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Posted by 八少女 夕

Cantum Silvae - トリネアの真珠 あらすじと登場人物

この作品(2022年4月6日より連載を開始します)は、中世ヨーロッパをモデルにした仮想世界で展開した『森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架』の続編です。出てくる名前、地名などはすべてフィクションです。

エレオノーラ by うたかたまほろさん
このイラストの著作権はうたかたまほろさんにあります。無断使用は固くお断りします。

【あらすじ】
一度グランドロン国との縁組みが流れた事のあるトリネア候女。状況が変わったことを理由にもう一度話が進み、当の候女は困惑していた。一方、グランドロン国王レオポルドは、金山視察を兼ねてフルーヴルーウー辺境伯に滞在していた。そして、隣接するトリネア領を自分の目で視察することを画策する。

【登場人物】(年齢は第1話時点のもの)
◆レオポルド II・フォン・グラウリンゲン(30歳)
 グランドロン王国の若き国王。

◆エレオノーラ・ダ・トリネア(ジュリオ)(19歳)
 センヴリ王国に属するトリネア候の長女。1年前に兄のフランチェスコが亡くなったため、トリネアの継承者となった。

◆マクシミリアンIII・フォン・フルーヴルーウー(マックス・ティオフィロス)(26歳)
 グランドロン王国に属するフルーヴルーウー辺境伯。母親が前グランドロン国王の妹なので、現在は王位継承権第一位。平民として育てられ、遍歴教師として生計を立てていたので旅に詳しい。

◆ラウラ・フォン・フルーヴルーウー(20歳)
 マクシミリアンの妻であるフルーヴルーウー伯爵夫人。元ルーヴランの最高級女官で王女に仕える《学友》だった。バギュ・グリ侯爵の養女。

◆アニー(17歳)
 ラウラの侍女。ヴァレーズ出身。主人であるラウラを敬愛しており、殺されたと思ったときは単身仇の命を取るためにヴェルドンに乗り込んだ。密かに救われてフルーヴルーウー伯爵夫人付侍女になった。

◆フリッツ・ヘルマン(31歳)
 レオポルドの護衛隊長である大尉。レオポルドの幼なじみでもある。

◆マーテル・アニェーゼ
 トリネアにある聖キアーラ女子修道院の院長。

◆エマニュエル・ギース(28歳)
 ヴァレーズの地方貴族ギース家の3男。王都ルーヴにて紋章伝令長官アンブローズ子爵の副官を務める。

◆トゥリオ
 トリネアの有力貴族ベルナルディ家の私生児で前家令であるピエトロの義理の弟。

◆マウロ
 アニーの兄である馬丁。ルーヴランでの家庭教師時代のマックスと親しかった。現在はフルーヴルーウー城に勤めている。

◆アナマリア・ペレイラ・ピニェラ (25歳)
 カンタリアの王家で下級女官として働いていた。トリネア候夫人に預けられた後、カンタリア語とセンヴリ語に堪能なため、グランドロン王妃付け女官としてヴェルドンで働くこととなった。有能だが寡黙で穏やかな人柄を見込まれて、宮廷奥総取締の補佐に抜擢された。

◆パスカル・モラ
 フルーヴルーウー辺境伯の家令。召使い頭のエルネストは長男。

◆ブルーノ
 南シルヴァ傭兵団の首領。

◆フィリパ
 南シルヴァ傭兵団に属する女。

◆ペネロペ・デ・ベルナルディ(故人)
 《トリネアの黒真珠》の異名をもつ美女だった。11歳の時に親子ほども歳の違う前家令ピエトロ・デ・ベルナルディに嫁ぎ、17歳で未亡人となった。

◆フランチェスコ・デ・トリネア(故人)
 エレオノーラの兄でトリネア侯爵家の跡継ぎだった。

◆ヴィダル・デ・アルボケルケ・セニョーリオ・デ・ゴディア《黒騎士》 (26歳)
 カンタリア王ギジェルモ一世が愛妾ムニラに生ませた婚外子。エルナンドの従者としてルーヴランへと向かう。
 
◆エルナンド・インファンテ・デ・カンタリア (30歳)
 カンタリア王国の第二王子。ヴィダルの奨めに従い、パギュ・グリ候女エリザベスに求婚するつもりでいる。

前作や外伝で登場した人物
◆マリア=フェリシア・ド・ストラス(19歳)
 ルーヴラン王位継承者で絶世の美女。以前、グランドロン国王レオポルドとの縁談があったが、この話を利用してのルーヴラン側奸計が発覚したため流れた経緯がある。

【用語】
◆グランドロン王国
 サレア河の東に位置し、北はノードランド、南はフルーヴルーウー辺境伯領までの広大な領地を持つ強国。王都はヴェルドン。グラウリンゲン家が治め、現在の国王はレオポルドII世。

◆ルーヴラン王国
 サレア河の西に位置する大国。ストラス家が支配し、現在の国王はエクトールII世。王都はルーヴ。

◆トリネア侯国
 《ケールム・アルバ》山脈の南にあるセンヴリ王国に属する侯国。峠でフルーヴルーウー辺境伯領と接している。《中央海》に面したほとんど時化のない広い港があり、漁業や真珠が採れる風光明媚な国。現在の侯爵はアウレリオ・デ・トリネア。

◆カンタリア王国
 《中央海》にせり出したカンタリア半島にある王国。カンタリア半島の南半分はサラセン帝国に征服されていて、《再征服》の舞台となっている。サラセン人との混血が進んでいる地域が多く、ヴィダルのように肌色の濃い人間が多い土地。

◆ルシタニア
 カンタリア半島の西部にあるカンタリアの属国。かつては王国であったが王家の血筋は途絶えている。

◆《シルヴァ》
 ルーヴラン、グランドロン、センヴリ各王国にはさまれた地に存在する広大な森。単純に森を意味する言葉。あまりに広大なため、そのほとんどが未開の地である。

◆《学友》
 ルーヴランに特有の役職。王族と同じ事を学ぶが、その罰を代わりに受ける。

この作品はフィクションです。実在の人物、歴史などとは関係ありません。

【関連作品】
「森の詩 Cantum Silvae - 貴婦人の十字架」を読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物
『森の詩 Cantum Silvae - 外伝』



【プロモーション動画】

この動画に使わせていただいたイラストは、リアルの友人であり、私の作品にたくさんのイラストを描いてくださっている創作の友でもあるうたかたまほろさんが描きおろしてくださいました。

【参考文献】
中世のヨーロッパの社会・制度・風俗・考え方などは、旅行などで知った事も入っていますが、基本的に下記の文献を参考に記述しています。

阿部 謹也 著 中世を旅する人びと―ヨーロッパ庶民生活点描 (ちくま学芸文庫)
阿部 謹也 著 中世の星の下で (ちくま学芸文庫)
J. & F. ギース 著 中世ヨーロッパの城の生活 (講談社学術文庫)
川原 温 著 中世ヨーロッパの都市世界 (世界史リブレット)
堀越 宏一 著 中世ヨーロッパの農村世界 (世界史リブレット)
F. ブロシャール、P. ペルラン、木村 尚三郎、 福井 芳男 著 城と騎士(カラーイラスト世界の生活史 8)
A. ラシネ 著 中世ヨーロッパの服装 (マールカラー文庫)
ゲーリー・エンブルトン (著), 濱崎 亨 (翻訳) 中世兵士の服装(マール社)
佐藤達生 (著) 図説 西洋建築の歴史: 美と空間の系譜 (ふくろうの本)
関連記事 (Category: 小説・トリネアの真珠)
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Category : 小説・トリネアの真珠
Tag : 小説 連載小説

Posted by 八少女 夕

サン=サーンス 交響曲第3番『オルガンつき』

久しぶりにクラシック音楽の話でも。

Nadar, Public domain, via Wikimedia Commons
Nadar, Public domain, via Wikimedia Commons

毎年3月になるとひたすらリピートする交響曲があります。カミーユ・サン=サーンスの交響曲第3番『オルガンつき』です。クラシック音楽をめったに聴かない方でも、もしかすると第4楽章だけは聞き覚えがあるかもしれません。子豚が大活躍する映画『ベイブ』でテーマ曲になっていましたから。

私がこの曲を3月限定で聴くのは、20年以上前に鬼籍に入った父が亡くなる少し前に聴きまくっていたからです。父が急逝したのは3月の終わりでした。彼はコントラバス奏者だったのですが、どういうわけかオルガンも大好きで日本にはないような文献も集めているのでオルガン研究者が資料を借りに来るくらいのマニアでした。そして、凝り性で、その時に好きな曲はエンドレスリピートをする人でした。音楽の才能は全く受け継がなかった私ですが、このエンドレスリピートだけは、父譲りなのかもしれません。

さて、そんなわけで3月に入ると(のこりの11か月間はすっかり忘れているくせに)追悼と称してこの曲を聴くわけです。でも、それ以外の時期は全然聴かないので実はサン=サーンスについてあまりよく知りませんでした。

調べてみたら、去年が没後100周年だったようですね。どうやらダ=ヴィンチばりの多角的な天才だったようで、2歳半で作曲をはじめたたクラシック音楽だけでなく、詩人戯曲作家、天文学者、哲学者、考古学者、民族学者、ジャーナリストとどこまで手を出すんだというものすごい活躍ぶりで、そのうちの多くで成功しているのです。

エスプリの効いていた人らしく、私の大好きなもう1つの作品である『動物の謝肉祭』では、キレッキレのジョーク精神も発揮しています。じつは、この中の『象』は、裏方にされがちなコントラバスがメインで活躍できる貴重な作品で、父が家で練習していたのを今でもよく思い出します。それで彼はさらにサン=サーンスびいきになったのかもしれませんね。本当のところは知りませんが。

前回小説で題材としたシューベルトにしろサン=サーンスにしろ、こういう名曲をプライヴェートのコンサート用にサラッと書いてしまうのはすごいなあと思います。

さて、『オルガンつき』に話を戻しますけれど、私はこの曲を生では聴いたことがありません。 スイスに来てからは田舎に引っ込んでいるので演奏会そのものもほとんど行かないのですけれど、日本にいたときにも全然聴かなかったのは、たぶんこの曲が父親追悼の専用曲になってしまっているからでしょうね。

それに、そもそも、日本ではあまり演奏されませんよね? パイプオルガンがないと演奏できないので、ホールが限られるせいかもしれません。

この記事には追記があります。下のRead moreボタンで開閉します。

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カミーユ・サン=サーンス 交響曲第3番『オルガンつき』
父の聴いていたミュンシュとボストン交響楽団のバージョンで。

Saint-Saens Symphony No 3 / Munch, Boston Symphony (JMCXR-002) 1959/2009

カミーユ・サン=サーンス 動物の謝肉祭

El Carnaval de los animales - Camille Saint-Saëns
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Posted by 八少女 夕

【小説】鱒

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今日の小説は『12か月の楽器』の3月分です。このシリーズでは、楽器をテーマに小さなストーリーを散りばめています。

今回の主題に選んだのは、ヴァイオリンです。っていうか、ヴァイオリンを弾くあの人の登場っていうだけですけれど。

さて、シューベルトの『ます』こと『ピアノ五重奏曲 イ長調』には、個人的に強い思い入れがあります。父と共演することになったチェコのスメタナ弦楽四重奏団が、我が家に来てリハーサル演奏をしたんですよね。もう○十年前のことですけれど。自宅に飛び交うチェコ語のやり取りと、プロ中のプロの演奏。その時の印象がものすごく強く残っていて、聴く度にあの日のことを思い出すのです。


短編小説集『12か月の楽器』をまとめて読む 短編小説集『12か月の楽器』をまとめて読む


『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物






 ドロレス・トラードは、丁寧に鱒をさばいた。彼女は『ボアヴィスタ通りの館』の料理をほぼひとりで引き受けている。17歳の時に『ドラガォンの館』で見習いをはじめたが、すぐにセンスを認められて20歳の時にはもう1人でメニューを決めることを許された。『ボアヴィスタ通りの館』の料理人が退職するにあたり、24歳という若さで異動して以来、ずっと『ボアヴィスタ通りの館』の料理人として働いている。

 この館を含むドラガォンが所有する3つの屋敷でご主人様メウ・セニョール として仕える相手は、みな特殊な背景を持つ。かつては鉄格子の向こうに閉じこめられていたが、世代交代に伴いそれぞれの屋敷に遷された存在なのだ。

 彼ら『インファンテ』と呼ばれる男性は、個人名を持たず番号で呼ばれている。彼らは、法律上は生まれることも亡くなることもない、書類上は幽霊も同然な存在だが、毎日普通に食事をする生身の人間だ。ドロレスをはじめとする使用人たちは、すべてこの男性たちがどのような存在であるかを承知している。インファンテ自身も、ドロレスたち使用人のほとんども《星のある子供たち》と呼ばれる特殊な血筋の出身で特殊事情を理解しており、しかもこの勤めを始める前に沈黙の誓約を交わしている。

 料理人として、ドロレスは幸運だった。ご主人様セニョール は、理不尽なわがままを言うタイプではなかったからだ。

 彼が、この屋敷に遷されたのは、ドロレスの異動から1年も経たない頃だった。おそらく、彼をここに遷すことを見越してドロレスを異動させたのだ。覚悟はしていたものの、はじめはとても緊張した。というのは22と呼ばれるインファンテ322は『ドラガォンの館』時代に、ドロレスが勤め始めてからただの1度すら正餐に顔を出さぬ頑なな人物として知れ渡っていたからだ。給仕や清掃で顔を合わせる使用人も必要なこと以外で言葉を交わしたことがないと言っていたし、ドラガォンを憎んでいると囁かれていた。

 彼が、屋敷そのものには軟禁状態とはいえ、鉄格子の外に出て普通の生活を始めることになり、どんな暴君になるかわからなかった。『ボアヴィスタ通りの館』で使用人たちは戦々恐々として待った。だが、彼は『ガレリア・ド・パリ通りの館』で暮らすもう1人のインファンテと違い、全く手のかからぬご主人様セニョール だった。礼儀正しく毎回礼を口にし、食事に文句をつけることも一切なく、残すことすらなかった。むしろ、氣に入ったのかどうかすらもわからなくて困惑する日々だった。

 だが、その問題も3年で解決した。やはりこの館に暮らすことになったインファンタ・アントニアが、彼の感情と好みを読み取ることができるようになり、彼の好みに合わせた食事を提案したり、2人がどの食事を格別氣に入ったかなどを告げてくれるようになったのだ、

 今日のメニューを提案してくれたのも、アントニアだった。
「叔父様は、いまシューベルトの『ます』を好んで弾いていらっしゃるでしょう? だから、鱒はどうかしら? 叔父様、バター焼きをお好みだし」

 ドロレスは、手を休めて2階から聞こえてくるヴァイオリンの音色に耳を傾けた。そういえば、この曲はずいぶん前にたくさん聴いたなと思う。ピアノのパートや、ヴァイオリンのパート、毎日変えてずいぶん長いこと練習していた記憶があるが、いつの間にか聞かなくなった。ここのところ、メウ・セニョールのご機嫌はかなりいい。機嫌がいいといっても、ドロレス自身に対する態度が変わるわけではない。だが、アントニアがリラックスして嬉しそうな表情を見せることが多いのだ。それは、ドロレスをはじめとする使用人たちには心地のいい状態だった。

 彼女は、鼻歌を歌いながら、鱒に小麦粉をはたいた。

* * *


 彼は、スピーカーから流れる曲に合わせてヴァイオリンを奏でていた。ベルリンフィルのソリストたちが、ピアノ、ヴィオラ、チェロおよびコントラバスのパートを演奏したフランツ・シューベルトの『ピアノ五重奏曲 イ長調』のCDは、数日前にアントニアが持ってきた。

 第4楽章に歌曲『ます』の旋律を変奏曲として使っているため、『ます五重奏曲』としても知られているこの曲を、彼が練習し始めたのは、この屋敷に遷されてから2年ほど経った頃だった。その頃の彼は、発売されているCDや楽譜の購入を依頼することはあっても、それ以外の特殊な願いを頼むことはなかった。

 彼は、存在しないことになっていた上、ドラガォンの中枢組織に必要以上の頼み事をしたくなかったので、常に1人で演奏をしていた。子供の頃から習ってある程度自由に弾くことのできるピアノとヴァイオリンの独奏曲を中心に弾いていたが、自ら録音することによりピアノ伴奏付きのヴァイオリン曲を練習することもあった。そして、やがて欲が出て、『ます』に挑戦しようとしたのだ。

 彼はヴィオラとチェロの練習も始めた。だが、そこまでだった。パートごとに録音して合わせてみても、上手く合わなかった。テンポを合わせるだけでは、生きた曲にはならない。誰かとアイコンタクトをし息を合わせながら共に奏でることでしか、合奏はできない。それに氣がつくと、録音で作ったそれまでの2重奏すらも、まがい物にしか感じられなくなり全て処分してしまった。

 今にして思えば、あれほど苛立ったのは、決してパートごとの録音が合わなかったからだけではない。彼が、独りであることを思い知らされることに耐えられなかったのだろう。

 いま彼がヴァイオリンを奏でたいと思うとき、ピアノの伴奏者に困ることはない。彼が望むように弾いてくれる存在がいつも側にいる。アントニアは、意固地になった彼が邪険にし、頑なに拒否したにもかかわらず、10年以上の時間をかけて彼を心の牢獄から解放してくれた。共に奏で、食の好みを伝え、皮肉な冗談を口にすることもできるかけがえのない存在として、彼に寄り添い続けてくれている。

 彼のかつての『ます』に関する挫折の話を知ったとき、アントニアは同情に満ちて受け答えをするような中途半端な態度は取らなかった。彼女は、伝手を使って彼の望む曲の『カラオケ』を準備するといいだしたのだ。

 彼は、冗談なのだろうと思っていたので、忌憚なく希望を口にした。それが、バルセロナ管弦楽団のチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』とスイスロマンド管弦楽団によるメンデルスゾーンの『バイオリン協奏曲』のCDを手にしてかなり驚いた。彼は、世界最高の演奏をバックに、ソリストとして弾く新しい歓びを知った。

 そして、数日前にアントニアは『ます』のCDも持ってきた。ピアノパートのない演奏とヴァイオリンパートのない演奏の他に、そして、両方とも入っていないバージョンもがおさめられている。アントニアめ、自分も一緒に演るつもり満々だな。彼は密かに笑った。

 だが、彼はいずれその願いを叶えてやろうと思っていることを早々に知らせてやるつもりは皆目無かった。いまは専らピアノパートの入っている演奏を使ってヴァイオリンパートを弾いている。

 1819年、22歳だったフランツ・シューベルトは、支援者であり親しい友人でもあった歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルの故郷であるオーストリア、シュタイアーを旅した。そこで知り合った裕福な鉱山長官パウムガルトナーは、アマチュアながら自らチェロを奏でるたいそうな音楽好きであった。彼は、シューベルトに氣に入っていた歌曲『ます』の旋律を使ったピアノ五重奏の作曲を依頼した。

 パウムガルトナーが、自ら主催するコンサートで演奏するつもりだったので、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという通常と異なる編成になっており、加えて初演でパウムガルトナーが弾いたであろうチェロの見せ場がしっかりとある作品になっている。

 通常のピアノ5重奏のごとくヴァイオリン2台の編成であれば、彼も2つのヴァイオリンパートを練習する必要があっただろうが、この曲では1つで済んでいる。ピアノパートは高音域での両手ユニゾンが多く、難易度が高いが、彼はすでに10年前に自在に弾けるようになっていた。アントニアも十分な時間をとって練習すれば問題なく弾けるようになるだろう、彼は考えた。

 内氣で世渡りの上手くなかったシューベルトは、自ら作品を売り込んで歩くようなことが苦手だった。公演などで稼ぐこともあまりなかった彼は貧しく、フォーグルなどの支援者や友人たちが援助や作曲の斡旋をしてくれたことで、彼の名声は高まった。彼は、慕い、仕事を依頼してくれる人びとの願いに発奮して次々と名曲を書き上げた。アマチュア音楽家とはいえ、彼の歌曲を絶賛してくれたパウムガルトナーの依頼にも熱心に応え、素晴らしい作品を書き上げたのに、それで儲けようとは全く考えなかったのか、生前には出版もされなかった。

 パウムガルトナーの願い通りに歌曲『ます』の旋律を用いた第4楽章は、この作品の中でもっとも有名だ。4つの変奏が、川を自由に泳ぐ鱒と、それを追い詰める釣り人との駆け引きを躍動的に表現している。歌曲は言葉による表現があるが、五重奏曲ではそれぞれの楽器が掛け合い、逃げては追い越すことで表現する。

 彼は、録音されたピアノや他の弦楽器の音色を追いかけた。決して現実に顔を合わせて演奏をすることは叶わない合奏相手たちだが、顔も名前も知らされてはいないがだれかが空白のヴァイオリンパートを奏でることを期待して演奏した。独りで合わない合奏を繰り返していた頃とは、まるで違った演奏になる。

 階下の音がして、アントニアが帰ってきたのがわかった。そろそろ昼食の時間か。彼は、先ほどから漂っている香りに意識を移した。

 復活祭前の40日間は、肉断ちの習慣があるので、昼食は魚が中心だ。鱈や鮭が多いが、どうやら今日は焼き魚のようだ。バターが焦げる香ばしい薫りがする。

 彼は、鱒のバター焼きのことを考えた。はたいた小麦粉がバターでカリッと焼かれ、ジャガイモやほうれん草が添えられる。『ドラガォンの館』でも何度か食べた記憶があるが、いまドロレスが作ってくれるものよりも焦げ目が少なくよくいうと上品な味付けだった。当時から彼は出されたものを残さずに食べていた。だが格別に鱒が好きだと思ったことはなかった。

 この館で最初に鱒がでたときも、おそらく同じような焼き方だったと思う。だが、アントニアが共に暮らすようになってから、彼女がどのような焼き方を好むのかを察してドロレスと話し合い、いつの間にか今のような焼き方に変わった。

 海辺の人びとが炭火でよく焼いてカリッとさせた鰯を好んで食べるように、ドロレス自身もほんのりとした焼き色の上品な1皿よりも小麦粉とバターでしっかりと焼き色をつけた鱒が好きだったそうだ。それが主人の好物であるとわかり、彼女は俄然やる氣になったらしい。
 
 かつて、彼はたった独りだった。彼が拒否した世界に、彼を喜ばせる曲を奏でるものも、彼の好む料理に心を砕く人もいなかった。彼を取り巻く状況は、決して大きくは変化してはいない。彼はいまだに名前を持たぬインファンテで、どれだけ望もうと弦楽5重奏をすることはできない。

 だが、彼は今、そのことに苦しみ絶望することはない。彼は、『ます』の第5楽章フィナーレの掛け合いを楽しんだ。彼は独りではなかった。この録音を用意してくれたアントニアをはじめとする人たちが、彼のためにこの曲を弾いてくれた人たちが、階下で彼の生活を支えてくれる人たちがいる。

 最後の和音を勢いよく奏でると、彼は躊躇せずに階下に向かう。温かい食事を提供するタイミングを、ドロレスがやきもきしながら待っているだろうから。階下では、いつものメンバーが穏やかに彼を待ち受けていた。

(初出:2022年3月 書き下ろし)


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Franz Schubert - "Trout" Quintet - Berliner Philharmoniker Soloists/Yannick Rafalimanana
関連記事 (Category: 小説・黄金の枷 外伝)
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Category : 小説・黄金の枷 外伝
Tag : 小説 読み切り小説

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【小説】鱒

今日の小説は『12か月の楽器』の3月分です。このシリーズでは、楽器をテーマに小さなストーリーを散りばめています。

今回の主題に選んだのは、ヴァイオリンです。っていうか、ヴァイオリンを弾くあの人の登場っていうだけですけれど。

さて、シューベルトの『ます』こと『ピアノ五重奏曲 イ長調』には、個人的に強い思い入れがあります。父と共演することになったチェコのスメタナ弦楽四重奏団が、我が家に来てリハーサル演奏をしたんですよね。もう○十年前のことですけれど。自宅に飛び交うチェコ語のやり取りと、プロ中のプロの演奏。その時の印象がものすごく強く残っていて、聴く度にあの日のことを思い出すのです。


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『Filigrana 金細工の心』を読む「Filigrana 金細工の心」をはじめから読む
あらすじと登場人物






 ドロレス・トラードは、丁寧に鱒をさばいた。彼女は『ボアヴィスタ通りの館』の料理をほぼひとりで引き受けている。17歳の時に『ドラガォンの館』で見習いをはじめたが、すぐにセンスを認められて20歳の時にはもう1人でメニューを決めることを許された。『ボアヴィスタ通りの館』の料理人が退職するにあたり、24歳という若さで異動して以来、ずっと『ボアヴィスタ通りの館』の料理人として働いている。

 この館を含むドラガォンが所有する3つの屋敷でご主人様メウ・セニョール として仕える相手は、みな特殊な背景を持つ。かつては鉄格子の向こうに閉じこめられていたが、世代交代に伴いそれぞれの屋敷に遷された存在なのだ。

 彼ら『インファンテ』と呼ばれる男性は、個人名を持たず番号で呼ばれている。彼らは、法律上は生まれることも亡くなることもない、書類上は幽霊も同然な存在だが、毎日普通に食事をする生身の人間だ。ドロレスをはじめとする使用人たちは、すべてこの男性たちがどのような存在であるかを承知している。インファンテ自身も、ドロレスたち使用人のほとんども《星のある子供たち》と呼ばれる特殊な血筋の出身で特殊事情を理解しており、しかもこの勤めを始める前に沈黙の誓約を交わしている。

 料理人として、ドロレスは幸運だった。ご主人様セニョール は、理不尽なわがままを言うタイプではなかったからだ。

 彼が、この屋敷に遷されたのは、ドロレスの異動から1年も経たない頃だった。おそらく、彼をここに遷すことを見越してドロレスを異動させたのだ。覚悟はしていたものの、はじめはとても緊張した。というのは22と呼ばれるインファンテ322は『ドラガォンの館』時代に、ドロレスが勤め始めてからただの1度すら正餐に顔を出さぬ頑なな人物として知れ渡っていたからだ。給仕や清掃で顔を合わせる使用人も必要なこと以外で言葉を交わしたことがないと言っていたし、ドラガォンを憎んでいると囁かれていた。

 彼が、屋敷そのものには軟禁状態とはいえ、鉄格子の外に出て普通の生活を始めることになり、どんな暴君になるかわからなかった。『ボアヴィスタ通りの館』で使用人たちは戦々恐々として待った。だが、彼は『ガレリア・ド・パリ通りの館』で暮らすもう1人のインファンテと違い、全く手のかからぬご主人様セニョール だった。礼儀正しく毎回礼を口にし、食事に文句をつけることも一切なく、残すことすらなかった。むしろ、氣に入ったのかどうかすらもわからなくて困惑する日々だった。

 だが、その問題も3年で解決した。やはりこの館に暮らすことになったインファンタ・アントニアが、彼の感情と好みを読み取ることができるようになり、彼の好みに合わせた食事を提案したり、2人がどの食事を格別氣に入ったかなどを告げてくれるようになったのだ、

 今日のメニューを提案してくれたのも、アントニアだった。
「叔父様は、いまシューベルトの『ます』を好んで弾いていらっしゃるでしょう? だから、鱒はどうかしら? 叔父様、バター焼きをお好みだし」

 ドロレスは、手を休めて2階から聞こえてくるヴァイオリンの音色に耳を傾けた。そういえば、この曲はずいぶん前にたくさん聴いたなと思う。ピアノのパートや、ヴァイオリンのパート、毎日変えてずいぶん長いこと練習していた記憶があるが、いつの間にか聞かなくなった。ここのところ、メウ・セニョールのご機嫌はかなりいい。機嫌がいいといっても、ドロレス自身に対する態度が変わるわけではない。だが、アントニアがリラックスして嬉しそうな表情を見せることが多いのだ。それは、ドロレスをはじめとする使用人たちには心地のいい状態だった。

 彼女は、鼻歌を歌いながら、鱒に小麦粉をはたいた。

* * *


 彼は、スピーカーから流れる曲に合わせてヴァイオリンを奏でていた。ベルリンフィルのソリストたちが、ピアノ、ヴィオラ、チェロおよびコントラバスのパートを演奏したフランツ・シューベルトの『ピアノ五重奏曲 イ長調』のCDは、数日前にアントニアが持ってきた。

 第4楽章に歌曲『ます』の旋律を変奏曲として使っているため、『ます五重奏曲』としても知られているこの曲を、彼が練習し始めたのは、この屋敷に遷されてから2年ほど経った頃だった。その頃の彼は、発売されているCDや楽譜の購入を依頼することはあっても、それ以外の特殊な願いを頼むことはなかった。

 彼は、存在しないことになっていた上、ドラガォンの中枢組織に必要以上の頼み事をしたくなかったので、常に1人で演奏をしていた。子供の頃から習ってある程度自由に弾くことのできるピアノとヴァイオリンの独奏曲を中心に弾いていたが、自ら録音することによりピアノ伴奏付きのヴァイオリン曲を練習することもあった。そして、やがて欲が出て、『ます』に挑戦しようとしたのだ。

 彼はヴィオラとチェロの練習も始めた。だが、そこまでだった。パートごとに録音して合わせてみても、上手く合わなかった。テンポを合わせるだけでは、生きた曲にはならない。誰かとアイコンタクトをし息を合わせながら共に奏でることでしか、合奏はできない。それに氣がつくと、録音で作ったそれまでの2重奏すらも、まがい物にしか感じられなくなり全て処分してしまった。

 今にして思えば、あれほど苛立ったのは、決してパートごとの録音が合わなかったからだけではない。彼が、独りであることを思い知らされることに耐えられなかったのだろう。

 いま彼がヴァイオリンを奏でたいと思うとき、ピアノの伴奏者に困ることはない。彼が望むように弾いてくれる存在がいつも側にいる。アントニアは、意固地になった彼が邪険にし、頑なに拒否したにもかかわらず、10年以上の時間をかけて彼を心の牢獄から解放してくれた。共に奏で、食の好みを伝え、皮肉な冗談を口にすることもできるかけがえのない存在として、彼に寄り添い続けてくれている。

 彼のかつての『ます』に関する挫折の話を知ったとき、アントニアは同情に満ちて受け答えをするような中途半端な態度は取らなかった。彼女は、伝手を使って彼の望む曲の『カラオケ』を準備するといいだしたのだ。

 彼は、冗談なのだろうと思っていたので、忌憚なく希望を口にした。それが、バルセロナ管弦楽団のチャイコフスキーの『ピアノ協奏曲第1番』とスイスロマンド管弦楽団によるメンデルスゾーンの『バイオリン協奏曲』のCDを手にしてかなり驚いた。彼は、世界最高の演奏をバックに、ソリストとして弾く新しい歓びを知った。

 そして、数日前にアントニアは『ます』のCDも持ってきた。ピアノパートのない演奏とヴァイオリンパートのない演奏の他に、そして、両方とも入っていないバージョンもがおさめられている。アントニアめ、自分も一緒に演るつもり満々だな。彼は密かに笑った。

 だが、彼はいずれその願いを叶えてやろうと思っていることを早々に知らせてやるつもりは皆目無かった。いまは専らピアノパートの入っている演奏を使ってヴァイオリンパートを弾いている。

 1819年、22歳だったフランツ・シューベルトは、支援者であり親しい友人でもあった歌手ヨハン・ミヒャエル・フォーグルの故郷であるオーストリア、シュタイアーを旅した。そこで知り合った裕福な鉱山長官パウムガルトナーは、アマチュアながら自らチェロを奏でるたいそうな音楽好きであった。彼は、シューベルトに氣に入っていた歌曲『ます』の旋律を使ったピアノ五重奏の作曲を依頼した。

 パウムガルトナーが、自ら主催するコンサートで演奏するつもりだったので、ピアノ、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスという通常と異なる編成になっており、加えて初演でパウムガルトナーが弾いたであろうチェロの見せ場がしっかりとある作品になっている。

 通常のピアノ5重奏のごとくヴァイオリン2台の編成であれば、彼も2つのヴァイオリンパートを練習する必要があっただろうが、この曲では1つで済んでいる。ピアノパートは高音域での両手ユニゾンが多く、難易度が高いが、彼はすでに10年前に自在に弾けるようになっていた。アントニアも十分な時間をとって練習すれば問題なく弾けるようになるだろう、彼は考えた。

 内氣で世渡りの上手くなかったシューベルトは、自ら作品を売り込んで歩くようなことが苦手だった。公演などで稼ぐこともあまりなかった彼は貧しく、フォーグルなどの支援者や友人たちが援助や作曲の斡旋をしてくれたことで、彼の名声は高まった。彼は、慕い、仕事を依頼してくれる人びとの願いに発奮して次々と名曲を書き上げた。アマチュア音楽家とはいえ、彼の歌曲を絶賛してくれたパウムガルトナーの依頼にも熱心に応え、素晴らしい作品を書き上げたのに、それで儲けようとは全く考えなかったのか、生前には出版もされなかった。

 パウムガルトナーの願い通りに歌曲『ます』の旋律を用いた第4楽章は、この作品の中でもっとも有名だ。4つの変奏が、川を自由に泳ぐ鱒と、それを追い詰める釣り人との駆け引きを躍動的に表現している。歌曲は言葉による表現があるが、五重奏曲ではそれぞれの楽器が掛け合い、逃げては追い越すことで表現する。

 彼は、録音されたピアノや他の弦楽器の音色を追いかけた。決して現実に顔を合わせて演奏をすることは叶わない合奏相手たちだが、顔も名前も知らされてはいないがだれかが空白のヴァイオリンパートを奏でることを期待して演奏した。独りで合わない合奏を繰り返していた頃とは、まるで違った演奏になる。

 階下の音がして、アントニアが帰ってきたのがわかった。そろそろ昼食の時間か。彼は、先ほどから漂っている香りに意識を移した。

 復活祭前の40日間は、肉断ちの習慣があるので、昼食は魚が中心だ。鱈や鮭が多いが、どうやら今日は焼き魚のようだ。バターが焦げる香ばしい薫りがする。

 彼は、鱒のバター焼きのことを考えた。はたいた小麦粉がバターでカリッと焼かれ、ジャガイモやほうれん草が添えられる。『ドラガォンの館』でも何度か食べた記憶があるが、いまドロレスが作ってくれるものよりも焦げ目が少なくよくいうと上品な味付けだった。当時から彼は出されたものを残さずに食べていた。だが格別に鱒が好きだと思ったことはなかった。

 この館で最初に鱒がでたときも、おそらく同じような焼き方だったと思う。だが、アントニアが共に暮らすようになってから、彼女がどのような焼き方を好むのかを察してドロレスと話し合い、いつの間にか今のような焼き方に変わった。

 海辺の人びとが炭火でよく焼いてカリッとさせた鰯を好んで食べるように、ドロレス自身もほんのりとした焼き色の上品な1皿よりも小麦粉とバターでしっかりと焼き色をつけた鱒が好きだったそうだ。それが主人の好物であるとわかり、彼女は俄然やる氣になったらしい。
 
 かつて、彼はたった独りだった。彼が拒否した世界に、彼を喜ばせる曲を奏でるものも、彼の好む料理に心を砕く人もいなかった。彼を取り巻く状況は、決して大きくは変化してはいない。彼はいまだに名前を持たぬインファンテで、どれだけ望もうと弦楽5重奏をすることはできない。

 だが、彼は今、そのことに苦しみ絶望することはない。彼は、『ます』の第5楽章フィナーレの掛け合いを楽しんだ。彼は独りではなかった。この録音を用意してくれたアントニアをはじめとする人たちが、彼のためにこの曲を弾いてくれた人たちが、階下で彼の生活を支えてくれる人たちがいる。

 最後の和音を勢いよく奏でると、彼は躊躇せずに階下に向かう。温かい食事を提供するタイミングを、ドロレスがやきもきしながら待っているだろうから。階下では、いつものメンバーが穏やかに彼を待ち受けていた。

(初出:2022年3月 書き下ろし)

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Franz Schubert - "Trout" Quintet - Berliner Philharmoniker Soloists/Yannick Rafalimanana
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Posted by 八少女 夕

サハラの砂塵

今日の話題は、季節的におこる事象「サハラ砂塵到来」の話です。

Saharastaub

今週、スイスはサハラ砂塵(Saharastaub)に見舞われました。

アフリカのサハラ砂漠で地表温度が高くなると、その細かい塵が高度5000mあたりまで巻き上げられるそうです。そして風に乗ってヨーロッパの他、場合によってはアメリカ大陸まで到達することすらあるそう。

スイスでもサハラ砂塵がやってくるのは珍しいことではないのですが、じつはこの現象は春から夏にかけでが多いので、「もうそんな時期か」と感じることが多いのです。

砂塵といっても砂粒があたって痛いというようなものではありません。0.001㎜から0.07㎜という細かい粒子です。写真のように空はオレンジ色になってしまい、なんだかとても不穏な感じですし、アレルギーのある人にはつらいらしいです。

私自身にはあまり害はなくて、たんに車が黄色っぽい埃にまみれるくらいですが、私はあまり車をピカピカにするようなタイプではないので「まあ、いつも通り汚い」という感じでしょうか。

このサハラ砂塵、決して悪いことだけではありません。砂漠というので不毛の地と思われがちですが、実はサハラ砂漠はもともと氷河期の終わりまでは巨大な淡水湖のあった場所でとても肥沃な土壌なのです。たんに乾燥しているので砂漠になっているのですが、その細かい粒子はカルシウムやマグネシウムを他とする栄養素がたっぷりと含まれていて、それがスペインやフランスをはじめとする農業地帯の大地にたっぷりと降り注ぎ、肥沃な土地にしてくれているというわけです。

現在の世界の農業は人工的な肥料に頼ることが多いのですけれど、その肥料の供給に赤信号が灯っているこの頃、もしかするとヨーロッパは大きな苦難に立ち向かわざるを得なくなるかもしれません。そんな春先には、いつもは「サハラ砂塵か」と舌うちをしたくなるような光景すら、ありがたく思えてしまうのです。わりと身勝手な自分を認識する瞬間なのでした。
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Posted by 八少女 夕

【小説】湖水地方紀行

scriviamo!


今日の小説は「scriviamo! 2022」の第8弾です。TOM-Fさんは、新作の紀行文風小説でご参加いただきました。ありがとうございます!


 TOM−Fさんの書いてくださった「鉄道行人~pilgrims of railway~

TOM-Fさんは、胸キュンのツイッター小説、日本古代史からハイファンタジーまで 幅広い小説を書かれるブログのお友だちです。

「scriviamo!」には皆勤してくださり、毎回趣向を凝らした名作でご参加くださっています。今回書いてくださった作品は、『乗り鉄』としての知識と経験をフルに生かした紀行文的な小説だそうです。日本全国のほとんどの鉄道に1度は乗ったことがあるというものすごく情熱を持った鉄道ファンぶりは、以前から時おり記事にしてくださっていますが、小説として発表してくださるので乗り鉄としての鉄道愛とこだわった美文を同時に楽しめる作品になっています。どこまでが現実で、どこの部分が小説なのか曖昧な感じもいいのですよね。

とはいえ。私は作品を楽しむだけではダメで、お返しを書かなくちゃいけないんですよ。毎年毎年、全く違う方向から剛速球を投げていらっしゃるTOM−Fさん。今年はさすがにギブアップしたい想いに駆られましたけれど、そのせいでもう参加してくださらなくなったら困るし!

というわけで、苦肉の策でお返しすることにしました。TOM−Fさんに倣って「昔の電車の旅を使った小説」を書くことにしました。今回使っている絵梨というキャラクターですが、私が私小説を書くときに使います。私小説風の似たようなキャラは何人かいるのですが(真由美とか、ヤオトメ・ユウとか)、絵梨を使うときは(固有名詞以外は)ほぼ事実に基づいています。今回のエピソードに関しては100%事実に基づいています。なので、オチがありません。悪しからず。


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湖水地方紀行
——Special thanks to TOM−F-san


 電光掲示板の数字を見て、アドレナリンが噴出した。その表現が的確とは思えないけれど、少なくとも「分泌」などというかわいらしい量ではない。時計を見ると9時43分。電光掲示板にあるグラスゴー行きの出発時刻は『09:45』と書かれ点滅していた。

 ホームを確認し、猛ダッシュする。ふくらはぎがつりそうになるほど走ったのは何年ぶりだろう。車掌が笛を吹いていたけれど、古いタイプの車両は、手動でドアを開けるタイプだったので、なんとか乗り込むことができた。

 早春で肌寒いくらいだったのに、ぐっしょり汗をかいた。むしろ冷や汗だったかもしれない。少なくとも窓口に並んで切符を買う必要が無かったのは幸運だった。ようやく行ける、憧れの湖水地方に。絵梨は、硬い座席に身を沈めて安堵のため息をついた。

 大学4年になる前の春休み。絵梨は、ユーレイルパスを使って2か月間のヨーロッパ貧乏旅行をしていた。エジプトからトルコ、ギリシャ、イタリア、スペイン、フランスと周り、最後の目的地がイギリスだった。

 旅の道連れは、大学1年以来の友人、雅美だ。基本的には一緒に行動するけれど、どうしても見たいことや訪れたい場所がマニアックである場合は、それぞれの好きなことをするために別行動しようということのできるありがたい存在だった。

 とはいえ、2人が旅慣れて自立した大学生だったとはお世辞にも言えない。

 10年以上経ってから、異国育ちのパートナー、リュシアンに出会い海外暮らしをすることになった絵梨だが、帰国子女でもなんでもなく、この当時の英語力は現在の20歳女子の平均を大きく下回っていたと思う。これは、謙遜でもなんでもなく、今から思うとあの英語力でよくぞ2か月間を乗り切れたものだと、つくづく感心してしまう。基本的に相手が何を言っているのかはほとんどわかっておらず、自分のいいたいことを相手に察してもらって、なんとか用を足していただけなのだ。

 だから、絵梨は、日本で買ったガイドブックを頼りに行動した。日本で既に知っていたA地点からB地点に移動し、B地点の観光名所がガイドブックに書かれてあるとおりであることを確認して、ガイドブックよりもはるかに劣るアングルでカメラフィルムに収め、急いで次の地点に移動した。

 それでも、彼女にとってはそれはとても自由で自主性に富んだ旅だった。パックツアーではなかったので、自分の行きたい場所を自分で決められた。食べるものも、眠る場所も、自分たちで決めていた。

 この電車に乗ることを決めたのは昨夜だった。雅美が、趣味のSFに関する聖地巡礼をするというので、その方面に興味のない絵梨は、憧れの湖水地方に遠出をしようと思ったのだ。

 ロンドン・ユーストン駅からは毎日電車が出ていて、3時間半ほどで『ピーター・ラビット』のふるさと、ウィンダミアに行ける。それが、愛用のガイドブックの小さな囲み記事で得た情報だった。片道3時間半なら、日帰りができる。10時頃にロンドンを発てば、向こうでかなりゆっくりしても夜の9時頃には帰ってこられるだろう。

 朝から猛ダッシュをすることになったものの、無事に電車に座り、絵梨は満足だった。ペットボトルの水を飲みひと息つく。車窓には平原が見渡す限りの新緑で広がっていた。

 世界の大都会であるロンドンからさほど遠くないのに、のどかな田園地帯があるのだ。これは、フランスを旅したときにも思った。東京育ちの絵梨には、この光景は驚くべきことだった。東京から東海道線に乗って車窓を眺める時、東京都と神奈川県の境など光景だけでわかることはない。どこまでいってもビルと民家が続くから。大都会とはそういうものだと思っていたし、ロンドンともなれば2時間ほど走ってもずっとビルだけが続くのだと思っていた。車窓の向こうに広がる光景はとても平坦だった。建物がないわけではないが、とても低い。路線上は最初の駅であるワットフォード・ジャンクションですら、駅の近くにはそれなりのビルや民家はあるものの、駅を出ればすぐにのどかな田園に戻る。

 しばらくすると同じような車窓に飽きて、絵梨は持ってきた文庫本を読み出した。この暇つぶし用の小説は、この2か月で少なくとも6回は通読していたので、読まずとも内容は頭に入っていたのだが、かといって他にすることもない。もともと愛読書はボロボロになるまで何度も読むタイプなので、しばらくすると再び小説の中に没頭していた。

 しばらくして、意識が現実に戻ってきた。というよりは、行儀よく座っていた周りの乗客たちがそわそわと立ったり何かを話したりしだしたからだ。それで氣がついたが、ずいぶんと長く停車している場所は駅ではなかった。

 後ろの方から、車掌と思われる濃紺の制服を着た男性が歩いてきて、絵梨のすぐちかくの女性の呼びかけに立ち止まり答えていた。

 耳を澄ませても、絵梨の英語力では会話のほとんどが聴き取れない。だが、女性が「いつ発車するのか」と問いかけたのに対して、車掌が「わかりません」と答えたのだけはわかった。わかりません? 何があったんだろう。

 絵梨には、この状況にデジャヴがあった。つい10日ほど前のことだ。パリからTGVにのってブルターニュ地方に出かけたとき、いきなり停まった列車はうんともすんとも言わず、そのまま1時間以上待たされたのだ。1分遅れただけでも「申しわけございません」を連発する日本の鉄道に慣れていたので、高速鉄道が1時間止まったままで謝罪も振替もないことが信じられなかったが、その一方で、千載一遇の体験だと思っていた。

 再び列車の遅延が起こったと知り、絵梨は「またか」と思ったが、どこかであそこまでひどい遅延がそうそう起こるはずがないと思っていた。だが、今回の遅延はそれをはるかに上回ることになった。絵梨と乗客たちは、そのまま2時間もそこで待たされることになったのだ。

 乗り換え予定のオクセンホルム駅には13時には到着する予定だった。乗り換え予定時間までに昼食を買えないことを予想していたので、絵梨は簡単な菓子パンとオレンジジュースだけは持っていた。

 待ち時間が30分を超えてから、乗客たちはいら立って騒ぎ出したが、1時間を超えると反対にみな大人しくなった。そして、その頃になると、社内販売のようなワゴンがどこからともなく現れて、スチロールカップ入りの紅茶を配りはじめた。

 その当時、絵梨は学生で大したグルメを食べ歩いていたわけではなかったが、ロンドンの物価の高さとそれを払って得られる食事のまずさには、驚愕していた。そもそもトルコやスペイン、南フランスで安くてとても美味しいものをいくらでも食べられたので、イギリスにも同じレベルを期待していたのも間違いだった。そんなイギリスだが、紅茶だけはどこでどんな安物を飲んでもやたらと美味しいことにも注目していた。

 絵梨は、子供の頃からミルクティーがあまり好きではなかった。薄くて甘ったるくて氣持ちの悪い味がする。それがミルクティーに関する絵梨の偏見だった。だが、2年前にパキスタンのイスラマバードで飲んだミルクティーがあまりにも美味しかったので、紅茶に対する認識を改めていた。

 それから、イギリスでは必ずミルクティーを注文するようになった。ヨーロッパ大陸の他の国では、日本で飲む紅茶よりもさらに不味い紅茶しか飲めなかったので、コーヒーだけを飲んでいたが、イギリスではどこに行っても、どんな状況で飲む紅茶でも圧倒的に美味しい。後に、同じイギリスのティーバッグを持ち帰り日本やスイスで飲むことになったが、やはりイギリスやパキスタンで飲む紅茶ほどの美味しさは実現できない。これはもう、茶葉の種類や淹れ方以前に、水質が違うのではないかと思う。

 ようやく動き出した電車が、オクセンホルム駅に着いたのは15時15分頃だった。上手い具合に、隣のホームにはウィンダミア駅行きが停まっていたので、ラッキーと喜びながら飛び乗った。だが、一向に出発する氣配がない。窓から乗りだして出発時刻を確認すると15時55分らしい。絵梨は落胆した。

 車窓はすっかり湖水地方らしいのどかな風景になっていた。なだらかな緑の丘に羊の群れが見える。小さな林、そしてまた牧草地。白いっぽい壁に黒っぽい屋根の石造りの家、空積みと呼ばれるセメントを使わない壁も。ようやく、湖水地方に来られたと実感がこみ上げてきた。

 少なくとも今度の列車は、不必要に停車することはなく、30分ほどでウィンダミアに到着した。当初の予定では、このウィンダミアから湖畔のボウネス、ベアトリクス・ポターの住んでいたニア・ソーリーなどを歩くつもりだったけれど、日帰りの身としては、帰りの電車に間に合うということが最優先だ。まずは何よりも駅のインフォメーションに行く。

 21時に宿に戻れるような列車は、もう発車してしまった。ロンドンに22時20分につく電車が18時15分にある。ということは、湖水地方に滞在できるのは1時間ちょっと。ついでに、帰りの食糧を調達して電車に乗り込まなくては……。そう思って、駅に1つだけある小さなキオスク兼スーパーマーケットという風情の店の前を覗くと、閉店が17時と書いてある。つまり、今すぐ夕食を確保しないと、帰宅まで何も食べられなくなるかもしれないのだ。

 絵梨は、急いでその店に入った。棚には興ざめなサンドイッチやスナックなどしかみあたらない。湖水地方の素敵なティールームで素朴な食事をしようと思っていたのに。そう思った絵梨は、それならとデリコーナーに行ってみた。小さなパイのようなものが見える。うーん、ミートパイかな。

 それはステーキ&キドニーパイだった。コールスローサラダも購入する。

 店の外に出たら、17時になっていた。他の村までのハイキングは不可能だとわかった。それどころかウィンダミアの町そのものをゆっくり散策する時間さえ無いだろう。湖まで行けても、時間までに帰ってこられなければ、大変なことになる。だったら、この駅の近くにいる方がいいだろう。

 絵梨は、駅を出て町や湖方面には向かわず、近くの丘に登った。ハイキング道でもないのに、いつピーターラビットが横切ってもおかしくない美しさで、林を抜けて丘の上にでるとそこからウィンダミア湖がはるかに見えた。

 少し早めに駅に戻り、トイレを利用してから家にハガキを送ろうかとポストを探した。ふと氣になってホームを覗いたら、なんと電車がいる。遅れては大変と再びダッシュして乗り込んだ。その電車は、時間よりも早く発車したのだ。またしても冷や汗をかくことになった。

 帰りの車窓から、再び羊の群れを眺めた。夕闇のオレンジの光は、旅人をメランコリーにする。ピーターラビット博物館やそれに類するものは全く見られなかったけれど、少なくともこの美しい光景を満喫したのだから、来てよかったのよね。絵梨はつぶやいた。

 オクセンホルム駅につき、乗り換えの電車を探した。そして、そこで再びガッカリする掲示を発見した。50分の遅延。だったら、もう少しウィンダミアにいたかったよ! 絵梨は、泣きそうになるのを堪えた。

 21時頃に戻る予定といって出てきたのに、これは午前様になってしまうかも……。今度はそちらの心配をする羽目になった。いまならば、メッセージを送れば済むし、それどころか予定を変更して湖水地方に泊まると連絡することもできる。でも、当時は海外で使える携帯電話など、ただの大学生が持てる時代ではなかった。宿はB&Bで朝以外は宿泊者しかいない。つまり電話をしても雅美に連絡がつくのは明日になる可能性がある。

 絵梨にできることは、遅れないように電車に乗り込むことと、夕食の時に一緒に飲む紅茶を買うことぐらいだった。ようやくやって来たロンドン行きに乗り込むと、時間のせいか行きよりもかなり空いていた。

 とにかく、夕飯を食べることにした。ステーキ&キドニーパイを、つけてもらったプラスチック製フォークとナイフで苦労しながら切り、恐る恐る口に運んだ。控えめに言っても微妙な味だった。本来は温めて食べるものなのだろう。だから不味く感じるのか、それとも温めなかったから少しはマシだったのかは、現在に至るまで謎だ。とにかく、2度とステーキ&キドニーパイなるものを注文しようという氣にはならない味だった。

 紅茶の蓋を開けて、流し込んだ。この国で紅茶が美味しいのは救いだ。絵梨は、それから紅茶とコールスローで食事を済ませた。

 ユーストン駅についてホッとする間もなく、地下鉄駅に走る。地下鉄で宿屋の最寄り駅にたどり着けなければ、タクシーを使わなくてはならない。タクシーで宿までの行き先を説明するなんて無理! 幸い地下鉄はまだ走っていて、無事に最寄り駅までたどり着けたものの、終電だったらしく道に出た途端に後ろでシャッターを閉められた。

 宿に戻ると、雅美は半分泣きそうな、そして、半分怒ったような顔で待っていた。それはそうだろう。相当心配させたに違いない。平謝りしながら、長い1日に起こったことを説明する羽目になった。

 いわれているほどロンドンの治安は悪くないなんていうつもりはない。たまたま何も起こらなかっただけで、もしなにかの事件に巻き込まれていれば「そんな時間に外にいたなんてのが悪い」そういわれてしまう案件だと自分でも思った。

 何らかの事件に巻き込まれた人も必ずしも治安をなめていたとは限らない。絵梨だって、よくわかっていなかっただけなのだ。

 電車が時刻表とほぼ同じに走るということが、日本以外では決して当然ではないこと。だから、丸1日かけてとんぼ返りしなければならないような予定を立てるのが無謀だということを。

 散々な1日だったけれど、それでもこの日見た湖水地方の美しい光景は、いまだに絵梨の脳裏に焼き付いている。簡単にはたどり着けなかった敗北の記憶が、他にもたくさん訪れた有名観光地とは違う、神聖で特別な地位を与えているのかもしれない。

(初出:2022年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

毛皮にゴミを山ほどつけて

春の話題……いや、違うか、またしても猫の話題です。

枯れ葉の上で

もともと北生まれの猫種の血が濃いらしく、猫にしては寒さにとても強いゴーニィですが、雪に触れるのは少し苦手のようです。他に通るところがなければ雪の上を通るのですけれど、可能ならば雪は避けているのをよく見ました。そりゃそうですよね。素手で雪に触るのは私も嫌いです。

スイスの田舎は自然が多いのですが、冬の間はさほど汚れる要因になるものがありません。ところが、春になり雪が溶けてくると、非常にたくさんの細かいゴミがそこらへんに存在するのですよね。雪の下にひと冬埋もれていた枯れ葉や木の枝、湿った土、鳥の餌、ヘーゼルナッツの花萼など、かなりの量の細かいものが至る所に落ちているわけです。

スイスの田舎に20年住んでいますが、子供もいない私はそういった汚れをわざわざ家庭内に持ち込む要因はこれまでほとんどなく、春先だからといって特に困ることもなかったのです。

でも、猫は、わざわざそういう汚れ満載の所に行って背中をこすりつけてから、普通に部屋に入ってくるんですよ。

「あー、ちょっと待って!」と、止めて汚れを落とせるときはいいのですけれど、たいていは全部お持ち帰り。とはいえ、猫ですからねぇ。怒ってもしかたないし、汚いからと外に出さないわけにもいきません。そもそも我が家の猫ではなくて、うちに長期滞在しているだけの半野良ですから。

連れ合いは、かつては彼の職場をあまり掃除しなかったのですが、いまはものすごくこまめに掃除するようになりました。してもしても、汚れは入ってきますけれど(笑)
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Posted by 八少女 夕

【小説】もち太とすあま。ー喫茶店に行くー

scriviamo!


今日の小説は「scriviamo! 2022」の第7弾です。津路 志士朗さんはイラストと掌編でご参加くださいました。ありがとうございます!

 志士朗さんの書いてくださった「もち太とすあま。ー喫茶店に行くー

志士朗さんは、オリジナル小説と庭とご家族との微笑ましい日々を綴られる創作系ブロガーさんです。

書いてくださった作品は、去年に引き続き可愛らしい2匹のハスキー犬のイラストと、一緒に発表してくださった掌編。志士朗さんがメインで執筆なさっていらっしゃる「子獅子さん」シリーズの賑やかなストーリー。話に出てくる作中作が2匹のハスキー犬、もち太とすあまを題材にした絵本です。メインキャラの郵便屋である加賀見さん作です。

さて、去年のお返しは、作中作『もち太とすあま。』の第2作が書かれたとしたらどんな感じかな〜、と思って書きましたが、今回もそのイメージで書かせていただきました。志士朗さんの作品では、リードだけという形で出てきた『もち太とすあま。ー喫茶店に行くー』という作品を妄想した掌編です。


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もち太とすあま。ー喫茶店に行くー
——Special thanks to Shishiro-san


 はじめてウグイスが、じょうずにさえずった日のことでした。2匹のハスキー犬が野原を横切っていました。

 1匹は少し大きく、青い首輪をしています。もう1匹は少し小さく、赤い首輪をしています。2匹ともふわふわな真っ白い毛に覆われていて、やわらかく美味しそうなお餅のようです。そして、だからなのか、もち太とすあまという名前なのでした。

「もち兄! 聞いた? 鳥が鳴いたよ、ホーホケキョって!」
すあまは、大きな声で言いました。

「うん。聞こえたよ。ついに春だねぇ」
もち太は、青く澄んだ空を見上げました。

「どうして春がかんけいあるのさ。鳥は冬にも夏にも鳴くよ」
すあまが唇を尖らせています。

「ウグイスは、春にだけああやってきれいにさえずるんだよ。だから『春告鳥』っていうんだ。おまえも来年からは、あのさえずりを聞くと、春が来たなって思うようになるさ」

「そんなこと、来年まで、おぼえていられないよ!」
小さいすあまには、世界にはふしぎでおもしろいことがいっぱいなのです。

 今日も、2人はあたらしい冒険をする予定でした。いつも2匹に優しくしてくれる郵便屋さんが、喫茶店に連れて行ってくれるというのです。

 喫茶店というのは、人間がときどき行くお店です。テーブルやいすが並んでいて、人間はそこでコーヒーや、オレンジジュースや、それにサンドイッチなどを食べるというのです。

 いつだったか、近所の老犬ボジャーが喫茶店のことを話してくれました。ボジャーは、若かった頃に盲導犬という仕事をしていたので、バスや、駅や、スーパーマーケットなどにしょっちゅう出入りしていたそうなのです。そして、ご主人様と一緒に、喫茶店にも入ったことがあるのでした。

「そのコーヒーや、サンドイッチは、犬でも飲んだり食べたりできるの?」
すあまは、興味津々でボジャーに質問しました。おうちで、もち太とすあまは、ニンゲンと同じごはんは食べません。銀色のピカピカの器に入った水を飲み、こんもりと置かれたドッグフードを美味しく食べます。以前、すあまがニンゲンのごはんをすこし食べてしまったことがあるのですが、「しょっぱくてまずい!」と泣いてしまいました。

「いや、食べられんよ、喫茶店の食べ物と飲み物は人間用じゃからな。でも、ワシのためにいつも新しい水を出してくれたものさ。うちでは聞いたこともないような優しい音楽が流れていて、落ち着くところだったよ」
ボジャーは、遠い目をして言いました。

 だから、昨日、郵便屋さんがもち太たちを喫茶店に誘ってくれたときも、どうしてなのかわかりませんでした。でも、好奇心いっぱいの2匹は、大喜びで「行きたい!」と言いました。野原は、いつでも好きなだけ駆け回ることができますが、町のお店には2匹だけでは入ることができないからです。

 野原を横切って、丘の上の辻につくと、約束通りに郵便屋さんが来ていました。
「やあ、きたね。じゃあ、さっそく行こう」

 それから郵便屋さんは、ポケットから細くてキラキラ光る2本の紐を取り出しました。
「申し訳ないけれど、喫茶店の入り口をくぐるときだけ、この紐を首輪につけさせてもらうよ。それがきまりなんでね」

 もち太は、自由に跳ね回ることに慣れているので、びっくりしました。
「僕たち、紐で縛られて、外国に売りとばされちゃうの?!」
もち太が心配そうに訊くと、すあまは、いつだったか教わった童謡を歌いながら叫びました。
「がいこくだ、いじんさんにつれられて、どんぶらこだ!」

 郵便屋さんは、おかしそうに笑いました。
「君たち、いろいろなことを知っているねぇ。でも、そんなおおげさなことじゃないんだ。中に入って、オーナーに紹介したらすぐに外すよ」

 もち太は、少し考えました。郵便屋さんは、もち太たちの飼い主ともなかよしだし、前から知っているとても親切な人です。それに、もち太たちが病院に行かなくてはいけないとき、飼い主はもち太たちを籠に閉じ込めるのですが、うちに帰るとすぐに出してくれます。ニンゲンは、ときどきへんなことをしますが、きっとこんどもなにか理由があるのでしょう。せっかく喫茶店に連れて行ってくれるというのですから、ほんの少しの間は我慢しようと思いました。
「わかりました」

 そうして、もち太はとすあまは、ふだんはしないのですが、紐につながれて郵便屋さんと町に入っていきました。

 町には、人がたくさんいて、車もたくさん走っていました。ものすごい勢いで自転車が通り過ぎていったり、角を曲がったところでとてもうるさい音のする派手なお店が見えてきたりするたびに、すあまがそちらに走り出しそうになりました。

「あぶない! すあま!」
もち太が、いつものように叫びましたが、見ると郵便屋さんがじょうずに紐を引いて、すあまを止めていました。もち太はホッとして郵便屋さんの顔を見ると、郵便屋さんは優しくにっこりと笑いました。

「さあ、ついたよ」
角を曲がると、郵便屋さんは茶色い枠のドアをぎぃと押しました。

「いらっしゃいませ。ああ、加賀見さん、お待ちしていました。ワンちゃんたちも、ようこそ!」
眼鏡をかけてやせた男性が、嬉しそうに出迎えました。どうやら、もち太たちが来ることも、知っていたようです。

「こんにちは、もち太です」
「こんにちは、すあまだよ」
勝手がわからないので、とりあえず礼儀ただしくあいさつをしました。郵便屋さんがニコニコして、言いました。

「おお、自己紹介をしていますね。こちらがもち太くんで、こちらが弟のすあまくんです。君たち、このひとがこの喫茶店のオーナーだよ」
「ああ、そうですか。どうぞよろしく。さあ、加賀見さん、どうぞおかけください」
そう言うと、オーナーは郵便屋さんに水とメニューを持ってきました。

 紐を外してもらった、もち太とすあまは、郵便屋さんとテーブルの間にちょこんと顔を出して、一緒にメニューをながめました。おいしそうな食べ物と飲み物の写真がたくさん並んでいます。色とりどりのサンドイッチや、パンケーキ、それにカレーライスのようなごはんものも見えます。

「何になさいますか」
「そうですね。私は簡単に。この美味しそうなパンと、チャイをいただきましょう」
「かしこまりました。では、ワンちゃんたちのと一緒にお出ししますね」

 それを聞いてもち太は、首を傾げました。
「僕たちにも、何かでるの? あ、水? ボジャーが言っていたみたいに」

 郵便屋さんは「ボジャーだって?」と訊き返しました。

「ボジャーだよ! ごしゅじんさまと喫茶店に行ったことのあるおじいちゃん犬だよ!」
すあまが元気よく説明しました。

「ボジャーは、盲導犬だったんです。それで、喫茶店では、ときどき犬用に水を出してくれると言っていました」
もち太は、補足しました。

「ほう。なるほどね。でも、今日は、水だけじゃなくてもっとたくさん出るよ。君たちに試食をして欲しいんだ」
「ししょく?」

「うん。オーナーは、犬といっしょに来られるお店を目指しているんだ。それで、人間用メニューだけでなく、犬用メニューを研究しているんだ。塩辛くなくて、犬には毒になる食品も入っていない特別メニューだよ。でも、それが美味しいかどうか、オーナーの犬だけでは判断しにくいので、食べてくれる犬を探していたんだ」
「でも、犬ならたくさんいるのに」

 郵便屋さんは笑いました。
「そうだね。でも、僕のように君たちの言葉がわかる人間と知りあいの犬はあまりたくさんはいないんだ」

 もち太は、なるほどと頷いた。ここのオーナーは、僕たちの言葉がわからないのか。

 すぐにオーナーが、郵便屋さんにチャイとパンが2つ載ったお皿を運んできました。
どちらからも湯氣がでていていい匂いがしています。

「もっちもちのパンだよ! ぼくたちみたいだね!」
すあまは、青い目を輝かせて歌いました。

モッフモッフ モッフモッフ
モッフモッフのもち太だよ
フックフック フックフック
フックフックのすあまだよ


 すあまは、椅子に飛び乗ると、短い前足を郵便屋さんのパンに伸ばしました。もち太は、慌てて叫びました。
「すあま、ダメだよ! それにさわっちゃダメ!」

 その声に驚いたすあまは、ぐらりとバランスを崩して椅子から落ちました。ちゃんと床に着地しようとしたのですが、いつもの野原と違って、せまい喫茶店にはいくつも椅子があり、調子がくるいます。なんとか着地したものの、オーナーがピカピカに磨いた床の上をすーっと滑って入り口ちかくの雑誌が置いてある棚にぶつかりました。バサバサと音がして、すあまの上にたくさんの雑誌が落ちてきました。
「もち兄〜っ!!」

「すあま!」
まずは、もち太が駆けつけ、すぐに郵便屋さん、そして、奥で物音を聞いて何事かとオーナーも飛び出してきました。

 郵便屋さんが、そっといくつかの雑誌をどけると、ひょこっとすあまが顔を出しました。
「だいじょうぶかい」
「えへへ。びっくりしちゃった」

 笑っているすあまに代わり、もち太が困ったようにあたりを歩き回り、言いました。
「ごめんなさい。こんなメチャクチャにしてしまって」

 郵便屋さんは、一緒に雑誌を手早くかたづけるオーナーに言いました。
「お兄ちゃん犬が弟に代わって謝っていますね」
「おや。そうですか。こんなのどうってことありませんよ。雑誌は壊れませんし。ほら、もう片付いた!」

「美味しそうなパンで、思わず前足がでてしまったんですかね。きもちはわかりますよ、とてもいい匂いですしね」
そう言われて、オーナーは嬉しそうに笑いました。

「おやおや。それでは、ワンちゃんのご飯を急いでだしましょう。いま、持ってきますよ」
厨房に入ったオーナーは、お盆にいくつかのお皿と、お椀を載せてすぐに戻ってきました。

「ほう。見た目には人間のメニューとあまり変わらないようですね」
郵便屋さんは、のぞき込んで言いました。

「そうですね。でも、ワンちゃん用ですから、口にしたら、加賀見さんには物足りないかもしれませんね」

「じゃあ、さっそくもち太くんとすあまくんに食べてもらいましょう。これはな普通の牛乳ですか?」
「いいえ。これは犬用のミルクです。乳糖をカットして、それぞれの年齢に必要な栄養を強化してあるんですよ」

「どうだい飲んでみるかい?」
郵便屋さんが2匹を見ると、もち太とすあまは喜んで尻尾を振りました。たくさん歩いたので、喉が渇いていたのです。すあまは、一氣にごくごくと飲んで、それから美味しそうな料理が並ぶお盆に鼻を伸ばしました。

「すあま!」
もち太が注意する前に、すあまの鼻は、もう人間が食べるハンバーグのようなひき肉だんごにタッチしていました。

「ああ、まずこれに惹かれましたか。これは、豆腐と合い挽き肉に野菜を混ぜたハンバーグです」
オーナーは、嬉しそうにメモをとっています。

「食べていいんだよ。もち太くんはどれがいいのかな?」
すあまが豆腐ハンバーグのお皿に覆い被さっているので、もち太は、氣になっていたオムライスのように見えるものに鼻を伸ばしました。

「ほう。これはなんですか?」
郵便屋さんの問いに、オーナーは嬉しそうに頷きます。
「合い挽きのミンチと野菜チャーハンを包んだワンちゃん用オムライスです。じつは、飼い主さんも当店の普通のオムライスを注文できる『ワンちゃんとお揃いセット』も企画しているんですよ。ただ、ワンちゃんがオムライスを好きかどうかがわからないので、ぜひ感想が知りたいですね」

 食べてみて、もち太はとてもおいしいと思いました。
「ドッグフードも嫌いじゃないけれど、これ、とっても美味しいよ。僕、こういうのを食べられるなら、ここにまた来たいな」

 もち太がハキハキと意見を言うと、お豆腐ハンバーグを食べ終えたすあまは、兄の絶賛するオムライスが食べたくなりました。
「ぼくも食べるよ! すあまも、オムライス!」

 次々と出てくる試食品がどれもとてもおいしいので、2匹はとても幸せでした。たくさんの種類が出てくるので、ちょっとずつ食べた方がいいという郵便屋さんのアドバイスに、年上のもち太はしたがいましたが、すあまにはむずかしすぎたようです。どちらにしても2匹はお腹いっぱい、おいしい試作品を食べました。

 いつも、ふっくらしたお餅のような2匹ですが、その日はいつもに増してまん丸になってしまい、郵便屋さんは、2匹のふくれたお腹が地面に触れてしまうのではないかと心配しなくてはなりませんでした。

 でも、もち太とすあまは、とても幸せで、この喫茶店が大好きになりました。きっと他の犬たちも、この店がすきになるでしょう。

(初出:2022年3月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

カンティーネにまた行った

今日は、久しぶりのレストランの話題。といっても、オシャレなレストランの話ではありません。

カンティーネ

めちゃくちゃ物価の高いスイス。旅行中のみなさんは、きっと外貨ゆえに感覚が狂い「こんなものかな」と思って払ってしまうかと思いますが、レストランで1食食べると日本に比べると考えられないくらいの出費になります。

先日も、水と、前菜、メイン1皿、小さなデザート、コーヒーという標準的な食事を連れ合いと2人でして140スイスフランを払いました。そういう国なんですよ、ええ。なんせファーストフードですら10フラン以下で抑えることはかなり難しいのですから。

とはいえ、私たちにとっては半年ぶりくらいの外食だったので、その値段でも「まあ、いいか」と思えましたけれど。

でも、スイスでもびっくりするくらいお手頃な値段で食事をすることもできます。先週行ったのはそんな店の1つです。

この店は、もともとはトンネル建設時に、労働者たちの社員食堂として作られました。なので、今でも「カンティーネ」と呼ばれています。イタリアの小さな食堂のように、「今日のメニュー」が出てくるだけのシンプルな店です。ミネストローネ、パスタ、メインの肉料理、そし小さなデザートという組み合わせです。

カンティーネの食事

私たちは食べきれないのでいつもプリモピアットのパスタは断ります。これに、私は水、連れ合いは半リットルくらいのワイン、コーヒーがついて2人で60フランいきませんでした。スイスの物価で考えたら奇跡のような値段です。

全くしゃれていないし、車でアルプスを越えないとたどり着けないので、日本からのお客様などをお連れしたことはありません。でも、私たちは、安いから行くと言うよりも、この素朴な感じが好きなのでよく行くのです。コロナ禍による制限などでずっと行けなかったのですが、ようやく解除されたので、また時おりこうした外食を楽しめるようになって嬉しいです。
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Posted by 八少女 夕

10周年です

2012年3月2日に開設した当ブログ「scribo ergo sum」は、ついに10周年を迎えました。去年から騒いでいたので「いまさらかい」と思われてそうですが、本日が10歳の誕生日です。

thank you

いつも足繁く通ってくださる常連の皆様、小説を読んでくださったり記事に興味を持ってくださる方に、心からの御礼を申し上げます。

思えばあっという間でした。まだ、2周年を迎えていない頃だったかと思いますが、お友達のブログで10年過ぎていたという話題を読んで「そんなの、私には絶対無理だわ」と思ったことを覚えています。そんなに長く自分の根氣が続くはずがないと思っていましたし、それ以上に、そんなに長く皆さんに読んでいただけるとも到底思えなかったからです。

でも、あっさり続いてしまいました。私に思った以上の根氣があったからでも、訪れてくださる方を10年間楽しませる何かを持っていたからでもありません。そんな壮大なことではなくて、普通に面白く続いてしまったと感じています。

ブログのお友達との交流が。                                                                                                                                                                      

毎日コンスタントに来てくださる方、時々いらしてくださる方、記事をアップする度に反応してくださる方など、いろいろな方がいらしてとてもありがたいなあと思っています。目的が小説を読みたいから、もしくはブログの友達だから、単純に訪問返しなどいろいろとおありでしょうが、いずれにしても関心を持っていただけるのは嬉しいことです。

二次創作や何かのファンブログだと、交流の目的にはオリジナルに関する愛を語り合うというような目的もあるでしょうが、私のようなオリジナルのみの創作者の場合は、いらしていただいた方との交流に関しては「マイ・ワールド」について語ることがメインになります。

さらには、自分の小説のキャラクターのイラストを頂戴するという大感激も味わせていただきました。他の方は存じませんけれど、ずっと一人で創作していたためにその手の反応に免疫のなかった私にとっては、自分の創作に関心を持ってもらえるのは麻薬のようなもので、これを目の前にぶら下げられたニンジンのようにして、活動してきたという経緯があります。

それで、最初の頃は1人でも多くの方に足を運んでいただこうと、いろいろな努力をしたものです。ランキングに参加したり、コミュニティに参加したり、小説投稿サイトに登録したり、関係のない記事を毎日アップしたり……。ブログの見かけにもあれこれ手を入れました。

4年目くらいからは、反対にその努力を次々にやめてきました。真剣に読んでくださる方は、ランキングから来ることは稀だということがわかりましたし、小説投稿サイトでよく求められている小説は、私の書くようなものではないこともわかってきました。さらにいうと、スイスに関する記事を細々とあげていても、小説を読んでいただくチャンスは大して増えないこともわかってきました。

反対に、ブログ運営にかけるその時間が、執筆の時間と意欲をそぐ結果になっていることを問題視するようになったのです。

途中から新規読者の獲得や技術向上の試みなどをほぼ停止したこともあり、7年くらい前と比較すると、訪問してくださる方も、読んでくださる方もぐっと減ってはいるのですけれど、個人的にはこの状態が仕事と家事をしつつ自分の執筆ペースを守っていくのにベストと思えるようになったので、これで満足しています。

この10年間に、世界はずいぶんと変わりましたし、私自身の身の上も変わりました。自分が望んだこともあるし、どうしようもなくそうなったこともあります。家族を失い、祖国から離れ、職場からも放り出され、新しい道も見つけ、新登場の猫に振り回され(笑)、新しく知った世界のあれこれに絶望したり立ち直ったりしながら、それでも、幸いなことに健康に暮らしています。どんなときも余裕のない私は、それでも、少なくともその一瞬でできる範囲を精一杯こなして生きてきました。それは、これからも同じだと思います。

実は(本人も忘れていましたが)2019年の10月頃に、ある記事の下書きを用意していました。その時、私は2022年3月1日をめどにブログの運営方法を考え直すといようなことを考えていました。閉鎖のつもりはありませんでしたが、このままジリ貧で続けることに疑問を持って運営方法をさらに変更しようと考えていたようです。その下書きには「2022年の3月1日までに考えます」みたいなことが書かれていますけれど、すっかり忘れていたというぐらいで、何も考えていません。

当時は某有名歌手の方々が次々と「○年○月をもって活動停止」を発表していたので、それに影響されたのかもしれません。それに、その下書きを書いた2019年10月というのは、まだ前の会社にいて、年に3回も海外旅行をして、そんな生活が当たり前だと思っていた頃でした。世界がこんな風に不安と不確実さに満ちていると認識していなかった頃です。要はブログの運営方法くらいしか考えることがなかったのです。その後の2年半に世界で起こったことは、皆さんもよくご存じの通りで、そもそもブログどころでない日々なのに、よく皆さんが訪れ続けてくださったと改めて思います。

その世界の変化に加えて、その頃、自分でものすごく氣に病んでいた、多すぎる「書く書く詐欺」の多くを解消してきたこともあって、当時の私とは少し考え方が変わっているようです。すなわち、無理をしない範囲で、今まで通りの活動をできるところまでやっていこうということです。

具体的にいうと、可能な限り毎週水曜日の小説更新、そして週にもう1日、関係ない内容の記事を1つアップする、現在のスタイルを続けていこうかなと思っています。

この間にブログを全く更新なさらなくなってしまったお友達もいらっしゃいますし、活動の場を他に移された方もいらっしゃいます。でも、そうした方でも、ひょっこりとまたコメント欄にいらして近況を知らせてくださることがあり、それまた楽しみの1つになっています。そうした方が、5年後、10年後に古いブックマークを辿ってみたら、誰も訪れていないみたいだけれどまだそこにいた、そんなブログであり続けられたらいいなあ。それが当面の抱負です。

毎年、このブログの誕生日を祝う記念企画として開催してきた「scriviamo!」も今年で10回目になりました。今年の参加受付は既に終了しましたが、まだお返しすべき作品がいくつか残っていますので、引き続きお楽しみください。(参加表明をなさって、まだ作品をアップなさっていらっしゃらない方も、お忙しいとは思いますが何卒どうぞよろしくお願いします)

これからもどうぞよろしくお願いします。
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