冬がきた

いつも同じことばっかり言っているようですが、今年はいつにも増して1年が早かったように思います。もう待降節ですよ! クリスマスまであと4週間、そして、今年も終わりです。
今年は、家の近くにいることが多かったので、ほぼ毎日、散歩をしていました。大体30分くらい歩くのですけれど、季節の移り変わり、温度の移ろい、どんな草花が育ち、草地が景色を変え、日の出や日の入りの時間がどう変わっていくかをいつもに増して肌で感じていました。
そして、認めたくなかったけれど、秋もまた終わり、いまは冬です。毎朝、霜が降りて、氷点下になりつつあります。光が弱くなっていく、どこか悲しい色合いの夕暮れ。冬至になり、太陽が生まれ変わるのを祝った古代の人々の想いを「そうだろうなあ」と納得する、そんな季節です。
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【小説】Filigrana 金細工の心(8)扉
このブログで発表している他の小説(例えば『大道芸人たち Artistas callejeros』など)でも、時おり語られますが、ヨーロッパのお菓子は、大きくて異様に甘いものが多いです。その中では、ポルトガルのお菓子は、大きさも甘さもわりと私好みのものが多いのですけれど、たまに「うわ。またこんなのに当たってしまった」というくらい激甘ものもあります。ただ、「蓼食う虫も好き好き」で歯がきしむほど甘いのが好きな人もいますから。
さて、以前ライサ視点の記述で、22が甘党であることがぼんやりと示されていましたが、ここでついにはっきりと出てきます。めっちゃ甘党。でも、素直ではないんです、この人。
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Filigrana 金細工の心(8)扉
レイテ・クレームが彼の前に置かれた。濃厚なカスタードクリームの上をパリッとカラメル化した砂糖で覆ったこのデザートを彼は好んだ。
目の前のアントニアが微笑むと、彼は「そんなに喜んでいるわけではない」という顔をわざと作った。
アントニアが共に暮らしだすまで、代々の料理人たちは、彼の嗜好がわからなくて氣を揉んだものだ。彼は、食事に文句を付けるようなことは1度もなかった。実のところ、そんなことが許されていると思ったこともなかったのだ。
20歳の時から、20年近く彼は1人で食事をしてきた。『ドラガォンの館』で格子の向こうに閉じこめられていた頃、そこから出られるのは、食堂で家族と共にする正餐の時だけだったが、あの日から彼はその場に同席するのを拒み通した。……カルルシュがマヌエラに宣告し、彼の幸福の蕾をむしり取ってしまったあの日。絶望に嘆いていたはずの、彼と人生を共にすると誓った女が、あっさり抵抗をやめてカルルシュの愛を受け入れてしまったあの日から。当主としての務めとはいえ、その全てを当然のごとく許した実父への失望と恨みが彼を蝕んだのもあの日からだった。
カルルシュとマヌエラ、そして当主として父親が上品に食事をする場になど、何があろうとも同席したくなかった。彼の椅子の空虚さが、彼の抗議の証だった。だが、彼がその場に現れずとも、ドラガォンは何1つ滞りなく動いた。
正餐には、やがてカルルシュとマヌエラの子供たちが加わるようになり、召使いたちもその場に彼がいないことに慣れてしまった。口に出さぬ彼の怒りと憤りが、絶望と憎しみに変わり、ただ時が流れた。
毎回、召使いたちに呼ばれ出て行かずにいると、しばらくしてから召使いたちがやってきて、居住区の中にテーブルを整えた。彼はその召使いたちが持ってきた食事を食べた。1人で。
機械的に「ありがとう」とは言ったが、味を好んだかどうかは1度も伝えたことがなかった。子供の頃も、厳格な父親に躾けられて、出されたものを残さないように、よけいな口はきかず静かに食べるようにしていたので、それが当然になっていた。
『ボアヴィスタ通りの館』に遷ってからも、室内ではなく食堂で食べるようになったこと以外は何も変わらなかった。アントニアが食卓に同席するようになってからも、彼女が使用人たちと料理について話すのを他人ごとのように聞いているだけだった。
だが、アントニアと暮らすようになってから数ヶ月経った頃、料理人のドロレス・トラードが失敗を繰り返したことがあった。後から聞けば彼女は人間関係で悩みを抱えていたらしいのだが、塩や砂糖の量を間違えた料理が週に何度も出された。
その日、アントニアはレイテ・クレームをひと匙だけ口に入れると、給仕をしていた召使いに下げるように言った。
「さっきの鴨肉のソースが塩辛すぎたのは野菜で中和できたけれど、これは我慢できないわ」
砂糖が通常の倍は入っている。こんな甘いものを食べられるわけないじゃない。彼女の表情が語っている。
召使いが恐縮して、彼が食べている器をも下げようとした。彼は、思わず皿を引いて、持っていかれないように器を守った。
「叔父さま。無理して召し上がる必要はないのよ。こんな甘いものを」
アントニアが言った。
その時に、彼は初めて意識したのだ。彼はいつものレイテ・クレームよりもこの極甘味の方が好きであることを。
「私は、これでいい」
召使いとアントニアは顔を見合わせた。それから、彼女が恐る恐る訊いた。
「叔父さま、その味がお好きなの?」
彼は、答えなかった。子供の頃、彼は食事について好みを口にすることを許されなかった。自分好みの味にわざわざ調理してくれることがあるなど、考えたこともなかった。自分の運命を呪い、食堂へ出て行かなくなってから、運ばれる食事は命を長らえるために供給される餌のような存在になった。彼は食事に喜びも怒りも何も感じなかった。そのことに、誰かが関心を持つとも思えなかった。
だが、いま口にしているクリームを取り下げられるのは残念だった。甘くて濃厚な味。
そのわずかな意思表示は、アントニアと使用人達に初めての希望の光を灯したらしかった。一切問題は起こさない代わりに、決して心を開かないインファンテ。何をすることで彼を喜ばせていいのか途方に暮れていた彼らは、ようやく彼の表情を変えさせることができたのだ。
アントニアは、それから彼を喜ばせるために様々な菓子を買ってくるようになった。そして、彼はその誘惑に抵抗できなかった。こんなことで飼い慣らされてたまるかと思いながらも、手に取ってしまう。彼女は菓子に合うコーヒーや茶、それにヴィーニョ・ド・ポルトを絶妙に選んで微笑んだ。
彼女は直に、虚勢を張っている彼のわずかな喜びの表情を、正確に見分けられるようになってしまった。そして、菓子だけではなく、食事で何を彼が好むのか、身につける物で何を心地よいと思っているのかを、彼に代わって館の使用人達に告げる役割を果たすようになった。
それだけではなかった。ずっと1人で奏でるしかなかった彼の慰め、音楽においても彼女はますます彼の期待していなかった位置にたどり着きあった。
「お前がまともに弾ける日など来ない」
12年前に彼女のレッスンに苛立って冷たく言い放った彼自身の言葉を、彼が撤回しなくてはならないと思いだしてどのくらい経ったであろう。彼は、未だに謝罪と賞賛の言葉を口にしていなかった。「悪くない」程度の言葉を口にするのが精一杯だ。だが、彼女はその言葉に満足して微笑む。彼のヴァイオリンの伴奏をすることをこの上なく喜ぶ。
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アイシングの話

そういえば、おいしいバウムクーヘンとご無沙汰だなあと思ったのは、先日のこと。日本のバウムクーヘンはしっとりした生地が段違いに美味しいですよね。スイスのものではないので、たまに買えても、あのクオリティのものは夢見るだけ無駄。
でも、それだけじゃなくて、こちらで手に入る「お手軽なんちゃってバウムクーヘン」は外にかかっているのがチョコレートなんですよ。
私は、バウムクーヘンの存在価値の60%は、アイシング(白くて甘い外側のアレです)にあると思っていて、チョコは好きだけれど、「コレじゃない」と思ってしまうのです。
そういえば、この辺りではアイシングを見かけることが少なくて、たまにメチャクチャ食べたくなるのです。
それで、「なければ作れ」です。
アイシングは、そもそも水分に溶かした粉砂糖なので、材料は簡単に手に入ります。
アイシングの作り方にはいろいろとあるのですけれど、卵白を使うものは「卵黄が余る」「衛生に自信がない」などとの理由から却下して、粉砂糖と果汁だけで作ることにしました。具体的には、粉砂糖40gとレモン(またはミカンなど)果汁を大さじ1弱を混ぜるだけ。
これを買ってきたレモンパウンドケーキ(もちろん自分で作ってもいいんですけれど、面倒くさかったので……)にかけるだけ。ひと晩おくとアイシングは固まっています。

正直こんなに簡単なものだとは思っていなかったので、これまではやったことがなかったのですけれど、これなら好きな時に食べたいだけアイシングが食べられますね。
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【小説】Filigrana 金細工の心(7)薔薇色
いつもは大体2000字前後で切るんですが、うまく切れなかったのでこの章はそのままアップしました。
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Filigrana 金細工の心(7)薔薇色
彼は、外の光景をひと通り眺めてから窓辺を離れると、戸棚から段ボール箱を取り出した。中には、雄鶏の形をした小さな木製の板がぎっしりと入っていた。2階の陽のあたる角部屋を、彼は仕事部屋として使っていた。
仕事。それが厳密には義務でないことを彼はよく知っている。彼に納期を告げる者はいなかった。1日に、週に、またはひと月に、どれだけの作業をこなすべきかを指示するものもいなかった。現在『ドラガォンの館』に住むインファンテがそうしているように、手を付けないままに放置できることもわかっていた。
朝食の後に、定量の『バルセロスの雄鶏』を彩色するのは、35年近く欠かした事のない習慣だった。『バルセロスの雄鶏』は、カラフルに模様が塗られた雄鶏で、この国の最もポピュラーな土産物のひとつだ。大小様々の陶製の置物の他に、キーホールダー、マグネット、ワインのコルク栓の飾り、爪楊枝入れ、栓抜きなどにもなっている。この柄をモチーフにしたエプロンやテーブルセンター、布巾なども国中の土産物屋で売られている。
多くは安価で、買って帰る旅人たちは、これを誰が彩色しているかなど意にも介さない。外国で低賃金の人びとの手で彩色されているか、どこかの村で内職されているか、そんなところだろうとぼんやりと思っているだろう。そして実際にもそうなのだが、少なくともそのうちのわずかは、この街で最も裕福な人びとが住むボアヴィス通りの、とりわけ立派な館の2階で作られているのだった。
特に意味はないのだが、いつもの習慣で、本日の作業で作り上げようとする個数の未彩色の雄鶏を1つひとつ並べる。机の端から端まで、等間隔できっちりと。今日は木片だが、時にそれは陶器であることもある。だが、作家ものとなる大きい陶器の作業をすることはない。サインをすることも、「この職人のことを知りたい」と思わせるような作品を作ることも許されていないから。
どのような色を塗るかの指示はない。彼が作るもので一番多いのは、典型的な黒地のものだが、今日は薔薇色の絵の具を取り出してきた。赤いとさかと区別がつかなくなるほど濃い色にしてはならない。彼は慎重に白を混ぜて色を作っていった。黄色いくちばし、足元はセルリアンブルーにしてみようと思った。赤いハートの模様、囲む白い点線、『バルセロスの雄鶏』には多くのパターンはない。その中でも彼は、自分の好みの色で様々な商品を生み出すのが好きだった。模様の一つひとつを機械のように、誰も検品をしたりはしないと知っていても、完璧に塗っていく。
35年の月日は、正確な時間管理を可能にしていた。彼はいま予め並べた木片が『バルセロスの雄鶏』のキーホールダーとなるまでの時間を正確に予想する事ができた。午前中に全ての作業を終えると、着替えて昼食に向かうだろう。街から戻ってきたアントニアが、今日のニュースを告げてくれるに違いない。
手は休まずに作業を続けるが、彼の心は時にその場を離れて自由に泳いだ。今日は、数ヶ月前までは同じように職人としての仕事をしていた甥の1人に意識が向かった。その男、インファンテ323は、実際には彼の甥ではなかった。兄カルルシュは、正確には彼の従兄であったから、甥とされている23も、正確には
それはとても奇妙な事だった。この青年の弟インファンテ324の方がずっと彼自身に似ていて、23はむしろ彼が憎み続けたその父親によく似ていた。実際に、カルルシュの子供たちが幼かった頃は、23にひときわ厳しい視線を向けていた。だが、皮肉なもので、時とともに、3兄弟の中でこの青年がおそらく誰よりも彼の事を理解し、魂同士の共感を持つ事ができる存在だと感じるようになった。
「ギターラを習うって言っていたわ」
この館に勝手に足繁く通っていたティーンエイジャーの頃のアントニアが、23もまた音楽を奏でる同志になったと伝えた時に、彼は驚かなかった。むしろ今まで習いたいと言えなかったのかと驚いたくらいだ。
「あの子は、どこかあなたに似ているのかもしれないわね、叔父さま」
アントニアの言葉に、彼は皮肉っぽく笑ったが、どこかで彼女言葉は正しいのだと心が告げていた。
23は靴職人だった。
ある時、アントニアが1足の靴を持ってきた。彼の衣類や靴は、ふだん使用人が用意しておくので、新しいものが納品された時に意識する事はない。ましてやドラガォンの使用人がアントニアに預けて持ってこさせる事など考えられなかった。
「どうしたんだ」
アントニアは、満面の笑顔でその靴を彼の前に置き「叔父さま、ぜひ履いてみて」と言った。履いてみて驚いた。いつもの靴に較べて革が柔らかく、もう1ヶ月以上も履いている靴のようにぴったりとフィットした。これまで履いていた靴も、熟練した親方が彼の足型に合わせて丁寧に作っていたのだから、それ以上と即座に感じられる靴があるなど考えた事もなかった。
「ビエラさんの所に行って、あなたの足型を受け取ってきたの。そして、トレースに作ってもらったの。どう? 履き心地よくない?」
「23だって?」
その時に彼は、甥が仕事に関しても彼と同じ姿勢でいる事を知ったのだ。そして、彼には才能があった。
だが、彼は今、靴を作ることはほとんどないであろう。当主でもないアントニアが、あれだけの多く代わりを務めなくてはならないほど、ドラガォンの当主のこなすべき仕事は多い。亡くなった兄に代わって《ドン・アルフォンソ》となった青年には、靴を作る時間はほとんど残されていないはずだ。さらに言えば、ギターラを爪弾く時間はさらにないであろう。残念な事だ。彼は思った。
不思議だった。彼の心にある青年への嫉妬、痛みは彼が想像したほど大きくは育たなかった。もっと羨んでもおかしくないはずだ。同じインファンテとしてこの世に生を受けたにも関わらず、23は彼がどれほど望んでも手にする事ができず、これからもできないであろう全てを手に入れた。名前と、自身の意志で館の外に出る自由と、愛する女と。だが、その事実は、彼の心をさほど波立たせなかった。あれほど兄を憎んだのと同じ自分とは思えぬ程、彼の心は静かになっていた。
アントニア。彼は、心の中でつぶやいた。彼女がいなかったら、私は今でも悶え苦しんでいただろう。カルルシュへの憎しみと、マヌエラへの愛憎と、己の運命の厭わしさに。独りで音を奏でる事への怒りと、心を込めて仕事をしても報われないことの虚しさに焼かれていた事だろう。1人で食事をし、使用人たちに冷淡に接し、誰からも好かれない己のことを乾いた心で嘲笑っていただろう。
アントニア。お前が私の心を解放したのだ。だが、私はお前の望むものを与えてやる事ができない。
彼は薔薇色の木片を眺めながら、心の中で呟いた。そして、不意に、その色が昨日のアントニアの口紅の色であった事に思い当たった。新しく付けていたそれにいち早く氣づいていながら、彼女の期待している讃辞をわざとかけてやらなかったことが、彼の心をわずかに締め付けた。
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カツサンドのトリック

日本にお住まいの方には、あまり縁のない話かもしれませんが。
海外移住してから、日本では大して好きでもなかったものに、ぐーっとノスタルジアを感じてしまうことがあります。でも、「この食材がないから、無理だな」と日本に帰る日を指折り数えて我慢する羽目になることも。
ところが、ふとしたことから、さほど苦労せずに食べたかった味に再会することもあるのです。
たとえば、私はカツサンドが大好きなのですけれど、本場の大好きなカツサンドにありつくのはほとんど不可能。まず日本のように柔らかい豚ヒレ肉の入手が難しいし、あったとしてもそれをちゃんとしたカツにして、さらにサンドイッチにするという工程のどこかで、もっつたいなくて全部胃袋におさまってしまいますので、カツサンドとして食べることはないように思うのです。
とはいえ、ときどき普通のスイスの豚ヒレでカツをつくり、余ったらそれをカツ丼にしたりすることはあるので、次はカツサンドにしてみようかなと思っています。
で、先日は余り物のカツなんぞはなかったのですけれど、たまたま手作りファラフェル(ひよこ豆のコロッケみたいなもの)が余ったので、それをパンに挟んで食べることにしました。その時に、ふと思い立ってお好み焼きソースをかけてみたんですよ。そしたら、それがほぼ食べたかった味に近かったのですね。もちろん豚肉とは違うのですが、カツサンドで私がおいしいと思っている部分の大半って、もしかしてパンとコロッケの衣とソースなのでは……。
たぶん、ヒレ肉がおいしくても、ソースがウースターソースだったらさほどおいしくなかったのではないかと思います。日本人には、日本人の舌に慣れ親しんだソースがあるんだろうなと改めて思いました。
ちなみに、これはどこかで入手したオタフクのソース。他の調味料はそこらへんで買えるもので代用できますが、この手のソースだけはやはり市販品の味には勝てないなと思います。
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心の黎明をめぐるあれこれ(11)流転と成長と
第11曲は『Sukla-Krsne』使われている言語はサンスクリット語です。
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心の黎明をめぐるあれこれ
(11)流転と成長と related to 'Sukla-Krsne'
昔、道を歩いていたときに見知らぬ人に呼び止められて分厚い本を手渡された。レモンイエローの表紙のペーパーバックで、日本語の本なのに横書きだった。それはサンスクリットの聖典『バガヴァッド・ギーター 』で、クリシュナ意識国際協会という団体による翻訳本だったようだ。
その人は多くを語らなかったので、どんな意図で私にそれを渡してくれたのか、いまだにわからない。自分でほしくて入手したものでなく、本の体裁もいかにも新興宗教の勧誘っぽい怪しさに満ちていたせいで、私はその本をきちんと読むことはなく、どこかにやってしまった。ただ、その時に『バガヴァッド・ギーター』という言葉が脳に刻まれた。
もともと私はインド神話に興味がなかったわけではない。クリシュナ神という名前についても知っていたし、高校の世界史の授業で聞きかじったインド二大叙事詩の1つ『マハーバーラタ』についても、どちらかというともっと知りたいと思っていた。
韻文詩の形を取った『バガヴァッド・ギーター』が、『マハーバーラタ』の一部として収められていることを知ったのは、かなり後になってからである。簡単な内容を調べると「戦争に向かう王子が、親族・友人と戦うことに迷いを感じていると師であるクリシュナに相談すると、躊躇せずに義務(殺害)を遂行せよと諭される」と、書かれていて「なんて攻撃的な聖典だ」と、またしても興味を失ってしまった。
しかし、どうやらこのインドの聖典が伝えたいことは、たんなる古代インドの政局の話ではなく、宗教と哲学の話であるらしい。かのマハトマ・ガンジーも「悪徳と戦う高尚な精神の寓意である」と注釈をつけているとのことだ。
ともあれ、第11曲でクリストファー・ティンが選んだのは、『バガヴァッド・ギーター』の8章からの引用である。彼が用意した英訳は、調べてみるとかなりの意訳のようで、最初に読んだときには意味がわからなかった。それで、他の訳を求めてネットサーフィンを繰り返していたら、どうやら私がかつて手渡されたものと同じ、A・C・バクティヴェーダンタ・スワミ・プラブパーダによる翻訳の和訳『バガヴァッド・ギーター あるがままの詩』が公開されているサイトに行き着いてしまった。
クリシュナへの帰依に対する私の意見や、この団体がカルト教団であるかどうかはここでは置いておいて、少なくともこの翻訳は、他にも見つけた英訳同様に意図するところが明確でわかりやすかったので、歌われている8章の内容についてはクリストファー・ティンの載せた英訳よりもこちらを参考に筆を進めたい。
8章には、こんな内容が綴られている。「この世を去った者がたどる道は2通りある。明るい道と暗い道である。明るい道を行く者は至高の存在と一体化し2度と戻らないが、暗い道を行く者は再び転生する。適切な時期、真理を知ってこの世を去れば、戻ってこずに済むのだから、うろたえずに献身に励め」
さて、ここで語られている「転生」である。マンガやラノベ(ライトノベル)でおなじみの言葉だが、そもそもの東洋思想での概念は、似て非なるもののようだ。
古代インドにおける「転生」とは「サンサーラ(輪廻)」のことで、生まれ変わりを流転として捉える。生物は永遠にその
一方で、「リインカーネーション」と呼ばれる転生は、19世紀フランスで生まれ欧米に広まった考え方で、転生を繰り返すことで霊的な進化をもたらす、魂の成長物語のように肯定的な考え方だ。
実は、私はずっと古代インドの思想とニューエイジ系の思想を混同していた。つまり、「輪廻」と「リインカーネーション」を同じものだと思い、「輪廻」を魂の成長の過程だと思っていた。
それ以前でも日本では、神道的死生観と仏教的死生観が混在していたので、やはり古代インドの転生の考え方とは違うものが信じられていたようだ。祖霊集団からの生まれ変わりが信じられたり、仏教的な因果応報を説明する輪廻転生が説かれたりした。
子供時代に私が知った輪廻転生論は、日本独特の思想にフランス生まれのニューエイジ思想も混じった、漫画的な考え方だったらしい。私が最初に作品として描いたマンガも、じつは輪廻転生ものだった。タイムマシンで過去に行く主人公が行く度に自分の前世と出会ってしまうという、実にしょうもない作品である。しかし、十代のはじめの子供がショウワノートに描いていた作品だ。稚拙なのはしかたない。
その作品に出てきた主人公の前世は、顔が同じでなぜか名前の読みもことごとく同じという設定だったのだが、それ以外は何のつながりもなかった。つまり、その前世が何かをしでかした因果応報により現代の主人公が何らかの制約を受けているわけでもなければ、過去から何かを学んで魂が成長することもなかった。要するに、名前と顔だけが偶然同じ他人と言ってもいいキャラクターがたくさん出てくるだけの話だった。
今、私がその作品をリライトするとしたら、どのような『転生思想』を採用するだろうか。おそらくインドの思想は選ばないだろう。そもそも古代インドでは女性は転生せず、解脱するために『ヴェーダ』を学ぶことすら許されていなかった存在らしい。たとえ主人公を男性に変えても、六道を彷徨い苦しむ苦行としての輪廻を題材に書きたいかと問われると「それでなくてもいいかな」と思ってしまう。
ニューエイジ系の「リインカーネーション」ものなら、意味があるかもしれないと思う。ただし、本人の魂の修行を描くことに抵抗はないものの、何も前世と現世と両方を書くこともないかなと思ってしまうのだ。1度の生のみを描く物語よりも多くのことを語れるかというと、自信がない。
大人になってから転生を題材として書いた物語は1つだけで、それが『樋水龍神縁起』だ。かつての漫画作品とは異なり、こちらには過去と現在には大きな関わりがある設定だ。ただし、「リインカーネーション」ものとして書いたわけではない。つまり、前世と現世において魂が成長したかというと、ヒロインに限定すれば皆無で、主人公の方は若干の氣づきはあったかもしれないが、大して意味はない。(そもそも魂の成長の話ではなく縁と愛の物語として書いたものだ)
むしろ、この小説に関しては、同じ転生でも「サンサーラ(輪廻)」の方に近い書き方をしたと、分析している。少なくとも結末に関していえば、『バガヴァッド・ギーター』8章の教えに近いものになった。
何度か書いているように、『樋水龍神縁起』は私の『般若心経』の解釈を世界観に使った作品だ。仏教には古代インドの思想の影響があるから、概念に親和性があるのも当然だ。とはいえ、意図して寄せたわけではないので、9年も経ってから古代インドの思想との近さを発見し、感慨深い。
さて、小説のことはともかく、私の人生における『今生』はどんな意味を持っているだろうか。私自身には『前世の記憶』とやらは皆無なのでそもそも魂が存在して転生していくものなのかどうかを判断することはできない。もちろん、ラノベやマンガでよくある「過去に転生して、現代の知識をもとに大出世する」都合のいい「転生」はありえないとわかっている。さらにいうと、特定の性別や民族・階級に属する者だけが転生するというような社会的な意図を感じる思想を100%信じることもできない。
とはいえ、インドに限らず、世界の多くで個別に伝わる「生まれる前の記憶」の話を総合すると、「絶対にあり得ない」と断言することも難しいのではないかと思っている。だから、「(ないかもしれないけれど)あるかもしれない」という考え方をとって、とりあえず『今生』を生きている。
それは、「死んだらどうせおしまいなんだから、好き勝手しておこう」というような刹那的な生き方にブレーキをかけるけれど、一方で、『次の人生』のために『今生』を犠牲にする類いのものである必要もない。
私の『今生』は、『流転』に近い。それも過酷な運命に弄ばれてしかたなくこうなったわけではなく、自分の意思で浮き草のような人生を選び、ここにいる。名誉も実績も手にすることはできず、明日の身が保証されているわけでもないが、過去を悔やんでいるわけでもない。あちこちで見たこと、経験したこと、そして現在の自分に至るまで学んできたことは、どれも印象深く必要だったと感じている。「転生は流転であり苦行である」とする「サンサーラ(輪廻)」の概念がピンとこないのは、そのせいかもしれない。
永遠の光、全能の存在と一体化して肉体や時間に縛られなくなる解放は、おそらく素晴らしいのだろう。その時が来たら、私の魂もそれを実感するのかもしれない。(まずあり得ないと思うが)その歓喜の瞬間はすぐそこまで来ているかもしれない。だが、それまでは、私は「リインカーネーション」説の方をとり、流転が苦しいか楽しいかにこだわらず、魂をわずかでも成長させることができれば、それでいいのではないかと思っている。
(初出:2020年11月 書き下ろし)
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SDカードカメラリーダー

これ、AppleのSDカードカメラリーダー(Lightning to SD Card Camera Reader)です。長さ13センチくらいの小さな物です。これを買うに至った経緯が本日のお話。
私は、現在OLYMPUSのSZ-31MRというカメラを使っています。2012年に発売されたものですが、普段の旅行遣いにちょうどいい機能が揃っているので、当分買い換えの予定はありません。このカメラのメディアはSDカードなのですけれど、2012年はまだカメラ自体にWifiだのBluetoothだのを搭載してスマホと接続するタイプは普通ではなかったため、Macに読み込む時は専用USBケーブルで接続しています。これ自体には特に不満もありません。
ただ、旅行中などに、撮ったばかりの写真をその日のうちにSNSやブログにアップしたいということがある時に、ちょっと不便だったので、Wi-Fi機能搭載のSDカード"Eye-Fi(アイファイ) Mobi"を使っていたのです。このカードを入れておくと、WifiとしてiPhoneから接続できて、専用アプリを通して写真をiPhoneに転送することができたのです。
ところが、この"Eye-Fi" 関連、事業売却やらなんやらを経て、どんどんサポートを終了、それにともない専用アプリをアップデートしなくなってしまったので、iOSをアップデートしたら使えなくなってしまったのです。
ということで代替品なども探してみたのですけれど、結局一番シンプルなのが、このSDカードリーダーだったというわけです。物理的にSDカードをiOSで読み込むだけなので、もちろん専用アプリなども不要で、しかもApple純正なので機能することはお墨付き。値段も一番安かったし、そもそも何か新しいマシンで充電が必要ということもなく、シンプルに解決しました。
ま、いずれiPhoneがライトニングケーブルでなくなるらしいんですが、私は古い型落ちを使い続ける人なので、少なくとも後5年くらいはこのまま使えると思います。
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【小説】Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -2-
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Filigrana 金細工の心(6)インファンテ -2-
だが、理想と現実は同じではなかった。彼と入れ違いに居住区を出て、『ガレリア・ド・パリ通りの館』に遷されたインファンテ321とは、その後2度ほどしか会わなかったが、12歳のあの日に告げられたことは、何度も心をよぎった。自らの存在意義について。カルルシュとの立場の違いについて。
彼は、高潔に、雄々しく生きようと努力した。何が起ころうと、カルルシュに当たったりするものかと。たとえ、やっていることが何の役に立たなくても、自暴自棄になったり、苛立ちを見せたりすることはすまいと。
彼は、20歳になるまで、表向きはその態度を貫き、父親からも、カルルシュからも、召使いからも、尊敬と愛情を勝ち得たと信じ、心の中の虚しさを押し殺してしっかりと立っていた。その誇りと矜恃は、彼の表面に少しずつ漆喰のように層を作り、鎧となり彼自身を支えていた。
音楽は、彼の心に翼を与えた。音色は、ドラガォンの宿命とは一切無縁なものとして彼の心を解放した。ピアノとヴァイオリンの音色は、彼の心の悩みや苦しみの細やかな襞までをも隠さずに、館の中を自由に駆け巡った。彼は、そうやって存在しない者として生きることを受け入れようとした。
そして、彼はマヌエラに出会った。
栗色に近い落ち着きのある金髪、明るい灰色の瞳、利発で優しい印象の微笑み。彼がそれまで夢想した、いかなる空想上の女神よりも美しい女性だった。そして、彼女は聡かった。その柔らかい印象に反して、自らの足で立ち人生の舵をとり、前進していくことを望む強い人だった。彼の魂に触れ、その高潔さをたたえ、さらに押さえつけている虚しさを理解し、彼の心の叫びである音色を聴き取る感性も持っていた。
初めての恋に彼は夢中になった。そして、彼女と生きることが、理不尽な運命への埋め合わせとして天から与えられた人生の最後のピースなのだと思った。
暖かい愛と知的な語らいのある生活、これまでに手にしたことのない満足があれば、彼は名もなく、名声も得られず、自らは何の決定も下すことのできない人生であっても、カルルシュのもとにあるドラガォンを支える存在しない1人として捧げることができると思った。もしかしたら、2人の愛の中で生まれてくる子供が、やがてドラガォンを率いていく存在になるのならば、その未来のために尽くすことも悪くないと思えた。それは、私情を滅しシステムのためにひたすら尽くす当主として生きる厳格な父親の意にも沿うのだと。
だが、例の宣告が、全てを変えてしまった。彼を支え続けてきた理想のインファンテの石膏をも崩壊させてしまった。
母親の体から出てくるまでの数日の違いで、彼の願う全てを手にしたカルルシュが、マヌエラをも横取りした。ドラガォンの掟を盾に、システムの厳格な運用を悪用して、彼女の心を得る努力もしないで。そのずるいやり方を、父親やシステムだけでなく、マヌエラ自身までが肯定した。
憤りと嫉妬と憎しみに支配され、彼ではなくカルルシュに味方した全ての人間を恨み拒絶した。それは例外なく、彼の周りの全ての人間だった。『ドラガォンの館』には、システムよりも彼を優先してくれる、肉親も恋人も友人も、ただの一人もいなかったのだ。
彼のそれまでの蓄積した想い、自分の中にあった不満と怒りは、溶岩のように流れ出て留まるところを知らなかった。
彼は、それまで進んで被っていた全ての仮面を脱ぎ去った。彼はもう、理想のインファンテを演じることができなかった。システムへの復讐のため、システムにとって好ましくない態度をとり続けた。
正餐には顔を出さず、父親やカルルシュ、そして《監視人たち》中枢部の黒服たちを無視し、誰かを選んで《星のある子供たち》の父親となることも拒んだ。文句を言われないよう、『バルセロスの雄鶏』を彩色する作業だけはこなし、居住区内に用意される食事を食べ、音楽を奏で、本を読み、ひとり日々を過ごした。
そうやって月日が流れ、彼は結局思い知ることになった。彼が背を向けても、ドラガォンのシステムには何の影響もなかった。彼が支えなくても、父親ドン・ペドロの当主時代は当然のこと、その死後、カルルシュが当主になった後も、何ひとつ不都合がなかったのだ。
カルルシュが当主になった時に、大きな混乱が起こるだろうと思っていた。無能で、優柔不断、虚弱なカルルシュに当主の役目がまともに務まるはずはないと、彼は思っていた。カルルシュを見下す母親ドンナ・ルシアに嫌悪感を持っていたはずなのに、彼自身が同じことを感じていたのだ。
だが、ドラガォンは、ドン・ペドロがいた時と変わらずに存在した。以前から誰も彼には中枢で何が起こっているかを知らせてはくれなかったが、代替わりしてからもそれは同じだった。ひときわ優秀なマヌエラとアントニオ・メネゼスがカルルシュを助けていることは予想できた。それがわかっていても、何の問題も起こらないこと、「もし当主が彼でなければ」という反応が全く感じられないことに、密かに傷ついていた。
時は過ぎた。もう誰も彼に何ひとつ期待をしなくなった。正餐のテーブルにつかなくなった彼の存在は、やがて忘れ去られた。ドン・ペドロの空いた席にはカルルシュが座り、やがて当主夫妻の4人の子供たちがそのテーブルを埋めた。新しく勤め始めた召使いたちは、かつての『理想的なインファンテ』を知らない。無表情に彼の居住区の掃除をし、1人で食べるテーブルの用意と給仕だけをする存在になった。
彼は、自分で閉じこもったとはいえ、ひどい疎外感に苦しんだ。父親も、他の誰もが、背を向けた彼を責めもしなければ、困った様子もなく、何ひとつ彼に願ってこなかった。虚弱体質のはずのカルルシュが、当主としての務めを果たしただけでなく、4人もの子供をこの世に送り出したからだ。彼は、インファンテ321が言った「たった1つの存在意義」すら放棄した。それが、彼自身を蝕むとも思い至らずに。
彼は、彼自身の行為で、当主のスペアから、生まれてくる必要すらなかった者に成り下がってしまった。
瞳を閉じて、彼はひとり言をつぶやいた。カルルシュに全てを奪われたわけではない。初めから、彼など存在してもしなくても同じだったのだと。
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「アウグストゥス」読んだ

友人がブログに上げていたのが、このジョン・ウィリアムズ著「アウグストゥス」(作品社 布施由紀子 訳)の感想。アメリカの作家で、この作品が遺作らしいのです。私は、失礼ながらこの方を知らず、同姓同名の作曲家を思い浮かべて「まさかね」と思ってしまったぐらいです。
しかし、この方の作品は、21世紀になってから「再発見」されて以来、欧米では絶賛されているそうで、日本でもこの作品と同じ作品社から、3作が翻訳されて順調に重版となっているとのことで、単に私が知らなかったというだけですね。
さて、どうしてこの作品に興味を持ったかというと、友人の絶賛も氣になったのだけれど、それに加えて、私はこちらに来てから10年くらい、毎週ドイツ語の個人レッスンを受けていて、その時の雑談にローマ帝国初期の複雑怪奇な人間関係をほぼ毎週耳にしていたからなのですね。つまり、この本を読む一般的欧米人と同じくらいか、それよりもう少しこの本に出てくる人々に対する基礎知識があると踏んだからなのです。
で、読みたいなあと頼んだら、なんとプレゼントしてスイスまで送ってくださいました! 大感謝。
で、読んでみて、感動しました。この作者、本当にすごい方です。
この作品はご本人も前書きではっきりと書いているように「小説」です。つまり、作者の創造に当たる部分が入っていて、人間ドラマも人間関係も「史実」そのものではありません。とはいえ、考古学や文献に書かれた史実をないがしろにしたわけではなく、むしろその隙間を見事に織りなして、壮大ながらももの悲しい人間ドラマを綴っているのです。
一般に「○○」だと見なされている登場人物は、本当にそういう人物だったかは今となっては誰にもわかりません。史書は書いた人間に都合よく書かれるので、敵対した人物は極悪人のように書かれるのが常です。そして、それがイメージとなって語り継がれるのですけれど、この小説ではそうしたイメージに反する人物像をつくりだし、それがまたどれも説得力抜群、「本当にこれが事実だったのかも」と思わせる世界観になっています。
これ以上書くとネタバレになるので、興味のある方はぜひ手に取って読んでいただきたいと思います。
ちなみに、ものすごくたくさんのことを丁寧に調べて書いているのに「こんなに知っています。僕ってすごい」感が全く出ていなくて、作品としての完成度が異様に高いのも感服ものです。加えて、この本に出てくる固有名詞のうち「シーザーとアントニーとクレオパトラしかわからない」というような方でも、ほとんど混乱なくストーリーを追えるように書いた構成も見事。もう、こんな作品が書けたら死んでもいいと思いますけれど、200回生まれ変わっても無理そう。
読書家の方には、本当におすすめしたい一冊です。
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