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Posted by 八少女 夕

【小説】ファインダーの向こうに(4)陰影

中編小説「ファインダーの向こうに」の四回目です。実は、この小説を発表するにあたって、一回分の大体の文字数を決めているのですが、それに照らし合わせると今回発表分は二倍の長さです。でも、切るのにちょうどいいところがないので、今回だけは一度に発表しています。

ヒロインの仕事仲間であり、最も親しい友人でもあるベンジャミン・ハドソンがメインの回です。おそらくある読み手の方にとっては「やっぱり」で、他の方にとっては「それはないよ」な事情かもしれません。


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あらすじと登場人物




ファインダーの向こうに
(4)陰影


 ベンジャミン・ハドソンは、彼の家の門についた。ライトが自動的につく。眩しくて眉をしかめる。金属製のフェンスを白く塗らせたのは妻のスーザンの趣味だ。汚れやすくなるからしばらくしたらまた塗り直さなくてはならないと言ったが、彼女は聞かなかった。窓辺にペチュニアを飾ることや、安っぽい黄色い滑り台を設置することも。仕事で飛び回る彼の代わりに、家の用事と息子の面倒を一手に引き受ける妻と小さな諍いを積み上げることを彼は好まなかった。

「ただいま」と言って、玄関を開ける。以前のようにスーザンが駆け寄ってきて、キスをすることはない。だが、彼はそれに不満を持っているわけではない。焔はいつまでも激しく燃え上がらない。それよりもじっくりと炭が熾り続ける時間の方が長いのだ。結婚や人生とはそういうものだ。

 居間には、スーザンとジュリアンがいた。彼女は息子をパジャマに着替えさせている所だった。
「おかえりなさい。早かったのね」
「ただいま。今夜は間に合ったな」
そう言うと、彼は六歳になる息子を抱き上げた。嬉しそうな笑い声が居間に響いた。

「お願いしていい?」
スーザンの言葉に頷くと、彼はそのまま息子をベッドへと連れていった。

 息子の部屋は、青に白い水玉の壁紙が貼ってある。ベッドに息子を降ろしてキスをすると、横に巨大な熊のぬいぐるみがあった。昨日まで抱えていた虎のぬいぐるみは、寵愛を失ったらしく床に横たわっていた。
「パパ、見て! ジョルジアから貰ったんだよ」
ジュリアンは熊のぬいぐるみを嬉しそうに抱きしめた。

「あのぬいぐるみ、どうしたんだ?」
居間に戻って訊くと、妻のスーザンは嬉しそうに笑った。
「さっき、届いたのよ。スキーウェアが欲しいと言ったこと、忘れないでくれたのね。それを着ているみたいな格好で、あの大きなぬいぐるみも一緒に入っていたの。二人で歓声を上げたんだから。次に逢ったらお礼を言っておいてね」

「さっき逢ってきたばっかりだけれど、これから彼女は撮影旅行だから、次に逢うのはおそらく来週の火曜日だよ。メールでも入れておくか」
「そうしてね。ねぇ、あたしの名付け親ってあんなに親切じゃなかったわ。写真もそうだけれど、彼女、本当に子供が好きなのね」

 ベンジャミンは、ちらりと妻を見たが、肯定も否定もしなかった。確かにジョルジアは、子供をモチーフにした写真で有名になった。《アルファ・フォト・プレス》がプロモーションを展開しているのもその路線だ。

 十年前、彼女の主なモチーフは花や水辺などの自然だった。透明で、光を感じる作風は、四ヶ月前に出版した写真集『太陽の子供たち』にも通じるものがあった。だが、あの頃の彼女の写真から、彼が今ほどの影を感じることはなかった。

 ジョルジアがここ数年撮り続け、彼女の名前を有名にしたのは、子供たちの笑顔の写真だった。鮮やかな色づかいの天然色、溢れる光の中で幸せに溢れる子供たち。草原の中で、アフリカの赤茶けた土の上で、一面の雪の前で、小さい子供たちが笑い転げる。

 優しい愛情に満ちた数々の写真は人氣を呼んで、『フォトグラフ・オブ・ザ・イヤー』の一般投票部門で入賞が狙えるほどの売り上げを記録した。もちろん弱小出版社である《アルファ・フォト・プレス》では、はじめての快挙だ。

 誰もが、ジョルジアのことを子供好きな幸せな女性だと思っている。子供は嫌いではないだろう。ジュリアンと話している時の微笑みや、敏感な息子が彼女にくっついて離れない様子、それにカメラを構える時の情熱を見ても、それを疑うような兆候はどこにもない。

 けれど、彼女の瞳には、いつもどこか諦めに似た哀しい光が宿っている。被写体の子供には微笑みかけても、両親には距離を持って立っている。幸せそうな恋人たちを見かける度に、判で押したように現れる固い微笑み。それは、自分には手に入れられないものに対する讃辞のように見える。

 一緒に仕事をしはじめた頃には、彼女のその憂いの意味が分からなかった。あの頃のジョルジアは、今よりももう少し髪が長く、有名になりはじめたアレッサンドラとの類似に氣がつく人も多かった。彼自身もそうだったが、彼女を通して美しい妹と知り合いになりたがる人は多かった。

 彼は、世界中の他の多くの男と同じく、手の届かない所にいるアレッサンドラに漠然と憧れていただけだったし、そのことでジョルジアを傷つけるつもりなど毛頭なかった。

 彼女は、ずっと静かに傷ついていた。子供から娘へと変わる過程で、妹との外見と内面の違いについて意識し、比較され、劣ると判断されることが繰り返された。そして服を着ている時には誰にも氣づかれない肉体のコンプレックスも彼女を僅かずつ蝕んだ。

 ベンジャミンが、友人だったジョンをジョルジアに紹介したのは、純粋に彼らが上手くいくと信じていたからだ。だが、彼は彼女を深く傷つけて去った。

「あんなおぞましいモノを見てまともにヤレる男なんていないさ」
ジョンの言葉は、未だにベンジャミンの耳に残っている。彼自身は、ジョルジアの脇腹にひろがる生まれつきの痣、そして、治療の失敗でもっとひどくなってしまった醜い肌を見たことはない。だから、愛が褪めてしまうほどひどいものなのか判断することはできない。

 ジョンはジョルジアにアレッサンドラを重ねあわせていただけだろう。そして、姉と妹が同一人物ではないことを確認しただけのつもりだったのかもしれない。だが、それで愛する男に捨てられたことは、彼女のトラウマになってしまった。

 それから彼女は、人づきあいが極端に悪くなった。仕事以外では外に出ない。パーティにも行かない。新しい友だちを作ろうともしない。有名な妹や、成功者である兄の棲む華やかな社交界から一切身を引き、マンハッタンを離れ、ロングビーチに引越した。

 二年ほど彼女は人物写真が撮れなかった。その後は決められた仕事では、割り切って人物を撮ることもできるようになった。が、写真集など彼女の作品としての被写体に大人を選ぶことはなく、動物や子供、もしくは自然や無機質なものにしかカメラを向けない。それも不必要に明るい色彩の晴れやかな写真ばかり。それがかえって彼の目には痛々しく映る。幸せに笑う、苦しみをまだ知らない子供たちとファインダーを隔てて対峙するジョルジア自身の心に落ちた影を感じる。光が強ければ強いほど、影も濃くなる。

 だから、あの写真を見たときは、本当に驚いた。

 暗室に貼られた、男の横顔。モノクロの柔らかい光の中に佇むその姿。他の人間が見たら、まったくジョルジアらしくないと思うだろう。だが、そうではないことを彼は感じた。それは、ベンジャミンが入っていくことのできない世界だった。音もなく、ただ陰影だけが存在していた。カメラを構えた者と、被写体との静かな時間。ジョルジアに何が起こったのかを、彼はその時にはもうわかっていたのだ。

 彼はネクタイを緩め、水を飲むためにキッチンへと向かった。いつものあたり前の夜だったが、我が家の光景はどこかが違って見えた。違っているのはキッチンではなくて、彼自身の心なのだと氣づく余裕はなかった。

 寝室へ行くと、スーザンはもうベッドにいた。アプリコット色のシルクのナイトドレスを身につけている。彼は、妻の月経周期のことを考えた。そうでなければ彼女が誘ってくることは全くなかったからだ。お互いに強い情熱がなくなった後も、求められた時には拒否をしないのが暗黙の了解のようになっていた。
「ねえ。どうかしら。私、ジュリアンを一人っ子にしたくないの」

 彼は、義務を果たすために、その氣になる努力をした。頭の中に、もう何年も前の男性写真誌の特集ページを飾った、アレッサンドラ・ダンジェロのなめらかな肌を思い浮かべた。シーツでわずかに前方を隠したその艶かしいポーズは、ベンジャミンだけでなくたくさんの男たちの想像をかき立てたことだろう。長い足、豊かな黄金の髪、形のいい唇を思い描いた。

 彼は、暗闇の中で、スーザンの声をしたアレッサンドラを堪能した。やがて、彼の女神は次第にメイクを落とし、小悪魔から憂いのある女へと変貌を遂げる。長く豊かな金髪は、ブルネットのショートヘアに変わっている。それが誰だか彼にはよくわかっている。彼は「彼のアレッサンドラ」と彼自身を絶頂に導いた。

 満足して、寝息を立てるスーザンの横で、彼は今日のジョルジアのことを考えていた。あの告白が、相当ショックだったんだな……。彼は、心の中でつぶやいた。会社のジョルジア専用となってしまっている暗室で、あの写真を発見した時に感じた落ち着かなさの意味が、今の彼にはよくわかっている。彼女の心を占めている他の誰かに対する、抑えられない怒りと妬み。

 君は、一度だって僕を撮りたいと言ってくれたことはないよな。僕は、いつだって君のファイダーの中には入れないんだ。

* * *


 ジョルジアは壁の前に立っていた。それは暗室を後にして帰る前の儀式となっていた。モノクロの写真が壁に貼ってある。佇む男の横顔。その瞳は、眼鏡を通してまっすぐに墓を見ている。振り向いて彼女を見てくれることはない。それでも、彼女は彼を見つめている。ゆっくりと視線で彼を覆う光と影をなぞっていく。その陰影は、彼女の心そのままだった。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れ様です。

はぁ、やっぱりそうですか。でも、それはないよな(笑)
なんかやたらとジョルジアのことを思い返しているなと思ったら、ベンったら、そんな悪い人だったんですね。ま、私としては、悪い人でもウエルカムですけど。
このお話って、なんか妙に納得というか、そういうことってあるんだよね、って思っちゃいました。これだからオトコは!って、ウチの子にも同類がいましたね(爆)
しかし、付き合った男はアレだわ、思いを寄せる男は朴念仁だわ、思いを寄せられる男は悪い人だわで、ジョルジアどれだけ男運がないんだろ。出雲大社にでもお参りに行った方がいいかも(笑)

ジョルジアが意識して撮っているカラフルで明るい写真と、思わず撮ってしまったモノクロのポートレート。その対比が鮮やかで、彼女の心のうちを表しているような気がしました。

次話、楽しみにしています。
2015.10.14 13:39 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

あはははは。「やっぱり」と「それはない」両方でしたか。ですよね。

ベンは、極悪人じゃないけれど、まあ、ね(笑)
これ、誰の立場で怒ればいいのか、微妙ですよね。
スーザンがかわいそう、なのか。それとも、家庭を壊すつもりもジョルジアにちょっかいを出すつもりもないので、いい旦那じゃんということなのか、子供がかわいそうなのか、というようなことは何もしていないから、それでいいのか。

でも、そうなんです。
なんか、「氣づいていなかったけれど、すぐ隣に優しくて自分だけを見つめてくれるぴったりの独身男性が待っていた」なんて、そんなに都合よくないじゃないですか、人生って。でも、本当に誰からも好かれないほどの極端な境遇ではない、その「よくあること」レベルを目指しました。それに、ここであっさり「すぐ近くの王子様とハッピーエンド」なんかになったら、お詫びにならないじゃないですか!

で、松江にいって、ああだったんですよ、ジョルジア。
縁結びにもなりゃしない(笑)

この二つの対比的な写真の撮り方は、この小説のサブテーマの象徴です。つまりこの対比が繰り返し出てきます。
そして、次回は、また妹溺愛の兄ちゃん、登場です。また読んでくださると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2015.10.14 20:45 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
おっと。今は旅行中ですね。
お体大切にしてくださいませ。
なにかと、旅行ではもらいますからね。

感情が写真に乗るのですかね。。。
私は写真は無機質なものと言う感じがありますけど。
あまりそういうわけでもなさそうだな・・・と
小説を読んでいるとそう思います。
無機質なものだったら、写真家なんてプロはいないか。
そう言った意味では、感情をのせて映し出すものはやっぱりプロの作品なのかな。

2015.10.16 13:01 | URL | #- [edit]
says...
ベンジャミン、やっぱりそうだったんですね。
仕事の関係上、親切にしてくれてるのかとも思ったけど、やっぱりねえ。

彼が独身ならば、もしかしたら問題は無かったし、ジョルジアともいい方向に行ったかもしれないのに。
いや・・・、それはないかな。

このあと、彼がどんなふうに関わってくるのかも、興味深いです^^

2015.10.17 04:18 | URL | #- [edit]
says...
あぁ・・・ベンにはファミリーがいたのですか、夕さん・・・
けど、心情複雑そうですね。

ジョルジアの事情も大分わかってきました。
わかってくると、ジョルジアの影の部分が濃く見えてきますね。
読者としては見ているだけしかできないのですが、またここからですね。
2015.10.18 04:02 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

返信遅くなりましてすみません。

よく旅行中に風邪を引くのですが、今回は大丈夫でした。
10℃近く暖かかったのですよ。
楽しんできました。

そして、作品の件ですけれど。
感情が映る、というよりは、その人が世界をどう見ているのかがわかるの方が近いかもしれませんね。
それが結果として、感情もわかってしまうということだと思います。

小説でも、同じ物を描写していても、全然違う世界になるのは、作者の考えや感情に影響を受けるからですよね。
そういうことだと思います。プロでも、アマでも。
ただ、プロの場合は、それでお金を頂くということがあるので、感情だけ写していればいいという問題ではないですけれど。

コメントありがとうございました。
2015.10.18 19:55 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

そうなんです。ファミリー付き。しかも、ジョルジア、名付け親。
ベンも、家庭を壊すつもりもなければ、ジョルジアにちょっかいを出すつもりもなさそうです。
以前コメント欄ちらりとお話ししましたが、確かに愛されているんだけれど、それじゃね……でした。

そして、そうなんです。
ここでベン視点を挟んだのは、一番近い他人から見てのジョルジア像を描写したかったからでもあります。
で、これで彼女の事情がはっきりしましたので、ここからどうなるのかが本題です。
彼女の恋も大切ではあるのですが、小説の主題はちょっと別のところにあります。

続きも読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。

2015.10.18 20:20 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

そうなんですよ。
もともとは、そんなんじゃなくてただの同僚だったんですが、自分が紹介した人とのことでそういうことが起こって、友達と絶交して、それだけじゃ足りなくて、熱心に面倒を看ているうちに(?)
でも、べつに、ちょっかい出している訳ではないし、名付け親頼んだりしたし、ジョルジアの方は全然氣がついていなかったりします。

結婚していなかったら、あ〜、とっくにちょっかい出しているかと。
これからも、詳しくは出てきませんけれど、ずっとスーザンとつき合っていて、結婚も決まっていて、その後にジョンとのことが起こって、自分の心は傾いていったけれど、なんか引き返せなかったってところでしょうか。で、今はもっと進んでいってしまったので、完全に、どうしようもなくなっていますね。

あ、彼も。ええと、はい。ですね(笑)
彼の心と裏腹な言動なんかもお楽しみください。

コメントありがとうございました。
2015.10.18 20:34 | URL | #9yMhI49k [edit]

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