絶対に後悔しないこと

「悪いこといわないから」って言い方ありますよね。自分でいいと思っていることを、人にすすめる表現。
だいたいにおいて、趣味だったり、生活パターンだったり、万人にとって「正しい」とことはあまりないんですけれど。でも、私の人生において、これだけは「やって後悔したことはないな」と思うことが2つだけあります。
それは、「掃除」と「入浴」です。どちらも実際にやる前には、「面倒くさいなあ」とか「疲れちゃったからシャワーで済ませちゃおうかなあ」とか、「やらずに済む理由」を探したりしてしまうのですけれど、実際に終わらせると「よかった!」と思うのですよ。
掃除に関していえば、直前までのイライラは、片付いていない部屋とホコリが原因だったのではないかと思うくらい、心理的に好転します。物をしまうべきところに収め、掃除機をかけたぐらいでそんなに変わるものとは思えないのですけれど、実際に毎回同じくらい「すっきり!」となって心が軽くなります。

そして、お風呂。ヨーロッパの人たちは、毎日お風呂に入ることを嫌がる人が多いのです。理由はまちまちですけれど、「健康に悪い」説から「世界には飲む水がない人もいるのに」説まで、お風呂に入ることを阻止しようとする人がけっこういます。その割には、芝生に不必要なほどに水を注いだり、シャワーでバスタブ1杯には収まらないような量のお湯を使うことには良心は痛まないようです。
そんなこんなで、知人の家に泊まるときや、旅行中などはお風呂に入らずにいることも多くなりましたが、自宅に居るときは私は毎日バスタブに浸かっています。
以前は寝る前に入ることが多かったのですが、最近は9時頃に入るように変えました。「明日早いから早く出なきゃ」とストレスを感じることなくゆったりと1日の疲れを癒やす時間にしています。不思議なことに、入る前にはいつもちょっと面倒だなと思うのですけれど、お風呂に入ると必ず幸福に満たされます。わかっているのに、なぜ面倒に感じるんでしょうかね? 不思議です。
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【小説】Filigrana 金細工の心(26)スプリングソナタ -1-
コメントで、ライサにすっぽかされたチコのことを何人かの方が書いていらっしゃいましたが、今日はそのチコの話です。
切るほどでもなかったのですけれど、時間差があるのと、後書きも書こうと思うので、前後の2回にわけます。今日は前編です
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Filigrana 金細工の心(26)スプリングソナタ -1-
「君が来たってことは、僕は振られたんだね」
チコは落胆を隠せない声で言った。平静を装おうとしているが、荷物を握っている左の拳が揺れていた。マリアはその拳から眼を逸らして、エンリケ航海王子のアズレージョを見た。黄昏の光の中で、それは現実の世界をひと瞬もの哀しい色に染めている。
ライサは、昨夜電話でチコとここで会う約束をしていた。イギリスのサウサンプトンへ発つチコを空港で見送るという話を聞き、マリアは驚いたけれどそのライサの変化を喜んだ。それなのに、昼前にかかってきたモラエスという名前の男からの電話にでた後で、ライサは突然別の用事で出かけることになったと、マリアにチコの見送りの代わりを頼んできたのだ。
「イギリス行きの航空チケット、Pの街発にわざわざ変更してくれたんでしょう、あの子と会うために」
「そうさ。でも、彼女に頼まれてじゃなくて、僕が勝手にしたことだ」
「チコ……」
「いいんだ。わかっていたことだから。彼女の心がどこかその場にいない人の所にあることぐらい、いくら鈍感な僕だってわかる」
「でも、あなたはそれでもライサの力になってくれようとしたんでしょう」
チコはマリアを睨みつけるようにして見た。
「それが、なんになるって言うんだ。彼女が動きたくないのなら、僕のことなんて存在していないも同然だと言うなら、何も出来やしない」
「それは違うわ」
「何が違うんだ」
マリアはチコに視線を戻した。
「ライサは、あなたが知っているどの20代半ばの女性とも違うの。彼女は26歳だけれど、人との付き合いという意味では16歳みたいなものなの。そして、私の知っている限り、チコ、あなたがはじめてだったのよ、ライサが誰かのアプローチに反応して、自分の殻から出る方向に動き出したのは。そして、彼女はまだ迷っているの」
「迷っている?」
「家から離れていた2年半に何があったか、そして、いま彼女がどこにいて誰に逢いに行ったのか、私にはわからない。ライサの元雇用主が、なぜライサと私にあんなすごい旅をプレゼントしてくれたのかも、ライサが誰のことを想っているのかも。でも、彼女は知っているのよ。彼女が何をしようともその人と結ばれることは絶対にないって。その不幸を持て余しながら、彼女は道しるべを失っているの」
チコは、黙ってマリアの顔を見た。彼女は声のトーンを落とした。
「あなたがもうライサのことにうんざりで、2度と関わりたくないと言うならしかたないわ。でも、もし、そうでないならば、彼女を見捨てないでほしいの」
「見捨てる? 今日、どうするかを決めたのはライサ自身だろう……」
「違うの。あの子はどうしていいのかわからないの。あの子は池に浮かぶ小舟としてしか生きてこなかった。それなのに突然大西洋のど真ん中に置き去りにされたの。何をしてもいい、誰を愛してもいい、その代わりあの池にだけは戻ってくるなと。彼女が大海原で頼れるのは、今のところあなたしかいないの。彼女にも、それはわかっているの。でも、あの子は池に戻れないかどうか迷っているうちに、あなたを永遠に失ってしまうということがどういうことなのか、まだわかっていないの」
チコは、唇を噛んだ。それから、顔を上げて、マリアの目を見て答えた。
「もう行かなきゃ。今晩の飛行機に乗り遅れるわけにはいかないんだ」
マリアは、視線を落とした。
「そうよね……。都合の良すぎるお願いよね……」
チコは首を振った。
「金曜日にサンミゲル島のポンタデルガダに寄港するんだ。着いたら彼女に電話するよ。少なくとも、友達として話を聴いてくれる相手がいるのはいいことだろう。それから……」
チコは鞄から少し大きめの封筒を取りだした。
「僕たちの客船で、パーサーの職が次の航海の後に空くんだ。採用担当は、僕たちとUNOを一緒にしたあのニックで、もしライサがこの仕事に本当に興味があるならぜひ連絡してほしいって言っていた。これが応募用紙と必要な書類一覧だよ。彼女に渡してほしい」
マリアはチコに抱きついて「ありがとう」と言った。チコは笑って、マリアと握手をして別れ、空港に向かうため地下鉄駅へと降りていった。
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M1 Mac miniが来た

あ、その前にちょっとしたお知らせ。もぐらさんが当ブログの小説を朗読してくださいました。今回も素敵に読み分けてくださっています。ぜひ聴いてみてくださいね!
さとる文庫「第606回 わたしの設定」
8月に「久しぶりのアップグレードをした話」という記事でBig Surにしたよ、という話をしたのですが、その後にあれやこれやあって、結局愛用のMac miniは棺桶行きになってしまいました。9月の半ばの話です。
それ以来、長期海外旅行とオンライン授業の時に使っているサブ機 MacBook Airを中継ぎで使い、ついに新Macを購入しました。購入そのものは10月頭には決めていたのですけれど、もしかしたら安く購入できるチャンスがあるかもと様子を見ていました。普段はApple製品はなかなかセールをしないのですけれど、新商品が出たタイミングでほしかったMac miniが10%オフになったので、「そら!」と決めました。
購入したのは、Mac mini (M1, 2020)。メモリは以前と同じ16GBで、ストレージも以前と同じ1TBですが、以前と違ってSSDです。なので、以前と同じ値段というわけには行かなかったのですが、MacBook Air(こちらもSSD、ただしたったの128GB)の速さに慣れてしまったので、HDDには戻れそうもなく、今後のこともあるのでSSDバージョンにしました。そして、迷ったのですがM1のものにしました。だって、そちらの方が安かったし、さらにいうと、いずれはどれもM1になるだろうから、Intelにしがみつかなくてもいいかと思ったのです。
結果からいうと、快適です。あれこれ速くなっただけでなく、心配していたATOK 2017 for Mac(買い切り版の最後)も、若干の手間がありましたが、結局問題なく使えましたし、私の使うほとんどのソフトは問題なく作動しています。唯一ダメだったのはParallels Desktopに入れてあったAdobe CS5.5だけ。これはM1上で動かすParallels DesktopではIntel版Mac OSのバーチャルマシンが立ち上がらないから。これについては、もう少し研究するか、すでに私は数年前から移行しつつある代替ソフトAffinityで押し切るかですね。縦書きPDFはEG Word Universal2で問題ないことがはっきりしていますし、正直言ってAdobe CS5.5なしでもなんとかなりそうです。
さて、半導体不足のあおりを受けて、新Macが我が家に到着した(見た目はお釈迦になった前Macと瓜二つです)のは、この金曜日にようやくだったのですが、この土曜日に机周りを少し変えました。というのは、新Macを使うにあたりやたらとケーブルがごちゃごちゃして見えてきたんですよ。
実際には前もごちゃついていたのですが、少なくとも常時Hubを使うことはなかったはずなんですよね。AppleはBluetoothのマウスやキーボードを使ってほしいみたいですが、私は有線の方がいいのでどうしてもごちゃつきます。それにバックアップ用のHDD、ディスプレー用のVGA変換器と見えていると美しくないケーブルがどっさりと……。高いApple製品で揃えればいいじゃんと思うでしょう? でも、結局これで使えているからねぇ。
Mac Miniの下に置いて、Hubとバックアップ用のストレージを収納できるタイプの製品も検討したのですが、とりあえず私は今あるものだけで何とかなっているので、見栄えだけを少し何とかすることにしました。
で、写真(暗いけれど、ボロが出ないようにわざとです)のように単なる板と小物を収納できるパーツボックストレーを2つ買ってきて、それで手作りのディスプレースタンドを作りました。机を広く使いたいときには、マウスとキーボードは下に収納し、マウスとキーボードのケーブルはコンテナの中に突っ込めるようにしました。ケーブルはもちろんあるんですけれど、私の視界に入らなくなったので、すっきり感が増しました。
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【小説】Filigrana 金細工の心(25)望まれた言葉
前回は、当主『ドン・アルフォンソ』として23がライサと話をしましたが、今回の舞台は『ボアヴィスタ通りの館』に戻ってきました。屋敷を離れていたアントニアも戻ってきました。
この話も、本当にもうじき終わりですね。12月、小説どうしようかなあ……。『scriviamo!』もあるし、新連載を始めるのもなんですよね……。
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Filigrana 金細工の心(25)望まれた言葉
窓から差し込む光はずいぶんと赤みを増した。大西洋に沈んでいくその前に、太陽は氣づかれないほどわずかな苛立ちの焰を燃え立たせ、そのほんのわずかがこの館のサロンにも入り込んでいた。
きめ細やかに掃除され、きちんと整えられたこの館に、どうしようもなく不安でもの悲しい想いがよぎる黄昏刻だ。彼の変わらぬ端正な横顔にいかなる苦悶も表れていないにもかかわらず、アントニアはたまらなくなり両手で顔を覆った。
今朝からこの午後いっぱいを、彼女は『ドラガォンの館』で打ち合わせをして過ごした。23が当主として彼と話す場に居てはならないと思った。そして、彼とライサの新しい生活の邪魔をしないように、『ドラガォンの館』でも、『ガレリア・ド・パリ通りの館』にでも、そのまま遷り住むことすら考えていたのだ。
けれど、23は『ドラガォンの館』に戻ってくると、彼女とメネゼスに書斎に来るように命じ、ライサ・モタより返却されたクレジットカードの破棄の手続きと、ライサ・モタに元《星のある子供たち》としての可能な限りの支援を手配するように告げた。
アントニアは、それで知ったのだ。彼が提案を拒否したことを。彼が望むものを差し出されても、受け取らなかったことを。愛する女から愛と信頼を寄せられながら暮らす可能性を絶ってしまったことを。
マリオに『ボアヴィスタ通りの館』へ送り届けてもらった時には、我が家へ帰ってこれたという安堵感があったというのに、黄昏刻に窓の外を見る彼の横顔は、いつもと何1つ変わっていないにもかかわらず、苦しく悲壮に満ちて感じられ、彼女をひどく責め立てた。
どうしていいのかわからない悲しみと後悔に襲われ、涙を止めることができなかった。泣きたいのは自分ではないはずなのになぜこんな騒ぎを起こしてしまうのか、自分でも不甲斐なかった。その場をそのまま立ち去ろうとしたが、その時に彼は窓辺を離れて歩み寄り、彼女を抱きしめた。
優しく、我が子をなだめるように。
子供の頃、彼に憧れて追い回した時、彼は決してそんなことはしてくれなかった。纏わり付く彼女に根負けしてピアノを教えてくれることになってからも、彼は厳しく他人行儀な態度を崩さなかった。共に暮らすようになり、時に笑顔を見せ、時に皮肉に満ちた軽口を叩いてくれるようになってからも、彼は彼女に身内としての愛情を向けることはなかった。
彼に恋い焦がれるようになってから、どれほど彼女はその抱擁を欲したことだろう。
けれど、アントニアは、抱擁を与えてくれる他の誰かではなく、たとえ冷たく他人行儀であっても彼と共にありたかった。父親を亡くした時、兄を失ったとき、彼女の悲しみは大きかったが、それでも彼の側に居られることで全てが帳消しになっていたのだ。
「ごめんなさい」
アントニアはくぐもった声を出した。
「なんだ」
「前におっしゃったわ。顔も見たくない、私となんか関わりたくないって」
彼は笑った。
「そんなことを言ったこともあったな。お前の意図がわからなかった。何を好き好んで両親を憎み、一族中に持て余されている不要な人間につきまとうのか。追い返せば、すぐに『ドラガォンの館』に逃げ帰るかと思ったが、お前は私に負けずに頑固だった」
アントニアは、彼を見上げた。
「大人しく尻尾を巻いて逃げ出すべきだったんだわ。……叔父様が本当に一緒に居たいのは、私ではないのでしょう」
22はわずかに間をとったが、優しい抱擁に変わりはなかった。
「アントニア」
彼は囁いた。なんと優しい響きだろう。
彼女は続けた。
「私がここにいなければ、アルフォンソはお父様の死後、お母様と叔父様が逢えるように取りはからったはずだわ。それが許されないとしても、ライサぐらいはずっとここに居続けられるようにしてくれたはず。私のせいで叔父さまはいつも幸せから遠ざけられている、そうでしょう?」
22は瞳を閉じた。言ってやらなくてはならない。そうでなければこの娘は永久に苦しみ続けるだろう。彼はアントニアを強く抱きしめた。
「ここはおまえの、おまえだけの場所だ、アントニア」
彼女は涙に濡れた瞳を向けた。22は微笑んで、彼女の額の乱れた黒髪をその長い指で優しく梳いた。
「私はお前を愛している。私のアントニア」
不安に怯えた瞳は悲しげに潤んだ。
「小さな可愛い姪として?」
「小さな可愛い姪として」
彼の言葉に、アントニアは睫毛を伏せた。彼は続けた。
「私のたった1人の友として。かけがえのない音楽のパートナーとして。そして夜に夢みる永遠の女神として」
アントニアは弾かれたように、顔を上げた。怯えと期待にうち震えて、彼の言葉を待った。
「そうだ。お前を愛している。だから、ここは過去も、現在も、そして未来もお前だけの場所だ。誰に遠慮して苦しむ必要もない」
「叔父さま」
「だが、私の愛しいアントニア。お前は自由でいていいのだ。ここに居たいだけ居て、もしお前がいずれ誰か真実の伴侶となる相手に出会ったならば、私の愛に遠慮することなく自由に飛び立っていきなさい。お前にはその資格がある。これまでにお前が私の人生のためにしてくれたことは、私が残りの生涯で返せるすべての愛より大きいのだから」
アントニアは、激しく泣きながら、22の胸にしがみついた。
「私はどこにも行かないわ。それが迷惑でないというならば、叔父さまの側にずっといるわ」
彼はアントニアの暖かい涙がシャツにしみ込んでいくのを感じつつ、もう1度彼女を抱きしめた。
そっと窓の方に目をやった。それから、すべての祈りと憧れ、己の人生に対する希望に終止符を打つかのように、その瞳を閉じた。
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Lágrima 涙
3部作として発表した『黄金の枷』シリーズですが、2012年のポルト旅行をきっかけに思いついたのは第1作『Infante 323 黄金の枷』のみで、アントニアの設定や性格は、今ほどはっきりしていませんでした。執筆中、そして連載中に少しずつ『黄金の枷』ワールドが私の中で少しずつ広がって、現在の形になったのですが、アントニアの(おそらく平均的な日本人の方々の考え方からすると若干ドン引きになりそうな)言動が決まっていったのは、あるファド曲をよく耳にするようになったからです。
歌手の名前はドゥルス・ポンテス。このブログや『黄金の枷』ワールドに馴染んでいらっしゃる方なら、何度か目にしていると思いますが、私がやたらとプッシュするポルトガルの歌手です。彼女は、リチャード・ギア主演映画、「真実の行方」の主題歌となった『Canção do mar』で世界的に有名になりましたが、後にエンニオ・モリコーネのお氣に入り歌手としてファド歌手の枠を越えた活躍をするようになりました。ちなみに『Canção do mar』は、『Usurpador 簒奪者』の脳内テーマとしてこのブログでも紹介したことがあります。
今日ご紹介する『Lágrima』は、ファドといったらこの人的な往年の歌手アマリア・ロドリゲスも歌っていた有名な唄ですが、ある人を愛しすぎてしまう主人公の想いを歌っています。ワインの名前でも有名ですが『ラグリマ』とは涙の意味です。おそらく、幸福な愛ではないので、語り手は悲しみにくれています。そして、死に取り憑かれるほど苦しんでいます。
おそらく、第1作『Infante 323 黄金の枷』で登場したときの(ヒロインにとっての当て馬だった)アントニアにこの唄の語り手を重ねられる人はいなかったと思います。でも、実は連載中に、彼女が颯爽と自信に満ちた様子で登場した時には、私の中では自分を愛そうとしない男の幸福のために奔走する彼女の姿が完成していました。まあ、要するにドゥルス・ポンテスを聴きすぎていたということでもあるわけですが。
でも、アントニアは、たとえばマイアの前ではいつになっても自信に満ち堂々とした様子のままでいるでしょう。どれほど苦しんでいても、その絶望を周りに見せようとはしないでしょう。そして、周りの多くは、(仲のいい弟23はもちろん、母親も、《監視人たち》中枢部の皆さんも、それに不毛な愛を向けられている当事者である22自身も)わかっていて見守っています。まあ、マイアは23に教えてもらわない限りは氣がつかないでしょうけれど。
というわけで、動画、歌詞、そして、つたない私の訳をつけておきます。ドゥルス・ポンテスの美声をお楽しみください。
Lágrima · Dulce Pontes
Dulce Pontes ドゥルス ポンテス
Lágrima 涙
Cheia de penas
Cheia de penas me deito
E com mais penas
E com mais penas me levanto
No meu peito
Já me ficou no meu peito
Este jeito
O jeito de querer tanto
Desespero
Tenho por meu desespero
Dentro de mim
Dentro de mim o castigo
Eu não te quero
Eu digo que não te quero
E de noite
De noite sonho contigo
Se considero
Que um dia hei-de morrer
No desepero
Que tenho de te nao ver
Estendo o meu xaile
Estendo o meu xaile no chao
Estendo o meu xaile
E deixo-me adormecer
Se eu soubesse
Se eu soubesse que morrendo
Tu me havias
Tu me havias de chorar
Por uma lágrima
Por uma lágrima tua
Que alegría
Me deixaria matar
(和訳:八少女 夕)
悲しみに満ちて
悲しみに満ちて
私は寝台に横たわる
そしてもっと悲しく
そしてもっと悲しく
私は目を覚ます
私の胸の中に
その悲しみはまだ私の胸の中にある
こんな風に
こんな風にあなたを愛し過ぎてしまう
悲観している
私はひどく悲観している
私の中で
私の中で責め苛む
私はあなたが欲しくない
あなたなんか欲しくないと口にする
そして夜には
夜にはあなたを夢みている
いつの日か私が死ぬ時のことを考える
失意の中で
もう二度とあなたに会えない悲しみの中で
私はショールの上に横たわる
床に拡げた
ショールの上に横たわる
私はショールを拡げる
そして眠るために横たわる
もし知っているなら
私が死ぬことを知っているなら
あなたは私のために
あなたは私のために涙を流してくれるのかしら
その涙のためなら
とても嬉しい
そのあなたの涙のためなら
私は死んでも構わない
この曲を聴いて『Filigrana 金細工の心』を読みたくなった方は……
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【小説】シャリバリの宵
今日の小説は『12か月の店』の11月分です。このシリーズでは、このブログで登場するさまざまな飲食店を舞台に小さなストーリーを散りばめています。
今回の舞台は、『カササギの尾』です。といっても、この店がどこにあるかを憶えていらっしゃる読者はいないかと思います。『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』で、主人公マックスが、ルーヴラン王国の王都ルーヴで滞在した旅籠です。
この作品はヨーロッパの中世(1400年代)をイメージした話ですが、あくまで架空世界の話なので、細かいツッコミはなしでお願いします(といって逃げ道を作っている)。ルーヴランは当時のフランスをイメージした国で、『カササギの尾』はそんな感じの店だと思ってください。
今回主要登場人物は誰も出てきませんので、改めて本編などを読み返す必要はありません。でも、読みたい方のために下にリンクもつけておきます。

【参考】
![]() | 「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae 外伝
森の詩 Cantum Silvae 外伝
シャリバリの宵
石畳に枯れ葉が舞い始めるようになると、午後早くに最後の光を投げかけたきり、通りには陽が差さなくなる。
冬はもうそこまで来ている。聖マルティヌスの祝日がくれば本格的な冬だ。あちこちに支払いの準備をしなくてはならないが、客たちがこの日までにきちんとツケを払ってくれるかどうかは定かではない。だが、マリアンヌは、先のことを思い悩むのはやめようと思った。
少なくとも、今宵の婚礼祝いは旅籠『カササギの尾』にとっては実入りの多い予約だった。
ルーヴランの王都ルーヴの城下の中心部にサン・マルティヌス広場がある。一番大きな市場の立つ賑やかな界隈だ。『カササギの尾』はその広場からはさほど遠くないが、往来の埃っぽさや物騒な輩の心配をせずに落ち着けるほどよい裏道に建っていた。
旅籠といえば、相手にしている客は旅人ばかりかと思われるが、実のところ地元の客や半年以上滞在する逗留客の方が圧倒的に多い。女将マリアンヌの人柄がついつい長居をしたくなる居酒屋にしているだけでなく、頑固親父の作る料理がやたらと美味いのだ。
肉の扱いは天下一品で、豚のローストやガチョウの丸焼きを食べるために裕福な商人がわざわざ通うほどだ。それほど裕福でない民も、去勢鶏、鴨などが上手に煮込まれて深い味わいを出すスープや、豆の煮込みに舌鼓を打った。
そういうわけで、『カササギの尾』は酒と料理を求める客でそこそこ賑わっている。
さて、この晩には、婚礼を祝う客からの大人数の予約が入っていた。これは、あまりあることではない。というのは、大がかりな婚礼を祝うような裕福な客は酔客も来るような場に混じって祝うよりも、自宅に料理人を呼び寄せてもてなしを画するのが普通だからだ。また、貧しくて立派な婚礼を出せないような者たちは、多くの席を占めるような客を招待したりはしない。
まことに予約をしてきたのはありきたりの客ではなかった。商売の上手いこと王都でも10本の指に入ると噂のバルニエという毛織物商だ。64歳になるこの男は、昨年に長年連れ添った妻を亡くし、皆が心を尽くして慰めの言葉を掛けていた。ところが、先月になって後添いをもらうと言い出して、周りを驚かせた。さらにその花嫁が17歳だというので、非難する声もあちこちから聞こえてきた。
マリアンヌと亭主にとってはありがたい大口の客だが、そのような曰く付きの婚礼祝いを誰もが入ってこられる街の居酒屋で行うのは尋常ではない。何事もなく、無事に終わるといいけれど。マリアンヌは、心の中でつぶやいた。
季節の幸をふんだんに使った料理が仕込まれている。鹿肉はローストされてからクミンやシナモンで香り付けをした生クリームソースで和え、雉肉はたっぷりのワインとともに煮込まれている。栗やクルミと組み合わされてテーブルに並ぶ予定だ。
亭主に頼まれて、納屋の天井から干し肉の塊を取ってくるために店の裏手に向かうと、道の陰で誰かがひそひそと言い争いをしていた。そのようなことは、珍しくないので、マリアンヌは興味も持たずに通り過ぎようとした。
「おねがい、やめて。今夜はシュゼットの大切な婚礼なのよ」
若い娘の言葉に、ぎょっとして立ち止まる。そっと陰から覗くと、どちらも若い男女だった。
「やめるもんか。こんな理不尽なこと……」
「でも、もう遅いわ。シュゼットのパパは支度金を受け取ってしまったもの」
「あの爺め! 金でシュゼットを買ったんだ」
「でも、彼女だって、素晴らしい花嫁衣装と装飾品に囲まれて、納得していたみたいよ」
「くそっ」
マリアンヌは、やれやれと思った。何事もなく終わることはなさそうだ。願わくば、店の中で乱闘などだけは起こさないでほしい。だが、おそらく起こるであろう抗議行動シャリバリを未然に防ぐつもりもなかった。
夕闇が辺りをすっかりと覆った頃、楽隊に伴われて一行が到着した。貴族などは含まれていないが、招かれた親戚や客は裕福なのだろう、それぞれに緞子や鮮やかな縁飾りのついた高価な祝祭服に身を包み、庶民の多いこの一角ではひときわ目を引いた。
平らではない石畳の狭い道は二輪馬車で乗り付けることは不可能なため、新郎バルニエをはじめ、みな徒歩でやってきた。唯一新婦だけは新郎が手綱を引く小さい馬に乗って登場した。
新郎新婦の衣装は、さすが有力な毛織物商人の婚礼にふさわしい豪華なもので、花嫁は、胸元の大きく開いた胴着、裾や袖には不必要なまでに長い布がついていて、地面に引きずる形になっていた上、まるで貴族が被るような先のとがったヘニン帽に長いヴェールを垂らしたものを着用していた。新郎のバルニエはふくらはぎまで覆う豪華な刺繍を施したペリソンを着用し、その財力を誇示していた。
一行はすでにどこかでもう飲み始めていたらしく、騒がしく酒臭かった。そして、席に着くと周りもはばからずに大声で祝い歌を歌いだした。
マリアンヌや給仕は忙しく動き回り、酒や亭主が用意した料理を次々と配って回った。店の端に追いやられた常連たちは、その豪華な料理の数々を羨ましそうに眺めた。だが、バルニエは、ケチな性質らしく、その場の見知らぬ客たちに幸せの振る舞いをしようとは考えないようだった。
男たちは狂ったように酒を飲み、しばらく経つと、亭主自慢の雉肉の煮込みの味が、おそらくわからないほどに酔ってきた。そうした男客たちは新婚夫妻を揶揄しながら卑猥な冗談を大声で話しだし、花嫁シュゼットと招かれた幾人かの奥方たちがいたたまれなさそうに身をすくめていた。
すると、広場の方から騒がしいラッパや太鼓の音が響いてきた。そして、大きな声でシャリバリの歌をがなり立てているのも聞こえてきた。
「トゥラ、トゥラ、トゥラ!
年寄りが若い花嫁を買った。
金貨をちらつかせて、銀貨を投げつけて。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!
強欲な父親のポケットからは支度金があふれ
宝石に目のくらんだ娘は、将来を約束した男を捨てた。
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!」
仮面をつけた数十人もの若者たちが、雄牛の角笛を吹き、フライパン、鍋などを木べらで打ち鳴らしていた。一行は『カササギの尾』の前でピタリと止まり、婚礼を非難する歌をがなり立てた。
目をまともに見開けないほどに酔ったバルニエや花嫁の父親らは、その騒ぎが彼らに向けられたシャリバリだとわかると、怒りで顔をさらに赤くし、若者たちを追い散らそうとした。しかし、酔いが回り立ち上がっただけでふらついて倒れる者もいた。花嫁シュゼットは反対に青くなり、下を向き恥辱に身を震わせた。
儀礼的な抗議行進シャリバリが起こることを、マリアンヌは夕方から予想していた。年老いたやもめの早すぎる再婚、しかも相手は若い娘だ。こうした社会通念に合わない行為を非難し辱めという懲罰を与える伝統を、バルニエが予想していなかったことの方が意外だ。
祝い酒の相伴にあずかれなかった常連たちや、騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬たちは、シャリバリ隊側の肩を持ち、これは面白いとはやし立てた。
花嫁シュゼットは、不意に立ち上がると、長いヴェールのついたヘニン帽を脱ぎ捨てて、入り口に向かった。そして、シャリバリ隊の端の方でラッパを吹いていた男のところへ行くと、彼の仮面をぱっと剥ぎ取りその頬をひっぱたいた。
それから花嫁は長い衣装の裾をたくし上げると、広場の方へと走り出した。叩かれた男は呆然としていたが、我に返ると彼女の背中を追い出した。
マリアンヌには、その男こそが、夕方に裏道で話していた若者だとわかった。花嫁の捨てられた恋人なのだろう。
年老いた花婿は、テーブルに手をつきながらやっとの事で立ち上がり、去って行く花嫁に対して怒鳴った。
「待て、シュゼット! どこへ行く!」
だが、花嫁は夫の声には全く耳を貸さずに一同の視界からから消え去った。
残されたシャリバリ隊と、野次馬たちはこの展開に大喜びで、ことさら騒音を出しながら非難の歌を繰り返した。
「トゥラ、トゥラ、トゥラ!
宝石に目のくらんだ娘は、将来を約束した男を捨てた。
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!」
さてさて。花嫁はどうするのだろう。たいそうな支度金を受け取り豪奢な婚礼をしてしまったからには、老人のもとを去ることは難しいだろう。だが、婚礼の祝いの宴から立ち去ったことを夫に責められ続けるのも辛いことだろう。このことはすぐに噂になるだろうから、老毛織物商は、王都の中心で物笑いの種になり、この婚姻を苦々しく思うことになるだろう。そして、花嫁の父親も十分に恥をかいた。
マリアンヌは、この婚姻の幸福な行く末について懐疑的ながらも、実際にどうなるかについての予想はするまいと思った。そんなことをしても、彼女には何の利もないのだから。
ただ、バルニエからこの宴の代金は一刻も早く取り立てなくてはならないと思っている。ケチをつけられて割引を要請されても一歩も引かない覚悟を固めていた。
それに、おそらく今後は、このような宴の予約はなくなるであろう。今宵のシャリバリ騒動は、サン・マルティヌス広場界隈で長く語り継がれる笑い話になるだろうから。
マリアンヌは、騒ぎに乗じてバルニエのテーブルから酒をかすめ取ろうとする常連たちをひっぱたきながら、ため息をついた。寒い風が吹く通りに、まだシャリバリ隊の騒がしい演奏が鳴り響いている。
その晩、花嫁はついに戻らなかった。豪華なヘニン帽だけが、むなしく椅子の上に載っていた。
(初出:2021年11月 書き下ろし)
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【小説】シャリバリの宵
今回の舞台は、『カササギの尾』です。といっても、この店がどこにあるかを憶えていらっしゃる読者はいないかと思います。『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』で、主人公マックスが、ルーヴラン王国の王都ルーヴで滞在した旅籠です。
この作品はヨーロッパの中世(1400年代)をイメージした話ですが、あくまで架空世界の話なので、細かいツッコミはなしでお願いします(といって逃げ道を作っている)。ルーヴランは当時のフランスをイメージした国で、『カササギの尾』はそんな感じの店だと思ってください。
今回主要登場人物は誰も出てきませんので、改めて本編などを読み返す必要はありません。でも、読みたい方のために下にリンクもつけておきます。

【参考】
![]() | 「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読む あらすじと登場人物 |
森の詩 Cantum Silvae 外伝
森の詩 Cantum Silvae 外伝
シャリバリの宵
石畳に枯れ葉が舞い始めるようになると、午後早くに最後の光を投げかけたきり、通りには陽が差さなくなる。
冬はもうそこまで来ている。聖マルティヌスの祝日がくれば本格的な冬だ。あちこちに支払いの準備をしなくてはならないが、客たちがこの日までにきちんとツケを払ってくれるかどうかは定かではない。だが、マリアンヌは、先のことを思い悩むのはやめようと思った。
少なくとも、今宵の婚礼祝いは旅籠『カササギの尾』にとっては実入りの多い予約だった。
ルーヴランの王都ルーヴの城下の中心部にサン・マルティヌス広場がある。一番大きな市場の立つ賑やかな界隈だ。『カササギの尾』はその広場からはさほど遠くないが、往来の埃っぽさや物騒な輩の心配をせずに落ち着けるほどよい裏道に建っていた。
旅籠といえば、相手にしている客は旅人ばかりかと思われるが、実のところ地元の客や半年以上滞在する逗留客の方が圧倒的に多い。女将マリアンヌの人柄がついつい長居をしたくなる居酒屋にしているだけでなく、頑固親父の作る料理がやたらと美味いのだ。
肉の扱いは天下一品で、豚のローストやガチョウの丸焼きを食べるために裕福な商人がわざわざ通うほどだ。それほど裕福でない民も、去勢鶏、鴨などが上手に煮込まれて深い味わいを出すスープや、豆の煮込みに舌鼓を打った。
そういうわけで、『カササギの尾』は酒と料理を求める客でそこそこ賑わっている。
さて、この晩には、婚礼を祝う客からの大人数の予約が入っていた。これは、あまりあることではない。というのは、大がかりな婚礼を祝うような裕福な客は酔客も来るような場に混じって祝うよりも、自宅に料理人を呼び寄せてもてなしを画するのが普通だからだ。また、貧しくて立派な婚礼を出せないような者たちは、多くの席を占めるような客を招待したりはしない。
まことに予約をしてきたのはありきたりの客ではなかった。商売の上手いこと王都でも10本の指に入ると噂のバルニエという毛織物商だ。64歳になるこの男は、昨年に長年連れ添った妻を亡くし、皆が心を尽くして慰めの言葉を掛けていた。ところが、先月になって後添いをもらうと言い出して、周りを驚かせた。さらにその花嫁が17歳だというので、非難する声もあちこちから聞こえてきた。
マリアンヌと亭主にとってはありがたい大口の客だが、そのような曰く付きの婚礼祝いを誰もが入ってこられる街の居酒屋で行うのは尋常ではない。何事もなく、無事に終わるといいけれど。マリアンヌは、心の中でつぶやいた。
季節の幸をふんだんに使った料理が仕込まれている。鹿肉はローストされてからクミンやシナモンで香り付けをした生クリームソースで和え、雉肉はたっぷりのワインとともに煮込まれている。栗やクルミと組み合わされてテーブルに並ぶ予定だ。
亭主に頼まれて、納屋の天井から干し肉の塊を取ってくるために店の裏手に向かうと、道の陰で誰かがひそひそと言い争いをしていた。そのようなことは、珍しくないので、マリアンヌは興味も持たずに通り過ぎようとした。
「おねがい、やめて。今夜はシュゼットの大切な婚礼なのよ」
若い娘の言葉に、ぎょっとして立ち止まる。そっと陰から覗くと、どちらも若い男女だった。
「やめるもんか。こんな理不尽なこと……」
「でも、もう遅いわ。シュゼットのパパは支度金を受け取ってしまったもの」
「あの爺め! 金でシュゼットを買ったんだ」
「でも、彼女だって、素晴らしい花嫁衣装と装飾品に囲まれて、納得していたみたいよ」
「くそっ」
マリアンヌは、やれやれと思った。何事もなく終わることはなさそうだ。願わくば、店の中で乱闘などだけは起こさないでほしい。だが、おそらく起こるであろう抗議行動シャリバリを未然に防ぐつもりもなかった。
夕闇が辺りをすっかりと覆った頃、楽隊に伴われて一行が到着した。貴族などは含まれていないが、招かれた親戚や客は裕福なのだろう、それぞれに緞子や鮮やかな縁飾りのついた高価な祝祭服に身を包み、庶民の多いこの一角ではひときわ目を引いた。
平らではない石畳の狭い道は二輪馬車で乗り付けることは不可能なため、新郎バルニエをはじめ、みな徒歩でやってきた。唯一新婦だけは新郎が手綱を引く小さい馬に乗って登場した。
新郎新婦の衣装は、さすが有力な毛織物商人の婚礼にふさわしい豪華なもので、花嫁は、胸元の大きく開いた胴着、裾や袖には不必要なまでに長い布がついていて、地面に引きずる形になっていた上、まるで貴族が被るような先のとがったヘニン帽に長いヴェールを垂らしたものを着用していた。新郎のバルニエはふくらはぎまで覆う豪華な刺繍を施したペリソンを着用し、その財力を誇示していた。
一行はすでにどこかでもう飲み始めていたらしく、騒がしく酒臭かった。そして、席に着くと周りもはばからずに大声で祝い歌を歌いだした。
マリアンヌや給仕は忙しく動き回り、酒や亭主が用意した料理を次々と配って回った。店の端に追いやられた常連たちは、その豪華な料理の数々を羨ましそうに眺めた。だが、バルニエは、ケチな性質らしく、その場の見知らぬ客たちに幸せの振る舞いをしようとは考えないようだった。
男たちは狂ったように酒を飲み、しばらく経つと、亭主自慢の雉肉の煮込みの味が、おそらくわからないほどに酔ってきた。そうした男客たちは新婚夫妻を揶揄しながら卑猥な冗談を大声で話しだし、花嫁シュゼットと招かれた幾人かの奥方たちがいたたまれなさそうに身をすくめていた。
すると、広場の方から騒がしいラッパや太鼓の音が響いてきた。そして、大きな声でシャリバリの歌をがなり立てているのも聞こえてきた。
「トゥラ、トゥラ、トゥラ!
年寄りが若い花嫁を買った。
金貨をちらつかせて、銀貨を投げつけて。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!
強欲な父親のポケットからは支度金があふれ
宝石に目のくらんだ娘は、将来を約束した男を捨てた。
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!」
仮面をつけた数十人もの若者たちが、雄牛の角笛を吹き、フライパン、鍋などを木べらで打ち鳴らしていた。一行は『カササギの尾』の前でピタリと止まり、婚礼を非難する歌をがなり立てた。
目をまともに見開けないほどに酔ったバルニエや花嫁の父親らは、その騒ぎが彼らに向けられたシャリバリだとわかると、怒りで顔をさらに赤くし、若者たちを追い散らそうとした。しかし、酔いが回り立ち上がっただけでふらついて倒れる者もいた。花嫁シュゼットは反対に青くなり、下を向き恥辱に身を震わせた。
儀礼的な抗議行進シャリバリが起こることを、マリアンヌは夕方から予想していた。年老いたやもめの早すぎる再婚、しかも相手は若い娘だ。こうした社会通念に合わない行為を非難し辱めという懲罰を与える伝統を、バルニエが予想していなかったことの方が意外だ。
祝い酒の相伴にあずかれなかった常連たちや、騒ぎを聞きつけて集まってきた野次馬たちは、シャリバリ隊側の肩を持ち、これは面白いとはやし立てた。
花嫁シュゼットは、不意に立ち上がると、長いヴェールのついたヘニン帽を脱ぎ捨てて、入り口に向かった。そして、シャリバリ隊の端の方でラッパを吹いていた男のところへ行くと、彼の仮面をぱっと剥ぎ取りその頬をひっぱたいた。
それから花嫁は長い衣装の裾をたくし上げると、広場の方へと走り出した。叩かれた男は呆然としていたが、我に返ると彼女の背中を追い出した。
マリアンヌには、その男こそが、夕方に裏道で話していた若者だとわかった。花嫁の捨てられた恋人なのだろう。
年老いた花婿は、テーブルに手をつきながらやっとの事で立ち上がり、去って行く花嫁に対して怒鳴った。
「待て、シュゼット! どこへ行く!」
だが、花嫁は夫の声には全く耳を貸さずに一同の視界からから消え去った。
残されたシャリバリ隊と、野次馬たちはこの展開に大喜びで、ことさら騒音を出しながら非難の歌を繰り返した。
「トゥラ、トゥラ、トゥラ!
宝石に目のくらんだ娘は、将来を約束した男を捨てた。
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!
誰も知らないと思っても
天国の鍵を持ったお方と我らは知っている。
トゥラ、トゥラ、トゥラ!」
さてさて。花嫁はどうするのだろう。たいそうな支度金を受け取り豪奢な婚礼をしてしまったからには、老人のもとを去ることは難しいだろう。だが、婚礼の祝いの宴から立ち去ったことを夫に責められ続けるのも辛いことだろう。このことはすぐに噂になるだろうから、老毛織物商は、王都の中心で物笑いの種になり、この婚姻を苦々しく思うことになるだろう。そして、花嫁の父親も十分に恥をかいた。
マリアンヌは、この婚姻の幸福な行く末について懐疑的ながらも、実際にどうなるかについての予想はするまいと思った。そんなことをしても、彼女には何の利もないのだから。
ただ、バルニエからこの宴の代金は一刻も早く取り立てなくてはならないと思っている。ケチをつけられて割引を要請されても一歩も引かない覚悟を固めていた。
それに、おそらく今後は、このような宴の予約はなくなるであろう。今宵のシャリバリ騒動は、サン・マルティヌス広場界隈で長く語り継がれる笑い話になるだろうから。
マリアンヌは、騒ぎに乗じてバルニエのテーブルから酒をかすめ取ろうとする常連たちをひっぱたきながら、ため息をついた。寒い風が吹く通りに、まだシャリバリ隊の騒がしい演奏が鳴り響いている。
その晩、花嫁はついに戻らなかった。豪華なヘニン帽だけが、むなしく椅子の上に載っていた。
(初出:2021年11月 書き下ろし)
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半野良ネコとの日々

この夏から、連れ合いの工場に入り浸っているネコがいます。もともとその辺をふらふらしていて、やけに人なつっこいなあと思っていたのですが、あまりに痩せてふらふらしていたので、連れ合いがキャットフードを買ってきて食べさせていたのがきっかけです。
このあたりのネコは日中は外でふらふらするのが常で、近所の家でもたまに食事を出していたので特に問題視していなかったのですが、その時は近所の餌をやっていた(飼い主ではないので責任はない)家が休暇に行き、ご飯を出してくれる人がいなかった模様。連れ合いが買ってきた餌をガツガツ食べて嬉しそうにスリスリするので、すっかり「手懐けられた」連れ合いが餌を用意するようになってしまいました。
ある夕暮れに、よたよたと躓きながらやってきて、助けてくれと言わんばかりに鳴きだしたそうです。で、なんだか臭いので「よしてくれ」と放置しようとしたら、必死に訴えかけてきて、おかしいなと思って近づくと動けなくなってしまったそうで、連れ合いは段ボール箱の中にタオルを敷いて入れました。いつもならすぐに食べたがる餌も見向きもせず一晩中寝ていました。どうやらどこかで落下事故か何かを起こしたらしく、まともに歩けなかったようです。
幸い、翌日には餌も食べるようになり、その翌日には脱糞したらしい異様に臭いお尻を連れ合いが友人と一緒に洗ったのですが、それで綺麗になりしかも回復して元通り歩けるようになったそのネコ、ついには連れ合いを「一番気にかけてくれるヤツ」と認定したようです。
そして、急激に寒くなった秋から、夜になると窓の外でノックして入れてくれと騒ぐようになり、結局大抵の晩は連れ合いの工場で寝泊まりするようになってしまいました。で、我が家で猫用トイレも用意して、好きなときにやってきて泊まる無料宿泊所状態にされています。
このネコ、私のこともきちんとわかっていて、私が散歩をするときについてきます。ネコと一緒に散歩など聞いたこともなかったので半信半疑でしたが、ちゃんと(めちゃくちゃ寄り道はしますが)あとをついてきました。いや〜、ネコはかわいいですね。人間がすぐに下僕にされてしまうのは、無理ありません。
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【小説】Filigrana 金細工の心(24)会見 -2-
ライサと23もといドン・アルフォンソの会見です。この流れは、ここまで読んでくださった方にはもうすべて予想できているでしょうけれど、それでも書かないわけにはいきませんよね。そういう話ですから。
そういえば、クレジットカードのことを氣にしていらっしゃる読者の方も複数いたんですよね。今回その話も出てきます。
![]() | 「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む あらすじと登場人物 |
Filigrana 金細工の心(24)会見 -2-
「久しぶりだね、ライサ。元氣そうで、なによりだ」
彼は、手を差し伸べたが、思い出したかのように躊躇した。ライサが、男性を怖れて触れられるとパニックを起こすという報告は届いていただろうから。
ライサは手を伸ばして、彼の右手を握った。彼が再び笑顔となり、優しく力が込められるのがわかったが、不安も恐怖も感じなかった。チコ、あなたのおかげね。ライサは、心の中でつぶやいた。
「遅くなりましたが、ご結婚、おめでとうございます」
ライサがそう言うと、彼は意外そうに眉を動かした後に、頷いて「ありがとう」と言った。必要最小限の言葉しか使わないところは変わっていないなと思った。
この人が当主になるということも、結婚して家族を作るということも、まったく想像していなかった。動いていなかったのは、自分の時間だけで、世界はゆっくりと動いているのだと感じた。
彼は、マネジャーに慣れた様子で、魚料理と白ワインを注文した。ライサの好みを訊く様子もスマートで、彼女を驚かせた。テーブルが整えられ、ワインが注がれると、彼はグラスを持ち上げた。グラスを合わせている時に、彼女は彼は本当に当主になってしまった、そして彼女はドラガォンの使用人ではなくなってしまったのだと感じた。
ウェイターたちが部屋からいなくなると、ライサは、鞄の中から白い封筒を取り出して、彼の前に置いた。
「これをお返しします」
彼は、それを開けると中に黒いクレジットカードが入っているのを見た。
「船旅以来、全く使っていないと報告を受けていたが、生活は問題ないのか」
「お給料がずっと振り込まれていましたし、そんなに使うこともなかったので。これから、また働こうと思います」
「そうか。アントニアから、君の希望については直接判断してほしいと言われたんだが」
彼は、単刀直入に本題に入った。
「君が再び『ドラガォンの館』では働きたくない事は理解している。『ドラガォンの館』に戻れば、君は最後に住んでいた場所に戻らざるを得なくなる。当主として私は同じ事を繰り返させないために、それは許可しない。だが、アントニアの報告では、君は我々との縁を切りたがっていないというが、本当か」
ライサは、俯いた。それから、意を決して顔を上げると、口を開いた。
「『ボアヴィスタ通りの館』で、ルシアの代わりになる使用人を探していると聞きました。セニョール322やドンナ・アントニアのお世話をする人が足りていないのなら……」
彼は、伏し目がちのライサをじっと見つめた。こういう表情は、本当に彼の母親によく似ていると思った。マヌエラに恋い焦がれ、憎しみながらも忘れられなかった叔父が、この娘の思慕に抗えないのはよくわかる。
彼は、彼自身が妻となった女を待ち、恋い焦がれた永遠にも想われた時間の事を考えた。心を得ることはできなくても、見ていられるだけでもいいと願った日々の事を。幸福を手にする事のできなかった叔父の、絶望の日々、彼よりもずっと長く、これからも続くであろう苦悩を考えた。
彼が、迷い、叔父に逢って、彼自身の希望を聞いたときの事も考えた。叔父の答えは、彼の本心からのものだっただろう。だが、叔父が若き日から彼を縛り付けてきた女神の呪縛を逃れ、この娘を愛し自分のものにしたいと願っているのもまた事実なのだ。
だが、彼にできる事はなかった。ライサが24の求愛を受け入れて、格子の向こうへと入っていった時に、すでに22の希望は潰えたのだ。それを覆すことは、当主となった彼にもできなかった。彼は、全てを背負おうと思った。
「ライサ。君の処遇を私『当主アルフォンソ』は一度決定した。その決定を覆すにはそれなりの理由が必要なのだ。君に生活するに困らない金銭的援助、または解雇される心配のないドラガォンに関連する仕事を用意する事は全く問題はない。だが、『腕輪はもうつけられない』わかるね」
ライサは、当主の顔を見た。悲しく同情に満ちた瞳が、非情な言葉に対して詫びている。彼女は、2度とあの館の中には入れないのだ。一緒に『グラン・パルティータ』を聴く事もできない。お茶を淹れてあげる事も、皮肉の混じった笑顔に接する事もできない。それは、冷たい決定だった。
「今朝、叔父上に逢ってきた」
彼は、言った。ライサは、はっとした。
「『新しい世界での君の幸福を心から祈っている』……彼からの伝言だ」
ライサは、涙ぐんで頷いた。
これは、あの方の意志なのだ。彼女は、言葉を心の中で噛み締めた。私の想いをわかった上での、あの方の答えなのだ。ここにいる当主や《監視人たち》の決定ではなくて。
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