【小説】Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -1-
第2作『Usurpador 簒奪者』では、22視点の話は出てこなかったと思うのですが、外から見た彼の「できすぎ」っぷりに胡散臭いと感じられた読者が多かったように思います。この章では、「できすぎの坊ちゃん」として振る舞っていた彼が、激怒の末に引きこもりになってしまった過程が、綴られています。この章は、実はもっと後に置いてあったのですが、別に秘密にするようなことでもないので、先に持ってくることにしました。次週との2回にわけています。
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Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -1-
彼が初めて自らの進む道、つまりインファンテであることについてはっきりと意識したのは、12歳のある午後だった。まだ、彼と同い年の兄であるカルルシュとの間には大きな待遇の差はなかった。学ぶ時も食事をする時も、いつも一緒であり、彼にとってそれは当然のことだった。彼はドイスと呼ばれ、それが個人名とは違う番号の一部でしかないことを意識することはなかった。
午餐や晩餐できちんと身支度して、両親、カルルシュと共に、食堂の立派なテーブルの前に座る時、わざわざ呼び出されてから現れて着席する者たちの存在も、特に自分の運命と関連付けて考えることはなかった。
屋敷の中には、鉄格子で締め切られた居住区があり、そこにある男と、そして多くの場合、女が1人ともに住んでいた。女は1年経つといなくなり、またしばらく経つと別の女が同じ立場になる。会話をすることもなく、その場で食事をし、食後には召使いたちに付き添われて、また鉄格子の向こうへと戻っていった。
その男は、たいてい席に着く前からもう酔っており、だらしない姿勢で椅子にもたれかかりながら杯を掲げて満たすように要求した。厳格な彼の両親は、男をほぼ無視して食事を進めた。その異質な男こそが、インファンテ321、つまり、当主ドン・ペドロのスペアとしてこの世に生を受けた男だった。
その男と、選ばれてしかたなく居住区で暮らすことになった女とは、正餐に呼び出されても出てこないことがあった。2階の格子戸を開けて、召使いたちが正餐の時間だと呼び出すと、男は3階の寝室からろれつの回らない大声で「いま、いいところだからよ」と叫び、下品な笑い声を響かせた。その報告を耳にすると、ドン・ペドロは顔色も変えずに、ソアレスに目で指示を与え、執事は2人抜きで給仕をはじめた。正餐を食べ損ねた2人には、後ほど食事が運ばれることになっていた。
その男こそが、カルルシュの本当の父親だと、いつだったか彼の母親ドンナ・ルシアが口走ったことがある。するとドン・ペドロは、厳しい目つきだけで妻をたしなめた。
彼は、だらしなく粗暴なその男に、嫌悪感を持っていた。そして、男からも好意を持たれていないことを肌で感じていた。
「お高くとまってやがらあ。てめえは、立派な当主の跡継ぎだと思い込んでいるってわけだ」
男は、彼のことをよくあざ笑った。何がそんなに彼を面白がらせているのか、幼かった頃の彼にはよく理解できなかった。
だが、12歳のあの日、21は格子の向こうから彼を呼び止めて、彼の運命を告げたのだ。
彼は、いつもよりもさらにひどく酔っていた。母親はこの男のことを「わがままな酔っ払い」としてあからさまな嫌悪感を示していた。だが、彼はそれをあからさまに態度に表すことは紳士的でないと自分を律していた。単純に関わらないようにしていただけだ。
「おい。おいったら。まだ、お高くとまってんのかよ。俺を見下しているみたいだが、お前、わかってねえな。お前は、俺と同じなんだぞ」
彼は、はじめて足を止めて、まともに格子の向こうの男を見た。彼には純粋に理解できなかったのた。彼のどこがこの男と同じだというのだろう。だけが本当の父親かどうかは、彼にとってはそれまで重要なトピックではなかった。そうであっても、関係なく、彼はこの館で召使いたちに傅かれる者としての責任と誇りを持った者として、父親ドン・ペドロからの教えに従ってきたし、厳格な父親や執事のソアレス、そして、幾人かの教師たちを満足させる振る舞いと成果を常に出していた。眉をひそめられ、ため息をつかれるばかりの存在のこの男と、どこが同じなのか、全くわからなかった。
「興味が出たか」
「おっしゃる意味がわかりません」
21は、大きくのけぞって笑った。杯を持つ手と反対の手で格子にしがみつかなければ、まっすぐ立っていられないほどにふらつき、頬と鼻の先は異様なほどに赤い。そして、濁った白目の細い瞳を細めて、彼の方をじっと見た。
「なんだ。やっぱり教えてもらってねえのか」
「何をですか」
「次に、この檻の中に閉じ込められるのは、お前さんだってことだよ」
21の言葉に、彼は深く息を飲み込み、意味をよく理解しようとした。それがどのくらいの時間だったのか、彼は憶えていない。だが、時間は、酔っ払った男には大した問題ではなかったらしい。
彼は、その間にさまざまなことを考えた。21という男の呼び名に、彼の22という呼び名。父親とカルルシュの填めている腕輪に1つ多い青い石。何度か耳にした「あれだけの才能がおありなのに、なんてもったいない」という囁き。
男は、その彼の思考を追うかのように、また、時には前を行きながら、彼はやがて格子の中に閉じ込められるインファンテだということを、杯の中の琥珀色の液体を喉に流し込む合間に語った。彼は、館の中にいる大人たちに確かめるまでもなく、この男が語っていることは真実なのだということを悟った。
全てに合点がいった。なぜ母親がカルルシュを目の敵にするのか、カルルシュのできが悪い時になぜ他の人たちがそれと比較して彼を憐れむのか。それまでどう考えても理解できなかったことに、彼は答えを見いだした。わずか数日の誕生日の差で、才覚や適性などは関係なく、彼とカルルシュの運命は決まったのだ。
「……で、どうだ。そろそろ夢精でも始まるんじゃねえのか」
彼は、ある種の嫌悪感を抱いて、21を見つめた。酔った男は、また高笑いをして、だらしなく緩んだ口元から臭い息を漏らしながら顔を近づけてきた。
「高尚なお坊ちゃんよ。俺を見下すのは勝手だがよ。お得意らしい法学も、ラテン語も、お前には必要ないんだよ。お前に求められているのは、俺がやっていることだけだ。女をベッドに引きずり込み、本能の赴くままにやりまくること。それだけさ、俺やお前の存在意義は」
そんなはずはない。自らの生まれてきた意味が、そんなことだけにあるなんて。彼は心の中で叫んだ。僕は、たとえ同じ運命だとしても、あの人のようになるものか。
彼は、自分が閉じ込められる運命に、雄々しく立ち向かおうとした。彼が、生まれてきた日に対して責任がないように、カルルシュにもその責任はない。彼を心から慕い信頼を寄せるカルルシュを、格子の向こうからでも支えられるように、きちんと勉強を続け、召使いたちに仕えてもらうに足る尊敬を勝ち得る『メウ・セニョール』になろうと決心した。
だから、1年後に第2次性徴があらわれて、2週間後に居住区に遷るのだとドン・ペドロに告げられた時も、冷静に受け止めた。その時に、ショックを受けたのは、何も知らなかったカルルシュだった。
「まさか! なぜ、ドイスが閉じ込められるのですか?!」
そのナイーヴな問いかけに、ドンナ・ルシアはもう我慢ができなかった。女主人としての誇りも務めも忘れ、憎しみを露わにしてカルルシュを罵倒した。ドン・ペドロは、珍しく声を荒げて妻を叱った。母親のヒステリーは、閉じ込められる当事者である彼をむしろ冷静にした。彼の心の準備はできていた。実の母親でありながら、ドンナ・ルシアの感情的な態度を、彼は好きではなかった。カルルシュに対する理不尽な叱咤にも、彼への身びいきが原因だと感じて、かえって嫌悪感を持っていた。
彼は、母親を反面教師にし、父親のように冷静で有能な、人の上に立つのにふさわしい人間になろうと固く決意していた。何が起ころうと、紳士的にきちんと振る舞い、このようなことに声を荒げたりすまいと。
だから、母親が、深夜にカルルシュを殺害するためにその寝室に忍び込んだこと、すぐに露見して遠ざけられた時にも、ショックを受けこそすれ、父親の決定に納得していた。それどころか、今後、たとえ格子の向こうで生きることになっても、これまで以上にカルルシュを支えて生きていこうと決心したぐらいなのだ。
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秋の散歩道

ヨーロッパは、ふたたびCovid-19の感染がすごいことになっていて、来週からまたロックダウンかも……という話になっています。
春のロックダウンが終わったら、みんな、ばーっとバカンスにいってしまったので、そのせいなんじゃないかなあ。私の住む州では、ずっとソーシャルディスタンスの話はされていて、公共交通期間内でのマスク着用義務はあったのですが、ついに全ての公共施設内でマスク着用義務になってしまいました。ううむ。
さて、そんな中ですが、時は普通に過ぎてゆき、秋たけなわです。世界の未来が、なんとなく不安に思われるからこそ、秋の光景が愛おしく目に染みる、そんな心地です。来年もまたこの光景を見ることができるであろうか……千年前の風流人なら絶対にここで一句詠んでいると思います。私は詠めませんけれど。
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心の黎明をめぐるあれこれ(10)殻より抜けでる鳥
第10曲は『Hamsáfá』使われている言語はペルシア語です。
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心の黎明をめぐるあれこれ
(10)殻より抜けでる鳥 related to 'Hamsáfár'
第10曲の歌詞は、ウマル・ハイヤームの『ルバイヤート』から、3つの詩を選んで組み合わせてある。『ルバイヤート』というのは『4行詩集』という意味の普通名詞なのだが、この作品があまりにも有名なので、一般に『ルバイヤート』といえばウマル・ハイヤームの作品を指すことが多い。
これまで散々一神教の聖典からの言葉を並べてきておきながら、ここにきてペルシア語の言葉として選んだのがウマル・ハイヤームとは、クリストファー・ティンはかなり老獪なタイプかもしれない。少なくとも、それに氣がついたときに、私はかなり脱力した。
この作品は11世紀のペルシアのウマル・ハイヤームの死後に発表された。数学、天文学、史学などで著名な学者だったウマル・ハイヤームの作品なのか、同名異人の作品なのかはいまだに意見が分かれているという。いずれにしても、この作品を生前に発表するのはかなり難しかったと思う。名誉の剥奪どころか死罪にされてもおかしくない内容だからだ。
イスラム教のことにさほど詳しくない人でも、禁酒のことは知っていると思う。21世紀の現在においても、たとえばイスラム教の大本山メッカのあるアラブ首長国連邦はおろか、かなり辺境のモロッコあたりでも、ビールにありつくのですら難しいほどだ。11世紀のペルシアで、飲酒を褒め称えるのはかなり勇氣が必要だったはずだ。
ところがこの『ルバイヤート』、読むとほとんどが飲酒礼賛なのだ。しかも、「あるかどうかもわからない天国に行くために酒を飲めないなら、こっちで楽しむ方がいいや」という態度すら見せてしまっているのだ。宗教的権威は、やっかいである。社会がその権威に依存している場合は、話がさらに複雑になる。法が人々の思考と行動を制限するようになるからだ。
おれは天国の住人なのか、それとも
地獄に落ちる身なのか、わからぬ。
草の上の盃と花の乙女と長琴さえあれば、
この現物と引き替えに天国は君にやるよ。
(オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 小川亮作訳 青空文庫 より)法官 よ、マギイの酒にこれほど酔っても
おれの心はなおたしかだよ、君よりも。
君は人の血、おれは葡萄の血汐 を吸う、
吸血の罪はどちらか、裁けよ。
(同上)
単なる飲酒礼賛だけでなく、体制側を侮辱したと言われても言い逃れのない詩だ。
引用した詩集を読んでいくと「ケイコスロー」「ジャムシード」それに「マギイ」といった言葉が表れる。ケイコスローは現在では一般に「カイ・ホスロー」と書かれるペルシアの伝説の王、ジャムシード王とともにイラン最大の民族叙事詩『シャー・ナーメ』に登場する。「マギイ」または「マギ」はゾロアスター教の神官で、日本で言えば、神道の神職、もしくは陰陽寮の天文博士などにあたる人々だ。だが、後にゾロアスター教が、3大宗教からことごとく異教とされたために、魔術者とみなされるようになり、マジックの語源ともなった。
つまり、『ルバイヤート』で出てくるこれらの単語は、イスラム教の高職者からみると邪しまで許されざる害悪の象徴だ。彼は、それらを礼賛しているのだから、挑発以外のなにものでもない。
大学生の頃、私はイランの伝説や民族神話について調べていた。現在ならば、日本語でもいくらでも文献があるが、当時はその類いの書籍は限られていた。インターネットも発達していなかった当時、情報を得るのは大変な苦労があったのだ。海外旅行の時に、わざわざロンドンに行ってまで、中近東の民族伝承の本を探していた。ペルシア語の文献を当たらなかったのは読めないことがはっきりしていたからだ。私の英語力で専門書は読めないだろうと思ったので、ティーン向けの中近東の神話伝説に関する本を購入して持ち帰った。重かった。
英雄《白髪のザール》と、育て親である怪鳥スィームルグの伝説、ザールの息子であるロスタムの英雄伝などに心躍らせていた一方、ゾロアスター教とインド神話の関係にもひどく興味を覚えた。
ともに古代アーリア人の系譜をもつ2つの神話の世界では、善と悪の神が入れ替わっているのだ。ペルシア神話の善神《アフラ》はインド神話では《アスラ》(阿修羅)になる。一方で悪神《ダエーワ》は、インド神話では善神《デーヴァ》となる。
この関係は、日本神話でいうと天つ神と国つ神の関係に近いのかもしれない。天孫降臨をしてきたという触れ込みで「この地域の支配権はもらうから」と宣言してきた天つ神に、1度は抵抗したものの結局国を譲ったとされる国つ神。これらは、おそらく2つのことなる政治勢力間で起こった争いの記憶であろうというのが、一般的な見方だ。
おそらく古代アーリアでも、同じようなことがあり、それが宗教の中に善神悪神という形で残っているのだろう。
古代ペルシアには、ゾロアスター教の主神である《アフラ・マズダー》、それ以前から広く信仰されていた《ミトラ》、豊穣の女神《イシュタル》、時間の神《ズルワーン》など深く信仰を集めた神々がいたが、インドで悪神と見なされただけでなく、ユダヤ教やキリスト教、そしてその流れをくむイスラム教でも異教として目の敵とされることとなる。
たとえば《ズルワーン》は、ヨーロッパでは息子を食らうサトゥルヌス神になり、女神《イシュタル》は、「バビロンの大淫婦」とまでいわれるようになる。しかし、民間レベルで広がっていた信仰は、簡単に撲滅することはできず、ミトラ神の祭日で大きく祝われていた冬至は「イエス・キリストの誕生日」という名目で最大の祝祭になり、サトゥルヌス神の12月の祝日の風習であった贈り物の習慣はサンタ・クロースという形で残っている。女性神への信仰が固く禁止されたキリスト教では、母なる豊穣神への深い信仰は、聖母マリアへの帰依と形を変えて現在まで続いている。
もちろん現代ヨーロッパでは、誰がどんな対象に精神的な支えを求めようと、大して問題になることはない。だが、それはつい数十年前まではあたりまえのことではなかった。私がもっとも精神的に影響を受けた作家ヘルマン・ヘッセは、この葛藤について生涯を通して書き綴った。中でも私が一番強く感銘を受けた作品は、『デミアン』である。この中で主人公シンクレールが、キリスト教では異教的とされた特別な精神世界を持つための大きな契機として登場する神の名が《アプラクサス》だ。
この神は、ミトラ教にまで遡る古い名前を持ち、グノーシス主義で大きな役割を持ち、『デミアン』では「神であり悪魔であり、明るい世界と暗い世界を内に蔵している(ヘルマン・ヘッセ『デミアン』高橋健二訳 新潮文庫)」と記述されている。作品中では、卵の殻を破り生まれ出でる鳥の姿として幾度も登場する。道徳と因習に縛られた「普通で正しい」とされる世界からはみ出て苦しんでいたシンクレールにとって、それに縛られずに立つ青年デミアンを彷彿とさせる存在だったのではないか。
この小説で語られる精神世界のあり方、そして、このエッセイでいく度か語っている『般若心経』の教えは、ほぼ同じものを指していて、この2つにほぼ同時期に出会った私は、シンクレールと同様に新しい世界のとらえ方をするようになった。《アプラクサス》、または《アブラクサス》は、オリエント由来の神だが、若い日に夢中になったオリエント神話にこうして戻ってきたことに思い至ったとき、不思議な因縁を感じた。
さて、話は『ルバイヤート』にもどる。イスラムの世界でも目の敵にされていた、オリエント由来の思想や風物に、人々は禁止されてもやはり立ち戻っていったことがこの詩から読み取ることができる。ウマル・ハイヤーム1人が酒を愛し、女と音楽を愛で、宗教や道徳上の締め付けに異議を唱えていたのだとは到底考えられない。もしそうだとしたら、これほどたくさんの普通名詞や固有名詞が人々に理解可能な形で残るはずはないからだ。つまり、大っぴらには言えないけれど、ムスリムでもワインを飲んで、それでも自分はうるさい坊さんよりもいいヤツだと思っていた人は、そこそこいたということだろう。
私自身は、例えば酒に酔ってホストクラブ通いをしたいとは思っていない。もちろん、それを望む人がすることにはなんの異議もないが、私自身にとって、それはやりたいことではない。けれども、長いあいだ「こんなことを考えていいのだろうか」と葛藤していたことからの解放という意味では、ウマル・ハイヤームの訴えに同調できる。物心ついたときから一神教の教えで育った私が、「どの宗教を信じていても善いことは善い」と確信を持つには、ある種の勇氣が必要だったのだ。
私は、いまでも宗教そのものに異議があるわけではない。無神論者とはそこが徹底的に違う。ただ、誰かの書いた一字一句に縛られて、もっと大切なものを見失いたくなかった。「豚肉を食べることはしないが、異教徒は殺す」のが、「チャーシューは好きだし、外国に友だちがたくさんいる」ことよりも素晴らしいこととは思えない。それを迷わずに口にすることができるようになるには、ずいぶんと時間が必要だった。もちろん、日本人にそれを言うのは簡単だ。まず誰ひとり反論しないだろう。けれども、世界には、それを口にすることに勇氣を伴う場所もあるのだ。
それを口に出し、権威に寄りかからずに生きることを決めるとき、社会からの非難も身に受ける覚悟が必要だ。その殻を破り生まれ変わる《アプラクサス》のように。20世紀前半のキリスト教社会を生きたヘッセが『デミアン』で描いた物語は、私の心を大きく揺さぶり、それからの生き方の指針となった。
どの宗教を信じ、どの位階にいるからより天国に近いわけではない。人間が作り出した威光を必要以上にありがたがる必要はない。同様に、自分自身についても慢心をしてはならない。洗礼などの儀式を経たからといって、天国への切符を発行してもらったわけではなく、日々の行いの免罪符になるわけでもないと。
殻を破り、外に出た雛は、もうその殻に守ってもらうことはできない。自由は、同時に、保護を手放すことだ。私は、これまでにいくつの殻を失ってきたことだろう。そして、これからも、いくつもの心地よく、権威に守られた楽な居場所を失うことだろう。『ルバイヤート』を書きながら、ウマル・ハイヤームも同じことを考えたかもしれない。彼はこう高らかに歌った。
あしたこの古びた修道院を出て行ったら、
七千年前の旅人と道伴れになろう
(オマル・ハイヤーム 『ルバイヤート』 小川亮作訳 青空文庫 より)
(初出:2020年9月 書き下ろし)
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ポケ森で『黄金の枷』レイアウト

数ヶ月くらい前から、ほんの暇つぶしに「どうぶつの森 ポケットキャンプ(ポケ森)」を始めたのです。はじめは普通に遊んでいただけなんですけれど……。
ここしばらく、ハロウィーン系の家具などがいろいろと出てきていて、それを眺めていたら「ううむ。なんか『ドラガォンの館』っぽくない?」と思ってしまったんですよ。で、思ってしまったら止まらない。
ついうっかり、「23の居住区を再現できないかしら?」と頑張ってしまったというわけです。
一応、基本は無課金で遊んでいますし、それに新参者なので持っていない家具なども多いんですけれど、それでも、新しい壁や床などを何とか入手したら、できることがいっぱいあるじゃないですか!
たとえば、最初の画像は、地階、23の靴工房レイアウト。ギターラなんて無理なので琵琶を配置しています。新しく入手した床は、ちょっぴりアズレージョ風でお氣に入り。向こうに見えているのは洗濯物を入れる籠。

別の角度から見ると、靴を縫うためのミシンや、ノートパソコン(設定ではMacBook Air)それに23とマイアがコーヒーをよく飲んでいたテーブルなどを配置しました。
こちらは23のお庭レイアウト。中庭になっていて出られない設定です。植物がたくさんある設定だけれど、これじゃあ狭すぎるなあ。お墓みたいなのを配置したのは「Et in Arcadia Ego」のプレートの代わりです。本当は足下にあるって記述でしたけれど。

2階は、鉄格子を表現するために、檻のついたてを4つ作りました。おいてある家具は立派だけれど、檻の中であるというギャップが出したかったです。

そして、階段を上がったところが、3階の寝室。これでも狭い〜。暖炉はベッドの後ろにしたかったのだけれど、スペースの問題であの位置にしました。それから見えていないのですけれど、百合の向かいに配置したライティングビューローは、ベッドに近すぎるけれど、原作と同じ場所に置けたので自己満足。
そして、この階の壁がハロウィーン用の「ホラーなおしろのかべ エメラルド」っていうのですが、これを一目見て「23の居住区つくる!」と決心したきっかけです。おかげでリーフチケットがなくなる、なくなる……。

そして、百合のある側に本当は作り付けのクローゼットと、広いバスルームもある設定です。バスルームもいずれレイアウトしたいけれど、今のところまだ大きな浴槽をゲットできそうにもないんですよね。
本当に何をやっているんだろう、まったく。完全な自己満足ですが、かなり楽しいです。
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【小説】辛の崎
今日の小説は、ダメ子さんのリクエストにお応えして書きました。
リクエスト内容
テーマ: 成長
私のオリキャラ、もしくは作品世界: 高橋瑠水
コラボ希望キャラクター: ダメ子さんのオリキャラ
時代: 現代
使わなくてはならないキーワード、小物など: 大人の女性
ダメ子さんのところからは、定番でダメ家3姉妹をお借りしました。特に、今回はダメ奈お姉さまに女子大生らしい知識を披露していただくことにしました。
さて、リクエスト内容から考えると、たぶんちょっと違ったイメージの作品を期待なさっていらっしゃるんじゃないかと思うんですよね。でも、あえてこんな感じにしてみました。それと、今回は大阪から離れてみました(笑)
【参考】
![]() | このブログではじめからまとめて読む あらすじと登場人物 |
樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero・外伝
辛の崎
澄んだ深い青だった。どこまでも続く日本海は息を呑むほど美しい。
「こんな見晴らしのいいところがあったのね」
瑠水は、真樹を振り返った。
「登った甲斐があっただろう?」
彼は、笑いかけた。
駐車場にYAMAHAを停めて、10分ほど登ったところに石見大崎鼻灯台はあった。坂道や階段が続いたので、瑠水は少し息切れしている。真樹は2人分のヘルメットとバイクスーツの上着を持って来たにもかかわらず、息が上がった様子もないので、瑠水は少しだけ悔しかった。
瑠水は、真樹とタンデムで出かけるようになってから、いろいろなところに連れて行ってもらっている。かつては、住む奥出雲樋水村と、出雲にある高校をバスで往復するだけだった。道草をしているときにたまたま知り合った生馬真樹は、誰もいないところでクラシック音楽鑑賞をする瑠水の周りにはいなかったタイプの友だちだ。バイクに乗せてもらい、クラシック音楽を聴くのが大好きになった瑠水は、よく週末に一緒に出かけるようになった。
「次はどこへ行くの?」
先々週、瑠水はまた連れて行ってもらえると期待して訊いた。すると彼は、少し困ったように答えた。
「少し遠くへ行こうと思っているんだ。お前も来たいなら、ご両親の許可がいるな」
「泊まり?」
彼はギョッとした顔をしてから言った。
「まさか! 100キロちょっとだから、日帰りだよ。でも、朝はいつもより早く迎えに来るよ」
暗くなる前に帰ってくる約束をして、瑠水は今日のドライブについてくることができた。江津市に足を踏み入れるのは初めてだった。
「すみませ〜ん」
後ろからの声に振り向くと、3人の女性たちが登ってきていた。
「灯台、今日登れますか?」
「いや。灯台の中は、灯台記念日にしか公開しないから」
真樹が答えると、どうやら都会からわざわざやって来た3人はがっかりしたようだった。
「もう、リサーチ不足だよ。ここまで来たのに」
3人は姉妹のようだ。顔がとてもよく似ている。一番年上に見える女性が言った。
「でも、灯台に登らなくても、ここからの眺めもなかなかだよ」
灯台の足下のテラスからは、絶景が広がっている。真樹と瑠水は、3人が景色を堪能できるように少し脇にのいた。3人は礼を言って景色を見ながら写真を撮った。
「ここ、バイカーには有名なの?」
瑠水は、真樹に訊いた。
「どうだろうな。ものすごく有名ってわけではないかもしれないな」
「こんなに絶景なのに? じゃあ、どうやって知ったの?」
彼は笑った。
「去年の12月に、その先の
「こんな遠くにお詣りにきたの?」
「そうだね。歳によって違うけれど、ときどき高津柿本神社にも行くよ」
全国に存在する柿本人麿命を祀る柿本神社の本社とされる高津柿本神社は、ここよりさらに100キロほど西に行った益田市にある。
「わざわざ柿本神社にお詣りするのね」
「うん。人丸さんには火防の御利益もあるから、ときどき仲間でお詣りするんだ」
真樹は消防士だ。
「防火の神様なの?」
「うん。『
「柿本人麻呂って、益田市にいたの? それともここ?」
瑠水は、そもそもいつの人だったかしら、などと考えながら訊いた。
「さあ。俺はあまり古典には詳しくないからな」
すると、先ほどから2人の会話が氣になっていた風情の、3人姉妹の次女と思われる女性が、ためらいがちにこちらを見た。
「えっと……石見の国府があったのは浜田市だそうです。7世紀のことだから、はっきりとわかっているわけではないんですが」
「お姉ちゃん! 知っているの!」
瑠水と同い年くらいのおかっぱの女性が小さな声で言った。
「ええ。大学の古典の授業で、わりと最近、柿本人麻呂についてやったんだもの。それで、ここに来てみたくなって……」
「そうなんですか」
「さっきお話に出ていた都野津柿本神社は、人麻呂と奥さんの
「辛の崎?」
首を傾げる瑠水に、真樹は笑った。島根県人なのに、都会の女子大生に何もかも教えてもらっているのがおかしかった。
高官としてその名が史書に残っていない柿本人麻呂は、政治犯として死罪になったのではないかという説もある謎の人物である。しかし、史書に名前はなくとも、その歌が後世に与えた影響は無視できず、歌聖と呼ばれ『万葉集』には、80首も採用されている。後には、正一位が贈位され「歌の神」となった。
その人麻呂が残した多くの万葉歌の中で、ひときわ叙情的で格調高い石見相聞歌は、石見の地で最後の妻になったといわれる
「駐車場に歌碑があっただろう? あれは、ここがその辛の崎だという説を発表した万葉学者の
角障經 石見之海乃 言佐敝久 辛乃埼有 伊久里尓曽
つのさはふ 石見の海の 言さへく 辛の崎なる 海石にぞ
深海松生流 荒礒尓曽 玉藻者生流
深海松生ふる 荒磯にぞ 玉藻は生ふる
(石見の海の辛の崎にある海の岩には、海草が生い茂り、荒磯にも藻が生い茂っている)
「そうなの。ってことは、柿本人麻呂とその奥さんも、この光景を見たかもしれないわね」
3人の女性たちが、礼儀正しくあいさつをして去って行った後、瑠水は、もう1度テラスの先に進み、柿本人麻呂が見たと思われる光景を堪能した。
「屋上山こと宝神山。高角山こと鳥の星山。そして、角の浦に、角の里」
柵にかけられた案内板と実際の光景を見比べていブツブツ言っている様子を、真樹は楽しそうに見守った。
「ああ、本当にきれいね。あんな遠くまで真っ青な海が続いているのね」
「そうだな。あの時代には、旅をするのは大変だったろうし、その度に今生の別れかもしれないって思ったんだろうね」
「え。そういう歌なの?」
「そうだよ。上京するときに、奥さんとの別れを惜しんだ歌、それに、逢えずに亡くなった人麻呂を思う彼女の歌も『万葉集』にはおさめられているんだってさ」
「そうなの。昔は、大変だったのね。100キロくらい、バイクで簡単に日帰りできる時代に生まれてよかったわね」
そう言って無邪氣に笑う瑠水に、真樹は本当にその通りだと思って頷いた。
また灯台までの坂道を登るのは、思いのほか骨が折れた。あの日はなんともなかった10分程度の登り坂を、真樹は30分ほどかけた。事故で上手く動かなくなった左足を引きずりながら歩いたせいでもあるが、おそらくそれだけではなかった。あの日の眩しい思い出を噛みしめていたからだろう。
いい陽氣で、空は高い。海は凪ぎ、優しい風が吹いている。
あの日、俺は瑠水といつまでも側に居ると、心のどこかで思っていた。成長するのは瑠水で、自分はそれを待っているだけだと思っていた。たとえ日常生活で、いくらかの物理的な距離が間に置かれても、愛車 XT500で飛ばせば、簡単にその距離を縮めることができると思っていた。
彼は、もう消防士ではなく、「火止まる」御利益を求めて柿本神社にお詣りすることはなくなった。そして、瑠水は遠い東京にいる。遠出をするのに親の許可が必要だった高校生ではなく、自立した大人の女性としてひとり立ち、自身の人生を進めていることだろう。
事故が起きたとき、彼の人生は終わったと思った。瑠水が彼を拒否して東京に去ったショックが、事故を引き起こした不注意の要因だったことは否めない。だが、それで彼女の人生を縛り付けることはしたくなかった。だから、彼は瑠水にはなにも知らせなかった。
そして、本当にそれっきりになってしまった。彼女にとっては、もう終わったことなのだろう。たぶん、俺にとっても……。なのに、まだ忘れられないとは不甲斐なさ過ぎる。あの3年間に捕らえられ、失ったものを思い続ける、成長しないのは自分の方だったらしい。そう思いつつも、ここに来て思い出すのは、やはりあの日のことだ。
直 の逢ひは逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲はむ(万2-225)
(直接お逢いすることはかなわないでしょう。せめて石川のあたりに雲が立ち渡っておくれ。それを見ながらあの人を偲びましょう)
都に着いていくことのできなかった依羅娘子が人麻呂を想い嘆く歌を読んだとき、人麻呂とは違い自分には逢いに行ってやる手段も氣概もあると思っていた。まさか、自分の方が、遠く東京にいる瑠水を想い、その山が退けば彼女のいる地を望めるのではないかと願うとは考えもしなかった。しかも、相聞歌にもなりはしない、ただの未練だ。
時代や科学技術だけでは、越えられないものがある。それは、万葉の時代も今も同じなのだ。そして、人の心もまた、千年ほどでは簡単には変わらない。
柿本人麻呂の詠んだ石見の海を眺めながら、彼は間もなくやってくるまたしても1人の冬を思い立ち尽くした。
この道の
八十隈 ごとに 万 たび かへり見すれど いや 遠 に 里は 離 りぬ いや高に 山も越え来ぬ 夏草の 思ひ 萎 えて 偲ふらむ 妹が 門 見む なびけこの山(「万葉集」巻2 131 より)
この道の曲がり角、曲がり角ごとに幾度も振り返って見るけれど、いよいよ遠く、妻のいる里は離れてしまった。 いよいよ高く、山も越えて来てしまった。 妻は今頃は夏草が日差しを受けて萎(しお)れるように思い嘆いて、私を慕っているだろう。 その妻のいる家の門を遥かに見たい、なびき去れ、この山よ。
(初出:2020年10月 書き下ろし)
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バターとチョコと

もうこのブログでは、何度も話していることですけれど、わたしはバターが大好きです。それにチョコも大好きです。
なので、切らさないようにしているのですけれど、おそらく、一般的なスイス家庭と少し違うところがあります。日本だと、普段買うバターは有塩で、お菓子作りのためにわざわざ買ってくる方が無塩、というご家庭の方が多いと思うんですよ。
でも、スイスでは、バターといったら基本は無塩なのですね。で、パンにつけるときも、料理でも無塩のものを使うのです。そもそも酪農国スイスでは、冷蔵庫のなかった時代であっても、バターはできたての新鮮なものをひんやりとした地下室で保管することが可能だったので、有塩にする必要がなかったようです。
連れ合いは、3年間アフリカ横断をした経験があり、南アフリカに多くの知り合い友人がいてその生活に馴染んでいるので、あちらではごく普通だった有塩バターの味を知っていて好んでいます。そう、植民地時代のアフリカなどでは、バターは有塩でないととてもちゃんと保存できなかったようです。イギリス式(トーストとバターなど)のパン食が先に普及した日本は、たぶんこの経緯でイギリスで一般的という有塩バター派になったのかもしれませんね。
さて、日本育ちの私は、やはりどちらかというと有塩バターでパンを食べたいのです。たとえジャムやチョコと一緒でも。あ、ホテルなどで無塩バターしかついてこないときは、普通に無塩で食べますよ。
で、普通のパン(スイスのパン屋のパンはとてもおいしい)の他に、トーストパンを購入しておき、時おりトーストに有塩バターをたっぷりつけて食べたくなるのです。ジャム類は基本的に私が自分で作ったものですが、それ以外に板チョコを挟んでお手軽パン・オ・ショコラを作ることがあります。
フランス語圏と違って、いわゆるクロワッサン生地のパン・オ・ショコラは、この辺りだと見つけるのが難しいのです。あっても板チョコじゃなくて、ガナッシュ・クリームが入っているタイプのもので、私は甘みの少ない板チョコをパンと食べたいんですよ。
なので、見た目は全然違いますが、大好きな有塩バターを染みこませたトーストに板チョコを挟んで食べています。
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【小説】Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』-3-
第1作『Infante 323 黄金の枷 』の「(20)船旅」で、妹のマリア視点で語られているように、充分に回復したライサは家に戻り、3か月の世界旅行に招待されました。今回の後半部分は、その船旅が終わってすでにPの街に戻ってきてからです。
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Filigrana 金細工の心(5)『グラン・パルティータ』 -3-
その苦悩を、今の彼は感じさせなかった。自嘲的に口の端をゆがめただけで、得ることのできない喝采も、演奏することのできなかった曲への執着をも手放し、録音されたものを観客として聴くことを受け入れていた。
特に『グラン・パルティータ』は、彼のお氣に入りらしく、日を改めて何度もかけていた。第3曲のアダージオを聴くときに、決まって瞼を閉じてアームチェアの背にもたれかかった。その口元に優しい微笑が浮かび上がっている。ああ、本当にこの曲がお好きなんだわ……。ライサは、その彼の様子をじっと眺めた。
レースカーテンがそよ風に揺れている。優しい木漏れ陽がアダージオに合わせたかのように、サロンに入ってきた。世界にはほかに誰もいない、2人だけでいるかのように感じた。つらいことも、苦しみも、境遇の差も、そして、過去も未来も何もない、平和で美しい時間が流れていた。
永遠に思われた悪夢の時間を経験したからこそ、ライサにとってその至福は、なにものにも代えがたかった。愛されていると思いこみ有頂天になったかつてのライサは、相手が何を愛しどんな時間を好むかなど考えたこともなかった。相手を見つめて物言わずに座っているだけの、泣きたくなるような愛しい時間が、どれほど心を温かくするのか、ライサは生まれて初めて知った。
ライサは、暗闇の中で窓からわずかに差し込む月光を眺めていた。彼女が目覚めてもピアノの音が響くことはもうない。サロンで、彼とドンナ・アントニアの息の合った演奏に耳を傾けることも、彼と2人でともにCDを聴くこともなかった。『ボアヴィスタ通りの館』で繰り返される、使用人たちにまるで貴婦人のように扱われた生活も、もう夢のように遠かった。
生まれてからずっと彼女を縛り続けていた黄金の腕輪が外され、『ドラガォンの館』に勤める前まで住んでいた家に送り届けられた。《星のある子供たち》の存在も知らない、養父母とその娘マリアの住む家に。過去にあったすべてのことを口にしない新しい誓約だけが、彼女を苦しめたすべてとの訣別を約束し、かつ、わずかな名残そのものでもあった。
ドラガォンからペドロ・ソアレスがやって来て、ドン・アルフォンソの決定を伝えたあの日、彼女はそれが何を意味するのかよく把握していなかった。養父母やマリアと再び会えるとは考えていなかったので、とても驚くと同時に嬉しかった。『ドラガォンの館』で起こったことに対する、当主ドン・アルフォンソの謝罪やそれに伴う特別措置についても、人ごとのように聞いていた。
やがて、自分はいつまでもここにはいられないのだということに思い至った。セニョール322や、ドンナ・アントニアと違い、自分にはここで召使いに傅かれるべき理由は何もなく、充分に回復したなら出ていかなくてはならないのだと、いや、本来の職務、つまり『ドラガォンの館』の召使いとして雇われた本分を果たさねばならなかったのかと。
「本来ならば生涯外されることのない星2つの腕輪を、ドン・アルフォンソは例外として外されることを決定しました。これにより、ドラガォンとの雇用契約はもちろん、《星のある子供たち》としてのすべての制限からもあなたは自由になります。ただし、沈黙の誓約だけは生涯にわたり厳守いただきます」
ライサは、戸惑いながら頷いた。目の前に座るペドロ・ソアレスもまた男性であり、近くにいるだけで強い緊張ををもたらした。話を1秒でも早く終えてほしかった。養父母の家に戻る日程も、それからのことも、まるでエコーがかかったかのように遠くで響き、自分自身の人生に大きな変化が訪れていることをうまく認識できなかった。
車に乗せられるときの優しいアントニアの抱擁も、シンチアとルシア、それにディニス・モラエスが遠くから微笑みながら別れを告げてくれた姿も記憶に残っているのに、セニョール322との別れのあいさつが思い出せない。
開け放たれた窓から、白いレースカーテンが揺れて見えた。ヴァイオリンの音色が遠く響いた。ライサは、彼が窓辺に立ってくれることを強く望み、車窓からわずかに身を乗り出した。
車は静かに走り出し、門が閉められた。『ボアヴィスタ通りの館』の水色の外壁が遠くなり、やがて視界から消えた。風が最後まで届けていてくれたヴァイオリンの音色も、やがて途切れた。
養父母の家に車が乗り付けられ、妹のマリアが飛び出してきて抱きついたときも、ライサの心はまだこちら側の世界に戻ってきていなかった。朝の目覚めでピアノの響きを求め、午後のひとときや夕べの憩いにここにいるはずのない人びととの語らいを求めていた。
それから半年近く経っても、彼女の心はまだどこかにたゆたっている。左手首の違和感はまだ消えない。もう存在しない黄金の腕輪のあった場所が、忘れ物を思い出させようとするかのように、主張している。目が覚める度に、聞こえるはずのないピアノに耳を傾け続けている。
ライサは、月の光が戯れる窓辺を眺め、腕を交差して自らを抱きしめてベッドに座っていた。
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もう10月

氣がつくと今年ももう3/4が終わってしまいましたね。
123456Hitの最終作品もまだ書けていない体たらくなのですけれど、すでに来年のことを考えなくてはいけない時期ではありませんか。
実をいうと、リアルの方がかなりやることが多くて、なかなか創作に熱中できない状態です。ブログを開設してから今年ほど上の空な歳はなかったように思います。現在もまだ同じ状態が続いていて、先が見えていないのでご報告はもう少しはっきりしてからにしたいと思います。来年くらいかなあ。まあ、健康にのんきにやっておりますので、ご心配なく、とだけ言っておきますね。
といいつつも、実は現在連載中の『Filigrana 金細工の心』実は見切り発車です。つまり完成していない状態で発表しています。もちろん主要シーンはすべて終わっているんですけれど、かなり空いているところがあるんですよ。ちゃんと書かないと完全な自転車操業になってしまう……。
もっとも、これが終わったら、のこりの「書く書く詐欺」は『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』と『大道芸人たち Artistas callejeros』の第2部だけなので、頑張ろうと思います。一体、何年かけているんでしょうねぇ……。これからは、もう少し慎重に物を言うようにしなきゃ……。
そういうわけで、みなさま、芸術、読書、スポーツ、食欲の秋などをそれぞれにお楽しみくださいませ。
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