ご挨拶

【創作とブログの活動】
2020年は下記のような作品を発表しました。
中編・『Usurpador 簒奪者』 (完結)
長編・『Filigrana 金細工の心』 (連載中)
エッセイ集・『心の黎明をめぐるあれこれ』(完結)
企画もの・scriviamo! 2020の作品群
企画もの・123456Hitの作品群
「書く書く詐欺」がストレスになっていた作品群のうち、『ニューヨークの異邦人たち』シリーズはなんとか昨年完結に持ち込みましたし、『黄金の枷』シリーズも、突っかかっていた『Usurpador 簒奪者』を完結に持ち込めたのは、今年の個人的な一番の成果でした。(それと、意外と苦しんだエッセイ集も)長々と書いてきた『黄金の枷』は、ようやく3部作の最終小説に取りかかりましたので、あとは『森の詩 Cantum Silvae』と『大道芸人たち Artistas callejeros』だけ! しかし!何とかなりそうなのから片付けたせいで、その2つは結局全く進んでいないしなあ。来年以降の課題ですね。
さて、2021年の活動ですが、既に始まっている「scriviamo! 2021」(皆様のご参加をお待ちしています)、それと並行して「黄金の枷」シリーズの『Filigrana 金細工の心』の連載を続けたいと思います。『12か月の○○』シリーズは、普通の掌編集に戻して、続行予定です。
【実生活】
・休暇旅行に行けず
ご存じコロナ禍のため、今年はこちらに移住して初めて旅行に行かない年でした。夏にはみなさんわーっとバカンスに行っていましたが、それに、日本ではGoToキャンペーンやっていましたが、私たちの行こうとするところはポルトガルと、イタリア。ポルトガルは3月にロックダウン直前でキャンセル。10月に代わりに行く予定でしたが第2波で再キャンセル。代わりにバイクで行きたくても、イタリアはコロナの嵐で危なくていけやしません。結局どこにも行きませんでしたが、おかげで第2波の要因にはならずに済んだようです。
・仕事関連
今年の3月、17年働いた会社を退職することになりました。部門の整理によるレイオフ。日本と違って悪いことをしていなくても普通にこういうことがあるんですけれど、それにコロナ禍が重なって「これはどうなるんだ」という1年の始まりになりました。
で、7月から、ひょんなことから日本語教師の仕事をしています。パートタイム的ですけれど。それに加えて、前の会社からの仕事をフリーランスという形でもらうことになり、それで生活しています。ただ、日本語教師の勉強と準備にものすごく時間が取られる日々で、前よりもやたらと忙しい生活になってしまいました。来年は少し落ち着いて小説も書けるといいんですけれど、おそらく自転車操業になるだろうなあ。そういうわけですので、もし、週1の更新を落としたとしてもお許しください。
・家庭
家庭の方は、大きな動きもない1年でした。幸いというのか、1人暮らしをしていた義母は2019年の秋に施設に入ったので、コロナ禍の中でもある程度安心して任せられたのですが、ついにその施設でも感染がでたということで、病魔は人ごとではないところまできています。ただ、幸いみな健康で年の瀬を迎えられました。実は、コロナ騒ぎが始まってから、誰も病にかかっていないのです。手洗いの威力ってすごいのでは?
というわけで、短くて忙しかった2020年、最後はにわかでベートーヴェン三昧をしつつ、2021年もこのまま突入する予定です。
2020年にこのブログを訪れ小説や記事に関心を持ち励ましてくださった皆様に、心から御礼申し上げます。2021年もさらなるご指導をお願いすると共に、また皆様との楽しい交流があることを心から祈っています。引き続き「scribo ergo sum」を、どうぞよろしくお願いいたします。
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scriviamo! 2021のお報せ
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「scriviamo!」というのはイタリア語で「一緒に書きましょう」という意味です。
私、八少女 夕もしくはこのブログに親近感を持ってくださるみなさま、ずっと飽きずにここを訪れてくださったたくさんの皆様と、作品または記事を通して交流しようという企画です。創作関係ではないブログの方、コメントがはじめての普段は読み専門の方の参加も大歓迎です。過去の「scriviamo!」でも参加いただいたことがきっかけで親しくなってくださった方が何人もいらっしゃいます。特別にこの企画のために新しく何かを用意しなくても構いませんので、軽いお氣持ちでどうぞ。
では、参加要項です。(例年と一緒です)
ご自身のブログ又はサイトに下記のいずれかを記事にしてください。(もしくは既存の記事または作品のURLをご用意ください)
- - 短編まはた掌編小説(当ブログの既発表作品のキャラとのコラボも歓迎)
- - 定型詩(英語・ドイツ語・または日本語 / 短歌・俳句をふくむ)
- - 自由詩(英語・ドイツ語または日本語)
- - イラスト
- - 写真
- - エッセイ
- - Youtubeによる音楽と記事
- - 普通のテキストによる記事
このブログや、私八少女 夕、またはその作品に関係のある内容である必要はありません。テーマにばらつきがある方が好都合なので、それぞれのお得意なフィールドでどうぞ。そちらのブログ又はサイトの記事の方には、この企画への参加だと特に書く必要はありません。普段の記事と同じで結構です。書きたい方は書いてくださってもいいです。ここで使っているタグをお使いになっても構いません。
記事がアップされましたら、この記事へのコメント欄にURLと一緒に参加を表明してください。鍵コメでも構いません。「鍵コメ+詩(短歌・俳句)」の組み合わせに限り、コメント欄に直接作品を書いていただいても結構です。その場合は作品だけ、こちらのブログで公開することになりますのでご了承ください。(私に著作権は発生しません。そのことは明記します)
参加者の方の作品または記事に対して、私が「返歌」「返掌編」「返画像(絵は描けないので、フォトレタッチの画像です。念のため)」「返事」などを書き、当ブログで順次発表させていただきます。Youtubeの記事につきましては、イメージされる短編小説という形で返させていただきます。(参考:「十二ヶ月の歌シリーズ」)鍵コメで参加なさった方のお名前は出しませんが、作品は引用させていただくことがあります。
過去に発表済みの記事又は作品でも大丈夫です。(過去の「scriviamo!」参加作品は除きます)
また、「プランB」または「プランC」を選ぶこともできます。
「scriviamo! プランB」は、私が先に書いて、参加者の方がお返事(の作品。または記事など)を書く方式のことです。
「プランB」で参加したい方は、この記事のコメント欄に「プランBで参加希望」という旨と、お題やキャラクターやコラボなどご希望があればリクエストも明記してお申し込みください。
「プランB」でも、参加者の方の締め切り日は変わりませんので、お氣をつけ下さい。(つまり遅くなってから申し込むと、ご自分が書くことになる作品や記事の締切までの期間が短くなります)
「プランC」は「何でもいいといわれると、何を書いていいかわからない」という方のための「課題方式」です。
以下の課題に沿ったものを150字から5000字の範囲で書いてください。また、イラストやマンガでの表現もOKです。
*ご自分の既出のオリキャラを一人以上登場させる
メインキャラ or 脇役かは不問
キャラクターであれば人どころか生命体でなくてもOK
*季節は「夏」
*動物を1匹(1頭/1羽 etc)以上登場させる
*色に関する記述を1つ以上登場させる
(注・私のキャラなどが出てくる必要はありません)
期間:作品のアップ(コメント欄への報告)は本日以降2021年2月28日までにお願いします。こちらで記事にする最終日は3月10日頃を予定しています。また、「プランB」でのご参加希望の方は、遅くとも1月31日(日)までに、その旨をこの記事のコメント欄にお知らせください。
皆様のご参加を心よりお待ちしています。
【注意事項】
小説には可能なかぎり掌編小説でお返ししますので、お寄せいただいてから1週間ほどお時間をいただきます。
小説以外のものをお寄せいただく場合で、返事の形態にご希望がある場合は、ご連絡いただければ幸いです。(小説を書いてほしい、エッセイで返してくれ、定型詩がいい、写真と文章がいい、イメージ画像がいいなど)。
ホメロスのような長大な詩、もしくは長編小説などを書いていただいた場合でも、こちらからは詩ではソネット(十四行定型詩)、小説の場合はおよそ3,000字~10,000字で返させていただきますのでご了承ください。
当ブログには未成年の方もいらっしゃっています。こちらから返します作品に関しましては、過度の性的描写や暴力は控えさせていただきます。
他の企画との同時参加も可能です。その場合は、それぞれの規定と締切をお守りいただくようにお願いいたします。当ブログのの締め切っていない別の企画(神話系お題シリーズなど)に同時参加するのも可能です。もちろん、私の参加していない他の(ブログ等)企画に提出するのもOKです。(もちろん、過去に何かの企画に提出した既存作品でも問題ありません。ただし、過去の「scriviamo!」参加作品は不可です)
なお、可能なかぎり、ご連絡をいただいた順に返させていただいていますが、準備の都合で若干の前後することがありますので、ご了承くださいませ。
嫌がらせまたは広告収入目当の書き込みはご遠慮ください。
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【小説】Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -3-
このエピソード、最初はハノンの音階だけを使って書いたのですけれど、後にツェルニー50番の最終曲が一番イメージに合ったので、変更しました。ピアノ曲としての難易度はものすごく難しいというわけではないようですが、それでも簡単じゃなさそうですよね。あ、音大受験レベルだそうです。ということは、アントニアのレベルもそのくらいってことかな?
さて、今年の小説更新は、これが最後です。今年も最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました!
![]() | 「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -3-
頭が重い。最後の記憶をたぐり寄せ、暗くなるまで眠り続けていたことを理解した。彼は、ゆっくりと身を起こし、服装を整えた。なんてことだ。もう9時過ぎだ。そんなに寝てしまったのか。だが、あのツェルニーは?
部屋を出ると、すぐにモラエスが上がってきた。
「メウ・セニョール。お目覚めですか」
「アントニアはまだいるのか」
「はい」
「まさか、あれからずっと弾き続けているのか」
「はい」
「なぜ止めなかった」
「お止めいたしました。それに、あなた様がお休みになっていらっしゃることも申し上げましたが……」
頑としてやめなかった。そういうことか。
「食事はどうしたんだ」
「いらないとおっしゃいました。ドロレスはまだおりますので、すぐに用意させますが」
彼は、立ち止まり、この屋敷のすべての使用人が振り回されていたことに思い至った。
「すまない。アントニアに何か簡単なものを頼む」
それから、彼はサロンに向かい、扉を開けた。アルペジオは、一瞬やんだが、すぐに続けられた。長時間弾き続けたせいで、彼女の姿勢は崩れ、震えていた。しかし、それはもう彼女が「たかが練習曲」と名付けていたものとはかけ離れ、苦しみや慟哭を表現する音色になっていた。彼女の顔は泣いていなかったが、音色は哭き叫んでいた。囚われ決して出て行くことのできない絶望を載せて弾いた彼自身の音色に負けないほど強く想いを訴えかけていた。
「もういい。アントニア。十分だ」
彼女は、ゆっくりと手を動かすのをやめた。彼はピアノに近づいた。青ざめた少女の顔を見た。頬に涙の筋が見える。先ほどまでの我の強さは引き、表情には哀しみだけが強く表れていた。
彼は、初めてきちんとこの少女の顔を見たと思った。カルルシュとマヌエラからそれぞれ受け継いだ形質ではなく。彼らへの怒りと憎しみゆえに目を背け続けてきた、2人とは同一ではない1人の人間の顔を初めて見つめた。もう4年も近くで見てきたのに、まったく氣がついていなかったのだが、この娘はとても美しいのだと初めて認識した。
「……よくなった。次回から『月光』をはじめよう。今日は、もう十分だ」
「はい」
予想に反して素直に返事をしたので、彼は内心ほっとした。
「もうこんな時間だ。ドロレスが、簡単なものを用意してくれるから食べなさい。その間に『ドラガォンの館』から運転手に迎えに来てもらうように手配しよう」
彼がそう言うと、アントニアは困ったように言った。
「今晩は、カヴァコは非番なの。明日早朝になんとかって司教を空港へ迎えに行くから」
入ってきたモラエスは、食堂の準備が整ったことを告げ、アントニアの言葉を引き継いだ。
「至急、他の者を手配させます。この時間ですから、非番の者はもう酒を飲んでしまっているかもしれません。少々お時間をいただきます」
「別に、地下鉄に乗って帰ってもいいのよ」
「とんでもありません。そういうわけには」
彼は、モラエスとアントニアのやり取りを聴いて嘆息した。この館や『ドラガォンの館』の敷地内に入る許可のある者は限られている。現在ここにいる者で運転免許証を取得できるのは《監視人たち》の黒服であるモラエス1人だ。しかし、モラエスにはインファンテである彼を監視する義務がありすぐにここから離れることはできない。インファンタであるアントニアを1人地下鉄で帰すわけにもいかないので、使用人の誰かが同行し、またここに戻ることになるのだろう。彼の午睡のせいで、どんどん話が複雑になっている。
「アントニア。お前は、今晩帰宅しなくては困るのか」
彼は訊いた。
「いいえ。明日の午後に戻れば十分だけれど……」
アントニアは意外そうに答えた。
「では、モラエス。今夜はこの館に泊める手配をしてくれ。部屋ならいくらでも余っているのだから」
彼がそう告げると、モラエスは安堵の表情を見せ、アントニアは先ほどの様子が嘘のように喜びを見せた。
食堂には、2人分の食事が用意された。2人は向かい合って座った。モラエスがヴィーニョ・ヴェルデの瓶を持って近づいてきたとき、彼はいつものように頷き、グラスに注いでもらうのを待った。それから、自分1人ではないことを思いだし戸惑ったように訊いた。
「酒はもう許されているのか」
アントニアは、首を振った。
「
彼は、モラエスに顔で指図した。モラエスは、彼女に好みの飲み物を訊いた。
すべてのやり取りが、彼にとっては初めての経験だった。カルルシュがマヌエラに宣告してから、彼はずっと1人で食事をしてきた。召使いたちの形式的な質問に答えることはあっても、共に食事をしたり館に滞在したりする者のために、彼が判断をする必要は1度もなかった。
詳細はすべて使用人たちがよくわかっている。どのような料理を出すか、どの部屋を準備しどう必要なものを揃えるか、彼が考える必要はない。アントニアの滞在を『ドラガォンの館』に報告することも言うまでもなくモラエスがやってくれる。だが、それでも、現在この館の主人に当たる存在が自分なのだと、彼は初めて認識した。それは、囚われ人でしかなかった2週間前とどれほど違った立場だろうか。
アントニアの全身から喜びがあふれていた。先ほどの絶望的な音色との強烈な対比だった。どれほど冷たくあしらわれても、彼女は諦めなかった。『ドラガォンの館』では居住区に押しかけ、この館にも押しかけた。しかし、彼女に入り込めるのは、ピアノの前に座るときだけで、レッスンやスケジュール以外の話題をしたこともなかった。
また、両親やなくなった祖父がどれほど辛抱強く待ち、正餐に出てくるように頼んでも決して同席することのなかった叔父が、はじめて一緒に食事をした相手が自分なのだという誇りも感じ取れた。
それからアントニアは、時おり『ボアヴィスタ通りの館』に泊まるようになった。たとえば、近くのカーサ・ダ・ムジカ演奏会があったのでという理由で、今日は泊まるというような連絡があった。『ドラガォンの館』も遠くないのだからそんな必要は全くないのだが、この館は彼の持ち物ではないので、とくに異は唱えなかった。
そのような時には、当然のように一緒に食事をするようになった。当主夫妻は、彼らと完全な断絶状態にある彼とごく普通の関係を保てる存在に娘がなったことを歓迎し、彼女の『ボアヴィスタ通りの館』滞在を決して止めなかった。
18歳になり、Pの街にある6つの屋敷のうちのどこに住むか選択の自由を与えられたインファンタ・アントニアが、この屋敷に住むことを選んだときも、誰1人として驚かなかったし反対もしなかった。それは、彼自身も同じだった。
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Scharfen Sultan社のスパイス

料理って、塩胡椒、ソースにマヨにケチャップ、和食だと加えてお味噌や醤油などで味付けして、ハーブやスパイスはほとんど持たないという方も多いのでは。特に日本は、カレーにはカレールーという力強い味方がいますしね。
我が家は基本的にあまり和食は作らないので、和食の味付けに必要な味は限られているのですけれど、反対にハーブやスパイスの方は多いです。でも、ハーブ・スパイスの類いも、使わないと劣化するので何をメインに揃えるのかは悩みどころです。カレーに使う香辛料、パプリカ、クミンやシナモン、それにナツメグなども欠かせないし、ハーブ類は買ってきたものを冷凍するか、窓際で栽培するかで対応しています。
バーベキュー用、ポテト用といった、用途別のスパイスミックスは、キリがないので基本は買わないようにして、自分で味付けに工夫するようにしているんですけれど……。
そんな我が家でも、これだけは絶対にいると思われるスパイス・ミックスは、ラクレット用ミックスです。上の写真の茶色いの方です。
これ、チューリヒにあるScharfen Sultan社のミックスを「おいしいのよ」と友人がプレゼントしてくれたもので、ラクレットと、チーズフォンデュの必需品なんです。
まだスイスに来たばかりの頃で、こちら流の手土産の手軽さになれていなかったので、「手土産にスパイス?!」と驚いたのですけれど、このスパイスがあまりにも我が家での受けがよくて、今ではいただいて嬉しかった手土産のベスト1になっているかも。我が家では「カーチャのスパイス」で通っています。
さすがに20年近く愛用しているとなくなるもので、最近、同じものを購入しました。このScharfen Sultan社のお店はチューリヒにしかないのですけれど、実は、クリスマス市などに出店しているので、私の地元でも購入できることがわかったのです。
さて、写真に映っている、もう1つの緑のは、「カフェ・ド・パリ用のハーブ・スパイス・ミックス」です。
日本はとてもグルメなのでみなさんご存じかもしれませんが、ステーキのソースとしてジュネーヴの有名なお店「カフェ・ド・パリ」が考案したソースというのがありまして、そのソース自体は門外不出のレシピとして作り方はわからないらしいのですが、一般にハーブバターとして「カフェ・ド・パリ」というのが普通に売られているのです。使い方として、ステーキにつけて食べたりするんですけれど、私、その味がかなり好きなんですよ。
で、先日Scharfen Sultan社の屋台で見つけたので買ってみたのが、その「カフェ・ド・パリ」っぽいバターを作れるミックスです。中身は、食塩とハーブ類を乾燥させて細かくしたものなのです。作り方は100gの無塩バターに小さじ1〜2杯混ぜるだけ。それで、やってみたら、おお、簡単にできた!

これまでは、必要なときには別々に「カフェ・ド・パリ」風バターを購入していたのですけれど、これからは自宅で必要な量だけ作れる! と、小躍りしている私です。こういうのなら、日本へのお土産にも使えるし、いいなあと思っているのですけれど、当分使う機会はなさそうですね。
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【小説】Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -2-
22は12年前、彼が新しい住まい『ボアヴィスタ通りの館』に遷されて半月ほど経ったある日のことを思い返しています。
しつこさに根負けして、それまで4年ほど、彼がピアノを教えていた、カルルシュとマヌエラの娘アントニア。ようやく逃れられたとホッとしていたのに、彼女は諦めていなかったようです。
![]() | 「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -2-
2週間前に、この役割は終わったはずだった。彼はこの『ボアヴィスタ通りの館』に移されたのだ。
24年間も居住区に閉じ込められたあげくに、用済みとばかりに追いやられることには腹が立った。だが、自由に外には出られなくとも鉄格子の嵌まっていない住まいはありがたく、彼は心穏やかに暮らすつもりだった。少なくともあの一家にもう会わずに済むことが何よりも嬉しかった。
それなのに、この午後、アントニアはこの館にまでやって来て、レッスンを続けると宣言した。彼は苛立った。
「私はもう、お前たちとは関わりたくない。これまでは、同じ屋根の下にいたのでしかたなく見てやったが、これからは違う。ピアノを続けたければ、他の教師を呼ぶようにお前の両親に頼め」
「他の先生なんてまっぴらよ。私は叔父様に習いたいの。叔父様より上手な《星のある子供たち》なんていないもの」
「教師なんて誰でもいいだろう。その程度で」
彼は、生意氣なアントニアのプライドを壊すためにあえて見下した態度をとった。
彼女は、めげなかった。持ってきた楽譜を取り出すと、厚かましくも彼のピアノの譜面台にそれを置いた。
「ベートーヴェンの『月光』を弾きたいの」
「弾けるか。まずはまともに音階が弾けるようになってからいえ」
「ハノンの音階も、ツェルニーも、十分やったでしょう。そろそろ、ちゃんとした曲を教えてください」
その言い方が、彼の癇に障った。
「音階や練習曲と馬鹿にしているが、お前のは、聞くに堪えない」
「そんなはずないわ。つっかえたことはないし、ちゃんと練習しているもの」
「つっかえないだけでは、音楽とは言えない。お前は片手でも完璧に弾けていない。両手では言うに及ばずだ。5分も弾かないうちに、もう手首が揺れてくるし、速さを変えるとどんどん崩れる。調を自在に変えることもできない。生意氣なことを言って好き勝手に弾きたいなら、ペコペコしてくれる他の教師に頼めばいいだろう」
「やるわ。ちゃんと練習しますから、これからも教えて。毎週、ここに来て習ってもいいでしょう? ハノンの40番、次までに完璧になるように、練習してきますから」
彼は、怒りで震えた。強情な娘だ。私はお前たちになんか、関わりたくないといっているのに。
「無駄だ。ハノンだけじゃない。ツェルニー50番がまともになるまでは、絶対に教えない。帰れ」
「帰らないわ。今ここで弾きます。聴いていて教えてください」
「ふざけるな。お前の氣まぐれになんか付き合えるか。お前は、才能も心もないあの2人の娘だ。いくら教えたって、お前がまともに弾ける日など来ない。弾きたければ、勝手に弾け。満足したら帰れ」
腹立ち紛れに言い放ち、彼は部屋を出た。
彼女がハノンの40番の音階練習を順番に始めたのが聞こえたが、背を向けて自室に向かった。数十分でなんとかなるような課題ではない。自分でも意地の悪いことをいっていると思った。
アントニアの弾く音階は、2階の彼の自室にも響き続けた。彼は、不正確で乱れのある指使いを聴き取り、鼻で笑った。完璧どころか、我慢ができる程度の演奏すらできないだろう。
あの2人のただひとりの娘として、そして、ドラガォンのインファンタとして甘やかされてきた娘だ。完全に無視されることなど1度もなかったに違いない。20分も弾けば、モラエスあたりがやめるように提案し、すごすごと帰って行くだろう。
彼は、手に入れたばかりの小説を読み始めた。午後の間に読み終えるだろう。文字を追うが、内容がいつものように頭には入ってこない。4分の1ほど進んだところで、彼は小説を読み続けるのを諦めて、栞を挟み本棚に戻した。
アントニアは、まだしつこく弾き続けている。指使いがずいぶんと安定してきている。だが、まだまだ、到底満足できる状態ではない。彼は立ち上がり、本棚から画集を選び、またアームチェアに戻った。
時おり、聞こえてくる音が途切れた。モラエスと話しているのだろう。彼は、階下で動きがあるのではないかと期待するが、やがて再び新しい練習曲が聞こえてくる。
なんてしつこい女だ。彼は、自分がそうではないようなことを考えたことに対して自嘲する。
彼もまた、頑固だった。音をあくまでも無視し続けた。
夕方になれば、諦めてドラガォンに帰るだろう。これ以上、こうしてただ音階を聴いているのは耐えがたい。ひどい苛立ちと頭痛を抑えるため、バスルームにある戸棚へ向かい、めったに使わない鎮静剤を取りだした。これを飲んで寝てしまえば、もうあの音階に悩まされることもなくなる。私が寝ている間にあの娘は帰り、もう2度と煩わされることはなくなるだろう。
彼は、薬を水で流し込み、ベッドに横たわった。
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お菓子の時間

クリスマス前だからというわけではないのですけれど、ここのところよくお菓子を食べています。上の写真は、自分で焼いたフルーツケーキ。レシピ通りに作るつもりで、アーモンドパウダーを入れ忘れてしまったんですけれど、特に問題なく美味しくできました。
普段作るには「ちょっとシナモンが強すぎるのでは」と思うレシピなんですけれど、シナモンといえばクリスマスってぐらいよくこの時期に使うスパイスなので思い切りよく入れてみました。
あ、レシピに書いてあったグローブの粉がなかったので代わりにわずかにガラムマサラも混ぜたのですけれど、思ったほどスパイスの主張はなく、おいしくできました。
このケーキを作りたくなった原因は、実はこの下のケーキを食べたからです。シュトーレンです。

これってもともとはドイツのお菓子なので、こちらでもいくらも買えるのですけれど、日本で作っているものの方がしっとりして美味しいのです。亡くなった母は、私の連れ合いが喜ぶので毎年送ってくれていたのですけれど、去年からは代わりに姉が送ってきてくれるようになりました。

そして、こちらはマデイラ島に行った友人のお土産。蜂蜜のケーキだそうです。ポルトガルもしばらくはあまりコロナウィルスの影響が大きくなかったのですが、いまや入国制限の対象国になってしまったようで。いや、スイスの方はもっとすごいみたいなんですけれど。
ああ、楽しくポルトガルのお菓子を食べ歩ける日は、いつ戻ってくるんだろう。
ともあれ、いまは、我が家でお菓子を食べながら、お家クリスマスを楽しむことにしましょう。
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【小説】Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -1-
カルルシュとマヌエラ夫妻をはじめ、家族に無視を決め込んでいた22がなぜその娘アントニアと同居することになったか、その過程が語られる章です。
前半は、現在の話ですが、その後は12年前の、彼が『ボアヴィスタ通りの館』に遷されて半月ほど経った頃の話になります。実は、第1作で主人公23とヒロインのマイアが初めて出会ったのも、ほぼ同じ頃でした。『ドラガォンの館』で人々が抵抗を続ける23への対応に頭を悩ませている頃、アントニアもまたこんなことをやっていたというわけです。
![]() | 「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Filigrana 金細工の心(9)哭くアルペジオ -1-
彼の1日は、規則正しく紡がれる。この館に遷されてから、召使いに起こされたことは1度もない。彼はひとりでに目を覚ます。部屋に併設されたバスルームで身支度をする。そして、自室の窓辺でヴァイオリンを奏でるか、サロンのピアノの前に座り朝の演奏を楽しむ。そして、召使いが朝食の用意ができたと呼びに来るときには、ほぼ必ず窓から外を眺めていた。
朝食には、コーヒーと
午前中に『バルセロスの雄鶏』の彩色作業をし、午後はピアノかヴァイオリンを練習する。『ドラガォンの館』にいたティーンエイジャーの頃には、週に1度教師が呼ばれていたが、現在は1人で練習するだけだ。はじめは必ず音階や指運びの練習曲から始める。それもゆっくりと丁寧に弾く。引っかかったり、おかしな音色のするときは、いつもに増して練習を繰り返す。完璧に弾けないうちは、決して取りかかっている曲に移ったりしない。それは少年の頃から変わらぬ彼の練習スタイルだった。
その練習中には、よく12年前のことが頭をよぎる。わずかな痛みが心を刺す。そんな必要はないのだと思っても、それは変わらない。同じ館に住み、彼に笑顔と信頼を向けている娘を憎むことができなくなった、彼にとっての転換期のことを、彼は忘れたことがない。現在、自分がたどる音階に、あの日の哭き叫ぶ響きが重なる。
目が覚めたとき、ツェルニー740の50番が聞こえていた。哭きながら走りまわる右手と、暗い音で突き上げるように訴えかける左手。越えられない壁の前で、それでも諦めずに登ろうとする者の悲痛な叫びだ。
彼は起き上がり、辺りがすっかり暗くなっていることに驚いた。重い頭。思考が未だはっきりしない。電灯を探り当て、明かりをつける。時計を見た。21時。
午後に起こったことを思い出した。アントニアの口答えに彼が癇癪を起こしたことも。
そもそも、アントニアは厚かましい押しかけ弟子だった。2週間前まで『ドラガォンの館』の居住区に住んでいた彼は、既に4年もの間、嫌々ながら彼女にピアノを教えていた。
当主カルルシュとマヌエラ、その4人の子供たちは、同じ屋根の下に住んでいた。だが、彼らとの関わりを一切拒否した彼は、ただの1度も正餐に同席しなかった。年に3度、クリスマス、復活祭、聖ジョアンの祝日の礼拝だけは、ほぼ強要されるような形で礼拝堂に行き、2階のギャラリーに座った。
4人の子供たちは、見る度に大きくなっていた。アントニアはことさら目立った。たった1人の女子だったから。遠目でしか見なかったが、カルルシュそっくりの漆黒の髪が忌々しく、関わりたくなかった。
子供たちのうち、長子のアルフォンソと24は、ただの1度も近寄ってこなかった。23は、1度だけヴァイオリンを聴くために居住区の外で立っていたことがあるが、彼が冷たくあしらったので、2度とは近づいてこなかった。
だが、アントニアだけは違った。彼がピアノを弾いているときに、ジョアナに鍵を開けさせて居住区に入り、1階にまでやって来たのだ。もちろん彼は追い返そうとした。だが、彼女は「聴きたいの」一点張りで出て行こうとしなかった。
それが何度か繰り返され、彼は無視を決め込むことにした。下手に騒ぎ立てて、カルルシュやマヌエラまで居住区に入ってこられては迷惑だったから。
ところが、1か月ほど経った頃、メネゼスが彼に新たな問題を持ち込んできた。アントニアが彼からピアノを習いたいと希望しているというのだ。他の教師を雇えと断ったが、アントニアはしつこかった。それで、彼は引き受けた。必要以上に厳しく当たれば、甘やかされた娘などすぐに音を上げてやめるだろうと思ったからだ。それが4年も続いてしまった。
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クリスマス、どうしよう問題

私の住むスイス(や多くの欧米諸国)では家族にとっての大切なお祭りです。日本でいうお正月のように、家族が集まって祝うのです。
ところが今年は(州によって決まりはいろいろですけれど)「2家族まで」とか「合計10人まで」というような制限があって、たとえば両親を兄弟姉妹である子供たちがその子供たち(つまり孫たち)を連れて同時に祝うなんてことが不可能になってきているわけです。かといって、2日に分けて両親を訪れても65歳以上の感染リスクは同じですし、クリスマス期間は10日以上間隔を開けて祝うわけにもいかないので、同時に集まったのと変わらない状態になるわけです。また、孫たちが来て、去年までは抱きついていたのに、今年は握手もしないなんてことは、たぶんこちらの人たちはできなさそう。
しかし、もっとできないのは、「老いた両親をクリスマスに訪れない」という選択です。いや、施設にいて訪問禁止というのならしかたありませんし、本人たちが「感染は勘弁だ、絶対に来るな」と言うのなら可能ですけれど、そうでない限り「1年我慢したのに、クリスマスも祝えない」というのは何とか避けたいというのが、多くの方の悩みどころのようです。
我が家は、少なくとも私の方は、もともとこの時期に帰国したことはなかったですし、いまは両親とも他界したので、その問題に悩まされることはありません。義母は施設にいますし、連れ合いの兄弟はもともとクリスマスに集まるような人たちではないので、そちらも通常運転です。
さて、せっかくクリスマスの話題なので、もう1つ。最近の日本のニュースで、わずかに引っかかったことを。
こんな感じのタイトルを戴いたニュースを見かけたのですよ。
「クリスマスに間に合う! 縁結びにご利益がある神社」
なんというか、どう突っ込んでいいのか迷う感じになりました。いや、日本は八百万の国だから、一神教の生誕祭のために彼または彼女をよこせとお願いしても、縁結びの神様が文句を言うことはないかもしれませんが。
しかし、縁結びって、クリスマスのためにやるもの? そんな間に合わせ感覚でいいの? っていうか、バブル期じゃあるまいし、クリスマスのデートって、もう下火になったって話は? そもそも、今年は外出自粛じゃないの? などなど、いろいろと疑問が渦巻きました。
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心の黎明をめぐるあれこれ(12)ともに乗り越えよう
第12曲は『“Kia Hora Te Marino’』使われている言語はマオリ語です。
そして、このエッセイ集もこれで完結です。1年間、長々と綴ってきた個人的な想いを読んでくださったみなさま、どうもありがとうございました。
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心の黎明をめぐるあれこれ
(12)ともに乗り越えよう related to “Kia Hora Te Marino’
クリストファー・ティンのアルバム『Calling All Dawns』、最後の曲はマオリ語によるカラキア(祈り)を歌詞として使っている。
ご存じの通りマオリはアオテアロア(ニュージーランド)の先住民で、千年ほど前に現在のポリネシアのあたりからカヌーに乗ってきた人たちの子孫だ。
彼らは、集落や身分を表す身体装飾としての刺青を顔面や全身に施し、互いの鼻をくっつけ合うあいさつや、その他の多くの伝統に基づく多くの文化を保ち続けている。
中でも民族舞踊であるハカは有名で、マオリの戦士が戦いの前に踊る他、歓迎の挨拶などでも踊る。ラグビーのナショナルチームであるオールブラックスが試合前に勇壮な『Ka Mate カ マテ』を踊ることもよく知られている。
マオリは、過去からの叡智と、人類以外の存在との共存を優先して生きる人々だ。
自らを大切にすることは、他者を排斥し傷つけていいということではない。誰かを深く愛するということは、それ以外の人を軽んじるということでもない。自らの民族、もしくは人類だけにこの地球を好きにする権利があるわけでもない。自然全体を大切にすることは、やがてその美しく豊かな世界の恩恵を受けることでしか生き延びられない自らのためにもなる。
現代社会においては、少数民族や先住民族、とりわけ精神世界を重視し、自然との共生を優先する人々のことを、軽視する傾向がある。欧米諸国では、消えゆく言語や文化を保護研究対象にしたり、博物館に納めて保存することはあっても、その生き方を率先して政策に取り入れて指針とすることは比較的少ない。「迷信に支配されて科学技術の恩恵を拒否するプリミティヴな人々だ」と貶める人すらいる。
マオリの、そして、世界の多くの先住民族の祈りをふくむ精神的なあり方や、自然と大地への畏敬と尊重は、実生活と広く結びついている。それは、欧米の多くの家庭にとってのクリスマスや復活祭のような単なる歳時記ではないし、カルチャーセンターで学ぶヨガや瞑想のような趣味の延長でもない。
自然からの導きの声や悲鳴に耳を傾けることは、非科学的で子供っぽいことだと切り捨てられてきたけれど、科学すらも及ばぬ大災害時に、遠く先祖から伝えられた知恵を用いて難を逃れた話は後を絶たない。現在科学として認められている全てだけが真実なのではなく、まだ知られてはいない真実があり、それを知る手立ては、私たちが軽視しているものの中にあるかもしれないのだ。
ニュージーランドは、他の欧米諸国と違い、マオリの哲学が出身者だけでなくそれ以外の人々にも認められ、切り離されずに取り入れられている国だ。たとえばマオリの『カイティアキタンガ(環境保護のあり方)』が、現在の環境保護に関する法律に影響を与えている。1例を挙げれば、河川の水質汚染を防ぐために、1991年資源管理法が制定された。また、再生可能エネルギーの実現目標も世界有数の高さを誇る。環境に配慮すれば経済や利便性に影響が出るので、それらは多くの国民の理解がなければ進めることのできない政策だ。その方向性は、もちろん、過去の度重なる西洋流の利己的な制度に対して、マオリ側が諦めずに訴訟を繰り返してきた歴史に関係がある。
現在の自らの利害だけでなく、自然全体を損なわぬように、人類の未来だけでなくそれを包み込む自然全体の未来をも考えて生きるマオリの哲学が、西欧的な快適な生活とうまくバランスを取りながら紡がれる。そのあたりにニュージーランドが平和で美しい先進国というイメージを持たせる1つの要因があるように思う。
さて、自然に対して敬意を表し、世界と彼らの子孫が同じようにその偉大なる力の恩恵を受け続けるために、彼らはさまざまなしきたりを守っている。カラキア(祈り)も、そうしたしきたりのひとつであり、どのようなときにどんなカラキアを唱えるのかも決まっているらしい。
クリストファー・ティンが歌詞に使用したカラキアは、「Haumi e! Hui e! Tāiki e!」という言葉で終わっているが、これは「ともに集まり、みなで、前に進もう!」という祈りの言葉だ。
今回のコロナ禍で、ニュージーランドは見事な政府のリーダーシップに加え、それを支える国民の連携によりいち早く感染者をゼロにした。ロックダウンが明けたときに、職場に集まった同僚の間で、やはりこの言葉で終わるカラキアをみなで唱えたという記事を読んだ時、「なるほどな」と思った。
私は何もスピリチュアルな行動が、コロナウイルスの問題を克服するための鍵だといいたいわけではない。そうではなくて、人々が団結して何かを成し遂げなければならない時に、こうした文化背景は大きな助けになると思うのだ。
伝染病の感染を食い止めるには、多くの人びとの同時行動が必要だ。欧米では慣れないマスクをし、人々と距離を保ち、コミュニケーション方法を変え、生活様式も改める。それは、特に欧米の人びとが尊ぶ「個人主義」と相容れない。「コロナウイルスが、他の多くの伝染性の疾患と違って特別扱いをしてまで怖れなくてはいけない病なのか」という人もいるし、その主張にも一理ある。とはいえ、そうした人々が作る穴が、結局あらたな流行を呼び起こし、問題を長引かせている弊害は大きいと思う。
そして、『全体のために奉仕することが、やがて自らを助けていく』というマオリの教えと、現在、全く関係のない世界で必死に訴えられている『連帯の必要性』は結局同じものなのだと感じる。
コロナ禍が始まってから、スイスでよく聞くようになった言葉の1つに「一致団結(Solidarität)」がある。実は、スイスには、いざというときにこうした一致団結を呼びかける伝統がある。連邦議会議事堂にはラテン語で「Unus pro omnibus, omnes pro uno(ひとりは皆のために、皆はひとりのために)」という言葉が掲げられている。
これを読んで「それってダルタニアンの小説に出てくる台詞じゃないの」と思った方もおられるかもしれない。その通りで、A.デュマの有名な『三銃士』にでてくる主要登場人物たちのモットーと同じである。そもそも誰がこの成句を言いだしたのかはわからないが、少なくともデュマによる創作ではなく、16世紀頃にはヨーロッパのあちこちでこの言葉が使われていたらしい。
スイスで、この言葉と関連付けられているのは、14世紀ニトヴァルデン出身のある兵士の自己犠牲の物語だ。彼は、1386年のゼンパッハの戦いで、敵の長槍の中に身を投じ、突破口を開いた。この自己犠牲に答えるために、共同体は残された妻子の面倒を見たという言い伝えがあり、スイス連邦が周りの強国から独立を守るために強固な連帯を促すエピソードの1つになった。現在は、この男はアーノルド・ヴィンケルリートという名前で知られている(本当にその名前だったという史実はない)。
このヴィンケルリートの話と関連して「ひとりは皆のために、皆はひとりのために」と国民的なムーブメントが起こったのは、近年では、1860年代のグラールス州の大規模火災に対する支援活動の時だったようだ。多額の寄付金が集まり、共同体意識が強まったという。
時代は変わり、教科書でかつての英雄のエピソードをいくら感動的に語ろうとも「昔の話」と吐き捨てられてしまうようになった。スイスは、かつての貧しい牧農国ではなく、高給取りのマネジャーが押し寄せてきた移民の労働者を使う、資本主義と個人主義に支配された乾いた国になった。文化も生活様式も違う人々が、紙幣のやり取り以外ではほぼ関わらずに生きている。ヴィンケルリートの時代のように一致団結して困難に向かおうといわれても、国民の2割にものぼる外国人にしてみれば「誰だ、それ」でしかない。
今回のコロナ禍では、1860年代の時や、近年世界のあちこちで起こった自然災害と違い、全世界の人びとが同時に当事者となってしまった。それまでの困難では、対岸の火事として眺めていられる人が大半だったのが、いま、真の意味で他人ごととしてこの騒ぎを眺められる人はいないだろう。感染の危険性だけでなく、社会経済情勢も世界中で大きく変わり、健康だけでなく経済的な不安にも脅かされ、心安まらずにいる人がたくさんいる。
一方で、地球環境は、このコロナ騒ぎのお陰でわずかでもいい影響を受けたのかもしれない。チューリヒの空港で分刻みで飛び立っていた飛行機は、この春以来、軒並みキャンセルされたまま現在に至っている。ヨーロッパ内とはいえ、国際線なのに30ユーロなどというあり得ない値段設定で飛んでいた格安航空会社のチケットがあったせいか、環境への負担が大きいとされた航空機による移動は、「飛び恥」という言葉がトレンドになっても昨年までは一向に減っていなかった。ところが、今年はそんな話題も全く必要なくなってしまった。
どの有名観光地も、人混みと、安っぽく興ざめな土産物屋と、不当に高いレストランで、がっかりするような場所になってしまっていたが、いまはだいぶ様相が変わっているだろう。私もまた行けないのは残念だけれど。
人間は、霊長とうそぶき、科学技術があらゆる問題を解決すると思い込み、経済や文明の発展のために世界を自由に変える権利があると主張してきたが、本当はそれほど偉く素晴らしい存在ではない。できることにも限りがある。
太陽からの距離がわずかにずれてしまえば、液体の水に満ちた私たちの惑星は姿を消してしまうし、ほんの直径数キロの隕石がぶつかっただけでも地上のほとんどの生命が絶滅してしまう。地球の自転軸がずれれば、美しい四季もなくなるだろう。
そんなもろい存在である現実に目を背け、人類は自らの発展のために競って地球を変化させてきた。必死に自家用車を普及させ、分刻みで航空機を飛ばし、生命に害悪を及ぼす兵器を開発し、河川に放射能で汚染された水や毒を流す。何億年も前に地に横たわった化石燃料を必死で掘り起こし、大地に還らないプラスチックを狂ったように生産して使用する。森林を破壊して、巨大プランテーションを広げる。
たった1度使ってゴミにする箸を作るために大量の木材が伐採されている。ヨーロッパのバレンタインデーに使われる薔薇が、彼らにとって人件費の安いアフリカで食料の代わりに生産されている。砂漠に巨大プールつきのリゾートでハネムーンを楽しむ人は、その水が誰かの水源を奪って作られたものだと意識することはない。
誰かの便利や楽しみが、世界のどこかで問題を起こしているが、それは人が邪悪だからではない。単純に人ごとだから意識されないだけだ。自分の前に提示されていないもの、自分の身内や友人と関わりのない事柄は、存在しないも同然だ。
私自身も、やはりその無関心な人々の1人だ。それに、善行だけをして、地球を汚さず、ものを食べず、迷惑をかけずに生きることはできない。
けれど、少なくとも多くの物事に関心を持ち、「比較的善く生きることを目指す」ことはできる。2つ道があるとき、楽で便利な道と、それから楽ではないがこの地球に生き他者―他民族か、別の生物か―が害を被らない道があったなら、あえて後者を選ぶことはできる。対立するグループがあるとき、憎しみを煽るのではなく、共生できる道を探すこともできる。
起こることには、全て意味がある。突然の世界的困難にもまた、大切な学びの側面がある。私はそう思う。人類と世界も、対立ではなく共生できる道を探すべき時期なのだと。
現在、多くの経済活動が影響を受けているけれど、人類がメチャクチャにしてきた、そして「そうはいっても、それが経済ってものでしかたないじゃん」「私が直接なにかをしてきたわけじゃない」と許容してきた多くの問題が、若干でも修正されているのなら、それについては喜ばしく思うべきだと思う。例えば、地球温暖化が止まれば、氷河の消滅や、南極の縮小なども防げるかもしれない。
話が突然飛んでもうしわけないが、私はペンギンが好きだ。(このペンギンの祖先も実はニュージーランド―正確にはその場所にあったがいまは海底に沈んでしまった大陸ジーランディア―に生息していたそう)ドキュメンタリーの映像でペンギンが現れると、いつも熱心に見入る。だから、これまでに何度も映像として目にしているのだが、-60℃にもなる南極大陸の過酷な厳寒の中で、コウテイペンギンの雄たちが抱卵しながら身を寄せ合う姿にはいつも目頭が熱くなる。
どうやってかはわからないけれど、彼らは知っているのだ。群れになって体を寄せ合い一緒に耐えていることでしか彼らは生き延びられないことを。群れから離れてひとりで立っていると、体温を奪われて死んでしまう。海へ食べ物のたくさんいるところへ行って思う存分食べることはできるけれど、そうすることで子孫を残すことができなくなる。つらくても、他のペンギンたちと一緒に耐えるしかないことを。
現在、かつて自分たちだけに起こった不幸を嘆く、もしくは、どこかの遠い国で起こった不幸をニュースで聞き同情するだけだった人類は、世界のどこに行っても人類のいるところに広がるウイルスに同時に怯えることになった。すぐに解決することもできなければ、安全な場に避難することもできない。
SF小説では、地球上で解決できない問題が起こった時には、人類は都合よく他の銀河や惑星に移住したりするけれど、残念ながら現在の私たちにはそのオプションはない。私たちは、この地球にしがみつき、居場所や姿形や社会信条や歴史に関わらず、この惑星で生きとし生ける全てのものたちが手を取り合い、共生していく他はないのだ。
共に集結するのはだれか他の民族や国と戦うためではない。「ともに集まり、みなで、前に進もう」と願うマオリの
(初出:2020年12月 書き下ろし)
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