ご挨拶
とはいえ、日本の習慣に従って行動なさっていらっしゃる皆様が、違和感を持たれたり、落ち着かない心持ちになられたりするのも、申し訳ないと思いますので、年始はこの2018年の振り返りと2019年への抱負の記事のまま、ひっそりと始めたいと思います。その分、この場をお借りしましてひと言ご挨拶させていただこうと思います。

【創作とブログの活動】
2018年はなかなか創作に集中できない年でした。ブログにおいては、下記のような作品を発表しました。
長編・郷愁の丘 (完結)
長編・大道芸人たち 2 (チャプター2 終了)
短編集・十二ヶ月の情景 (完結)
不定期連載・リゼロッテと村の四季
企画もの・scriviamo! 2018の作品群
その他、エイプリルフール作品など
一月に、カウンターが100,000Hitに達したので、三月から十二月までの「十二ヶ月の情景」は、すべてリクエストにお応えして書く記念掌編スタイルでした。
また、月間「Stella」用の作品を「十二ヶ月の●●」シリーズにするという企画の統合を行ったので、前ほど連載がブチブチ途切れることはなくなったと思います。
創作ではないのですけれどブログに関連のあるトピックとして、2018年は二年ぶりに帰国し、関西へ出かけて多くのブログのお友達にお目にかかりました。特に、大海彩洋さんには三泊四日、泊めていただき更にずっとお世話していただきました。この場を借りて改めて御礼申し上げます。また、オフ会での幹事、さらには中継まで全部やっていただいたTOM−Fさん、本当にありがとうございました。また私のためだけではないでしょうが、お忙しいなか日時を合わせて集まってくださったブロ友の皆様、そして、京都に再びいらしてご案内くださったおだまきさんにも感謝でいっぱいです。次回一時帰国するのはいつになるかわかりませんが、その時にまた遊んでくださると嬉しいです。
さて、2019年の活動ですが、既に始まっている「scriviamo! 2019」(皆様のご参加をお待ちしています)、その後に「郷愁の丘」の続編である「霧の彼方から」の連載を考えています。平行して少しずつ「黄金の枷」シリーズの続編または「森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠」の方を形にしたいと思っています。発表の方は、まだいつになるかわかりませんが、できるだけ早くこぎ着けたいと思っています。
【実生活】
・休暇旅行
毎年恒例のポルト旅行、2018年は三月ではなく少しでも遅い四月にしたのですが、雨が多くてあまり暖かくありませんでした。ただ、たまたま五つ星ホテルに泊めてもらうラッキーがあったので、その滞在を楽しみました。
2019年は、サン・ジョアンの前夜祭のある六月後半にポルトに行きます。これは既に予約済み。その他の休暇でどこに行くのかはまだ決めていません。なんせ、相談する連れ合いが現在アフリカにいるので。
・二度の日本帰国
2018年の一月に、十月末からの日本帰国を決めて予約を入れました。この時にオフ会をしたいという話を進めて、日にちだけ決めていただきました。ところが、五月末に母が急逝したので、その翌日から連れ合いと共に一週間日本に行きました。この一週間は偶然ですが休暇が入っていた時期でした。十月末からの一ヶ月の帰国は、そのままにしておき、帰国して姉と二人で必要な手続きや片付けなどをしました。
十月末からは一ヶ月の一時帰国をしました。このうち一週間はノマド状態で勤務しました。残りの三週間は一応休暇で、上記のほか既に何回か報告の記事を書いているように、五泊六日の関西旅行を楽しんだほか、姉と実家の片付けや相続の手続き、カトリック死者の月に行われる追悼ミサなどへの出席などであっという間に過ぎてしまいました。
・仕事と家庭
この辺は現状維持でしたが、やはり母の急逝に伴い、いろいろと手続き上で必要なことが多く慌ただしかった年でした。ベルンの日本大使館に二度も行くことになりましたし、書類を用意してサインをしたり、姉と連絡をとったり、実家から持ち帰ってくる荷物のために自宅を片付けてスペースを作ったりということが多く、かといって仕事や家事の方の時間はこれ以上削れないので、他の年よりも創作に使える時間が少なくなりました。
2018年は母以外にも永別のニュースが多く、「次の機会はもうないかもしれない」ということをしみじみと感じるようになりました。一方で、素敵な新しい出会いがいくつもあり、(私の作品のキャラたちに負けずに)人付き合いの下手な私でも、勇氣を振り絞ってもっと外に出て行くようにしたいと思い行動するようになった年でした。いろいろな事を変えるのが億劫になり、さらにいうと体も頭脳も二十代の頃ように楽に動かなくなっていますが、それを補うべく意識的に前向きになろうと思っています。
2018年にこのブログを訪れ小説や記事に関心を持ち励ましてくださった皆様に、心から御礼申し上げます。2019年もさらなるご指導をお願いすると共に、また皆様との楽しい交流があることを心から祈っています。引き続き「scribo ergo sum」を、どうぞよろしくお願いいたします。
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scriviamo! 2019のお報せ
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「scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。
私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去5回の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。
では、参加要項です。(「プランC」の増設以外は、例年と一緒です)
ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)
- - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
- - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
- - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
- - イラスト
- - 写真
- - エッセイ
- - Youtubeによる音楽と記事
- - 普通のテキストによる記事
このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。
記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩(短歌・俳句)」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)
参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返画像(絵は描けないので、フォトレタッチの画像です。念のため)」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。
過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)
また、「プランB」または「プランC(New!)」を選ぶこともできます。
「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。
「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。
「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)
「プランC」は「scriviamo!」としては新しい参加方法ですが、要は77777Hit記念の時と同じリクエスト方法です。私は、7つのカテゴリーから0~1つずつ(同一カテゴリーから二つ以上選択した場合は最初の一つだけになります)選択していただきその組み合わせでの掌編小説のリクエストをお受けします。最低三カテゴリーから選んでください。出題した方は、私と同じではなくていいので、やはり下の選択肢から選んで作品(またはエッセイ、マンガなど)を書いて記事にしてください。選択方法について詳しくは、こちらの記事を参考にしてください。
時代/舞台選択肢(具体的な指定は出来ません)*中世ヨーロッパ
*近世日本(室町~江戸)
*現代日本
*近世ヨーロッパ
*上代日本(平安時代まで)
*現代・日本以外
*古代ヨーロッパ
植物選択肢(具体的な指定は出来ません)*針葉樹/広葉樹
*園芸用花(樹木または草花)
*薬用植物
*野菜
*穀物
*毒草
*その他(苔類・菌類・海藻など)
飲み物/食べ物選択肢(具体的な指定は出来ません)*地元の代表的な酒/もしくは嗜好飲料
*一般的な酒類/もしくは嗜好飲料
*肉
*魚
*果物
*デザート
*アペリティフまたは前菜
建造物/乗り物選択肢(具体的な指定は出来ません)*城
*橋
*教会または神社仏閣
*家
*車輪の付いた自家用乗り物
*乗用家畜(馬・ロバ・象など)
*公共交通機関
季節/天候選択肢*春
*夏
*秋
*冬
*晴天
*雨や雪など風流な悪天候
*ひどい悪天候(嵐など)
八少女 夕作品キャラクター選択肢 (具体的なキャラ名での指定は出来ません)*「大道芸人たち」関係
*「樋水龍神縁起」(現代 / 平安時代)関係
*「ニューヨークの異邦人」(マンハッタンシリーズ)関係
*「森の詩 Cantum Silvae」関係
*「黄金の枷」関係(時代は古代から現代まで可能)
*「夜のサーカス」関係
*カンポ・ルドゥンツ村在住キャラ(時代は古代から現代まで可能)
オプション選択肢*コラボ(リクエスト者の自作キャラクター/要・具体名)
*第三者ブログのキャラクターとコラボ(要・具体名/作者の許可を得られた場合のみ)
(私と交流のない方のキャラのご指定はご遠慮ください)
*イラスト/写真からイメージする作品を書く(ご用意ください)
*イメージBGM(youtubeなどで指定してください)
*シリアス
*冗談
*独立掌編(外伝不可)
※選択肢の組み合わせに矛盾がないようにしてください。
期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2019年2月28日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも2月3日(日)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。
皆様のご参加を心よりお待ちしています。
【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから一週間ほどお時間をいただきます。
小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。
ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合はおよそ3,000字~10,000字で返させていただきますのでご了承ください。
当ブログには未成年の方もいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。
他の企画との同時参加も可能です。例えば、Stella参加作品にしていただいても構いません。その場合は、それぞれの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。私の締め切っていない別の企画(神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません)
なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。
嫌がらせまたは広告収入目当の書き込みはご遠慮ください。
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関西の旅 2018 (2)
前回の流れで、次はオフ会の話、だと思われた方が多いかと思うのですが、オフ会については多くの参加者の方が既にたくさん記事にしていてくださり、ここで改めて私が書くとなると繰り返しになるか、もしくは書くわけにはいかないプライヴェート情報が混じるので、この写真だけ。たこ焼きです。オフ会でいただいた食べ物は、レトロな喫茶店も含めて何でも楽しくて美味しかったのですが、とりわけこれが印象に残りました。
関西の方って、やはり粉ものがソウルフードなんでしょうね、皆さん詳しいし、こだわりもあるし、美味しい所もご存じです。一家に一台たこ焼き器があるという噂も、あながち大げさではないらしく、ちょうどスイスの家庭にチーズフォンデュ鍋とラクレットマシンがかなりの確率であるのに似ている状況のようです。
で、たこ焼きを道頓堀で食べたんですけれど、夕食の前に一人前は無理だということで、半分こして食べたのですよ。熱々のたこ焼きで、素人の私は案の定舌に火傷を食らいましたが、それもまたお約束で、みんなでハフハフは嬉しかったなあ。

さて、がらりと話は変わりまして、こうやって皆さんにお世話になっている合間に、関西の交通機関に乗る機会がありました。大きな移動は彩洋さんの車に乗せていただいたのですけれど、それ以外に、彩洋さんと合流する前、オフ会に向かう時、彩洋さんがお仕事中に一人でふらついている時などです。
今回、いかに私が関西に土地勘がなかったがはっきりしました。とにかく、大阪ミナミに、オフ会メンバーの方々がどうやっていらっしゃるのかも全くわかっていなかったのです。(泊めていただいた彩洋さんをはじめ、大阪府在住でない方が結構たくさんいらっしゃいました。翌日お仕事なのに、遠くなのに、遅くまで遊んでくださった皆さん、本当にありがとうございました!)
オフ会の前日に彩洋さんと豊中で待ち合わせだったのですけれど、その前に別の知り合いの和菓子の店に行こうと思って出かけていったのが西宮でした。あ、最初に新大阪について、JR大阪へ出たのですよ。そこが梅田というのだと、ようやく理解しました。そして西宮には阪神電車で、それから梅田に戻り、今度は阪急電車に乗るのだと判明。まるっきり無駄な動きをしていると行ってはじめてわかりました。
でも、どっちの路線も「阪」ってついているから、ごちゃごちゃになるんですよ。西宮も梅田も豊中も聞いたことがあるから、なんとなく近いのかと思ったり。ところが梅田から意外と遠かった西宮は、時間の関係で、ほぼとんぼ返りでした。

そして、ここからが、彩洋さんにも報告しそびれた間抜けな話なんですけれど、実は、オフ会の翌日、神戸で遊べるように車で連れて行っていただいたのですが、神戸観光を楽しむ前にまた梅田へ行ってきたのです。西宮行きで時間を食ってしまった関係で、梅田で予定していた用事が時間切れになってしまい、それでもいいかなと思っていたのですけれど、「あれ、今の自由時間があればいけるかも!」と思ってしまったのですね。
実際に梅田と西宮の往復をしたのとあまり変わらない時間で三宮と梅田の往復も出来てしまいました。用事も無事にこなしたし、その後神戸一人観光も楽しんだし、ほくほくしていました。が、関西の方が聞いたら呆れる動きだなあと、ちょっぴり恥じ入っていたのでした。
ちなみに私はノスタルジックな理由で、阪急電車の方に好んで乗っていました。●十年前と同じ色の車体なんですよね!
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【小説】追憶の花を載せて
今日の小説は、ポール・ブリッツさんのリクエストにお応えして書きました。
12月、うちの鈴木くんと八少女さんのキャラクターを誰かコラボさせてください。いろいろと性格とか考えると、八少女さんの小説世界にからめられる人間が鈴木くんくらいしかいない(笑)
そろそろ鈴木くんも中学生なのでホームステイかなにかでヨーロッパへ旅行させてもいいでしょうしね(^^)
鈴木くんとは、こちらのポールさんの小説の主人公です。
恩田博士と生まれ変わりの機械たち
ヨーロッパへ来ていただく事も可能だったのですが、私のキャラが中学生がホームステイするような所にあまりいないなあ、ということで、日本を舞台にした掌編になりました。
ポール・ブリッツさんの元になった小説が、とてもいいお話なので、余計なことを書いてぶち壊したくないなと思い、もともとの設定を元に書きました。あー、と言うわけで、原作を未読の方はまずポールさんの作品を読んでから、こちらを読まれることを推奨いたします。
コラボさせたのは、昨年の「十二ヶ月のアクセサリー」シリーズの中で出てきた二人組です。

追憶の花を載せて
加奈はウィンドゥ・ディスプレイ越しに灰色の空を見上げた。今朝はかなり冷え込んでいる。もしかしたら雪が降るのかもしれない。
恋人たちがイルミネーションの輝くロマンティックな街を歩く。洒落たレストランで乾杯をする。そんなクリスマスの過ごし方を加奈はしたことがない。恋人が出来れば、その時には……というような期待もない。なぜならば、加奈には既に生活を共にするパートナーがいるのだ。
その麗二と加奈にとって、クリスマス・イブはかき入れ時だ。二人は『フラワー・スタジオ 華』という花屋の共同経営者なのだ。
クリスマスはパーティや花束の注文が多く、二十五日からは忘年会や送別会、それにお正月迎えの花の注文で、文字通り食事をする暇もなくなる。一日が終わるとくたくたで、とてもその後にデートをするつもりにはなれない。
ハードなのはそれだけではない。花屋というのは冬には過酷な職場だ。しもやけやあかぎれは日常茶飯事だし、ひんやりした店をつらく感じることも多い。バイト時代とは違って、二人で店を持つようになってからは、防寒着で店に出るようにしたし、定期的に暖かい室内での仕事や作業を交代でするようにしているけれど、それでも、なぜこんなに寒い思いをする仕事を選んでしまったんだろうとため息をつくこともある。
それでも加奈は、この仕事が好きだった。二人とも初めて持った店である『フラワー・スタジオ 華』は、生業であると同時に夢の実現でもあった。この世知辛い世の中、いくつもの花屋が生まれては消えていくが、店の経営はなんとか軌道に乗り、持ちこたえて八周年を迎えようとしている。
花を贈る人々、花を自宅に用意する人たちにはそれぞれの物語がある。その人生の重要なシーンに、麗二とともに関われることは、とても素敵だ、そう加奈は思っている。
それに、この時期の客たちから聞くストーリーは、なかなかドラマに満ちて、加奈の趣味である同人誌の題材になってくれることも多い。
モデルになった人たちは、自分の容姿や言動に似ている登場人物が、同人誌の世界で華麗にパフォーマンスをしていることはもちろん知らない。モデルにした人たちについては、完全な架空の人物よりも敬意を払い、重要で好意的な役割を与えていたけれど、さすがに伝える勇氣はない。
一方、キャラクターへの愛情が湧き、モデルとなった客に対しても、より好意的に熱心に接客に当たることになる。その本末転倒な熱意にもかかわらず、その顧客がある時から二度と店にやってきてくれないこともある。同人誌の件が明るみに出たからではなく、単純に他の店を好んで行くようになったり、引っ越したり、亡くなったり、とにかく様々な理由からだ。
そうした店にとっては過去となった顧客の好んだ花の組み合わせや、特別な理由で作ったアレンジは、加奈の心の中でそのお客さんたちに捧げた花束として残っている。その人たちの顔を思い浮かべる時に、いつも花があるのだ。
麗二にその話をしたら、彼はそれに同意した。
「ああ、俺も花を一緒に思い浮かべるよ。もっとも、今よく来てくれるお客さんでもそうだけどな」
加奈は、意外に思った。想像の中で花を散らしているのは、件の趣味を持っているがための、少し妙な妄想だと思っていたのだ。そうではなくて、どうやらこれは、花屋の職業病みたいなものなのかもしれない。
そんなことをつらつらと考えつつ、レジの下に置いた小さなヒーターで手足を温めていたら、ドアが開いて、ベルが鳴った。
「いらっしゃいませ」
そういいながら、入ってきた客を見て、加奈は「あら」と意外に思った。十代前半と思われる少年だったのだ。彼は、怖々と店の中をのぞき込み、「花くらい、毎週、買っています」というような風情はなかった。
彼を見て、すぐに「対象外」と思った。同人誌のジャンルは、麗しい男性によるステージパフォーマンスで、ソフトなロマンスも含むが、加奈に言わせると「BL」ではない。少女マンガ以下のぬるい描写だからというのがその言い訳だが、そう言い張る加奈にも良心はある。モデルにするならやはり成年でないと。いくら妄想とはいえ、犯罪はいけない。ましてや相手はお客さんだ。
そんな彼女の思惑を何も知らない少年は、店を一通り見回してから、助けを求めるようにこちらを見た。
「何かお探しですか」
加奈は少年が逃げ出したくならないように、できるだけさりげない調子で訊いた。
「ええと、花を」
それはそうだろう、ここは花屋だから。そう思ったけれど、そうは言えない。
「花束? アレンジ? それとも鉢植え? プレゼントですか?」
矢継ぎ早に質問を投げかける。目的がわかると、提案がしやすいのよね。
「お墓に供えようと思って。今は寒いから、すぐにダメになっちゃうのかな」
少年は、口ごもった。なんと。意外な目的だわ。
ちょうどその時、バックヤードから麗二が出てきた。筋肉ムキムキな上に姿勢がいいので小柄な少年には威圧的なのかもしれないと一瞬心配したが、片手に持った小袋から裂きイカを取り出しては口に放り投げていて、威厳のカケラもない。っていうか、その接客態度は、ちょっと。
「あ、ちょうどいい所に。こちらのお客さん、お墓に供えるお花を探していらっしゃるんだけれど、切り花じゃない方がいいのかって、寒いから」
麗二は、少し考えて頷いた。
「そうだな。菊などはわりと寒さに強いし、寒い方が暑いよりも持つとは思う。もっとも、ごく普通の仏花をここに買いに来たわけじゃないんだろう、きみ」
そう訊くと、少年の顔はぱっと明るくなった。
「そうなんです。ぼくにとって、一番尊敬できる大切な人のお墓なので、お墓の近くで売っている、みんなと同じような花は、いやなんです。でも、みんなと違う花を供えて、ぼくのだけすぐにダメになったり、供えるべきでない常識はずれの花を持っていったなんて言われたりしたらよくないと思って」
麗二は、少年に笑いかけた。
「そうか。基本的には、何を供えても構わない。でも、『常識がない』と後ろ指を指されるのが嫌なら、とげのある花と蔓のある花は、避けた方が無難だね。例えば薔薇なんかだよ」
「なるほど。そう言えば、お墓に薔薇が供えてあるのは、見たことがありません。ぼく、白い薔薇ならいいかなって思っていたんですけれど、それじゃダメですね」
「薔薇は寒さには弱いから、いずれにしても今はやめた方がいいだろうな。そういえば本物の薔薇じゃないけれど、クリスマスローズの鉢植えはどうかい? 寒さに強くて、この季節らしいし、文句を言われないような色のものが多いよ」
そう言って麗二は、薄いピンクや白の鉢植えを少年に見せた。
十二月に咲くクリスマスローズは、ヘレボルス属の中でもニゲルと呼ばれる植物だ。同じヘレボルス属のオリエンタリス も日本では「クリスマスローズ」の名前で売られているが、こちらの開花は春先になる。
花びらに見える部分は、実は
「ああ、クリスマスローズは、花言葉もちょうどいいかもしれないわね」
加奈が言うと、少年はこちらを見た。
「なんていうんですか?」
「いろいろあるけれど、『慰め』や『追憶』って言葉が代表的かしら」
「それに、受験生や学者に贈る人もいるよな。『
「学者……。実は、供えたいお墓に眠っているのは、僕が一番尊敬している博士なんです」
「だったら、ちょうどいいな。多年草だから直植えして根付いたら、ずっと咲き続けるよ」
麗二は、咲きそろっている花の鉢をそっと揺らした。
「そうですか。じゃあ、それでお願いします」
「春先に咲くのがいいなら、ヘレボルス・オリエンタリスだけれど、今はまだ入荷していないな。今、欲しいなら、このニゲルだね。どんな色がいいのかな」
「その薄紫のをください。それから、春になったら咲くのも供えたいから、入荷したら教えてくれませんか」
「いいとも。じゃあ、ここに名前と連絡先を書いてくれるかい……ふむ、鈴木君っていうんだね。電話番号も……ああ、ありがとう」
麗二は、大人の自分よりもずっと上手な鈴木少年の字を感心して眺めた。
大事に鉢植えを抱えて鈴木少年が出て行ってすぐに、また扉が開いて一人の老人が入ってきた。
「ああ、先生、こんにちは」
麗二は頭を下げた。
「今の男の子……」
先生と呼ばれた老人は、首をひねっていた。
「ご存じなんですか」
加奈が訊くと、はたと思い出したような表情をしてから、彼は笑顔を見せた。
「ああ、旧友の葬儀で遭った子だ。彼の最後の弟子といってもいいな。あの時は、確か小学生だったが、ずいぶん大きくなったな」
ウィンドウから覗くと、少年は自転車の籠に鉢を大事そうに載せると、颯爽と漕いで去って行った。
「そうですか。一番尊敬している博士のお墓に供えるって言っていましたよ。その方のお墓じゃないでしょうか」
麗二は言った。
「だろうな。あいつを憶えていて、まだ慕ってくれることは、わたしは嬉しく思うよ。だが、あいつはどう言うかな。『追憶』なんてものは、老人に任せて、若者は前を向いて行けなんて、あまのじゃくなことを言うんじゃないかな。というのも、わたしもあいつの遺言に近いような言葉を聴いたんだ」
『ふり返っちゃだめだぞ、鈴木くん。ペダルをこげ、ひたすらこぐんだ!』
加奈は、もう一度ウィンドウの外を見た。鈴木少年は、力いっぱいペダルを漕いで、寒空をものともせずに去って行った。籠の中のクリスマスローズも、寒さに負けずに花びらに見える白い
たぶん彼は、追憶だけに生きたりはしていないだろう。恩師の願ったとおりに、未来に向かってひたすらペダルを漕いでいるのだ。でも、振り向かずに進むその先々に、きっと恩師がいる。彼は、繰り返し咲く冬にも強い花を、その恩師に見せるために植えるのだろう。
『フラワー・スタジオ 華』で迎える八年目のクリスマス。私だって寒さに負けている場合じゃないよね.加奈は、麗二との夢であるこの店という花を何度でも咲かせるために、自分も未来に向かって力強くペダルを漕いでいこうと思った。
(初出:2018年12月 書き下ろし)
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【小説】殻の名残
「scriviamo! 2019」の第十弾です。limeさんは、素敵な掌編小説で参加してくださいました。ありがとうございます!
limeさんの書いてくださった『やさしいゲイル』
limeさんは、繊細で哀しくも美しい描写の作品を書かれるブロガーさんです。小説において大賞での常連受賞者であるだけでなく、イラストもとても上手で羨ましい限りです。
これまでの「scriviamo!」には、イラストでご参加くださったのですが、今年は掌編小説でのご参加です。読んでうるっときてしまった、この優しくて悲しいお話は、こんなお約束のもとで書かれたそうです。
この掌編は、以前、
*誰かの誕生日
*必ず、常識的に「汚い」と思えるものを「美しく」描いた表現を入れる
*文字数は2000字以内。
という縛りを仲間内で作って、創作し合った作品です。
limeさんのお話に、余計な茶々を入れるのも嫌だったので、お返しは単純に、私もこの縛りにしたがって何かを書くことに決めました。
またしても、同じ世界観が出てきたのは、私がこだわっているからではなく、私の周りに自然科学に詳しい子供と園芸が趣味の母親というバターンが他にいなかったというだけです。
【参考】
![]() | 「郷愁の丘」を読む |
![]() | 「ニューヨークの異邦人たち」 |
「scriviamo! 2019」について
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む
殻の名残
——Special thanks to lime-san
少年は庭の一角でしゃがみ込んでいた。雨上がりの午後、優しい光に照らされて、母親が情熱を傾ける庭は、生き生きと美しく輝いていた。薔薇と芍薬は、互いに競いながら庭の女王の座を得るべく開き始めた蕾を戴き枝を伸ばしていた。
菊のようなアストランティアや、黄色く控えめなハゴモグサは行儀よく並び、ネギの仲間であるアリウムも紫の丸い花を咲かせていた。アイリスの花にも丸い雨の雫が揺れている。彼は、ゆっくりと庭園を歩きながら、ひんやりとした清らかな空氣を吸い込んだ。
家の奥からは、ティーンエイジャーたち特有の抑えの効かない笑い声が響いている。パーティはたけなわのようだった。再婚相手の娘であるナンシーの誕生会が行われることを母親は教えてくれなかった。パーティがあると知っていたら、理由をつけて一日遅く来たのに。彼は、誰からも話しかけられないでいる居心地の悪さを紛らわすために、一人庭に出た。
彼は、中等教育を終えて、まもなく大学進学資格を得るAレベル試験の準備のためシックス・フォームの寄宿学校に入る。それまでいた寮にずっといることは出来ず、新しい寮にはまだは入れない。それで、この二週間をバースにある母親の再婚相手の家で過ごすことになった。
十歳になるまで過ごしたケニアにわずかでも帰りたいと思ったが、その旅費を出して欲しいと父親に頼むことができなかった。寄宿学校の費用も決して安くはない。それを父親が出してくれなければ、彼はこの家に居候するしかない。到着して一日でもう疎外感を感じるこの家に。彼は、何かを期待するのはやめようと決心し、黙って応接間から歩み去った。
庭の片隅、イチゴが赤くなり始めている一角も、雨の後にしっとりと濡れて瑞々しく輝いていた。彼は、ゆっくりと蠢く珍客を見つけて、観察をするためにしゃがみ込んだ。
Limax maximus。レオパード・スラッグだ。オーガンジーのような半透明の柔らかい体に、豹のような文様が整然と並んでいる。三インチほどの長さで、緩やかに進んでいた。彼によって出来た影を感じるのか、ゆっくりと身を反らした。
サバンナの俊敏な狩人である豹とは、似ても似つかぬ動きで、むしろ彼はその角の形状からユーモラスなキリンの姿を思い出して微笑んだ。
「ヘンリー!」
後ろからの声に驚いて彼は立ち上がった。
「母さん」
「あなたここで何をしているの? 皆さん、もうテーブルについているのよ」
彼は、困ったように下を向いた。
「僕が、いなくてもいいんじゃないかと思って。その、招待されたわけではないし」
「何を言っているの。いるのが分かつているのに、一人だけ別の食事をさせるわけにいかないでしょう。早く来なさい。いったいそこで何を見ているのよ」
近づいてきた母親は、ようやく彼が観察していたものが見えたらしかった。
「まあ! ナメクジじゃない! さっさと殺して!」
彼は、ショックを受けて一瞬ひるんだが、あえて口を開いた。
「庭の片隅で懸命に生きている生命だよ。殺すなんて」
「当たり前でしょう。汚い害虫だもの」
「虫じゃないし、汚い生き物なんてないよ。軟体動物門腹足綱は、陸に生息する巻き貝の一種だよ。サザエやアワビの遠い親戚だし、遠く辿れば真珠を作るアコヤガイや聖ヤコブの象徴ホタテガイとだって同じ祖先をもっているんだ」
「何をバカなことを言っているの。ナメクジは庭を荒らすし、危険な病氣を媒介するのは常識です。もう、役に立たない子ね。くだらない屁理屈ばかり言って実用的でないのは、あなたのお父さんそっくりだわ」
母親は、近くの園芸小屋から塩の箱を持ってくると、あっという間にマダラコウラナメクジの上に撒いた。体を反らして苦しむ生き物から、彼は眼をそらした。
母親は、その場に心を残している息子の手首を強引に引いて、彼女の自慢の家へと戻っていった。
「すぐに手を洗うのよ! 早くしなさい」
塩をかけられたマダラコウラナメクジからは、どんどんと水分がしみ出した。艶やかだった豹斑を持つゼリー状の肌は溶けるように消えていった。そして、人のいなくなった美しい庭を午後の日差しがすっかり乾かす頃には、白い塩の山も水分と共に土に混ざりわからなくなった。
マダラコウラナメクジのいた場所には、小さな白い楕円形のものが光っていた。真珠のように七色の光を反射するそれは、かの生き物が体の中に隠し持っていた、遠い先祖が巻き貝だった頃の殻の名残だった。
女主人が長い時間をかけて作り上げた庭園には、醜いものや不都合なものなど何もなかった。彼女が丹精込めて育てた花や整然と美しく並ぶ樹木が、その完全な幸福を象徴するように、穏やかな風の中にそよいでいた。
(初出:2019年2月 書き下ろし)
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プラスチックを減らすために

で、本日の話題は、少しエコっぽいことを。
日本でも「レジ袋はいりません」意思表示などが定着しているようですが、あくまで「基本はレジ袋をつけて当然」で、あえて断ると「ご協力ありがとうございました」となる感じでしたね。ヨーロッパでは、かなり前からスーパーでは自分で袋を用意するのが基本、紙袋などは、必要な人はレジで購入する、というパターンです。たまに、レジ袋をただでくれるスーパーもあるし、高級デパートでは袋をつけてくれるスタイルですが。
もともと日本と比べると商品の包装は簡易ですので、日本ほど包装紙のゴミは出ないのですけれど、それでもやはりプラスチックゴミはけっこうあります。
たとえば、野菜の大半は、自分で量って値段シールをつけてレジにもっていくのですが、これを入れる袋が薄いプラスティックです。で、最近どこのスーパーでも売り出し始めたのが、この野菜量り売り用の袋。使い捨てはやめようという試みです。
これは、私が一番よく行くスーパーで購入したもの。もちろん、これを他のスーパーに持っていってもOKです。
よく考えると、昔はプラスチックの袋なんてなかったので、籠や瓶を使っていたのですよね。軽くてかさばらないし、割れることもないプラスチックはとても便利ですけれど、やはり使いすぎはよくないですよね。
普段使うプラスチック製品、たとえば冷凍につかうジップロックなどは可能な限り洗って再利用しますし、ラップの代わりにお皿で蓋をする、ペットボトル入り飲料は可能な限り買わないなど、意識的にプラスチックゴミを増やさない生活を試みています。
とはいえ、まだまだ依存が激しいなと、代替手段がないか、いろいろと考えている所です。
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【小説】あの日、庭苑で
「scriviamo! 2019」の第九弾です。山西 左紀さんは、「絵夢の素敵な日常」シリーズの短編で参加してくださいました。ありがとうございます!
山西 左紀さんの『PX125』
山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。
ここ何年かは(私が先に書く)プランBでのご参加が続きましたが、今年はサキさんが先行で。そして、この作品は、サキさんのブログ33333ヒット記念作品として私のリクエストにお応えくださった作品でもあるのです。詳しくはサキさんのブログで作品を読んでいただくとして、これに対して何をお返ししようか、少し悩みました。
そして思い出したのが、この作品について、サキさんがちらっと「シンクロしている」と話してくださったことなんです。全くの偶然なんですが、私が「野菜を食べたら」という作品を発表したとき、とあるシチュエーションが、執筆中のサキさんの作品とシンクロしていたのですね。
というわけで、私からのお返しは、その「野菜を食べたら」で出てきたあの娘の話を書くことにしました。サキさんの作品で描かれた「仮面を被ったお嬢様」をテーマにしました。サキさんの方では仮面を取ろうとしていますが、こちらは被ろうとしています。「野菜を食べたら」のちょうど一年前でストーリーが始まります。
【参考】
![]() | 「郷愁の丘」を読む |
![]() | 「ニューヨークの異邦人たち」 |
「scriviamo! 2019」について
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む
あの日、庭苑で
——Special thanks to Yamanishi Saki-san
鏡に映るのは地味な服装に身を包んだ自分だった。黒にかなり寄ったグレイの生地は野暮ったかったし、小さな丸みを帯びた襟も全く好みではなかった。アンジェリカは、むしろ黒い糊の効いたシャツのシャープな襟を立てて着る方が好きだ。たとえモノトーンのシンプルな装いでも、アクセサリーの付け方ひとつ、選ぶ靴一つで、「さすがあのアレッサンドラ・ダンジェロの娘ね」と言わしめるだけのファッションセンスを彼女は持っていた。けれど、今日の服装は、その反対の印象を与えなくてはならない。アンジェリカ・ダ・シウバという娘が、雇い主の家族であることを、誰にも悟らせないようにしなくては。
彼女は、持っていこうとしたアクセサリーを全て引き出しに戻すと、パタンと音を立てて閉じた。彼女の持っているアクセサリーは、貧しい十七歳が手にするような品物ではない。持っていることがわかってしまったら、盗んだと疑われるか、さもなければ経歴に疑問を持たれるだろう。
アメリカで育ったブラジル移民の娘という経歴は、嘘ではない。そのブラジル移民が、誰もがその名前を知るサッカー選手であることは、伏せているが。母親は未だにファッションアイコンである元スーパーモデル。伯父は、健康食品会社の経営者である大富豪。母親の三度目の夫は、いつだったかの神聖ローマ帝国皇帝の血を引く貴族で、いくつかの城を所有している。その中で、もっとも辺鄙なところにあるために所有者ですらほとんど行かない城に、アンジェリカは夏期休暇中の仕事をしに行く。
「なぜ、ファルケナウにしたのかい? エッケンブルグなら勝手も知っているし、私も毎週のように足を運ぶから、安心だろう?」
母親の夫であるヴァルテンアドラー候家当主は心配そうに言った。
「だからよ、ルイス=ヴィルヘルム。あのお城で働く人たちはみな私が誰だか知っているもの。それに、あなたがちょくちょくやってきて私を甘やかしたら、私また給料泥棒になってしまうわ」
アンジェリカは言った。
昨年は、ニューヨークのヘルサンジェル社で三週間働いたのだが、初日からCEOである伯父と顔なじみの経営陣たちに甘やかされて、まったくまともな仕事ができなかったのだ。
「でも、ファルケナウは本当の田舎で、息抜きのショッピングも出来ないよ。代々の城主が滅多に行かなかったから、使用人たちも代々地元の人たちが彼らなりのやり方を踏襲していてね」
「そういえば、ママも行ったことがないって言っていたわ」
「落ち着かないからなかなか足が向かなくてね。近くに空港もないので、往復に時間がかかるんだ。そうまでして行く理由も考えつかないしね」
ルイス=ヴィルヘルムは、困ったように言う。
「でも、あなたの息子は、あそこに住んでいるんでしょう?」
アンジェリカは、不思議に思って訊いた。
「そうだね。この春に引っ越したんだ。それこそもっと便利なエッケンブルグや他の城を勧めたんだが、仕事でチェコに行くことも多いので、あそこがいいと言うんだ。もっともいつまであそこに耐えられるか、私も様子を見ているよ」
ルイス=ヴィルヘルムの最初の妻は、やはり彼と同じ階級の出身で、離婚後は息子を連れてベルリンに引っ越した。息子であるヨハン=バプテストはヴァルテンアドラー候家の跡継ぎとして、ルイス=ヴィルヘルムがドイツにいるときは側で時間を過ごすことがあった。
アメリカの小学校に通い、卒業後はスイスの寄宿学校に入ったアンジェリカは、自身がルイス=ヴィルヘルムの城で時間を過ごすことが少なかったので、ヨハン=バプテストと顔を合わせたのは母と養父の結婚式を含めて二度だけだった。でも、その二度目のことは忘れないだろう。
アンジェリカは九歳になったばかりだった。母親が、ドイツの貴族と結婚したのは前の年の年末だ。アンジェリカの学校があるので、ロサンジェルスの家での暮らしがベースになっていたが、アメリカに馴染めないルイス=ヴィルヘルムのために長期休暇の時は、ヨーロッパに戻るのが常だった。
その夏は、一番大きくて由緒のあるエッケンブルグ城に滞在していた。ここは、ヴァルテンアドラー候家の本拠地で、かの神聖ローマ皇帝もここで生まれ育ったという。ここ十数年は、スイスのサンモリッツを本宅としているルイス=ヴィルヘルムも、ドイツでは大抵この城に滞在するのだ。
育ったロサンゼルスの家は敷地が千二百平米あり、広くて豪華だ。その家に慣れていたアンジェリカでも、本物の城に滞在するのは初めてだった。城から門までも車でないと行けないし、その途中に鹿や雉などが生息しているというのも驚きだった。また城門から街までもやたらと時間がかかる。街からはどこでも小高い丘の上にあるエッケンブルグ城が見えて、それが南東の方角を知る目印だと言われた。
城には同年代の子供はいなかった。ルイス=ヴィルヘルムの息子がやはり長期休暇のために滞在していると聞いていたけれど、十四歳のドイツ人の少年にとってアンジェリカは、仲良く遊ぶような存在ではないんだろうなと思った。
半年前の結婚式の日に引き合わされたヨハン=バプテストは、敵意こそ示さなかったけれどアンジェリカの兄になってくれるつもりは毛頭ないようだった。今回も、アレッサンドラやアンジェリカと親しく付き合いたいという意思の全く感じ取れない形式的な挨拶だけをして城のどこかに引っ込んでしまった。彼は、父親に会えたこともさほど喜んでいるようには見えなかった。
私なら久しぶりに会うパパには抱きつくのに。アンジェリカは、思った。ヨハン=バプテストとは、食事の時にしか会わなかったし、全く話しかけられることがなかったので、もしかして彼は英語がよくわからないのかしらと思った。
アンジェリカに常に英語で話しかけてくれる城の使用人たちは数人で、彼女は特別に訴えかけたいことがなければ、意思が通じないくても、そのままにしていた。必要ならば、黒い服を着たシュミットさんやブレーメルおばさんを探すか、ママやルイス=ヴィルヘルムに訴えかければいいんだもの。
彼女は、九歳にしては考えが大人びていた。パパとママは有名人だし、仕事が忙しいから、いつも一緒にいられなくてもしかたない。ルイス=ヴィルヘルムはママの二番目の夫だったあの意地悪な人と比べたらずっと感じがいい。別につらいこともない。だから問題は起こさないようにしようと。
言葉が通じない人たちとは親しくなれなかった。友達もいないし、城の滞在も数日も経てば退屈になってきた。テレビゲームはないし、スマホに入っているゲームにも飽きてしまった。
アンジェリカは、城の中を探検してみようと思った。ヨーロッパのお城に滞在する子供向けドラマで見たように、もしかしたら宝物のある洞窟なんかがあるかもしれないし。そういえば、ママはどこへ行ったんだろう。朝食の後、姿を見ていないな。
アンジェリカは、絨毯が敷かれ歩幅が広く歩きにくい階段を降り、広間の裏側から庭園へと向かった。フランス式に剪定されたコニファーの間を通り過ぎようとしているときに、向こうからヨハン=バプテストが歩いてきた。
「ハロー、ヨハン=バプテスト」
「やあ、アンジェリカ、どこへ行くんだ?」
彼がドイツ語ではなくて、英語で問いかけたので、アンジェリカは意外に思った。話せるのかな。
「退屈なの。だから、お城を探検してみようと思って。あなたは、もう探検した?」
彼は、苦笑して首を振った。
「探検はしていないよ。別に、魔法使いや竜が隠れているような城じゃないしね」
「洞窟は?」
「グロットのことかい? あちらに見える噴水の裏側が、ちょっとした洞窟みたいな装飾になっているよ」
「宝物、隠してあるのかしら?」
アンジェリカが期待を込めて訊くと、彼は肩をすくめた。
「宝物があるとして、隠すとしてもあそこじゃないだろうね」
彼は、アンジェリカと探検ごっこをしてくれるつもりは毛頭ない様子だった。とはいえ、すぐに立ち去りたそうな様子でもなかった。
「ママかルイス=ヴィルヘルムを見なかった?」
「さっき二人で、庭園の奥の方へ歩いて行ったよ。案内しようか?」
「ええ。お願い」
フランス式庭園の終わりは、階段になっていて、降りていくと木陰の小径になっていた。そこには孔雀や雉の仲間が放し飼いになっていた。
「見て。あの鳥、判事さんのカツラみたいな頭よ」
「ああ、あれはキンケイっていうんだ。アジア原産だよ」
「あの尻尾が長いのは?」
「オナガドリ。日本の鶏だ」
「ヨハン=バプテスト、あなたとても詳しいのね」
「この城には何度も滞在しているから、さすがに憶えるよ」
「そうか。あなたもママとパパのところを往復しているのよね」
「今はそうでもない。寄宿学校に入って長期休暇の時にどちらかに帰るだけだ」
「帰るか……どっちも『帰る』だけど、どっちにも『行く』のよね」
アンジェリカの暗いつぶやきに、彼は足を止めて向き直った。妙な言いまわしだが、彼にはその正確な意味がすぐにわかった。
「どこか居心地が悪いのかい? ここの話? それともイギリスにいるお父さんの家?」
アンジェリカは小さなため息をついた。
「居心地が悪いって程じゃないわ。パパはいつも大騒ぎして迎えてくれる。ママも帰るとぎゅっと抱きしめてくれる。でも、ソニアがね、パパの奥さんなんだけれど、うんざりって顔で私を見ることがあるの。そういう時に、マイクみたいに私のこと邪魔だと思っているんだろうなって、納得するようになってしまったの」
「マイクって、誰?」
「マイク・アッカーマン。前にママと結婚していた人」
ヨハン=バプテストはなるほどという顔をした。マイク・アッカーマンはアメリカの著名なテレビ・モデレーターで、アレッサンドラ・ダンジェロとはわずか半年で離婚した。
「そのアッカーマンが、君を邪魔だっていったのかい?」
「ええ。お前はママが嫌いになったダメ男の子供だ。ママはリセットして新しい人生を始めたのに、子供だから放り出せないで迷惑している、ママも私のことを邪魔だと思っているって」
「アレッサンドラが、そんなことを言ったわけじゃないんだろう?」
「言わないわ。ママは、『マイクの言ったことは全然デタラメよ。ママとパパは離婚したけれど、どちらもあなたのことは深く愛しているわ。それは感じるでしょう?』って言ったわ。だから、そのことを疑っているわけじゃないけれど……」
「けれど?」
「あのね。マッテオ伯父さんがドールハウスを買い換えてくれた時にね。私、前の時にお氣に入りだった安楽椅子をとっておいたの。でも、新しいドールハウスには新しい家具があって、その椅子を入れるところがないの。それを見て、マイクが言っていたのは、こういうことなのかなって。古い家からきたものは、どんなに好きでも、あたらしい家には、上手く入らないんだなって」
彼は心にもない否定を口にはしなかった。
「君は、その歳でずいぶんよく考えているんだな。驚いたよ」
アンジェリカは肩をすくめて言った。
「でも、ママやルイス=ヴィルヘルムには言わないでね。大騒ぎして心配するもの」
「言わないさ」
やがて、二人は少し開けた庭園に出た。そこには各種の薔薇が放射状に植えられていた。その中心には、つる薔薇で覆われた白い木の東屋があり、探していた二人が座っていた。
ルイス=ヴィルヘルムは、最愛の妻の手を取り、じっと見つめながら楽しそうに語りかけていた。彼女は笑顔で答えて楽園のような光景を楽しんでいた。それは一幅の絵のように美しかった。夏の始まりの、輝かしい新緑と、深く艶やかな薔薇の花、多忙な美の女神である妻を穏やかで慎み深い夫が讃美している。おそらく誰にも邪魔をされたくないであろう、ほんのひとときの至福。
アンジェリカは、黙ってしばらくその二人を見ていた。穏やかな風が吹き、薔薇の香りが満ちた。
「私、あっちの方を歩いてくるわね」
そう言って、背を向けたアンジェリカの背中は、小さな子供のようだった。そう思ってから、ヨハン=バプテストは、そうじゃないと思った。彼女はまだ九歳の子供なのだ。懸命に背伸びをして寂しさと戦っているけれど、大人びた台詞ほど、彼女は寂しさと折り合いをつけているわけではない。
新しいドールハウスに上手く収まらない家具は、アンジェリカだけではなかった。彼には、アンジェリカの居心地の悪さがだれよりもわかった。彼は少女に近づくと、その手を握った。
驚いて見上げる彼女に、彼は、慣れなくて難しかったけれど、可能な限り優しく笑いかけて言った。
「僕が、案内してあげる。あっちには、小さな滝があるし、昔、僕が海賊ごっこをした小屋がある。一緒に宝探しをしよう」
アンジェリカは目を輝かせた。
「本当? あなた、海賊役するの? 私、さらわれたお姫様の役、やっていい?」
「いいとも。今日だけ、特別だよ」
「アンジェリカ、本当に考え直すつもりはないのかい?」
「もちろんないわ。大丈夫よ、ルイス=ヴィルヘルム。そんなに心配しないで。私、これでもけっこうドイツ語が上手に話せるようになっているのよ。なんとかなると思うわ。どうしても耐えられないようなことがあったら電話だって出来るんだし、それに、ヨハン=バプテストもいるじゃない」
そういうと、ルイス=ヴィルヘルムは少し困ったような顔をした。
「その、君はあいつと長らく会っていないだろう? その……あいつは、悪氣は全くないけれど、とても無愛想でな。君のような都会的な女の子の扱いも下手で、あまり上手にかばってくれないかもしれないぞ」
アンジェリカは、そっと微笑んだ。仏頂面のまま、一生懸命お姫様をさらう海賊の役をしてくれた少年の姿を思いだす。
「彼は、私のお芝居にきっと付き合ってくれるわ」
小さなスーツケースを軽々と持ち上げて、彼女は楽しそうに笑った。
(初出:2019年2月 書き下ろし)
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【小説】リゼロッテと村の四季(5)ハイトマン氏、決断を迫られる
今回は、前回の話のすぐ後になります。リゼロッテは、面倒を見てくれているカロリーネと愛犬とともに、散歩に行っていました。
![]() | 「リゼロッテと村の四季」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
リゼロッテと村の四季
(5)ハイトマン氏、決断を迫られる
リゼロッテとカロリーネが散歩から戻ると、ロルフが、玄関先でじれったそうに待っていた。
「あら、あんた。どうしたの?」
カロリーネは、夫に問いかけた。
「ああ、ようやく帰ってきたか。何、お前たちが出かけてすぐに、ハイトマンの旦那様から電報がきたんだよ。今日の昼前にお見えになるって。正確な時間はわからんが、もうそろそろつくんじゃないかな。それに、牧師夫人にもお越しいただきたいそうで、そちらは連絡をしてきた。お嬢さん、今のうちにお召し替えをしてくだせえ。カロリーネ、悪いけれど、急いで用意をしてくれ。あっしは納屋につけてある馬車をうちの方に動かしてくる。旦那様の馬車を停める場所を作らねば」
リゼロッテは、喜んで階段を駆け上がった。洋服の着替えは、カロリーネの手伝いなしに自分でほとんど出来る。家庭教師のヘーファーマイアー嬢がいないので、多少の服装の乱れを厳しく指摘する人はいない。
彼女がスイスに静養に来てから、父親は二ヶ月に一度は会いに来てくれていたが、先月は急に来られなくなったと連絡があり、三ヶ月ほど会っていなかった。
アナリース・チャルナー牧師夫人は、毎週日曜日の教会学校で聖書の話をしてくれる。リゼロッテのために方言の混じらないはっきりしたドイツ語で話してくれる優しい女性だ。ヘーファーマイアー嬢が、スイスの汚い方言がうつると困ると言って、可能な限りリゼロッテにスイス人と話をしないように制限していたため、彼女は未だに村の人たちの会話が上手く聞き取れなかった。
毎週日曜日もヘーファーマイアー嬢と早朝ミサに出かけるだけで、同じような歳の子供たちと知り合うきっかけもなかったのをリゼロッテはとても残念に思っていたが、身内の病の報せでヘーファーマイアー嬢がドイツに戻って以来、彼女が戻るまでの期間限定で教会学校に連れいてってもらうことになった。
教会学校では、既に友人だったジオンやその姉のドーラをはじめ、村のほとんど全ての子供たちと知り合うことが出来た。まだ馴染んだとは言いがたいが、少なくとも大人だけに囲まれてこの館で寂しくしていた頃より、日曜日がずっと待ち遠しくなっていた。
チャルナー夫人は、それだけでなく週に三日ほど午前中にやってきて、ヘーファーマイアー嬢の代わりにリゼロッテの勉強を見てくれていた。
いつもなら昼食が出る頃になっても、ドイツ人は到着しなかったので、カロリーネは昼食を始めようか、それともハイトマン氏を待つべきか、そわそわしながら考えていた。とにかく食器をきちんとテーブルに用意して、リゼロッテにテーブルにつくように話している所、表に馬の蹄と車輪の音が聞こえてきた。
リゼロッテは、ぱっと席を立って玄関に向かって駆けだした。ロルフが、荷物を持って誰かを案内している。甲高い女性の声が聞こえた。
「氣を付けて持ってくださいな! まあ、考えられないわ。玄関まで車で着くと思ったのに、あんなほこりっぽい道で降ろされるなんて!」
ドアが開くと、いつもの旅行着姿の父親が目に飛び込んできた。
「お父様!」
リゼロッテは、駆け寄った。
「おお、僕の可愛いお嬢さん! また背が伸びたかな」
父親は、リゼロッテを抱き上げて優しくキスをした。
降ろされてから、リゼロッテは入ってきた女性を不思議そうに見た。今まで一度も見たことのなかった人だ。
「ふーん。じゃあ、この子があなたの娘なのね」
大きく膨らんだ袖と、腰のところがぐっとくびれた鮮やかな黄色のドレスを着ている。大きく傾げて被っている帽子にはリゼロッテの頭ほどある駝鳥の羽がついていて、半分しか顔が見えなかったが、ものすごく綺麗な人だということはすぐにわかった。
「ああ、そうだよ。リゼロッテだ。リゼロッテ、こちらは私の友人のドロレス・ラングさんだ。挨拶をしなさい」
ハイトマン氏は、リゼロッテを女性の前に移動させた。
「はじめまして、ラングさん。お目にかかれて嬉しいです」
リゼロッテは、はにかみながら言った。
「あら、本当に会えて嬉しいのかしら。私、お世辞はたくさんだわ」
「君は、讃辞を耳にしすぎているからね。でも、娘を困らせないでくれ。ほんの子供なんだから」
その言葉を聞くと、ドロレスは艶やかな笑顔をハイトマン氏に向けた。
それから、リゼロッテをほとんど無視して、さっさと奥へと入っていった。
「ああ、本当に疲れたわ。今時、馬車なんて考えもしなかった。さあ、部屋に案内してちょうだい」
「そうだね。この州は一般の自動車の乗り入れが禁止されているんだ。でも、田舎の自然を満喫できただろう?」
ハイトマン氏は、ラング嬢の後にぴったりとついて、階段を上がっていった。
重い荷物を持たされているロルフと、食事が冷えるのを心配していたカロリーネは、思わず顔を見合わせた。リゼロッテは、取り残されたような心持ちになって、少し俯いた。
いつもよりも一時間近く遅れて始まった昼食で、リゼロッテはほとんど黙っていた。父親は、彼女を無視しているわけではないのだが、ドロレス・ラング嬢がドラマティックな様子であれこれ語るのに相づちを打つのが忙しく、三ヶ月分の娘の近況を訊きだす時間はほとんどなかったのだ。
「それで、プロデューサーにはこう言ったの。次の舞台は、もう少し悲劇を強調したものにして欲しいって。歌ったり踊ったりが嫌ってわけじゃないの。でも、コミカルな役がこれで三回も続いたんですもの、それしか出来ないって聴衆に思われたら困るわ」
リゼロッテは、この派手な女性がどんな職業を持っているのか、ようやく理解した。女優なのだ。そういえば名前も耳にしたことがあった。
それは、デュッセルドルフの屋敷でだった。リゼロッテが静養のためにこのカンポ・ルドゥンツ村へ連れてこられる少し前のこと、屋敷の召使いたちがこそこそと話しているのを聞いたのだ。
「じゃあ、あれは本当なんだね。……その旦那様が、一緒にお出かけになっているのは、あのアポロ座の看板女優だってのは」
「ええ、そうよ。私も始めは信じられなかったけれど、お花を届ける用事で名前を見たんだもの。間違いなくドロレス・ラングだったわ。あんな派手な女性と付き合うなんて、いつもの旦那様らしくないと思ったけれど、インテリな女性は奥様で懲りたのかしらね」
医者であったリゼロッテの母親が、男性医師とアメリカへ駆け落ちしたのは、一年と少し前のことだった。その時は、妻の不貞と責任放棄を激しくなじり、リゼロッテにもう母親だと思うなとまで言っていた父親が、それからすぐに女優と付き合うなんて、全く馬鹿げたことのように響いた。召使いたちは、無責任に真偽のわからぬ噂話をしているのだと自分を納得させていた。
けれども、その噂の女性が目の前に座り、父親と見つめ合っては意味ありげな微笑みを繰り返している。リゼロッテは、自分だけ一人取り残されていると感じた。
食後はサロンに移動させられた。父親とラング嬢は、あいかわらずリゼロッテには何のことかわからない話題に夢中になりながら、コーヒーを飲んでいた。リゼロッテは、黙って座り、窓の外の庭を眺めていた。
彼女の空想の友達、紫陽花の花の中に住む小さなオルタンスの姿が、ここから見えないだろうかと首を伸ばしている時に、カロリーネが入ってきて、声をかけた。
「旦那様。牧師館からチャルナー夫人がお見えになりました」
「ああ、リゼロッテの勉強を見てくれている先生だね。どうぞここにお通しして」
父親は、ラング嬢の側からぱっと立ち上がると、リゼロッテにも立つように目で示した。
チャルナー夫人は、静かに入ってきた。ラング嬢は、入ってきた夫人を見た。後ろで慎ましく結った髪や、飾り全くない焦げ茶の服を上から下まで品定めすると、ほんの少し優越感を顔に見せてから興味なさそうに顔を背けた。
「ごきげんよう、チャルナー夫人。確か、この家を買う時に一度村役場でお目にかかりましたよね」
父親が、心を込めて挨拶をすると、チャルナー夫人はリゼロッテがほっとする優しい笑顔を見せてハキハキと答えた。
「はい、ハイトマンさん。お久しぶりでございます」
「家庭教師のヘーファーマイアー嬢がいない間の娘の教育のことで、お力添えをいただけて大変感謝しています。今日は、これまでの経過と、これからのことについてご相談に参った次第です」
「ヘーファーマイアーさんは、お母様のお見舞いでドイツに戻られたと伺いました。心配していましたが、その後どうなさったのでしょうか」
父親は、眉を少しひそめて答えた。
「それがあまりよくないらしいのです。命に別状はないらしいのですが、どうやら寝たきりに近い状態でいるらしく、年の若い妹や弟の世話をする人が必要なようです。それで、彼女は退職を願い出ました。代わりの家庭教師を探しているのですが、急な上、場所がスイスの山の中というので、簡単には見つからないのです」
「まあ。そうですか」
「それで、今日は、もし可能ならば、あなたに正式に娘の家庭教師になっていただけないか、伺いたいと思ったのです。聞く所によると、あなたはチューリヒの教師セミナーを大変優秀な成績で卒業なさったということですし、ドイツ語の発音も素晴らしい。この州の全てを探してもあなた以上の教師は見つからないと思ったのです」
ハイトマン氏は、たたみかけるように話した。チャルナー夫人は、わずかに目を見開いて、不安そうなリゼロッテに少し微笑みかけてから、ハイトマン氏にはっきりした声で答えた。
「私を教師として採用するかどうかという話の前に、お嬢さんの境遇について、今後どうなさるおつもりかお考えをお聞かせいただけませんか」
「というと?」
「お嬢さんは、ここにいらした始めの頃に比べると、ずっと健康になってきたように見えます。カロリーネとロルフ・エグリ夫妻は、何人も子供を育てた立派な夫婦ですが、家族とは違います。そろそろお嬢さんをデュッセルドルフのお屋敷に戻すことを、お医者さまに相談してみたらいかがでしょうか」
リゼロッテは、息を飲んで父親の顔を見た。彼は、チャルナー夫人とリゼロッテ、それから、不服そうな顔でチャルナー夫人を見ているラング嬢を見てから、戸惑いつつ答えた。
「そうですね。もちろん、そうするのが一番いいように思います。ただ、私自身が商用で家を空けることが多く、側にほとんどいられない上、デュッセルドルフには現在、家政をきちんと取り仕切る歳のいった使用人がいないのです。また、近くに工場があって、その空氣がよくないと医者に言われてここに連れてきたわけでして……」
その答えに、女優は、あからさまにほっとした顔をしていた。それを見てチャルナー夫人は、意を決して口を開いた。
「失礼を承知ではっきり申し上げます。お嬢さんに必要なのは、きれいな空氣だけではありません。それに、学ぶ必要があるのも、正確なドイツ語の発音や、文学や、算数などだけでもないのです。お嬢さんを、家族も友達もいない、社会のつながりのほとんどいない状態に置いておくのは感心しません。ハイトマンさん、私から一つ提案をさせていただいていいでしょうか」
彼は、半ば怒ったような、そして半ば恥じた様子で、チャルナー夫人の方に向き直った。
「なんでしょうか」
「お嬢さんの教育と健康を、この土地と私に託したいというお考えならば、いっそのこと私たちの、このカンポ・ルドゥンツ村のやり方に完全に任せていただけないでしょうか」
「とおっしゃると?」
「この家に籠もって、家庭教師にだけ習い、誰とも付き合わないのでは、この土地にいる意味がありません。私は、お嬢さんをこの村の学校に通わせていただきたいと思います」
ハイトマン氏は、ぎょっとして立ち上がった。
「なんですって。この村の学校? あの農家の子供たちと一緒にですか?」
「そうです。何か不都合がおありですか。粗野で、無学で、みにくい方言を話す子供たちと一緒に、とおっしゃりたいのですか?」
「いや、そこまでは言っていませんが……」
「この私も、この村の学校で勉強を始めました。バーゼル大学を卒業した夫のチャルナー牧師もです」
チャルナー夫人は静かだが凜とした表情で、リゼロッテとその父親の顔を見つめた。
彼は、なおも言った。
「だが、この村の学校は、確か一年のうち半年ほどしか開いていないというではないですか。それでは、家庭教師についている他の子供たちに遅れをとってしまう」
「長い休みの間は、この三週間にしたように、私が見ましょう。上の学校を目指す生徒たちは、休みの期間も週に二回、指導を受けています。お嬢さんも、そちらで勉強を続ければいいのではないでしょうか」
チャルナー夫人は、静かに言った。
リゼロッテは、意外な成り行きに、目を輝かせて話を聞いていた。学校に行く! そうしたら、ジオンやドーラたちと、一緒に登校したり授業をうけたり出来るのだ。
女優のラング嬢が、すっと立ち上がると、ハイトマン氏の近くへ来て耳打ちするように言った。
「悪くない話だと思うわ。どちらにしても、今、家庭教師が見つからないんだから、しばらく学校でに通わせて様子を見たらいいんじゃない。ほら、この子も喜んでいるみたいだし」
父親は、リゼロッテの顔をのぞき込んだ。
「お前、学校に行ってみたいのか?」
「ええ、お父様。私、他の子供たちと一緒に、学校に行きたいわ」
「知らない乱暴な男の子たちがいるかもしれないぞ。ほら、例の蛙を持ってきた子みたいに」
リゼロッテはクスクス笑った。
「ジオンとは仲のいい友達になったのよ。心配しなくても大丈夫よ、お父様。だって、教会学校でもう知り合ったもの。乱暴だったり、意地悪な子なんていないわ」
リゼロッテの心は、早くも学校に通う秋へと向かっていた。
(初出:2018年12月 書き下ろし)
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【小説】野菜を食べたら
「scriviamo! 2019」の第四弾です。canariaさんは、楽しい「薄い本(同人誌)」様の短編で参加してくださいました。ありがとうございます!
canariaさんの『scriviamo! 2019 参加作品』
canariaさんは、Nympheさんというもう一つのお名前で独特の世界観と研ぎすまされた美意識の結晶を小説・イラスト・動画などで総合芸術を創作なさるブロガーさんです。現在ブログでは、「千年相姦」を絶賛連載中で、同時に「侵蝕恋愛」も続々刊行、それにイラストのプロジェクトも同時進行と、大変精力的に活動なさっていらっしゃいます。無理にブログの友達になっていただいたのは、前の前のブログの時からですから、お付き合いは結構長いですよね。
さて、今回は昨年に続き、私の「ニューヨークの異邦人」シリーズに絡めた作品、同人誌による二次創作という体裁で遊んでくださいました。
妹Loveで大富豪な上、何をやるのか作者でも謎なマッテオ・ダンジェロが、「郷愁の丘」作品中でグレッグがジョルジアに書いて渡したスケッチをWWFでの商品化するために動いてしまったという笑える設定です。ま、そんなわけないだろうというツッコミはなしで。これ小説の世界ですから(笑)
というわけで、またしても外伝を書かせていただきました。ええと、ヒロインのジョルジアはお留守です。その代わりに、思いっきりネタバレな(というか本編では書く予定のなかった人たち)がゾロゾロ出てきています。どんな先の話だ……。ま、いっか。
【参考】
![]() | 「郷愁の丘」を読む |
![]() | 「ニューヨークの異邦人たち」 |
「scriviamo! 2019」について
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野菜を食べたら
Special thanks to canaria-san
ドアの前に立って、アンジェリカは大きく息を吸い込んだ。ジョルジアの言いつけたことを忘れたわけではない。でも、他にどうしようもないんだもの。
思い切ってノックをした。
「グレッグ、ねえ。邪魔して悪いけれど……」
その先を言う必要はなかった。バタバタと音がして、中からドアがガチャリと開いた。口髭に隠れてはいるけれど、慌てて口をパクパクさせている様子は、おかしい。
「す、すまない!」
「ジョルジアには言われていたの。あなたが論文執筆に集中しているときは、邪魔をしないで先にご飯を食べろって。でも、二人ともあなたを待つって言い張るし、それなのに、ラファエーレはお腹が空いてぐずり出すし。だから、ご飯を食べに来るか、そうじゃなかったら二人に直接もう食べろって言って欲しいの」
「もちろんすぐに行くよ。本当に申し訳ない、アンジェリカ。僕は、また時間をすっかり忘れてしまったんだ」
そう言うと、一度デスクに戻って、広がっていた資料にいくつか紙を挟んでから閉じて重ね、それから走るようにしてさっさと戻りかけているアンジェリカを追った。
ダイニングテーブルの横で、老いた愛犬ルーシーを撫でながらうつろな瞳をしていた幼い少年が、アンジェリカの後ろから入ってきたグレッグを目に留めて歓声を上げた。
「パパがきた! エンリコ、ごはんだよ!」
飛び上がり駆け寄ったラファエーレ少年を、抱き上げるとグレッグは「ごめんな」と言った。少年は父親にぎゅっと抱きついて、そのまま椅子まで運んでもらった。グレッグは、もう一人のもう少し年長の少年に目を移した。
エンリコは、明らかに自分も大好きなグレッグ伯父さんに抱きつきたいという顔をしていた。しかし、彼はもう九歳で抱きつくには少し大きくなりすぎているし、さらにいうと、目の前にいるアンジェリカ・ダ・シウバに笑われるのは嫌だった。
グレッグは、そのエンリコの側にやってきて、肩の辺りを優しくポンポンと叩くと「遅くなってごめんな」と謝った。彼は首を振って笑顔を見せた。赤ちゃんではないので、食卓に全員が揃うまで待つことは問題なかった。もちろん、自分の父親を待つのは話が別だ。アウレリオ・ブラスは、食事に間に合うように帰ってきたことなどない。それどころか、予定よりも数日遅れることもしょっちゅうだ。朝はマリンデイに行くと話していたのに、夕方になってミラノから電話をしてきたりする男なのだ。
でも、グレッグは違う。彼は、小走りになって、こうやってテーブルについてくれる。研究に夢中になると時間を忘れてしまうのはいつものことだから、せっかく遊びに来たのにほとんど一緒の時間を過ごせないこともある。それでもエンリコは、大好きなグレッグにわがままを言って困らせたりはしたくなかった。
グレッグは、エンリコの母親マディの腹違いの兄だ。ツァボ国立公園に近いサバンナの真ん中《郷愁の丘》と呼ばれるところに住んでいるので、エンリコの家からは早くても一時間以上かかる。でも、数年前までは、二週間に一度くらい、エンリコの祖母レイチェル・ムーア博士と研究のことを話しに来ていたので、エンリコは祖母の家でしょっちゅうグレッグ伯父さんと会うことが出来た。
様子が変わってしまったのは、ラファエーレが生まれてからだ。それからは、仕事と育児に忙しくて、二人ともなかなかレイチェルのところにもマディのところにもやってこない。だから、エンリコは、休みになると自分から率先して《郷愁の丘》に数週間泊まりに行くようになった。
「ねえ、ちゃんと付け合わせの野菜も食べなさいよ。好き嫌いなく何でも食べるから安心してって言われたのになぁ」
お皿の上の肉はなくなったものの、野菜がいっこうに減らないことにヤキモキしたアンジェリカが促した。
エンリコは口を尖らせた。
「ジョルジアが作る付け合わせは美味しいから、すぐなくなっちゃうんだよ」
「ママのごはん、とってもおいしい!」
小さなラファエーレも調子を合わせたので、グレッグが慌てた。
「君の作る食事も美味しいよ。実を言うと、君に料理が出来るなんて、思ってもいなかったんだ。まだ十八歳だし、それに……」
「甘やかされたお嬢さまだから?」
「いや、その……」
「そんなに真面目に困らないで、グレッグ。それに氣を遣ってくれなくてもいいのよ。だいたいね、エンリコ。私がジョルジアみたいに料理上手だったら、こんなところであなたのベビーシッターなんかしていないで、とっくにスターシェフになって稼いでいるわよ。まったく子供のくせに生意氣だわ、ジョルジア並みに美味しくないと完食しないなんて」
二年前から、アンジェリカは夏休みには小遣い稼ぎに働こうと自分で決めた。小学校の頃から親しい友達は、ピザ屋やアイスクリーム屋などで働いていたし、いま在籍している寄宿学校の仲間もそれぞれの国に帰って、なんらかの季節の仕事をするかヴァカンスに出かけていた。
アンジェリカは、ピザ屋でも何でもいいから外で働いてみたいと思ったけれど、皆にひどく反対された。いつ誘拐されるかわからないというのだ。
アンジェリカのためには、百万ドル以上の身代金を要求をされても、即座に払おうとする人間が周りにやたらといる。スーパーモデルの母親アレッサンドラ・ダンジェロ、有名サッカー選手の父親レアンドロ・ダ・シウバ、城をいくつも持つ母親の再婚相手ヴァルテンアドラー候家当主ルイス=ヴィルヘルム。それに姪を溺愛する伯父でアメリカ有数の富豪マッテオ・ダンジェロ。
だから、送迎なしではなかなか街には行けない。ピザ屋で働くなんて夢のまた夢だ。
それで、泊まり込みで身内のところで働いてみたけれど、二年前のマッテオのところでは甘やかされすぎて自分でも給料泥棒だと思った。去年は、ルイス=ヴィルヘルムのドイツにある城の一つで働いてみたけれど、今度は使用人たちが真面目で厳格すぎて息が詰まる。出来ればあそこにはもう行きたくなかった。
それを相談したら、ジョルジアが《郷愁の丘》に来てみたらどうかというのだ。ちょうど彼女は長期アメリカに行かなくてはならない時期で、マディのところにしばらくラファエーレを預けるか悩んでいるところだった。
「あなたが来てくれたら、私は安心して旅立てるわ。ラファエーレの遊び相手は泊まりに来るエンリコがしてくれるし、グレッグも可能な限り二人の面倒を見るから、さほど手はかからないと思うの。それに、ここには誘拐犯は絶対にやってこないって、あなたの両親も、それにルイス=ヴィルヘルムやマッテオも安心すると思うわ」
《郷愁の丘》は、陸の孤島だった。誘拐犯は来ない代わりに、ショッピングも出来なければ、観光も出来なかった。ネットのつながりも悪いし、そこまでドライブというわけにもいかない。退屈ではあるが、居心地は抜群だった。叔母のジョルジアは、ほぼ入れ替わりでいなくなってしまったが、真面目で内氣で小言を言わないグレッグや、純朴で比較的従順な二人の少年との暮らしは悪くなかったし、サバンナで見る動物たち、広大な景色など、都会では体験できない刺激的な日々を満喫していた。
エンリコとラファエーレは、テレビもなければゲーム機もないところで、遊んでいた。ルーシーを撫でながら、おそらく原始時代から大して変わっていないのであろうと思われるカジュアというゲームを何時間もしていることがあった。なぞなぞや積み木やブロック遊びに興じ、たくさんある百科事典を開いてみたり、グレッグが仕事をしていないときは絵を描いてもらっていた。
今も、食事をしながら、エンリコは夕方に絵を描いてもらいたいとグレッグにねだっている。絵といっても彼が描くのは野生動物のスケッチなのだが、子供たちは彼の手にした鉛筆の先からシマウマや象やキリンが魔法のように現れるのを見るのが大好きだった。
「あ、絵といえばね! 忘れるところだったわ」
アンジェリカは、突然思い出して立ち上がり、自分が滞在している客間に入っていった。
すぐに戻ってくると、アンジェリカはグレッグと子供たちに手にしたクリアファイルを見せた。
「あ」
グレッグは手を伸ばすと、それを嬉しそうに眺めた。彼にとってそれは思い出深いものだった。
始めてジョルジアがこの《郷愁の丘》に来て、彼のスケッチを褒めてくれたのはもう十年以上前のことだ。その時に彼女に贈った絵を、彼女は額に入れてニューヨークの寝室に飾ってくれていた。二人が結婚してから、絵はこの《郷愁の丘》に戻ってきて、今も寝室にかかっている。
今、アンジェリカが持ってきたクリアファイルは、その絵の一部分拡大を用いてある。ジョルジアの兄、マッテオがその絵を「WWFで商品化したい」と言い出したとき、始めは冗談だと思っていた。
マッテオはWWFに多額の協賛金を寄付している会員だ。十年以上前にニューヨークで開催された野生動物の学会の最終日にWWF主催のパーティのことは忘れられない。レイチェルが彼女たちの研究のスポンサーである大富豪に紹介してくれるというので、嫌々出かけてったのだ。その篤志家マッテオ・ダンジェロこそが他ならぬジョルジアの兄とは夢にも思っていなかったのだが。
ジョルジアがレイチェルと一緒に彼の地味な研究の意義を兄に力説してくれたお陰で、彼はマッテオに継続的な援助をしてもらうことが出来るようになった。それだけでなく、二人の結婚が決まってしばらくしてから、寝室にかかっている例の絵をWWFでの商品化するよう推薦してくれると言い出したのだ。
その前後の数年にわたり、WWFでは無名の人物や子供たちの描いた野生動物のイラストや写真で、寄付金付き商品を作り販売していた。ポストカード、レターセット、鉛筆ケース、額入りのコピー絵、メモブロック、ミニタオル、エコロジーバック、それにアンジェリカが持ってきたようなクリアファイル。
グレッグの絵も他の作者の絵と一緒に商品化され、一年間にわたり世界中で販売された。もっともアフリカで目にしたのは、「僕の親しい友人の絵が商品化されたんですよ」と誇らしげに配るリチャード・アシュレイの事務所でだけだったので、グレッグは実際のところそれがどれほど売れたのかを知らない。
「懐かしいものを……。アレッサンドラ、君のお母さんがくれたのかい?」
グレッグが訊くと、アンジェリカは首を振った。
「違うわ。これはね、ここに来る直前に、私がマドリッドで見つけたものなの」
「マドリッド? 君のお父さんのところでかい?」
レアンドロ・ダ・シウバは、現在はリーガ・エスパニョーラでの連覇を目指すチームに所属しているので、マドリッド在住だ。だから、アンジェリカはマドリッドに立ち寄ってから《郷愁の丘》のあるケニアへやってきた。
「パパの家にあったわけじゃないわ。実はマドリッドで『オタクの祭典』って催しをやっていたので、ちょっと顔を出してきたの」
「『オタクの祭典』ってなんだい?」
グレッグは地の果てに住んでいる上、サブカルチャーなどにほとんど興味がない。日本発のマンガやアニメを特に愛好する人たちが世界各国で同人誌即売やコスチュームプレイを楽しむイベントを開催していることなど知るよしもない。
「あなたに詳しく説明したら、夜が明けちゃうわ。簡単に言うなら、コミックやアニメーションの愛好家がトリビュート作品を販売する展示会みたいなものかな。いろいろなジャンルのものがあって面白いのよ」
グレッグだけでなく、並んでご飯を食べているラファエーレも、アンジェリカの座った席の隣で、いやいや野菜をつついていたエンリコも、さっぱりわからないという顔をして彼女を見ている。
アンジェリカは、こほんと咳をして続けた。
「とにかく。とある作品のグッズがないかなと思って行ったんだけれど、行列で並んでいるときに、たまたまその隣のブースにね『Fleurage』っていう綺麗な名前のサイトがあって、氣になっていってみたの。そうしたらたぶん偶然だと思うけれど『郷愁の丘……』っていう作品を売っていて、日本語で読めなかったんだけどつい買っちゃったの。そしたら、特典だってこのクリアファイルをくれたのよ。例のWWFのファイルが今ごろ私の手元に来るっていうのも驚きだけれど、それが《郷愁の丘》に行くっていうのも、おもしろくない?」
グレッグは、アンジェリカが差し出したクリアファイルを、感無量な様子でじっと見つめた。
「そうだね。本当に」
「そのシマウマの絵、グレッグが描いてくれる絵とそっくりだよ」
エンリコが不思議そうにのぞき込んだ。
「そうよ、だって、これ、グレッグの絵なんだもの」
アンジェリカが答えると、彼は『ええー!」っと、椅子から飛び降りて、ファイルを持っているグレッグの側に回った。
「いつこんな風になったの? 僕、知らないよ!」
「お前がまだ、ラファエーレよりも小さかった頃の話だからね。そうか、これは見たことなかったか」
「いいなあ。これがあったら、僕、学校に毎日持っていくのに。みんなに自慢して、それに……」
エンリコは、クリアファイルをそっと撫でた。グレッグは困ったなという顔をして、甥の頭を撫でた。
「残念ながら、リチャードが全部持って行ってしまって僕やマディのところにも残っていないし、今はもうどこにも売っていないんだ」
アンジェリカは、肩をすくめた。こうなると思った。とにかくエンリコときたら、グレッグに関することは何もかも素晴らしいと思っているんだもの。私には、ちっとも理解できないけれど。
「いいわよ。そのつもりで取り出してきたし、これはエンリコにあげるわ。私の滞在中、付け合わせの野菜を一口も残さないって、約束できるならね」
エンリコは、駆け足で自分の席に戻り、喉が詰まるのではないかと思われるほどのスピードで野菜を平らげた。
笑ってそれを見ているグレッグの横から、ラファエーレが小さな声を出した。
「ぼくも、もらえるの? おやさい、たべたよ」
グレッグはまた困って、息子の頭を撫でた。
「お前は、まだ学校に行っていないし、あれをなんに使うんだ?」
「でも、おやさい、たべたよ」
アンジェリカは、笑って答えた。
「大丈夫よ。マッテオのところに、あの時に発売されたものがみんなとってあるはずだもの。ラファエーレにはミニタオルがいいんじゃないかしら。すぐに送ってくれるように、連絡するから」
ラファエーレは、すぐに笑顔になった。おそらくタオルが届く頃には、きっとこの子は何を欲しがったかも忘れているだろう。シマウマの絵など何百枚でも描いてくれる父親と、付け合わせを食べろと言う必要もないほど料理の上手な母親の両方の愛情を受けて楽しく日々を過ごすのだろうから。
それでも、アンジェリカは早速マッテオにメールを書こうと思った。自分のアイデアで生まれた作品が、今ここでまたホットな話題になっていることを、大好きなマッテオ伯父さんがとても喜ぶだろうと思ったから。カペッリファミリーの結束は固いのだ。たとえアメリカ、ヨーロッパ、アフリカと違う大陸に住むことになっても。
(初出:2019年1月 書き下ろし)
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【小説】好きなだけ泣くといいわ
今年最初の小説は、毎年書いている「十二ヶ月●●」シリーズです。今年は2013年にやったものと同じ「十二ヶ月の歌」にしました。それぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いていきます。一月はジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」を基にした作品です。
かなり有名な曲ですし、著作権的にわからないので訳は書きません。検索するといっぱいでてきますし。歌詞は、不実だった元恋人がやってきて泣いていると言うのに対して「私だって散々泣いたんだから、川のように泣くといいわ」と返すものです。
出てくる登場人物は、「ニューヨークの異邦人たち」シリーズのサブキャラたちです。今回登場しているのは、「ファインダーの向こうに」と「郷愁の丘」のヒロイン・ジョルジアの妹であるアレッサンドラと、その周辺の人物。元夫のレアンドロも別の外伝で既に登場済みですね。

【参考】
![]() | 「ニューヨークの異邦人たち」 |
好きなだけ泣くといいわ
Inspired from “Cry Me A River” by Julie London
丁寧に雪かきをしてあっても、石畳の間に残った雪が凍り付いていた。安全にドタドタと歩ける無粋なブーツを履いていなかったので、いつもよりもスピードを落として慎重に歩いた。アレッサンドラ・ダンジェロが、雪道で滑って転ぶなどという無様な姿を晒すことは、何があっても避けなくてはならない。
スーパーモデルとしてだけではない。
娘のアンジェリカは、暖かい部屋でもうぐっすりと眠っているはずだ。父親のもとでの二週間の滞在を終えて、明後日またアレッサンドラと共にアメリカに帰るのだ。
九歳になるアンジェリカは、アレッサンドラの最初の結婚で生まれた娘だ。その父親であるレアンドロ・ダ・シウバは、ブラジル出身のサッカー選手で、現在はイギリスのプレミアムリーグに属するチームで活躍している。娘を溺愛しているにもかかわらず、毎週のように会いに来ることが出来ないのは、そうした事情があるからだ。
だから、学校の長期休暇には、アンジェリカが長い時間を父親と過ごすことに反対したりはしなかった。時おりイギリスまで娘を送り迎えする必要があってもだ。
今回はレアンドロが、アレッサンドラと今の夫がヨーロッパでの多くの時間を過ごすスイス、サン・モリッツへと足を運んだ。そして、愛する娘との長く大げさな別れの儀式を繰り返した後に、滞在しているクルムホテルに戻った。
そのまま、彼の鼻先でドアを閉めて、暖かい室内に戻ってもよかったのだ。なのに、どうした氣まぐれをおこしたのだろう。彼女は、前夫に誘われてクルムホテルへと行ったのだ。重厚なインテリアのエントランスの奥に、目立たないバーがある。別れてから五年経っている。アンジェリカの受け渡し以外の会話をしたのは本当に久しぶりだった。
スイスという国に、有名人の多くが居を構える理由の一つに、この国の住民の有名人に対する態度がある。たとえ、いくら山の中とはいえ少し大きな街に出れば化粧品や香水の巨大な広告は目に入る。金色の絹のドレスを纏い挑戦的に微笑むアレッサンドラの顔はすぐに憶えるだろう。街を歩いていて「あ」という反応を見せる人はいくらでもいる。けれど、彼らはそのまま視線をそらし、何事もなかったかのように歩いて行く。カメラを取り出したり、通り過ぎてから戻ってきてサインをねだったりしない。
ホテルの従業員たちも、バーにやってきたのがプレミアム・リーグで活躍する超有名選手と、離婚した超有名スーパーモデルだということを即座に見て取っただろうが、それとわかるような素振りは全く見せなかった。
クルムホテルのバーで、たった一杯カクテルを飲み、一時間後に颯爽と立ち去った。タクシーを呼んでもらうこともなく、迎えをよこすように連絡することもせずに、彼女は一人歩いた。頭を冷やすために。
別れた夫との会話が、彼女の頭に渦巻き、彼女を戸惑わせている。
彼は、二人の共通の興味対象について話しだした。
「それで、お前がこちらで過ごす時間が増えているなら、いっそのことアンジェリカの学校もロサンジェルスにこだわる必要はないんじゃないか」
「そうね。でも、この辺りには英語で通える学校はないのよ。ルイス=ヴィルヘルムはフランス語圏には、今のところ行きたくないみたいだし。もう少し大きくなったら寄宿学校という案も考えないでもないけれど」
「そうか。マンチェスターの学校ってわけには……」
「いきません」
ぴしゃりと言われて、レアンドロは仕方ないなという顔をした。
「あなたは父親だし、意地悪で会わせないっていっているんじゃないわ。でも、離婚原因を作ったのも、毎週会えないほど遠くに行ったのも、あなたの選択でしょう。私を困らせないで」
「それは、わかっているさ。だから、あの子にもっと会いたくても我慢しているんだ。それに、その、俺の方もずっとイギリスに居続けるって決めたわけじゃないし。でも、アンジェリカとの時間はとても貴重だし、あの子に家庭のことで悲しい思いはさせたくないんだ」
それを聞くと、アレッサンドラは片眉を上げた。キールの入ったグラスに光が反射している。その姿勢はお酒の宣伝の写真のように完璧で、レアンドロは改めて元妻がスーパーモデルであることを認識した。だが、彼女の口からは、コマーシャルのような心地よい台詞は出てこなかった。
「よくもそんなことを言うわね。で? ベビーシッターと結婚すれば、家でじっとあなたを待っていてくれる人と、アンジェリカと三人で幸せな家庭になるとでも思ったってわけ?」
「……それとこれとは……」
レアンドロは三本目のブラーマ・ビールを頼んだ。よく冷えたグラスが置かれ、バーテンダーが注ごうとするのを手で制し、瓶を受け取るとそのままラッパ飲みをした。
「始めから結婚するつもりでソニアに手を出したわけじゃないさ」
「手を出してから、乗り換えようと決心したってわけね」
「そう具体的に思ったわけじゃない」
「でも、そうなのよね。私が、一日中テレビ・ショッピングでも見ながら、家の中であなたを待っていなかったから」
「つっかかんなよ。そりゃ、あの頃は確かにお前に腹を立てていたけど」
「けど、何よ。お望み通り、若くて家庭を守る妻を持ったんだから、私に因縁をつけるのはやめてよ。言っておくけれど、アンジェリカの親権は絶対に渡しませんから。あの女の元になんてぞっとするわ」
「わかっているよ。それにソニアは、その、口には出さないけれど、さほどアンジェリカを歓迎していないし……でも、お前だって、再婚したんだし、おあいこだろう」
「ふふん。あいにくだけど、ルイス=ヴィルヘルムは、アンジェリカを大切にしてくれているわよ」
「その前のヤツは」
「あの男のことを思い出させないで。あの結婚はそれこそ完全な間違いだったわ」
アレッサンドラは、眉をしかめた。彼女の二度目の夫は、テレビなどで活躍するモデレーターだったが、表向きの人当たりの良さに反して、家庭では支配的で嫉妬深かった。また子供が嫌いで、アレッサンドラがいない時にアンジェリカに対して意地の悪い言動を繰り返していた。
アンジェリカの様子がおかしいのに氣がついたアレッサンドラが、使用人の協力を得て現場を押さえた。結婚してから半年経っていなかった。一刻も早く離婚したかったため、離婚原因については他言しないという申し合わせをすることになっていた。いずれにしてもレアンドロにその件を詳しく話すわけにはいかない。あの男の愛娘への仕打ちを知ったら、後先を全く考えずに暴力を振るいに行きかねないからだ。
「そうか。二人目と簡単に別れたから、三人目ともすぐかもしれないと思ったけれどな」
「あなたには関係ないでしょう」
「別れるのか?」
「そんなこと言っていないわ。あなたには関係ないって言っているのよ。こぼれたミルクは元に戻らないって、ことわざ、知らないの?」
「お前は、いつもそうだよな。前を見て、闊歩していく。振り返って後悔したりなんかしない。それがお前らしさなんだけれどな」
苛ついた様子を見せて、アレッサンドラは向き直った。
「ねえ、あなたは確かに私の娘の父親だけれど、私の再婚にあなたが口を出す権利があると思っているの? あの女と再婚したのはそっちが先でしょう?」
「わかっている。だけど、俺はお前と結婚した時ほど、ソニアと結婚する時に舞い上がっていたわけじゃない」
「なんですって?」
「その、半分は離婚したやけっぱちで、それに半分はソニアがかわいそうで……」
「かわいそう?」
「だって、そうだろう。お前は、離婚しようとしまいと、アレッサンドラ・ダンジェロだ。だが、ソニアは、俺に捨てられたらそのまま人生の敗者になってしまう。家庭を壊した性悪のベビーシッターってことでな。だから、俺は……」
「どうかしら」
アレッサンドラは、多くは語らなかったが、元ベビーシッターが世間の評判を氣に病むような弱いタイプだと思っていないことは明白だった。レアンドロも、今は自分でも元妻と似たり寄ったりの意見を持っていた。
「でも、俺は今でも時々思うんだ。なぜあの時、あんな簡単にお前と離婚してしまったんだろうって」
「あなたは、自分が言ったことも憶えられないの? 私とは完全に終わりで、仕事を持つ女となんか二度と関係を持ちたくないとまで言ったのよ。不貞を働いたのは自分のくせに」
レアンドロは、じっとアレッサンドラを見つめて、泣きそうな顔をした。
「俺は、拗ねていたんだ。子供みたいに。お前も歩み寄ってくれて、やり直せるんだって、心のどこかで期待していたんだ。アンジェリカのためだけに俺といるんじゃない、俺とずっと一緒にいたいと思ってくれているってね。その甘さのツケを今払っているんだ。申し訳なかったと思っているんだぜ。時折、俺たちの新婚時代を思い出して、こうなった情けなさに泣いたりしてさ」
「そんなあざとい口説きは、他の女にするのね。ごちそうさま、私帰るわ」
アレッサンドラは、石畳を踏みしめながら、わめき散らしたい思いを必死で堪えた。泣きたいなら好きなだけ泣くといいわ。何よ、今さら。
私がどれほど傷ついて苦しんで、泣いたと思うのよ。私は強くて振り返りもせずに前へと歩いていくですって。そうじゃない姿を世間には見せないだけよ。
彼女は駅の近くまで降りてきた。タクシーに乗り込むと、今の家族の待つ家へと戻った。静かな一角にあるその邸宅からは、サン・モリッツの街明かりが星のようにきらめいて見える。外側はコンクリートの直線的な佇まいだが、中に入ると古い木材を多用した柔らかいインテリアがスイスらしい住まいだ。
暖炉には暖かい火が燃えていて、ソファに座っていたルイス=ヴィルヘルムは、さっと立ち上がってアレッサンドラを迎えた。
「お帰り、寒くなかったかい。言ってくれれば迎えに行ったのに」
1918年に多くの貴族が王位、大公位、侯爵位などを失った、その一人の末裔として、先祖伝来の宝石や城などと一緒にプライドも受け継いだはずなのに、ルイス=ヴィルヘルムにはどこか山間に走る子鹿のような臆病さがあった。優しく礼儀正しい彼は、アレッサンドラを熱烈に崇拝し、大切に扱う。彼女の仕事も、愛する娘もすべて受け入れ、尊重した。だから、アレッサンドラも、新しい夫を困らせないように、彼の家名に傷のつくような仕事は一切断り、品位を保ち、彼の信頼に応える妻であるように、新しい努力を重ねている。
まだ二十一歳だったアレッサンドラが、若きレアンドロと出会い恋に落ちた時、品位などということは考えなかったし、努力もしなかった。そこにあったのは、火花のように燃え上がる熱い想いだけだった。世界が二人を祝福していると信じていたあの頃、豪華でクレイジーな結婚披露宴に酔いしれたこと、全てが単純で素晴らしかった。
あれから十年以上の時が流れ、事情はずっと複雑になり、今夜の二人は同じ場所にいても、もう元の恋人同士には戻れない。アレッサンドラは、優しく抱きしめる夫をやはり優しく抱きしめ返しながら、窓の外を見た。レアンドロの滞在するホテルの辺り、サン・モリッツの街明かりが、泣いているように煌めくのを見て、そっと瞳を閉じた。
(初出:2019年1月 書き下ろし)
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バランスクッション買った

半年以上前の話になりますが、突然背中から腰にかけて痛くなりました。原因はいろいろあったのでしょうが、たぶん加齢が一番大きかったのだと思います。要するに更年期障害でしょうか。
私は一日八時間以上を座ってコンピュータの前で過ごす仕事をしているのですが、座っていると背中が痛いのは本当に困ります。で、一番ひどい時は三十分に一度くらい立たないと本当に居ても立ってもいられないくらい痛かったのです。実際に定期的に立ってなんとかやり過ごしていました。
で、会社の同僚がいらなくなったバランスボールをくれたので、それを使うようになったらあのひどい痛みはなくなりましたが、自宅でずっとMacの前に座っているのも多少苦痛だったのです。とはいえ、自宅にバランスボールはかなり邪魔です。
そこで代用品を探していて見つけたのが、バランスクッションでした。エアーポンプで膨らませたゴムのクッションです。これは体幹トレーニングなどに使うもののようなのですが、単にクッションとして座っているだけでも良くて、それでもバランスボールと同じような効果があります。
スイスにはあまり選択肢がなかったので、一時帰国中に日本の通販で買いました。スイスに比べてびっくりするくらい安いのです。これならお試しで使ってみて、効果がなかったら諦めることもできます。私は、大満足でしたが。背中が痛くて困っていらっしゃる方は、一度試してみるといいですよ!
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【小説】大道芸人たち 2 (14)ミュンヘン、もうひとつの婚約 -2-
さて、何となくめでたい感じになったところで、チャプター2はおしまいです。っていうか、再び放置タイムに突入です。しばらく「大道芸人たち」から離れて、来年の連載は再び「ニューヨークの異邦人たち」シリーズに戻ります。例の某シマウマ研究者たちの話の続編ですね。でも、その前に毎年恒例の「scriviamo!」が入ります。
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大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(14)ミュンヘン、もうひとつの婚約 -2-
その後に蝶子が電話すると、カルロスは頭を抱えた。
「まさか私が行けと薦めたなんて思っていないでしょうね、マリポーサ」
「ちょっと変かなと思ったけれど、でも、何にも悪いことないのよ、カルちゃん。私たちだって散々あなたのお世話になったんですもの」
「私はね、彼女がミュンヘンに行きたいし、男爵邸にも泊まってみたいと言うので、絶対にやめてくれって言ったんですよ。月末まで四人は館には行かないから立ち寄った所で無駄だってね」
それで、月末に四人が、というよりも、男爵様が館に戻るという情報を得て、狙ってやってきたってわけね。
「くれぐれもあなた達に迷惑をかけてくれるなって念を押したのに」
「そういうことを聴くタイプじゃないことは私たちもわかっているし、カルちゃんのせいじゃないこともわかっているわよ。それに、以前と較べて大人しいのよ。ヴィルを落とそうと頑張っているんだけど、あまり結果が芳しくなくて、ふてくされているみたいよ」
「おお、マリポーサ。私を許してください。あの女のことで、あなたを苦しめるなんて」
「あら、そんな不要な心配しないで。彼がどんなに唐変木か、カルちゃんも知っているでしょう? 私とヤスはブラン・ベックの方を心配していたんだけれど、そっちへの神通力も消滅しちゃったみたいよ」
「そうですか。まあ、レネ君はセニョリータ・ヤスミンに夢中ですからね」
そのカルロスの言葉を裏付けられたのは、その夜のことだった。夕食の時にエスメラルダは面白がってレネの隣に陣取り、給仕をしているヤスミンの前でことさらレネに愛嬌を振りまいてみせた。
蝶子が観た所、レネに対するエスメラルダの影響力は全くなくなっていた。それでもヤスミンには氣分が悪いだろうと思って、自分の所にスープを注いでいる時にこっそりと耳打ちをした。
「氣にしないでね」
ヤスミンはにっこりと笑って言った。
「大丈夫。私、いま、幸せのど真ん中にいるから、細かいことは何も見えないの」
「へ?」
稔が横から聞きつけてヤスミンの顔を見た。
ヤスミンはさっと左手を挙げて薬指を二人に見せた。紅いガーネットの指輪がシャンデリアの光を反射して輝いた。
レネが、エスメラルダを完全に無視して立ち上がり、ヤスミンの所まで歩いてきて、その肩を抱いて言った。
「さっき、僕たち婚約したんです」
蝶子は立ち上がり、ヤスミンの頬にキスをした。稔も飛び上がりレネに抱きついた。ヴィルもテーブルの向こうからやってきてカップルと交互に抱き合った。
「乾杯だ! フランスのワインあったっけ?」
稔がはしゃぐと、蝶子が戸口に向かいながら答えた。
「ロウレンヴィル家の赤がまだ残っていたはずよ。とって来るわね」
ヴィルはミュラーにヴーヴ・クリコを用意するように言った。
エスメラルダは幸せそうな一同を見て多少つまらなそうな顔をしていたが、ただの平日にヴーヴ・クリコのご相伴ができるのも悪くないと思ったので、水を差すのはやめることにした。
二人の結婚式はミュンヘンで行われた。エッシェンドルフの領地にある聖ロレンツ礼拝堂で挙式をした後、パーティはもちろんエッシェンドルフの館で行われた。
レネとヤスミンの両親や親族、カルロスやサンチェス夫妻、イネスとマリサ、例によってイタリアとスペインの雇い主たち、『La fiesta de los artistas callejeros』で知り合ったヘイノをはじめとする大道芸人の知り合いたち、それにもちろん劇団『カーター・マレーシュ』の一団が一同に会し、楽しいパーティが繰り広げられた。
ヤスミンが祖母に直接習ったトルコ料理の数々、ラクーをはじめとするトルコの酒、それに劇団連中が楽しく堅苦しさもなく楽しめるドイツのインビスや山のようなビールが用意された。
笑って、はしゃいでドレスの裾を翻しながらヤスミンがレネと踊り、団長とベルンが滑稽に踊って場を湧かせた後、全員が楽しくダンスに興じた。
ヴィルと蝶子の結婚式で身に付けたつたないステップでマリサと踊りながら稔は苦笑いした。
「この程度ならいいけどさ。あの、最初に二人だけで踊るのは、俺はやりたくないんだよなあ」
マリサは真剣な顔で答えた。
「必ずしもダンスをしなくてもいいんじゃないですか。その、ほら、相手の了解さえあれば……」
それで、マリサの控えめな催促を感じた稔はさらに苦い笑いをして、マリサの額にキスをした。
「その、相手の了解があれば、日本で結婚するってのも、ありだと思うかい?」
マリサは大きく目を見開いて、力強く頷いた。
「じゃあ、来年あたり、一緒に日本に行こう。もう、あまり待たせたくないしね」
マリサが喜びで半泣きになりながら稔に抱きついているのは、大騒ぎのダンスフロアの中にまぎれてほとんど誰も氣がついていなかった。
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関西の旅 2018 (1)

今回の日本行きは、既に何度か書いているように、もともと今年の初めから予定していた旅行でした。五月末に母が急逝し、母と計画していた予定は全て変わってしまったのですが、11月11日のオフ会、それに京都での墓参り、そして、母がお世話になった神父さまに会いに宇治に行くことになっていたので、予定通り関西に向かいました。
最初はオフ会開催地に近いどこかに泊まろうかと思っていたのですけれど、大海彩洋さんと話しているうちに、なぜか三泊四日というやたら長い時間泊めていただき、さらにずっとご案内いただくことになってしまいました。
日本滞在中は、天候に恵まれた日が多かったのですが、この日も晴天。 ちょうど山側で窓際の指定席をとっていたので、新幹線からこんなにくっきりと富士山が見えました。

彩洋さんのお家に向かう前に、まずはご実家に連れて行っていただきました。というのは、その近くにある楽器屋兼音楽教室で、彩洋さんの津軽三味線とピアノのレッスンに文字通りお邪魔させていただいたからなのです。先生の模範演奏も素晴らしかったですが、彩洋さんも、さすが団体で出場した大会で優勝する腕前、素晴らしかったです。「大道芸人たち Artistas callejeros」シリーズで見てきたように書き散らしているんですけれど、実は私が津軽三味線の演奏を生で聴いたのはこれが初めて。すぐに記述に反映させるわけではないですが、取材的に目を皿にして、耳を澄まして聴いてきました。
そして、それから彩洋さんのご実家へ。ご両親、弟さんのご家族の皆さんがとても暖かく、突然登場した変なヤツを歓迎してくださいました。それにしても、皆さんのお宅って、なぜあんなにいつも綺麗になっているんだろう。(と、まだ片付かないでいる自宅を見回す)
野菜のお寿司、お好み焼き(オーブンで一度に焼くので、みんな一緒に「いただきます」ができるナイスアイデア)、煮付けなど、家庭的だけれど、ご馳走感が満載の素敵な夕ご飯でお腹いっぱいになり、楽しい時間を満喫させていただいた後に、彩洋さんの車でお宅にお邪魔しました。
パーティも出来る大きなお宅で、語りたいことはいっぱいあるけれど、個人情報なので書くのは我慢。あ、でも、お宝の「真シリーズ」のノートを見せていただいたことは書いておこう。

翌日の日曜日は、オフ会の当日でしたが、その前に早起きして淡路島まで連れて行っていただきました。
世界最長の吊り橋、明石海峡大橋を渡ってあっという間に淡路島です。観覧車があるサービスエリアで大橋を見ながらまったりとして、それに、売店でご当地の土産物を色々とチェックしてしまいました。淡路島は大きくて甘いタマネギが名産だそうで、私はタマネギがかなり苦手なんですが、このタマネギは食べられましたよ!

そして、次に明石子午線を通って、彩洋さんのおすすめの生石神社へ。ご神体はこの大きな岩のようです。これ、近くで見るとものすごい迫力です。とても大きいんですが、まるで浮いているような目の錯覚をおこす不思議な建て方をしてあります。これ、クレーンなどのない時代に建てたのですよね。いつも思うんですけれど、こうした巨石遺構を建てた方たちはどうやってこの状態にしたのか、いや、そもそもこの状態にしようという発想はどこから来たんだろうと不思議になります。
この後、姫路までも見渡せるという、生石神社の上の丘で爽やかな風に吹かれつつ朝ご飯を食べ、それからいったん彩洋さんのお宅に戻り、公共交通機関でオフ会に向かったのでした。
(というわけで、続きます)
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【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記 世吉と鵺
「scriviamo! 2018」の第七弾です。もぐらさんは、オリジナル作品の朗読で参加してくださいました。ありがとうございます!
もぐらさんの朗読してくださった作品『主人思いの小僧と貧乏神』
もぐらさんは、オリジナル作品、青空文庫に入っている作品、そして創作ブロガーさんたちの作品を朗読して発表する活動をなさっているブロガーさんです。お一人、もしくはお二人で作品を朗読なさり、当ブログの作品もいくつも読んでくださっています。いつもとても長くて本当にご迷惑をおかけしています。
今年もオリジナルの「貧乏神」シリーズでご参加くださいました。日本の民話をアレンジなさった素敵な作品です。貧乏神のシリーズとはいえ、毎年、とてもハートフルなエンディングでお正月にふさわしい素敵な作品ばかりです。どうぞあちらで聴いてみてくださいね。
で、お返しですけれど、恒例の「樋水龍神縁起 東国放浪記」の話です。今回も窮鬼(貧乏神)の話題はほんのとっかかりだけですが、もぐらさんのお話のエッセンスを取り入れた話にしてみました。
平安時代の話なので、馴染みの少ない言葉がいくつか出てきますのでちょっとだけ解説しますと、出てくる「家狸」というのはいわゆる猫のことです。この当時、猫は民衆の間では狸の仲間だと思われていたようです。日本の在来の野生の猫をネズミを捕ることからペット化し始めた頃のようです。それとは別に遣唐使などと共に輸入されてきた猫もいました。それから、題名に出てくる「
【参考】

「scriviamo! 2019」について
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樋水龍神縁起 東国放浪記
世吉と鵺
——Special thanks to Mogura-san
その村についたのは、もう暮れかかる頃だったので、次郎は何をおいてでもすぐに今夜の宿を探さねばならなかった。村はずれの小さな家でどこか泊めてくれる家がないかと訊くと、親切そうな女は困った顔をした。
「この家は狭く、とてもお二人をお泊めできるような部屋はございません」
確かにここは難しいだろうと思った。貧しい家はどこもそうだが、土を掘り床と壁と屋根を設置した竪穴式の家で、家族が身を寄せ合って眠るのが精一杯の広さしかないことが見て取れた。
女は辺りを見回して言った。
「この先にもいくつか家はありますが、皆ほぼ同じような有り体でございます。例に漏れますのは、一番村の奥に住んでおります
次郎は首を傾げた。
「何か不都合があるのでしょうか」
「いえ。実は、この者の家には、化け物が棲んでいるのでございます。確か
「そうですか。では次に泊まれるような家があるような村は」
「さようでございますね。隣村は難しいので、おそらく山道を十里ほど先に行く他はないかもしれません。ただ、もう暮れてまいりましたね。さて、どうすべきでしょうか」
次郎は言った。
「我が主人は陰陽道に秀でられたお方ですので、多少の化け物など怖れることはないかと存じます」
「さようでございましたか! それならば、世吉も喜ぶことでしょう。誠にあの化け物さえいなければ、どんなにいいかと、村の皆で申しておったのでございます」
次郎は、急いで主人である安達春昌の元に戻ると、女の話を伝えた。
「鵺?」
春昌は怪訝な顔をしたが、特に反対はせずに、その世吉の家へと馬を進めた。
その家は、確かに村の他の家とは違い、決して大きくはないが茅葺き屋根の木造家屋だった。簡素な佇まいながらもきちんと掃き清められ、化け物が棲み憑いているような禍々しい氣は一切感じられなかった。
もちろん次郎には、そういった普通の人には見えぬものはぼんやりと見えるだけで、主人のようにはっきりと見たり、判断をする知識があるわけではない。だが、主人が「心せよ」とも言わないところを見ると、いきなり化け物に襲われるようなことはないだろうと判断し、戸を叩いた。
「もうし、旅の者でございます。一晩の宿をお願いにまいりました」
その次郎の声に反応して、中から誰かが戸口へとやってきた。
顔を出したのは、質素な身なりだが人好きのする顔をした小柄な青年であった。
「これは、珍しい。立派なお殿様のおなりですな。もちろん喜んでお泊めしたいのですが……その……村では何も申しておりませんでしたか」
次郎は頷いた。
「伺っております。鵺という化け物が棲み憑いていると。まことでございますか」
世吉は、困ったように言った。
「名前はわかりませぬが、異形のものがいるのはまことでございます。お氣になさらないのであれば、どうぞお上がりくださいませ」
「わが主は陰陽道に秀でておりますので、もしお望みでしたらお泊めいただくお礼に、その鵺の退治なども……」
次郎が小さい声で囁くと、世吉はぎょっとして春昌の顔を見た。
それから困ったように言った。
「いえ、あれが窮鬼のようなものだとしても、仕方ないことと受け入れたのは私でございます。皆に追われて行く当てがなく氣の毒だったのです。私には生きるに足らぬ物はなく、これで構わぬと思っておりますので、どうぞあれをそのままにしておいていただければと思います」
そう言うと、世吉は春昌と次郎を奥の部屋へと案内した。調度も整い、掃き清められた心地いい部屋で、嫁はなくとも世吉が家の中をきちんとしていることがわかった。化け物が突然遅いかかって来ることなどもなく、次郎は少し拍子抜けした。
夕膳の支度をしてくると世吉が部屋から出て行ったので、次郎は家の脇につないだ馬の世話をするために再び戸口に向かった。すると、奥の部屋からヒューヒューという薄氣味悪い声が微かに響き、何かが拭き清められた廊下を静かに歩いてくる。
次郎は肝を冷やして、急いで春昌のいる部屋に駆け戻ると大きな声で叫んだ。
「春昌様! 鵺が!」
春昌は、落ち着いて次郎の飛び込んできた部屋の入り口を見た。それから、廊下から世吉が慌てて走ってくる音が聞こえた。
「どうか、そのものをお助けくださいませ!」
世吉は、戸口で何か黒い生き物を抱えてひれ伏していた。怖れ伏していた次郎は、その世吉の言い方に驚いて顔を上げた。
「心配せずとも何もせぬ」
春昌は少しおかしさを堪えているような顔を見せた。
「春昌様?」
次郎は、春昌と鵺らしき生き物を抱える世吉の顔を代わる代わる眺めた。
「世吉どの。教えていただけないか。あなたがその生き物と暮らすようになつたいきさつを」
春昌の静かな声に、世吉は安堵し、生き物を放した。それは「ヒューヒュー」とわずかに喉から漏れるような音を出しながら、悠々と春昌の側に歩いてきた。
次郎はその生き物を見て、少し拍子抜けした。確かに一度も見たことのない生き物だった。漆黒で、長い毛に覆われている。尾の長さは頭から尻までと同じくらい長く蛇のように蠢いていたが、蛇というよりは狐の尾に近いものだった。顔と体つきは屏風で見た虎に似ているが、全体の見かけは少し大きな町の裕福な家にて飼われる
「はい。このものは、私めがまだ少領である佐竹様の下人として、辺りを回っていたときに出会いました。とある裕福な家で、むち打たれていたのでございます。訊けば、どこからともなく来て棲み憑いたものの、それ以来、家運が傾き下人などが夜逃げをするようになったとのこと、法師さまに見ていただいたところ、このような生き物は見たことはないがおそらくは文献に見られる鵺であろうと。窮鬼のごとく、家運を悪くすると申します。されど、小さい体で息も絶え絶えに助けを求めている様を放っておくことはできず、お館ではなく、我が家でしたら殿様のご迷惑にはならぬであろうと、お許しをいただき連れ帰りました。それ以来三年ほど共にこうしておりますが、すっかりと慣れておりますし、たまに鼠なども狩ってくれます。たとえ運がよくなろうと、退治されてしまうのはあまりにも辛うございます」
春昌は、ゴロゴロと喉を鳴らすその黒い生き物を撫でて言った。
「これは鵺ではない。
次郎は仰天してその大きな生き物を見た。唐猫と呼ばれる生き物ことは、以前に仕えていた媛巫女に聞いたことがあった。天竺の様々な法典を鼠より守るために遠く唐の国から船に乗せられてきた貴重な生き物だと。
「非常によく似た唐猫を御所で見たことがある。天子様がことのほかご寵愛で、絹の座布団で眠り、日々新しい鶏肉と乳粥で大切に養われていると聞いた」
春昌の言葉を耳にして、世吉は腰が抜けるかと思うほど驚いた。
「鼠を狩るのは当然だ。
唐猫は、悠々と世吉の元に戻ると膝に載りヒューヒューと息を漏らした。その愛猫を抱きしめながら世吉はつぶやいた。
「そうか。そんなに尊い生き物だとは知らずに、ずっとお前を窮鬼の仲間だと思っていた。申し訳のないことを」
「そうではない。禍々しくないと同様に、尊くもない。ただ、
「私は、このものを追い出すことも死なせることも出来ませんでした。もし窮鬼と共に生きるのであれば、人の数倍、身を粉にして働かねばと思っておりました」
春昌は頷いた。
「その心がけが、そなたをただの下人から、少領どのの片腕と言われるまでの地位に就けたのであろう。言うなれば、そなたの
「はい。安達様、お教えくださいませ。私ごとき、身分の低い者がそのような珍しい生き物と暮らしていて、とがめられることはないのでしょうか。知らなかったとは言え、三年ほども共におりましたし、もし天子様の唐猫の仔などであったとしたら……」
春昌は、怯える世吉に笑って言った。
「誰にも言わねばよい。法師は鵺と言ったのであろう。誰もが鵺を恐れて、その生き物を引き取りには来ない。そなたはその唐猫を鵺と呼び、寿命を迎えるまで大切にしてやるといい」
(初出:2019年1月 書き下ろし)
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「scriviamo! 2018」の第一弾、最初の作品です。大海彩洋さんは、プランBでご参加くださいました。プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。
大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。この「真シリーズ」は数代にわたる壮大な大河小説で、まだ私たちが目にしたのはほんの一部でしかないのですけれど、それだけでも引き込まれてしまう濃厚な世界。昨年、私はその舞台の聖地巡礼もしましたし、更に馴染み深く続きを読ませていただいているのです。
さて、お知り合いになってからは皆勤してくださっている「scriviamo!」ですが、今回はいつもと趣向を変えて、完全なお任せでということでした。悩んだのですが、今回の一本目ですし、こんな感じでサーブを投げてみることにしました。
以前、当ブログの77777Hitの時にリクエストを受けてこんな作品を書いたことがあります。
「薔薇の下に」
今回の短編には、上記の小説で書いた二人の人間が登場します。どちらも彩洋さんのオリキャラではないのですが、「真シリーズ」のとんでもない大物に絡めて書いた作品ですので、まあ、ほらね、絡んできてくれたら嬉しいなあ(ちらっ)という思惑が大ありで書いてあります。サーブ(しかもめちゃくちゃな)ですから、はっきり言ってオチはありません。ここに書いてあることでおしまいです。特に登場する三人のうち、視点のあるヴィーコ以外は、なんの裏設定もないので、「名前はこうだった」「実は●●だった」「実は全部知っていたのに知らないフリをしていた」など、ご自由に設定していただいてOKです。もちろん、全て無視して全く別のお話でも構いませんよ。お任せです。
【参考】
小説・黄金の枷 外伝
![]() | Infante 323 黄金の枷 |
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魔女の微笑み
——Special thanks to Oomi Sayo san
垂れ込めた雲から、わずかの間だけ光が差し込んだ。それはまるで、子供の頃に見た祭壇画の背景のようだった。
彼の生まれ育った村は、ウーリ州の山奥にあり非常に聞き取りにくいドイツ語を話し、難しい顔をした大人たちがよそ者を監視しながら暮らしているようなところだった。イタリア語圏にルーツを持つ彼の家族がその村で生活するのはあまり快適とは言えなかった。彼は日曜日のミサで祭壇に描かれた聖母マリアとその背景の差し込む光に慰めと憧れを抱いていた。それが今の職業と暮らしに繋がる第一歩だったのかもしれない。
ヴィーコ・トニオーラはヴァチカンのスイス衛兵伍長だ。四年前に二十歳でスイス衛兵に採用された。その前にスイスの兵役を全て終えている。つまり、彼は成人してからほとんど兵役に当たっている。今時のスイス人はもっと給料が多くて自由のある職業に就きたがるだろう。彼のように健康で体力があり、更に言えば村の中で唯一進学が可能と言われる頭脳も持っているのだから。だが、どういうわけか彼は、小学校の高学年の時から、将来はヴァチカンでスイス衛兵になりたいと思っていた。
いつだったか見た、真っ白で広大なサン・ピエトロ大寺院、真っ青な空、その前に佇むカラフルな衣装を身に纏ったスイス衛兵。それが、辺境で鬱屈した村の日々とどれほど違った人生に思えたことだろう。
規律に満ちた衛兵としての日々は、決して子供の頃に夢見ていた自由で輝かしい毎日と同じではなかったが、彼は現在の日々に一応は満足していた。時折、妙な任務を命じられること以外は。
それは半年ほど前に始まった。ポルトガルからやってくるメネゼス氏という一見どうということもない人物を、目立たないように警護しながら、ヴァチカンのとある重要人物のもとに届けた。
スイス衛兵はローマ教皇の警護だけでなく、世界各国からヴァチチカンを訪れる要人、国王夫妻や大統領などの警護にもあたるので、本来の任務から完全に離れているとは言えない。だが、そのポルトガル人は政府の要人でもなければ、さらにいうと本当の要人その人ではなくただの使者だった。上司は「竜の一族の使者」という言い方をした。そして、送り届けた先もヴァチカン宮殿ではなく、チェザーレ・ヴォルテラ氏の事務所だ。それから、時折大して重要とは思えない人物を目立たぬようにヴォルテラ氏の元に届けたり、偽名で予約されたレストランに向かい一人で食事をするなどという意味のわからない命令が下された。
今朝もタウグヴァルダー大尉はヴィーコにすぐに空港へと向かうように命じた。例のポルトガル人が到着するというのだ。本来ならば、彼は夜勤明けでその朝から非番だったにも関わらず。他のことならば規則を口にして抵抗することも辞さないヴィーコだったが、この件に関してだけは反論が許されないであろう事がわかっていたので、疲れを隠して空港に出向いた。
ディアゴ・メネゼス氏は、前回のように音もなく出迎えのヴィーコの近くまで現れ「ご苦労様です」とだけ言った。会話はほとんどなく、知り合いの誰にも氣付かれることがないほど密やかに、ヴォルテラ氏の事務所に送り届けた。ヴォルテラ氏の事務所にいつもいる紺の背広をきちんと着た男は、メネゼス氏を鄭重に迎え入れるとヴィーコに言った。
「ご苦労様でした。非番だそうですね。後ほど氏を空港までお送りするのは私がしますので、今日はどうぞお引き取りください」
だったら、どうして始めからあなたが迎えに行かないんですか。その言葉をヴィーコは飲み込んだ。これまで引き受けた奇妙な任務に危険はなかったし、関わる全ての人は礼儀正しかった。それなのに、ヴィーコはいつも「逆らってはならない」という強迫観念を持ち続けてきた。それほど、この事務所の主の影響力は大きかった。その存在を世界中の誰もが知らないにも拘わらず。
タウグヴァルダー大尉の物言いも、影響しているのだろう。アメリカ大統領が来ようが、常にテロの標的となっている王族の訪問を受けようが、夕食前の武具の手入れを命じるかのような調子で淡々と命令を下す大尉が、ヴォルテラ氏に関してだけは緊張しやけに神経質になる。何一つヴィーコにはわからなかった。説明するつもりなどないのだ。ヴィーコがその義務を果たすことを知っているから。
わかるのは一つだ。本来の仕事、派手なユニフォームに身を包み、教皇と聖ペテロの座であるヴァチカンを守る任務は、儀礼的なものでしかない。彼が訓練しその手に持つ
実際に教皇とこの小さな国を守っているのは、ヴォルテラ氏の配下、懐に銃を隠し持った黒服のボディガードたち、世界中に張り巡らされた情報ネットワーク、銀行や政治の取引のごとく一般人の目には見えない交渉だ。教皇と全世界十三億のカトリック信者が敬虔に祈りを捧げている間も、目を光らせながら場合によっては冷酷になすべき事を行動に移しているのだろう。
部屋に戻り、ベッドに倒れ込んだ。ひどく疲れていたのだ。実際に、目が覚めると日は傾きだしていた。普段ならば、六日働いた後は、三日連続の休みが与えられるが、明日1月6日は
ヴィーコは起き上がると私服に着替えて、テヴェレ川に沿って南へと歩いて行った。トラステヴェレにある馴染みのピッツェリアに行こうと思ったのだ。
クリスマス市場の開催されているナヴォーナ広場の賑わいには比べる事も出来ないが、川沿いの地区にも屋台が出ていて、魔女ベファーナの人形や子供たちの枕元に置く菓子を売っていた。
ベファーナの菓子の伝統は、おそらくサンタクロースのプレゼントの原型だ。
ヴィーコの生まれ育ったドイツ系スイスでは12月6日に聖ニコラウスと従者シュムッツリイがやってくる。子供たちの一年の所業を裁定して、いい子にはナッツやミカンや菓子を渡し、悪い子はシュムッツリイが鞭で叩くことになっている。
一方、イタリアではその一ヶ月後
そのドイツ語圏とイタリア語圏の二つの伝統が混じり合い、現在では世界中の子供たちがクリスマスの朝におもちゃなどのプレゼントをもらう習慣に変わってしまったのだろう。
ヴィーコは、醜いけれど優しい目をしたベファーナの人形がたくさんぶら下がった屋台を眺めながら歩いて行った。すると、突然目の前で、屋台にあったたくさんの飾りと菓子の袋が崩れ落ちて散らばった。
「きゃっ」
その場にいた、若い女が短く叫んだ。コートの上から引っかけていたストールが、屋台の飾りに引っかかったらしい。
ヴィーコは、散らばってもう少しで川に落ちそうになっている魔女の人形を二つ三つ拾って屋台に戻した。女は、それを見ると微笑んで「ありがとう」と言った。
彼は初めてまともに女の顔を見た。顔が小さく、綺麗に整った眉と、長いまつげ、それにその下で煌めく淡い色の瞳が印象的な女だった。薄めの唇にしっかりと引かれた紅と強くカールした睫毛がひどく化粧の濃い女という印象を与える。彼女は、自分の失態に対して力を貸してくれたヴィーコに対して礼を言いつつも、助けられて当然という空氣を纏っていた。
「やれやれ。なんて散らかし方だ。ラウドミア。困った人だね、君は」
声のした方を振り向くと、そこには意外な人物がいた。ヴィーコは思わず「あ」と言って、男の顔をまじまじと見つめた。女性に話しかけていたのは、今朝、チェザーレ・ヴォルテラ氏の事務所の事務所にいたあの紺の背広を着た男だったのだ。男の方も、すぐにヴィーコに氣がついたようだった。
ラウドミアと呼ばれた女性は、悪びれぬ様子で最後のベファーナ人形を雑に屋台に載せ「失礼」とおざなりに売り子に言うと、紺の服の男性に向かって肩をすくめた。
「もう片付けたわ。こういうのも
ヴィーコは、それでは、この女性はこの人の連れだったのかと思った。彼は、軽く頭を下げて言った。
「先ほどはどうも」
「あら、あなたたち、お互いに知っているの?」
女性は、二人の顔を交互に見つめた。今は茶色のコートに身を包んでいる男性は、表情を全く変えずに言った。
「ヴァチカン市国に入るものなら、嫌でもスイス衛兵とは顔なじみになるさ。どこへ行くのか毎回聞かれるしな」
「ああ、スイス衛兵なのね」
ラウドミアは、艶やかに笑った。ヴィーコは、今朝遭ったのは門ではないのにと思ったが、もしかしたらこの女性の前で「ヴォルテラ氏の事務所で」などという会話をしてはいけないのかと思った。
「スイス衛兵って、ヴァチカン市国の中だけにずっといるわけじゃないのね。どこへ行くの?」
「……。その先のピッツェリアに」
「あら、トラステヴェレの? 美味しい所を知っているならば、教えてくれない? この人が連れて行ってくれる店、いつも全然美味しくないんですもの」
ヴィーコは戸惑って男性の顔を見た。デートの邪魔をするつもりはなかったし、さらにいうと一緒にいたら男性との会話に苦労するだろうと思ったのだ。彼の方から、一緒にいかなくていい口実を言ってくれることを期待していた。
ところが男性はあっさり言った。
「お願いします」
ヴィーコは、肩をすくめて二人を連れていつもの店へと行った。
「テヴェレ川の向こう岸」を意味するトラステヴェレは、中世からの町並みが残る地区だ。ローマの下町といっていい。石畳の道が迷路のように入り組んでいて、その所々に観光客がなかなか見つけられないような小さなトラットリアやピッツェリアがある。
ヴィーコがよくいくピッツェリアもその一つで、狭い店内は飾りけはないが、古い窯から出てくるパリッとしたピッツァが絶品で、少しでも遅く行くとなかなか座れない。
「まあ。こんな所に。行き方、忘れそうね」
ラウドミアは、小さな店内を珍しそうに見回した。ふんわりとした毛織りのコートを脱ぐと、金ラメを織り込んだ臙脂のワンピースが現れた。胸元が広く開いていて、白鉄鉱の細やかな細工で装飾された赤褐色に濁ったキャッツアイがかかっていた。ヴィーコはこの女性は、その道のプロフェッショナルなのかそうでないのかは判断できないけれど、いずれにしても「非常に高くつく」のだろうと思った。
「いずれにしても、君は店への行き方なんて記憶に留めたことはないだろう?」
「そうね。だから、あなたが、しっかり憶えておいてね」
おざなりに微笑みながら彼女は、その笑顔に対して感銘を受けた様子もない男に言った。
見ると、男の方は先ほどのカチッとした背広ではなくグレーの開襟シャツ姿で、まるでどこにでもいる事務員のように見えた。少なくとも十三億人もの信者を抱える宗教の中枢部、秘密の通路を通って行かなければたどり着けないオフィスにいる人間には見えなかった。
「ねえ。時代がかった傭兵さん。教えてちょうだい。門を通る人を呼び止めたり、ミサの時に突っ立ってパパさまを警護する以外に、あなたたちは何をしているの?」
ラウドミアは、頬杖をついてヴィーコに語りかけた。
ヴィーコは、ちらっと男を見たが、とくに反応を見せなかった。僕のことよりも、そっちを問い詰めた方がいいのに、そう思いつつ、職務に忠実で口の固いスイス衛兵は口を開いた。
「それだけですよ」
もちろんそんなわけはないとわかっただろうが、ヴィーコが面白おかしく軍務について詳細を話してくれるタイプではないとわかったのだろう。彼女は、それ以上追求しなかった。
「実際に、鉾槍を捧げ持った僕たちは儀式用の装飾品みたいな存在だ。クレメンス七世の時代とはもう違うんですよ」
1527年に神聖ローマ帝国のカール五世によって引き起こされたローマ略奪で、教皇クレメンス七世を守るため果敢に戦い189人中147人が戦死した故事はスイス衛兵の誇りで、五月六日は今でも隊の祝日になっている。新しい衛兵の入隊式もこの日に行われる。
「そうは言えない」
男は、ヴィーコの眼をじっと見つめながら言った。
「確かに君たちの鉾槍は、大陸弾道ミサイルに対しては無力かもしれない。だが、十六世紀には既に大砲もあったんだからね。それでもスイス衛兵たちが、サンタンジェロ城へと向かう
「それは、そうですが……」
注文していたピッツァが出てきたので、ヴィーコは口ごもった。スイスで食べていたのと比べると、少し小ぶりで直径20センチほどだ。非常に薄く焼き上げた土台にトマトと水牛モツァレラ、アーティチョークと生ハム、それにルッコラが載っている。熱々に溶けたチーズとトマトは、ぱりっと膨らんだ
美味しいピッツァとは、シンプルだ。パリッとした台。
「まあ」
ラウドミアは、辛いサラミを使ったディアヴォラを注文していた。上手にナイフとフォークで切り分けて口に運ぶと、長い睫毛を閉じた。赤く染まったオリーヴオイルが真っ赤な唇で光っている。「
連れの男が選んだ水牛モツァレラとゴルゴンゾーラのピッツァ・ビアンカ、白とルッコラの緑だけが載ったピッツァはそれと対照的だった。また、彼はピッツァの味の魔力に全く感化された様子はなく、黙々と口にしながら話を続けた。
「時代は変わり、教会の存在意義も、信者のあり方も変わったし、これからも留まることはないだろう。だが、君がヴァチカンの門前で、教皇の傍らで、もしくはそれ以外の職務でしていることは、間違いなく君の志した『教皇と教会への奉仕』だ。違うか」
その通りだと思った。上司がよく説くように、彼の職務に必要なのは忠誠心とひたすらな謙虚さだ。讃えられることや注目されることがなくても、静かに自分たちの任務を遂行する、誇りを持って。そうだ、引っかかっていたのはそこだ。
「僕は、単純に、誇りの拠り所を失いかけていたのかもしれません。本当に、僕たちの存在意義があるのかって」
「それは誰でも持つ疑問さ」
「あなたも?」
男は黙ってわずかに微笑んだ。ラウドミアは、面白そうに頬杖をついて口を挟んだ。
「郵便局の仕分け係なんて、すぐにロボットに取って代わられるに違いない仕事だっていうのが、口癖だものね」
ヴィーコは、それではこの女性に対しては郵便局勤務ということにしてあるのかと思い、かといって初めて知ったようなふりをするのも白々しいと思い黙っていた。女は妙な微笑みを浮かべてから、また幸せそうにピッツァを食べた。
それに見覚えがあると思いしばし考えたヴィーコは、先ほどの魔女ベファーナの人形だと思い当たった。明日は
(初出:2019年1月 書き下ろし)
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