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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】一緒に剪定しよう

今日の小説は『12か月の○○』シリーズの新作『12か月の植物』1月分です。今年は、植物をテーマに小さなストーリーを散りばめていくつもりです。

トップバッターは、『12か月のアクセサリー』の時に初登場させた花屋を経営する筋肉ムキムキ男&腐女子のカップルです。そして、植物は五葉松の盆栽です。

ずいぶん昔になりますが、東京で松の盆栽が展示されていました。樹齢を見たら500年でした! あの小さな鉢の中にそれだけの時間と、世話をした多くの人びとの歴史が詰まっているのですね。


短編小説集『12か月の植物』をまとめて読む 短編小説集『12か月の植物』をまとめて読む

【参考】
麗しき人に美しき花を
追憶の花を載せて



一緒に剪定しよう

 加奈は、剪定バサミを持ったまま、20分も右から左から眺めていた。テーブルの上にはかなり立派な盆栽がデンと置かれている。
「困ったなあ……」

「なんだよ。まだ悩んでんのか?」
ドアが開き、配達から帰ってきた麗二が笑った。

「うーん。やっぱ、わたし、この手の才能ないみたい。どうしたらいいのかわかんないよ」
加奈は、剪定バサミを置くと、盆栽をテーブルから持ち上げて部屋の片隅にある棚に持っていった。

「ちっちっち」
麗二が指を振って、加奈を止めた。

「なに?」
「五葉松は日当たりのいいところに置かなくっちゃダメだとさ」
麗二はスマホで調べながら言った。

「そっか。……わたし自信ないなあ。この松、近いうちに枯らしちゃいそう」
加奈はため息をついた。なんとなく枯れてきているような氣もする。

 大叔父が急逝したあと、子供のいない彼の遺産は、彼の兄弟姉妹またはその直系子孫が相続人となることになった。加奈の祖母は彼の妹だったが既に物故者だったので、加奈の母親が相続人の1人となった。結局、8人の相続人がいて、彼の住んでいた家を片付けて売りに出し、最終的に均等に分けたのだが、そこで1つの問題が発生した。大叔父の大切にしていた盆栽を受け取ることを全相続人が渋ったのである。

「そりゃあ、確かにわたしは園芸関係の仕事に就いているわよ。でも、盆栽とフラワーアレンジメントって、歌舞伎とバレエくらい違うのに!」

 娘の加奈が『フラワー・スタジオ 華』の共同経営者の1人だという理由で、その盆栽をほかの相続人から押しつけられた母親は、即日それを持って来てまくし立てた。
「ほら、わたしはサボテンも枯らすタイプでしょう。あの五葉松は樹齢30年以上なんですって。叔父さん、手塩にかけて育てたみたい。そういわれたら、すぐに枯らすわけにいかないじゃない。頼むわあ。ま、あなたがダメでも、麗二くんなら何とかしてくれるんじゃないかしら」

 加奈の公私ともにパートナーである麗二は「緑の親指」の持ち主で、どんなに難しい花でも咲かせる事が出来るし、部屋の隅で捨てられるのを待つばかりになっていた弱った鉢植えもいつの間にかピンピンにする事が出来る。

 だが、その彼ですら言った。
「盆栽はなあ。皆目わからないよ。根っこをコントロールすることで大きくなるのを抑えるってことくらいはわかるけど、やったことないもんなあ」

 困ったことに、大叔父は盆栽を育てるセンスがあったと見えて、受け取ったのは見事な仕立ての五葉松だった。龍のように波打ちつつもどっしりとした立ち上がり、正面から見たときのバランスのいい枝振り、丁寧に施された剪定、苔を押し上げる根のしっかりした張り、それに幹を故意に枯らした舎利のつけ方も絶妙だ。

「ま、これは枝が伸びてきたり育ったらどうにかすればいいのであって、今すぐ手を入れなくちゃいけないものじゃないだろ? その間に少し勉強すれば?」
麗二は、その枝振りをのぞき込みながら言った。

「そうよねぇ」
そういいつつ、店のショーウインドーの1つに置いたその盆栽は違和感を放っている。今はお正月氣分が残っているからいいものの、フラワーアレンジメントの店先に盆栽がある必要はない。バレンタインデー特集の時にはこのウインドーが必要になる。かといって、2階の自宅スペースのベランダは北側であまり日が当たらない。

「あれ」
麗二の声で顔を上げると、加奈もショーウインドーの向こうを行ったり来たりしている男性に氣がついた。杖をつきながらゆっくりと歩いているのだが、目は件の盆栽に釘付けだ。

 1度も見たことのない男性で、眉間に深く皺を寄せていて、声をかけたら怒鳴られるんじゃないかと思うような厳しい表情だ。麗二は、それでも果敢に入り口に向かいドアを開けた。
「いらっしゃいませ。よかったら中にどうぞ。寒いですし」

「いや。用があるわけじゃない」
男性はぶっきらぼうに答えて、立ち去ろうとした。

 その時だった。角を曲がってきた少女が大きな声を出した。
「お祖父ちゃん!」

 その子を見て、今度は加奈が声を出した。
「莉子ちゃん!」

「こんにちは、加奈お姉ちゃん。……あ、お祖父ちゃん、待って!」
少女は立ち去ろうとする男性のそばに行き、そのジャケットを掴んで引き留めた。

 麗二は訊いた。
「知ってる子?」
 加奈は頷いた。
「うん。従兄弟の子なんだけど。あちらの男性はどなたかしら」

「ねえ。この盆栽、見に来たんだよね。莉子と一緒に来てよ」
少女は、去ろうとする男性を必死で引き留めている。

 麗二は、2人の所に行って朗らかに言った。
「どうぞお入りください。盆栽のことなら、なおさらです。実は、俺たちも困っていることがありまして」

 男性は、立ち去りそうにしていた態度を変えて、じろりと麗二を見た。
「あんたは花屋だろう。何を困るっていうんだ」

「花は扱いますが、盆栽は畑違いなんですよ。もしかして、お客様こそお詳しいのではありませんか?」
そう言うと、莉子が大きく頷いた。
「そうだよ。お祖父ちゃん、いっぱい盆栽育てているじゃない! 誰よりも詳しいよ」

 加奈は驚いて、莉子に訊いた。
「本当? 達夫くん……莉子ちゃんのパパは、盆栽を育てられる人はいないって……。だから、しかたなくうちが受け取ったのよ」

 男性は、ぷいっと横を向き言った。
「そりゃ、わしの趣味なんぞ知らんだろう。我が家に来たこともないんだから」

「とにかくお入りください。お茶でも一緒にどうぞ」
麗二が言うと、今度は意外と素直に入ってきた。

 加奈がカウンターに場所を作って、男性と莉子を座らせている間に、麗二は奥に入ってお茶と羊羹を持ってきた。

 男性は、小さな声で「ありがとう」と言って飲んだ。
「失礼した。わしは、島崎隆生といいまして、酒田麻美の父親、この莉子の祖父です」

「高川加奈です。こちらは、パートナーの華田麗二です」
加奈は、自己紹介した。島崎氏は黙って頷き、お茶を飲んだ。

 莉子は嬉しそうに羊羹を食べながらはなした。
「昨日ね。酒田のじいじが亡くなって、松の盆栽が加奈ちゃんのところに行ったこと、莉子がお祖父ちゃんに話したの。そしたら、なぜママが引き取らなかったんだって、お祖父ちゃんと喧嘩になっちゃったの。お正月なのに」

 加奈は不思議に思った。酒田老人の葬儀には従兄弟の達夫だけでなくその妻で莉子の母親である麻美もいて、皆で盆栽を押しつけ合っていたのを知っていたのに、ひと言も口をきかなかったからだ。そういえば、父親なのであろうこの男性と麻美は面差しが似ている。

 莉子は、加奈に説明した。
「あのね、お祖父ちゃんの家に行っていること、パパには内緒なの」

 島崎氏は、ため息をついて口を開いた。
「お恥ずかしいことですが、わしは娘の結婚に反対して、挨拶に来ると言った婿を拒否したんです。それで、娘夫婦と10年近く関係を絶っていました。もっとも妻と娘はずっと外で会っていたようですが。それがわかって、2年くらい前から、娘とこの莉子が婿に隠れて会いに来るようになりましてね」

 なるほど。だから、麻美さんはお父さんが盆栽に詳しいことは口に出せなかったのか。

「この盆栽、とても立派ですが、俺ら素人の手には終えないのではないかと心配しているんです。島崎さんは、どう思われますか」
麗二が訊くと、島崎氏は五葉松をじっと見た。

「そりゃあ、簡単じゃないだろうな。……そもそもこの五葉松は、わしが種から育てたんじゃ」
それを聞いて、3人とも驚いた。

「ええ? お祖父ちゃんが?! じゃ、どうして酒田のじいじのところに?」
莉子は、加奈と麗二の想いを代弁した。

「実は先日なくなった酒田さんのひとり息子は、わしの友人でね。自分も盆栽を育ててみたいというので、ほどよく育っていたこれを譲ったんだ。友人はそれから5年もしないうちに事故で亡くなり、盆栽がどうなったかも知らなかったんだ。お父上がそのまま育ててくださっていたんだな」

 島崎氏は、立ち上がって五葉松に近づき、四方八方から眺めた。
「見事な枝振りだ。この最初の立ち上がりまで育てるのにとても苦労したんだが、それを生かすようにした上の幹の曲げ方も、どの方向から見ても素晴らしい。バランスの取れた半懸崖に仕立てようとしたんだな」

「ようとしている……って、できなかったの?」
莉子が立ち上がって一緒に眺めた。

「いや、できたさ。でも、この枝をごらん。せっかく長く伸ばした一の枝の先が枯れかけている。このまま放って置くとこの枝全体が枯れてしまう」
一番下の枝先だけ茶色く変色しているのが、加奈も麗二も氣になっていた。莉子は首を傾げてのぞき込む。

「直せないの?」
「そうだな。剪定して、新芽の勢いが増してくれば、もとのような樹形に近づけられるかもしれないな。うまく行くかどうかはやってみなければわからんが」

「今できる?」
「今、木は眠っているんじゃよ。やるとしたら春かな」

 それから、加奈と麗二の方を見て訊いた。
「あんたらが、やるかね?」

 2人は同時に首を振った。
「無理です。何をどうしていいのか、わかりません。この盆栽、お渡ししてもいいでしょうか」
加奈は正直に言った。

 島崎氏は、少し黙っていたが、首を振った。
「それはよくない。ここまで歳を重ねて上手く整った盆栽は、市場では高値で取引されているんじゃよ。婿は、あんたがこれを受け取ることには反対しなかったかもしれんが、わしのところに行くとなったら黙ってはいないだろう。そもそも、それではこの子がわしと会っていることもわかってしまうしな」

 麗二は言った。
「そうですか? 俺はこれを機に、普通に会えるようになる方がいいと思いますよ」

 加奈は驚いて麗二を見た。島崎氏も、麗二の顔を黙ってみている。

「そうだよ。お祖父ちゃんは、莉子のお祖父ちゃんだもの。なんでパパに黙って会わなくちゃいけないの?」
「そ、それはだな……」
「莉子が、パパに頼むよ。お祖父ちゃんと仲直りしてって」

 島崎氏の戸惑いを見ている限り、どうしても仲直りをしたくないわけでもないらしい。加奈の知る従兄弟の達夫も、10年以上も恨みを募らせるようなタイプではない。もしかしたらこの舅と婿は、単に仲直りの機会を逃したままお互いに困っているだけかもしれない。

「じゃあ、こうしましょう。この盆栽は莉子ちゃんにあげます。莉子ちゃんなら酒田の大叔父の遺品を受け取る権利もありますし、達夫くんも文句はないでしょう。そして、お母さんの麻美さんから相談を受けたという形で、島崎さんが一緒に育てることにしてくだされば万事解決じゃありませんか?」

 加奈の提案に、島崎氏はモゴモゴと口の中で何かを言っていたが、頭を下げた。莉子は大喜びだ。
「わーい。莉子、お祖父ちゃんと一緒にこの木の面倒みたい!」

 麗二も頷いた。わるくない解決策だと思っているのだろう。ここ『フラワー・スタジオ 華』では手に余る盆栽は、ふさわしい人のもとに旅立ち、1度は離ればなれになった家族を結びつける仕事までしてくれるようだ。

 日本でもっともおめでたい植物だものね。加奈は立派な五葉松を見つめてにっこりと笑った。

(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

【小説】西の塔にて

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第9弾です。山西 左紀さんは、連載作品でご参加くださいました。ありがとうございます!

 山西 左紀さんの『白火盗 第四話』

左紀さんの今年の2作品目は、ことしの1つめの参加作品と同じ『白火盗』からです。

というわけで、お返しの作品はこちらも前回のお返しで使った世界観をそのまま使うことにしました。サキさんの使われたあるシチュエーションもつかっていますが、それ以外はまったく関係のない話です。ご了承ください。

コメントで「オットーを身代わりにしてハンス=レギナルドは、どこに逐電していたのか」とのご意見を何名からかいただいたので、その答えを(笑)


「scriviamo! 2024」について
「scriviamo! 2024」の作品を全部読む
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「scriviamo! 2022」の作品を全部読む
「scriviamo! 2021」の作品を全部読む
「scriviamo! 2020」の作品を全部読む
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



西の塔にて
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 暗い城内を歩くとき、床石が硬い音をたてる。彼は眉をひそめた。

 普段彼が住む城塞では、石材よりも木材が多用されている。辺境であり、石材を運ぶのに必要な人足や石工が足りないこともあるが、何よりも王都ヴェルドンにはない膨大な木材の供給源があるからだ。

 常に雪を抱く《ケールム・アルバ》の麓はどこまでも続く森林であり、あまりにも広大で比するものがないゆえに単に森を表す《シルヴァ》と呼ばれている。

 辺境伯とは名ばかり、彼が治めることになった土地は、ほぼ未開の地だった。だが、少なくとも彼は王都ヴェルドンにいてその任に就いたときからそのことをよく理解していた。国王がこの困難な任務に彼を選んだのは、ただ単に彼を氣に入っていたからだけではない。

 彼は、尊い家系に生まれたひ弱な貴族ではなかった。遠くルーヴラン王国に属する地方領で馬丁として少年時代を過ごした。

 彼が騎士に叙任され異国の王に仕えるようになるまでには、それだけで吟遊詩人が一生困らぬほどの長い物語になる紆余曲折があったのだが、彼が祖国を去った原因についてはたったひと言で済む。領主バギュ・グリ候の令嬢が遁走した咎を追わされたくなかったからだ。

 彼女は、彼のかつての主人であり、初恋の相手でもあり、型破りな男姫ヴィラーゴで、ジプシーに加わり遁走する迷惑極まりない女で、しかも恋焦がれて止まない愛人でもあった。

 王都ヴェルドンの城の中を、奇妙な服装で深夜歩き回ることになったのは、まさしくその男姫ヴィラーゴのためだった。

 それでも、一昨夜の国王との会話がなければ、こんな危険な行動には出なかっただろう。

 国王の婚儀のために領地から集まった諸侯たちは、婚儀の前夜に特別の宴でもてなされた。彼が諸侯の1人としてもてなされるのは初めてであり、以前のように近くで親しく話をする機会はないと思っていた。

 実際、彼の席は国王からは遠く、その席順を見たヴァリエラ公爵は満足そうに笑った。出自の怪しい異国人が国王に重用されることに大きな警戒心を剥き出しにしていたからだ。

 彼は、もう以前とは違うのだと思った。フルーヴルーウー辺境伯としての爵位と領地、有り余る野心と才覚を向ける新しい活躍の場と引き換えに、彼は国王との奇妙なほどに近かった絆を失ったのだと。

 だが、深夜が過ぎ、諸侯たちの多くが酔い潰れた時刻に、彼は国王がわざわざ彼の元に歩いてくるのを見た。

 国王レオポルドは、不思議な人物だ。背の低さも、醜悪に近いほどの面立ちも、1度たりとも彼に嫌悪感を抱かせなかった。その強い眼光は、どのようなときも変わらない。そして、蠟燭と牛脂灯の鈍い灯の中でも、歩み来る彼の姿からは力強いエーテルが放たれているように感じられた。

 彼の隣で先ほどまで浴びるように飲んでいたノルム伯は、酔い潰れて祝卓に突っ伏していたが、ついに椅子からずり落ちて床に転がった。国王は、その寝姿をちらりと見てから、空いた椅子を引いて彼の隣に座った。

「そう。久しぶりだがあいかわらずだな、ハンス=レギナルド。ノルム伯と変わらぬほど飲んでいたようだが、顔色ひとつ変えぬとは」
「恐れ入ります。陛下こそ、もっとたくさんの祝杯をあげておいででしたが……」

 レオポルドは、緊張して立つ給仕に目で指図をして、2つの杯を満たさせた。

「おや。その袖か。フルーヴルーウー流とやらは」
国王は愉快そうにハンス=レギナルドの胴着の袖を見た。肩の膨らんだ部分を1度絞った位置から、長い袖が装飾用についているが、非実用的なためハンス=レギナルドは、これを縦に切って縫製させ下の胴着の袖を同色の糸で刺繍させたものを露出させた。

 これが宮廷の貴婦人たちの間で評判となり、彼が領地に赴任してヴェルドンの宮廷から去った後も大流行した。お堅いヴァリエラ公が風紀の乱れを懸念して進言したため、しばらく禁令が出たほどだ。

 ハンス=レギナルドは、諸侯たちに睨まれようと氣にも留めず、好きな礼装で今夜の宴に参加した。国王もそのフルーヴルーウー辺境伯の振る舞いを可笑しく思い楽しんでいる。2年会わなかったとはいえ、国王との信頼関係は揺るいでいない。

「この度は、誠におめでとうございます」
「うむ。よく来た。こんな折りでもなければ、そなたは戻らんだろうから、楽しみにしていたぞ」

 2人は杯を重ねて強い酒を飲み干した。給仕はあわてて2人の杯に蜜酒を注ぐ。ハンス=レギナルドは、かつてのように軽口を叩いた。
「それにしても、実に殺風景な祝宴でございますな。華が欠けております。……それも無理もないこと、今宵までは花嫁様も、高貴なる乙女の皆様も、敵国の姫ぎみ。しかし、婚礼がお済みになった明日には、みなさま方をご紹介いただけますか」

 それをいった途端、国王の顔は曇り小さな声でつぶやいた。
「いや。ブランシュルーヴを西の塔からは出さぬつもりだ」

 ハンス=レギナルドは、心底驚いた。
「それはいったいどういうわけで? なにかあちらの策謀でも?」

「そうではない。ただ、あれの姿をどのような男にも見せたくないのだ。あれの手を望み、欲しがろうとする男にとって、盗み取るのはさほど難しいことではあるまい」
そういうと、レオポルドは拳を強く握りしめた。

 ハンス=レギナルドは、不思議そうに彼の主人であり親友でもある男を眺めた。
「強い自信と求心力をもつあなた様を、王妃様がそこまで臆病にしたとは驚きましたね。陛下はかのイーラウ嬢をはじめお美しいご婦人方をいくらでもご覧になり、手に入れていらっしゃったではないですか」

 レオポルドは、小馬鹿にするように笑った。
「イーラウだと? 比較対象にもならん。あれは……ブランシュルーヴはまったく違うのだ。美しい造形が豪奢な布で着飾っているだけではない。まるで太陽のように強い光を放ち、すべてが霞む。もうこの世に、他の女など存在しないかのようだ」

 ハンス=レギナルドは「ほう」といって頷いた。
「しかし、姫はルーヴランの女官であった4人の高貴なる乙女たちをお連れになってのお輿入れと伺いました。おそらくは、4人とも陛下の愛妾とさせ、グランドロンとルーヴランの絆をより強固なものにするために……」

 その4人については、家名だけが伝わっていた。ヴァレーズ伯、マール・アム・サレア領主、アールヴァイル伯に加えて、彼の出身地であるバギュ・グリ候の令嬢たちだ。

 バギュ・グリ令嬢については、愛妾アデライドの連れ子クロティルデだろうと予想していた。バギュ・グリ候テオドールには候子マクシミリアンと候女ジュリアの他に子はなく、かのジュリアはジプシーと共に出奔して行方不明になっていたからである。

 国王は、4人の高貴なる乙女のことを促されて、鼻で笑った。
「あの女たちを愛妾に? なんの冗談だ。わざわざ王妃の不興を買えと? そもそも、どんな女たちかすら、憶えておらぬ。……いや、もちろん、1人は別だ。だが、いずれにしろそのような対象ではない。氣味が悪い女でな」

「氣味が悪い? 高貴なるご令嬢が?」
ハンス=レギナルドは、いままで国王が女にそのような評価を下したのを訊いたことがなかったので意外に思って訊いた。

「ああ。奇妙なことに、ブランシュルーヴがもっとも信頼しているのが、その女でな……そうだ。バギュ・グリは、そなたの出身地ではなかったか? 候女を知らないか? 美しいが、夜に蠢く獣みたいに残忍な顔つきをした姫だぞ」

 ハンス=レギナルドは、それから彼がどんな受け答えをしたかすら憶えていない。それはクロティルデではあり得ない。親のいうことには一切逆らわない、清楚で退屈な少女が、たった数年でそのような女に変貌するはずはない。

 ハンス=レギナルドの人生で、国王が描写したような特性を持つ女は、たった1人だった。そこにいるはずのない女、しかしながら紛れもないバギュ・グリ候女、男姫ヴィラーゴジュリアその人だ。

 西の塔には、いつもの3倍の護衛兵がいて、見つからずに通過することはできない。彼らは「どのような男も決して通してはならない」と厳命されている。

 だから、彼は修道女の服装を身につけてきた。彼にこの服を貸してくれた修道女は、あいにく見かけほどは慎ましくない。夫亡き後、修道院に入ったものの、彼の誘惑に軽々と応じ、彼がグランドロン王国の騎士となるのに十分な金銭的支援を申し出てくれた女だ。

 暗いとはいえ、女の服装だけで易々と地階の護衛を騙すことができたのは、彼の類い稀な美貌の恩恵だろう。護衛たちは、美しく清楚に見える修道女に戸惑い、問いかけることもなく彼を通してしまった。わずかな手振りをしただけで、《沈黙の誓い》を守っている慎ましい修道女だと勝手に判断してくれた。

 だが、難しいのはこれからだ。地階の護衛たちは新しく、まだ彼の顔をよく憶えていなかった。だが、上の階に行くたびに護衛の騎士は古参で忠誠心に篤い者らが固めるであろう。

 西の塔には、中心に円形階段があり、下からいくつかの広間と部屋が用意されている。最上階はもちろん王と王妃が休む広間と寝室だが、彼はそこに行くつもりはない。しかし、4人の高貴なる乙女たちがどこに部屋を与えられているのかまでは調べられなかった。

 バギュ・グリ候女がもっとも王妃の信頼が厚いというのならば、最上階に一番近い場所が妥当であろう。そこまでたどり着けるであろうか。

 円形階段を上がると2人の騎士が大きい木造の扉を守って立っていた。扉は開き、中の侍女が騎士の1人と話している。もう1人の騎士がこちらに向かって大股で歩いてきた。
「止まれ。お前は何者だ!」

 またしても《沈黙の誓い》の手振りで押し切れるだろうか、そう思ったとき、女が言った。
「お待ちください。その方は、伯女様のためにわたくしが呼んだのです。失礼の無きように」

「それは失礼いたしました。どうぞ」
2人の騎士は最敬礼をして、ハンス=レギナルドを通した。

 女は素早く彼を扉の内側へと連れ込むと、すぐに扉を閉めた。そして、声をひそめて囁いた。
「ハンス=レギナルド様! いったいここで何をなさっているの?」

 顔を見ると、それは宮廷騎士時代によく通っていた侍女だった。
「マルガレーテ! 君は今、ここに勤めているのかい?」
「ええ。アールヴァイル伯女様のお世話をおおせつかっているの。ハンス=レギナルド様こそ、いったいどうなさったの……」

 ハンス=レギナルドはみなまで言わせなかった。
「それは本当か。高貴なる乙女の皆様……いやバギュ・グリ候女様はこの部屋の奥に?」

「そんなわけあるでしょうか。ここはわたしたち侍女がご用事の準備をするための部屋で、候女様は王妃様のひとつ下、他の3人の姫様方はその下の階にご滞在なさっているわ。まさか、候女様のご寝所をお訪ねになるおつもりでしたの?」

 彼は、あっさり認めていいものか迷って口をつぐんだ。
「どんな事情があるかわかりませんけれど、今あそこに忍び込むなんて、正氣の沙汰ではありませんわ。いつ王様がお訪ねになるかもわかりませんのに……」

「なんだって? 候女様たちのところに陛下が? 昨日婚儀をすまされたばかりだというのに?」
氣色ばむハンス=レギナルドを見て、マルガレーテはよくわかったと言いたげな顔をした。

「まあ、ご心配にはおよびませんわ。王様だけでなく王妃様もご一緒にですもの。王妃様はこの西の塔から一歩も出られないので、大切なご友人たちを訪れるくらいの自由は王様もお許しになったのですわ。でも、王妃様とわずかの間でも離れたくない王様は、一緒に行かれるのです」

 ハンス=レギナルドは、上を見上げて「やれやれ」と言った。
「ところで、なんとか護衛兵に見つからないように候女様の部屋に行く方法はないかな」

 マルガレーテは、わずかに口を尖らせて言った。
「……つまり、わたくしが手引きするんですか。ご褒美はなんですの?」

 彼は、悪びれずに笑みを見せた。
「明日、水仙の咲く庭園の東屋で会おうよ。フルーヴルーウーの緑の水晶を知っているかい? 君が身につけたら綺麗だろうな」

 彼女は、「仕方のない方ね」と肩をすくめ、侍女しか使わない裏階段へと彼を案内した。

 細い螺旋階段を3階層ぶん登ってから、廊下を進む。かなり遠くに、この階への侵入者や客人を阻む護衛兵たちの立つ戸口が見えた。マルガレーテは口元に人差し指をあてて、奥の大きな樫の扉を示した。

「どうなっても知りませんからね。わたくしは仕事に戻らなくては」
そう耳元で囁くと、急いで元の道を戻って去って行った。

 ハンス=レギナルドは、意を決したように樫の扉に向かい、静かに扉を開けた。鍵はかかっていない。さっと入ると扉を閉めた。

 侵入者に氣づき声を上げられても困るので、小さな声で呼んだ。
「ジュリア様」

 その途端、奥から声がした。
「ほら。いったとおりであろう。余の勝ちだ、ブランシュルーヴ」

「まあ。なんてことでしょう。あなた様の部下は、皆こんな風に考えなしに行動するのですか、陛下」
涼しやかな女の声が響く。

「そなたの国の候女も負けず劣らず考えなしだと思うが、ちがうか?」
愉快そうなその声の持ち主はよく知っている。

 目をこらすと、奥の緞帳の影に国王レオポルドと、濃いヴェールで顔面を隠した高貴な服装の女性、おそらくブランシュルーヴ王妃が座っている。

「なんという格好だ。そなた、いつ修道院に入ったのだ。……まあ、女のなりも、それなりに似合うな」
レオポルドは蠟燭を掲げて、ハンス=レギナルドを見たのでその顔が目に入った。かなり呆れた表情をしている。

 暗闇の中で目をこらしてあたりを見ると、マルガレーテと同じような侍女の服装をした女が2人ほど横たわっている。王と王妃の前だというのに。

「ここはバギュ・グリ候女様のお部屋では……」
ハンス=レギナルドは、衝撃からやっとのことで立ち直り、それだけ口にした。

「一昨日と昨日のそなたの様子から、絶対に今宵来るとわかっていたぞ。それで王妃と賭けをしたのだ。王妃は、わざわざ捕まりに来る愚かな家臣がいるなど信じられぬ様子だったがな。それで、一緒に来て確認しようとしたら、なんと肝心な候女までいない。……いつのまにか別の場所で逢い引きの手配をしていたのかと呆れていたところだ」

 ハンス=レギナルドは、肩を落とした。ジュリアが抜け出した。もしかしたら、彼を探しに出かけたのかもしれない。すぐに戻りたいが、国王夫妻に侵入が露見したこの状態で、無事に西の塔を出られるとも思えない。

「わたくしの負けですわ。でも、陛下。この西の塔は、簡単に出たり入ったりできるのですね」
王妃は楽しそうにいった。

 レオポルドは、彼に訊いた。
「そんなに簡単だったのか?」

 ハンス=レギナルドは、首を振った。
「たまたま顔を知った衛兵がおりませんでしたので。《沈黙の誓い》の手振りで、声を出さずに済んだことも幸運でございました」
罪に問われるにしてもマルガレーテの協力のことは、なんとか隠したままにしておきたい。

「それにしても、候女様がここを抜け出せるとは思ってもいませんでした」
横たわっている侍女たちを見ながら彼はつぶやいた。

「この侍女らと余たちが朝までぐっすり眠っているあいだに、何食わぬ顔で戻っているつもりだったのではないか?」
王が笑いながら答えたので、ハンス=レギナルドはぎょっとして2人を見た。

「わたくし付きの侍女たちもだらしなく寝入っていますよ。わたくしたちには、その手の薬が効かないことは、ジュリアったら知らなかったのね」
王妃も楽しそうに笑う。

 ハンス=レギナルドは、深いため息をついた。ジュリアならばジプシー由来の得体の知れない薬を持っていても不思議はない。だが、異国に着いたばかりの身で、王と王妃にまで薬を盛るとは無謀すぎる。命がいくつあっても足りない。

「まあいい。今回のことは、そなたとの因縁に関連がありそうな上、王妃が候女がそのような女であることは織り込み済みで、それでも側に置き続けているという以上、余も騒ぎ立てるつもりはない。だから、衛兵たちを呼ばなかったのだ。だが、それだからこそ、こそこそバギュ・グリ候女に逢いに来た理由については、話してもらうぞ」

 意外な成り行きに、ハンス=レギナルドが返答を整理しようと考えていると、レオポルドはそれを待たずに王妃の方を向いた。
「……ブランシュルーヴ、そなたは候女から何か聞いておるのか?」

 王妃は、ヴェールの向こうから鈴のような笑い声を響かせた。
「いいえ。あれは、他の女官たちのようにはいきません。質問しても答えたいことにしか答えませんし、こちらの思うとおりに動かすことはできません。こちらが訊かなくても悩みや昔話を語りたがる女はいますが、ジュリアはそのような者でもありません。……それでいて、たまに語る経験譚ときたら、どんな物語よりもおもしろいのですわ」

「その中に、美貌の騎士の話はなかったのか?」
国王が愉快そうに訊くと王妃は首を振った。
「いいえ。でも、美貌の馬丁の話はありました。女とみたらすべて手を出す手のつけられない好色家なのに、彼女の身持ちの悪さについて説教をしてくる男……身に覚えがありますか? フルーヴルーウー辺境伯どの」

 ハンス=レギナルドは、憮然として答えた。
「ございますし、わたくしのことでしょうが、女のすべてではございません。それは、陛下が保証してくださるでしょう」

 国王は笑った。
「たしかにすべてではないな。だが、数が多いことはまちがいない。なあ、ハンス=レギナルド、そなたにいい報せがあるぞ」

「この首と胴体が離れずに済むという報せ以上のよきものでしょうか」
彼にも軽口を叩く余裕が戻ってきた。

「場合によってだがな。どうやら、候女もまた、そなたがこのヴェルドン宮廷にいることを知ってから浮き足立っていたというのだ。そうであろう、ブランシュルーヴ?」

 夫の問いかけに王妃もまた笑って答えた。
「はい。昨日の婚儀で、廷臣の皆様にご紹介いただいた時以来、ジュリアはずっと上の空でした。もちろん、他のものには氣づかせませんでしたが。あの時は、フルーヴルーウー伯爵殿と、それともその部下のヴォルフペルツ殿のどちらがジュリアを動揺させたのかわからなかったのですけれど、今夜はっきりしました」

 レオポルドは、ハンス=レギナルドに言った。
「さて、せっかくだから、このままここで候女が戻るのを待とうではないか」

 ハンス=レギナルドは、眉をひそめた。
「ジュリア様は、動揺して許しを請うようなことはなさらないかとおもいますが」

「そうだろうな。だが、そなたが領地に帰る前に、上手く話をまとめてやる機会はもうなさそうなのでな。そなた、そろそろ伯爵夫人がほしいところであろう?」
レオポルドは愉快そうに言った。

「懲罰ではなく、そのような恩寵をいただく理由がわかりませんが」
ハンス=レギナルドは、困惑していった。

「そなたが王妃に色目を使わなければそれでいいのだ」
国王は冗談とも本氣ともわかりかねることを言った。

「そなたがこの国に来て、騎士となり、武功を立て、ついには辺境伯にまでなったのも数奇な人生であったが、バギュ・グリ候女もまた波乱に満ちた境遇を経てこのブランシュルーヴに仕えることになり、この国にたどり着いたのだ。このまま再会せずに終わるのは天の意思にも反すると余は思うのだ、そうではないか?」

そう言って近づいてきた国王は、彼の修道女の服装を掴みながら笑った。
「もっとも、これではあまり絵になる再会とも思えんがな」

(初出:2024年3月 書き下ろし)

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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

白菜が生きていた!

スイスの冬だからと忘れていた家庭菜園ですが衝撃の事実が判明しました。

白菜

「大雪降った」という記事でも書きましたが、12月の頭にガツンと雪が降り、何となく残っていた作物は深い雪の下に埋もれてしまいました。かわいい雪なら救い出すことも考えたのですが、どこにあるかもわからないほどの深い雪で、「こりゃダメだ」と諦めたのです。

それから2週間くらいは、時おり未練たらしく様子を見にいったのですが、あいかわらず近寄ることもできなかったので、それからは完璧に放置していました。

それがここ1週間ほど、+10℃になるくらいの陽氣が続き、ようやく畑にアクセスできるようになったので、不織布カバーを回収するかと行ってみたのです。

そうしたらですね。その不織布の下から、白菜が出てきたんですよ。びっくり!

もともと、直接フワッと不織布を掛けていただけのところにドカッと雪の重圧がかかっていたので、結球どころかぺちゃんこなんですが、驚いたことに新しい葉っぱまででているし、葉にもほとんど凍った痕がないのです。

作物カバー

これからどのくらい寒くなるのかわかりませんが、まだ暖冬が続くなら、もしかしたらまだいけるかもしれないと思い、U字型の骨を設置して、取り急ぎ不織布を掛けました。

来年はこの位置には植えないと思いますが(そもそも冬のガーデニングは諦めるつもり)、せっかくなので冬の植物の動向を観察するためにも経過に留意してみようと思います。(諦めが悪いという話でもあったりして……)
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Category : ガーデニング

Posted by 八少女 夕

【小説】アーちゃん、がんばる

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第2弾です。ダメ子さんは、今年もプランBでご参加くださいました。ありがとうございます! プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。お返しを考える時間も必要でしょうから、とりあえず早急にアップさせていただきました。

ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

さて、「scriviamo!」では恒例化している『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ、もともとはダメ子さんのところに出てくる、「チャラくんにチョコレートを渡せない後輩ちゃん」をネタに書かせていただいたものです。後輩ちゃんを勝手に名付けてしまったアーちゃんだけでなく、付き添いで勝手に出したつーちゃんまでも、いつの間にかダメ子さんの「ダメ鬱」のキャラクターに昇格させていただいています。

さて、前回、ダメ子さんやミエちゃんまで引っ張り出してさらにカオスにしてしまったアーちゃんの再告白計画、まだ続いています。


【参考】
私が書いた『今年こそは~バレンタイン大作戦』
ダメ子さんの描いてくださった『チョコレート』
ダメ子さんの描いてくださった『バレンタイン翌日』
私が書いた『恋のゆくえは大混戦』
ダメ子さんの「四角関係』
私が書いた『悩めるつーちゃん』
ダメ子さんの『お返し』
私が書いた『合同デート』
私が書いた『つーちゃん、プレゼントに悩む』
ダメ子さんの『お返しのお返し』
私が書いた『やっかいなことになる予感』
ダメ子さんの『疑惑』
私が書いた『再告白計画、またはさらなるカオス』
ダメ子さんの『カオス』

私の作品は以下のリンクからまとめ読みできます。
『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ

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アーちゃん、がんばる
——Special thanks to Dameko-san<


 深呼吸して、事態を整理して考えよう。こんなカオスの元凶は、そもそもチャラ先輩がめちゃくちゃ鈍いってことよね。アーちゃんが、バレンタインで告白しようとした相手が、自分だとまだわかっていない。

 もちろん、それに加えて、アーちゃんの告白のしかたが、絶望的にはっきりしないってことも問題なんだけど。

 でも、しかたないじゃない? アーちゃんは極度のあがり症。好きなチャラ先輩を前にして、はっきりくっきり「好きです。つきあってください」とか言えるぐらいなら、そもそも中学の時に伝わってたはず。

 でも、わたしとムツリ先輩が、影ながらこんなにサポートしているのに、ここまで伝わらないって、どういうこと?!

 というわけで、アーちゃんに再告白してもらうべく、ムツリ先輩も巻き込んで段取りをつけていたら、あいかわらず誤解したまんまのチャラ先輩ったら、クラスの女の先輩たちの協力まで要請して、モテ先輩を呼び出しちゃった。いや、だから、初めっからモテ先輩は関係ないっていうのに……。

「ねえ、つーちゃん。チャラ先輩、告白は重いって……。やっぱり先輩が言っていたみたいに『自然に、なんとなくいい感じになる』ってほうがよくない? そしたら、わたし、また告白しなくて済むし……」
アーちゃんが、めちゃくちゃ氣弱なことを言う。

 いや、普通のケースなら、それでいいのよ。でも、チャラ先輩はきっと、お祖父さんになるまでアーちゃんはモテ先輩が好きだと思い続けるよ。

「なんとなくも、へったくれもないわよ。それに、たとえ告白しないとしても、せっかくクッキー作ってきたんでしょ? チャラ先輩に食べてもらえたら嬉しくない?」

 わたしの言葉に、アーちゃんはけなげに頷く。
「うん。昨晩、3時までかかって4回も作り直した。見かけも味もこれまでの最高傑作だし、食べてもらいたい」

 わたしは、驚いた。めっちゃ氣合い入れて作ってた。
「じゃあ、渡そう」
「うん。……あ、こっちはね。2回目と3回目にできた作品。ハートのが割れちゃったり、アイシングが下手になっちゃったの。でも、味は美味しいはずだから、つーちゃんにあげるね」

「わあ、ありがとう。後でいただくね……それでね、思うんだけど」
「なあに?」
「多迷先輩にメモは渡さないでってお願いしたから、たぶん来ないとは思うんだけど、もし万が一、その場にモテ先輩が登場すると、また話がこんがらがるでしょ?」
「う……うん。そうだね」

 わたしは、重々しく言った。
「だから、モテ先輩が絶対に来ないところで渡そう」
「え? どういうこと?」

「だから、モテ先輩に来てくださいってお願いした用務員室の裏手から、すごく遠いところ……たとえばテニスコートの裏にチャラ先輩を連れ出すから、そこでアーちゃんがそのクッキーを渡すの。そしたら、さすがのチャラ先輩でも自分あてだとわかるでしょ?」

「え。でも、そしたら間違えて呼び出された、モテ先輩は?」
アーちゃん、けっこう義理堅く心配している。

「そっちは、クラスメイトの多迷先輩が、何とかしてくれると思う。あと、愛瀬先輩もいたし……心配なら、わたしかムツリ先輩が様子を見にいくから」

 アーちゃんは頷いた。
「わかった。でも、チャラ先輩も、あっちに行っちゃうんじゃない?」

「そこは、わたしとムツリ先輩で、なんとかしてテニスコートの方に行くように仕向けるから。とにかくアーちゃんは、クッキーを渡す準備をして、テニスコートの裏に行っていて!」

 わたしは、いそいでスマートフォンを取りだした。

 そうなんだよなあ。このドタバタで、ムツリ先輩といろいろ連絡を取り合うことがあって、結局、わたしはムツリ先輩の連絡先ゲットしちゃったのよね……。アーちゃん、チャラ先輩の連絡帳に載ったら死ぬほど嬉しいとか言っていたから、わたしがムツリ先輩と連絡先交換したこと、言い出しにくいんだけど……。ま、チャラ先輩の連絡先じゃないからいいか。

「あ、先輩。すみません。いまアーちゃんと話していて決めたんですけれど、モテ先輩のいないところで告白するのがベストだと思うんで、うまくチャラ先輩をテニスコート裏につれて行ってくださいませんか?」

 電話の向こうのムツリ先輩は少し口ごもった。どうやらそばにチャラ先輩がいるみたい。
「あ~、そうか。えーと、どうしよっか」

「場所変更って言って、上手にチャラ先輩だけ連れてきてください。モテ先輩の方は、上級生の女の先輩方がなんとかするでしょう、きっと」
「ああ、そう。わかった」

 ムツリ先輩は、口数少ないけど、話のわかりがよくて助かる。じゃ、わたしもテニスコートに向かおうっと。

 ふと見ると、用務員室の方にモテ先輩が歩いて行っている。そして、後ろから心配している感じで多迷先輩もついて行っている。あれれれれ。行かなくていいってひと言いえばいいのに??? そして、愛瀬先輩の姿も見えるな。あっちはあっちでちょっとカオスな感じなのかも。

 ま、いっか。とりあえず、アーちゃんの方を見届けよう。

 テニスコートの裏に着くと、向こうからムツリ先輩がチャラ先輩と話ながら近づいてきた。あ。無事に連れてきてくれたんだ。……アーちゃんは?

 テニスの用品入れ小屋の影から、アーちゃんが突進してきた。手にはちゃんとクッキーを持っている。察したムツリ先輩は、そっとチャラ先輩のそばを離れて、こっちに向かってきた。

「やあ。こっち来ちゃったけど、モテの方は大丈夫?」
ムツリ先輩は小さい声で訊いた。

「それが、どうも用務員室の方にやっぱり向かっていました。多迷先輩と愛瀬先輩が追っていましたけれど……多迷先輩にメモは渡さなくてもいいと伝えたので、フォローしてくれるかなと」

 ムツリ先輩は少し考えた
「うーん。どうかな。あの子、アーちゃんとは違うタイプであがり症じゃないんだろうけど、あまりはっきりと言わないかもなあ」
「え~。フォローしないとダメですかね」
「うーん。愛瀬くんもいるのか。……こじれたりして」

 そんなことを話している間に、アーちゃんがチャラ先輩にクッキーを渡しているのが見えた。おお、ばっちり渡した。これでチャラ先輩も氣がつくかしら。バレンタインのチョコが自分あてだったって。

 アーちゃんが告白しているっぽいのを見守りつつ、わたしはムツリ先輩にももらったクッキー包みの1つを渡す。
「あ。これ、アーちゃんからお裾分けです。失敗作らしいんですが……味は美味しいそうです」
「へえ。ありがとう」

「なんだよ。モテに直接渡せないのか? また渡してほしいとか?」
向こうからチャラ先輩の大きな声が聞こえて、わたしはずっこけた。え~、まだわかんないかな。

「そ、そ、うじゃなくて……こ、これは、モテ先輩じゃなくて……その……チャラ先輩、食べてください!」

 チャラ先輩は、首を傾げている。そうよ、考えて! アーちゃんが告白したいのは、チャラ先輩、あなたなんだから。

「大丈夫そうですね。ムツリ先輩、私たちはお邪魔虫だから去りましょう。モテ先輩の方に行って、謝った方がいいかもしれないし」

 わたしが言うと、ムツリ先輩はやる氣なさそうな様子で答えた。
「う〜ん……多迷さんがそつなく話を収めている……ってことはないだろうな。愛瀬さんもいるのかあ。……面倒な感じだなあ」

 ムツリ先輩ったら。
「だったら、なおさら行かなきゃ。さ、先輩、行きますよ!」

 わたしが先輩を引っ張って用務員室の方へ向かおうとしていると、遠く後ろからチャラ先輩の声が聞こえた。

「ああ、ムツリとつーちゃんもこのクッキー持ってんな。もしかして、これって友チョコならぬ、友クッキー?」

 わたしは、ムツリ先輩と顔を見合わせた。絶望的な氣分になったことは言うまでもない。アーちゃん、お願いだから、もうちょっと頑張って、それを否定して!

(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Category : scriviamo! 2024
Tag : 小説 読み切り小説 コラボ

Posted by 八少女 夕

猫おやつ常備

久々に猫の話。

冬のゴーニィ

これでも自重しているんですよ。ほうっておくと猫語りばかりになりそうなので(笑)でも、だいぶ我慢したし、たまにはいいでしょう。

写真はうちのゴーニィですが、今日のメインの話はゴーニィ以外の猫へのおやつのことです。

我が家は賃貸住まいで、隣人たちもそれぞれに猫を飼っています。そして、日本の都会と違って、猫たちは基本的に勝手に外に出て自由に近所を歩き回るんですね。

なので、わたしはゴーニィ以外の隣人の猫たちとも顔見知りです。大家のところのシンバとはもう15年くらいの顔なじみですが、それ以外にも特に最近やたらと新しい猫たちが増えました。

わりと古くからいるアリョーシャとイェンテルという猫たちはご夫婦の奥さんが亡くなられてから、どうもあまりしっかりとケアされていないようで、なぜかいつも飢えています。なので、連れ合いが毎日、外に餌を置いておいてあげて、それをガツガツ食べている様子。ただ、ゴーニィはテリトリー侵害とみなすようで、よく追い散らしています。なのでとくに老いたアリョーシャが食べたそうなときは、ゴーニィをひっ捕まえて屋内に閉じ込めます。

その他の猫たちは、隣人たちからたくさんご飯をもらっているはずですが、ときどきおやつをねだりに来ます。なので、ご飯が入らなくならない程度におやつをあげることもあります。

猫用サラミ ミニ

で、最近は、自宅だけでなく外出用のコートのポケットにおやつを忍ばせることになってしまいました。「今すぐほしい。ミャーミャー」とたかられたときに、「はいはい」と取り出せるように。

このサラミは、他のメーカーの半分サイズなので、外猫用です。
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Posted by 八少女 夕

【小説】おせっかいなファボーニオと仔犬のマルコ

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の最初の作品です。ユズキさんは、アニメ絵本作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

 ユズキさんの『scriviamo! 2024参加作品 絵本 けだまヒヨコちゃん』

ユズキさんは、小説の一次創作やオリジナルのコミックを発表、それにイラストライターとしても活躍なさっているブロガーさんです。現在代表作であるファンタジー長編『片翼の召喚士-ReWork-』の続編『片翼の召喚士-sequel-』をはじめ、たくさんの小説やマンガを発表される一方、イラストACでのイラストの提供もなさっています。そして大変お忙しい中、私の小説にたくさんの素晴らしいイラストも描いてくださっています。

ご自分でもおっしゃってましたが、「scriviamo!」にご参加くださる度に、まったく新しい表現方法を模索してくださるのです。今回のアニメ絵本もたくさんの新しいアプリの使い方を勉強しているとおっしゃっていたのですが、この短期間でこんな完成度になるのですね! こちらの動画、音声にもこだわりがあるので、ぜひ音声を聞ける環境でご覧くださいね。

さて。お返しですが、「既存の相互作品のパロディじゃないもの」とのリクエストでしたので、今回のユズキさんの絵本の内容を踏襲する形で作りました。わたしの作品にだけ出てくる風神ですが、ローマ神話の風神の名前を使いました。対応するギリシャ神話(例えば西風ゼピュロス)の方が有名なのですが、イメージに引きずられないようにマイナーなローマ神話を使いました。そして、実は「ファボーニオ」とは、わたしの住むスイスでもイタリア語圏で「フェーン現象」のことを指す現役の言葉なのです。そして、時おりまだ冬なのに急に小春日和にしてしまうこのストーリーと似ているところのある風です。


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おせっかいなファボーニオと仔犬のマルコ
——Special thanks to Yuzuki-san


 その日、農場のおかみさんは、あまり機嫌がよくありませんでした。洗濯物を干しているときに、ガチョウが脱走していることに氣がついたのです。汗だくになってようやく捕まえて戻ってくると、雌牛が洗濯物に鼻をこすりつけていました。洗濯はやり直しです。

「フィンダス! ガチョウが逃げ出さないように見張っていておくれ!」
おかみさんは、猫に頼みました。彼はご自慢の毛皮をなめるのに忙しく、ガチョウの小屋には目もくれません。

「じゃあ、マーサや。お前がガチョウを見張っておくれ」
おかみさんは、ビーグルの母犬に頼みました。

 マーサは、すでにニワトリたちを見守るように、農場主のアルバーノさんに命じられていたのですが、おかみさんの機嫌がとても悪いので脱走好きのガチョウを優先して追いかけるほかはないと思いました。

 そこでマーサは、仔犬のマルコに声をかけました。
「いい子だね、坊や。あたしの代わりにニワトリたちの面倒を見ておくれ。彼女たちからお願いされたら、助けてあげるんだよ」

 マルコは、とても小さいビーグルですが、けなげに頷いていいました。
「わかったよ。ボク、鶏小屋に行ってくるね!」

 それは、とても暖かい午後のことでした。あまりにも暖かいので、遠く山では洞窟の扉をきっちりと閉ざして寝ていた熊までが、寝過ごしたのではないかと、ちらっと外をのぞき見したほどでした。

 でも、熊が寝過ごしたのではありません。まだ2月だったのです。

 風神ヴェンティの長男である北風アキローンは、ここのところとても忙しく働いていました。

 冷たくて強い息をブウブウと吹きつけられた湖畔のプラタナスたちには、真横に伸びる剣先のような氷柱が育ちました。道はつるつるに凍って、人間たちが冬の間に遊ぶスケートリンクのようになってしまいました。

 それから、山のてっぺんの雲をものすごい勢いで凍らせたので、どこもかしこも大雪が降りました。あまりにもたくさん雪が積もったので、鹿たちや野ウサギたちは、まったく餌を見つけることができなくなってしまいました。それを見て、アキローンは「どうだ、まいったか」とご機嫌でした。

 アキローンはたいそう満足して「さて、ずいぶんと働いたからつかれたぞ」と雪のお布団をかけて横になりました。とても疲れていたので、すぐに大きないびきをかいてぐっすりと眠ってしまいました。

 お腹のすいた動物たちがメソメソしているのを見て、かわいそうだと思ったのは、アキローンの弟である西風ファボーニオでした。

 ファボーニオは、本当はいま休暇中です。彼の仕事は、春の訪れを世界に知らせることです。植物と花を揺り起こして、世界に豊穣をもたらすには、いまは少し早すぎます。

 でも、ファボーニオは、親切な性格でした。どちらかというと、おせっかいだったのです。困っている動物たちを放っておくことはできません。それで、兄がぐっすり眠っている隙を狙って暖かい風を次から次へと送り込みました。

 たくさん積もっていた雪がどんどん溶けて、小川に流れ込みました。真っ白だった大地には若草が生えて、スノードロップやクロッカスはあわてて葉を延ばしはじめました。

 雪の下で眠っていた木々も、若芽を膨らましはじめたので、動物たちは喜んで新鮮な葉っぱを食べました。

 さて、ファボーニオが、そうやって辺りを早すぎる春にしていると、ちょうど目の下にこぢんまりとしたアルバーノさんの農場があることに氣がつきました。

 農場には、牛、ヤギ、ガチョウ、そして、たくさんのニワトリと、彼らを守るビーグル犬がいます。

 ファボーニオが、そっと農場に降りていくと、ビーグル犬のマーサが尻尾を振って近寄ってきました。
「こんにちは。ファボーニオさん。今年はずいぶん早いですね」

「おや。マーサ、久しぶりだね。元氣そうでなによりだ。何をしているんだい?」
「ご覧の通り、ガチョウと追いかけっこです。放浪の旅に出るんだってきかないんです」
「それは大変だね。でも、たしかに放浪の旅はすてきだよ。よかったら、君もやってみるといい。ところで、君には息子がいたんじゃなかったかい?」
「ええ。あの子は今、鶏小屋にいますよ」
「そうか。じゃあ、ちょっと寄って挨拶してこよう」

 ファボーニオは、そういうとガチョウを追いかけているマーサと別れて、鶏小屋の方に向かいました。

 いました。去年見たときは、豆粒のようだった仔犬のマルコは、ずっと大きくなっていました。といっても、歩き方はひょこひょことしていますし、小さな前足はふっくらとして、まるで綿毛のようです。

 綿毛といえば、鶏小屋には小さなヒヨコたちと、優しい雌鶏たちの綿毛がフワフワと舞っていました。

 ヒヨコたちは、はじめての春の予感に大喜びで小さい翼をパタパタさせてしきりにピヨピヨ鳴いて走り出していましたし、お母さん雌鶏は、大忙しで子供たちを追っていたからです。

「ファボーニオさん! ボクを憶えている? マルコですよぉ」
マルコは、ファボーニオが鶏小屋に入ってくると急いで近寄ってきました。
「もちろん、憶えているさ。大きくなったね。もう立派な番犬だね」

 マルコは、ファボーニオに褒めてもらったのが嬉しくてしかたありません。
「そうだよ。ボクね、きょうね、ニワトリさんたちの当番! ほら見て! みんながパタパタしたから、こんなにかわいい毛玉できたよ」

 ファボーニオは、マルコの示す方を見ました。そこには、雌鶏さんの白い羽毛と、ヒヨコたちの黄色い羽毛が集まってできた、ふわふわの毛玉がありました。マルコの小さな毛がちょうどつむじに生えた毛のような位置にあるので、まるで小さな小さなヒヨコに見えます。

「ああ、これはかわいいな。小さい『けだまヒヨコ』だね」
ファボーニオが言いました。

 本当に、そこに『けだまヒヨコ』が誕生しました。クリーム色のふわふわの毛玉に、にょきっと生えた白と茶色つむじの毛。小さなつぶらな瞳とかわいいくちばしを持った『けだまヒヨコちゃん』は、ふわふわと漂いながら、あたりの様子を眺めました。

 雌鶏お母さんも、ヒヨコちゃんたちも『けだまヒヨコちゃん』の誕生に大喜びで翼をパタパタして叫びました。
「おめでとう! かわいい『けだまヒヨコちゃん』」
「ぼくがお兄ちゃんだよ!」
「あたしはお姉ちゃんよ」

 優しい家族に囲まれて『けだまヒヨコちゃん』は嬉しくなりました。そして、ファボーニオの背に乗って農場を眺めました。
「ねえ。ここがわたしのお家なの?」

「そうだよ。ここが、君のお家だ。あそこにいるのが農場主のアルバーノさん。洗濯物を干しているのはおかみさん。大きな農場だろう? 雌鶏お母さんは優しいし、ヒヨコのお兄さんやお姉さんは、君のいい遊び相手になるだろう」
ファボーニオの言葉に、『けだまヒヨコちゃん』は嬉しそうに頷きました。

「あたし、農場の外も見てみたい。あそこの大きいのはなあに?」
「あれは山だよ」
「じゃあ、あっちの青いのはなあに?」
「あれは湖だ」
「カラフルなあそこは?」
「あれは牧草地だよ。牛やヤギたちが、あそこの草と花を食べるんだ。やあ、花がたくさん咲き出したな。……ちょっと早すぎたけれど、みな喜んでいるからいいだろう」

 そうやって、『けだまヒヨコちゃん』を背中に乗せて、ファボーニオは山や湖の上を通り過ぎて、農場周りの美しい自然を見せてあげました。

 ファボーニオの暖かい吐息に触れると、まだ残っていた雪はことごとく消え、小川はキラキラとした水で満ち、水車もカラカラと回り始めます。草原には、若草がぐんぐん伸びました。眠っていた花たちは、大きく伸びをして、頭を振ると閉じていた花びらを開きはじめます。黄色、ピンク、赤、紫、青と鮮やかな花が咲いていく様子に、『けだまヒヨコちゃん』は目を見開いて喜びました。

 ちょうどその時、眠っていた北風アキローンは、目を醒ましました。
「おや。なんだか騒がしいぞ」

 寝ぼけたまま、顔を上げて辺りを見回していましたが、目に入ってきた光景にびっくりしました。
「どうなっているのだ! 雪はどこへ消えた。氷柱がなぜなくなっている? ワシの芸術作品である樹氷の林がなくなっただけではなく、なぜ新芽が芽吹いているのだ!」

 あわてて辺りを見回すと、楽しそうに飛び回っている弟ファボーニオの姿が目に入りました。

「あの馬鹿者! まだ2月なのに何をしているのだ。父上に知られたら、ワシまで大目玉を食らうじゃないか。なんとかしなくては」

 アキローンは急斜面のてっぺんから助走をつけました。ゴロゴロと雪下ろしの遠雷を響かせて、農場や湖のある里の方へ真っ黒な雲のマントを纏って吹き降りていきました。

 分厚いその外套は氷の粒でできていましたが、里はファボーニオが走り回りとても暖かくなっていたため、すべて溶けて冷たい雨になりました。

 その大雨は『けだまヒヨコちゃん』にも降り注ぎました。ふわふわの毛玉ならばファボーニオの背中に載ることができましたが、水を含んで重くなってしまったら、もう空を飛ぶことはできません。

「えーん。落ちちゃった」
『けだまヒヨコちゃん』はしくしく泣きました。

 ファボーニオは、『けだまヒヨコちゃん』を助けたくてもどうすることもできません。それどころか怒り狂った兄アキローンが追いかけてくるので、逃げ回るのに必死です。

 逃げている最中に、農場からこちらに駆けてくるビーグル犬の仔犬マルコが見えました。そこでファボーニオはマルコに叫びました。
「ちょうどいいところに。『けだまヒヨコちゃん』は、あそこの花畑にいる。悪いけど、面倒を見てやっておくれ。ぼくはこれで失礼するよ。春にまた会おう!」

 そう言って、ファボーニオは急いで西のねぐらへと帰って行きました。

 マルコは、アキローンが降らせる冷たい雨をものともせずに、短い足を必死に動かして花畑に急ぎました。『けだまヒヨコちゃん』は濡れてすっかり小さくなっていましたが、たくさんの花たちも冷たい雨を避けて頭を下げていたので、何とか見つけることができました。

 アキローンがファボーニオを追いかけて行ってしまったので、冷たい雨は止みました。でも、『けだまヒヨコちゃん』は、どうしていいのかわからず泣くばかりです。

 マルコは、そっと『けだまヒヨコちゃん』の近くに寄って小さな鼻を近づけました。『けだまヒヨコちゃん』は驚いて泣き止みました。

「心配しないで、『けだまヒヨコちゃん』。ボクのあたまのうえに、のせてあげる」

 小さな『けだまヒヨコちゃん』は、マルコのことを知りませんでしたが、とても優しい顔の仔犬だったので、すぐに信頼して頷きました。マルコは頭を下げ、『けだまヒヨコちゃん』はその上によじ登りました。

 マルコは短い4本の足を交互に動かして、トコトコと歩きます。速くは進めませんが、振り落とされたりしないので『けだまヒヨコちゃん』には、その方が安全でした。

 このこいぬさん、どこに行くんだろう? 『けだまヒヨコちゃん』は考えました。マルコが行き先を訊かなかったし、言わなかったからです。

 でも、それはすぐにわかりました。マルコは、まっすぐにアルバーノさんの農場に帰ったのです。

「あ、『けだまヒヨコちゃん』が帰ってきたよ!」
「『けだまヒヨコちゃん』だ!」

 門のところに、たくさんの動物たちが待っていました。雌鶏のお母さん、ヒヨコのお兄ちゃんとお姉ちゃんたち。牛、ヤギ、ガチョウ、そして、猫のフィンダスとマルコのお母さんであるビーグル犬マーサが迎えてくれました。

「おかえりなさい、『けだまヒヨコちゃん』」
温かい歓迎に、『けだまヒヨコちゃん』は喜んで大きな声で答えました。
「ただいま」

 そして、自分を迎えに来てくれた仔犬も、同じ農場の仲間だとわかってもっと嬉しくなりました。そして、マルコに抱きついてお礼を言いました。

 立派に務めを果たして帰ってきた息子を、マーサは優しく舐めて讃えました。

 マルコは、マーサに訊きました。
「西風ファボーニオさんは、どこへ行っちゃったの?」

 マーサは笑って答えました。
「北風アキローンさまに追われて、山へ帰ってしまったよ。でも、あとひと月もしたら、また何食わぬ顔で戻っていらっしゃるでしょうよ。その時にまたたくさんお話をするといいよ」

 マルコは大きく頷きました。
「ボク、大きくなったら、ファボーニオさんみたいにあちこち行きたいな。『けだまヒヨコちゃん』と一緒に放浪の旅に出ようかな」

 マーサは、ガチョウみたいなことを言うんじゃありません、という小言を飲み込みました。マルコが大きくなったら、きっともう少し分別がつくだろうと思ったからです。

 アルバーノさんの農場に、春はもうすぐそこまで来ているようでした。

(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

新しい湯たんぽ(ミニ)

先日買った小さい湯たんぽの話。

ミニ湯たんぽ

東京の実家と違って、壁が厚くて暖房も効いているスイスのフラットですが、やはりときどき使うのが湯たんぽです。

スイスでは日本の湯たんぽにあたるものが2種類あります。1つがゴムかシリコンの湯たんぽ。周りに毛糸か布製のカバーをつけて使います。そして、もう1つがサクランボの種を詰め込んだ布製の枕で、こちらは昔ながらの陶製の薪ストーブの上で温めておくか今なら電子レンジでチンして使うようです。

わたしが持っているのは湯たんぽの方です。これまで使っていたのはだいたい1ℓくらいのお湯が入るものでした。冷たい足を温めたりするには、このサイズはちょうどいいのですが、体の一部を温めたいというときにはちょっと大きすぎるんですよね。

それで、この冬新しく小さい湯たんぽを買い足しました。こちらは200mlのお湯が入るもので、手のひらを広げたくらいのサイズです。

小さいのを探しているときに、子供用のぬいぐるみ風のばかりで「普通のないかなあ」と探して見つけたのがドイツ製のこちら。シンプルで氣に入っています。

目的にはぴったりでしたが、やはりお湯の量が少ないとすぐにぬるくなってしまうんですね。1ℓの湯たんぽとの違いに驚きました。
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【小説】バッカスからの招待状 -19- モスコミュール

今年最初の小説は「150000Hit 記念掌編」の第3弾をお送りします。

今日の小説は、大海彩洋さんのリクエストにお応えして書きました。


リクエスト内容
   テーマ: 大人の世界をのぞき見?
   私のオリキャラ、もしくは作品世界: 『バッカスからの招待状』
   コラボ希望キャラクター: ハリポタ高校生トリオ(3人ともでもひとりでも)
   使わなくてはならないキーワード、小物など: お祝い



ハリポタ高校生トリオというのは彩洋さんのところの『学園七不思議シリーズ』の相川真くん、富山享志くん、杉下萌衣ちゃんというティーンエイジャーたちのことで、彩洋さんのところの長編大河『相川真シリーズ』の番外というのか、プチ・パラレルワールドというのか、まあ本人たちなんだろうけれど、ちょっと毛色が違う作品群という理解でいいんですよね? (わかっていないまま書くなと怒られそう。ごめんなさい!)

で、未成年を大手町のバーにという無理めのリクエストに頭を抱え、どっちにしてもこのバーは下戸ばっかりだし「ま、いっか」とストレートに全員放り込ませていただきました。案内役は下戸代表で夏木です。

最後、謎の着地をしていますが、なんとなく真はこういうイメージで仲直りしたいのは彩洋さんのところの例のあの人、というわたしの妄想が入っております。いや、あの方がティーン相手に喧嘩するのかという話はさておき。


「バッカスからの招待状」をはじめから読む「バッカスからの招待状」をはじめからまとめて読む




バッカスからの招待状 -19- モスコミュール

 普段は四角四面なビジネスの街という印象を与える大手町も、正月飾りつけがあちこちに見え、さらには正月休みでまだ開いていないビルの寂しい感じがかえって新春らしさを醸し出している。夏木にとってはもう新春ではない。正式な仕事始めに先駆けて、サポートで急遽呼び出されてしまったからだ。

 とはいえ、通常の営業時間よりずっと早くに解放されたので、まだ明るいうちに東京駅に向かって歩いているのだった。

「やっているかな。いや、田中さんもまだ正月休みだよな……」
ブツブツ言いながらも、多少は期待して、彼の唯一の行きつけの店に向かう。

 そのバーは、大手町のビル街にひっそりと隠れるようにある。飲食街からは離れているので夜はほとんど人通りのないとあるビルの地下。知っている人でないと見過ごしてしまいそうな小さな濃い紫色の看板に白い字で小さく『Bacchus』と書かれている。

 階段を降りて見ると、幸い看板に灯がついている。おお、やっている。夏木は足早になった。同時に変わった光景に戸惑った。

 店の入り口前にどう見ても未成年と思われる3人がウロウロとしていた。少女が1人と、2人の少年。中学生ではないかもしれないが高校生としては幼いようにも感じる。

「どうする?」
「どうするって、入るしかないじゃない?」
「いや、でも、ここ本格的すぎてさ。もっとチェーン店みたいなノリで入れるとこないの?」
「本格的じゃないと、質問できないでしょ。バイトの人とかじゃだめだもの」

 尻込みしているのはみるからに上質な服を着ている活発そうな少年。リーダーシップを取っているのは腕に1冊の本を抱えている少女。そして、もう1人のきれいな少年はあらぬ方を見ながら黙って立っていた。

 夏木が通ろうか迷っている様子に氣がついたのは、その少年だった。言い合っている2人にぼそっと言った。
「通りたいみたいだ」

 2人は、同時に夏木を見て言った。
「「すみません」」

「いや、全然。この店に入るか、まよっているのかい?」
夏木が訊くと、少女が頷いた。メガネの奥に理知的かつ、いたずらっ子のような光のある瞳が印象的だ。

「そうなんです。冬休みの自由研究で、ちょっと訊きたいことがあって、でも、入りやすそうなお店はみんな閉まっているし、私たち夜遅くに繁華街に行くわけにもいかないし……。ようやくここ、開いているのを見つけたんだけれど、ちょっと敷居が高くて」

 夏木は頷いた。自由研究か。お酒を飲もうってわけでもないなら連れて行ってもいいかな。
「この店のマスターは親切でとてもいい人だから、心配要らないよ。大人の世界をのぞき見るには最適かもね。一緒においで」

 そう言って、カランと音を立てて扉を開いた。
「明けましておめでとう、田中さん」

 カウンターの中から、田中は驚いたようにこちらを見た。
「夏木さん。おめでとうございます。初出勤でしたか?」

「まあね。本当は明後日からだったんだけれど、急遽ね。せっかくだから田中さんと新年祝いでもできたらいいなと思ってさ。開いていてよかった。今年もどうぞよろしく」
「こちらこそどうぞよろしくお願いします。……そちらのみなさんは?」

 夏木が答える前に、少年の1人が大きな声で言った。
「こんにちは。僕は富山享志です。こちらは杉下萌衣と相川真です。どうぞよろしく」

「ちょっと級長! 別にフルネームで自己紹介するところじゃないんじゃ……」
萌衣が小さくツッコんだ。

「それはどうも、富山さん、杉下さん、そして相川さん、ようこそ。夏木さんのお知り合いですか?」
田中が訊くと夏木は首を振った。
「いや。そこで入ろうかどうか迷っていたみたいで。なんだか自由研究の質問があるみたいで」

 萌衣が大きく頷いて『花言葉・宝石言葉・カクテル言葉辞典』という本をカウンターの中の田中に見せた。
「そうなんです。わたし、この本にある言葉と、実際のお店でそれが実際に使われているかを調査しています」

「そうですか。どうぞおかけください」
田中に言われて、夏木はいつものカウンターの奥の席に、3人はカウンターの正面に並んで座った。

 田中におしぼりを出してもらいながら夏木は言った。
「へえ。花言葉は知っていたけれど、カクテル言葉なんてあるんだ?」

 田中は頷いた。
「花言葉のように、一般的ではありませんが、ありますね」

「それって誰が決めるんですか? カクテル協会みたいな組織でもあるんですか?」
萌衣が訊くと、田中は首を振った。
「はっきりとした由来はわかっていません。20世紀初頭に禁酒法でアメリカを去ったバーテンダーたちがヨーロッパでカクテル文化を広める最中に、花言葉など間接的な表現を好む文化と結びついて生まれたと言われています」

「お。ちゃんと教えてくれている」
享志が言う。萌衣は軽く睨むと小声で言った。
「茶化していないで、ちゃんとメモ取って!」

 萌衣は、田中に向かって質問歩続けた。
「じゃあ、1つのカクテルにきっちりと決まった言葉があるってわけではないのですか」

 田中は首を振った。
「だいたいこのカクテルの言葉はこれ、と決まってはいますが、場合によっては2つ3つの違う言葉が使われることもあります。たとえばブルームーンというカクテルには『完全なる愛』『叶わぬ恋』『出来ない相談』『奇跡の予感』といった、まったく違った意味の言葉があります」

 夏木はいつものサマー・デライトを飲みながら訊いた。
「へえ。ブルームーンってどんなカクテル?」

「ジンベースで、パルフェタムールとレモンジュースを使った紫色のショート・カクテルです」
田中が答え、3人にはウーロン茶を出した。

「ブルームーン……ありえないこと」
真がぼそっと口にした。

 田中は頷いた。
「そこから『叶わぬ恋』『出来ない相談』の言葉が生まれたのでしょうね」

 享志は首を傾げる。
「青い月がなんでありえないのかな?」

 萌衣が小声で答える。
「同じ月に2度満月がやって来ることをブルームーンって言うの。めったにないことだから、ありえないことをブルームーンって言うようになったのよ」
「あっそう。なるほどなー」

「えっと。それじゃ、このカクテルを頼むのは、こういう意味っていう例はありますか」
享志が訊くと、田中は少し考えた。

「そうですね。お酒の特徴と一致していてわかりやすいとなると、たとえばウィスキー入りのウィンナーコーヒーであるアイリッシュコーヒーという熱いカクテルがありますが『暖めて』というカクテル言葉です。それにウオッカベースのキス・オブ・ファイアというカクテルには『情熱的な恋』というカクテル言葉がついています」

「わかりにくいのだと?」
夏木も興味津々だ。

「そうですね。赤ワインとレモンジュースを使ったアメリカン・レモネードというカクテルには『忘れられない』というカクテル言葉がついていますが、これは知らずに想像するのは難しいですよね。また、アプリコット・ブランデーとアブサンを使ったイエロー・パロットというカクテルには『騙されないわ』というかなりはっきりとした意味あいの言葉がついていますが、そもそもこのドリンクをご存じの方の方が少ないのでカクテル言葉まで予想のつく方は珍しいかもしれません」

 ずっと黙っていた真が口を開いた。
「何か、仲直りの意味のあるカクテルって……」

 享志がぎょっとして、振り向いた。
「なんだよ。相川。誰かと仲直り、したいの?」
「……」
真はそっぽを向いて答えない。

「あーあ。級長ったら、自分以外に相川くんが氣にしている友だちがいるのイヤなんでしょ」
「そんなんじゃないよ。僕は、力になれたらって思っただけさ。ま、誰かは確かに氣になるけどさ。だって僕たち、喧嘩していないし」

 真はまったく答えるつもりがないのか黙ってカウンターのライトを見ていた。田中はその時に真の特徴的な瞳に氣がついた。左右で色が違ったのだ。

「そうですね。モスコミュールをご存じですか。ウオッカとジンジャービアで作るカクテルです。『喧嘩をしたらその日のうちに仲直りをする』というカクテル言葉がついています」

「さすが田中さん、よく知っているんだなあ」
夏木がサマー・デライトを飲むと、萌衣がそれを見て訊いた。
「そのドリンクは?」

 夏木は苦笑いした。
「これはノンアルコールカクテルだから、カクテル言葉はないんじゃないかな」

「えっ。ノンアルコールでカクテル作ってもらえるんですか! わたしも飲んでみたい……あ、でも、お小遣いじゃ無理かなあ」
萌衣が肩を落とすと、享志がニッと笑って財布を取り出した。
「まかせてくれ。ことしもお年玉大尽なんだ、僕。せっかくだからここで3人分のノンアルコールカクテル作ってもらって飲もうぜ」

「え~! ほんと? いいの? 嬉しい。さすが級長ったらお坊ちゃま!」
「ありがとう」
萌衣と真がそれぞれに礼を言う。

 田中は、少し憂いのある顔をして心ここにあらずな様子の真を見ながら言った。
「ノンアルコールのモスコミュールをお作りしましょうか」

 真は、はっとして田中の顔を見た。そして、かき消えるような声で答えた。
「お願いします」

 田中は、夏木を見て言った。
「近藤さんがよく飲まれるサラトガ・クーラーと同じレシピなんです」

 けれど、サラトガ・クーラーの時とは違って、モスコミュールと同じキンキンに冷えた銅のミュールカップに注いだ。

 夏木は、乾杯をして飲む少年少女を微笑ましく見つめていた。田中も同じように見つめながら、相川少年が心に秘めている人物との仲直りが無事にできることを祈った。

モスコミュール(Moscow Mule)
標準的なレシピ

ウオッカ - 45ml
ジンジャービア - 120ml
ライムジュース - 10ml

作り方
「ミュールカップ」とも呼ばれる銅製のマグカップ、またはロックグラスにウォッカとジンジャービアを入れる。ライム・ジュースを加え、混ぜ合わせる。
スライスしたライムを飾る。



(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】毒蛇

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第3弾です。山西 左紀さんは、連載作品の最新話でご参加くださいました。ありがとうございます!

 山西 左紀さんの『白火盗 第五話』

山西左紀さんは、SFを得意としていらっしゃる創作ブロガーさん。お付き合いのもっとも長いブログのお友だちの一人で、このscriviamo!も皆勤してくださっています。

今年書いてくださった作品は、左紀さんにとってはじめての時代小説「白火盗」の新作です。独自設定のもと、不思議な力を持つヒロインと、彼女にひかれる浪人の物語です。

お返しの作品は、もちろん左紀さんのお話の本編には絡めませんので、まったく関係のない話です。いちおう、お返しとして書きましたので「時代物(でも中世ヨーロッパ)」で、とあるシチュエーションだけまるまるいただいて書いてみました。

世界観は、現在連載中の『森の詩 Cantum Silvae - トリネアの真珠』のものですが、現在のストーリーとはまったく関係ありませんので、連載を読んでくださっている方も、未読の方も、前作をお読みになった方も等しく「?」となる話です。登場するオットーという人物は、これまで1度も出てきていません。それ以外の人物は、連載中の作品の主要登場人物の先祖です。


【参考】
《男姫》ジュリアとハンス=レギナルドについてはこちら
【断片小説】森の詩 Cantum Silvae I - 姫君遁走より
Virago Julia by ユズキさん
このイラストの著作権はユズキさんにあります。ユズキさんの許可のない使用は固くお断りします。

「scriviamo! 2024」について
「scriviamo! 2024」の作品を全部読む
「scriviamo! 2023」の作品を全部読む
「scriviamo! 2022」の作品を全部読む
「scriviamo! 2021」の作品を全部読む
「scriviamo! 2020」の作品を全部読む
「scriviamo! 2019」の作品を全部読む
「scriviamo! 2018」の作品を全部読む
「scriviamo! 2017」の作品を全部読む
「scriviamo! 2016」の作品を全部読む
「scriviamo! 2015」の作品を全部読む
「scriviamo! 2014」の作品を全部読む
「scriviamo! 2013」の作品を全部読む



毒蛇
——Special thanks to Yamanishi Saki-san


 オットーは、腕を組んで窓の方を見た。特に見たい物があるわけではなく、暗い部屋の中ではどうしても月明かりの差し込む窓に視線が向く。

 王都ヴェルドンの地を踏んだのは、2年ぶりだ。国王自身の婚礼がなければ、フルーヴルーウー辺境伯ハンス=レギナルドは、あと10年でも戻らなかったかもしれない。

 オットーは、「これまでに存在せず、今後も現れないであろう美しさ」と噂される花嫁、隣国ルーヴランのブランシュルーヴ王女にも、彼女が連れてきたという華やかな美女たちにも興味はなかったが、2年ぶりに国王に声をかけてもらい満足だった。

 それは異様な婚礼であった。花嫁とルーヴランから連れてきた4人の高貴なる乙女たちは、婚礼前だけでなく、婚姻の儀においても、その後のお披露目の宴でも濃いヴェールを外すことを許されなかった。

 それどころか、国王レオポルドは、新王妃を王城の王妃の間に住まわせることを拒んだのだ。本来、敵国から嫁いでくる花嫁を儀礼的に婚姻まで滞在させる西の塔に、そのまま厳しい見張りと共に置き、自らも塔で寝泊まりするようになった。

 はじめは、敵国による奇襲を警戒しているのではないかと噂した貴族たちも、やがて国王の怖れが自らの安全にはないことを理解しだした。彼は、新妻をほかの男に奪われることをなんとしてでも避けようとしているのだと。

 王朝史上もっとも大きな版図を拡大し、勇猛豪胆で、求心力のある国王には、決して拭えない大きな劣等意識がある。

 レオポルドは、異様に背が低く、オットーが立ち上がればその胸よりも下に頭が来る。また、細い目と低めの鼻に比べて口が大きい。敵国では《短軀王》または《醜王》と陰口を叩かれている。そうしたあだ名や容姿が劣ることを国王自身が氣に病んでいることは、側に仕える臣下たちはみな知っていた。

 おそらく、レオポルドが家臣としては誰よりも信頼する一方で、新妻の心を奪う可能性の存在としてもっとも警戒しているのがフルーヴルーウー辺境伯ハンス=レギナルドだろう。

 オットーの生まれ故郷ノルムは、グランドロン王国の北端にあるが、現在仕えているフルーヴルーウー辺境伯の領地は最南端にある。

 辺境伯爵領とは名前ばかり、実態は険しい山嶺《ケールム・アルバ》と広大な森《シルヴァ》の未開地だ。獰猛な動物と野蛮な周辺民の他には足を踏み入れる者もわずかしかいない。だが、《ケールム・アルバ》の南に広がるセンヴリ王国との交易や領土争いを有利にするためには、どうしても街道の整備をする必要がある。王国版図の拡大を目指すレオポルドが、着手した大事業だ。

 新たに設立されたフルーヴルーウー辺境伯爵領の領主となったのは、グランドロン王国ヴェルドン宮廷では特異な存在であった騎士ハンス=レギナルドだった。

 おそらく隣国ルーヴランの出身だと思われるこの男は、深い謎に包まれている。氣味が悪いほど整った容姿について、よくない噂をする者までいる。とある高貴な女が悪魔と交わって生まれた私生児だとか、いかがわしい男娼出身に違いないとか、ともかくその容姿について好意的な噂は聞いたことがない。とはいえ、女たちは噂には頓着せず、わずかでもこの男を振り向かせようとスダリウム布に高価な贈り物を忍ばせて手渡す。

 かつてのオットーは、他の騎士たち同様、この美丈夫に反感に近い感情しか持っていなかった。だがその自分に、国王はフルーヴルーウー伯爵の臣下になれと命じてきたのだ。2年前のことだった。

「このハンス=レギナルドの命令は、すなわち余の命令だ」
王は、オットーに言った。王の命令が絶対であるオットーは、かしこまって拝命した。

 ハンス=レギナルドを未開地に送り出したことを「厄介払い」と陰口を叩く者もいた。だが、そうではないことをオットーは知っている。オットーをはじめとする有力な騎士たちを何人も彼の助力になるようフルーヴルーウー辺境伯領へと送り出したのは、それだけこの事業が重要だからだ。憎み疎ましく思う男を、その要として選ぶはずがない。

 新たな主君は、レオポルドのようにわかりやすい尊崇は集めていなかった。国王の素早い決断と思慮深さ、辺りを払う威厳、忠臣をねぎらう公平な態度など、生まれながらの為政者として安定したありように心酔してきたオットーには、フルーヴルーウー辺境伯は奇異ですらあった。

 彼は、上に立つ者として育ってこなかったのだろう。命じることよりも自らが動こうとすることの方が多かった。恥や怖れを知らない。

 だが、不思議な魅力もある。部下たちの強みをよく見抜き、それぞれの得意な分野で活躍させる。異国の令嬢をたらし込み、軽率にも閨に連れ込むようなこともするが、諫言を口にしようとする部下に、悪びれもせずに女を通して手に入れたばかりの相手国の城門の鍵を渡してみせる。

 敵に奇襲をかける際の大胆不敵な発想や、寒く不快な野営でもへこたれぬ態度を見て、やがて臣下たちも新しい主君を認め、素直に従うようになった。

 とはいえ、フルーヴルーウー辺境伯の女に対する不品行ならびに女に対する影響力が衰えていないことは日の目を見るよりも明らかだったので、猜疑心にかられた国王は彼をはじめとする婚礼に集まった各地の有力貴族たちに、見張りの厳しい客間をあてがったのだろう。

 今宵のオットーは、そのハンス=レギナルドの戻りを待っていた。

 深夜に部屋を抜け出すと言いだした時には、ふざけているのかと思った。

「心配しなくとも王妃に興味があるんじゃないよ」
ハンス=レギナルドは笑って言った。王と共に西の塔にいるブランシュルーヴ王妃に夜這いをかけることは不可能だろうから、オットーもその心配はしていないが。

「じゃあ、お出かけはおやめになるべきではありませんか。ご婦人方は領地にもたくさんおられます」
オットーは控えめに言った。

「どうしても確認しなくてはいけないことがあるのだ。王妃が連れてきた4人の高貴なる乙女たちの名を聞いたか?」
主の言葉に、オットーは首を傾げた。
「ヴァレーズ、マール、アールヴァイル……それにバギュ・グリのご令嬢でしたか?」

 ハンス=レギナルドは頷いた。
「そうだ。あり得ない名前がある」
「とおっしゃると?」

 オットーの質問をハンス=レギナルドは無視した。
「確かめなくてはならない」

 そう言って密やかに出ていった部屋の主は、予定の時間を過ぎても戻ってこない。見回りの騎士の問いかけに代返をすること3度。それ以外はすることもない。寝台で寝てもいいと言われていたが、「狼の皮を被る者ウルフヘジン 」の名をもらったことのある誇り高いノルムの戦士は、主君を待つ間にだらしなく眠りこけたりはしないものだ。

 彼の本来の名はオホトヘレといい、かつては存在したノルム国の高貴なる戦士の家系に生まれた。ノルム王ウィグラフに仕えていたが、王の甥スウェルティングによるクーデターに際して捕らえられ、奴隷としてタイファのカリフに売られた30人の戦士たちの1人だった。

 グランドロン王国が対タイファ戦の戦利品として受け取った宝物・賠償類の中に、ただ1人生き残った彼が含まれており、レオポルド1世に氣に入られて奴隷の身分から解放され、騎士に取り立てられた。その時に名をグランドロン風にオットーと改めた。

 それだけでなく、かつての主君を殺した簒奪王スウェルティングと戦い、ノルムをグランドロン領に編入したレオポルドは、憎きスウェルティング処刑の際に、オットーに刃を握らせてくれた。騙され両親と妹を殺されたオットーが復讐を誓っていることを考慮してくれたのだ。

 それ以来、オットーはノルムの戦士としてではなく、グランドロン王の騎士として生きることに心を決めた。

 オットーは、レオポルド自身から「クサリヘビオッター 」というあだ名をもらった。攻撃が執念深く、敵を倒すまで決してあきらめない。また、昼よりも夜の奇襲で真価を発揮するところが、怖れられる毒蛇を想起させるというのだ。または、単に近い音を用いた言葉遊びかもしれない。実際にオッターという響きは、彼の実名の響きに近かった。

 窓に月がさしかかり、やがて消えた。見回りももう回ってこない。明け方になるまでは静かなままだろう。いつになったら主は戻ってくるのだろうか。

 扉の向こうにわずかな物音がした。そして、小さなノックが聞こえた。すぐに扉を開けた。

 するりと入ってきたのは、ハンス=レギナルドではなかった。黒く長い髪、挑みかけるように鋭い双眸を持つ女だ。

 戸惑うオットーにかまわず、女は後ろ手で扉を閉めると小さい声で訊いた。
「ハンス=レギナルドはどこ?」

「いま、こちらにはいらっしゃいません……あなた様は?」

 女は、オットーの方をチラリと斜めから覗くように見ると、馬鹿にしたような顔をして質問を無視した。
「そう。……あいつ、あいかわらずお盛んなのね」

 そういうと、寝台にドカッと腰掛けた。
「それで、お前はハンス=レギナルドの部下なの?」

「はい。わたくしめは騎士オットー・ヴォルフペルツと申します。お見知りおきを」
オットーは、型破りな女の様子に内心驚きつつも、礼儀正しく膝をつき挨拶をした。女はそれを立って受けるどころか、手を差し出すことすらしない。

「あいつが伯爵ねぇ」
そう言うと、窓の外を眺めて、足を組みその膝で頬杖をついた。

 オットーは、尋ね人がいなくても帰る様相のない女に戸惑った。暗闇の中とはいえ、その衣擦れと焚きしめた香から、侍女や下女などではないことはわかる。そのような女性と密室に2人でいることはあまり好ましくない。国王が警戒したのは自分ではないと思いたいが、見回りに見つかったらただでは済まないだろう。

 それに、主が戻ってきたら、この状況をどう思うだろうか。できれば、この部屋から出て行きたいが、主の代わりに見回りに返答する務めがある以上、そうもいかない。

 半刻ほど、お互いに口もきかずにそうしていた。やがて女は寝台に横になった。暗い部屋の中、表情などは見えないが、静かな衣擦れと均整のとれた肢体がゆっくりと動く様子に、オットーは思わず息を飲んだ。

「ここでお休みになるのですか」
のどが渇いたのか、声が枯れてうわずる。

「そうよ。何度も出向くほど暇じゃないからね」
女の声には、含み笑いが混じっている。衣帯を緩め膝を動かしているのを見て、急いで後ろを向いた。よく見えているわけではないが、騎士たる者、貴婦人の寛ぐ姿を淫らな目で凝視していると思われてはならない。

 この女が誰だかわからないが、フルーヴルーウー辺境伯とただならぬ仲であることは間違いないだろう。あらぬ疑いをかけられると、陛下の命令を全うできなくなる。また、見回りの者が近くにいる時に、大声でも出されたら、もっと大変なことになる。オットーは、女などいないかのように過ごそうと心に決めた。

 長い夜だった。あれほど歩みの早かった月は、その動きを止めてしまったかのようだ。時おり女の寝息と衣擦れと共に、焚きしめられた香が漂ってくる。オットーは、まとわり付く魔力に取り込まれぬように身を硬くした。

 ハンス=レギナルドは帰ってこない。オットーは壁の方を向いて小さな腰掛けの上でひたすら事態が変わるのを待っていた。

 自らの首がガクッと落ちかけるのに反応して、はっと起きた。いつの間にかウトウトしていたらしい。あたりは白みかけており、窓の向こうは赤紫色になっていた。

 含み笑いが聞こえたので、思わず振り向くと、女が寝台の上に起き上がっていた。明るくなったことで、女の姿がはっきりと見えた。

 白く透き通る肌。黒曜石のように輝く瞳。血のように紅い唇。ぞっとするほど美しい女だ。一瞬だけ「これまでに存在せず、今後も現れないであろう美しさ」の持ち主かと疑ったが、すぐに思い直した。ブランシュルーヴ王女は日の光のような金髪のはずだ。見るからに上等の布地と手入れされた手肌を見て、もしかするとこの女は、王妃に傅く4人の高貴なる乙女の1人ではないかと思った。

 ということは、主君ハンス=レギナルドが確かめたいと言っていたのは、この女の事なのかもしれない。だが、高貴な乙女たちはみな錚々たる家系の姫君ばかりだ。男の部屋を訪ねて勝手に寝たりするだろうか。

 身につけているのは寝室で着るような黒の薄物で、そんな姿で王城内をうろつき回っているとは信じられなかった。

 彼は、急いで女から眼をそらした。すると、寝台の上、足元にいくつかの衣類が無造作に置かれているのが見えた。

 オットーの戸惑いを見透かしたかのように、女はあけすけな笑い方をした。
「お前は意氣地なしね」

 彼は、度肝を抜かれた。そして、心外な思いを堪えて返答した。
「わたくしめは、ハンス=レギナルド様の臣下にて、騎士でございます」

 彼女は、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「人生は誰かが勝手に決めた手順に従ったり、他の者に遠慮して我慢するには、あまりにも短すぎるわ」

 女は恥じらう様子もなく、灰色の上着を身につけ、よく儀杖官が身につけるような黒い切れ込みのある立派な外套を鷹揚に羽織った。長い髪を器用に捻って角頭巾の中に押し込んだ。なるほど、見回りの兵士とすれ違っても、これならば高位の男と思われるだろう。

 その時、向こうから石の床を踏む金属的な足音が響いてきた。見回りだ。
「おはようございます。異常はございませんか、フルーヴルーウー伯爵様」

 オットーは、昨夜と同じように答えた。
「異常は無い。見回りご苦労である」

「はっ」
見回りは、次の部屋に向けて去って行った。

 女は、その足音が聞こえなくなると、扉を開けて、辺りを素早く見回した。
「ジュリアは待ちくたびれたと、ハンス=レギナルドに伝えるのよ、毒蛇オッター
女は笑った。血のように紅い唇が妖艶に広がる。そして、まだ暗い城内に消えていった。

 どっちが毒蛇だ。背筋に冷たい汗が流れた。

(初出:2024年1月 書き下ろし)

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Tag : 小説 読み切り小説

Posted by 八少女 夕

公現祭

三王のパン(ミニ)

1月6日は公現祭エピファニー (ラテン語ではEpiphania Domini、ドイツ語ではHeilige Drei Könige)。キリスト教世界では神の子イエズスが異邦人にも顕現された祝日として祝われます。「東方の三博士(ドイツ語では3人の王)が星を頼りに幼子イエズスを訪問して礼拝した」というエピソードが中心になっていて、同時にこの祝日を以てクリスマスが終わるというわけです。(クリスマスツリーを片付ける日ですね)

三博士には(西欧の場合)「メルキオール Melchior」「バルタザール Balthasar」「カスパール Casper」という名前がついていて、それぞれが乳香、没薬、黄金という当時はとても貴重な贈り物を捧げたとか。

この日には、中に小さな人形を入れて焼いた菓子パンを食べる習慣があって、人形を当てた人がその日の「王様」になる習慣があります。なので、パンには小さな王冠も付属しているというわけです。

わたしの連れ合いは子供っぽい人で、裏返してどこに人形があるかを探すチートをしたりします。わたしは王様になることには興味が無いからどうでもいいのですが。

たまたまいつも行くレストランに行ったら、地域の子供たちが王様のコスチュームで歌を唱っていました。小さな村だとこういう習慣があってすてきです。

子供たち合唱

顔を隠すためにアプリで加工してあります。
関連記事 (Category: 写真と日々の出来事)
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Category : 写真と日々の出来事

Posted by 八少女 夕

【小説】君との約束 ― まほろばの道

今年最初の小説は「150000Hit 記念掌編」の第2弾をお送りします。

今日の小説は、山西 サキさんのリクエストにお応えして書きました。


リクエスト内容
   テーマ: リフレッシュ
   私のオリキャラ、もしくは作品世界: 「君との約束」の世界
   コラボ希望キャラクター: コトリとヤキダマ
   使わなくてはならないキーワード、小物など: Ninja 650R



さて、『君との約束』シリーズは、もともと50000Hit記念リクエスト掌編から生まれ、後にオリキャラのオフ会でたくさんの皆さんとの共作でちょっとだけ名を知られたカップル正志と千絵の話です。(ま、オフ会では中世から参加した某2名が目立つ美味しいところをみんな持っていきましたが、それはさておき)

そのオフ会で知り合ったサキさんのところのコトリ、そしてそのお連れあいであるヤキダマを訪ねに東京から関西へと向かう、という粗筋を考えました。で、まっすぐ神戸に行けばいいものの、なぜか奈良で寄り道をすることに。こんな話になりました。

日本では新年早々の大きな災害で、亡くなられた方のご冥福を祈り、被災された方に対し心からお見舞い申し上げます。1日も早い復興を願い、この掌編で描いたような平和で美しい日本の風景を楽しむことのできる日が来ますよう祈念いたします。


【参考】
君との約束 — 北海道へ行こう
君との約束 — あの湖の青さのように




君との約束 ― まほろばの道

 あ、ここ、たしか修学旅行で来たよな。正志はひとり言を言った。朱色の屋根が幾重にも重なる塔に見覚えがあった。奈良県桜井市にある多武峯談山神社の十三重塔は定慧和尚が白鳳7年に父藤原鎌足の供養のために創建した塔婆で1532年に再建されているとはいえ、木造十三重塔としては現在世界唯一の貴重な建造物だ。

 東京を朝8時に出発して新東名高速、名阪国道を通り奈良に向かった。途中、清水のパーキングエリアで少し早めの昼食を取った。というのはここは天氣がよければ富士山が見えるPAで、今日のように晴れ渡った日には寄らない手はないと思ったからだ。

 案の定、千絵は大きく見える富士山の姿を見て大感激していた。天氣ばかりは計画できないので、こうしたチャンスは大いに利用したい。また、立ち寄る場所を臨機応変に変更できるのは、バイクや車で旅する利点だ。

 基本的に季節にふさわしい天候の方が好きだが、これだけ長く風を切って走るとなると、やはり「異常気象」と呼ばれる暖かさはありがたい。泊まりが必要になるほどの遠出は久しぶりだ。

 きっかけは千絵がめずらしく正月明けに連休をもらったことだった。看護師である彼女は、年末の通常勤務の他に、どうしてもクリスマスに彼氏と過ごしたいという後輩のために休日とならない夜勤明け勤務をし、さらに病欠となった同僚の代わりに休日を代わったため、1月にまとまった休みが取れることになったのだ。

 正志は、すぐに休みを申請した。勤続10年のリフレッシュ休暇の取得期限は2月末に迫っていたし、千絵と一緒に旅行に行ける機会は逃したくない。

 1月だから、はじめは電車か飛行機でどこかに行くつもりだった。でも、千絵が言ったのだ。
「せっかくのKawasaki、磨いているだけでいいの?」

 そういわれると、なんとしてでもバイクで行きたくなってしまう。

 正志の愛車はKawasaki ER-6n、通称Ninja 650Rだ。かつて2006年版の黒に乗っていたのだが、マンションを購入するときに手放した。それから、千絵に出会い、結婚を考えるようになり、金銭的に再びバイクに乗るのはかなり先だと思っていたのだが、なんと結婚祝いとして再び同じバイクを受け取ることになった。

 同じといっても、2006年版ER-6fは手に入らず、2代目は2009年版ER-6nでNinja 650Rの名前を持つ最後の機種だ。カワサキ・グリーンが鮮やかで、正志は1代目に劣らず氣に入っている。

 とはいえ、かつてのように好き勝手にツーリングに行く時間と精神的な余裕はなくて、珍しく2人の休みがあったときに近場にでかける以外は、マンションの地下駐車場でピカピカに磨くばかりだった。

 行き先は関西に決めた。2人の思い出の土地は北海道だけれど、1月に北に向かうのはあり得ない。そして、せっかく3泊する時間があるならば、少し遠くへ行きたい。

「コトリさんのところに行って整備してもらうのはどう?」
千絵の提案は、実は正志も頭の片隅で考えていたアイデアだった。

 コトリこと三厩彩香みんやま さやかは、千絵と2度目に北海道にいったときに知り合った。神戸『コンステレーション』というバイクのショップの店長で、結婚祝いのNinja 650Rを手配して整備してくれたのもコトリだった。

「そうだな。直接会ってお礼も言いたかったし、行くか」
奈良経由で神戸に向かい、帰りに京都に寄って帰ることにした。

 東京でルートを見ているときに、千絵が「あ、多武峯……」と小さくつぶやいた。正志は訊いた。奈良市内からは少し離れている。
「この神社、何か特別な思い入れがあるのか?」

「ううん。修学旅行で行ったなあって……この神社の前のホテルに泊まったの」
「じゃあ、1日目はそこを予約するか」

 実際に来てみたら、正志も修学旅行で来ていたところだった。
「名前はすっかり忘れていたけど、来たら思い出した」

「一緒には来ていないけれど、思い出は共有しているのって、面白いわね」
千絵は微笑んだ。

 そして、翌日は神戸に移動する日だったが、千絵に誘われるままに早起きして彼女がやはり修学旅行で周ったという明日香村を走って周ることにした。

 石舞台古墳、酒船石、吉備姫王墓にある猿石など名前と場所は忘れていたものの正志自身も確かに1度は見た記憶がある。
「修学旅行で巡るところって、意外と同じなのかもなあ」

 せっかく明日香村まで来たのだから、展望スポットとして有名な甘樫丘に昇ることにした。南東側は明日香村を、北から南西は奈良盆地を一望できる。

 小さめの駐車場には、数台の車の他に、バイクとスクーターが並んで駐車してあった。HONDA PCX150もスクーターとしては大きめのだが、Ducatiと並ぶと小ぶりに見える。2台とも神戸ナンバーなので、一緒に来ているのかもしれない。

 正志は首を傾げた。
「このDucatiさ……コトリさんのと同じだよな」

 千絵は首を傾げた。北海道で見たのは確かに大きな赤いバイクだったが、車種まで覚えてはいなかった。正志は数年前とはいえコトリが乗っていたのがDucati Monster 696であることは忘れていなかった。

「おや。コトリのことをご存じですか?」
後ろから声が聞こえて、正志と千絵はぎょっとして振り向いた。

 階段で降りてきた背の高い姿勢のいい青年が立っていた。感じのいい理知的な顔立ちで、まっすぐにスクーターに近づいてきて、シートを開けて中から小さな双眼鏡を取りだした。
「あった。やっぱり持ってきていたんだ」

「あの……。コトリさんも、ここに?」
正志が訊くと、青年はそばに停めたNinja 650Rを見て「あ」と言った。

「そうか。東京からコトリを訪ねに来るといっていた……」
それを聞いて正志は頭を下げて言った。
「そうです。俺は山口正志、こっちは妻の千絵です。……ということはあなたは……」

 青年もわずかに笑って頭を下げた。
「僕は三厩幸樹みんまや こうき、コトリこと彩香さやかの夫です」

「そうですか! はじめまして。お目にかかれるのは今晩、神戸でだと思っていましたが」
正志が言うと、千絵も目を丸くした。
「なんて偶然でしょう」

 幸樹はすこし目を泳がせた。
「偶然って言うか……。まあ、行きましょう。上にコトリがいますから、彼女が説明するでしょう」

 彼に誘われて、2人は丘を登っていった。歩道はコンクリートになっていて迷うこともなく登っていける。道の左右にはたくさんの木々が植わっている。広葉樹なのでこの時期は葉を落としていて青空と太陽の光が直接3人の上に広がり、登り坂であることもあってぽかぽかとして心地よい。

「ここが蘇我蝦夷の屋敷があったところらしいですよ」
「へえ。礎石が残っているんですね」
そんな話をしながら川原展望台と看板が示す方向に5分ほど登ると、開けた場が見えてきた。

「ヤキダマ! ずいぶんかかったけど、どうしたの? あれ?」
声のする方を見ると、コトリこと彩香がいた。幸樹だけでなく正志と千絵が一緒に登ってきたので目を丸くしている。

「本当にコトリさんがいる! 驚きましたよ」
正志も手を振って話しかけた。

「双眼鏡だけじゃなく、山口さんたちも見つけたからね。お連れしたよ」
幸樹は少し得意そうに言った。

 彩香はおかっぱの髪を揺らしながら少し降りてきた。それから嬉しそうにまず千絵と、それから正志と握手した。
「北海道以来だものね。懐かしい」

 それから幸樹の方を見ながら少し勝ち誇ったように言った。
「ほらね。やっぱり遭えたじゃないか」

「まあね。偶然とは言え、君が正しかったよ」
幸樹は答えた。

「っていうと?」
正志が訊くと、彩香はにっこり笑った。
「今日、多武峯から明日香村経由で神戸まで来るって言っていたでしょう。ルートは限られているから、わたしたちもこっちに向かったら途中で遭えるかもしれないって言ったら、ヤキダマはスケジュールも知らないのにそんなの無理だって言ったんだ」

「遭えるわけはないと思ったけれど、飛鳥路をドライブするのもいいと思ったから一緒に来たんだよね。まさか本当に遭うとはな」
幸樹は頭をかいた。

「この辺りにはよく来るんですか?」
千絵が訊くと、彩香は幸樹は顔を見合わせてから答えた。
「いや……明日香村に2人で来たのは初めてだよね」

 4人は話しながら頂上を目指して歩いた。
「ER-6nの具合はどう? 東京から奈良までは、けっこうあったから疲れた?」
彩香が訊くと、正志は首を振った。
「いや。パワーがあって氣持ちよく走れたよ。都内だと止まってばかりだけど、足つきもいいので楽だし。あと、カウルに防風効果があるんだな」

「千絵さんは? 長くて大変だった?」
訊かれて千絵は首を振った。
「もちろんちょっとお尻は痛くなったけれど、正志くんがよく休憩入れてくれたから。それに、後ろに座っていても風景が見えるのは嬉しかったわ」

 彩香は頷いた
「後部座席が少し高くなっているからね」

 よく整備された道なので難なく登っていけるが、10分ほどして頂上に着いたときには体が温まっていた。

「大丈夫?」
正志は小さい声で千絵に訊いた。普段、清涼飲料水の営業で坂道の多い道なども歩き回る正志にとっては大したことはないが、いちおう女性なので千絵にはきついかなと思ったのだ。

「大丈夫よ。病院ではけっこう歩き回るし、体も使うから、意外と丈夫なの」
千絵は、息を整えてから、笑った。

 見ると彩香はさほど息も上がっていない。どちらかというと幸樹の方が大変そうだ。
「ヤキダマったら、もう疲れたの?」
「疲れたってほどじゃないけど……僕はデスクワークだし……」
4人は笑った。
 
 それでも頂上の絶景には皆が見とれた。
「すばらしい眺めね!」

 西側には葛城山系が、よく見えている。
「あのラクダのこぶみたいな山は、どこなのかしら」
千絵が訊き、正志は案内板と見比べる。
「えーっと……」

「あれは二上山」
彩香が答えた。

「お、さすがに詳しいな。じゃ、その手前の台形の山は?」
幸樹が訊くと、彩香は即答した。
「あれは畝傍山。あっちが耳成山、それから天香久山」
指先は右に向かう。

「大和三山が一望の下だな」
幸樹が言うと、彩香が言った。
「大和三山っていうんだ?」
「うん。僕は山の名前は知っていても、この辺は全然走っていないし実際にどれだかは知らないんだよな」

「あれがかの天香久山かあ」
正志が大きな声を出した。

 千絵は考え深げに答えた。
「『大和には 群山あれど とりよろふ 天の香具山……』」

 正志が目を丸くした。
「何それ?」

 幸樹が答えた。
「舒明天皇の歌だね。『……登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ 海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は』って続くんだ。ちょうどこんな感じで見ていたのかもしれないね」

「おお、2人とも教養あるな。俺もこれなら覚えているぞ〜。『春過ぎて 夏来たるらし 白たへの 衣干したり 天香具山』」

 幸樹は頷いた。
「持統天皇か。百人一首、そういえばしばらくやっていないな」

 彩香は言った。
「じゃあ、今晩、やる? お正月らしいしね」

 そう言われて、正志は思い出した。
「そういえば、新年の挨拶していなかった。あけましておめでとう。今年もどうぞよろしく」
「「「どうぞよろしく」」」

 4人は笑った。素晴らしい大和路の景色を堪能したあと、3台のマシン、Ducati Monster 696、HONDA PCX150、そしてKawasaki Ninja 650Rは一路、神戸を目指して「国のまほろば」たる大和路を駆け抜け、新春のドライブを楽しんだ。

 かつて、修学旅行でバラバラに思い出を作った大和路が、この『まほろばの道』を共に走ることで1つの思い出の地になっていく。そんな考えを正志は我ながら「いいな」と思った。

大和は 国のまほろば たたなづく 青がき 山ごもれる 大和し うるわし

古事記・中巻 倭建命



(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】アーちゃん、がんばる

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scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第2弾です。ダメ子さんは、今年もプランBでご参加くださいました。ありがとうございます! プランBは、まず先に私が書き、それに対して参加者のブロガーさんが創作作品や記事などを書いてくださる参加方法です。お返しを考える時間も必要でしょうから、とりあえず早急にアップさせていただきました。

ダメ子さんは、かわいらしい絵柄と様々な登場人物たち、それに短いセリフで胸のど真ん中を突くストーリーの、ネガティブな高校生ダメ子さんを中心に繰り広げられる日常を描く人氣マンガ「ダメ子の鬱」でおなじみです。

さて、「scriviamo!」では恒例化している『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ、もともとはダメ子さんのところに出てくる、「チャラくんにチョコレートを渡せない後輩ちゃん」をネタに書かせていただいたものです。後輩ちゃんを勝手に名付けてしまったアーちゃんだけでなく、付き添いで勝手に出したつーちゃんまでも、いつの間にかダメ子さんの「ダメ鬱」のキャラクターに昇格させていただいています。

さて、前回、ダメ子さんやミエちゃんまで引っ張り出してさらにカオスにしてしまったアーちゃんの再告白計画、まだ続いています。


【参考】
私が書いた『今年こそは~バレンタイン大作戦』
ダメ子さんの描いてくださった『チョコレート』
ダメ子さんの描いてくださった『バレンタイン翌日』
私が書いた『恋のゆくえは大混戦』
ダメ子さんの「四角関係』
私が書いた『悩めるつーちゃん』
ダメ子さんの『お返し』
私が書いた『合同デート』
私が書いた『つーちゃん、プレゼントに悩む』
ダメ子さんの『お返しのお返し』
私が書いた『やっかいなことになる予感』
ダメ子さんの『疑惑』
私が書いた『再告白計画、またはさらなるカオス』
ダメ子さんの『カオス』

私の作品は以下のリンクからまとめ読みできます。
『バレンタイン大作戦 - Featuring「ダメ子の鬱」』シリーズ

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アーちゃん、がんばる
——Special thanks to Dameko-san<


 深呼吸して、事態を整理して考えよう。こんなカオスの元凶は、そもそもチャラ先輩がめちゃくちゃ鈍いってことよね。アーちゃんが、バレンタインで告白しようとした相手が、自分だとまだわかっていない。

 もちろん、それに加えて、アーちゃんの告白のしかたが、絶望的にはっきりしないってことも問題なんだけど。

 でも、しかたないじゃない? アーちゃんは極度のあがり症。好きなチャラ先輩を前にして、はっきりくっきり「好きです。つきあってください」とか言えるぐらいなら、そもそも中学の時に伝わってたはず。

 でも、わたしとムツリ先輩が、影ながらこんなにサポートしているのに、ここまで伝わらないって、どういうこと?!

 というわけで、アーちゃんに再告白してもらうべく、ムツリ先輩も巻き込んで段取りをつけていたら、あいかわらず誤解したまんまのチャラ先輩ったら、クラスの女の先輩たちの協力まで要請して、モテ先輩を呼び出しちゃった。いや、だから、初めっからモテ先輩は関係ないっていうのに……。

「ねえ、つーちゃん。チャラ先輩、告白は重いって……。やっぱり先輩が言っていたみたいに『自然に、なんとなくいい感じになる』ってほうがよくない? そしたら、わたし、また告白しなくて済むし……」
アーちゃんが、めちゃくちゃ氣弱なことを言う。

 いや、普通のケースなら、それでいいのよ。でも、チャラ先輩はきっと、お祖父さんになるまでアーちゃんはモテ先輩が好きだと思い続けるよ。

「なんとなくも、へったくれもないわよ。それに、たとえ告白しないとしても、せっかくクッキー作ってきたんでしょ? チャラ先輩に食べてもらえたら嬉しくない?」

 わたしの言葉に、アーちゃんはけなげに頷く。
「うん。昨晩、3時までかかって4回も作り直した。見かけも味もこれまでの最高傑作だし、食べてもらいたい」

 わたしは、驚いた。めっちゃ氣合い入れて作ってた。
「じゃあ、渡そう」
「うん。……あ、こっちはね。2回目と3回目にできた作品。ハートのが割れちゃったり、アイシングが下手になっちゃったの。でも、味は美味しいはずだから、つーちゃんにあげるね」

「わあ、ありがとう。後でいただくね……それでね、思うんだけど」
「なあに?」
「多迷先輩にメモは渡さないでってお願いしたから、たぶん来ないとは思うんだけど、もし万が一、その場にモテ先輩が登場すると、また話がこんがらがるでしょ?」
「う……うん。そうだね」

 わたしは、重々しく言った。
「だから、モテ先輩が絶対に来ないところで渡そう」
「え? どういうこと?」

「だから、モテ先輩に来てくださいってお願いした用務員室の裏手から、すごく遠いところ……たとえばテニスコートの裏にチャラ先輩を連れ出すから、そこでアーちゃんがそのクッキーを渡すの。そしたら、さすがのチャラ先輩でも自分あてだとわかるでしょ?」

「え。でも、そしたら間違えて呼び出された、モテ先輩は?」
アーちゃん、けっこう義理堅く心配している。

「そっちは、クラスメイトの多迷先輩が、何とかしてくれると思う。あと、愛瀬先輩もいたし……心配なら、わたしかムツリ先輩が様子を見にいくから」

 アーちゃんは頷いた。
「わかった。でも、チャラ先輩も、あっちに行っちゃうんじゃない?」

「そこは、わたしとムツリ先輩で、なんとかしてテニスコートの方に行くように仕向けるから。とにかくアーちゃんは、クッキーを渡す準備をして、テニスコートの裏に行っていて!」

 わたしは、いそいでスマートフォンを取りだした。

 そうなんだよなあ。このドタバタで、ムツリ先輩といろいろ連絡を取り合うことがあって、結局、わたしはムツリ先輩の連絡先ゲットしちゃったのよね……。アーちゃん、チャラ先輩の連絡帳に載ったら死ぬほど嬉しいとか言っていたから、わたしがムツリ先輩と連絡先交換したこと、言い出しにくいんだけど……。ま、チャラ先輩の連絡先じゃないからいいか。

「あ、先輩。すみません。いまアーちゃんと話していて決めたんですけれど、モテ先輩のいないところで告白するのがベストだと思うんで、うまくチャラ先輩をテニスコート裏につれて行ってくださいませんか?」

 電話の向こうのムツリ先輩は少し口ごもった。どうやらそばにチャラ先輩がいるみたい。
「あ~、そうか。えーと、どうしよっか」

「場所変更って言って、上手にチャラ先輩だけ連れてきてください。モテ先輩の方は、上級生の女の先輩方がなんとかするでしょう、きっと」
「ああ、そう。わかった」

 ムツリ先輩は、口数少ないけど、話のわかりがよくて助かる。じゃ、わたしもテニスコートに向かおうっと。

 ふと見ると、用務員室の方にモテ先輩が歩いて行っている。そして、後ろから心配している感じで多迷先輩もついて行っている。あれれれれ。行かなくていいってひと言いえばいいのに??? そして、愛瀬先輩の姿も見えるな。あっちはあっちでちょっとカオスな感じなのかも。

 ま、いっか。とりあえず、アーちゃんの方を見届けよう。

 テニスコートの裏に着くと、向こうからムツリ先輩がチャラ先輩と話ながら近づいてきた。あ。無事に連れてきてくれたんだ。……アーちゃんは?

 テニスの用品入れ小屋の影から、アーちゃんが突進してきた。手にはちゃんとクッキーを持っている。察したムツリ先輩は、そっとチャラ先輩のそばを離れて、こっちに向かってきた。

「やあ。こっち来ちゃったけど、モテの方は大丈夫?」
ムツリ先輩は小さい声で訊いた。

「それが、どうも用務員室の方にやっぱり向かっていました。多迷先輩と愛瀬先輩が追っていましたけれど……多迷先輩にメモは渡さなくてもいいと伝えたので、フォローしてくれるかなと」

 ムツリ先輩は少し考えた
「うーん。どうかな。あの子、アーちゃんとは違うタイプであがり症じゃないんだろうけど、あまりはっきりと言わないかもなあ」
「え~。フォローしないとダメですかね」
「うーん。愛瀬くんもいるのか。……こじれたりして」

 そんなことを話している間に、アーちゃんがチャラ先輩にクッキーを渡しているのが見えた。おお、ばっちり渡した。これでチャラ先輩も氣がつくかしら。バレンタインのチョコが自分あてだったって。

 アーちゃんが告白しているっぽいのを見守りつつ、わたしはムツリ先輩にももらったクッキー包みの1つを渡す。
「あ。これ、アーちゃんからお裾分けです。失敗作らしいんですが……味は美味しいそうです」
「へえ。ありがとう」

「なんだよ。モテに直接渡せないのか? また渡してほしいとか?」
向こうからチャラ先輩の大きな声が聞こえて、わたしはずっこけた。え~、まだわかんないかな。

「そ、そ、うじゃなくて……こ、これは、モテ先輩じゃなくて……その……チャラ先輩、食べてください!」

 チャラ先輩は、首を傾げている。そうよ、考えて! アーちゃんが告白したいのは、チャラ先輩、あなたなんだから。

「大丈夫そうですね。ムツリ先輩、私たちはお邪魔虫だから去りましょう。モテ先輩の方に行って、謝った方がいいかもしれないし」

 わたしが言うと、ムツリ先輩はやる氣なさそうな様子で答えた。
「う〜ん……多迷さんがそつなく話を収めている……ってことはないだろうな。愛瀬さんもいるのかあ。……面倒な感じだなあ」

 ムツリ先輩ったら。
「だったら、なおさら行かなきゃ。さ、先輩、行きますよ!」

 わたしが先輩を引っ張って用務員室の方へ向かおうとしていると、遠く後ろからチャラ先輩の声が聞こえた。

「ああ、ムツリとつーちゃんもこのクッキー持ってんな。もしかして、これって友チョコならぬ、友クッキー?」

 わたしは、ムツリ先輩と顔を見合わせた。絶望的な氣分になったことは言うまでもない。アーちゃん、お願いだから、もうちょっと頑張って、それを否定して!

(初出:2024年1月 書き下ろし)
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Posted by 八少女 夕

【小説】傷つけない刀

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

scriviamo!


今週の小説は、「scriviamo! 2024」の第10弾、ラストの作品です。大海彩洋さんは、「学園七不思議シリーズ」の作品で参加してくださいました。ありがとうございます!

 大海彩洋さんの書いてくださった『【奇跡の予感・ブルームーン~バッカスからの招待状・返歌~】 』

大海彩洋さんは、ライフワークである「真シリーズ」をはじめとして、精密かつ重厚な小説を書かれるブロガーさんです。今回は大河小説「真シリーズ」のメインキャラの1人、大和竹流ことジョルジョ・ヴォルテラが『Bacchus』に降臨です。当ブログの150000Hit記念掌編でリクエストにお応えして「学園七不思議シリーズ」の高校生トリオを大手町のバーに放り込むというけしからん作品を書いたのですが、そこで某山猫くんが「けんかして仲直りしたい」と思い悩んでいるというような話を書いてしまったんですね。今回の彩洋さんのお話は、そのアンサー小説でした。

お返しどうしようか悩んだ末、『Bacchus』で書くことは特に何もないなあということで、登場人物が被っている「いつかは寄ってね」で書くことにしました。

彩洋さんのお話や、あの方々には全く関係のない話ですが、いちおう彩洋さんの作品のあるモチーフだけいただいてきました。あとは飲んでいるだけ?


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「いつかは寄ってね」をはじめから読むいつかは寄ってね




傷つけない刀
——Special thanks to Oomi Sayo-san


 つむじ風が道の上の花びらを回しているのを見ながら、すみれは今年の桜も終わったな、とぼんやり思った。毎年、年度初めはバタバタしていていつもの仲間との花見を企画し忘れてしまう。ま、夏木さんたちも忙しいわよね。言い訳のように考えた。

 すみれは、神田駅の行き慣れた地下鉄出口の階段を昇った。今日は第2木曜日。月に1度の『でおにゅそす』の日なのだ。

 久保すみれ、夏木敏也、近藤雅弘の3人は、もともとは大手町のバー『Bacchus』の常連だ。といっても、3人ともアルコールに弱く、ほかの店ではなかなか楽しめないといった方がいい。

 その3人が神田の和風飲み屋に定期的に行くようになったのも『Bacchus』つながりなのだ。『でおにゅそす』は、『Bacchus』で知り合った伊藤涼子の店だ。

 和風の飲み屋に憧れているけれど、なかなか行く機会がないし、1人では入りにくいというすみれにつきあって、夏木と近藤が行くようになり、いつのまにか『Bacchus』が店を閉める第2木曜日は常連がこぞって『でおにゅそす』に行く習慣となった。

 東京は神田の目立たない路地に『でおにゅそす』はひっそりと建っている。2坪程度でカウンター席しかないが、開店してから5年ほどの間にそこそこの固定客が付き、暖かい家庭的な雰囲氣で満ちている。

「こんばんは」
すみれは、引き戸を開けてのぞき込んだ。

「いらっしゃいませ、久保さん」
涼子が微笑んで迎える。今日の装いは薄緑に花筏柄の小紋だ。名古屋帯はグレー。落ち着いていて素敵だなあ。すみれは思った。

「今日も、わたしが最初ね」
夏木と近藤は、だいたい7時頃に来ることが多い。もう来慣れたすみれは、2人がくるまで涼子や、この店の常連たちとおしゃべりしながら楽しく待つことができるようになっていた。

 その時、奥の席に座っている男が目に入った。よく座っている常連の西城ではなくて若い男性だ。

 変わった格好だなあ……。すみれは思った。ひと言でいうと紺ベースの和装だ。ただし普通の和装ではない。神田では男性の和装も珍しくないのだが、少なくとも伝統的な和装という感じではない。何が違うんだろう。羽織みたいなのに飾りみたいなのがついていること? モダン? かぶき者? アイドルの衣装で和風テイストを取り入れたものにも似ている。

 あれかな、秋葉原近いから、何かのコスプレかな。

 とはいえ、コスプレとは断言しにくい理由の1つが、その服がいい感じに褪色してしかも擦れた感じなのだ。また、化繊にありがちな光沢がなく、非常に落ち着いた風合い。うーん、謎。

 カウンターの中から、涼子がその男性の前につきだしの小皿を置いた。
「お飲み物はいかがなさいますか」

「ぬる燗にいい酒はなにがありますか」
彼は品書きは見なかった。
「そうですね。栃木の『開華』純米や、宮城の『浦霞』山廃大吟醸、それから今だけ島根の『玉櫻』生酛きもと純米を入れています」

 涼子が答えると彼の表情は、ぱっと明るくなった。
「ああ、桜の季節ですからね、それをいただきましょう」
「かしこまりました」

 それから涼子はすみれの方を見た。興味津々にやり取りを聞いていたすみれは少し赤くなった。
「久保さんは、今日はどうなさいますか?」

 ここでウーロン茶というのは情けないけれど、さすがに私にもぬる燗を下さいとは言えない。全く飲めないというわけではないけれど、飲み終えられるか微妙だし。

「もしかして、『玉櫻』少し試してみたいですか?」
モゴモゴしているすみれを見て、涼子が少し笑った。

 すみれは大きく首を縦に振った。
「本当は、いつものウーロンハイをお願いするつもりだったけれど……。ちょっと羨ましくなっちゃって。でも、頼んでもひと口くらいしか飲めないし……」

 すると、男性がわずかに笑って言った。
「じゃあ、彼女にお猪口を。僕の徳利から試すといい」

「そんな、申し訳ないです! わたしがお支払いします!」
そういうすみれに、彼は笑って手を振った。
「そんな無粋なことはさせないよ。さあ、どうぞ。桜の縁だ」

 すみれは涼子に出してもらった猪口に、ぬる燗の『玉櫻』を満たしてもらった。
「ありがとうございます」

 彼は猪口をわずかに持ち上げた。よくわからないけれど、和装でこういう仕草って、5割増しカッコよく見えるなあ。
「じつは、ぬる燗って初めて飲むんです。それ用のお酒があることも今日知りました」

「まあ、そうなの。専用というわけではないのだけれど、例えば大吟醸などは香りのバランスが崩れてしまうのでお冷やの方が適していると一般にはいわれているわ。ぬる燗、つまり40度くらいに温めると香りが引き立つし、味わいも豊かに感じられるので、それを楽しめるお酒が好まれるの。たとえば、生酛きもと系酒母を使った、生酛や山廃というタイプのお酒ね」

 和装の男性が続ける。
「生酛系酒母っていうのはだね。酒蔵に自然に生息する乳酸菌を酒簿の中で増殖させて作るんだ。時間と手間がかかるので、生酛系酒母で作られているのは、すべての日本酒の1割にすぎない。酒母の中の米をすりつぶし、米を溶けやすくする山卸という昔ながらの手作業も行うのはそのうちの2割、つまり全体の2%。君がいま飲んでいるのがその生酛なんだよ」

 そういう特別な日本酒を飲んでいるとは!

「なるほど。確かに、香りはとてもシャープだけれど、突き刺すような味はしない。とても美味しいです。旨味っていうんでしょうか、複雑な味がするように感じます」

「自然の乳酸が生み出すまろやかな酸味、コクのある複雑な味わいだね。それから、余韻を感じないかい?」
「はい。これまでに飲んだ日本酒よりも、長く美味しさが続いている感じです」

「『押し味』っていうんだ。これを楽しむのにぬる燗は適しているんだね」

 すみれは、面白そうに猪口の中をのぞき込んだ。
「効率よりも、味のこだわりを選んだってことですよね。でも、その価値をわかって飲まないともったいないってことですよね」

「美味いとわかれば、それで十分なんじゃないか?」
男性も、涼子も笑った。

「うーん。もっとたくさん飲める体質だったらいいなあ。これ、本当に美味しいもの。たとえると、切れ味のいいナイフに見えるけど、怪我はしない感じ?」

 そうすみれが言った途端、男性はぎょっとしたようにすみれを見た。

 これまでの朗らかな微笑みとあまりに違う表情だったので、すみれも涼子も戸惑った。

「あの……なにかまずいこと言いましたか?」
そうすみれが訊くと、男性ははっとして、バツの悪そうな顔をした。

「いえ、とんでもない。ただ、少し驚いたんだ。僕のことを見透かされたのかと思ってね」

 涼子は、2人の前に鰆の西京焼きの皿を出しながら訊いた。
「と、おっしゃると?」

 男性は、少し考えている感じだった。
「……どのくらい一般に知られている話か……。薬研藤四郎やげんとうしろうって短刀のこと、知っているかい?」

 すみれも涼子も即座に首を振った。男性は、「そうか」と笑った。
「鎌倉時代中期の粟田口派に属する吉光という刀工がいてね。この吉光の通称が藤四郎っていうんだ。徳川吉宗が作成させた『享保名物帳』という名刀のリストで天下三作に選ばれた名工で、特に短刀の妙手として有名なんだ」

 2人が話についてきているかを確認するため、彼は少し間をとった。2人は頷いた。
「そういうわけで藤四郎と名のつく有名な短刀はたいていこの粟田口吉光作なんだが、薬研藤四郎は少々変わったエピソードを持つ刀なんだ」

「どんなエピソードですか?」
すみれが訊く。

「薬研というのは、薬をすりつぶす鉄製の道具なんだが、それに突き刺さってしまうほどの切れ味なのに、持ち主だけは傷つけないという不思議なエピソードがあるんだ」
「ええ?」

「室町時代の大名畠山政長が明応の政変に負けて自害しようとしたときに、この短刀を用いたのだが、3回突き立てても刃が腹に突き刺さない。なんと切れ味の悪い刀だと怒って放り投げたところ、そのまま薬研を貫いてしまったというんだ。それで、鉄を突き通す切れ味なのに主君は傷つけない不思議な怪刀として知られるようになったというわけだ」

「へえ。そんな刀があるんですね。たしかに、切れ味はいいのに、怪我はしないって言葉に当てはまりますね」
すみれは、目を丸くした。

「その刀は畠山家の子孫に受け継がれたのですか?」
涼子が訊く。

 男性は首を振った。
「いや。足利将軍家に伝わり、足利義輝殺害後、織田信長に献上された。信長は名刀のコレクターでね。中でも薬研藤四郎はお氣に入りだったらしく本能寺の変の折にも所持していたと言われているんだ。ただ、その後は豊臣秀吉や徳川家が所持したとの説もあるが、信頼できる証拠もない。つまり、本能寺の変以後は行方不明といってもいいんだ」

「ええと、つまりあなたは、トレジャーハンターということでしょうか」
すみれは恐る恐る訊いた。

 男性は笑って首を振った。
「いや、そうではない。僕は刀鍛冶でね。ちょっと薬研藤四郎にも縁があるんだ」

「ええ? 刀鍛冶って、刀を作るお仕事ですよね! すごい。あ、だからその和装なんですね」

「はは。この服装で仕事をしているわけではないさ」
そう笑って、彼は『玉櫻』をもう1提注文した。

 その時、引き戸が開いて、夏木が近藤と一緒に入ってきた。
「久保さん、涼子さんも、こんばんは」
「いらっしゃいませ、夏木さん、近藤さん」

「あ、途中で会ったんですね」
すみれが訊くと近藤が頷いた。
「神田駅でね。あ、20分くらいでオルガさんも来るって、連絡来たよ」
オルガ・バララエーヴァも『Bacchus』の常連だ。

 夏木はすみれの前の鰆の皿や猪口を見て訊いた。
「かなり待たせたかな?」
「いいえ、それほど待っていませんよ。とても面白い話を聞いていたんです。生酛きもとの日本酒と、薬研藤四郎っていう刀。ね、涼子さん?」
すみれは、涼子に同意を求めた。

 涼子は頷いたが、他のことに氣を取られていた。小さな店のカウンターはほぼいっぱいになっている。直に他の常連も来るだろうし、もう1人来るとしたら、座る場所をなんとかしないといけない。

 刀鍛冶の男性は、酒を飲み干すと立ち上がった。徳利の下に十分すぎる代金が置かれている。
「また来るよ」
「まあ、ありがとうございます。あ、おつりは……」
「とっておいて」

「追い出したみたいになっちゃったな」
彼が出て行った後、夏木が困ったように言った。

「薬研藤四郎とのご縁がなにか、訊きそびれちゃったわ」
すみれが口を尖らせた。

「何それ?」
近藤が出てきたビールを飲みながら訊いた。

「鉄の道具に突き刺さるくらい鋭い刀なのに、持ち主は傷つけない不思議な刀なんですって。織田信長が持っていたんだけど本能寺の変で行方不明になったとか」
涼子が説明した。

「カッコいい和装だったなあ」
夏木がポツリと言った。
「刀鍛冶さんなんですって。でも、剣士でも通りそうよね」
すみれが教えた。

「常連さん?」
夏木は涼子に訊いた。

「いいえ。今日初めていらしたお客様よ」
涼子は、彼の置いていった代金を手に持ったまま、不思議そうな顔をして戸口を見つめた。

「どうかしたんですか?」
すみれは涼子の手元を見ながら訊いた。

「十分すぎるほど置いていってくださったんだけれど、一番下にこのコインが……」
そう言って見せたのは見たことがない古銭だった。

「なになに? 和同開珎?」
すみれが訊くと、近藤が呆れた声を出して涼子に言った。
「そんなわけないだろうに。ちょっといいですか?」

「うーん。天正……通宝かな?」
かなり黒くなっているが銀貨のようだ。夏木がスマートフォンで検索する。
「ああ、室町時代のお金みたいだね。それにしては状態がいいみたいだけど。ネットにある写真のは、もっとボロボロだよ」
「コスプレ用の再現貨幣?」
「最近のコスプレってそんな芸の細かいことするのか?」
「……というか、なぜこれを置いていったんだろう?」

 近藤がぼそっと言った。
「あの人、その刀匠藤四郎の幽霊で、行方不明の短刀を探していたりして」

 皆がぎょっとして近藤を見た。彼は慌てて言った。
「いや、冗談だから!」

 夏木はため息をついた。すみれは、考え深そうに言った。
「う〜ん。もしかしたら、本当にそういうことなのかも。もしくは、あの人が薬研藤四郎っていう刀の妖精とか。そうでもおかしくない佇まいだったのよね」

 夏木と近藤は、すみれが飲み慣れない日本酒で酔っているなと判断して目配せした。 

(初出:2024年4月 書き下ろし)

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