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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】樋水龍神縁起 東国放浪記  母の櫛

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今週は「十二ヶ月のアクセサリー」七月分を発表します。七月のテーマは「櫛」です。

櫛はジャパニーズなものを書きたいと思っていたので、また例の放浪者に登場してもらうことにしました。「樋水龍神縁起 東国放浪記」の続きです。江戸時代の話にすれば完璧にアクセサリーになったんですが、平安時代ですからまたしても「これ、アクセサリーじゃないじゃん」になってしまいました。ま、いいや。「十二ヶ月の野菜」の時もかなり苦しい題材を使いまくりましたから、いまさら……。

今回の話、実は義理の妹姫も出そうと練っていたんですが、意味もなく長くなるので断念しました。本当は五千字で収めたかったのですが、止むを得ず少し長めです。すみません。


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樋水龍神縁起 東国放浪記
母の櫛


 それは、屋敷の庭では滅多に見ない大木であった。大人が抱えるほどの幹周りがあり、奥出雲の山深き神域で育った次郎ですらも見たことがないほど背の高い柘植は、おそらく樹齢何百年にもなろうかと思われた。屋敷を建てる遥か昔からここに立っていたのであろう。根元から複数の枝が絡み合うように育ち、一部は苔むしている。

 安達春昌と付き従う次郎は、丹後国を通り過ぎようとしていたところだった。一夜の宿を願ったのは村の外れの小さな家で、人好きのする若き主は弥栄丸といった。

「すると、あなた様は陰陽師でいらっしゃるんで?」
彼は昨夜、春昌に陰陽の心得があることに大きな関心を示した。

「かつては陰陽寮におりましたが、現在はお役目を辞し、この通りあてもなく旅をする身でございます」
春昌は、この旅で幾度となく繰り返した答えを口にした。弥栄丸は春昌が役目を辞した事情よりも氣にかかっていることがあったので、詳しい詮索をしなかった。

「実は、私めがお仕えしているお屋敷で、なんとも不思議なことが起きまして、困っているのでございます。先日、この辺りでは名の通った法師さまに見ていただいたのですが、どうも怪異は収まらず、殿様は、もっと神通力のあるお方に見ていただきたいと思っていらっしゃるのです。と申しましても、このような田舎ではなかなかそのような折もございませんで。ですから、都の陰陽師の方がここにおいでになったとわかったら、殿様は何をおいてでもお越しいただきたいと願うはずです」
「あなたがお仕えしていらっしゃるのは」

「はい。この郡の大領を務める渡辺様でございます。私めは従人として、お屋敷の中で姫君がお住いの西の対のお世話を申しつかっているのです。その寝殿の庭の柘植の古木に人型のようなものが浮かび上がってまいりまして、女房どもがひどく怖がっております。そして、お元氣だった姫君が病に臥すようになられたのです。もしや何者かが調伏でもしているのではと、お殿様は心配なされていらっしゃいます」

「姫君? お一人別棟にお住まいなのですか」
「はい。実は、この姫様は、北の方のお生みになった方ではなく、殿様のもとで湯女をしていた方がお生みになったのです。殿様は、北の方に隠れて長いことこの女を大切にしていたのですが、何年か前に流行り病で亡くなってしまわれました。姫君はそれから観音寺に預けられておりました。ところが、位の低い女の娘とは思えぬほど美しくお育ちになり、殿様がこの娘をこちらを狩場となさっておられる丹後守藤原様のご子息に差し上げたいとお思いになり、一年ほど前にお引取りになったのです」

「姫君のお身体に差し障りが起きたのは、それ以来なのですか」
「いいえ。床に臥すようになられたのは、ここ半年ほどです。殿様も北の方もご心配になられてお見舞いにいらしたり、心づくしのものをお届けになったり、なさっていらっしゃるのですが」

「そうですか」
春昌は頷いた。

「姫様をお助けいただければ、私めもありがたく思います。ほんにお優しい姫君でして。私のことも心安く弥栄丸と呼んで頼みにしてくださっているのです」

 そして、二人は翌日の昼過ぎにこの弥栄丸に連れられて、渡辺のお屋敷へと向かったのだった。
「お殿様から、ぜひお力添えをいただきたいとのことでございます。御礼はできる限りのことをさせていただきたいと仰せでした」
「何かお手伝いができるかわかりませぬが、まずはその柘植の木を拝見させていただきましょう」

 弥栄丸は春昌と次郎を屋敷へと案内した。西門から入ると件の大木はすぐに目に付いた。その根が庭の半分以上を占めていて、しかもよく見る柘植の木のように行儀良く育たず、太い幹が伏してから斜めに育っていた。大きく枝を広げておりそのためにその木の下は森の始まりのような暗さだった。西の対の寝殿に面した側面に、言われてみると確かに人型に見える文様が浮き出ていた。

「弥栄丸。都の陰陽師さまとは、そちらのお方か」
寝殿の縁側からの明るい声に振り向くと、菜種色の表地に萌黄の裏が美しい菖蒲襲を身につけた女性が御簾から出てきたところだった。

「これ。姫様! なりませぬ」
慌てて、侍女と思われる歳上の女が追いすがるが、姫君は草履を履くとさっさと春昌のところまで進んできた。さほど位の高くない大領の娘とはいえ、とんでもない行為だ。次郎はあっけにとられた。

「安達春昌にございます」
春昌は深く礼をし、次郎もそれにならった。こんなはしたない姫君に国司のご子息を婿に迎えようというのは、無謀にもほどがあると次郎は心の内で思ったが、確かになかなかに美しい姫君で、しとやかに振る舞えば評判にもなろうと思った。

「あたくしは夏といいます。安達様。これは誠に禍々しいものですの? あたくしには、ちっとも恐いものには思えませんの。それにあたくしの病、いつもひどいわけではないのよ。例えば、今日はとてもいいの。あたくしなんかを呪詛しても、誰も得をしませんし、とてもそんな風には思えないのだけれど」
 
 夏姫は人懐こい笑顔を見せた。次郎は、確かにこのように朗らかで、誰にも分け隔てなく接する姫は、皆に好かれるであろうと思った。

「今から、調べてみようと存じます」
春昌も、珍しく柔らかい表情をして姫君に答えた。

 姫はにこにこと笑った。
「あたくしも見ていていいでしょう。ああ、今日はとても暑いわね。生絹すずしぎぬで、出てこれたらいいんだけれど、それだけはサトも許してくれないから、我慢しなくちゃ」

 それを聞いて次郎は真っ赤になった。生絹は袴の上に肌が透けて見える着物だけを身につける装束だ。彼がかつてお仕えしていた奥出雲樋水の媛巫女はもちろんそのようなだらしない姿をすることは決してなかったが、やんごとない女性は御簾のうちでそのような形をしていると、郎党仲間に教えてもらったことがあった。

「でも、これくらいはいいわよね」
そういうと、姫は懐から美しく彩色された櫛を取り出して長い髪をまとめ出した。そして、櫛を口に咥えるとまとめた髪をあっという間に紐で縛った。

「姫様!」
サトと呼ばれた侍女が姫君らしくない振る舞いをたしなめるが、夏姫は肩をすくめただけだった。

 その様を横目で捉えた春昌は、柘植の木を見るのをやめて、寝殿の縁側に控えているサトに訊いた。
「姫君の御患いはいかなるものなのですか」

 サトは、突然話しかけられて少し驚いたが、丁寧に答えた。
霍乱かくらんのように、悪しくなられます。また高い熱がでて、ひどい眠たさに襲われることもございます。他の皆様と同じものを召し上がられておりますが、姫君だけがお苦しみになり、暑さ寒さに拘らず悪しくなられます」

「左様でございますか。姫、大変失礼ですが、そちらを拝見してもよろしいでしょうか」

 姫は、何を言われたのか一瞬分からなかったようだったが、春昌が自分の櫛を見ているのがわかると笑った。
「これですか? きれいでしょう。 このお屋敷に来て、北の対の母上様と初お目見えした時に頂戴したあたくしの宝物なのです。悪しきものから身を守る尊い香木で作った珍しい櫛なのですって。確かに観音寺で焚いていたお香と同じ香りですわ。とても高価だとわかっているのですが、毎日使ってしまうのです」

 姫はその櫛を愛おしげに撫でてから春昌に渡した。彼は、その美しき櫛の背の部分の色が褪せているのを見た。
「恐れながら、あなた様はいつも先ほどのように髪をお結いになっておられるのではないですか」
「ええ、そうよ。わかっているわ。やんごとない姫君は自分で髪を結ったりしないって。でも、とても暑いのですもの。どなたもお見えにならない時には、つい昔のように装ってしまうの。たくさんの美しい装束をご用意くださった父上さまや母上さまに申し訳ないとは思っているのよ。でも、どうしてわかるの」

 春昌はやさしく微笑んだ。片時もじっとしていられそうもない、この愛すべき姫君を、はしたないと思いつつも周りが甘やかしてしまう様子が手に取るようにわかった。弥栄丸は傍で笑いをこらえている。

「髪を結うのは侍女の方にお任せいただけないのですね」
「それは無理よ。そんなことをしているのがわかったら、サトが叱られてしまうもの。私がいつの間にか勝手にこんな形をしているってことにしなくちゃいけないの」
「左様でございますか」

「安達様?」
弥栄丸は、春昌が姫と禍々しきものとは全く関係のない話をいつまでもしているように思われたので、不思議に思って口を挟んだ。春昌は、微笑んで櫛を姫君に返すと、弥栄丸と姫君に庭の柘植の木を示した。

「こちらに現れていますのは、姫君の御生母様の御魂でございます。お屋敷に上がられ、これまでとは全く違うお暮らしをなさっている姫様のことを心配なされているのでしょう。私に、姫様に形見の御品を身近にお使いいただきたいと訴えかけておられます。たとえば、お母様のお形見に柘植の櫛はございませんでしたか」

 姫は「あ」と言って、奥で控えている下女のサトを見た。
「この櫛をいただくまで使っていた、母上の櫛はどこにあったかしら」

「こちらの小箱にございます。ほら、このように」
サトは、道具箱から飾りの全くない柘植の櫛を取り出すと、一行のもとに持ってきた。春昌はそれを受け取ると、柘植の古木に近寄り、件の人型にあてて小さな声で呪禁を呟いてから、それを姫君に渡した。

「こちらの櫛を肌身離さずお使いくだいませ。そして、その美しき櫛は、特別の祭祀の折にサト殿に梳いていただくときだけお使いくださいませ。亡くなられたお母様の願いが叶い、その憂いが収まれば、姫様の病も治ることでしょう」

 それから、春昌は柘植の古木に近寄り、人型に両手を当てて呪禁を呟いた。次郎には、主人が木に何らかの氣を送り込んでいるのがわかった。春昌がその手を離すと、明らかに人型のようなものがあった木の幹には、よく見なければわからないような瘤があるだけになっていた。

「なんと! 法師様がどうすることもできなかった、あの人型が……」
「母上様のお心は、この屋敷を動けぬこの木を離れ、新たにそちらの櫛の方に宿っておられます。どうか、私の申し上げたことをお忘れになりませぬよう」

 夏姫は深く頷き、弥栄丸とサトは春昌の神通力に感銘を受けてひれ伏した。

* * *


 夏姫の父である渡辺の殿様から、新しく拝領した馬は痩せていたこれまでの痩せ馬よりもしっかりと歩んだ。いただいた礼金の重みは久しくなかったほどで、次郎を憂いから解き放った。しばらくの間は宿を取るにも物乞いのような惨めな思いをせずに済む。

 その領地を出てしばらく森を歩き、ひどく歪んだ古木を見て、次郎はあの古い柘植の木のことを思い出した。

「春昌様。お伺いしてもよろしいでしょうか」
「なんだ、次郎」

「どうして柘植の櫛のことがおわかりになったのですか。あの老木に、私は何も見えなかったのでございますが」

 春昌は口元をわずかに歪めた。
「次郎。あれはただの木瘤だ。幹に流れる氣の流れを変えて、乾いた樹皮を落としたのだ。あそこに母君の御魂が現れたり消えたりしたわけではない」

「なんと。では、母君の御魂が柘植の櫛を使うようにとおっしゃられたというのは……」
「あれが柘植の木だったので、思いついたまでのこと。弥栄丸殿の話では、御生母は湯女だったとのこと。あまり位の高くない女ならば高価な香木などではなく柘植の櫛を使うのが常であろう。その読みがあたったまでだ。私はあの姫があの香木の櫛以外の物を使ってくれればなんでもよかったのだ」

「なぜでございますか?」
「あの姫君が件の櫛を日々咥えているのを知ったからだ」
「え」

 まったく合点がいっていない次郎を、春昌は優しく見下ろした。次郎は、他の者には見えぬものを朧げに見る能力はあったが、陰陽道はもちろん本草の知識にも欠けており、春昌がどちらの知識を用いて人々の苦しみを取り除いているのか分からないことを知っていたからだ。

「あの櫛は、しきみの木から作られている。香りが良く珍重される木だが、口に含むと毒になる。熱が出て、眠たくなり、腹を下し反吐を吐く霍乱かくらんのごとき病となる。ちょうどあの姫君が苦しんでいたのと同じだ」

「なんですって。では、まさか北の方が、継子である姫君を亡き者にしようとしてあの櫛を贈ったということなのですか」

「それはわからぬ。北の方が、草木の知識に長けているとは思わぬ。そもそも姫君が口に櫛を咥えるとは、北の方のように位の高いお方は夢にも思わぬであろう。それを知っていた誰かの入れ知恵かもしれぬが、長く逗留せねばそれはわからぬ。余計なことを申せば、あの家に大きな諍いの種を蒔くことになる。私にわかっているのは、ひとつだ。樒の櫛を口に咥えるようなことは、すべきでない。あの姫が再び丈夫になれば、それでよいのだ。身寄りのなかった娘が、ようやく手にしたと喜んでいる家族との仲を不用意に裂く必要はあるまい」

 次郎は、主人の顔を改めて見上げた。聡く天賦の才に恵まれた方だと畏怖の心は持っていたが、どちらかというと冷たい心を持つ人なのだと思っていた。彼が神にも等しくあがめ敬愛してやまなかった亡き媛巫女が、なぜこの陰陽師を愛し背の君として付き従ったか長いこと理解できないでいた。

 媛巫女さまは、私めなどよりもずっと多くのことを瞬く間にご覧になったのだ。彼は心の中で呟いた。

 もっと効果的に毒の櫛のことを大領に話せば、ずっと多くの謝礼を手にすることもできたのに、春昌はそれを望まなかった。それよりも、一つの家族の和を壊さずに、問題のみを解決して姿を消すことを選んだ。

 彼は、この旅がどれほど辛く心細くとも、この主人に付き従っていくことを誇らしく思った。


(初出:2017年8月 書き下ろし)

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