふわりとした栗色の髪に大きい瞳が印象的な美青年。その後ろから長い髪を後ろで縛っている筋肉質で背の高い女性が乗り込んだ。一番後ろの黒髪で鼻筋が通り切れ長の目の青年は、ハンサムと言っても過言ではないのだが、どういうわけか頼りない印象を与えた。彼は城の桜を撮影していたが、女性に「玉城、船頭さんが待っているんだから、さっさと乗れ」と叱られていた。
稔にくっついていた仔猫は、すぐにその青年の所へ行って、批難のまなざしで見上げた。稔と背の高い女性の二人は、それに同時に氣がついて、顔を見合わせて笑い出した。船の中で桜を見ていた美形の青年と、カメラをしまって舟に乗り込もうとしていた玉城と呼ばれた青年は、何があったのかわからずにぽかんとして、女性と稔の顔を交互に見た。それから、玉城青年が足元の茶虎の仔猫に睨まれていることに氣がつき「ひゃっ」と言った。それで、こんどはその場にいた全員が笑った。
それから仔猫はすっと稔の横に戻ってきた。会釈を交わすと、三人組をのせた遊覧船は、岸を離れていった。
そのまま七人で昼食をとることにした。発着所の隣に『松江・堀川地ビール館』という建物があり、最高級の島根和牛を焼き肉で食べることができる。七人という大所帯なので、コースの他にいろいろな肉や野菜を少しずつ頼んで、地ビールも堪能した。
「なんだ、このビール。やけに美味いな」
ヴィルが首を傾げると、稔と蝶子はガッツポーズをした。
「インターナショナル・ビア・コンペティションで何度も入賞しているんですって。ドイツのビールにも負けていないでしょう?」
レネとヴィルは頷いた。キャシーはいける口のようで、陽氣に騒いでいた。一方で、ジョルジアはビールではなく島根ワインを頼み、静かに食べていた。
島根和牛の美味しさは、格別だ。ヨーロッパの煮込まないと食べられないような大して美味しくない牛肉に慣れているArtistas callejerosの四人も、それから量だけはあるが大味なアメリカンビーフに慣れているアメリカチームも、焼き肉を食べるときはしばし無口になった。
「ああ、日本の食事って、おいしいですよね」
霜降り和牛と一緒に食べているお替わり自由のご飯を噛み締めるように、美穂が言った。
「カリフォルニアなら和食なんて珍しくもないかしら?」
蝶子が訊くと、美穂は首を振った。
「日本料理店は多いですけれど、私はほとんど行かないんです。なんせ自分自身がイタリア料理店で働いているので」
「じゃ、家で和食ってこともないんですね」
レネが訊いた。美穂は首を振った。
「和食って手間がかかるでしょう。仕事以外ではあまり調理に時間をかける氣にならないんで、食べたくて死んじゃうって時じゃないと、なかなかね」
「さっき懐石料理とかいう料理のパンフレット見せてもらったけれど、手が込んでいるんだものねぇ。あれを仕事のあとに作るなんて、私も嫌だな」
キャシーが言った。稔も蝶子も、懐石料理を家庭で作るわけないだろうと思ったが、家庭料理との違いについての説明が面倒だったのでスルーした。
「みなさんは、これからどうするんですか?」
美穂は稔に訊いた。
「松江フォーゲルパークに行こうと思ったんだけれど、ガイジンたちがもう動きたくないって言うんで、諦めて夕方までここで酒でも飲んでいようかと思っているんだ。宍道湖の夕陽を見た後、千手院のしだれ桜を見て、それから玉造温泉に戻るよ」
「えっ。玉造温泉にお泊まりなんですか? 私たち『長楽園』に泊るんですが」
「へえ。偶然だな、同じ宿だ。じゃ、また逢えるな」
「ええ。じゃあ、私たちは『八重垣神社』へ行ってきますから、後でまたお逢いしましょう」
美穂と、キャシー、そしてジョルジアは手を振って、出て行った。
四人はそのまま地ビールとつまみで本日の宴会の第一弾を始めた。茶虎の仔猫は「しかたないな」という顔をして、大騒ぎする四人を片目で見てから丸まった。
(初出:2015年4月 書き下ろし)
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
read more
- 関連記事 (Category: 小説・松江旅情)
-
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(4)さくら咲く宵に (08.04.2015)
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(2)城のほとり (20.03.2015)
- 【小説】大道芸人たち 番外編 - 松江旅情(1)玉造温泉 (16.03.2015)
- オリキャラのオフ会やりましょう (05.03.2015)
Frohe Ostern!

二年前に「復活、おめでとう」という記事で書いたので、もう詳しくは書きませんが、復活祭というのは毎年日付が変わります。で、今年はこの日です。満月が昨日でしたからね。春分の後の最初の満月の直後の日曜日は今日なんですね。
春が来て、大地が息を吹返す季節。昼が夜よりも長くなり、花が咲き、人びとが掃除をしたり、自転車を引っ張りだしたりする時。
私は、(あまり敬虔ではない)カトリック教徒です。まあ、葬式仏教を信じる日本人程度に、と考えていただけるとわかりやすいでしょうか。キリスト教でそんな信じ方があるかと言われると困ってしまうのですが、その程度です。
それよりも、私は人びとの信仰の源、カトリックといった宗教のカバーに覆われて、太古から脈々と繋がる人びとの想いや祭りというものを尊重しています。春が来たことを喜び、太陽の復活を誉め歌え、命の息吹を感じる。それが復活祭の原点であると感じるから、一緒に祝っているのです。
それと同時に、移り変わり、緩やかに途絶えていきかけている何かが、再び復活してくれるといいなと願う日でもあります。諸行無常ですから、いつまでも同じということはないとわかっていても、できれば息絶えないでほしいなと願う、いくつもの事象について想いを馳せていたりします。
そんなことはさておき、今日は卵料理をを楽しもうと思います。
今朝は、昨日から仕込んでおいた「フレンチ・トースト」を食べます。「ホテルオー○ラ風」というには、漬けてある時間が足りない。そう名乗るには24時間も漬けておかなくちゃいけないらしいですが、私は12時間くらいです。
それに、土鍋プリンって、日本ではもう長く流行っているんでしょうか? 私は最近知ったんですが、簡単に大量のプリンができるんですね。土鍋あるんで、作ってみます。前に作ったときはちょっとスが入ったので今日は二度目のトライです。
みなさん、素敵な春の一日を!
- 関連記事 (Category: 旅の話 / スイス・ヨーロッパ案内)
-
- アルザスをドライブ (12.09.2015)
- ライン河を遡る (05.09.2015)
- ロマンシュ語について (27.07.2015)
- サンティアゴ・デ・コンポステラ (24.03.2015)
- カーニヴァルの季節が来た (02.02.2015)
- お城行きの顛末 (06.01.2015)
【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(26)賢者の嘆き
今回、プロローグから引きずってきた一番大きな伏線をようやく回収しました。伏線読みの皆さんにはとっくにおわかりになっていたと思いますが。そう、これが出てきたということは、もうあとは風呂敷を畳む一方です。
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架
(26)賢者の嘆き

「お前は、氣が違ったのか」
ようやく帰ってきたと思えば、なんということを。ディミトリオスはマックスの話が上手く飲み込めなかった。青年は、帰ってくるなり懇願したのだ。
「どうかラウラの命を救って下さい」
老賢者には何のことか全くわからなかった。それから、マックスがルーヴランの策略、つまり婚礼の日にセンヴリとともに攻めてくることを口にすると、信じられなくてただ首を振った。
「世襲王女を犠牲にしてか?」
「王女ではないのです。ザッカのやつ、はじめからラウラを犠牲にするつもりだったのだ。ラウラは全て承知でここに殺されに来たのです」
「ラウラとは何者だ」
老師が訊くと、マックスはディミトリオスをまっすぐに見つめた。
「王女の《学友》です。そして、僕と将来を約束した女です」
老賢者はふらつきながら椅子に座ると、額に手を当てた。この青年の話を総合すれば、二日前に大歓迎のもと到着した姫君は偽物だということになる。ルーヴランが攻めてくるのが本当なら、今すぐ情報を届けなければならない。婚礼まで七日間しかないのだ。
だが、そうなればその女は即座に処刑されるだろう。いま目の前にいる若者はそれをわかっていて、よりにもよってこの自分に、愛する女を救えと言っている。無茶苦茶だ。
マックスは、ディミトリオスの前に膝まづいた。
「老師、聴いてください。僕は旅で多くの人生を見てきました。わずかでも関わった人間もいれば傍観していただけのこともありました。彼らの人生は、僕の人生とはわずかに交わるだけだった。僕はそれでいいと思っていた。僕にとって意味のある、命を捧げても惜しくない貴婦人はずっと《黄金の貴婦人》ただ一人だったから。だが、今は違う。ラウラを見殺しにして生き延びても、その瞬間から僕の人生は意味のない、穢れたものになってしまう。僕は、僕の貴婦人を救わなくてはならないんです!」
髭をしごきながら、書斎を落ち着きなく歩きまわるディミトリオスに彼は畳み掛けた。
「どんな方法でもいい、彼女を王宮から連れ出せさえすれば、それでいいのです」
「その女をどうするつもりだ」
「どこか遠くに連れて行きます。誰にも知られない、グランドロン人など一人もいない、この世の果てで二人で暮らします」
「馬鹿なことを言うな! 約束を忘れたのか。そなたがフラフラしていていいのは三年だけだ。そなたはグランドロンで生きねばならぬというのに」
「先生。鍛冶屋の息子が一人減ろうと、グランドロンは何も変わらぬではありませぬか! 僕の役目はもう終わったはずだ」
ディミトリオスは厳しい顔をして言った。
「何だと。それはどういう意味だ」
マックスはずっと言えなかった言葉を口にした。
「王は無事に毒耐性を身につけられた。あなたが子供への教え方について試行錯誤をする必要もなくなった。あなたと、あの方《黄金の貴婦人》が望んでいた通りの強くて聡明な王者になられた。実験台の子供はもう必要ないでしょう!」
ディミトリオスは彼に座るように目で指図して、ドアを閉めた。
「《黄金の貴婦人》が誰だかわかっているのか」
マックスは座らなかった。
「いいえ、はっきりとは。でも予想はついています。フルーヴルーウー伯爵夫人、マリー=ルイーゼ王妹殿下でしょう。亡くなられたのとあなたのもとにいらっしゃらなくなった時期が一致していますし、いただいた十字架の後ろについていた双頭の馬の紋章は伯爵家のものですから。夫と子供を同時に亡くされ、全ての希望を甥であるレオポルド様に託されたのだと、旅の途上で思い当たりました」
「そこまでわかっていて、お前は自分がレオポルド王子のための実験台だと信じていたのか」
「違うとおっしゃるのですか」
「もちろん違う。他のものたちが、お前の事を毒の試し役だと噂していたのは知っている。そう思われる方が都合が良かったので訂正しなかった。絶対に知られてはならなかったが、毒耐性を何を置いてもつけなくてはならなかったのは王子ではなくてお前だったのだ」
「?」
「考えろ。毒で命を落としたのは誰だ。そして、同じ危険に晒されていたのは」
マックスが知る限りで毒で命を落とした貴人は一人だった。マリー=ルイーゼ王妹殿下の夫、フルーヴルーウー伯フロリアン二世。そして、二人の間に生まれた子供は、二歳にして父の後をついで伯爵になったが、常に毒殺の危険に晒されていた。失踪するまで。それから二十数年間姿を現さないので、誰もが死んだものだと思っていた。マックスも。
「ま、まさか」
「そう。お前こそが、マクシミリアン三世、王妹殿下の子ゆえ王位継承権一位の失われたフルーヴルーウー伯なのだ。王妹殿下は私に逢いにいらしていたわけではない。知られれば再び毒殺の危険に晒されるため、抱く事も許されぬ我が子をひと目でもみたくて、私の反対を押し切って何度も足を運ばれていたのだ」
マックスは大きく目を瞠り、黙ってディミトリオスを見つめた。《黄金の貴婦人》が、何のために老師を訪ねてきたのか、飲み物を運んでくる少年にいつも優しく話しかけたのは何故か、贈り物が何を意味するか、彼は自分の素性と繋げて考えた事がなかった。身分の違う手の届かない貴婦人だと信じていたから。自分は王太子のための毒実験に使われる庶民の一人だと頑に信じていたから。
「そんな荒唐無稽な話を誰が信じると……」
「だからこそ、王妹殿下は遺言を残されたのだ。フルーヴルーウー伯爵家家宝の、あの黄金の十字架を持つものこそ、フルーヴルーウー伯マクシミリアン三世だとな。そなた、《黄金の貴婦人》にいただいた十字架は持っているのだろうな」
彼は戦慄した。突然、ありとあらゆる事が頭の中で一致した。
彼女がくれた十字架、絶対に手放してはならないと繰り返し行った言葉、いつかお前は国王に仕えるのだと繰り返し言った賢者。双頭の馬。伝説の《
マックスは打ちのめされて両手で顔を覆った。絶対に手放してはならぬと言われていたその十字架を彼は手放してしまった。あの夜、誰よりも愛しい女に永遠の愛の証として。彼の真心を示すために。翌日には再び一緒になるのだと信じていた。常に一緒にいるのだから、彼女が持っていても構わないだろうと思ったのだ。
- 関連記事 (Category: 小説・貴婦人の十字架)
-
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(28)逮捕 (22.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -2- (15.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(27)遠乗り -1- (10.04.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(25)疑い (18.03.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(24)姫君到着 (14.03.2015)
- 【小説】森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架(23)逃走 (08.03.2015)
【小説】ピアチェンツァ、呪縛の古城
今日の作品は、ほんのちょっとホラー・テイストです。イタリアの古城で起こった幽霊による神隠し。悲鳴を残していなくなった恋人のために奮闘する青年のお話。
ピアチェンツァ、呪縛の古城
どうしてこんなことになったのだろう。イェルク・ヨナタン・ミュラーは、青ざめて古城の暗い廊下を歩んでいた。
彼は、休日を利用して、恋人であるステラと一緒に、このピアチェンツァに日帰り旅行に来ていた。その坂を登ったところに、できたての野菜と美味しい豚肉料理を出してくれるアグリトゥーリズモの田舎風レストランがあるはずだった。ステラに地図を読ませたのが間違いだった。「私だって地図ぐらい読めるわ」彼女の言葉を信じてしまった彼の失態でもあった。女に地図が読めるはずがないのに。
坂を登りきった所にあったのは農家ではなくて古城だった。それもレストランなどが併設されているようではなく、明らかにプライヴェートの。すぐに来た道を戻ろうとするヨナタンに、ステラは言った。
「でも、この裏に農家があるかも」
彼女が勝手にそちらに行ってしまったので、彼はあわてて後を追った。そして、空模様が急におかしくなっていることを知った。まさかこんな時期に雷雨が来るのか? 雨宿りをしなくてはならない、だがその前にステラを止めないと、角を曲がろうとした時に、ステラの悲鳴が聞こえた。
「ステラ! 何があったんだ」
慌てて後を追ったが、角を曲がった途端に、彼は意識を失った。氣づいた時には、冷たい石畳の敷き詰められた暗い廊下に横たわっていた。
「目が覚めたか」
女の声がしたので振り向いたが誰もいなかった。
「誰だ。どこにいる」
「ここだ。だがお前には見えまい。ふふふ。さあ、立ってこちらに来るのだ。声のする方に……」
「だが……彼女は無事なのか?」
ヨナタンは、焦りを隠さずに問いかけた。女の声はカラカラと笑った。
「お前が言う事をきかなければ、無事では済まない。いいか、お前に選択権はない。ここでは、人間ごときの能力など何の役にも立たないからだ」
姿の見えない女の声は薄氣味悪く虚空に響いた。
石の床は彼の足元で冷たい音を立てた。廊下の両側に立っている中世の甲冑が揺れてカチャカチャと鳴った。金属音が鋭く彼の耳を貫いた。脇に冷たい汗が流れる。ここから逃れる術は何もないのだろうか……。
やがて、彼は大きな木のドアの前に立たされた。
「さあ、ここに入るんだ」
おどろおどろしい声に促されて、怖々と彼がそのドアを開けると、何故か全く似つかわしくない音楽が大音響で流れていた。
――これは……ビヨンセじゃないかな?
そして目に飛び込んできた光景はもっと奇妙だった。たくさんの男たちがいた。全部で20人くらいだろうか。男だけだったが、どういうわけか全員ハイヒールを履いて踊っていた。
「は~い、マウリッツィオ。新しいバックダンサー連れてきたわよ」
ふと横を見ると、さっきの声の主が、天使みたいな羽根をつけた少女の姿になって顕現していた。

このイラストの著作権はlimeさんにあります。使用に関してはlimさんの許可を取ってください。
「おお、ご苦労。次の迷子が来たら、またここに連れてきてくれ、アロイージア」
一番前で踊っていた黒髪に青い瞳をした男が頷いた。後ろで踊っていた男たちも騒いだ。
「よろしく! 新しいお仲間さん!」
「お前らは黙って練習しろ。おい、そこの新入り。さっさとそこにあるハイヒールに履き替えて、一番後ろに並べ! そこの筋肉男! 振り付けを教えてやれ」
マウリッツィオは、厳しい顔で命じた。
「あ、あの……、これはいったい……」
ヨナタンが体格のいい男に近づいて声を顰めた。
「よろしく。俺の名前は、マイケル・ハースト。アメリカ人だ。それから、そこにいる三人は大道芸人だそうだ。金髪のドイツ人がヴィル、茶髪のフランス人はレネ、それからそこの日本人は稔というらしい。ああ、それからもう一人日本人がいたな。たしかヤキダマとかいう。それにそこのモロッコから来たヤツはムスタファ。あとは、俺もまだ名前を知らないんだ。ところで、あんたは?」
「ヨナタンです。ドイツ人ですが、イタリアに住んでいます」
「そうか、ヨナタン。ご苦労だが、あんたがここに来たからには俺たちと一緒に踊ってもらわなくちゃいけない。俺たちの連れの女たちは全員人質になっている。そしてあのマウリッツィオとさっきの羽の生えた幽霊が満足する踊りを習得するまで解放してもらえないんだ。この曲は知っているだろう?」
「はあ。たしかビヨンセの……」
「そう『Crazy In Love』だ。そんで、あいつはヤニス・マーシャルみたいにカッコ良く踊りたいんだってさ。で、俺たちがバックダンサー。人質を無事に返してもらいたかったら、とにかくこの振り付けを憶えんだな」
「……はあ」
ヨナタンは、生まれて初めてハイヒールを履き、とにかく振り付けを憶えた。といってもうまく踊れるはずなどなく、マウリッツィオに罵倒されつつ必死でレッスンを繰り返した。
前の列で踊っている三人の大道芸人たちは、バックダンサーにされてからかなり長い時間が経っているらしく、振り付けはばっちり、おしゃべりをする余裕もあるらしかった。
「ヤス、その日本の盆踊りみたいな動きは何とかならないのか」
「お前こそこんなシュールなダンスを無表情で完璧に踊るのはやめろよ」
「テデスコ、少し手加減してくださいよ。あまりうまく踊るとマウリッツィオを食っちゃって、睨まれますよ」
「ふん。どうやったらヤスみたいに下手に踊れるのかわからん」
「くそっ! 憶えていろ!」
ヨナタンは、周りを見回した。ヤキダマと紹介された男は日本人らしく黙々と練習していた。よほど人質となった女性が心配らしい。僕もちゃんと踊らないと。ステラはどんな辛い目に遭っているんだろう。
その一方で、彼は視界の端に、三頭の仔パンダが楽しそうに踊っているのもとらえていた。真面目に心配するようなシチュエーションには思えないが、ここはいったいどうなっているんだろう。
「もう少し、コーヒーはどう?」
にこやかに奨められて、ステラは戸惑いながらコーヒーカップを差し出した。
「あの、こんなことをしている間に、ヨナタンは……」
そう言うと目の前の蝶子と名乗った日本人女性が笑って否定した。
「大丈夫よ。エンターテーメントの練習をしているんですって。私たちはこうやってお茶会をして待っているだけ。ほら、レアチーズケーキもあるわよ」
ステラは周りを見回した。17、8人の女性と、明らかにパンダに見えるのに服を着ている二人が大きな舞台のある大広間に用意されたデザートビュッフェでにこやかに談笑していた。国籍も、年齢もバラバラだが、誰もがかなりリラックスしていた。
時おり、彼女たちをこの広間に連れてきた羽根のある幽霊がやってきては、報告をしてからいなくなった。
「まだ踊れないヤツがいて、もうちょっとかかるかも。あ、パンナ・コッタも用意したから。ワインの方がいい人がいたら言ってね」
ステラは、隣の席に座っているコトリと名乗った日本人に話しかけた。
「あなたもレストランを探していて迷いこんだの?」
「いいえ。新婚旅行中で古城ホテルに泊るはずだったんですけれど、そのホテルからいつの間にか転送されてしまって」
「え。そうなの?」
「バイクはあっちのホテルにあるはずだし、この催し物が終わったら、どうやって帰っていいのか」
向かいの席に座っていたミシェルと名乗ったフランス人の女性がコーヒーを飲みながら言った。
「私たちなんか、元の世界に連れを一人追いてきちゃったみたいなの。早く帰って世話をしてあげないといけない人なんだけれど、それを言ったらあの幽霊は、時間が止まっているし、満足のいくエンターテーメントになったら、元の世界にはちゃんと送り返すから大丈夫だって。ま、心配しても何もできないし、こんなにゆっくりできることって久しぶりだから、楽しんじゃおうかなって」
そうか。じゃあ、私もヨナタンが戻ってくるまで、パンナ・コッタでも食べようかな。
ステラが、パンナ・コッタと、レアチーズケーキと、ベイクド・チーズケーキと、サバイオーネと、レモンケーキと、マチェドニアと、ティラミスと、それからマーマレード・サンドイッチを食べ終えた頃、舞台に灯りがついて、音楽が流れた。ビヨンセの『Crazy In Love』だ。
奥の大階段から、一番前に艶のある黒革の衣装に、黒いハイヒールを履いたマウリッツィオが降りてきて、後ろに二十人のバックダンサーが続く。うまい男と下手くそな男と色々いるが、それぞれが懸命に踊っている。
ヨナタンが、ハイヒールで踊っている……。ステラは、カルチャーショックで固まった。隣を見るとコトリも硬直していた。けれど、ミシェルと蝶子、それにガタイのいい男を応援しているアレクサンドラという女は、大笑いしながらも拍手をして騒いでいた。
稔は予想通りヘタクソだった。だが、ふっきれて笑いを取る方に走っていたので、見ていて辛くはない。レネは意外と踊りが上手い。リズムのとり方が上手な上、リラックスしている。ヴィルはプロ並に上手いのはいいのだが、いつもの無表情のままなのでかえって怖い。
一生懸命が服を着ているような踊り方をしているのは、ヤキダマだ。振り付けを間違えないように集中しているので、新婚旅行中にハイヒールを履いて踊らされている理不尽について思いやってあげられるのは、新妻のコトリ一人だった。
そのヤキダマの一生懸命さと比較して、ヨナタンの方は「なぜこんなことをしているんだろう」という疑問が表情と踊りの両方に表れていた。もっとも普段から舞台で音楽に合わせて演技するサーカスの道化師なので、踊り方はさほど下手ではない。
そして、褐色のモロッコ人ムスタファはさすがに身体能力が抜群で、踊りが様になっている。負けてなるものかと、横でノリノリで踊るのは、「ブロンクスの類人猿」とアレクサンドラに呼ばれているマイケル。二人で、アドリブを混ぜながら仲良く踊っている。「楽しんだもの勝ち」のいい実例だ。
そして、望み通りのバックダンサーを従えて得意顔のマウリッツィオは、羽根の生えた幽霊アロイージアの用意したスポットライトの光を浴びて汗を飛び散らせ回転している。
「キャー! セクシーねぇ」
「おお、こんなに上手く踊れるとは!」
女たちは拍手喝采だ。その周りを、ポルターガイストで、カップや皿が広間を飛び回っている。
間奏曲になると、三頭の仔パンダが前面に出てきて、キュートなダンスを披露する。あまりの可愛さに、女たちは悶死寸前だ。
それから再び全員で激しく踊り、熱氣の中で最後のポーズが決まった。やんやの拍手喝采がなされた。スタンディグ・オベーションにマウリッツィオは大満足だった。
バックダンサーにされた男たちは、女たちが菓子とコーヒーとワインでもてなされているのを見て、文句たらたら、さらに男なのに仔パンダが踊るのと引き換えにこちらで待っていられた父親パンダへのひいきに文句を言うものも出てきたが、今からお茶会に加わっていいとのマウリッツィオの宣言を聞くと、大喜びで舞台から降りてきて、それぞれの連れの女性の所へと走った。
「お疲れさま。ヨナタン。意外だったけれど、かっこよかったよ」
ステラが言うと、ヨナタンは照れたように笑って「ありがとう」と言った。
女たちにそれぞれ上手に労われて、さらに空腹が癒されると、男たちの機嫌も治ってきた。
「お腹もいっぱいになったことだし、いい加減この衣装とハイヒールは返したいよな」
稔が言うとレネも頷いた。
「僕の服、どこに言っちゃったんだろう」
「俺の服のポケットには、手榴弾が入っているんだ。扱いには氣をつけてくれよ」
マイケルは物騒な文句を言う。
「そんなに、着替えたいか」
その声に見上げると、マウリッツィオ・ビアンコが不敵な笑みを漏らして立っていた。
「まさか、このまま解放してくれないとか?」
ヴィルが眉をひそめた。
ビアンコは高笑いした。恐ろしいラップ音とともに、バックダンサーたちは、黒いシャツに白いスーツというお揃いの服装に早変わりしていた。
「もちろん、このまま返すわけはないだろう。次は『サタデー・ナイト・フィーバー』だ。さっ、男ども、さっさと練習室に戻るんだよ!」
マウリッツィオ・ビアンコに命じられて、男性陣は猛烈なブーイングで抗議したが、ポルターガイストで何でも起こる古城で彼らにできる抵抗はほとんどなかった。
彼らが練習室に姿を消すのを見守った後、女性陣とパンダの夫婦は顔を見合わせると、再びコーヒーポットから熱々のコーヒーをお互いのカップに注ぎ、新しく積まれたお菓子に手を伸ばして和やかに談笑を始めた。
幸せな北イタリアの春の午後は、のんびりと過ぎていった。
(初出:2015年4月 書き下ろし)
この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。
read more
- 関連記事 (Category: 小説・ピアチェンツァ、古城の幽霊)
-
- 【小説】ピアチェンツァ、古城の幽霊 (14.09.2014)