ファインダーの向こうに あらすじと登場人物
【あらすじ】
コンプレックスと折り合えないまま、ニューヨークで仕事に生きる一人の女性が、偶然撮った写真をきっかけに少しずつ変わっていく。
【登場人物】
◆ジョルジア・カペッリ
ニューヨーク在住の写真家で《アルファ・フォト・プレス》の専属。子供の笑顔をモチーフにした写真は、近年かなりの好評価を得ている。絶世の美女と世間では認識されている妹と瓜二つだが、ブルネットのショートヘア、ノーメイクにジーンズとTシャツという構わないいでたちでいるので、著名なダンジェロ兄妹の家族である事実はほとんど知られていない。大きな身体的コンプレックスがあるために屈折している。
◆ベンジャミン(ベン)・ハドソン
《アルファ・フォト・プレス》の敏腕編集者。新人の頃にはじめて担当になって以来付き合いが長いので、人付き合いの苦手なジョルジアの代わりに折衝関係を一手に引き受けている。
◆ジョセフ・クロンカイト
CNNの解説委員でもある有名ジャーナリスト。ジャーナリズム・スクールの講師でもある。TOM-Fさんの『天文部シリーズ』のキャラクター。
◆アレッサンドラ・ダンジェロ
本名 アレッサンドラ・カペッリ。ジョルジアの妹。欠点のない美貌と長い手足が武器のトップモデル。艶やかでゴージャス、豊かな金髪が印象的なため「今もっとも美しいブロンドの女神」と言われているが本当はブルネット。二度の離婚の後、現在はヨーロッパのとある貴公子とつき合っている。
◆マッテオ・ダンジェロ
本名 マッテオ・カペッリ。ジョルジアとアレッサンドラの兄。健康食品の販売で成功した実業家。アレッサンドラの兄であることから、芸能・セレブ関係のゴシップ誌の常連。甘いマスクとセクシーな声をビジネスにも恋愛にもフル活用する。
◆キャシー
もと《Cherry & Cherry》のウェイトレス。有色系。結婚・出産後、ロングビーチの《Sunrise Diner》で働いている。娘の名前はアリシア=ミホ。
◆春日綾乃
ジョセフ・クロンカイトの教え子である日本人の美少女。TOM-Fさんの『天文部シリーズ』のヒロイン
【用語解説】
◆《アルファ・フォト・プレス》
ニューヨーク、ロングアイランドにある規模の小さい出版社
◆《Sunrise Diner》
ニューヨーク、ロングビーチにある大衆食堂。
この作品はフィクションです。実在の人物、建物、団体などとは関係ありません。
【関連作品】
「マンハッタンの日本人」シリーズ
パリでお前と
【予告動画】
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「恋愛観を暴露するバトン」
予め申し上げておきますが、これはものすごく「痛い」バトンです。ドン引き間違いなしですので、お氣をつけ下さい。
「恋愛観を暴露するバトン」
- 1.自作の中で一番、好きな男性のキャラクターを教えてください。
- これ、訊かれる度に違うキャラを答えているような氣がするんですよね〜。寵愛がくるくるかわるんで、すみません。
なんかね、「一番好き」って質問がね〜。「氣にいっている」とか、「いま一番入れ込んでいる」とかあるんですよ。ま、要するに書いている作品のキャラなんですけれどね。でも、それって「好きか」といわれると微妙なんですよ。例えば、「Infante 323 黄金の枷」は書き終わっちゃったので、現在はその主人公23よりも「Filigrana 金細工の心」の主人公である22ことインファンテ322の方に入れ込んでいるんですが、どっちが好きかと訊かれたらそりゃ23だわ、みたいにね。でも、終わっちゃったキャラはどんどん後に行っちゃうんで。
というわけで、執筆中につき力をいれている男性キャラ一覧。これだけ同時進行なのかと、我ながら呆れます。
インファンテ322
カルルシュ&アントニオ・メネゼス(「Usurpador 簒奪者」)
レオポルド(「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠(仮題)」)
ジオンとハンス=ユルク(「リゼロッテと村の四季」)
稔(「大道芸人たち」) - 2.自作の中で一番、好きな女性キャラクターを教えてください。
- ううん、これもね。男性キャラとは別の意味で、突出したのがいないんだな〜。蝶子(「大道芸人たち」)は好きだけれど「やっぱり蝶子よね」といわれると「そこまででもないかな」と思ってしまうのですよ。真耶(「大道芸人たち」)や摩利子(「樋水龍神縁起」)も自分とはかけ離れているので好きですけれど、なんだろう、好きすぎて書く時にもニヤつくほど好きってわけでもないしなあ。
迷わない四天王が、
摩利子
真耶
瑠璃媛(「樋水龍神縁起」)
リナ(「リナ姉ちゃんのいた頃」)
迷いまくりが、
瑠水(「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」)
マイア(「Infante 323 黄金の枷」)
ゆり(「樋水龍神縁起」)
ライサ(「Filigrana 金細工の心」)
その中間にいるのが
蝶子
マヤ(「夜想曲」)
アダシノ・キエ(「終焉の予感」)
アントニア(「Filigrana 金細工の心」)
ジョルジア(「ファインダーの向こうに」)
マヌエラ(「Usurpador 簒奪者」)
ステラ(「夜のサーカス」)は迷いはないけれど、迷走はしている。
リゼロッテ(「リゼロッテと村の四季」)はお子様なのでよくわかっていない。
好きか嫌いかで言ったら迷わない四人が好きだけれど、力が入っているのは、やっぱりジョルジア、アントニア、リゼロッテですね。 - 3.どのカップリングが好きですか。
- まあ、いろいろいるんですけれど、
蝶子&ヴィル
ヨナタン&ステラ
瑠水&真樹
ラウラ&マックス
マイア&23(未だお友だち状態)
真耶&拓人(それ、全然カップルじゃない!) - 4.他者作品の中で好きな男性のキャラクターを教えてください。
- ええっと、いろいろいるんですけれど。順不同で行きますね。(すべて敬意を持って敬称略)
TOM-Fさんのところでは、ハノーヴァー公爵閣下も好きなんですけれど、いま一番大事なのはこのお方、ジョセフ・クロンカイトですよね。かっこいいし頭もいいのにお財布のありかに疎くて女性の趣味がいまいちなのが不思議なお方です。
ユズキさんのところでは、ヴァルト画伯。言動がちょっと「……」な時もあるんですけれど、実はとても優しくて行動力もあり、いざって時に頼りになる兄貴キャラ。あちらのブログではヒーローやかっこいいおじ様陣が人氣ですが、私は画伯がいいなあ。
大海彩洋さんのところは、ムスタファなんだな〜。外見にしろ性格にしろ、特に素晴らしい特質はなく、だからこそ自然体で、やっている事は素晴らしいけれど押し付けがましさもゼロ。そこがとても魅力的なのです。
cambrouseさんのところでは、フリーツェック・フリーデマンが好き。モテモテ男なんだけれど、ヒロインに夢中。でも、今のところちょっと旗色が悪くて、私は判官びいき状態。
ウゾさんのところはワトスン君やいかれた兄ちゃんも捨てがたいけれど、やっぱりワタリガラスの男かなあ。あのミステリアスなところがなんとも。
Nympheさんのところでは、やっぱりケイだな〜。時おり見せるガラス細工のような繊細さと、鬼畜言動のギャップにやられます。
けいさんのところは、カフェのマスター。……好きなんだけれど、名前もわからない。けいさん、名前出てきました? 不屈の精神で好きな人にアタックしたすごい人。
なんだろう、たぶん正統派のモテモテキャラではなくて、若干クセのある個性派が好きみたい。意外性があり、実は優しい、というタイプに弱いのかも。 - 5.他者作品で好きな女性キャラクターを教えてください。
- こちらも順不同で行きます。
ダメ子さんのところでは、ダメ美お姉様。シニカルな自宅警備員で吹っ切れているのが清々しいのです。けっこう知的だし。
山西左紀さんのところは、コトリやエスやユウもいて迷うんですけれど、憧れという事で絵夢を一押し。完璧なお嬢様でありつつ、時おり見せるいたずらっ子のような可愛さがよいのです。
limeさんのところの長谷川女史も大好きです。あそこはヒーローとヒロインが逆転している。かっこいい女性の代名詞ですね。
栗栖紗那さんのところでは、フィアが好きですね。まおーなのに、絶壁と言われると逆上するところなんかは共感ポイント高し。
YUKAさんのところは杏子姐さま。麗しい医者で、かなり強い性格。
ふぉるてさんのところは、女剣士リーザ。強いからこそ人に優しくできるのですね。
ポール・ブリッツさんのところでは紅恵美。ものすごく頭が良くて、そして、なんかとんでもないお方。
結局、ひと味違う、自分のある女性キャラが好きみたいです。若干ぶっ飛んでいると、なおいいって感じかなあ。 - 6.自分が恋人にするなら、どの作品のどのキャラクターがいいでしょう?(自作・他作問わず)
- 「終焉の予感」のヴィクトール・ベンソン。知力・体力・柔軟性・経験のどれもがずば抜けていて、世界を救う秘宝を持ち帰れるだろうと思われている冒険家。ハリウッド大作のヒーローっぽい男の中の男ですね。
いや〜、こういう男に守られてみたいじゃないですか。あ、訊いていませんか、すみません。 - 7.どんなセリフにときめきますか? (妄想でも作品からの引用でも)
- 痛いのはわかっていますが、自分の作品からいくつか出してみましょう。どんなセリフに弱いのかがよくわかりますんで。
「だめだ。一人で行かせたりはしない。私も行く。絶対に君と離れない」
稲妻が光り、ゆりの姿が白く浮かび上がった。ここしばらく見た事がなかったような、素直な驚きの表情だった。ふたりを包む乳白色の光はいつものままだった。雨が激しく打ちつけて雷の音が激しいのに、ゆりには朗の声が驚くほどはっきりと届いた。
「このお産が終わったら、二人でここを出て行こう。どこかで龍とも神道とも関係のない、何でもない平凡な夫婦として、残りの人生を平和に暮らそう」
「朗さん……」
「だからそれまでは、絶対に君の手を離さない」「樋水龍神縁起 春、青龍」より
「本当の事なぞ、どうでもいい。国同士の確執や陰謀にも関わりたくない。僕はただ、将来を誓った娘の命を救いたいだけだ」
マックスの言葉に、彼女ははっと顔を上げた。彼はラウラを見て頷いた。
「君を救って、二人で自由に生きたかった。それが不可能なら、せめて最後まで君の側にいる。君を一人で死なせたりなんかしない」「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」より
「だから、俺がお前のためにしてやれることは、これしかないんだ」
連載中作品未発表シーンより 発言者はまだ内緒
これだけは、ちょっと異質。俺様プロポーズだ(笑)「あんたは、俺がバラの花束を抱えながら跪いて訊かないと返事ができないのか。つべこべ言わずに答えろ。するのか、しないのか」
未発表作品より 発言者はまだ内緒。でも、わかるか(笑)
- 8.どんなシチュエーションにときめきますか? (妄想でも作品からの引用でも)
- 片想いとか、実らない想いとか。
両想いになった途端、主役の座を明け渡すのが、うちのシリーズ物のお約束です。 - 9.どんなカップリングに萌えますか?(例:鈍感女×キザ男 とか 人外♂×少女 とか?)
- う〜ん。あまりそういう特殊萌えはないと思うんですが。大事なのは、ヘテロってことかな。それと成人同士。主義じゃなくて、単純に、人間じゃなかったり、男同士や女同士、どっちかがお子様というシチュエーションだと、妄想に火が全くつかないのです。たぶん、自分を投影できないと妄想できないからだと思います。
あ、それと、両方熱いのは苦手。どっちかがクールなのが好きですね。 - 10.主従関係だったら、自分は主? 従? (もしくはS? M?)
- えっと、おそらくMじゃないかと。ストーリーの流れを見ると、その傾向、ありますよね。でも、自分ところのキャラを虐めているところを見ると、Sか?
やってみたい方は、どうぞご自由にお持ち帰りくださいませ(笑)
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【小説】リゼロッテと村の四季(2)山羊を連れた少年
今回もlimeさんの素敵なイラストを使わせていただいています。
(イラスト)妄想らくがき・雨なら飴の方が・・・
limeさん、どうもありがとうございます。
![]() | 「リゼロッテと村の四季」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
リゼロッテと村の四季
(2)山羊を連れた少年
メエエ、メエエと鳴き声がした。リゼロッテは、窓に駆け寄って大きく開け放った。庭の向こうの小径を二十頭くらいの山羊が歩いているのが見えた。
ヘーファーマイアー嬢は、この村を歩き回る山羊が大嫌いだ。
「山羊のチーズほど臭いものはないと思っていましたが、もっと臭いものがあったのね。雄山羊が通ると、ずっと先でもわかる。おお、いやだ」
リゼロッテも、山羊のチーズは苦手だ。一度出てきて、ひと口食べて、残りには手を付けなかった。
「チーズを食べないと、健康にはなれませんよ、嬢ちゃま」
家事の一切を引き受けているカロリーネ・エグリは言ったが、ヘーファーマイアー嬢が「食べる必要はない」と言って皿を下げさせた。
それから山羊のチーズが出てくる事はなくなったのだが、そのチーズの源である山羊の行列にリゼロッテが興味を持つのには理由があった。
行列の一番前には、長ズボンを履いた若い青年が行く。カロリーネによると、この館に一番近い酪農家カドゥフ家の17歳になる次男でクルディンというらしい。行列の前になったり、後になったりして動き回る、落ち着きのない白い犬がチーロ、そして一番後からついていく半ズボンの少年がジオンだ。
先月、館の生け垣に頭をつっこんで、リゼロッテと話した、あの硬い髪の少年だ。紫陽花の精オルタンスやガラス玉おはじきの中に住む小さなグラッシィのような、本当にいるのかもはっきりしない友達しかいなかったリゼロッテの、たぶん最初の友達になってくれそうな少年だ。彼女は、通りを行くジオンに大きく手を振った。少年もそれに手を振って応える。
それが終わると、リゼロッテは、階下に降りて行った。応接間に置かれた大きないかめしい机の前に座って、ヘーファーマイアー嬢のいう通りに書き取りをしたり、計算をしたり、それから本を朗読したりしなくてはならない。
ジオンは、山羊とどこかへ行く。本も持っていないから、学校に行くようにも見えない。私も外に行きたいな、こんなにきもちよく晴れているのだもの。でも、ヘーファーマイアー嬢に言うと叱られる事がわかっているので、リゼロッテは大人しく勉強した。
昼食後、一時間ほどの自由時間がある。リゼロッテは、そっと台所に向かった。カロリーネが、せっせと床を磨いていた。
「あれ、どうしましたかね、嬢ちゃま。何かお探し物でも」
カロリーネのはとても聴き取りにくい発音で話す。はじめは、ヘーファーマイアー嬢の言いつけを破って、方言でリゼロッテに話しかけているのかと思っていたが、夫であるロルフ・エグリが樋の修理にやってきた時に二人で話していた言葉を聴いたら、まったく何を言っているのかわからなかった。それで、リゼロッテは、これまでのカロリーネが遣っていた言葉は、訛は強いけれど正規ドイツ語だったのだとようやくわかった。
「いいえ。探し物ではないの。訊きたい事があって」
「なんでしょう。訊いてくださいな」
「あのね。どうしてジオンは学校に行かないの? 私みたいに家庭教師に習っているの?」
リゼロッテの質問の意味を理解しようと、しばらく口をあんぐりと開けていたカロリーネは、それからあははと笑った。
「ジオンに家庭教師ですって? それは傑作な冗談だこと。いえいえ、嬢ちゃま、ジオンは学校に行きますよ。でも、それは冬の間だけですよ」
「え?」
「学校は、十月に始まって、復活祭でおしまいになるんですよ。そうじゃなかったら、夏の間、働けませんからね」
「働く?」
「もちろんですよ。ここでは、夏の間、みんな働くんですよ」
カロリーネは、ジオンは9歳だと言った。リゼロッテよりも二つ歳下だ。でも、リゼロッテは働いた事などない。そう言ったらカロリーネは大きく笑った。
「嬢ちゃまは生涯働く必要なんかないですよ。どこかのお金持ちの奥様になるんでしょうから」
でも、リゼロッテの母親は、医者だった。ドイツで医者の資格を取った女性はまだ五人くらいしかいない。母親は、その事を誇りに思うと言っていた。
「女でも、努力すればやりたい事を職業にできるのよ。医者だって、飛行機のパイロットだって」
でも、私はどんな職業に就きたいのかわからない。お父さんもヘーファーマイアーさんも、それにカロリーネも、私はお嫁さんになればいいって言うけれど、それでいいのかな。ジオンだって働いているのに。
リゼロッテは、考えながら自分の部屋に戻った。早く夕方にならないかな。ジオンがまたあの道を帰ってくるだろうから、また手を振ってみよう。
それから、不意に、先日もらったアルペンローゼのお礼をしようと思い立った。何かないかしら、ジオンにあげられるもの。リボン、お人形、だめだめ、そんなのいるはずはないわ……。
リゼロッテは、自分の宝箱をそっと開けた。中には色とりどりの丸いガラス玉が入っている。いつだったかお母さんがヴェネチアに行って買ってきてくれたムラノ島の手作りおはじきだ。
「こんにちは。リゼロッテ。今日は、もう遊べるの?」
明るい声がしたように思った。あ、グラッシィ! リゼロッテは、箱の中を覗き込んだ。
リゼロッテにしか見えない、それも、いつも見えるわけではない小さい友達。リゼロッテは、彼女をグラッシィと呼んでいる。おしゃまで、ケラケラと笑う、楽しい少女だ。

この画像の著作権はlimeさんにあります。二次使用についてはlimeさんの許可を取ってください。
「ううん、グラッシィ。まだ遊べないわ。すぐに、午後の授業が始まっちゃうもの。ねぇ、それより、あなたのガラス玉、少しもらってもいい?」
リゼロッテは、小さい友達に話しかけた。グラッシィは、首を傾げた。
「どうするつもり?」
「友達にわけてあげようと思うの」
「女の子?」
「ううん、男の子よ」
グラッシィは、つんとして首を振った。
「だめよ。男の子は、おはじき遊びなんかしないわよ。カエルやヘビにしか興味がないのよ。あたし、そんなところにはいかない」
リゼロッテは、項垂れた。ダメなの……。じゃあ、何をあげたらいいんだろう。わたしにはカエルやヘビは用意できないもの。
午後の授業は、なくなった。カールスルーエのカイルベルト氏とその夫人が、イタリア旅行の途上で訪ねてくることになったのだ。リゼロッテの父親はしばらくここに来ないのだから、わざわざ訪ねてこなくても良さそうなものだが、「そういうものではない」らしい。
リゼロッテは、父親の名代として応接室に座っていなくてはならないが、もちろん11歳で大人の応対などできるわけはないので、実際の会話はヘーファーマイアー嬢がする。かといって、あくびをしているわけにもいかない。
「いずれは立派な奥様になるために、こういう応対に慣れておくのはいいことです」
ヘーファーマイアー嬢は断言した。
カイルベルト氏は、リゼロッテの父親の遠縁に当たる裕福な商人で、柔らかい視線をした丁寧な紳士だが、華やかで美しいカイルベルト夫人は、とても口数が多い上、身振り手振りも口調も大袈裟だった。
「まあ、リゼロッテも本当に大きくなって。すっかり健康そうになりましたね。三年前に会った時は本当に痩せていて、顔色も悪かったから、とても心配したんですよ。でも、お医者様のお母さんがついているのに、いろいろと言うのもねぇ……あっ」
どうやら、ヘーファーマイアー嬢の表情から、リゼロッテに母親の話をするのはタブーだと氣がついたのだろう、それからよけいに内容のない言葉をたくさん使って騒いだが、リゼロッテは黙って下を向いていた。
「お前、リゼロッテにお土産を持ってきたのだろう」
カイルベルト氏が、助け舟を出した。それで夫人は、再びはしゃいで、荷物からとても綺麗な花柄の箱に入ったプラリネを取り出した。
「チューリヒのシュプリュングリィのものなんですのよ。私たちが帰る時にももう一度行って買って帰るつもりなんです。やはりプラリネはここでなくっちゃ」
箱の中に24個の一つひとつ形の違うプラリネが綺麗に並んでいる。カロリーネの持ってきたコーヒーを飲みながら、カイルベルト夫人は物欲しそうな目をした。ヘーファーマイアー嬢はリゼロッテに、箱をテーブルに置くように言い、それはお客様にも召し上がっていただけと言う意味だったので、リゼロッテはヘーファーマイアー嬢に箱を渡した。
「今は二つだけですよ」
ヘーファーマイアー嬢に言われたリゼロッテは、ピスタチオが載ったものと、クルミの載ったものを一つずつお皿にとり、残りのプラリネが自分から遠ざけられて、カイルベルト夫妻にどんどん食べられてしまうのを残念に思いながら見つめた。
プラリネを食べようと思ったその時に、不意にこれをジオンにあげようと思い立った。それで、大人たちに見られないように、そっとポケットにしまい、大人しく自分用に用意されたミルクを飲んで、それからしばらく退屈な会話に耳を傾けた。
夏の日暮れは遅く、八時半頃だ。「メエエ、メエエ」という鳴き声がしたので、リゼロッテは、また窓の方へと行ってみた。歩いてきたジオンが、何か合図をしている。リゼロッテは頷くと、そっと庭の生け垣の方へと向かった。
以前、彼が頭をつっこんだオルタンスの紫陽花の影になった繁みから、ジオンは再び顔を現わした。
「よう。いいもの見つけたから、持ってきたんだぜ」
リゼロッテは、またカエルなのかと身構えた。
「違うよ。カエルやヘビは嫌なんだろ。こっちさ」
そう言って彼が取り出したのは、エンツィアン(注1)だった。
「まあ、なんて綺麗な青なの!」
とても深い宝石のように濃いブルー。
「山の上じゃないと咲いていないんだぜ。すぐにしおれちゃうから、いますぐ水に漬けろよ、リロ」
少年は、大きな目を片方つむった。
「リロ?」
リゼロッテは、自分を指した。
「うん。だってリゼロッテって長いだろ。嫌か?」
「ううん、嫌じゃないけれど、変な感じ」
「すぐに慣れるさ」
ジオンは、もう勝手にそう呼ぶと決めているようだった。
「じゃ、またな」
そう言って、躙り出ようとする少年を、リゼロッテはあわてて止めた。
「待って。これ、渡そうと思ってたの。この間のアルペンローゼのお礼よ」
そういって先ほどのプラリネを出そうとポケットを探る。取り出してみると、それは少し溶け変形していて、あまり美味しそうには見えなかった。
「潰れちゃった……。ごめんね。また今度もっとちゃんとした形のを……」
再びポケットにしまおうとするリゼロッテの手から、ジオンは素早く一つ奪った。
「形なんて、どうでもいいよ! これ、食べていい?」
「ええ。もちろん。こんな潰れていてもいいなら、こっちも……」
言い終わる前に、一つのプラリネは、もうジオンの口の中に消えていた。目をキョロキョロさせた後、しばらく瞑って、溶けていくチョコレートのハーモニーを楽しんだ。
「ああ、うめぇ。プラリネを食べたのは、まだこれで二度目なんだぜ」
「もう一つは、食べないの?」
リゼロッテが残りのプラリネを差し出しながら訊くと、彼はしばらく至福をもたらすに違いない誘惑と戦っていたが、やがてそれをとってポケットにしまった。
「ドーラにやる」
「ドーラ?」
「俺の姉ちゃん。あいつも、プラリネ大好きだもの。俺だけ食べるのは不公平だ。じゃあな、ありがとう、リロ!」
リゼロッテは、にじりながら生け垣から消えていくジオンの姿をじっと見ていた。両親や、兄弟姉妹と楽しく食卓を囲む少年の姿を思い浮かべた。それからプラリネをとても喜ぶであろう、まだ見ぬドーラという女の子の姿を思い浮かべた。もしかしたら、彼女の秘密の友達、おしゃまなグラッシィと似ているのかなと思った。
(初出:2015年8月 書き下ろし)
(注1)エンツィアンは濃い青色をしたリンドウ科の草花でアルプスの高地に咲く。エーデルワイス、アルペンローゼとともに「アルプス三大名花」と呼ばれている。
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立ち会った風景

よくブログに写真は載せていますが、私は写真に関しては初心者以下です。「行った」ということの証拠写真に過ぎないようなものも多いのですが、たまには目にしている感動を映し出したくてシャッターを切る事もあります。大抵は「なんだかなあ」になってしまうのですが。
デジタルの時代になって、写真を撮るのはお金のかからない趣味になりました。以前は24枚撮りを現像してもらって、プリントとしてもらうのに1200円くらいはかかったはずです。だから、どこへ行くのもカメラを持って「とりあえずシャッターを切る」という事はしなかったように思います。今は、動くものを1分以内に24枚くらいを連写で撮って、一番いいものを残すというような使い方もします。いらないのは消してしまえばいいのですから。
そういうわけで、私は家からでる時に大抵、愛機OLYMPUS SZ-31MRを持っていきます。このカメラを買うときに優先した事の一つは小さくていつでも持っていけるという事でした。
この写真を撮ったのは、何でもないある夕暮れ、連れ合いのバイクでアルプスの向こうに行った帰りです。名所でも何でもない、たぶんスイスにいたらよく見る事の出来る光景です。でも、時間が止まったような平和を感じる光景でした。
東京にいた頃に較べると、田舎生活でのんびりしているのですが、それでも普段は仕事に、家事にと動き回ってバタバタしています。そんな生活の合間に、こういう静かな何にも乱されない光景に面して、「きれいだなあ」と眺めるだけ、そんな時間を持つ事が好きです。
そして、それが意外と簡単に可能である、そういう環境にいる事を幸せだなと噛み締めたりするのです。
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ドウロ川を遡って

今回の更新で、マイアはサン・ベント駅からスペインへと向かう電車に乗りました。実は、この電車私がはじめてポルトに行った年には走っていたのですが、今は走っていない模様。理由は、利用者が少ないから……。
ドウロ河はスペインからドウロ渓谷を通ってポルトで大西洋に流れ込みます。この渓谷の左右にぎっしりと葡萄畑があります。ここでは、ポートワインが、それからドウロワインが作られています。二千年近い歴史のある由緒正しいワイン産地で「アルト・ドウロ・ワイン生産地域」として、UNESCOの世界遺産にも登録されています。オリーブ、アーモンドなども作られており、春は白いアーモンドの花が綺麗に咲きそろいます。

ポルトに行った最初の年に、ドウロ河クルーズに行きました。朝の8時にガイアの船着き場を出発した船は、河を遡っていきます。四つのダムの水門を通るのにそれぞれ40分ぐらいかかりますし、とてものんびりとした船旅です。昼食付きのツアーです。
ポルトガル国内のドウロ河には九つのダムがあるそうですが、ツアーで船が行ったのは、ビニャンまででした。ここについた時点ですでに夕方四時になっていました。

ここからは、鉄道でポルトへ帰ります。ピニャン駅は、とても小さいながら、アズレージョが美しいので人氣の高い駅だと思います。
日本だったら、こういう観光客の来る駅には、土産物が所狭しと並ぶと思うのですが、カフェも土産物もかなり控えめでした。そこが趣きがあってよかったんですけれどね。
往きは半日以上かかったのですが、同じ距離を電車で行くと二時間弱でポルトについてしまいます。ドウロ河に夕陽が反射して、とても印象的だったのですが、電車の窓が汚すぎて、酷い写真しかなかったので、まだあまり夕陽っぽくないこれだけで(笑)

夕陽は、いつもセンチメンタルな心持ちにさせます。特に理由がなくても寂しくなるものです。心もとない状態でいるマイアがこの電車に乗ったら、さぞセンチになっただろうなと思いながら、先日のシーンを書いていました。
この記事を読んで「Infante 323 黄金の枷」が読みたくなった方は……
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【次回予告】「Infante 323 黄金の枷」 (18)サン・ジョアンの前夜祭
祭りに行くために約束をしている人たちが入ってきては次々と出て行った。マイアは次第に目の前が曇ってくるのを感じた。23が自分の想いを知っているのだと思った。そして、遠回しに拒否しているのだと。
「インファンテだなんて、そんな高望みしていないわよ」と言ったマティルダの声が甦った。わかっている。でも、苦しいよ。
カップは空になった。もう帰らなくちゃ。一人でサン・ジョアンの祭りにはいられない。そんな虚しいことをするものは誰もいない。けれど、マイアは立ち上がれなかった。もう少し、真っ暗になってしまうまで。
一年に一度の盛大な祭り、サン・ジョアンの前夜祭の日になりました。断っているのに強引に誘った23を待ちながら、マイアは暗くなっているようです。たぶん、このストーリーで一番盛り上がるのはここかも、と作者が思っている回。(どれだけ盛り上がらない小説なんだ)
来月末に発表予定です。お楽しみに!
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- ポルトと橋 (05.12.2015)
- スイスで見かけるポルトガル (31.10.2015)
- サン・ジョアンの祭りとポルト (03.10.2015)
- ポルトとガイア (04.07.2015)
- フォスのあれこれ / O Infante (30.05.2015)
- カフェに行こう (02.05.2015)
【小説】Infante 323 黄金の枷(17)遠出
マイアの休暇のお話の二つ目です。二ヶ月ごとに一週間の休暇をもらえるドラガォンの館の従業員たち。でも、その間も「館で見聞きした事は部外者には話してはいけない」という誓約に縛られています。そして、恋するマイアには、23に逢えない事もまた苦痛である模様。どうやら少し迷走しているようです。
![]() | 「Infante 323 黄金の枷」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Infante 323 黄金の枷(17)遠出
マイアはとほとぼと街を彷徨い、観光客が楽しく談笑するリベイラに辿りついた。ベンチに足を投げ出して座る。ドラガォンの館に勤めだす正にその日に期待に満ちて河を眺めた同じベンチだった。
何もかもが二ヶ月前とは違っていた。マイアの心のほとんどを占めているのは23だった。掃除も洗濯も給仕も、それから自由時間にする靴のスケッチも、窓から眺めるD河の夕景もすべてが23と繋がっていた。リベイラの眺め、フォスの海岸、大聖堂へ至る坂道、Gの街へと渡る橋、ワイン倉庫街。生まれてからずっと愛し続けてきた街の思い出は、いつの間にか何もかも彼との思い出に変わっていた。
けれど、その思い出にはどんな未来も約束もなかった。どこかで自分が抱き続けている脆く儚い幻想を見せつけられたようだった。二ヶ月前までずっと一人で見続けてきた街だ。そして、未来も一人で見続けることになるのだと感じた。
彼があの美しい人と真に結ばれるとき、もう私と一緒に街を眺めることはなくなるだろう。マイアは心の中で呟いた。
上手く人とつきあえなかったこれまでの自分のことを思い出した。これまで23以外に、こんなに早く親しく話せるようになった人はいなかった。こんなに長く特別に思ってきた存在もなかった。これから、彼を忘れられるほど心に寄り添える人と出会えるとは想像もできない。
私はきっと生涯一人ぼっちだ。友達としか思ってくれない人を黙って想い続けていくしかないんだ。マイアはD河の上を渡っていくカモメの鳴き声を聞きながら両手で目を覆った。今、彼とのつながりは心地よく彼女を包み続けていてくれる靴だけだった。
時間はたっぷりあった。自宅にいる時間が長いと、家族や同じ通りの隣人たちに「勤めはどうだ」「どんなところだ」と質問攻めにあう。街へと逃げだすしかなかった。
ずっとやってみたかったことがあった。アリアドス通りのカフェ・グアラニの外に座って、道ゆく人びとを眺めること。ソフトクリーム屋に勤めていた時には、注文することは到底無理だった、レアチーズケーキとポートワインのセットを頼むこと。
マイアの銀行預金はこれまで一度もなかったような残高になっていた。「ドラガォンの館」に住み込みで働いているので、それまで使っていた食事や衣装代にあたる金額が丸々残っていたし、外と連絡を取ることが禁止されているので携帯電話やネットの接続も解約していた。社会保障と保険は全て「ドラガォンの館」が払っていてくれて、毎月の給料がほぼそのままそっくりと残っていた。
この二ヶ月でマイアが遣ったお金は、外出のついでに23と街で逢った時に払ったコーヒー代と貸自転車代が全てだった。
レアチーズケーキとポートワインは確かに美味しかった。繊細な甘さと、バターのしみ込んだ台のさくっとした歯ごたえ。喉を通っていくポートワインの濃い甘さ。ウェイターたちの氣さくな笑顔、道往く人々の姿、全てが想像していた以上に素晴らしかった。けれどマイアは一人だった。本当は23とここに座りたかった。彼に逢いたかった。
でも……。彼はこんなところでのんきにケーキを食べるよりも、きっとボアヴィスタ通りに行くことを夢みているのだろう。《監視人たち》がいっぱいで行くわけにはいかない、ドンナ・アントニアの住む場所。わかっている。私、何をやっているんだろう。マイアは手の甲で涙を拭った。いつまでもテラスに座っているわけにはいかず、マイアは会計をして立ち上がった。
貸自転車屋に向かい、あの黒い自転車を借りた。マイアは前回よりもずっと軽いペダルを狂ったように漕いで、あっという間にフォスに来てしまった。止まらずに、赤い巨大な網のオブジェのあるラウンドアバウトを通り抜け、隣の市であるMに入った。マイアは今まで一度もMまで来たことがなかった。Pの対岸であるGに入ることは禁止されていなかった。だからPと地続きのMに入ることは大きい問題になるとは思えなかった。
けれど、父親は家族で出かける時に、絶対にPの街から出ようとしなかった。Mはもともと漁師の街で、美味しい魚を食べさせるレストランが軒を並べている。妹たちは一度ならずともMへと行きたがった。父親は車を持っていたし、そんなに大変な遠出でもなかった。けれど、彼はいつもこんな風に言った。
「ブラガ通りに新しいレストランが出来たんだそうだ。そっちに行ってみないか」
休暇で戻ってきたマイアを妹たちは明るく迎えてくれた。彼女たちにとってマイアは何も変わらぬ姉のままだった。けれど、二人がMのレストランに行ったと話していた時、夏の休暇でスウェーデンに行くと語ってくれた時、マイアは黄金の腕輪をした姉が家からいなくなったことは、二人にとってきっと幸せなことだったのだろうと感じた。彼女たちも、父親も、さぞ迷惑していただろう。マイアがこの街に閉じこめられて出て行けないのは、彼らには何の関係もないことだ。それなのにマイアの手前、彼女たちもまた多くのことを諦めてきたのだ。
Mの街はこれからもどうしても行きたくてしかたないというところではなかった。魚の匂いはしたが、ケーキを食べたばかりのマイアは一人でレストランに入るつもりになれなかった。マイアは自転車にまたがって、Pの街に戻った。Mに行ったけれど、何も起こらなかった。マイアはふと考えた。だったら、電車に乗って、一瞬だけスペインに行ってくるのはどうだろう。
D河を遡る船旅は始めからパスポート提示を求められるので、マイアには不可能だ。でも、サン・ベント駅から電車に乗るだけなら、切符を自動販売機で購入すればパスポートのことは誰も訊かないだろう。スペインまで行って、何をするというわけではなく、ただ、足を踏み入れてそのまま戻ってくる。やってみよう。
翌朝、マイアはジーンズにTシャツ、それにハンドバックという軽装で、サン・ベント駅に向かった。旅立つためではなく、旅立つ人を眺め、それから装飾の美しさを眺めるためにこれまで何度も訪れていた美しい駅。二万枚のアズレージョでぎっしりと覆われた構内の連廊ををマイアは見上げた。セウタ攻略時のエンリケ航海王子は雄々しく軍隊に指令を出している。マイアも武者震いをして冒険に向かった。
切符は問題なく買えたし、電車に乗り込み窓際に陣取っても何も起こらず電車は静かに出発した。マイアは嬉しくなってD河の流れに目をやった。子供の時にどれほど望んでも行けなかった遠足のルート。船ではなくて電車だが、見えている光景にきっと大きな違いはない。
渓谷の両側は緑色の葡萄畑に彩られていた。濃い緑は艶のある葉で、淡い緑は実りはじめたまだ小さな実。わずかに赤っぽい地面の上に、印象的な縞模様が描かれている。風に揺られてそよぐと葡萄の葉が一斉に踊っているように見えた。空は青く、D河の緑の水が反射して煌めいた。
この葡萄が、ワインになる。世界中へ送られて食卓を賑わす。そして、その同じワインは「ドラガォンの館」にも運び込まれ、マイアたちが給仕している食卓のクリスタルグラスに注がれる。ドンナ・マヌエラが、ドン・アルフォンソが、24が、そして23が楽しみながら飲むのだ。彼の庭で一緒に食事をした時に、お互いに微笑みながら乾杯したのもここで穫れた葡萄で出来たワインだった。
ああ、まただ。何もかも、想いのすべてが彼へと戻っていってしまう。
マイアはふと視線を感じたように思った。窓から目を離して通路側を見ると、男が一人座っていた。作業着風のジャケットと白いTシャツに灰色のパンツ姿で、帽子をかぶっている。特に目立つ特徴のない男性だった。彼はマイアを見ている様子でもなかったので、マイアは再び窓に目を戻した。
いくつか駅を過ぎた。しばらく忘れていたが、マイアは再び視線を感じたように思い、もう一度斜め前の席に目を移した。その男はまだそこにいた。《監視人たち》の一人ではないかと思った。それとも、それを氣にしすぎて視線を感じるように思うんだろうか。マイアは意を決して、別車両に移った。もし男が《監視人たち》の一人なら、ついてくるだろうと思ったのだ。男はついて来なかった。けれど、マイアの斜め前に、別の男が座った。やはり全く目立たない服装の男だった。
マイアは不安になった。ちょうど電車は県境へとさしかかっていた。国を離れたこともないが、県の外に出たことも一度もなかった。もし、《監視人たち》が私を追っているとしたらどうなるんだろう。ううん。ミゲルは《監視人たち》は絶対に危害を加えたりはしない、ただ見ているだけだって言ってた。だから、そんなに心配しなくても……。
次の駅に着いてドアが開くと、斜め前にいた男は降りて行った。そして入れ違いに黒いスーツを着た男が二人が入ってきた。そして、やはり斜め前の席に黙って座った。マイアは震えた。母親が亡くなった時に腕輪を回収しにきた男たち、マイアの腕輪がきつくなった時に取り替えにきた男たちと同じ服装だった。これは偶然でも思い過ごしでもない。観察していた人たちから連絡を受けて、本部から呼ばれてきたんだろうか。
マイアは、国外逃亡と見なされて黒服の男たちに止められたらどうなるのだろうかと思った。連行されて、どこかに閉じこめられるのだろうか。そうなったらその後はどうなるんだろう。「ドラガォンの館」に戻れなくなるのかもしれない。そうでなくてもこの休暇中の自由は制限されるかもしれない。サン・ジョアンの前夜祭にもし、23が来てくれる氣になって、私が行けなかったら……。それはダメ! アナウンスが次の駅に着くことを報せた。マイアは急いで立ち上がった。
ドアが開くと、マイアはホームに降りた。黒服の男たちも一緒に降りた。彼らはマイアにはひと言も語りかけなかったが、マイアが階段を降りて反対側のホームへと向かうと、隠れる様子もなくついてきた。寂れた駅で、ホームにはマイアと黒服の男たちしかいなかった。次の上りの電車が来るまでには30分近くあった。マイアは落ち着きなく、ワインや葡萄の焼き菓子やキーホールダーなどが並ぶ売店をぶらぶらして時を過ごした。
電車が来た。マイアが乗り込むと、男たちも後ろから乗ってきて、マイアが腰掛けた席の斜め前に座った。二人は話もしなければ、何かをしている様子もなかった。マイアは窓の外を眺めた。どうしてもスペインに行きたかったわけではない。《監視人たち》の存在が、夢物語ではなかったこと、本当に自分が監視されているのだということがはっきりしても、それほどつらくはなかった。
23に自分が言った言葉を思い出した。
「叶わない夢なんて見てもしかたない」
あの時は、ほんの少しやせ我慢して口にした言葉だった。けれど、実際に県外に出てスペインを目指し、それを中断した今、それは違う意味を持ってマイアの中に響いた。遠くへ行く夢を諦めたのではない。スペインに足を踏み入れるよりもずっと大切なことができたのだ。23とサン・ジョアンの前夜祭にいくこと。また「ドラガォンの館」に戻り、23と逢うこと。想いが通じるかや、どんな未来が待っているかは関係なかった。
電車はいくつかの駅を通り過ぎた。窓から目を離し、斜め前の席を見た。いつのまにか黒服の二人はいなくなっており、先ほどの下り電車から降りた目立たない服装の男が座って新聞を読んでいた。
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「好きな声はどんな声?」
ひねりもなく答えますけれど、低い声ですね。男性ではバリトンからバスバリトンぐらいの声。バスになると、悪くないですが、やっぱり少し低すぎるかな。歌ではいいのですが、日常生活だとそこまで低くなくてもいいかなと思います。
女性でもある程度落ち着いた声が好きです。
ちなみに、私は「イケメンに限る」ということを言うタイプではありません。連れ合いはガイジンで美形の一種ですが、顔に惚れたわけではないです。そもそも髭に覆われていると、あまり見えないし。現在、年齢にふさわしく「イケメン度」は激減中ですが、それが残念というわけでもありません。だから、ウルトラかっこいい、ハリウッド俳優にも対抗できるくらい整った男性がいても「ああ、かっこいいわね、以上」でスルーできます。
しかし、声には弱いです。一度もみた事もない、性格もわからない、電話口の男でも、それが低めのよく響く声だと「ぐらり」ときます。一般の多くの男性が、普段は愛妻家でも、超スタイルのいい女性が前を歩くとつい見とれてしまうのとかなり似ています。
一度、昔、連れ合いに恋をしていたというゲイの男性が電話をかけてきたことがあります。その電話を取ってしまったのは私なんですけれど、なんとまあ、理想の声の持ち主でした。ドギマギして連れ合いに報告したのですが、「普通の太ったおっさんだよ」と言われてしまいました。「そんな事関係ないわ!」と、思いましたけれど、たぶん、その男性にとって私は「あのアマ!」って対象なんでしょうね。
こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の山口です。今日のテーマは「好きな声はどんな声?」です。いい声って素敵ですよね...対人関係においても声は重要な役割を持っているそうです!確かに聞いていて落ち着く声や落ち着かない声ってありますもんね!みなさんの好きな声はどんな声ですか?たくさんの回答、お待ちしております。トラックバックテーマで使っている絵文字はFC2アイコン ( icon.fc2.com ...
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七十回目の終戦記念日
実は、二日前に突然なった全身じんましん、昨日の夕方も酷くぶり返してきて、この記事の予約投稿を一時見合わせました。コメントをいただいても、返事のできるような状態ではなかったので。昨夜の深夜がピークで、本当にどうなる事か、明日は真面目に病院行かなきゃ、とまで考えていたのが、そのちょっと後に急に収束に向かい、今は、ほぼ大丈夫になっています。というわけで、今日以外に発表するのもなんだなと思うこの記事を改めて公開することにしました。
私がいま住んでいるスイスは、永世中立国です。でも、「永世中立国=平和=戦わない」と思っていらっしゃる方がいたら、それは間違いです。
スイスには軍隊があり徴兵制があります。これは成人男子の義務です。現在は軍隊ではなくて民間防衛(Zivilschutz)という形で奉仕する事も許されているので、主義で軍隊に加わりたくない人はそちらを選ぶ事ができるようになっていますが、健康である限り、どちらかで奉仕しなくてはなりません。障害があったり健康問題があって奉仕のできない人は、代わりに高額の税を徴収されます。日本と違って直接民主制でありとあらゆる事が国民投票で決められていて、民意が政治に反映される度合いはピカイチの国ですが、徴兵制はなくなっていません。それは多くのスイス国民が軍隊を必要だと考えているからです。
ヨーロッパの歴史を紐解けば、「わが国は戦争を放棄します」と言うだけでは、別の国の侵略を防げない、そういう感覚があるのは事実です。だからスイスが軍隊を持っていて成人男子が機関銃を背負って訓練に行くのがごく普通の光景でも不思議はないと思います。
でも、今日私が主張したいのは「だから日本も現実的になれ」というような話ではありません。
防衛の現実を考えたら、「自衛隊は許容範囲かな」と思います。あくまで、これまでの自衛隊の活動のイメージで言っています。外国の侵略を受けた時に、おまわりさんの警棒とピストルだけで何とかなるとは思えませんので。それに、自衛隊が海外で道や井戸を作るといった援助活動をすることにも賛成です。
でも、現在政府がごり押ししようとしている「安保法案(安全保障関連法案)」には反対です。
違憲だから、という話ではありません。すでに自衛隊を持ってしまっている時点で「違憲」であるとも思うし、そこから論議をすると「では、国防はおまじないですればいいとでも?」という話になってしまい、先に進めません。「殺人はいけない」という大原則はあるけれど「正当防衛は認められる」という例外もあるように、お隣の国からミサイルが飛んでくるような時代にあって「自衛隊は違憲だから解散させろ」というのは、非現実的だと思っています。もっとも政府も憲法自体に問題があるというなら、それを変えるところからちゃんと手続きに則ってやるべきだと思いますけれど。
今回の安保法案で、よく賛成論者が口にする「日本人が海外で生命の危機に襲われても、他の国にお願いしないと助けにいけない状況はマズい」というのは、理解できます。それだけなら、私も反対はしないと思います。
でも、「集団的自衛権とは、日本が攻撃されていなくても自国と密接な関係にある国に対する武力攻撃を実力で阻止できる権利のこと」で、しかも「要件を満たせば、我が国を武力攻撃していない国や、我が国に対する攻撃の意思のない国に対しても我が国は武力行使することがあり得る」って、なんですか。「うまく口実を作れれば、こっちから攻撃するのもあり」ってことですよね。
日本は、かつての戦勝国でありかつ同盟国であるアメリカの都合の良いように動かされてきました。アメリカをはじめとする世界の国が「正義のために」戦争をしているなんて信じている人は途方もなくおめでたいと思います。
彼らが戦争をするのは基本的には「金」のためです。軍事産業を養っていくには定期的に戦争をしなくてはいけない。そういう構造があるのです。「死の商人」を肥えさせるために、言いがかりをつけてでも戦争をしてきたのは、イラク戦争ではっきりしましたよね。安保法案が通った後であれば、イラク戦争の時と同じような、完全に言いがかりの侵略戦争であっても、自衛隊が相手の国を攻撃できるってことですよね。
現在する必要のない、その手の武力攻撃をわざわざできるようにする、そんな必要がどこにあるんでしょうか。しかも、国民の多くが納得していないのに、理解を得ようともせずに立法を急ぐ裏には、何があるのでしょうか。
世の中には、いろいろな立場があり、利害があります。綺麗ごとだけで済まないのも現実です。でも、戦争が幸せにする事ができるのは、一部の人間だけで、残りのほとんどの人間は苦しまなくてはなりません。徴兵されるのが嫌だとかそういう話ではなく、一部の人たちの利益を武力行使、つまり誰かの苦しめて得る「あやまちを繰り返し」てはならない、そういう問題だと思います。
七十回目の戦争記念日に、人びとが「あやまちをくりかえさない」ことを想うのは、大切な事だと思います。日本の犯した過ちだけでなく、歴史で繰り返されてきた全ての過ちです。その中にはイラク戦争も含まれています。
そして、今回の安保法案、論議が十分でないのに、また世論も無視して強硬採決を可能にしたのは、選挙で選ばれた国会議員です。近年の選挙の投票率の低さは、利権のない多くの人たちの無関心を表しています。選挙権のある人たち、一人一人がもっと真剣に考えて国会議員を選ぶべきというのは、今に始まった議論ではありませんが、その重要性は強まっていると思います。日本国民一人一人が、国政についての関心を持ち続け、次回の選挙では投票率が最低を更新などという事がないようにしてほしいと願っています。
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【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(3)
浦河に到着するところなどは全てすっ飛ばして、盆踊り大会の日から始まっています。若干の回想は入っていますが。うちの二組のキャラのストーリーを畳む事だけに専念していますし、さらにお許しもなく勝手にコラボっています。該当キャラの持ち主の皆さん、すみません。ありがとうございました。
オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など
君との約束 — あの湖の青さのように(3)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」
正志は焦っていた。浦河の相川牧場に来て二日が経っていた。到着した十日の夜のウェルカムパーティでもずいぶん飲んだが、その前夜の屈斜路湖から、もうペースが崩れていた。昨晩も働いた後にソーラン節の練習をしてから宴会で、思っていた以上に酔ってしまった。そして、今晩は盆踊り大会。ソーラン節を踊りつつ、北海道の海の幸を堪能する結構な待遇だが、これまた飲みまくる事になるだろう。
自分で酒はそこそこ強いと思い込んでいた。営業という仕事柄、接待で飲み慣れている。だが、この場にいるメンバーの飲み方は、その彼の「そこそこ」をはるかに凌駕していた。
全員が飲んでいるわけではない。高校生トリオや、中学生の双子、それに見事な太鼓のバチさばきを見せてくれる成太郎は19歳なので、当然一滴も飲まない。二十歳だから飲んでも構わない綾乃も敢えて飲もうとしなかった。牧場の女性陣、それに手伝いにきているかじぺたさんと呼ばれている女性は、お酌をする事はあっても自分たちが飲みまくる事はない。むしろ忙しく台所と宴会場を行き来をしていた。
異国風の三人のうち、詩人と呼ばれている部屋の中でも全身を覆う見るからに暑い服を纏った不思議な人物は、カニをつつきながら合うとは思えない甘いジュースを飲んでいた。一方、その連れであるオッドアイの青年レイモンドと、大柄な女性リーザは、どれほど飲ませてもまるで水を飲んでいるかのように、全く変わらない。
それは、コトリも同じだった。屈斜路湖でもそうだったが、もの静かな彼女は飲んでも口数が多くなる事はない。いつもと同じように落ち着いているが、氣がつくと盃が空になっている。ダンゴの方は、賑やかに飲む。量は多くないが、楽しい酒のみだ。そして、屈斜路湖から親しんでいるマックスたちと楽しく話している事が多かった。
ホストファミリーの相川家は遺伝なのか、誰もがとんでもないうわばみだ。とくに家長の長一郎は、その歳でそんなに飲んで大丈夫なのかと、余計な心配をするほどだが、京都から来た旧知の友、鏡一太郎の方も同じペースで飲み、しかも赤くなって声は大きくなっても、酔って乱れた様子は全く見せない。
結局、飲んでいるメンバーの中で、一番酒に飲まれかけているのは、悔しい事だが正志なのだった。そして、部屋に行くとふらついたまますぐに寝てしまうので、千絵とまともに話すらできないのだった。
こんなはずじゃなかった。
この旅行を計画した時、彼は千絵と、もう少し別の形の旅行をするつもりでいた。屈斜路湖での混浴の露天にゆったりと浸かり、アイヌの文化に触れた後で、二人でじっくりと語り合う。そして、力を合わせて働いた後、部屋で今後の事も話そうなどと、勝手に思っていたのだ。
今後の事。二人の未来の事。そう、もう少し具体的にいえば、次に旅行するときは新婚旅行だね、という話に持っていければ上等だと思っていた。花火大会もあるから、ムードは満点だと。
屈斜路湖から見ず知らずのメンバーたちと意氣投合して、毎晩宴会になる事は考えてもいなかった。豪華で美味しい朝食にも舌鼓を打ち、仲間たちと朝から笑い合った。それは嬉しい誤算でとても楽しい事だったが、千絵にプロポーズをする段取りからはどんどん離れていくようだった。
宴会で千絵と並んで飲みながら話そうと思っても、忙しく働き回る牧場の女性陣を見ると、いつもの放っておけない性格がうずくのか、立ち上がって手伝いに行ってしまう。彼も立って一緒に台所に行こうとすると、他のメンバーが正志を呼び止め、盃に酒をついで話しかけてきた。
それに、昨日のソーラン節練習直後、宴会の始まりに起こった件があった。
ソーラン節の振り付けと、厳しい指導、それにめげないメンバーたちのふざけた楽しい騒ぎ。そういうムードが苦手な人もいる。どうやらコトリはそのタイプだったようで、そっと席を外した。たまたま入口の側にいてそれを見ていた正志は、宴会時間になっても帰ってこないので、どうしたのかとトイレに行くついでに建物から出て周りを見回したのだ。
コトリは愛車DUCATI696のところにいて、オイルをチェックしていた。一日で300キロ近くを走ったのだ。ベストなコンディションにするために、少し整備をしていたのだろう。
「思いっきり飛ばせた?」
正志が訊くと、少し驚いたようだったが、微笑んで頷いた。
「神戸では、ほとんど信号のない直線コースなんてないから」
それから、しばらくモーターサイクル談義に花が咲いた。正志は、Kawasaki Ninja 650Rに乗っていた時に、逆輸入車だったので、合うキャリア&トップケースを見つけるのに苦労し、バイクを処分したときもそのケースだけは手元に置いてしまったと話した。
「マンションを買うと決めた時に、バイクに乗る事自体をもうやめようと思ったくせにね。まだ未練があるんだろうな」
「ER-6fはまだ市場にでているから、そのうちにまた買えばいいでしょう」
「そのうちにか……」
その時に、コトリが建物の入口の方を見たので、正志もその視線を追った。そこにはゴミ袋を持っている千絵がいて、DUCATIの前で話し込んでいる二人を見ていた。二人の視線に氣づくと、彼女は小さく手を振って、ゴミ置き場の方へ急いで行ってしまった。
「あ……」
どことなくこれはマズい状況ではないかと思った。後ろめたい事をしていたわけではないし、千絵は、いままでやきもちを焼いたりすることはなかったので、わざわざ追って行って何かをいうのも、よけいに事をこじらせるように思い、しばらく立ちすくんでいた。
「行ってあげたら」
コトリがぽつりと言った。
「え?」
「ダンゴが言ってくれなかったら、私もわからなかったけれど、車種や整備の話、走りの話題についていけない女の子たちは、置いてきぼりになったようでずいぶんと寂しい思いをするみたい。それはそれ、これはこれでどちらも大切なんだって、安心させてあげた方がいいと思う」
正志は、コトリをじっと見つめた。よくみている人だなと思った。ぶっきらぼうに感じることもあるけれど、とても心の温かい人なのだとも感じた。
「ありがとう。いってくる」
ゴミ袋を持って小走りにゴミ捨て場に向かっていた千絵は、悲しいきもちを振り払おうと頭を振った。その時にちゃんと前を向いていなかったので、角を曲がって走ってきた小さなものに氣がつかなかった。
足元に暖かいものがポンと当たった。それは茶虎柄の小さい猫だった。
「みゃ~!」
「あ。マコト! ごめんなさい!」
千絵は、あわてて屈んでその仔猫を抱き上げた。左右で色の違うきれいな瞳が、千絵を見ていた。いきなりぶつかったにもかかわらず、マコトは嫌がる事もなく、千絵の顔を覗き込んでかわいらしく鳴いた。千絵は、その頭を撫でてやりながら、そっと立ちすくんで、大きなため息を一つ漏らした。
「ずいぶんと大きいため息だな」
その声にはっとして振り向くと、建物の影にいた赤毛の大柄な女性が、千絵の方を見ていた。泉の縁に腰掛けて、何か貴金属のようなものを洗っているところのようだった。
「リーザさん」
「いつも男どもが食い散らかしたものの後始末に走り回っているようだが、それに疲れたんじゃないのか」
千絵は驚いた。褒めてもらいたかったわけではないし、自分も他の参加者たちのように普通に座って食べているだけでもいいのに勝手に手伝っている事もわかっていたけれど、それでも誰かがそれをしっかり見ていてくれる事が、嬉しかったから。
「いいえ。そうじゃないんです。動き回るのは、私のクセみたいなものですし、嫌じゃないんです。そうじゃなくて……。たぶん、自分の中にはないと思っていたつまらない感情があったので、がっかりしてしまったんだと思います」
「ふ~ん? そういうこともあるさ。それが人間ってもんだろう?」
千絵は、マコトの毛並みを優しく梳きながら、リーザの方に近づいて行った。見ると彼女が泉の水で洗っているのは小さな真鍮の指輪だった。
「それは?」
「これか? わたしが子供の時に、恩人がくれた指輪さ。ウニがついてしまったんで、洗いにきたんだ」
「とても綺麗。水を反射して光っていますね」
リーザは、笑って指輪についた水分を丁寧に拭きながら言った。
「高価な宝石付きと違って、どこにでもある類いの指輪かもしれない。だが、わたしにとっては剣とともに一番大切な持ち物だ。モノってのは、どのような形で自分のものとなったか、もしくは失ってしまったか、その歴史で価値が決まるんだと思う。そうやって特別になったものは、他のヤツらがなんと言おうと関係なく大切な存在になるんだ」
千絵は、リーザが愛おしそうに指輪を嵌めるのを見ながら考えた。私の知らない、バイクに乗っていた頃の正志君。バイクショップの店長であるコトリさんとその話をしている彼がとても生き生きとしていたのは、当時の彼がそのバイクで走る時間を大切にしていたからなのよね。入っていけない世界を感じて悲しくなってしまったけれど、そんな姿を見せたりしちゃダメなのかもしれない。
マコトが、千絵の腕からぱっと離れて、リーザの膝の上にすとんと遷った。リーザは、千絵の後を見て笑った。
「ああ、邪魔者は消えた方がいいな」
千絵が振り向くと、そこには戸惑った顔をした正志が立っていた。リーザはマコトを抱いたまま、「がんばんな」とでも言うように正志の肩をポンと叩くと、また続きの酒を飲むために宴会場に戻っていった。それが昨日の事だ。
盆踊り大会が始まっていた。正志は、「踊っている場合じゃないんだけれどな」と、半ば涙目になりながらソーラン節を踊っていた。昨日の件の誤解はなんとか解けたようだし、千絵は怒ってはいなかったのだが、その後もポイントを稼ぐチャンスがあまりなく、プロポーズどころではなかった。
踊りながら千絵を探すと、つまだけになった刺身の盛り皿を抱えて台所へと向かっているところだった。
櫓の上は、盛り上がっていた。レオポルドは、特別に用意してもらった金色の浴衣を身に着けて、ソーラン節を踊った。せっかく用意してくれたお揃いの浴衣もあったのだが、目立たないものは嫌だとゴネたのだ。縫わされる女性陣はムッとしていたようだが、彼らがアイヌの衣装を着、アイヌのハチマキをお土産に持ってきた事を喜んだ弘志夫人が大人の対応で用意してくれた。
「陛下。もうそのぐらいにしておいていただけないでしょうか」
妙に冷静な男の声に振り向くと、見慣れぬ外国人が二人立っていた。一人は、くすんだ赤の袖の膨らんだ上着に灰色の胸当てをし、この暑いのにマントまで身につけた男で、もう一人は大きくデコルテは開いているが、裾までしっかりと覆われたアプリコット色のドレスを着た妙に色っぽい女性だった。
「なんだフリッツか。よくここがわかったな」
レオポルドは、悪びれずに言った。
「あれは誰ですか」
長一郎が、小さい声でマックスに訊ねた。彼はにニコニコ笑って答えた。
「陛下の護衛の責任者を務めているフリッツ・ヘルマン大尉と、高級娼館の女主人マダム・ベフロアです。我々と別れて札幌の歓楽街へ行っていたのです」
「この世界の出口でお待ちしていましたが、いっこうにお見えにならないので、お迎えに参りました」
「もう少しいいではないか。そなたもここに来て飲め。伏見の酒はまだ飲んだ事がないのだろう? それにソーラン節を踊るのも滅多にない経験だぞ」
「陛下。いい加減にしてください。向こうでどれだけの政務がたまっているとお思いなんですか。臣下の皆様のお小言をいただくのは、この私なのですよ」
「じゃあ、お前だけ先に帰って、じじいどもに『よきにはからえ』と伝えろ。余とマックスは、疲れを癒すためにもう一ヶ月ほど滞在する」
レオポルドは、抵抗を試みた。
ヘルマン大尉は、腕を組み軽蔑した目つきで、女性陣に囲まれて楽しそうなレオポルドとマックスを眺めた。
「では、お二人のご様子を、宮廷奥取締業務の引き継ぎで休む暇もないフルーヴルーウー伯爵夫人に詳細にお伝えする事にします」
レオポルドとマックスは、ぎょっとして慌てて櫓から降りてきた。
「ちょっと、待ってください、ヘルマン大尉。私はすぐに帰りますので……」
「フリッツ、余が悪かった。明日、花火とやらを見たらすぐに帰るので、ラウラに告げ口するのだけは勘弁してくれ」
「フルーヴルーウー伯爵夫人?」
「ええっ。マックスったら、結婚していたってこと?!」
女性陣から、次々と批判的な声が上がる。特に、馴れ馴れしくされていたダンゴはおかんむりだ。
「ええ。陛下のおぼえもめでたいバギュ・グリ侯爵令嬢で、大恋愛の末の新婚なのよ」
ヴェロニカが、とどめを刺す。皆の冷たい視線に耐えかねて、マックスは、無理やり話題を変えた。
「ところで、ヘルマン大尉。お預けしたお金は全て遣い切ったでしょうか」
現地通貨を持ち帰ってはいけないことになっているので、彼らに渡した三百万円のことを訊ねているのだ。
ヘルマン大尉の顔は曇った。
「そ、それが……」
大尉の視線を追うと、二人の後には大量のジェラルミンケースが置かれている。
「私は、歓楽街であるススキノでなんとか遣い切ろうと努力したのですが」
「どうやって遣ったのだ、フリッツ」
「はあ、『そーぷらんど』というご婦人と一緒に入る公共浴場のようなところへ行きまして、値段が張るところでしたので、かなり減らす事には貢献できたと思うのですが……」
「なんだ。そんな大金は払わずとも、女と風呂に入りたいなら、ここの岩風呂を使えばいいのに。いい湯だぞ」
「えっ」
ヘルマン大尉は真っ赤になって、女性陣を見回した。正志は、それは違う! と、心の中でつっこんだが、レオポルドたちに余計な知識は付けない方がいいだろうと思い、そのまま黙っている事にした。
「ソープ……ランドって、何?」
後方で、高校生トリオの一人である萌衣が大きな声で享志に訊いている。正志は、なんて質問をするんだと苦笑いし、享志がどう答えるのかにも興味津々となった。
「聞いたことないな。真、知ってる?」
「いや。知らない。お風呂だって言っていたから、そうなんじゃないのか」
なんだ、なんだ? どこのお坊ちゃま、お嬢様なんだ、この三人? まあ、こちらに振られるよりは、これで納得してくれれば、その方がいいけれど。なんせ今、千絵の前で、その手の店の詳細を知っているようなそぶりは見せたくないから。
「でも、この人がチンタラ楽しんでいる間に、私がそれ以上に稼いでしまったみたいなのよね」
ヴェロニカが、妖艶な口元をほころばせて言った。
「何をやったのだ」
「ススキノの研修先の高級クラブで、お客さんに氣にいられて。一緒に仕手株というのをやったら、なんだか増えに増えてしまって、このケースの中、全部一万円札がぎっしりなの。どうしたらいいかしら、陛下」
「それでは、それを遣い切るまでは帰れないではないか。なんとか明晩までに使わねばならぬな」
レオポルドは、真剣な面持ちをしたが、金色の浴衣を着ているとどうやっても真面目に考えているようには見えなかった。
翌朝、襟裳岬経由で花火大会に行く前に、レオポルドとマックスは、ヘルマン大尉によって強制的に着替えさせられた。きちんとした中世の服装をすると、二人ともこれまでのおちゃらけようが嘘のようにサマになった。これまで、彼らの事を少しねじの外れたただの外国人なのではないかと思いかけていた一同も、やはり彼らは異世界から来た王侯貴族なのだと納得した。
帯広の夜空を、大きな花が彩った。東京よりも広がっている空がずっと広い。そこを腹の底に響く轟音とともに、赤や緑や金色の色鮮やかな花火が次々と花ひらいた。
この数日間をともに過ごしたメンバーが座って同じ花火を眺めている。いつも飲んでいたメンバーも、忙しく働いていた女性陣も、バチを話さなかった成太郎も、熊の置物の謎に挑んでいた高校生たちも、宴会を抜け出してバイクの整備をしていたコトリも、今は、全て同じ方向を見て、花火を楽しんでいる。
隣に座る千絵の白い横顔が、花火の光に彩られている。正志は、今なら話ができると思い当たった。
「千絵」
「なあに、正志君?」
「俺……本当は、もっとお前に休んでもらうつもりで来たんだけれど……いろいろと氣が回らなくて、一人で飲んでいるばっかりで、ごめんな」
千絵は、微笑んで首を振った。
「そんなことない、正志君。私の事を氣にして、何度も声を掛けようとしていてくれたわよね。それがわかっただけで、十分だったの。あのね、私、この旅、とても楽しかったの。来れてよかったって何度も思ったわ。本当よ」
千絵は、嫌味でも、諦めでもなく、本当にそう思っているようだった。この旅に来る前と変わらずに、曇りのない澄んだ瞳で正志の事を見つめていた。ちょうど屈斜路湖や美瑛の青い池の水のように。正志の怖れは、すっとほどけていった。
「陛下の提案じゃないけれど……」
「?」
「また、一緒にここ北海道に来ような」
その言葉を聞くと、千絵は正志を見て、とても嬉しそうに笑った。
「ええ。そうしましょう」
「すぐに来ような。それも……」
「それも?」
「その、できたら……新婚旅行で」
千絵が、驚いた様子で正志を見た。彼は、意を決して、千絵の方に向き直り、はっきりと言いかけた。
「つまり、その、俺と結婚してくださ……」
その時、正志は視線に氣がついた。
中世組四人が遠慮なく注視していた。それに、双子と高校生三人も、生まれてはじめて目にするライブのプロポーズを見逃すまいと、しっかりと目をこちらに向けている。異国風の三人組も会話をやめて止まっていた。そしてそれ以外の若者や大人たちも、あえて見ないようにしながら、全員が固唾をのんで成り行きに注目していた。
千絵も、その異様な注目に氣がついて赤くなった。正志は、くらくらした。轟音と花火の華麗さを隠れ蓑にして、こっそりプロポーズのはずだったのに、こんな見せ物みたいな状態になってしまった。控えめな千絵が、こんな状態でうんと言ってくれるはずは……ないよな。怒っても、当然だ。ちくしょう、失敗した……。
がっくりと肩を落として下を見る正志を見て、千絵には、彼の心の内がわかったらしい。皆の視線をものともせずにその手を取ってから、はっきりした声で答えた。
「ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」
正四尺の特大花火が、帯広の空に炸裂した。その一つひとつの光は流星のように尾を引いて、仲間たちの上で輝いた。だが、彼らはその花火を見ていなかった。たった今婚約した二人の周りに集まって、思い思いの歓声を上げた。正志は、ガッツポーズをして、飛び上がった。
「なんとめでたいことだ。余からも祝わせてもらおう」
レオポルドが言った。
「いや、陛下からはすでにいろいろと……」
「それはそれ、これはこれだ。結婚祝いだからな。ふさわしい贈り物をせねば。そうだな、馬百頭を贈ろう」
「えっ?」
正志と千絵は、固まった。
「い、いや、陛下。うちはしがないマンション暮らしで、馬百頭もらっても……」
第一、馬の値段をわかっていないような氣がする。それに馬の維持費も……。
「余が贈ると言ったら、贈るのだ。足りないと言うなら羊も……」
「いや、そうじゃなくて!」
その時、コトリがすっと立って、こちらにやってきた。
「デュラン、ちょっといいかしら」
正志が何か言おうとすると、コトリは「私にまかせて」という顔をした。正志は、千絵と顔を見合わせてから、コトリに頷いた。彼女は続けた。
「この世界では、馬をたくさん贈るのは、あなたの世界ほど現実的ではないの。だから、代わりにたくさんの馬に匹敵する機械馬をプレゼントしてあげるといいわ。たとえば、私のDUCATIは馬80頭に匹敵するの。正志君は、数年前に、Kawasaki Ninja 650Rという機械馬を手放さざるを得なくて、とても残念がっていたの。だからそれをプレゼントしてあげて」
「おお、それはいい案だ。そうしよう」
正志は、その展開に小躍りして、もう一度ガッツポーズをした。やった! またNinja 650Rに乗れるんだ! 今度は、千絵とタンデムするぞ。
「ところで、そのNinjaとやらは馬100頭分か?」
レオポルドはコトリに訊いた。
「いいえ。72頭よ」
「では28頭分は、どうするのだ」
100頭にこだわるな。誰もが苦笑いした。真が立ち上がって言った。
「では、こうしたらどうでしょうか。残りの28頭は、この牧場から買って、そのままここに預けるというのは」
「そうね。維持費の代わりに、ここで観光用に使ってもらえばいいと思うわ」
綾乃もにこやかに提案した。
相川長一郎と弘志は、突然28頭も馬が売れる事になって驚いたが、やがて頷き合って笑い、それから言った。
「名前はどうしましょうか」
「ここに集まった仲間全員と同じ名前を付けたらどうですか」
成太郎が提案した。皆がそれに同意したので、相川牧場では、このワーキングホリデーに参加した仲間全員の名前をそれぞれに持つ馬が飼われる事になった。
一つだけ問題があって、マコト号がダブるので、一頭をアイカワマコト号、もう一頭をチャトラマコト号と名付けることで決着した。当然ながらエドワード1世号、アーサー号、ポチ号もいるし、ハゾルカドス号やコクイノオンナ号もいる。
相川牧場に積まれたジェラルミンケースの中の一万円札の内、一部はコトリの店に送られ、Ninja 650RことKawasaki ER-6fを仕入れてきちんと整備してから正志たちに送る手はずとなった。そして、残りは相川牧場にて28頭の馬の代金と維持費に充てられる事になった。
正志たちが、もう一度礼を言おうとレオポルドの方を振り返ると、中世の服装をした奇妙な四人はもうそこにはいなかった。始めからいなかったかのように、消え去っていた。だが、マックスとレオポルドの持ってきた土産や、ずっと着ていたアイヌの衣装は相川牧場に残されていたし、ジェラルミンケースの山もちゃんとそこにあった。
「なんとなく、これからもずっと一緒にいるんだと思っていたわ」
千絵がぽつりと言った。正志も、同じ事を思っていた事に氣がついて驚いた。
「いつかまた逢えるよな。ここ北海道で」
「そうね。ここに集まったみんなとも、またいつか逢えるわよね」
一つの約束が、次の約束に繋がっていく。北海道で始まった絆が深まると、次の縁を呼び寄せる。正志と千絵は、とても幸福になって、青く深い北の大空を見上げた。
(初出:2015年8月 書き下ろし)
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触れない虫をつかまえる

私は東京で生まれ育ったので、身近な昆虫というのは限られていました。基本的には、家の中ではあまり見ないものでしたし、まあ、見るとしたら例の「絶対に見たくなかったヤツ」くらいで、それを生かしたまま外に逃がそうという発想は皆無でした。
で、こちらには「絶対に見たくないヤツ」はあまりいない(いるという噂もありますが、幸いまだお目にかかっていません)ので、「やだ! もう、ここ引越したい!」という騒ぎにはなっていません。その一方で、いろいろ出るんですね。たとえば蜘蛛。蜘蛛は飛びませんので、私はたいてい助けます。ゲジゲジの類いも助けます。
連れ合いは、自然大好き人間ですので、大抵の生き物は手でつかんで大切に生かしながら外に出します。
でも、私は「ダメな都会っ子」で、やっぱり触れないので、日本式のメゾッドを使おうとしていたのです。すなわち、コップでつかまえて、下に厚紙を敷いて……というやつです。
でも、近所で見つけてしまったのですよ。昆虫を生け捕りにする便利グッズを。
写真、手前の緑色の柄のものがそれです。プラスチック製のピラミッドに虫を閉じこめるのですね。下の蓋の部分はスライドしますので、まず開けた状態で閉じこめ、ゆっくりと蓋をスライドさせて中に閉じこめます。そうすると、そのまま窓まで運べるので、外でふたを開けて逃がすというわけです。
奥に見えているのは、ごく普通のハエたたきです。これは夏の必需品ですね。農家が近いから、ハエはあまりに多いので、自然大好きの連れ合いですら容赦なく叩きます。私も、ずいぶん熟練してきました。
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天下の回りもの

このブログだと、しょっちゅう外食したり、週末旅行したり、海外旅行に行ったりしているみたいに見えますよね。実際、しょっちゅうやっているんですけれど。
そのかかっている金額をお知らせしたら、きっと皆さん驚かれるんじゃないかなと思います。スイスって、外食や宿泊、びっくりするほど高いんですよ。それだけでなく、私はあまり買わないから関係ないけれど、衣類やインテリアにしても日本の常識からは考えられないくらい何でも高いんです。
たとえば、お昼ご飯を二人で食べたら、一万円くらいなくなるのは普通です。外食ランチを1000円以下で済まそうと思ったらファーストフードくらいしか選択肢はありません。しかも、日本のファーストフードの値段を知っている方は「なんでこの値段!」といっそのこと一食抜きたくなるに違いありません。
というわけで、勤務先のランチを毎日外食なんて事はしません。働いている意味なくなっちゃうし。普段は自炊をきちんとして、それなりの食費内に納める努力もしています。
でも、外食や週末旅行にも行くんです。そして、そういう時は、「日本より高い!」ということをあまり考えないようにしています。
私たちには子供はいませんので、生活のランニングコストはそれほどかかりません。借家暮らしですが、ローンなどの借金もありません。衣類や化粧品には全然お金がかかっていない分、将来の事を考えて残している分を除いても、外食をするくらいの贅沢はそこそこできる余裕があります。まあ、別荘やヨットに回す余裕は全くありませんけれど。
そして、スイスの物価が高い理由がわかっているので、文句もあまり言わないようにしているのです。
スイスは、人件費が高いのです。つまり、働いている人たちの給料が高いという事です。日本のアルバイトの時給、私が日本にいた時よりは上がっていると思いますけれど、今でも一時間1000円以下というのもありえますよね。スイスで1000円以下というのは、通常だとありえません。あるとしたら不法移民が不法就労して搾取されているケースです。
スーパーのレジなどを担当している人であっても、100%(週42時間くらい)働くとおそらく3000フランくらいのお給料はもらえるはずです。30万円くらいと考えてください。もちろんボーナスに当たるものもないですし、法定の健康保険料が日本と較べ物にならないくらい高いとか、なんだかんだ言って引かれてしまう金額もありますが、それでも手取り2000フラン以下という事はないはずです。日本で大学を卒業したのにも関わらず、手取り十万円くらいしかない方たちの困窮ぶりをたまに読んだりしていますけれど、それと較べると雲泥の差なのがわかると思います。
その分、もちろん物価は高いのです。とくに外食や、嗜好品など生命維持に不可欠とは言えないものの値段は高いです。そしてですね。消費税も8%です。けれど、スイス人はそれを「高い、高い」と言わないんですよね。(外国人は言います、もちろん)
安いものもあるんですよ。国境を越えれば、ドイツのスーパーマーケットに置かれる商品などはぐっと安いです。スイス国内のものでも、国産品より輸入物は割安です。安かろう悪かろうの代表のような、アジアの某国からの製品もたくさんあります。
でも、私は安さだけを追求しないようにしています。その商品がどのような過程で作られて、どんな状態であるかが大切だと思うからです。生まれてから文字通りベルトコンベアに乗せられて生産ライン上で殺されてしまう某隣国の鶏肉は買いません。どんな危ない薬品がついているのかもわからない某アジア国製品も可能な限り避けています。
そして、人件費と丁寧な作業が、値段を押し上げてしまうスイスや近隣諸国の信用できる製品を選んで買う事が多くなりました。また見えない部分ですが、原子力発電ではなく水力発電だけを送電してもらう追加料金というのがあるんですけれど、それにしてもらったり、近くの有機農家で買い物をしたり、同じ商品でもフェアトレードの製品だけを扱う店から買ったりと、わずかずつですが高コストでも私の信じるよりよい世界のためにお金を遣うようにしています。
同じようにしたくても、育ち盛りのお子さんがいて、その養育費などでそんな贅沢はできないという方も多いと思うんです。旅行や外食も同じです。それができる状況にあるというのも、一種の社会的役割のように感じるのですよね。
そして、いつかよぼよぼになってしまっても、私には子供がいないので、まちがいなく社会のお世話になると思うのです。だから、その前に、楽しめる事はそこそこ楽しみ、社会に幾ばくかは還元しておきたいと思っているのです。
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【小説】君との約束 — あの湖の青さのように(2)
サキさんのところのコトリ&ダンゴとしばしの別れを告げて、四人はミニバンで富良野へと向かいます。北見でlimeさんのところの双子を、美瑛にてTOM-Fさんのところの綾乃を拾ってまいります。
なお、この後の話は、欠片も書いていません。皆さんの出方を見ながらのんびり一本だけ書こうと思っています。
オリキャラのオフ会 in 北海道の募集要項記事(大海彩洋さんのブログ)
私のところのチームの詳細設定など
君との約束 — あの湖の青さのように(2)
- Featuring「森の詩 Cantum Silvae」
「あの先に、二人少年がいるだろう」
後の席に座っているレオポルドが、運転席の正志に話しかけた。
言われてみると、一キロほど先の反対車線の道路脇に、小さな影が二つ見えた。なんで少年ってわかるんだ?
「少年?」
「ああ、少年二人。一人は親指を上に向けている」
「親指?」
「そうだ。そして、もう一人の少年が、昨夜、そなたたちが見せた例の牧場の紙を見ているぞ」
「ええっ?!」
正志と千絵はぎょっとした。正志と千絵、それに昨日知り合って一緒に浦河の牧場でのワーキングホリデーに同行することになった謎の外国人、レオポルドとマックスは、レンタカーの七人乗りのミニバンで北上していた。本来だったら、昨日行くはずだった富良野へ寄る用事があったからだ。
朝食後、やはり浦河へと行くことになっているバイクでの女性旅行者たち、コトリとダンゴに夜までの別れを告げて屈斜路湖畔を北上し、北見までやってきたところだった。
普段なら、反対車線のヒッチハイカーになど氣を留めたりしないのだが、そんな手前から予言のようなことを言われたので、スピードを緩めつつ近づくと、本当に二人の少年で、背の低くてフワフワとした髪の少年が「浦河」と書かれた紙を掲げ親指を突き出していて、もう一人がオロオロと見ている紙は、紛れもなくあの浦河の牧場のチラシだった。
正志が車を停めて窓を開けた。
「本当だ。あのチラシを持っている。お~い、君たち、ここで何をしているんだ?」
「ヒッチハイクです。残念ながら、みなさんは、反対方向みたいですね」
きれいな顔をした少年だった。凊やかな表情でキッパリと答えた。
背の高い方の少年が、後から小さな声で言った。
「なあ、ナギ、やっぱりヒッチハイクは無謀だよ。なんかあったらどうするんだよ。電車やバスを使った方がいいって」
千絵は、鞄から例のチラシを取り出して二人に見せた。
「ねえ、あなたたちもここヘ行こうとしているの?」
二人は、驚いたようだった。それから頷いて、こちらの車線へと移動してきた。
「嘘みたいだ。さっきから二十台くらい、車が通ったんですが、みんな無視するか、全然違うところにしか行かないみたいで」
「そりゃ、そうだよ」
正志は頷いた。電車を乗り継ぐより、相当効率悪いだろう。
「俺たちは、今日、富良野経由で浦河へ行く。レンタカーにスペースはたっぷりある。君たちが、北海道を半周する遠回りが嫌じゃなかったら、乗ってもいいぞ。そこの二人も乗りかかった船で道連れになったんだ」
二人の少年は、顔を見合わせた。
「遠回りかもしれないけれど、座っているだけで目的地に確実に辿りつける。こんな偶然は二度と起こらないよね、ミツル」
「そうだな、ナギ。この人もこのチラシを持っているからには、人さらいってこともなさそうだし」
二人は小さく話し合い、それから、こくんと頷いた。
「お願いします。ガソリン代とか、必要だったら言ってください。僕たち、お小遣いも持ってきていますから」
ナギの言葉に、正志は笑って手を振った。
「君たちのお小遣いをぶんどるほど悪どくないよ。それに、レンタカー代とガソリン代だけでなく、昨日の宿泊費用まで全部そっちの二人が払ってくれちゃったんだ。国王さまと伯爵殿らしいから、失礼がないように頼むよ」
その言葉を聞いて、二人の少年は揃って目を見開いた。国王と伯爵? そのアイヌのコスプレをしたウルトラ奇妙な二人が?
釧路から屈斜路湖までずっと平坦な道だったので、層雲峡を通るコースは変化が出るだろうと思っていた。確かに少しは変化があったが、それでも単調な道という印象は拭えない。東京の信号機だらけでイライラする道と較べれば天国のようなのだが、こうも直線コースだけだと少し眠たくなってくる。昨夜は楽しくて騒ぎすぎたし。
その正志の疲れを察知したのか、層雲峡の手前で、千絵が運転を代わると言ってくれた。レオポルドも運転したがったが、無免許に決まっているので、もちろん断った。千絵の運転は、多少もたつくがひたすら直線コースでは特に問題はなかったし、第一ブレーキなどが丁寧で、ナギとミツルはむしろこっちの運転の方が嬉しいようだった。
助手席に座った正志は、振り返ってレオポルドに話しかけた。
「ところで、陛下。さっき、ミツル君があのチラシを持っているって、なんでわかったんですか?」
「なんだって。そなたには見えていなかったのか?」
「えっ。あの距離で見えるわけないでしょう」
「そんな視力では、狩りの時に獲物が見えないではないか」
「か、狩り?」
マックスが、にこやかに言った。
「あまり遠くを見ない生活をしている者たちは、視力が落ちるものなのですよ。例えば街の職人たちは、とても細かい作業は得意ですが、100フィート先の麦の数を正確に数えられなかったりします」
「そういうものなのか」
正志は、マックスの方を向いて訊いた。
「ってことは、あなたもあの距離のチラシが見えたんですか?」
「ええ、もちろんです。私は、遍歴の教師でしたから、遠くを見る事が多かったのです。なるほど、ここの皆さんたちの視力は、街の職人たちのようなものなのですね」
「あの、お二人はどこから来たんですか?」
ミツルがおずおずと訊いた。
「先ほど、我々はグランドロン王国から来たと言わなかったか」
「ええと、聞きましたけれど……それ、どこですか?」
「知らぬのか。《シルヴア》の森に面している国だが」
「ごめんなさい。僕たち、世界地理はまだ中国までしか終わっていないんだ。二学期になったらヨーロッパの地理もやると思うけれど」
正志は、俺はヨーロッパの地理も歴史もやったけれど、そんな国の事は憶えていないぞと心の中でつっこんだ。
ミツルが、大人たちの会話に加わっている間、ナギの方は、少し熱っぽい様子で、会話には加わらずにじっとレオポルドの事を見つめていた。
「おお。千絵殿も『本氣』を出されたか」
突然、レオポルドが楽しそうに言った。
「なんですって?」
千絵と正志は、意味が分からずに同時に訊き返した。
「余は昨日、無理を言ってコトリの機械馬に乗せてもらったのだが、彼女が『本氣だしますよ』と加速した時にな、兜が浮いたような感じになったのだ。今は、全身がわずかに……」
「冗談はやめてください。私は法定速度を遵守しています」
千絵が困ったように言う。正志は、F1じゃないんだから、体が浮くほどスピードを日本国内で出せるかと頭を振った。
「ナギ!」
ミツルが咎めるような声を出したので、運転している千絵以外はナギを見た。彼は、はっとして、それから窓の外を眺めた。大人たちは、それからミツルの方を見たが、こちらは曖昧に笑って誤摩化した。わけがわからなかったが、正志は宣言した。
「とにかく、少なくともみんなちゃんとシートベルトを締めてくれ」
そういっている間に、車は層雲峡を過ぎ、大雪高原へと入っていった。今朝ダメもとで電話してみたら運良く予約が取れたガーデンレストラン「フラテッロ・ディ・ミクニ」に到着したのだ。「大雪高原旭が丘」の施設の一つで、隣には大きなガーデンがいくつもあるが、今日は食事だけなので入園はしない。
といっても、目の前に雄大な大雪山を眺める広く開放的なレストランでのランチコース。三方向に大きな窓があり、オープンキッチンで料理される宝石のように美しい料理の数々が運ばれてくる。北海道出身のオーナーシェフ三國氏が監修した、産地最高の食材を使った本格イタリアンだ。
甘エビのカルパッチョにはグレープフルーツのピュレと、食べられる色鮮やかな花が踊るように添えられている。パスタは、黄色トマト、モツァレラチーズ、そして薫り高いバジル使ったオレキエッテ。メインの肉料理は道産牛のフィレンツェ風ステーキ。そしてドルチェがマンゴーソルベとアマレット酒のパンナコッタで甘いザバイオーネソースがかかっている黄金のような一品。
「どの料理も本当に美味しいですね。しかも色鮮やかで美しいときている」
マックスが幸せな笑顔を見せる。
「そなたたちは、毎日このように美味い物を食べているのか。不公平だ」
レオポルドがブツブツ言っているので、千絵と少年たちはくすくすと笑った。
「いや、毎日ここまで美味い物を食べているわけじゃありませんよ。東京じゃこうは行きません。北海道は海の幸も山の幸も新鮮で美味しい場所として有名なんです。ま、北海道以外にもそういうところはありますけれど」
正志がそういうと、マックスはため息をもらした。
「私たちのいるところは、どこへ行っても、それに最高の食材を集めても、ここまで美味しいものは食べられません。皆さんが羨ましい」
食事が終わり、エスプレッソを飲んだ後、先を急ぐためにレストランを出る事になった。会計の時に、マックスが全て払おうとしたので千絵が抗議した。
「そんなに何もかも払っていただくわけにはいきません」
「いいではないか。この金は、我々の世界にはもって帰れないのだから、運転してくれているそなたたちのために遣って何が悪い」
レオポルドが言った。
千絵は、少し躊躇したが、また口を開いた。
「正志君に、ここ北海道で食事をごちそうする一年前からの約束があるんです。一年前に、私の無理をきいて助けてくれたお礼なんです。ここで払わなかったら、また約束が果たせないわ」
正志は、一年前の約束をすっかり忘れていたので驚いた。彼らが札幌の空港で出会い、なりゆきで富良野まで一緒にレンタカーで行くことになったあの二日間のあと、「北海道に再び行って海鮮丼をおごる事」を約束させたのだ。また逢ってもらう口実のつもりだった。
「あの約束は……」
千絵に言おうとした時に、レオポルドがそれを制した。
「では、なおさら、ここは余が払おう。二人でもう一度ここへ来る約束をするがいい。いや、何度でもここに来て、正志殿が助けてくれた事を想うがいい。正志殿も、その方が金を払ってもらうよりずっと嬉しいだろう」
千絵は目を見開いた。その彼女に、ニコニコ笑ってマックスは、伝票を係員に渡した。彼女は、それから、ゆっくりと正志の方を振り返った。正志は、何も言わずに大きく頷いた。千絵も無言で微笑んだ。
「想い合うというのは、いいものだな、マックス」
レオポルドが話しかけると、マックスは「本当に」と答えた。
「なぜ余だけいつもチャンスがないのだ。昨日、コトリにほのめかした時にも、結婚したばかりだとあっさり袖にされた」
レオポルドが呟くと、マックスが大袈裟に振り向いた。
「陛下! ご結婚相手はきちんと選んでくださらないと困ります。貴賤結婚だけはやめてください」
「マックスさん、それは時代遅れだわ。コトリさんがとても素敵な方だってあなたも知っているじゃない。貴賤結婚だなんて」
千絵が憤慨した。正志は、憤慨まではしないが、マックスがそういう事を言うタイプだとは思わなかったので、少し驚いた。
マックスは、少し慌てて弁明するように言った。
「千絵さん、違うのです。私は、世界のあらゆる人たちが、身分の差のある人と愛し合っても構わないし、心から応援するのです。ただお一人、この方を除いて。この方にそれをやられると、私に実害が及ぶんです」
「どういうことですか?」
千絵が少し表情を緩めて訊くと、レオポルドが笑いながら代わりに答えた。
「我々の慣例では、貴賤結婚をすると位の高いものはその地位を失うのだ。そして、余が国王でいられなくなると、現在のところ次期国王にされるのは、わが従弟であるこのフルーヴルーウー伯なのだ」
「伯爵になるのだって、不自由で嫌だったのに、国王なんてまっぴらですよ。絶対にやめてください」
マックスが真剣に抗議しているのがおかしくて、正志たちも双子の少年たちもくすくす笑った。
コバルトブルーの水が、鏡のように静まり返っていた。美瑛の青い池。去年、富良野に行った時には存在を知らなかった。千絵がiPhoneの待ち受け画面として使っている画像が、この池の写真だと教えてくれたのは正志だった。
「じゃあ、次に北海道に行く時にはここに行ってみたいわ」
そんな風に話したのは、去年のクリスマスの少し前の事だっただろうか。
今回の旅行を計画した時、正志に富良野の上田久美子に何かプレゼントを持っていきたいと提案したのは千絵だった。二人がつき合うきっかけになったのは、千絵が亡くなった患者から受け取った指輪のプレゼントを久美子に届けることがきっかけだった。けれど、そのついでに美瑛の青い池にも行きたいとは、千絵には言えなかった。
札幌から、屈斜路湖へ行く。そして、ずっと南の浦河へも行く。楽しそうに計画を進めている正志に、寄り道をして富良野へ行ってもらう事だけでも、大きすぎる頼み事のように感じていた。
ましてや、自分の遅刻が原因で、屈斜路湖から富良野経由で浦河へ行くなどという殺人的スケジュールになってしまった後は、「青い池」なんて口にするのも憚られた。けれども正志は、何も言わずに車を白金温泉の方へと向け、青い池の駐車場で停まった。
「わざわざ、ここに来てくれたのね」
「そりゃそうだよ。ほとんど通り道じゃないか。行きたいって言っていただろう?」
「ありがとう、正志君。なんてきれいな色なのかしら。信じられないわ」
しばらく雨も降っていない晴天の夏の日。青い池を訪れるには最高のコンディションだった。次回また北海道に来るとしても、この素晴らしいブルーが見られるとは限らない。どれほど疲れていても、まるで何でもないかのように笑顔で、この瞬間をプレゼントしてくれた正志の優しさを、千絵は瞳に焼き付けようと思った。
「そなたは何をしているのだ」
正志と千絵は、レオポルドの声のする方を見た。そこには黒い服を着た若い女性がいて、かなり本格的な一眼レフカメラを構えて池を撮っていた。邪魔をされて振り向いた女性の顔に一瞬驚きが表れた。それはそうだろう。アイヌの民族衣装を身に着けた外国人が二人立っていたのだから。
「あらら。ちょっと助けにいってくるか……」
正志は苦笑いして、そちらへと向かった。千絵は、双子はどこにいるのかと周りを見回した。少し離れたところでやはり写真を撮っていたので、安心して正志の後を追った。
女性は、想像した年齢よりもずっと若そうだった。遠目では、黒いスキニージーンズに、黒いカーディガン、そしてショートカットがボーイッシュなイメージを作っているのだが、大きな瞳とふっくらとした柔らかそうな頬はずっと少女のような可愛らしい印象を作る。大人の女性というよりは、滅多にいない美少女という感じが強い。だが、その唇から出た言葉は、正志たちをさらに驚かせた。
「May I help you?」
かなりネイティヴに近いアメリカ英語の発音だった。外国人相手だと思ったので、わざわざ英語にしたのだろう。だが、レオポルドたちはお互いの顔を見た。
「どこの言葉だ?」
「アルビオン(ブリテン島の古名)から来た遍歴職人たちの言葉に似ていますね。若干、訛っているようですが」
以前は、二人で話す時には彼らの言葉だったのに、日本語に慣れすぎたのか、いまでは二人の間の雑談まで日本語だ。
「我々に話しかけるのに、そんな辺境の言葉を遣うのか? ラテン語かギリシア語で返してみるか」
「どうでしょうか。遍歴職人たちはそのような言語は話せませんでしたが……」
「では、面倒を省くには、この酒を飲ませるのが一番早いかもしれんな」
それを訊いて、正志は吹き出した。
「いや、たぶんその方は、お酒を飲まなくても日本語が話せると思いますよ、ちがいますか?」
女性は、頷くと改めて言った。
「ええ。日本人ですから。でも、あの……日本語がわかるのに、英語、ご存じないんですか?」
千絵は、にっこりと笑って言った。
「ちょっと特殊なところからいらしたお二人なんです。それで、現代文明のことなどはあまりご存じないみたいで。カメラも初めて見たんだと思います」
思えば、いつの間にかこの妙な二人の事をいて当然みたいに受け入れてしまったけれど、よく考えたらありえないよなあ。正志は、考えた。でも、間違いなく昨日からずっと一緒にいるし、酒飲んで騒いだし、それにいっぱいおごってもらったもんな。こうやって、二人にはじめて出会う人が驚く度に、正志は自分がいかにこの二人に馴染んでしまっているかを思い知らされるのだった。おそらく千絵もそうなんだろう。
「これは、カメラと言って、いま観ている景色を記録する機械です。絵を描くのと違って、一瞬でできるんです。見てみますか?」
女性は、レオポルドとマックスの写真を一枚撮ると、ディスプレイを切り替えていま撮った画像を二人に見せた。
「なんと! これはすごい。今の一瞬で、この絵を?」
「なるほど、あちらこちらに置かれている絵が妙に写実的だと思っていたのですが、この機械で作成したのですね」
「あたし、春日綾乃って言います。アメリカのニューヨークに住んでいて、いま一時帰国中なんです。あなた方はどちらからいらしたのですか?」
「俺は、山口正志、こちらは白石千絵。東京から来ました。この二人とは屈斜路湖で知り合ったんですが……」
「我々はグランドロン王国から来たのだ。余は国王のレオポルド、こちらは従弟のフルーヴルーウー伯マクシミリアンだ」
綾乃は、それはどこと言いたげに正志たちを見たが、カップルの肩のすくめ方と曖昧な笑顔を見て何かを理解したのか「そうですか」とだけ言った。
「綾乃さんはもしかして写真家? なんだかすごい機材を持っているわね」
千絵が訊く。綾乃はニッコリと笑った。
「カメラは趣味です。いずれ職業にする可能性もありますけれど。あたし、学生なんです。専攻は天体物理学で、ジャーナリズム・スクールにも通っています」
「て、天体物理学? アメリカで? す、すげっ」
正志が狼狽える。少女みたいだなんてとんでもない……。
「天体物理学とはなんだ」
レオポルドが正志の方を見て訊いた。
「あ~、星を見て研究する学問で……」
「ああ、占星術の事か。なかなか優秀なようだな」
絶対に占星術じゃない! 正志はそう思ったが、自分で説明するのは難しそうだったので、本人が訂正するのを待つ事にした。
「写真撮影が趣味なら、今日ここに来たのはラッキーだったわね」
千絵が言った。綾乃は、大きく頷いた。
「そうなんです。本当は、できるだけ早く札幌へ行って、夜行バスに乗らなくちゃいけないんですけれど、ここ数日のこの池の状態が最高のコンディションだって聴いたら、浦河に行くのが一日遅れてもしかたないって思えてしまって」
「浦河?!」
正志と千絵は同時に叫んだ。
「ええ、浦河です。ある牧場で働く事になっているんです。どうして?」
千絵は、バックから例のチラシを取り出した。
「これのことじゃない? 私たち、実は、これから浦河へ行くの。あそこにいる二人の中学生も、今朝、やっぱり牧場に行くってわかって、一緒に連れて行くところなのよ」
綾乃は、千絵の指す方向を見た。二人の少年が、こちらへと歩いてきていた。
「それは……すごい偶然ですね。みなさんは、どうやっていらっしゃるんですか?」
「俺たちは、レンタカーだ。でも、ミニバンだから、もう一人ならまだ乗れるよ。富良野で、一か所だけ寄るところはあるけれど、その後は浦河に直行する。札幌から夜行バスに乗るよりずっと楽だと思うけれど、よかったら、一緒に行くかい?」
綾乃は、すぐに決断したようだった。
「ええ、ぜひお願いします!」
正志は、レオポルドとマックスが嬉しそうな顔をするのを、目の端でとらえた。一方、千絵は、正志とミツル少年も嬉しそうな顔をしたのを見逃さなかった。おかしくてクスクス笑った。
綾乃がレンタルスクーターを美瑛で返却するのを待ってから、満席になった七人乗りのミニバンは、目的地へ向かって出発した。
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残したくないから

スイスをはじめとするヨーロッパで外食をすると、値段の高さだけでなく、一人分の多さに辟易することが多いですよね。
日本だとランチで千円以内というのは珍しくないと思いますが、スイスだとそれが可能なのはファーストフードだけでしょう。かなり格安だなと思うランチでも1500円くらいはします。そして、量が多いんです。
ステーキなどのちゃんとした肉料理だと3500円くらいはとられます。ステーキは180gくらいあります。そんなに食べられないよと思います。
だから以前は、ヴルストサラダといって、サラダにセルブラソーセージが入っているのを昼食にしたりしていたのです。肉料理でも付け合せの代わりにサラダがついた「フィットネスメニュー」にしたりしていました。そうでないと食べきれなかったのですね。
ところが、最近、半量にしてお値段は25%オフ、というような「少食用オプション」をしてくれるレストランが増えてきたんですね。肉や魚など二切れがデフォルトのところを一切れと付け合せも半分、というような具合に。
そういうオプションのあるレストランには、好んで入ります。食糧廃棄の問題は日本はとんでもないことになっていると言いますが、ヨーロッパでも人ごとではありません。世界のどこかで飢えている人がいる一方で、食べきれない食事を捨てたりはしたくないのです。食べられなかった肉や付け合せの野菜だって、捨てられるために命を落としたなんてあんまりじゃないですか。
そういえば、ウィーンに行った時に「フィグルミュラー」の巨大カツレツを食べにいきました。絶対に食べきれないとわかっているんですけれど、どうしても食べたいんです。そして、あそこのいいところは食べきれなかったらお持ち帰りさせてくれるのです。
母と二人分、それぞれその場では三分の一くらいしか食べれなくて、残りは持って帰りました。ホテルは三泊くらいしたと思いますが、冷蔵庫に入れさせてもらい、それからはウィーンでは夕食はレストランに行かず、パンを買ってきてカツサンドにして食べました。結局、ザルツブルグへ移動の時も含めて、食べ終わるまで三日近くかかりましたが完食しましたよ。美味しかったですが、しばらくシュニッツェルは注文しませんでしたね(笑)
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国歌や国旗のこと

スイスの国歌って、ご存知でしょうか。よその国の国歌は、スポーツの時に耳にする機会が多いですよね。スイス国歌はサッカーなどで耳にする事はかなり稀(笑)その点、ロジャー・フェデラーやステファン・ランビエールのファンの方ならあるいはご存知かもしれません。こんなメロディーです。
少し前にスイスの言語事情をお話ししましたよね。四カ国語が公用語だと。そうです。上の動画はドイツ語のテキストしかありませんが、四カ国語バージョンがあります。全部歌える人はいるんでしょうかね。
たとえば私の連れ合いは、上のドイツ語の国歌、歌えません。彼が日本によくいらっしゃる「国歌は歌わねぇ!」的な思想の持ち主というわけではありません。別に、聴く度に喜んで起立するタイプでもないですけれど。
なぜ彼がこの国歌を歌えないのかというと、習わなかったからです。この国歌、比較的新しいんですね。彼が習ったのはこっちだったそうです。聴いてみてください。
「ごっと・せいぶ・ざ・くい〜ん、じゃん」そう思った方、大正解です。スイスが大英帝国の一部だったことは一度もありませんが、ずっと同じメロディを使っていたようです。
しかも、今またしても変えようとしているらしく、「六案あるから、これを聴いて投票してね」というのを五月あたりまでやっていたらしいです。メロディをがらりと変えるのから、歌詞だけ変えるのまでいろいろです。他の言語はどうするつもりなのか、いまいちわかりませんが、どっちにしても外国人の私は国民投票の蚊帳の外なのでまあ、いいでしょう。
http://www.srf.ch/news/schweiz/positiv-und-singbar-schweiz-sucht-neue-hymne
こういうのを見て思う事は、日本の国歌や国旗の扱いについてです。あまり政治的な事は書きたくないのですが、まあ、年に一度くらいは。
私は、国歌と国旗には敬意を持っています。もちろん日本のものだけでなく全ての国歌と国旗に対してです。中には「なんだかなあ」という行為を繰り返す困った国家もありますが、だからといってその国に住んでいる人たち全てがそういう方とは限りませんし、彼らを尊重する意味で敬意を持ちます。具体的に言えば、国歌が歌われれば立ちますし、国旗を焼いたり破いたりするような事はしません。
日本の国家と国旗に対してはなおさらです。私は日本人として生まれた事を誇りに思っていますし、日の丸を見たり、国歌を聴く機会があると嬉しくなるたちです。デザインも、歌詞も、どこが軍国主義的でよくないものなのか、さっぱりわかりません。シンプルでかつ平和に満ちたものだと思っています。スイスの国旗もシンプルでわかりやすいですが、日の丸のデザインは、右に出るものがないスーパーデザインだと思っています。
でも、それに反対し、「どんな事があっても歌いたくない」「敬意を持ちたくない」のご意見は尊重します。ただし、そうおっしゃるのなら、そうじゃないものを合法的に提案してほしいと思います。日本で「○○に反対」とおっしゃる方って、その多くが「ただ反対」なんですよね。だったらどうしたいのかヴィジョンが全く見えてこない事が多いと思います。だから、いつまで反対しても現実的な動きにならないんじゃないかなと思います。
もっとも、個人的な意見ですが、国家と国旗を変えようということになって、どんなデザイナーと作曲家・作詞家が用意しても、現在の国歌国旗を凌ぐものを作るのは困難だと思いますし、できれば変えてほしくはないと思っています。
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