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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (13)セビリヤ、 蛇 - 2 -

セビリヤ編の二回目です。私はセビリヤには二回行きました。一度は旦那と、もう一度は母と。電車で行くのとバイクで行くのでは、見るものも違ってきます。季節も全く違うので別の街に行ったようでした。個人的にはあまり暑すぎない季節に行くのが好きです。

あらすじと登場人物
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大道芸人たち Artistas callejeros
(13)セビリヤ、 蛇  中編



氣温もかなり上がってきて、二月の終わりだというのに二十度近くあった。青い空とヒラルダの塔をバックにたわわに実るオレンジの木が南国であることを実感させてくれる。アンダルシアはもう春なのだ。大聖堂の近くはにぎわっていて、なかなか稼ぎがいがあった。

「マリポーサ!」
一休みしていると、カルロスの声がした。

「カルちゃん! 早かったじゃない。まだ午前中よ」
「一本、飛行機を早めたんですよ。会議は午後からですが、その前にあなたたちを捕まえたくてね」

「あんた、嫁に会ったのか?」
稔が訊いた。

「前妻です」
カルロスが訂正した。それから、首を振った。
「まだですよ。別に会いたくもないんですが。あなたたちは、午後もここで稼ぐんですか?」

「そうするつもりよ。カルちゃんの会議が終わったら、どこかで合流する?」
「そうですね。ここか、この辺りの店にいてください。私のよく行くタブラオを予約しておきます」

去っていくカルロスの後ろ姿を見ながら、稔はつぶやいた。
「コブラはまだ未練があるっていってなかったか?」

「会うと、ぼうっとなっちゃうんじゃないんですか」
レネが言った。

「ブラン・ベックが言うと説得力あるわね」
蝶子が笑った。コブラとトカゲを並べたら、ギョロ目はどっちを崇拝するんだろう。稔はそのシーンを思い浮かべてニヤついた。


そのタブラオには、もちろん観光客がいた。しかし、バスで大挙して押し寄せるような観光客ずれはしていなかった。それで、カルロスは外国からの客をセビリヤで接待する時にはよくここを使うのだった。ダンサーの元締めのマリア=ニエヴェスは六十五歳になるダンサーとしては盛りの過ぎたヒターナ(ジプシー女)だが、眼力と腕の動きだけは、若いダンサーが束になっても敵わない。実生活では、ジプシーたちの大いなる母として機能し、女としてはもちろん未だに現役だった。若かりし頃のカルロスに女の愉しみ方を教えたのもこの女だった。

カルロスがエスメラルダと婚約してこのタブラオにつれてきた時に、マリア=ニエヴェスは頭を振って言ったものだ。
「カルロス。あんたには女のことを、もう少しちゃんと教えたものだと思っていたよ」

カルロスは、ヒターナが美しいエスメラルダに妬いているのだと取り合わなかった。
「ああいう女とは、いくらでも寝るがいい。しかし、結婚なんかしちゃダメだ。やめられないなら、これだけは覚えておきなさい。あんたは骨の髄まで絞りとられて、ダメにされるよ。憎んで離婚できたら大したものだ。ドン・ホセにならないように、それだけは心しなさい」

カルロスとエスメラルダの結婚生活はそれでも八年ほど続いた。怒号と嫉妬と愛欲のループを永遠のごとく繰り返し、カルロスの身代が傾きかけ、それ以上に精神の崖っぷちまで追いつめられ、カルロスは一人でこのタブラオを訪れ、ようやくヒターナの忠告が正しかったことを認めた。そこで彼はようやく自己を取り戻し、なんとか妻から免れることができたのだ。マリア=ニエヴェスが単なる精神的な支えだけではなく、なんらかのジプシーの魔術を使って離婚にこぎ着けさせたと噂するものもあったが、真偽のほどは確かではない。しかし、カルロスがこのジプシー女にただの接待先の女主人以上の恩義を感じているのは確からしい。

カルロスがArtistas callejerosの四人を連れて行くと、マリア=ニエヴェスの娘婿であるミゲルは五人をすぐに上席に連れて行った。その席は、踊り手たちが出入りする入り口に近いけれど、舞台がどこよりもよく見え、そして、ただの観光客とは違う上等のタパスや酒が優先的に出てくるのだった。そして、ミゲルが中に引っ込むと直に、女主人が自ら出てきた。

「おや。毛色の違う連中を連れてきたんだね」
ヒターナはさも面白そうに四人を見つめた。カルロスが連れてくる海外からの経済人たちは、ジプシー女には大して興味をそそられないことが多かった。最初に興味を持ったのは、ギターを手にした稔だった。

「何か弾いてみておくれ」
ぶしつけに命じたのでカルロスは驚いたが、稔はフラメンコギターに興味があったので、喜んで短く『ベサメ・ムーチョ』を弾いた。もちろんフラメンコギター風ではなく、自分の慣れているようにではあったが。ジプシー女はじっと聴いていたが、満足したようだった。

「フラメンコギターの技法に興味があるかい」
「もちろん」

稔が言うと、女はミゲルを呼んだ。娘婿は自分のギターを持ってきた。
「同じ曲を弾いてやりな」
ミゲルは『ベサメ・ムーチョ』をフラメンコギターの技法で弾いた。稔は真剣にそれを聴いていた。やがて、同じように加わりだした。ミゲルは、稔に次々と新しい曲を教えた。稔は、熱心にその技法を追い、新しい技術をどんどんと吸収していった。

その間に、ジプシー女の興味は蝶子に移った。
「中国人かい」
女はカルロスに訊いた。

「いや、日本人です。あのギター弾きと同じで」
「おや。日本人には珍しいタイプだね。あんたが新しく夢中になっている女ってわけだね」
「まあ、そうですね。残念ながら、今のところパトロン化しているだけなんですが」
カルロスはあっさりと言った。

「あんたの趣味はわかっているよ。だが、この女にも氣をつけなさい。あの女のような邪悪さはないが、特別な女だ。巻き込まれると火傷をするよ」
首を傾げるカルロスにマリア=ニエヴェスは続けた。

「光だけの人間はいない。だが、光のあたらない部分が多いと、ドウェンデの炎が暗闇の中から勝手に燃えだす。この女は己の中にも、男の中にもそうした予期せぬ運命の火を生むタイプだよ。私の娘がこの女の半分もこの性質を持っていれば、さぞいい踊り手になるだろうに」

ジプシー女はため息をついた。カルロスはミゲルの妻であるマヌエラが朗らかでかわいらしい善良タイプであったのを思い出して笑った。ヒターナは蝶子を氣に入っているのだ。
「マリポーサはやはり芸術家です。フルートを吹くんですよ」

「そっちの金髪男は?」
「パントマイマーですが、やはり卓越したピアニストです」
「ゲルマン人には珍しく、ドゥエンデのあるタイプだね。いい音を出すのは聴かなくてもわかるよ。こっちの毛色の違う男は音楽家じゃないだろう?」

今度はレネの方を見て品定めをした。
「違います。手品師です。趣味のカード占いの腕は大したものときいています」

「おや、そうかい。それでも、自分のことは見えないだろうから、女に氣をつけるようにいってやりなさい」
スペイン語のわからない三人にも、品定めされているのはよくわかった。しかし、カルロスが特に目立った反応もしていなかったので、通訳してもらわないままで構わなかった。

いずれにしても、ジプシー女は四人がたいそう氣に入ったらしかった。

やがて、少しずつ客が入りだし、フラメンコショーが始まった。稔は、ショーの間中、空氣でできたギターを抱えてミゲルの奏でる音とリズムを体得しようとしていた。蝶子はマヌエラや他のダンサーたちの踊りを楽しんでいた。だが、一番感心したのは、マリア=ニエヴェスと卓越した中年のダンサーによる踊りだった。激しい動きなどは何もないのに、ギターと歌と手拍子に合わせて、二人はゆっくりと絡み合い激しい恋に落ちていく様を演じてみせる。肉感的な美しいマヌエラにぽうっとなっていたレネも、ワインを楽しみ踊りには大して興味がなさそうだったヴィルも、次第にその踊りに引き込まれていった。

ヴィルがその二人に重ねていたのは、クリスマスパーティの日の蝶子とカルロスのアルゼンチン・タンゴだった。同じ種類のアイレがそこにはある。今、踊っている二人に実生活でどのような関係があるかはわからない。ただの舞踊上のパートナーに過ぎないのかもしれない。しかし、踊るその瞬間には、実生活のパートナーや恋愛関係をすべて排除して、二人の間だけに火が熾る。時には、その火が実世界に飛び火することもあるだろう。多くのドラマがそうして生まれたはずだ。手拍子と、ギターと歌も、次第に踊り手の火に巻き込まれていく。ちょうど、あの日のヴィルのピアノが二人の踊りに強く影響されたように。


真夜中近くに、カルロスの別荘に戻ると、居間にはエスメラルダと若い男がいた。

「ここで何をしているのか、説明してもらえませんかね」
カルロスは、招かれざる客である前妻と、さらに招かれざる客である見知らぬ男に言った。

「退屈していたのよ。私、待たされるのは嫌いなの。知っているでしょう、カルロス」
「あなたとここで再会する約束をした覚えはありませんね。だいたい、何故ここの鍵をあなたが持っているんですか」

「私はどの別荘の鍵もまだ持っているわよ。私の荷物もまだ残っているし。私は私が好きな時にここを使うわ」
「あなたにその権利がもうないことは、認識していないんですか」

エスメラルダは、若い男を完全に無視して、カルロスに近づいてきた。オレンジ色と黒の鮮やかなワンピースが、優美なネコ科の動物のような動きに華やかさを添えている。緑色の目がギラギラと輝いている。うげ。コブラが鎌首をもたげているぞ。稔はぞくぞくとした。カルロスの近く、顔に息がかかるほどまでに寄り、赤いマニュキアのつややかな爪をカルロスのネクタイに這わせて下から上目遣いに覗き、低い声で言った。
「私に何かを禁じるなんてことは、あなたにはできない。そうでしょう?」

カルロスは息を飲んだ。エスメラルダは勝利を確信して微笑んだ。

しかし、その時、その空氣が壊れた。くすくす笑いが響いたのだ。笑っているのは稔と蝶子だった。あまりにも絵に描いたような悪女ぶりに我慢できなくなったのだ。エスメラルダに魅せられていたレネは怪訝な顔をし、ヴィルには何がおかしいのか理解できなかった。けれど、日本人二人には、この絵柄はギャグだった。

笑い声が響いたことで、カルロスは呪縛から解かれた。彼はあえて英語でエスメラルダに話しかけた。
「その若いお友達と一緒に、出て行ってくれませんか。はっきりさせておきましょう。あなたと私は完全に終わったんです。それはあなたも望んだことでしょう」

「私は自分の好きなようにするわ。カルロス、まさかあなた、この私よりもその日本人女の方がいいなんていうんじゃないでしょうね」
「あなたと比較するなんてマリポーサへの冒涜です」

そうか? トカゲとヘビの比較は俺もするけど。稔は小声の日本語でちゃかして、蝶子につねられた。

エスメラルダは、スペイン語で若い男に何か短く言うと、一行をきっと睨みつけながら、ものすごい勢いで出て行った。やがて表に停めてあったフェラーリが爆音を響かせて去っていった。

「マフラー壊れているんじゃないのか、あの車?」
稔がのんびりと言った。カルロスは大きく息をついて、稔に笑いかけた。
「助かりましたよ。あの女がどうにも出来ないのはヤス君がはじめてじゃないのかな」

稔は肩をすくめた。
「俺は、どっちかというと、今日の婆さんの娘みたいな女が好みでね」

「マヌエリータですか。確かにいい女ですが、やめておいた方がいいでしょうね」
「なぜ?」

「ミゲルはたいそう嫉妬深くてね。もう何人も怪我をしているんですよ」
蝶子が吹き出した。
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