scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】いつかは寄ってね

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

「十二ヶ月の歌」の九月分です。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。九月は石川さゆりの「ウイスキーがお好きでしょ」を基にした作品です。えっと、私と同世代以上の日本人なら絶対に知っているはずですが、若い方は知らないのかな? いや、ずいぶん後までコマーシャルやっていましたよね。

とはいえ、サビの部分しかご存じない方も多いかと思います。ま、さほど意味のある歌でもなく、コマーシャルの世界にインスパイアされて書いたので、歌詞を追わなくてもいいかと(笑)

お酒のお店がこれで私の小説世界では五件目になってしまいました。(他の四つは『dangerous liaison』、『Bacchus』、『お食事処 たかはし』、マリア=ニエヴェスのタブラオ『el sonido』)本人はそんなに飲ん兵衛じゃないのになあ……。

涼子のイメージは、ずばり石川さゆり。「夜のサーカス」が完結したら、「バッカスからの招待状」をStella連載用にしようと目論んでいるので、その布石のキャラ配置でございます(笑)


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いつかは寄ってね
Inspired from “ウイスキーがお好きでしょ” by 石川さゆり

「いらっしゃい」
涼子は引き戸の方に明るい声をかけた。

「おっ。ハッシー」
カウンターの西城がろれつのまわらぬ口調で叫ぶ。入ってきたばかりの橋本はほんの少し失望したような顔をした。

「こんばんは。涼子ママ。なんだよ、もう西城さんが出来上がっているんじゃないか」
「へへっ。今日は直帰だったんでね。一番乗り」
西城は涼子にでれでれと笑いかけた。

『でおにゅそす』は、東京は神田の目立たない路地にひっそりと立つ飲み屋で、ママと呼ばれている涼子一人で切り盛りをしている。店の広さときたら二坪程度でカウンター席しかない。五年ほど前に開店した時には、誰もが長く続かないだろうと思ったが、意外にも固定客がついている。この世知辛いご時世だから安泰とは言えないが、この業界の中では悪くはない経営状況だった。

 西城や橋本をはじめとする足繁く通う常連は、みな誰よりも涼子と親しくなろうと競い合っていた。そのほぼ八割方は既婚者だし、涼子もにっこり笑って相手をしているが特に誰とも深い仲になることもなかった。

「涼ちゃんだけだよ。どんな話でもニコニコと聴いてくれるのはさ。うちの嫁なんか、そういうグチグチしたことは聴きたくない、あんたは給料だけしっかり運んで来ればいいんだって……」
「うふふ。お子さんのお世話でイライラしていたんでしょうね。奥さま、本当は西城さんのことを大切に思っているわ。でも、吐き出してしまいたいことがあったら、いつでもここに来て言ってくれていいのよ」
涼子が微笑んでそういうと、西城はにやけて熱燗をもう一本注文した。負けてはならぬと、橋本も急いで飲みだす。

「単衣の季節かあ。まだ暑いだろう?」
橋本はおしぼりで汗を拭きながら、涼子の白地に赤やオレンジの楓を散らした小紋にちらりと目をやる。

「そうねぇ。でも、単衣を着られる時期って少ないから、着ないと損したみたいだし」
涼子は小紋の袖をそっと引いて、つきだしを橋本の前に出した。その動きは柔らかくて控えめだ。和服の似合う静かな美人だし、小さいとはいえ店を経営するんだから、誰かの後ろ盾があるに違いないと人は噂したが、この五年間にそれらしき男の影はどこにも見られなかった。

「なあ、ハッシー、知っているか。板前の源さん、入院したんだってさ」
西城が、赤い顔で話しかけた。源さんというのは、やはり『でおにゅそす』でよく会うメンバーの一人で、橋本とも旧知の仲だった。もともとはただの客なのだが、付けを払う代わりにカウンターの中に入り、つまみを用意することが多いので『でおにゅそす』の半従業員のようになっていた。

「え。どこが悪いのかい?」
「胆石ですって。先ほど、勤め先のお店の方がわざわざお見えになってね。しばらく来れないけれど、そういう事情だからって」
「へえ~。そうか。じゃあ、そんなに深刻な病状ではないんだね」
「ええ、不幸中の幸いね」

「でも、ってことは、涼子ママは困っているんじゃないの?」
「くすっ。そうね。源さんが作るほど美味しくないけれど、しばらくは私が作るので我慢してね」
そっと出てきたあさりの酒蒸しは優しいだしの香りがした。

「美味しいよ。でも、ママが困っているなら、何でも言ってくれよな。力になるからさ」
そういう橋本に西城も負けずと叫ぶ。
「俺っちだって、何でもするよ」

 涼子はにっこりと微笑んだ。

 自分で店をはじめていなければわからなかった人情というものがある。かつて一部上場の商社でOLをしていた頃、同僚が病欠をしたりすると「ち。この忙しいのに」という声が聞こえた。休んだ方はどちらにしても使いきれはしない有給休暇を使われてしまうことに納得のいかない顔をしたものだ。実際には涼子たちの仕事は他の誰かが代わりにできることで、それにどうしてもその日のうちに終わらせなくてはならないことでもなかった。仕事を休んでも月末には同じように給料が入ってきた。

 けれど、この店をはじめてから涼子には有休など寝言も同然の言葉になった。一日休めばそれだけ収入が減る。たまたまその日に来てくれたお客さんが二度と来なくなってしまう心配すらあった。自分一人では解決できないことを、義務ではなくて親切心から手を差し出してくれる人たちのことを知った。顔や身長や肩書きや年収ではなくて、氣っ風とハートと実用性こそが涼子を本当に助けてくれるのだった。

 思えば、考えてもいなかった世界に流れてきたと思う。あの商社に勤めていた頃は、この歳まで一人でいる可能性など露ほども考えていなかった。当時つき合っていたのは大手銀行に勤めるエリートで、他の多くの同僚たちのように結婚と同時に退職して家庭に入り、時々主婦同士で昼食会に行ったり買い物をしたりの浮ついた未来が用意されていると信じていた。実際に、彼はそんな未来を涼子に用意しようと考えていたのだ。

「ねえ。涼子ママはこんなにきれいなのに、どうして一人なの?」
橋本がほんのり赤くなりながら訊いてくる。

「おい、ハッシー、野暮なことを訊くなよ。誰かいい人が居るに決まってんじゃん」
西城が口を尖らせる。

 涼子はそっと笑った。
「あのね。昔ね、運命の人に出会ってしまったの。どうしても結ばれることのできない人で、だからあきらめるしかなかったの」

 涼子がそういうと、二人とも肩をすくめた。全く信じていないのがわかった。涼子がそんな風にはぐらかしたのははじめてではなくて、パトロンの存在を匂わせると固定客が減るからだろうと勝手に解釈していた。

 本当のことなのにね。

 姉の紀代子が連れてきた男の職業に、父親は激怒した。母親も眉をひそめて涼子に囁いた。
「何も水商売の男性を選ばなくてもねぇ」
「カタギじゃないの?」
涼子が仕事から帰って来た時には、挨拶に来たその青年はもう帰っていて、どんな職業か興味津々だった。

「バーテンですって」
「へえ」
「挨拶だけして、これから開店だからってさっさと帰っちゃったのよ」
「お姉ちゃんは?」
「彼を手伝うって大手町に行っちゃった」

 涼子は優等生だった姉が、両親の許しが得られないまま彼と暮らしはじめたことに驚いた。そして、「関わるな」と言われたにも拘らず好奇心でいっぱいになって、会社帰りに大手町にあるというそのバーに足を運んだ。

 『Bacchus』は小さいながらも味のあるしゃれたバーで、姉の選んだ男性はそのバーを一人で切り盛りしていた。繁華街から離れたオフィスビルの地下にあり隠れ家のような静かな店で、センスのいいジャズががかかっていた。涼子がぎこちなく店を見回していると微かに笑って「何が飲みたい?」と訊いた。

 子供だと思っているんだ、そう思った涼子はちょっとムッとした。
「ウィスキーください」
飲めもしないのに、どうしようかなあと思っていると、すっとロングドリンクが出てきた。時間と秘密を溶かし込んだような深いウィスキーの味わいはそのままに、夢みがちな少女時代の憧れにも似た軽い炭酸水をそっと加えたウィスキーソーダだった。添えられたミントの葉が妙にピンと立って見えた。背伸びをしている未来の義理の妹への最初の挨拶だった。

 紀代子は後からやってきた。涼子は邪魔をしないようにそっとカウンターの端に座って眺めた。時おりそっと二人で微笑みあっていた。とてもお似合いだった。その晩に涼子は田中佑二のことをすっかり氣にいってしまったのだ。

 両親に認めてもらえなかった分、涼子が味方をしてくれたのが嬉しかったのだろう、二人は涼子をよく『Bacchus』に呼び、三人でいろいろな話をすることが多くなった。カウンターの端からゆっくりと眺めていると、佑二はそっと客たちに話しかけていた。社交辞令や上っ面の挨拶ではなく、一人一人に違った言葉で話しかけていた。哀しく酔っている客もいたし、楽しそうに報告をする客もいた。答えを探し自分の心の奥を探っている男。仕事の失敗を嘆く青年。逢えなくなった孫たちのことを想う老婦人。恋人に去られた娘。それぞれの人生に短い言葉や優しい相槌で答えながら、キラキラと氷が光を反射するグラスをそっと差し出す姿。涼子は姉の男性を見る目に感心した。

 そして、涼子のつき合っていた「大手銀行くん」がクリスマスイヴにシティホテルを予約して、薔薇の花束とカルチェの指輪でプロポーズをしてきた。つい先日発売された雑誌の「クリスマスデート特集」の表紙から数えて3ページ目「ケース1」と、ホテルの選択からプレゼントまで全て一致していた。彼は涼子が知らないと思っていたのかもしれないが。急に醒めていくのがわかった。彼は仕事でどれだけの金額の取引に関わったか、ハネムーンはハワイに行ってできれば最新のロレックスを買いたいというような話題を、涼子の反応もまったく意に介せずに話し続けていた。

 当時はバブルがはじけて間もない頃だった。彼の勤めていた銀行が統合されてなくなってしまうなんて事は誰も考えていなかった。とても浮わついていた時代でもあったのだ。涼子はよく考えてからプレゼントを返し、進もうとしていた道から引き返した。

 でも、涼子にとって悲劇だったのは、「大手銀行くん」以外のプロポーズしてくれる男と出会えなかったことではない。涼子にはわかっていたのだ。一緒に人生を過ごしたい男性は、姉と人生をともにしようとしていることを。
 
 あれからいろいろなことがあった。紀代子と佑二の間に何があったか涼子は知らされていなかった。両親に祝福されない関係、昼と夜の逆転した生活に疲れていたのは知っていた。でも、少なくとも最後にあった時に、姉は恋人のもとを去ろうとしているような氣配は全く見せなかった。ましてや、失踪したまま仲の良かった妹にも居所を知らせないままになるなんてことを予想することはできなかった。佑二が紀代子を心配して必死で探していたことは間違いない。もちろん両親や涼子も。一度だけカリフォルニアからハガキが来た。消印は姉が居なくなってから二週間ほど後で、姉の筆跡でわがままを許してほしい、探さないでほしいということが書かれていた。両親にも佑二にも謝罪の言葉はなかった。

 それから二十年近くが経った。佑二はいまだに大手町の『Bacchus』で同じように働いている。彼の受けた傷と、涼子の両親との間に起った不愉快ないざこざのあと、涼子は『Bacchus』に以前のように行くことができなくなってしまった。

 『でおにゅそす』を開店する時に、涼子は知人一同に挨拶状を送った。よりにもよって水商売をはじめたと激怒した両親はもちろん、商社時代の知人たちからもことごとく無視されたが、開店の日に佑二は見事なフラワーアレンジメントを贈ってくれた。深いワインカラーの薔薇をメインにした秋の饗宴だった。

 『Bacchus』にちなんで『でおにゅそす』と名付けたことも、姉のことがあってもまだ好意を持ち続けていることも、きっと伝わったのだと思った。それでいいわよね、今は。

「涼子ママの好きな人さ。この店に来るのかな」
橋本は、誰が恋人もしくはパトロンなんだろうと、頭を働かせているようだった。

 そりゃあ、来ないでしょうね。私が店を開けている時には、あの人も開店中。でも、いつかはこのカウンターに座ってくれないかな。そうしたら、私が作れるようになったことを教えてあげるから。佑二さんが私のために出してくれたあの絶妙のウィスキーソーダを。

(初出:2013年9月 書き下ろし)


追記


で、一応動画を貼付けてみました。この曲です。
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