【動画】「ファインダーの向こうに」プロモーション
「自分の作品大好き」は創作者の多くの方が持っている感情でしょうけれど、これが暴走するとこういうことになります。「うわ……痛」と思われること承知で、突き進んでいます。だって、せっかくマルチメディアの使えるインターネットで小説を公開しているんですし、それに、自分で進んでやらないと誰も私の小説のプロモーションなんかしませんよね。(ポピュラーな方の作品は、他の方がたくさんトリビュートしてくださいますけれど)
もともとは、ロンドンに行った時にリアル友である創作者のうたかたまほろさんにいただいた「森の詩 Cantum Silvae」のイラストをどう効果的に使えるかと思っていたのがきっかけです。で、canariaさんや、limeさんのところで作品の動画による紹介を見たら、どうしても作りたくなって。
MacにiMovieというアプリケーションが始めからついてくるんですけれど、これで動画かなり簡単に作れるんですね。で、「森の詩 Cantum Silvae」の続編の動画から作ったんですが、まずはもう連載している「ファインダーの向こうに」の予告動画を公開する事にしました。
読んでくださっている方はおわかりのように、予告もへったくれも、あと三回で連載終了してしまうので、こちらは早く公開しないと意味がありませんよね。当分公開できない(つまり書いていない)「森の詩 Cantum Silvae」続編の予告動画は、後ほど公開する事にします。
「ファインダーの向こうに」はイラストが一枚もないので、写真だけです。自分の撮った写真だけでは到底追いつかなくて、フリーで使える素材集等の写真を多用しました。私の写真はもちろんアフリカやヨーロッパで撮ったものです。
BGMは、イタリアン・ポップス。最初は、アメリカの話だからジャズにしようかと思ったんですけれど、いろいろと手持ちの曲を聴き較べてこのマティア・バザールの「Sei come me」が一番ぴんときました。「あなたは私のよう」という意味で、私がこの作品で伝えたいこととも合うのです。
プロモーションと言いつつ、もう本当に純粋な私のお遊びなんですけれど、それでも、まだ読んでいらっしゃらない方で、これを見て読みたいと思ってくださる方がいたら嬉しいですね。
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観光に行ったつもりが取材に……
もう一ヶ月以上前のことになるのですね。ちょっと長めの週末旅行でイギリスへと行きました。最近、時の流れが速すぎで、「あれを語ろう」と思っていことがあっという間に大昔のことになってしまう。
で、その時に、一日オプショナルツアーに参加して、「ストーンヘンジ、グラストンベリー、エイヴベリーを訪ねる一日の旅」に参加したことはお話ししましたよね。その時のことです。
ストーンヘンジ、私が訪れるのは90年に続いて二回目なんですけれど、なんだかすっかり観光地化していて前はストーンヘンジしかなかったのに、いまや立派な博物館兼土産物屋のビジターセンターが少し離れたところにできていて、そこからシャトルバスでストーンヘンジまで行くことになっているのですね。

で、そのビジターセンターの外に、こんな展示があったのです。ストーンヘンジの時代の人びとがどんな暮らしをしていたのかをかいま見るように、なのでしょうね。
そもそも、こんな簡素な家しか建てられない、つまりセントラルヒーティングも自家用車もない、豪華な家具もなければスーパーマーケットや温泉だってない生活をしている人たちが、35トンもある石を立てたり、二本の巨石の上に水平に巨大な石をわたそうとしたり、すごいことを考えて実行した、そのことにも唸りながら見学したんですけれど。
でも、それだけじゃなかったんです。
この建物を見た瞬間に思い出してしまったのは、自作小説「明日の故郷」のことでした。紀元前60年前後のケルト族のストーリーなのですが、私の中にはいずれこの続編を書いてみたいという想いがうっすらとありまして。
で、この展示を見たとたんに取材モードになってしまったのですね。

ヒロインのアレシアやそのお相手ボイオリクスの生活、煮炊きをする場所や、寝台、それに食器などはどんなだろうと。もちろん自分の中に既にイメージはあったのですが、それが当時の生活とかけ離れていないか、見たくなってしまったのです。で、急いで中に入って、写真を撮りまくりました。
私のカメラは、普段からフラッシュを焚かない設定にしてあります。遠くが暗くなったり、フラッシュ禁止のところでひんしゅくを買うのを避けるためですけれど、こういう暗いところでの撮影には威力を発揮します。自動的に露出を調整して明るく映してくれるのですね。
このツアー、リアル友で創作仲間のうたかたまほろさんと一緒に行ったのですが、私が突然目の色を変えて小屋の中を激写していたのでびっくりしたようでした。
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【小説】ファインダーの向こうに(7)授賞式 -2-
今回、ジョセフだけでなく、もう一人TOM-Fさんのところからあの方にゲストにいらしていただいてます。セリフないんですけれど……。
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ファインダーの向こうに
(7)授賞式 -2-
驚いたことに、手を伸ばせば届くほどの距離にジョセフ・クロンカイトがいて、戸口の方に向かって歩いていこうとしている所だった。そして、彼が、ジョルジアのすぐ後ろにいた司会者、彼に話しかけた男に答えるために振り向いたので、彼女は彼の顔をまともに見ることになってしまった。心臓が高鳴っている。
「ああ。ミス・カスガも一緒にね。もう来ているはずだから、正面玄関に行って拾ってくる所だ」
「OK。乾杯までに戻ってくれれば、それでいい。ひと言話すつもりでいてくれよ」
「なんだって」
「長くなくていいんだ。そういうのは得意だろ、頼むよ」
彼は、眼鏡の奥から司会者を短く睨むと、肩をすくめて出て行った。
「やれやれ。乾杯の音頭はなんとか押し付けられたぞ」
そういう司会者に、その場にいた他の男が口を挟んだ。
「ミス・カスガってのは、いつもくっついている、あの助手みたいな日本人か?」
「そうだ。若くて可愛い顔をしているが、なかなかの切れ者でクロンカイトの手足になって走り回っているらしい」
ジョルジアは、聴くべきではないと思いながらも、好奇心に負けて、背を向けたまま彼らの会話に耳を傾けていた。もう一人の男が会話に加わった。
「日本人の女の子? もしかして、僕は逢った事があるかもしれない。あいつの家で開催されたホームパーティでね。なんて名前だったかまでは忘れたけれど、かなり親しい関係みたいだったぞ。直に婚約でも発表されるのかと、みんなで言っていたんだから」
「そうなのか? その件は知らなかった」
ジョルジアは、その場を離れ、ワイングラスをボーイに返した。溜息が漏れる。
――当然のことじゃない。あの人だって生きているのだから。毎日魅力的な人たちに逢って、幸せになる努力をしているのだから。
何も期待していない。そう思っていた。でも、それは自分に対する嘘だった。ここに来たのも、ドレスも、真珠も、どこかに期待が隠っていた。知り合い何かが始まることを、心の奥で望んでいたのだ。だから、これほど惨めに感じるのだと。彼女は、ドレスの裾を握りしめていた拳の力を緩めた。
――私にとって、あの人は世界中でたった一人の特別な人だけれど、彼にとっての私はただの知らない人間でしかない。そして、私は彼に、見ず知らずの人間の人生を受け止めることを期待していたのだ。そんなことが可能なはずはないのに。
ジョルジアは、クロークへ行き上着と鞄を受け取った。それからベンジャミン・ハドソン宛に具合が悪いので帰るという旨のメモを急いで書くと、ホールマネジャーにチップとともに渡した。
玄関ホールへのエスカレータを降りる時に、ジョセフ・クロンカイトが日本人女性と会話を交わしながら昇っていくのとすれ違った。彼がこちらを向いたようにも感じたが、振り向かず、黙って玄関口へと向かった。
タクシーの中で、彼女は運転手に感づかれないように、そっと涙を拭った。
――苦しくて悲しいのは、存在を認めて、肯定してほしかったからだ。それが「何も期待していない」という言葉の裏に隠された本当の願いだったのだ。馬鹿げて高望みの。
ジョルジアは、ジョセフ・クロンカイトと一緒にいた女性の美しい笑顔を思い浮かべた。世間に恥じぬ努力を重ねている人間の内側から溢れる自信。マッテオやアレッサンドラの放つ恒星のようなエネルギーと同じものを感じた。彼が尊敬し、愛するのは、あの太陽のような女性なのだ。暗闇の中でいじけている女には、関心を持つことすらないだろう。
誰からも愛してもらえなかったのは、痣のせいではない。ただ、自分自身が輝いていなかったからだ。ジョルジアは初めてそう感じた。トラウマや体の傷のことを努力をしない言い訳に使ってきた。人に拒否されるのが怖いから、「これなら愛されなくても当然」と思える鎧で身を固めてきたのだった。
写真もそうだ。かつての情熱を失い、受け入れられるものにすり寄って、虚栄心のために自分らしくない作品を撮り続けてきた。
『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』一般投票部門での受賞。それが標程内にあると知らされたのは、数年前だった。子供の写真を撮ると評判がよく、社内でもその路線を狙えと言われた。その頃から、彼女は、意図的に望まれる作品を撮ってきた。ポピュラーになればなるほど、実生活では誰にも顧みられぬ心の痛みを抑えることができた。それは麻薬のように彼女を甘く支配し、受け入れられる写真ばかりを撮らせてきた。
――この受賞は偽りの功績だし、まがい物の成功だ。そして、ドレスや真珠も、化け物と呼ばれた私を変えたりはしない。
――あの人は、真実を追い求める人。偽りのない、虚飾のない世界を。嘘の功績で飾り立て、醜い肉体を美しい布で覆うことで関心を持ってもらえても、知り合えばすぐに見抜かれてしまう。それを心の奥では知っていたから、知り合うことが怖かったんだ。
そんなあたりまえのことを、こんな惨めな想いをするまでわからなかったのは、問題が自分にあることを認めたくなかったから。彼女はため息をついた。現実は甘い夢想を駆逐した。真実が綺麗ごとに覆われていた心の嘘を暴いた。彼女は、愛する人の前に立てるだけの誇らしい自分らしさを何も持っていなかった。
窓の外に流れるマンハッタンの煌めく夜景を眺めた。認めてくれる誰か、愛してくれる誰かを期待して待つだけなんて無意味なことはもうやめよう。踞っているだけで無駄にしてしまった十年間の代わりに、虚栄心のために失ってしまった自分らしさを取り戻すために、言い訳はやめて道を探そう。一人で、弱く、誰からも顧みられない惨めな自分と折り合いながら。
「あなたを変えるのは、いつだってあなた自身よ」
アレッサンドラの口癖が、脳裏によぎる。たぶん初めて、本当にその通りだと認めることができる強さで。
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トマトが色づいた

五月に、小さなトマトの苗を買いました。日本では甘くておいしいトマトはほとんどデフォルトですけれど、スイスではそうでもないのです。特にスーパーで売っているトマトはオランダやスペインのハウス栽培のものが多く、正直言ってほとんど味もしません。
そういう中で、家庭栽培で少しでもおいしいトマトを口にしたりすると、日本ほどではなくてもかなり感激します。私たちが買ったトマトは「Berner Rot」という品種で、普通のトマトと較べて色がピンク系で、そしてかなり美味しいのです。
でも、栽培したのが遅かったのか、赤くなってから収穫できたのは三つか四つ、残りは緑色のままで頑張ってそのままにしておいたのですが、10月に霜が降りだしたので、あきらめて収穫しました。それがこの緑の状態。

そのまま、キッチンの窓辺に置いて、太陽の光を浴びせること10日以上。ついにこんな感じになってきました!
諦めないでよかった。あんなに緑でも、赤くなるんですね。いい勉強になりました。
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【もの書きブログテーマ】タイトルの話
で、新テーマです。ちょっと漠然としていますが「タイトルについて」書いてみることにしました。もし、もしこのテーマで書いてみたいなと思われた方は、どうぞご自由にお持ち帰りください。
「小説というのは、中身で勝負」というのはもちろん大前提なんですけれど、それでも惹き付けられる題名か、もしくはストーリーにふさわしい題名か、というのはとても大切なことだと思うのです。
もっとも、この話題はすでに「題名の話」という別記事で語っていますので、ここでは繰り返さないことにします。
今日、わたしが語ってみようかなと思っているのは、小説そのもののタイトルではなくて、各章または各話につけているサブタイトルの話です。
もちろん、このサブタイトルというのは義務ではありません。「第一章」「第一話」もしくは「(一)」で十分です。でも、かなり苦悩しているのにも関わらず、私は毎回サブタイトルを付ける形式を用いています。
一つは、読んでいただく方に「お? 今回はどんな話だろう?」と興味を持っていただけるようにです。でも、実はもっと大きな目的があります。書く時に「こういう流れにしよう」という簡単なイメージを用意するんですけれど、その指標みたいに使っているのですね。
何度か開示していますが、私が長編を書く時は「鉄道停車駅方式(自称)」で書くのです。まず最初に「始発駅」と「終着駅」を決めます。それに「特急電車なら止まる大きい駅」の部分を書いていきます。それから「急行停車駅」最後が「各駅停車しか止まらない駅」です。そのそれぞれがどういう駅(ストーリー展開)なのかは何となく決めておいて、それを忘れないように駅名(タイトル)を決めておくのです。後で変えることもありますけれど、そのままの方が多いです。
ものすごく分かりやすいのは「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」の「マールの金の乙女の話」や「水車小屋と不実な粉ひきの妻」でしょうか。そのまんまですね。
サブタイトルとは言え、中身と関連があるように設定すべきでしょうし、でも、あまり散文的なのもどうかと思うので、毎回容量の少ない脳みそを絞ります。
中には、私にしか分からないだろうなと思われるサブタイトルを使っている場合もあります。「樋水龍神縁起 春、青龍」のエピローグとして使った「去年の春」というサブタイトルは、もちろん内容と関連しているのですが、このシーンのBGMとして使っていたグリークの「Letzter Frühling」から来ているのです。これ日本語だと詩的に「過ぎし春」と訳すみたいですが、歌詞を調べるとまだ過ぎていないし、語り手がおそらく来年は生きて迎えられないと感じているから「最後の春」と訳すのが正解です。ドイツ語ではどちらも同じ「Letzter Frühling」なのです。で、主人公視点で言えば一年前の春が「最後の春」で、このエピローグの語り手からすると(心理的に「過ぎた春」でもなく)「去年の春」なので、「去年の春」というタイトルにしたのです。もちろん、自分以外には誰にも分からない(笑)
というわけで、時に異様にこだわりつつ、時に適当すぎるほど簡単に、たくさんのサブタイトルを作り出してきています。内容と見た目とがぴったり合った時などは、一人で勝手に「よっしゃ!」と小躍りしたりしています。そんなの私だけかしら?
ついでなので、自分で納得のいっているサブタイトルをいくつか開示してみましょう。
「大道芸人たち Artistas callejeros」 | 「バルセロナ、色彩の迷宮」 「京都、翠嵐」 「東京、積乱雲」 |
「樋水龍神縁起 春、青龍」 | 「味到」 「青龍時鐘」 |
「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」 | 「百花繚乱の風」 「龍の宵」 「命ある限り」 |
「夜のサーカス」 | 「夜のサーカスと紅い薔薇」 |
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」 | 「森をいく」 「優しい雨」 |
「Infante 323 黄金の枷」 | 「海のそよ風」 「雪の朝」(これはまだ未発表) |
「夜想曲(ノクターン)」 | 「瀧の慟哭」 「太陽の乙女」 |
「十二ヶ月の組曲」 | 「歓喜の円舞曲(ロンド)」 「落葉松の交響曲(シンフォニー)」 「狩人たちの田園曲(パストラル)」 「樹氷に鳴り響く聖譚曲(オラトリオ)」 |
「十二ヶ月の歌」 | 「なんて忌々しい春」 「終焉の予感」 |
「十二ヶ月の野菜」 | 「あの子がくれた春の味」 「帰って来た夏」 |
「大道芸人たち 外伝」 | 「熟れた時の果実」 「菩提樹の咲く頃」 「Séveux 芳醇」 |
「黄金の枷 外伝」 | 「願い」 「格子のむこうの響き」 |
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【小説】ファインダーの向こうに(7)授賞式 -1-
あ〜、ジョセフをお待ちの皆さん、すみません。「出す出す詐欺」になっているかも。
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ファインダーの向こうに
(7)授賞式 -1-
ジョルジアが、妹アレッサンドラの専属スタイリスト、マイケル・ロシュフールのスタジオへ出向くと「待っていたわ」と笑顔で迎えられた。ミッキーの愛称を持つロシュフールは、少し長めの黒髪を後ろで縛った男だが、動きも話し方もジョルジアの五倍は女らしい。
ドレスのことを相談した時に、アレッサンドラが絶対に彼にヘアスタイリングとメイクアップをしてもらうべきだと言って、その場で予約を入れられたのだ。彼は客の希望をきちんと聞き入れて、それ以上の効果を出す天才スタイリストだというのがアレッサンドラの意見だった。氣がついたら、ドレスもスタイリングも全てアレッサンドラが払ってくれていたので、ジョルジアは抗議したが「お祝いだもの」とひと言でいなされてしまった。
ミッキーが「どんなスタイルがお好み?」と訊いた時にジョルジアはひと言だけ答えた。
「アレッサンドラ・ダンジェロにだけは絶対に見えないスタイルにしてください」
彼は、したり顔で頷いたかと思うと、まず彼女のヘアスタイルを上手に整えていった。それから一度髪をケープで覆うと、彼女のメイクアップに取りかかった。
「ねえ。化粧をしたからといって、そのままアレッサンドラに近づくってわけじゃないのよ。それを証明してあげるわ」
ミッキーは、綺麗に手入れされた指先でジョルジアの顔の輪郭をなぞり、鏡越しに彼女の瞳を見つめた。
彼は、大きな化粧箱から、いくつかの小瓶を取り出して、鏡の前に並べた。わずかに色合いの違う肌色の瓶が、綺麗なグラデーションとなって並んだ。彼は実際に、いくつかを彼女の肌に合わせて、一番近い色を選ぶと、パフにそのクリームをのせて彼女の顔を覆っていった。
「よく伸びるでしょう? これね。日焼け止め効果もあるの。乳液とファンデーションと日焼け止めが一つになったもので、化粧下地としてあたしは使うけれど、ナチュラルメイクならこれだけつけていればいいの。日焼け止めの代わりに使ってみたら?」
ジョルジアは、何と答えていいかわからなかった。化粧をしないで、日焼け止めだけで外に出るのは、女として存在したくなかったからだ。けれど、敢えてそれを主張すべきことのようにも思えなかった。
「でも、今日は、フルにメイクアップしなくちゃね。スポットライトの下では、全然違って見えるものだから」
彼女は、抵抗しても無駄だと思って、黙って彼に任せていた。
「さあ、できた。どう? 化粧しましたって顔じゃないでしょう?」
鏡の中の自分を見て、ジョルジアも驚いた。あんなにいろいろと塗られたのに、パッと見は特に何かを塗ったようには見えなかった。ただ、肌がきめ細やかになり、眉がきりっとした印象になっていた。唇は色の違う二色のローズでグラデーションとなっていたが、それが瑞々しい立体感を作り出していた。構わない少年のようだったジョルジアは、透明で中性的な姿に変化していた。
「ほら。さっきの下地クリーム、新品があるからあげるわ。あたしからのお祝い」
そう言ってミッキーはウインクした。ジョルジアは素直に受け取り、お礼を言った。ドレスに着替えて再びミッキーにチェックしてもらうと、頬に幸運を願うキスをしてもらい、会場へ向かうタクシーへと乗った。
会場の前には、ベンジャミン・ハドソンが落ち着かない様子で立っていた。タクシーの窓ごしに彼が氣づいて笑いかけたのを見たので、彼女はホッとした。タクシーを降りたジョルジアを見て、彼は一瞬息を飲んで何も言わなかった。
「派手すぎかしら」
ジョルジアは、彼の瞳に映った戸惑いを見て、ドレスに目を落とした。
「そんなことはないよ。ただ、びっくりしたんだ。とても綺麗だし、よく似合っている」
彼女の身につけているドレスは、濃紺のサテンで胴の部分にはエンドウの花をヴィクトリア朝風に豪華にデザインした同色の贅沢なレースが覆っていた。タイトなスカートの脇に入ったスリットからいつもはジーンズの中に隠れている長く引き締まった足がちらついた。大きく開いた襟ぐりには、大粒本真珠の三連ネックレスが品のいい虹を映していた。そして、少し固めてラメがついた艶やかなショートカットの下から、ティアドロップ型の同じ色の真珠のイヤリングが見えた。
「すごい真珠だね」
「マッテオが、贈ってくれたの。日本産の天然物なんですって。今日つけていなかったら、殺されちゃう」
「間違いなく、君が今日一番の主役になるよ」
ベンジャミンは、目を細めた。
「主役じゃないわ。ただの六位ですもの。そりゃ、他の受賞者は男性だからドレスを着ているのは一人だけれど……」
ジョルジアは、自信なさそうに下を向いた。
「もっと堂々としろよ。ステージ上に行かなくちゃいけないんだぜ」
「ベン。あなたは一緒に行ってくれないの?」
彼女がそう言うと、彼は残念そうに笑った。
「エスコートしたいのは山々だけれど、それは社長がやるってさ」
授賞式は、程なくして始まった。ジョルジアは、他の受賞者たちと並んで椅子に座っていた。彼女は、司会者の芝居がかった大袈裟な進行にも、バンドが奏でるうるさいくらいの効果音にも、ほとんど関心なく時間が経つのを待った。スポンサーに対する長い讃辞、『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の歴史、権威に対する自讃、それに一般投票への市民の関心の高さなどが統計を使って語られた。
審査委員長が講評を話した時に、自分の写真のことに対する賞賛が、他の五人に対する評価の合間にわずかに語られた時にも、他人事のように感じていた。が、彼が特別審査員を紹介し、その場にいる十二人に順にスポットライトが当たったその瞬間だけ、ジョルジアは平静さを失っていることを感じながら、ただひとりの関心のある男を見た。
そして、授賞へと式次第が進むと、一番低い六位だった彼女は最初に呼ばれた。派手なスポットライトと、浴びたこともないフラッシュに身がすくんだが、《アルファ・フォト・プレス》を代表して社長が彼女をステージまでエスコートしてくれたので、彼女はなんとか小さいトロフィーを受け取り、わずかに微笑みながら歩いて戻ってくることができた。
その後のことは、ほとんど特筆すべきこともなかった。あるとすれば、全員へのトロフィー授与が終わった後で、ステージで集合写真を撮ったのだが、『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の大賞を受賞したマリアーノ・ゴンザレスが、彼女の隣を選んで馴れ馴れしく肩を組み、もう一枚写真を撮らせた上、「後で連絡先を教えて」と囁いてきたことぐらいだった。それで、彼女の助けを求める視線に氣がついたベンジャミン・ハドソンがさりげなく彼女をその場から移動させた。
授賞式の後は、続けて会場を使ってパーティが行われる予定だった。会場をバンケットへと設営し直す間、隣の部屋で軽い飲み物を飲みながら人びとは待っていた。別の用事があって先に帰る社長を送ってベンジャミンが席を外している間、ジョルジアは、ゴンザレスの視界に入らないように入口の近くに立って、白ワインを飲んでいた。
「あれ。ジョセフ! どこへ行くんだ? パーティにも出るんだよな」
その声を聴いて、ジョルジアは思わず振り返った。
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アフタヌーンティーはいかが
とても短い旅行だったので、あちこち行けることはないと判断して、むしろ普段は行かないようなことにトライしようと思った旅でした。リアル友でもある創作仲間のうたかたまほろさんが、忙しいのに二日間も丸々私のために時間を割いてくれたので実現したあれこれですが、このメイフェアのミレニアムホテルでのアフタヌーンティーは、正に彼女なしでは出来なかったことの一つです。予約しておいてくれたのです。

1990年に学生の時の貧乏旅行で少し長くロンドンに滞在した時は、物価の高さにおののき、食べるものと言ったら中華料理かスーパーで買う三角サンドというようなものばかりで、アフタヌーンティーなどという贅沢はとても出来ませんでした。
もちろんお茶に4500円払うのは、いまでも贅沢なのですが、でも、スイスの外食の高さに慣れている私には、「ハレの日としては大いにあり!」のつもりで「Go!」だったのです。しかも、まほろさんが、半額クーポンをゲットしてくれたというので、なおさらです。結果的には、まほろさんにご馳走になってしまったので、私はタダで食べてしまいました。ううう。ごめんなさい。ウルトラ幸せな時間でした。
さて、このアフタヌーンティーには、ドレスコードがありました。「スマートカジュアル」です。ジャケット&パンツか、ワンピース、足元はパンブスという感じでしょうか。まあ、ディナーとは違うので、さほど厳格ではないのかもしれませんが、それでもジーンズとスニーカーでは行けません。これを考えるだけでも、90年代の貧乏学生は行かなくてよかったのです。
でも、いまの私は、旅にはそれなりの服装もたいてい入れているので、これも問題なし。といっても、どうしても行きの荷物を8キロ以下におさめたかったので、持っていく服装のチョイスには大いに悩みましたけれど。
たとえ、ホテルは超貧乏レベルでも、ホテルのアフタヌーンティーや、オプショナルツアー、それに自分用お土産は我慢をせずにバンバン使う。必要な時には、少しマシな服装でちょっとだけ化ける。こういうことが出来るようになっただけでも、大人になってよかったなと思います。

スコーンに付けるのはクロテッドクリームと、ジャム、それにレモンカード。私は、普段滅多に食べられないレモンカードが好きなので、ジャムには手を付けず、レモンカードだけを攻めてきました。(結局、全然大人じゃない……)
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【小説】大道芸人たち 番外編 — アウグスブルグの冬
お題ワードを使いきるのに、かなり無理をしている分、ドイツでも最も古い都市ながら日本には馴染みのないアウグスブルグについてのミニ知識をあちこちに散りばめました。少し早いクリスマスのムードも楽しんでいただけると嬉しいです。(ヴィルの所属していた劇団と、待ち合わせをしたレストランは架空です。念のため)
この66666Hit企画は、六名の方から出していただいた名詞をそれぞれ一つ以上使うというルールがあります。今回、使った名詞は順不同で「禁煙」「飛行船 グラーク ツェッペリン」「オクトーバーフェスト」「ロマンティック街道」「ピアノ協奏曲」「彗星」「博物館」「羽」「シャープ」「ガラス細工」の十個、これで35ワード、コンプリートです。この企画にご協力くださった、出題者の皆様、そして、一緒に書いて(描いて)くださった皆様、本当にありがとうございました。あ、まだという方も、まだまだ募集中です。ぜひご参加くださいませ。
【大道芸人たちを知らない方のために】
「大道芸人たち Artistas callejeros」は2012年に当ブログで連載していた長編小説です。興味のある方は下のリンクからどうぞ


あらすじと登場人物
大道芸人たち Artistas callejeros 番外編
アウグスブルグの冬
黄土色の壁が目に眩しい一画を、三人は歩いていた。ヴィルが壁を指差した。
「これが、フッガーライ。低所得者のための社会福祉住宅としては、ヨーロッパ最古と言ってもいい」
ドイツ南部の街アウグスブルグにあるフッガーライは、16世紀に世界的大富豪であったヤコブ・フッガーが建てた貧者のための集合住宅だ。アウグスブルグ出身の勤勉だが貧しいカトリック教徒がほんのわずかの家賃で住むことができた。
アウグスブルグは、ロマンティック街道の中心都市。ローマ皇帝アウグストゥスにその名前の起源を持つ二千年の古都だ。日本人の稔と蝶子にはあまり馴染みがなかったが、ヴィルにはなつかしい故郷だ。彼が蝶子たちにアウグスブルグの名所を案内するのは、今日が初めてだった。
「最古の福祉住宅ね。で、今でも、人が住んでいるのか?」
稔が見回す。ヴィルは頷いた。
「ああ、家賃は今でも1ライングルデン。0.88ユーロだ」
「ええっ? ひと月?」
「年間だ」
蝶子と稔は顔を見合わせた。
「それって、要するにタダってこと?」
「まあな。光熱費は別だが」
「それなら俺にも払えるぞ」
「住みたければそれでもいいが、しょっちゅうやってくる観光客に家を覗かれるのは、そんなに心地いいものじゃないぞ」
フッガーライを通り過ぎ、ヴィルは蝶子と稔を『アウグスブルガー・プッペンキステ』という人形劇博物館へと連れて行った。1943年にエーミヘン一家が始めた操り人形よる劇は、戦後テレビ放映されたことから全国的な人氣を博した。
「へえ。ずいぶん大掛かりなものもあるんだな」
「ブラン・ベックも連れて来ればよかったわね」
稔と一緒に感心しつつ、蝶子が言った。レネは、久しぶりに逢うヤスミンとの時間を過ごすために別行動なのだ。後で、劇団『カーター・マレーシュ』の仲間であるベルンと待ち合わせしているレストランで落ち合うことになっていた。
「これが、『
ヴィルは、バイクに乗っている白黒の猫の人形を指した。ドイツやオーストリアなどのドイツ語圏の子供ならば、テレビで一度は観たことがあるという、ポピュラーなシリーズで、『アウグスブルガー・プッペンキステ』というと、この猫を思い出す人も多いらしい。
「ああ、これをもじって『カーター・マレーシュ』なのね」
「マレーシュは、アラビア語で上手くいっていない時に『氣にするな』ってかける常套句だ」
「その二つの組み合わせかよ。それじゃ、日本人には、ピンとこないよな」
ヴィルは『カーター・マレーシュ』の俳優だった。逃げるように去ったこの街に、ようやく何の問題もなく戻ってこられるようになった。Artistas callejerosの仲間たちと一緒に。劇団の仲間ともあたり前のように逢って、酒を飲んで旧交を温めることが出来る。彼は、クリスマス前のアウグスブルグ観光を楽しむ蝶子と稔を見ながら、感慨にふけった。
時間より少し遅れて、三人は『Starrluftschiffe(飛行船)』というレストランの扉を押した。頭上に黄金の飛行船のプレートがある。
「レストランに飛行船モチーフって珍しいよな」
「そうね。なぜ飛行船って名付けたのかしら」
蝶子も首を傾げた。
赤い玉や、樅の木の飾りなどクリスマスらしい装飾で満ちた店内には、既にベルン、ヤスミン、そしてレネが座っていた。三人は、テーブルに向かいお互いに抱き合って再会を喜んだ。
「クリスマス市に行くにはまだ早いから、少しここで腹ごなししておこう」
先に来ていた三人の前には、既に飲み物が来ていた。レネはワイン、残りの二人はわりと小さめのグラスでビールだった。
「どうしたんだ?」
ヴィルが、ベルンに訊いた。ジョッキで飲まないとは珍しい。
「オクトーバーフェストで飲み過ぎて以来、ちょっと控えめにしているんだ」
彼が、肩をすくめると、ヤスミンが補足した。
「とんでもない醜態を晒したのよ。私が行った時にはぶっ倒れてお医者様が呼ばれていたの」
四人に、へえという顔をされて、ベルンは少し赤くなって自己弁護をした。
「元はと云えば、隣の席にいた日本人カップルが、いい調子でがぶ飲みしていたせいだよ。バイエルン人の誇りにかけて負けてはならじと……」
「ええっ。あれは、カップルじゃないでしょう」
ヤスミンは、何を言うのかといわんばかりの剣幕だった。
「え。違うのか?」
「とても歳が開いてみたいだし、それに、あんなに他人行儀なカップルはないわよ」
「そうかな? でも、娘があんなに飲むのを放置する親父っていうのも変だぞ?」
稔とレネは、二人の会話を聴きながら、顔を見合わせた。どんな二人組だったんだろう?
その話題をまるっきり無視してメニューを見ていた蝶子が「あ。なるほど!」と言った。
「何が、なるほどなんだ?」
稔が訊くと、蝶子はメニューの内側の最初のページを見せた。そこにはやはり飛行船の絵と、レストランの名前が大きく書かれていた。
「飛行船 グラーク ツェッペリン」
「これが?」
「ほら、この下の方を見てご覧なさいよ『グラーク=ツェッペリン家(Familie Glag-Zeppelin) 』って、書いてあるでしょう? これ、苗字なのよ。たまたまグラークさんとツェッペリンさんが結婚して、まるでツェッペリン伯爵みたいな響きになったんで、面白がってレストランに『飛行船』って付けたんだわ。『雄猫ミケーシュ』をもじって『カーター・マレーシュ』って名付けたみたいなものなのね」
「
「本物の伯爵が大衆レストランを経営する訳はないだろう」
ヴィルが口を挟んだ。
三人は飲み物につづいて料理も頼んだ。自分の頼んだグーラッシュが目の前に置かれて、稔は「ああ、これか!」と言った。
「何が?」
「シチューだったんだな。グーラッシュってなんだっけと訝りつつ頼んだんだ」
「まあ、わかっていなかったの?」
「うん。これ、ご飯がついていたらハヤシライスみたいだよな」
「ハヤシライス?」
レネが訊いた。
「ハッシュドビーフ・ライスのことよ。日本ではハヤシライスっていい方をする場合もあるの」
蝶子が、説明した。
「ハッシュドって、そもそもどういう意味だっけ?」
稔が訊く。
「細かく刻んだって意味でしょ」
「電話についている、ハッシュマークも同じ意味なのかな?」
「語源は同じなんじゃないの? 細かく刻んでいるみたいに見えるし」
「あれって、シャープマークじゃないんでしったけ?」
レネが、ザワークラウトと格闘しながら訊いた。
「似ているけれど違う。シャープは横棒が斜めで、ハッシュは縦棒が斜めになっているんだ」
ヴィルが、ビールを飲みながら答えた。
「ドイツ語ではなんて言うんだ?」
稔が訊いた。
「シャープはクロイツ。ハッシュはドッペルクロイツ」
ベルンの返事にレネが首を傾げる。
「クロイツって十字マークじゃ」
蝶子は笑ってさらに混乱させることを言った。
「バッテンも、シャープもクロイツよね」
「わかりにくいな」
食事が終わると、ベルンが席を外した。
「トイレにしちゃ長いな」
稔が言うと、ヤスミンが煙草のジェスチャーをした。ああ、と稔は頷いた。
「ドイツも吸えないんだっけ」
「公共の場での喫煙は禁止されているの。レストランも同様。だから、吸いたければ、外で吸うしかないんだけど、なんせマイナス15℃ぐらいまで下がるからね。冬の間に禁煙に成功する人も多いのよ。もっともここ数日は暖かいから、彼は当分止められないでしょうね」
ヤスミンが言うと、四人は笑った。
「それで、公演は終わったのか?」
ヴィルが訊くとヤスミンは頷いた。彼女は、『カーター・マレーシュ』の重要な裏方だ。
「三十年戦争終結四百周年の記念イベントに私たちも参加したの。アウグスブルグの十七世紀って、盛りだくさんだったのね」
「当時の歴史に関する劇だったのか?」
「ええ。最初は三彗星の出現から始まったのよ」
1618年の秋に、ヨーロッパには三つもの彗星が同時に現れた。同時に二つ以上の彗星が現れたのは、それから2004年までなかったことを考えると、彗星のめぐる仕組みが知られていなかった当時の人びとにとってそれがどれほどの異常事態であったかは想像に難くない。現在のように明るいネオンのなかった時代、いくつものほうき星の出現は、さぞ人びとを不安にしたことだろう。
その年に、三十年戦争が始まり、アウグスブルグも一時スウェーデンに占領されることになった。件のフッガーライの貧しい住民たちも追い出されて、一時は兵舎となったのだ。
「そのせいで、団長にスウェーデン語のセリフがあって。稽古にやたらと時間がかかったよ。それより大変だったのはベルンのピアノだけれど」
「ピアノ?」
「ああ、スポンサーがどうしてもモーツァルトを絡ませたいというので、現代人である主人公が、ピアノを練習しているうちに夢を見たという設定にしたの」
「でも、なんでモーツァルト?」
レネが訊く。
「アウグスブルグは、モーツァルトゆかりの街という観光キャンペーンもやっているから」
ヤスミンが言うと、蝶子は茶化した。
「モーツァルトと言っても、お父さんの方、レオポルド・モーツァルトのゆかりじゃない」
「そう、だから、なんとしてもヴォルフガングの方とアウグスブルグを結びつけなくちゃいけなかったの。でも、ベルンはピアノなんてできないから、弾いている振りして、録音した音源と合わせたの。このシンクロがなかなか上手くいかなくて、稽古にやたらと時間がかかって。あなたがいてくれたら、自分で弾けたのにね」
そういってヴィルを見た。
「何を弾いたんだ?」
「ピアノ協奏曲第六番変ロ長調 K.238」
蝶子が目を丸くした。
「ずいぶんマニアックな選曲ね。同じコンチェルトでも21番や23番みたいにポピュラーなものもあるのに」
「第六番は、ここアウグスブルグで、モーツァルトが自ら演奏したって記録があるんだ。モーツァルトの街を自認するアウグスブルグならではの選曲だと思う」
ヴィルの説明に、蝶子たちは納得して頷いた。
噂のベルンが戻ってきた。
「外はだいぶ暗くなってきたぞ。そろそろ行くか」
市庁舎の前では、『
本物の羽根を使って作った小鳥や、ガラス細工の大きな雪のオーナメントがぎっしりと屋台に飾られていて、明るい照明の中でキラキラと輝いている。ヤスミンとレネは、靴の形をした一つの同じ容器からグリューワインを飲んで微笑んでいた。蝶子は、クリスマスツリーに付ける新しいオーナメントを買った。
突然、オルガンの高い音が響いた。人びとがざわめき、市庁舎の窓を見上げた。窓に灯りがつく。そして、開いた窓から、一人、また一人と、背中に翼を付けた奏者たちが窓に現れた。『
「なんだ。あそこにいるの、マリアンじゃないか」
ヴィルが言うとベルンが頷いた。
「そうだよ、それにユリアもあっちにいる。エンゲル・シュピールも毎回出演すると、結構な餅代が出るしな。俺みたいにむくつけき輩は、残念ながら天使にはなれないんだが」
劇団員は、生活費を捻出するためにあちこちでバイトをするのが常だ。かつてはバーでピアノを弾いていたヴィルも、配送業の仕事をするベルンも、美容師の仕事とかけ持ちをしているヤスミンも例外ではなかった。
「クリスマス市の季節か。こうなると今年も、あっという間に終わるな」
ベルンがグリューワインを飲みながら言った。
「そうね。来年もみな健康で、いいことがたくさんあるといいわね」
蝶子が言うと、ヤスミンがウィンクをした。
「それに、あなたたちは、あまり大立ち回りのない平和な一年になるといいわね」
いろいろありすぎたこの一年のことを思い出して、蝶子は肩をすくめた。それから大切な仲間、一人一人とグリューワインで乾杯をして、来年が平和になるよう、心から祈った。
(初出:2015年11月 書き下ろし)
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【小説】ファインダーの向こうに(6)受賞の報せ
ジョルジアの最新の写真集『太陽の子供たち』は、弱小出版社である《アルファ・フォト・プレス》で発売されたものとしては、めざましい売上をあげていて、彼女も「明るい子供の写真を撮る女流写真家」として、少しずつ名が知られはじめています。もちろん、「知らない人は全然知らない」程度の知名度ですが。
あ、今回の設定、TOM-Fさんに無断で書いています。「そんな仕事するか!」と怒られるかもしれません。ごめんなさい、今から謝っておきます。
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
ファインダーの向こうに
(6)受賞の報せ
「ジョルジア! ジョルジア! 探したんだぞ。なんで電話に出ないんだよ!」
会社につくと、ものすごい勢いでベンジャミン・ハドソンが駆け寄ってきた。
「だって、この間の特集のことで、上とやり合ったって聞いたから。やっぱり撮り直し?」
「何言ってんだよ。それどころじゃないよ。君は、この会社の英雄になったんだよ!」
「何の話?」
「《アルファ・フォト・プレス》創設以来の悲願だ。『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』に入賞だ」
ジョルジアは驚いて、彼を見つめた。写真集『太陽の子供たち』が『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の一般投票部門で六位になったという報せだった。もしかしたら狙えるかもしれないとは聞いていたが、ジョルジア本人はもちろん、会社の誰も本当だとは思っていなかった。
「授賞式の写真を月刊誌『アルファ』の表紙にするからな!」
そう息巻くベンジャミンに彼女は嫌な顔をした。
「人前には出たくないわ。社長やあなたがかわりに受け取るわけにはいかないの?」
「何ふざけたことを言っているんだ。君が行かなきゃダメに決まっているだろう。いつもとは違って、社運がかかっているんだ、今回だけは何が何でも出席してもらうよ」
それから、斜めに彼女を見ながら意味有りげに告げた。
「それに、今年の『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の放映権はCNNにあるんだぜ。だから特別審査員にジョセフ・クロンカイトが含まれているんだ。彼も授賞式には来るぞ」
「……だから?」
ジョルジアは視線を逸らす。
「ちゃんとおしゃれしていけ。クロンカイトを一目惚れさせてやれ。やろうと思えばアレッサンドラ・ダンジェロ顔負けに装えるんだからさ」
「ベン。あなたは、私がこのあいだ言ったことを何も聞いていなかったのね」
「聴いていたさ。君が言いたかったのは、要するに拒否されるのが怖いってことだろう。そんなの、恋をしたら誰だって同じだ。ティーンエイジャーみたいなことばかり言っていないで、チャンスをつかめよ。君は、本来絶世の美女の仲間なんだぜ。世界中のどれだけの女が、アレッサンドラ・ダンジェロと同じ顔、同じスタイルを持てたらいいだろうと思っているのか知らないのか?」
「どんなに似ていても私は妹じゃないわ。好きな男すら逃げだした化け物よ」
「ジョルジア」
「ごめんなさい。もう言わないわ。でも、お願いだからそっとしておいて。私が仕事中心に生きているのは、あなたにとって、そんなに悪いことじゃないでしょう?」
ずっと知らない人が怖かった。特に、アレッサンドラに似ているからと近づいてくる男たちが怖かった。完璧な女神を、朗らかで挑発的なファム・ファタールを求めてきた彼らはいつだって、そうではない自分を見つけて、嘲笑い軽蔑して去っていくのだと感じていた。
「君みたいな化け物をどうやって愛せるっていうんだ」
ジョンの捨て台詞が、耳から離れない。
ベンジャミンが、いつも守ってくれていることはわかっている。十年前も、友達のジョンではなく、彼女の側に立って、壊れそうだった彼女を、仕事と、それからこの世界につなぎ止めてくれた。もう撮れない、人が怖いと怯えて、会社にも行けなくなった彼女を辛抱強く訪れて、彼女にも撮れる無機質なものの仕事を用意し続けてくれた。そのことで、彼の立場が悪くなったことも一度や二度ではなかったが、文句も言わず、ひたすら支えてくれた。
マッテオやアレッサンドラが、何もしなくていい、自分たちの所でゆっくりするといいと言った時に、頑強に反対して仕事を続けさせてくれたのもベンジャミンと社長だった。仕事を続けることで、ジョルジアは家族だけでなく、社会とのつながりをゆっくりと取り戻し、人付き合いが下手とはいえ、自分の撮りたい物を追い、一人で取材旅行にも行けるまでに回復したのだ。
このまま一人で生きていくのならば、彼と社長の好意にいつまでも甘えて、彼らの重荷で居続けるべきではなかった。授賞式に出席して、《アルファ・フォト・プレス》の名前を広めることを求められているならば、引っ込んでいるわけにはいかない。たとえ「彼」がその場に来てしまうとしても。
愛した男に去られて十年経ち、はじめて新しい恋に落ちたが、彼女は一歩も動けなかった。そもそも知り合ってもいない人だ。望まれてもいないのに近づいて嫌われるだけなら、遠くから見ているだけの方がいい。ブラウン管の向こう、プリントの向こう。決して傷つけられることのない隔たりに安心しながら。
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落葉松の秋

まもなく移住して15年になるんですが、住んで自然を眺めていると、同じ四季の移り変わりでも、同じ光景が繰り返されるのではないことがわかります。
花の美しい年もあれば、雪景色が感動ものの年もあります。その一方で、果物の収穫がいまいちの年や、シャッターチャンスを待っていたのにぱっとしない景色のまま終わってしまう年もあるのです。
今年は、2003年以来、ずっとなかった猛暑でした。まあ、日本と違って、クーラーがなくても乗り切れるのだから、大した猛暑じゃないでしょうけれど。その分、例えばラズベリーの出来はいまいちで、私の作るシロップを待っていた男どもをがっかりさせた年でもありました。
その夏が影響したのか、久しぶりに秋の黄葉が最高に綺麗になったようです。エンガディンの落葉松は有名ですけれど、これはもっと我が家に近いスプリューゲンの近くの光景。こんな美しい光景のすぐ側に住んでいるのだから、幸せだよなと思います。でも、この光景もいつまでも続く訳ではありません。天候や、時間が違えば、同じ年でも見られない自然。だから、一瞬の美しさを目に焼き付ける日々なのです。
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【小説】バッカスからの招待状 -3- ベリーニ
この66666Hit企画は、六名の方から出していただいた名詞をそれぞれ一つ以上使うというルールがあります。今回、使った名詞は順不同で「バンコク」「桃の缶詰」「名探偵」「エリカ」「進化論」「にんじん」「WEB」の七つです。使うのに四苦八苦している様子もお楽しみください(笑)
参考:
バッカスからの招待状
いつかは寄ってね
君の話をきかせてほしい
バッカスからの招待状 -3- ベリーニ
大手町は、典型的なビル街なので、秋も深まると風が冷たく身にしみる。加奈子は意地を張らずに冬物を出してくるべきだったと後悔しながら、東京駅を目指して歩いていた。ふと、横を見ると、見覚えのある看板がある。『Bacchus』。隆に連れてきてもらったことのあるバーだ。あいつには珍しく、センスのある店のチョイスだったわよね。重いショルダーバッグの紐が肩に食い込んでいる。あいつのせいだ。加奈子は、駅に直行するのは止めて、その店に入るためにビルの中に入っていった。
「いらっしゃい」
時間が早かったらしく、まだそんなに混んでいなかった。バーテンダーの田中が、加奈子の顔を見て少し笑顔になる。憶えていてくれたのかしら。
「こんばんは、鈴木さん。木村さんとお待ち合わせですか」
あら、本当にあいつと来たことを憶えていたんだわ。しかも私の苗字まで。
「いいえ。一人よ。隆とは、いま別れてきたところ。彼、明日バンコクに行くの。朝早いから帰るって」
「出張ですか?」
「ううん、転勤だって。私もつい一昨日聞いたのよ。ヒドいと思わない?」
木村隆とは、つき合っているのかいないのか、微妙な関係だった。加奈子の感覚では、一ヶ月に一度くらい連絡が来て、ご飯を食べたりする程度の仲をつき合っているとは言わない。告白されたこともないし、加奈子も隆のことは嫌いではないが、自分から告白をして白黒をはっきりさせるほど夢中になっている訳ではないので、そのままだ。
突然電話がかかってきて「これから逢おうよ」などと言われる。例えば、夜の九時半に。はじめはそれなりにお洒落をして待ち合わせ場所に向かったりしたが、家の近くのファミリーレストランや赤提灯にばかり連れて行くので、そのうちに普段着で赴くようになった。一応、簡単なメイクだけはしている。これまでしなくなったら、女として終わりだと思うので。
そんな彼が、連れて来た中では、洒落ていると思えた唯一の場所が、ここ『Bacchus』だった。
「なんで、あなたがこんな素敵な店を知っているの?」
「え? いつもと違う?」
「全然違うわよ」
「そうかな。僕は、流行やインテリアの善し悪しなんかはあまりわからなくて、お店の人が感じのいいところに何度も行くんだよ。ここは、会社の先輩に一度連れてきてもらったことがあるんだけれど、田中さん、すごくいい人だろう?」
そう、それは彼の言う通りだった。彼の連れて行く全ての店は、必ず感じがいい店員か、面白いタイプの店主がいて、彼は必ず彼らと楽しくコミュニケーションをとるのだった。そして、加奈子は、彼や彼の連れて行く店で出会う人びとと、楽しい時間を過ごすのが好きだった。
だから、本当につき合っているのかどうか、彼が加奈子のことを好きなのかどうかにはあまりこだわらずに、彼の誘いは出来る限り断らないようにしてきた。洒落た店や、高価なプレゼント、それにロマンティックなシチュエーションなども、彼とは無縁だと納得してきた。それに、加奈子自身も、さほどファッショナブルではないし、目立つ美人という訳でもない。そういうフィールドで勝負しなくていいのは氣持ちが楽だと思っていた。
「でも、今回はあんまりだと思う。見てよ、これ」
そういうと、大きなショルダーバッグのジッパーを開けて、田中に大手町界隈を歩く時には通常持ち運ぶことはない品物を示した。
にんじん、芽の出掛かっているジャガイモ、中身が出てこないようにビニール袋で巻いてある使いかけのオリーブ油、やはり開封済みの角砂糖、そして何故か五つほどの桃の缶詰。
「これは?」
田中が訊く。
「バンコクに送る荷物には入れられなかったけれど、もったいないから使ってほしいって。そのために呼び出したのよ! 転勤も引越も教えなかったクセに」
彼はいつでもそうだ。加奈子は、「普通ならこう」ということに出来るだけこだわらないようにしているつもりだが、彼の言動は彼女の予想をはるかに越えている。
「前に、誕生日を祝ってくれると言うから、プレゼントはなくてもいいけれど、せめて花でも持ってこいと言ったら、何を持ってきたと思う? エリカの鉢植えよ、エリカ! 薔薇を持ってこいとは言わないけれど、あんな荒野に咲く地味な花を持ってこなくたって」
田中は、笑い出さないように堪えた。
「確かに珍しい選択ですが、何か理由がおありになったのではありませんか」
「訊いたわよ。そしたらなんて答えたと思う? 『手間がかからないだろう』ですって。蘭みたいな花を贈ってもどうせ私は枯らすだろうと思ってんのよ、あの男は!」
それだけではなくて、別に誕生日プレゼントももらった。『名探偵登場』というパロディ映画のDVD。全然ロマンティックじゃないし、唐突だ。でも、面白かった。実は、昔テレビ放映された時に観たことがあって、結構好きだった。
世間の常識からはずれているけれど、私との波長はそんなにズレていない。そう思っていた。加奈子は、そんな自分の直感を大事にしているつもりだった。でも、それが間違っていたのかとがっかりしてしまう。
こんなにたくさんの桃の缶詰、いったいどうしろって言うのよ。桃なんてそんなにたくさん食べるものじゃないし、これを見る度に、私はあいつに振り回された訳のわからない日々を思い出すことになるじゃないのよ!
でも、あいつはよく知っているのだ。あいつと同じく、私も食べ物を無駄に出来ない。邪魔だから捨てるなんて論外だ。あいつが私にこれを託したのは、私が全部食べるとわかっているから。もう!
「ねえ。これで、ベリーニを作って」
彼女はカウンターに黄桃の缶詰を一つ置いた。
田中は、加奈子の瞳と、缶詰を交互に見ていたが、やがて静かに言った。
「困りましたね」
「どうして? 缶詰なんかじゃカクテルは作れないってこと?」
「もちろんカクテルは作れます。ただ、ベリーニは、黄桃ではなくて白桃で作らなくてはならないんですよ」
「どうして?」
「イタリアの画家ジョヴァンニ・ベリーニの描くピンクにインスパイアされて作られたカクテルなんです。黄桃ではピンクにはなりませんからね。少しお待ちください」
そう言うと、彼はバックヤードへ行き、二分ほどで小さなボールを手に戻ってきた。薄桃色のシャーベットのように見える。
「何それ?」
「白桃のピューレです。夏場は、新鮮な白桃でお作りしていますが、冬でもベリーニをお飲みになりたいという方は意外と多いので、冷凍したものを常備しているのですよ」
田中は、グレナディンシロップを使わなかった。その赤の力を借りれば、もっとはっきりした可愛らしいピンクに染まるのだが、それでは白桃の味と香りが台無しになってしまう。規定よりも少ないガムシロップをほんの少しだけ加えてグラスに注いだ後、しっかりと冷やされていたイタリア・ヴェネト州産の辛口プロセッコを注いで出した。
「うわ……」
加奈子は、ひと口飲んだ後、そう言ってしばらく黙り込んだ。
桃の優しい香りがまず広がった。それから、華やかで爽やかな甘さが続いた。それを包む、プロセッコのくすぐるような泡と大人のほろ苦さ。その組み合わせは絶妙だった。本家ヴェネチアのベリーニとは違うのかもしれないが、特別な白桃の味と香りがこのカクテルを唯一無二の味にしていた。想像していたよりもずっと美味しくて、そのことに衝撃を受けて口もきけなくなってしまった。それから、もう二口ほど飲んで、ベリーニを堪能した。
「田中さん、ごめんね」
「何がですか?」
「缶詰でベリーニを作れなんて言って。とても較べようがないものになっちゃうところだったわ。これ、ただの桃じゃないんでしょう?」
彼は、控えめに笑った。
「山梨のとあるご夫婦が作っていらっしゃる桃です。格別甘くて香り高いんです。たくさんは作れないので、大きいスーパーなどでは買えないんですが、あるお客様のご紹介で、入手できるようになったんです。お氣に召されましたか?」
「もちろん。ますます缶詰の桃が邪魔に思えてきちゃった」
「そんなことはありませんよ。少々、お待ちください」
田中は、加奈子の黄桃の缶詰を開けると、桃を取り出してシロップを切った。ひと口サイズに切り、モツァレラチーズ、プチトマトも一口大にカットして、生ハム、塩こしょうとオリーブオイルで軽く和えた。白いお皿に形よく盛り、パセリを添えて彼女の前に出した。
「ええっ。こんな短時間で、こんなお洒落なおつまみが?」
「この色ですからベリーニにはなりませんが、缶詰の黄桃も捨てたものじゃないでしょう?」
「そうね……」
加奈子は、生ハムの塩けと抜群に合う黄桃を口に運んだ。隆と一緒に食べたたくさんの食事を思い出しながら。結構楽しかったんだよなあ、あいつとの時間。
「私、振られたのかなあ」
加奈子は、ぽつりと言った。
「え?」
田中は、グラスを磨く手を止めて、加奈子を凝視した。
「いや、そもそも彼は、私とつき合っているつもりは全然なかったってことなのかしら。転勤になったことも、引越すことも何も言ってくれなくて、持っていけない食糧の処理係として、ようやく思い出す程度の存在だったのかな」
田中は、口元を緩めて言った。
「木村さんのコミュニケーションの方法は、確かに独特ですけれど……」
「慰めてくれなくてもいいのよ、田中さん。私……」
田中は、首を振った。
「ようやく出会えたんだって、おっしゃっていましたよ」
「?」
「はじめてご一緒にいらした翌日に、またいらっしゃいましてね。『昨日連れてきた子、いい子だろう』って。木村さんがこの店に女性をお連れになったことは一度もなかったので、それを申し上げました。そうしたら『ここに連れてこられるほど長くつき合えた子は、これまで一人もいなかったんだ』と」
加奈子は、フォークを皿の端に置いた。
「それで?」
「『どんな話をしても、ちゃんと聞いてくれる。バンバン反論もするけれど、聞いてくれなきゃ意見なんかでないだろ』って。それに、『どんなあか抜けない店に行っても、僕が美味いと思う料理は、必ずとても幸せそうに食べてくれるんだ。マメに連絡できなくても怒らないし、服装がどうの、流行がどうのってことも言わない。だから、とてもリラックスしてつき合えるんだ』と、おっしゃってました」
加奈子は、ベリーニのグラスの滴を手で拭った。そうか。けっこう評価していてくれたんだ。それに、あれでつき合っているつもりだったんだ。
「しょうがないわね。あれじゃ、そんな風に思っているなんて伝わらないじゃない。明日にでも、メールを送って説教しなくっちゃ」
「木村さんの言動は、聞いただけだと、なかなか理解されないでしょうけれど、鈴木さん、あなたを含めて彼の周りにいる方は、みな彼のことをとても大切に思っている。素敵な彼の価値のわかる方が集まってくるのでしょうね。チャールズ・ダーウィンがこんな事を言っていますよ。『人間関係は、人の価値を測る最も適切な物差しである(注1)』って」
「へえ。それって、あの『進化論』のダーウィン?」
「ええ。そうです」
「田中さん、すごい。教養があるのね」
「とんでもない。格言集は、面白いのでよく読むんですよ。元々は、お客さんにいろいろと教えていただいたんですけれどね。あ、今は、WEBでいくらでも調べられますよ」
「へぇ~。家に帰ったら調べてみようかな」
「ダーウィンは他にも、私たちのような職業の者には言わないでほしかった名言を残していますよ」
「なんて?」
「『酔っ払ってしまったサルは、もう二度とブランデーに手をつけようとしない。人間よりずっと賢い(注2)』んだそうです」
加奈子は、楽しそうに笑った。そうかもね。でも今夜はそれでも、あの訳のわからない男のことを思い出しながら、この優しいベリーニに酔いたいな。
ベリーニ(BELLINI)
レシピの一例
プロセッコ 12cl
白桃のピュレ 4cl
ガムシロップまたはグレナディンシロップ 小さじ1杯
作成方法: グラスに白桃のピュレとシロップを入れ、よく冷えたプロセッコを注ぐ
(注1)A man's friendships are one of the best measures of his worth. - Charles Darwin
(注2)An American monkey, after getting drunk on brandy, would never touch it again, and thus is much wiser than most men. - Charles Darwin
(初出:2015年11月 書き下ろし)
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グラストンベリー、アーサー王伝説の聖地
ファンタジー好きの方ならアーサー王伝説はよくご存知だと思いますが、グラストンベリーのことも常識でしょうか?
少なくとも、私が日本にいた二十世紀のときは、そこまで知られた場所ではありませんでした。ここは、アーサー王が瀕死の状態で運ばれて行った、アヴァロンではないかと言われている場所です。そしてアーサー王の墓が発見された場所としても有名です。
グラストンベリーはロンドンの西、およそ200kmのところにあります。車だとおよそ三時間でしょうか。電車を乗り継いでも行けるんですが、さほど便も良くなく、短い旅行の間に荷物を持って移動するのも大変なので、私は日帰りツアーを利用して行ってきました。ストーンヘンジ、エイヴベリーという二つの巨石遺構と一緒にグラストンベリーまで見てしまおうという欲張りなツアーですね。

グラストンベリーと言ったら、まず忘れてはならないのが、このグラストンベリー・トールという塔です。聖ミカエル教会というのが正式な名称のようです。この小高い丘は、干拓される前は湿地であったこの土地で、湖に浮かぶ島のようであったということです。瀕死のアーサー王は船でアヴァロンに運ばれたということになっていますが、ここがそのアヴァロンではないかという説の根拠となっているのが、この教会からアーサー王の遺体が発掘されて、グラストンベリーの街にある修道院に埋葬されたという修道院縁起からなのですね。
アーサー王の実在や、その遺体の真偽は別として、ラテン語で書かれた十字架や発掘された遺体を収めた教会は、アリマタヤのヨセフがキリストの血を受けたと言う聖杯や茨の冠を持ってきてここに埋めたと言う伝説と相まって、英国でも有数の巡礼地となりました。が、1539年に自身の離婚をめぐる争いからカトリック教会との決別を望んだヘンリー八世に打ち壊されて以来、完全な廃墟になってしまっています。
現在では、アーサー王伝説に惹かれてくる巡礼者だけでなく、セント・マイケルズ・レイラインと呼ばれるヨーロッパでも最も強いと言われるパワースポットにある場所として、多くの人びとが訪れているようです。
実際に、霊感にあたるようなものが全くない私でも、クリアで澄み渡った空氣を感じました。こういう感覚は、出雲大社や伊勢神宮を訪れた時にも感じたものに近いので、おそらくパワースポットというものはあるのではないかなと思います。そこにアーサー王が眠っているかどうかではなく、もともとこういう特別な場所に神社仏閣や教会などが建てられる傾向があり、そこから長い歴史の間でいろいろな伝説を集めるのではないかと思うのです。

この丘の麓にはチャリス・ウェルという庭園があります。アリマタヤのヨセフが聖杯をトールに埋めたという伝説から、ここで湧き出る水は聖なる力を持っているといわれていますが、この庭園では、その水を汲むことが出来るのです。私も飲んできましたが、鉄分のある、温泉水のような味でした。
子供の頃に較べると、アーサー王伝説や聖杯伝説などに対して、「キリストの血を受けた聖杯や茨の冠があったとしても、イスラエルから、わざわざここに持ってくるかな」などと考えてしまうかわいげのない大人になってしまいました。伝説もかつてはいろいろと暗記していたのにずいぶん忘れてしまっていたことも、少しショックでした。ツアーに同行した日本からの青年が泣き出さんばかりに感激をしているのを見て、二十五年前には、私も彼と同じような想いでここに来たがっていたっけと思い出しました。
今は、ちょっとお金を払えば簡単に行ける場所で、まるで普通の観光の一環のように感じていた自分に氣がついて、純粋だった自分はどこに行ってしまったのかなと、思いながら風に吹かれていました。

とはいえ、子供の頃に夢中になったケルトやアーサー王伝説の聖地にいるのですから、やっぱりそれにふさわしいお土産を買わなくっちゃ! そう、大人買いです。
イギリスのお土産の定番と言ったらティータオルですが、今回は三枚買いました。一枚は義母へのプレゼント用ですが、残りの二枚は私用。そのうちの一枚が、この写真の下に敷いてあるもの。たくさんの紋章がついていて素敵だなと思って、グラストンベリーで買ったのですが、よく見たらこの黄色い丸は円卓で、アーサー王と円卓の騎士の紋章でした。「湖のランスロット」とか「ギャラハット」とか書いてあるのは、妙に嬉しいです。やっぱりミーハーな私。
そして、プラスティックの瓶は、チャリス・ウェルで汲んできた聖水。隣は修道院時代からの製法を守り続けている蜂蜜酒「グラストンベリー・アベイ・ミード」です。瓶もなかなかお洒落でサイズもお土産にぴったりでした。

さて、こちらの写真は、ロンドンの大英博物館で買ってきた銀のネックレス。ケルト文様の物を買いたいなと思って見ていたのですが、ふと見つけてしまったのがこれ。チャリス・ウェルの泉の蓋の模様のものなんです。この旅の思い出としては、こっちのほうがいい! そう思って買ってきました。
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【小説】ファインダーの向こうに(5)撮影 -2-
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ファインダーの向こうに
(5)撮影 -2-
マッテオは立ち上がって、ジョルジアをそっと抱きしめると、その頬にキスをした。
「わかっている。アレッサンドラも、二度目の離婚についてアドバイスをした時に驚いていたよ。僕は、軽薄な兄を演じすぎたのかな。でも、そうでもしないと、お前たちへの想いを制御できなくなるんだ。本当は夢中すぎて、心が痛くなるくらいなんだ」
「私にも?」
「そうだとも。母さんに抱かれて眠っていたお前を初めて見たあの日から、僕はずっと夢中だ。こんなに愛しい存在があるのかって」
「マッテオ兄さんったら。そんなの大袈裟だわ」
「何を言っているんだ。本当なんだぞ。そりゃ、子供だったから、こういう言葉で思ったわけじゃないけれど」
ジョルジアは、兄をみつめた。子供の頃、ジョルジアが転ぶといつも駆け寄ってきて、立たせてくれ、それから抱きしめてくれたマッテオ。算数ができなくて困っていると、辛抱強く助け舟を出してくれたこと。どれほど彼女が身を引いて疎遠にしても、繰り返し明るくコンタクトを続けてくれた兄。
心の奥を覗き込むと、彼の言っていることの方が正しいことがわかった。彼女が、選ぶフィルムも、カメラも、現像する時のトーンも、自分の感性よりもどう望まれているかを優先してきた。何が望まれているかを判断するのはとても簡単だった。自分にはないもの。自分には許されていないもの。その写真の明るさで、彼女自身の暗闇から人びとの視線を引き離してしまう幸福な写真。もしくは徹底して感情を排した物の写真。そう撮っていれば安心だった。なぜならば、必ず満足してもらえるのだから。
だが、それはジョルジアの心を映した作品ではない。彼女にとって、心を映し出したとはっきり言える写真は、暗室の奥に貼られているたった一枚のみだった。
秋からずっと心惹かれ続けている、けれど、それが後ろめたいように感じて仕事に使えなかったモノクロームの世界。乾いて冷たい風の通り過ぎる空間。影が色濃く落ちる王国。明るく楽しく自分とは無縁の世界とは対極的な、暗く哀しみが蠢く親しみのある空間。
では、幸運の女神の寵児であるマッテオと、その世界で対峙したらどうなるのだろう。
古いライカを取り出した。彼は、不思議そうに彼女を見た。彼女は構図を変えて、何枚も撮った。
ファインダーの向こうに、マッテオは同じように存在した。けれど、彼女は彼の別の姿を見た。軽薄で物質的で馴染めないと思っていた彼の、優しくて思いやりに満ちた瞳が、こちらを見ていた。プラスチックの塊のように感じていた彼の肌には、前よりも多くの皺が刻まれている。それは目尻であったり、頬に多かった。いつも笑顔でいる彼の一番良く動かす筋肉と肌は、そこなのだと感じた。
私は、この人の何を見ていたのだろう。自分には手にすることのできない、光の部分にばかりに拘って、とても大切なものを見失っていたのかもしれない。
アレッサンドラとは違うから愛されない、側にいられないというのは、被害妄想のひがみだったのかもしれない。両親も、兄も、ジョルジアを「黒い羊」扱いしたことは一度だってなかった。彼女は、色を廃して、ファインダー越しに覗くことで、初めてそれを感じたのだ。
「ねえ。兄さん」
「なんだ?」
「場所を変えてもいい?」
「え?」
「ここにいるあなたは、確かにとてもあなたらしいけれど、他の人にも撮れるような氣がするの。私しか撮れない所であなたを撮りたいと思って」
「どこで?」
「海で。それも、豪華客船やプライヴェートのヨットじゃなくて、私たちが育ったあの素朴な海辺で」
マッテオは、頬が紅潮し、瞳の輝きだした妹をじっと見つめていたが、それから笑って彼女を抱きしめた。
いつものスーツではなく、かなり砕けた麻のジャケットにラフなチノパン姿で、ビーチサンダルを履いてパナマ帽を被ったマッテオは、ユーモラスだった。海からの強い煌めきと、影になった彼の半身が、モノクロームの中で印象的に浮かび上がる。
悔しくなるほどの成功をし、誰もが羨む暮らしをする、軽薄な
ベンジャミン・ハドソンは、その写真を見たとき、それがマッテオ・ダンジェロだとは信じられなかった。
「言ったでしょう。あなたが思うようなセレブには撮れないって。撮り直した方がいい?」
失望させたのかと、がっかりしながらジョルジアが言うと、彼は大きく首を振った。
「そうじゃないよ。信じられない。すごくいい。あんなに嫌がっていたから、これほどの写真を撮るなんて、思ってもいなかったんだ。これはどこだ?」
「ノースフォーク。私たちの両親が漁業をしていた頃、よく遊んだ所なの。何もない所なんだけれど、私たちには特別な場所なの。マッテオ・ダンジェロがまだ存在しなかった頃、マッテオ・カペッリが忙しい両親の代わりに妹たちを散歩させた所なの」
「だから、こんなに優しい表情なのか。それに、この濃淡がすごくいい。モノクロームに目覚めたのか?」
「ええ。非公式にだけれど、他の人も撮ってみようかと思っているの。撮らせてほしいと頼める人に限られるけれど……」
ベンジャミンは頷いた。
「ある程度撮れたら、もう一度見せてくれ。社長に掛け合って、次の写真集の企画を提出するから。180度のイメージチェンジだから、上層部は反対するかもしれないけれど、絶対に通してみせる」
ジョルジアは、彼の反応に驚いていた。心配されるのかと思っていた。少なくとも、こんな風に肯定してもらえるとは夢にも思っていなかったからだ。彼女は、笑顔を見せた。
「ありがとう、ベン」
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【小説】パリでお前と
この66666Hit企画は、六名の方から出していただいた名詞をそれぞれ一つ以上使うというルールがあります。今回、使った名詞は順不同で「テディーベア」「天才」「中国」「古書」「蚤の市」「モンブラン」「アルファロメオ」「野良犬」「遊園地」「モンサンミッシェル」の十個です。
参考:「ファインダーの向こうに」

ファインダーの向こうに・外伝 — パリでお前と
アンジェリカは、彼の手のひらに手を滑り込ませた。フォーシーズンズ・ジョルジュ・サンクからギャラリー・ラファイエットまでのさほど長くない道のりを、渋滞に巻き込まれて退屈な時間を過ごすことになっても文句一ついわなかったし、むしろ彼をリラックスさせようと明るく話し続ける彼女を、レアンドロ・ダ・シウバは愛おしいと思った。
二時間もあれば飛んでこられるのに、わざわざドーバーを越えるフェリーを使ってフランスまで来たのは、愛車スパイダー・ヴェローチェに乗せてやるという一年前からの約束を果たすためでもあったが、実際のところ幼い彼女には、1993年に生産終了となったスポーツタイプ車の価値などはあまりわかっていなかった。だが、少なくとも、デパートメントストアの駐車係は、その車の価値をわかったようで、しかも運転してきたのが、かなり有名なサッカー選手であることに氣がついて、慇懃に挨拶をしたので、彼の自尊心は大いに満足した。
アンジェリカの白いコートを持ってやり、二人は輝かしいシャンデリアを見上げた。クリスマス前の最後の買い物をしようとする人びとが忙しく動き回っていた。アンジェリカは、少し怯えたようにごった返す店内を見回した。彼は、そんな八歳の少女の手のひらを優しく握りしめた。
前に逢ったのは半年も前で、その間にずいぶんと背が伸びて、より美しくなったように感じた。離婚して毎日は逢えなくなった我が娘に対して感じる、大抵の父親と同じ感想なのかもしれないが、少なくとも絶世の美女と世間の認めるスーパーモデル、アレッサンドラ・ダンジェロにますます似てくる娘を美しいと感じるのは、親の欲目だけとは言えないであろうと思った。
「それで。本当に明日には、スイスに行ってしまうのか。雪があるだけで、つまらない山の中だろう。結婚式が終わるまで、パパと一緒にマンチェスターへ来てもいいんだぞ」
ブラジル出身のプロサッカー選手であるレアンドロは、二年ほど前にプレミアムリーグに属する有名チームに移籍した。
アンジェリカは、首を振った。
「だめよ、パパ。ママの結婚式では、私、フラワーガールをすることになっているんだもの。それが終わったら、私はまたロサンジェルスに戻って、学校に行かなくちゃいけないのよ。マンチェスターで、パパの試合を応援する時間なんてないんだわ。それに、パパがトレーニングしている間、ソニアとお茶を飲んでいるだけなんて退屈だもの」
それで彼は、二度目の妻がアレッサンドラ・ダンジェロとその娘に対して、あまり好意的でないことを思い出して、娘をイングランドに連れて行くという計画を諦めた。そういえば、だからこそ、彼がわざわざパリまで出てきたのだった。
「じゃあ、少なくとも今日一日まるまるは、パパとデートしてくれるだろう。アレッサンドラは今日は、忙しいんだろうし」
「そうね。ウェディング・ドレスの仕上げなんですって。ねえ、パパ、どうしてママは結婚する度に新しいドレスを作るの? 二年前のだって、一度しか着ていないのに」
レアンドロは、もう少しでむせ返るところだった。
「さ、さあな。そもそも、パパは、なぜあいつが、また結婚するつもりになったのか、それだってわからないよ」
「どうして? パパは、シングルに戻ったママともう一度結婚したかったの?」
「う~ん。そう簡単にはいかないんだよ」
「ああ、そうか、パパはソニアと結婚しているものね」
アンジェリカは、したり顔で頷いて、それから大きなデパートメントストアの、子供服売場の方に意識を戻した。
レアンドロは、娘の着ているスモモ色のビジューギャザーのワンピースをちらっと見た。確かイ・ピンコ・パリーノとかいうイタリアのブランドだ。マッテオ伯父さんに買ってもらったと言っていたな。
アレッサンドラの兄、ニューヨーク在住のマッテオ・ダンジェロに対して、レアンドロは強い対抗意識を持っていた。あいつにバカにされないものを買ってやらなくちゃいけない。俺は子供服のことはさっぱりだが、ふん、少なくとも値段が高いか安いかくらいは、わかるさ。このデパートメントに売っているものが、どれもバカ高いことだってな。
「欲しいのは、洋服だけか。ほら、あそこの熊のぬいぐるみは?」
レアンドロが指差した先には、茶色い大きなテディーベアがサンタクロースの衣装を着せられてかなり雑な様子で椅子に座らされていた。
「もう、パパったら。私ね、何ヶ月か前だけれど、ジョルジアとメイシーズに行って、ジュリアンの誕生日にこういう熊を選んであげたの」
ジョルジアは、アレッサンドラの姉だ。なんともぱっとしない女で、確か写真家だったな。レアンドロは素早く考えたが、ジュリアンというのがわからない。まさか、アンジェリカのボーイフレンドじゃないだろうな。いくらなんでも早すぎる。
「ジュリアンというのは、誰だったかな?」
「ジョルジアが名付け親になっている子よ。六歳なんだけれど、子供っぽいの。親はスキーウェアがいいって言ったらしいけれど、あの子はそんなのより、ぬいぐるみの方を喜ぶわよってジョルジアにアドバイスしてあげたの。それで、ああいう巨大なテディーベアが、スキーウェアを着ているような形にしてプレゼントしたら大喜びだったんだって。でも、私はもう、ぬいぐるみを抱えて寝るような子供じゃないのよ」
彼女は、そう澄まして言いながらも、傾いて座っているテディーベアの位置を直してやってから、優しくポンポンとその頭を叩いた。
一人前のような口をきいて、同年齢の子供よりも大人びて見えるが、時折見せる子供らしさをレアンドロは見逃さなかった。彼女は、両親にたくさん時間を割いてもらえないことを批難したりはしない。彼らの離婚と再婚によって複雑怪奇になる一方の家庭事情も黙って受け入れている。大人のような口をきくのも、寂しさと折り合うための彼女なりの努力なのかと思うと、彼の心は締め付けられた。
子供服売場をひとしきり歩いたけれど、アンジェリカの目が輝くことはなかった。どれもカジュアルすぎるし、思ったよりもペラペラしている。マッテオ伯父さんに甘やかされて、最高級のイタリアブランドを着慣れている彼女は、子供なのに目が肥えてしまっているらしい。
「もっと大人っぽいのがいいんだけれどな」
「どんなブランドがいいのかい?」
「う~ん。マリー・シャンタルか、ジャカルディみたいなの。でも、なければいいのよ、パパ。レストランに入っておしゃべりしましょうよ」
マリーなんとかに、ジャカルタか。はじめて聞いた。子供服のブランドなんだろうか。デパートには入っていないのかもしれないな。サッカー選手はあれこれと悩んでいたが、娘は彼の手を引いてさっさと飲茶専門店に入っていった。
「中国のお料理、パパも好きでしょう? 私、綺麗な点心を少しずつ食べるの大好きなの」
「そうか。じゃあ、美味しいものをたくさん食べよう」
そこからが一苦労だった。フランス語と中国語のアルファベット表記と漢字で書かれたメニューは、ブラジル人のレアンドロには、呪文の書かれた魔法書やギリシャ語で綴られた古書と変わらなかった。西欧の料理ならば、それでも前菜なのかメインなのかくらいはわかるが、中華料理ではそれすらもわからない。だが、メニューも読めないほど学がないと思われるのも悔しい。彼はウェイターを呼んだ。
「悪いが、英語のメニューを持ってきてくれ」
本当はポルトガル語がいいけれど、あるわけないからな。
結局、英語のメニューでも彼にはどんな料理かよくわからず、アンジェリカが美味しいだろうと提案してくれたものを頼むことにした。ちくしょう、二度とパリなんかで逢ったりしないぞ、父親の威厳が台無しじゃないか。彼は心の中で呟いた。
彼は、しばらく箸を使えるようなフリをしようとした。が、いつまで経っても水餃子をつかめない。今は、娘に逢いにアメリカへ行く度に飛行機のファーストクラスを使ったり、ル・プラザ・アテネに宿泊料金を確認せずに泊ったり出来る年棒をもらっているが、アンジェリカくらいの年齢の時には、サンパウロの貧民街で野良犬と一緒にゴミをあさっていたのだ。箸の使い方なんか、習ったことはなかった。彼は、諦めて箸を持ちかえると、水餃子をぐさっと突き刺した。
「で、アレッサンドラと、なんとかっていうお貴族様は、スイスのどこで結婚するんだ? モンブランのあたり?」
アンジェリカは、饅頭を上品に食べながら、しょうがないなという顔をした。
「パパったら。モンブランは、フランスの山でしょ。結婚式と披露宴があるのは、サン・モリッツよ。ヨーロッパ中の貴族が招待されるから、高級リゾートで、しかも警備が万全にできるところがいいんですって。パパは、スキーってしたことある? あれって、簡単に滑れるようになるのかしら? 赤ちゃんみたいな、ジュリアンだって出来るんだから、そんなに難しくないはずよね」
「さあな。パパはまだやったことはないよ。でも、お前、フラワーガールをやるなら、怪我をしたりしないようにしないと。よく骨折しているヤツがいるじゃないか」
「そうか。そうよね。じゃあ、結婚式の前はスキーは習わない方がいいのかな。でも、だとしたら、明日から結婚式までの五日間、何をしたらいいのかしら。とても退屈そう」
それを聞くと、レアンドロは急いでスマートフォンを取り出して、ここ数日の予定を確かめた。クリスマス休暇中でトレーニングはないし、変更しても問題はなさそうだ。
「じゃあ、パパとあと二、三日一緒にいよう。サン・モリッツにはパパのアルファロメオで送っていってやるよ」
「本当に? パパ、まだ数日、こっちにいられるの?」
「そうさ。パリをもう少し観光して、なんだっけ、ジャカルタとかいう洋服屋にもいこう」
「ジャカルタじゃないわよ。ジャカルディ。本店にいってくれるの? 嬉しいけれど、そんなに長くパリ観光をしたら、パパラッチにつかまっちゃうんじゃないの?」
「ふん。あいつらは今、お前のママの写真を撮るのに必死で俺たちを撮っているヒマなんてないのさ。その店の他にはどこに行きたい?」
「うふふ。凱旋門とエッフェル塔に登りたいな。クリニャンクールの蚤の市も行ってみたいし。アンティーク調のアクセサリーが欲しいの。クラスの子が誰も持っていないようなのをね」
「なんて言ったっけ、あの遊園地、そうだ、ユーロ・ディズニーランドにも行くか」
「パパったら。今、私はロサンジェルスに住んでいるのよ」
アンジェリカは、緩くカールしている濃い栗毛を手の甲ではらってから、大きくため息をついた。
「そうだったな。でも、ムーラン・ルージュ観光ってわけにはいかないだろう」
「だったら、パリの観光は、今日この後に全部やっちゃって、明日一緒にモンサンミッシェルか、ベルサイユに行かない? 電車だと時間がかかりそうだけれど、車で行ったら、すぐでしょう?」
アンジェリカは、ニッコリと笑った。
パリから昨日側を通ったばかりのモンサンミッシェルまで車で往復し、さらにその翌日に、スイスの東の端まで凍結しているに違いない道を走って行くのは、運転の好きなレアンドロでも、決して容易くはないのだが、娘の微笑みにはそれを言い出せなくするような不思議な力があった。
どこかで、こうやって女に振り回されたことがあったなと、数秒考えた。どこかじゃない。目の前に座っている娘とそっくりの微笑みだ。世界中の男たちの羨望を浴びていた十年くらい前の話だ。アレッサンドラ・ダンジェロは八歳の少女ではなかった。彼女は無邪氣なのではなくて、確信犯だった。ひとかどの人物と自負している男を、自分の自由に動かす術を知り尽くしている天才だった。そして、それがわかっても腹立たしくはならない不思議な女だった。
どうして、あの女と別れることになってしまったのかな。彼は訝った。そして、いまアレッサンドラに振り回されているのは、いつだったかの神聖ドイツ皇帝の末裔たる貴族だ。
悔しいような、ホッとするような、不思議な想いだった。今日、アンジェリカを送り返す時に、あの女に逢ったら、どんなことを思うのだろうと考えながら、レアンドロは最後の饅頭に手を出した。彼の小さい娘は、澄ましてジャスミン茶を飲みながら、満足そうに微笑んだ。
(初出:2015年11月 書き下ろし)
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