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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(12)『プレリュード』 -2-

『Filigrana 金細工の心』の12回目「『プレリュード』」の後編です。

シロティの『プレリュード』は、1度外伝『プレリュードでご紹介したことがあります。この外伝、今回のエピソード(回想部分)を受ける形で書いたものです。

後半がようやく物語上の『今』に戻ってきたところです。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(12)『プレリュード』 -2-

 あれから、どれほどの時間を鍵盤の前で過ごしたことだろう。歴史が繰り返すように、再び宣告が起こったことを耳にして、彼の心は再び血を流している。だが、当事者だった30年前の激痛とは違い、乾き空になったはずの感情の樽から無理に絞り出されてくる類いのわずかな滲み方だ。そして、マヌエラの代わりに脇に立っているのは、アントニアだ。あの2人の娘であり、かつては歓迎せず、罵倒してでも遠ざけようとした少女。それが、今はこうして傍らに立つことが誰よりも自然な存在になっている。

 彼の人生は、30年前には終わっていなかった。彼の心は、死にはしなかった。憎しみと怒りは彼を縛り続けることはなかった。彼は、生き、夢見、そして、新しく人を愛することすらした。彼は、静かに『前奏曲』を弾き終えると、感銘を受けてこの曲を習いたいと願うアントニアに「いいだろう」と答えた。

 その翌日、日曜日の礼拝を口実にアントニアは『ドラガォンの館』へと出かけていった。宣告がどのような事態を引き起こしているのか、知らずにいるのはたまらなかったのだろう。そして、帰ってくるなり外套も脱がずにサロンへ入ってきて、彼にふくれっ面を見せた。

「なんだ」
「心配して損したわ」
アントニアは、腹を立てているように見えた。

「23の件か?」
「そうよ。馬鹿馬鹿しいったら、ありゃしないわ」

 彼は、従姪が外套を脱ぎ、それを使用人たちに渡してひと息つくのを待った。目の前にコーヒーが置かれると、彼女は再び話しだした。
「あの子ったら、トレースにぴったりくっついて、何をするのも小さな声で質問しているのよ」

「それのどこがいけないんだ。召使いだった子が、いきなりあのような場に座らされたら、戸惑うだろう」
「それは、もちろん、その通りだわ。でも、トレースにナイフの置き方や、ワイングラスの持ち方なんかを指摘されているだけなのに、いちいち嬉しそうにされると目のやり場に困るじゃない」

 彼は、笑った。
「23もうれしそうだったか?」
「彼はあまり表には出していないけれどね。嬉しいに決まっているわよ。なんせこっちは、何ヶ月もずっとあの子のことばかり聴かされてきたんだから」
「そうか。それはよかった」

 形は宣告でも、2人が幸せな形で一緒になれたのならば、言う事はない。彼は、窓辺に立って外を見た。

 まだ子供だった23と、1度だけ近くで話をした事がある。カルルシュの子供時代にあまりにもよく似ていたので、マヌエラの子供たちの中で最も嫌悪感を持っていた。だが、あの子が、おそらく一番自分に近い魂を持っているのだと思った。人の暖かさに飢えながら、それを表に出すことのできなかった少年。彼が奏でた曲に涙を浮かべていた。この子は既にインファンテとしての苦悩を知っていると感じた。

 愛すべき素質をもっと多く兼ね備え、両親や使用人たちに愛される術を熟知していた24は、それが兄と境遇の差を生まなかったことに絶望したのだろうか。いつから彼の心があそこまで歪んだのか、誰も知らなかった。誰もが心を病んでいるのは23の方だと信じていた。だが、不思議なことに23は、今やドラガォンの唯一の救いとなった。

 マイアという娘が『ドラガォンの館』に勤めだしてから状況が一変したのは、アントニアからの報告を聞くだけの彼にもわかった。アルフォンソは病がちで若くとも当主としての風格を備えていた。23はその兄に代わるだけの素質は到底ないし、きちんとした人間関係も築けないと心配されていた。だが、その娘が現れてから彼は目覚ましく変わり、館の使用人たちと話せるようになり、無関心だった外界に興味を持つようになった。アントニアとも音楽のことだけでなく、《星のある子供たち》や《監視人たち》中枢部に関わる話題をも積極的にするようになった。

 アルフォンソが長く生きられないことを、ドラガォンは怖れていた。その後に来る破局を避けようともがいていた。状況は僅か数ヶ月で一変したのだ。何もできない、特別な所は何もないひとりの娘が現れただけで。

 23が道を見つけたことを、彼は心から祝福した。彼が真の幸福を手にしたことも。その一方で、誰にも見せない心の地下水の最も奥に、冷ややかな想いが流れる。僅かな妬み、苦しみ、彼が決して手にすることのできなかったものを、彼の魂の友である従甥がつかんだことを。彼は、マヌエラを得ることはできなかった。彼は、名前を持つことはない。彼は、何かを決定することのできる地位に就くこともない。

* * *


「叔父さま。そろそろ支度をなさったほうがいいわ」
彼はアントニアが側に立っていることに氣がついた。ずいぶんと長い間、想いに浸っていたらしい。彼女は胸に赤い薔薇のコサージュをつけた黒い絹のドレスを着ていた。

「あの日も雪が降っていたなと思ったのだよ」
「あの日って?」
「23が宣告をしたと聞いた日だ」

 アントニアは、少し驚いて彼を見つめた。
「さっき、私もそう思ったわ。あの時は、まだアルフォンソも……」
彼女は、涙をハンカチで押さえた。

「泣くな、アントニア。今日はお前にとっても大切な祝い事のある日なのだから」
彼は、優しく従姪の肩に手を置いた。それから礼服に着替えるためにサロンから出て行った。

 彼は、この館に住むことになってから、2度目に外出することになっていた。サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会で行われる、ドラガォンの当主ドン・アルフォンソとドンナ・マイアとの結婚式に招待されているのだ。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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Emil Gilels plays the Prelude in B minor (Bach / Siloti)
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Posted by 八少女 夕

【オリキャラ飲み会】こんなの飲んでる Artistas callejeros編

またまたしょうもない妄想企画を立ち上げてみました。世間はすっかり自粛ムード、心ゆくまで飲んで騒ぐことなんて、小説の設定ですら悩み出す始末。リアルのオフ会も夢のまた夢です。なので、時流に合わせてオンライン飲み会を開催しようかなと。といっても、ここは小説ブログですし、どっちかというとキャラに飲ませた方が面白いかなと。

オリキャラの飲み会

というわけで、「オリキャラの飲み会」をオンラインにて開催します。(期限はとくにありません)

小説とか、詩作とか、マンガとか、わざわざ作品を用意する必要はありません。単に、うちの子が何を飲んでいる、というのをアップしてくださればそれでOK。写真や説明文も必須ではありません。ついでに、作品カテゴリーへのリンクや紹介を書きたい方はそれもご自由に。上のバナーは、よければご自由にお持ちください。もちろんバナーを使わなくても、この企画についての説明をしなくても問題なし。ゆるーく、飲みましょう、というだけの話です。もちろん誰でも参加OKです。あ〜、普段交流のあまりない方は、この記事のコメ欄にひと言いただければ、拝見しに伺いますので!

とりあえず、うちのウルトラ呑んべえ集団に飲みたいお酒を選んでもらうことにしました。ブログのお友達が参加してくださろうと、くださるまいと、もう勝手に飲み始めているそうです。誰も参加してくれなかったら、うちの他の作品群から勝手に追加で人員を送り込みますので、お氣になさらず。



オリキャラの飲み会 こんなの飲んでるよ
大道芸人たち Artistas callejeros編


蝶子は、イタリア産のモスカテルから飲み始めています。極甘口のデザートワインです。この人、自分の好きなものしか飲みません。「とりあえずビール」とか、一切やらない人。あとで、ワインやその他のもっと強いお酒に流れます。
モスカテル

稔は、日本酒をチョイス。普段ヨーロッパでは、その地方の名産を飲みますが、ここは何でもありなので。今の時期なのでぬるめの燗で。
日本酒

レネは、南仏で好まれるアニスのお酒パスティスを飲んでいます。(実家のワイン飲めよという話はさておき)
お酒自体は透明なのですが、水で割るとこうしたクリーム色になるのが特徴です。
パスティス

ヴィルは、1杯目はビールにした模様。ドイツ人ですからねぇ。2杯目からはワインに行くみたいですけれど。
ピルスナー

【参考】
「大道芸人たち Artistas callejeros」を読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第一部(完結)
あらすじと登場人物

「大道芸人たち 第二部」をはじめから読む「大道芸人たち Artistas callejeros」第二部
あらすじと登場人物


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Tag : オリキャラの飲み会 キャラたちの食卓

Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(12)『プレリュード』 -1-

『Filigrana 金細工の心』の12回目「『プレリュード』」です。

今回も冒頭と終わり以外は回想なのですが、わりと最近の話です。第1作『Infante 323 黄金の枷 』をお読みくださった方は、どこの話をしているのかすぐにおわかりになると思います。あの時、外野はこんな風にヤキモキしていた……という話でもあります。

この話も少し長いので2回にわけます。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(12)『プレリュード』 -1-

 季節外れの雪が窓の外を覆った。陽が差してきている。春の雪は儚い。午後には全て消えてしまうだろう。そう思いながら、彼は、冬のはじめの雪の朝のことを思い出していた。

* * *


 その朝、彼がシロティの『前奏曲』を弾いている所に、電話を終えたアントニアが黙って入ってきた。彼は、いつものように曲が終わるまでは振り向かなかった。弾き終えた後も、完全な沈黙が支配していたので、ようやくおかしいと思って彼は振り向いたのだった。
「どうした、アントニア。ドラガォンへ行くのか」

 彼女は、何とも言えない顔をしていた。嬉しそうでもなければ、悲劇的でもなかった。
「行くべきかどうか、わからないわ」

「なぜ」
彼が訊くと、彼女は戸惑いながらソファに腰掛けて、上目遣いに彼を見た。それを彼に告げるのが賢いことなのか訝るように。彼は、特に答えを急がせなかった。だが、新たに曲を弾こうとしなかったので、アントニアは観念して口を開いた。

「トレースが、宣告をしたんですって」

 彼は、黙って姪の顔を見た。不意に、彼の人生を変えてしまった恐ろしい瞬間の記憶が、彼の体の中を通り過ぎた。けれど、それは一瞬のことで、彼自身がショックを受けたと悟られることはなかったはずだ。それから、冷静になって考えた。あの23が、宣告だって? なぜそんなことを。

 アントニアは、ゆっくりと言葉を選んだ。
「昨夜の晩餐で、クワトロがトレースに口論を仕掛けたんですって。あの子が、トレースと一番仲良くしている例のマイアって子に宣告するとほのめかしたので、その場でトレースが……」

 そういうわけか。彼は、頷いた。

「それで」
「1晩経って、どうなったのか、まだわかっていないみたいで」
「正餐の時間になればわかるだろう。それとも、好奇心丸出しでお前が乗り込んでいくつもりか」
「そんなことできるわけないでしょう。あの子に拒絶されたら、トレースはどうなっちゃうのかしら。前よりもひどく引きこもってしまうかも」

「何がどうなろうと、娘は1年間は23の所にいるんだろう。一緒に暮らしているうちに、情も移るだろう。24みたいなことをしなければ」
「トレースがそんなことをするわけはないわ」
「なぜわかる。24があんなことをしたも、お前は最初は信じなかったじゃないか」

 アントニアは、黙ってうつむいた。叔父の言葉は正しかった。

 24は、ライサやその前に一緒になった女性を居住区内の1室に閉じ込め、他の誰かと会話をしないようにしていた。居住区の中は広く、出入り以外の多くのことについてインファンテ自身の裁量が優先されている。入室が禁じられた空間に押し込められ薬物も用いられれば、娘が被害に遭っていることを察知して助け出すことは容易ではなかった。

 ライサのSOSを察知したのは、反対側の居住区にいた23だった。24が窓を閉め忘れ、偶然に彼女の意識が戻った時に、助けを求める声を23が耳にしたことが発端だった。彼は唯一親しく話のできるアントニアに相談したが、はじめは彼女もそれを何かの間違いだろうと決めつけた。多少芝居がかったところはあるが、明るく愛らしい弟がそんなことをするとはとても信じられなかったのだ。

 24に怖ろしい2つ目の顔があることがわかるまでには、さらにひと月以上かかった。ライサが流産をし、処置が必要になったのだ。24はインファンテの存在を世間から隠すことを示唆して、巧みに居住区内での看護を主張したが、23の話を思い出したアントニアからの進言を受けたアルフォンソは、彼女を入院させた。数ヶ月もの間、精神を病むほどの虐待が見過ごされていたことが明らかになり、ドラガォンの中枢部はおののいた。

 ライサは、『ボアヴィスタの館』預かりとなり、1年以上の療養を経てから、腕輪を外されて実家に戻った。こんなことは2度とあってはならないことだが、絶対になくなるとは誰にも言えない。狡猾に歪んでしまった24もまた、非情なシステムの被害者なのだから。

 同じように意思に反して閉じ込められた23が、やはり精神をゆがめられていることも、多いにあり得ることだ。が、ライサの件にいち早く氣づき、彼女に助力を求めたその本人が、同じようなことをするとは思えなかった。それに、アントニアは『ドラガォンの館』でマイアに逢っていた。彼女の勘が正しければ、あれは弟の片想いではなかったはずだ。アントニアは、それ以上語らなかったが、表情はそう主張していた。

 彼は、訝りながら再び『前奏曲』を弾き始めた。アントニアが、傍らに立ち彼の指使いを眺めている。彼は、先ほどと同じように弾こうと意識しながら、そうではないことを感じている。ロシアの作曲家アレクサンドル・シロティがバッハの平均律から前奏曲をアレンジしたロ短調の作品で、原曲よりも憂いを感じる曲ながら、彼は淡々と弾くスタイルを好んでいた。だが、先ほどのニュースが彼の胸の中に、大きな石をそっと置いたようだ。

 ピアノの傍らに立つアントニア。憂いが表現上のものでしかなかった頃、同じ位置に立っていたのはマヌエラだった。30年前の宣告が、彼の人生を変えた。彼の人生は、あの日に終わったのだと思っていた。それ以後は、意義もなく、ただ生きながらえているだけだと。彼女が、別の人生を目指し強い意志と活力で歩み去った後、彼は彼女への想いを音にすまいと心を砕いた。それに成功したかどうか、彼にはわからない。
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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

パンが余るので

すみません。最近、食べる話ばかりですよね。でも、実際、他にほとんど記事にするようなことがなかったりして。

基本的には、食材はある物を把握して買い足すべきなのです。が、パンだけは連れ合いが職場で勝手に買うことが多くて、しかも、かなり固くなってから持ってきたりするのです。で、そのままではなかなか終わらない固いパンに悩まされることがけっこうあります。

スイスは基本的に乾燥しているので、パンはカビることはあまりありません。(ビニール袋に入れておかない限り)

でも、石みたいに固くなってしまうのです。すぐに固くならない茶色っぽいパンをメインで買いますが、それでも1週間もすればカチカチです。そうなってからも、1度水にくぐらせてからオーブンで加熱すると焼きたてのようになりますが、食べきれずに冷えると再びカチカチになります。

なので、「これは食べきれないわ」と思ったときは、たくさん消費するメニューを優先させることになります。

ごく普通にフレンチトースト(スペイン風に甘くないパン・コン・アホにすることも)にしたり、ガーリックトースト、エスカルゴバター・トーストにすることもあるのですけれど、それでも終わりそうにない時は、まだナイフで切れるときにカットして、パン粉にしたり角切りにして冷凍します。

冷凍した角切りパンの使い道は、エスカルゴ・バターと一緒に炒めてクルトンのようにしてサラダと一緒に食べたり、スペイン料理のミガスにしたり。

ミガス

ミガスは、辛いチョリソというソーセージと、にんにく、オリーブオイルと共に野菜とパン屑を炒め合わせトマトの水分を吸わせて作ります。私は、軽く炒めた後に溶き卵と一緒にオーブンに入れて作ります。写真はチョリソがなかったので、フランス語圏スイスの特製ソーセージを別に茹でて、添えています。

ココアワッフル from パン屑

パン粉は、カツレツなど普通にパン粉として使うことが大半ですが、実はこんな使い方もできます。小麦粉ではなくてパン粉を使った生地でワッフル。先日ご紹介したワッフルメーカーで作りました。たぶんケーキっぽいものもできると思いますが、ワッフルの方がパン粉の粗さが目立たないのではと。色も目立たなくするためにあえてココアも混ぜて作りました。

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Category : 美味しい話

Posted by 八少女 夕

【小説】天国のムース

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今日の小説は『12か月の店』の7月分です。このシリーズでは、このブログで登場するさまざまな飲食店を舞台に小さなストーリーを散りばめています。

今回の舞台は『黄金の枷』シリーズの舞台であるPの街にある『マジェスティック・カフェ』です。Pの街というのは、私が大好きなポルトがモデルで、『マジェスティック・カフェ』も実在する有名カフェをモデルにしています。

今回出てくる男性3人(うち1人は名前しか出したことがなかった)は、おもに外伝に出てくる、つまり、本編のストーリーにはほぼ関わらない人たちです。もちろんこの作品の内容も本編とは全く無関係です。

短編小説集『12か月の店』をまとめて読む 短編小説集『12か月の店』をまとめて読む

【参考】
小説・黄金の枷 外伝
「Infante 323 黄金の枷」『Infante 323 黄金の枷 』
『Usurpador 簒奪者』を読む『Usurpador 簒奪者』
『Filigrana 金細工の心』を読む『Filigrana 金細工の心』



黄金の枷・外伝
天国のムース 


 マヌエル・ロドリゲスは坂道を登り切ると汗を拭いた。この季節にサンタ・カタリーナ通りへ向かうのは苦手だ。それも、いつもの動きやすい服装ではなくて、修道士見習いらしく茶色い長衣を着てきたものだから暑さは格別だった。

 生まれ故郷に戻ってきて以来、彼は実に伸び伸びと働いていた。神学にも教会にも興味もないのに6年ほど前に信仰の道に入ったようなフリをしたのは、家業から逃れ海外に行ってみたかったからだ。だが、その苦肉の策を真に受けた親戚が猛烈な後押しをし、よりにもよってヴァチカンの教皇庁に行くことになってしまった。そして、頭の回転の速さが目にとまりエルカーノ枢機卿の個人秘書の1人にさせられてしまったのだ。もちろん彼がある特殊な家系の生まれであることも、この異常な抜擢と大いに関係があった。

 枢機卿には「早く終身誓願をして司教への道を歩め」との再三勧められていたが、「家業から逃れたいがための方便で神学生になっただけで、本当は妻帯も許されないような集団に興味はありません」とは言えず、のらりくらりと交わしていた。頃合いを見てカトリック教会から足を洗い、イタリアで同国人相手の観光業でも始めようかと思案していた頃、彼は生家が関わる組織に所属していた女性クリスティーナ・アルヴェスに出会った。

 すっかり彼女に心酔した彼は、彼女が組織の中枢部で働くことになったのを機に共に故郷に戻ることに決めた。それも、あれほどイヤで逃げだそうとしていた組織に深く関わる決意までして。とはいえ、クリスティーナには未だ仲間以上の関係に昇格させてもらえないし、教会にいろいろとしがらみもあるので、修道士見習いの身分のまま故郷の隣町の小さな教会で地域の独居老人の家を回り手助けをする仕事を続けている。

 今日、珍しく修道服を着込んでいるのは、よりにもよってエルカーノ枢機卿がPの街を訪問していて、マヌエルに逢いたいと連絡してきたのだ。訪問先の教会にでも行くのかと思ったら、呼び出された先は『マジェスティック・カフェ』だ。Pの街でおそらくもっとも有名で、つまり観光客が殺到するような店だ。なぜそんなところで。マヌエルは首を傾げた。もちろん、サン・ジョゼ・ダス・タイパス教会の奥で面会すれば、終生誓願はまだかとか、現在はどんな祈りを捧げているのかとか、あまり話題にしたくないことを延々と訊かれるのだろうから、カフェで30分ほど適当につきあって終わりに出来るのならばいうことはない。

 彼は、予定の時間よりも30分も早くそのカフェに着いた。観光客に好まれる美しい内装が有名なので、席に着くまで外で何十分も経って待つのが普通なのだが、まさかヴァチカンから来た枢機卿を観光客たちと一緒に並ばせるわけにもいかない。とはいえ、お忍びなので特別扱いはイヤだといわれたので、特別ルートで予約することもできない。つまり、彼が先に行って席についておく他はないのだ。面倒くさいなあ、あの赤い帽子を被って立っていてくれれば、みな一斉に席を譲ると思うんだけどなあ。

 大人しく並んでいると、テラス席の客にコーヒーを運んできた帰りのウェイターが「おや」とこちらを見た。
「ロドリゲスさんじゃないですか!」

 名札に「ジョゼ」とある。顔をよく見ると、知っている青年だった。マヌエルが担当地域でよく訪問している老婦人の孫娘と結婚した青年だ。たしか組織の当主夫人の幼なじみで、結婚祝いを贈ったのだが、それを老婦人と顔なじみのマヌエルが届ける役割をしたのだ。
「ああ、こちらにお勤めでしたか」
「ええ。その節は、どうもありがとうございました。今日は、おひとりでご利用ですか」

 マヌエルは首を振った。それから声をひそめて打ち明けた。
「実は、イタリアから枢機卿がお忍びできていましてね。並んで待たせるわけにはいかないので、こうして先に並ぶことになったんですよ」
「おや。そうですか。じゃあ、お2人さまのお席でいいんですね。奥が空いたらご案内しましょう」

 ジョゼ青年が店内に入って行く背中を見送っていると、通りから聴き慣れた声がした。
「おや、マヌエル。待ちきれずに早く来てしまったのは私だけではないようだね」

猊下スア・エミネンツァ ! もう来ちゃったんですか」
つい大声を出して、エルカーノ枢機卿に睨まれた。
「困るよ。今日はそんな呼び方をするなといっただろう」
「はあ、すみません」

 前後で並んでいる観光客たちのうち、呼びかけの意味がわかった者も多少はいるらしく、響めいていた。この居たたまれなさを何とかしてほしいと思ってすぐに、先ほどのウェイター、ジョゼが戻ってきて「ロドリゲスさん、どうぞ」と言ってくれた。列の前に並んでいた4人の女性たちは、イタリアから来たカトリック教徒だったらしく、恭しく頭を下げて通してくれた。順番がどうのこうのと絡まれることもなく先を譲ってもらえたのでマヌエルはほっとした。

 Pの街に住んでいながら、『マジェスティック・カフェ』に入ったのは3回目くらいだ。コーヒー1杯飲むのに、コインでは足りないような店に入る習慣がないからだが、たとえもっと経済的な値段だったとしても、この店にはなかなか入りにくい。20世紀の初頭に建てられたアールヌーボー様式の装飾が施された店内があまりにも華やかすぎて落ち着かないのだ。

 ピーチ色の壁、壁面に飾られた大きな鏡、マホガニーと漆喰の華々しい彫刻、そして古き良き時代を思わせる暖かいランプ。どれもが晴れがましすぎる。エルカーノ枢機卿は、マヌエルとは違う感性の持ち主らしく、当然といった佇まいで座っていた。普段ヴァチカンの宮殿やサン・ピエトロ大聖堂を職場として行き来している人だから、この程度の豪華さではなんとも思わないのだろう。

「久しぶりだね。先ほどファビオと話していたんだが、君は地道な活動を嫌がらずにやってくれて助かると言っていたぞ」

 帰国以来、彼の上司であるボルゲス司教には、目をかけてもらっているだけでなく便宜も図ってもらっている。マヌエルはサン・ジョゼ・ダス・タイパス教会付きの修道士見習いという立場だが、ボルゲス司教は彼と同じ役割を持つ家系の出身であり、マヌエルが教会の仕事の他にドラガォンの《監視人たち》中枢部としての仕事を行う後ろ盾にもなってくれているのだ。それゆえ、マヌエルは修道士見習いとしては異例ながら、Gの街の小さな分教会での閑職と、地域の老人たちを訪問する業務だけに従事し、宗教典礼の多くから解放されて通常は伸び伸びと暮らしていた。

 エルカーノ枢機卿は、この国の出身ではなくドラガォンとは直接的な関係はないが、役割上この秘密組織のことを知り、時に《監視人たち》中枢部の黒服やドンナという称号を持つ女性たちと面会をすることもあった。どうやら今回の来訪はドンナ・アントニアとの面会のためだったらしい。ヴァチカンにいた頃は、もちろんマヌエルがやって来た黒服ソアレスを人払いされた枢機卿の書斎に案内したものだ。だが、今回の来訪では幸いにも彼は蚊帳の外の存在でいられた。橋渡しをしたのはボルゲス司教だろう。

「それで。君は、いまだにそんな身分なのか。一体いつ終生誓願をするつもりかね」
あららら。この話題を結局出されたか。枢機卿はまだ彼が司祭になんかまったくなりたくないと思っていることを嗅ぎつけてくれないようだ。
「まあ、そのうちに……。それより、何を頼まれますか、ほら、お店の方が待っていますよ」

 会話の邪魔をしないように立つジョゼの方を示しながら、彼はメニューを開けてエスプレッソが5ユーロもすることに頭を抱えたい思いだった。いつもの立ち飲みカフェなら10杯飲めるな。

「うむ。このガラオンというのは何かね」
枢機卿は、ジョゼに対して英語を使った。

「そうですね。ラッテ・マッキャートみたいなものです」
「じゃあ、それにしよう。……それからデザートなんだが」

 枢機卿はしばらくメニューのデザートのページを眺めていたが、小さく唸りながら首を傾げた。
「おや、ここではなかったのかな」

「何がですか?」
「いや。いつだったか、この街に来たときに食べたムースが食べたかったんだが、それらしいものがないなと思ってね」

「どんなお味でしたか?」
ジョゼが訊いた。

「砕いたビスケットが敷いてあって」
枢機卿は考え考え言った。

「はあ」
「甘くて白いクリームと層になっていて……」

「それは……」
マヌエルはもしやと思う。

「それに、名前が確か天国のなんとかという……」
「「天国のクリームナタス・ド・セウ 」」
マヌエルとジョゼが同時に言った。

「おやおや。有名なデザートなのかね」
「そうですね。この国の人間ならたいてい知っていますね」
マヌエルは、枢機卿のニコニコとした顔を見ながら言った。

 ナタス・ド・セウは、砕いたビスケットと、コンデンスミルクを入れて泡立てた生クリームを交互に重ねて作るデザートだ。たいていは一番上の層に卵黄で作ったクリームが載る。

「そういえば、以前、メイコのところで美味しいのをいただいたっけ」
マヌエルが言うと、ジョゼは「ああ」という顔で頷いた。

「メイコというのは?」
「私の担当地域にお住まいの女性ですよ。よく訪問しているんです。で、この方の奥さんのお祖母さんです」
「ほう」
「そういえば、明日また訪問する予定になっていたっけ」

 それを聞くと、枢機卿は目を輝かし身を乗りだしてきた。
「訪問すると、そのデザートが出てきたりするのかね?」
「いや、そういうリクエストは、したことはないですけれど……」
「してみたらどうかね? なに、私は以前から、こちらでの君の仕事ぶりを見てみたいと思っていたのだよ」

 何、わけのわからないことを言い出すんだ。いきなり枢機卿なんかがやって来たらメイコが困惑するに決まっているじゃないか。同意を求めるつもりでジョゼの顔を見ると、彼は肩をすくめて言った。
「差し支えなければ、彼女に連絡しておきますよ。明日、猊下がいらっしゃるってことと、ナタス・ド・セウを作れるかを……」

 そんなことは申し訳ないからとマヌエルが止める前に枢機卿は立ち上がってジョゼの手を握りしめていた。
「それは嬉しいね。どうもありがとう、ぜひ頼むよ! 親切な君に神のお恵みがありますように!」

 遠くからそのやり取りを眺めていたジョゼの上司がコホンと咳をした。そこで3人は未だにこのカフェでの注文が済んでいなかったことに思い至った。
「あ〜、猊下、何を頼みますか」
「うむ。そうだな。明日のことは明日に任せて、今日もなにかこの国らしいデザートを頼もうか。君、この中でどれがこの国らしいかね?」

 ジョゼは、メニューの一部を指して答えた。
「このラバナーダスですね。英語ではフレンチ・トーストと呼ばれる類いのお菓子なんですが、シナモンのきいたシロップに浸してから作るんです」

 枢機卿は重々しく頷いた。
「では、それを頼もうか。それも、このタウニー・ポートワインとのセットで」
「かしこまりました。そちらはいかがなさいますか?」

 マヌエルは、メニューを閉じて返しながら言った。
「僕はエスプレッソシンバリーノ と、パステル・デ・ナタをひとつ」

 頭を下げてから奥へと去って行くジョゼの背中を見ながら、マヌエルはため息を1つついた。やれやれ。ここで30分くらいお茶を濁して逃げきろうと思っていたけれど、明日もこの人にひっつかれているのか。メイコの天国のクリームナタス・ド・セウ が食べられるのは嬉しいけれど、味わう余裕があるかなあ。

 マヌエルは居心地悪そうに地上の天国のような麗しい内装のカフェを見回した。

(初出:2021年7月 書き下ろし)

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Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

【小説】花のお江戸、ギヤマンに咲く徒桜

今日の小説は『12か月の店』の4月分です。このシリーズでは、このブログで登場するさまざまな飲食店を舞台に小さなストーリーを散りばめています。

今回の舞台は『お食事処たかはし』です。といっても、『樋水龍神縁起』や『大道芸人たち Artistas callejeros』で登場した樋水村にある店ではなく、江戸にある同名の店という設定です。はい。今回は以前にリクエストにお応えして書いた冗談小説のチーム、隠密同心たちを登場させました。

この作品は、『大道芸人たち Artistas callejeros』の主要キャラたちが、隠密同心(のバイト?)をしているという設定で、篠笛のお蝶、三味線屋ヤス、手妻師麗音レネ 、異人役者稲架村はざむら 貴輝の4人を書いて遊んだのですが、今回は加えて「たかはし」の親子3人や、旗本嫡男の結城拓人、浪人の生馬真樹まで登場。ふざけた話になっています。

本編(『大道芸人たち Artistas callejeros』や『樋水龍神縁起』、『樋水龍神縁起 Dum Spiro Spero』)とは、全く関係ありませんので、未読でも問題ないはずです。


短編小説集『12か月の店』をまとめて読む 短編小説集『12か月の店』をまとめて読む

【参考】
半にゃライダー 危機一髪! 「ゲルマニクスの黄金」を追え



花のお江戸、ギヤマンに咲く徒桜

 障子の向こうにひと片、またひと片と散りゆく花が透けて見えた。もう春かと彼は傘張りの手を休めた。生類憐れみの令に対して疑念を抱いた藩主の酒の席でのひと言が、幕府の耳に入り改易蟄居を申しつけられた。家臣は職を失った。そのひとりであった生馬真樹はそのまま江戸に留まったが、再仕官は未だかなわず傘張りで日銭を稼ぐ日々だ。

「ちょいと、生馬さま。聞いておくれよ」
ガラリと引き戸を開けて入ってきたのは、「お食事処たかはし」の女将であるお摩利。

「どうなさいましたか。女将さん」
「どうしたも、こうしたも、うちの人がさ。岡っ引きにしょっ引かれてしまったのよ」
「なんと。ご亭主が? 一体どうしたんですか」

 お摩利は、あたりを見回してから土間の引き戸を閉め、それから袖口からそっと何か小さな桐箱を取りだした。
「どうやらこれのせいらしいんだけれど、私にもわけがわからないのさ」

 真樹は、それを受け取って開けた。絹の布団に薄紙に包まれた何かが載っている。注意深く薄紙を開くと、彼は息を飲み、まじまじと眺めた。

 それは小さな盃だった。よくある陶器や磁器などではなく、透明な硝子に桜の花が彫ってある。藩で進物授受の目録管理に関わったこともある彼は、それが時おり見るびいどろではないことをひと目で見て取った。

「これはどこで手に入れたものですか」
「あの人が、客から預かった物よ。一応、そんな物は預かっていないって言い張っているはずだけれど、拷問される前になんとか助け出したいのよ。ところで、これ、すごいお宝なの?」
「はい。おそらく長崎出島から持ち込まれた御禁制のギヤマンかと」
「ええっ。ただの珍しい盃じゃないの?」

 真樹は首を振った。
「ここを見てください。びいどろのような泡や濁りは全く混じっていない。透かせば女将さんのお顔がそのまま見えます。こんな薄い硝子は、長崎でも作れないはずです。それに、この桜です」

 白くこすったように桜の文様が掘られている。
「この桜がどうしたの?」
「まるで細筆で描いたかのように細かく表現されていますよね。金剛石のようにとても硬い物で根気よくこすってつけた文様でしょう」

 大名の宝蔵どころか、御上に献上されてもおかしくない一品だ。江戸下町の食事処の亭主が持っていたら、よからぬことをしたと疑われても無理はない。
「やだわ、どうしよう。あの人ったら、面倒な物を受け取ってしまったのね」
「一体だれが……」

「娘にご執心の結城様が持ってきたのよ」
お摩利は、真樹をちらりと眺めていった。真樹は、はっとして、お摩利の顔を見つめた。

 かつて江戸詰の頃は「お食事処たかはし」に足繁く通い、看板娘のお瑠水と親しくしていたのだが、浪人となって以来手元不如意でなかなか店に足を運ぶことができない。その間に、お瑠水に近づいていたのが旗本嫡男で評判の遊び人である結城拓人だった。

「うちの人や、娘を苦境から救ってくれるのは生馬様しかいないと思って来たのよ。後生だから、助けてくれないかしら」
摩利子は、真樹を見上げるようにして訊いた。

 真樹は、厳しい顔をして考えた。
「もちろん、お助けしたいのは、山々ですが、拙者ひとりでは……そうだ。もしかしたら彼らなら……」

「誰? アテがあるの?」
「ええ。とある四人組に伝手があります。異人役者の稲架村はざむら 貴輝はご存じですか」

「ええ。名前ぐらいなら。異人なのに達者に江戸言葉を話すって評判よね」
「拙者、彼にちょっとした貸しがあるんです。彼にはもう1つの稼業があって、岡っ引きの方にも顔が利くかもしれません。早速ご亭主のことを頼んでみます。ついでに、結城様や、このギヤマンのことについても訊いてみます。女将さんは、お店に戻ってください。お瑠水さんに何かあったら大変ですし」

「まあ。それは助かるわ。じゃあ、お願いね」
お摩利は、持っていれば獄門に連れて行かれるやもしれないギヤマンの盃を、体よく真樹に押しつけると急いで店に戻っていった。

* * *


 下町人情あふれる一角に「お食事処たかはし」はある。活きのいい魚と女将お摩利の話術に誘われて多くの常連で賑わう店だ。

 お蝶は、芸者のなりをして店に入ってきた。彼女は稲架村はざむら 貴輝と同じく隠密同心で、生馬真樹から話を聞き、「お食事処たかはし」の警護と情報収集のため派遣されてきたのだ。

「いらっしゃい」
「まだ早いけど、座ってもいいかしら」
「どうぞ」

 暖簾をくぐると、店には武士がひとりいる。その顔を見て、お蝶は呆れて思わず言った。
「ちょいと、結城の旦那! 何故ここにいるのよ。一体だれのせいで……」

「あれ! 篠笛のお蝶じゃないか。まずいな、もう話はそちらに上がってしまったのかい」
「当たり前よ。異人同心たちも呆れていたわよ。結城の旦那が、とんでもないことをしてくれたって」

「面目ない。まさかご亭主があれをこの辺に置いておくなんて夢にも思わなかったんだよ」
「町民にあれがどんなものかわかるわけないでしょう」

 結城は肩をすくめた。
「で。ご亭主は? それに、あのギヤマンはお蝶、君が持っているのかい? 頼むから返してくれよ」

「ご亭主は、いま内藤様預かりになったわ。あの御品は、ひとまず岡っ引きなんかじゃ手の出せないところに預けてきたし」

「内藤様というのは……」
心配そうなお摩利に、結城は片目を瞑って言った。
「隠密支配の内藤勘解由様だ。拙者の友人でもある。ご亭主が彼のところに居るなら、もう心配は要らないよ」

 お摩利は、ホッとした顔をした。そして、結城は、改めてお蝶に向き直った。
「で、あれを返してくれないと困るな。明後日には、あれをもって登城する予定で……」

 お蝶は、憤懣やる形無しというていで、どかっとその場に座った。
「旦那が、あれがなんなのか、そして、そもそもどういうことか説明してくれたらね」

「いや、うちのお殿様から、御上への献上品なんだけれど、あまりに珍しくてきれいだったので、ちょっとお瑠水ちゃんに見せてあげたかっただけなんだ。こんなにきれいな物を見せてくださるなんて、結城様、素敵! と靡いてくれるかもしれないし」

 お蝶とお摩利は、同時に大きくため息をついた。結城拓人は女誑しで名が通っている。普段は、玄人筋から秋波を送られて、次から次へと戯れの恋模様を繰り広げているのだが、靡かないと燃える質なのかこの店の看板娘であるお瑠水にしつこく言い寄っていた。

 根は悪くないらしく、身分の差をいいことに無理に召し上げるようなことをしないのはいいのだが、女子おなご の氣を引くために、献上品を持ち出して見せびらかすなど、浅薄にも程がある。

 お蝶は、呆れかえって首を振った。
「あいかわらず懲りないお方ですこと。では、あの盃をどこに預けたか教えてあげましょ。先ほど園城様のお屋敷まで出向いて、お殿様に事情を話して頭を下げてきたんですよ。未来の婿殿のお役罷免を避けるために、渋々御協力くださることになって。で、いまは真耶姫様の化粧箱の中。返してほしければ、姫に頭を下げるんですね」
「な、なんと!」

 拓人は青くなった。寺社奉行を務める園城聡道は、幕府の御奏者番でもある。つまり、将軍に謁見するとき、その取次を行ない、献上物を披露する役割を担う。さらにまずいことに、娘の真耶姫は当の結城拓人の許嫁。つまり、町娘の氣を引くために献上品を持ち出したことは、御奏者番の殿にも許嫁の姫にも露見した。

 おもしろそうに二人のやり取りを聞いていた女将お摩利は、お蝶のために徳利と盃を出した。
「お姉さん。うちの人を助けてくだすったお礼に、一献飲んでいってくださいな。もしかして、お姉さんが、生馬様のおっしゃっていた異人同心さまたちのお仲間では」

 お蝶はにっこり笑って、頭を抱える結城拓人の隣に腰掛けた。
「そうです。せっかくだから、ご馳走になりますね。まあ、このお酒とてもおいしい。結城様ったら、どうしてこのお店を私たちに教えてくださらなかったのよ」

「そんなことをしたら真耶どのに筒抜けではないか」
結城拓人は、がっくりと肩を落として、それでもしっかりお蝶の酌を受けて飲んでいる。

「おいお蝶、一向に帰ってこないかと思ったら、何を勝手にはじめているんだよ」
入り口からの声に一同が振り向くと、魚売りの扮装をした男と、もじゃもじゃ頭の異人がのぞき込んでいる。

「あら。ヤスったら、なんなの、そのなりは」
隠密同心である三味線屋のヤスが、魚屋の変装するのは珍しい。
「聞き込みの帰りだよ。ついでに行方をくらましている結城様を捜しに……って、なんだ、ここにいるのかよ」

「やあ。三味線屋と手妻師くんか。よかったら、憐れなことになった拙者を一緒に慰めてくれないか」
結城拓人は、憐れな声を出した。

「どうなさったんですか、結城様」
手妻師麗音と呼ばれる仏蘭西人も、気の毒そうに入ってきた。

「どうもこうも、拙者の失態をよりによって園城様と真耶どのに知られてしまったらしくってね。これから畳に頭をこすりつけて、お灸を据えられに行くことになったんだよ」

「そのぐらい、どうしたっていうのよ。あなた様の軽率な行為のせいで、こちらのご亭主がもう少しで拷問にかけられるところだったのよ」
お蝶は、冷たく言い放つ。

「へえ。じゃあ、俺たちの働きに感謝して、ご馳走してもらってもいいよな」
ヤスは、さっさと結城拓人の反対側に陣取った。お蝶に促されて麗音もおずおずと座る。
稲架村はざむらさん抜きで呑んじゃっていいんですか。後で怨まれますよ」

「へっちゃらさ。もうじき内藤様のところからこちらのご亭主をお連れする手はずになっているから」
ヤスがいうと、結城拓人は目をむいた。
「ということは、拙者が異人役者の分も酒代を出すってことか」
お蝶は、その通りと微笑んで頷いた。

「そうと決まったら、少し祝い肴を用意するわね」
お摩利は、たすき掛けをして、自慢の肴をいろいろと用意し始める。

 ほどなく、稲架村はざむらが、亭主をつれて店にやって来た。喜ぶお摩利はもちろん独逸人にも呑んでいくように奨める。

「ところで、肝心なお瑠水ちゃんは、どうして帰ってこないんだ?」
酒豪の四人組にたかられることを覚悟した結城拓人は、せめてひと目可愛い看板娘を見て目の保養をしたいと思った。

 お摩利は、その拓人に追い打ちをかけるように言った。
「今ごろ、生馬様のお宅に行っているでしょ。なんせ父親を窮状から救い出してくださった大恩人ですもの。それにあの子、前々から生馬様に夢中みたいだし」

 笑いでわく「お食事処たかはし」にも、風で運ばれた白い花片がふわりと舞い込んでいた。江戸には間違いなく春が訪れていた。
 
(初出:2021年4月 書き下ろし)

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まったくの蛇足ですが、作品に使ったガラス盃は、当時の日本では作っていなかったGlasritzen(グラスリッツェン)という、ヨーロッパ伝統の手彫りガラス工芸を想定しています。ダイヤモンド・ポイント彫りともいい、先端にダイヤモンドの付いた専用のペンで、ガラスの表面に細かい線や点などを彫刻する技法です。

当時の言葉でガラス製品を表したものには「ギヤマン」と「びいどろ」がありますが、日本で作られていたのは吹きガラスである「びいどろ」(硝子を意味するポルトガル語由来の言葉)でした。長崎出島を通して入ってくるヨーロッパ製のガラスはグラスリッツェンを施したものもあり、ダイヤモンドを意味するポルトガル語がなまって「ギヤマン」と呼ばれたそうです。
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Posted by 八少女 夕

【行ったつもり】(エアー)旅行 旅の思い出チャレンジ

行ったつもりのエアー旅行。4回目まではやったと思うのですが、今日はちょっと趣向を変えて。

本名でやっているSNSで、旅の写真チャレンジが回ってきました。一切の説明はなしで、写真だけアップするというチャレンジですね。本来は、タグをつけてほかの人にやってもらうのですけれど、ネズミ講っぽいじゃないですか、それ。で、タグ付けと指名なしで10日間旅の写真だけをアップしたのです。

それが、意外と好評だったので、せっかくだからその写真をここでも開示してみようと思いました。

記事上では説明はしませんけれど、秘密でもなんでもないので、氣になった写真があればコメント欄で訊いてくださいね。

旅の思い出 ポルト
旅の思い出 厳島神社
旅の思い出 カルモナ
旅の思い出 ルガーノ
旅の思い出 満月列車
旅の思い出 コウノトリ
旅の思い出 コルシカ島の栗
旅の思い出 南チロル
9_PA310216.jpg
旅の思い出 ストーンヘンジ

で、もしよろしかったら、他の方も旅の写真を見せてくださいね〜、という話でした。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(11)『Canto de Amor』 -2-

『Filigrana 金細工の心』の11回目「『Canto de Amor』」の後半をお送りします。

アントニアが17歳(つまり23は16歳ですね)の頃の回想の続きですね。23のギターラ、『愛の歌』という有名な曲を聴いて、「恋をしたこと、ある?」と訊いたのが前回の更新でした。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(11)『Canto de Amor』 -2-

 アントニアの問いに、弟は黙り込んだ。彼女ははっとして、瞼を上げた。自分のことにばかり意識がいっていたが、いつもひとりでいる23には、酷な質問をしてしまったのかと思ったのだ。

 だが、弟は、彼女をしばらく見つめた後で、意外な返事を返してきた。

「恋なのか、わからない」
「わからないって、どういうこと?」
「友だちのことを、とても大切に想っているだけなのかもしれない。よく夢にも出てくる」

「夢? 普段見かけるんじゃなくて?」
「この屋敷の中にはいない」
「いない? 想像の女の子? それとも雑誌や映像で見ただれか?」
「そんなんじゃない。それに、どうでもいいだろう? 俺は、ドラガォンが命じたままにここにいるし、何もしていない。そんなことを聞き出すために、わざわざ入ってきたのか?」

「そうじゃないわ。でも、ギターラの響きが、とても優しいだけでなくとても悲しく響いたから。私の心を代弁してくれるみたいで、もっと聴きたくて」
「……。恋に悩んでいるのは、お前なのか?」

 23にストレートに訊かれて、アントニアは戸惑った。ほとんど口もきいたことのない弟と、こんな話をするとは思ってもいなかったから。けれど、今、抱えきれないほどにまで膨れ上がっている彼女の重荷を分かち合ってもらえるのは、この弟しかいないとどこかで直感が告げていた。それで、ため息をつくと頷いた。

「あなたと違って、私はもっと自由なのに、どうしてこんなことになってしまったのかしら……」
「こんなこと? 《星のある子供たち》じゃない男?」
23が訊いた。アントニアは、彼が何を言っているのか一瞬わからなかった。けれど、すぐに彼の推測が至極まともだと氣がついた。

「だったら、まだよかったんだけれど」
「なぜ? 《星のある子供たち》なら、ドラガォンがいくらでも後押ししてくれるだろう? お前は、この館でも外でも好きな所に行けるんだし。それとも父上や母上が反対するような男なのか?」

 アントニアは、顔を手で覆い、震えだした。反対どころの次元ではない。彼は、近親者であるだけではない。母親のかつての恋人であり、憎みながらも今でも一途に想っている男なのだ。両親どころか、誰に打ち明ける事もできない。誰かに助力を求める事もできない。

「すまなかった。立ち入りすぎた」
23の謝罪を聞いて、彼女ははっと顔を上げた。弟は、恥じ入るように顔を背けていた。

 アントニアは、彼を混乱させてしまったのだと思った。こんな所に入り込んできて恋の話などをすれば、彼は話を聴いてもらいたいのかと思った事だろう。それなのに、何も言おうとしなくて、かえって彼に罪悪感を植え付けてしまったと。彼は、家族に頼られて、打ち明け話をされた事などなかっただろうから。

「そうじゃないの。ごめんなさい。私にもわからない。でも、わかってもらえるのはあなただけだと思ったの」
「24ではなくて? あんなに仲がいいのに」

 アントニアは、首を振った。
「あの子は、とても明るくていい子だけれど……」
「?」
「時々思うの。あの子は、私の事には興味がないんじゃないかって」
「なぜ?」

「あの子自身の幸福と楽しみに直結していない事には、すぐ興味を失ってしまうのね。話していても、急に話がそれてしまったり、そんなことよりって言われてしまったりするの。だから、深い事、哲学的な事、どうしようもない事などは、あの子に話しても、何の答えも返ってこないの」

 23は、肯定も否定もしなかったが、そのことで彼もそう思っているのだとわかった。
「アルフォンソは?」
「彼はダメよ。いつどんな形で、お母様やお父様、それにメネゼスたちに伝わってしまうかわからないし。それに、彼には話を聴く時間なんてないもの」

 彼は、自嘲するように笑った。確かに23は、いつも1人だから秘密が漏れる心配もないし、時間もたくさんあった。

「でも、だからここに来たわけじゃないわ。同じ音だと思ったから」
「何と?」
「叔父さまの出す音と」

 23は、瞳を閉じた。そして、記憶をたどっていた。
「よく階段に隠れて聴いた。すごい音だった。胸がかきむしられるみたいだった。近くに寄って、もっと聴かせてほしかった」
「そうなの?」

 アントニアを上目遣いに見ながら、彼は言った。
「お前が羨ましかった。彼にピアノを教えてもらっていたことが」

「どうして自分にも教えてほしいって言わなかったの?」
「もっと聴かせてほしいと言って断られた。だから、それ以上近づけなかった」

「私も、ものすごく邪険にされて、断られたわよ。でも、めげずにしつこく押し掛けたの。彼は根負けしたんだと思うわ」
「そうか。俺もそういう図々しさを持てばよかったんだな。もう、遅いけれど」

 23の言っている意味が、アントニアにはわかった。彼女は、『ボアヴィスタ通りの館』に押し掛けて行って、またピアノを習う事ができる。けれど、23はここからは出られないのだ。新しい世代のインファンテが同じように閉じこめられる日まで。
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Posted by 八少女 夕

【小説】Filigrana 金細工の心(11)『Canto de Amor』 -1-

『Filigrana 金細工の心』の11回目「『Canto de Amor』」をお送りします。

自分でも反省しているんですが、この作品、時系列が前後に動きすぎ。起点は1つなんですけれど、多くのエピソードが過去の回想でなり立っているせいで、読者の方を振り回すことになってしまいました。で、今回発表する部分もそうで、アントニアがまだ少女だった頃の話です。彼女が頑固にピアノを弾き続けて泣いたエピソードと、成人となりちゃっかり22との同居を決定した時期の間の話です。

長めなので2回に切りました。



『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物





Filigrana 金細工の心(11)『Canto de Amor』 -1-

 11年前のことだった。24が閉じ込められた年の初め。彼女は、その時17歳だった。まだ『ドラガォンの館』に住んでいた若きアントニアは、ギターラの響きに誘われて、しばらく23の居住区の前に立っていた。

 彼が、かつての叔父のように、格子の向こうに閉じこめられてから2年近くが経っていた。もともと家族にも使用人にも打ち解けなかった23は、閉じこめられその抵抗を封じられた事でさらに自分の殻に閉じこもるようになっていた。アントニアは、出してほしいと必死に訴えていた彼への助けになろうとしなかった事への後ろめたさもあって、晩餐で見かける時もほとんど目を合わさないようにしていた。

 ただ、愛すべき弟24が彼を茶化した発言をした時だけは、隣で静かに嗜めた。24は、天使のように笑って「ごめん、もうしないよ」と言うので、彼女はその愛らしさにすぐに許してしまった。それに彼女は、24も第2次性徴期がきたら23と同じ運命になる事を知っていたので秘かに心を痛めていたのだ。

 23が家族の中で1人だけ隔離されている事への心の痛みは、その時には緩和されるだろうと考えていた。けれどその数年間が、心を開く相手もいない23にとってどれほど過酷な地獄だったのか思い至るには、当時のアントニアはまだ若すぎた。23が表現しているのは、彼女が心惹かれていた叔父の言葉にしない叫びと同じものだという事にようやく氣がついたばかり、そんな時期だったのだ。

 家族の中で、22に近づけるのは、アントニア1人だった。それも、彼が望んだからではなく、彼女の強引な好意の押し付けに屈する形で、彼女が側にいる事を許可した、それだけだった。叔父が館にいた時に無理にピアノのレッスンを受けさせた延長線で、アントニアは週に2度か3度、『ボアヴィスタ通りの館』へ通っていた。

 『ドラガォンの館』から出たにも関わらず、彼女から解放されなかった事を彼が嘆息したのか、それとも使用人以外の家族との縁が切れなかった事にホッとしたのか、叔父の乏しい表情から読みとる事はできなかった。だが、アントニアが2つの館を行き来して、その消息を伝える事は、叔父に会う事を拒否されている両親たちを安堵させた。22のわずかな変化、健康状態、それにどのような暮らしをしているのか、彼らは《監視人たち》や召使いからの報告以外でも知る事ができたから。

 だが、アントニアは、自分の行動があやふやであった己の心を、引き返せないところまで押し進めてしまった事を感じていた。ある種の同情、弟を救えなかった事に対する贖罪、両親と叔父との確執への好奇心、それら全てを超越する感情に彼女が堕ちていったのは、正にこの時期だったのだ。

 思えば、子供の頃から惹き付けられていたのはやはり、格子の向こうから響いてくる楽の音だった。いま、弟が響かせている、強く心に訴える叫びのような音色だった。この子はいつからこれほどの音を出すようになったのだろう。アントニアは訝った。ギターラを習いはじめてまだ1年と少ししか経っていないはずだ。

「ドンナ・アントニア?」
振り向くと、そこに立っていたのはジョアナだった。
「お入りになりますか?」

 彼女は、1度首を振った。けれど、思い返したように、ジョアナを見つめて言った。
「ええ。お願いするわ」
ジョアナは、黙って鍵を取りに行くと解錠してアントニアを入れた。それから再び鍵を閉めて頷いた。彼女は小さく礼をすると、階下へと降りて行った。

 ギターラの響きは、近づくことでずっと大きく華やかになった。けれど、そのどこかに隠しようのない痛みが溢れている。インファンテだから。もちろん、それだけではないだろう。だが、特殊な境遇は彼の想いを研ぎすました。1人で世界と折り合いを付けることを、彼に強要した。それがこの響きをもたらすのだと感じた。

 彼女は、まるで初めて見た知らない人のような心持ちで弟を見た。子供の頃は、それでも一緒に遊んだことがあったように思う。ただ、彼女はいつも愛らしく甘えてくる24と一緒に居て、ほとんど会話もしようとしないもう1人の弟のことは、考えることすらまれだった。

 音が止まった。23はアントニアを見ていた。訝っているのだろう。彼女自身にもよくわからなかった。どうしてここに来ようと思ったのか。
「続けて……」

 彼は黙って続きを弾きだした。それは、シューベルトの『エレンの歌第三番』、『シューベルトのアヴェ・マリア』として知られる曲だった。叔父のヴァイオリンと合わせるために、アントニアが『ボアヴィスタ通りの館』でのレッスンに通いだして直に習った曲だ。難しくない伴奏にも関わらず、叔父は簡単には満足してくれず、彼女は悔しさに何度も泣いた。だが、最終的にお互いに満足のいく演奏をした時、彼が初めてアントニアに笑いかけてくれた思い出の曲でもあった。口元をほころばす程度と言った方が正しいわずかなものであったけれど。

 弾き終わっても、彼女がものも言わずに瞳を閉じていたので、しばらく間をあけてから彼は最近よく練習していた『Canto de Amor(愛の歌)』を弾きはじめた。アントニアが自分に用があるのではないらしいと判断したのだ。

 けれど、短いその曲が終わると彼女は、目を瞑ったまま言った。
「恋をしたこと、ある?」

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23が弾いていた曲はこちら。

Carlos Paredes - Canto de Amor

こちらは、ギターラバージョンが見つからなかったのでクラッシックギターバージョンで。

Ave Maria - Schubert (Michael Lucarelli, Classical guitar)
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Posted by 八少女 夕

日本語と文化を教えるクラス

こちらは2021年のエイプリルフール記事です。

さて。今日は、私のリアルライフについての小さな記事をお送りします。

既にこのブログでもカミングアウトしましたが、去年からパートタイム的にですけれど、日本語教師の仕事も始めています。語学をメインにしたクラスがほとんどなのですけれど、ひとつだけ日本文化をメインにした個人教授をして欲しいというリクエストがあり、月に1度だけ受け持っています。

じぶんが比較文化について深い興味があるので、喜んで引き受けましたし、実際に準備は大変でもこの個人レッスンはとてもやり甲斐があります。

私は語学メインのクラスでも、課の終わりにちょっとした振り返りテストをして、どのくらい理解しているのかを確認しているのですけれど、日本文化に関する個人レッスンの方でも、少し振り返りテストをしてみたくなりました。

というわけで、ここしばらく日本文化の方の修了テストを作っていました。せっかく作ったので、ここに晒しておきますね。

わりと簡単なテストなので、もしお時間があったら、ぜひ皆様も暇つぶしにやってみてくださいね。

1ページ目
Japanese1

2ページ目
Japanese2





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もちろん、こんなふざけたテストを仕事でしているわけではありません。これは、このブログ専用のテストです。
今日はエイプリルフールですからね。
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