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Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (10)バルセロナ、 フェリス ナビダー

「フェリス・ナビダー」と連呼する曲をご存知でしょうか? 私はスイスに来るまで全く知らなかったんですが、ヨーロッパで大昔に大ヒットした曲らしく、クリスマスが近づくとよく聴こえてきます。だから、私でもスペイン語で「メリークリスマス」をなんと言うのか知っているというわけです。
あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(10)バルセロナ、 フェリス ナビダー



 パーティの準備のために、四人は広間をクリスマス風に飾り付けていた。巨大な樅の木に、ありとあらゆる飾りをつけていく。

「いいわねぇ。こういうのって」
四人の中で、クリスマスのいい思い出がたくさんあるのはレネ一人だった。

 蝶子は実家でぎくしゃくしていたし、クリスマスデートもした事がなかったので、こんなに楽しいクリスマスの雰囲氣は初めてだった。エッシェンドルフ教授の館では毎年盛大なクリスマスのパーティがあったが、堅苦しくて好きになれなかった。

 稔の生家では伝統を重んじるちゃきちゃきの江戸っ子の父親が馬鹿にするのでクリスマスなぞ祝った事がなかったし、ヨーロッパに来てからはずっと浮浪者同然でそれどころではなかった。

 ヴィルも両親の揃った暖かくて静かなドイツ伝統のクリスマスを祝った事がなかった。子供の頃は母親と簡単に祝い、ティーンエイジャーの頃は父親のパーティに無理矢理参加させられたが、端に立っているばかりでいい思い出はなかった。

 今年は四人にとって特別だった。Artistas callejerosを結成して初めてのクリスマスだ。それも、こんな豪華な館で、暖かい暖炉の側で迎える最高の。

 蝶子が上機嫌で『樅の木』を鼻歌を歌っている所に、稔は日本語で加わった。その訳は納得がいかないとレネがドイツ語の歌詞で参戦した。それを聴いて、三人は一斉に手を止めてレネを見た。

「な、なんですか。歌詞間違えましたか?」
「ちょっと、ブラン・ベック!そんないい声しているの、何で隠していたのよ!」
レネは透明で明るい見事なテノールだったのだ。

「え。歌えって言われなかったから…」
「すごいぞ。どこかでトレーニングしていたのか?」
ヴィルも梯子から降りてきた。
「いや、教会の合唱団にはずっと参加していたけれど、でもトレーニングなんてものは…」

 ヴィルはピアノの前に座り、『ホワイト・クリスマス』の伴奏を弾き出した。蝶子と稔に顎で促されて、レネはもじもじと歌いだした。惚れ惚れするいい声だった。

「ったく、爪を隠し過ぎだ」
稔がつぶやいた。ヴィルは、蝶子に加わるように言った。蝶子はセクシーなアルトで、自在に下のパートを引き受けた。蝶子に助けてもらってレネは嬉しそうに、もう少し自信を持って歌いだした。

「こりゃ、いいぞ!」
稔も、ギターの腹をドラムがわりに叩いて加わったので、ヴィルは即座に楽しげに転調した。やがて、アンサンブルは愉快なクリスマス・メドレーに変わった。



 パーティの当日、午前中は蝶子が台所でイネスを手伝い、男三人は薪や酒の瓶などを広間に運んだりセッティングをしたりして忙しく働いた。もちろん普段からの使用人の他に、この日は多くのヘルプが来ていたが、四人はお客様然として座っているつもりはなかった。夕方になると、ロッコ氏にもらった衣装に着替えた三人と、新調したあでやかな曙色のドレスに身を包んだ蝶子は広間でカルロスと早い乾杯をした。

「おお、なんという美しさだろう。マリポーサ。あなたは夜明けの荒野に立ちのぼる金星です」
蝶子の手にキスをするカルロスを見て、稔はどっちらけという顔をした。毎晩、酒を飲んで大騒ぎしている居候への言葉かよ。

 カルロスはさらに大仰に続けた。
「どうか、この私と一曲ダンスを踊ってくださいませんか?」
「喜んで」

「おい、お蝶、お前ダンスなんか踊れんのかよ」
驚く稔に、蝶子は勝ち誇ったように微笑んだ。
「一通りはね」

 それで、稔はギターで『真珠取りのタンゴ』を弾いてやった。二人は、コンチネンタル・タンゴを華麗に踊った。踊れるというのは嘘じゃないらしい。きちんと習ったようだ。

 カルロスは少し驚いて言った。
「見事ですね。もしかしてアルゼンチン・タンゴも踊れるんじゃないんですか?」
「多少は」
蝶子が自信満々のときの婉然とした微笑みを見せた。

 それで今度はヴィルがピアノの前に座ってピアソラの『ブエノスアイレスの冬』を弾きだした。

 カルロスのリードは見事だった。だが、蝶子も尋常でない上手さだった。おい!普通の日本人がどうやってアルゼンチン・タンゴなんか習得するんだよ!稔は目を剥いた。

 ヴィルにはちっとも不思議ではなかった。父親のエッシェンドルフ教授はアルゼンチン・タンゴの名手として有名だった。コンチネンタル・タンゴと違い、アルゼンチン・タンゴは男のリードだけでは上手く踊れない。蝶子のステップはそんなに難しいものではなかったが、完全に自分のものにしていた。

 ステップを踏むたびに、青白い炎が燃え上がる。その妖艶な表情が挑みかけ、切れのある動きの後に完璧なスタイルの脚がねっとりと振りもどる度に、危うさが漂う。いつもの崇拝者とわがままな日本人から、ゆっくりと運命の恋人に変容していく。

 スペイン語には空氣や雰囲氣をあらわす「アイレ」という言葉がある。それは色氣や粋という意味や、人生の喜びや悲しみを意味することもある。生きている人間の周りにまとわりつく目に見えないがそこにあるもの、蝶子とカルロスを包んでいるのはまぎれもなく情念のアイレだった。稔とレネは息を飲んでその踊りに釘付けになっていた。ヴィルのピアノもまた大きく影響され、音が変わっていく。

「あ、あの~、ドン・カルロス…」
間延びした声が入り口からして、五人は我に返った。カルロスの秘書のサンチェスが困った表情で立っていた。
「最初の、お客様がいらしたんですが…」
踊っている場合ではなかった。



「乾杯!」
「メリー、クリスマス、には早いかな?」
稔は日付を数えた。まだ三日くらいあるよな。

 蝶子はキリスト教でない日本人らしく答えた。
「別にいいんじゃないの?クリスマスパーティだし」

「スペイン語ではなんていうんでしょうね?」
レネの問いに、カルロスが答えた。
「フェリス・ナビダー、ですよ」
「じゃあ、フェリス・ナビダー!」
「フェリス・ナビダー!」
次々とグラスが重ねられた。

「カルちゃん、本当にありがとう。私こんなすてきなクリスマス経験したことないの」
「それは光栄ですね。私もあなたたちと祝うことのできる幸せをかみしめていますよ。実を言うと、もう長いことまじめに祈ったことがないんですが、あなたたちと毎年祝うことができるように神に祈ることにしましょう」

 カルロスは蝶子の頬にキスをした。蝶子は微笑んでキスを返し、それから、レネ、ヴィルの頬にも順番にキスをした。そういう習慣のない日本人の稔は目を丸くしていたが、蝶子はとても自然に稔の頬にもキスをした。稔はそれがちっとも嫌ではなかった。お蝶も俺もずいぶんガイジン化してきたもんだ。

 四人のショーはここでも喝采を浴びた。ショーの後には、カルロスの友人たちがひっきりなしにやってきてはカルロスに紹介を請うた。ミステリアスで美しい蝶子に言い寄りたがる男たちもいたが、カルロスが皆はねつけた。稔はその様子がおかしくてへらへらと笑った。

 だが、寄ってきたものの中には悪くない話もいくつかあった。その一つが、ロッコ氏のレストランのスペインバージョンで、マラガ市内に最高級のクラブの開店準備を進めているというカデラス氏の申し出だった。来年の四月のオープニングから一ヶ月ほど、働いてくれないかというのだった。

 稔は手慣れた様子でギャラの交渉に乗り出し、あっさりと宿泊と食事と酒込みの好条件を手に入れた。年明けにやはりひと月ほど頼みたいと言ってきたのはバルセロナのカタルニャ料理のレストランを持つモンテス氏だった。彼の雇っているピアニストがその時期はメキシコに休暇にいくのだ。稔が泊まるところの交渉をしたらカルロスが割って入り、バルセロナにいる間は宿泊と食事と酒はここ持ちだと言い張った。

 稔はこれまでの経験から十二月と一月がもっとも厳しい季節だと知っていたので、この二ヶ月をこの快適な館で過ごせ、年明けからは仕事も暖かい室内でできる、飛び上がって踊りだしたいほどだった。何よりもうれしいクリスマスプレゼントだった。
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