scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (6)ミュンヘン、鍵盤 -2-

「大道芸人たち Artistas callejeros 第2部」のチャプター1の最終回です。これから、またしばらく間が空きますが、Artistas callejerosの現状はこんな感じです。これまで、色々な外伝で登場させた(日本へ行ったりしている)彼らは、ただの大道芸人ではなくなっていました。

さて、チャプター1のラストシーンです。プロモーション動画で使った言葉の一つがここで使われています。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(6)ミュンヘン、鍵盤 -2-


 ミラノで会った時、蝶子たちはすでにArtistas callejerosとして一つの集団になっていた。にも関わらず、ヴィルはいつもの疎外感を感じなかった。

 学校で、エッシェンドルフの館で、劇団『カーター・マレーシュ』で、はじめて何かの集団に入っていく時、ヴィルはいつも複数の人間による関係性の出来上がった集団とそれに対峙する一人の自分という立ち位置を意識させられた。

 だが、Artistas callejerosはまだ出来上がっていなかった。しかも性格のまったく違う日本人二人とフランス人という妙な構成員で、やっていることもバラバラだった。彼らはヴィルに対して集団としてではなく、ただの個人として対峙した。そして、集団として語る時には、はじめからヴィルも含めていた。

 一枚の絵はがきが回ってきて、それぞれが何かを書いていた。自分がそれに加わるとは夢にも思っていなかったのに、蝶子は当然のようにそれをヴィルにも書かせた。

「いつもみんなで書いているんだもの」
コーヒースプーンを振り回しながらそう言った蝶子の姿をヴィルは今でもはっきりと思い出す事が出来る。

 自分が誰かを隠したまま、蝶子に冷たくつっかかっていた自分を、彼女はすでに仲間だと認めていてくれた。稔やレネもそうだった。これほど居心地のいい場所はなかった。すきま風の吹くドミトリーに泊まろうと、真夏の蒸し暑い日にドウランや化繊の衣装がどれだけ不快であろうと、ミュンヘンやアウグスブルグに戻りたいと考えた事はなかった。

 お互いの事が少しずつわかるにつれ、ヴィルはなぜ三人がこれほど心地いい仲間でいるのか理解できた。彼らは誰もが属していた社会から逃げ出してきたアウトローだった。心の痛みをよく知っていた。人の痛みに敏感だった。

 父親の死によって自分の境遇が大きく変わった時に、人々の態度は大きく変わった。とるに足らない私生児と見下してきた上流社会の人々も、父親への忠誠から距離を持っていた使用人たちも、口もきいてくれようとしなかった学校の同級生たちも、ヴィルに対して好意的な態度に変わった。劇団の仲間たちは、少しだけ距離を置いた物言いになった。

 けれど、三人だけはまったく変わらなかった。エッシェンドルフ教授の息子だとわかった時にも、三人はまったく態度を変えなかった。だから、これからも変わらないだろう。ヴィルは三人と一緒に幸せになりたかった。降ってわいた幸運を等しく分かち合いたかった。

 稔とレネは時間があると英国庭園に行って稼いでいた。そして帰りに大量のビールやワインを買ってきた。

 エッシェンドルフの領主として、ヴィルは三人に二度と大道芸をしなくてもいいと言う事も出来た。だが、稔やレネだけでなく蝶子もまた、エッシェンドルフの居候として怠惰な生活を送りたいという氣持ちはなかった。ヴィルは彼らの意思を尊重したかった。

 それに、ゆっくりはしていられない。そろそろアヴィニヨンに手伝いにいかなくてはならない。それが終わればコモの仕事もある。ヴィルはロッティガー弁護士と秘書のマイヤーホフと連日のように打ち合わせをし、領地の管理や相続の手続きを進め、自分が不在になる間の準備を進めた。蝶子は、葬儀の片付けや残った礼状の発送をし、ミュラーやマリアンとも話し合って家内の今後の事について取り決めをした。

* * *

 長い事離れていたとはいえヴィルはコンクールで優勝するほどのフルートの腕前であり、さらに男爵家を相続した名士でもある。相続の話を聞きつけた教授の年若い弟子からは、教授の代わりにレッスンを見てくれないかという話が次々と持ち込まれた。ヴィルは丁寧に断ったが、マイヤーホフは不満だった。

「アーデルベルト様、大道芸の方はおやめになって、ここで落ち着かれるおつもりはありませんか」
マイヤーホフはためらいがちに訊いた。あの変な日本人やフランス人と手を切ればいいのに、という期待も混じった質問であった。

「あんたは職を失わなければ、それでよかったんじゃないのか?」
「私のためではなくて、あなたの事を言っているのです。ふさわしい暮らしに戻られる頃ではありませんか」

「俺はもともとあんたよりずっと下の出自なんだ。ヤスやブラン・ベックと一緒に大道芸をしている方がずっとふさわしく感じるよ」
「あなたは、彼らとは一緒ではありません。ご自分が一番よくご存知のはずです」

 ヴィルは首を振った。
「あんたが言っているのは、社交マナーや立ち居振る舞いの事だろう。俺が親父にいろいろ叩き込まれたから。俺が言っているのは外側の事じゃないんだ」

 マイヤーホフはそれ以上の事を言わなかった。

 アーデルベルトに関しては、今は亡きエッシェンドルフ教授とマイヤーホフの意見は完全に一致していた。あの怪我の後、アーデルベルトが大人しく館に戻ったことは誠に好ましかった。教授の跡継ぎとして腹を決め、上流階級の娘と結婚してこのエッシェンドルフを引き継いでいく事こそ、完璧な外見と立ち居振る舞い、そして豊かな芸術性を持つこの青年にふさわしい事と思っていた。

 しかし、彼は父親と使用人たちを見事に欺き、再び逃げ出しただけでなく、マイヤーホフがどうしても教授の執心を快く思えなかったあの東洋の魔性の女と結婚してしまった。

 今、アーデルベルトが新しい領主としてこの館に君臨する事は大歓迎だったが、彼の妻も、残りの変な大道芸人もできればいなくなってほしいというのがマイヤーホフの密かな願いだった。

* * *

「ヴィル」
蝶子が呼んだ。その呼び名は、長いこと彼のものではなく、子供の頃にもそう呼ばれた記憶もなかった。にもかかわらず、現在の彼には最も自分に近かった。

 彼が生まれた時、父親はその存在を無視した。それで彼はヴィルフリード・シュトルツとして洗礼を受けた。しかし、マルガレーテ・シュトルツは諦めなかった。DNA鑑定の末、真の息子だという事実を突きつけられたハインリヒ・フォン・エッシェンドルフ男爵は、彼の名前を訂正させ、もう少しまともなファーストネームを登録させた。それ以来、誰もが彼をアーデルベルト・フォン・エッシェンドルフと呼んできた。名前を与えた母親までもがセカンドネームに成り下がったヴィルフリードの名を忘却の彼方に押しやった。

 彼がはじめてヴィルフリード・シュトルツと名乗ったのは、劇団『カーター・マレーシュ』に入団する時だった。本名があまりにも大仰すぎて、出自がすぐにわかってしまうからだった。劇団員たちがいつの間にか使いだしたヴィルという愛称は、当時の彼にはずっと馴染みがなかったが、アーデルベルトではないという事実だけが彼には好ましかった。

 ミラノで蝶子たちに会った時に、迷わずこの仮の名前を使ったのは、もちろん蝶子に自分がアーデルベルトである事を悟らせないためであった。だが、旅の間に各地で名乗る度に、蝶子が親しみを込めて呼ぶ度に、この名前はより自分に近くなった。アーデルベルトはほとんど消えかけていた。

 ミュンヘンに戻った事で、アーデルベルトとしての社会性が再び現実のものになった。けれど、この二つはもはや相反するものでもなければ、どちらかだけが現実であるわけでもなかった。アーデルベルトという立派な背広を身に着けた、裸の魂がヴィルだった。

「マリアンとの打ち合わせは、終わったか」
ヴィルは蝶子に話しかけた。

「ええ、いつでも出かけられるわ」
アヴィニヨンに旅立つために今夜は荷造りが必要だったが、旅慣れた四人には大した時間は必要なかった。蝶子は、窓辺に立つヴィルのもとに歩み寄り、一緒に窓からミュンヘンの街並を眺めた。

「この風景を、あなたと眺めるなんてね」
蝶子の髪が風で踊っている。

 ヴィルは不意にロンダの橋の上で、蝶子の横顔を見つめたときの事を思い出した。彼女が父親とミュンヘンの事を思い出しているのではないかと心を痛めたときの事を。

「不思議だな。運命ってやつは」

 蝶子は、ヴィルの肩に頭を載せた。言葉による答えは必要なかった。孤独の中で同じ光景を眺めた二人は、いま家族としてここに立っている。ここは恐れるべき場所でもなく、戻ってくるべき家になった。旅立つ目的は逃走ではなくなった。

 明日からのしばらくの不在の前に、もう一度あのピアノを弾いていこう。ヴィルは蝶子と一緒にサロンへと向かった。
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 2)
  0 trackback
Category : 小説・大道芸人たち 2
Tag : 小説

Comment

says...
Artistas callejerosの4人は暫しの休息中ですね。
エッシェンドルフ教授が亡くなって急激な環境の変化が起こったときはどうなることかと思いましたが、なんとか安息の時間に入ったようです。
しかも4人とも変わらないまま。嬉しいですね。
“アーデルベルトという立派な背広を身に着けた、裸の魂がヴィル”
ヴィルの立ち位置の認識、気持ちの変化がとても良くわかりました。
マイヤーホフ氏の気持ちはもっともだとは思いますが、我慢して仕えてもらいましょう。
こういうバックグランドがあってこその日本訪問だったということかな。

あ、ちょっとだけロンダが出てきましたね。第一部のロンダを読み返して、こんな展開だったっけ?状態になっていまが、良い町ですよね。その時はストーリーの背景として読んでいましたが、実際に行ってみるとまた違った読み方になりますね。面白いです。
今サキはロンダの町をモチーフに書いています。
近日発表ですのでお楽しみに。

4人の新たな旅立ちを楽しみに待っています。
ここからどう展開させるんだろう?
2016.11.03 06:32 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

チャプター1は起承転結の起の部分なので、あまり大きな展開はないのですね。Artistas callejerosは、まずは新環境に慣れていくところで終わります。

ヴィルは、ああいうキャラなので、説明がないとわかりにくいのですが、今回はその辺を少し補足してみました。
マイヤーホフは第一部ではちょろっと出て来ただけですが、第二部ではかなり重要な立ち位置なのです。彼にも注目してみてくださいね。

ロンダは第一部ではとても大事なシーンの舞台に使っていたのですよ。っていうか、私の好きな街がことごとく出て来ていますね。

またしばらく空きますが頑張って残りを完成させますのでまた読んでくださると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2016.11.03 12:12 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
更新、お疲れ様でした。

アーデルベルト・フォン・エッシェンドルフという「重い」名前を背負ってしまったがゆえに、あちらこちらで正体を隠すしかなかったヴィルの心情が、『これほど居心地のいい場所はなかった』の一文ですごく感じられます。
蝶子と結ばれたことはもちろん、Artistas callejerosに入れたことが、ヴィルにとってはかけがえのないことであるのは間違いないですね。

昔は気ままな旅をしていたはずの面々ですけど、あちこちにいろいろな関係というか、しがらみというか、とにかく根っこみたいなものができてしまいましたね。彼等が「居場所」を得ていくことが、はたして彼等自身にとって良いことなのか。そのあたりも、今後の楽しみです。

ところで、今回のお話でなんだか、マイヤーホフさんラスボス感がプンプンと……いや、気のせいですね、きっと(笑)
2016.11.04 11:17 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

上流社会はもちろんのこと、一般の社会にも馴染めなかったヴィルは、これまでどこにも居場所がなかったんですよね。
それだからこそ、誰になんと言われようと揺らがないものもあるんですが。

まあ、いいことばかりではないことは、予想いただいた通りで、かといってこの選択が失敗だったと言うほどのことでもないんですけれどね。

ヨーゼフですか?
ラスボスだなんて、ははは、いやだなー(笑)
そんな大物じゃないですって。
と、誤魔化してみたりして。

コメントありがとうございました。
2016.11.04 11:49 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
名前って重いですよね~~。役職とも言えばいいんですかね。責任がまとわりつく名前は重いですよね。。。最近、よく感じます。
個人的な話になりますが、私も実家の家を継ぐようになると思うのですが、それが重いと感じるときもあります。別に名家でもなんでもないのですが。
それでも重いと感じるときがある今日この頃。。。
それだけ親って重いですよね~~。
2016.11.04 13:02 | URL | #- [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

おお、蓮さんは、名のあるお家の方なのですね。
継ぐお家があると責任があって大変ですが、大切なことですものね。

継いでくださる蓮さんの存在にご家族はきっと安心していらっしゃるでしょうね。

コメントありがとうございました。
2016.11.05 00:46 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
言葉尻からなんとなく高みに居る感があったヴィルだけど、実際は彼も居場所を求めていたのでしょうね。
Artistas callejerosに出会って初めてそのことを痛感したのかも。
でも自分のキャラを崩さずに付き合ったのは彼らしい^^
3人は、ヴィルの内面をちゃんと認めて受け入れて、その上で尊敬し、仲間として認めたんだろうな。
家の事情が有ったところで、彼らはやっぱり仲間。
ヴィルがこの関係性を保とうと決めてくれてよかったです^^
ここからどんな動きを見せるのか。
たのしみにしています~。
2016.11.06 05:15 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
こんばんは。
そうなんです。もう少し公開してもいいんですけれど、その後どのくらい空くか読めないので、一応このまま公開しなくても読者のストレスは溜まらないだろうというところで一旦止めます。早く続きを書いて再開しなくちゃ。

ヴィルは確かに「あんた何様」と言いたくなるようなものの言い方をしていますね。
割とドイツ人には多いタイプですが、特にこの人はアレですな(笑)
誰一人自分を変えずに、でも相手も変えようとせずに付き合うから、全員の居心地がいいのかもしれないなと思います。

この後も四人の関係はほとんど変わりませんが、取り巻く環境は少しずつ変化していきます。
再開後もまた読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2016.11.06 15:26 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ここで一区切りなのですね。
寂しいですが再開お待ちしてます。

ヴィルは言葉少なですしポーカーフェイスですから
Artistas callejerosの面々と接するときの心情って
文章の隙間から手繰り寄せるしかなかったんですけれど、
今回かなり具体的に語られていて、自分が思っていた通りでもあったし
自分が見落としていたこともいろいろわかって感慨深かったです。
あ、前々から伝えようと思ってたんですが「アーデルベルト」って名前
すごい好きだったんですよ。響きがすごい好みで。
そういう「重い」背景があったとは。
サキさんも仰られていましたが
『アーデルベルトという立派な背広を身に着けた、裸の魂がヴィルだった。』
が端的にヴィルとアーデルベルとの立ち位置を指し示していると思いました。
マイヤーホフさんは重要な立ち位置になってくるとのことでしたが、
彼は彼なりの信念(思惑?)に従って行動してるのでしょうね。
今回はちょい悪役風味でしたが。
彼の行方からも目が離せません。

それぞれの問題は別のところにあるとの前回のコメント返信のお言葉でしたが、
これまでアウトローで自由に活動していた彼等が、「社会性」とか現実と対峙
する時がきたのかもしれませんね。こちらも、どうなるのか興味が尽きません。
2016.11.06 23:59 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。
どうもちゃんと出来上がっていないものを、見切り発車で連載する根性がないみたいなんですね。
途中で大きな穴を開けるよりは、きりが良くてこれで先がなくても「まあ、いいか」と思ってもらえるところまでで止めたくなるんです。

そして、ヴィルは少しわかりにくいですよね。
他の人は、基本的に外からの描写で、だいたい分かるんですが、こいつだけは時々解説しないと(笑)

アーデルベルトは、少し大仰な名前ですね。
トーマスやマルクスなどのどこにでもある名前と違いますし、さらにゲルマン系の硬い名前です。
ま、ヴィルフリードもゲルマンですが。
日本語でも花子と麗華ではイメージが違いますよね。
キャラの名前って、単なる自分の好みだけでなく、
そういうことを表すのも、大事かなと思っています。

ヨーゼフ・マイヤーホフは、四人と同世代ですし、立場が秘書なので教授とは違った形で絡んでくることになります。
まあ、蝶子の味方からすると悪役っぽいかも(笑)
まあ、ゆっくりお楽しみください。(何を?)

お互いに対する想いや絆は全く揺るがない四人ですが、社会的状況などはやはりそうは言ってもいつまでもあんなことはして入られませんよね。
そんな葛藤をはらんだ四人の物語。なんとかラストまで買いたいと思っています。もう少々お待ちくださいね。

コメントありがとうございました。
2016.11.07 15:02 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する

Trackback

trackbackURL:https://yaotomeyu.blog.fc2.com/tb.php/1344-9ea92920