『郷愁の丘』を一部翻訳していただきました
そして、その記念リクエストを募集してくださったのです。このリクエスト、ブログで発表している小説の一部を英訳してくださるという、英語の堪能なけいさんらしいすごいプロジェクトなんですけれど、こんな機会は滅多にないと、虎視眈々と狙ってしまいました。そして、無事にゲットしてお願いしました。
金曜日に発表してくださったので、小躍りして拝見してきました。とても繊細に正確に、かつ、私の伝えきれていない所もちゃんと英語にしてくださっているんですよ。けいさん、本当にありがとうございました!
けいさんの 翻訳のある記事 「The Nostalgic Hill」英語翻訳 (60000HIT・2)
ちなみにお願いしたのは、『郷愁の丘』からの一節です。
読んでくださった方は憶えていらっしゃるかな。グレッグの援助に口添えするためやってきたパーティでジョルジアが、久しぶりに逢った兄マッテオ・ダンジェロに小っ恥ずかしいほどの絶賛をされてしまうシーンです。
「え? あなたたちが兄妹?」
「そう。僕の本名は、マッテオ・カペッリなんだ。僕には自慢の妹が二人いるんだよ」
満面の笑顔でそういうと、再び愛しそうにジョルジアを見つめて賞賛の言葉を発した。
「ああ。僕の愛しい妖精さん! 今宵はまた一段と美しいね! この緑はエル・グレコの絵で聖母が纏っていた色だね。本当にお前によく似合っているよ。もし天国に森があるとしたら、お前のように輝かしく優美な天使が待っているに違いないよ。それに、僕の贈った真珠を使ってくれているんだね。とても嬉しいよ」
ジョルジアは、先ほどグレッグがドレスの同じ色についてたったひと言で済ませたことを思い出して、思わず笑った。『郷愁の丘』(11)君に起こる奇跡 より
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【小説】大道芸人たち 2 (10)バルセロナ、フィエスタ -2-
さて、今回の『La fiesta de los artistas callejeros』で四人が披露した音楽は、第一部の執筆当時に私が聴きまくっていたクロード・ボリング(ボーラン)の『ピクニック組曲』でした。この人の音楽にはよくフルートが使われるのですけれど、アルバムで演奏しているのはジャン=ピエール・ランパル、日本の童謡のアルバムを出す親日家です。もちろんそのアルバムも買ってしまった私です。脳内では、勝手に蝶子やヴィルのヴィジュアルで演奏を聴いてしまうあたりが、またイタいんだな、これが。
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(10)バルセロナ、フィエスタ -2-
五日間続くフィエスタは、最高の天氣に恵まれた。会場にはたくさんのテントが張られ、メインステージでは各国からの芸人たちによるショーが次々と繰り広げられている。
Artistas callejerosはグエル公園の常連たちの歓声のもと『銀の時計仕掛け人形』を披露し、また別の日には彼らのもう一つの顔であるレストランでの演奏をメインにしたショーも披露した。メインステージにはピアノやドラムが用意されて、真耶をはじめとする音楽家たちの演奏も喝采を浴びた。ジャズやマリアッチやブラスバンドの楽団が楽しげにバラエティ豊かな音楽を響かせ、馬乗りの少年たち、火吹き男、コントーションの少女たちに人々は驚愕の叫びをあげた。
ほかのテントでは、タパスや軽食、セルベッサなどを人々が楽しみ、その周りではステージにすぐに立つ必要のない芸人たちが勝手に芸を披露しては人だかりを作っていた。
四人がこの半年に出会って声を掛けてきた多くの芸人たちが参加してくれていた。また、たくさんの参加者から「あいつらにきいたんだ」といわれ、大道芸人たちの口コミの力を思い知らされた。
「次はいつやるんだ? ヨーロッパでやるなら、どこへでも行って絶対に参加するからさ」
稔は、次回が出来る確信を得て嬉しそうに頷いた。
「半年以内には決定する。インターネットのサイトはここだ。ここで告知するから。事務局はミュンヘンで、俺の携帯にかけてくれてもいいけれど、このメールアドレスの方がいいかな」
定住者ではなく、しょっちゅう国境を越えているもの同士で連絡を取り合うのはかなり難しい。
「あの、ちょっと、いいですか?」
おずおずと声を掛けてきたのは、雲をつくような大男だった。蝶子はふりむいてぎょっとした。
「はい、なんでしょう」
「さっき、ボリングを三重奏していましたよね」
見かけと英語の発音から察するにスカンジナビア人のようだ。背中を丸くして、居心地悪そうな様子で話しかけるので、どんな文句がでるのかと蝶子は身構えた。
「ええ。『ピクニック組曲』から……」
「その、僕は、ダブル・ベースを弾くんです。でも、なかなか合奏する機会がなくって。ボリングはピアノ・トリオのための音楽をたくさん書いているから、もしかしたらダブル・ベースが必要になる事ないかな、って……」
蝶子は目を丸くした。男は、慌てていった。
「いいんです。言ってみただけですから。こういう祭典に行けば、もしかしたらそういうメンバーを探している人もいるかもしれないなと、思っただけなんです」
そういって踵を返し、丸い背中をさらに丸めて立ち去ろうとした。
「お、おい、待てよ!」
横にいた稔があわてて声を掛けた。
蝶子も我に返って笑った。
「まだ、あなた、自分の名前も言っていないわよ」
びっくりして振り向いた男は、その弾みに自分の右足に左足が絡み付いて、転びそうになった。そして、ばつが悪そうに笑いながら言った。
「すみません。ヘイノ・ビョルクスタムって言います。ノルウェー人です」
「で、普段はどこにいるの?」
「夏はノルウェーで仕事をします。冬になると、南ヨーロッパをまわっているんです。太陽が全然あたらないと、精神的に不安定になるんで」
「へえ。それで、本職は?」
「コントラバス弾きですよ。オケで弾いたり、室内楽に誘ってもらったり、ジャズ・バーで働いたり、いろいろやってます」
「ボリングは弾いた事あるの?」
「ええ。といっても、『室内楽のための組曲』しか、舞台では弾いた事ないんです。でも、それで好きになったんで、個人的に楽譜を取り寄せたりしました。楽譜があれば、すぐに弾けると思いますよ。お氣に召すかは保証できませんけど……」
稔は笑って言った。じゃあ、今晩、もう一回『ピクニック』やるから、その時に加わってみろよ、いいだろ? テデスコ」
ヴィルは黙って頷いた。ヘイノの顔はぱっと明るくなった。
「ところで、ドラマーもそうやって寄ってくるともっといいんだけどな」
稔が周りを見回した。今のところ、ドラマーは申し出てこないようだった。
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調味料を使い切る話
もちろん台所の主は母でしたが、私も中学生ぐらいの時から少しずつ調理をしていました。といっても、フルコースを作っていたわけではなく、自分の朝食をつくるとか、親が遅い時にご飯を炊いてとか、ほうれん草を茹でて、肉野菜炒めを作って……というような、誰でもやるであろう簡単な台所仕事です。
我が家の食卓は、かなり洋かぶれしていたところがあり、ごく普通の和食よりも和洋折衷の食事の方が断然多くて、私がたまに珍しい料理を試しても受け入れられる素地がありました。例えばタイカレーなど。今だったらそこら辺のコンビニでもタイカレーのレトルトパックが買えるかもしれませんが、当時はタイ料理はそこまでメジャーではなくて、ちょっと小洒落たスーパーなどで材料を集めて自分でまともに作るという方が普通だったと思います。
そして、これからが本題なんですけれど、例えばナンプラーなどは使い切りサイズなんてものはないので、一本買ってくるわけですよ。そして、これがなくならない。
母にしてみればいつまでもなくならない、ナンプラーのようにクセのある調味料がいつまでも放置されているのは邪魔だったと思います。でも、母は「使わないものはどんどん捨てる」というタイプの人ではなかったのですね。ましてや娘が少ないお小遣いやバイト代の中から自ら買ってきたものを勝手に捨てるなんてことは絶対にしない人でした。私はそのうちに忘れます。数年後、もともと臭いのか、それとも品質低下したのかよくわからない開封済みのナンプラーが発見される……というようなことになったわけです。
スイスに移住して、初めて自分の台所というものを持ちました。私はあまりファッションや美容には興味がなく、読書や観劇、その他の趣味にもほとんどお金は使わないので、日々どんどん熱意を傾けて散財するのは基本的に台所に関するものです。で、いつのまにか、「どう考えてもこんなに使わないだろう」という量のストックや、「こんなもん、いつ買ったんだっけ」の調味料などが貯まっていました。
それを少しずつ使ったり、あまりにも古すぎてどうしようもないものは、断腸の思いでコンポストに入れたりして整理しているのですけれど、今後の戒めとして、滅多に使わない調味料を買うのはやめようと決心しました。例えば、上で取りあげたナンプラーのような。こっちにもつい最近まであったんですよ! 開封済みで十年くらい使っていなかったナンプラーが。
学習しようよ、本当に。
というわけで、今後私が台所に置く調味料はこんな風にして(既に道のりの半分くらいです)それ以外のものを安易に買ってこないようにしようと思います。
塩。料理に使う細かいものは、自然食料品店でポルトガル産海塩を買っています。食卓用には結晶のものをミルで挽いて使います。例えばハーブ塩など、味が限定されるものは使い切れずに残るので買わないようにしました。必要な時は塩とハーブと両方入れればいいのですから。
胡椒。粒胡椒を買っています。これもミルで挽きます。増やしたくないといいつつの例外ですが、ペステーダという黒胡椒ベースの調味料だけは愛用なので小さいものを買っています。このペステーダについては今度別記事を設けます。
お酒。白ワインを常備。日本酒や紹興酒と書いてあるレシピは全てこれで代用します。製菓は余っているポート、シェリー、モスカトやトカイワインなどがあれば使いますがなければ、やはり白ワインで代用します。その場合はシロップなどで甘みを追加します。
赤ワインは料理用には用意しませんが、開けたもののコルク臭がして飲めなかったものや、まずくていらないと言われたものがある時は、それで塊肉の赤ワイン煮を作り、その残った煮汁を赤ワインソースにして冷凍して適宜使います。
強いお酒。その時台所にあるもの(キルシュだったり、ブランデーだったり)を使うか、保存食作りによく使うホワイトラムを使います。ない時は白ワインで代用です。
お酢。十年以上、バルサミコ・ビアンコを常備していて、和洋中華全てこれだけで済ませます。クセがないんですよ。別に普通のバルサミコ酢も用意してありますがこれはよく使うのでOK。時々連れ合いが工場の掃除用に食用酢をよこせと言ってくるので、それにバルサミコ・ビアンコはもったいないため、掃除用に激安の食用酢を用意しています。
油。基本はオリーブオイルのみ。例外としてごま油は小さめのものを用意しています。
醤油。美味しいたまり醤油などというものとは無縁な世界にいるので、基本的にはそこら辺で買える普通のキッコーマンです。その代わりに、醤油麹などを育てて、うまみを追求します。
ソース。日本のソース(中濃ソースやお好み焼きソースなど)にこだわるのはやめて、そこら辺のスーパーで買えるリーペリンなどに他のものを混ぜていろいろな味を作ります。
味噌。滅多に使わないので、八丁味噌を冷凍しておき、そのままスプーンですくっています。いろいろあっても使い切れないので白味噌や赤味噌などは買わないようにしました。また、豆豉や海鮮醤の代わりとしても八丁味噌を使っています。
マヨネーズやマスタード、ケチャップなどは、一種類のみにします。混ぜて味の作れるオーロラソースやタルタルソースのようなものは買わずに自分で作るようにしています。トマトソースやドライトマトペーストなどは自分で手作りするので、いろいろな味のバリエーションができます。例えばピッツァソースなどは市販品ではなくていつも自分で作ります。
唐辛子の類い。今ある鷹の爪を使い終わったら、あとは全然なくならないカイエンヌペッパーの粉末であれこれ網羅することにします。
ハーブ類。バジルとローレル、オレガノ、チャイブは栽培しているものを。パセリ、フェンネルの葉、ローズマリー、タイムは買ってきた残りを冷凍して使い切るようにしています。あとは代用で済ませます。
その他のスパイス類。これが、現在の悩みの種。カレー粉の仲間だけでも四種類くらいあって、訳がわからなくなっています。全く使わなくて香りが変質してしまったものから処分しています。それに、かつてモロッコ一日観光した時に買った肉用スパイクミックスと魚用スパイスミックスを愛用していて、それがなくなる前に似た香りの調合を見つけたいです。最終的に持っているスパイスは、上で挙げたカイエンヌペッパーの他に、ナツメグ、マイルドなパプリカ、マイルドなカレー粉、ハリッサ用スパイスミックス、ラクレット用スパイスミックス(冬の必需品・笑)、キャラウェイシード、シナモン、オールスパイス、ガランガーくらいに留めたいですね。
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【小説】大道芸人たち 2 (10)バルセロナ、フィエスタ -1-
大して長くはないんですけれど、一応二つに切りました。キリもよかったので。
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(10)バルセロナ、フィエスタ -1-
大道芸人の祭典に参加する大道芸人なのに、なんでこんな格好をしているんだろう。稔は首を傾げた。これはレストランで働くときの一張羅だ。レネや蝶子がいつもの大道芸人モードの服装なのでよけい腹立たしかった。しかし、開会宣言とテープカットをカルロスと一緒にやるためには、多少はったりのいった服装が必要だった。ちくしょう、この後すぐに脱いでやる。
ふと横を見ると、やはりスーツに身を包んだヴィルが視界に入った。芸術振興会の理事たちのスノビズムを満足させるドイツの男爵様の役目を果たしているのだ。
目をさらに遠くに飛ばすと、手を振っている園城真耶がいた。大道芸人の祭典に出演するにふさわしいとはいえないが、押し売りの飛び入り参加だ。その真耶の横には日本のテレビ局のクルーがいて、真耶の姿と、舞台の上の稔を録画している。
蝶子に真耶からの電話が入ったのは一週間前だった。
「ねえ、蝶子。あなた来週スペインにいる?」
「いるわよ。どうして?」
「私、月曜日にマドリッドで演奏会なの、よかったら会いにこない?」
「死ぬほど残念だけど、その週はバルセロナを一歩も動けないのよ」
「どうして?」
「火曜日から、『La fiesta de los artistas callejeros』って大道芸人の祭典が開かれるの」
「まあ、そういう祭典があるの? 知らなかったわ。いつもバルセロナで開催されるの?」
「いいえ、第一回の今回はたまたまよ。メインの協賛者がバルセロナにいるから」
それを聞いて、真耶の声のトーンが変わった。
「ねえ、その祭典って、誰が中心になって組織しているの?」
「『La fiesta de los artistas callejeros』事務局よ。国際色豊かな集団なの」
「たとえば、ドイツの男爵とか?」
「そうね。でも事務局長は日本人なの」
「三味線を弾く、大道芸人?」
「よく知っているわね」
真耶の声は激昂した。
「蝶子! どうしてそういう大切な事をいつも私に黙っているのよ」
「別に隠していた訳じゃないわ。でも、真耶の活動とは被らない事だし、それに今回は第一回だから結構小規模なのよ。あらかじめ知らせるほどの事でもないじゃない? 無事に終わったら葉書にでも書こうかと思っていたのよ」
「つべこべ言うのはよして。とにかく、演奏会が終わったら、私も駆けつけるから」
駆けつけてきたのはいい。飛び入りでヴィオラを弾いてくれるのも悪くない。稔は思った。
「だけど、なんでテレビ局が一緒にくるんだよ」
「だって、密着取材の最中なんですもの。一緒にバルセロナで取材させてくれるなら、マドリッドからの往復も局が持ってくれるんですって。フィエスタの宣伝にもなるし悪くないでしょ?」
そりゃ、フィエスタのためには願ってもない宣伝だよ。だけど、園城よ、俺とお蝶が日本の家族に居場所がわからないようにしている身だって事、忘れていないか?
稔は半ばやけっぱちで、テレビカメラの前でフィエスタに対する意氣込みを語った。テレビ局は真耶に紹介されたヴィルと蝶子がドイツの男爵夫妻だという事を知って、大喜びでインタビューをした。
「なんだか、思ってもいない事になっちゃったけれど、ま、いいわね。うちの家族や安田流の方々が真耶の密着取材の番組なんか観る訳ないでしょうし」
蝶子は肩をすくめた。
「日本の大道芸人もそういう番組は観ないかもしれないぞ」
ヴィルが冷静に言ったが、稔は首を振った。
「いや、俺はどっちかというと、協賛金集めに役に立つかなと思ってさ」
「あら、じゃ、私が帰ったら、局のお偉方に吹き込んでおくわよ。そのうちに日本でやれば?」
真耶はニコニコと笑いながら言った。
四人は顔を見合わせた。考えた事もなかったが、いつかは『La fiesta de los artistas callejeros』を日本でも開催できるかもしれない。
「じゃ、またあのお餅を食べられるかもしれませんね」
レネの心は既に日本の甘味処に飛んでいた。
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「樋水龍神縁起 東国放浪記」の脳内テーマ
今日の話は「BGM / 音楽の話」に入れるべきかもしれませんが、後から探すときにこちらを探すように思ったので、「樋水龍神縁起の世界」カテゴリーに突っ込んでおきます。
私の小説群、いろいろとある(しかもあちこちで繋がっている)のですけれど、一つの大きな世界観を持っているのが『樋水龍神縁起』です。もっとも、本編を隔離して置いてあるせいか、このブログで発表した続編などの方が知られているかもしれません。
題名から、全て時代劇と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、『樋水龍神縁起』本編と、その続編『樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero』は、現在から近未来の小説です。
そして、まだ未完で時折発表している『樋水龍神縁起 東国放浪記』や外伝の多くは、千年前の(つまり主人公たちの前世)の話で、元陰陽師の安達春昌とその従者である次郎が放浪をしているストーリーです。
この小説を書く時に、いつも私が聴いている曲があります。今回貼り付けた動画がそうなんですけれど、アルメニアの作曲家、アルノー・ババジャニアンの『ノクターン』です。日本の曲じゃないのですが、妙に懐かしいというか、こう、昭和にあった時代劇のテーマ曲みたいに響く曲なんですよ。(全部なんか聴いていられるかと思われる方は、大体2:25あたりから聴いてください)
Arno Babajanyan - Nocturne
子供の頃、時代劇が好きでした。もちろん大河ドラマのように史実を元にした時代劇も好きだったのですが、将軍様やお奉行様や浪人が毎週問題を解決しちゃう、「そんなはずないだろう」がてんこ盛りな時代劇も大好きでした。そして、某南町奉行様のお話の「るーるるる〜」というテーマ曲もものすごく好きだったんですよ。今時、ああいうテーマ曲は流行らないでしょうけれど。
この『ノクターン』は、アルメニア産の曲なのに、なぜかその「昭和な時代劇」の空氣を纏っていて、初めて聴いた時から『樋水龍神縁起 東国放浪記』に結びついてしまいました。ブラウン管の画面の中、花や落ち葉が舞う中を、色褪せた狩衣を着て馬に乗って去って行く春昌たちを想像しています。あ、だから、痛いって自覚はありますったら。
これを書いているってことは、そうです。私の中で「これの続き書きたいな」という思いがムクムクしていたりするのです。ただし、書いている時間がない? っていうか、そんなの書いている場合じゃないだろうってことなんですけれど……。
【参考】

樋水の媛巫女
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- 「樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero」座談会 その1 (22.06.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 8 - (18.05.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 7 - (04.05.2013)
- 樋水龍神縁起の世界 - 6 - (13.04.2013)
【小説】大道芸人たち 2 (9)ミュンヘン、『Éxtasís』
でも、その本番の前に、このシーンを挟んだ方がいいと判断し、急遽、章の順番を入れ替えました。独立したシーンなので、どこへ入れても良かったんですけれど……。
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(9)ミュンヘン、『Éxtasís』
「お。これ、一度弾いてみたいと思っていた曲があるぞ。かけてもいいか?」
エッシェンドルフの館のサロンでCDの並ぶ棚をあさっていた稔が、言った。
月に一度、数日間ではあるがミュンヘンに戻る生活に四人は慣れてきた。
この館にいる間、ヴィルはほとんどの時間を秘書のマイヤーホフの打ち合わせで過ごし、蝶子は執事のミュラーや家政婦のマリアンと館の家政について話すことになった。その間、稔とレネは、『La fiesta de los artistas callejeros』の事務手続きのことに集中した。
夕食後には、サロンに集まり、曲を合わせたり、今後のことを相談したり、もしくは今晩のようにただワインを傾けながら百科事典を広げたり好きな曲をかけて寛ぐのだった。
人の蔵書やCDの棚というのは面白い。自分ではなかなか手の出ないジャンルや作者または演奏家の作品を発見し、新たな興味の対象になることがある。レネはと稔は最近、エッシェンドルフ教授の様々なコレクションにちょくちょくと手を出していた。
「今さら訊くまでもないでしょ。どうぞ」
そちらを見もしないで蝶子が言うと、早速、稔はCDを取り出してプレーヤーに収めた。
「何の曲ですか?」
レネが覗き込む。稔は「これ」と、ケースをぽんと渡した。
「ああ、ピアソラ。タンゴですね。ああ、思い出しますねぇ、バレンシア」
レネは嬉しそうに言った。初めて一緒にバレンシアに滞在した時に、稔がレネのリクエストでピアソラをリクエストした。ヴィルが蝶子とタンゴを踊り、それまで隠していた素性を明かすきっかけになったのだ。
稔は、プレーヤーを操作しながら曲を探していた。
「『Éxtasís』は、ああ、これか。これをアレンジしたデュオの曲があってさ。ギターとフルートで演奏したいなと思っているんだけれど、その前に原曲をちゃんと聴いてみたいと思ってさ」
「バンドネオンと……ヴァイオリンですね。ギターとフルート? どんなアレンジになっているんだろう」
レネはケースの曲目リストを見ながら言った。それからほかの二人が静かなことに氣がついて目を移した。
ヴィルは、蝶子の方を見ていた。曲が始まると体を強張らせて俯いていた彼女の表情は険しくなっていった。まるで拷問を受けているかのようだった。
「蝶子? どうした」
稔もその様子に目を留めて言った。
「やめようか」
彼女は鋭く答えた。いつもよりさらにきつい調子で。
「そのままにしておいて!」
蝶子は立ち上がると、ヴィルの所ヘ行き、その手を引っ張った。強引とも言えるほどの激しさで。
「踊って」
「え?」
「いますぐ私と踊って。上書きしなくちゃいけないの」
上書き。その蝶子の言い回しを三人は久しく耳にしていなかった。思い出したくない記憶を、別の記憶で上書きする。かつて彼女が上書きしていたのは、エッシェンドルフ教授に刻まれた愛憎に満ちた日々のことだ。
蝶子にアルゼンチン・タンゴを教えたのも、エッシェンドルフ教授だった。長い時間をかけてただのダンスではなく、人生の悦びや愛の苦悩が表現できるほどに、教え込んだ。この館の、このフロアで。
そして、この曲は他の曲とは違っていた。
あの頃の蝶子は教授の誘う肉体的快楽の世界に溺れていたが、まだそれでも心の中は醒めていた。彼は、蝶子に必要な存在、彼女が何よりも望んだフルートを続けさせてくれる、それも彼女が必要としていた高みへと連れて行ってくれる最高の教師だった。婚約した後だったが、彼が多くの女性と浮名を流してきた存在であることも、蝶子にはどうでも良かった。彼の真心も期待していなかった。
けれども、この曲を教え、踊りながら彼が見せた情熱は、それまでとは違っていた。
それまでほとんど言わなかった愛の言葉を、彼は耳元で繰り返した。それは蝶子には突き刺すような痛い言葉だった。契約でも、躯の欲望の解消でもなく、一人の男が全情熱をかけて彼女の魂を欲している。それは、冷たい結婚を決意した愛のない蝶子にはつらく重すぎる想いだった。
もしかしたら、彼女がこの館から逃げ出したのは、亡くなったヴィルの母親マルガレーテのためでもなく、自由でいたいからだけでもなく、ハインリヒのあの想いから逃れたかったかもしれない。
『Éxtasís』が流れる度に、彼の言葉が甦る。もうこの世にいなくなってしまったハインリヒの、彼女が利用して、逃げだし、多くの人の前で拒絶した男に対する罪悪感が彼女を締め付ける。
彼は、父親の愛を知らなかった蝶子に、父親として、教師として、そして男としてありとあらゆる愛を注いでくれた。それは確かに心地よかったのだ。愛することは出来ず、憎みすらした男だったが、死んでほしいと願っていたわけではなかった。
蝶子の「記憶の上書き」は上手くいかなかった。ヴィルはそんな蝶子の心の内が全てわかったわけではない。だが大方の予想はついた。彼女はいつものように虚勢を張っていた。
「蝶子、我慢するな。俺に遠慮せずに泣いていいんだ」
その言葉を聞いて、彼女は踊るのをやめた。それからヴィルの胸に顔を埋めて、震えだした。彼は黙って彼女を抱きしめた。
稔とレネは、黙って二人を見つめていた。
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タスク管理の話
最近、今まで以上にiPhoneとMacの「リマインダー」というアプリを使っています。要するにタスク管理なんですけれど、私は家にいる時はMacの音が聞こえるし、外出先ではiPhoneが手元にあることが多く、そのどちらかに「●●の時間だよ」という連絡が来るようにしているのです。
そもそもは、全然関係ないんですけれど、ここ二週間ほど腰というか背中全般がなんとなく痛かったのです。ぎっくり腰のような激痛ではなく、「なんとなく……」というレベルです。ストレスや、更年期障害、それに、ちょっと無理して重いものを引きずったこともあったかも、いろいろと遠因はあるのですが、それに加えて私は座りすぎ。そんなこんなもあって、強制的に立つように努力したのです。
で、その手のタイマーはiPhoneアプリにいろいろとあって、一番使いやすいのがListTimeというアプリなのですが、それはまた別の話。
で、タイマーがいろいろとお知らせしてくれると、忘れっぽい私でも思い出す(あたりまえ)というこがわかり、たとえばサボりがちなギターの練習などを促してくれるといいなあと思ったわけです。会社の昼休みや就業時間のお知らせは「タイマー」アプリを使っているのですけれど、それにこうしたタスクを登録するのはちょっとなと思っていました。で、サードパーティアプリもいろいろと探してみたのですが、MacとiPhoneでタスクを同期するとなると、そのアプリの会社に新しいアカウントを作らなくてはいけないというものがあって「うーん」と二の足。
それで、改めてAppleの「リマインダー」をよく見てみたら、なんとやりたかったことは全部これでいけることがわかりました。
例えば、月曜と水曜と土曜と日曜の18時半に「●●して」というような通知が、iPhoneにもMacにも来る。それだけです。これが簡単にできるとわかったら、ついでにいろいろとタスクを入れてみました。「五個ものを捨てる」とか、「●●の支払い」とか、年に一度「●●の契約を延長するかどうか決める」というようなことです。もちろんカレンダーでも同じことも出来るんですけれど、カレンダーにたくさんタスクを書いておくと、単発の予定が埋もれて見にくくなるという問題もあって、ルーティンのタスクを「リマインダー」に移したら、ずいぶんとすっきりしたんですよ。
これを応用すると「黄金の枷を書く」とか「書く書く詐欺」の方の管理も楽になるのかもと、ちょっと考えていたりします。
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【小説】September rain
今日の小説は、山西先さんのリクエストにお応えして書きました。いやはや、難しいリクエストでした。
コラボの希望は「ヤキダマ」そして「コハク」です。ずうずうしくも2人ですがお許しください。
一応サキの了解は取っています。面白そうだからいいか、とのことでした。
リアルコハクは知りませんが、まぁ良いでしょう。
別々の作品のキャラですが、ヤキダマは現実世界にも設定がありますし、コハクは現実世界のキャラです。
2人共建築関係の仕事ですし、まだそんなに偉くはなってないようですが、世界を舞台に活躍している様子です。
年齢はヤキダマが少し上くらいでしょうか?
そしてテーマは「9月の雨」でお願いします。
私の年代ですと太田裕美ですね。
コラボ相手は完全にお任せです。
少し補足しますが、先さんは、既に発表した『春は出発のとき』のリクエストをくださったサキさんと二人三脚でブログを運営なさっています。サキさんと先さんはのお二人で左紀さんなんですけれど、リクエストをいただいた「コハク」や「ヤキダマ」というキャラクターとお話そのものを考えられたのはサキさんです。ですから、「了解を取った」ということなのでしょうが、かといって、私が今後の作品に差し支えるような重大な設定を作るわけにはいかないのは、他のコラボと同様です。
そして、建築士の「コハク」は、たしか『物書きエスの気まぐれプロット』シリーズのエスの友達ではなくて、その作品に出てくるキャラクターだったはず。(つまり左紀さんのブログには、サキさんの友達の「リアルコハク」、エスの友達の「コハク」、それにエスの作品のキャラ「コハク」と少なくとも三人の「コハク」が登場)、一方、「ヤキダマ」は『シスカ』と同じ架空世界に住んでいるのですが、私の所のキャラクターたちとのコラボや、『オリキャラのオフ会』では、現代の日本(やイタリア)に普通にいるという設定もあります。
そういうわけで、今回は、強引に『物書きエスの気まぐれプロット6』の中の『コハクの街』に出てくるコハク(シバガキ・コハク、漢字不明)と、『いつかまた・・・(オリキャラオフ会)』に出てくるヤキダマ(本名・三厩幸樹)が、「建築系の大学で知り合っていた友人だった」という強引な設定のもと、話を作りました。たぶん、サキさんの逆鱗に触れる設定ではないと思いたい……です。まずかったらおっしゃってください。

September rain
彼は迷った時に、こう考えるのが常だ。彼の妻にこの話をして、その判断に賛成してもらえるだろうかと。彼女に胸を張って報告できないようなことはしたくない。
通り過ぎた角を二つほど戻ると、その女性はまだ同じ場所にいた。スーパーマーケットの入り口の近く、歩道に出ているので自動ドアが開くことはないが、庇に覆われることもない場所だ。冷たい雨が降りしきる中、手に持った傘を広げもせずに佇んでいる。
よけいなお世話かもしれないけれど、でも、この後、自動車道に飛び込まれたりしたら困る。近づいてよく見ると、泣いているわけではないようだ。二十代後半だろうか、白いリネンのブラウスに、焦げ茶のタイトスカート。落ち着いた服装だが、個性にも乏しい。他の通行人が誰も立ち止まらないのは、その存在が大きく主張してこないからかもしれない。
彼は、その場に数秒立って、声をかけるべきか思案した。濡れたまま、空を見上げるように立っていた女性は、それでも視界に入った彼の存在に氣がついたようで、彼の顔を見て不思議そうな顔をした。
「何か……」
彼は、傘を差し掛けた。
「あ。いや、どうなさったのかと……。傘はお持ちのようなのに、濡れたまま立っていらしたので……」
彼の指摘で初めて降雨に氣付いたかのごとく、彼女は「あ」と言ってから自分の傘を広げた。
「私ったら、ぼんやりして」
「あ、いや、何でもないならいいです……すみません」
その女性は、少し慌てた。
「いいえ。その……氣にかけていただき、ありがとうございました。実を言うと、考え事、いえ、昔のつらかったことを思い出していました」
彼は、返答に困ったが、歩いている方向がどうやら同じで、会話を打ち切るのは難しかった。
「そういうことは、ありますよね。でも、今日みたいに冷たい雨に濡れると、風邪をひきますよ」
「九月の雨は冷たくて……」
彼女は、小さな声で歌を口ずさんだ。
「?」
「あ、何でもないです。昭和の歌謡曲……だからご存じないですよね」
「ええと、聴いたことはありますよ。太田裕美でしたっけ。でも、あなたもこの歌がヒットした時に聴いた世代じゃないですよね」
彼が訊くと、寂しげな笑顔が返ってきた。
「大学生の時に、お付き合いしていた男性が教えてくれたんです。お父さんが大ファンだったそうで、家でカラオケをする時に、お母さんが歌わされるんだって、九月になるとよく口ずさんでいました」
「それで憶えてしまったんですね」
「ええ。その時は、昔の曲だな、歌詞も前時代的な価値観の、いかにも昭和な言葉選びだなって、彼と笑い合っていたんですけれど……」
「けれど?」
「その彼と、別れることになったのは九月でした。冷たい雨の中、濡れながら家に帰ったんです。歩きながらあの曲の歌詞を思い出して、涙が止まりませんでした。辛さから逃げるために東京に出て、別の仕事をして、少しは自立して、がむしゃらに働いて……。もう、忘れたと思っていました。でも、先ほど、ああ、九月の雨だって思い出したら、急に胸がいっぱいになってしまって」
「どんな歌詞でしたっけ」
彼は、間抜けな質問だと思いながらも、口にした。彼との個人的な思い出の方は、これ以上訊きづらかったから。
「失恋の歌です。かつては幸せだったのに、相手の心が離れてしまったのを感じながら、九月の雨に濡れている。昔から、秋って別れのシーズンだったんでしょうね」
角まで歩くと、彼女は小さな惣菜屋を示した。
「私は、ここで。ご心配いただき、ありがとうございました」
「お買い物ですか」
彼が訊くと、彼女は首を振った。
「いいえ。ここに勤めているんです。素朴なものばかりですが、結構美味しいですよ。機会があったら寄ってくださいね」
彼女は、お辞儀をして去って行った。傘を畳む後ろ姿は、柔らかかった。
店にやってきて惣菜を購入していく客たちは、彼女の人生について思いを馳せることはないだろう。彼もまた、彼女が東京でどんな生活を送り、なぜ戻ってきたのか、そして、この街でかつて起きた恋と別れについて、何も具体的なことは知らない。
彼が、過去も含めて全てを包み込みたいと願ったのは、結婚したばかりの妻だ。彼は、愛する人のつらい過去を変えることは出来ないが、日々の生活の中で笑顔と喜びを共有することは出来る。そして、これから起こりうるどんな困難にも共に立ち向かい、持てる全ての力で守っていきたいと思っている。
今、わずかに言葉を交わした女性もまた、様々な思い出を抱え、人生の続きを家族や友人たちと歩いて行くのだろう。九月の雨に、いずれもっといい思い出ができるといいが。彼は、そんなことを考えつつ、先を急いだ。
「シバガキさん、チェックをお願いします」
涼二は、CADで作成した設計図を設計士の所に持っていった。若々しい彼女は、彼よりも年下に見えるが、この設計事務所の中ではすでにベテランの一人だ。下の名前は、なんだったか宝石みたいな綺麗なやつだったな……ああ、そうだ、コハク。
ショートカットの髪をわずかに傾けながら、彼女は涼二の作成した図面をチェックしている。彼は、間違いが見つからないといいなと考えながら、彼女の向こう側の窓をぼんやりと眺めた。
雨が降っている。ちくしょう。また予報が外れた。どうして傘を持っていない日に限って降るんだろう。
「あら。降ってきたわね。帰るまでに止むかしら」
彼女は、身震いすると窓の所へ行って閉めた。
「ずいぶん涼しくなったわよね。どちらかというと寒いくらい。九月って、もう秋の始まりなのよね」
彼女の言葉に、涼二はそう言えば、九月の雨だったかと改めて思った。
「September rain rain……」
「ちょっと。小林君、なんなのよ、突然」
彼女は、涼二の突然の鼻歌に、目を丸くしている。
「すみません。つい、思い出してしまって」
「なんの歌?」
「あ。昔のヒット曲です」
「……くわしいのね。カラオケ?」
「ええ、まあ。家で、親父とお袋が喜んで歌っているのを見て育ちまして。もっとも、それを思い出したわけじゃないんですけれど」
「じゃあ、何を思いだしたのよ」
涼二は、口を一文字に閉じて視線を落とした。彼女は、急いで付け加えた。
「あら。イヤなら言わなくてもいいのよ」
「あ、そういうわけではないです。……今まで、意識していなかったけれど、ずいぶんダメージを受けていたんだなと、今ようやく認識したんです」
「え?」
涼二は、窓に背を向けて立った。窓には冷たい雨が伝わって落ちる。部屋の中には水滴は入ってきていないが、彼の背中には冷たさが流れているようだった。
「大学の時つきあっていた彼女がいたんです。彼女は短大で二年早く社会に出て、僕は甘えた学生だったな。今なら平日の夜中に突然呼び出したりしたら迷惑だってわかるけれど、あの時の僕は、配慮が足りなかったと思います。いろいろなことがすれ違って、それがいわゆる性格の不一致ってやつだと、思っていました」
彼女はデスクに頬杖をついて聴いていた。
「それで?」
彼は肩をすくめた。
「つまらない喧嘩をしたんです。二股をかけていると疑われて、カッとなって、売り言葉に買い言葉でした。しばらくしたら、謝ってくるだろう、くらいに思っていたんですけれど、それきりになってしまい、共通の知人から彼女が東京に転職してしまったと聞かされました。急に、周りの地面がなくなって、崖に一人で立っているようで。でも、その後は日常に戻って、けっこう上手くやっているつもりだったんです」
「もしかして、今でも引きずっているの?」
「どうでしょうね。あれから、何人かの女性と付き合い始めるくらいはしているんですけれど、全然続かないのは、もしかして、あの別れのせいかな。あの喧嘩も、こういう冷たい雨の日だったなあ。まさに『九月の雨』だ」
「そのお知り合いに訊いて、連絡してみれば。また付き合うとかそういうのでなくても、ほら、お互いに伝えられなかった言葉を、今なら上手に表現できて、その結果、苦い過去がいい思い出になるかもしれないし」
明快な人だな。涼二は思った。
「そうできたらいいんですけれど、東京のどこにいるか、あいつも知らないんじゃないかな。彼女のご両親は、この街にいるから、いずれまた遭うことがあるかもしれませんが……。すみません、こんな話してしまって。図面を見ていただいているのに」
「いいのよ。どっちにしても、もうじき人が来る予定で、この図面のことは明日の朝話そうと思っていたし」
「そうですか。 お客さんですか?」
「いいえ、違うわ。同業者ってとこかな。大学時代に知り合ったの。彼は、大学院まで行って、今はK市の建築事務所で活躍しているのよ。今日、駅前に仕事で来るって聞いたので、久しぶりだからついでに寄ってねって言ってあったの。あ……来た!」
彼女は立ち上がっで、窓の外を眺めた。涼二の知らない男性がこちらに向かってきた。
「小林君、悪いけれどエントランス、開けてくれる?」
時間外なので自動ドアはもう開かない。彼は、急いで入り口に向かった。
入ってきた男性と、簡単な挨拶を交わした後、彼女は彼に涼二を紹介した。
「幸樹、こちらはうちの新人で小林涼二君。建築士目指して私たちの通った大学の夜間部に通っているの。小林君、こちらは、三厩幸樹さん。とても優秀な建築士よ」
涼二は、「はじめまして」と手を伸ばしながら見上げた。柔和な顔立ちをした背の高い男性だ。
彼女が三人分のコーヒーとクッキーを用意する間に、涼二は図面を片付けて、ミーティングの机に幸樹を案内した。先日彼女が手がけた音楽堂に入ったと熱心に話をする幸樹の専門的な見解に、涼二はなるほどと、目からうろこが落ちる思いで耳を傾けた。
コーヒーが空になる頃、彼女は提案した。
「ねえ、小林君とこの後軽く飲みつつ、二級建築士試験についてのアドバイスをする予定なんだけれど、よかったら幸樹もどう? 空調設備や防災設備など、設備工学のことは、私よりも幸樹のほうがずっと精通しているし……」
と、言いかけてから、彼女ははっとして慌てて訊いた。
「あ、幸樹、新婚だったね。急いで帰らないと、可愛い奥様が心配する?」
すると、幸樹は笑って言った。
「いや、『今日はコハクに会う』と言ったら『よろしく伝えてね。ゆっくりしてきて』と言われたよ。彼女も、北海道で知り合った友達と再会するとかで遅いらしいし」
涼二は、幸樹の話をもっと訊きたいと思っていたので、とても嬉しかった。
場所を移した先は、駅ビルのスペイン料理屋だった。
「私ね。ちょうど今の小林君みたいに、建築事務所で働きながら資格試験の準備をしていた時に、自分の適性について悩んだことがあってね。それで、衝動的にスペインへ行ったことがあるの。それ以来、スペイン料理が大好きになっちゃったの。タパスは少しずつたくさん頼めてお酒のおつまみにいいし」
「へえ。シバガキさんが……。意外ですね」
彼女は、いつも颯爽としていて、迷いなどないタイプなのかと思っていた。
自分に建築家としてやっていく才能があるか、涼二は不安に思う時があった。一度は諦めて普通の就職をした後で、もう一度夢に向かっての再チャレンジだ。年齢のこともあり、将来に不安がないと言ったら嘘になる。でも、その不安が自分だけのものではないと思うことは、大きな励みになる。
彼女はいくつかのタパスを注文し、ベネデスの白ワインを、男性陣はビールの方が得意なので、セルベッサを頼んだ。
チーズのオリーブオイル漬けや、スペイン風オムレツ、タコと青唐辛子のピンチョスなどが運ばれてきた。ウェイターの一瞬の戸惑いを察知した幸樹が黙って皿を動かして、テーブルに空間を作った。
彼女はそれを涼二に示して言った。
「この人、こういう氣遣いが本当に上手なのよね。奥さんのサヤカさんも、感心していたわよ」
「え。彼女が、コハクにそんなことを?」
幸樹は、驚いた。
「彼女もあいかわらずなのね。とても感謝しているって、本人にはほとんど言わないんでしょう? 幸樹の奥さんってね、口数が少ないから、知らない人から見ると、ぶっきらぼうにも見えるんだけれど、とても繊細な感性を持った素敵な女性なのよ。ね、幸樹」
「ええ。まあ」
涼二は、照れる幸樹を意外に思いつつ見ていた。新婚か。そりゃ、幸せだろうなあ。その途端、不意に自分のことを思い出して俯いた。あの時、彼女と別れていなければ、もしかしたら自分も今ごろは、こんな顔をしていたのかもしれないと。……参ったな。
「あ。小林君が暗くなっちゃった」
「シバガキさん、さっきの話のせいですよ。あ、いや、自分で話したんだから、自分のせいか……」
「九月の雨のせいでしょう」
「九月の雨?」
幸樹が妙な顔をした。
「そうなんです。さっき、シバガキさんに、昔、九月の雨の日に別れてしまった話をしていたんですよ」
涼二は、肩をすくめた。
「えっ……」
幸樹は、二度瞬きをして涼二を見た。
「どうしたの?」
彼女が訊くと、幸樹は、少し間を空けてから答えた。
「あ、いや。ここに来る前に、偶然会った人のことを、考えていたんだ」
「どんな人?」
彼女が訊くと、幸樹はまずセルベッサのグラスを空けた。そして、二人の顔を見てから、口を開いた。
「太田裕美の『九月の雨』って曲、知っているかい?」
(初出:2018年9月 書き下ろし)
※2019年11月25日 サキさんのご要望に従い、ヤキダマとコハクのお互いの呼び方を訂正しました。
※2019年11月26日 サキさんのご要望に従い、コハクからのコトリの呼び方を訂正しました。
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卵白が余る話
例えば、私も連れ合いもカルボナーラが好きで、時々作るんですが、もともとのレシピだと卵黄しか入っていない。カスタードクリームもそうですよね。
でも、卵白だけ使う料理ってあまりないんですよ。あえて言うとメレンゲくらい? メレンゲやダコワーズって、そんなにどうしても食べたい味じゃないんですよね。それに、カルボナーラを作っているのと同時進行でダコワーズを作らなくちゃいけないとなると、面倒で嫌になっちゃいます。
一度は、「卵白を冷凍しておく」にもトライしたんですけれど、例えばパイに塗る時に自然解凍するのが面倒くさいのです。私は電子レンジは使わないので(だから台所にない)、急いで解凍ってできないんですよ。
というわけで、卵白は余らせないことに決めました。強引に同時に使うんです。カルボナーラの時はベーコンと一緒に卵白だけ炒めてしまいます。カスタードクリームも、全卵で作るレシピで作っています。
そして、パイなどでほんの少しだけ照りが欲しい時は、卵は使わずに、牛乳とオリーブオイルを刷毛で塗っています。それで十分なのですよ。
そう決めて実行するようにしたら、冷凍庫の中に使わない卵白が増えていくという哀しみともさよならすることが出来ました。マメなことが出来ない私の性格には、この方法が一番のようです。
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