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Posted by 八少女 夕

パンのお供(5)パトルジャン・サラタス

「パンのお供」シリーズ、今回は塩味のちょっと変わったものを。ナスのペーストなんですがトルコ料理なのです。

パトルジャン・サラタス

ナスは地中海沿岸ではよく食べられている食材。多分スペインやギリシャ料理にも同じ様なレシピがあると思うんですが、作り方を知ったのがトルコ料理の本だったので、その名称でご紹介しています。

作り方はとても簡単で、まず焼きナスを作ります。レシピの分量だと日本のナス五個でした。別にもっと少なくてもいいと思います。そして、柔らかくなった中身をすくう様にして皮を取り除き、ヨーグルト大匙三、レモン汁大匙一、塩小さじ一、にんにくのみじん切り一かけ分、胡椒と混ぜ合わせてペーストにします。以上。なんですけれど、我が家にはプレーンヨーグルトがなかったので、マスカルポーネで作りました。結果的に、こちらの方が酸味が和らぎしかもこってりして美味しくなった様に思います。個人的にですけれど。

ナス Auberginen Graffiti

なぜプレーンヨーグルトもないのに作ったかというと、こういうナスを買ってきて、悪くなる前に使いたかったんですよ。

ヨーロッパで売られているナスは、日本のナスの三倍くらいある大きなものです。皮はかなり黒に近い感じで、味も大振り。で、写真のナスはそれよりもひとまわり小さくて鮮やかな紫のふ模様が綺麗なものでした。最近通いだした有機食料品店では、こちらでは見たこともなかった新しい野菜を色々と売っているので、試してみる事にしているのです。お店の女性は「普通のナスより繊細で美味しい味よ」というので、買ってきました。

一つはいつもの様に和風の味付けにしましたが、もう一つを使って、ずっと作ってみたかった「ナスのペースト」に挑戦したわけです。これは、美味しいです。日本の秋ナスでもいけると思いますので、大量に買ったら是非作ってみてくださいませ。
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Category : 美味しい話
Tag : パンのお供

Posted by 八少女 夕

【小説】カササギの願い

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」十月分を発表します。十月のテーマは「指輪」です。

今回の話を書くにあたって、ヨーロッパで一般に信じられている「カササギが光るモノを盗んでいく」が本当なのか少し調べてみました。そして、「光るモノを自分の巣に運ぶという習性はない」ということを知り、ウルトラがっかり。ただし、カササギが光るモノを警戒して、本来あった場所から自分の邪魔とならないところに運び去るということはあるらしいことを確認しました。やれやれ、よかった。もう少しでこの話を破棄しなくちゃいけないところでした。


短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月のアクセサリー」をまとめて読む



カササギの願い

 街から離れ石畳の上を車輪が走らなくなると、馬車の中の揺れは心地よいものとなり、僕は軽い眠氣に襲われた。森林の中を進みハンプトン荘へと向かう現在とまったく同じ道の、けれど秋の弱い光に照らされた黄色に支配された今の木立ではなく、みずみずしい夏の光景が瞼の奥に広がった。どこからかカササギのギーッという鳴き声が響く。それは、八年前の記憶だ。あの時、僕はまだ十三歳の膝までのズボンの方が心地いい少年だった。

 年間通して街にある本屋敷にいることを好んだ母のために、ハンプトン荘に行った事はほとんどなかったが、その夏だけは例外だった。兄のエドガーが怪我のために除隊となり、静かな療養が必要となって遅い春から滞在していたのだ。

 使用人達がいるのだから、敢えて僕たちも行く必要はなかったのだろうが、夏休みが始まってしばらくしてから、突然両親は家族全員でハンプトン荘に滞在する事を決めた。
「なんといっても、エドガーにはコートレーン家令嬢との縁談が進んでいるのですから」

 縁談と僕たちの別荘行きがどう関係しているのか、僕にはさっぱりわからなかったが、自然に溢れたハンプトン荘での滞在は僕を感喜させた。厳格で面白みのない執事ウィルキンソンもついてこなかったし、二言目には綴りの間違いがどうのこうのと騒ぐミス・カーライルもいない代わりに、素朴で妙な話し方をする庭師のチェスターや、美味しいパイをつくってくれるマクレガー夫人、そしてとても優しい女中のマリーが、僕に思いもかけなかった伸び伸びとした二ヶ月を約束してくれた。

 マリーは、あの頃の僕には他の人たちと同じように大人に見えたけれど、実際にはまだ十八歳だったはずだ。優しくて氣が利いて、僕の味方をしてくれる彼女が大好きだった。

 屋敷の裏にはいくつもの大木があって、僕は一人でターザンごっこをしたり探検をしたりして遊んだが、その度に服を汚して母に叱られた。でも、次第にマリーが先回りして助けてくれることが多くなった。
「またこんなに汚してしまわれたのですね、パトリック様ったら。お母様に知られるまえにお召替えをしておきましょうね。お召し物もすぐに洗えばわかりませんもの」

 母がマリーに厳しく当たるのは、僕の味方をして隠し事が多かったからだと、当時の僕は思っていた。だから、あんな理不尽な疑いもかけられたのだと。

 あの忌々しい指輪を僕が初めて見たのは、ヴァレリア・コートレーン嬢が到着する前の晩だった。母がディナーの席で重おもしく取り出して、エドガーに手渡したのだ。

「これは私がお前のお父様に婚約の印にいただいた指輪よ。このレイボールド子爵家の跡取りが妻となる女性に贈る伝統は二百年以上続いています。だから近いうちにお前がこれを必要とする日がくる事を期待して、渡しておきます」

 一カラットはあると思われる大きなエメラルドの周りをいくつものダイヤモンドが取り巻いた指輪はシャンデリアの光でキラキラと輝いた。僕は指輪になんか興味はなかったし、次男だからあの指輪とも全く縁がないけれど、それでもあの時は身を乗り出してもっとよく見てみたいと思った。

 給仕のために後ろに立っていたマクレガー夫人とマリーもその指輪に目が釘付けになっていたみたいだけれど、物欲しそうにしていたのはむしろマクレガー夫人の方だった。それなのに、あれがなくなった時に真っ先に疑われたのはマリーだったのだ。

 あの翌日に到着したヴァレリアはロンドンの社交界で花形だという触れ込みが納得出来る華やかで美しい女性だった。いくら爵位が自尊心をくすぐり、財産がそこそこあるからといって、こんな田舎貴族の跡取りと結婚するなんて想像もつかない美しさで、思春期に入りかけていた僕も、少しポーっとなってしまった。

 結婚には興味はないと言っていた兄のエドガーもあっという間に意見を変えたらしく、二人はいつも一緒にいて、散歩をし、見つめ合い、幸福で建設的な未来について思いを馳せたらしい。そして、兄は早くも彼女に結婚を申し込もうと心を定めたらしかった。

「大変だ!」
滅多に動揺したところをみせない兄の声に驚いた。彼は例のディナーで母が渡した指輪の赤い箱を手にして青ざめていた。箱の中は空だった。
「こんな風に開いたままの箱がライティングデスクの上に置かれていたんだ」

 ハンプトン荘は大騒ぎとなり、警官もやってきた。母は他にもたくさん宝石を持ってきていたが、盗まれたのはあの指輪だけだった。容疑者から除外されたのはその存在を知らなくて、たとえ知っていても指輪がもらえるはずだったヴァレリア。そして僕を含めて家族も一旦容疑から外された。

 僕にはよくわからない理由で、マリーが一番の嫌疑を受けた。金銭的なものだけでなく、この婚約を邪魔したい動機も持っているというのだ。僕は「マリーはそんな事をする人じゃない」と訴えたが母は冷たく言い放った。
「お前は子供でまだ何もわかっていないのよ」

 もちろん、マリーは否認したが、状況は彼女に不利だった。マリーはあの晩、指輪を見ていたし、なくなった朝にも掃除するためにエドガーの部屋に一人で入っていた。

 僕は、彼女の持ち物から指輪が出てこないにもかかわらず、マリーが幾晩も帰ってこないことにやりきれなかった。部屋の窓から毎日遊んでいた裏の大木を眺めていた。マリーがいなければ服をこっそり洗ってくれる人もいない。大木に登ること自体よりも、マリーと秘密を共有することが楽しかったのだと思った。何度も助けてくれた彼女のために何もできない自分が悲しかった。

 ギーッという鋭い鳴き声がして、白と黒の大きな鳥がバサバサと羽ばたいた。カササギだ。僕は、その動きをぼんやりと眺めていた。何か銀色のものを加えている。あれはスプーンかなんかだろうか。そして、僕はハッとした。あの指輪だったらきっと泥棒カササギも欲しがるだろうと。僕はカササギの動きを注意深く観察し、大木の近くの地面を掘っているのを見た。

 カササギがスプーンを隠していた穴からエメラルドの指輪が見つかり、僕はちょっとした英雄になった。警察本部長から感謝の言葉を述べてもらったし、マリーも釈放されて帰ってきた。両親がマリーに謝罪して彼女がそれを受け入れたので不穏な空氣は感じられなくなって、僕は嬉しかった。

 それからすぐに、エドガーがヴァレリアに感動的なプロポーズをした。婚約祝いが本屋敷で行われることになり、僕たちは慌ただしくハンプトン荘を去った。

 あれから八年間、僕は一度もハンプトン荘を訪れなかった。遠い寄宿舎に入り、それから大学に進んだ。少し根を詰めて勉強をしすぎたせいで、いや、それは表向きの理由で、本当はあまり好ましくない友人たちと酒場などに入り浸ったのを両親に知られたせいで、僕はしばらく大学を休み、静養することになった。

 せっかく静養するのだから、街の本屋敷ではなく、ハンプトン荘でゆっくりしたいというと、母は僅かに渋ったが結局は許してくれた。というのは、少なくともハンプトン荘の周りに入り浸れるような酒場は一軒もないのが確かだったから。

 馬車が停まった。僕は扉を開けて、あの夏とは打って変わり、色づき始めた木立に覆われた屋敷を眺めた。小鳥のさえずりと羽ばたき、乾いた木の葉の間を渡る風だけが音を立てる静かな世界。まるで時間が置き忘れたような古く秘密めいたハンプトン荘が変わらぬ様相で立っていた。

「ごきげんよう、パトリック様。すっかり大きくなられましたね」
玄関に目をやると、随分と小さくなって見える年老いた女性がニコニコと笑って立っていた。

「ああ、マクレガー夫人。世話になるよ。皆あの頃と変わらないんだね」
「ええ。チェスターはまだ庭の世話をさせていただいていますし、ほら、この通りマリーも変わらずにこちらでお世話になっています」

 夫人の後ろに思い出とほとんど変わらぬ姿だけれど、やはりあの時ほど背が高くないマリーが立っていた。

 僕は、自分が二十一歳の若者となり、ずっと背が高くなったことを改めて感じた。そして、マリーの儚くも優しい、それでいてぴったりとした女中服から感じられる女性らしい体つきを目にして、かつてのように自分の世話をしてくれる大人の使用人とは感じなくなっていることを知った。

 マリーの僕を見る瞳の中に、わずかな驚きがあった。それからどこかやる瀬ないほとばしる輝きがあり、それからすぐにその光を消した。まるで僕の中に別の誰かを見て、それから急いでその想いを打ち消したように。

 すぐそばから、ギーッというけたたましい警戒音を立てて、カササギが大きく羽ばたいて大木の中へと姿を消した。

 僕は、その時すべてを理解した。あの指輪を持ち去ったのは、確かにカササギだったけれど、それを望んだのはあの鳥だけではなかったことを。僕たちが到着する前、この世間から切り離された館で療養していた兄エドガーとマリーの間にあった、誰も語ろうとしなかった物語を。

 僕は、マリーを誤認逮捕から救った小さな英雄ではなくて、彼女の切なる願いを打ち砕いてしまった愚か者だったのかもしれない。

 ロンドンでエドガーと暮らす兄嫁ヴァレリアの即物的で浮ついた様相を思い出し身震いをした。マリーをこの館に悲しみとともに置き去りにしたことをエドガーはどう思っているのだろうか。

 そして、見つかったあの指輪が自分の目の前で、美しく華やかな令嬢に贈られるのを見ていたマリーは、どんな想いで立ちすくんでいたのだろう。

 僕があの日、土の中から見つけ出した指輪は、銀のスプーンや真鍮の蝶番に紛れて、夏の揺れてまぶしい木洩れ陽に輝いていた。許されないとわかっていてもどうすることもできない、悲しく強い想いのように。

 カササギはあの指輪を誰にも見えないところへと消してしまいたかったのだ。僕がそれを邪魔してしまったのだ。

 弱く柔らかくなった秋の木洩れ陽と枯葉が舞い落ちていく午後、僕はカササギの苦しがっているような鳴き声を聴きながら、時に忘れ去られたようなハンプトン荘へと入って行った。

(初出:2017年10月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

「バッカスからの招待状 ブラッディ・マリー」を朗読していただきました

嬉しいお知らせです。

いつも御世話になっているもぐらさんが、当ブログで不定期連載をしている「バッカスからの招待状」の第一作「ブラッディ・マリー」を朗読してくださいました。


 さとる文庫 「第393回 バッカスからの招待状 ブラッディ・マリー」


もぐらさんは、「さとる文庫」というサイトで、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。

「scriviamo!」にご参加くださり、すでに何回か素敵な朗読を寄せてくださっているのですが、今回は「バッカスからの招待状」の記念すべき第一作を読んでくださいました。短く書けないせいで十七分にわたる朗読をさせてしまいましたが、地の文、登場人物のセリフを見事に読み分けてくださって感激しています。

それに、もぐらさん、下戸なんですって。なのに『Bacchus』と田中を氣に入ってくださっているし、それよりも雫石鉄也さんのところの名店「海神」とマスターの鏑木さんの大ファンでもあられるのですよね。あ、うちの『Bacchus』は下戸も大歓迎、というか主要キャラに妙に下戸の多い変なバー小説です。

バーテンダー兼店主の田中祐二は、「樋水龍神縁起」という作品で主人公が一人で黄昏ていたバーとして初登場していますが、この作品ではじめて容姿や動作が描写されたのですよね。今では役者も揃って独自の世界観を築き始めている『Bacchus』ワールドですが、その原点ともなっているこの作品を取り上げていただき嬉しいです。

ちなみに、この作品に登場する広瀬摩利子と高橋一は、やはり「樋水龍神縁起」の重要サブキャラです。でも、それとは関係なく読める話になっています。「バッカスからの招待状」はほぼ毎回読み切りに近い形での連載になっていますので、まだお読みでない方は是非この機会に。

そして、たくさんの素敵な作品を紹介なさっている「さとる文庫」にもぜひいらしてみてください。

もぐらさん、どうもありがとうございました。




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Posted by 八少女 夕

秋のスイスに来るのなら

今日はトラックバックテーマからの話題ですが、たぶんこっちのカテゴリーのほうが後で探しやすいので、「スイス・ヨーロッパ案内」に突っ込んでおきます。テーマは「おすすめの紅葉スポットは?」です。

カラマツ

日本の方は連休の時にまとめて休みが取りやすいせいなのか、ゴールデンウィーク、お盆の時期、年末、三月などに来たがる方が多いんですけれど、一年を通じて最もおすすめなのはいつかと訊かれたら、私は春と秋の終わりと答えます。ゴールデンウィークの時期に偶然、春の花の時期がぶつかればいいのですが、毎年外れているので「ああ、また残念」ということになったりします。ちょうど日本の桜の時期が毎年動いてしまうのと同じです。一方で秋の方はそこまでルーレットではないのでおすすめなんですけれど、この時季は休めないという方が多いんですよね。あ、シルバーウィークは、私のおすすめの光景には早すぎるんです。

何がおすすめかというと、グラウビュンデン州のあちこちで見られるカラマツの黄葉です。とくにエンガディン地方が有名です。ベルニナ急行や氷河急行に乗りたい方はサンモリッツにいらっしゃいますから、そこでご覧になれますよね。

年によって十月から十一月の始めと開きがあるのですが、今年は今がちょうど見頃です。月曜日に休みをとってエンガディンからブレがリアまで周ってきたのですが、ほんとうに綺麗でしたよ。

この時季、チューリヒやボーデン湖畔などでは、もう霧が発生したりして鬱々とした感じになってくるのですが、秋冬も晴れまくるグラウビュンデン州は紺碧の空、穏やかで暖かい日の光、そして鮮やかに色づいたカラマツを楽しめるのです。特に湖畔ではそのカラマツが湖面に映って本当に綺麗なんですよ。

カラマツ

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の神田です今日のテーマは「おすすめの紅葉スポットは?」です冬に向かって日に日に寒くなっていく時期になりますが、木々の葉が赤や黄に染まっていく景観は心が穏やかになり、しみじみと秋を感じます普段はインドア派の私なのですが、昨年の秋に行ったいろは坂の紅葉(栃木県日光市)は今でも印象強く残っています写真をたくさん撮りましたが、実際に見るのと写真で見るのはやはり違い...
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(10)一週間 - 3 -

「郷愁の丘」の続きです。三回に分けた「一週間」のラスト部分です。

さて、ジョルジアの故郷へ行っていた二人はお昼を食べ損ねました。これに続くシチュエーションは、実は別のキャラクターの別のストーリーのためにしばらく妄想していたものなんですが、構想そのものがボツったのでこのストーリーで使わせてもらうことにしました。

今回はジョルジアが借りている部屋の話が出てきます。《郷愁の丘》のグレッグの家もそうですが、こうしたストーリーを書くときには「このぐらいの広さで、間取りはこうで、外見はこんなかんじで」とかなり詳しく決めます。でも、実際に描写するのはほんのわずかなんですよね。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(10)一週間 - 3 -

 ロングビーチが近づく頃になると、さすがに二人ともかなり空腹だった。氣がつくと四時を回っている。

「この時間だと、ランチには遅いし、ディナーには早すぎるわね。《Sunrise Diner》なら、なにか食べられるとは思うけれど、ちょっと前に出てきたばかりだし。ねえ、もしよかったら、わが家に来る? 実は、昨日あのパスタソースを作ったばかりなの。スパケッティを茹でるだけですぐに食べられるわ」

 グレッグは耳を疑った。自宅に招いてくれている?
「本当に? もし迷惑でなかったら、もちろんもう一度食べたいよ」

 ジョルジアは、ウィンクをした。
「あなたの家みたいに広くないし、それに、特別なご馳走も出てこないわよ。でも、グレッグ。今日からニューヨークに来るって教えてくれなかったあなたが悪いのよ」

 彼女のフラットは、《Sunrise Diner》のある海岸沿いから三ブロックほど内陸に入ったところにある。彼女が借りているのは二階の半分だ。寝室にリビング、キッチンと浴室、それにほとんどが資料と写真で占められた部屋がある。オーナーもイタリア系アメリカ人で、家賃も手頃だ。何よりも会社まで歩いていける距離にあるし、家の前に駐車スペースがあるのも便利だった。

 もっと広い部屋を借りた方がいいと忠告する人もいたが、彼女はほとんど人付き合いをせず、泊りにくるどころか訪問する友人すらほとんどいなかった。両親と会う時には彼女がガーデンシティに出向き、ロサンジェルス在住の妹アレッサンドラはニューヨークでは兄マッテオのペントハウスに泊る。

 だから、兄マッテオ以外で、この五年間にこの部屋に足を踏み入れたのは、実はグレッグが初めてだった。ジョルジアは、だが、あえてその事に言及はしなかった。
「さあ、どうぞ。幸いそんなに散らかっていないと思うんだけれど」

 彼女は、小さなフラットの中を案内した。といっても、玄関からすぐに見渡せるリビングとカウンターで仕切られた小さいキッチン、それに玄関脇にあるシャワーつき洗面所のみで、あっという間に見せ終わった。

 《郷愁の丘》でグレッグに描いてもらったサバンナとシマウマの絵は、額に入れて寝室のベッドの向かいの壁に掛けてある。彼女が寝室の灯を消す前、彼女が目覚めて伸びをするとき、その絵を目にしてあの忘れられない地に想いを馳せている。そう、今朝もいつものようにそれを見つめて、グレッグがルーシーとあの朝焼けを眺めているのかと想像したばかりだったのだ。彼が、すぐ近くにいるとは夢にも思わずに。

 彼女は、その絵の掛かっている寝室を見せようかと思ったが、やめた。誘っていると誤解されても仕方ない行為だと思ったから。彼が、あの部屋は何かと訊いてきたら、そのときに見せようと思ったが、礼儀正しい彼が、そんなことを言うはずはなかった。

「あ。あのソースの香りがする」
グレッグはリビングを褒めるより前に、思わずそう言って、ジョルジアに笑われた。
「待ってて。すぐにスパゲティを茹でるから」

 キッチンには、彼女が一人でいるときは食事もする小さなテーブルがあった。ジョルジアは、彼をそこに座らせて買ってきたノースフォークのワインを開けてもらい、まずはそれで再会の乾杯をした。そして、スパゲティを茹ででいる間に、サラダ用のレタスを彼に渡してちぎってもらった。

 さまざまな会話をしながら、二人で食事の用意をする。《郷愁の丘》の二週間でいつの間にかできていた役割分担が戻ってきた。論文の話や、学会の話、それにサバンナの現状など、話は尽きなかった。

 リビングにある少し大きいテーブルに皿やカトラリーを用意して、食事をはじめてからも二人の楽しい会話は続いた。

「ところで、ルーシーはどうしているの?」
「レイチェルのところのドーベルマンと一緒に、マディが面倒をみてくれている。《郷愁の丘》に置いておくのはかわいそうだから」

 彼は具体的には言わなかったが、ルーシーの世話を頼むとしたらいつも通ってきているアマンダしかないだろう。ルーシーはいつもアマンダにひどく吠えるし、彼女もルーシーを毛嫌いしている。下手をすると水も替えてもらえないかもしれない。ジョルジアも、マディに頼んだのは賢明な選択だと思った。

 会話も弾んだが、食欲の方はそれにまったく邪魔されなかった。スパゲティとジョルジア自慢のボローニャ風ソースは全部きれいになくなった。彼女はそれに大層満足した。

 デザート代わりに、缶詰のフルーツサラダを食べていると、ジョルジアのiPhoneが振動した。

「あ、兄だわ」
そう言ってジョルジアは電話をとった。彼は、親しげに話すジョルジアの様子を目を細めてみていたが、彼女がこういうのを聞いて戸惑った。
「あ、ごめんなさい。パスタソースね、急なお客さんが来て、今食べちゃったの。……そんなにがっかりしないで。また作るから……」

 電話を切った後に、空になった鍋を見ながらグレッグは心配そうに訊いた。
「もしかしてお兄さんと食べるために作ったのかい?」

「あら、違うわ。思い立って、自分のために作ったのよ。兄は、昨日も電話をかけてきてね、何をしているのかって訊かれたから、作っていると言ったら、近いうちに食べにくるかもって言っていただけよ。別に約束したわけじゃないの」
彼女の言葉に、彼は少しだけホッとした様子を見せた。

 それに続く五日間、ジョルジアは、グレッグの学会の始まるのが遅ければ《Sunrise Diner》で一緒に朝食を摂り、そしてほとんど毎晩待ち合わせた。もう一度だけ彼女のフラットで料理をしたが、後は用意する時間がなかったので外食になった。

 彼のホテルは《アルファ・フォト・プレス》やジョルジアのフラットから近く、どこへ行くのもたいていは《Sunrise Diner》かクライヴの骨董店の前を通るので、手を振り、話しかけ、「じゃあ後でね」という話になった。

 《Sunrise Diner》に何度も通ったので、かしこまっていたグレッグは、キャシーや常連たちと普通に話せるようになり、リラックスしてその場にいられるようになった。

 そう言えばと思い出し、レイチェルはどうしているのかジョルジアが訊くと彼は肩をすくめた。
「偉い人たちと毎晩会食しているよ」
「え? あなたは行かなくても大丈夫だったの?」

「僕が来るとは誰も思っていないよ。それに、レイチェルに僕が君と一緒にいると言ったら、そっちに行った方が楽しいだろうって」
「そう。それを聞いて安心したわ」

 それからキャシーにも聞こえるように体の向きを変えて言った。
「明日の晩だけれど、あなたがニューヨークにいる最後の夜でしょう? 明後日の夜はフライトだから。《Sunrise Diner》で、いつもやってくるみんなとお別れ会をしようかって話していたの。空いている?」

 グレッグは、困った顔をした。
「せっかくだけれど、明日の夜はパーティに行かなくちゃいけないんだ」

「パーティ?」
「ああ。同伴者も参加できるパーティだから、ぜひ君も連れて来いってレイチェルは言っていたけれど……君は僕と同じでパーティが嫌いなんだよな」

「そうね。可能なら、パーティに行きたくないのは確かだけれど……学会のパーティなの?」
「そうだね。といっても、WWFがスポンサーになっているパーティで、学者以外に、会員に名を連ねている篤志家もたくさんくるんだ。それで、レイチェルが、ずっと彼女や父のスポンサーをしてくれている若い大富豪に、僕を紹介してくれるっていうんだ。だから、どんなにパーティが嫌いでも絶対に出ろと厳命されているんだ」

「その富豪に、あなたのスポンサーにもなってもらうってこと?」
「そうだといいね。レイチェルがしてもらっているみたいに定期的に援助してもらえたら最高だけれど、さすがにそれは無理だろうな。いま関わっているプロジェクトだけでもいいから、少しバックアップをしてもらえたらありがたいんだ。でも、どうかな。僕は、初対面の人に好印象を残せたことはないから、無駄足になるかもしれないと、今から氣が重いんだ」

「その大富豪って、氣難しい人なの?」
ジョルジアが訊くと、彼は首を振った。
「氣難しいどころか、誰にでも好かれる素敵な人らしいよ。マッテオ・ダンジェロ氏って言うんだ。かなりの有名人らしいね」

 ジョルジアは目を丸くした。
「マッテオ? 彼が、レイチェルたちを援助していたの?」
「知っているのかい?」

「ええ。とてもよくね。彼は……」
そこまで言ってから、彼女は少し言葉切ってから、楽しそうに笑った。カウンターにいたキャシーも笑いを堪えている。グレッグは不思議そうにジョルジアの言葉を待った。

「グレッグ。そのパーティ、私も行ってあげるわ。レイチェルだけでなく、私からもマッテオに頼んであげる」
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Posted by 八少女 夕

幸せな瞬間

今日は、トラックバックテーマをもとに書いてみましょう。テーマは「幸せを感じる瞬間はいつですか?」です。

年間を通して「超・幸せ」と感じるのは、土曜日の朝でしょうか。今朝は好きなだけ布団にくるまっていていいんだと認識する瞬間ですね。これって世話をしなくてはいけないお子さんやペットのいる方は残念ながら味わえない喜びではないかなあと思います。すみません、なんか。

そして、季節限定の幸せな瞬間がいくつかあります。

この時季は、カラカラに乾いた枯葉を踏むのが好きです。あのザクッとした音がたまりません。掃こうとしている横でやると連れ合いが嫌がりますが、それでもやってしまいます。

彩る絨毯


冬は新雪を踏むのが快感です。こちらは、田舎で人口が少ないので、場所に寄っては見渡す限り人類未踏の雪景色というのが時々ありまして、それをどんどん踏んでいくという子供っぽいことをしたりします。しばらく行くと、鹿の足跡があったりするんです。

春は八重桜や林檎の花が真っ青な空をバックに咲き誇っているのを見上げるのが大好きです。スイスの春の華やかさは本当にわくわくするんです。

林檎の花

そして夏というか初夏は、イタリア側の森林をドライブするときの森の香りを吸い込む瞬間が幸せです。

って、私は年間を通して幸せばっかりじゃないですか。やはり、そうとう恵まれているってことなんだろうなあ。ありがたいことです。

こんにちは!FC2トラックバックテーマ担当の梅宮です今日のテーマは「幸せを感じる瞬間はいつですか?」です普段から小さな事でも幸せを感じるのって大切ですよね例えば。。食べたものが美味しかったとか誰かに褒めてもらったとか。。梅宮はそんな一日を振り返りながら眠る瞬間に幸せを感じますみなさんが幸せを感じる瞬間はいつですかたくさんの回答、お待ちしておりますトラックバックテーマで使っている絵文字はFC2アイコ...
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(10)一週間 - 2 -

「郷愁の丘」の続きです。三回に分けた「一週間」の二回目。

グレッグが学会でニューヨークにやってきた初日の朝、彼と再会したジョルジアは、ダイナー《Sunrise Diner》に彼を連れて行きます。常連仲間の一人クライヴに、グレッグの観察能力がないと言われて納得のいかなかった彼女は、ほんの一瞬通り過ぎただけの猫を観察させて、まずクライヴに絵に描いてもらいました。そして、次にグレッグに紙とペンを渡します。

さて、今日更新する部分の後半には、ジョルジアの生まれた場所がでてきます。前作でも兄マッテオの撮影場所としてちらっと出しましたが、ニューヨークなのに漁村というような場所があるのですね。彼女がニューヨーク育ちなのに何もないケニアのサバンナでも簡単に適応できたのは、完全な都会育ちではないこともあるかもしれませんね。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(10)一週間 - 2 -

 彼は、ジョルジアの意図がわかって、ほんの少しだけ微笑むと、紙に向かった。ペンの先は紙の左上に停まり、そこに耳が現れた。ほとんど一筆書きだが、全くデッサンは崩れずに、歩いている猫の姿が紙の上に再現されていく。先端が少しねじれた長い尻尾は、ぴんと立っていた。

 ジョルジアは、《郷愁の丘》で彼女が受けたショックをキャシーとクライヴが受けるのを楽しんだ。クライヴの描いた絵と違い、それは細部に至るまで正確だった。

「ええっ。何これ? 写真みたい!」
「縞の模様や本数まで憶えているんですか?」
「この前足! ふわふわさがわかる。汚れの位置まであの短時間に?」

「ほらね。すごいでしょう?」
ジョルジアが言うと、彼はあわてて言った。
「すごくないよ。いつもやっている事だから、出来るだけで……」

「そんなことないわよ。自慢していいことよ」
キャシーが言った。クライヴも大きく頷く。
「本当だ。全くの脱帽ものですよ。先ほどの失礼をお許しください」

 そう言っていると、クライヴの電話が鳴った。
「まずい。クレアだ。しまった、もうこんな時間」
いつまでも店に帰ってこないので、クレアがしびれを切らしたらしい。

「本当にもうこんな時間なのね。ごめんね、キャシー」
ジョルジアが訊くとキャシーは肩をすくめた。
「私も楽しかったから。でも、そろそろ閉めないとね」
朝食とランチタイムの間、《Sunrise Diner》は二時間ほど閉まる。

「じゃあ、私たちは、すこしニューヨーク観光をしましょうか、グレッグ。明日からは学会で、あまり日中は出歩けないんでしょう?」
「でも、そんなに長い間、君の時間をとっていいのかい? さっきのハドソン氏との打ち合わせは?」
「ベンが、今日じゃなくていいって言っていたじゃない。今日は、私はオフにするって決めたの。どこに行きたい? 自由の女神像? セントラルパーク? それともブロードウェイ?」

 ジョルジアは満面の笑みを浮かべていた。グレッグはその彼女を眩しそうに見つめていたが、おずおずと切り出した。
「じゃあ、君の言っていた例の海岸に……」

 ジョルジアは目をみはった。それは、《郷愁の丘》で星をみながら話した事の一つだった。たくさん交わした手紙の中でも、彼女は何度かその海岸について触れていた。子供の時にジョルジアたちが住んでいたノースフォーク。大都会ニューヨークの一部とは思えない鄙びたところで、両親はそこで漁業を営んでいた。忙しくて娘たちの相手をする時間のない両親たちの代わりにジョルジアと妹は歳の離れた兄につれられていつも海岸を散歩した。

「わかったわ。ノスタルジック・ツアーね。行きましょう」

* * *


 ジョルジアは、一旦ホテルに戻ったグレッグをCR-Vで迎えに行った。
「車で行くのかい?」

 ジョルジアは笑った。
「せっかく自家用車を持っているんですもの。ケニアほどではないけれど、アメリカも車がないと少し不便なの。MTA公共交通機関 だとロングビーチからでも場合によっては四時間もかかってしまうんだけれど、車なら二時間かからないわ」

「そんな遠くだとは知らなかったんだ。いいのかい?」
「もちろんよ。私も久しぶりに行きたいもの。家族はもう誰も住んでいない事もあって、私も滅多に行かないの。最近では撮影で行っただけだから、オフの時にゆっくり行きたかったの」

 片道三車線の広く状態のいいハイウェイを、車はぐんぐんと走っていった。マンハッタンのような高層ビルはもうどこにも見られない。わずかに色づいた緑に囲まれた郊外の風景だ。空は青く心地よい風が吹いていた。

「ロングアイランドの東端はフォークのように二つに分かれていて、その北側の半島をノースフォークっていうの。天候も穏やかで土壌もいいので、葡萄の栽培にも適していて、ワイナリーがあるのよ。ニューヨークのワインって、飲んだ事ないんじゃない? ニューヨークのボルドーなんていう人もいるの」

「温暖なのか。僕は、ニューヨークは冬の寒さが厳しいという印象が強いんだ」
「そうね。冬の寒さはこたえるわ。大雪も降るし。だから、私の祖父母もイタリアからやってきてびっくりしたんじゃないかしら。それで、少しでも暖かい所に来たんだと思うわ」

 ジョルジアは、高速道路から離れるとしばらくほとんど家もない地域を走った。そして、ほとんど人通りのない、なんという事のない海岸に停まった。青と白の大きな平屋建ての大きな建物が一つ、かなり離れた所に海に面してテラスのある家がいくつか。

 彼女は青い建物の駐車場に停車したが、それとその隣の空き地にはほとんど差もなかった。

 マリンディで見た強烈な青さのインド洋と較べて、その海は少し暗い色をしている。浜にあるのは砂ではなくて小石で、浜辺の水の色は透明で優しい波が打ち寄せていた。ジョルジアは、子どもの頃にいつも兄に連れられて妹と一緒にここを散歩した。

「今は、建て替えられてしまったけれど、あの先に私たちの住んでいた家があったの。くすんだ緑の壁だったわ。両親はああいう船に乗って、魚を捕りに朝早くから海へ行っていた。家でもしょっちゅう網を直していたのを憶えている。暗いランプの光。波の音。海藻の匂い。湿氣て状態の良くなかった家。なのにとても懐かしくて泣きたい氣持ちになるの。もう存在しないからでしょうね」

「君は、きっとここで、家族と幸せな時間を過ごしたんだね」
「ええ。そうだと思うわ。いろいろな事があったけれど、私はとても幸せだったのね」

 ジョルジアは、彼の優しい笑顔を見つめた。兄と妹の社会的成功に伴い、貧しいイタリア系移民カペッリ家はもうどこにもいなくなってしまった。幸せなダンジェロ兄妹の家族が存在する以上、それはもちろん好ましい事なのだが、それでも波の音の中にノスタルジーを感じている自分は天の邪鬼なのではないかと感じていた。

 けれど、彼は、それすらもあたり前のように受け入れてくれている。彼が、ここに観に来たのは、ニューヨーク州の海ではないだろう。そうではなくて、彼はジョルジアという人間を理解するためにここに来てくれたのだ。彼女はそれを強く感じた。

「ここもすっかり様相が変わってしまって。このビーチだけはまだ変わらないわね。漁船はほとんど見られなくなってしまったけれど」

「ご両親は、もうここにはいないと言っていたね」
グレッグは訊いた。

「ええ。今はだいぶ改善したんだけれど、一時この海の汚染がひどくて漁獲量が激減したの。ちょうどその頃、兄の事業が軌道に乗って、両親はそちらを手伝う事にしたの。今は、二人とも完全に引退して人生を楽しんでいるわ。昔は日曜日も祭日もなく働いていたから、少し早く引退するくらいでちょうどよかったんじゃないかしら」

「ニューヨークで?」
「ええ。ロングアイランドよ。ロングビーチから三十分くらいのガーデンシティという所。でも、実はあまり頻繁には逢っていないの。兄妹の中では私が一番近くに住んでいるんだけれど」

 グレッグは、黙ってジョルジアを見た。彼女は肩をすくめた。
「心配しないで。喧嘩はしていないの。ただ、逢うといろいろと心配して訊いてくるので、つい」
「そうか」

「子どもの頃から、両親はいつも私の事を心配していたわ。三人兄妹の中で一番頼りなかったから仕方ないんだけれど。兄と妹は、とても努力家の上に才能に恵まれていて、私は自分ひとりが黒い羊だと思っていたの。家族全員が、そんな事は関係なく大切に扱ってくれたんだけれど、私はその差に耐えかねて、もがいていたんだと思うわ。そう思えるようになったのは、本当にここ最近なのよ」

「君の努力と才能も、ようやく実ったからね」
「あら。そんなんじゃないわ。今でも兄や妹とは天地の差があるの。でも、それと家族であるという事は関係ないのね。それに、私が私である事も」

 近くの青空市場でカボチャやワインが並んでいるのを見学した後、二人はシーフードでも食べようかとレストランを探した。だが、不況の煽りを受けたのか全て閉店していた。あまりお腹が空いていなかったので、二人はロングビーチに戻る事にした。

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Posted by 八少女 夕

スイスで運転 -2- 高速道路を行く

自動車の運転の話の続きです。今日は、スイスの高速走行の話です。

峠道

スイスには大きく分けて三種類の公道があります。高速道路と、自動車専用道路と、一般道です。このうち高速道路と自動車専用道路ははっきりと分かれていなくて、高速道路が区間によって自動車専用道路になったりします。違いは最高速度と走行の形態でしょうか。高速道路は最高時速が120㎞、少なくとも広い二車線があり、中央分離帯もありますが、狭い山間にはこういった道を建設できない場合もあるので、最高時速が制限されたり中央分離帯のない一車線ずつの道になることもあるというわけです。

一般道は街中は最高時速50㎞、それ以外は最高時速80㎞です。もちろん場所によって最高時速がもっと制限されることもあります。

ParkerとVignette

この写真、三年も前のものですが、たまたまあったので。

右側のフロントガラスに貼ってあるピンクのシールがありますよね。これはヴィニエッテといいます。真ん中の数字はいつの年のものなのか、これは2014年のものですね。このシールは40フラン(4600円程度)するのですが、スイスの高速道路を走行する時にはつける義務があります。一度のために買うのは高いですが、一年間有効なので毎年買います。

先年、このヴィニエッテを100フランに値上げするかどうかが国民投票にかけられました。(私にとって)幸いな事に、この案は否決されたので、ここしばらくはこの値段で毎年走れそうです。あ、私はスイス国籍を持っていないので、投票権はありません。

隣国のイタリアやフランスは、日本と同じで高速を通る度に料金を払うのですが、スイスはこの年に一度のヴィニエッテで乗り放題です。ですから、スイスの高速道路には料金所がありません。

スイスに住んでいて車を持っている人は当然ながら毎年購入しますが、旅行で例えばドイツからイタリアに行くような場合も、スイスを通る以上このヴィニエッテを購入しなくてはなりません。黙って貼らずに行ってしまう人もいるようですが、休暇の時期は警察がよく抜き打ち点検をしているので、捕まると100フランの罰金です。貼っておきましょう(笑)

スイスの人たちはかなりきちんと最高速度を守ります。かなりたくさんの取り締まりがある事も関係していると思うのですが、自主的にもちゃんと守って走る人の割合が日本よりも多いように思います。

私が日本の自動車免許をとったのは○十年昔なので今はわかりませんが、日本だと「最高速度を守るよりも流れを優先しろ」という事を言う方もいらっしゃいました。つまり「空いている高速道路で時速100キロで走るなんて」なんて方がけっこういたのです。

私の住んでいる地域では、面白いなと思うんですけれど、例えば最高が120㎞だと時速120㎞から125㎞の間で走る人が多いのです。時速125㎞は、取り締まりで違反切符を切られない最大許容範囲5パーセントを足した速さです。時計のように正確な国民性をここでも感じます。横をビューンと時速150㎞くらいで危険に追い越して行く車をみると、大抵ドイツかイタリアのナンバーなのも笑えます。あ、スイスの車でも、チューリヒナンバーの高級車も速いかも。

ただし、どんなに急いでも、そんなに早くは目的地に到達できないのが山です。追い越し車線がずっとなくて、一番前に巨大なトラックが時速70㎞でノロノロ走っているところで詰まっているうちに、さっき追い越されたこちらが追いついてしまうなんて事もしよっちゅうです。

東京で日常茶飯事だったようなひどい渋滞は、普段はありません。事故があったり、連休の前や子供の夏休みの始まった週などは、それなりの渋滞になりますが、私たちはそういうひどい渋滞があるとわかっているときはそもそも高速道路を使いませんね。休暇も、そういう混む時期は避けます。子供がいないので休みが他の人とずらせることがありがたいです。
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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(10)一週間 - 1 -

一回あきましたが、「郷愁の丘」の続きです。この部分も長いので三回に分けています。

前回更新分はグレッグが学会で一週間の予定でニューヨークにやってきたところまででした。この学会、翌日から五日ほど続くのですが、ジョルジア視点なので、グレッグが学会で何をやっているかはまったく出てきません。というか、この章の大半はグレッグが到着した最初の一日の描写です。

今日更新する部分に登場するのは、前作「ファインダーの向こうに」や外伝などでおなじみの《Sunrise Diner》の店員キャシーや常連たち。クライヴとクレアは「ニューヨークの英国人」という作品で初登場しました。あ、別に読まなくても大丈夫です。今回出てくる分だけでも、クライヴが個性的であることはお分かりいただけるかと(笑)こういうキャラを書くのは楽しいです。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(10)一週間 - 1 -

「で。手配した雑誌は、どこに届けますか。ホテル?」
売店のジェシーが訊いた。財布を取り出して手続きをしようとするグレッグを、ジョルジアは止めた。

「ジェシー、ベンの所に全部預けておいて。届けるのは私が手配するから」
「あ、社員割引を適用しますか」

「ジョルジア。そんなことをしてもらうのは悪いよ」
グレッグが慌てて言うと、彼女はニッコリと笑った。
「氣にしないで。その代わり、今度の手紙には感想を書いてね。でも、ニューヨーク滞在中は、私の写真の事なんて忘れて。今日は時間があるの?」

 彼は頷いた。
「学会は、明日からなんだ」

「それはよかった。ホテルはどこ?」
ジョルジアの質問に、彼は少し赤くなって俯いた。
「その先の、パーク・アベニュー・インなんだ」

 ジョルジアは朗らかに笑った。そのホテルは、《アルファ・フォト・プレス》から三ブロック先の廉価なビジネス・ホテルだ。学会の開催されるマンハッタンへは地下鉄を使わなくてはならない。もちろん、会場となっているホテルや、徒歩圏にあるホテルの部屋は四倍くらいするだろう。そう言った事情があるにしても、他のマンハッタンから離れた地域ではなくこのホテルを選んだのは、《郷愁の丘》に滞在した時にこのあたりの事を話したからだろう。

「ベスト・チョイスね。訊かれたら私もそこを奨めたでしょうね。私のフラットからも、私が朝食をとるダイナーからも五分以内よ」

 朝食と聞き、グレッグははっとして言った。
「そういえば、君は、朝食の途中だったんじゃないのか?」

「そうなの。たぶんまだ片付けられていないと思うから、よかったら今から一緒に行かない? とても美味しいアメリカ式朝食が食べられるわよ」
ジョルジアは、彼を《Sunrise Diner》へ連れて行った。

 ガラスドアを開くと、カウンターにいたキャシーが正に片付けようとしていた彼女の皿を見せた。
「ジョルジア、何していたの? ブラウン・ポテトが冷たくなっちゃったからこれは片付けたわよ。今、熱々のをもう一度……って、あれ? その人は、誰?」

 ジョルジアは、いつものカウンター席にグレッグを連れて行った。
「紹介するわ。ケニアの動物学者ヘンリー・スコット博士よ。学会で一週間ニューヨークに滞在するの。グレッグ、こちらはキャシーよ。仲のいい友達なの」
「はじめまして。お逢いできて光栄です」

「ヘンリーって言わなかった? ま、いいか。ねぇ、スコット博士なんてまどろっこしいわ。私もグレッグって呼ぶわね」
キャシーの遠慮のない態度に、彼は戸惑った。

 ガラスドアが再び開き、グレーのスーツを着て山高帽を被った青年と、柔らかいシフォンのブラウスにフレアスカートを着た茶色い髪の女性が入ってきた。
「ああ、ジョルジアがこの時間にいるのは珍しいね」

「ハロー、クレアに、クライヴ。もうあなたたちの休憩時間なのね」
キャシーが手を振った。この二人は、近くの骨董店で働いているイギリス人で、《Sunrise Diner》の常連になっており、ジョルジアとも親しかった。

「おはよう。友達が来たから連れて来たの。紹介するわ。ヘンリー・スコット博士よ」
ジョルジアがそう言ったので、グレッグは慌てて回転椅子から立ち上がり、礼儀正しくまずクレアに手を差し出した。

「ケニアの動物学者で、ジョルジアと私はグレッグって呼んでるのよ。何でだかは知らないけど」
キャシーが補足したのでクレアはニッコリと笑って「よろしく、グレッグ。私はクレアよ」と言った。

「お逢いできて光栄です」
彼は礼儀正しくクレアに挨拶してから、クライヴの方に向き直った。

「僕は、クライヴ・マクミラン、英国人です。この一ブロック先にある骨董店《ウェリントン商会》を任されています。こちらのクレア・ダルトン嬢と同じく今年の一月に渡米しました。この店にはほぼ毎日来ているんですよ。どうぞよろしく」
「お近づきになれて嬉しいです」
「オックスフォードの出身でいらっしゃいますね。なつかしい英語を久しぶりに耳にしました」

 なにが懐かしい英語よ。いつまでも続く堅苦しい挨拶の応酬にキャシーがため息をつく。
「ケンジントン宮殿みたいなのが増えちゃったってことかしら」

 それから、クライヴがクレアとこの店で紅茶を飲む時用にとわざわざ持ち込んだボーンチャイナのティーセットを取り出して、ティーバッグをポットにぽんと投げ込んだ。この十ヶ月で、クライヴの方も、アッサムの茶葉とか、冷たいミルクを先に入れてからとか、そういう細かい事はこの際何も要求せずに、キャシーがティーセットで紅茶を提供してくれる事で妥協するようになっていた。

 それでもいつもならば、お湯は直前に沸騰させるべきだとか、ティーポットが冷たいままだったとか、いちいちうるさい事を言うのだが、今日はオックスフォード出身者同士の内輪の会話に氣をとられていたせいか、キャシーはクレアやジョルジアとの会話を楽しむ方に時間を使えた。

「じゃあ、私は先に店に戻るわね。クライヴ。十時にはスミスさんがお店にいらっしゃるの、忘れないでよ」
クレアは、紅茶を飲み終わると一同に手を振って出て行った。

「あれ。行ってしまった。彼女は、本当にイギリス的で素晴らしい、そう思いませんか」
クライヴはティーカップを傾けながら、グレッグの同意を求めた。

「イギリス的?」
「ええ。レディの資質を完璧に備えている。国外であのような人と出会うのはとても難しい事です」

「悪かったわね。私たちは粗野なアメリカ人で。失礼よね、ジョルジア」
キャシーが言うと、ジョルジアは吹き出した。
「仕方ないわよ。クレアが服装も立ち居振る舞いも、クライヴの好みにぴったり合ったイギリス女性なのは間違いないし、私たちはそうじゃないんですもの」

「服装?」
グレッグは、会話の流れから完全に取り残されていた。その場にいた三人の女性のどこにレディの資質に当たる部分を見出すのか、さっぱりわかっていない様子なので、ジョルジアとキャシーはくすくす笑った。

「まさか、クレアの服装を憶えていないなんていうんじゃありませんよね。ウェーヴのかかった艶やかな髪に似合うあの美しいシフォンジョーゼットのブラウスと、秋の庭のような素晴らしい色合いのスカートを」

 クライヴが言ったのをキャシーが引き取った。
「スカートが短すぎないのがレディのたしなみだって言うんでしょ」

 グレッグは困ったように言葉を濁した。スカートの長さなど、まったく氣にもしていなかったから。クライヴはおかしそうに笑った。
「やれやれ。野生動物を調査する仕事をしている言うから、もう少し観察能力があるのかと思いましたよ。おかげで、私はライバルが増えなくて助かりますが」

 それを聞いてキャシーは小さく呟いた。
「そもそもクレアの服装を憶えているわけないじゃない。全然そっちは見ていないんだから」

 ジョルジアは、グレッグの観察能力を見くびられたようで看過できなかった。素早く周りを見回してから言った。
「誰が一番観察能力があるか教えてあげるわ。ほら、みんな今あそこのウィンドウのところを歩いていく猫を観察して」

 猫は、《Sunrise Diner》の前面にあるウィンドウの前をそのまま横切ると視界から消えた。

 ジョルジアは、カウンターに置いてある注文用の紙とペンをクライヴに渡すと「さっきの猫を描いて」と言った。

 クライヴは、「描くんですか?」と笑いながら手を動かした。縞の数本ある、漫画のような猫が現れた。

「尻尾は?」
「ええっと。あったよな。こんなだったっけ」

「意外と上手いじゃない。もっとヘタクソに描くのかと思っていた」
キャシーは身も蓋もないことを言う。

「グレッグ。描いて」
ジョルジアはもう一枚新しい紙を取ってペンとともに渡した。
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Posted by 八少女 夕

スイスで運転 -1- 運転することになったわけ

今日は、自動車の運転の話をしてみようかなと思います。別にシリーズにしようと思っているわけではないですが、話題がとっ散らかりそうなので、少なくとも二つには分けようと思い「-1-」と書きました。

TOYOTA Yaris

日本では東京に住んでいたので下手くそな運転で車道に出ようとは思いませんでしたが、現在住んでいるところで自家用車なしで暮らすのはちょっと大変です。

普段の通勤は健康のために自転車で行くのですが、例えば真冬でマイナス十五度を下回ったり、大雪ともなると自転車で片道二十分の道のりは危険です。かといって、公共交通機関を利用して会社に遅刻しないためには、一時間に一本しかないバスを乗り継ぐために、いつもよりも一時間早く家を出て、出勤すべき時間の五十分前に到着するというまったく笑えないダイヤ。歩いても五十分あったら着きますけれど、真冬の早朝にそんなに長く歩いていたら凍えます(笑)

何をするにも一時間に一本のダイヤばかりを氣にしているというのはとてもストレスです。通勤の例外だけなら我慢しますけれど、週に一度の買い物に行くとか、家族を病院に届けるとか、友人と夕食するために州都まで出るなどの用事がいろいろとあるので、その度に困るのです。州都から戻る終電は夜の八時。スイスの人たちと付き合うと「そろそろ帰るわね」と言い出してから、本当に席を立つまで一時間くらいかかるのが普通なので、電車に乗るために速攻でさよならをするということができないのです。そんなあれこれを考えると、そもそも夕食する時間がありません(笑)

家庭に車が一台もないと、そうした用事があるたびに、誰かに友人に送迎を頼まなくてはなりません。タクシーも地域に数台しかいないので連絡してもこないこともあるし(運よく来ても初乗り二千円を超えてます)、この田舎では大変ストレスなのです。

私が運転することになったのは、連れ合いがバイクの免許しか持っておらず、今は亡き義父はパーキンソン病で運転を止めるように医者に言われ、義母は免許を持っていなかったので、たとえペーパードライバーでも私がやるのが一番早いと思ったから。今から十五年以上前の話です。

最初の車は、その義父からのお下がりでしたが、五年ほど前にオシャカになったので、生まれて初めて自分で車を買いました。あ、中古です。そのかわり、スイスではポピュラーではないオートマ車は、中古市場の中では比較的割高です。が、これは運転のストレス削減代と割り切ってオートマ車オンリーで探しました。上の写真がそれで、TOYOTA Yarisという車種です。日本だと、ヴィッツっていうんじゃなかったかな。

上にも書きましたが、私は自他共に認める運転下手です。日本では、車道に出るのも怖かったのですが、田舎なのでさほど交通量もなく、練習するにはいい環境でした。連れ合いの親切な友達が何度も隣に乗って教えてくれたのもラッキーでした。

交通の法律や標識自体は、日本とはほとんど違いませんし(ラウンドアバウト、三叉路、それに踏み切りの渡り方などが少し違いますが、慣れれば問題はありません)、一番問題だった駐車の仕方も、今ではとくに問題なくこなせるようになっています。それに、「ちょっとこの駐車スペースは苦手っぽいかも」と思ったら、別のところに停めればいいんです。東京と違って、一度空いているスペースを逃したら二度と見つからないというわけではないので。

スイスは、ヨーロッパ(大陸)の他の国と同様に右側通行です。これも慣れの問題です。今では間違えなくなりましたが、最初は二度ほど間違えました。交通量の多いところは、前の車がいるので間違えないのですが、誰もいないところで右折して氣がついたら左側に入っていたことがあったのです。右側通行の国をレンタカーで運転なさる予定のある方は、こういうシチュエーションが危険なのでお氣をつけください。

次回は、スイスの高速道路の走行について書きますね。
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