ATOK買った
先日、「懐古主義にも程がある」タイプである連れ合いと話をしていたんです。「日本では昔のタイプライターは使わないのか」と訊かれて「使うわけないでしょう」と答えました。そもそもタイプライターではちゃんとした日本語は書けないという事実をよく理解していなかった模様。それで思ったんですが、外国語では変換システムって日本語ほど大事ではないんですよね。
私は狂信的なApple信者なんですが、百歩譲ってもMacの日本語変換システムは「いまいち」です。これはおそらく「アメリカ人には、日本語変換の機微はわかるめぇ」ってことなんだと思います。
不思議なことに、Macの日本語変換システムは、OSが変わるたびにものすごくよくなったり、それからいきなり陸でもなくなったりするんです。よくなったものを最悪にする意味がわからないんですが、それでもしばらく我慢していました。
具体的に言うと、OSがネコ科の動物の名前だった頃は、かなり使えたんです。でも、ネコ科じゃなくなってからどんどん使えなくなり、もう我慢できなくなりました。というのは、どんなに同じ文字を変換しても必ず変な変換が最初に来るようになってしまうんです。「学習しろ!」と何度叫んだことか。
私は、ものすごくたくさんの量を書いているので、そのわずかなイライラが我慢できない臨界点になってしまったんですね。なので、お金で解決することにしました。三月末にジャストシステムのATOKのMac用を購入したのです。あ、年度末で安くなっていましたし。
もう、エラい違いです。早く買っておけばよかった。学習能力が高いだけでなく、やはり日本人が作っただけあって、かゆいところに手が届く仕様で、候補の出方や、言い換え、仮名遣いの間違い指摘など、「こんな便利だったなんて!」と叫びたいです。
ちなみに、やたらと広告が届くのでちらっと見てみた「一太郎」にも心惹かれましたよ。残念ながらMac版はないので購入しませんでしたが、欲しい機能がてんこ盛りでした。scrivernerとAdobe inDesign、iBookの三つのアプリでなんとかやっている私の小説執筆環境ですけれど、Windowsだったら速攻で「一太郎」買ったただろうなあ。なんでMac版は作ってくれないんだろう。あったらMacで小説書く人はみな買うと思うんだけれど。
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【小説】郷愁の丘(14)期待と絶望
そもそもこの小説を書いていた時点では、ここでようやくグレッグの考えていることがはっきりとわかるという仕組みになっていたのですが、なんだか外伝をガンガン発表しすぎて、それをお読みの読者には情報ただ漏れになってしまいました。ちょっと反省。
ジョルジアが《郷愁の丘》に滞在した時に、マサイの集落に行ったことを憶えていらっしゃいますでしょうか。長老がマサイ語で何か言った意味をジョルジアが質問しました。それに対して彼はわからなかったフリをしたのですが、もちろんバッチリわかっていました。今回はその言葉のことも出てきます。
今回のシーンは、いつもなら二回に切る長さなんですけれど、内容的におそらく読者の皆さんの眼が宙を泳ぐことと思いますので、一回でさっさと終わるように発表します。
![]() | 「郷愁の丘」を読む あらすじと登場人物 |
郷愁の丘(14)期待と絶望
彼はスマートフォンを持って部屋から出てくると、キッチンの窓のところに差し出すようにしてメールをチェックした。今日の電波状態は決して悪くはなく、さほど時間がかからずにメールチェックは終わった。新しいメールは一件もなかった。
彼は、諦めきれずに再読み込みを試みたが、同じことだった。彼は画面をうつろに眺めた。最後のメールを送ってからもうじき二日だ。ケニアのサバンナとは違って、イタリアには二十四時間以上電波が上手くつながらないところなどないだろう。
彼女が返信しなかっただけだ。メールではなくて、ニューヨークに戻ってからまた手紙を書いてくれるつもりなのかもしれない。イタリアの親戚と楽しい時間を過ごしていて、僕のメールをまだ開いていないのかもしれない。それとも、土壇場になって旅行をキャンセルしたくせに、いい氣になってつまらないことを書いた僕に対して苛ついたのかも。
彼は返信済みアイコンのついているジョルジアからのメールの件名をそっと指でなぞった。たとえメールを読んだとしても、返信しなくてはならない義務はない。
一年半続いている彼女との文通はいつも郵便だった。彼は、彼女の手紙が届くと急いで開封し、何度も読んでそれからその日のうちに返信を書いた。可能ならばすぐに、それが駄目でも翌日にはイクサまで行って投函した。彼女の返信が届くのを心待ちにして、一週間ほど経つと用がなくてもイクサヘ行き私書箱を覗いた。
大学や役所からの郵便物を取り出しながら、ニューヨークからのエアメールが届かないことを恨みに思ったりはしなかった。それから何日もしてようやく彼女の筆蹟で宛名の書かれた封筒が見えると、あふれそうになる笑顔を抑え急いで車に戻った。十日以上待つことが出来たのだ。その前は、手紙どころかもう生涯関わることはないと思いながら彼女の写真集や雑誌に掲載された写真を眺めていただけの時期もあったのだ。
ジョルジアに初めて逢ったのは、三年前の春だった。リチャード・アシュレイが「マサイマラでの仕事を手伝ってほしい」と、いつものようにこちらの都合もお構いなしに電話をして来た。アメリカから来た写真家の撮影をオーガナイズする仕事だが、マサイ族の子供の写真を撮りたいので長老と話を付けてほしいというのだ。
「いつ頃?」
講義が始まる頃なら、それを理由に断る事が出来ると思った。だが、リチャードは笑って答えた。
「明日だよ。大学は春休みだから問題ないだろう?」
彼は断る口実を見出せなかったので、仕方なく出かけた。リチャードは、マディの夫であるアウレリオの親友であるだけでなく、オックスフォード時代から付き合いのある数少ない知人の一人で、研究のためにナイロビの役所や企業と面倒な交渉をする時に力を貸してほしいと彼が頼める唯一の存在だったから。
行ってみたら、その写真家が女性だったので驚いた。といっても、彼が苦手な女性らしさを前面に押し出したタイプではなくて、飾り氣がなくデニムの上下をあっさりと着ている静かな人だった。誰とでも五分もあれば親友のように話しかけるリチャードに戸惑っているようで、時おりその話を聴いていない素振りさえ見せた。彼のイメージしたアメリカ人とはずいぶんかけ離れていた。
リチャードが郵便局に寄った時に、車の中で二人だけになった。口数は多くないけれど、話していて心地がよかった。多くの女性は面白みのない彼を敬遠するか、曖昧に言葉を切ってつまらなそうに顔を背けるが、彼女はずっと彼との会話に興味を持ち続けてくれた。写真を撮るときの情熱に満ちた集中力、アテンドに対する心をこめた感謝の言葉など、彼には爽やかで好ましい印象が残った。
《郷愁の丘》に帰ってから、シマウマとガゼルのグループが川を渡るところをスケッチしていた時に、そのアメリカ人女性と調査について話した事を思い出した。それから、彼女の印象的な笑顔についても。彼は、いつもの通りに記憶に基づきそれをスケッチブックに描いた。
スケッチブックに彼女の笑顔が再現されたのを眺めて、初めて思った。ずいぶんきれいな人だと。少年のように構わない服装と、押し付けがましさの全くない空氣のような印象だけに氣をとられていたが、その先入観を取り除いて思い出すと、柔らかい物腰と優美な立ち居振る舞いが浮き上がってくる。そして、短い会話の間に、彼は一度もストレスや怖れを感じなかったことも。
こんな人がいるんだ。彼は、初めて彼女を女性として意識し、もう二度と逢う事のない彼女を理想の女神として空想する事で、一人きりの単調な生活を彩りあるものとするようになった。ティーンエイジャーが、アメリカンフットボールのスター選手に憧れるように、もしくは映画スターのファンになるように、彼はたった一度出会ったアメリカ人フォトグラファーとスケッチブックに彼が描いた笑顔をいつの間にか崇拝するようになった。
彼女の所属するアメリカの出版社《アルファ・フォト・プレス》に手紙を書き、あの時撮っていた写真集『太陽の子供たち』を購入し送ってもらった。それから発売されている他の写真集も次々と取り寄せて眺めた。彼女がアメリカで『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』に入賞したことは、リチャード・アシュレイに知らされる前に、《アルファ・フォト・プレス》から定期的に送られてくる広告入りニュースで知った。彼は、雑誌《アルファ》の受賞特集号を取り寄せた。作品はたくさん持っていたけれど、彼女の映った写真を手にしたのはそれが初めてだった。
去年の春に、調査のことで頼みがあってリチャードに連絡する必要があった。彼はもともとナイロビに出て行くつもりはなく、電話で話を終わらせたいと思っていた。けれども、二日後にまたジョルジア・カペッリが彼の事務所を訪問すると聞き、わざわざその時間帯に合わせてリチャードの事務所ヘ行った。もしかしたら、彼女の姿を一瞬だけでも見ることができるかもしれないと期待して。
本当に彼女と再会できたときの喜び。マディに頼まれてマリンディへ行くことになっていた週末に、ジョルジアが電車でモンバサに行くと話しているのを聴いて躍った心。断られて当然だと思いながら、マリンディに誘ったら、すぐに同意してもらえた時は、あまりにも嬉しくて飛び上がりそうだった。
それから、次から次へと夢のような事が起きて、映画スターのごとく非現実的な憧れの対象であったジョルジアに対して、もっと身近ではっきりとした強い感情を抱くようになった。手を伸ばせば届く距離に彼女がきてくれて、何度も親しみに満ちた笑顔を向けられた。暖かい家庭生活を思わせる手料理を振る舞われた。彼女が情熱を傾ける写真の被写体としてカメラを向けられ、魂の深淵すらも覗き込めそうな親密な私信を交わした。
その度に、心は友情の枠にはどうやっても収まらない彼女への想いに締め付けられた。
彼は、スマートフォンのライトを消すと、テーブルの上に突っ伏した。何度諦めようと自分に言い聞かせたことだろう。けれど、それは不可能だった。もう以前のような穏やかな日常を過ごす事もできなかった。
講義のための準備をしながらスライドを選べば、彼女が質問してきた時のことが浮かんでくる。調査のためにスケッチをすれば、彼女がニューヨークで彼の絵のことを持ち上げてくれたことを思い出してしまう。論文を書いてもいつものように集中できないし、一人で食事をすることもあたり前と思えない。
彼女が好きなのは、あのニュースキャスターだ。彼女が自分に求めているのは友情だけだ。どれほど言い聞かせても、心の奥底でもう一人の自分が頑に期待している。ここ《郷愁の丘》に来てくれたから。ニューヨークで一週間も時間を割いてくれたから。手紙を書いてくれたから。旅行に誘ってくれたから。
愛する人に関して、ありとあらゆる奇跡が続けて起こったから、もしかしたら世界もそんなに冷たくはないのかもしれないと思うようになった。うまく話せなかった父親とも、勇氣を出して自分から話しに行けばわかり合えるのではないかと。自分から踏み出せば、これまで上手につきあえなかった世間とも渡り合えるようになるのではないかと。
でも、何もかも僕の勝手な思い込みと期待が見せた幻だったんだ。父親に他人のように扱われ、心の奥でずっと願い続けてきたことが浮き彫りになった。僕は愛されたかったんだ。
みずから一歩を踏み出すことで、拒否されたことのトラウマから抜け出せるのではないかと思っていた。誰からも愛されることはないといじけるのをやめたかった。けれど、怯えながらようやく踏み出した一歩を父親に明確に否定されて、彼はよりどころを失った。
どうしていつもこうなんだろう。どうして僕は誰からも愛されないんだろう。そして、どうして諦めることも出来ないんだろう。両親のどちらにも家族として扱ってもらえないことに苦しみ、愛する女性からメール一つ返してもらえない存在であることに傷ついている。
ジョルジアに友達ではなくて、もっと特別な存在と思ってもらいたい。ずっとそればかり望んでいる。それを表に出せば、彼女は煩わしく思って僕と距離を置くようになるだろう。だから、わかりのいいフリをして想いを押さえ付けている。でも、いつまでこうして友達の末席を温め続けなくてはいけないのだろうか。
どうしても、他のことをする氣になれなかった。彼はその午後に人生に立ち向かう力を持たなかった。論文を書き続けることも、調査結果をまとめることも、自分の人生をこれまでのように一人で歩いていく、その道筋を整える思考を始めることも、今の彼には重すぎた。彼には夢しか残されていなかった。
夢。マサイの長老が彼に告げた言葉を思い出した。ジョルジアを連れて、マサイの村に行ったときの事だ。二人の関係を誤解している長老に、彼女は恋人ではないと説明したが長老は首を振った。
「お前は夢の中ではすでに彼女を得ているはずだ。あとは、それを現実にするだけだ」
だが、長老は知らないのだ。彼の夢が現実になった事はただの一度もない。彼は常に人生の敗者であり、夢は夢でしかなかった。子供の頃からずっと。
仲のいい両親と手をつなぎ、笑い合う夢。初恋の女性にキスをする夢。論文と研究が世間に認められる夢。久しぶりに祖父と再会する夢。生まれた瞬間から見守り親しんだシマウマがライオンの爪を逃れて駆けていく夢。そして、この一年以上繰り返し見続けている、ジョルジアに愛される夢。
彼は、テラスに出るとハンモックに載って瞳を閉じた。たった一つ、彼の望みを叶えてくれる本当ではない夢の中に逃げ込むために。
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フルコースと器の話
日本の都会では、特別な食事というのは、料理が得意でもてなし上手の方でなければ、外出がメインだと思うんですよ。安くておしゃれなレストランがいくらでもありますし。
でも、私の住んでいるところでは、そうもいっていられない事情があります。主に店と交通機関の問題です。美味しくてリーズナブルな店が徒歩圏にないんですよ。で、たとえば州都に行くとなると終電は夜の八時ですから。近くの割と大きな村でも徒歩で向かうと三十分ですし、真冬は酔い覚ましなどというレベルではなく、凍えます。
というわけで、日本にいたときはさほど家での客のもてなしをしなかった私も、何かともてなしの料理を作るようになりました。
さて、ノーアポの客はともかく、ちゃんと招待した客をもてなす場合は、一応のフルコースを作ります。と、いってもワンオペな上、客がいるときは料理ができない(テーブルについて会話をしているべき)なので、客がつく前にほぼすべての準備が終わる料理を用意します。いかに簡単で、さらにいうと労力に見合う賞賛が得られそうな味と見栄えになる、そんなテーブルを用意できるかがポイントになります。

今年のイースターに義母を招いて三人で食べた時は、こんな前菜で始まりました。下に引いている梅形のお盆はプラスチック製です。日本に帰る方にいただいたものだと思います。結婚当時に持ってきた七宝の皿に春の味覚アスパラガスの生ハム巻き、二年前に日本で買ってきたお猪口にプチカプレーゼ、奥にはタコとキュウリとパプリカのマリネをお吸い物の蓋に入れています。その隣は100均ショップで買った四角いプチ皿にチーズとソースで固めて焼いたエビスパゲティを入れてみました。
イースターなので、ニワトリのようにデコレートしたゆで卵をのぞかせたグリーンサラダを添えましたが、義母は高齢なのであまり量が多いと「メインが食べられない」ということになるので、ミニサイズです。
一つ一つはすべて一口サイズなのですが、器や作り方などの話でゆったりと食事が進むので、なんとなく豪華に食事が出てきたと思ってもらえるようです。それと、「これは食べられない」ということになった時に、たくさん種類があれば空腹のままメインを待つこともなくなりますし、残った皿を誰か(大抵連れ合い)が片づけてくれます。

さて、メインはシンプルな白いお皿で出します。というか、私はあまり食器をたくさん持たないようにしていて、どんな組み合わせでもちぐはぐにならないように、白かガラスしか買わないことに決めているのです。あ、小皿や盃の類いは色物を買います。
温かいままサーブしたい、でも、前菜を食べている間は料理に立てないということで、メインと付け合わせはオーブンに入れて保温できるものに限られます。
今回は、復活祭がテーマでしたから、仔羊にしました。ラムラックのパン粉焼きは何度も出しているので、今回はロースをバルサミコソースで出しました。そんなに手が込んでいるようには見えませんが、実は24時間ソミュール液に浸し、その後四時間オイルで低温調理をするコンフィにしたものに焼き色をつけてあるのです。(ソミュール液やコンフィって何? って話は今回は省きます。長くなりますから)
付け合わせの新じゃがは洗ってローズマリーと塩それにオリーブオイルをまぶしオーブンに突っ込んだだけのもの。にんじんはスープ、砂糖、バター、ワインで煮ました。ほうれん草は大好きなバター炒め。調理法は簡単でも三色くらいあると「まじめに付け合わせを作った」という感じになります。

で、デザートはアイスクリームだけ、という手もあるのですが、今回は「これでもか」という外見にしました。もっともちゃんと作ったのはパンナコッタだけ。かかっているのは自家製のラズベリーシロップです。イースター用に売られているウサギチョコレートと、小洒落たアソートチョコの間にオレンジを飾って色合いを整えました。ミントも買ったのですけれど、状態が悪かったのか当日はしおれた感じだったので却下しました。
使った器は、ちょうどパンナコッタを置いたあたりにカップを置く窪みがあるもので、お茶と一緒にクッキーなどを出す時に使うものみたいです。
フルコースを考える時は、どの皿をどんなときに使うのかを計画しないと、「あ。おのお皿は前菜で使っちゃった」ということになります。
私は食べることや料理自体は好きなんですけれど、人生の中で何に時間をかけたいかというメインに家事はないのですよ。だから、いかに効率的に、それらしくこなせるかを考えます。外国の方は料理に関して「器」というものをあまり考えないようなので、少しでも努力すると「おー、ジャパニーズはすごい!」的な賞賛を得られるので、励みになります。
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【小説】郷愁の丘(13)枯れた向日葵
前回ジョルジアがベンジャミンに対して話した通り、彼女は秋の休暇のためにイタリアへと向かいました。その旅に、彼女はグレッグを誘っていたようです。この間の事情は本編では今回の更新分で説明するにとどめましたが、すでに発表してある外伝「最後の晩餐」で、その話が出てきています。氣になる方は是非そちらもどうぞ。
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郷愁の丘(13)枯れた向日葵
僕が君の故郷を一緒に見て回ることをどれほど心待ちにしていたか、君に伝えられたらいいと思う。こんな形で旅をキャンセルすることになって、すべては言い訳にしか響かないだろうけれど。
ジョルジアは、ニューヨークで受け取ってから、すでに十度は読み直した手紙を再び開いた。予定では、今日はもうケニアからやってきたグレッグと合流しているはずだった。昨日、ミラノに着いたけれど、祖父母の故郷に立っている喜びは、どこか隙間風の吹く虚しさに支配されていた。
もともと一人でする予定だった旅だ。この夏の終わりに、次の休暇は北イタリアに行き祖父母の故郷を見て回る事を考えているとグレッグに書いた時に、彼女の心は半分以上《郷愁の丘》へまた行きたいと叫んでいた。けれども、どこかそれを言いだせない空氣があった。
あのアカシアの道で彼を追いかけた時から、ジョルジアの心は友情以上のものへと動いている。それは、彼がニューヨークに来た時にもっと決定的なものになった。
グレッグとの文通は、彼がニューヨークにやってきた一週間を挟んで、一年半近く続いていた。その交流で心の温度が上昇しているのは、もしかして自分だけなのかもしれないと彼女は思った。
彼の手紙は、友情に溢れていた。それ以上のことは全く何も読みとれなかった。彼がかつては自分に恋していた事があるにしても、こうして親しくなったことでその想いがただの友情に過ぎないものに昇華してしまったのではないかと、ジョルジアは訝った。
彼が、北イタリアにはいつか自分も行ってみたいと思っていると返事をくれた時に、彼女は一緒に行こうと提案した。彼がすぐにそれに同意する返事をくれた事がとても嬉しかった。計画を練り、予約を入れ、彼女は幸福に満ちて準備を重ねた。
彼は、ミラノで会うまでにメールで連絡が出来るように、携帯電話からスマートフォンに変えた。それで、ジョルジアはそれまで郵便だけだったグレッグとのコンタクトに時々メールやSMSも使うようになった。もっとも哲学的かつ神聖な心の機微を書き表すのに電子文書は冷たすぎるように思えた。だから、連絡事項や見た光景を写真としてすぐに伝えたいときを除き、二人の交流は今でも手紙が主だった。
彼から、旅行をキャンセルしなくてはならないと連絡が来たのもメールではなくて手紙だった。彼の入院していた父親ジェームス・スコット博士が、来週退院して自宅に戻り、最期の時を家族と迎えようとしている。その時に話したい事があると言われたとグレッグは書いてきた。
君とお兄さんダンジェロ氏との関係を見て、僕はいずれ自分の両親との関係をなんとかしなくてはならないと思うようになっていた。僕は拒否されるのが怖くて、ちゃんと向き合った事がなかったんだ。父が、僕と話をしたいと言ってくれたのはこれが始めてだ。そして、彼ときちんと話をする事の出来るチャンスはもう後にはないだろうから、どんなことがあっても行くべきだと思った。でも、よりにもよって君との約束と同じ日になってしまった。本当に何とお詫びを言ったらいいのかわからない。
ジョルジアは、憤慨したりはしなかった。事情から、彼のキャンセルは当然だと思い、メールですぐに彼の予約の取り消しは済ませたので心配する必要はない事、またあらためて手紙を書くと伝えた。
ミラノについてから、レンタカーに乗って一人で予定していた土地を周りはじめて、彼女はどこか上の空である自分に氣がついていた。前回のアフリカ旅行で撮りたい光景を取り損ねた事に懲りたので、今回は休暇でも愛用のNIKONや最低限のレンズやフィルターも持ってきていた。それなのに彼女はほとんど写真を撮っていなかった。光景を視線で追いながら、黙って佇む事が多かった。
彼女はバルに座って赤ワインを注文すると、iPhoneを取り出してグレッグへのメールを書いた。
グレッグ。手紙を送ると約束したけれど、あなたに私が見ているもののことを一刻も早く伝えたくて、このメールを書いているわ。ウンブリア平原、コルチャーノへ向かうなんて事はない田舎道。ゆっくりと今日という日が終わろうとしている疲れた陽射しの下に、どこまでも向日葵畑が続いているの。昼の強い陽射しに照らされて、すっかり乾き枯れていこうとしているその姿がとても印象的だわ。
お父様のお加減はいかが。お父様との限られた時間を大切にしたいと願ったあなたの決心を、私は心から支持しているのよ。私も永いこと家族と上手く話せなかったから、あなたの想いを自分のことのように理解できるの。
イタリアは、明るくて楽しい国だと想像してきたけれど、この夕暮れは静かでもの悲しいわ。たぶんあなたと《郷愁の丘》のことを考えているからね。またメールするわ。返事は無理しないで。ジョルジア
ジョルジアは、そのメールを送ってからさらに心ここに在らずの状態になった。彼に定期的なメールチェックの習慣がない事はわかっていた。たとえチェックをしたとしても、《郷愁の丘》では、時には上手く受信できない。
彼女は深いため息をついた。「返事は無理をしないで」なんて書かなければよかった。「あなたのメールを待っている」これが本音よね。
iPhoneは、彼女が読みたいとは全く思っていないメールの受信音を何度か立てた後、翌日になってようやく待ちわびていたメールを受信した。彼女はその時、コルチャーノのサンタ・マリア教会の前を歩いていた。ホテルに戻るまでに待ちきれず、日陰に移動して読んだ。
ジョルジア。昨日はずっと電波が上手く入らなかったから、すぐに返事が出来なかったことを許してほしい。今、町に給油に来て君のメールを受信したよ。思い出してくれてありがとう。君の表現はとても写実的で、まるでその場にいるように光景が目に浮かぶ。君の隣でその光景を眺めていたはずの、みずから消してしまった選択のことを思っている。
昨日、父に会ってきた。具合がそんなによくないから、これまで話せなかったすべてを語り尽くすのは無理だとわかっていた。もっとも、彼が僕に逢いたがった理由は、僕が願っていたようなものではなかった。
僕は彼が息子に逢いたがっているのだと思っていた。でも、彼にとって僕は彼の家族の権利を脅かす邪魔な人間でしかなく、呼び出した理由は彼の死後に面倒を起こさぬように釘を刺すことだった。だから、安心するように言ってまた《郷愁の丘》に帰って来た。
彼の用事は終わったし、僕は彼との関係を修復することも出来なかった。
君の信頼を失ってまで、ここに残る必要なんてなかったんだ。僕は、人生の賭けに全て破れたのだと思った。家に戻って、論文の続きに取りかかっている。少なくとも、君のお兄さんに顔向けが出来る成果を出さなくてはと、それを支えにしている。
スマートフォンという発明に感謝している。おそらく僕は君の友情を全て台無しにしてしまったのだと、それも、その価値のないものと引き換えにしたのだと、落胆し続ける時間を何週間も短縮してくれたのだから。
君のルーツを辿る旅が、楽しく実りあるものになることを願っている。そして、いつの日か君が僕にその話をしてくれることも。君がまだ僕を友達だと思っていてくれるならばだけれど。よい旅を。グレッグ
今日は曾祖父の墓参りをしてから、ペルージア在住のはとこたちを訪ねる計画があった。そこに二、三日逗留してから、祖父と祖母の出会ったアッシジに遷るつもりだった。
はとこには、到着時間を知らせる電話をしなくてはならない。今晩は夜遅くまで食べて飲んで、たくさん話をさせられるだろう。メールに返信する時間はもうないかもしれない。
ジョルジアは、もう一度グレッグのメールを開いて、返信を打とうとした。彼の文面を読みながら手が止まる。一文字も打てない。彼女には、彼の嘆きと痛みが自分のことのように感じられた。どんな思いでこのメールを打ったんだろう。私が向日葵の花を見てノスタルジーに浸っている間、彼はどんなにつらい思いであの家に籠っていたんだろう。そして、これからどのくらい。
ピッツァをかじりながら、恋人たちが通りを歩いていた。楽しい笑い声が満ちた。クラクションの音、教会の鐘、そして、街のざわめき。その楽しく幸せな街に、彼女はいられなかった。
彼女はメールを閉じると、すぐに車のところに戻った。エンジンをかけると、ミラノを目指して走り出した。
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トラブル転じて福となった話
そしてですね。近いうちにまた別記事で書くと思いますが、今年は途中でシントラへ泊まりに行き、またポルトに戻ってきていつもの「Hotel Infante Sagres」ホテルで豪華に三泊を予定していたんですけれど、とんでもないことが起こっていました。
なんと改装工事が私たちが泊まるまでに終わらなくなってしまったのです。さすがポルトガル(笑)
そこで路頭に迷ったら笑ってはいられませんでしたが、さすがにあそこまでのホテルともなるとそんなことはせず、同系列のホテルにそのまま泊まらせてくれてました。そのホテルというのが、私では到底泊まれっこない五つ星デラックスホテルだったのです。

このホテルは、「The Yeatman」といって、ドウロ河を挟んだガイア側にありポルトを望むロケーションにあります。ワインツーリズムだのミシュランだのでたくさん「最高のホテル」評価や「ホテル・オブ・ザ・イヤー」などを受賞しまくっているだけのことはあって、綺麗なだけでなくサービスもいいし食事も美味しかったです。
で、「Hotel Infante Sagres」だけでも、私には少し背伸びをした金額なので、支払いまでドキドキしていたのですけれど、ちゃんと元の値段で泊まらせてくれました。「ごめんなさい」の意味もかねてなのか、部屋のアップグレードまでしてくれたんですけれど、それを普通に予約するとどのくらいかかるのか確認したら、三泊で1000ユーロ余計にかかる部屋でした……。

「Hotel Infante Sagres」でも、毎年ウェルカムドリンクでポートワインはいただくんですけれど、こちらは部屋にボトル付き。ウェルカムドリンクは別にいただけるという徹底ぶりでした。ミネラルウォーターも毎日取り替えてくれるし、しかもこれは無料でした。
というわけで、天候の悪い時に美しいホテルの中でゴージャスな時間をのんびりと過ごすという、ものすごい贅沢をしてしまいました。
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【小説】復活祭は生まれた街で
今日の小説は、GTさんのリクエストにお応えして書きました。ご希望は『夜のサーカス』の関連作品です。
『夜のサーカス』は、当ブログで2012年より連載した作品です。イタリアの架空のサーカス「チルクス・ノッテ」を舞台に個性的なメンバーの人間模様を描いた小説で、2014年に好評のうちに完結しました。話の中心になったのはブランコ乗りの少女ステラと謎の道化師ヨナタンです。GTさんは、この作品をお氣に召して、今回のリクエストでも選んでくださいました。
あまり奇をてらわずに、GTさんのお氣に入りのヒロイン・ステラを前面に出したストーリーを考えました。四月のご希望でしたので、復活祭(パスクァ)を題材にしました。妙に食いしん坊小説になっていますが、これは、作者の脳内がこれで詰まっている、という証ですね。

【参考】
小説・夜のサーカス 外伝
![]() | 「夜のサーカス」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
夜のサーカス・外伝
復活祭は生まれた街で
ついこの間まで、季節外れの雪が降っていたというのに、今日は随分と暖かい。着てきたジャケットが暑くて、脱いで腕に持った。横を歩いている彼がふっと笑った。ヨナタンって、いつも涼しげよね。暑くないのかしら。ステラは首をかしげた。
教会の鐘が鳴り響いている。久しぶりだけにその音は格別大きかった。一昨日の聖金曜日にステラはヨナタンと一緒に彼女の生まれた町にやってきた。普段は大きな連休の時には興行する団長だが、さすがに聖金曜日から
ステラは、例年ならば一人でこの町に帰ってくるのだが、今年はヨナタンを伴った。彼は天涯孤独なので、復活祭でも帰る生家はないのだ。「嫌じゃなかったら、うちに来て復活祭を楽しんで」と誘うと「迷惑でないならぜひ」と言ってくれた。ステラはとても嬉しかった。
ヨナタンと二人で遠出することは滅多になかった。電車やバスを乗り継ぐ時間、ずっと彼と一緒だった。車窓から指さして懐かしい山や川の名前を教えるのも楽しかったし、乗り換えの話をするのですらわくわくした。
北イタリアのアペニン山脈の中腹にあるステラの故郷は、年間を通じてとても静かだ。かつてこの地を治めていたあまり裕福でなかった領主が残した城は、小さく観光客も滅多に来ないし、復活祭でも中世を彷彿とさせるパレードなどの大きな祭事はない。ごく普通のミサがあり、その後に家族でご馳走を食べるのだ。
伝統を守る人たちは、聖金曜日から肉を食べない。教会も鐘を鳴らさずに、イエス・キリストの死を悼み、救世主を死なせてしまった人間の罪の深さを思う。そして、日曜日に主の復活を祝って鐘がなると、ご馳走をたらふく食べて祝うのだ。
待ちに待った復活祭。何よりも楽しみなのは、ミサの後の午餐だ。その美味しいご馳走を誰にも文句を言わせずに、心ゆくまだ食べるために、いや、良心がとがめるのが嫌なので、ステラは町の人々に交じって復活のミサに預かる。ヨナタンがカトリックかどうかは聞いたことがないけれど、それに、普段は日曜日に教会に行ったりはしないからあまり熱心な信者ではないみたいだが、彼も特に文句は言わずについてきてミサの席に座っていた。
そして、無事にミサが終わったので、二人はステラの家へと再び向かっているのだ。少し前を母親のマリが歩いている。彼女の経営するバルの常連たちに囲まれ、楽しく話をしながら。
「あの小さかったステラが、サーカスの花型になって帰ってくるとはね」
「しかも、ボーイフレンドを連れてきたよ」
そんな噂話も聞こえてきて、ステラとヨナタンは顔を見合わせて小さく笑った。ステラの父親は、ずっと昔にいなくなってしまって、ステラはマリが女手一つで育てた。子守もいなかったので、多くの時間をマリのバルで過ごした。だから、常連のおじさんたちはみな親戚のような存在だった。
そして、このバルの片隅で食事をしていたヨナタンと、六歳だったステラは出会ったのだ。だから、ステラにとってこの町は生まれ故郷というだけでなく、愛する人との運命の出会いの舞台でもあるのだ。彼とまたここにこうして来られたのがとても嬉しい。ああ、なんて素敵な春なのかしら!
バルでもある家に着くと、常連たちと別れを告げて、マリは急いで中に入った。食事の用意があるから。ステラとヨナタンも、人びとと別れを告げて家に入る。すぐにマリの弟夫妻がやってくるから、食卓をきちんとしておかなくてはならない。ヨナタンも進んで手伝ってくれるので二人でテーブルセッティングをした。
ステラの生まれた地方は、生ハムの生産で世界的に有名だ。だから、お祝いの食事は前菜には、プロシュットが色づけされた卵と一緒に並ぶ。アーティチョーク、アスパラガスといった春の野菜、復活祭にいつも作るチーズのトルタと一緒に食べる。生ハムを薔薇のように巻いてお皿に飾りつけながら、ステラはヨナタンが子供の頃にくれた運命の赤い薔薇のことを思い出していた。
賑やかな笑い声と共にジョバンニとその妻のルチアが花を持って登場した。ステラの母親マリとジョバンニは仲のいい姉弟だが、夫妻はローマに住んでいるので会えるのは年に一度かそれ以下だ。愉快なジョバンニは、尋常でなく口数が多い。そしてルチアはいつも笑っている。二人が来るとマリの家には十人客が増えたかのように賑やかになる。ヨナタンが静かすぎるということもあるのだけれど。
マリは、ヨナタンが用意してきたワインを開けてデキャンタに注いだ。アマローネ・デッラ・ヴァルポリチェッラだ。アマローネは葡萄を半年近く陰干しする特別な製法によって作られ、濃厚な味わいが特徴だ。値段が高く贈答用などに珍重されている。ヨナタンがこのワインを選んだのは、もう一つ理由があった。復活祭に縁が深いワインだからだ。
「『最後の晩餐』でイエス・キリストが飲んでいたのは現代のアマローネみたいなワインだった」ということになっているのだ。
イエス・キリストが亡くなる前の晩に弟子たちと過ごした『最後の晩餐』は、レオナルド・ダ・ビンチの絵画でも有名だ。
「みな、この杯から飲みなさい。 これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです」
『マタイ福音書』にそう書かれていることから、キリスト教信者にとって赤ワインは特別の意味を持っている。
研究によると、当時ローマで飲まれていたワインには、腐敗を防ぎ風味をつけるために、樹木の樹脂や様々のスパイスを加えて作っていたようだ。エルサレムの街の近くで発見されたイエスの時代と近いワインの壺にはスモーク・ワインや非常に暗い色のワインとの記載があった。非常に濃厚で重いタイプのワインが好まれた可能性がある。
実際に「アマローネ」の歴史は古く、古代ローマ時代に「レチョート・デッラ・ヴァルポリチェッラ」という甘口ワインを作る過程で偶然できた糖分の少ないワインだ。本当に最後の晩餐で飲まれたワインに近い味わいなのかもしれない。
いずれにしても、普段自宅用にはなかなか手の届かない高級ワインなので、初めて恋人の家を訪れる時のプレゼントとしては悪くないだろう。
マリの用意した食事は、そのワインに恥じない美味しいものだった。
プリモ・ピアットはステラの好きなタリアテッレ・アル・ラグー(ミートソース)。パスタのゆで具合に少しうるさいステラ自身がアルデンテに茹であげた。ラグーの香りがほわんと台所に広がり、ステラはテーブルに着くまで食べるのを我慢するのに苦労した。ヨナタンに食い意地が張りすぎていると思われるのが恥ずかしかったので、なんとかつまみ食いはせずに耐えた。
ジョバンニは、すべての料理について涙を流さんばかりに感動して食べた。ステラは普段、彼の食事を作っているルチアが氣分を害さないか心配になったけれど、彼女は夫が何を言っても、まるでワライダケでも食べさせられたかのように笑っているのだった。
セコンド・ピアットは仔羊のローストのバルサミコソースがけ。仔羊肉は固くなってしまうと美味しくない。切ったら中身がピンクになっているべきだ。ステラは、まだ上手く仔羊を調理できない。いつか、自分が奥さんになる時までには、上手に焼けるようにしたいと思っていた。
「あーあ、作り方を見ておくの忘れちゃった」
ステラがため息をつくと、ジョバンニが姪の心がけが素晴らしいと褒め称え、どういうわけかルチアがけたたましく笑った。ステラがうつむいているので、ヨナタンがそっと言った。
「チルクス・ノッテに戻ったら、折を見て一緒にダリオに教えてもらおう」
ダリオは、チルクス・ノッテ専属の料理人だ。毎日とても美味しい食事を作ってくれるだけでなく、団員たちの相談にものってくれる優しい人だ。料理を習うなんて考えたこともなかったけれど、ヨナタンが一緒に習おうと言ってくれたのがとても嬉しくて、ステラもまたルチアのように楽しい心持ちになった。
デザートは、鳩の形を象ったフルーツの砂糖漬けやレーズンをたっぷりと混ぜ込んだブリオッシュ生地のお菓子コロンバと、チョコレートの卵。この卵は、本当は子供たちがもらうもので、中から小さなおもちゃが出てくる。ステラは、もうおもちゃをほしがる年頃ではないけれど、子供時代へのノスタルジーで、自分で買ってきた。
アマローネの瓶は空になり、お皿の上も綺麗に何もなくなった。マリとジョバンニとルチアが楽しく笑いながらリビングで語らっている。ステラは申し出て、ヨナタンと一緒に皿を洗った。こうやって二人で何かを作業できるのが嬉しくてたまらない。
“Natale con i tuoi. Pasqua con chi vuoi.”(クリスマスは家族と、復活祭は好きな人と)
イタリアでは、こんな風に言うけれど、家族も好きな人も全部一緒に楽しめるのって、本当に素敵! ステラは、人生の春を思い切り楽しんだ。
(初出:2018年4月 書き下ろし)
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ポルトにいます

例によって、春の旅先はポルトです。予報では雨でしたが、降る事もあれば、晴れもあって、楽しめています。
初日から買い物しまくりで、帰りの荷物が心配です。
七年も通っていると、変わる事も多くて、去年は少しガッカリもあったのですが、今年は嬉しい喜びが多いです。
その一つがカフェ・ブラジレイラが再び営業していたこと。綺麗なだけでなく、美味しかったです。
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【小説】郷愁の丘(12)先は見えないけれど -2-
前回ジョルジアは、よき友人である同僚のベンジャミンにグレッグと未だに単なる友人として文通していることを明かしました。「彼が私にとってどういう意味を持つ人なのか、自分でもわからないの」と。
ベンジャミンは、ジョルジアのトラウマの元になった事件のことも、華やかな兄や妹に挟まれた彼女のコンプレックスのことも、そして、職業人としてのジョルジアのこともよくわかっている、ジョルジアにとってはほぼ唯一無二の「友人」です。ジョルジアは、ベンジャミンとスーザンの一人息子ジュリアンの名付け親にもなっていて家族ぐるみで付き合っています。
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郷愁の丘(12)先は見えないけれど - 2 -
ベンジャミンは首を傾げた。
「どういうことだ? 好きかどうかくらいわかるだろう?」
「それは間違いなく好きよ。つまり、友人としてとか恋人としてとか、区切らないでいいのならね。とても大切な存在なの。まるで家族や、空氣や太陽みたいに身近に感じられるの。存在を失うことは考えられないくらいに」
「男として愛しているって訳ではないのか?」
「それはわからないわ」
「わからないってことがあるかよ」
「だって、本当にわからないんだもの」
それは、形容しがたい感情だった。《郷愁の丘》で彼と過ごした二週間は、ジョルジアが三十四年の人生で経験したすべてを凌駕する強烈な印象と結びついていた。
灼熱の太陽、滝のようなスコール、満天の星空、大地を切れ目なく覆う何千もの草食動物。そして、その大群が一斉に逃走する地響き、そして、彼女を捉えて離さないあの朝焼け。
彼との会話、興味深いトピック、好奇心をかき立てる多岐にわたる話題、寂しい子供時代に対する同情、世界との関わり方への共感、それらは単独でも十分に彼女の心を打っただろう。だが、全てが《郷愁の丘》という広大な舞台で繰り広げられ、より大きな感情の嵐を巻き起こした。
彼の手紙をポストの中で見つける時、そんなはずはないのにサバンナの灌木の香りが漂う。開いた手紙に綴られた彼の几帳面な筆蹟を目にすると、彼がテラスのテーブルの上で綴っていた姿と重なる。短い文節の中に、ツァボの自然の移り変わりが描写されているのを読めば、心は既にあの地に飛んで、陽炎に揺れている遮るものない地平線まで続くサバンナを眺めている錯覚に陥る。
強く激しい郷愁。それはあの土地に感じているのか、それとも、その土地の上に一人佇むグレッグその人に結びついた感情なのか、ジョルジアには判断できなかった。それほど、その二つは強く結びつき、疑うことすら許さぬほどの確かさで、彼女の魂をたぐり寄せていた。
「クロンカイトの時はあっさりと認めたじゃないか」
「だからよ。ミスター・クロンカイトに対しての想いは、はっきり恋だってわかったもの。ドキドキして、見ているだけでつらくなって、でも、テレビや写真で見かけるととても嬉しくなって。でも、グレッグに対してはそういう想いのアップダウンがほとんどないの」
「何も感じない?」
「そうじゃないわ。まるで熾っている炭火のように、ずっと暖かく続いているの。そうでなかったら凪いでいる海みたいに穏やかなの。そんな恋ってあると思う?」
ベンジャミンは肩をすくめた。
「さあね。向こうはどうなんだ? なんといっても男なんだから、同性愛でもない限りは友情だけを求めているとは思えないが」
「そこは何とも言えないわ」
ジョルジアは、言いよどんだ。ベンジャミンには話していない複雑な事情もあった。
ケニアでグレッグは好きになってしまった女性とはジョルジアのことだと言った。彼女がそれを知らずにクロンカイト氏への想いについて言及してしまったので、彼は答えを求める必要がなかった。そして、それ以来、彼はジョルジアに友人としての立場から一歩も踏み出そうとしなかった。
彼が想いを振り切ってしまったのか、それとも未だに心の内で彼女を求めているのか彼女は知らなかった。むしろ、はっきりさせるのを怖れていた。なぜならば、そのことで今の非常に近しい関係が壊れてしまうかもしれないから。彼女には、グレッグにはまだ話していないコンプレックスがあった。
「あなたは知っているでしょう。私は恋愛関係を進めたりしないほうがいいって」
「ジョルジア」
「臆病だと笑ってもいいわ。でも、恋って一人ではできないもの。ジョンが言ったことは真実かもしれないのよ」
十年以上前に、ジョルジアと恋愛関係になりかけていた男は、彼女の脇腹の広範囲に広がった痣を見て悲鳴を上げた。
「君みたいな化け物を愛せる男なんているものか」
彼の捨て台詞は、永らくトラウマとしてジョルジアの心を刺し続けてきた。人間不信を少しずつ克服しつつある今でも、肌を誰かに見せるつもりにはまだなれない。ましてやそんな形で関係を断ち切られたくはなかった。
「あんないい方を誰もがするわけではないのは知っているわ。でも、生理的にダメだと思われているかどうかは、きっとわかるでしょう。それを思い知らされるのは辛いもの。だから、このまま友情だけの仲でいる方がいいんじゃないかと思ってしまうの」
ベンジャミンは、ジョルジアの瞳を覗き込んだ。彼女がこんな話をする人間はそれほどいない。いつも通っている《Sunrise Diner》のキャシーや仲のいい常連客たちにもしないだろう。ジョンを紹介してしまった責任感に苛まれて、彼女が立ち直るまでずっと支えてきたベンジャミンは、今では同じ会社の同僚という枠を超えた友情を築いている。
彼が、それを超えた感情を彼女に抱いていることを、彼女が知ることはないだろう。だが、その想いがあるからこそ、彼は彼女がグレッグと呼ぶヘンリー・スコットと彼女の間にあるお互いに対する強い関心が、ただの友情のままで終わるとは思えなかった。彼はジョルジアに、はっきりと噛み含めるように言った。
「いいか、ジョルジア。これは僕からの忠告だ。あのくそったれのセリフなんかに君の人生を支配されたままにするな。人生は短い。その中で幸運の女神が微笑んで扉を開いてくれるのは一瞬だ。その貴重な瞬間をくだらない逡巡で見過ごすんじゃない。わかるか」
ジョルジアは、ベンジャミンの瞳を見返して、それから、ため息をついてテーブルにある小さなメニューを手にとった。そのまましばらく何も言わなかったが、やがて聞こえないほど微かな声で言った。
「そうね。あなたの意見は正しいと思うわ。今の私には、何も見えていないけれど……でも、もしそういう、はっきりとした瞬間が来たら、あなたの言葉を思い出すようにするわ」
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【小説】Once Upon a Time ...
今日の小説は、西部劇ものです。先日テレビで「ウェスタン(原題:C'era una volta il West、英題:Once Upon a Time in the West)」を観まして、ちょっとああいうのを書いてみたいなあと思ってしまったわけです。といっても、知識が足りないので、それっぽく、短めに……。
Once Upon a Time ...
乾ききった風が、赤茶けた粉塵を撒き散らしながら通っていった。
風は、いっそう無情に吹く。馬上の男は口許に咥えている小枝をぷっと吹き出した。それは土埃や他の小枝とともに、カラカラと音を立てて荒野へと消えて行った。

灼熱の日差しがようやく遮られた。ぽつんと立つ酒場だ。あるいはここなら……。男は、カウボーイハットの下から、そのハシバミ色の瞳を見せて看板を見上げた。そっと腰の辺りに手を伸ばす。彼の愛用のガンは、きちんとホルダーに収まっていて、早撃ちの瞬間を待っているようだった。
外からでも中の騒がしさを聴き取ることができた。この辺りでは唯一の酒場だ。この様子では、荒くれ者も多いだろう。

「悪いが、少し待っていてくれ」
彼は愛馬に低い声で話しかけると、柵に繋いだ。そしてスイング・ドアを押して、暗い店内に入って行った。
客たちの注目が一度に彼に集まった。よそ者を歓迎するつもりはないらしい。古い木の床はミシッと不必要に大きい音を立てた。男たちはざわつく。
彼は、まっすぐにバーへと進んだ。小柄で険しい目つきの店主がじっと彼を見つめる。バーに立っているがたいの大きい男の前にグラスを置くと、ジロリと彼を眺めた。
「注文はなんだ」

彼は臆せずにしっかりと店主を見つめて言った。
「ミルクをもらおうか」
店内が騒ついた。
「聞いたか」
「なんて注文だ」
隣に立っていた男が、あからさまに振り向く。男は、これからいつもの侮蔑が始まるのかと身構えて男を睨み返した。

「あんた、よそ者だな」
「そうだが。それが何か」
「この店ではそんな注文はご法度だ」
彼はムッとした。
「ノンアルコールを飲んで何が悪い」
「そうじゃねえよ」
荒くれ者たちが近寄ってきた。酒場に緊張が走る。
「ちゃんと種類とフレーバーを言わないとさ」
「そうそう。ミルクだけじゃ、どの家畜の乳かわかんないでしょ」
「え?」
男は隣の男の手許にあるグラスに初めて眼を向けた。
「これは、北海道の三歳の雌から絞ったジャージー牛乳に、とよのか苺を混ぜたイチゴミルク」
「しぼりたてのヤギの乳のストレートも、けっこういけるよ」
「おやっさんも忙しいんだから、ちゃんと事前リサーチして、注文方法を覚えてくれないとさ」
店の奥から、次々と新しい注文が聞こえた。
「おやっさん。『白雪姫と七人の小人のときめきハンバーグセット』をひとつ!」
「俺は『やさしい人魚姫に捧げるエビドリア』!」
なんだよ、この奇妙な店は! 男は、後ずさりをしてスイング・ドアから転がり出ると、愛馬に跨って這々の体で逃げ出して行った。
「あれ、なんで行っちゃったんだろう。こんなに感じのいい店って、滅多にないのに。よそ者って店の選り好みがうるさすぎるよね」
「ま、いいじゃん。この先80マイルくらい行けば、しょっちゅう喧嘩している、荒れた酒場にたどり着くだろうし」
立派な体格をした荒くれ者のような街の男たちは、おやっさんの作るファンシーな食事とこの辺りの酒場ではなかなか味わえない特製ドリンクを楽しみつつ、仲良く午後を過ごした。
(初出:2018年4月 書き下ろし)
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