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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】悩めるつーちゃん

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第十二弾です。ダメ子さんは、毎年恒例のバレンタインの話で参加してくださいました。ありがとうございます!

ダメ子さんの『四角関係』

ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

さて、「scriviamo!」では恒例化しているこのシリーズ、もともとはダメ子さんのところに出てくる、「チャラくんにチョコレートを渡せない後輩ちゃん」をネタに書かせていただいたものです。後輩ちゃんを勝手に名付けてしまったアーちゃんだけでなく、付き添いで勝手に出したつーちゃんまでも、いつの間にかダメ子さんの「ダメ鬱」のキャラクターに昇格させていただいていて、妙に嬉しい私です。で、年に一度、24時間ずつしか進まないという、相変わらずの亀っぷりですが、これってどうなるんでしょうね?


【参考】
一昨年私が書いた「今年こそは~バレンタイン大作戦」
一昨年ダメ子さんの描いてくださった「チョコレート」
昨年ダメ子さんの描いてくださった「バレンタイン翌日」
昨年私が書いた「恋のゆくえは大混戦」


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悩めるつーちゃん - Featuring「ダメ子の鬱」
——Special thanks to Dameko-san


 今朝、私はメールを見て固まった。無理、絶対に書けない!

 私が、ある種の特殊な趣味を持っていることを知る友人はそこそこいる。海外のモデルなどを想定した非常に麗しい少年や青年が、心の痛くなるような美しい展開の末に結ばれるタイプの小説やマンガを愛好しているのだ。

 でも、実際に自分でも書き出したことを知っている人は、学校にはまだいない。親友のアーちゃんにすら言っていない。だって、さすがにドン引きするかなと思って。それに、万が一「読ませて」と言われたらさすがに恥ずかしい。どうひいき目に見ても、まだ下手くそだし、それにちょっと際どいラブシーンもあるし。具体的にはどうやるのか、いまいちわからずに書いているのがなんだけれど。

 長い銀髪の青年とか、青い瞳と薔薇色の唇を持つ少年のことを書くのは、全然抵抗がないのだけれど、キャラクターが日本人となると、途端に筆が進まなくなる。それを私は「ジャンル違い」だと思っていた。

 問題は、いつもお世話になっているネットサークルのイベントで、お題に合わせた作品を提出することだ。このサークルの主催者であるペケ子さんは、いつも私の作品を読んでコメントをくれるし、以前は彼女のサイトで紹介までしてくれた。お陰で私のサイトに定期的に来てくれる人が増えたのだから、彼女のお願いは断れない。

 これまでのお題は、どれも私の好きなタイプの小説を書いてなんとかなったけれど、今朝のメールによると、今回は「(過去または現在の)学生生活で実際に存在する身近な人たちをモデルにした作品」で書かなくてはならないらしい。ええ~、うちの学校なんて、無理!

 「ジャンル違いなのでパスさせてください」って言えたらいいのだけれど、新参者の分際でそんなことを言うのは、少し怖い。努力だけしてみるかしら。

 私は、今日は授業も上の空で、とにかく誰と誰を主人公に据えるかだけでも決めようと、頭をフル回転させていた。

「つーちゃん、つーちゃんってば!」
はっと意識を戻すと、アーちゃんが立っていた。
「そんなに熱心に校庭を見てどうしたの?」

「え?」
私は、廊下から窓の外を眺める形で立っていたのだが、もちろん校庭なんて見ていなかった。
「あ、ちょっと考え事をしていただけ。あれ、アーちゃん、どうしたの? 眼が赤いけど」

「あ、うん。今、チャラ先輩とお話ししたんだけれど……また、誤解が解けなくって、っていうか、誰が好きか言わなくっていいからって、言われちゃった。これって遠回しのお断りだよね」
アーちゃんは、またメソメソし出した。えー、チャラ先輩、そんなことを言ったの?

 アーちゃんは、中学の時から好きだったチャラ先輩を追ってうちの高校に入ったのに、どうも存在すら氣付いてもらっていなかったらしい。今年はようやくバレンタインデーのチョコレートを、直接ではないものの渡すところまではいったのに、モテ先輩へのチョコと誤解されて昨日も泣いていた。そして今日は誤解を解きにいって、遠回しに断られちゃったってこと?

 っていうことは、もしかしてこれまでも、氣付いていないというのは演技で、遠回しに断っていたのかなあ。アーちゃん、かわいいし、チャラ先輩って、女の子はウェルカムっぽいのに、実はお断りなのか。うーん、もしかして。もしかすると、チャラ先輩、BLこっち 側?

 って、ことは、もしかしたら書けるかも。主人公は、チャラ先輩をモデルにして、相手役はやはり美形のモテ先輩かなあ。いや、モテ先輩はないか、彼女が途絶えたことないみたいだし。絵的にはけっこうイケているんだけれどなあ。

「つーちゃん、つーちゃんってば」
私ははっとした。しまった、アーちゃんを慰めなきゃいけなかったのに、すっかり妄想モードに。学校でこれはまずいでしょう。

「ごめん、アーちゃん。私の見たところ、チャラ先輩ってそんな繊細なお断りのしかたが出来るタイプには見えないから、たぶん、絶望的に鈍いだけじゃないかな。だから、希望を捨てちゃダメだよ」

 アーちゃんは、私のとってつけたような慰めに疑問を持ったらしい。
「つーちゃんの方がずっと悩みが深いみたいだけど、どうしたの?」

 す、鋭い。メソメソしていても、ちゃんと見ているんだなあ。
「う。ごめん。ちょっと、切羽詰まってて」
「もしかして、つーちゃんも、バレンタインで誰かにチョコあげようか悩んでいたの? 私、自分のことに精一杯で、氣が付かなかったけれど、もしかしてそのせいでチャンスを逃しちゃったの?」
「え? あ、いや、そういうことは全くないから。私は、どちらかというと2.5次元の方が……」

 アーちゃんは、一瞬だけ微妙な顔をしたが、すぐにいつもの優しい表情に戻った。彼女はレギュラーにはほど遠い存在ながらもバスケ部に入るくらい健全な精神の持ち主なので、腐った世界には全く興味がない。でも、とてもいい子なので、私の好きなことを否定するようなことは絶対に言わない。

 そのアーちゃんの大事なチャラ先輩をモデルに腐った話を書くなんて、私ってなんて極悪非道なんだろう。まあ、いいや、とにかく設定をいろいろと変えて、万が一にでもアーちゃんやチャラ先輩が氣付いたりしないように書かなきゃ。

 やっぱり部活に行くと去って行ったアーちゃんの背中を見送り、私は帰路についた。さっさと帰って、適当なストーリーを考えなきゃ。やっぱり部活で芽生える愛のストーリーかなあ。でも、モテ先輩が相手役じゃないとしたら、誰にしたらいいんだろう。

 うーん、順当なのは、いつも一緒にいるムツリ先輩だよねー。っていうか、なぜ先にこっちを思い浮かべなかったかな。その方がずっと自然だし……。でも、変だな。全然萌えないや、何でだろう。

 そう思って歩いていたら、向こうからなんと本物のムツリ先輩が歩いてきた。げげげっ。

「あ、昨日は、どうも」
昨日? ああ、昨日って、あの半額になっていたチョコを買って交換したことね。
「いや、こちらこそ、その、えーと、ありがとうございました」

 私は、邪なストーリーを考えていた後ろめたさで、まるでアーちゃんみたいに上がってしまった。しかも、何で顔が赤くなるの?!

 ムツリ先輩は、自分でもわかる私のあからさまな挙動不審ぶりをみて、おやという顔をした。しかも、若干嬉しそうに見えるんですけれど、ちょっと待って。いや、私は先輩と会ったからとか、チョコの交換が嬉しかったからとかの理由で、こうして真っ赤になっているわけではないんだけれど。でも、そうじゃないと説明するのも厄介すぎる。

 なんだか、だんだん妙な泥沼に引き込まれているような氣がする。二日前に、アーちゃんの付き添いで、バレンタインチョコをチャラ先輩に渡す手伝いをした時は、まさかこんなことになるとは思っていなかったんだけれどなあ。

 結局、昨日別れた角まで、ムツリ先輩と並んで歩きながら、私は軽い頭痛とともになぜか心臓の鼓動が早くなるのを感じていた。

(初出:2019年2月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2019
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

日本で買った便利なモノ (3)BONDIC

さて、今日は日本で買ってきた便利グッズを紹介するコーナー。ようやく三回目だわ、これ。まだいっぱいあるんだけれどなあ。

BONDIC

ええと、私は浦島太郎なので、どのくらいこの商品がポピュラーなのかわからないのですけれど、数年前からずっと欲しくて帰国したら絶対に買ってこようと思っていたうちの一つなんです。

これ、接着剤なんですけれど、普通の接着剤と違うのは、紫外線を照射して固めるメソッドです。歯医者さんのところで、詰め物をしてもらう時に、ピーッと青い光を当てて固めることってありませんか? あの技術を一般の接着剤として使ったというものなのですね。

BONDIC

こういう風に光の出るパーツと、液体接着剤の出てくるパーツの二つから出来ていて、まず液体を塗布し、それから四秒ほど照射して固めるのです。

何がいいかというと、いわゆる瞬間接着剤は、すぐに固まってしまって位置直しなどが出来ないじゃないですか、一方普通のボンドは固まるまでに時間がかかって、その間に位置キープの出来ない物は落ちてしまう。でも、この接着方法だと、照射して四秒経つと固まるので、上記の二つの問題が同時に解決するんですよ。

水や80℃くらいまでの高温にも耐えるらしいので、便利です。私は、お風呂など水回りの修復や、かけたプラスチックなどのを補填するのに使っています。
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Category : 生活のあれこれ

Posted by 八少女 夕

【小説】夜の炎

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第十一弾です。山西 左紀さんは、「物書きエスの気まぐれプロット」シリーズの短編で再び参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの『物書きエスの気まぐれプロット エニフ(仮)』

ほぼ毎年、この掛け合いで作品を発表しているので、常連の方はご存じだと思いますが、サキさんのところのエスと、私の「夜のサーカス」という作品の登場人物であるアントネッラ(ハンドルネームはマリア)はブログで小説を書いている友人ということになっています。アントネッラは、イタリアのコモ湖畔に住んでいます。本編は、完全な私の創作ですが、サキさんと「ブログでの創作活動」をメインに競作する時は、かなり私個人の創作秘話とリンクして書くことが多いです。

今回の掌編の「作中作品」が生まれたきっかけも、本当にここに書いてある通り、夢で見たものから書き起こした、つまりサキさんの作品とまたまたシンクロしているものを使ってみました。ま、私のは駄作だったのでボツったんですけれどね。


【参考】

「夜のサーカス Circus Notte」を読む「夜のサーカス」をはじめから読む
あらすじと登場人物

「夜のサーカス」外伝

「scriviamo! 2019」について
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夜のサーカス 外伝
夜の炎
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


「まあ。面白い作品じゃない」
アントネッラは、頬杖をついて古いブラウン管式ディスプレイに見入っていた。彼女の創作仲間であるエスが、長編としてウェブ小説コンテストに出そうと決めている異世界ものの導入部分を読ませてくれたのだ。

 彼女が実際に見た夢をプロットとして書き起こし、それに肉付けしながら一つの作品に仕上げようとしているらしいが、出自や容姿にコンプレックスを持っていたヒロインが、その隠れた才能を開花させて王の側室という立場から影の軍師になっていく、異色のシンデレラストーリーだ。

 一話を発表する前に結末まで決定しているというのは彼女にしては珍しい。それに、ヒロインの容姿や作品の時代設定などは、これまでのエスの作品とは少し違っているようだ。容姿端麗で何もかも楽々とこなすヒロインや、彼女が得意なスピーディに展開するSF活劇はもちろん心躍るが、こうした悩みやコンプレックスを持ち苦悩しつつも人生を切り拓いていく話には、大きな深みがある。

 じっくりとエスの作品の続きを読んでいたいのだが、残念ながら、そうも言ってはいられない。そのコンテストにアントネッラも誘われたのだ。

「前回も苦手なジャンル、ファンタジーで書かされたし、今度は異世界。ジャンル違いだから、筆が全く進まないんだけれど」
そう断ったのだが、エスを始めとする創作仲間に説得されたのだ。

「とにかく、一部だけでも書いてみて、どうしてもピンとこなかったら最終的にエントリーを取り下げればいいでしょう」

 その締め切りもあと二週間ほどだ。のんびりとエスの話に浸っている場合ではない。

「エスみたいに、寝ているうちに話が勝手に生まれてきたらいいわね。もう行き詰まっているし、そのメソッドに頼ろうかしら」
アントネッラは、真面目に考えるのを放棄すると、コンピュータのあるデスクの上に渡したハンモックによじ登った。

 彼女は、コモ湖を見渡すヴィラを祖母から相続して住んでいる。けれど、そのヴィラをきちんと維持していくだけの収入はないので、まるで廃墟のように朽ち果てた状態のまま放置し、最上階の狭い物見塔に全財産を詰め込んでそこに住んでいるのだ。

 生来片づけが苦手なため、ほぼ足の踏み場もない状態だが、そのことはまったく氣にならない。ベッドを置くスペースはないので、天井に吊したハンモックの上で眠る。スペースの有効利用だけではなく、このハンモックにはもう一つの利点がある。窓から美しいコモ湖がずっと先まで見渡せるのだ。

 春の近いうららかな陽氣のなか、彼女は素晴らしい異世界のストーリーが降臨してくることを期待しながら瞳を閉じた。青白い湖面を大きな月が揺らめきながらゆっくりと渡っていく。昼間はトラックや車の往来が絶えない湖沿いの道にも、時折かすかに響く夜鳴き鳥と風に揺すられたマグノリアのざわめきだけが通り抜けた。

 そして、その平和で静かな夜に優しく包まれて、アントネッラは全くなんの夢も見ないまま熟睡した。いつものように。

 朝になった。曇って、素晴らしいことが待ち受けているようには到底思えない一日の始まりだった。少なくとも、異世界に関するストーリーのインスピレーションとは、ほど遠い散文的な朝だ。

 ハンモックから飛び降り、物に覆われていず床が見えるほんのわずかなスペースに見事に着地すると、アントネッラは何はともかく朝のエスプレッソを飲むために、キッチンと彼女が呼ぶ電氣コンロが二つあるだけのスペースに移動して古風なコーヒーミルに豆を投入した。

 少なくとも挽いたコーヒー豆から立ち上る香りだけは、本日もとてつもなく素晴らしい。
「さて。このまま素晴らしい夢を見る可能性に頼っているわけにはいかないわね。あっという間に二週間経ってしまうもの」

 アントネッラは、マキネットに入れたエスプレッソが出来上がるのを待つ間に、コンピュータの雑多な作品を突っ込んであるフォルダをあちこち開けて、異世界ものに流用できる没作品のストーリーはないか探した。そのうちに、ふと思い出したことがある。

「そういえば、二十年くらい前に没にした作品に、異世界ものが一つだけあったわね。まだ手書き時代だったから、デジタルデータではないけれど。もし見つかったら、あれを流用することができるかもしれないわね」

 アントネッラは、立ち上がると階下の、数十年前には祖父母がサロンとして使っていた部屋に向かった。

 床のタイルは剥がれ、どこも埃にまみれているし、部屋の隅には蜘蛛の巣すらあったがそれは見なかったことにした。一番奥に、引っ越してきた時に「とりあえず」置いたまま一度たりとも触っていない、もともとはバナナの入っていた段ボール箱が七つ積み重なっている。その上から二番目にマジックペンで「昔の作品」と書いてあるのを確認し、開けた。中には手書きのノートがぎっしりと詰まっていたが、彼女は三分ほどで目当てのノートを引っ張り出した。

「ほら、あった。偶然だけれど、この作品もエスと同じで、アラビア語の名前を持つヒロインの話だったわよね」

 燃え盛る劫火を見ながらライラは何もかもが嫌になった。ふと横を見ると、一点の曇りも迷いもなくあいかわらず「天上の美」をたたえた《光の女神》コンスタンスが生け贄の進むべき炎を見つめている姿が目に飛び込んできた。

 コンスタンスの存在は、それだけで一つの正義だった。この世を統べる者としての揺るぎなき潔癖さは、天地を支えている錯覚すらおこさせた。《光の女神》の称号は、あながち大袈裟とも言えなかった。コンスタンスの言葉は真言まことのり として全てに優先した。生まれも容姿も人格も全てが「女神」にふさわしいものだった。

 比較して考えると、ライラの《夜の女神》は明らかに単なる称号に過ぎなかった。コンスタンスに氣に入られ、その助け手としてこのように《天上人》の幕屋には居るけれど、所詮よそ者だと自分では思っている。称号はこそばゆく、「女神さま」などと呼ばれて跪かれることにもどうしても慣れることが出来なかった。

 ライラには、自分の存在意義が儚く思われた。そして《鍛冶の神》だの《軍神》だの、または《氷の女神》や《風の神》といったコンスタンスを崇拝する《天上人》たちに溶け込むことが出来なかった。コンスタンスは常に美しく、優しく、かつ公正だった。しかし、ライラは自らを《神》《女神》と呼ばせてなんとも思わぬ人々の「正しさ」に息苦しさを感じ得なかった。

 そして、今、豊穣の祭りのクライマックスで、一人の少女が《火の女神》ヘピュタイアによって炎の淵へと導かれつつあった。

 突然のアクシデントは、その時起こった。一人の少年が何かを叫びながら乱入し、たちまち衛兵たちに捕らえられた。縄をかけられ、そのまま少女と同じ火の淵へと連れて行かれた。

 ライラはぎょっとして、周りを見回した。天幕の中の《天上人》たちは誰一人として顔色一つ変えなかった。いや、《光の女神》の片腕である《太陽》イオンという青年だけはわずかに眉を寄せた。しかし、何も起きなかった。

 ライラは、その瞬間に自分の中で何かが発火したのを感じた。手を伸ばすとコンスタンスの目の前の玉璽をつかみ眼前のガラスをたたき割った。《天上人》たちは何が起こったのかを理解できなかった。ライラはそのまま火の淵へと走った。



「やはり、没にした作品ねえ」
アントネッラはため息をついた。何この陳腐な設定。そう思いつつも、結末を思い出すためにページを繰ると、ノートの端にメモが書き添えてあった。

「あら、すっかり忘れていたわ」
紛れもない自分の字で、この「夜の炎」という作品は、かつて見た夢の内容を書き写した作品だと注釈を添えていたのだ。

「夢で見た作品、もうずっと前に書いていたのね。でも、これじゃ、どうしようもないわよね。やれやれ、やはり、この企画、私はギブアップさせてもらおうかな」

 アントネッラは、色褪せたノートをパタンと閉じると、バナナ模様の描かれた箱に再び押し込み、ぎゅっと蓋をした。エスプレッソを飲むために階上に彼女が戻ってしまうと、部屋には空中を舞う埃いがいに動くものはなくなった。汚れて光を半分くらいしか透さなくなった窓から、早春のやわらかい光が入り込み、また放置が続くであろう七つの箱を照らしていた。

(初出:2019年2月 書き下ろし)

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Category : scriviamo! 2019
Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

パンのお供(8)ピーナッツバター

「パンのお供」シリーズの八回目。今回は、ピーナツバターの話題です。

前菜盛り合わせ

ちょっと古い話題で恐縮ですが、昨年のクリスマスに義母と義兄を招待しました。その時の前菜の写真です。いや、探したらほかに写真を撮っていなかったのですもの……。一番手前のベージュのクリームが、今回のテーマであるピーナッツバターです。

これ、自家製なんですよ。私が作った、最初で最後のピーナッツバターです。

ジャムは基本的に自分で作るのですけれど、ピーナッツバターというのは買うものだと思っていました。なのに作ったのは、ピーナッツが大量に余っていたからです。

スイスでは十二月の待降節になると、ピーナッツやみかん、それにチョコレートなどを常備することが多いんですね。そういう風物詩的な存在なんです。で、連れ合いが喜んで食べるので、深く考えずに買ってきたんですけれど、それを食べ終わる前にヤツはアフリカ旅行に出かけてしまったわけです。私はピーナッツのように面倒くさい食べ物を、大量に食べる習慣がないので、全く手をつけないまま一ヶ月くらい放置されていたんですよ。

で、こんなものを春まで放置してもまずくなるだけだと思い、何か使うレシピはないかと探したんです。そして見つけたのが自家製ピーナッツバターだったというわけです。

レシピといっても、から焼きしたピーナッツをバター、砂糖、塩と一緒にフードプロセッサーで粉砕するだけです。で、完全になめらかになっていない状態が、素人っぽい感じですが、これが美味しいんですね。お店で買うのよりも、香りが高くて劇的に美味しくていくらでも食べられてしまうのです。その証拠に、食べきってしまい、年越しできませんでした(笑)

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Category : 美味しい話
Tag : パンのお供

Posted by 八少女 夕

【小説】鈴に導かれて

「十二ヶ月の歌」の二月分です。「scriviamo!」開催中なんですが、いただいた作品へのお返しが全て終わっている(追記:昨夜サキさんから新たに一ついただきました)ので、こちらを発表しておくことにしました。三月分も書かないとまずいなあ。

月刊・Stella ステルラ 2、3月号参加 オムニバス小説 stella white12
「月刊Stella」は小説、イラスト、詩等で参加するWEB月刊誌です。上のタグをクリックすると最新号に飛びます。


「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。二月はユーミンの“ BLIZZARD”にインスパイアされて書いた作品です。これは歌詞も動画も省略しました。ご存じない方は、検索すればいくらでも出てきますので……。

原曲はみなさんご存じのように、冬の定番ラブソングで、かなり胸キュンなユーミンワールドです。この曲が効果的に使われた映画もありましたし。なのですが、私の作品では全く別の使い方をしてあります。昔からちょっと思っていたんですよね。「これって、胸キュンっていうか、かなり怖い状況じゃないかな」って。一つ間違えば遭難じゃないですか。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む




鈴に導かれて
Inspired from “BLIZZARD” by 松任谷由実

 思った通り、天候は変わってくれた。朝は晴れていたから、彼女は疑いもしなかっただろう。全て計算通りだとは。

 和馬はストックにつけた鈴を響くように鳴らした。かなり遠くから、答えるように鈴の音が聞こえてきた。辺りは、もうほとんど視界が消え去っている。横殴りの吹雪、もちろん誰もいない。あの時とそっくり同じだ。だが、恐怖と不安に震えていた、あの時の俺とは違う。さあ、来い、恭子。お前の人生の終着点へ。

 間もなく起こる妻の事故死が、彼に多額の生命保険金を約束してくれるはずだった。彼は、泣きながら説明するだろう。「天候が変わったので急いで下山しようとしたのですが、吹雪いていてコースを外れたことに氣がつきませんでした。視界がほとんどなかったので、彼女はあの岩が見えなかったのだと思います」

 その岩には、いま彼がもたれかかっている。千恵子が命を落としたのも、この岩に激突したからだった。もちろん、あの時は俺は何もしていない。吹雪になったのも偶然だった。

 あの事故があったのは、十年以上前だ。千恵子は、和馬の同窓生だった。二人が付き合っていることは、ほとんど誰も知らなかった。卒業後は東京で暮らすつもりだったし、田舎娘と小さくまとまるつもりは全くなかった。妊娠しているかもしれないと言われた時にはぞっとしたが、今は刺激をせずにまだ早すぎるからなどと言いくるめて中絶させようと思っていた。

 山は寒いし、スポーツをすることで、もしかしたら流産するかもしれないと考えたのは事実だ。だが、彼女をスキーに誘ったことにそれ以上の意図はなかった。今日とは全く違う。

 コースを外れたのもいつものことだった。和馬と千恵子は、子供の頃からこの山に通い詰めていたので、スキー客の来ない急斜面をいくつも知っていた。天候が変わりそうだったので、早く降りた方がいいからと、近道をしようといいだしたのは千恵子の方だった。

「降ってきちゃったね。やばいかな」
「急いだ方がいいよな」
「そうだよね。ねえ、ユーミンの歌みたいに鈴つけてよ。せっかくだもん。ほら、上の売店で買ったお守りの鈴」

 姿は見えなくても、ストックにつけた鈴の音を頼りに後を追う、そんな歌詞だったように思う。和馬は「追いかけられる」ことにうんざりしたが、そんな様子は見せずに鈴をストックにつけて滑り出した。

 彼女を、待つつもりはなかった。とにかく早く麓へ着きたかった。後ろから響く鈴の音がだんだんと小さくなり、彼は少しほっとした。何があろうとも、あいつから逃れなくては。結婚なんてことになるのは死んでもごめんだからな。俺の輝かしい人生は始まったばかりだというのに。

 自分のつけている鈴の音が、うるさかった。千恵子につけられたことも腹立たしかった。それをつけている限り、彼女から逃れられないとすら感じられたので、投げ捨てようと思い立ち止まった。

 そして、ぎょっとした。白い吹雪の煙幕に隠されてほとんど見えていなかったが、すぐ近くに大きな岩があった。こんなのにうっかり激突していたら死んでいたな。

 そう思いながらグローブを外して鈴を取り除こうとした。手がかじかんで、うまく外せない。鈴は大きく鳴った。呼応するように、鈴の音が近づいてきた。

「えっ?」
突然、視界に現れた千恵子が、そのまま岩に激突した。

 動かなくなった千恵子をそのままにして、和馬はその場を後にした。その時は逃げることしか考えていなかった。いろいろな責任から、失うものから、恐怖から。吹雪は、和馬がその場にいた痕跡を全て消してくれた。

 千恵子の遺体が見つかり、彼は同窓生として何食わぬ顔で葬儀に出かけた。彼女がなぜ一人であの雪山にいたのか、誰もしらなかったこと、妊娠もしていなければ、事件性も疑われていなかったことに安堵した。そして、あの日のことは、ずっと胸の内に秘めたまま、故郷を離れ東京で生きてきた。

 それが、この岩だ。

 和馬は、ことさら手を振り鈴を鳴らした。恭子、お前には悪いが、あの保険金がないと俺はもうにっちもさっちも行かないんだよ。そのために、大人しくて頭の回らない、お前みたいな退屈な女と結婚したんだからな。千恵子の事故は忘れたことがない。あれに俺が関係していたことは誰も知らない。だから、あれにヒントをもらったなんて誰にも証明できないだろう。完全犯罪。させてもらうぜ。

 彼は、結婚したばかりの妻を言いくるめ、保険をかけた。初めての年末年始を夫の生家で過ごすのもごく自然だ。そして、子供の頃から行き慣れたスキー場へ案内する。偶然・・ 天候が崩れる。視界の悪い中、下山して一人だけ事故に遭う。なんて悲劇。

 呼応する鈴の音が大きくなった。こだまして、二つも三つもあるように聞こえる。おかしいな。あの時は聞こえてすぐに千恵子がぶつかったのに。

 鈴の音だけが響いていたかと思うと、不意にあの時の千恵子の来ていたのと同じ黄色いスキーウェアが見えた。まさか! 恭子はピンクのスキーウェアなのに。

「いったでしょう? ユーミンの歌みたいにしようって。ブリザードは世界を包み、時間と距離も消してくれるのよ。二人を閉ざしてくれるの……」

 千恵子! まさか、幽霊が? 俺は、お前を殺そうとしたわけじゃないんだ。お前が勝手に死んだんだろう。やめろ、俺にとり憑くのはお門違いだ。

 和馬は、慌てて立ち上がり必死に逃げた。滅茶苦茶にストックを動かしとにかく麓へ急いだ。手元のストックについた鈴が大きく鳴る。焦りながら、そちらを見た一瞬、前方から注意がそれた。前をもう一度見た時には、迫り来る大きな岩は、もう目と鼻の先だった。

* * *


 夫の事故死から半年が経ち、恭子は久しぶりに友人との食事に出かけた。若くして未亡人になってしまった彼女の肩を抱いて、力づけようとした。

「スキー場で吹雪に遭うなんて本当に大変だったよね。でも、恭子が無事に下山できて本当によかったよ」
「前方は、ぜんぜん見えなかったんだけれどね。でも、ずっと彼のストックにつけていた鈴の音を頼りに進んでいたの。氣が付いたら麓のリフト乗り場にいたのよ」

「え。でも、ご主人が亡くなったところって……」
「そうなの。麓じゃなかったし、コースも外れたところだったの。でも、私はずっと鈴の音を頼りに下山したのよ。きっと私のために、亡くなった後も案内をしてくれたんじゃないかって、今でも思っているの」

 彼女は、そっと白いハンカチで目頭を押さえた。
「彼が、こんな風に亡くなるなんて、想像もしていなかったけれど、でも、まるでわかっていたみたいに、彼は私のためにいろいろしてくれていたの」

「たとえば?」
「例えば、生命保険。結婚したばかりだし、まだ若いからいらないんじゃないのって私は言ったんだけれど、彼がどうしてもって言って、お互いを受取人にした保険金に加入したの。おかげで、私は路頭に迷わずにすんだのよね」

「そうか。そのご主人を悲しませないためにも、恭子、早く立ち直ってね。あなたは若いんだし、人生はまだまだ続いていくんだから」
「うん。ありがとう、力づけてくれて。いつまでもメソメソはしていたら、彼も成仏できないものね。私、頑張るね」

 恭子は、あれからお守り代わりに常に身につけているキーホルダーの鈴を振って微笑んだ。

(初出:2019年2月 書き下ろし)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の歌 2
Tag : 小説 読み切り小説 月刊・Stella

Posted by 八少女 夕

パルミジアーノ・レッジャーノ

パスタ

唐突ですけれど、みなさん、パスタにかけるチーズは何をお使いでしょうか。

イタリア人の多くが「パルミジアーノ・レッジャーノ。それ以外はあり得ない」と答えるでしょうね。ええ、あれは美味しいんです。けれど、なかなかお高くて……。

子供の頃、自宅で見たり、外食でよく使ったのは緑色の筒型容器に入ったクラフト社の「パルメザンチーズ」でした。あれは「パルミジアーノ・レッジャーノ風」のハードチーズの粉末だそうですね。

スイスは、酪農大国なので、もちろんいろいろなハードタイプのチーズがあります。粉チーズはいろいろと売っているのですけれど(当然ナチュラルチーズですよ!)、やはり最上はパルミジアーノ・レッジャーノだと思います。あ、パスタなどにかける粉チーズに限定しての話ですけれど。

パルミジアーノ・レッジャーノの下位互換としてグラーナ・パダーノという硬質のチーズがよく出回っていますが、これは塊で食べてもかなり美味しくて、可能な限りこれを常備しています。

写真のパスタにかかっているのは、パルミジアーノ・レッジャーノの18ヶ月もの。これはクリスマスの時に、街の90歳のイタリア人おじいちゃんが売っていたので、彼の年末の餅代にという意味を兼ねて奮発して買いました。日本で買うより安いとはいえ、10フランもしたので、大事に食べましたよ。塊でしたから、自分で粉砕しました。これ、固くなりすぎる前にやらないといけないんです。粉砕した後は、冷凍庫で保存できます。

チーズが大好きという方にはたまらない味わいだと思いますが、ちょっと苦手という方には少しチーズ味が濃すぎるかも知れません。そういう方は、もう少し熟成の少ないパルミジアーノ・レッジャーノが美味しいかも。

薄く削ってグリーンサラダにかけたり、グラタン・ドフィノワというポテトグラタンに使ってみたり、サイコロ状に切ってバルサミコ酢をかけて食べたり、パルミジアーノ・レッジャーノの楽しみは尽きません。イタリア人は海外旅行に行く時に持っていくという冗談を聞いたけれど、確かにこの味に慣れていたら、手に入らないところにいく時は持っていきたくなるだろうなと思います。
関連記事 (Category: 美味しい話)
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】殻の名残

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第十弾です。limeさんは、素敵な掌編小説で参加してくださいました。ありがとうございます!

 limeさんの書いてくださった『やさしいゲイル』

limeさんは、繊細で哀しくも美しい描写の作品を書かれるブロガーさんです。小説において大賞での常連受賞者であるだけでなく、イラストもとても上手で羨ましい限りです。

これまでの「scriviamo!」には、イラストでご参加くださったのですが、今年は掌編小説でのご参加です。読んでうるっときてしまった、この優しくて悲しいお話は、こんなお約束のもとで書かれたそうです。

この掌編は、以前、
*誰かの誕生日
*必ず、常識的に「汚い」と思えるものを「美しく」描いた表現を入れる
*文字数は2000字以内。
という縛りを仲間内で作って、創作し合った作品です。


limeさんのお話に、余計な茶々を入れるのも嫌だったので、お返しは単純に、私もこの縛りにしたがって何かを書くことに決めました。

またしても、同じ世界観が出てきたのは、私がこだわっているからではなく、私の周りに自然科学に詳しい子供と園芸が趣味の母親というバターンが他にいなかったというだけです。



【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」


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殻の名残
——Special thanks to lime-san


 少年は庭の一角でしゃがみ込んでいた。雨上がりの午後、優しい光に照らされて、母親が情熱を傾ける庭は、生き生きと美しく輝いていた。薔薇と芍薬は、互いに競いながら庭の女王の座を得るべく開き始めた蕾を戴き枝を伸ばしていた。

 菊のようなアストランティアや、黄色く控えめなハゴモグサは行儀よく並び、ネギの仲間であるアリウムも紫の丸い花を咲かせていた。アイリスの花にも丸い雨の雫が揺れている。彼は、ゆっくりと庭園を歩きながら、ひんやりとした清らかな空氣を吸い込んだ。

 家の奥からは、ティーンエイジャーたち特有の抑えの効かない笑い声が響いている。パーティはたけなわのようだった。再婚相手の娘であるナンシーの誕生会が行われることを母親は教えてくれなかった。パーティがあると知っていたら、理由をつけて一日遅く来たのに。彼は、誰からも話しかけられないでいる居心地の悪さを紛らわすために、一人庭に出た。

 彼は、中等教育を終えて、まもなく大学進学資格を得るAレベル試験の準備のためシックス・フォームの寄宿学校に入る。それまでいた寮にずっといることは出来ず、新しい寮にはまだは入れない。それで、この二週間をバースにある母親の再婚相手の家で過ごすことになった。

 十歳になるまで過ごしたケニアにわずかでも帰りたいと思ったが、その旅費を出して欲しいと父親に頼むことができなかった。寄宿学校の費用も決して安くはない。それを父親が出してくれなければ、彼はこの家に居候するしかない。到着して一日でもう疎外感を感じるこの家に。彼は、何かを期待するのはやめようと決心し、黙って応接間から歩み去った。

 庭の片隅、イチゴが赤くなり始めている一角も、雨の後にしっとりと濡れて瑞々しく輝いていた。彼は、ゆっくりと蠢く珍客を見つけて、観察をするためにしゃがみ込んだ。

 Limax maximus。レオパード・スラッグだ。オーガンジーのような半透明の柔らかい体に、豹のような文様が整然と並んでいる。三インチほどの長さで、緩やかに進んでいた。彼によって出来た影を感じるのか、ゆっくりと身を反らした。

 サバンナの俊敏な狩人である豹とは、似ても似つかぬ動きで、むしろ彼はその角の形状からユーモラスなキリンの姿を思い出して微笑んだ。

「ヘンリー!」
後ろからの声に驚いて彼は立ち上がった。
「母さん」

「あなたここで何をしているの? 皆さん、もうテーブルについているのよ」
彼は、困ったように下を向いた。
「僕が、いなくてもいいんじゃないかと思って。その、招待されたわけではないし」

「何を言っているの。いるのが分かつているのに、一人だけ別の食事をさせるわけにいかないでしょう。早く来なさい。いったいそこで何を見ているのよ」

 近づいてきた母親は、ようやく彼が観察していたものが見えたらしかった。
「まあ! ナメクジじゃない! さっさと殺して!」
 
 彼は、ショックを受けて一瞬ひるんだが、あえて口を開いた。
「庭の片隅で懸命に生きている生命だよ。殺すなんて」

「当たり前でしょう。汚い害虫だもの」
「虫じゃないし、汚い生き物なんてないよ。軟体動物門腹足綱は、陸に生息する巻き貝の一種だよ。サザエやアワビの遠い親戚だし、遠く辿れば真珠を作るアコヤガイや聖ヤコブの象徴ホタテガイとだって同じ祖先をもっているんだ」

「何をバカなことを言っているの。ナメクジは庭を荒らすし、危険な病氣を媒介するのは常識です。もう、役に立たない子ね。くだらない屁理屈ばかり言って実用的でないのは、あなたのお父さんそっくりだわ」

 母親は、近くの園芸小屋から塩の箱を持ってくると、あっという間にマダラコウラナメクジの上に撒いた。体を反らして苦しむ生き物から、彼は眼をそらした。

 母親は、その場に心を残している息子の手首を強引に引いて、彼女の自慢の家へと戻っていった。
「すぐに手を洗うのよ! 早くしなさい」

 塩をかけられたマダラコウラナメクジからは、どんどんと水分がしみ出した。艶やかだった豹斑を持つゼリー状の肌は溶けるように消えていった。そして、人のいなくなった美しい庭を午後の日差しがすっかり乾かす頃には、白い塩の山も水分と共に土に混ざりわからなくなった。

 マダラコウラナメクジのいた場所には、小さな白い楕円形のものが光っていた。真珠のように七色の光を反射するそれは、かの生き物が体の中に隠し持っていた、遠い先祖が巻き貝だった頃の殻の名残だった。

 女主人が長い時間をかけて作り上げた庭園には、醜いものや不都合なものなど何もなかった。彼女が丹精込めて育てた花や整然と美しく並ぶ樹木が、その完全な幸福を象徴するように、穏やかな風の中にそよいでいた。

(初出:2019年2月 書き下ろし)

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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1959字。ギリギリでした……。

Limax maximus shell
参考: Limax maximus shell レオパード・スラッグの体内に埋もれている殻 
出典 wikimedia.org
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

ミルクティーの朝

さて、一日小説はお休みです。今日の話題は、紅茶。間もなくロンドンに行くので、これまで出し惜しみしていた紅茶をガンガン飲んでいるのです。

紅茶

以前に「コーヒーと紅茶とホットチョコレートと」や「紅茶を飲む」といった記事でも紅茶について書いていますが、私は紅茶もよく飲みます。ただし、自宅で飲む場合は若干のこだわりがあります。

子供の頃、母親が淹れてくれる紅茶があまり好きではありませんでした。なんでこんなものを英国人は大騒ぎして飲むんだろうと、不思議に思っていました。ところが、イギリスに初めて行った19歳の夏、その概念がひっくり返ってしまったのですね。何これ、こんな美味しい飲み物だったの?! って。

実は、子供の頃に母親が淹れてくれた紅茶は、薄め(まさに紅)でマグカップに砂糖が二つ入っていたんですよ。で、私の嗜好には、それは甘ったるくて味のないまずい飲み物だったのですね。ところが、なぜその紅茶があまり好きでないのか、自分で分析せずに飲まなくなってしまったので、淹れ方によって味が全然違うことに氣付かなかったのです。

英語で紅茶はBlack Teaといいますが、実際にヨーロッパで淹れるとかなり黒くなります。たぶん水質の違いだと思います。真っ黒の濃い紅茶は、私はそのままだと飲めないので、マグカップであれば砂糖を最高で一つ、可能であれば半分入れます。500mlのポットなら一つという割合です。これに少しミルクを入れることが多いですが、連れ合いと飲む時はミルクはないこともあります。

私はコーヒーはミルクなしでは飲めないのですが、紅茶はどちらでもいけるのですね。

写真に映っているのは、イギリスで買ったティーバッグ。黄色い缶はぴったりだったので再利用しているフランスのお菓子のものですけれど。イギリスのティーバッグには丸いものが多いのです。それに、紐がついていませんし個別包装にもなっていません。しまう時にも場所をとらないので、私はこういう方が好きなんです。マグカップは、この秋に母の遺品からもらってきたもの。昔私も愛用していたんですよね。

それに、スイスではなかなか手に入らないのが、カフェインレス(いやテーインレスっていうのかな)の紅茶です。夜でもガンガン飲むためには、個人的にはこの方が好ましいです。昔は関係なく眠れましたが、いまはそうはいかないので、夜は普通のコーヒーや紅茶は控えています。

というわけで、今月末にはまた紅茶を買い込むことになりそうです。
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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】あの日、庭苑で

scriviamo!


「scriviamo! 2019」の第九弾です。山西 左紀さんは、「絵夢の素敵な日常」シリーズの短編で参加してくださいました。ありがとうございます!

山西 左紀さんの『PX125』

山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

ここ何年かは(私が先に書く)プランBでのご参加が続きましたが、今年はサキさんが先行で。そして、この作品は、サキさんのブログ33333ヒット記念作品として私のリクエストにお応えくださった作品でもあるのです。詳しくはサキさんのブログで作品を読んでいただくとして、これに対して何をお返ししようか、少し悩みました。

そして思い出したのが、この作品について、サキさんがちらっと「シンクロしている」と話してくださったことなんです。全くの偶然なんですが、私が「野菜を食べたら」という作品を発表したとき、とあるシチュエーションが、執筆中のサキさんの作品とシンクロしていたのですね。

というわけで、私からのお返しは、その「野菜を食べたら」で出てきたあの娘の話を書くことにしました。サキさんの作品で描かれた「仮面を被ったお嬢様」をテーマにしました。サキさんの方では仮面を取ろうとしていますが、こちらは被ろうとしています。「野菜を食べたら」のちょうど一年前でストーリーが始まります。


【参考】
郷愁の丘「郷愁の丘」を読む

「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」


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あの日、庭苑で
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 鏡に映るのは地味な服装に身を包んだ自分だった。黒にかなり寄ったグレイの生地は野暮ったかったし、小さな丸みを帯びた襟も全く好みではなかった。アンジェリカは、むしろ黒い糊の効いたシャツのシャープな襟を立てて着る方が好きだ。たとえモノトーンのシンプルな装いでも、アクセサリーの付け方ひとつ、選ぶ靴一つで、「さすがあのアレッサンドラ・ダンジェロの娘ね」と言わしめるだけのファッションセンスを彼女は持っていた。けれど、今日の服装は、その反対の印象を与えなくてはならない。アンジェリカ・ダ・シウバという娘が、雇い主の家族であることを、誰にも悟らせないようにしなくては。

 彼女は、持っていこうとしたアクセサリーを全て引き出しに戻すと、パタンと音を立てて閉じた。彼女の持っているアクセサリーは、貧しい十七歳が手にするような品物ではない。持っていることがわかってしまったら、盗んだと疑われるか、さもなければ経歴に疑問を持たれるだろう。

 アメリカで育ったブラジル移民の娘という経歴は、嘘ではない。そのブラジル移民が、誰もがその名前を知るサッカー選手であることは、伏せているが。母親は未だにファッションアイコンである元スーパーモデル。伯父は、健康食品会社の経営者である大富豪。母親の三度目の夫は、いつだったかの神聖ローマ帝国皇帝の血を引く貴族で、いくつかの城を所有している。その中で、もっとも辺鄙なところにあるために所有者ですらほとんど行かない城に、アンジェリカは夏期休暇中の仕事をしに行く。

「なぜ、ファルケナウにしたのかい? エッケンブルグなら勝手も知っているし、私も毎週のように足を運ぶから、安心だろう?」
母親の夫であるヴァルテンアドラー候家当主は心配そうに言った。

「だからよ、ルイス=ヴィルヘルム。あのお城で働く人たちはみな私が誰だか知っているもの。それに、あなたがちょくちょくやってきて私を甘やかしたら、私また給料泥棒になってしまうわ」
アンジェリカは言った。

 昨年は、ニューヨークのヘルサンジェル社で三週間働いたのだが、初日からCEOである伯父と顔なじみの経営陣たちに甘やかされて、まったくまともな仕事ができなかったのだ。

「でも、ファルケナウは本当の田舎で、息抜きのショッピングも出来ないよ。代々の城主が滅多に行かなかったから、使用人たちも代々地元の人たちが彼らなりのやり方を踏襲していてね」
「そういえば、ママも行ったことがないって言っていたわ」

「落ち着かないからなかなか足が向かなくてね。近くに空港もないので、往復に時間がかかるんだ。そうまでして行く理由も考えつかないしね」
ルイス=ヴィルヘルムは、困ったように言う。

「でも、あなたの息子は、あそこに住んでいるんでしょう?」
アンジェリカは、不思議に思って訊いた。

「そうだね。この春に引っ越したんだ。それこそもっと便利なエッケンブルグや他の城を勧めたんだが、仕事でチェコに行くことも多いので、あそこがいいと言うんだ。もっともいつまであそこに耐えられるか、私も様子を見ているよ」

 ルイス=ヴィルヘルムの最初の妻は、やはり彼と同じ階級の出身で、離婚後は息子を連れてベルリンに引っ越した。息子であるヨハン=バプテストはヴァルテンアドラー候家の跡継ぎとして、ルイス=ヴィルヘルムがドイツにいるときは側で時間を過ごすことがあった。

 アメリカの小学校に通い、卒業後はスイスの寄宿学校に入ったアンジェリカは、自身がルイス=ヴィルヘルムの城で時間を過ごすことが少なかったので、ヨハン=バプテストと顔を合わせたのは母と養父の結婚式を含めて二度だけだった。でも、その二度目のことは忘れないだろう。

* * *


 アンジェリカは九歳になったばかりだった。母親が、ドイツの貴族と結婚したのは前の年の年末だ。アンジェリカの学校があるので、ロサンジェルスの家での暮らしがベースになっていたが、アメリカに馴染めないルイス=ヴィルヘルムのために長期休暇の時は、ヨーロッパに戻るのが常だった。

 その夏は、一番大きくて由緒のあるエッケンブルグ城に滞在していた。ここは、ヴァルテンアドラー候家の本拠地で、かの神聖ローマ皇帝もここで生まれ育ったという。ここ十数年は、スイスのサンモリッツを本宅としているルイス=ヴィルヘルムも、ドイツでは大抵この城に滞在するのだ。

 育ったロサンゼルスの家は敷地が千二百平米あり、広くて豪華だ。その家に慣れていたアンジェリカでも、本物の城に滞在するのは初めてだった。城から門までも車でないと行けないし、その途中に鹿や雉などが生息しているというのも驚きだった。また城門から街までもやたらと時間がかかる。街からはどこでも小高い丘の上にあるエッケンブルグ城が見えて、それが南東の方角を知る目印だと言われた。

 城には同年代の子供はいなかった。ルイス=ヴィルヘルムの息子がやはり長期休暇のために滞在していると聞いていたけれど、十四歳のドイツ人の少年にとってアンジェリカは、仲良く遊ぶような存在ではないんだろうなと思った。

 半年前の結婚式の日に引き合わされたヨハン=バプテストは、敵意こそ示さなかったけれどアンジェリカの兄になってくれるつもりは毛頭ないようだった。今回も、アレッサンドラやアンジェリカと親しく付き合いたいという意思の全く感じ取れない形式的な挨拶だけをして城のどこかに引っ込んでしまった。彼は、父親に会えたこともさほど喜んでいるようには見えなかった。

 私なら久しぶりに会うパパには抱きつくのに。アンジェリカは、思った。ヨハン=バプテストとは、食事の時にしか会わなかったし、全く話しかけられることがなかったので、もしかして彼は英語がよくわからないのかしらと思った。

 アンジェリカに常に英語で話しかけてくれる城の使用人たちは数人で、彼女は特別に訴えかけたいことがなければ、意思が通じないくても、そのままにしていた。必要ならば、黒い服を着たシュミットさんやブレーメルおばさんを探すか、ママやルイス=ヴィルヘルムに訴えかければいいんだもの。

 彼女は、九歳にしては考えが大人びていた。パパとママは有名人だし、仕事が忙しいから、いつも一緒にいられなくてもしかたない。ルイス=ヴィルヘルムはママの二番目の夫だったあの意地悪な人と比べたらずっと感じがいい。別につらいこともない。だから問題は起こさないようにしようと。

 言葉が通じない人たちとは親しくなれなかった。友達もいないし、城の滞在も数日も経てば退屈になってきた。テレビゲームはないし、スマホに入っているゲームにも飽きてしまった。

 アンジェリカは、城の中を探検してみようと思った。ヨーロッパのお城に滞在する子供向けドラマで見たように、もしかしたら宝物のある洞窟なんかがあるかもしれないし。そういえば、ママはどこへ行ったんだろう。朝食の後、姿を見ていないな。

 アンジェリカは、絨毯が敷かれ歩幅が広く歩きにくい階段を降り、広間の裏側から庭園へと向かった。フランス式に剪定されたコニファーの間を通り過ぎようとしているときに、向こうからヨハン=バプテストが歩いてきた。

「ハロー、ヨハン=バプテスト」
「やあ、アンジェリカ、どこへ行くんだ?」
彼がドイツ語ではなくて、英語で問いかけたので、アンジェリカは意外に思った。話せるのかな。

「退屈なの。だから、お城を探検してみようと思って。あなたは、もう探検した?」
彼は、苦笑して首を振った。
「探検はしていないよ。別に、魔法使いや竜が隠れているような城じゃないしね」

「洞窟は?」
「グロットのことかい? あちらに見える噴水の裏側が、ちょっとした洞窟みたいな装飾になっているよ」
「宝物、隠してあるのかしら?」
アンジェリカが期待を込めて訊くと、彼は肩をすくめた。
「宝物があるとして、隠すとしてもあそこじゃないだろうね」

 彼は、アンジェリカと探検ごっこをしてくれるつもりは毛頭ない様子だった。とはいえ、すぐに立ち去りたそうな様子でもなかった。

「ママかルイス=ヴィルヘルムを見なかった?」
「さっき二人で、庭園の奥の方へ歩いて行ったよ。案内しようか?」
「ええ。お願い」

 フランス式庭園の終わりは、階段になっていて、降りていくと木陰の小径になっていた。そこには孔雀や雉の仲間が放し飼いになっていた。

「見て。あの鳥、判事さんのカツラみたいな頭よ」
「ああ、あれはキンケイっていうんだ。アジア原産だよ」
「あの尻尾が長いのは?」
「オナガドリ。日本の鶏だ」

「ヨハン=バプテスト、あなたとても詳しいのね」
「この城には何度も滞在しているから、さすがに憶えるよ」

「そうか。あなたもママとパパのところを往復しているのよね」
「今はそうでもない。寄宿学校に入って長期休暇の時にどちらかに帰るだけだ」

「帰るか……どっちも『帰る』だけど、どっちにも『行く』のよね」
アンジェリカの暗いつぶやきに、彼は足を止めて向き直った。妙な言いまわしだが、彼にはその正確な意味がすぐにわかった。
「どこか居心地が悪いのかい? ここの話? それともイギリスにいるお父さんの家?」

 アンジェリカは小さなため息をついた。
「居心地が悪いって程じゃないわ。パパはいつも大騒ぎして迎えてくれる。ママも帰るとぎゅっと抱きしめてくれる。でも、ソニアがね、パパの奥さんなんだけれど、うんざりって顔で私を見ることがあるの。そういう時に、マイクみたいに私のこと邪魔だと思っているんだろうなって、納得するようになってしまったの」

「マイクって、誰?」
「マイク・アッカーマン。前にママと結婚していた人」

 ヨハン=バプテストはなるほどという顔をした。マイク・アッカーマンはアメリカの著名なテレビ・モデレーターで、アレッサンドラ・ダンジェロとはわずか半年で離婚した。

「そのアッカーマンが、君を邪魔だっていったのかい?」
「ええ。お前はママが嫌いになったダメ男の子供だ。ママはリセットして新しい人生を始めたのに、子供だから放り出せないで迷惑している、ママも私のことを邪魔だと思っているって」
「アレッサンドラが、そんなことを言ったわけじゃないんだろう?」

「言わないわ。ママは、『マイクの言ったことは全然デタラメよ。ママとパパは離婚したけれど、どちらもあなたのことは深く愛しているわ。それは感じるでしょう?』って言ったわ。だから、そのことを疑っているわけじゃないけれど……」
「けれど?」

「あのね。マッテオ伯父さんがドールハウスを買い換えてくれた時にね。私、前の時にお氣に入りだった安楽椅子をとっておいたの。でも、新しいドールハウスには新しい家具があって、その椅子を入れるところがないの。それを見て、マイクが言っていたのは、こういうことなのかなって。古い家からきたものは、どんなに好きでも、あたらしい家には、上手く入らないんだなって」

 彼は心にもない否定を口にはしなかった。
「君は、その歳でずいぶんよく考えているんだな。驚いたよ」

 アンジェリカは肩をすくめて言った。
「でも、ママやルイス=ヴィルヘルムには言わないでね。大騒ぎして心配するもの」
「言わないさ」

 やがて、二人は少し開けた庭園に出た。そこには各種の薔薇が放射状に植えられていた。その中心には、つる薔薇で覆われた白い木の東屋があり、探していた二人が座っていた。

 ルイス=ヴィルヘルムは、最愛の妻の手を取り、じっと見つめながら楽しそうに語りかけていた。彼女は笑顔で答えて楽園のような光景を楽しんでいた。それは一幅の絵のように美しかった。夏の始まりの、輝かしい新緑と、深く艶やかな薔薇の花、多忙な美の女神である妻を穏やかで慎み深い夫が讃美している。おそらく誰にも邪魔をされたくないであろう、ほんのひとときの至福。

 アンジェリカは、黙ってしばらくその二人を見ていた。穏やかな風が吹き、薔薇の香りが満ちた。

「私、あっちの方を歩いてくるわね」
そう言って、背を向けたアンジェリカの背中は、小さな子供のようだった。そう思ってから、ヨハン=バプテストは、そうじゃないと思った。彼女はまだ九歳の子供なのだ。懸命に背伸びをして寂しさと戦っているけれど、大人びた台詞ほど、彼女は寂しさと折り合いをつけているわけではない。

 新しいドールハウスに上手く収まらない家具は、アンジェリカだけではなかった。彼には、アンジェリカの居心地の悪さがだれよりもわかった。彼は少女に近づくと、その手を握った。

 驚いて見上げる彼女に、彼は、慣れなくて難しかったけれど、可能な限り優しく笑いかけて言った。
「僕が、案内してあげる。あっちには、小さな滝があるし、昔、僕が海賊ごっこをした小屋がある。一緒に宝探しをしよう」

 アンジェリカは目を輝かせた。
「本当? あなた、海賊役するの? 私、さらわれたお姫様の役、やっていい?」
「いいとも。今日だけ、特別だよ」 

* * *


「アンジェリカ、本当に考え直すつもりはないのかい?」
「もちろんないわ。大丈夫よ、ルイス=ヴィルヘルム。そんなに心配しないで。私、これでもけっこうドイツ語が上手に話せるようになっているのよ。なんとかなると思うわ。どうしても耐えられないようなことがあったら電話だって出来るんだし、それに、ヨハン=バプテストもいるじゃない」

 そういうと、ルイス=ヴィルヘルムは少し困ったような顔をした。
「その、君はあいつと長らく会っていないだろう? その……あいつは、悪氣は全くないけれど、とても無愛想でな。君のような都会的な女の子の扱いも下手で、あまり上手にかばってくれないかもしれないぞ」 

 アンジェリカは、そっと微笑んだ。仏頂面のまま、一生懸命お姫様をさらう海賊の役をしてくれた少年の姿を思いだす。

「彼は、私のお芝居にきっと付き合ってくれるわ」
小さなスーツケースを軽々と持ち上げて、彼女は楽しそうに笑った。

(初出:2019年2月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

苦手なこと

久しぶりにトラックバックテーマです。しかも二年くらい昔の。ま、いいですよね。テーマは「宇宙と深海、調査をするならどちらに行きたい?」です。

いきなり後ろ向きな結論で申し訳ないですが、私は「どっちも勘弁!」です。基本的に、過酷な環境のところはあまり行きたくないんですよ。

それは、こんな経験が背景にあります。

働き始めてしばらく、海外に嬉々としていった時期があります。(今でもそうだろうと言うツッコミはさておき)当時は日本の会社員でしたから、休めても最高9日程度。海外は近場がメインでした。グアム、サイパンなど。で、一度CLUB MEDのリゾートに滞在したことがあります。このリゾートは、宿泊や食事だけでなく、施設内の多くのアトラクションの利用もタダというシステムで、プールで遊んだり、バーで楽しんだりいろいろと出来ることを試しました。

その中に「スキューバダイビング体験」があって、施設内のとても深い専用プールで、初めてそれをやることになったんです。もちろんスーツや酸素ボンベも全部貸してくれて、インストラクターが教えてくれました。

そして、いわれたようにちゃんと酸素ボンベを装着して、何の問題もなく作動したそれを背負って、グルーブの人たちと一緒に下の方へ潜ったのです。最初は何でもなかったし、普通に息もしていました。ところが、プールの一番底で「ここでボンベが壊れたりしたら息できなくなるんだよな」とちらっと考えてしまったんです。その途端、ちゃんと作動しているにもかかわらず、ボンベの酸素が吸えなくなってしまったんです。そうしたら、もちろんパニックで、最終的には急いでインストラクターと上昇して、水面に出てことなきを得ました。それ以来、二度とスキューバダイビングをやったことはありません。

「落ち着けばできる」それはわかっています。他の人は皆ちゃんと酸素ボンベで息を吸えていますよね。でも、その時だって「これは心理的なものだ。落ち着けば大丈夫」とちゃんとわかっていたにもかかわらず、どうやっても息が吸えなかったんです。

ということは、たぶん宇宙空間でも、深海探索でも、私がちらっと「ここでもし……」と考えてしまったら、きっとパニックになるんだろうなと。

私は、普段「鈍すぎる」と思うくらいの鋼鉄の神経をしていると思っています。いろいろな事が氣になる繊細な方たちのことを拝見して「大変だなあ、私は鈍くて助かった」と思うことも多い方です。そんな人間でも、パニックになる時にはなるし、それは制御できないんだとダイビング体験は教えてくれました。

同じ「もし……」の可能性のある飛行機での旅は問題ないですし、今なら実際には問題ないかもしれませんが、少なくとも宇宙旅行や深海探索はしなくても困ることでもないので、生涯やろうとしないように思います。

こんにちは!トラックバックテーマ担当の一之瀬です今日のテーマは 「宇宙と深海、調査をするならどちらに行きたい?」です!どちらも広大で真っ暗な闇の中にあり、たくさんの謎に包まれている宇宙と深海、どのような世界なのだろうと想像をしてしまいます未知への好奇心が掻き立てられて、ワクワクしてしまうのにそれでも少し怖いような気持ちになりますね私はいつも天気のいい夜に外で星を見上げるのが好きなので宇宙調査でその...
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Posted by 八少女 夕

【小説】不思議な夢

scriviamo!


「scriviamo! 2018」の第八弾です。ユズキさんは、『大道芸人たち Artistas callejeros』の主人公の一人ヴィルの登場するコラボマンガを描いてくださいました。ありがとうございます!

 ユズキさんのブログの記事『scriviamo!2019はマンガを描きました 』
 ユズキさんの描いてくださった『コアラ先生は謎の男を拾っておもてなしをしました。

ユズキさんは、小説の一次創作や、オリジナルまたは二次創作としてのイラストも描かれるブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『ALCHERA-片翼の召喚士-』の、リライト版『片翼の召喚士-ReWork-』、そして『アストリッド様と「行くわよ愉快な下僕たち!」』を集中連載中です。

そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストを描いてくださっています。

 今回描いてくださったマンガは、『ALCHERA-片翼の召喚士-』の世界観、続編に出てくるキャラクターのコアラのトゥーリ族であるウコン先生がいち早くお披露目だそうです。コラボ相手に選んでくださった唐変木男ヴィルとユズキさんの作品とは縁が深くて、ヒロインのキュッリッキ嬢や、その守護神であるフェンリルとのコラボもさせていただきました。

で、今回はヴィルが異世界召喚されちゃって、もったいないおもてなしを受けているのに、なのに相変わらずの無表情&唐変木ぶりを発揮している、もう私にとってはツボ! なマンガだったのですが、ご希望は、このお話をヴィル視点で書いて欲しいとのことでした。というわけで、書きましたが、あ〜、ユズキさん、申し訳ありません。失礼の数々、ヴィルに代わって深くお詫びいたします。


【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物



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大道芸人たち・外伝
不思議な夢
——Special thanks to Yuzuki san


「ねえ、やっぱりちゃんとお医者様に診てもらった方がいいんじゃないの?」
蝶子の言葉にヴィルはムスッと答えた。
「こんなのは寝ていれば治る」

「なあ。健康保険をなんのために払ってんだよ。俺運転するぜ。ちょっと診てもらって抗生物質を出してもらうとかさ。なんなら、お尻にぶすっと注射でも打ってもらえば……」
「注射なんて死んでもごめんだ!」
そういうと、ドイツ人は布団をかぶって背を向けた。

 蝶子は、稔と顔を見合わせて肩をすくめると、仕方ないので部屋の外に出た。
「なぜあんなに意固地になるのかしら」
「さあな。ただの風邪なら確かに寝てりゃ治るけれど、あれ、インフルエンザじゃないのか? そういえば、テデスコが寝込むほど具合が悪くなったのって、もしかして初めてだな」

「普段の理屈っぽさはどこに行っちゃったのかしら。あそこまで非論理的になるなんて」
「テデスコ、もしかして注射が怖いのかもしれませんよ」
レネが言った。

 全くお手上げだった。エッシェンドルフの屋敷にいれば、ミュラーが医者の往診を頼んでくれるだろうが、旅先ではそういうわけにもいかない。
「しかたないわね。私、薬局に行って解熱剤でも買ってくる」

「じゃあ、俺たちは、買い出しに行くか」
稔が言うと、レネは頷き、三人はそっと宿を出て行った。

「注射なんて死んでもごめんだ」
ブツブツとつぶやくと、ヴィルはもう一度寝返りをうった。激しい頭痛がして、なかなか寝付けない。体が頑丈なのが取り柄なのに、一体どうしたというんだ。明日までに熱が下がるといいんだが。

* * *


 ほらみろ。少し寝ていたら、痛みは治まったし、熱ももうないようだ。医者なんかに行く必要はなかったな。

 ヴィルは、勝ち誇った思いで瞼を開けた。それから、何度か瞬きをした。安宿で寝ていたんじゃなかったのか? 何で俺は、ここに立っているんだろう。

 そもそも、その場所に見覚えがなかった。街の作りは、さほど奇妙ではなかった。若干カラフルすぎるように思うが、美しく計画された、清潔な町並みだ。しかし問題は、道行く人々が彼の馴染んでいるヨーロッパの人種と違うようなのだ。中には、彼自身と同じゲルマン系に見える人々もいる。たとえアジア系やアフリカ系の人間がいても、今時は珍しくない。だが、動物の頭をした人物が、服を着て直立二足歩行をしているのは普通ではない。

 狐がすれ違いざまに振り向いていった。連れだって歩いているのは大きな熊だ。そんなことがあってたまるか。

 つい数日前に、稔が話していたことを考えた。確か蚊が媒介するウィルスが脳炎を起こすので、日本では子供の頃に予防接種が義務づけられているとか。日本人に生まれなくてよかったと思っていたが、もしかして、先日の日本行きで蚊に刺されその脳炎にかかってしまったのだろうか。

 呆然としていると、服の一部を誰かが引っ張った。視線を下げて見ると、そこに服を着たコアラがいる。コアラだ。こんな間近にコアラを見たのは初めてだ。そう考えて、次に自嘲した。近くも何も俺はコアラを見たことなんかないじゃないか。あの時に、見そびれたんだから。小学五年生の遠足。夢にまで見たデュイスブルク動物園。

 服を着たコアラは、何かを話しかけている。残念ながら、何を言っているのかさっぱりわからない。どうやら悪意はなさそうだ、どちらかというと親切な話し方だ。

「悪いが、英語で話してくれないか」
言ってから、自分でもどうかしていると思った。オーストラリアにいるからといってコアラが英語を話すわけないだろう。オーストラリアのコアラは服は着なかったと思うが。

 そして、そのコアラは、英語に切り替えてくれることはなかった。どうやらヴィルが何を言っているのか、通じていないようだ。だが、彼は(オスだと思うのだが確かなところはわからない)、ヴィルをどこかに連れて行こうとしている。放っておいて欲しいと伝えようとしたが、考えてみればこのままここにいても問題が解決しそうにないので、とりあえずそのコアラについて行くことにした。

 ついてから、「最悪だ」と思った。どうやらそこは、あれほど行くことを拒否した診療所のようなところだったからだ。

「いや、俺はもう治ったので、心配しないでくれ。特に注射はごめんだ、絶対に断る」
幸いコアラは注射器を取り出すような氣配はなかったが、どうもこの消毒薬の匂いは落ち着かない。

 ヴィルは、子供の頃から病院や診療所が苦手だった。成長して、診療所は病を治療するところで、拷問するところではなく、怖れることは何もないのだとわかってからも、苦手意識は変わらなかった。それは、彼にとって苦々しいことだった。論理的でないとわかっているのに、感情が自分を支配しているのが腹立たしい。いい歳をして病院が怖いなどと認めるのは絶対に嫌だった。

 服を着て二足歩行をし、パイプを吹かし、人間に話しかける、非論理の極みであるコアラは、消毒薬の匂いのするこの診療所を我が物顔で歩き、診察椅子と思われるところに座れと促している。人間の医者にかかるのだってごめんなのに、どうしてコアラに診療されなくちゃいけないんだ。

「はっきりさせておきたいが、これは夢なんだろう。いわゆる明晰夢ってやつなんじゃないか。明晰夢なんてモノをみたことはこれまでに一度もないが、そもそも不眠症ぎみの俺は、ほとんど夢を見ないしな。もしこれが夢ではなかったら、俺は頭がイカれてしまったことになる。そうすると、それはそれであんたのフィールドだ。あんたが医者のコアラならな」

 コアラの方は、じっと真剣にヴィルの問いかけを聴いていたが、それがわかったわけではないらしい。かなり困った顔をしながら、何かを懸命に訴えていた。身振り手振りを推察するとなぜあそこにいたのだ、どこから来たのかと質問しているようだ。そんなこと、俺の方が訊きたい。ヴィルは途方に暮れて押し黙った。

 コアラは、どこかへと電話をした。電話も使うのか。そうだろうな、家や診療所を持っているくらいだ。電話くらいするだろう。ヴィルは妙な感慨を持った。

 直に、誰かが訪ねてきたので、コアラは玄関へ行き招き入れた。別のコアラが来るのかと思ったが、今度は人間だった。ヴィルは、これ幸いと英語を始め、ドイツ語やイタリア語、それに片言の日本語の単語なども含めて男に問いかけた。人間なんだから英語くらいわかるだろうと思った読みは外れた。その男は、コアラと同じ言葉を使っていた。ヴィルに触って、何かを調べていたようだったが、結局なんの解決にも至らずに帰って行った。

 これではっきりした。ここは、いつもいる旅先のどこかではない。俺の頭が高熱でおかしくなってしまったという疑いは晴れないが、それにしては恐怖を引き起こすような状況は(注射を除いては)起こりそうにもない。ということは、やはり明晰夢の一種なのだろう。ヴィルは、とにかく落ち着いて、目の覚めるのを待とうと思った。

 そもそも自分はなぜコアラの夢を見ているんだろうかと考えた。コアラが特別好きだと思ったことはない。そもそも、三十年以上生きてコアラに関わることはほとんどなかった。唯一あるとしたら……。

 小学五年生の時、ドイツ西部のデュイスブルクに遠足に行くことになっていた。オランダにほど近い街までは遠いので泊まりがけだった。デュイスブルク動物園はコアラの繁殖に力を入れていて、オーストラリア固有種を生まれて初めて見ることを子供たちは、みな楽しみにしていた。ヴィルもそうだった。

 だが、泊まりがけと聞き、ヴィルの父親は反対した。私生児として生まれたヴィルの音楽の才能に氣がついた父親は、週に一度ミュンヘンの屋敷にレッスンに来るよう命じた。厳しいレッスンと課題に追われる日々が続いた。例外は許さず、たかが動物園に行くためにレッスンを休むなどとんでもないというのが彼の主張だった。

 デュイスブルク行きの費用を、母親は出してくれなかった。それだけの経済的余裕はなかったし、レッスンに関することで父親に反対することも彼女は望まなかった。城のように豪奢な邸宅住む父親にとって、その費用ははした金以下だろうが、頼んでも無駄なことは訊くまでもなくわかっていた。

 ヴィルが諦めなくてはならなかったのは、デュイスブルク行きだけではなかった。サッカーの試合も、友人の家に泊まりに行くことも、年末のパーティも、どんな羽目外しも許してもらえなかった。彼は、父親の教えに従い、フルートとピアノの腕前をあげ、大学在学中にコンクールで優勝するほどに上達したが、後に反抗して音楽から離れ、演劇の道に入った。

 あの時に夢にまで見た、コアラをみること。それがこの夢の引き金だろうか。だったらなぜサッカーの試合観戦や、遠足の夢を見ないんだ。ヴィルは、首を傾げた。

 服を着たコアラは、彼を別の部屋、おそらくダイニングルームと思われる部屋へ連れて行き座らせた。それからにこやかに何かを告げると席を外した。

 何が起こるかはわからないが、危害を加えられることもないと思ったので、目が覚めたときに分析できるように、周りの状況を目に焼き付けておこうと思った。窓の外には、新緑が萌え盛っている。季節も違うらしいな。

 カチャカチャと音がして、コアラが部屋に戻ってきた。見ると磁器のティーセットを盆に載せている。質のいい薄い茶碗に、コアラは紅茶を注いだ。それをヴィルに勧めて飲めと促した。それから、次から次へと甘そうな菓子類を運んできた。

 おい、コアラはユーカリしか食べないはずじゃなかったか。いや、これまで見たあれこれと比べたら何を食べようがこの際さほど重要ではないのかもしれない。

 真っ白な生クリームの上に、色とりどりのベリーが載ったトルテ。カスタードクリームに季節のフルーツをこんもりと載せたタルト。カラメルソースの艶やかなカスタードプディング。イチゴにクリームのたっぷり載ったサンデー。チョコレートやナッツを使ったクッキーやショートブレッド。パルミエパイ、クッキー、スコーン、マカロン。

 ちょっと待て。なぜこんな大量の菓子を運んでくるんだ。何十人の客が集まるんだ? それにしては、ティーカップが二人分しかないが、どういうことなんだ。ヴィルは、言った。
「まさか、俺一人にこんなに食えって言うんじゃないだろうな。ブラン・ベックじゃあるまいし、こんなに甘いものばかり食えないぞ」

 彼の仲間の一人であるレネは、甘いものに眼がなく、一緒に日本に行ったときにもスイーツ・バイキングで一人だけ山のようにこういった菓子を頬張っていた。あの時ヴィルは、妙に薄いコーヒーのみを飲み、醒めた目で仲間を見ていた。最後に蝶子に押しつけられたエクレアを一つだけ食べたのだ。甘かったが、それなりに美味いと思った。

 ちらりと菓子を見た。一つくらいなら、食べてみてもいいのかもしれない。

 それから、急いで自分を戒めた。ダメだ、ダメだ。お伽噺のセオリーだと、こういう時に出されたモノを口にしてはいけないことになっているんだ。ただの夢なのに馬鹿馬鹿しいとは思うが、ここは用心して食わないのに限る。ブラン・ベックなら、問答無用で楽しく食うかもしれんが、俺はもう少し慎重なんだ。

 コアラは、親切そうに何かを訴えている。食え食えと言っているんだろう、見ればわかる。おや、なんだか泣いているようだ。俺が泣かせたんだろうか。

 その泣き顔を見ているうちに、ヴィルは子供の頃のことを思い出した。学校の行事に参加することがなくなり、クラッシック音楽の練習に明け暮れていたため、同級生からはお高くとまった子供だと敬遠され、彼は次第に孤立していった。デュイスブルク動物園に行かせてもらえず、悲しい想いでいたときも、それを打ち明け悲しみを吐露する友人がいなかった。彼は、誰の前でも泣くことが出来なくなった。

 そうか、俺は、ずっと泣きたかったんだ。つらい悲しいと、わかってほしいと、誰かに打ち明けたかったんだ。ずっとその相手がいなかったから、飲み込んでいたが、今の俺はもう一人じゃない。悲しみも、歓びも、共に分かち合える仲間がいるじゃないか。

 三人が楽しそうに甘いものを食べているときに、あれは俺の食べるものではないと、醒めた態度で見ていたが、一緒にワイワイと食べればよかったのかもしれない。だから、俺は、こんな夢を見ているのかもしれない。

 そう思った途端、急に晴れ晴れとした心持ちになった。周りが霞がかかったようにぼやけていく。そうか、俺は目醒めるんだな。元いたところへ、三人の元に帰れるんだ。

 彼は立ち上がると、コアラの医者に礼を言った。
Danke sehr.どうもありがとう

* * *


 目を覚ますと、少し暗くなっていた。やっぱり夢だったな。どのくらい寝ていたんだろう。ああ、本当に熱が下がったらしい、痛みもなくなっている。トイレに行くために起き上がり、多少ふらつきながらドアに向かった。

「え! 帰っていたの?」
ドアの向こうにいた蝶子が驚いた。

「何がだ? それはこっちの台詞だろう」
ヴィルは眉をひそめた。

「だって、薬を買って戻ってきたら、いなかったから。ねえ?」
蝶子が同意を求めると、稔とレネも真面目な顔で頷いた。

「よほど具合悪くなって一人で医者に行ったのかと思った。そこら辺は見て回ったけれど、倒れてもいなかったし、早く連絡をくれないかって話していたところだったんだぜ」
稔も口を尖らせた。

「もしかして、僕たちがいないと思っていただけで、本当は布団にくるまっていて見えなかっただけなんでしょうか?」
レネも首を傾げている。

 ヴィルは、トイレから戻ってくると、三人の座っているテーブルについた。それから、買いだしてきたと思われるクッキーの袋に手を伸ばすと、開けて食べた。

「どうしたの? まだ、熱があるの?!」
普段は自分から甘いものを食べないヴィルが、いきなりそんな行動に出たので蝶子はうろたえた。

「これも食べますか?」
レネは、おそるおそるマカロンも差し出した。

 悪くない。あんなにたくさんはいらんが、たまには甘いものもいい。ヴィルは、心配してくれる三人の顔を眺めながら思った。そして、先ほど見たシュールな夢について語った。

「馬鹿馬鹿しい夢だが、何か意味があるのかもしれないと思ったよ」
そう言って話を終えると、三人は顔を見合わせて、笑った。

「それって、異世界召喚ってヤツなんじゃないか」
稔が言った。ヴィルは、とことん馬鹿にした顔で応じた。

「いいなあ。もし僕がその場にいたら、全部少しずつ食べさせてもらったのになあ」
レネが言うと、蝶子は吹き出した。
「少しずつじゃなくて、完食したんじゃないかしら」

 ヴィルも同じことを思った。それから、「シャワーを浴びてくる」と立ち上がった。

「もういいの?」
「すっかり毒が抜けたよ。明日、予定通り移動も出来るさ。次の目的地、決めといてくれ」

 そう言うと、ドアへ向かう彼の後ろ姿に、稔が笑って言った。
「もう決まっているよ。デュイスブルクだろ」

 ヴィルが驚いて、振り向くと、蝶子とレネも笑って人差し指をあげて賛成の意を示していた。多数決が成立し、行き先が決まった。

(初出:2019年2月 書き下ろし)


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Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

雑多なあれこれ

「scriviamo!」中で小説が続いていますが、ちょっと休憩です。今日は、いろいろな小さな話題をまとめてお送りします。

卵サンドの朝

まずは、「scriviamo!」ですが、「プランB」で参加してくださった方のうち、ポール・ブリッツさんとたらこさんが、それぞれお返し作品を発表してくださっています。ありがとうございます。(「プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです)

 ポール・ブリッツさんの「竜崎巧の朝」

 たらこさんの「scriviamo! 2019」

私の無茶なサーブに、それぞれ素晴らしい作品で打ち返してくださっています。ブログでの企画の醍醐味は、こういうところにあるんだろうなとニマニマしています。ありがとうございました。

思えば、「scriviamo!」も締め切りまで一ヶ月を切ったということで、折り返し地点まで来たんですよね。また明日から、お返し作品の発表が続きます。また皆さんが読んでくださると嬉しいです。現在、最後にいただいたサキさんへのお返しを執筆中です。次の週末くらいのお返しになるでしょうかね。

* * *


この記事の最初に載せた写真は、昨日の朝食です。「日曜日の朝はゆっくりと」という小説ではキャラクターに「ゆったりスローライフのすすめ」みたいなことを語らせていますが、実際の朝ご飯ともなると、なかなかそこまで「丁寧な暮らし」風にはいきません。特に一人だと、なおさら。この朝も、どうしても卵サンドが食べたかったのですが、ゆで卵を作るのが面倒だったので、「しゃらくせえ」と江戸っ子に変貌し、炒り卵でごまかしました。マヨネーズで味をつけてしまうとあまり変わらないと思うのは私だけでしょうか?

しかし、自分の書いたこととのあまりの落差が恥ずかしく、一応はヒマラヤの岩塩と胡椒はミルで挽き、さらにマヨネーズにガランガーの粉を混ぜてみました。それと、パセリやトマトを飾ると、ちょっと「おしゃれ〜」に見えませんか? あ、ダメですか。

ガランガーは、ドイツ中世の尼僧ヒルデガルト・フォン・ビンゲンが愛用したショウガの仲間なのですが、タイ料理では今でも普通に使うようです。生だとショウガに似た味ですが、乾燥した粉末は、すこしだけ入れるとスイスのマヨネーズが、キュー●ーマヨネーズに近い味わいになるのですよ。皆さん、ご存じないかもしれませんが、キ●ーピーマヨネーズの美味しさは、伊達ではないのですぞ。

* * *


さて、もう一つここで書いておこうかなと思ったことなんですけれど。

皆さんのブログを訪問していると、前向きで素敵な内容のところもある一方で、いろいろと辛くて光が見えないような方もいらっしゃるようです。これは、どこの誰、という意味での発言ではないので、パーソナルに受け止めないでいただけると嬉しいです。

私のブログもそうですけれど、あまりマイナスなことは書かないので、まるで人生が順風満帆で悩みもなく、祝福されているかのように見えると思うんですよ。中には本当にそういう方かもいるかもしれませんが、少なくとも私はそうではありません。社交性もいまいちで誰かと会うための最初のメールを出すのに半月もうじうじ悩んでいるタイプで、実際に友人も少ないです。

勝ち組とか負け組というような分け方はあまり好きではないのですけれど、たぶん、いや、絶対的に勝ち組ではないし、これから勝ち組になりたくてもそうは問屋が卸さないし、小市民としてやれる範囲のことをちょこちょことやるしかないんだろうなあと思っています。

そういう私だからこそ、光が見えなくてつらいことを吐き出しているブログ記事を見かけると、お氣の毒だなあと思いつつ折れないで欲しいなと思うんですよね。ただ、場合によっては「頑張れ」と言われること自体がつらい場合もあると思うし、上手く直接声はかけられないのですけれど。というわけで、ここで小さく書いてみました。まあ、お読みにならないと思いますけれど……。
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