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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】その色鮮やかなひと口を -7 - 

今日は「十二ヶ月の情景」十一月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。今日は、まだ十月ですが、来週にすると、Stellaの締め切りに間に合わなくなるので、今日の発表です。

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「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、大海彩洋さんのリクエストにお応えして書きました。

11月17日、真の誕生日なんですよね~。テーマは「蠍座の女」、コラボ希望はバッカスの田中氏と思ったけれど、すでにlimeさんちの水色ちゃんとコラボ予定のようなので、出雲の石倉六角堂で。出雲なので、別の誰かさんたちが出没してもいいなぁ~(はじめちゃんとか。まりこさまとか。)


「真」とはご存じ彩洋さんの大河小説「相川真シリーズ」の主人公です。翌日11月18日は、実は今連載中の「大道芸人たち Artistas callejeros」のヒロイン蝶子の誕生日ですが、今回は絡めませんでした。「さそり座の女」ですけれど、あいつはヨーロッパにいるんですよ。「石倉六角堂」は松江ですし、蝶子はそんなにしょっちゅう日本には来ないので、無理がありすぎました。

で、はじめに謝っておきます。たくさんご要望があるんですけれど、全部はとてもカバーできませんでした。五千字ですよ! 出すだけなら出せますけれど、まとまった話にならなくなるし。というわけで、「石倉六角堂」までをカバーしました。そして、かなり無理矢理ですが彩洋さんの大事な真のお誕生日を絡ませました。でも、ご本人は出てきません。その代わり、以前この話で少しかすらせていただいた、あの方が登場です。


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【参考】
「その色鮮やかなひと口を」



その色鮮やかなひと口を -7 - 

 うわ、可愛い。怜子は思わずつぶやいた。ルドヴィコの作る和菓子は、いつも色鮮やかで、かつ、日本情緒にあふれるトーン、動物を象った練り切りなどは愛らしいのだが、今回はいつもにましてキュートだと思った。

 それは金魚を象っていた。単なる金魚ではなく、島根県の天然記念物にも指定されている『出雲なんきん』だ。土佐錦、地金とともに三大地金のうちの一つに数えられている、島根ゆかりの金魚だ。小さな頭部と背びれがないこと、それに四つ尾の特徴がある。

 既に江戸時代には、出雲地方で大切に飼育され、大名諸侯が愛でていた、歴史ある品種なのだ。不昧公の呼び名でおなじみの松江藩七代藩主松平治郷は、江戸時代の代表的な茶人でもあり、彼の作法流儀は不昧流として、現在に伝わっている風流人だが、彼もまた『出雲なんきん』をこよなく愛し「部屋の天井にガラスを張って泳がせて、月光で眺めた」という伝説すら残っている。

 今年はその不昧公の没後二百年であるため、島根県の多くで不昧公二百年祭として縁の催しが行われている。ルドヴィコの勤める『石倉六角堂』でも、不昧公ゆかりの伝統的な和菓子に加えて、二百年祭にふさわしい創作菓子を毎月発表していた。

 十二月の分を任されたルドヴィコは、怜子にアイデアがないか相談した。彼女が勧めたのが『出雲なんきん』を象ったお菓子だった。

 求肥は、上品な白で、所々朱色で美しく彩色してある。透けている餡は橙色の黄味餡。狭い目幅の特徴をよく捉えた丸い目がこちらを見ている。凝り性のルドヴィコは、試食用の『出雲なんきん』の柄を全て変えていた。

「おお、これは綺麗だ」
「ルドさんらしいわねぇ」
集まってきた職人たちや、販売員たちが口々に褒めて、手に取った。

「あ、奥様。お一つどうぞ」
怜子は、石倉夫人に朱色の部分の多い一つを手渡した。

 夫人は、一瞬その和菓子を眺めてから、わずかに不機嫌に思える口調で言った。
「いいえ、そちらのもっと白い方を頂戴」

「え。あ。はい」
怜子は素直に渡した。どうしたんだろう、そんなことをこれまで言ったことないのに。

「ルドちゃん。味は満点だけれど、つくる時はできるだけ白い部分を多くしなさいね。『出雲なんきん』は、他の金魚と違って白い部分が多い白勝ち更紗の体色が好まれるので、わざわざ梅酢を使ってより白くなるようにして育てるのよ」
穏やかに語る様子は、いつもの夫人だった。

 彼女が事務室に戻って言った後、義家が言った。
「あちゃー。サソリ女を思い出したんだな。桑原くわばら」

 怜子は、はっとした。

 それは、先週のある晩のことで、時間は遅く閉店間際だった。お店に、かなり酔っている女性が入ってきたのだ。大きめのサングラスと、真っ赤な口紅が少し蓮っ葉な印象を強めていた。
「ふふーん、ここなのね。来ちゃったわ」

 販売員は、和菓子に用はなさそうだと思っても一応「いらっしゃいませ」と言った。女性はハスキーな声で言い放った。
「あんたには用はないわ。せっちゃんを出してよ」

「……石倉のことでしょうか」
せっちゃんという名前で思い当たるのは、社長の石倉節夫以外にはいなかった。

「そうよ。あの人を出して。あたしの大事な人なの」
それを聞いていた店の人間は固まった。石倉夫人が厨房から出てきたからだ。

「申し訳ありませんが、主人は不在ですが、何のご用でしょうか」
石倉夫人が訊くと、女はゆっくりとサングラスを外して、そちらを見た。厚化粧だが、目の下の隈や目尻の皺は隠せていなかった。

「主人……ね。なんとなくわかっていたわ。やっぱり、そうだったのね。昨夜は、あたしの誕生日だったのよ。一緒に過ごす約束だったのに、いつまで経っても来ない。電話にも出ない。約束したのに、ひどいわ」
その年齢には鮮やかすぎる朱色のワンピースの開いた襟元に見える鎖骨が少し痛々しかった。

「奥さんがいる人ってわかったからって、はいそうですかって、忘れられるようなものじゃないわ。あたし、大人しく引き下がったりしないから。地獄までついていくつもりだって、せっちゃんに伝えてちょうだい。……あたし、こう見えても一途なの。ほら、歌にもさそりは一途な星座っていうじゃない、ははははは」

 その翌日、出てきた石倉社長は、いつもの朗らかな様子はどこへ行ったのか、すっかり消沈していた。数日ほどは夫人に口もきいてもらえなかったらしいが、ようやく元の朗らかな様子に戻った所を見ると、今回は許してもらえたらしいというのが、職人たちの一致した意見だった。

 その女性が来店した時は、怜子はその場にいなかったので、『出雲なんきん』の菓子から連想するとはまったく想像できなかった。でも、奥さま氣の毒だもの……。私だって、ルドヴィコが他の人にフリーだといって言い寄ったりしたら嫌。

「怜子さん。どうしたんですか? 怖い顔していますよ」
ルドヴィコにいわれてはっとした。

「ごめんなさい。あれ? それ、どうするの?」
彼は、店内試食用とは別にしてあった『出雲なんきん』を箱に詰めていた。それは販売を想定していたものよりも躍動感あるデザインで大きめに作ってあった。

「特注です。驚かないでください。怜子さんも知っているイタリア人が今から取りに来ます」

 怜子は首を傾げた。ルドヴィコを除けば、怜子の知っているイタリア人は、ルドヴィコの家族と、ミラノ在住の親友ロメオくらいだ。誰が日本に来たんだろう?

 自動ドアが開き、のれんの向こうから背の高い金髪の男性が入ってきた。女性店員たちがどよめいた。

 あ。雑誌の人だ! ヴォルなんとか家の御曹司で、同居人にすごい和食を作っているって人。かつて、この人の特集の載っている雑誌に、店のみんなでキャーキャー騒ぎ、男性陣の白い目を浴びたことを思い出した。なーんだ。そういう意味の知っている人か。

「こんにちは、いらっしゃいませ」
怜子は、使える数少ないイタリア語で言ってみた。他のアルバイトたちが羨ましそうにこちらを見ている。

 男性は、魅力的に微笑んだ。
「松江でイタリア語の歓待を受けるとは思いませんでした。嬉しいですね。お電話した大和です。マセットさんは、いらっしゃいますか」
「はい。厨房にいるので、呼んできますね」

 怜子が声をかけると、ルドヴィコは先ほどの箱を持って出てきた。
「こんにちは、大和さま」

 イタリア人同士なのに、何も日本語で会話しなくてもいいのに。どちらも、日本人と遜色のない完璧な発音だ。怜子は、つたないイタリア語で話したことを少しだけ後悔した。

「特注品で、四つでしたよね。こちらでよろしいでしょうか」
ルドヴィコは『出雲なんきん』が四匹、頭を突き合わせているように箱に詰めたものを大和氏に見せた。

「おお、これは綺麗だ。大使館でお目にかかったファルネーゼ特使が、松江に行くなら是非マセットさんの和菓子を食べてくださいと勧められた理由がわかりましたよ。これは、金魚ですよね……蠍ではなくて」

 その一言に、場の空氣は凍り付いた。幸いそこには、石倉夫人はいなかったが、石倉節夫社長が来ていた。先ほどの会話があったので、誰もがあの酔った女性のことを思い浮かべて彼の方を見ないように不自然な動きをした。もちろん、大和氏は何も氣付いていないであろう。

「ええ、これは『出雲なんきん』という島根特産の金魚を象りました。もしかして蠍に見えましたか?」
ルドヴィコが訊くと、大和氏は首を振った。

「いえ、もちろん蠍には見えません。ただ、たまたま今日、これを食べさせようとしている相手が、さそり座の生まれなのですよ。蠍にちなむものを探した関係で、朱いものを見ると何もかも蠍かもしれないと考えてしまって」

「そうでしたか。さそり座ということは、もしかして今日がお誕生日ですか?」
「ええ。そうです。彼とは、この後に出雲で待ち合わせ、誕生日を祝うつもりなのです。本人には内緒ですが、ちょっとした懐石料理の準備をしてありまして、その締めにこちらを出そうと思っています」

 例の雑誌のインタビューでも、同居人に凄い和食を作っているって話していたけれど、この人、懐石料理まで作っちゃうんだ。怜子は目を白黒させた。

「そうでしたか。蠍モチーフを探しておられたのですね。では、少々お待ちください」
そう言うと、ルドヴィコは箱から『出雲なんきん』を一つだけ取り出して厨房へ入っていった。そして、十分ほど経って出てきた時には、別の和菓子を手にしていた。

「あ、蠍……」
怜子は、思わずつぶやいた。『出雲なんきん』は透明度の高い求肥で包んでいたが、蠍の方はマットでどっしりとした練り切りだ。鋏と尾が躍り、今にも動き出しそうだ。

「一般には、あまり売れるモチーフではないですが、せっかく特注でいらしたのですから」
そうルドヴィコがいうと、大和氏は楽しそうに笑った。

「ああ、これは素晴らしい。松江中を探した蠍をこんな形で手に入れられるなんて。ありがとうございます。彼がどう反応するか楽しみです」
「どうぞ素敵なお誕生日を、とお伝えください」

 大和氏は、礼を言って代金を払うと、大事に『出雲なんきん』と『蠍』の入った箱を抱えて帰って行った。

「ルド公。ありがとうな。お前さん、機転が利くな」
「ありがとうございます、社長。蠍は朱一色ですし、形もさほど難しくなかったので」
「イタリア人っていうのは、大人になっても誕生日を盛大に祝うものなのか」

 ルドヴィコは、節夫ににっこりと笑いかけた。
「誕生日は、習慣になっているから祝うものではありませんよ」

 節夫は、わからない、という顔をした。ルドヴィコは、ニコニコしていた。
「義務や形式じゃないんです。その人のことを氣にかけている、誕生日も忘れていない、これからも仲良くしていきたい、その想いの表れなんです」

「そうか。どうも、そういうのは慣れなくてな。いつも一緒にいる相手だと、余計やりにくいんだよな」
「ストレートな表現は、一般的な日本人男性よりも一般的なイタリア人男性の方が得意かもしれません。そういう形がよりよいとは言いませんが、行動に出すと想いは伝わりやすいと思います」

 節夫は「そうか」と言って、何か考えていたが、閉店時間になると早々に帰って行った。普段のように店の若い連中を飲みに誘うこともなく。

* * *


「ただいま、帰った」
玄関の扉を開けると、節夫は少し大きな声で言った。奥の台所から妻の柚子が出てきた。

「お帰りなさい、どうしたの、こんなに早いなんて珍しい」
「まあな」
そう言うと、下げていたショッパーを持ち上げて渡した。

「あら、なあに?」
「そ、その、夕方、今日が誕生日で祝うっていうお客さんが来たんだ。それでちょっと思い出して」

 柚子がのぞき込むと、小さめのホールケーキが入っていた。和菓子屋の社長夫人として、ほとんど口には出さないが、柚子はチョコレートケーキが好きなのだ。節夫が買ってきたのは、チョコレートスポンジに、ガナッシュクリームを挟み、更にダークチョコレートでコーティングしたチョコレート尽くしのケーキだった。

「まあ。よく憶えていてくださったわね」
「誕生日だってことか」
「ええ。それに、ここのチョコレートケーキが好きなことも」
「まあな。お前は、あれが好きとか、これが欲しいとか滅多に言わないから、憶えやすいさ」
「他の女性と違って」

 きつい一刺しも忘れない。節夫は、思ったが口には出さなかった。さそり座の女は一人ではないのだ。

 柚子は、チョコレートケーキを冷蔵庫にしまい、手早く節夫の晩酌の用意をすると一緒に座った。彼女の態度は、まだ若干冷ややかだが、絶対に許さないと思っているならば、こんな風に一緒に座ってくれることはないだろう。

 四十年近い結婚生活、節夫は浮氣が発覚する度に謝り、関係を修復してきた。彼女は、どんなに怒り狂っていても「石倉六角堂」の営業に支障が出るような騒ぎを起こしたことはない。妻としてだけでなく、共同経営者として節夫にとって柚子以上の存在がいないことは、二人ともよくわかっているのだ。

 柚子は、しばらくするとチョコレートケーキをテーブルに運び、紅茶を淹れた。
「せっかくですもの。いただきましょう」
「おう」

 節夫は、ティーカップに口をつけた。ふと、柚子の視線を感じて「ん?」と訊いた。彼女は、楽しそうに笑って、『さそり座の女』の一節を口ずさんだ。
「紅茶がさめるわ さあどうぞ それには毒など入れないわ」

 むせそうになったが、節夫はなんとか飲み込んだ。まいったな。ご機嫌を直してもらう方法を、もう少しルド公に習わなくっちゃな。


(初出:2018年11月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説 100000Hit コラボ 月刊・Stella キリ番リクエスト

Posted by 八少女 夕

日本にいます

この記事を書いているのは、まだスイスにいる時なので(予約投稿です)、「たぶん」日本にいますと書くべきでしょうね。(追記 10/27 無事に到着しています)

私は週に五日(正確には四日半)働いているので、本当は金曜日もお仕事だったのですが、有休を更に一日余分に取得して、日本行きの飛行機に乗りました。

2018年の新年早々に予約した便に乗って、休暇です。予約時は、母の誕生日を祝って翌日にスイスに戻るスケジュールでした。五月末に母の訃報を聞いた時に、この便の予約を変更して行くことも考えたのですが、後ほどやることが大量にあることを見越して、別に航空チケットを購入しました。最近ようやく知ったのですが、航空会社によってはお葬式のために飛ぶための特別運賃があることもあるんですって。知らずに普通の運賃で二人分買ってしまいました。やれやれ。

さて、そんなことはさておき、予約したときとは全く違う境遇と想いと予定で、一ヶ月の日本滞在をすることになりました。あ、一ヶ月の有休ではありませんよ。そのうち一週間は働くのです。三週間の有休です。

私は普段は二週間ずつしかまとめての休暇は取りませんが、日本に行く時だけはこうした長い休みを取ります。なぜか。日本が遠すぎるんですよ。若い時には、十二時間のフライトや八時間の時差なんて大したことはありませんでしたが、寄る年波には勝てず。本当に体力的にきついのです。私はフライトでは熟睡できないので、往き帰りの旅は一日が32時間になり夜が来るまで泥のように疲れる、ということを繰り返します。それでも、かつては母がいるからできるだけ繁く帰ろうとしていましたが、その意欲はそがれました。次はきっと五年後以降でしょう。

そして、今回は、私が記憶にある日本生活のほとんどを過ごした家に滞在する最後の機会になります。片付けて、放置していたもののうち必要なものはスイスに送らなくてはいけません。それに、今まで中途半端に残していた各種制度の登録を全て変更しなくてはなりません。

本当に完全に引き上げると困ることもあるので、例えば銀行口座や国民年金などは残しますが、色々なことを変更し、登録を抹消して捨てていく作業を繰り返すうちに、かつては「私がいて当然だった場所」「何かあったら帰る場所」がなくなっていくのを感じます。たぶん、他家に嫁いだ姉は、その作業をもっと早くにしたのかもしれません。私だけがまだ、実家と母の元に心の半分を置きっぱなしにしていたのかと改めて思っています。

次に日本に来る時は、私は完全な異邦人になっていると思います。宿泊場所を予約し、身の回りのものを全てスーツケースに入れて持ち運び、知らない街に行く。そして、今は「帰国」という言葉を日本とスイスの両方に使っているのですが、スイスだけになっていくんだなと感じています。かといって、未だにスイスに100%馴染んでいるわけではない私は、どこに行っても、なんとなく身の置き所がない存在として生きるのではないかと思っています。

さて、今回の帰国は、いつもよりも大切な事務手続きや、待ったなしの片付けに追われています。本来ならば六月末に書き終えていたかった小説が、まだ三割ほどしか進んでいないし、来年からの連載の小説もまだめどが立っていません。でも、これは仕方ないことと諦めて帰国後にダッシュを掛けようと思っています。

日本滞在中は、まだ、みなさまのところにゆっくりと通える状態にないため、またしてもコメント等がご無沙汰になってしまうことをお許しください。

来年の活動について、考えていることを少しだけ触れておきます。七回目になる「scriviamo!」は、懲りずに開催予定です。2019年一月と二月は、それに明け暮れます。また、来年も「十二ヶ月の●●」シリーズは続ける予定です。「大道芸人たち Artistas callejeros」の第二部は、チャプター2が間もなく終わりますので、そこで一端止めて、可能ならば「郷愁の丘」の続編を連載したいと思っています。

少し落ち着いたら、腰を据えて「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」を書いていきたいと思っていますが、どうなるでしょうね。っていうか、まだ続きを期待してくださっている方はいるんだろうか……。早く書かねば。

そんなこんなで、ここ一ヶ月ほどは最低でも週に一度は更新しますが、若干不定期になることをお許しください。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (11)セビリア、弦の響き -3-

三回に分けたラストです。

テレビ番組に映ったことがきっかけで、幼なじみで元婚約者である陽子と電話で話をすることになった稔。以前のように居所がわからないように隠れる必要はなくなっていますが、逃げてきた手前、帰ることは考えられないようです。

陽子と稔の結びつきについては、これまでほとんど記述してきませんでした。「好みじゃないのに追われていて迷惑」というような単純な存在ではなく、彼にとっては、たくさん付き合ったカワイ子ちゃんよりもずっと大切な人であったと言ってもよかったのです。それでいながら、彼は主に陽子から逃げるために失踪してしまったのですね。この辺りにも彼の分裂した自我の問題が表れているのかもしれません。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(11)セビリア、弦の響き -3-


 蝶子はそろそろいいだろうと思って、小声でヴィルとレネに状況を説明した。二人は黙って目を見合わせた。稔は別れの言葉を言うと受話器を置いた。

 振り向くと、蝶子が妙な笑顔で手を振ったので、むっとした顔のまま椅子につき、コーヒーカップを差し出した。ヴィルはコーヒーを注いでやった。

「で、彼女は納得したのか?」
「まあな。誤解は解けたらしい。また園城にガンガン電話したりしないでほしいんだよな」

 蝶子は訝しげに首を傾げた。
「なぜ真耶の電話番号を知っていたのかしら? ヤスのお母様は簡単に教えたりなさらないでしょう?」
それを聞いた稔は呆れたように蝶子を見て、それからため息をついた。

「大学時代の名簿があるからだよ。まったく記憶にないらしいが、陽子も俺たちの大学の同窓生なんだぜ? あっちはお前をしっかり憶えていて、それでテレビで見て激怒してんじゃないか。俺たちが当時からこっそりつき合っていて、一緒にヨーロッパに逃げたと思い込んでさ」

 蝶子は天井を見上げた。あらあら。遠藤陽子? 邦楽の学生の事なんかまったく記憶にないのよねぇ。
「それは、すみませんねぇ。でも、結婚したんなら、もうヤスにつきまとう事はないんじゃないの?」
「それは間違いないけれど、どうも安田流に俺を戻したいらしい。断った」

 稔は、パン・コン・トマテにかぶりついた。レネが塩を稔の前にそっと置いた。塩をふり忘れているのにようやく氣がついた稔は、ムッとしながら塩をかけた。そうとう動揺しているらしい。

 何か言いたげだが、あえて何も言わない蝶子の顔を見て、しばらく黙っていた稔は、やがて言った。

「陽子は、俺の弟の優と結婚したんだ。優はいいヤツだが、どう考えても家元の器じゃない。たぶん陽子が安田流の家元になるだろう。あいつは、それが可能な才能を持っている。俺がそれを示唆したら、あいつは俺が帰って来るべきだと言ったんだ。俺は帰らない、わかるだろう?」

 三人は目を丸くして、黙って頷いた。

* * *


「そうじゃない、その音じゃない」
ミゲルが繰り返す。

 el sonidoとは音、響きを意味するスペイン語だ。弦の響きの違いを聴き分ける耳を稔は持っていた。

 それを全ての音楽を目指すものが持っている訳ではない事を知ったのは、小学生の時だった。

 三味線の稽古の後で、氣になって爪弾いてみた音。音色が変わる。では、こう弾くと? わずかな音色の違いを確かめるように、ゆっくりと弾く。同じような箇所を馬鹿みたいに繰り返してみる。やはり違って聴こえる。では、これは? そんな風に長い時間をかけていると、同じ小学生の生徒たちは、馬鹿にしたような顔をして、さっさと帰り支度をした。

 稔は、住まいと稽古場が同じだったので、帰り支度の必要はなかったが、同じ立場の弟の優は、稽古が終わると同時にアニメを観るために二階に駆け上がっていった。稔だけがその場に残り、我を忘れて弦を爪弾いていた。

 不意に、違う響きが重なった。はっと振り返ると、稽古場の反対側の角に座った陽子が、稔の音に合わせて弦を響かせていた。陽子にはわかったのだ、稔が何を試しているのか。そして彼女も彼女なりの響きを返しているのだ。稔は、もう一つ別の響きを返した。陽子がついてきた。掛け合った音は、稽古場に響いた。

「うるさいなあ。何をやっているんだよ」
戸口で、優の声がするまで、二人は単純な音の掛合を続けていた。どうやらそれは半時間ほど続いていたらしい。アニメの放送が終わったので優が降りてきたのだ。その声で、二人は我に返った。

「なにやってんだよ。さっきから同じ音ばっかり出してさ」
「全然同じじゃないでしょ」
「同じじゃんか」

 稔は陽子と優の噛み合ない会話を聞いて、響きの違いを聴き分けられる人間とそうでない人間がいる事を知ったのだ。たぶん、陽子も同じだった。その日から、陽子と稔は、単なる幼なじみや同じ稽古場の生徒という関係を越えた、心の絆を持ったのだ。

 el sonido。違う、その音ではない。

 ジプシーの心を表すには、スペインでギターを泣かせるには、日本人でいてはならない。フラメンコギターを弾くには、ジプシーの心を持たなくてはならない。ヒターノの音を響かせなくてはならないのだ。

 稔が目を上げると、マリア=ニエヴェスの老獪にして妖艶な顔つきが目に入った。どこかで見たような目だった。とてもよく知っている目だ。冷たくて、残酷なのに、青白く燃え立つヒターナの目。それはフラメンコの魂そのものだった。

 el sonido。俺は戻れない、陽子。お前の属している場所は、もう、俺の居場所ではないんだ。俺は安田流の三味線弾きではなくなってしまったんだ。俺は、このタブラオにいる事を、バンを運転してヨーロッパをまわる事を、そして、三人の仲間と生きる事を選んだんだ。

「そうだ。ハポネス。その響きだ」
ミゲルがついに言った。それを耳にした蝶子がそっと微笑んだ。妖艶で残酷な目に強い光を宿して。


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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

バターの話 2

ずいぶん前に、バターについて書いたことがあったので、今回は『2』としておきます。

日本は健康について、ものすごく敏感なところもあるのですが、「なぜ、そんなのが放置されているの?」というような好ましくない食品が幅をきかせていたりすることもあります。

そのうちの一つが、トランス脂肪酸なのですが、この物質に対する温度差が欧米と日本でものすごく違うのです。実際にどれほど危険なのかということは、ここでは問題にしません。タバコやお酒、それにドラッグも、体によくないのはわかっていても、摂る人は摂りますし。

で、トランス脂肪酸を含むバターの代用品ですが、日本と比較すると少なくともスイスでは全く市民権が得られていない感じなのです。売っていますよ、もちろん。ということは買っている方もいるはずなんですけれど、実を言うと「それが出てきたので食べた」という経験が皆無なんですよ。

私も迷うことなくバターを買います。私、バターが好きなんですよ。家計が傾こうが、太ろうが「だからなんなの」と言い切れるくらいに。

日本だと「バターが高くてとても買えない」という話を聞きますよね。で、どうするかというと、バターの代用品を買うか、それとも何も買わないかの二択があるかと思うんですが、スイスの多くの人たちは、そもそも「代用品を買うべきか」と迷うこともなく、多くの人がバターを買っている感じなんですよね。

日本にはバターというとどこか高級品というイメージがあって、実際に高いものだと千円を超すような凄いバターも売っています。値段を比べると、スイスのバターは決してものすごく安いというわけではないのですが、それでも「高いから買わない」という話は聞いたことがありません。

昔はそうではなかったようです。義父母が子供の頃は、よほど裕福な家庭でない限り、バターは来客があるなど特別な時にしかテーブルに上がらなかったそうです。

今では、どの家庭でも朝食にはとりあえずバターとジャムが出てきます。そのバターの種類はあまり多くなくて、生活保護を受けている人でも、夫婦合わせて150万円くらい月収がある人でも、大体同じバターを食べています。それに、私が味音痴なのかもしれませんが、スイスのバターにはあまり味の差がないように思います。料理用でない普通のバターはどれも美味しいと思います。

スイス人の食事はお昼ご飯がメインで、朝と夜は驚くくらいあっさりしています。それでも、美味しいパンとバター、それにジャムや蜂蜜、もしくはチーズとハムなどが出てきて、楽しく会話をしていると食事のことを質素だとは思わないのですよね。

そこまで生活に根付いている食品だから、そもそも代用品を使って安くあげよう、というような発想がないのかもしれません。それにですね。スイスの食品会社は、日本企業ほど研究熱心じゃないのですよ。つまり「バターに遜色のないほど、そこそこの味の代用品」なんて作れないんじゃないかしら……。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (11)セビリア、弦の響き -2-

三回に分けた二回目です。

今回登場するキャラクターのことは、第一部を読んでいないとわからないかもしれません。安田(旧姓遠藤)陽子は、稔の幼なじみです。そして、稔失踪の直接の原因となった女性といっても構いません。稔は、彼女と結婚したくなくて逃げ出してしまったのです。その後、彼女は稔の弟、優と結婚して三味線安田流を支えていくことになります。

しかし、陽子の稔への執着はあっさりと消えたわけではなかったようです。


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あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(11)セビリア、弦の響き -2-


 カルロスの別荘に帰り着いたのは午前二時だった。
「じゃあ、明日は少しゆっくりめに、九時にここを出られるようにしましょう」
蝶子があくびをしながら言うと、レネも頷いて階段を上がりだした。

 ドアに鍵を掛けて、ヴィルも蝶子の入っていった部屋に向かおうとした時に、電話が鳴った。カルロスだった。
「マリア=ニエヴェスが十五分前に出たと言ったから、今ならまだ寝ていないと思ってね」

「何かあったのか? こんな時間に」
「ドンナ・真耶がヤスくんに早急に連絡を取りたいそうです。時差の問題があるから、明日の晩まで待たない方がいいかと思ってね。電話をするように伝えてください」
「わかった。礼を言うよ」

 ヴィルは電話を切ると、まだ上の空の稔を呼び止めた。
「真耶があんたに早急に連絡を取りたいそうだ。これが携帯電話の番号だと」

「俺に? なんだろう」
稔はメモの電話番号を見つめて首を傾げた。

「義理の妹さんが、私の不在中に、ものすごい剣幕で電話をかけてきたらしいの。佐和さんが出て、どうしても安田くんに連絡したいからと伝言を受けたらしいんだけど、なんて言っていいのかわからないでしょ。それでドン・カルロスのところにかけたら、みんなはセビリアに行っちゃったっていうから、本当にどうしようかと思ったわ」

「陽子のやつ、お前の密着取材番組、観たのか……。ごめん、迷惑かけて。明日にでも、安田の家にかけるよ。もし、またかけてきたら、俺から連絡するって言ってくれ」

「わかったわ、こちらこそ、ごめんね。あの番組のせいで見つかっちゃったのね」
「いいんだ。そろそろ、潮時だったんだろ」

 電話を切ると、複雑な心境で稔は部屋に戻った。連絡して何を話せばいいんだろう。今さら、なんで大騒ぎするんだよ。義理の妹。つまり、優と首尾よく結婚したんだな。

 翌朝、稔が他のメンバーが朝食を用意している間に電話をかけると、他の三人は目を見合わせて黙った。蝶子の真ん前でかけるということは、秘密にしたい訳ではないらしい。

「あ、俺だ、稔」
そういうとしばらく稔は沈黙した。電話の向こうで誰かが騒いでいるらしい。

「そうだ。ヨーロッパからかけている。陽子と話したいんだ」
稔の言葉に、蝶子は仰天した。遠藤陽子! 噂の元婚約者じゃないの。

 しばらく待たされた後に、稔の耳に陽子の声が飛び込んできた。
「稔? 本当に稔なの?」

「そうだよ。俺と連絡を取りたいと園城真耶にかみついたのはお前だろ」
「……。かみついたって、ひどい言いようじゃない。あなた何やっているのよ。いつの間にかスペインの大道芸人のお祭の事務局長なんかになっちゃって」

「それが言いたくて、園城に電話したのかよ」
「違うわ。全然違うわ」
陽子は激しく言った。

 稔は不思議な氣持ちでいた。遠藤陽子の声だった。かつては自分の家族ほどに近かった幼なじみの、何でも話し合い、ケンカをし、三味線を合わせては競い合った陽子の声だった。二つの受話器は一万キロメートルも離れている。それは今の二人の境遇の遠さをも意味していた。

「園城真耶の番組で稔を見たと家元に、いえ、お義母様に言ったらちっとも驚かなかったのよ。理由を訊いたら、園城真耶を通して弦を稔に送った事があるって、平氣な顔でおっしゃるじゃない。あんまりだわ。なぜ、私に隠すの」

「隠していた訳じゃないだろう。単に言うほどの事じゃなかっただけだ。それより、今さらだけど、おめでとう。優と結婚したんだってな」
聞き耳を立てていた蝶子は目を丸くした。

 稔は陽子が息を飲む音をはっきりと耳にした。
「そうよ。ありがとう。私、もう遠藤陽子じゃないの。安田陽子よ。稔の義理の妹なの。だから、稔が逃げている理由はもうないのよ。なぜいつまでもそっちにいるのよ、しかも……」

 含みのある陽子の震えた声に、稔は心穏やかでなく答えた。
「しかも、なんだよ」

「何故なの? フルート科の四条蝶子とつき合っていたなんて! 私は少なくともいつも稔に対して正直だったわ。稔が誰と恋愛しようと邪魔した事なんて一度もなかったじゃない! それなのに、私を十年以上も騙していたなんて、信じられない!」

 稔は陽子の論理展開に呆れて、しばらく返事も出来なかった。
「俺がいつお蝶とつき合ったんだよ! わけのわかんない事言うなよ」

 蝶子は、椅子の上でずっこけた。会話のまったくわかっていないレネとヴィルは困ったように顔を見合わせた。

「いいか、俺はお前に隠れてこそこそ誰かとつき合った事なんかない。大学時代にはお蝶とはほとんど話した事もないよっ。その証拠にあのトカゲ女、コルシカであった時に俺の顔を覚えていなかったんだぜ!」

 ずいぶん根に持つじゃない。蝶子はどっちらけという顔をした。

 陽子は、稔の剣幕を聴いて、どうやら自分の怒りが誤解だったと悟ったらしかった。
「……。ごめんなさい。だって、ショックだったんだもの。私と婚約していたのに、四条蝶子と逃避行したんだと思ったから」

「ったく、お前なあ、あの番組観たんなら、わかってんだろ。お蝶は仲間の別の男と結婚してんだよっ。俺がその前にお蝶と恋仲だったら、そんな複雑なメンバーの中にいつまでもいる訳ないだろう。第一、お蝶は俺のタイプの女じゃない。俺の事、もう少しわかってると思っていたよ」

「わかっていると思っていたのよ。だけど、全部違ったんだと思ったら、黙っていられなくって。それで氣がついたら園城真耶の家に電話していたの」
陽子は悲しそうに言った。

「なら、もういいだろう。切るぞ。優やお袋によろしくな。お前も、元氣で頑張れよ。安田流をしょって立つんだからな」
「稔! 何言っているのよ。安田流の家元になるのはあなたでしょう。いつ帰ってくるのよ」
「俺は帰らない。俺はもう安田流の人間じゃないんだ」
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Posted by 八少女 夕

卵焼き器を使う

今日の話、『美味しい話』カテゴリーにしようかとも思ったんですけれど、中身から鑑みてとりあえず『生活のあれこれ』の方につっこんでおきます。

つい先日、挽肉がお買い得になっていました。それに、挽肉を買うとちょうどポイントが二十倍になるという時で、つい買ってしまいました。私は買い物は1週間に一度しか行かないのですけれど、挽肉はアシが速いので、買ってきたらわりとすぐに調理して冷凍か冷蔵し、使う日に温めてソースにからめるということが多いです。

で、「やらなきゃ」と思いつつも「うーん、面倒くさい」と一瞬躊躇したんですよ。何が面倒くさいかというと、ポロポロに炒めるのは大して面倒ではないのですけれど、よくやるので今回はハンバーグか、肉詰めか、その手の塊になるものを作りたかったのです。その一つ一つ丸める手間が面倒だと思ってしまったのですね。

それで、タネを作る所までやってから、卵焼きパンに詰めてオーブンで焼いてみました。(注・卵焼きパンとは、取っ手のとれるティファールの卵焼き器の形をしたものです。これって、日本にしか売っていないんですよ)

出来上がったものを適当にカットしたら、それでOKでした。

ミートローフ風

この卵焼き器を使う料理はいろいろとバージョンがあって、例えばたこ焼きや餃子などのレシピをネット上でよく見かけます。丸いたこ焼きはたこ焼き器がなければできないですし、餃子は一つ一つ包む手間があります。それを省略して、味だけオリジナルのままにするレシピです。フラットに長方形の形で焼いたものを切るんですね。

もちろん、作る本人が「どうしても丸いたこ焼きを作りたい」「餃子を包む作業をするのが大好き」という方は、オリジナルの作り方をすればいいと思いますが、同じ味であれば楽をして、その代わりもう少しちょくちょく作ってみたいと思うのであれば、それでいいように思うんですよね。

料理をなさらない方は、ピンとこないかもしれませんが、仕事が終わって疲れ切った時や、ぐずった子供の世話をしてようやく料理が出来るようになった時、その他のいろいろなシチュエーションで、「肉をダンゴにする」「皮で包む」もしくは「素揚げをしてから更に煮る」といったほんの少しの手間を考えてうんざりしてしまうことってあるんですよ。それでも、家事は毎日待ったなしで、やらざるを得ない。だから、つい楽をするためにスーパー惣菜に頼ってしまったり、外食で済ませたいと思うこともありますよね。

そんな時に、「この方法なら、見慣れている見かけとは違うけれど、味はほとんど一緒」で済む調理法があれば普通に使っていけばいいんじゃないかなと思います。少なくとも私はそうします。それで連れ合いが見かけがどうこう言っても無視。もっとも、彼は、料理の見かけにはほとんど文句を言いません。

卵焼きパン、このほかにもスペイン風オムレツ、トルティーリャを使うのによく使います。一口サイズに切って楊枝で刺すと、タパスとして出す時に好評です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (11)セビリア、弦の響き -1-

さて、『La fiesta de los artistas callejeros』が終わり、四人はまた旅に出ています。滞在先はセビリアです。事情があって、初めての滞在以来足を踏み入れていなかったこの街に、再びやってくることになりました。

私自身はセビリアには三度ほど行っています。大きな街で、数日ではとても見て回れないのですが、実はあまり長く滞在したことがありません。ここから三十キロほど離れたカルモナには合計で数週間滞在しているのですけれど。

いずれにしてもアンダルシアは異国情緒にあふれる所です。Artistas callejerosの四人にとっても重要な場所になっているようです。皆さんお忘れになっていると思うので付け加えておきますが、今回出てくるマリア=ニエヴェスという女性は、第一部で出てきたヒターナ(ジプシー)です。四人のパトロンであるカルロスの精神的よりどころでもある魔女みたいなお婆さんですね。

この章は少し長いので三回に分けています。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(11)セビリア、弦の響き -1-


 マリア=ニエヴェスのタブラオ『el sonido』で、ミゲルと一緒に弾きまくったので、稔はすっかりフラメンコの光と影に染まっていた。あまりに強く叩いたので、表板が壊れるかと思った。そろそろフラメンコ用に別のギターを用意すべきかもしれない。

「顔つきが変わっていますよ」
レネが、こわごわと覗き込み、その様子を見て蝶子が笑った。

「放っておきなさいよ。そのうちにセビリアでなくてもフラメンコ・モードに瞬時に入れるようになれば、戻ってくるのも簡単になるわよ」
そういって、バッグを探ると家の鍵を取り出してドアを開けた。カルロスのセビリアの別荘に来るのも久しぶりだった。

 セビリアに再び行きたいと言い出したのはレネだった。カルロスの前妻、あのエスメラルダとの事を氣にして、他の三人はあれからセビリアで稼ごうと言うのを控えていた。

 稔がフィエスタの待ち時間に思い出したかのように『ベサメ・ムーチョ』をミゲルに習ったように弾いていると、ヴィルが手拍子を取り出した。蝶子はやはり、あの時のマリア=ニエヴェスの踊りをまぶたの裏に描きつつ、ゆっくりと腕を伸ばしていった。蝶子の優雅な動きは、周りの人々の関心を買い、ヴィルに合わせて手拍子を叩きだすスペイン人たちが現われた。稔の『ベサメ・ムーチョ』は『セビリジャーナス』に変わった。観客の中から何人もの男や女たちが輪の中に入ってきて、みんなで踊りだした。レネはその様子をヤスミンの手を握りながらじっと見ていた。

 フィエスタが終わり、次の行き先をどうしようかという話になった時に、一番に口を切ったのがレネだった。
「セビリアに行きたくありませんか」

「行きたいのか?」
稔がぎょっとしたように訊いた。

「僕、もう大丈夫だと思います。もし、みんなが行きたいなら、僕もまた行ってみたいです」
そういって『ベサメ・ムーチョ』を呑氣に歌いだしたのだ。

 他の三人はほぼ同時に人差し指を挙げ、賛成の意志を示し、あまりにもそれが同時だったのでおかしくて笑い出した。それが決定だった。四人はセビリアを目指したのだ。

 稔はずっとセビリアに来たかった。というよりは、再びマリア=ニエヴェスのタブラオに来たかった。

 スペインにいる事が多くなるほどに、フラメンコの響きが稔の中に居座り始めた。不思議な事に、スペインを一歩出るとその存在はカーテンが揚がるように消えてしまう。けれど、再び国境を越えて周りがスペイン語を話すようになり、バルに通い詰めると、妙に落ち着かなくなる。

 それは八月の最後の週になっているのにまだ宿題に手を付けていない小学生のような、後ろめたい感覚だった。あの音を自分のものにしなくてはならない、ミゲルが弾いて聴かせた、あの晩、わずかにつかみ取れそうで、翌日には掻き消えてしまっていた、あの音を。

「セビリアにいる間、俺は毎晩あそこに通うから」
バンの中で、ハンドルを切りながら稔は宣言した。

「あそこの酒は美味かったからな」
後部座席からヴィルが短く答えた。一緒について来るという意味だ。

「だけど、ギョロ目の別荘で飲むより高くつくぜ」
「だから、朝寝坊は禁止よ。昼間にたくさん稼がなくっちゃ」
蝶子が助手席であでやかに笑った。

「イダルゴの恩人のお店の経営に貢献するんだから、ちょっとは恩返しになりますよね」
レネも言った。

 実際に恩返しになっているかは、はなはだ心もとなかった。というのは、マリア=ニエヴェスは明らかに普通の客の四分の一程度の代金しか請求しなかったからだ。

 もっとも稔は二日目になるともうずっと舞台でミゲルと一緒に弾き続ける事を要求された。また、人手が足りなくなると、他の三人はウェイター、ウェイトレスとして使われた。

 そのうちにレネは奥に引っ込んで、タパス作りを手伝いだした。イネスにつきまとって台所に入り浸っていたのが役に立ったらしい。

 蝶子は魅力的に微笑んで男性客たちに追加注文を促した。ヴィルは普段の無表情が嘘のように甘い言葉を遣うジゴロ風の男を演じ、年配の女性客たちから予定よりも高い酒やつまみを上手に注文させた。

 マリア=ニエヴェスは満足そうに頷いた。なかなか役に立つ連中だこと。
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Posted by 八少女 夕

『荒鷲の要塞』を見ながら

唐突な話題ですみません。

先日から連れ合いが、よくかけているDVDの話です。観ているといわないのは、彼がすぐに寝落ちしてしまうので、けっきょく別の日にまたかけて、更に寝落ちするという繰り返しのループの中にいるからです。

さて、その映画は邦題『荒鷲の要塞』、原題は『Where Eagles Dare』といい、はブライアン・G・ハットン監督、リチャード・バートン、クリント・イーストウッドが出演する1968年の戦争映画です。もちろん、連合軍のヒーローが大活躍で、ドイツ軍が悪者&お間抜け。そして、下に貼り付けた予告編でもわかるようにずーっと「ババババババ」と「バーン」の繰り返しのアクションムービー。

さて、ストーリーはともかく、私が注目しているのはDVDの音声の話です。

メインの音声はもちろん英語です。そして、彼は英語版をかける時と、フランス語版をかける時があります。彼にとっての母国語はフランス語なんですね。

最初は、フランス語でかけていましたが、すぐに英語にしました。主人公たちの会話がフランス語だと女々しく響いて合わないというのが理由です。私はフランス語では映画にはついて行けないので、「ふーん」程度でした。ところが、英語版で会話を聞き出したら、なんだか妙なのです。

主人公たちではなくて、でてくるドイツ人たちが変なんですよ。全員英語をしゃべっているんです。

なぜフランス語の時に違和感がなかったのかというと、フランス語吹き替え版では、ドイツ人はドイツ語で会話をしているのです。フランス人、そんな吹き替えでわかるのか、という問題がありますけれど、それはさておき、やはりナチスドイツは、フランス語や英語で会話すると変なんです。

よく考えると、こういう映画はけっこう多いように思います。こちらで映画やテレビ番組を観ていると、ちょい役で外国人が出てきて、ほとんどの会話をその国の言語で話すというのがよくあります。字幕なんてつきません。でも、なんとなく通じてしまうし、それの方がリアリティがあるんですよね。

それはたぶん、私たちが日頃からそうした多言語の中で生きているからだと思います。本当にイタリア語やフランス語やドイツ語が、普通にその辺で話されているんですよ。スーパーのレジで、道ばたで、職場で。まあ、日本語ともなると無理ですけれど。

でも、アメリカやイギリス制作の映画では、全部を英語でやるんですね。当然のことなのに妙に響くこのパラドックス。うーむ。

さてさて。そんなこんなで英語音声とドイツ語音声で、私一人が何度も観ている『荒鷲の要塞』。結末がある意味衝撃です。ネタバレは避けようと思いますが、あれですよ。日頃会社でクライアントの氣まぐれに振り回されて無駄なプログラミングをしたことなんて、「ま、いっか」と思えますね。

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荒鷲の要塞 Where Eagles Dare  1968 予告編
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Posted by 八少女 夕

【小説】庭園のある美術館で

今日は「十二ヶ月の情景」十月分をお送りします。毎月ある情景を切り取った形で掌編を作っています。三月から、100,000Hit記念企画として、みなさまからのリクエストに基づいた作品を発表しています。

月刊・Stella ステルラ 10、11月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


今日の小説は、TOM−Fさんのリクエストにお応えして書きました。今月も、難しいリクエストでした。

テーマは、『秋の東京』でお願いします。月の希望は、10月か11月で。
ウチの詩織(都立高校生)を使ってやってください。八少女夕さんの作品世界とキャラは、お任せします。


観月詩織ちゃんは、TOM−Fさんの「天文部シリーズ」のダブルヒロインの一人です。最初の登場では高校生でしたが、とある事情があって、都立高校卒業後の話になっています。事情って、つい最近彼女がうちの小説の舞台を訪問してくださった後の話を書いてしまったからです。この時の話は、以下の二つの作品でTOM−Fさんとコラボさせていただきました。

TOM−Fさんの書かれた 『この星空の向こうに Sign05.ライラ・ハープスター』 
私のお返し掌編 『あの時とおなじ美しい海』

読まなくても通じるようには書きましたけれど、まあ、そういうことが背景にあると言うことで。

そして、共演させていただいたのは、最近よく出てくるあのシリーズの、いつも作者に散々な扱いを受けているナイロビ在住のあの人です。今回も特にオチのない情景だけで、すみません。


短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の情景」をまとめて読む

【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」





庭園のある美術館で

 東京都庭園美術館のカフェは、ほぼ満席だった。

 その日、『マンハッタンの日本人展』が開催されて、氣鋭の作家たちによる現代絵画や彫刻などが展示されていた。そして、アレッサンドラ・ダンジェロ所蔵のケン・リィアン作『impression sunrise , long island iced tea』も、目玉作品の一つとして来日していた。

 リチャード・アシュレイは、美術に造詣が深いわけではない。実のところケン・リィアンがどのような画家なのかも全く知らなかった。単純に、スーパーモデルが大衆食堂にかかっていた色鉛筆画を32万ドルという高額で買い取ったという話を聞いて興味を持ったのだ。

 彼は、ケニアのナイロビ在住で、たとえニューヨークに行く機会があってもその大衆食堂に行くことはないであろう。たまたまやってきた東京でその絵を観るチャンスがあるなら、観ておくのも悪くないと思って出かけてきたのだ。それに、直接ではないが、彼はアレッサンドラ・ダンジェロやその大衆食堂と縁がないわけではなかった。

 間もなく結婚する友人の婚約者はアレッサンドラ・ダンジェロの実姉で、ニューヨークでの結婚パーティはその大衆食堂で行うことになっているらしい。リチャードはそのパーティに行くことはないが、ケニアでの披露パーティは、彼と、彼の親友であるアウレリオ・ブラスが仕切ることになっているのだ。

 仕事を兼ねて日本へ行くというアウレリオに同行して、プライヴェートな休暇として秋の日本にやってきたリチャードは、この展覧会の話を聞き一緒に行くことにした。商談を終えて合流するはずだったアウレリオがやってこないので、彼は十五分ほど待ってから中に入り、一人で展覧会を見て回った。

 アウレリオのことは心配していなかった。彼が時間通りにやってきたら、その方がよほど不安に思ったことだろう。アウレリオは、知り合ってから二十年近く経つが、予定通りに現れたことは二度ほどしかなかった。

 この美術館は、かつては日本のプリンスの一人である朝香宮鳩彦王が1933年に、当時フランスで全盛を迎えていたアール・デコ様式を大胆に取り入れて建てた邸宅をそのまま伝えている。建物そのものが芸術作品といってもよく、日本国の重要文化財に指定されている。

 アール・デコ風の額縁に収められ、赤外線センサーと警報器に守られている『impression sunrise , long island iced tea』は、確かに繊細で美しい作品だった。しかし、リチャードは美術への造詣が浅く、何をもって他の作品よりいい、悪いと判断すべきなのかわからなかった。そして、32万ドルの価値がどこにあるのかは、全く理解できなかった。

 それは他の作品も同様で、納得したのかしないのか、自分でもわからないまま、とにかくお茶にしようと思ってカフェにやってきたのだ。少なくとも食べるものが美味しいか、まずいかだけは彼でもわかるのだ。

 彼は、颯爽と庭園に面したカフェ『TEIEN』に入り、ケーキとコーヒーを食べたいのだと言った。

 店員は彼を見上げて困った顔をした。リチャードはケニア生まれのオランダ人で、187センチと長身だ。自由な方向になびいてしまう赤毛と、そばかすの多い白い肌を持って生まれてきたが、長らく赤道直下の太陽に焼かれたせいで、外から見える部分の大半はかなり浅黒くなっていた。

「申し訳ございません。ただいま満席でございまして。少々お待ちくださいませ」
何を言っているのか、全くわからない。日本語だから。彼は、満席だといっているのではないかと推測した。相席でもいいかと訊いているんだろうか。

 ぐるっと見回すと、窓辺に一人で腰掛けてアイスティーを飲んでいる若い女性が目に入った。柔らかなウェーヴのかかった髪の綺麗な日本人女性だ。先ほどの絵『impression sunrise , long island iced tea』で、白い服を着た女性の前にあった飲み物に似ている。もっとも『ロングランド・アイスティー』は、強いアルコールの入ったカクテルだから、この女性の飲んでいる罪のないソフトドリンクと同じではないだろう。

 窓から入ってくる柔らかな陽射しに、グラスの明るい茶色と、彼女の艶やかな髪が輝いて見えた。

 目の前の係員は、しどろもどろの英語で「満席です」「お待ちください」というようなことを伝えようとしていたが、彼はわからなかったフリをして、窓辺の女性の近くへと進みながら言った。

「ここに相席してもらうんですね。彼女が嫌でなければ、僕は構いませんとも」と女性にも聞こえるように係員に宣言した。女性は、それでこちらを見て、まともに目が合った。

「ありがとう、お嬢さん。助かりましたよ」
彼は人なつこく笑いながら、女性の前に座った。店員は、諦めてメニューを取りに行ってしまった。リチャードの目の前に座っている彼女は、少し困った様子で、ただ頷いた。

「英語はわかりますか? ああ、大丈夫そうですね。日本は面白いですね。多くの方が英語はわかるのに、ほとんど返事をしないんですから。でも、こうしてトライすると、ちゃんと意思が通じる。そうですよね」
返事を待たずにどんどん会話を進める。

「ちゃんと話せる人もいます。例えば、私の友人はニューヨークに留学中ですが、地元の人と同じように流暢に話せます」
その女性が、ゆっくりとではあるがきちんとした英語で話すと、彼は前よりももっと嬉しそうに身を乗り出した。

「やあ、そういうあなたもちゃんと返事をしてくれた! 素晴らしい。僕は東京に来たのは三回目で、プライヴェートで動き回るのは初めてなんですが、あなたが初めての友達になりそうだ。リチャード・アシュレイといいます。どこから来たと思いますか?」

 女性は、首を傾げた。
「どこか南の島ですか?」
日焼けから推測したのかな。リチャードは笑った。

「はずれ。アフリカ大陸です。ケニアです。ナイロビに住んでいるんですよ。今週は、親友と一緒に東京に来ていましてね。この展覧会でアレッサンドラ・ダンジェロ所蔵の絵が展示されるって聞いたんで、予定を変更して見に来たって訳です。驚いちゃいけませんよ、実は僕たちの友人がまもなくそのアレッサンドラ・ダンジェロの義兄になるんですよ。まあ、僕たちはまだ彼女とは面識がないんですけれどね。きっと時間の問題でしょう。だから、先に絵の方とお近づきになるのも悪くないと思いませんか」

 彼はここまでの間に、まったく息継ぎをした様子がなかった。女性はあっけに取られ黙って頷いていた。

「ああ、親友はどこかって疑問に思うでしょうね。それは僕も同じなんですよ。どこにいるんでしょうね。あいつは昔から、どういうわけか予定の通りに行動するってことが全く出来ないんです。本当なら二時にこの美術館の入り口で合流していたはずなんですが、もう三時半ですからね。それはそうと、僕はケーキでも頼もうと思うんですが、お嬢さんも一ついかがですか。ご馳走しますよ。やあ、まだ名前を訊いていなかったな、教えていただけませんか?」

「観月詩織です」
彼女がそう答えると、彼はそばかすの多い顔をさらにほころばせた。そして、詩織をケーキのショーケースに連れて行った。

「そうですか。もう僕たちは友達ですからね、シオリって呼んでもいいですよね。僕のこともリチャードって呼んでください。おや、これは困ったな、なんて美味しそうなケーキばかり並んでいるんだ。シオリは何を頼みますか。二つでも三つでも遠慮しないでくださいね」

 詩織は遠慮していたが、リチャードが何度も勧めるので諦めて一番さっぱりしていそうなレアチーズケーキを選んだ。彼の方は、フルーツタルトとチョコレートケーキを頼んだ。

「この時期の東京に来たのは初めてなんですよ。アウレリオは、あ、これが待ち合わせに来ない友人の名前なんですけれどね、彼が言うには、日本に行くなら春かこの時期がベストだって言うんです。一度夏に来た時にはモンバサに来たかと思うくらい蒸し暑くて閉口しましたが、今は嘘のように過ごしやすいですね。あとでその庭園を散策するつもりなんですけれど、シオリ、あなたも付き合ってくださいますよね」

 カフェの目の前は、日本庭園になっていた。池を中心に築山や茶室が、豊かな自然に囲まれた静かな四季折々の佇まいを表現している。職人たちの技の粋を集めたアール・デコ様式の邸宅も素晴らしいが、宮家の人々は完全な洋風の世界のみに住み生きるのではなく、やはり和の心で日本庭園に向き合うことも好んだのであろう。

 ヒヨドリ、ツグミ、セキレイ。たくさんの小鳥のさえずりが響いていた。そして、虫の声も聞こえる。都心にあることを忘れてしまいそうになる。リチャードは日本庭園内の茶室を指さした。
「あの建物はなんですか」

「あれはお茶室です。ティーセレモニーをご存じですか。そのセレモニーのために建てられる専用の小屋です。間取りや設備が決められている上、環境もそれにふさわしい静けさと自然を兼ね備えている必要があるんです」
「なんですって! お茶を飲むために、静かな庭や小屋を用意する必要があるんですか?」
リチャードは、信じられないと大げさに騒いだ。

「ティーセレモニーのお茶は、ただのお茶とは違うのでしょうね」
詩織は微笑んだ。

「ロングアイランド・アイスティーが紅茶ではないように?」
リチャードの問いに、詩織ははっとして立ち止まった。

 彼女は、長らくそこに立ちすくみ、何かの想いを追っているようだった。それでリチャードは当惑した。
「あの絵に何か特別な思い出があるんですか、シオリ?」

 そう訊かれて彼女は、ようやくそこにリチャードがいたことを思いだしたように顔を向けた。
「ええ。とても深い思い出があります。いえ、それはきっと絵を描いた本人にあるのでしょうね」

「あの作者、ケン・リィアンをご存じなんですか!」
詩織は、ただ小さく微笑んだ。リチャードのように自分が当事者と知り合っていることを自慢したりはしなかった。

 その色鉛筆画は、実は詩織がかつてケン・リィアン自身から受け取り、吉祥寺の自室の引き出しに収めていたのだ。あの絵を持ってニューヨークの友人を訪ね、今は亡き画家の足跡を共に辿った。そして、彼が大切な女性を想いながらこの絵を描いたと確信した場所を探し当てて、飾ってもらうように頼んだのだ。

 絵は、その後、同じ場所に飾られたままで著名なスーパーモデルの手に渡り、一時的にこの東京に里帰りしている。この展覧会での収益は、薬物依存症治療の支援団体に寄付されるそうだ。

 秋の爽やかな風に、詩織のわずかに赤みかがかった髪が踊る。楓のまだ緑の葉が優しくそよぐ。湖面をつがいの鴨がゆっくりと泳ぎ去って行った。

「さあ、あちらへ行ってみましょう」
詩織は、想いを振り切るようにそう言うと、落ち着いた佇まいの西洋庭園を通り、美術館の本館に近い明るい芝庭へとリチャードを案内した。

 芝庭は明るく開放的で、人々がのんびりと寛いでいた。見るといくつかの野外彫刻が置かれている。
 
「やあ。こんな所にキリンがいるぞ」
リチャードが笑い出した。ブロンズ製のキリン像が首を弓なりに反らして近くの木の葉を食べようとしているように見える。

「ケニアには野生のキリンもいるのですよね」
詩織が訊くと、リチャードは頷いた。
「ええ。それも、首都のナイロビの近くにも住んでいるんですよ」

「え? でも、ナイロビは首都ですよね」
「そうです。ビルが建ち並ぶ都会です。でも、郊外にでるとサバンナが広がっているのですよ。すぐ側にも国立公園がありましてね。ライオンやヒョウはそんなに簡単には出会えませんが、インパラやシマウマ、それにキリンなどはそれほど珍しくないのです。それに仕事柄、野生動物の保護区に行く機会がとても多いので、月に数回は目にしていますよ」

「よく見慣れているものを、入館料を払いわざわざ見るのは不思議な感覚がするんじゃありませんか?」
詩織が訊くと、リチャードは笑いながら頷いた。
「ええ。あなたもそうでしょう、シオリ。あの絵をわざわざ展覧会で観るのは不思議に感じるのではないですか」

 詩織は、そうですねと小さく頷いて、アール・デコ建築の堂々たる姿で佇む本館を眺めた。

 かつて彼女のものであった絵は、彼女の手を離れ違う世界に旅立った。晩秋、この庭の銀杏や楓が美しい錦絵を見せる頃には、ひっきりなしにしゃべり続けるこのケニアからの男だけでなく、あの絵の中の白い服を着た女性もまたこの国から立ち去るだろう。そして、あの輝かしい海を眺めながら「ロングアイランド・アイスティー」を楽しむのかもしれない。

 そして、彼は? 彼の魂は、ここにいるだろうか。それとも、あの海へ行くのだろうか。自由に、全てから解放されて。詩織は、そんなことに思いを馳せて、リチャードと共に出口へと歩いて行った。

(初出:2018年10月 書き下ろし)

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