【小説】郷愁の丘(8)往復書簡
そして今は夏。ムティト・アンディ駅で別れてから、現在に至るまでの二人の交流を、交わした手紙で表現しています。手紙によって取り巻く状況や時間の経過、それに心の動きを表現するという手法は、あまり得意ではないのですが、今回の二人は特殊な関係の上に思いっきり遠距離なので、うんうん唸りながら書きました。
いつもは四千字超えたら二つに切るんですが、今回は適度な長さに切れなかったので、まとめて掲載しています。
ところで、今回は時系列でいうと、去年の夏に発表した外伝「花火の宵」のシーンの直後にあたります。あちらを発表した時には、ジョルジアがどういう状態にあるのか知っているのは私一人だけだったのですが、本編を読んでからあちらを読むと、ちょっと「ふふふ。キャシー鋭い。なんか、あったのよ」「あ。兄ちゃん、いまひとつ分かっていないね」とニヤニヤできる、という趣向になっています。
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郷愁の丘(8)往復書簡
親愛なるジョルジア。
夏を楽しんでいるかい。君の手紙を読むとニューヨークの移り変わる季節を身近に感じるよ。独立記念日の花火は楽しそうだね。僕も花火は好きだ。野生動物たちにはストレスだから、本当は喜ぶべきじゃないんだけれど、どうしてもワクワクしてしまうんだ。
君の観察眼には驚いたよ。消印によく氣がついたね。そうだ。あの手紙を投函した日は、僕はヴォイにいたんだ。マディが産氣づいたんだけれど、例によってアウレリオがまた居なくなってしまい、レイチェルが駆けつけるまで病院で待機する事になったんだ。メグがぐずって大変だったよ。『ジョルジアはどこ』って言うんだ。参ったよ。
マディの第二子は男の子だったよ。エンリコって言うんだ。アウレリオはとても喜んで、サッカー選手にするって息巻いている。マディはとんでもないって言っているけれど。
いずれにしても乾季だったおかげで病院まで行くのも君が居た時ほどの時間がかからないので助かった。翌日は、講義があったから朝一で戻ったんだ。
先日の君の手紙を読んでから、研究とは全く別に「目が騙される事」についてしょっちゅう考えている。ここにいたとき、君は人間の目はわずかな色を感知してカラーとモノクロームの違いを見分けられると言っていたよね。そんなにわずかな差を見分けられる目でも、遠近法によって平面に描かれた絵は立体と感知してしまうってことだよね。色の違いには敏感でも、次元の違いには簡単に騙されるというのは興味深いな。
そう考えて、君の写真をもう一度眺めてみたら、本当にその通りだと思ったよ。でも、同じ写真でも、奥行きの感じ方は作品によって違うんだね。君の撮ったあのマサイの少女の写真は、笑顔に目がいって立体感そのものはあまり感じない。もちろん平面には見えないけれどね。でも、君が送ってくれたモノクロームで撮ったサバンナの写真、例の僕とガゼルが映っているものだけれど、あの写真にはものすごく距離を感じるんだ。近くに映っている僕と、それからサバンナとの。地平線が永遠の彼方にあるように感じる。光の加減なんだろうか、とても寂しい惑星にたった独りの人間として居るみたいだ。おかしいね。あの時、君が僕の隣に居たのに。
やはり、前に君が話していた、アリゾナの写真を見せてもらいたいな。大切な作品を覗き見るのは失礼かと思っていたけれど、君が沙漠で感じた事、サバンナと違いについても興味を惹かれるんだ。それとも、いつかその作品も《アルファ・フォト・プレス》から出版されるんだろうか。そうだとしたらもちろん購入するよ。それに、送ってくれるとしても本当に時間のある時でいいんだ。
とても忙しそうだけれど、身体を大切にしてくれ。そして、また氣が向いたら、新しいニュースを聞かせてほしい。別に今日何を食べたか、なんてことでもいいんだ。僕が君の手紙を読んでいると、ルーシーが喜んで寄ってくるよ。まるで君からだとわかっているみたいに。彼女に言葉が話せたらきっと「よろしく」って言うと思うから、ここに加えておくよ。じゃあ、また。君の友、グレッグ
彼からの手紙を読む時、ジョルジアは誰にも邪魔されない場所を探した。通信のほとんどを電子文書で送ることが可能になってから、彼女はほとんど手紙を書かないで過ごしていた。旅先で二言か三言挨拶を書いた葉書を書く事はあったが、それだけだった。だから、グレッグと文通をすることになるとは思ってもみなかった。
春のアフリカ旅行から戻ってすぐに、彼女は撮った写真を現像した。グレッグの写真で写真集に入れる予定の作品はいくつかあったが、その他にも自分だけで持っているのはもったいないと思うものがあった。ランプに灯をともしている時の半分影になっている優しい微笑や、サバンナで仲間からはぐれたガゼルを見つけた時の印象的な横顔。それに、ルーシーと無邪氣に遊んでいる姿は最高の出来で、少し大きく引き延ばして歓待に対する感謝の手紙に添えて送った。
十日ほどして彼から返事が届いた。彼の丁寧で小さい文字が便箋の上に行儀よく並んでいた。なんという事はない報告がいくつか書いてあったけれど、ちょうど《郷愁の丘》で飽きずに何時間も話した時のように興味深いトピックがあり、ジョルジアはすぐにまた返事を書いた。
それから、手紙の往復が始まった。ジョルジアは、彼の手紙を読み、彼に返信する時間を大切に思うようになった。それは、それまでジョルジアの身近にはなかった知的興奮、生活の彩り、それに、どこかときめきに似た感情を伴っていた。
こんにちは、グレッグ。
そろそろニューヨークの夏は終わるようだわ。ショートパンツやノースリーブの人たちも少なくなってきたみたい。この間、ものすごいにわか雨が降ったの。《郷愁の丘》の雨を思い出したわ。でも、そちらは乾季なのね。動物たちには厳しい季節なんでしょうね。あなたの所は大丈夫なの? 地下水も乾季には減ってしまうんでしょう? 水道水があるのってとてもありがたい事なのね。蛇口をひねる度にそう思うようになったわ。
メグに弟が出来たのね。今度はイタリア風の名前ね。どうか心からの祝福を伝えてちょうだい。ミスター・ブラスって、本当にいつも肝心な時にいなくなってしまうのね。あなたが駆けつけてくれて、ミセス・ブラスはさぞ安心したことでしょう。でも、寝不足で運転するのは危険よ。氣をつけて。
あなたが指摘してくれた、作品の奥行きの事、驚いたわ。自分で撮った写真なのにそんな風に見た事がなかったの。あなたが感じている奥行きは、二次元と三次元の違いではなくて、もしかしたら心象の奥行きのことなんじゃない? そして、それは作品の中に映っている物体だけでなく感情が映し出されていると感じてくれたんでしょう? それは、私があなたの中に見たものなのかしら。それとも、私の心の中にそれがあるの? もしかしたら作品を見ているあなたの中にあるものなのかもしれない。いずれにしても私は今回の写真集に使う写真の中で、心象を映し出したかったの。だから、あなたの感想は、最大の讃辞だと受け取らせてもらうわ。ありがとう。
例のアリゾナの写真が掲載された『クオリティ』誌、同封するわね。私が紙焼きした一枚を挟んでおくから、雑誌との違いについての感想もお願いね。
ところで、私の方も、あなたとの会話のおかげで違う見方をするようになっているわ。視野の話だけれど、前方に見えている物の他に、左右に動く物が見えていることを意識するようになったの。ニューヨークの街を歩いている時にも、往来の右や左で起こっている事が確かに情報としていつの間にかインプットされているのがわかるの。ただし、確かに真後ろで起こっている事は、目が前方についている私たちには見えないのね。今まで意識していなかったけれど、時おり後ろを振り返って安全確認をしていることを改めて感じたわ。後から襲われる危険のある都会に何世代も住んでいると、私たちの子孫の目の位置もシマウマのように横に移動していくのかもしれないわね。
今日、私が何を食べたか興味ある? 魚よ。休みで時間があったから、新鮮なヒラメを焼いて、野菜と一緒にビネグレットに漬けてみたの。私の両親は昔、漁師をしていたって話したわよね。だから、私、普通のニューヨーカーよりもたくさん魚を食べるの。かつて住んでいたノースフォークで穫れた魚を入手できたのよ。そういうチャンスに恵まれると、なつかしさで不思議な氣持ちになるの。あの村の事は、また今度じっくりと説明するわね。じゃあ、また。あなたの友達、ジョルジア
ここにいたら、あなたにも食べさせてあげるのに。
ジョルジアは、あまりにも自然にその考えが出てきた事に自分で驚いた。これまで彼女の生活に一緒に住む誰かの存在は全くなかった。両親や、兄もしくは妹は別として、誰かに手料理を振る舞う事もまずなかった。
《郷愁の丘》に滞在した二週間、ジョルジアは彼と生活を共にしていた。調理をし、食事をし、皿洗いや片付けを共にして、テーブルを動かし、床を掃き、愛犬ルーシーの世話をした。普段は自分一人しかいない生活空間を、そもそも彼一人の物であるはずのあの家を、二人で共有して同じ時間を過ごした。たくさんの話をして、一度も退屈だったり、煩わしいと感じた事がなかった。
おそらく二週間でなく、二ヶ月でも、二年でも、二十年でも、きっとこの人とは、一人でいるのと同じようにリラックスして、穏やかな時間を過ごせるのだろう。そして、一人でいるのよりもずっと楽しく興味深い日々を。
それから、距離の事を考えた。アメリカとケニアの。ニューヨークと《郷愁の丘》の。ジョルジアとグレッグのいびつな関係の。
二人の関係の危うさのことは、ジョルジア自身が誰よりもよくわかっていた。一緒に暮らすどころか、「再び逢いたい」という事すらも憚られる。そう言った途端に、恋愛関係を進めたいと思っているように響いてしまう。進めた方がいいのかもしれない。「友達」というレッテルはもはや彼女の中ではそぐわなくなっている。激しい恋のときめきはなくても、実の家族以上の近さを感じている人なのだ。それに、彼がレイチェルの家で告白した想いを引きずっているのならば、いつまでも友人関係に固執する事はひどく冷たく残酷な拒否になる。
一方で、彼が自分に恋をしたのは、真実を知らないからなのだと思った。友人の枠から外れて進めば、精神的なものだけでなく肉体的な交わりも避けられなくなる。彼女は、「醜い化け物」と呼ばれた肉体を晒す瞬間を怖れている。それはこれまで築き上げてきた全てを覆してしまうかもしれない。そうなった時に何が残るのだろうか。二人の間に。ジョルジア自身の中に。
極めて厄介な恋愛関係を介在させずに、ただ親しい人として、家族のように、彼に会う事ができたらいいのに。
ケニアはあまりにも遠い。《郷愁の丘》は地の果てにひっそりと隠れるように存在している。彼は来る日もサバンナでシマウマたちを観察している。「偶然」再会することははない。
ワイン片手に「近くまで来たから」と訪問し合うような距離にいたらどんなによかったことだろう。彼女は封筒に宛先を書きながら、ため息をついた。
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Comment
「花火の宵」読み返してみました。そうか~、あのあとか。
あのときは、たんに「なんかいいことあったのかな」くらいでしたが、そんな単純なことじゃなかったんですね。うむ。
うわぁ、文通だ。
ネット全盛の時代だからこそ、手紙って味がありますよね。
そして、ジョルジアとグレッグという組み合わせには、ぴったりな通信手段だと思います。
手軽にささっとじゃなく、じっくりと一言ずつしたためていく。そこには、それぞれの思いがしっかりと乗っていくし、言葉のなかからそういうものも透けて見えたりする。
文中でも書かれてましたけど、この二人が電話でやりとりとかしたら、ダメになっちゃいそうですよね。
ジョルジア、グレッグを意識しまくりですね(笑) ジョルジアは近くにいる方がいい、と思っているみたいですけど、むしろニューヨークとケニアという遠さが、性急な結論を求めなくていい距離感なんじゃないかなぁ。
写真の奥行きの話も、興味深かったですね。とくに「心象の奥行き」という表現が。
光学的な理屈じゃなく、写真家が被写体をどうとらえているか、どう表現しようとしているか、ですかね。
そして、それぞれが自身では気づいていないことを見つけるのって、やはり相手を思っている、理解したいと望んでいる、そういうことなんでしょうね。
P.S.
先日のレマン湖の記事、追記ありがとうございました。おかげさまで、またひとつネタになりそうです……たぶん(笑)
わあ、わざわざ読み返していただき、ありがとうございました。
そうなんですよ。
ジョルジアったら、「私には何もないの」という顔をしながら、実は誰にも言わずに文通とかしていました(笑)
何も知らない兄ちゃんは、「一緒にいてやらなくては」とか騎士道精神を発動させていますが、ねぇ。
ちなみに、アフリカに行く前には、《Sunrise Diner》のカウンターで誰とも交流せずに、ぼーっと「CNN」ニュースなどを観ていました(くすくす)
今時、ニューヨークに住んでいる人間だったら、携帯メールか電子メールが通じないということはないと思うのですよ。
日本だとLINEか、携帯メアドか、少なくともPCメールのどれか。
でも、こういう交流って、ずっと会う事もなく、どちらかがある日ストップしたら、そのままになりがちじゃないですか。
なぜかと言うと、タイムラインや通信歴が他の人との交流で埋まっていくので。
でも、手紙だと、結構忘れた頃に届いても、それなりに続いていくものなのですよね。
グレッグの方は、ケニアの、しかも、地の果て状態のところなので、往復に二週間くらいはかかるのです。
すぐに届く保証もないです。
それをわかっているお互いが「そういうもの」とのんびりと交わす交流なので、ずっと続いているようです。
ジョルジアの方は、まさに意識しまくりで、どうしようかグルグルしていますね。
グレッグの方は「お友達でいましょうね」と拒否されたままだと思っているので、お友達モードで頑張ってお手紙書いています。
「近くにいたらいいのに」とか言われていますけれど、近くでずっと生殺しされたら、ますます涙目になるだろうなあ。
物理的な、もしくは目の錯覚としての奥行きと、心象の奥行きの問題は、おそらくグレッグとジョルジアの職業ジャンルの違いとも関係しているのですよね。彼の方が職業的にすぐに頭に浮かぶのはどちらかというと科学的理論的分野で、ジョルジアの方はもっと芸術的分野が背景にあるので、ふたりの意見交換はお互いにとって新鮮な刺激になっているのですね。
その刺激が、人間としてのお互いへの探求と理解につながっていく、というのがこの「郷愁の丘」という作品のコンセプトでもあります。
アメリカとケニア、家庭環境の違い、男女の違いなどもありますが、これはとても苦手な部分なんですが、お互いのプロとしての部分も絡ませたいなと、構想段階でグルグルひねくり回した経緯もあります。その割にはチキンでツッコミが入り難いあやふやなものだけしか記述できなかったんですけれど。
レマン湖の件、お使いになられてもならなくても、なんらかの参考になれば幸いです。また、氣になる点などがありましたら、メッセージでも構いませんので遠慮なくおっしゃってくださいね。答えられないものもあるかもしれませんが……。
コメントありがとうございました。
そう言えば、夕さんも文通を通じての関係を暫く続けられていたんでしたね。
そういった経験が生かされているのでしょうか。ちょっと興味深いです。
2人の手紙、それぞれの個性や性が書き分けられていて素敵です。
グレッグは、あぁグレッグだと思いますし、写真の鑑賞方法や感想も生物学者だなぁ・・・と感じます。でもこの親しみのこもった文章はジョルジアに対してだけなんですね。
ジョルジアもジョルジアらしいですね。
カメラマンの目で語っていますもの。
彼女の場合は家族に対してだけは、こういう親しみのこもった文章を書くことはあるのかな?
ジョルジアの行動や気持ちの表れ方に恋の進行を感じますが、この遠距離恋愛ではこれ以上進めることは困難でしょうし、彼女の気持ちもまだ揺れているままのようです。
極めて厄介な恋愛関係を介在させずに、ただ親しい人として、家族のように、彼に会う事ができたらいいのに・・・わかりますけれど、でもこれではどこへも行けないような。
そして、あのトラウマ。これも乗り越えなければならないのですね。
ああ、やきもきする!(実はこのトラウマを乗り越えるシーンを楽しみにしていたりもするんですけれど)
でもね、グレッグは生物学者なんですよ。
大丈夫!サキはそう思うんです・・・。
そういえば、最近してないな・・・。。。
・・・と実感します。
勿論、社交辞令の最初の挨拶なのですが。
それができないなあ。。。
・・・とちょっと痛感。
_(._.)_
そうなんです。グレッグの所はネットの常時接続や電話線はないんですよ。
電線も通っていません。自家発電です。電話は引けません。電話会社のサービス地域の中にないからです。
さすがに最近は、携帯電話の電波は飛んでくるらしく携帯電話は通じますが。
データ通信の電波は非常に弱いので家の一部で僅かにメールチェックができる日もあるという記述が以前出てきていますが、そういう状態です。
だからいろいろなものが未だにアナログです。
某スイス人と私の交流がアナログだったのは、そういう理由ではなく、奴がアナログだからです(笑)
ちなみにグレッグはちゃんとコンピュータも使えるし、週に一度大学に講義に行く日にメールチェックもしています。
グレッグは、この手紙だと饒舌ですし、親しみもこもっていますが、もちろんこんな事をするのはジョルジアにだけです。
この人の場合は、他にそんな親しい人が一人もいないので。
ジョルジアもそうですが、こっちは、親しい人は他にもいるんですが、アナログな手紙のやり取りはしないですね。
そもそもジョルジアは家族から逃げぎみで、両親とはほとんど没交渉ですし、アレッサンドラからは月に一度くらい、マッテオからは毎週くらい電話がかかってきますが、質問に答えるぐらいですぐに切ってしまいます。
二人の手紙には、それぞれに、この交流が途絶えないでほしい、相手の返事がほしいという想いが現れています。質問をしたり、書きたい事を全て書いてしまわないで引き伸ばしたり。
で、その割に二人の関係が進展しないのは、ジョルジアのせいですね。
グレッグは振られたという前提でいますし、堅物すぎてそれでも進めるというガッツに欠けていますし、ここはジョルジアが進めないと進まないんですけれど、彼女が進まないほうがいいしと思っている以上どうにもなりません。でも、逢いたいみたいです。これが次話の彼女の行動に繋がります。
トラウマの件ですけれど、別に隠すほどのこともないから書いてしまいますが、グレッグにとっては野生動物の地模様と同じ感覚でその件は本当にどうでもいいことなのですが、ジョルジアが言わないのでそのトラウマがあること自体をまったく知りません。周りの知っているメンバーも繊細な問題なので、その件はグレッグに指摘しませんしね。
実をいうと、トラウマを克服する具体的なシーンは、本編にはないんです。シーンとしてのかなり細かい設定はあるんですけれど、ブログの運営ポリシーからすると隔離する必要があるので、たぶん完結後に外伝的に書くかなあと。でも、本編でもちゃんとわかるように書きますけれどね。
というわけで(なにが)、次話も読んでいただけると嬉しいです。
コメントありがとうございました。
手紙の時候の挨拶、単なる社交的なものであっても、少し個人的に響く挨拶だと親しみを感じることもあるでしょうね。
もっとも、事務的な手紙だと、あまり深く考える必要もないのかもしれませんが。
コメントありがとうございました。
本編を読みながら今あちらを拝読すると、キャシーのいう
重い鎧と剣の比喩が別の響きを持って伝わるなぁ。
初見では単純に某ジャーナリスト氏との出来事を経て
しなやかになった彼女を想像していたのだけれど、
そうじゃなくてもしかするとアフリカ滞在を経て、
女の色香的なものが発散されていたのかもしれないですね。
だって文通をしているジョルジアは、ぐるぐるはしているけれど、
豊潤とした充実を感じさせられたので(いわゆる「ときめき」、でしょうか)
エンリコは、例のバトンでも出てきた、メグと一緒にアンジェリカと出会う予定の子ですね。こうした記述からも、時間の経過が感じられますね。
そして出てきましたね、書簡。
なんだろう、これまでより一層二人の情感が生々しく感じられましたよ。
もっとも、グレッグはお友達モードを貫いていますが、
「あの時、君が僕の隣に居たのに。」とか、行間の隙間から溢れ出る彼女への
想いが染み出ているようです。
写真についても、二人の職業的観点の違いが表れ出ていて興味深いですね。
「心象の奥行き」ですか。
グレッグとガゼルの写真は、納得のいかないまま撮影された写真の一枚でしょうか、だとすると、彼の感じる「距離感」は、そのときのジョルジアの心的距離感も映し出していたのかもしれないのかな、と深読みしてしまいました。まさに「あのとき、側にいたのに」、ですね。近いのに遠い、というのは、彼女の中に答えがあることの暗喩のようにも感じられました。
思えば二週間も生活できたことはすごいことなのですよね。
離れたことで、側にいたら却ってわからなかったことがいろいろ発見できているようです。
ジョルジアが動くしかないこの状況に、彼女がどう出るのか、次回も楽しみにお待ちしております。
我慢できなくて、本編よりも先に外伝であれこれ書いちゃうの、いいかげんやめないと(笑)
そうなんです。ジョルジアったら、キャシーには何も言わないで、実はこんな状態でいました。
言っていたらどうなったかしら。
「え〜! 二週間も陸の孤島に二人っきりで、お友達状態強要? ありえん!」とか叫ばれていたような。
ジョルジア本人としては、自分がどうすべきかはわからないまでも、いろいろな意味で解放されていたことは確かなのですよね。
地球の果てにものすごく分かり合える人がいることがわかったし、よく知らない人に恋しちゃうなんておかしな人が自分以外にも存在する(相手は自分だったけれど)こともわかったし、誰かさんと文通とかしているので某ジャーナリスト様のことを不毛にぐるぐる考えることもなくなってきたし。
それに、(なんかわからないけれど)ときめきっぽくウキウキもしているんですよ。
(しょーもない女だな……)
そして、エンリコの誕生や成長は、時間の経過をあらわすのにぴったりですよね。
手紙によるエンリコの話題は後でもう一度出てきますが、まさに「変化」を表現するのにぴったりでした。
そして、全然本編とは関係ないですが、アウレリオはサッカー大好きイタリア人で、息子をサッカー選手にしたいなどと言っていますが、アンジェリカの父親は超有名サッカー選手なので、子供達は全然そんなことは関係ないと思っているのに、アウレリオが一人で大騒ぎしていそうと思いながら妄想続行。書く予定ないけれど(笑)
さて、書簡です。クルルーのチコへのお手紙は、返事をもらう前提ではない置き手紙でしたが、こっちの手紙はお互いに「どうか返事を書いてください」と願いながら書いているので、若干書き方のベクトルが違うかもしれませんね。
モノローグ的な手紙と、会話的往復書簡と。
そして、この先につなげたいという想いもあるので、例えばグレッグの方はお友達モードに抑えながら、つまり自分をかなり殺して書いています。でも、その隙間から、本音が透けてくる、といいなあと思いつつ書きました。
ガゼルと写った写真に関しての彼の感想も、そうした彼の本音が混じっています。そして、ジョルジア本人は「この写真でいいのか」と首を傾げていますが、もしかするとこれが正解だとわかっているから撮ったのに自分では認めたくないから迷っている、という解釈もありです。つまり、隣にいてシャッターを押していたジョルジアは、物理的にはとても近くに居たのに、グレッグは「僕はこの世に一人だ」オーラを出していて、それはそもそもジョルジアの「だって他に好きな人がいるもん」発言のせいでもあるから正しいのだけれど、ジョルジアとしては心外なオーラでもあったとも解釈できるのかなあと。
二週間の滞在のときもそうでしたけれど、グレッグが「本当は好きなんだけど」に寄ったニュアンスを見せても、反対に「僕に好かれるのは迷惑だよね」といじけたモードで語っても、彼をキープしたいジョルジアは二人の間の距離が変わらないように持って行きます。タチが悪いのは、ジョルジアはこれを無意識にやる事ですね。これでどっちにも行けないまま、グレッグは生殺しにされています。
今話は、離れてしまったので、手紙を通じて距離がこれ以上離れないように努力している二人ですが、特にジョルジアにとっては「会いたいのに自分からはそう言い出せない」という想いの自覚ができて、それが次話の彼女の積極的な行動につながる予定です。
この話、実際の時系列ではものすごい長期戦ですが、小説としてつまらない部分は全て端折っていますので、展開は唐突です。
コメントありがとうございました。
手紙って、メールよりも心を込めなきゃ書けない気がするし、もらった方は、その筆圧にさえ愛情を感じるし。
いいなあ~。文通。
ああ、でも私は字が汚いし、綺麗に書こうとすると力が入って手が腱鞘炎になるので恋文はもう書けない←誰も聞いてない
離れていてもこうやって愛情を深めて行けるって、いいですよね。
お互いの芸術性や感覚も高められる気がして^^
ポリシーなんか関係ないですよ~!!!ってそういうわけにもいきませんね。
ちゃんとわかるように・・・う~ん、それで我慢します。
外伝にもちょっと期待してたりして・・・。
ホームページの方の発表になるのかな?
そしてニューヨークまで行って、マッテオ、そしてキャシーや美穂たちに会ってきました。
なるほどなるほど、こういう読み方も楽しいですよね。
あはははは、相思相愛に見えます? って、本人たちだけが全然わかっていないだけか(笑)
そうですね。今はショートメールなどの手軽な通信方法もあるし、ほとんど誰もやらないからこそ、書く方ももらった方も「これは特別な通信」と認識するところはありますよ。
字が汚いから書きたくないは私です(汗)
私が学校に行っていた時代は、手書き全盛で可愛い字の子や、ペン習字の見本帳かって綺麗な次を書く子には憧れました。
そこで努力すべきだった! 未だに手書きは判読不能レベルで、恋文なんてとんでもない!
あ、でも、連れ合いとはずっと文通だった……。ま、奴も人間離れしている字なので(笑)
limeさんは、イラストの横に時々書かれる手書き文字、綺麗じゃないですか。ノープロブレムですよ!
もっとも恋文を書く必要はあまりないのでは(笑)
ダーリンはすぐ側にいるし、買い物メモとか?
だけど、ウルトラ美少年などに事務的なお手紙を渡すチャンスなどがあったら、がんばっちゃうかもしれませんよ!
(何を?)
離れていても地味にこの二人は連絡を取り合っていますね。
恋愛だけでなく、職業的にも、ただの友人としても、お互いにプラスになっているみたいです。
キャシーあたりに知られたら「ジョルジア、なにやってんの?」と呆れられそうですが。
コメントありがとうございました
そうなんですよ。かなり抽象的に表現してあるだけで、克明なシーンはすっ飛ばしてあるんです。
だって、具体的に書くと完璧にR18になるんですもの。
外伝としては、まだ全然書いていないんですが、そうですね。
まだこの界隈にいたら、そのうちに書くかも。
そろそろいいかげんに中世あたりへと行こうとしているんですが、なんかこの世界の周辺でごちゃごちゃ書いていたりします(笑)
もし書くとしたらそうですね。ブログにはアップできないので放置ぎみの別館に置く事になりますね。
でも、別館に置いたのって、ブログでさえ読者はそんなに多くないのに、ますます誰得状態になりそうなので、考えてしまいます。
そうそう、「花火の宵」には美穂もちゃっかり登場していましたよね。
オフ会では一緒に松江にも来たし、美穂は遊びまくっているなあ。
まもなく本編でもキャシーやマッテオが再登場します。それに、その前に別の作品でマッテオが出てきます。
あの二人は書いていて筆が進むんですよね。そんなこんなで、何かと出てきてしまいます(笑)
再コメント、ありがとうございました。