【小説】霧の彼方から(6)蜂蜜色の街 - 1 -
母親との関係改善のためにわざわざ予定を変更して来たはずなのに、グレッグは母親レベッカのジョルジアへの態度に我慢できずにさっさと退散してしまいました。その続きであるこの章も9000字以上あるので、四回に分けてお送りします。
さて、章のタイトル「蜂蜜色の街」、実はものすごく悩んだのです。「蜂蜜色」はイングランド中央部、数州にまたがって広がるコッツウォルズ地方で採れる「コッツウォルズ・ストーン」に対しての形容で、バースの街を彩っている「バースストーン」は、もう少し淡いクリーム色なのですよね。ただし、現地の人によると「同じものだよ」ということですし、題名として「クリーム色の街」より「蜂蜜色の街」の方がしっくりきたので、結局ここはそのままにしました。
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霧の彼方から(6)蜂蜜色の街 - 1 -
「不快な思いをさせてしまった。本当に申し訳ない」
家を出てすぐに彼は謝った。
「いいえ。私こそ、配慮が足りなかったと思うわ。ごめんなさい。せっかく、お母様に会いに来たのに。もっと話したかったでしょう」
ジョルジアが言うと、彼は首を振った。
「話すことなんて、何もないんだ。昔からそうだった。来なくてもよかったんだ」
彼は、吐き出すように言った。いつもの穏やかな物言いとは違う、少し激しい口調だった。
「大丈夫?」
ジョルジアの不安な表情を見て、彼は黙った。それからゆっくりと道を進みながら言葉を探していた。
二人は、ホテルに近いバース中心部に戻った。母親に会いに行くのに、どうしてホテルを予約するのだろうとジョルジアは思っていたが、今になってみればあの家に泊まらずに済んでどこかほっとしていた。
街の中心にはたくさんの観光客がいて、蜂蜜色のジョージア調の建物を感嘆の眼差しで見つめている。中心には大聖堂と、ローマ時代の温泉施設があり、その周りに高級な商店やカフェなどが並んでいた。
観光地特有の浮ついた雰囲氣を横目で見ながら、それらがほとんど眼に入らない様子で俯きながら歩くグレッグをどう慰めたらいいか、ジョルジアは途方に暮れた。
イギリスに来た目的、母親との関係改善は完全な失敗に終わった。
ジョルジアは、レベッカと実際に逢うまで、グレッグとその母親との関係を理解できなかった。喧嘩しているわけではないのというのに、彼の生活の中に実母の影がほとんど見られない。唯一の交流だというクリスマスカードには、整った美しい筆蹟ではあるが、まるで企業の印刷物のように紋切り型の短い挨拶だけが綴られていた。文字数が愛情のバロメーターとは思わないが、そのクリスマスカードからは、ほとんど何も感じ取れなかったのだ。
そして、そのカードを書いた人物と対面して、ジョルジアは納得した。あのカードは、怒りや猜疑心などの何か表に出せない意図に基づいてわざわざ紋切り型に書かれたのではなく、レベッカ・マッケンジーという女性の嘘偽りのない感情が、あの文章に表れているのだと。彼女は、正しさにひどくこだわり、ユーモアを全く必要としない、ジョルジアの周りにはほとんどいなかったタイプの人間なのだと。
レベッカがアフリカでの結婚生活を、ただの失敗と切り捨ててしまったことを、ジョルジアは感じた。その激しい否定は、サバンナへの強い想いを持て余していた幼かったグレッグをひどく孤独にしたに違いない。母親との溝はそんな風にして生まれていったのだろう。彼は、その修復をするためにここまで来たのだ。だが、それはおそらく無理なのだろうと、彼女は感じた。
彼女は、黙ってグレッグの手を握った。彼は、はっとして彼女を見た。彼女の瞳を見つめ、同情と、それから、一人ではないのだと優しく肯定する光を見つけた。彼は、空を見上げ、ため息を漏らした。
握る彼の掌に力が込められた。二人はそのまましばらく黙って歩いた。大聖堂の脇を通り過ぎ、陽の射さない細い路地を曲がる。灰色の石畳がコツコツと音を立てる。
「何か食べようか」
彼がぽつりと言った。それで、ジョルジアは遅い朝食の後、まだ何も食べてなかったことを思い出した。マッケンジー家のお茶ではいつもたくさんの茶菓子やサンドイッチが用意されるというので、あえてランチをとらなかったのだ。
「そうね。そんなにお腹はすいていないから、ティールームか何かでいいんじゃないかしら」
ジョルジアが言うと、彼も頷いた。
辺りを見回すと、すぐ側に小さな店があった。黒板が出ていて「デリ / カフェ / 自然農法のワイン」とシンプルに書かれている。中に入ってみると、カントリー調のインテリアで古い木製の床がみしりと音を立てた。
バーには年配の男が立っていて「いらっしゃい」と言った。カウンターの端には手作りクッキーやケーキが置かれていた。
「簡単なものを食べることができるだろうか」
グレッグが訊くと、男は頷き奥のテーブル席へ案内してくれた。
ジョルジアはチェダーチーズとハムのサンドイッチを、グレッグは
「農夫風って、どんなサンドイッチ?」
ジョルジアは訊いた。
パンとチーズやピクルス、ハム、サラダ、林檎、チャツネなどの冷たいものを盛り合わせた一皿をプラウマンズランチと呼び、イギリスではパブの定番料理であることは知っていた。農夫がお弁当として外で食べた伝統食らしい。ニューヨークでも、たまにプラウマンズランチを出すカフェはあるものの、サンドイッチになっているものは見たことがなかった。
彼は前に置かれたサンドイッチの全粒粉のパンを開いて見せた。
「チーズにサラダ菜とチャツネだね。チャツネが入っていて酸っぱいと農夫風って言うのかな」
首を傾げながらかぶりつく彼の姿に、ジョルジアは微笑んだ。
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シンデレラ
![Hermann Vogel (1854-1921) [Public domain], via Wikimedia Commons](https://blog-imgs-126-origin.fc2.com/y/a/o/yaotomeyu/Hermann_Vogel-Cinderella-3s.jpg)
Hermann Vogel (1854-1921) [Public domain]
私は子供の頃にバレエを習っていました。それも分不相応に、後に世界的バレリーナになった人たちと同じ先生に習っていたのです。超絶下手っぴいな上に、努力もしなかったので、もちろん大成しませんでしたし、習い事としても全くひどい踊りでした。いま考えると本当に先生に申し訳ないし、月謝を払ってくれた親にも申し訳ないことをしました。
そんなことはともあれ、そういう環境にいたので、観にいく方も世界のトップレベルをリアルタイムで観ていました。ジョルジュ・ドンの伝説の「ボレロ」も観ましたし、シルヴィ・ギエムがパリ・オペラ座バレエ学校の生徒として日本デビューした公演も観ています。そう、あの頃の話です。マーゴット・フォンティーンやマヤ・プリセツカヤ、それにノエラ・ポントワも素敵でした。
いや、今日は、そういう話ではなくて。
一度、東京バレエ団の「シンデレラ」に連れて行ってもらいました。そして、その世界に夢中になってしまったのです。お伽噺としての「シンデレラ」は、どちらかというと嫌いだったのに、です。その理由は、音楽だったのです。(ようやく本題だ)
「シンデレラ」は、ロシアの作曲家セルゲイ・プロコフィエフの手によります。彼の作曲したバレエ音楽では「ロミオとジュリエット」の方がはるかに有名ですが、私はこの「シンデレラ」の音楽が大好きになり、以来好んでLPをかけていました。(だから、そういう時代なんですよ)
何十年も聴いていなかったのですが、不意に思い出して聴きたくなり、iTunesストアでアルバムを購入しました。Guennadi Rosdhestvenski指揮でMoscow RTV Large Symphony Orchestraのものです。
プロコフィエフの曲全般に言えることですけれど、普段私が好んで聴くロマン派の作曲家の音楽に比べて、不協和音をつかう、もしくは、リズムが不規則になることが多く、いわゆる「胎教にいいクラッシック」のような心地よさではありません。でも、いわゆる前衛的な現代音楽のような「奇天烈な感じ」ではなくて、実に叙情的で美しいメロディを織り込んであり、その切ない美しさが魅力なのです。
「シンデレラ」は「意地悪な継母とその娘たち」の出てくるシーンでは不協和音や攻撃的なリズムなどが特徴的ですが、それによって「仙女のテーマ」や「シンデレラと王子の踊り」などの美しさが際立っています。「ロミオとジュリエット」は悲劇なので、両家の諍いを象徴する不協和音や攻撃的なリズムの割合が多すぎて、ずっと聴いているのがつらいのですけれど、「シンデレラ」の方はずっと聴きやすいのです。
プロコフィエフらしい特徴的なメロディで、いつもどこかわずかに不安を感じるのですけれど、それが妙にクセになります。たぶん私は、こういう感情に慣れているのだと思います。ラフマニノフやベートーヴェンの音は、本当に好きでいつまでも聴いていたい強い憧れがあるのですけれど、それとは違う、かなり後ろ向きな叙情、たぶん私の本質的な考え方に近い、それ故に場合によっては少しつらい感情を呼び起こす音なのですよね。
少し説明が難しいので、興味を持たれた方はぜひ聴いてみてください。
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【小説】ひなげしの姫君
「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。七月はホセ・ラカジェの”アマポーラ”にインスパイアされて書いた作品です。夏になると、通勤路に野生のひなげしがたくさん咲くので、この曲を選んでみました。
そして、このストーリーは「アマポーラ」だけでなく、もう一つのひなげしに関するお伽噺も下敷きにしてあります。もともとはインドの民話のようです。「小さな子ネズミが魔法で美しい姫君に姿を変えてもらい王子様に見初められるのですが、正体がばれるのを怖れて慌て池に落ちて亡くなってしまう、その後美しいひなげしが池の周りに咲いた」というものです。
しかしながら、いつも通り私の話は、そこまでドラマティックには着地しません。

ひなげしの姫君
Inspired from “Amapola” by Joseph Lacalle
彼女は、桃色の頬と、ふっくらとした紅い唇を持った、魅力的な少女だった。同じ教室で机を並べていたときから、僕はいつだって彼女のことが大好きだった。ひなげしに喩えて謳ったあの曲のように、いつも心の中で「僕を愛しておくれよ」と語りかけていた。だから、クラスメートに知られないように、机の上にナイフで刻んだ名前、日記帳の中に綴った彼女の名前は、アマポーラだった。
僕の求愛を、まるで相手にしてくれなかったアマポーラとは、卒業後に逢うチャンスもなくなってしまったけれど、僕の心の中には、いつも彼女がいたのだと思う。そりゃ、忘れていたことがなかったとは言えない。でも、たとえば、夏が来て赤いひなげしを目にすると、僕はいつも可憐なアマポーラのことを思い出して、そっと微笑んだのだ。
彼女を、都で見かけたのは、本当に偶然だった。変わらずに綺麗だっただけでなく、びっくりするくらい垢抜けていて、その場で声をかけるのをためらってしまった。
乗っていた黒塗りの馬車は、立派な紋章がついていて、横に乗っていた男は仰々しい山高帽を被っていた。そんなことってあるだろうか。あのアマポーラが、貴族と連れだって馬車に乗るなんて。どんなに綺麗だって、僕たちの階級の人間が、お高くとまった奴らとつきあうことなんてできないはずだ。でも、この僕が、アマポーラを見間違えたりなんかするものか。
彼女とその立派な紳士が馬車を待たせ入った店に、僕も入った。それは、有名なコンディトライで、大理石の床、樫材の壁、シャンデリアや金飾りの鏡に囲まれたティールームで、濃厚なチョコレートを飲む奥方や葉巻をくゆらす紳士たちで賑わっていた。
僕には、日給の半分もするようなコーヒーやケーキを楽しむ余裕はなかったが、売店で小さなチョコレートを注文しながら、世間話をした。
「それはそうと。表の馬車の紋章、つい最近見たはずなのにどこだか思い出せないんだ」
店員は、にっこりと笑って答えた。
「エンセナーダ侯爵さまですよ。婚約なさったばかりで、よくこの店にいらしてくださるんです。ここで出会われたんですよ。誉れです」
「婚約者って、あの娘……?」
「お美しい方でしょう? 東方の王家の血を引くお嬢様で、ポストマニ様とおっしゃるんですよ」
まさか! アマポーラに王家の血なんか一滴も入っていないどころか、東方の出身なんかじゃないことも、僕が誰よりも知っている。アマポーラの父方の爺さんは村のくず拾いだったし、母さんは皮剥ぎ職人の妹だった。
僕は、礼を言ってチョコレートを受け取ると、氣取った包みを開けて、一つ口に含んだ。ゆっくりと滑らかに溶けるプラリネは、僕らが普段食べ慣れている混ぜ物入りのざらざらした板チョコとは別の食べ物のようだった。
この店にしょっちゅう通っている、金持ちの奴らは僕とは関係のない雲の上の存在だ、いつもなんとなくそんなことを考えていた。アマポーラは、上手く混じっている。すごい玉の輿だな。僕はただの機械工だけれど、じきに侯爵夫人となるあの別嬪の幼なじみなんだって思うと、妙に誇らしかった。昔話をして、可憐なひなげしを捧げた話を憶えているだろうと笑い合いたかった。
エンセナーダ侯爵ときたら、まるで世界に他の女がいないみたいに、じっとアマポーラのことばかり見つめて、その手を握りしめたりキスしたりばかりしているんだ。
でも、彼女自身は、そこまで婚約者に夢中という風情ではなかった。店内を見回したり、ハンドバッグから取り出した小さな手鏡で自分の顔を確認したりしていた。カウンターで、見つめている僕には氣付いたんだろうか。笑いかけてくれることも、手を振ってくれることもなかったから、よくわからない。
僕は、彼女が化粧室に向かうのを確認して、急いで後を追った。
幸い、周りには誰もいなくて、僕は化粧室から出てきた彼女を小声で呼んだ。
「アマポーラ! 僕を憶えているかい?」
彼女は、ひどくびっくりして周りを見回した。僕の姿を見て、ものすごく嫌な顔をした。それから、まるで聞こえなかったかのように反応もしないで去って行こうとしたので、僕は後を追いもう一度呼ぼうとした。
「しっ。やめてよ。どういうつもり?!」
彼女は、動きを止めると小さな声で言った。
僕はつられてもっと小さな声になった。
「どうって、久しぶりだから。綺麗になったねって、言おうと思ったんだ」
「あんたなんかと知り合いだとわかったら大変なのよ、ペッピーノ、少しは遠慮しなさいよ。それとも私を強請ろうってわけ?」
「まさか!」
「だったら、あっちへ行ってちょうだい。私につきまとわないで。私は、ポストマニ姫ってことになっているんだから」
僕が名付けたのと同じ、可憐でひなげしを思わせる真っ赤なワンピースを着た彼女は、僕を邪魔者みたいに追いやろうとした。それどころか、小さなビーズのハンドバッグから、僕の週給にもあたるような紙幣を三枚も取りだして、さも嫌そうに僕に押しつけたのだ。
「何のつもりだよ。僕は、金なんか……」
そう言いつのろうとしたとき、角から店の支配人が歩いてきた。
「どうなさいましたか、お嬢様。何か問題でも……」
「いいえ、何でもありません。馬車まで送ってくださいます?」
アマポーラは、外国人が話すみたいに、変な発音で支配人に言った。支配人は、僕の汚れた服装をじろりと見回すと、彼女につきまとうなと言いたげに僕をにらみつけると、彼女をガードするように侯爵の待つ馬車まで送っていった。
彼女たちが去ると、支配人は戻ってきて、僕に慇懃無礼な様子で言った。
「申し訳ございませんが、お引き取りいただけませんか。チョコレートを購入なさりたいのなら、街のはずれに露店もございますし……」
僕は、すっかり腹を立ててコンディトライを後にした。お前なんかに何がわかるんだって言うんだ。追い出したこの僕と姫君みたいに扱ったアマポーラは、同じ村の同じ学校で机を並べていたんだぞ。
乞食に恵むみたいに、こんな金を渡すなんて、ひどいや。僕は、アマポーラにも腹を立た。このまま、この金を受け取ったら、僕は強請り野郎になってしまう。このまま黙って引き下がれるものか。
僕は、駅前のバーのカウンターでエスプレッソを頼み、会計のついでにエンセナーダ侯爵とやらがどこに住んでいるのかを訊きだした。
「あんた都にはしばらく来なかったのかい? あの小高い丘の上、都のどこからでも見える『雲上城』を、侯爵が買って引っ越してきたときの騒ぎを知らないなんて」
「へえ? もともとは都にいなかったお貴族様なんだ」
「ああ、この国の方じゃないからね。海の向こうの大陸に、この国の三倍くらいある領地を持っていて、何でも持っている人なんだそうだ。引越の時には、たくさんのお宝や綺麗な調度を積んだ船が港にずらっと並び、それをお城に運び込むために二週間くらい毎日パレードみたいな行列が街道を進んだ。足りないのは、相応しい奥方様だけだと、みなが噂していたのだけれど、ついにお姫様と知り合ったらしいね」
外国人なら、アマポーラがこの国の生まれか、東方の国の育ちか見破れなくても不思議はない。でも、街の奴らはわからないのだろうか。
ふうふう言いながら、『雲上城』を目指して、急勾配の道を進んだ。丘と言うよりは小さな山みたいだ。都のど真ん中にあるのに緑豊かで、街の喧騒からは切り離されている。ほぼ毎日、馬車に揺られてあのコンディトライに通って、ホットチョコレートを飲むなんて、優雅な身分だなと思った。実家に戻れば、酒癖の悪い親父に怒鳴られながら鶏や豚の世話をしなくちゃならないだろうに。
ようやく見えてきた門は、背丈の倍以上ある立派なものだった。真ん中に大きな黒い金属板で紋章が打ち出されている。先ほど見た馬車についていたのと同じだ。内側に守衛所があって黒い服を着た門番がやたらと胸を張って立っていた。
僕は、そっと門に近づいた。門番は怪訝な顔で「何か用かね」と言った。
「友達がここにいるって聞いたんだ」
僕が言うと、門番は話にならないという顔つきをした。
こいつも、あの支配人と同じだ。僕を見下して追い払おうとしている。
「僕が機械工だからって、馬鹿にするんだな。僕は、話があってきたんだ。悪いこともしていないし、嘘も言っていない。なのに、服装だけで僕のことを誰も真面目に受け取ってくれないなんてフェアじゃないよ!」
「だったら、ちゃんとした紹介状か、お屋敷のその人にここに来てあんたが友達だ言ってもらうんだな。こっちだって仕事なんだ、誰だかわからないヤツを入れるわけにはいかんよ」
門番の主張はもっともだった。僕は途方に暮れた。
「私の知人よ、入れてあげて」
声がしたので、門番も僕も驚いて顔を向けた。ひなげしの花そっくりの、ドレープのある朱色のスカートを着たアマポーラが立っていた。門番は、すぐに頭を下げて門を開けて僕を招き入れた。
僕は、急いで中に入り、彼女に挨拶しようとした。けれど彼女は急いでその場を離れた。門番に会話を聞かれたくないんだろうと思って、僕は黙ってついていった。
門からは全く見えなかったが、森林の小径を抜けると城の前に広がる大きな庭園に出た。丸い池にからくりの噴水が涼しげな水煙をほとばしっている。その池の周りにたくさんの大きなひなげしが植えられていて、優しく風に花びらをそよがせていた。
「あれじゃ、足りないって言うわけ?」
アマポーラは、低い声で言った。僕は、カッとなった。
「僕は、強請りに来たわけじゃない! それにこんなもの!」
コンディトライで渡された紙幣を取り出すと、彼女めがけて投げつけた。
「何するのよ」
「嘘で塗り固められたお姫様からの、汚い金なんて受け取れない」
アマポーラは、下唇を噛みしめてから言った。
「やっと巡ってきたチャンスなのよ。洗濯女なんて死ぬまで働いても指輪一つ買うことが出来ないんだわ。あんな生活に戻りたくないの。邪魔をしないで」
僕は言った。
「邪魔なんてしないさ。僕はそんなつもりで声をかけたんじゃない。久しぶりだったから、話をしたかっただけなんだ。物乞いか強請みたいに扱われて、そのまま立ち去れなかっただけだ。それで幸せになれるっていうなら、するがいいさ。僕には関係のないことだ」
そう言って、僕は彼女の返事も待たずにまた門の方へ向かった。門番は、慇懃に頭を下げて僕を出してくれた。
支配人に疎まれてコンディトライに行けなくなってしまったので、エンセナーダ侯爵に関するニュースを耳にしたのは半年以上後だった。あれから三ヶ月も経たないうちに、海の向こうの領地で大きな飢饉があり、不満を抱いた領民たちが革命騒ぎを起こしたのだそうだ。
侯爵は、財産の大半を失い、『雲上城』を二束三文で売り払って海の向こうへ帰って行ったそうだ。最愛のポストマニ姫と華燭の宴をあげたのか、そして彼女が不運の侯爵に付き添ってかの国に向かったのか、誰も知らない。僕は、彼女はついていったりしなかったのではないかと思う。
魔法の解けてしまった偽物の姫は、今どこにいるのだろう。少なくとも洗濯女に戻ったりはしていないだろう。馬鹿馬鹿しく高いホットチョコレートを優雅に飲むけっこうな生活を知ってしまったんだから。
彼女は、またどこかの姫君のフリをして別の貴族や富豪の奥様におさまろうと、性懲りもなく計画を練っているだろう。可愛いアマポーラ。ちっぽけな少年に見向きもしなかったように、きっと君は貧乏な機械工を愛してくれたりなんかしない。でも、僕は、それでも君とまた再会することを願っているんだ。
(初出:2019年7月 書き下ろし)
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アガベの花が咲きだした

我が家は日本でいう所の二階に部屋を借りているんですけれど、階下の住人のアガベに異変が起きたのはこの春の終わりのことでした。
アガベというのは、リュウゼツランとも言われる中南米原産の植物で、アロエに似た多肉質の葉と、その先に尖った棘がある特徴的な単子葉植物です。
もともと沙漠のようなところに生えるので、水やりもほとんどいらない手のかからない植物なのですけれど、この五月末に突然大きな茎が伸び始めたのです。
三十年から五十年に一度と言われる開花の時期が来たのですね。

毎日茎はぐんぐん伸びて、二週間ほどでこんなに高くなってしまいました。そして、一ヶ月半ほどしてついに花が咲き出したのです。
花が咲くのはとても珍しいことなので、見ることが出来るのは本当に僥倖。おそらく生涯で一度の経験だと思います。それが毎日自宅で見られるってすごいなあ。
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【小説】霧の彼方から(5)花咲く家 - 3 -
今回のストーリーは日本の話ではないので、嫁と姑との関わり方を日本のそれとは違う前提で書いています。すなわち「●●家の嫁になるのだから」的な発想はないのです。けれど、「嫁と姑の関係は時に面倒くさい」は世界共通です。
レベッカには、「国際結婚などしたのが間違いだった。だから、息子は出来ることなら英国で、英国人と結婚し、まともな人生を送るのが幸せなのに」という思いが根底にあるようです。で、連れてきた嫁は、よりにもよってイタリア系アメリカ人だった……。むしろ、《Sunrise Diner》の常連であるクレアを連れてきたら大喜びしたでしょうね。継子のマッケンジー兄妹の方は、もちろん有名人の家族の方が嬉しそう。ミーハーです。
実母レベッカの登場、実はこれでおしまいです。話はまだ続きますけれど。
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霧の彼方から(5)花咲く家 - 3 -
ジョンも、妹とそっくりの笑い方をした。
「おい、やめろよ。誰だって昔の失恋の話なんか触れて欲しくないさ。とりわけ婚約者の前ではね。しかし、意外だな。君がこんな洗練された人と……」
レベッカは、先ほど受け取った二冊の写真集を義理の息子と娘に見せた。
「カペッリさんは、写真家でこのような写真集を出版しているそうです」
二人は、珍しそうに写真集を見たが、『陰影』の表紙を見て叫んだ。
「やあ、これはマッテオ・ダンジェロじゃないか。あのアレッサンドラ・ダンジェロの兄の」
「まあ、そうよ。なんてこと、マッテオ・ダンジェロのすぐ側に、ヘンリーがレイアウトしてあるわ。こんなことって信じられる?」
「すごいな。あんな有名人を撮るって大変じゃないですか」
そう言われて、ジョルジアとグレッグは困ったように顔を見合わせた。が、隠しても仕方ないと思いジョルジアは口を開いた。
「実は、マッテオは私の兄でもあるんです」
「ええ! ってことは、ヘンリーがあのアレッサンドラ・ダンジェロの義兄になるってこと!」
ナンシーが大きな声を上げたので、レベッカは露骨に嫌な顔をした。
「僕は、スーパーモデルの姉である誰かと結婚するんじゃない。この人と結婚するんだ」
グレッグは、はっきりと言った。
ジョルジアは、意外に思った。あまりにも長くアレッサンドラ・ダンジェロの姉というレッテルを貼られ続けてきたので、反抗心を持つことも忘れていた。ましてや、誰かがそれを強く打ち消すための言葉を言ってくれるなど期待したこともなかったのだ。
だが、当の兄妹は、その抗議に大して反応せずに、あいかわらずマッテオの写真を見ながらあれこれ言っていた。ついにはスーパーモデルや浮ついた億万長者などには批判的な継母に軽薄だとぴしゃりと言われて、応接間から体よく追い出されてしまった。
「本当に嘆かわしい反応だこと。真っ当な生き方よりも札束を好む人たちを羨むような口ぶりで」
ダンジェロ兄妹など、ろくでもない社会の膿だとでも言い出しかねない口調で、そもそもその二人がジョルジアの愛する家族なのだと言うことは、全く意に介さない様子だった。
それどころか、それで未来の義理の娘が嘆かわしい風情である理由が腑に落ちたと言わんばかりにため息をついた。
「アメリカという国では、スカートは流行遅れなのでしょうね。イギリスのある程度の階級で育った娘さんならば、婚約者の母親に会いに行くためのワンピースを買いに行く手間を惜しんだりすることは考えられないでしょうけれど、なんせ全然違う文化の国から来た人ですもの。マナーをあれこれいうのは無意味なことでしょう」
ジョルジアはとまどった。普段デニムとTシャツばかり着ているのでスカートという選択肢をまったく考えなかったのだが、どうやら未来の義母にとってこの服装は常識外れだったらしい。少なくとも今日は滅多に着ないエレガントなパンツスーツを着てきた。グレーの柔らかめのドレープ生地のパンツとそれに近いストールが、パンツスーツの尖った感じを和らげている。
「母さん。失礼な上に非論理的なことをいうのはやめてくれ」
自分から非礼を詫びる前に、グレッグがそう言ったので、ジョルジアは驚いた。
「なんですって」
「女性はスカートを穿くべきだなんて、一世紀前の価値観だ。アメリカもイギリスもケニアも関係ない」
「ケニア。私はあそこに住みましたからね。どれだけ野蛮な土地なのか、身を以て知っていますとも。あそこならば、マナーなんかどうでもいいという価値観になるでしょうよ。私は少なくとも祖国に戻ってきて生き返りましたとも。それに、お前がまともな教育を受けてよりよい生活ができるように連れ帰ったのに、わざわざあんな国に戻るなんて」
ジョルジアは思わず言った。
「彼が住んでいるのは素晴らしいところですわ」
レベッカは優雅な動作で、ティーカップをテーブルに置いた。
「まあ。それでは、あなたは本当にヘンリーにお似合いね。それだけは安心しました。結婚したはいいものの、あの国が嫌で数日で取りやめたなんて話は聞きたくありませんもの」
ジョルジアは、ここに来る前にもう《郷愁の丘》での同居を始めていたことは、口にしないほうがいいのかもしれないと思った。結婚前に何年も同居することは彼女にはごく普通のことだったが、レベッカ・マッケンジーにとっては恥ずべき非道徳行為なのかもしれないから。
彼女のとげのある言い方が不快でないと言ったら嘘になる。でも、彼女は黙ってやり過ごそうと思った。口論をしたらグレッグが困るだろう。親子の団らんに水を差すようなことはしたくない。
そう思っていたところ、グレッグは突然立ち上がった。
「そろそろ失礼するよ。母さん、もてなしをありがとう」
ジョルジアは驚いた。十五年以上会わなかった母親との再会を、こんなにあっさりと打ち切るとは思っていなかったからだ。もしかして、自分のせいなのかと不安に思った。
ところが、レベッカの方はさほど驚いた様子は見せなかった。
「どういたしまして。プレゼントをありがとう。私としては、お前が健康で、そして、立派にやってくれればそれでいいのよ。普通よりも遅いけれど、少なくとも家庭を持つつもりになったことは、いいことだと思いますよ。どうぞお幸せに。次はもっと繁く母親を訪れるつもりになってくれるといいわね」
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バースのあれこれ

以前も少しだけ書きましたが、バースに行ったのは二度目。そして、一度目の時はローマン・バスを見る時間しかなかったので、今回はもっと街を見ようと滞在時間の長いツアーを探しました。
もちろん泊まったり、個人的に電車で訪れることも出来たのですけれど、そうなるとあと二日くらい長くイギリス滞在することになりますし、いろいろな情報を自力で仕入れなくてはならないので、ちょっともったいない。ここは、ツアーでさくっと行くことにしました。
バース三時間自由時間つきというツアーがあったのですけれど、それにストーンヘンジ観光もついていたので、もちろん喜んで観てきました。それはともかく。
実際にツアーには、いろいろな新情報があって、描写の中に(一部はおそらく探してもなかなか見つからないほどひっそりと)埋め込んであるのですけれど、面白かった割にはわざとらしくて使えなかった情報もけっこうありました。
その一つが、上の写真。名物の一つである「サリー・ラン」というお店で売っているバンズです。なんでも1680年頃にフランスからやってきた女性が作り始めたレシピに則って作っているパンということで(眉唾という噂もある)、大きくてミルクと卵がたっぷり。バースに来たら必ず買えというのですけれど、旅行中でこんなに大きなパンを持って帰っても困ること間違いなし。
向かいに「元祖バースバンズ」という似たようなパンを売っているお店があり、やはりソフトタイプの丸形パンらしいのです。「サリー・ラン」のバンズに比べると「買ってもいいかな」と思えるぐらいの大きさだったらしいのですが、サイズに大きな差があることを知ったのは帰国後(笑)結局こちらも買いませんでした。次回があったら、トライしようかな。

さて、バース観光の(ローマン・バス以外の)もっとも大きな目玉というと、ジョージアン様式の優雅な建物の数々。もともとはローマ時代(伝統としてはその前のドルイド信仰の頃からの聖地だった)の有名湯治場だったバースですが、しばらくは忘れられていたそうです。ところが、ジェームス一世の(ちょっと困った)王妃が湯治でやってきて以来、なぜかイギリス貴族たちの一番イケてるリゾートになってしまい、貴族たちがこぞってやってきたそうです。そのお陰で、次々に立派な建物が作られ、この近くにあるバースストーン(コッツウォルズ・ストーンとだいたい同じもの)を使った、クリーム色の美しい町並みが作られました。
写真の建物を見ると、所々、窓が潰れているところがありますよね。こちらは、当時の税金と関係があるのだそうです。家を持つと税金を取られたそうなのですけれど、窓の数によってそれが増えたそうなのですね。だから、建てる方もそれに対抗するように、窓の数をできる限り少なくし、さらに必要のないところは潰してしまい税金をかけられないようにしたということなのです。こんな立派な家を建てる人でも、節税に励んでいたのですね。
さて、建物前の交差点。こちらは変わった信号。歩行者用の信号なのですけれど、なんと青である時間が八秒しかないんです。わかっている人間が、はじめから小走りでようやく渡りきる程短い時間です。なぜこんな設定にしたのか不思議です。
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【小説】霧の彼方から(5)花咲く家 - 2 -
実母レベッカとの邂逅は、ある意味では「郷愁の丘」で描いた実父ジェイムス・スコット博士との邂逅の繰り返しでしかないのですけれど、グレッグが幼少期を乗り越えて前に進むためには必要なステップでした。と、同時に、この後の流れにつなげるための「あり得る唯一のきっかけ」でもあります。
「レベッカは実母なのに我が子にこんなに冷たいはずがない」とお思いの方もあるかもしれません。でも、実はこの外から見るとものすごく変わった親子関係、ちゃんとモデルがあります。しかも、私自身の●親等の世界です。
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霧の彼方から(5)花咲く家 - 2 -
「ようこそ、カペッリさん。私がレベッカ・マッケンジーです」
彼女は、ジョルジアに手を差し出したが、ハグをしようとする様子は全く見せなかった。そして、ジョルジアが会釈をしてその手を握ったが、乾いた手のひらは全く力を込めてこなかった。それは、握手よりも、扉を開けるためにドアのノブに触れている時のように無機質な感触だった。
それから、レベッカは、ようやくグレッグの方を見て言った。
「久しぶりね、ヘンリー。よく来てくれました」
握手もなければ、ハグもキスもなかった。久しぶりに会った母と息子は、全く触れ合うことすらなかったのだ。
レベッカはソファに座るよう勧めた。ゴールドベルベッドのチェスターフィールドソファで、座り心地は抜群だ。
用意された銀のティーポットは磨き抜かれ、触ると壊れるのではないかと思われるほど薄い花柄のティーカップがその隣に行儀よく置かれていた。
ジョルジアは少し硬くなり、ソファに浅く腰掛けた。目を向けると、グレッグも寛がない様子で座っていた。
「イギリスやケニアの方ではないようね」
レベッカは、紅茶を勧めながら言った。
「アメリカ人です。祖父母は北イタリアの出身ですが、両親の代からニューヨークに住んでいます」
「まあ。ニューヨークの方が、サバンナで世捨て人のように暮らすヘンリーとどうやって知り合ったの」
ジョルジアは、鞄から二冊の写真集を取り出した。グレッグと知り合うきっかけとなった『太陽の子供たち』と、彼も被写体として入っている『陰影』だ。
「私は写真家なのですが、この作品の撮影の時にお世話になったのがきっかけです」
二冊を受け取りながら、レベッカは驚いた表情を見せた。
「写真家ですって? まあ、驚いた。そのような仕事をする女性がいるのは知っていましたが、実際に逢うのははじめてです」
グレッグは言った。
「母さん。彼女はとても才能のある人で、その帯にあるように、『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』という権威ある賞で入賞したんだ」
「あなたのお陰でね」
ジョルジアは、付け加えて微笑んだが、レベッカはその話題には、さほど興味がないようだった。
モノクロームで人物を撮った『陰影』は、心の中で最も重要な位置を占める存在として、グレッグの写真がラストページに入っている。表紙には彼の横顔も写っているのだが、レベッカはどちらの写真集も開こうとせず、少し離れたサイドテーブルに置いた。
その時、玄関から大きな音がして、誰かが邸内に入ってきたのがわかった。男女が大きな声で話しながら廊下を進んできた。
「ああ、わかっているよ。客間にいるんだろう」
「あのヘンリーが、結婚相手を連れて来たって、本当かしら」
ノックと同時に、応接室の扉が開かれ、明らかに兄妹だとわかるよく似た二人が入ってきた。
「やあ。本当にヘンリーだ。何十年ぶりだろう。僕たちのことを憶えているだろうか」
「そりゃあ、憶えているでしょうよ。ねえ、ヘンリー。結婚するって本当?」
グレッグが立ち上がったので、ジョルジアもそれに倣った。
「ごきげんよう。ジョン、ナンシー。こちらは婚約者のジョルジア・カペッリだ。ジョルジア、ジョン・マッケンジーとナンシー・エイムズ兄妹だ」
「はじめまして」
ジョルジアが手を差し伸べると、二人は感じよく笑いながら手を握った。
「ヘンリーが、結婚するって聞いて驚いたのよ」
「全くびっくりさせるよな。独身主義者じゃなかったのか」
グレッグは、困ったように言った。
「主義じゃない。これまで相手が居なかっただけだ」
ナンシーが意味ありげに笑った。
「ジェーンが結婚したので世をはかなんで、サバンナに籠もったって聞いたわよ」
ジョルジアは、心の中でジェーンとつぶやいた。その人なのかしら、彼が心の奥にしまっている特別な女性は……。グレッグを見ると、わずかに眉をひそめていた。
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日本で買った便利なモノ (5)ファスナー圧縮バッグ

正確に言うと、これは帰国時に買ったものではなくて、最近姉に頼んで送ってもらったものです。
ヨーロッパ旅行に出かけるときは機内持ち込みサイズギリギリのスーツケースを持って行くようにしています。もちろん、もっと大きいものも許可されているのですけれど、やはり街中を快適に動き回るには、荷物は小さい方が便利なのです。このサイズなら、電車に乗り込むのも楽ですし、座席の下や後ろに収納できるので目を離さずに済みます。(このスーツケースの話はいずれまた語ります)
もともと私は女としては必要な持ち物が少ない方なのですけれど、それにしても一週間の旅行に行くのですから、衣類がスーツケースに占める割合のことは氣になります。往きはいいのですけれど、帰りはお土産を入れるスペースもあるじゃないですか!
それでこれまでは、ビニール製の圧縮袋なども使っていたのですけれど、いくつか不満がありました。一つは、ビニール製の圧縮袋は、小さくはなるのですけれど形が不揃いでスーツケースの中で今ひとつ収まりが悪いこと。それに、中のエアーを抜くのが少し難しいこと。そして、圧縮しすぎでしわになるのですよね。
それで、最近の旅行トレンドに乗っかって、こちらを購入してみました。こちらはファスナーを三カ所閉めていくと40〜50%圧縮されるタイプなのですね。
実際に、私がポルトに持って行った着替えはこんな感じの量でした。下に下着類などが、上にはTシャツや軽いボトムス、それにシャツや寝間着まで突っ込みました。溢れて見えますが、実際にはじめは溢れていました。これらを畳んでまず上下のファスナーを閉めます。容量は意外とあって、入るんですよ、これでも。


それだけでもけっこう量が減った感じがして満足、実際に往きは、ここまでの状態で持って行きました。なにしろ四角いのでスーツケースの底に綺麗に収まりました。
帰りは、更に真ん中のファスナーも閉めました。それがこの記事の最初の写真ですが、本当に圧縮されているでしょう? すごいんですよ。
この手の商品、通販大手などではいろいろと販売されているのですけれど、値段よりもファスナーがYKK製であると明記してある商品を購入しました。ファスナーの耐久度と品質が命の商品ですから。買った当人としては、大満足のお買い物でした。
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【小説】霧の彼方から(5)花咲く家 - 1 -
バースに初めて行ったのは、大学生時代でした。その時は「ストーンヘンジとバース、ウィンザー城観光」というありがち一日観光の一つとして訪れ、時間もなかったのでローマン・バスしか観なかったという記憶があるのですけれど、今年の三月は取材という目的意識を持って行ったので、ずいぶんと違った印象になりました。
もっとも、その町並みの話が出てくるのは次の章。今回は,グレッグの母親レベッカとの対面がメインとなります。この章も三回に切ります。
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霧の彼方から(5)花咲く家 - 1 -
その家に着いた時、ジョルジアは思わず歓声を上げた。かつて素材写真集の撮影で『イギリス的邸宅』を扱ったことがある。そして、編集部がアメリカ中を探し回って探してきた『イギリスマニア』の家を撮影しながら、イギリスにもこんな家はもうないに違いないと思っていた。だが、グレッグが連れてきた彼の母親の住む家は、それを軽く上回る完成度だったのだ。
それは城のように大きいものではなかったが、バースストーンと言われる蜂蜜色の石を用い、優美な柱やアーチで飾り付けをした大きな窓が印象的な典型的なジョージ王朝様式の邸宅だった。
おそらく何世紀もの時が作り出した壁の石材の色褪せ方は、グレッグの母親やその夫のマッケンジー氏の意思とは関係ないのであろうが、その前に広がる英国風庭園のきめ細やかな手入れを見れば、この夫婦がこの館の維持にどれほどの情熱を傾けているかを瞬時に見て取ることができる。
三月末はまだ肌寒い日もあり、どこの家でも時折冬の名残である枯れた草や、新緑が隠すのを待っている木々の隙間などを見ることがあったが、この庭の飛び石は綺麗に掃き清められ、枯れ草などは取り払われていた。しかし、フランスでよく見るような無理に形を整えられた木々はなく、あくまで自然な形であるように配置されていた。
だがよく見ると、黄色い水仙の花には、色褪せたものや枯れ始めたものは一つもなく、スノードロップやデイジーも行儀よく並んでいた。チューリップは、無造作に違う色の球根が植えられたかのように見えて、その配置をよく見るとパレットに置かれた絵の具のように計算され、しかもバッキンガム宮殿の衛兵のごとく完膚なき振る舞いで立ちすくんでいた。森の自由な妖精を思わせるブルーベルですら傷みのない個体だけが、春の陽光の中でその透き通るように薄い花びらを慎ましく開いていた。
「なんて素晴らしい庭なのかしら。精魂込めてお世話なさっているのね」
思わず彼女がつぶやくと、グレッグは振り向いて口角を上げた。
「そうだね」
ジョルジアは、その反応を少し意外に思った。彼の態度には母親の自慢の庭について誇らしく思う喜びが欠けていた。普段、自然を愛し、その美しさを素直に賞賛する彼の態度を見慣れていた。だが、今日の彼は、子供の頃から多感な時期を過ごした家に対する愛着が全く感じられず、それどころかなんとも言えない哀しさすら漂わせていたのだ。
玄関の脇には、料理用のハーブが植えられていた。ローズマリーの鉢は冬を室内で越したものだろう。北の氣候には合わないにもかかわらず、凍えた様子もなくピンと細い針のような葉のついた枝を広げていた。地植えで越冬させたセージの葉は、ようやく芽が出てきたところで、若い緑が瑞々しい。側を通る時に服に触れて香りが立った。
ジョルジアは、再び「スカボロ・フェア」の歌詞のことを考えた。『パセリ、セージ、ローズマリー、タイム……』
桜の花びらがはらりと舞い落ちる。その根元は今朝丁寧に掃いた跡があり、その上にわずかな花びらがゆっくりと着地していった。グレッグはその横を通り過ぎると、ジョルジアに手を差し伸べて一緒にステップを上がり、玄関のベルを鳴らした。
しばらくすると、ガチャリと厳かな音がして、内側に扉が開かれた。黒っぽい服を着た中年の女性が立って重々しく言った。
「ようこそ、スコット様。奥様が応接室でお待ちです。ご案内いたします」
ジョルジアは、そっと彼の顔を眺めた。この格式張った応対は、彼女にはあまり馴染みがないものだった。
ニューヨーク随一の好立地にあるペントハウスに住む兄マッテオの所を訪ねる時も執事がまず出てくる。けれど、ジョルジアが来たとわかると兄は走って飛んできてキスの雨を降らせる。両親は、兄と妹アレッサンドラの成功に伴い、早めに引退してロングアイランドの高級住宅街に住んでいるのだが、貧しい漁師だった頃と生活を変えるのが嫌で、常時の使用人を置いたりしない。だから、訪ねていく時はもちろん自らが出てきて喜んで歓待してくれる。
グレッグは、ほとんど何も言わずに女性に従って応接室に向かった。暗い廊下から応接室に入った時、その明るさにジョルジアは眼を細めた。窓辺にはサテンを織り込んだカーテンが揺れていて、壁紙もクリーム系のダマスク柄、リネンフォールド多用した重厚なアンティーク家具が置かれ、壁の一面がほとんど暖炉となっていた。
その暖炉の近くに座っていた女性が重々しい様子で立ち上がった。とても小柄な女性で、くるぶし近くまであるモスグリーンのワンピースを身に纏い、古風なシニヨンに髪を結っていた。銀縁の眼鏡が鈍く光った。
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