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Posted by 八少女 夕

【小説】郷愁の丘(12)先は見えないけれど -1-

「scriviamo!」のために中断した「郷愁の丘」の連載を再開します。もう、忘れられてしまったかもしれませんが。

グレッグのニューヨーク滞在は晩秋で、十二月に発表した外伝「クリスマスの贈り物」はちょうどクリスマスの時期の話でしたが、あれから時が過ぎて、リアルで春になっているように、このストーリーもほぼ何も変らないまま春になっています。そうなんです、この二人それまでと同じ様に文通しているだけで、全然進んでいないんです。

一度に公開してしまっても良かったんですが、いちおう二つに切りました。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




郷愁の丘(12)先は見えないけれど - 1 -

「遅くなったわ、ごめんなさいね。ベン、ずいぶん待った?」
ジョルジアはクイーンズタウンのこじんまりとした店の地下に急いで入ってきた。

 赤みがかったグレーのショート丈のトレンチコートは、ベンジャミンが初めて見るものだった。もう春なのだ。いつの頃からか、ジョルジアはここ十年間で見なかったような服装をするようになった。デニムやTシャツなどの動きやすくカジュアルな服を身につけているのは以前と同じなのだが、その形や柄に違いが表れている。

 今日も、コートの下から現れたのは、以前は決して見なかった伸縮性のある厚手のTシャツで、春らしいスモモ色に抽象化された草花のイラストが描かれている。痩せてはいるが女性らしい彼女の身体のラインを目にして、ベンジャミンはドキリとした。

 言われないと氣がつかないほどの薄化粧をするようになったのは、今から一年ほど前、彼女が賞をとった頃だ。作風を変えはじめたのも同じ頃だが、彼女が知り合ったこともない男に恋をしたことが、彼女が変わろうとするきっかけになったのは間違いない。

 だが、その後もしばらく変わらなかった、まるで少年のようだった服装が変わりだしたのがいつだったか、ベンジャミンにはわからない。彼女の服装の多くは、トップモデルである妹のお下がりなので、無頓着の割には流行からは大きく外れない。その一方で、彼女は多くの候補の中でもらう服を自分で選んでいた。その選択に変化が現れたとしても、はじめは流行が変わっただけだと認識していたので、彼女自身の心境の変化から選択が変わっていることに思い至ったのはずっと後だったのだ。

 ベンジャミンは、昨秋に学会のためにニューヨークを訪れたケニアの学者のことを考えた。ジョルジアのファンかあまり親しくない知り合いのように控えめに登場したその男が、会社に来ていると知ると、ジョルジアは何もかも放り出して飛んできた。そして、彼の滞在中、時間の許す限り彼に付き添っていた。

 その半年前に行ったケニア旅行以来、彼女とその男が文通していたことを、そのときベンジャミンは初めて知ったのだ。そして、文通は今でも続いているらしい。その二人の関係が、彼女の服装や動作の変化に影響しているかどうか、彼にはわからなかった。いや、そうなのだろうと思い、それが彼女のためには好ましい変化であると理解しつつも、素直に喜べない自分を嫌悪していた。

 ここは、ベンジャミンが懇意にしている店で、コンクリートうちっぱなしの壁には白地に赤を基調とした現代アートが飾ってあり、そのモダンさと家庭的な懐かしい味の料理が対照的な店だった。

 ジョルジアとベンジャミンがオフィス以外で会うことはあまりなかったが、今日はマンハッタンで撮影が長引いたので、オフィスで予定していた打ち合わせができなかったので、明日からの撮影旅行で必要な書類を手渡すために、急遽ここで逢うことにしたのだった。

「そんなに待っていないよ。ビール一杯くらいだ」
「とても急いだんだけれど、地下鉄がしばらく停まっていたの。こんなことなら車で動けばよかったわ」

 ベンジャミンは笑った。
「この時間だったら間違いなく渋滞につかまっているよ。君が今日は車で行かないでいてくれて助かったってところかな」

「スーザンが待っているんでしょう」
「あまり早く帰ったら、彼女は反対に何があったのかと心配するさ。とにかく注文しろよ。どうせ撮影に夢中になってまともにランチもとっていないんだろう?」

 ジョルジアは肩をすくめて、赤ワインとチキンサラダや野菜の煮込みなどを注文した。それから、書類を受け取るとバッグに大切にしまい、今後の予定について少し打ち合わせをした。

「それと、この街路樹の素材写真だけれど、この日程だと時季が早くてあまりいい色が出ないわよ」
「そうだな。発売はまだ先だから、少し待つか。もう一度行ってもらうことになるけれど、いつがいいかな。そういえば秋に休暇が入っていたよな。海外に行くのか?」

「まだ決めていないけれど、イタリアにいこうかなと思っているの」
「イタリア?」
「ええ。祖父母の故郷。向こうの親戚を訪ねてみようかと思っているの。ウンブリア平原も撮ってみたかったし」

「そうか。じゃあ、その前に契約更新になるかな。実は、社長からそろそろ君に打診しておいてほしいって言われたんだけれど」
「何を? 何か変えたいって?」

「君はずいぶん有名になってきただろう。引き抜かれたら大変だと心配みたいでさ。いつもの一年契約じゃなくて、五年契約を結びたいみたいなんだ。ちょっと聞いたところ悪くない条件だと思ったよ。今やってもらっている素材事典や月刊誌の撮影はなくして、君の作品に集中できる体制を整える。報酬は今と同じだけれども、拘束時間がずっと減るから実質的にはかなりのアップになるし、これまで以上に外で撮影しても経費も問題なく請求できる。どうだ?」

「悪くないけれど、更新時期が迫っているわけでもないのになぜわざわざ予め打診するの?」
そうジョルジアが訊くと、彼はコホンとひとつ咳をした。
「引き抜き対策だから、契約解除がちょっと面倒なんだ。違約金が高く設定されていてね。君を引き抜こうとするヤツに『こんなに払えるか』と思わせるような額ってことだけれど。で、この契約が君の人生設計の邪魔になると悪いと思ってさ」

「どういう意味?」
「つまり、この契約のために人生プランを変更せざるを得なくなると困るだろう?」

 ジョルジアは、ワイングラスを置くと、両手を組んでじっとベンジャミンの瞳を見た。
「私が会社を辞めたがっているって、そう思っているの?」

「その、君がケニアに移住するんじゃないかと……」
「そんな予定はないわよ」
「そうか?」

 ベンジャミンが全く信じていないようだったので、ジョルジアは居心地が悪くなった。
「あなたは、何か誤解しているようだけれど……」
「誤解って? でも、スコット博士がいた一週間、ずっと一緒だっただろう? パーティにもパートナーとして出席していたみたいだし」
「あれは、マッテオと援助の件で話があったから……」

 そこまで言って、ジョルジアは古くからのよき友人であるベンジャミンには、隠しきれないと思ってため息をついた。

「本当はね。自分でもとても混乱しているの。今の私たちの関係は、間違いなくただの友人なんだけれど、彼が私にとってどういう意味を持つ人なのか、自分でもわからないの」
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Category : 小説・郷愁の丘
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

ウィーン自然史博物館ふたたび

今日は、先日行ったウィーンの話です。今更ですけれど、やはり書いておきたいですし。初日にホテルに荷物を置いて速攻で行った「ウィーン自然史博物館」のことをご紹介します。

この博物館のことは、以前「ウィーン自然史博物館」という記事で書いたことがあるのですが、今回は連れ合いが「どうしても行きたい」はここだったので、初日からここへ行って来ました。じつは、ここから徒歩圏にわざわざ泊まったのですよ。

案の定、連れ合いは感動しまくり、興味持ちまくりで「いや、ここまだ第一室で、ここでそんなに停まっていたら夜中になっても二階に行けない……」というぐらいじっくりとみていました。

さて、二度目の私は「あれとあれはどうしてももう一度、それに……」といろいろと計画をたてながら回ったのですが、係員の人に教えてもらって探して行ったのが、前回うっかり見逃した「ヴィレンドルフのヴィーナス(Venus von Willendorf )」でした。

ヴィレンドルフのヴィーナス

オーストリアのヴィレンドルフで1908年に発見されたおよそ25,000年前の小像です。名前は知らなくとも、写真はどこかでみたことがあると思います。ヴィレンドルフがどこにあるかすら私は知らなかったのですが、実はウィーンから100kmくらいのドナウ川沿いの村でした。まあ、今回は行きませんでしたが。

この博物館、バージェス頁岩からドードーやステラー海牛の骨、それに天文学級のお値段と思われる宝石など、これでもかとあっさりと展示しているのですが、このヴィレンドルフのヴィーナスの扱いは別格で、これだけのために一室を用意してあるのです。11センチの石の像なんですけれど。このもったいぶりのおかげで、前回ついうっかり見逃してしまったのですが、もともと私は古代のロマンに夢中になるタイプで、「おお、これが!」と感動しつつゆっくりとみて来ました。そうなんです、他に誰も見ていなかったので、15分くらい独り占めしていました。

なんのための像なのかは、先史時代のもののためはっきりとはわからないらしいですが、豊饒と多産を祈るためのお守りではないかと考えられているそうです。そういわれるだけあって、出るところの出方がすごいですよね。しかも顔はこんなに幾何的にデフォルメして非写実的なのに、出産に関係のある器官は生々しく再現されています。似たような像が、他にも出土しているようですが、この「ヴィレンドルフのヴィーナス」の形やインパクトが一番大きいように思います。

シベリアの動物ミイラ

さて、今回は偶然ですが、ロシアから貸与されているシベリアで発見された動物のミイラの展示を見ることができました。赤ちゃんライオンのミイラが有名ですが、こちらに展示されていたのは2011年と2015年に発見されたオオカミ犬の仔のミイラだそうです。

この博物館には専門家が20人も常時働いていて、時には海外からの調査も請け負っているとのことです。そのお礼として、ロシアに返す前のわずかな期間だけ、現在行なっている「犬と猫展」で展示する許可をもらえたとの事。偶然この時期に行ってそれを見ることのできた私たちはラッキーでした。

ウィーン自然史博物館カフェ

この博物館の正面にある「ウィーン美術史美術館」のカフェはとても有名ですが、こちらにも美しいカフェがあります。あまり歩いて足が棒になったので、私たちは一階を見た後、二階を見た後と二度もカフェでまったりとくつろいでしまいました。

ケーキも美味しかったですよ。
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Category : 旅の話 / スイス・ヨーロッパ案内

Posted by 八少女 夕

【小説】キノコの問題

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今日は「十二ヶ月の情景」五月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。先月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 6、7月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、canariaさんのリクエストにお応えして書きました。

テーマはずばり「マッテオ&セレスティンin千年森」です!

情景は森(千年森)で、ギリギリクリアかな?

キーワードと小物として
「セレスティンの金の腕時計」
「幻のキノコ」
「健康食品」
「アマゾンの奥地」
「猫パンチ」
希望です。

時代というか時系列は、マッテオ様たちの世界の現代軸でお願いしたいと思っています。
コラボキャラクターはクルルー&レフィナでお願いいたします。


「千年森」というのはcanariaさんの作品「千年相姦」に出てくる異世界の森、クルルーとレフィナはその主人公とヒロインです。

一方、マッテオ&セレスティンは、私の「ニューヨークの異邦人たち」シリーズ(現在連載中の「郷愁の丘」を含む)で出てくるサブキャラたちです。「郷愁の丘」の広いジョルジアの兄であるマッテオは、ウルトラ浮ついた女誑しセレブで、その秘書セレスティンはその上司には目もくれずいい男と付き合おうと頑張るけれど、かなりのダメンズ・ウォーカー。このドタバタコンビをcanariaさんの世界観に遊びに来させよという、かなり難しいご注文でした。

これだけ限定された内容なので、ものすごくひねった話は書けなかったのですけれど、まあ、そういうお遊びだと思ってお読みください。コラボって、楽しいなってことで。canariaさん、なんか、すみません……。



短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」





「ニューヨークの異邦人たち」・番外編
キノコの問題


 覆い被さり、囲い込み、食べ尽くして吸収してしまうかと思うほど、深く濃い緑が印象的な森だった。鳥の羽ばたきと、虫の鳴き声、そしてどこにあるのかわからないせせらぎの水音が騒がしく感じられる。道のようなものはあるはずもなかった。ありきたりの神経の持ち主ならば、己が『招かれざる客』であることを謙虚に受け止め、回れ右をして命のあるうちに大人しくもと来た道を戻るはずだ。だが、今その『千年森』を進んでいる二人は、ありきたりの神経を持ち合わせていなかった。

「それで、あとどのくらいこの道を進めばいいんでしょうか」
若干機嫌の悪そうな声は女のものだ。都会派を自認する彼女は、おろしたての濃紺スウェード地のハイヒールを履いていて、一歩一歩進むたびに苛ついていると明確に知らせるトーンを交えてきたが、彼女の前を進んでいるその上司は、全くダメージを受けていないようだった。

「なに、もうそんなに遠くないはずだ。こんなに森も深くなったことだし、【幻のキノコ】がじゃんじゃん生えていそうじゃないか」
そう言って彼は振り返り、有名な『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』を見せたが、『アメリカで最も商才のある十人の実業家』に何度も選出された男としては、かなり無駄な行為だった。エリート男と結婚したがっている何十万人もいるニューヨーク在住の独身女のうちで、セレスティン・ウェーリーほど『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』に動かされない女はいないからだ。

「それはつまり、あなたは根拠も何もなく、こんな未開の森を進んでいると理解してもいいんでしょうか」
「そうさ、シリウス星のごとく熱く冷たいセレ。まさか誰もまだ知らない【幻のキノコ】の生えている場所が、カラー写真と解説つきの地図として出版されていたり、GPS位置情報として公開されているなんて思っていないだろうね」

 ヘルサンジェル社は、CEOであるマッテオが一代で大きくした。主力商品は健康食品で、広告に起用されたマッテオの妹であるスーパーモデル、アレッサンドラ・ダンジェロの完璧な容姿の宣伝効果でダイエット食品の売り上げはアメリカ一を誇る。社のベストセラー商品はいくらでもあるが、新たな商品開発はこうした企業の宿命だ。とはいえ、あるかどうかもわからないキノコを社長みずからが探すというのは珍しい。

 セレスティンは深いため息をついた。
「もうひとつだけ質問してもいいでしょうか」
「いいとも、知りたがりの綺麗なお嬢さん」

「あなた自らが、その【幻のキノコ】を探索なさるのは勝手ですけれど、どうして社長秘書に過ぎない私までが同行しないといけないのでしょうか。この靴、おろしたてのセルジオ・ロッシなんですよ!」

「まあまあ。世界一有能な秘書殿のためなら、五番街のセルジオ・ロッシをまるごと買い占めるからさ。ところで、今日の取引先とのランチで君が自分で言った台詞を憶えているかい?」
「もちろんですわ。とても美味しい松坂和牛でしたけれど、あんなに食べたら二キロは太ってしまいます。週末はジムで運動しなくちゃいけない、そう申し上げました」

「ここを歩くとジムなんかで退屈な運動をするよりもずっとカロリーを消費するよ。湿度が高いってことはサウナ効果も期待できるしね。それに、【幻のキノコ】は、カロリーを消費中の女性のオーラに反応して色を変えるそうだ。つまりこの緑一色の中で見つけやすくなるってことだ。ウインウインだろう?」

 セレスティンは、カロリーを消費する運動やサウナでのウェルネスに、テーラードジャケットとタイトスカートが向いていないことを上司に思い出させようと骨を折った。が、マッテオはそうした細部については意に介さなかった。
『とにかく今日この森に来られたことだけでもとてつもなく幸運なんだ。そうじゃなかったらアマゾンの奥地まで行かなきゃいけないところだったんだぜ」

「なぜですの?」
「『千年森』に至るルートは、いくつか伝説があってね。一番確実なのがブラジルとボリビアの国境近くにある原生林らしいんだが、あそこには七メートルくらいある古代ナマケモノの仲間が生存しているという噂があってさ。追われたらハイヒールで逃げるのは大変だろう?」

「それはその通りですわ。でも、カナダとの国境近くの町外れの廃墟がボリビアと繋がっている森への入り口になるなんてあり得ませんわ」
「あり得ないもへったくれも、僕たちは今まさにそこにいるんだ。まあ、堅いことを言わずに、ちょっとしたデートのつもりで行こうよ、大海原色の瞳を持つお嬢さん」

「いつも申し上げている通り、まっぴらごめんです。そもそも、今日はちゃんとしたデートの予定があったのに……ハーバード大卒で銀行頭取の息子なんですよ。ああ、連絡したいのにここ圏外じゃないですか」
「まあ、なんと言っても『千年森』だからね。安心したまえ。今日のが不発に終わっても、今後ハーバード大卒で頭取の息子である独身者と知り合う確率は……チャートにして説明した方がいいかい?」
「けっこうです!」

 ブリオーニのビスポークスーツにゴールドがかった絹茶のネクタイを締めた男とマーガレット・ハウエルのテーラードジャケットを来た女が森の奥深く【幻のキノコ】を探しているだけでも妙だが、話題もどう考えてもその場にふさわしいとは思えなかった。

 その侵入者の会話に耳を傾けつつ、物陰から辛抱強く観察している影があった。それは黒髪を持った美貌の少年で、二人のうちのどちらが彼の存在に氣付いてくれて、悲鳴を上げた瞬間に颯爽と飛びかかろうとひたすら待っていた。

 だが、都会生活が長く野生の勘のすっかり退化してしまったニンゲンどもは、いつまで経っても彼に氣付かなかった。それどころか、めちゃくちゃに歩き回っているにもかかわらず、どうやら最短距離で彼の大切な養い親のいるエリアに到達してしまいそうだった。

「お。見てみろよ。あの木陰、なんだか激しく蠢いているぞ」
マッテオが示した先を、セレスティンは真面目に見ていなかった。大切なハイヒールのかかとが何かぬるっとしたものを踏んだようなのだ。

「マッテオ。この森はどこを見ても木陰だらけで、蠢いているなんて珍しくもなんともありませんわ、それよりも……」
「でも、ほら。女神フレイヤの金髪を持つお嬢さん、木陰は珍しくなくても、木々と一緒に女性が蠢いているのはちょっと珍しいよ」

「なんだって!」
背後から叫びながら突然黒い影が飛び出してきたので、今度こそセレスティンとマッテオは驚いた。

「本当だ! レフィーったら! 僕がちょっと目を離すとすぐこれだ。発情の相手なら、この僕がいるって言うのに!」

 マッテオは、セレスティンに向かって訊いた。
「あれは、誰かな。男の子のようにも見えたけれど、猫耳みたいなものと、尻尾が見えたような……」

 セレスティンは、目をぱちくりさせて言った。
「猫耳に尻尾ですって。マッテオ、あなた頭がどうかなさったんじゃないですか。それよりも、いつから私たちの後ろにいたのかしら。やはり危険いっぱいじゃないですか、この森。これ以上、こんなところに居て、私のおろしたてのハイヒールに何かあったら困るわ。何か変なものを踏んじゃったみたいだし……」

 ところが、そのハイヒールの惨状に98パーセント以上の責任があるはずの彼女の上司は、その訴えをまるで聴いていなかった。
「ひゅー。こいつは、滅多に見ない別嬪さんだ」

 返事が期待したものと全く違ったので、真意を確認したくて顔を上げると、マッテオが意味したことがわかった。先ほど森と一緒に蠢いているとマッテオが指摘した誰かが、黒髪の少年に木陰から引きずり出されていた。深い緑の襤褸がはだけていて、白い肌や白銀に輝く髪が露わになっていた。あら、確かに、珍しいほどの美女だわ。いつも綺麗どころ囲まれているマッテオでも驚くでしょうね。

 マッテオは、美女を見たら口説くのが義務だとでもいうように、ずんずんと二人の元に歩いて行って、アメリカ合衆国ではかなり価値があると一般に思われている『マッテオ・ダンジェロの100万ドルの笑顔』をフルスロットルで繰り出した。

「こんにちは、麗しい森の精霊さん。この深くて神秘的な森には、人知れず永劫の時間を紡ぐ至宝が隠されているはずだと私の魂は訴えていたのですよ。美こそが神の叡智であり、すべてに勝る善なのですから、私があなたを崇拝し、その美しさを褒め称えることを許してくださいますよね」

 何やら揉めていたようだった森色の襤褸を着た美女と黒髪の少年は、この場の空氣を全く読まない男の登場にあっけにとられて黙った。相手に困惑されたくらいで、大人しく引き下がるような精神構造を持たないマッテオは、構わずに続けた。

「怪しいものではありません。僕は、マッテオ・ダンジェロといいます。アメリカ人です。この森で国籍というものが何らかの意味を持つなら、ですけれど。少なくとも佳人に恋い焦がれる心に国境はありません。あなたも、この森のように幾重にも巡らされた天鵞絨の天幕の後ろに引きこもっていてはなりません。どのような深林も恋の情熱の前では無力なのですから。あなたの名前を教えてくださいませんか。私が心から捧げる詩を口ずさめるように」

「てめぇ、何を馴れ馴れしく!」
黒髪の少年が我に返って敵意を剥き出しにした。襤褸を着た美女は、その少年をたしなめた。

「クルルー。客人にそのような口をきいてはならぬ」
「でも、レフィー。聖域であるこの森で神聖なあなたを口説くのがどんなに罰当たりか思い知らせないと」

「さっき、発情の相手がどうのこうのって自分でも言っていたのに」
セレスティンが、小さくツッコんだ。
「なんだとぉ」

 少年は、セレスティンの元に飛んできた。おや、こちらも美形だったわ。セレスティンは驚いた。緑色の宝石のような切れ長の瞳に、漆黒ではなくて所々トラのような模様の入った不思議な髪。綺麗だけれど、危険な匂いがプンプンするタイプの美少年だ。ツンとしていれば、いくらでも女が寄ってきそうだが、どういうわけか今の少年は取り乱して怒っていた。

 手元を素早く前後に動かして、こちらを小突いてくる。この動作は、ええと、ほら、あれ……猫パンチ。うわー、ありえない。美少年がやっちゃダメな動作でしょう。
「ちょっと、やめてよ。何取り乱しているの」
「レフィーの前で余計なこと、言うなよ」
「あのね。そうやって取り乱すと、知られたくないことがバレバレになるのよ。わかってるの?」

 二人がこそこそと会話を交わしている間、マッテオはさらに美女に愛の言葉の攻勢をかけていた。
「あんた、あいつを止めなくていいのか。目の前で他の女を口説くなんて、とんでもない恋人だな」
少年が怒っている。

「おあいにく様。あの人は、私の上司で、恋人じゃないの。それよりも、目下の問題は、私のハイヒール……。何を踏んじゃったのかしら」

 セレスティンが、足下を見ると、どういうわけかそこには真っ赤なキノコがうじゃうじゃと生えていた。しかも、怪しい蛍光色の水玉が沢山ついていて、それが点滅しているのだ。
「やだっ、何これ!」

 美女にクルルーと呼ばれた美少年は肩をすくめた。
「ああ、そのキノコね。ニンゲンの女に先の尖った靴で踏まれると増殖を始めるんだよね。ああ、こんなに増えちゃって面倒なことに……。レフィー、ちょっと! お取り込み中のところ悪いけれど、緊急事態みたいだよ」

 マッテオの口説き文句を半ば呆れて、半ば楽しむように聴いていた美女はこちらを振り向いた。そして、セレスティンとクルルーの周りにどんどん増殖している赤いキノコを見て、慌ててこちらに走ってきた。
「なんだ。おい! 何をやっているんだ」

 マッテオは、そのキノコを見て大喜びだった。
「なんてことだ。これこそ僕たちの求めていた【幻のキノコ】だよ! セレ、でかした!」

 だが、襤褸を着た美女の方は厳しい顔をした。
「何が【幻のキノコ】だ。これを増やすことも、持ち出すことも許さんぞ。やっかいなことになるからな。クルルー、その二人を森の外へ連れて行け。私はそのキノコの増殖を止めねばならぬ」

 クルルーが、ものすごい力を発揮してキノコで真っ赤になったエリアからマッテオとセレスティンを引き離すと、美女はそこへ立ち、続けて森の緑が同調するようにその場所に覆い被さった。そこで、美女が何をやっているのかはわからなかった。クルルー少年に引きずられて二人は森の端まで連れて行かれたからだ。

「これだからニンゲンをこの森に入れるのは反対なんだ。カナダ側にも巨大ナマケモノを配置しないとダメなんだろうか」
そういうと、少年は二人をドンと突き飛ばした。

 一瞬、世界がぐらりと歪んだかと思うと、二人の目の前から美少年クルルーと『千年森』は消えていた。それどころか、彼らが通ってきたはずのカナダとの国境近くの町から400マイル近く離れているマンハッタンのカフェに座っていた。

「え?」
騒がしかった鳥のざわめきの代わりに、忙しく注文をとるウェイターと客たちのやり取りが聞こえ、心を洗うようなせせらぎの代わりに、趣味の悪い電飾で飾られた噴水の調子の悪い水音が響いた。

「なんてことだ。ここまで飛ばされてしまったか。やるな。さすがは『千年森の主』だ」
マッテオは、残念そうに辺りを見回した。セレスティンは、まず手始めに自分の服装がまともな状態に戻っているかを確認したが、残念ながら汗だくでボロボロの様相は、『千年森』にいたときと変わっていなかった。

 でも、ニューヨークに戻ってくるまでの時間を短縮できたんだから、急いで家にもどれはデートまでに着替える時間があるかも! 彼女はお氣に入りの金の腕時計を眺めた。ギリギリ! でも、今すぐ行けば間に合うはず。

「セレ。君のハイヒールに、例のキノコ、ついていないかい?」
諦めきれないマッテオが訊いた。彼女は、大事なハイヒールにキノコがついていたら大変と見たが、『千年森の主』が何らかの魔法で取り除いたのか、あの赤いキノコは綺麗さっぱり消え失せていた。

 それに、あのクルルー少年の言葉によると、ハイヒールに近づけると、あのキノコはとんでもなく増殖してしまうはず。ついていなくて本当によかったってところかしら。

「残念ながら、ついていないみたいですわ、マッテオ。申し訳ないんですけれど、もうアフターファイブですし、私、失礼します。今から急げば、デートに間に合いますので」
そう言いながら、颯爽と立ち上がった。

「OK。楽しんでおいで。今日の残業分、明日はゆっくり出社するといい。やれやれ、僕は氣分直しにジョルジアを訪ねてご飯を作ってもらおうかな」

 セレスティンは、にっこりと微笑みながら立ち去った。途中でもう一度時間を確認するために金時計を見た。

 あら。この時計の文字盤、ルビーなんてついていたのかしら。

 この時計は、なくして困り果てていたところ、マッテオが見つけてくれて、さらに素晴らしい高級時計に変身させてくれたものだ。だから、見慣れていた前の安っぽい時計だった時についていなかったものがあっても不思議ではない。でも、確か、今朝はついていなかったと思うんだけれど。

 立ち止まってもう一度サファイアガラスの中の文字盤をよく見た。ルビーがキラリと光った。蛍光色みたいな色で。しかも動いているような。

 これ、ルビーじゃないわ。さっきのキノコ。この中に入り込んでしまったのかしら。

 セレスティンは先ほどの趣味の悪い噴水前のカフェに戻ろうとした。マッテオに見せないと。だが、どうもカフェが見つからないし、マッテオもいない。ううん、今から電話して戻ってきてもらってこれを見せるとなると、時間を食っちゃう。せっかくの頭取の息子とのデートが……。

 彼女は、そのやっかいなキノコは金時計に閉じ込めたまま、明日まで何も言わないことにした。どう考えても、今夜この時計がハイヒールで踏まれるような事態は起こらないはずだし、明日の朝に氣がついたことにしても問題ないと思う。

 彼女は、キノコの問題はとりあえず忘れることにして、今夜ハーバード大卒の男を逃さないために、彼の前でいかに頭の足りない金髪女の演技をすべきか、綿密にプランを練りだした。

(初出:2018年5月 書き下ろし)

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Posted by 八少女 夕

【小説】春は出発のとき

今日は「十二ヶ月の情景」三月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。今月以降は、みなさまからのリクエストに基づき作品を書いていきます。まだリクエスト枠が二つ残っていますので、まだの方でご希望があればこちらからぞうぞ。

月刊・Stella ステルラ 4、5月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、山西左紀さんのリクエストにお応えして書きました。

コラボ希望のサキのところのキャラはミクとジョゼ。
テーマは「十二か月の情景」に相応しいものを設定して、
2人の結婚式の様子をストレートに書いてください。
次第はすべてはお任せします。



ジョゼというのは、もともと2014年の「scriviamo!」で書いた『追跡』という小説で初登場し、左紀さんの所の絵夢やミクと出会った小学生でした。後に、『黄金の枷』本編でヒロイン・マイアの幼馴染として使い、同時に左紀さんの所のミクとの共演を繰り返すうちにいつの間にかカップルになってしまいました。で、前回左紀さんはプロポーズの成功まで書いてくださったのです。結婚式を書くようにとの仰せに従って今回の作品を書きました。

ポルトガルの結婚式というのはこんな感じが多いようです。ブライズメイドたちがお米を投げたり、花嫁が教会の出口でスパークリングワインを飲む、というのは実際に目撃しました。その時の花嫁は、グラスを後ろ向きに投げて壊していました。

いちおう『黄金の枷』の外伝という位置づけにしてありますので、そっちを読んでいらっしゃらない方には「?」な記述もあるかもしれませんが、その場合はその記述をスルーして、結婚式をお楽しみください。ついでにいろいろとコラボの間にばら撒いたネタを回収しています。どうしても氣になるという方は、下のリンクやサキさんと大海彩洋さんの関連作品をお読みください(笑)

サキさんのお誕生日には、少し早いのですけれど、これからPやGの街へと旅立たれるということなので、前祝いとして今、発表させていただきます。サキさん、先さん、そしてママさん、良い旅を。


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む



【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」Infante 323 黄金の枷




黄金の枷・外伝
春は出発のとき


 アーモンドの花が風に揺れている。エレクトラ・フェレイラは、Gの町のとある家への道を急いだ。若草色のドレスは新調したもの、七人の花嫁介添人マドリーニャスは、結婚式のテーマカラーであるグリーン系のドレスを着るのだ。一つ年上の姉セレーノは少し落ち着いた松葉色のドレスを選んだ。

 もう一人の姉のマイアは、花婿と子供の時に一緒に学んだ仲で、本来ならばもっとこの結婚式の花嫁介添人にふさわしかったのだろうが、残念ながら式に参列することができない。そもそも幼馴染のジョゼが結婚することを知らない可能性が高い。なんせエレクトラ自身が数カ月以上もマイアと連絡がとれないのだ。

 花嫁介添人の多くを花婿の知り合いがつとめるのは珍しいが、花嫁は外国人でこの国での友人や親戚がさほど多くない。一方、花婿の方は「俺を招ばなかったら許さない」と言い張る輩が百人以上いるような交友関係に、先祖代々この土地に根付いていたので親戚縁者がこれまたやたらと多い。花婿の友人パドリーニョスを務める男たちの数を考えると花嫁介添人マドリーニャスの水増しは必要だった。

 ジョゼを落とそうと頑張っていたことを考えると、この役目を受けるのはどうかと思ったが、もう氣にしていないことを示すにはいい機会だと思う。それに、この二日間、街中からジョゼの友人たちが入れ替わり立ち替わりやってくるのだ。どんないい出会いが待っているかわかったものじゃない。行かないなんてもったいない。

 ジョゼの結婚式は、マイアの結婚式とはだいぶ様相が違っていて、この国ではわりと普通の結婚式だ。つまりたくさんの招待客や親戚演者が集まり、二日間にわたってパーティをするのだ。

 マイアの結婚式には友人たちを集めてのアペリティフやパーティもなかったし、宴会場でのフルコースもなかった。花嫁介添人マドリーニャス花婿の友人パドリーニョスなどもいなかった。ただ、教会で厳かなミサが行われただけで、教会の出口でお米のシャワーで迎えることすらなかったのだ。父親とセレーノとエレクトラだけが招ばれ、ミサが終わると迎えに来たのと同じ車に乗せられた。宴会場にでも行くのかと思ったら、そのまま自宅に送り届けられてしまったので、驚いた。

 今回の結婚式は、そんな妙な式ではなかった。式はPの町にあるサン・ジョゼ・ダス・タイパス教会で行われる。ここは、マイアがあの謎のドラガォンの当主と結婚した教会で、それが偶然なのかどうかはわからなかった。

 でも、エレクトラは直接教会にはいかない。介添人は花嫁の自宅に集合するのだ。花嫁であるミク・エストレーラには両親がいなくて、ティーンの頃にGの町に住む祖母に引き取られたのだそうだ。現在、歌手である彼女は主にドイツで活躍しているので、この国に帰ってくるときは祖母の家に滞在している。集まるのはその祖母の家なのだ。

「遅かったわね! どうしたの」
セレーノとジョゼの二人の女友だちはもう着いていて、エレクトラに手を振った。花嫁の三人の女友達ともすっかり仲良くなって一緒にカクテルを飲んでいた。

「美容院で思ったよりも時間がかかっちゃったの。私が最後?」
皆が頷いた。落ち着いた赤紫のツインピースを着たアジアの顔をした婦人が笑顔で出迎えてくれた。この人がお祖母さんなの? お母さんでもおかしくないくらい若く見える!

「はじめまして、フェレイラさんね。今日はどうぞよろしく。軽くビュッフェを用意しているからぜひ召し上がってね」

 中に入ると真っ白な花嫁衣装に身を包んだ今日の主役が座っていた。長く裾の広がったプリンセスラインのドレスは、わりと小さめの家の中で動き回るとあちこちの物とぶつかる危険がある。それで、彼女は動かない様に厳命されていた。

 それでも、はにかみながら笑顔を見せて立ち上がると、自分のために来てくれたことへの礼を述べた。
「エレクトラ・フェレイラさんよね。初めまして。今日はどうぞよろしくお願いします」

 エレクトラは、にっこり笑って挨拶した。
「はじめまして。介添人に選んでくれて、どうもありがとう。まあ、なんて綺麗なのかしら。ジョゼはきっと惚れ直すと思うわ」

 ミクはぽっと頬を染めた。初々しいなあ。たしかジョゼよりもけっこう年上だって聞いていたけれど、そんな風に見えないし、お似合いだなあ。エレクトラは感心した。っていうか、こんなところで感心しているから、負けちゃうんだよね。

 遅くなったので、あまりたくさん食べている暇もなく教会に向かうことになったが、ミクの祖母の作ったタパスはどれもとても美味しかった。あとでたくさん食べることになるから、ここでお腹いっぱいになっちゃマズいし、遅れてきて正解だったかな。エレクトラは舌を出した。

 教会には、参列者がたくさん待っていた。それに白いスーツを着せられて所在なく待っているジョゼも。花婿の友人パドリーニョスを務める七人たちに囲まれてかなり緊張しているようだ。ミクのドレスを本番まで内緒にするために、今日はまだ花嫁に会っていない。でも、これからずっと一緒なんだからいいのかな? エレクトラは参列者の方に目を移した。

 代わる代わるジョゼと花婿の友人パドリーニョスのところに行って大げさに喜んでいる友達たちは、エレクトラたちのよく知っているメンバーだった。祭りの度に待ち合わせて大騒ぎしているし、子供の頃からいつも一緒にいるメンバーなのでほぼ全員の顔と名前が一致している。

 つまり、エレクトラのよく知らない顔は、花嫁の招待した人たちなのだろう。ドイツ語で話している数名の男女がいた。おそらくミクが出演しているオペラ関係の人たちだろう。それに、ミクの祖母が急いで挨拶に向かった先にいる日本人女性。綺麗な人だけれどだれかな。

「あ、あの人、知っている?」
セレーノが話しかけてきた。
「ううん。お姉ちゃん、あの人知っているの?」
「ええ。偶然ね。日本のヴィンデミアトリックスって大財閥のお嬢さんだよ。ジョゼとミクが知り合うきっかけになった人なんだって」

「へえ。すごい人と知り合いなんだね。あっちのドイツ人は、オペラの人でしょ」
「そうだよ。ミュンヘンの劇団の演出家だって、ガイテルさんって言ったっけ。憮然としているでしょ?」
「え。そうだね。なんかあまり嬉しそうでもないよね」
「そうだよ。あなたと同じ、失恋組だからね」
「セレーノ。私はもう……」
「まあまあ。強がらなくてもいいってば」

 ミクを乗せた車がやってきた。あれ。ジョゼが迎えに行っちゃった。教会の中で、お父さんが花嫁を連れてくるのを待つわけじゃないんだ。エレクトラの疑問を見透かしたようにセレーノが囁いた。
「ミクのお父さんは亡くなっているの。身内に父親役を頼めるような人は叔父さんしかいないらしいけれど、なんか事情があって頼みたくないみたいだよ。だから、二人で入口から一緒に祭壇まで歩いて行くんだって。あなた、遅刻したからそういう事情を聞きそびれたのよ」

 ジョゼは、ミクの花嫁姿に見とれているようだった。確かに綺麗な花嫁だよね。ドレスはとろんとしたシルクサテン、華やかな上に高級感もある。ジョゼと研修で訪れた日本で見たけれど、日本のシルクって長い伝統があるんだよね。大きく広がった裾、後ろが少し長くなっていて楕円形に広がるようになっている。

 ヴェールはそれほど長くなくて、あっさりしているから、ミクの笑顔がはっきりと見える。そして、百人以上集まっている参列者たちを見て目を丸くした。これからは、これだけのジョゼの友達たちと付き合っていくことになることを、実感しているってところかしら。

 さあ、私たちは花嫁介添人マドリーニャスのお仕事。二人に続いて教会に入り、それにミサが終わったら入口でライスシャワー。

 そして、これからのひたすら食べる宴会の戦略も立てなくちゃ。宴会場でアペリティフがあり、揚げ物やフルーツ、それにチーズやハムなどがでるけれど、そこでたくさん食べすぎるとフルコースが入らなくなってしまう。二時からの着席宴会は五時ぐらいまでだけれど、一度帰ってからまた集まって、ビュッフェ。ダンスをして真夜中にケーキカットをするまでずっと飲んで食べてが続くのだ。

 大人たちはそれで帰るけれど、私たち若者は朝まで騒ぐのが通例。

 しかも、明日もある。普通は二日目は親戚だけだけれど、ミクのところに親戚が少ないので私たちも招待されている。つまり明日もフルコース。たぶん、明後日からダイエットしないと大変なことになっちゃう。明日はGの町にある日本料理店でやるっていうから、とても楽しみ。

* * *


 サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会の向かいは緑滴る憩いの公園になっている。その前に一台の黒塗りの車が入ってきたが、道往く人々や参列者たちは、ちょうど花嫁と花婿が現れた教会のファサードに注目していて、その車がゆっくりと停車したことに氣付くものは少なかった。

 挙式で司祭の手伝いをしていた、神学生マヌエル・ロドリゲスは、目立たぬように通りを横切り、黒塗りの車のところへやってきた。待っていた運転手が扉を開けた。6ドアのグランド・リムジンには向かい合った四つの席があり、彼は素早く中に入り既に座っている二人の女性の向かいに座った。

「ご足労でした、マヌエル。式は無事に終わったようね」
向かって右側に座っていた黒髪の貴婦人がにっこりと微笑んだ。

「はい、ドンナ・アントニア、そして、ドンナ・マイア」
ドンナ・アントニアと呼ばれた黒髪の貴婦人の右隣に、少し背の低い女性が座っていた。そして、嬉しそうに窓から幸せそうなカップルの姿を眺めた。

「あの人が、ジョゼの言っていた人ね。うまくいって、本当によかった。ああ、セレーノとエレクトラもいるわ」
マイアは、妹たちが花嫁介添人マドリーニャスを務めることを知らなかった。

「ドンナ・アントニア、本当にありがとうございます。あなたが言ってくださらなかったら、こうして二人の結婚式を見ることはできなかったでしょうから」
マイアが言うと、アントニアは首を振った。

「アントニアでいいって、言ったでしょう。あなたはもう私の義妹なのよ。あなたの友達が結婚するたびに出てくるわけにはいかないけれど、今回はたまたまこんな近くで結婚したし、マヌエルが教えてくれたんですもの。あの青年にはライサの件で助けてもらったし、私もトレースももう一度お礼がしたかったの」

 マヌエルは、アントニアの視線の先に眼を移した。彼の座っている隣の席に大きな包みが二つ置いてある。
「では、こちらが……」

 その言葉に、二人の女性は頷いた。アントニアが続ける。
「これがマイアとトレースからのプレゼントで、こちらが私から。あの花嫁さんにトレースが作ったのは、とても上品な桜色のパンプスよ。妬ましくなるくらい素敵だったわよね、マイア」
「うふふ。あなたがそういえば、23は作ってくれると思いますけれど……」
「そんな時間は、全然ないじゃない。あの忙しい合間にあの青年の靴も作ったのよね」
「ジョゼは、23の靴の大ファンだから、きっと大事にすると思うわ」

 マヌエルは、なるほどと思った。この大きい箱には、靴が二足入っているのだ。知る人ぞ知る幻の靴職人の作った、究極のオーダーメード。まさか、ドラガォンの当主その人が作ったとは二人共思いもしないだろう。

「もう一つの箱にはボトルが入っているので、扱いに注意するように言って渡してくださいね」
アントニアは言った。

 マヌエルは「かしこまりました」と言った。運転手が再びドアを開けた。彼はプレゼントを大切に抱えてベントレーから降りた。

「なんのボトルにしたのですか」
「1960年のクラッシック・ヴィンテージのポートワインよ」

 そう聞こえた時に、ドアが閉まり二人の会話は聞こえなくなった。

 何と幸運な二人だ、今日華燭の宴を迎えたカップルは。マヌエルは密かに笑った。

 百人以上の友人たちの暖かい祝福、家族の愛情、仕事仲間も駆けつけ、イタリアのとある名家からも特別な祝いが届いている。それだけでなく、ドラガォンの当主たちからもこの祝福だ。こんな婚礼は、滅多にないな。

 二人は教会の入口で参列者たちの拍手と歓声の中、笑顔でスパークリングワインを飲み干していた。そして、これから続く幸せな日々、ひとまずは、これから二日間続く食べて飲んで踊ってのハードな披露宴に手を携えて立ち向かいはじめた。

(初出:2018年3月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

ホワイトデーに……

今日はいただきもののご紹介です。

プレゼント用に描いてくださったのではないのでしょうけれど、ダメ子さんが去年と今年の「scriviamo!」で書いた作品に関連するイラストを発表してくださいました。

その日はホワイトデーでしたし、この二つの作品はバレンタインデー関連でしたので、嬉しくなって「ください」とお願いしました。快く了承してくださったので、いただいてここでお披露目したいと思います。

アーちゃんとチャラ君 by ダメ子さんアーちゃんとチャラ君
つーちゃんとムツリ君 by ダメ子さんつーちゃんとムツリ君
この二枚のイラストの著作権はダメ子さんにあります。無断使用は固くお断りします。

どちらの女の子も、コラボ用のモブキャラにしては異様に可愛くなっているのは、ダメ子さんのからのサービスだと思いますけれど、書いた小説のキャラが、シチュエーションそのままで素敵なイラストになって登場するのはとても嬉しいです。

ダメ子さん、お持ち帰りを許していただき、本当にありがとうございました。

【参考】
私が書いた「今年こそは〜バレンタイン大作戦」
ダメ子さんのマンガ『チョコレート』
ダメ子さんのマンガ 『バレンタイン翌日』
私の書いたお返し『恋のゆくえは大混戦』
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Posted by 八少女 夕

【小説】未来の弾き手のために


scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第十五弾、最後の作品です。大海彩洋さんは、『ピアニスト慎一』シリーズ作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

彩洋さんの書いてくださった短編 『【ピアニスト・慎一シリーズ】 What a Wonderful World』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。とてもお忙しくて、特に今年は予期せぬ事態があったにもかかわらず、睡眠時間を削っても、妥協しないすばらしい作品を書いてくださいました。

ピアニスト相川慎一のでてくるお話は、彩洋さんの書いていらっしゃる壮大な大河ドラマの一つなのですけれど、ブログを通してのお付き合いで発表のきっかけというのか、そう言ったご縁が多いせいか、私が特に注目しているシリーズでもあるのです。クラッシック音楽の素人一ファンとして、このシリーズに書かれる音楽の話は本当に興味が尽きませんし、私にはこんなに書けないけれどその分音楽を読む楽しみをいつも与えてくれる物語です。

今回は、その慎一の人生のターニングポイントとも言える一シーンをバルセロナを舞台に書いてくださったのですが、その背景にうちのチャラチャラした面々がちゃっかりと注目を浴びていて、申し訳ないやら、何やってんだあんたたち、という状態でした。ま、みんな仕事しているからいいのか。

お返しは、舞台をウィーンに移して書いてみました。ほら、リアルの私が先週そこから帰って来たばかりだし、それにお借りするあるキャラクターの本拠地ですから。そして、ご指名なので、うちの六人全員を無理やり登場させました。今回は、仕事しているのは一人だけです。最もチャラい奴だけが働いているのって(笑)

今日どうしても発表したかったのは、本日が彩洋さんのお誕生日だから。Happy Birthday, 彩洋さん。創作にも、リアルライフにも実り多くて幸せな一年になりますように!


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物


「scriviamo! 2018」について
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大道芸人たち・外伝
未来の弾き手のために
——Special thanks to Oomi Sayo san


 あまり高い席は用意しないでくれと釘を刺されていたので、どんな服装でくるのかと思ったが、杞憂だったな。結城拓人はドイツ人のスーツ姿を見て思った。蝶ネクタイではないが、紺のスーツの生地は一目でわかる上質さで、仕立て具合を見れば明らかにオーダーメードだとわかる。

 拓人が招聘されてウィーンのコンツェルトハウスで演奏することになったのは、ヨーゼフ・マルクスの『ロマンティックピアノ協奏曲』だった。ウィーンで何世紀にも渡り内外の名だたる大作曲家たちが活躍したためか、祖国ですら存在をあまり知られなくなったオーストリアの作曲家の作品だ。客を集めにくい作曲家の作品であるだけではなく、ピアニストに驚異的なテクニックを要求するために、この作品が演奏されることは滅多にない。拓人にとっても初めての挑戦だった。

 かなり図太い神経を持つと自他共に認める彼ですら、この数カ月は胃が痛くなる様な思いをしたが、その甲斐あってまずまずと言っていい演奏をすることができた。普段、日本で当然のように受ける取り巻きたちからの熱烈な喝采と違い、下手な演奏には容赦ないウィーンっ子たちからアンコールを要求されたのだ。彼にとっては枕を高くして眠ることのできる成功だった。

 彼の親しい友人であるドイツ人、エッシェンドルフ男爵が今日この場に来て聴いてくれたのは、彼の精神状態を心配して力付けようとしたわけではない。そうしようとしてくれたのは、彼の再従妹はとこである園城真耶とドイツ人の三人の仲間たちで、彼らはもうホールを出て後で落ち合う予定のワインケラーへと向かっている。三人はドレスコードに悩まされるのが嫌なので、カテゴリー6の席を希望した。

 真耶と共にカテゴリー2の席に座り、さらにわざわざ終演後に拓人とともにロビーで待ち合わせたのはヴィルだけだったが、それはどうしても紹介して欲しい人がいたからだ。

「すまないな、拓人。無理を言って」
「別に無理でもないさ。僕にできるのは引き合わせることだけ。引き受けてもらえるかどうかはわからないんだから。でも、噂で聞いたほど難しい男ではないと思うけれどな。まあ、氣軽に頼めるとはいえないけれど。今回の調律をしてくれたのは、僕の音楽をお氣に召したわけではないと思うから」

「というと?」
「忘れられたオーストリアの作曲家の名作に再びスポットを当てる手伝いをしたいという男氣がひとつだろうな。そして、もう一つの幸運は僕が日本人ピアニストだったってことかな。彼はある日本人ピアニストの才能に惚れ込んでいて、その縁でハードルを一つ低くしてもらえたってわけだ。おかげで、こちらは『あのシュナイダー氏に調律してもらえる幸運』をお守りに本番に臨めたってわけだ」

「なんの慰めにもならないな。俺はドイツ人だ。しかもまともなピアニストですらない」
そうヴィルが言うと、拓人は魅力的に笑いながら言った。
「だが、お前には父上の遺言という切り札があるじゃないか。ダメ元で頼んでみろよ」

 そう話している間に、への字口をした老人が姿を見せた。かろうじて背広といってもいい上着を身に付けているが、シャンデリアの輝くホールでは多少場違いに見えた。だが、そんなことはおそらく誰も氣にしないだろう。その険しい顔を見ると、すれ違うものは自分が悪いことをしている心持ちになり、目をそらしてしまう。

 拓人はヴィルの腕を取り、急いで彼の方に歩いて行った。
「シュナイダーさん! 今日の演奏を素晴らしいものにしてくださった喜びは、言いつくせません。なんとお礼を言っていいのか」

 拓人の謝辞を遮るように老人は手を眼の前にあげた。「お世辞なぞたくさん、さっさと用を言え」とでもいいたげに。拓人は肩をすくめて、ヴィルを示した。
「ご紹介します。友人のアーデルベルト・フォン・エッシェンドルフ男爵です。先日亡くなったミュンヘンのエッシェンドルフ教授の子息です」

 老人はじっとヴィルを眺めた。ドイツ人は、愛想のいい拓人と違いほとんど無表情だった。まっすぐに老人を見て、敬意のこもった声で「はじめまして」と言った。シュナイダー老人は十分に観察をすると口を開いた。
「父上の若い頃に似ているな。ピアノを弾く息子のことは聴いていたよ。だが、音楽はやめたんだろう。もう俺の調律は必要なくなったと父上は連絡してきたが」

 それでは、父親があのベーゼンドルファーの調律をもうこの男には頼まなくなったのは、彼が音楽をやめてあの館に足を踏み入れなくなってからなのか。父親は、彼を抱きしめることもなく、共に夢を語ることもなかった。だが、彼のために可能な全ての手を尽くしてバックアップしようとしていたのだ。

 急死した父親に代り、先祖代々の領地と館と爵位を引き継いだヴィルは、かつて彼が知っていた音とは違う音を出すベーゼンドルファーを元の状態にしたかった。父親が秘書であるマイヤーホフに残していた指示の一つが、長らく連絡の取れない状態になっている著名な調律師を探し出すことだった。

 ウィーンのコンツェルトハウスで演奏することになった拓人と電話で話していた時に、無理だと諦めていた調律師が仕事を引き受けてくれたという話題になった。それが件のシュナイダー氏だと知ったヴィルはすぐにここにくることを決めていた。

「その通りです。私は父の元を離れて生きるつもりでした。そして実際に何年もあのピアノに触れませんでした。今、私が触れるあのピアノは、もはや私が何よりも愛したエッシェンドルフのピアノとは違う存在になってしまっている。亡くなる直前まで父もずっとあなたを探していた。あなたが今日の調律をすると聞き、飛んで来ました。もう一度あのピアノを蘇らせていただけないだろうか」

 老人は首を振った。
「諦めてくれ。こっちはこの歳だ。残された時間はさほどない。その時間の全てを捧げたいと思う弾き手のためにしか調律はしない。ましてや弾かないピアノのためにミュンヘンまで行くような時間はない」

 拓人は思わず口を挟んだ。
「シュナイダーさん、彼はピアノをやめてはいません。コンサートピアニストではありませんが……」

 ヴィルは、その拓人を制した。
「いや、拓人。シュナイダーさんは正しい。あのベーゼンドルファーは、ふさわしい弾き手を持っていない。かつてこの方に調律してもらっていたこと自体がおこがましかったんだ」

 老人は、拓人に訊いた。
「お前さんは、この男の腕をどう思う」
「彼は、僕の音楽の同志です。表現する世界と方法は違いますが、同じものを目指していると断言できる数少ない音楽家の一人だと思っています」
拓人は迷わずに答えた。ヴィルは少し驚いた。拓人がそこまで認めてくれているとは知らなかったから。

 老人は「ふん」と言った。それからもう一つの問いを発した。
「この男の耳はどうだ」

 拓人は怪訝な顔をした。
「耳ですか? 確かだと思っていますが、なぜですか」

 老人は、ヴィルをじっと見つめて口を開いた。
「この世には、最高の腕を持つ弾き手がいる。そして、最高傑作である楽器がある。残念ながらその二つが同時に存在することは稀だ。あのベーゼンドルファーは、金持のサロンの飾りであるべきではない。あんたは父上の跡を継いで、あの楽器と有り余る金を手にした。もし、あんたの手に余っているのなら、俺はあんたに聞いて欲しいことがある」

* * *
 

 拓人と真耶が滞在しているホテルから五十メートルほど先に、そのワインケラーはある。どっしりとした表構えの店は十七世紀の創業で、地下へ降りて行く階段の手すりなどにも時代を感じる。暖かい照明とガヤガヤとした混み方は、天井が高くて豪華絢爛なコンツェルトハウスの堅苦しい様式美とは打って変わり、落ち着き楽しい。

「ようやく来たのね。もう結構飲んじゃったわよ」
蝶子が、奥の席から手を振った。隣に座る真耶はあっさりとしたワンピースに着替えていた。そうすることでめずらしくブレザーと開襟のシャツを着ている稔やレネとほぼ同じレベルの服装になっていた。拓人はホテルで急いで着替えて来たので、やはり砕けている。ヴィルは上着を椅子にかけてネクタイを外した。

「まず乾杯しなくちゃ。大成功、おめでとう!」
拓人は、仲間と次々とグラスを重ね、ビールを一口飲むとようやく緊張が解けて笑顔になった。

「海外でのコンチェルト、初めてじゃないんだろう? いつもと違うのか?」
稔が不思議そうに訊いた。

「確かにすごい曲だけど、結城さんは普段リストもラフマニノフも楽々と弾いているから、そんなにピリピリすることがあるなんて意外よね。例の後援会のおばさま方が付いてくるのはいつものことだろうけれど、真耶まで応援に来るのって珍しくない?」
蝶子も続けた。

「だって、こんなに青くなって練習している拓人、もう何年も見たことなかったんだもの。マルクスのコンチェルトは日本ではまずやらないし、どうしても本番を聴きたくなって。どちらにしてもミュンヘンでの休暇は決まっていたし、ちょうどいいじゃない?」
真耶はニッコリと笑った。

「う。確かに余裕はなかったな。準備は十分にしてきたのに、先週の始めに通しで弾いた時に途中で真っ白になって、死ぬかと思った」
拓人は、ビールをぐいっと飲んだ。

「デートも全部断ったって、本当?」
蝶子が面白そうに訊いたので、拓人は真耶を睨んだ。

「本当のことでしょう」
「デートどころじゃなかったからね。あんなに大変な曲なのに、問題はそうは聴こえないってことなんだ」

 レネは不思議そうに言った。
「どうしてですか。僕はピアノのことは素人ですけれど、見ているだけでわかりましたよ。ものすごくテクニックを必要とされるんだろうなって。そう思わない人がいるんでしょうか」

 稔がハーブ塩のかかったフライドポテトをつつきながら言った。
「あの豪華絢爛なオーケストレーションがわかり易すぎるのかなあ」
「どういうこと?」

「ベートーヴェンやチャイコフスキーだといかにもクラッシックって感じがするけれど、今日のはなんだか映画音楽みたいに軽やかに思えるメロディでさ」
「ああ、そうか。たしかに聴いていて心地いいメロディが多かったですね」

「弾いている方は、難関の連続で、心地いいどころじゃないか」
ヴィルは二杯目のビールを飲んでいる。

 拓人は大きく頷いた。
「しかも、作曲家が知られていないとなると、演奏会をしても客が入るか心配だろう。ますます誰も弾きたがらなくなって、ほとんど演奏されることがいない。いい曲なのに残念だよな」

「じゃあ、敢えてそのとんでもない挑戦をした拓人に、もう一度乾杯!」
六人はグラスを合わせて笑いながら立ち上がった。
「『ロマンティックピアノ協奏曲』を世に広める、拓人と未来の弾き手たちのために!」

 座って飲みながら蝶子がヴィルに訊いた。
「そういえば、もう一つのトライはどうなったの?」

「断られたよ」
ヴィルは肩をすくめた。
「ダメだったんですか?」
レネが驚きの声を出した。

「完全に断られたわけじゃないだろう」
拓人が言った。
「どういうこと?」
四人は拓人とヴィルを代わる代わる見た。

「一度エッシェンドルフに来てくれるそうだ」
「じゃあ、断られていないんじゃない」
真耶は首をかしげる。

「彼の下で学んだことのある若い調律師を連れてくるそうだ。そして、俺が納得したら、今後彼に頼んで欲しいと言われた」
「本人じゃなくて?」

「一度だけの調律ではなくて、しょっちゅうすることになるだろうから。その調律師はバーゼルに住んでいるので、ウィーンよりは近い。シュナイダー氏のように有名ではないから定期的に来てもらうことができる」
「シュナイダーさんと正反対で、若くてチャラチャラした性格らしいけれど、腕は彼が保証するというくらいだから確かなんだろうと思うよ」

「でも、どうして定期的に調律が必要だなんていうの? そりゃ、一度っきりというわけにはいかないけれど……」
蝶子は首を傾げた。

 ヴィルと拓人は顔を見合わせて頷いた。それからヴィルが口を開いた。
「あのサロンとベーゼンドルファーを、才能があるけれど機会の少ない音楽家たちに解放していこうと思うんだ」

「へえ……」
四人は、グラスを置いて二人の顔を見た。拓人が肩をすくめた。

「シュナイダーさんは、ヴィルに弾き手としてだけでなく、後援者としての役割を期待していると言っていた。今は、以前ほどクラッシック音楽に理解のある後援者がたくさんいるわけではないし、各種奨学金制度もサロン的な役割まではしてくれないからな」

 拓人の言葉にヴィルは頷いた。

「俺が、エッシェンドルフを継ごうと思った理由の一つが、あんたたちの音楽を道端の小遣い稼ぎだけで終わらせたくないことだと言っただろう。あの館を中心にこれまでとは違う活動をするなら、少し範囲を広げていろいろな音楽家たちをバックアップすることも悪くないんじゃないかと思ったんだ。あんたたちはどう思う?」

「賛成よ。あのサロンなら、室内楽の演奏会も問題なくできるわ」
蝶子が言った。

「そういうのの手伝いをするっていうことなら、穀潰しの俺らも、あそこにいる間になんかの役に立つかもしれないよな」
稔の言葉にレネも大きく頷いた。

 真耶がすかさず続けた。
「機会があったら、私たちも混ぜてもらいましょうよ、拓人」
「そうだな。悪くない。休暇がてらに滞在して、何か一緒に弾いたりしてさ」

「休暇といえば、今回、結城さんもエッシェンドルフに来ればいいのに」
蝶子が言うと、拓人は残念そうに答えた。
「そうしたいのは山々だけれど、来週の頭から大阪公演なんだ。ちくしょう、いいなあ、真耶。マネージメントに文句いってやる。なんで僕だけこんなに働かされるんだ」

 一同は楽しく笑った。ウィーンの古いワインケラーで旧交を温める若い仲間たちは、自らとまだ見ぬ未来の若い音楽家のために、熱い夢を語りつつ何度もグラスを重ねた。

(初出:2018年3月 書き下ろし)

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拓人が弾いたという設定のマルクスのロマンティックピアノ協奏曲は、こんな曲です。
この曲を見つけた時には驚愕しました。華やかで、なんだか少し浮ついていて、さらに実は超難解だというあたり、こんなに結城拓人のイメージに近い曲が偶然見つかるなんて超ラッキー。そんな事を考えている私はそうとうイタい作者だという自覚くらいはありますよ。

Joseph Marx - Romantic Piano Concerto in E-major (1920)


そして、聴きまくるために私がiTunesストアにて購入したのはこちらです。マルカンドレ・アムランの名演ですよ。これが家にいて14フランで買える世の中っていいですねー。お店で探したらどんなに大変か……。本当はヨーゼフ・マルクスの『ロマンティックピアノ協奏曲』だけ買いたかったのですが、敵もさる者で、この三曲はアルバムごとじゃないと買えませんでした(笑)
Korngold & Marx: Piano Concertos
Korngold & Marx: Piano Concertos
Marc-André Hamelin, BBC Scottish Symphony Orchestra
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Posted by 八少女 夕

シュニッツェルはお好き?

今日は先週行ったウィーンの話。

ウィーン風仔牛カツレツ

ウィーンは、オーストリアの首都である都会、文化の街であると同時に、グルメの街でもあるのですよね。ウィーンのグルメで外せない話題はたくさんあるのですが、今日は一つだけ。

ウィーンに行ったら一度は食べたくなるのがウィーン風仔牛カツレツ(Wiener Schnitzel)です。別にウィーン風をつけなくても特にミラノ風などが出てくるはずはないのですけれど、メニューでもそう書いてあるところが多かったです。

ドイツ語圏でシュニッツェルっていうと、特に指定しない場合は豚肉なんですよ。それ以外の肉の場合は「鶏の」とか「牛肉の」と形容詞がついていることが多いです。最近はいろいろな宗教や信条の人が日常的にレストランを訪れるので、一種類ということは少ないですが、特に何もついていなかったら豚。ただ、Wiener ウィーン風とつけたら、仔牛肉がデフォルトです。だからお値段も少し高い。

以前はものすごく有名な「フィグルミュラー」というお店に行ったりもしましたが、最近はあんな大きいものは食べきれないことがわかっているので、特に専門店には行かず、見かけて美味しそうだったら注文します。今回はステファン大聖堂の近くのレストランで見かけて頼みました。

それでも結構大きいのですけれど、薄いので完食できました。それに、スイスだとシュニッツェルにはいつもポム・フリット(ファーストフードのポテトと同じようなもの)がついてくるのですが、ウィーン風はドイツでよく見るようなドレッシング漬けのポテトサラダで、量も少なめ。この配分が助かるのです。美味しかったですよ。
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Posted by 八少女 夕

【小説】晩白柚のマーマレード

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第十四弾です。かじぺたさんは、写真と文章を使った記事で参加してくださいました。ありがとうございます!

かじぺたさんの書いてくださった記事 『晩白柚のマーマレード!(scriviamo!2018参加作品)』

かじぺたさんは、旅のこと、日々のご飯のこと、ご家族のことなどを、楽しいエピソードを綴るブロガーさんで、その好奇心のおう盛な上、そして何事にも全力投球で望まれる方です。愛犬のエドくんが虹の橋を渡ってしまったばかりで、今年は「scriviamo!」どころじゃないだろうなあと思っていたのですが、その悲しみや、お孫さんやご主人のお誕生日などのたくさんの大事な行事の間にご参加くださいました。

さて、今年はグルメ系の記事でご参加くださいました。そうなんですよ、scriviamo!は創作でなくてもOKなんです。

晩白柚はザボンの仲間で大きな柑橘類です。九州の方はよくご存知ですが、東京などではご存知ない方もいらっしゃるかもしれませんね。子供の頃に祖父母が好きで食べさせてくれたので、私にとってはとても懐かしい果物です。ああ、もう何十年食べていないかなあ。皮の部分でマーマレードができることは知りませんでした。勉強になりますね。

お返しは、今年も記事に関連した掌編小説にしました。先にかじぺたさんの記事を読まれることを推奨いたします。


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晩白柚のマーマレード
——Special thanks to Kajipeta san


 そうか。前にもらってから、もう一年経ったんだ。由夏はニコニコと笑う川元佐奈江の抱えている包みを見た。

 佐奈江の故郷である熊本県に、由夏は中学卒業まで住んでいた。佐奈江は実家から送られてくる名産品を毎年おすそ分けしてくれるのだ。
「いつもありがとう。重かったでしょう?」

「大丈夫よ。かさばるだけ。楽しんでね」
紙包みの中には直径25センチもある黄色い果物が入っている。世界最大の柑橘類である晩白柚だ。東京では、探せば大きな果物店にはあるだろうが、全ての街角にあるほどありふれた存在ではない。

 由夏は、包みを開けてそっと香りを吸い込んだ。ふんわりと漂う爽やかな甘さ。たぶん佐奈江にとってはひたすら懐かしくて嬉しい香りなんだろうなぁ。

 由夏にとっても、それは懐かしく嬉しい香りだ。けれど、そこにはいつも苦さが伴う。まっすぐな瞳をしていたスポーツ刈りの少年の、困ったような表情。彼氏というにはあっさりしすぎていた関係だったけれど、少なくとも由夏は当時、西尾亮汰と付き合っていたつもりだった。

 どうして、それを作ろうと思ったのか、由夏はもう憶えていない。彼の誕生日は三月の始めで、何かを普通に買って渡すほうが無難だったのに、彼女は晩白柚のマーマレードを手作りして彼に渡そうと思ったのだ。おそらくバレンタインのチョコレートを買ったばかりで、芸がないと考えたのだろう。

 晩白柚はとても大きな果物だが、皮の部分もとても多い。果肉はグレープフルーツくらいの大きさに収まり、残りのほとんどは白いワタの部分だ。とてもいい香りがするし、捨てるのは勿体無い。皮をお風呂に浮かべたり、砂糖漬けにしたり、再利用する。おそらく中学生だった由夏は、この再利用を考えていて亮汰にマーマレードをプレゼントしようと思い立ったのだろう。

 晩白柚のマーマレードは、普通に果肉も含めて作ることもできるが、由夏はネットで見つけた皮とオレンジジュースで作るレシピを選んだ。つまり、果肉は自分で美味しく食べて、残りで作ることにしたのだ。

「うーん。アク取りに二十四時間もかかるのか。そんなことしていたら誕生日に間に合わなくなっちゃうよ。ずっと台所を占領したらお母さんに怒られるし」
熱湯に晒して、絞ってを繰り返すことでアクが取れるのだが、要するに由夏はその作業が面倒臭かったのだ。一度だけ簡単に晒して絞って終わりにしてしまった。

 オレンジジュースと皮を煮て、ペクチンとレモンジュースも加えて綺麗な黄色のマーマレードが出来上がった。消毒した瓶に詰めて急いで蓋をして、出来上がり。可愛いチェック柄の布で蓋を覆ったら、いい感じになった。寝不足で遅刻しそうになったけれど、忘れずに持って行ったし、部活に行く直前の亮汰に急いで渡すこともできた。

 亮汰の誕生日は金曜日だったので、月曜日に学校で会った時に由夏は訊いた。
「美味しかった?」

 亮汰は、頭を掻きながら「うん。まあ」と言った。由夏は少しムッとした。もっとちゃんと褒めてよ。あんなに時間をかけて、せっかく作ってあげたのに。

「どうやって食べたの?」
「え。普通にトーストにつけて」
「そう。ヨーグルトに入れるのも美味しいらしいわよ」

「君も、そうやって食べたの?」
そう訊かれて、由夏は首を振った。瓶に入る分は熱いうちに密封してしまった。残ったら、それだけ食べようと思っていたのに残らなかったのだ。だから、試しにも食べなかった。蓋を閉めるまではとても熱かったし。

 彼の妙な表情の意味がわかったのは、由夏が東京に引っ越してきてからだった。

 亮汰には中学卒業の時に「さようなら」と言った。その後のことを約束するようなことがなかった。その時には、二人の関係はかなり微妙になっていて、どちらも引越しという形でフェイドアウトに持ち込めるのをほっとしていたようなところがあった。

 東京行きの荷物に、他の缶詰などと一緒に晩白柚のマーマレードの瓶も入れて封をした。引越しのコンテナはそれらすべてのダンボールを積み込んで、ガシャンと音を立てて閉まった。それはもう二度と戻れない世界との境界の扉に鍵をかけた音に聞こえた。

 東京での生活が始まり、慌ただしく過ぎて行った。母親は「そろそろ自分の朝食ぐらい自分で用意しなさい」と宣言したので、由夏はトーストとコーヒーを自分で用意して食べるようになった。いくつかのジャムが空になってから、晩白柚のマーマレードもあったことを思い出した。

 蓋を開けた時、晩白柚の爽やかな香りが漂った。「おお、おいしいそう!」

 でも、一口食べてみて、ぎょっとした。に、苦い。なんだこれ。

 ネットで再度調べてみたら、あく抜きを省略してはいけないと書いてあった。由夏が調べたレシピほどかからずにアク抜きする方法はあるらしい。でも、十分程度のアク抜きでなんとかなるようなものはなかった。できた時に食べてみなかったのが悔やまれた。一口でも舐めたならこの苦さがわかったのに。

 まだ、同じ学校に通っているなら、謝まって挽回することもできたかもしれない。でも、亮汰とはとっくにそれっきりになってしまっていた。

 十五年があっという間に過ぎ去った。

 由夏は、佐奈江にもらった晩白柚を切った。中身を取り出すと皮を切って、湯を沸騰させて酢を入れアク抜きを始める。一年に一度しか作らないけれど、毎年作るので何も見ずに作ることができる。丁寧に揉んで絞って、さらに時間をかけてアクを抜く。一夜明けてから、ジュースやペクチンとともに煮込んでマーマレードを完成させる。

 熱湯消毒した瓶に詰める。必ずひと匙食べて失敗していないかを確かめることも怠らない。今年も美味しくできた。固すぎるか、それともゆるすぎるかは、冷えないとわからないけれど、少なくとも食べられないということはない。

「あー、密かに期待していたのよ、由夏ちゃんのマーマレード! 今年ももらえて嬉しい。ありがとう」
翌日に会社で渡すと、佐奈江は嬉しそうに受け取った。

「どういたしまして。でも、お家からももらうんじゃない?」
「ううん。砂糖漬けはよく作ってくれるけれど、マーマレードは由夏ちゃんがくれたのを食べたのが初めてだったよ。これ、ヨーグルトによく合うのよね。大ファンになっちゃった」

 喜んでもらえるのは嬉しい。あの時の失敗を、やり直したくて毎年作るけれど、それが亮汰の口に入ることはない。彼は、由夏があのマーマレードを悔やんで、毎年作り続けていることを知ることはないだろう。もう由夏からではなくて、きっと他の素敵な人に誕生日を祝ってもらっているに違いない。

 彼をいまだに好きだというわけではない。彼にはもはや記憶の底に沈んでしまっているであろう存在であることを悲しく思うこともない。ただ、悔いだけが残っている。毎年作り、丁寧にラッピングする透明な瓶は、行き場がなくて半年もすると由夏自身が開封して食べることになる。

 そのマーマレードは苦かった。まずいと言わなかった優しい彼の、微妙な表情とともに、その苦い思い出だけが、いつまでも残っている。

(初出:2018年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ウィーンに来ました

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二年ぶりにウィーンに来ました。
今、博物館にいます。
詳しくは後ほど。
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Posted by 八少女 夕

【小説】In Zeit und Ewigkeit!

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第十三弾です。ユズキさんは、『大道芸人たち Artistas callejeros』のイラストで参加してくださいました。ありがとうございます!

蝶子&ヴィル by ユズキさん

このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない二次使用は固くお断りします。


 ユズキさんのブログの記事『イラスト:scriviamo! 2018参加作 』

ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『ALCHERA-片翼の召喚士-』の、リライト版『片翼の召喚士-ReWork-』を集中連載中です。

そしてご自身の作品、その他の活動、そしてもちろんご自分の生活もあって大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。中でも、『大道芸人たち Artistas callejeros』は主役四人を全員描いてくださり、さらには動画にもご協力いただいていて、本当に頭が上がりません。

今回描いてくださったのは、蝶子とヴィルの結婚記念のイラストです。ヴィルは、感情表現に大きな問題のあるやつで、プロポーズですら喧嘩ごしというしょーもない男ですが、ユズキさんはこんなに素敵な一シーンを作り出してくださいました。というわけで、今回は、このイラストにインスピレーションを受けた外伝を書かせていただきました。第二部の第一章、結婚祭りのドタバタの途中の一シーンです。


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物


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大道芸人たち・外伝
In Zeit und Ewigkeit!
——Special thanks to Yuzuki san


 いつの間にか、ここも秋らしくなったな。ヴィルは、バルセロナ近郊にあるコルタドの館で、アラベスク風の柵の使われたテラスから外を見やった。ドイツほどではないが、広葉樹の葉の色が変わりだしている。

 九月の終わりにエッシェンドルフの館を抜け出してから、慌ただしく時は過ぎた。主に、彼と蝶子の結婚の件で。先週、ドイツのアウグスブルグで役所での結婚式を済ませたので、社会的身分として彼はすでに蝶子の夫だった。が、彼にその実感はなかった。

 一年前に想いが通じた時、彼と蝶子との関係は大きく変わり、その絆は離れ離れになった七ヶ月を挟んでも変わらずに続いている。一方で、社会的な名称、ましてや結婚式などという儀式は、彼にとってはどうでもいいことだった。彼が急いで結婚を進めたのは、未だに彼女を諦めていない彼自身の父親の策略への対抗手段でしかなかった。

 しかし、当の蝶子と外野は、彼と同じ意見ではなく、終えたばかりの役所での結婚で済ませてはもらえない。今も、花婿が窓の外を眺めてやる氣なく参加しているのは、三週間後に予定されている大聖堂での結婚式とその後のパーティの準備に関するミーティングだった。

「おい、テデスコ。聞いてんのかよ」
見ると、稔とレネが若干非難めいた眼差しでこちらをみていた。招待客からの返事や、当日の席順、それにパーティに準備に関する希望など、ある程度の内容を固めてカルロスや秘書のサンチェスに依頼しなくてはならない。

 カルロスは大司教に面会に行ってしまったし、蝶子はドレスの仮縫いに行っている。この地域では滅多にない大掛かりな結婚式になりそうだというのに、まったくやる氣のみられない新郎に、証人の二人は呆れていた。

「すまない。もう一度言ってくれ」
それぞれのワイングラスにリオハのティントを注ぐと、ヴィルは自分のグラスにも注いで飲んだ。

「パーティの話だよ。トカゲ女やギョロ目の話を総合すると、着席の会食のあとに、真夜中までダンスパーティをすることになりそうなんだが……ケーキカットとか、手紙朗読とか、スライド上映とか、そういうのはないんだっけ?」
稔は、海外の結婚式には出席したことがないので、いまひとつ勝手がわからない。

「なんですか、手紙朗読って」
レネは首を傾げた。
「ああ、両親に読み聞かせるんだ。これまで育ててくれてありがとうとか。大抵、どっちかが泣くんだな」

 今度は稔が二人の白い眼を受ける事になった。そりゃそうだよな。あのカイザー髭の親父にテデスコがそんな手紙を読むわけないよな。

「日本って、結婚式も特殊そうですよね」
レネが言った。うん、まあ、そうかな。稔は少し悪ノリをした。
「うん、ほら白鳥に乗って登場ってのもあるぞ」

「なんですって?」
「え、新郎と新婦が、でっかい白鳥に乗ってさ、運河みたいな感じに仕立てた舞台の奥から入場するんだ」
「なんだそれは。ローエングリンか」
ヴィルは呆れて呟く。

「それはともかく、少し派手に登場するのは悪くないですよね。一生に一度のことですし。スポットライトを浴びて華やかに……ほら、パピヨンを抱き上げて登場するのはどうですか?」
「おお。そうだよな。金銀の花吹雪でも散らしながらってのはどう?」

「いい加減にしてくれ」
一言の元にヴィルは却下した。

 やっぱりダメか。そんな顔をしながら、稔とレネは顔を見合わせると、日本から来てくれる友人拓人と真耶とオーケストラとの練習準備について真面目に語り出した。

 その間にも、ヴィルの脳内には日本の結婚式に対する想像が展開されていた。紫色の明るいホールに金銀の紙吹雪が舞っている。輝く青い水が流れているその様は、生まれ育ったアウグスブルグの旧市街に縦横に張り巡らされた運河を思わせた。橋の上には白いスーツを身につけた彼がいて、美しいウェディングドレスを纏った蝶子を抱きかかえている。

 ……いや、いったい何を考えているんだ、俺は。

「おい。今度こそちゃんと聴いているんだろうな」
稔の声で我に返った。
「ああ、すまない」
ヴィルはワインを飲み干した。

「なんの話?」
戸口を見ると、蝶子が帰ってきていた。両手に何やら沢山の紙包みを抱えている。また何か買ってきたのか。

「今度は洋服や靴じゃないわよ、安心して。ほら、今夜も話し込むと思って、少しボトルを仕入れてきたの」
蝶子はウィンクした。レネはさっと立ち上がって荷物を受け取り、稔とヴィルもグラスや栓抜きを用意するために立った。

「話し合いは進んだ?」
蝶子が訊くと、稔は「まあね」といいながら肩をすくめた。相変わらずのヴィルの様子を想像できた彼女は笑った。

「とにかく、どうしても真耶たちに演奏して欲しい曲だけ、連絡すれば、あとはなんとかなるわよ。考えてみるとものすごく贅沢な演奏会とグルメ堪能会が同時に開催されるようなものじゃない? 結婚するのも悪くないわよね」

 稔とレネは大きく頷いた。ヴィルも僅かに口角をあげた。嫌々同意するとき彼はこういう表情をするのだ。蝶子は勝ち誇ったように彼のそばに来るとワイングラスを重ねた。

「ねえ。そういえば、結婚記念のプレゼント、まだもらっていないわよ」
「俺もあんたから、何ももらっていないぞ」

 憮然とするヴィルに怯むような蝶子ではない。
「あら。あなたは、生涯この私と一緒にいる権利を獲得したのよ。これ以上何が欲しいっていうの」

 ヴィルは、ちらりと蝶子を見た。稔とレネは、ここから舌戦が始まるのかと興味津々で二人を眺めた。ヴィルは、蝶子の言葉に何か言いたそうにしたが、言わなかった。その代わりに立ち上がると「じゃあ、記念に」と言ってピアノに向かった。稔はひどく拍子抜けした。

 ヴィルは、ゆっくりと構えるととても短い曲を弾いた。静かで、ちょうど秋がやってきている今のこの季節に合っていた。優しくて静かな曲だった。

 稔は、微笑んで満足そうに耳を傾けている蝶子を不思議そうに見た。それまでの挑発的な様相はすっかり引っ込んでしまった。なんだなんだ? そりゃ、いい曲だけれど、なんでこれだけでトカゲ女を大人しくさせることができたんだ?

 横を見ると、レネまでが眼を輝かせてうっとりと聴いている。稔は、そっと肘で小突いた。レネは小さくウィンクをして小声で囁いた。

「グリーグが自ら作曲した歌曲をピアノ用に書き直した作品の一つです。もともとの歌曲は童話で有名なアンデルセンの詩に曲をつけたんですよ。僕、歌ったことがあるんです。『四つのデンマーク語の歌 心のメロディ』の三曲目です。あとでネットで検索するといいですよ」

 なんだよ、そのもったいぶりは。稔は首を傾げた。氣になったので、夕食の前に言われた作品をネットで探した。すぐに出てきた。三曲目ってことは……これか。デンマーク語で「Jeg elsker dig」、ドイツ語では「Ich liebe dich」、日本語では「君を愛す」。

 E.グリーグが妻となったニーナと婚約した時に捧げた曲で、デンマーク語やドイツ語の歌詞もすぐに見つかった。テデスコはドイツ人だから、このドイツ語の歌詞を念頭に置いて弾いているのかな。どれどれ。

Du mein Gedanke, du mein Sein und Werden!
君は僕の心、僕の現在、僕の未来
Du meines Herzens erste Seligkeit!
僕の心のはじめての至福
Ich liebe dich wie nichts auf dieser Erden,
地上の何よりも君を愛す
Ich liebe dich in Zeit und Ewigkeit!
いま、そして永遠に君を愛す

Ich denke dein, kann stets nur deine denken,
君のことだけをひたすら想う
Nur deinem Glück ist dieses Herz geweiht,
君の幸福のみを祈り、心を捧げる
Wie Gott auch mag des Lebens Schicksal lenken,
どのように神が人生に試練を課そうとも
Ich liebe dich in Zeit und Ewigkeit!
いま、そして永遠に君を愛す


 ……ひえっ。なんだよ、このコテコテな歌詞は。これを知っていたら、そりゃあのトカゲ女も黙るはずだ。

 稔は、普段はぶっきらぼうなヴィルもやはりガイジンで、ヤマト民族である自分とは違う表現方法を使うことを理解して茫然とディスプレイを眺めた。


(初出:2018年2月 書き下ろし)


註・引用した歌詞は下記のドイツ語版、意訳は八少女 夕
Ich liebe dich (Jeg elsker dig)
Music by Edvard Grieg
Original Lyrics by Hans Christian Andersen
German lyrics by F. von Holstein

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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弾いていたのは、歌詞なしのピアノ曲バージョンという設定でした。これですね。


E. Grieg - Jeg elsker dig Op. 41 no. 3
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Posted by 八少女 夕

ペンギンは好きだけれど……

Pinguin

私は、なぜか白黒の動物が好きです。パンダが好きで子供の頃はランランとカンカンに夢中になりました(いつの時代だ)し、「郷愁の丘」で重要な役割を与えたくらいシマウマが好きですし、そして、ペンギンはポスターや絵を飾っているくらい好きです。で、我が家は子供がいないのでおもちゃは何もないのですが、なぜかペンギンのぬいぐるみはいくつかあるのです。

ご存知の方はよくご存知ですけれど、ぬいぐるみやキャラクターグッズを愛でても微笑ましいというような歳ではないです。日本での感覚とはまた違って、大人がキャラクターグッズを使用するようなことはほとんどない国に住んでいるので、身の回りにはさほど「かわいい」グッズが溢れない様にしています。

ペンギンのぬいぐるみも、増えない様にしているんですけれど、やはり我が家にいらした方に「あそこの嫁はペンギンの好きな子供っぽい女だ」との印象が強いのか、なぜかペンギングッズをくださる方がいるのですよ。でも、ほんとうに申し訳ないのですが、全然可愛くない、自分なら絶対に買わない様なものをくださるのです。子供が工作の時間に作った粘土細工みたいなのも含めて。せっかく持って来てくださったのでお礼を言ってしばらく飾りますが、あまりグッズがあると埃になりますし、増えすぎるとやがて処分することになります。申し訳ないのですけれど、何もかも持ち続けるわけにはいきませんし。

なぜ、こんなことを突然書き出したかというと、ニュースを読んでいて思ったんですよ。某有名アスリートの方が、好きだというぬいぐるみをたくさんプレゼントしてもらったのだけれど、その量ときたらはんぱなくて、どうやっても全部持ち帰って大切にするなんて不可能だと、だれでもわかるほどです。しかも、ほとんど全部同じ……。

連盟や他の人に頼んでいろいろなところに送ってもらい思い出だけ持ち帰るということを「森に帰りました」と表現していたようですけれど、なるほどなあと思ったんです。

で、後に記者会見でもさらにくわしくその件について聞かれて、ご本人はそうしたプレゼントをファンにもらったことを「そうやってお金を使ってもらってありがたい」「経済が回ってるんだったら、それで十分です」というようなことをおっしゃっていましたけれど、立派だなあと思うと同時に、他に言いようもないよなあとちょっと思ったんです。だから「森に帰りました」といったら、それ以上はあまり追求しなけりゃいいのにって。

私も、どんなにペンギンが好きでも、部屋がペンギンで埋まったら困るんですよ。いただいたことには感謝しても、処分せざるを得ないこともあって、それはそれで心苦しいです。さすがに私の周りには「あの粘土細工のペンギンはどこ」という様な方はいませんが、いたら今度は「南極に帰りました」と言うことにしようかと思っています。

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Posted by 八少女 夕

またブログの誕生日です

さて、本日三月二日は当ブログ「scribo ergo sum」の誕生日です。2012年に開設してからはや六年が過ぎましたか。我ながらびっくり。

Birthday

いつも足繁く通ってくださる常連の皆様、小説を読んでくださったり記事に興味を持ってくださる方に、心からの御礼を申し上げます。

なぜ一日にブログを始めなかったのかと、自分で首をかしげているのですけれど、思い返して見たら当時私は「Seasons」というだれでも載せられる商業誌に作品を載せてもらうことになって、その作者紹介のところに載せるホームページやブログがないやと思って、その場でFC2に登録してブログを始めたという経緯があったのでした。

そして、せっかくブログを作ったのだからと、恐る恐る小説を公開しだしたのですけれど、六年経ったらなぜかこういうことになっていました(笑)

毎年、このブログの誕生日を祝う記念企画として開催してきた「scriviamo!」も今年で六回目になりました。今年の参加受付は既に終了しましたが、まだお返しすべき作品がいくつか残っていますので、引き続きお楽しみください。

この「scriviamo!」、すっかり新年の恒例行事になりました。皆さんが趣向を凝らしたレベルのとても高い作品や記事で参加してくださるので、毎年とても勉強になっています。みなさんそれぞれにご事情があったり、とてもお忙しい中、わざわざこの時期に合わせてご用意くださっていることを本当にありがたく思っています。

また、今年に入ってカウンターがついに100,000を回りました。有名人でもなく、受けるジャンルの小説を書いているわけでもなく、検索にもほとんど引っかからない辺境ブログにもかかわらず、この数字を達成したのは、ひとえにマメに通ってくださる優しい皆様のおかげです。ほんとうにありがとうございます。

毎月一つの掌編を、リクエストに合わせて書いていく記念企画を開催中ですが、まだ三つほど枠が残っておりますので、ご希望の方はこちらからお申し出ください。

「scriviamo!」の作品を全て発表するまでは少し不規則なままですが、これが終了したら通常モードにもどります。即ち、小説は週一回、そのほかの記事も一回ですね。メインの連載「郷愁の丘」は六月中に完結する予定です。その後は、その続編にするか、他の長編にするか、まだ迷っています。

そして、今年は少し「書く書く詐欺」になっている作品の完結に向けて少し集中していこうと思います。って、大きいものだけでも三作品あるので、一つでも今年中に書き終えるのが目下の目標です。

派手なウルトラCとは無縁な私ですが、地味にコツコツ書いて続けて行いくことはできるので(要するに暇なんですね)、また一年間ゆるーくお付き合いいただけると嬉しいです。

どうぞよろしくお願いします。
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