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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (12)セウタ、 アフリカ大陸 -1-

ジブラルタル海峡を越えるフェリーは、とてもヨーロッパからアフリカに渡っているようには思えない氣軽な乗り物です。もっと物々しいのかと思っていたので、拍子抜けした記憶があります。セウタはこじんまりとした素敵な街でした。今回も前編、後編に分けています。後編は明日。
あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(12)セウタ、 アフリカ大陸 前編


「あ、見える」
本当に海の彼方にうっすらと大陸の片鱗が見えた。あそこはもうアフリカなのだ。レネははしゃいだ。はじめてのアフリカなのだ。

「本当に近いのねぇ」
蝶子も感慨深げに頷いた。アルヘシラスでバスを降りた。大きな看板に従えば、アフリカ行きの船の乗り場はすぐにたどり着けた。チケットを買って、係員に案内されるともう船に乗れた。あっけないほどだった。

「ほら。そこに見えているのがジブラルタルだ」
船が出港してすぐにヴィルが隣に見えている半島を指差した。

「へえ。あそこからは船は出ていないのか?あっちの方が近かったじゃないか」
稔が訊く。

「あそこはイギリスですからねぇ。スペインからスペインに行く方が何にせよ簡単なんじゃないですか?」
レネが答えた。

「そうか。ジブラルタルって未だにイギリスなんだ」
「周り中スペインで、あそこだけイギリスなんて変な感じね」
蝶子も言った。日本人の二人には、地理上の国と国家としての国というものは一致しているという感覚があった。しかし、世界には、地理的に明らかにある国の一部でも歴史と政治の事情からぽつんと存在する外国があるのだ。いま目にしているのは、そういう『事情のある外国』だった。

「テデスコもブラン・ベックも、ヨーロッパ全般の地理や歴史に詳しいわよねぇ。私、学校で眠っていたのかしら」
蝶子はため息をついた。

「学校で習ったんじゃない。ヨーロッパのことは自然に覚えるさ。俺は極東のことはほとんど知らない」
ヴィルは静かに言った。レネも首を縦に振って同意した。

「スイスのモルコテのことも知っていたし、もしかして、テデスコはこれまでもたくさん旅行していたの?」
蝶子は訊いた。ヴィルは頷いた。

 ヴィルはフルートをやめてから、堰を切ったように旅行をしまくった。週末にスイスやオーストリアに行ったり、休暇でマルタや東欧、ギリシャやトルコにも行った。遠くへ行くことのできるどんな乗り物も好きだった。新しい土地を訪れるのも刺激的だった。レッスンを休んだことをなじられることもなく、窮屈な家庭に戻る必要がないのも嬉しかった。

 道連れはいなくて、いつも一人だった。誰かと行くのが嫌だったというわけではないが、そういう関係の友情を築いたことがなかった。いつも一人だったので、誰かと行くことなど考えたこともなかった。

 Artistas callejerosの仲間たちと訪れた土地の多くは、既に一度は来たことがあった。だが、それは全く別の経験だった。最初は、大道芸に有利だから一緒にいた三人だった。蝶子が誰だかわかったので、自分の正体を隠してメンバーに加わったArtistas callejerosだったが、もはや当初の目的はどうでもよくなってしまっていた。一緒に仕事をし、寝食を共にし、それから日常を楽しむ。その関係はヴィルが予想もしていない近さだった。旅で目にするもの、口にするものは、一人の時と全く違っていた。体験もまた、仲間とは切り離せないものになっていた。

「アルヘシラスにも来たことがある。ただ、同じものを見て、同じ空氣を吸っているはずなのに全く違うな。道連れがいるっていうのは、悪くない」

「特に食事の時はそうよね」
蝶子がとても嬉しそうに微笑むと、稔が混ぜっ返した。
「お前がいうのは、酒を飲む時って意味だろ」

「リボルノで誘ってもらえた時は、本当に嬉しかったですねぇ」
レネが感慨深げに言った。

「俺たち、全員がもともとは一人旅していたんだもんな」
稔も頷いた。

「あまり協調性なさそうなメンバーばかりなのにねぇ」
もっとも協調性のない蝶子がそういったので、みな笑った。



船は、ぐんぐん進み、あっという間にヨーロッパよりもアフリカ大陸が近くなった。そして、やがてセウタの港が見えて来た。

「ここがアフリカだとは信じられないな」
港を見回して稔が言った。

「そうね。なぜかしら?」
蝶子は少し考えて、やがて思い当たった。
「白人ばっかりじゃない」

「モロッコやその他の国から、移民が簡単に入ってこないように厳重に国境管理をしているんだ」
ヴィルが事情を説明した。

 それはスペインよりも、もっとヨーロッパ的な町だった。表示がスペイン語で町のあちこちにバルがあるので、やはりスペインなのだと思う。けれど清潔で静かだ。ほかのアンダルシアの町のように、大きなヤシの木が南国らしい軽やかさを醸し出している。しかし、道ばたにプラスティックの買い物袋や缶が打ち捨てられているようなことがなかった。

 坂を上って市街に入ると、植民地時代の建物が建っている。パラドールになっているホテルがあり、その真ん前は大聖堂だった。もう少し町中に入っていくと、細い道が少しだけ迷路のように奥へ導き、そこにはいくつかの安宿が存在した。

「あら、見て。あんなところに中華料理店があるわよ」
「本当だ。中国人って、こんなところまでやってきてたくましく商売するんだなあ」
蝶子と稔が感心して見ていた。

「たまにはアジアの食事がいいんじゃないですか?」
レネが訊いた。蝶子と稔は顔を見合わせた。

「米か。もうどのくらい食っていないかなあ」
「そういわれると、長いこと食べていないわよねぇ」

 それを聞いて、ヴィルとレネはさっさとそのレストランに足を向けた。日本人二人は苦笑しながら彼らに続いた。

「ねえ。事情は別として、日本そのものには全くホームシックはないの?」
チャーハンをよそいながら、蝶子が稔に訊いた。

「あるさ。家族に対するホームシックもあるけれど、それとは全く関係なく日本的なものに突然たまらなくなることがある。発作みたいなもんかな。心臓がきゅっとつかまれるっていうか。でも、発作だから、しばらくすると治まっちゃうけどな。お蝶、お前は?」
稔は青島ビールを注ぎながら訊き返した。 

「そうね。そういうことってあるわよね。例えば、蝉の声とか、入道雲なんかに弱いわ」

「いつかは日本に帰りたいと思っているんですか?」
レネがとても心配そうに訊いた。

 蝶子は黙り込み、稔はしばらく考えてから答えた。
「難しい質問だな。今は帰りたいなんてことは全く思わないけれど、老人になった時にヨーロッパに俺の居場所があるのかなと思うこともある」

「そうね。でも、そうなったら日本にも居場所がなくなっているのかもしれないわね」
蝶子は遠い目をした。

「でも、そんな先の話はともかくさ。俺、早いうちに日本に連絡を取らなくちゃいけないんだよな」

「どうしてですか?」
「ほら、前にも言ったけど、俺そろそろパスポートを更新しなくちゃいけないんだ」

「あら、じゃあ、私も一緒にやってしまうわ。バルセロナには日本領事館があるもの、マラガの仕事が終わったらバルセロナに行って手続きしましょうよ」

「問題は戸籍謄本なんだよ。どうやって取得して、どこで受け取るかだよな」
「受け取るのは、やっぱりカルちゃんに頼んでコルタドの館に送らせてもらうのが現実的じゃない?」
「OK。だけど日本では誰に頼めばいいんだ?」

 蝶子は考えこんでいた。稔が失踪中で家族に連絡をしたくない上、蝶子も親や妹とは連絡したくなかった。

「マドモワゼル・マヤはどうですか?」
レネが訊いた。Artistas callejerosが訪れたすべての町から葉書を受け取っている真耶のことを、レネは蝶子の大親友だと思っているのだ。そうでないことを知っている稔と蝶子は、真耶に頼むことなど全く考えてもおらず、そのアイデアに驚いて顔を見合わせた。

「そのくらいなら、頼んでもいいか?電話してみるか」
「そうね。でも、その前にある程度の事情を説明した手紙を書くことにするわ。彼女はすべてを分かっているわけじゃないんだもの」
そういって、蝶子はチリソースのかかった最後の車エビを稔の目前でかっさらった。

「おいっ。トカゲ女。それは俺が狙っていたエビだぞ」
「うかうかしている方が悪いのよ」

「箸を使っていると、僕たち不利ですよ」
レネがふくれっ面をした。

「でも、テデスコはけっこう箸使い上手いじゃないか」
稔が指摘した。

「いまや、ヨーロッパ中にアジアの店はあるからな。箸を使う機会も多くなった。だが、あんたたちとエビを奪い合うようなレベルにはとても達しないだろうな」
ヴィルはどちらかというと食べるよりもビールを飲む方に興味があるようだった。

「ねぇ。ここから、モロッコにも行けるんでしょう?滞在中に一度行ってみない?」
蝶子は焼きそばを注文してから言った。

「一番簡単なのはツアーに申し込むことだ。ヴィザやら、向こうでの交通やら、面倒なことをみんな省けるからな。長く滞在するつもりなら個人で行く方がいいが」
ヴィルがいうと、稔がもう一本ビールを頼んでから訊いた。
「一日で帰ってくるようなツアーもあるのかな」

「ある。ツアーの数が多いのは、日帰り、二泊、一週間ってところじゃないか」

「明日にでも、旅行会社で申し込んできませんか」
レネも嬉しそうに言った。
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Tag : 小説 連載小説

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