皆既月食を見た

私は科学系ニュースの類いは基本的に日本語でインターネット経由で読むことが多いので、珍しい天文ショーなどは時間や状況が合わなくて指をくわえていることが多いのです。
しかし。今回の皆既月食は、スイスの方がずっと条件がよかったので、アラームをセットして待っていました。金曜日の夜、22時20分。しかも、夏なので観察していても凍死しません(笑)
時間になって外に出ても月は全く見えません。月食で見えないのか、場所が悪いのか首を傾げながら探していると、大家の奥さんが車で帰ってきて「月を見ているの?」と。「そうだ」と答えると「ここじゃダメよ。さっき見えたところに行きましょう」と連れて行ってくれたのです。
そう、我が家からだと山に隠れて見えない位置に出ていたのです。で、見に行くと本当に真っ赤なすごい月が。これが皆既月食かと感動しました。ひとしきり見て、満足して家に戻ると、連れ合いが「どうだった」と言うので「すごい。真っ赤だった」と興奮して話しました。で、連れ合いも見たくなったらしく出て行こうとするので、「そこじゃ見えないよ。車で行こう」とまた外に出て、今度は車の鍵をもって、二人でダッシュ。同じ所にまた行って二人で観察しました。
よく考えたら二人で満月を観たのは本当に久しぶりです。しかもスイスではこのレベルの皆既月食は数百年に一度とか。晴天で、星もいっぱいでていました。すぐ近くにあると言われた火星は、肉眼ではよくわかりませんでしたけれど。

この小さいのが、私がiPhone 5Sでなんとか撮った写真。最大にズームしてもこれでした。もっといいカメラの方は暗くて全く写らず。その分、肉眼で沢山見ましたから、いいですよね。実際は、もっとくつきり綺麗な赤い月でしたよ。
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【小説】大道芸人たち 2 (7)ミュンヘン、事務局 -2-
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -2-
蝶子が中から書類を取り出すと、稔も覗き込んだ。
「許可が取れたんだな」
「ええ、本当に六月に開催できそうよ」
二人の話を聞きつけて、奥でコーヒーを飲んでいたヤスミンが興味を示した。
「何を?」
リングの練習の手を止めてレネが答えた。
「『La fiesta de los artistas callejeros』。僕たちが計画している大道芸人の祭典なんです。第一回はバルセロナで開催する事にしたんですよ」
「バルセロナで?」
「ギョロ目が全面的にバックアップしてくれているんだ。スペイン芸術振興会バルセロナ支部の理事だしな」
稔がウィンクした。そうだった、とヤスミンは頷いた。劇団『カーター・マレーシュ』も彼に協賛金をもらっていたのだ。
「協賛してもらっているドイツの劇団は参加しなくていいの?」
「あんたたちは大道芸人じゃないだろう?」
ヴィルがコーヒーをマリサに渡しながら言った。
ヤスミンは口を尖らせた。
「あなたたちの結婚式の時に、団長たち、パントマイムで小遣い稼ぎしていたわよ。大道芸人みたいなもんじゃない」
「加わるか? 団長に訊けよ」
稔がヴィルにグラスを差し出して、ワインを注いでもらいながら言った。
「バルセロナねぇ。みんなでは行けないかもしれないわね。どうしてドイツでやらないのよ」
「男爵様が大道芸人やっているからね。マスコミがどう報道するかわからないだろ。第一回目は、ちと遠くで様子を見るんだ」
稔がウィンクすると、ヤスミンは納得してコーヒーを飲み干し、立ち上がった。
「わかったわ。明日、会議があるから、話題にしてみる。今度の六月ね」
「来週は来れる?」
レネがおずおずと訊いた。
「どうかな。公演が始まるから。あなた達は再来週には、また旅に出ちゃうのよね」
ヤスミンはちょっと残念そうに言った。
「じゃあ、来週、なんとか時間つくって、アウグスブルグに行きます」
レネはきっぱりと言った。
館にいる時間が短いので、ここに来るとヴィルは忙しい。蝶子も同様だった。フィエスタの許可が下りたとなると、事務局長を務める稔にはやる事が山のように出来た。こうやってのんびりと酒を飲んだり、英国庭園に稼ぎにいったりする時間は減るはずだ。レネもまたフィエスタの事務局として仕事を持っていたが、彼の担当の財務はそんなに忙しくなかった。まだ大した出納は行われていないからだ。ということは定休日の他にもう二日くらいレネがいなくなっても構わないはずだった。
「フィエスタの参加者たちはどうやって集めるんですか?」
マリサが稔に訊いた。
たいていの大道芸人たちは四人のようにホームベースとなる住所がある訳ではないし、連絡網がある訳でもない。前例のない第一回でどのくらいの人間が集まるのか想像もつかなかった。
「俺たちがこれから行く先々で会う同業者たちを誘うのさ。上手く行けば彼らが行く先々でさらに広めてくれる。集まりやすいのはスペインを中心に活動しているやつらだろうけど、国籍が偏るのもなんだから、フランスやイタリア、それにオーストリアでも集めたいんだよな」
「もっと北の国は?」
「ロンドンやブリュッセルにも足を伸ばしたいとは思っているのよ。時間との戦いみたいになってきたけれど……」
そういうと蝶子がワイングラスに残念そうな一瞥をして、ドアに向かった。これからマリアンと新しい使用人候補の面接があるのだ。
稔は予定表を開けた。これから忙しくなる。ヴィルたちの予定と事務局の予定、そして既に決まっている仕事の予定がバッティングしない様に心を配らなくてはならない。ずっとのんびりとやってきたけれど、これからはそうはいかない。その緊張感が心地よかった。
Artistas callejerosを結成するまでは、ただ生きていくだけで精一杯だった。それから四人で旅をするようになってからは、新しい経験で時はあっという間に過ぎ、時には問題がおこった。しかし、それらは全て解決し、ここのところ稔には少々退屈に思える事もあったのだ。
フィエスタを組織しようという話が出た時に、誰が総まとめをするかが問題になった。資金を自由に動かせ、館をホームベースとして使えるヴィルを、他の三人はまず黙って見た。
「適役はヤスだろう」
ヴィルはあっさり言った。
稔は戸惑ったが、蝶子とレネは簡単に納得した。四人での旅でも、対外的な交渉はいつも自然に稔にまわってきた。稔はそういう交渉が得意だった。
「俺はバックアップにまわる。お偉方と話さなくてはいけないことや、男爵の名前がはったりとして必要な時にはいつでも出て行くが、フィエスタそのものを牛耳るには、あんたみたいなリーダーの資質がどうしても必要なんだ」
ヴィルはそう付け加えた。
稔は自分がリーダーの素質に恵まれていると思った事はなかったが、この四人に限定して考えるなら、確かにリーダー向きだと思えるのは自分だった。それはつまり、他の三人がリーダーにまったく不向きだというだけなのだが。
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片付け中
もちろん最初の数日のようなショックは去り、メソメソすることもほとんどなくなってきていますが、何かの折に「あ、これ次に電話する時に……」などと思ってしまい、もう母がいないことに改めて愕然とすることはあります。二年も三年も逢わずに、週末に電話するだけということが日常になっていたので、普段の生活に母がいないことは慣れていたのですけれど、日本にもどこにもいないという現実を完全に受け入れるのにはまだしばらくかかるのかもしれません。
私は既に父親を亡くしているので、親を亡くすということをわかっていたつもりでしたが、そうでもなかったのですね。
大好きなアーティストStingに「Fragile」という曲があります。人間の存在がいかに儚いものであるかを歌ったものです。普段あまり意識していないのですが、この五十日はこの曲のことをよく考えました。
さて、父も母も突然亡くなったので、私もできればそうであって欲しいなあと願うようになりました。普通に元気に歩き回って、それから苦しまずにあっという間に逝くのって理想的ですよね。
でも、そうなると周りは本当に大変だろうなあと。母は、後期高齢者だったので、それなりに準備をしていたのですけれど、それでもこちらはわからないことだらけで困りました。それに今、日本の姉が猛暑の中やっている片付けの大変さがわかって、人間が一人亡くなると本当に後片付けに手間がかかるものなのですね。
それで、私は自分が亡くなった後のことを考えてぞっとしてしまいました。日本で日本人が一人亡くなるだけでもこれだけ大変なのに、私の場合は外国にいて、しかも周りは日本語がわからない人ばかり。それに、ちょっと不安になって調べてみれば見るほど、手続きもものすごく面倒くさいということがわかってきました。法律が二つ。関係省庁も二倍。今の予定では定年後の年金は二カ所からになりますし、これで住む国が変わって、国籍も変わったりしたらもっと大変なことに。たいした財産もないのですが、残された人たちの大混乱を防ぐためには、公的な遺言書を日本とスイスと両方に用意する方がいいらしいことがわかってきました。
それに、私はネット関係でもいろいろとやっているので、残された誰かが何も痕跡がなくて大迷惑することにも氣がつきました。
というわけで、遺言状の他に二カ国語でエンディングノートを用意しなくてはならない。不要な銀行口座やネットのアカウントはできるだけ今のうちに消しておくべきですし、それに始末に困るような荷物はどんどん処分して身軽にしておくべきだとわかりました。ものすごく面倒くさいです。
こういうのを老い支度っていうんだろうなあ。
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さて、このチャプター2では、これまであまり表立っていなかったメンバーが表舞台に登場するようになります。この話をご存じない方、もしくは間が空いて忘れてしまった方のための情報ですが、アーデルベルト・エッシェンドルフ男爵というのは、このストーリーの主役の一人、通常ヴィルと呼ばれている青年のことです。今回は、故エッシェンドルフ教授の、そして今は、その息子であるヴィルの秘書を勤めているヨーゼフ・マイヤーホフの視点から始まります。
長いので大体2000字になるように切りながら公開していきます。
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(7)ミュンヘン、事務局 -1-
ヨーゼフ・マイヤーホフは腹立ちを感じていた。またしても新しい外国人が居候するらしい。そもそも、エッシェンドルフの館は彼のものではないし、彼の雇い主であるアーデルベルト・エッシェンドルフ男爵が招待するのだから腹を立てるのは筋違いなのはよくわかっていた。それでも、今は亡き教授の時代の規律に満ちた館の厳粛な雰囲氣が、毎晩酒を飲んで大騒ぎする居候たちに台無しにされるのはいかにも残念だった。
今度やってくるのはスペイン人だそうだ。居候コンビの一人、例の得体の知れない日本人の恋人らしい。もう一人の居候のフランス人の恋人は、アウグスブルグ時代のアーデルベルトの友達だとかで、四人がこの館にいる時は当然入り浸っているが、少なくともこの女はドイツ人なのでいろいろと勝手がわかっている。自立したはきはきした娘で、マイヤーホフはヤスミンのことはかなり好意的に見ていた。
居候コンビのことだって、別に嫌っているという訳ではない。フランス人、レネはどちらかといえば愛すべきタイプで、論理的でなく時計に合わせた生活が出来ないという欠点はあるものの、いくら居候していても邪魔にならなかった。稔も、特筆すべき欠点がある訳ではなかった。
正直言って、マイヤーホフは稔に対する反感が自分でもよく理解できなかった。安田稔は朗らかで礼儀正しい立派な日本人で、運転手のトーマスとは歳が親子ほど離れているにもかかわらず友情で結ばれていた。アーデルベルトや妻の蝶子も稔のことを厚く信頼しており、一目置いているのがはっきりとわかった。
それが氣に入らないのかもしれない。
アーデルベルトの心はArtistas callejerosに向いている。エッシェンドルフのことよりも、四人での大道芸の生活を優先している。
彼は毎月一週間ほどこの館に戻ってきては、領地の管理や館の維持のための事務、使用人への心遣いなどをこなした。冷静で判断力があり、口数は少ないが目下のものに対する暖かさがあるアーデルベルトは上司としては理想的だった。上流階級のものにありがちな傲慢さがほとんどないのは、もともと彼がこうした贅沢な特権階級の暮らしをほとんどした事がないからだったが、子供の頃からの教授の教育のおかげで下層階級のみっともない振る舞いは一切しなかった。
彼の妻もそうだった。けれど、マイヤーホフには蝶子に関して、稔と異なりはっきりと嫌う理由があった。親子二代を色仕掛けで落とすとは! 先生が亡くなったのは、この日本の魔女のせいだ。それなのに、今、いけしゃあしゃあと女主人としてこの館に戻って来た。そして、また、アーデルベルト様を大道芸の旅に連れ回して。アーデルベルトが自分の意思で旅に出ている事は百も承知していながらマイヤーホフは、蝶子と、さらに国籍が同じというだけで稔をも逆恨みしていた。
ベルが鳴り、マリアンが玄関に出た。英語で応対している所をみると、例のスペイン女が来たのだろう。ちょうど書類を市役所に提出するために出る所だったので、マイヤーホフは階段を下りてゆき、マリアンが案内する女性とすれ違った。
金髪だった。スペイン女というので、カルメンといった風情のきつい感じの黒髪の女と想像していただけに、その若い娘の柔らかで優しい様子に意外さを持った。
マリアンが紹介をした。
「こちらはアーデルベルト様の秘書のマイヤーホフさんです。ヨーゼフ、こちらはマリサ・リモンテさん」
「はじめまして」
鈴のような声に、思わず微笑んでマイヤーホフは手を差し伸べた。
「はじめまして、お会いできて光栄です」
マリアンは、これまでマイヤーホフがアーデルベルトの仲間に対してちっとも親しみを持った初対面の挨拶をしてこなかった事を知っているので、片眉を上げて、何かを言いたそうにした。が、とりあえず沈黙を守る事にした。
階上の廊下で扉が開く音がした。四人が居間として使っているサロンだ。
「マリサ! 早かったな」
稔の声を聞いて、マリサの顔はぱっと明るくなった。
マリアンとマイヤーホフを残して、彼女は階段を駆け上がり稔のもとに行った。稔はマリサを抱きしめることもなく、キスもしなかった。久しぶりに会った恋人同士だというのに。マイヤーホフは少し驚いた。だが、マリサは満足だった。稔のこれ以上ない笑顔は多くを語っていた。義務の冷たいキスよりも、この笑顔の方がよほど多くの愛を語っている、日本人のやり方に慣れてきたマリサは既にそれを理解していたのだ。
「迷わなかった?」
蝶子が訊くとマリサは静かに首を振った。
「遠くからでもすぐにわかりました。こんなに大きなお屋敷ですもの」
蝶子は自分がはじめてこの屋敷を訪れた日の驚きを思い出して微笑んだ。マリサは鞄を探って封筒を取り出して蝶子に渡した。
「ドン・カルロスから預かってきました」
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パンのお供(7)トマト

パン食がメインなのでほぼ日常食ばかり、「インスタ映え」するような小洒落たものは、正直言ってあまり食べていません。パン切って、冷蔵庫から出してきたバターとチーズやハムを載せて、もしくはジャム塗って、というようなことが多いです。
トマトを食べる時も、本当はダイスに切って、オリーブオイルと塩こしょうで和え、ニンニクをこすりつけたトーストバゲットに載せるブルスケッタを作った方が素敵なのはわかっていますが、え〜、お客様が来ない限りやらないな。
こうして、切って、バター塗ったトーストバゲットに載せておしまいです。美味しいんだこれが。日本の超美味しいマトでなくても、トーストと有塩バターのマジックでとても美味しいトマト載せパンになります。あ、有塩バターの代わりに、オリーブオイルでも美味しいですが、その時は塩をお忘れなく。

ちょっと小洒落た感を出したいなら、こうしてハーブでも載せればOK。これはいつかご紹介したポルトガル・バジル。普通のスイート・バジルよりも葉が小さくて苦みがなく優しい味ですが、香りはしっかりバジルです。
我が家には、窓辺にハーブのプランターがあって、今年はこんなラインナップです。外にあるのがルッコラとサラダ野菜、そしてポルトガル・バジル。窓の内側には、オレガノ、ミント、ポルトガル・バジルが一つずつ鉢植えになって置いてあります。ローズマリー、ローレルは、連れ合いのところにデカい鉢で植えてあるので、一定量採ってきて冷凍してあります。パセリはどうしてもうまく育たないので、これだけは買ってきて、冷凍で常備です。あ、あと、フェンネルも野菜として買ってきた時に葉をとって冷凍しておきますね。
さて、私が書く小説は、やはり私が普段食べて「美味しいな」と思ったモノが反映されることが多いです。時々「食事の描写が美味しそう」というありがたい感想をいただくことがあるのですが、美味しさが伝わったら食いしん坊の作者としては嬉しいです。
今回のトマト載せパンに関しては、同じではないですが「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部でも登場させています。かなり緊迫した状況の直後に使ったので、このメニューについてツッコまれた方は一人もいらっしゃいませんでしたが。
「おはよう」
「おはよう」
代わり映えのしないいつもの朝だった。稔はパンを割ると、軽くトーストをして、オリーブオイルと塩と完熟生トマトをつぶしたものを載せた。ヴィルの方に、つぶしトマトの入ったポットを差し出すと黙って受け取り、同じようにトーストパンに載せて食べた。
「美味いな」
「ああ、美味い」「大道芸人たち Artistas callejeros (27)バレンシア、 太陽熱」より
スペインでは、こうした「パン・コン・トマテ」を朝食に食べる人が結構いるらしく、カルモナで休暇を過ごした時はバルでほぼ毎朝食べていました。よく考えると、同じイベリア半島でも、ポルトガルのバルでは見たことありませんね。あちらは黄色いお菓子ばかり見たな……。
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【小説】バッカスからの招待状 -13- ミモザ
今日の小説は、limeさんのリクエストにお応えして書きました。
舞台は、バッカス。あの面々が出演。
そして、話のどこかに「水色ネコ」を混ぜてください^^
私のあのキャラじゃなくても構いません。単に、毛色が水色の猫だったらOK。
絵だったりアニメだったり、夢だったり幻だったりw
というご要望だったのですが、水色ネコと言ったら、私の中ではあのlimeさんの「水色ネコ」なんですよ。やはりコラボしたいじゃないですか。とはいえ、お酒飲んじゃだめな年齢! っていうか、それ以前の問題もあって、コラボは超難しい!
というわけで、実際にコラボしていただいたのは、その水色ネコくんと同居しているあのお方にしました。それでも、「耳」の問題があったんですけれど、それはなんとか無理矢理ごまかさせていただきました。大手町に、猫耳の男性来たら、ちょっと騒ぎになると思ったので(笑)
limeさんの「水色ネコ」は、あちらの常連の皆様はすぐにわかると思いますが、初めての方は、待ち受け画面の脳内イメージは、これですよー。こちらへ。私が作中で「待ち受け画面」にイメージしていたイラストです。

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バッカスからの招待状 -13- ミモザ
その客は、少し不思議な雰囲氣を醸し出していた。深緑の麻シャツをすっきりと着こなし、背筋を伸ばし綺麗な歩き方をする。折り目正しい立ち居振る舞いなので、育ちのいい人なのだと思われるが、ワッチキャップを目深に被っていて、それを取ろうとしなかった。柔らかそうな黒い前髪と後ろから見えている髪はサラサラしているし、そもそもこの時季にキャップをつけているのは暑いだろう。ワッチキャップはやはり麻混の涼しそうなものだから、季節を考慮して用意したものだろう。きっと何か理由があるのだ、たとえば手術後の医療用途といった……。
夏木は、カウンターの奥、彼が一番馴染んだ席で、新しい客を観察していた。店主の田中は、いつものようにごく自然に「いらっしゃいませ」と言った。
今晩は、カウンターにあまり空きがなく、夏木は言われる前に隣に置いた鞄を除けた。田中は、申し訳なさそうに眼で合図してから、その客に席を勧めた。
「ありがとうございます」
若々しい青年だった。
その向こう側には、幾人かの常連が座っていて、手元の冊子をみながら俳句の季語について話をしていた。
「ビールや、ラムネってところまでは、言われれば、そりゃ夏の季語だなってわかるよ。でも、ほら、ここにある『ねむの花』なんていわれても、ピンとこなくてさ」
「ねむって植物か?」
「たぶんな。花って言うからには」
タンブラーを磨いて棚に戻しながら田中は微笑んだ。
「ピンクのインクを含ませた白い刷毛のような花を咲かせるんですよ」
「へえ。田中さん、物知りだね」
「じゃあさ、この、芭蕉布ってのはなんだい?」
「さあ、それは……」
田中が首を傾げるとワッチキャップを被った青年が穏やかに答えた。
「バナナの仲間である芭蕉の繊維で作る布で、沖縄や奄美大島の名産品です」
一同が青年に尊敬の眼差しを向けた。彼は少しはにかんで付け加えた。
「僕は、時々、和装をするので知っていただけです。涼しくて夏向けの生地なんです」
「へえ。和装ですか。風流ですね」
夏木が言うと、彼は黙って肩をすくめた。
「どうぞ」
田中が、おしぼりとメニューを手渡し、フランスパンを軽くトーストしてトマトやバジルを載せたブルスケッタを置いた。
青年は、メニューを開けてしばらく眺めたが、困ったように夏木の方を見て訊いた。
「僕は、あまりこういうお店に来たことがなくて。どんなカクテルが美味しいんでしょうか」
夏木は苦笑いして、『ノン・アルコール』と書かれたページを示して答えた。
「僕は、ここ専門なんで、普通のカクテルに関してはそちらの田中さんに相談した方がいいかもしれません」
彼は、頷いた。
「僕も、飲める方とは言えませんね。あまり強くなくてバーの初心者でもある客へのおすすめはありますか」
田中は、にっこりと笑った。
「そうですね。苦手な味、例えば甘いものは好まないとか、苦みが強いのは嫌いだとか、おっしゃっていただけますか」
「そうですね。甘いものは嫌いではないのですが、ベタベタするほど甘いものよりは、爽やかな方がいいかな。何か、先ほど話に出ていた夏の季語にちなんだドリンクはありますか?」
緑のシャツを着た青年はいたずらっ子のように微笑んだ。
田中は頷いた。
「ミモザというカクテルがあります。そういえばミモザも七月の季語ですね。カクテルとしてはオレンジジュースとシャンパンを半々で割った飲み物です。正式には『シャンパーニュ・ア・ロランジュ』というのですが、ミモザの花に色合いが似ているので、こちらの名前の方が有名です」
「おお、それは美味しそうですね。お願いします」
ポンっという音をさせて開けた緑色の瓶から、黄金のシャンパンがフルート型のグラスに注がれる。幾千もの小さな泡が忙しく駆け回り、カウンターの光を反射して輝いた。田中は、絞りたてのカリフォルニア・オレンジのジュースをゆっくりと注ぎ、優しくステアしてオレンジスライスを飾って差し出した。
「へえ、綺麗なカクテルがあるんだねぇ」
俳句について話していた常連の一人が首を伸ばしてのぞき込んだ。
「面白いことに、本来ミモザというのはさきほど話題に出たねむの木のようなオジギソウ科の花を指す言葉だったのが、いつの間にか全く違う黄色い花を指すようになったようなんですよ。その話を聞くと、このカクテル自体もいつの間にか名前が変わったことを想起してしまいます」
「へえ、面白いね。俺も次はそれをもらおうかな」
もう一人も言った。田中は、彼にもミモザを作り、それから羨ましそうにしていた夏木にも、ノン・アルコールのスパークリングワインを使って作った。
待っている間に、緑のシャツの青年が「失礼」と言って腰からスマートフォンを取り出した。どうやら誰かからメッセージが入ったようだ。礼儀正しく画面から眼をそらそうとした時に、待ち受け画面が眼に入ってしまった。
水色のつなぎを着た、とても可愛い少年が身丈の半分ほどある雄鶏を抱えていた。瞳がくりくりとしていて、とても嬉しそうにこちらをのぞき込んでいる。つなぎは頭までフードですっぽりと覆うタイプなのだが、ぴょこんと耳の部分が立っていてまるで子猫のようだ。夏木は思わず微笑んだ。
青年と目が合ってしまい、夏木は素直に謝った。
「すみません。見まいとしたんですけれど、あまりに可愛かったので、つい」
そういうと青年はとても嬉しそうに笑った。
「いや、構いませんよ。可愛いでしょう。いたずらっ子なんですけれど、つい何でも許してしまうんです。最近メッセージを送る方法を覚えまして、時々こうして出先に連絡してくるんです」
そういうと、また「失礼」といってから、メッセージに急いで返信した。
「一人で留守番させているんですけれど、寂しいのかな。急いで帰らないと、またいたずらするかな」
「オジギソウとミモザみたいに、混同されている植物って、まだありそうだよな」
青年の向こう側で俳句の話をしていた二人は、田中とその話題を続けていた。
「この本には月見草と待宵草も、同じマツヨイグサ属だけど、似ているので混同されるって書いてあるぞ。どちらも七月の季語だ」
「どんな花だっけ」
「ほら、ここに写真がある。なんでもない草だなあ」
「一重の花なんだな。まさに野の花だ。白いのが月見草で、待宵草は黄色いんだな。そういえば、昔そういう歌がなかったっけ」
「待~てど、暮らせ~ど、来~ぬ人を……」
「ああ、それそれ。あれ? 宵待草じゃないか」
田中が、笑って続けた。
「竹久夢二の詩ですね。語感がいいので、あえて宵待草にしたそうですが、植物の名前としては待宵草が正しいのだそうですよ」
その歌は、夏木も知っていた。
「待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草の やるせなさ 今宵は月も 出ぬそうな」
日暮れを待ちかねたように咲き始め、一晩ではかなく散る待宵草を、ひと夏のはかない恋をした自分に重ね合わせて作った詩だとか。
夏木は、隣の青年がそわそわしだしたのを感じた。彼は、スマートフォンの待ち受け画面の少年を見ていた。にっこりと笑っているのに、瞳が悲しげにきらめいているように感じた。
青年は、残りのミモザ、待宵草の色をしたカクテルを一氣に煽った。それから、田中に会計を頼むと、急いで荷物をまとめて出て行った。帰ってきた青年を、あの少年は大喜びで迎えるに違いない。
待っている人が家にいるのっていいなあと、夏木は思いながら、もう一杯ノン・アルコールのミモザを注文した。
ミモザ(Mimosa)
標準的なレシピ
シャンパン : 1
オレンジジュース:1
作成方法: フルート型のシャンパン・グラスにシャンパンを注ぎ、オレンジ・ジュースで満たして、軽くステアする。
(初出:2018年7月 書き下ろし)
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イクメン・エンテ

以前は、この池では雄の顔が緑で「デコイ」っぽい外見のマガモしかいなかったのですが、いつの頃からか白いアヒルがかったカモが住むようになりました。
野生のカモのように見えますが、どうやら近くの農家が飼育している状態で、毎年夏に増えてはクリスマスの時季になるとパタッと数が減る、おそらく一定数お皿にのってしまっているのではないかと思われます。
そして、白いカモは少し体が大きく、今では交雑の結果、純粋なマガモっぽい個体と、アヒルっぽい個体、その間のあらゆるバリエーション、おそらく合鴨なんだろうなという個体が同居しています。どっちにしてもドイツ語では「エンテ」です。
さて、アヒルっぽい白い個体の血が濃く出た雛は黄色になります。マガモっぽい個体は茶色です。明らかに黄色い方が目立つので猫などに襲われやすくなるようです。それとも、自然の摂理がそうなのか全体的に黄色い雛の数は茶色い雛より少ないのです。
今年見かけたのは、白い雄と体の小さいマガモっぽい雌のカップルです。このカップル、前からそうだったんですが、妙に雄が雌を追い回していました。もともとカモはカップルで行動することが多いのですけれど、あんなに雌の後を追い続けている雄も珍しいと思って見ていたんですよ。
そして、二匹の雛が孵ったのですけれど、それから驚きました。ずっと家族で育児しているんです。

普通、雛が孵った後は、雄は離れていることが多いんです。この写真のように、雌だけが雛にぴったり寄り添って育児をしている姿を見慣れていました。ところが、雌を追い回していた白い雄は、ずーっとそのまま育児でも雌と雛たちに寄り添っています。雛たちは二匹しかいないのですがどちらも父親の色を受け継いだ黄色い子たち。
日本人みたいに「育児をするのなんて父親として当然でしょう。イクメンとかいって威張らないで!」という話でもないんでしょうが、変わったエンテ家族の姿に、通りかかるたびに癒やされている私です。
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【小説】リゼロッテと村の四季(4)嵐の翌日
今回で、主要キャラクターは全部揃ったかな。今回はジオンやドーラが出ていません。その代わりに前回初登場したハンス=ユルクが再登場しています。
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リゼロッテと村の四季
(4)嵐の翌日
目が醒めて最初にすることは、窓辺に行き外を見ることだ。カンポ・ルドゥンツ村は、驚くほど晴天が多い。たとえ夜中に激しい雨が降っていても、目が醒めるとたいてい晴れ渡っているのだ。
リゼロッテは、この村の激しい雷雨に慣れてしまった。もちろんデュッセルドルフでも雷雨は経験した。今よりも小さい子供だった彼女は、びっくりして母親に抱きついて助けを求めた。
「リゼロッテ。何も怖いことはないのよ。あれはただの電氣なの。もし雷が直撃してもこの家には避雷針があるから、それを通って地面に電流は逃げていくのよ。それに光った時と音がした時が一緒ではないでしょう。それは雷が落ちた所が遠い証明なのよ。光の方が音より早く進むから」
医者であった母親は、とても論理的な話し方をした。
「どのくらい遠いの?」
「音がしてから何秒かかったによるのよ。10秒かかったなら3.5キロ以上離れていることになるわ」
この村に来てから、雷雨に怯えても飛び込んでいくことのできる母親も父親もリゼロッテの側にはいなかった。夜に同じ館で眠っていたのは、ずっとヘーファーマイアー嬢と番犬のディーノだけだった。ヘーファーマイアー嬢のベッドに駆け込むくらいなら、布団をかぶって耳を塞いでいる方がずっといい。三週間前に彼女が急遽デュッセルドルフに帰ってからは、家政を手伝っているエグリ夫妻が泊まり込んでいたが、彼らの部屋に飛んでいくこともなかった。
本当はもっと怖がってもおかしくなかった。雷はずっと近くに落ちるから。母親との記憶に従って計算すれば、この村で経験した一番近い雷は700メートルくらいの所に落ちたことになる。それになんてすごい雨なんだろう。屋根を激しく打つ大粒の雨。窓の外を滝のように流れていく。青白く光る稲妻と、すぐに聞こえてくる「バリバリッ」というものすごい音。リゼロッテは、山の天候が変わりやすいということを、身を以て体験した。
それなのに、泣いても怖がっても、お母さんはもういないんだと、冷静に思っている自分に驚いた。
「あいつは、お前を捨てて、男とともにアメリカに行ってしまったのだ。もうお母さんのことは忘れなさい」
父親に言われた言葉は、彼女の心にまだ突き刺さっている。そして、父親も一緒にここには住んでくれず、デュッセルドルフにいる。仕事があるから。
「嬢ちゃま」
ドアの外でノックに続いて、カロリーネ・エグリの声が聞こえた。
「なあに?」
「いや、雷が怖くありませんかね」
「大丈夫よ。あれはただの電氣なんでしょう」
カロリーネは、十一歳にしてはませた返事をする少女に驚いたらしいが、ドイツ人というのはこういうものなのだろうとひとり言を呟いてから、ホッとしたように言った。
「そうですか。安心しました。お休みなさいまし」
リゼロッテは、村の子供たちは泣いているのかもしれないと思った。ジオンは「雷なんてへっちゃらさ」と言いそう。でも、教会学校でめそめそしていたルカ・ムッティあたりは、お母さんのベッドへ駆け込んでいるのかもしれない。そんなことを考えているうちにうとうとして、目が醒めたらもう朝だった。
リゼロッテは、窓の外を眺めた。周りの樹々が雨の雫でキラキラと輝いている。そっと窓を開けると、風とともに湿った樹々の香りが室内に入り込んできた。世界がとりわけ美しく感じられる瞬間、彼女は昨夜ひとりでいることが寂しかったことも忘れて、この村で過ごす幸せを感じた。
部屋に用意された陶器製の大きい洗面器は、黒い金属製のどっしりとした枠におさまっている。大人ならば屈む必要のある高さだが、小柄なリゼロッテにはちょうど胸の位置に洗面器が来た。下の枠に入っている陶器の水差しから自分で水を注ぐのは重くて難しいので、前夜にカロリーネが入れておいてくれる。
リゼロッテは、顔を洗い、リネンのタオルできちんと拭うと鏡の前で髪を梳いて後にまとめた。リボンを綺麗に結ぶのは出来ないので、それだけはカロリーネにしてもらうのだ。用意されていたさっぱりとした普段着を身につけると、朝食をとるために階下へと降りて行った。
「おはようございます、嬢ちゃま。よく眠れましたか」
「お早う、カロリーネ。ぐっすり眠れたわ。外、とても綺麗ね」
「そうですね。後で一緒に散歩に行きましょうね」
リゼロッテは、嬉しそうに頷いた。ヘーファーマイアー嬢のいた時には、外が綺麗だろうと関係なく、いつも午前中は書斎で課題を解かなくてはならなかった。今は、代わりに週に3回ほど牧師夫人であるアナリース・チャルナーが通ってきてくれるのだが、その分リゼロッテはカロリーネとおしゃべりをしたり今まで行ったことのない村のあちこちに行くことが出来ているのだ。
はじめは2週間だけと言って帰っていったヘーファーマイアー嬢はもう3週間も戻ってきていなかった。リゼロッテは、そのことを全く残念に思っていなかった。
「嬢ちゃま。綺麗に召し上がりましたね。ミューズリーをもう少しいかがですか」
カロリーネは訊いた。この家にきたはじめの頃、リゼロッテは朝食を全て食べ終えることが出来なかった。デュッセルドルフにいた時には、ライ麦などの色の濃いパンと白い丸パン、ソーセージにハムとチーズがあり、さらにマーマレード、そして、卵料理が用意された。女中のウーテが温めた皿の上に載せた目玉焼きやオムレツを運んでくると、リゼロッテはそれが冷めないように他の何を置いても卵料理に取りかからなくてはならなかった。あまりお腹の空かないリゼロッテは、いつもそれでお腹いっぱいになってしまって好きなマーマレードを食べる余裕がなかった。
スイスでは、朝温かい料理を出す習慣がないのだそうだ。だから、リゼロッテの父親が滞在してわざわざ注文しない限り卵料理が出ない。その代わりにジャムのたっぷり入ったヨーグルト、何種類かのジャムや蜂蜜、それに薄く切ったチーズがテーブルに載っていた。どれも冷たい料理なので、リゼロッテは今日はこのジャム、明日は蜂蜜と食べたい味を試せるようになって嬉しかった。
ヘーファーマイアー嬢がドイツに帰ってからは、カロリーネがリゼロッテの食事について責任を持つことになった。彼女はヘーファーマイアー嬢がドイツらしさにこだわりすぎて、リゼロッテの嗜好や健康状態を無視していることを快く思っていなかったので、任されてからは自分の三人の子供たちを育てた経験と勘に従って彼女にスイス式の食事を用意してやった。そして、リゼロッテはついに自分の前に用意された朝食を全て平らげたのだ。
「ありがとう、カロリーネ。でも、もうお腹いっぱいだわ。この後、本当にお散歩に行けるの?」
リゼロッテは期待に満ちて訊いた。カロリーネは笑った。
「おやまあ。それをお待ちでしたか。じゃあ、ここを片付けたらすぐに参りましょうね」
ディーノは散歩に連れて行ってもらえるのが嬉しいようだった。短い尻尾をしきりに振りながら門の前をぐるぐる回った。この犬は、
ヘーファーマイアー嬢と違い、カロリーネもロルフも、犬と触れ合うことが教育によくない、もしくは不潔で危険だという発想を持たなかったので、リゼロッテは心ゆくまでディーノをなでたり、散歩で一緒に駈けたりできるようになった。ジォンが茶色い小さな犬と楽しく触れ合っているのを見て心から羨ましく思っていた彼女は、ようやく夢の一つが叶ったと感じていた。
ディーノの首紐を握ってもいいと初めての許可をもらったリゼロッテは有頂天だった。ディーノも仲良くなったリゼロッテと遊べることが嬉しいらしく、大きく尻尾を振りながら張り切って道に躍り出た。
真っ青な空が眩しい素敵な朝だった。濃い緑の木々が穏やかに葉を鳴らす。昨夜の嵐の名残である水分をたっぷりと含んだ風を送り出す。リゼロッテは、小高い丘の上にある屋敷から転がるように走り下るディーノを追うような形で、森の合間を流れるライン河沿いの道へと向かった。
カロリーネは、いつものようにのんびりと後から歩いてくる。途中で出会った近所の夫人たちと挨拶を始めるのだが、そこからがいつも長くなってしまうのだ。リゼロッテは、待つよりもディーノと少し先まで進み、また時々戻ってくることを好んだ。
ライン河といっても、この辺りはまだ上流に近くたいした川幅ではない。嵐の翌日は水量が多く轟々と音を立てている。水もいつもの青灰色ではなくてヘーゼルナッツペーストのような茶色だ。時おり魚がぴしゃんと音を立てて跳ね上がる。なんて楽しいんだろう。こんな素敵な朝、書斎に籠もって勉強ばかりしているなんてつまらない。
「あ!」
道を横切ったのはふわふわの尻尾を持った茶色いリスだった。ディーノは大喜びでリスを追いだした。
「だめよ、ディーノ!」
あまりの急突進で、思わず革紐から手を離してしまった。リスを追って犬は森の中に入っていく。カロリーネがまだ近くにいないことを見て取ったリゼロッテは、ディーノを追わないと見失うと思い、いつもは行かない森の中に足を踏み入れた。
下草は濡れていた。絹の靴下を通してひやりとする感触が広がる。
「ディーノ! 待って!」
リスはあっという間に木に登って逃げてしまったので、犬はその木の下で吠えていた。リゼロッテは革紐をしっかりとつかむと、ほっとして大きく息をした。
「ディーノ。もう。こんなに濡れちゃったわ。早く戻りましょう」
そう言った途端、ディーノの先、もう少し先を歩けば、いつも通る橋があることに氣がついた。
「まあ。ここは近道だったのね。じゃあ、そっちに行きましょう」
彼女は、橋の前にやってきた。端を渡ろうとすると、向こうにいた何人かの少年たちが「おい!」と叫んできた。
河はとても大きな音を立てて流れていたので、リゼロッテは渡ってはいけないのかと思い、ディーノを引っ張って止めた。
その少年たちは、日曜学校で見かけた少年たちではなくて、一度も見たことがない。見ると、一人の少年が石を拾ってこちらに投げようとしだした。リゼロッテはショックを受けた。まだ何もしていないのに。その時、リゼロッテの後ろから、誰かが走って追い越すと橋を渡りだした。
それは、やはりリゼロッテの知らない少年だった。その少年も石を持っていて、向こうの少年たちに向かって投げつけていた。ディーノは興奮して争う少年たちに吠えかけている。
リゼロッテを追い越した少年は、向こう岸の少年たちよりも背が高く力もありそうだった。少年たちは反撃に必死だった。リゼロッテはディーノを止めるのに必死になりながら、どうしようかと途方に暮れた。
「やめたまえ!」
また後ろから声がして、別の少年がやってきた。
「あ」
今度はリゼロッテの知っている少年だった。教会学校で紹介された時、チャルナー牧師夫人が「わからないことがあったら訊いてね」と言ったあの背の高いハンス=ユルク・スピーザーだ。
彼は落ち着いて橋を渡り、乱闘中の少年たちに近づいた。
「ち。スピーザーだ」
少年たちは喧嘩をやめた。
「何をしている」
ハンス=ユルクが背の高い少年と、向こう側の少年たちの間に立つと冷静に質問した。小さい少年たちは、口々に訴えだした。
「僕たちが始めたんじゃないぞ。こいつが先に石を握って襲ってきたんだ」
「それに、そもそもそいつが、俺たちの村の秘密基地に入り込んで荒らしたんだ。だから文句を言いに来ただけなのに」
背の高い少年は何も言わずに立っていた。ハンス=ユルクは、背の高い少年を振り向いて訊いた。
「本当なのか、マルク」
「俺は、悪口を言った生意氣なガキどもをちょっと懲らしめただけだ。お前には関係ないだろう。裁判官みたいな顔すんなよ」
マルクと呼ばれた少年は、憎々しげにハンス=ユルクを睨むと、また橋を渡ってこちら側へ走り、リゼロッテの脇を通って森へと入っていってしまった。
「畜生! 逃げられた!」
少年たちが口々に叫ぶと、ハンス=ユルクは「やめなさい」と言った。
「でも……」
「挑発には乗るな。石を投げるような喧嘩はだめだ」
冷静に諭されて、小さい少年たちは少しだけ反省したようだった。
「なんでイェーニッシュの味方をするんだよ。あいつがカンポ・ルドゥンツに住んでいるからか」
一番血氣盛んな少年がハンス=ユルクに食いかかったが、彼は首を振った。
「どこの村に住んでいるかは関係ない。そんな喧嘩の仕方は、時にとんでもない事故に繋がる。見過ごすことはできないよ。基地を荒らされた件は氣の毒だけれど、もし盗難があったなら、ちゃんと親を通して問題をはっきりさせるべきだ。それにこんな河の増水している時に、橋で喧嘩するのもやめた方がいい。三年前に、この橋が流されたのを忘れたのか」
ハンス=ユルクの意見をもっともだと思ったのか、小さい少年たちはブツブツ言いながらも、向こうへと去って行った。ハンス=ユルクは、橋を渡って戻ってくると、リゼロッテに手を上げて挨拶した。「やあ」
「おはよう。どうなるかと思って心配していたわ。喧嘩の仲裁に来たの?」
リゼロッテは、訊いた。
「いや。僕は、その先でカロリーネに逢ったんだ。君と犬の姿が見えないからって心配していたんで、二手に別れて探しに来たんだよ」
リゼロッテは驚いて顔を赤らめた。
「まあ。ありがとう。ディーノがリスを追いかけて違う道に来てしまったの。すぐに帰ればよかったわ」
「大丈夫さ。ほら、あちらからカロリーネがやってくる。でも、喧嘩に巻き込まれないでよかったよ」
リゼロッテはハンス=ユルクに促されて、一緒にカロリーネの方へと歩き出した。
「さっきの人たちは?」
「あの少年たちはサリスブリュッケの子供たちだよ。喧嘩していたのは、カンポ・ルドゥンツに住んでいるマルク・モーザーだ」
「まあ。嬢ちゃま、心配しましたよ。どこにいらしたんですか」
「ごめんなさい。ディーノが、そこの森を突っ切ってしまったの。急いで戻るべきだったのに、喧嘩があって……」
「ああ、すれ違いましたよ。モーザーがまた……。本当に困った子だこと」
カロリーネは眉をひそめて、マルクが去った方向を眺めた。またってことはしょっちゅうなのかな……。リゼロッテは考えた。カンポ・ルドゥンツ村の子供だというのに、教会学校にも来ていなかったなと思った。
(初出:2018年7月 書き下ろし)
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パンのお供(6)カレー

レトルトパックを開封する時は別として、カレーって大抵お鍋に残りますよね。二日目のカレーは美味しいって言いますけれど、三日目になったりすることも。それも、一食分にもならない変な量が残ることがあります。
そんな時によくやるのが、バターたっぷりのトーストと一緒に食べることなんですけれど、これって皆さんもやるのでしょうかね。ジワッと染みた塩入バターとカレーがとても合うんです。
ちなみに、写真に映っているのは、我が家の普通のカレーです。こちら、いわゆるカレールウというものがないので、カレー粉を炒めるところから全部自分で作るんですけれど、どういうわけか日本のカレーのような濃いめの茶色にはならないんですよね。あれって何の色なんだろう?
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