【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-2-
これまで22の演奏を聴くだけだったのが、この日を境にCD鑑賞などにも同席するようになりました。今回出てきたモーツァルトの『グラン・パルティータ』は、後々再び出てくる曲です。私は、この曲を数年前まで知らなかったのですが、このストーリーの構想を立てていた頃に『クラシック100曲オムニバス』的なアルバムで聴き、使うことを思いつきました。
さて、少し長かったのですが、次回でライサの回想シーンは終了です。
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Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -2-
普段の彼は、昼食の後はいつも1人でヴァイオリンかピアノの練習をする。ライサは部屋に戻って本を読みながらその音に浸った。午後も遅くなると、それまで部分的に練習していた曲を通しで弾き、その後に完成している曲をいくつも弾く。ライサはその頃にそっとサロンに近づくのが常だった。ドアの近くで立っているのを察した彼に呼ばれて、彼女はピアノの正面にあるソファに腰掛ける。
だが、その日は昼食後にすぐにサロンに行くことになった。モラエスとルシアがアームチェアの前のローテーブルにコーヒーの準備を始めた。勧められて彼女はそこに座った。彼は、ガラス棚からCDを1枚取りだしてモラエスに渡し、それから、ライサの斜め横のアームチェアに腰掛けた。
ライサの体に強い緊張が走った。彼とここまで接近したことはまだなかった。初めて会った深夜に24と取り違えたのは、月光ではっきりと見えなかったからでもあったが、明らかに他人だと分かっていても思い出さずにいられないほど、彼は彼女にトラウマを与えた男に似ている。今のライサには、加齢による変化、感情の表し方、周りの人との関わり方の違いをはっきりと見て取れる。それでも、彼女は体は意思に反してこわばった。
彼は、ライサの反応を見て取ったが、何も言わなかった。モラエスがかけたCDが音を立てだした。
ピアノかヴァイオリンの曲を聴くのだと思っていたが、それは管楽器の音で始まった。ライサは、目を見開いて彼を見た。彼は、その反応の変化に満足したようで、また以前と同じような口元だけの微笑を見せた。
「セレナード第10番 変ロ長調『グラン・パルティータ』というんだ。管楽合奏曲だよ。第6版のケッヘル目録では370aだが、初版のK361で表されることの方が多い作品だ」
彼は、目を瞑り聴いていた。彼女が『ドラガォンの館』で働いていた頃、24は甘い言葉を囁きながらいつも彼女との距離を縮めようとした。それがあの恐怖の始まりだった。けれど、いま傍らにいるもう1人の、とてもよく似たインファンテは、彼女の存在を無視しているのではないが、何かを意図して近づいてくるという印象を一切与えなかった。自分の事も、ライサのことも何も語らず、ただ『グラン・パルティータ』に没頭している彼の様子に、ライサの緊張は少しずつほぐれていった。
その日から、時おりサロンで同じように彼と食後の時間を過ごすようになった。夕方に彼自身の演奏を聴かせてもらう時には、黙って聴くのみだった。演奏後に彼と交わす会話も短く、曲目や作曲者の意図以外のことを話すことはなかった。だが、食後の時間は、性質が違う。彼が選ぶ曲は、ヴァイオリンやピアノが主役となる曲ばかりではなかった。たとえば管弦楽曲のように。
「ピアノやヴァイオリンの曲よりも、管弦楽の曲がお好きなんですか?」
ライサが聴くと、彼は「どちらも好きさ」と言ってからわずかに自嘲的な笑みを見せた。
「ただ、こちらは破れし夢へのノスタルジーというところかな」
「破れし夢?」
彼は、CDのジャケットを見ながら言った。
「聴くだけでなく、演奏してみたい。その想いはピアノとヴァイオリンに留まらなかった。だが、1人で弾ける曲には限りがある。20代のはじめに、シューベルトの『ます』の5重奏に挑戦したことがある。ヴィオラとチェロまでは、なんとかそれらしく弾けるようになったので、パートごとに録音して合わせてみた。だが、上手くいかなかったんだ」
「どうしてですか?」
「演奏というのは、メトロノームのように、正確に速さを刻んでするものではないんだ。何人かが同時に息を合わせてこそ合奏が成り立つ。だが、私は5人に別れることはできないんだ」
彼は、インファンテだった。Pの街の中で演奏家たちと合奏することも、不特定多数の人間と知り合いになることも許されていなかった。金銭的には、どんな贅沢でも要求できたが、それでも、世間的には『存在しない者』として生きる他はなかった。
「今は、だいぶマシになった。ピアノの2重奏も可能になり、ヴァイオリン・ソナタで伴奏をしてもらうこともできるようになった」
ドンナ・アントニアのことだろうと、ライサは思った。
かつて彼には、伴奏者も、観客もいなかったのだろう。心を揺さぶる美しいメロディーも、情熱ほとばしる弓遣いも、虚空に消えていただけだと思うと、ライサの心は痛んだ。彼女にとって苦しみしかなかったあの鉄格子で閉ざされた空間に、彼もまた閉じ込められていたのだ。
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醤油麹入りかえし

美味しい料理を作る秘訣って、腕ももちろん関係しているのですけれど、食材もとても大事な要素だと思うのですよ。でも、何をどう買うのかはポリシーやら、家計やらとの兼ね合で、いつでも最高のものが手に入るとは限りません。
たとえば私は、食肉、卵、乳性などは極力スイス産のものを買います。EU産の方が安いんですけれど、生産方法が若干動物虐待に近かったり、食の安全性が調べきれなかったりするので、とりあえずスイス産を大前提にしています。すると、とくに肉は、メチャクチャ高くなるんですよ。なので、ステーキやらフィレ肉などはめったに買えない……つまり調理方法での工夫が試されるというわけです。
もともと肉の(野菜もだけれど)味や食感は、日本の企業努力には遠く及ばないので、下処理に時間を掛けます。筋切りしたり、塩や白ワインを揉み込んで寝かせたり、というような一連の手順です。
そして、調味料の方にもけっこう手を掛けて、でも普段の調理には時間がかからないように工夫しているのです。
食材も大事だけれど、調味料の良し悪しって、料理のできにものすごく影響するので、ヨーロッパ産の調味料は可能な限りいいものを用意しています。もちろん、最高級オリーブオイルで揚げ物なんてできないので、使い分けますよ。でも、たとえばお酢などは通常は大量に使うものでもないので、汎用性がありさらにとても美味しくなるホワイトバルサミコ酢を普段使いにしています。
さて、アジア系の味付け(ヨーロッパ風の味付けの隠し味も)で不可欠なのがお醤油なのですけれど、これが問題です。ごま油は、機会があったら都会でお高いのを購入することもしますけれど、お醤油くらいよく使う調味料はそういうわけにはいきません。日本のようにワンランク上のお醤油でもそこら辺のスーパーで手に入る、もしくは通販で買えるならいいのですけれど、ここではそういうわけにはいかないのです。
で、私は、「醤油麹入りかえし」を作って対応しています。やっと本題にたどり着いた……。
「かえし」はご存じのように、「麺つゆのもと」みたいなものです。「かえし」1に対して出汁を3〜4入れると麺つゆになるそうで。で、かえしの原料となる醤油は、スイスのどこでも買えるキッコーマンのごく普通のお醤油でもいいのですけれど、私はもう少し旨味がほしいので醤油麹を混ぜているのです。
醤油麹ももちろん自分で作ります。乾燥麹を一時帰国の時に持ち帰ります。そして、1年に1度くらい仕込むのです。ひたひたになる状態で常温に置き、毎日かき混ぜながら1週間くらい経つと、とてもいい香りがしてきます。もろみのような状態になるのですが、それだと使いにくいので、私は最後にブレンダーで滑らかな半液体ペーストにして保存します。この醤油麹を、かえしづくりで利用するのですね。
かえしを作るには、本来は日本酒やみりんが必要なのですけれど、醤油、白ワイン、砂糖、メープルシロップを混ぜて作ることができます。醤油130cc、醤油麹70cc、白ワイン100cc、メープルシロップ大さじ2、砂糖(私はきび砂糖)大さじ1を中火くらいで熱し、沸騰寸前で止め、瓶に詰めます。上の写真のメープルシロップの空き瓶にちょうどおさまる量になります。埃や虫が入らないようにお茶パックなどでカバーして、1週間くらい寝かせます。それで出来上がり。その後は、普通に蓋をして冷蔵します。
かえしも、醤油麹も、日本だと作成中の腐敗に氣をつけなくてはならないので冷蔵庫で作るもののようですが、私はよくチェックをしながら涼しい時期に常温で作成します。
基本的にレシピに「醤油」だけがあるときも、「醤油とみりん」とあるときも、このかえしで代用します。その他、肉を焼いて、バターとかえしで味付けしても美味しいし、たとえばブラウンソースなどの旨味を増すのにも使います。醤油だけだと、少し塩けが尖っているのですけれど、このかえしだととてもまろやかな味わいになるのです。
写真は、同時に作っていますが、最後の醤油麹をかえし作成で使ったので、同時に醤油麹を仕込んでいる状態で、ふだんは醤油麹が切れたら、それだけ作るんです。
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【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-1-
まだ「(2)悪夢」で始まったライサの回想シーン、まだ続いています。最初の構想では、このライサの回想は、もっと後に出すつもりだったのですが、むしろこの方が事情がはっきりするのと、前作とのつながりが強いのでこうなりました。長いので切ったんですけれど、サブタイトルの曲、モーツァルトの『グラン・パルティータ』は、まだ出てきませんね。
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Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -1-
1ヶ月ほどの間に、彼女は、ドアを離れて彼が奨めるソファに座ることができるようになった。食事の時にも、怯えてカトラリーを取り落とすこともなくなった。彼は彼女が1つひとつの段階を経ていくのに満足し、まずは皮肉に満ちた微笑を、それから少しずつ優しい笑顔を見せるようになった。その表情の変化は、ライサの彼に対する忠誠と思慕に拍車をかけた。
逃げ惑いながら、ピアノの音を目指して走る目覚め以外に、まるで夢を見ていなかったかのように心地よく目覚めることもあった。そんな時でも、音色は常に彼女を光に導いてくれた。彼は、朝食前には練習中の曲ではなく完成し弾き慣れた曲だけを演奏する習慣があった。数日前に耳にして、彼女が特に好きだと口にした曲を、改めて弾いてくれることもあった。
そんな時に、彼女は急いで起き上がり、シンチアたちの助けを借りずに洗面所へ向かい、急いで身支度をした。朝食の席に行き、彼とドンナ・アントニアのいる、明るい窓辺の席に座ることを思うと心が躍るのだ。
まだ、うまく自分を表現することができず、俯きがちながらも、ライサの表情から怯えや恐怖が薄れ、信頼と安堵が戻ってきていることをアントニアは喜んだ。彼女は、ライサを刺激しないように、『ドラガォンの館』の話は一切しなかった。聞きたくない男のこと、思い出させるあの場所のことを、ライサは聞かずに済んだ。
過去にあったすべてと、ライサは切り離されていた。それ以外の人生などなかったかのように、『ボアヴィスタ通りの館』の暮らしだけが、彼女を包んでいた。
アントニアは、朝食が終わるとどこかに行くことが多かった。そんな時は、彼女は快活に言った。
「また後で会いましょう、ライサ」
同じ言葉と笑顔が、彼女を安心させた。午前中は、シンチアやルシアの仕事を見ながら過ごしたり、アントニアが用意してくれた本などを読んで過ごすことが多かった。アントニアが戻らないときは、彼と2人で昼食を取る。彼は口数が少なく、アントニアのようにライサの答えやすい話題を振るような努力はしなかった。けれど、ワインの好みを訊いたり、アントニアの渡した本の内容に触れたり、ごく自然に会話をするようになった。
「メウ・セニョール。今朝の曲について教えてくださいませんか」
ライサの問いに、彼はわずかに笑って答えた。
「あれはモーツァルトだよ。ピアノソナタ ハ長調K545 だ。おそらくクラッシック音楽に全く興味がなくても1度はどこかできいたことがあるだろうな」
その通りで、コンサートなどに行ったことがないライサでも、珍しくよく知っている曲だった。
「K545って、何を表す番号ですか?」
「ああ、ケッヘル番号といってね。モーツァルトの作品を、作曲された順に整理してつけた認識番号だ。19世紀のオーストリア生まれの音楽学者ケッヘルが作品の散逸を防ぐために整理したんだ。当時は、作曲者が自分で通し番号をつけるという概念そのものがなくてね。寡作な作曲者なら演奏記録などで後からでも調べられるだろうが、モーツァルトは多作だったから、後少しでも遅ければ、目録作りは不可能だったろうね」
「じゃあ、あの曲は545曲目なんですね」
「いや、そうではないだろうな。後の研究によってケッヘル番号は何度か改訂されていてね。たとえば最初のK1とした作品の前に後ほど4曲ほどみつかったので、K1a,、K1b、という具合に補助アルファベットをつけて表示することになった。それに、後から偽作だったことが分かった曲もみつかったので、ケッヘル番号だけで何曲目と判断することは難しいだろうな」
それから、口の端だけで微かに笑うと言った。
「同じことを訊くんだな」
「え?」
ライサは、彼がどこか遠くを見るような目つきをしていることに氣がついた。だが、それは一瞬のことで、すぐに彼はそばに控えているモラエスに合図をした。
「はい。メウ・セニョール」
「今日のコーヒーは、サロンの方に運んでくれ」
「かしこまりました。デザートもそちらにお持ちしますか」
「いや。それはここでいい」
モラエスは、ルシアに合図をし、彼女は2つのナタス・ド・セウを運んできた。
「ええと、確かこちらが……」
そういいながら、自信なさげにルシアは1つのグラスをライサの前に置いた。もう1つのグラスを前に、彼はルシアにいつものように礼を言った。同じデザートなのに、なぜルシアはあんなことを言ったのだろう。ライサは不思議に思った。
ひと口スプーンを口に入れて、ライサは驚いた。この館で出されるデザートはいつもとても美味しいのだが、今日のデザートは衝撃的に甘かった。砂糖の量を間違えたのかと思うほどだ。思わず、彼の方を見ると、若干不思議そうにグラスを眺めていたが、何も言わずにそのままデザートを食べていた。
ライサは、ルシアが置くべきデザートをとり違えたのだと思った。おそらく彼が食べるデザートだけが、通常のものより甘いのだ。彼女は、なんとか最後までそのデザートを食べ終えた。普段よりもずっとコーヒーが恋しかった。
「サロンに来なさい。コーヒーを飲みながら、モーツァルトを聴こう」
彼は立ち上がった。ライサは、コーヒーと聞いて迷わずそれに従った。
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Apple Watch6が発売された
記事の前に、お知らせです。『バッカスからの招待状 ナイト・スカイ・フィズ』を、『さとる文庫』のもぐらさんが朗読してくださいました。ありがとうございました!
もぐらさんのサイト 第546回 バッカスからの招待状 ナイト・スカイ・フィズ
どのくらい話題になっているのか今ひとつわからないのですけれど、今年の秋のAppleイベントが9月16日に開催されたようです。実は、全然チェックしていなかったのですけれど。で、メールで氣がついたのですが、Apple Watchが目玉だったようです。

この写真はApple Watchシリーズ5です
去年はApple Watchを買うつもり満々で、古いシリーズを買うか新しいのを買うか、秋のイベントをみて決めるつもりだったのに対し、今年はもう日程すらも追っていなかったのですね。もう買っちゃったので。で、Appleからのメールで氣がつきました。
で、今年のイベントの動画も見てきました。ええ、ちょっとだけぐらっときましたよ、Apple Watchシリーズ6に。
私が去年の9月購入したのは、発表直後のApple Watchシリーズ5です。購入を決定した直接の動機は心拍数の測定です。両親とも心臓の病で突然死したこともあり、不規則な心拍の通知してくれる機能に興味を持ったのですね。それに生活習慣をこのデバイスで管理したいという思いもありました。現実に、今となってはこれなしでの生活が考えられないほど便利に日々使っています。アクティビティ管理やアラーム、メッセージ受信、運転中の電話受信、それに買い物リストなど、ものすごく便利なのですよ。
で、今年発表されたシリーズ6の目玉は「SpO2(血中酸素濃度)センサー搭載」なのですよ。確かにあったらいいなと思う機能ですが、個人的に絶対に必要だと思って買ったシリーズ5ほどの必要性はないかなと。もちろん出費と相談しての判断ですけれど。それに、来年の初夏に新しいiPhone SEを入手しようかなと思っていて(現在は初代のSEを使っている)、デバイス関係の出費はしばらくは抑えたいのです。こういうのって、お金がいくらあっても足りませんから。
シリーズ1をまだ現役で使っていらっしゃる人もいると聞いています。人によっては、それでも問題ないくらいさまざまな使い方のできるデバイスで、私は現在のシリーズ5には大満足しています。買い換えるとしたら、少なくともあと2年くらいは使ってからでしょうかね。
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【小説】Filigrana 金細工の心(4)時間
まだ「(2)悪夢」で始まったライサの回想シーンが続いています。前回の更新へいただいたコメントで氣がついたのですが、このストーリー時間軸がやたらと前後するので混乱しますよね。これは、前作『Infante 323 黄金の枷 』でマイアが《ドラガォンの館》にやってくるよりもわずかに前くらいの時点です。妹マリアは1年近く連絡の取れないライサを心配し、代わりにマイアが勤めて素人探偵をしようとしたのが、あの話の導入でした。こんなことになっていたというわけです。
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Filigrana 金細工の心(4)時間
理性と心は、同じ車につけられた両輪であったが、時にちぐはぐな動きをする。彼女を悪夢から救い出す、光であり命綱である響きを生み出す、彼女にとっては神からの使いにも等しい存在である人は、彼女の悪夢の源に似た姿形を持っていた。彼女は響きに近づきたかったが、全身がそれを拒んだ。すらりとした長身、明るい茶色の髪、森の奥の泉を思わせる青い瞳を、ライサは心底怖れた。
彼は、容姿が似ているだけで、24とは明らかに違う人間だった。ずっと歳をとっていることだけではなかった。24のように自らの容姿のことに頓着しなかった。品のいいものを身につけていたが、最新流行の服を無制限に買わせることはなかったし、鏡の前で長時間過ごすこともなかった。芝居がかった動きも見せなかったし、何が言いたいのかさっぱりわからぬ詩を延々と朗読することもなかった。
ムラのある性格の24と違って、几帳面で毎日のスケジュールは機械仕掛けのように正確だった。ライサは彼のピアノかヴァイオリンの響きで目を覚ました。朝食の後、彼は作業室と呼ばれる南の部屋で民芸品『バルセロスの雄鶏』に彩色する。昼食後は、音楽を聴くか、読書をするか、もしくはピアノかヴァイオリンを練習していた。
24のように、甘い言葉で話しかけてくることもなかった。それどころか、ライサに近づこうともしなかった。初めて彼の姿を見た、あの深夜の翌朝、アントニアが彼女の手をとって、はじめて朝食の席に伴ったその時だけ、彼は大きな感情の変化を見せた。息を飲み、それからわずかに震えたように思った。けれど、それから彼は、大きく息をしてから何でもなかったかのように押し黙り、食事に集中した。
近づこうとしたのは、ライサの方だった。アントニアが外出し、使用人たちも忙しく側にいない時、居間から聴こえてくるピアノの音色に惹かれて、何度も階段を降りた。それから、半分開かれているドアにもたれて、音色に耳を傾けた。音色は心に染み入ってきた。皮膚を通して、彼女の中へと入り込み、内側から光で満たした。彼女の中に巣食う穢れてただれた赤黒い細胞は、その光を注がれて透き通っていった。
彼女は、ここにいて、この音に満たされていれば安心なのだと感じた。生まれたばかりの雛が、最初に目にした存在を親と信じて無条件についていくように、ライサの心は、光を求めて彼の奏でる音色を追った。その音に導かれてライサは目覚め、午後は希望に満ちて空を飛び、そして夕べの憩いを得た。
それなのに、食事のたびに、彼の前に出ると身がすくむようだった。彼女を苦しめた男とは明らかに違う人なのに、その姿を見ると体中が凍り付く。青い瞳が向けられると、手が震えてカトラリーを何度も取り落とした。
「心配しないで。あなたは、こちらに戻ってきつつあるのよ」
アントニアが、そんなライサに優しく言った。
「あなたは、叔父さまのことを怖れないようになるわ。もう頭では理解しているでしょう、叔父さまは信用のできる素晴らしい人だと。あなたの意志とは無関係に反応してしまう体が、あなたのその考えに同意できるようになるまで、もう少しかかるかもしれない。でも、きっと時間の問題よ。あなたもそう思うでしょう?」
「ミニャ・セニョーラ。セニョールは、私の態度を不快に思っていらっしゃるんじゃないでしょうか。私、別室で食事しても……」
「だめよ。ライサ。これは、あなたの治療の一環なの。あなたを夢の世界に戻すわけには行かないの。わかるでしょう。叔父さまにはちゃんと伝えてあるから大丈夫よ」
ライサは混乱していた。彼女にとって何よりも大切な存在、彼女の安全を約束してくれるその人には、どうしても嫌われたくなかった。不快にもさせたくなかった。尊敬し、感謝していることを伝えたかった。けれど、恐怖はいまだに彼女を支配していて、悪夢もまだ彼女を襲い続けていた。彼女が1度は愛し、共に幸せになれると信じた男が、豹変して彼女を襲った時の、それから、幾度となく恐怖に悶えて助けを求め続けた苦しみは彼女を縛り続けていた。
彼女は、居間に続くドアにもたれかかり、ピアノの音色に耳を傾けながら、もっとこの音に近づきたいという強い願いと、恐ろしい悪魔の側からすぐにでも逃げだしたい衝動に引き裂かれながら震えていた。
ゆっくりと両手を止めて、最後の和音の響きが消えるまでたっぷり5秒は使った後で、彼ははじめてライサに話しかけた。
「聴きたいのならば、入ってきなさい」
その声は、不思議な力に満ちていた。美辞麗句を重ねに重ねた、24の空虚な言葉遣いと違い、装飾も何もないまっすぐな言葉だった。そして、それは命令形だった。ライサは『セニョール』の、彼女の主人であるインファンテの権能ある言葉に、逆らうことはできなかった。震えながらドアを押して中に入り、背を向けたドアにへばりつくように立って、彼を見た。
青い瞳が、静かに怯えているライサを捉えた。彼はため息を1つつくと、鍵盤に目を戻し、ゆっくりとショパンを弾いた。
それが、何度も繰り返されるうちに、彼女は、居間に入っていけるようになった。ライサの体を支配している頑固な恐怖もまた、この居間で音楽を奏でる男は、近づいても来なければ、彼女に危害を加えたりもしないことを渋々と認めて、彼女を自由にしだした。
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嫌われものの花

この花をご存じでしょうか。サフランやクロッカスに似ていますが、全く別の花で、和名をイヌサフランといいます。ドイツ語では、Herbstzeitlose(「秋に咲く季節はずれの花」という意味)というのです。クロッカスやサフランは春を告げる花なのに、こちらは秋に咲くからですね。
で、この花、2つの意味でめちゃくちゃ嫌われています。1つには猛毒の花なのです。なのですが、球根がニンニクやベオラウフという春の山菜に似ているので、たまに事故が起こるのです。また、家庭にうっかり植えたりすると、イヌが食べて死んでしまったりするそうです。そういえば、この草を題材に掌編を書きましたっけ。あ、その小説でも誰も殺していませんよ。
そして、もう1つの嫌われる理由、こちらの方が私たちには深刻なのですけれど、この花が咲いたら非可逆的に秋なのです。つまり、スイスの夏って、8月くらいに雪が降ったり、ちょっと涼しくても、またすぐに夏が戻ってきたりするのですが、この花が咲いてしまったら、いくらどんなに抵抗しても夏はおしまい、あとは長い冬に向かっていくだけ……という宣告みたいな花なのです。そりゃ嫌われるわ。
で、今年はもう3週間くらい前に咲き出してしまって、かなりがっかりです。まあ、もう9月なので文句言うほど早くはないのですが。
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とりあえず末代 2 馬とおじさん
今日の小説は、limeさんのリクエストにお応えして書きました。
リクエスト内容
テーマ: ときめき
私のオリキャラ、もしくは作品世界: 誰か
コラボ希望キャラクター: limeさんのオリキャラ
時代: 現代
使わなくてはならないキーワード、小物など: 馬
limeさんのところには魅力的なオリキャラがたくさんいるのですけれど、迷ったあげくにこちらの作品から(よりにもよってその人を!)お借りすることにしました。この方、大好きなんですもの。
『凍える星』おまけ漫画『NAGI』−『寒い夜だから』
で、私の方のキャラも、limeさんにご縁のある子たちを連れてきました。「scriviamo! 2018」で、limeさんのお題から生み出した「とりあえず末代」という作品から中学生悠斗と猫又の《雪のお方》です。
とりあえず末代 2 馬とおじさん

このイラストの著作権はlimeさんにあります。無断使用は固くお断りいたします。
この夏休み、僕の最大のイベントは、もちろんはじめての大阪ひとり旅だ。ひとり旅……のつもりだったけれど、例によってお目付役が同行している。静岡の従姉を訪ねるのと違って、頼れる人もいないところに行くのだから心配なのは分かるけれど、クラスメートたちの中には、ひとりで飛行機に乗った子だっているのにな。ともあれ、猫又は人じゃないし、ひとり旅だということにしておこう。
僕は、伊藤悠斗。旧家というほどではないけれど、少なくとも元禄時代から続いている伊藤家の長男だ。家系図もないのになぜそんなことが分かるかというと、伊藤家の跡取りには猫又が取り憑いているからだ。
一見、白い仔猫にみえる《雪のお方》は、元禄の初めにご先祖の伊勢屋で飼われていたそうだ。20歳まで生きて無事に猫又になったんだけれど、跡取り長吉に祝言をあげるという口約束を反故にされて、怒りのあまり「末代まで取り憑いてやる」って誓いを立てちゃったんだって。で、僕は当面、伊藤家の末代なので《雪のお方》にロックオンされているってわけ。
「妾はそろそろお役御免になりたいのじゃが、伊藤家断絶まではなんともならぬ」
そういいながら、僕たちが絶対に切らさないように用意させられているイタリア産の最高級エクストラ・ヴァージン・オリーブオイルをなめるのだ。
僕が大阪に行くことになったきっかけはこうだ。夏休みの宿題の1つに「したことのない戸外活動」がある。アルバイトやボランティア、それに旅行などをして、その経験をリポートするのだ。「ひとり旅」そのものは、もうやってしまっていたので、何かいい夏休み限定の経験がないかなとインターネットで探していたら、目に入ってきたのが乗馬スクールを運営しているとある財団のサイトだった。体験乗馬プランというのがあって、覗いてみたら「1日1名さま限定、体験乗馬ご招待」と書いてある。当たると思わずに申し込んだのだけれど、まんまと当選してしまったというわけ。
事後報告で父さんと母さんに、大阪行きを懇願したら、許可して旅費を出してくれる条件として、《雪のお方》に監督してもらうことと言い渡されてしまった。僕も《雪のお方》との旅行は好きだからいいけれど。
「そろそろ着くかな」
僕は、車窓を見た。東海道新幹線のぞみ号にひとりで乗っているのって、まるで夢みたいだ。残念なのは、あっという間だったこと。だって、《雪のお方》が周りの人の注目を集めすぎて、話しかけられてばかりいたんだもの。
新横浜で新幹線に乗り込んで以来、《雪のお方》ったら、しょっちゅう駅弁の箱に前足をかけて、指示をする。
自宅だったら「その唐揚げを妾が毒味して進ぜよう」とかはっきりと口にするんだけれど、今は仔猫のフリをしているので「みゃーみゃー」とかわいらしくいうだけだ。
「えっと、この佃煮? 卵焼き? それとも、唐揚げ?」
なんて質問を、僕が反応を確かめつつしていると、隣や前後の人が満面の笑みで話しかけてくる。
「まあ、かわいい猫ちゃんねえ」
その人たちからちゃっかり魚やシウマイをせしめた上に、名古屋で入れ替わった隣の人からは、天むすと松阪牛まで手に入れた《雪のお方》の人誑しっぷりには感心する。おかげで、僕、越すに越されぬ大井川も、うなぎの浜名湖も、木曽義仲ゆかりの木曽川も、ついうっかり見そびれちゃったじゃないか。
もうじき着くと分かったのはその2人目のお隣さんが慌ただしく支度をして降りていったからだ。
「おお、あっという間に着いたね。じゃあね、悠斗くんと雪ちゃん」
人好きのするおじさんで、まん丸の顔にちょんとついた鼻がちょっぴり赤い。僕が、今回のひとり旅についてする説明をずっと優しく聞いてくれた。体験コースのパンフレットを見せたら、どうやって行けば新大阪駅から馬場に楽にたどり着けるかの説明までしてくれた。
おじさんの去った駅の表示板を見ると、なんと京都だった。ええっ! 僕まだお弁当食べ終えていないのに。そのお弁当は、すっかりベジタリアンモードになっていた。《雪のお方》が動物系タンパク質をことごとく食べてしまったからだ。ねえ、猫又は何も食べなくてもいいって、普段は油しかなめないのに、なんで? 首を傾げながら、食べ終えると、降りるために荷物をまとめた。
泊まるホテルは、新大阪駅のすぐそば。父さんがいうには、大阪の中心の梅田は迷路みたいになっていて絶対に迷うから、子供が荷物を持ってウロウロするのは無理らしい。それに、明日の体験乗馬をさせてくれる馬場は豊中市にあって、梅田とは反対側なんだって。僕は、わりとすぐにホテルにたどり着きチェックインをした。荷物を置いたらすぐに遊びに行きたい。
「明日の準備をしてから遊びに行く方がいいのではないか」
《雪のお方》は、荷物を置いてすぐに出ようとした僕に釘を刺した。
「大丈夫だよ。手袋はこのリュックに入っているし、後は何もいらないもの。それよりも早く行かないと暗くなっちゃうよ」
両親との約束で、出歩くのは日暮れまでと決まっているのだ。
《雪のお方》は慣れたものでリュックの外側のポケットに自分からおさまった。僕はカードキーをポケットにしまい、颯爽と市内に向かう。大阪メトロ御堂筋線。大変って言うけれど、普通に乗れるじゃん。僕は余裕で新大阪駅を後にした。
梅田には5分くらいでついた。道頓堀に行きたいのだからなんばに直接行けばいいのだけれど、スマホのケーブルを買いたくて家電量販店が駅前にあるという梅田で途中下車したのだ。持ってきたケーブルは、新幹線の中で《雪のお方》のお方がじゃれついて傷つけてしまった。
どの改札から出ればいいのかわからなかったけれど、とにかく一番近いところを出たら、『ホワイティうめだ』というところに行き着いた。家電量販店の場所を訊いたら「ここからだと難しいねぇ。北出口から出ればよかったのに」と言われてしまった。いったん百貨店を経由手して大阪駅にでて、連絡橋口というのを目指すのがいいかもしれないとアドバイスを受けた。
それにしても、商店街には美味しそうな店がたくさん並んでいる。駅弁を食べ終えたばかりだから我慢しようと思ったら、《雪のお方》が「みゃーみゃー」と騒ぎ出した。やっぱり食べたいのか。無視して百貨店の中に入った。
なんだかメチャクチャいい匂いがしてきたと思ったら、あの『552』ってナンバーのついているお店だった。新幹線で持ち帰るのは難しそうだし、ホテルに持ち込むには勇気のいる匂いだし、食べたくてもずっと我慢していたのだ。ところが、そこは販売しているだけでなくイートインコーナーまである。そういうわけで、《雪のお方》だけでなく僕も我慢ができなくなってしまった。
晩ご飯は、ここに決定だ。焼きそばに、豚まんとしゅうまいをつけて食べることにする。あれ、《雪のお方》は、昼もシウマイ食べたっけ、まあ、いいか。猫がカウンターでさらに手を伸ばしていたら、もちろん注目の的になる。
「おや、猫ちゃんかいな」
飲食店にペットを連れ込んじゃだめって怒られるかな。そう身構えたけれど、お店のお兄さんは、笑って言った。
「ほんまはアカンのやけど、カワイイ猫は正義っていうしな。見なかったことにするわ」
《雪のお方》は小さな声で「なかなか見どころのある若人じゃ」と呟いた。
そんな風に寄り道をしていたので、家電量販店に行くべく連絡橋に出たら、なんともう暮れかかっていた。しまった。約束の夕暮れになってしまったので、道頓堀に行くのは無理だ。夕ご飯も食べちゃったから、いいけれど。結局、ケーブルだけを購入してすごすごとホテルに戻ることになった。
そして、朝が来た。スマホに保存しておいた地図を頼りに、昨日乗った御堂筋線を反対方向にちゃんと乗り、僕は体験乗馬に間に合うように馬場にたどり着いた。
入園の窓口で名前を言うと、お姉さんがこう言った。
「はい。では、お送りした確認書をお願いします」
ああ、そうだった。それは、チラシと一緒にリュックのこのポケットに入れたはず……あれ?
昨日、新幹線の中でも見たし、絶対にあるはずなのに、どうしてないんだろう。まさか、ホテルに置いてきたってこと? でも、スーツケースに移したりしていないのに、どうして?
「明日の準備をした方がいいのではと、言ったであろう」
そう言いたげな目で、《雪のお方》はじっと見つめ、係員の女の人も怪訝な顔で見つめている。僕は真っ赤になって、リュックの中身を1つ1つ取り出しながら確認書を探した。
「ああ、いた、いた。伊藤悠斗くん!」
後ろから、声がして僕たちは全員そちらを見た。
そこにいたのは、昨日、京都で降りていったまん丸顔のおじさんだ。あれ、なんでここに?
おじさんは、白いハンカチで額をふくと、背広の内ポケットから、4つに折りたたんだ白い紙を取りだして、僕に渡した。
「これが、昨日持っていた紙袋に入っていたんだ。きっと、ここのチラシを見せてくれたときにでも落ちて紛れちゃったんじゃないかな」
それは、いま必死で探していた『体験乗馬ご招待当選確認書』だった。そういえば、このおじさんと話したり、チラシを見せたり、《雪のお方》が唐揚げに手を出しているのを止めたり、あれこれ同時にやっていたような。
「ありがとうございます。届けに、わざわざここまで来てくれたんですか?!」
おじさんは、にこにこ笑いながら頷いた。
「昨日のうちに届けに行けたらよかったんだけれど、京都から帰ったのが遅くてね。それも、ちょっと部長に誘われて飲んでから帰ったもんだから、入っていたこと知らないまま寝ちゃったらしい。母さん……いや、うちの奥さんが名古屋みやげの袋に入っていた、これ今日だけれど大丈夫なのかって、見せてくれたのでびっくりして持ってきたんだ。どっちにしても今日は午後からの出勤だし」
「わあ、ありがとうございます。僕、もうちょっとで体験乗馬できなくなるところでした」
「時間もあるし、せっかくだから、迷惑でなかったら、悠斗くんと雪ちゃんの乗馬、見ていこうかな」
おじさんは、にこにこして売り場でお財布を取り出した。やり取りを見ていた売り場のお姉さんは手を振った。
「あ、保護者等の方、1名までは見学無料なので、そのままどうぞ」
おじさんと一緒に園内に入ると、早速貸してくれる装具を合わせるところに連れて行かれた。ヘルメット、ブーツ、それにエアバッグベストを身につけて、これから乗馬するんだって氣分が盛り上がってくる。僕のリュックと《雪のお方》は、おじさんが一緒にベンチで見ていてくれることに。そういえば、《雪のお方》をどうするか考えないでここまで来ちゃった。
それから馬にご対面。
「今日、悠斗くんが乗るのは、アキノコスモス号です。あいさつしてください」
茶色い馬はとても優しい目をしている。馬が突然お辞儀をしたので僕も深くお辞儀をした。そうしたら、歯を出してはっきりと笑った。それから鼻先を前方に出してきて、あっという間に僕の鼻にタッチしてしまった。
「あらあら、ご機嫌ね。いきなり首やお腹を触ったりすると、嫌がられるので、まずはゆっくり手の甲でさっき触れた鼻先を撫でてみて」
僕は、しばらくアキノコスモス号を撫でて、それから助けてもらって背中に乗せてもらった。わ、高い! アキノコスモス号は急に頭を低く下げた。見ると目の前に《雪のお方》が来ている。
「え。来ちゃったの!」
《雪のお方》はすまして、小さな声で「みゃー」と馬に話しかけた。馬はすっと頭をもっと低く下げ、その瞬間に《雪のお方》は馬の頭に飛び乗った。係員のお姉さんはびっくりして「まあ」と言った。そして、結局《雪のお方》ったら、僕の体験レッスンの間中、ずっとそこに居続けたんだ。
レッスンは楽しくてあっという間だった。係員のお姉さんがついていてくれてだけれど、僕はアキノコスモス号と一緒に歩いたり、停まったりできるようになった。それどころか、ベンチのおじさんに手を振る余裕もできた。
昼前にレッスンが終わり、降りておじさんのところに向かうと、おじさんはニコニコ笑って僕のスマートフォンで撮ってくれた写真をあれこれ見せた。
「この写真、おじさんももらってもいいかな。悠斗くんも、雪ちゃんも、馬さんもみなこっちを向いていてかわいいんだ。母さんに見せたいし」
「もちろん。おじさん、LINEかメール教えてくれる?」
おじさんは、LINEのアドレス交換のやり方を知らなかったけれど、アプリは入っていた(奥さんからのメッセージだけがたくさん入っていた)ので、奥さん以外で初めてのLINE友達になり、写真を送った。ついでにおじさんが《雪のお方》を抱っこしているところの写真も撮って送ってみた。
「やあ、うれしいね。これね、おじさんの初めてのスマホなんだ。せっかくだから、いい写真でいっぱいにしたくてね。魂の非常食のつもりで」
「なんですか、それ?」
おじさんは、はっとして、それから恥ずかしそうに頭をかいた。
「そうだよね、わけがわからないよね。請け売りなんだ。母さんは、よく宝塚歌劇団に行くんだけれど、『贔屓に逢うトキメキは、魂のご飯』っていって、贔屓の写真をたくさんスマホに保存しているんだ。で、魂の非常食っていって見せてくれるんだ」
へ、へえ……。
「そういうものなのかなって思ってたけれど、昨日、悠斗くんに雪ちゃんと遊ばせてもらったら、そのことがようやくわかったよ。ちょっとの時間だったけれど、疲れも取れてすっかり癒やされてね」
その後、おじさんと一緒にお昼ご飯を食べることになった。昨夜は何を食べたのかという話になったので、『552』のイートインコーナーの話をしたら、嬉しそうに目を細めた。
「それはいいところを見つけたね。その場で食べられる店はほとんどないんだ。おじさんは、いつも持ち帰りだな」
翌日、僕はおじさんに教えてもらった『552』のチルドパックをお土産に買って、帰りの新幹線に乗り込んだ。
「それでは、帰路に食せないではないか」
《雪のお方》は少し不満げだけれど、おじさんが教えてくれたように、ホカホカのヤツを持ち込むと、車両いっぱいに匂いが広がってめっちゃ恥ずかしかったはず。それに、家に帰ったら冷め切っちゃうだろうし。
僕は、車窓を流れて後ろに去って行く関西地方を見ながら、おじさんの言っていたことを考えた。『贔屓に逢うトキメキは、魂のご飯』かあ。アキノコスモス号の優しい茶色い目を思い出す。うん。あれもトキメキだな。学校や塾の勉強や、将来のこと、それに日々のあれこれを考えるとため息が出ちゃうこともあるけれど、あの茶色い瞳や背中で感じた爽やかな風を思い出すと、2年間くらい頑張れそうな氣がする。それに……どのクラスメートの家にだって、猫又が住んでいて話を聞いてくれるなんてことはないんだ。それを思うと、《雪のお方》がいてくれるのも、きっと僕には絶大な魂のご飯だよなあ。
「少しはわかったか」
《雪のお方》ったら、エスパーかよ!
「あのおじさんも、僕たちのレッスン見ていて癒やされたって言っていたよね。ストレスたまっているのかなあ」
「どうじゃろうな。贔屓にしょっちゅう逢っているのだから、魂は腹一杯なのではあるまいか」
僕は、《雪のお方》が何のことを言っているのかわからない。
「奥方のことを話すときに、もともと細い目がなくなるほどに目尻を下げていたではないか。あれは、昨日も『552』を手土産に買って帰ったに相違ない」
そうか。そういうことか。僕も、いつか魂のご飯っていうくらい大事な奥さんに会えるのかなあ。そう考えていると、《雪のお方》は少しだけ嫌な顔をした。
「お前、またいずれ結婚をしようなどど考えておるな。腰を据えて伊藤家の末代になろうという考えはないのか、まったく」
(初出:2020年9月 書き下ろし)
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焼きそばを食べる

スイスでも日清の乾麺は普通に買えるのです。ただ、ソース類の味が日本のと違うんですよね。おそらくこちらの人の味覚に合わせてあるんでしょうけれど、私にとっては「コレジャナイ」味なのです。
それで、ソース類はいつも却下して、自分で味付けをします。オタフクの焼きそばソース、醤油麹、ときどきはオイスターソースも入れるかな。それに青のりを加えると、食べたかった味になります。
どちらにしても添付のソースは使わないので、焼きそば用とラーメン用で別の麺は買わないのですが、あれって何か違いがあるんでしょうか?
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心の黎明をめぐるあれこれ(9)楔と鎧
第9曲は『Hayom Kadosh』使われている言語はヘブライ語です。
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心の黎明をめぐるあれこれ
(9)楔と鎧 related to 'Hayom Kadosh'
さて、第9曲は、ヘブライ語、つまりユダヤ民族の言葉で歌われる。
今日はあなたの神である主にとって聖なる日
嘆き悲しんだり泣いたりしてはならない。
静かにしなさい。この日は神聖だから、
憂えてはならない。
歴史を振り返ると、ユダヤ人と迫害は、切っても切り離せない。第2次世界大戦時に、ナチス・ドイツの行った大虐殺は有名だが、その前にも多くの人々が犠牲になった。
国土と民族がほぼ一致している日本人にはなかなかわかりにくいのだが、「ユダヤ人」というのは「とある言葉を話し、形質的な特徴を持つ人」や「イスラエルのパスポートを持っている人」のことではない。しかし、たとえば「仏教徒」でイメージされるような「特定の宗教を信じている人」のくくりでもない。つまり「イスラエルのパスポートも持っていなければ、ユダヤ教も(あまり)信じていないし、見かけもゲルマン系」というようなユダヤ人もいるのだ。
その中に、国籍はどうあれ、きっちりと戒律を守り、全身黒い衣服と帽子、もみあげの所にカールした髪を垂らしている「正統派ユダヤ人」と呼ばれる人たちがいる。服装だけでなく、暮らし方、生き方のすべてにおいて律法にしたがって生きる人たちだ。
世界中に散らばる、DNAも生き方も全く異なる人びとを「ユダヤ人」の4文字で片付けるのは難しい。そもそも私は、ユダヤ教のことを、よく理解できていないので、たくさん語れる立場にはない。だから、この文で語ることはすべて私見である。
ヨーロッパにおいて、長い歴史の中で特定の文化背景を持つ人たちが嫌われて迫害を受けてきたことについては、決して許されることではないと、昔から思っていたし、今でもそれは変わらない。その一方で、なぜ彼らがその憂き目に遭ったのかについては、日本にいたときよりは理解できるようになった。
もちろん「冷血漢の高利貸し、選民思想に凝り固まり、キリスト教徒に害をなす」ユダヤ人像は極端なレッテル貼りにすぎない。高利かどうかは別として、銀行業を営むユダヤ人がいたのは事実だ。中世ヨーロッパではキリスト教徒は利息をつけてお金を貸すことが禁じられていたのだが、銀行は必要だったので、キリスト教徒に対する銀行業を禁じられていなかったユダヤ人が従事したのだ。
単純に、彼らは目立ったのだと思う。ヨーロッパでは何度も民族移動が起こり、民族は交雑していった。その中でユダヤ教を信じる人々は律法遵守の姿勢とその選民思想ゆえに、頑なに交雑を避けアイデンティティを守り続けた。だから、国土がなくても彼らは消えないまま残ったのだ。
その中で、現代社会においても独特の行動をする人たちがいる。ある種の社会マナーを無視し、自分たちの中にある規範(もしくは思想)を優先して我を通すタイプの人たちだ。皆が辛抱強く並んでいる列に割り込む。ゴミを散らかす。札束をひけらかして多くの人が買いたいものを買い占める。弱い立場の人を怒鳴りつける。その国の法律で用意できない物を要求し断るとレイシストだと大騒ぎする。
そうした人たちは、全体の(いや、正統派に限っても)ユダヤ人の中では多数派とは言えないのだが、それが目立つためにまた「ユダヤ人」が嫌われてしまう。さらにいえば、同じ国土の中にいる異教徒にかつて歴史で起きた迫害にも負けないような攻撃をしてしまうところも、「だからあいつらはロクでもないんだ」と、差別主義者に言わせる口実になってしまう。
日本でも、ネトウヨといわれる人たちや、モンスタークレーマーといわれる困った存在がいる。私だってそういう人たちは好きではない。彼らのせいで「だから日本人は全滅させてもいい」と判断されて殺されることには納得がいかない。ユダヤ人差別も同じだと思う。
さて、欧米では今でも独特の立場にいるユダヤ人だが、今回の歌詞で使われたのは旧約聖書のネヘミヤ記からの引用だ。紀元前586年に新バビロニアに破れ、ユダ王国のユダヤ人たちはバビロンに移される。その後紀元前539年、アケメネス朝ペルシャによって新バビロニアが滅ぼされ、捕囚民はエルサレムへの帰還が許される。しかし、独立国としてではなく属州の住民としてである。ネヘミヤ記には、総督として派遣されたユダヤ人であるネヘミヤが、神殿を修復すると同時に、宗教上や社会上の改革に努めたことが記されている。
この時の改革で厳しく決められたことの中でとても重要なのが、安息日の厳格な決まりと異教徒との結婚の禁止だ。
ネヘミヤ記では、今回の歌詞とされた言葉がほぼ同じ形で3回繰り返される。なぜ民が泣いているのかというと「すべての民が律法の言葉を聞いて泣いたからである(ネヘミヤ記8-9)」
バビロンの捕囚をはじめとする民族の危機もつらかったが、課された律法もひどく重かったらしい。有名な「モーセの十戒」のようなものなら、泣くほどのこともないだろうと思っていたので調べてみた。ユダヤ教における律法というのは旧約聖書の最初の5書、つまり創世記から申命記までをいう。試しに読んでみたが、けれど、600にも及ぶという細かい規定を読んでいくと、確かにこれを守り抜くのはなかなか厳しい。
安息日の厳守、10分の1税、各種の捧げ物、食べていいものといけないもの、恩赦、結婚・離婚、裁判、職業選択、それに奴隷の扱いなど、ありとあらゆることに決まりがある。
現代でも厳格なユダヤ教の生活を守っている人たちは、たとえば安息日である土曜日には、労働にいってはいけないだけではない。自宅で棚を作ったり、お茶を淹れるためにやかんに火をつけることすら許されていないのだ。そして、結婚するのならば、相手はユダヤ教徒であるか少なくとも改宗しなくてはならない。
氣になったことはいくつかある。たとえばレビ記にある「レプラ」と呼ばれる病にかかった者の扱いだ。当時の医学的な知識に基づいて定められたので、ハンセン病患者とそれ以外の重い皮膚病が一緒くたに記述されていることがわかっている。そして症状によって患者は「穢れた者」とされてしまう。
治療法のなかった当時は、隔離することで病が他の人に広がることを防ぐ、必要な定めだったのだということはわかる。それは、人に感染しやすい寄生虫や細菌の温床となっている豚の食用を禁止した法にも言えることで、制定当時は合理的な理由があったのだ。
しかし、もし、現在もまた、この旧約聖書の内容を忠実に実行することが正しいと信じる人々がいるのならば、治療すれば治る病にかかった人を「穢れた者」扱いし不当に差別することになってしまう。
またモーセの十戒には、「人を殺してはならない」とあるが、その「人」の中に異邦人は入っていないらしい。別の箇所で、戦争で勝った場合、敵に対し「つるぎをもってそのうちの男をみな撃ち殺さなければならない(20-13)」とも書いてある。
これに忠実であろうとするなら、他民族との平和な共存は無理だし、弱者も切り捨てられてしまうだろう。
律法が非現実的であるという指摘は、この2500年のあいだ当のユダヤ民族の中から何度も上がった。もっとも有名なのがナザレのイエスだろう。彼が同胞のユダヤ人たちに憎まれて十字架刑にされたのは、主にそのせいだった。
同じ神への信仰を持ちながら、律法に縛られないイエスの新しい教えとして始まったキリスト教だが、2000年たった今、当時のユダヤ人たちと同じように聖書の一字一句に固執するキリスト教徒もいて、歴史が繰り返しているのだなと思うこともある。イエスの死後500年以上経ってからあらわれた預言者ムハンマドの教えを信じるムスリムの人々も、信じている神は同じだ。その3つの宗教を信じる人々が、それぞれの聖典に書かれた文を拠り所に、互いに争い続けているという図式も、どうにかならないものかと思う。
同じ聖典と神を旗印に、お互いに相手を嫌うことを正当化するレッテルを貼り合って、憎しみのボールを投げ合っている。これでは「嘆き悲しむ」要因はなくならないだろう。
ネヘミヤ記、ひいてはこの歌詞で繰り返される「嘆いてはならない」という言葉からは、彼らは禁じられてもなお嘆きたくなる苦しみを受けたことが浮かび上がる。
作曲者クリストファー・ティンは中国系アメリカ人だ。中国人、もしくは華僑と呼ばれる人たちも、ユダヤ人と同様に、異国であまりその国に馴染まずにもともとの生活様式を守って生きる傾向があるように思う。
同化しないことで目だち、差別の対象ともなることを、彼が全く意識しないはずはない。だからこそ、彼はこの作品を多様な民族のバッチワークにして、注意深く言葉を選んだのだろう。
日本にいて、多数派を占める民族の一員であった頃、差別による被害は私にとって他人ごとだった。それは許されないことだと知っていても、自分自身が痛みを覚えた事柄ではなかった。
スイスに住むようになり、私はどちらかというと差別される方になった。もちろん、現代の成熟した社会では、あからさまな差別を受けることはめったにない。まともな教育を受けていれば、その加害者となることは恥ずべきことだと知っているからだ。
それでも、人は時おり意識せずに差別的な言動をしてしまうことがある。私はそのことで深く傷ついたりすることはない。世の中にはもっとひどい屈辱に耐えている人がたくさんいるだろう。実害を受けいてる人もたくさんいるのだ。笑える程度の差別なんて大したことはない。
優しくなるためには、想像力さえあれば十分だという人もあるかもしれない。それに、この世界のすべてを体験することなど実質的には不可能だ。体験だけが人の心を動かすのならば、創作の存在意義すらも疑われる。
それでも、この立場になることは、たぶん私には必要だった。私は、直接的な加害者になってはならないのだと、他人ごとのごとく知っていただけで、それ以上ではなかった。岐路に立たされたときにどう振る舞うべきか、たとえばテストの場での正解を考えるように差別のことを捉えていたが、そうではなく、もっと生活と人生全般にわたる、区別も難しい、正解も見つけにくい複雑な問題だった。
心ない言葉受けた心の痛みや、他の人とあからさまに差をつけられた現実的な不利益は、笑顔を消し、氣力を奪い、卑屈で歪んだ思想の種を植え付けていく。跳ね返す能力のある者は、その方法で前に進むが、それと同時に鎧を身につけざるを得なくなり、周囲との間に楔が打たれる。
あいつらは、ああだから嫌われるんだ……。その判断は、まるで鶏と卵のようだ。嫌われるからこそ、人は変わっていく。そのことに氣づけたのは、私が高みの見物をしていられず、哀しみも、憂いも、鎧も、すべて自分の事として受け止めるようになったからだ。
偉大といわれる宗教家たちが何千年ものあいだ善くあろうと努力してもいまだに消えていない問題を、小市民である私がそれを解決できるなどとはもちろん思っていない。
それでも少なくとも私は、ほんのわずかでも、嘆き悲しむ人たちの心に寄り添いたいと思う。そんなことを思いながら、今日もまた地味な小説に思いを託している。
私はシミュレーションゲームのように、多くの軍勢を右や左に走らせて神と同じ権能を手にした者のように振る舞いたくない。楔は俯瞰する下方ではなく、私の目の前に打たれている。鎧は目の前の誰かが、もしくは自分自身が身につけている。世界は評論すべき下界にではなく、自ら歩き、道を選び、つまずき、また立ち上がっていく同じ目線の場にあるのだ。
(初出:2020年9月 書き下ろし)
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