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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】クリスマスの贈り物 (前編)

「郷愁の丘」本編の連載を一時中止しましたが、今日と来週は、その外伝をお送りします。本編と時系列があっている上、今クリスマスシーズンなのでちょうどいいかなと思ったのです。

本編では例外を除きほとんどの視点がジョルジアなのですが、この外伝は徹頭徹尾グレッグ視点です。

ストーリーはまず、四半世紀以上前、彼が寄宿学校の生徒だった十二歳の頃に戻っています。そして、本編で読者の皆さんを嘆息させた後ろ向き姿勢を持つに至った事情が少し明らかになります。前後編に分けたので、今回は相変わらずの様子のままなのですが、来週にご期待ください。


郷愁の丘「郷愁の丘」を読む
あらすじと登場人物




クリスマスの贈り物 (前編)

 彼は部屋の扉を閉めると茶色い紙袋を机の上に置いた。中にはターキーとトマトの三角サンドイッチが一つと、テイクアウト用のカップに入った紅茶が入っている。とても急いで歩いたけれど、十分近く経ってしまったので、もはや熱いとは言えなくなっていた。

 部屋の中は冷えていた。ラジエーターに触れると、ぬるいぐらいの温度だった。管理事務所には連絡が行かなかったのだろうか。クリスマスの時期に寮に残っている生徒がいるとは誰も考えなかったのだろう。氷点下になっても破裂しないように完全には止めなかったが、暖房としての役割は果たさなくなっていた。

 彼は、以前この部屋に居た生徒の置き土産である古いラジオのスイッチを入れた。クリスマス・ソングが流れた。ご馳走と家族の待つ故郷への家路を急ぐ甘い歌。彼は紙袋に手を伸ばした。三角サンドを取り出してプラスチックのホイルを剥がした。もそもそとして反っているパンに乾いてほとんど味のないターキー。温かくもなければ十分な量もない。冷めた紅茶で流し込んだ。

「無理に来なくてもいいのよ」
母親のホッとした声を聴いて、彼はここに残ることを決めた。

 昨年のクリスマスの事を考えた。温かいご馳走はあったが、暖かい家族はいなかった。マッケンジー家の一員になったのは、新しい妻となった彼の母親だけで、連れ子である彼もが家族の一員として受け入れられたわけではなかった。

 兄弟姉妹どころか身近に友達すらいなかった彼は、ようやく歳の近い兄妹ができるのかと心弾ませて行ったのだ。けれど、彼を迎えたのはジョンとナンシー兄妹の馬鹿にして嗤う視線だった。

 母親は、彼を隅に引っ張って行き、なじった。
「なぜそんな服を着てきたのよ」

 上着の袖もズボンの丈も短すぎた。彼女は息子がそんな服装で電車に乗ってきた事が信じられないようだった。

「でも、半年前に電話で言ったじゃないか。背が伸びて合わなくなったって」
彼はやっとの思いで、母親に反論した。まだ十二歳の彼には新しい服を買うような金はなかった。

「それならケニアのお父さんに背広代を送ってもらうように手紙を書きなさいって言ったでしょう。何もしなかった、お前が悪いのよ」
母親はめったに物を買ってほしいと頼まない息子の願いを無視した後ろめたさに苛つき、彼の事を厳しくなじると、乱暴にその手を引き、急いで洋服屋へと連れて行った。そして、しばらく着られるように彼の寸法よりも大きすぎる服を買い与えた。

 ジョンとナンシーは、新しいが、やはり身体に合っていない服を着させられた彼をあからさまに嗤った。彼は、悲しい想いを堪えて、クリスマス祝いの席に座った。

 マッケンジー家に滞在した一週間は、彼にはとても辛かった。彼は母親にとって自慢の息子ではなく、恥ずべき過去の汚点、もしくはなかった事にしたい間違いの申し子であるように感じた。

 彼女が選んだ新しく正しい伴侶であるマッケンジー氏は、打ち解けない彼にあまり関心を示さなかった。彼の二人の子どもたちは、彼を馬鹿にして一緒に遊んでくれようともしなかったし、話の輪に加えてくれようともしなかった。

 だから、今年のクリスマス休暇が近づいてきて、母親からいつ帰省する予定かと訊かれた時に、彼は口ごもった。
「その……帰らないといけないのかな」

 母親が「もちろんよ。私はお前を待っているのよ」そう言ってくれるのを期待していたように思う。もしくは、彼女がどこか他の場所で彼と二人でクリスマスを過ごしてくれるのを。けれど、母親の答えは「無理に来なくてもいい」だった。

 彼は、クリスマス・ソングを聴きながら、乾いたサンドイッチを冷めた紅茶で流し込んだ。寒くて、やりきれなかった。

 窓の向こうの生徒の部屋には、たくさんのクリスマスカードが吊るされている。彼の手元には一枚のカードもなかった。父親は、彼が書いてもカードを送ってくれた事はない。アルコール中毒の祖父はクリスマスカードの事はいつも忘れていて、二月ぐらいに返事を書いてきた。

 それでもその祖父だけは、血の通った文章で手紙を書いてくれる。彼の手紙に返事をくれる。生まれ育ったケニアとは全く違うイギリスの景観、風物、文化、人びと、寄宿学校の生活、感じる事、内氣な性格と友達のいない環境で育ったために未だに周りの生徒たちに馴染めない寂しさや悲しみ、ケニアへの強い望郷。それを受け止めてくれるのは、祖父だけだった。アルコール漬けになっていたせいで、返事は遅く、筆蹟は震え、あまり意味をなさない事も書いてあったが、彼はそれでも祖父の手紙を心待ちにしていた。

 その祖父に電話をする事すらできない。彼には、冷たいサンドイッチと紅茶を買うだけの小遣いしかなかった。今日の彼は本当に一人だった。ケニアは遠く、どれほど寂しくて悲しくても、突発的に戻る事はできない。

 早く大人になりたい。彼は手の甲で涙をぬぐった。空港ヘ行き飛行機に乗りたい。逢いたい時に自由に祖父の所に行けるようになりたい。洋服も自分で買えて、暖房のある家に住んで、それにできる事なら一緒に暮らす家族のいる、そんな大人になりたい。毎年のクリスマスにこんな惨めな想いをしなくて済むように。

* * *


 彼は赤いカードをチェストの上に立てた。一度は開いたが、その必要はない。差出人も文面も毎年同じだ。そのことに傷つく事もない。彼はもうティーンエイジャーではなく、寄宿舎で震えている生徒でもなかった。

「親愛なるヘンリー。
クリスマスおめでとう。あなたの健康と幸福を、ここバースより祈ります。母より」

 彼は、今年送られてきたカードの絵柄が、去年と同じである事に氣がついていた。廉価なセットを購入して余ったのだろう。

 彼自身が、母親に対してクリスマスカード以外の通信をやめてから、どのくらいになるだろう。それまでは、時おり手紙を送っていたが、何回かに一度送られてくる返事には、形式的な文章か感情的になる事をやめるようにという諌言しか書かれていなかった。日常の喜びや悲しみを書く事をやめ、学業の成果と天候のことなどを書くようになった。それから、もしかしたら封すら切らずに屑籠に捨てられているのではないかと虚しくなり、通信においてだけでも関係を保とうとする努力を諦めてしまった。

 父親からはクリスマスカードをもらった事はない。父は少なくとも正直なのだろう。必要以上の関わりを持ちたくない人間に、クリスマスだからといって祝福を与えるのを偽善と感じるのかもしれない。

 祖父が亡くなり、彼にわずかな遺産を残してくれたので、彼は十三年前にケニアに戻ってきた。この地で研究をして博士号をとった。小さい私立大学の講師をしながら、《郷愁の丘》と呼ばれる地の果てに住んでいる。それは夢にまで見たサバンナでの暮らしだった。ここは少なくとも彼の家で、決して贅沢はできないが彼自身の収入をやりくりして、生活が出来ている。

 寄宿学校時代の惨めな日々に比べれば、今はずっとましだ。暖炉にくべる薪もあるし、サンドイッチよりはマシなものを食べる事もできる。ただし、一番実現したかった願いは未だに叶っていない。あいかわらず共に祝う者はいない待降節だ。

 父の家族、つまり父とレイチェルと、マディとその夫のアウレリオと子どもたちは、綺麗に飾り付けられた家で、ご馳走とプレゼントと笑いに満ちた幸福の象徴のようなクリスマスを過ごす。レイチェルの好意で、彼は二十五日の昼食に招待されるので出かけていく。

 もちろん今年も、あまり話は弾まないだろう。いや、彼以外の家族は和やかで笑いに満ちた楽しいクリスマスの午餐を楽しむが、彼だけが言葉を挟むタイミングを掴めないのだ。レイチェルやマディに相槌を求められた時には、わずかに何かを言うが、それ以外はまたいつものように黙っている事になるのだろう。

 彼でも、たくさん話をする事もあるのだ。春にここ《郷愁の丘》にジョルジアが滞在した時は、朝から晩までずっと会話をしていた。この秋にニューヨークの学会に行ったときも、ほぼ毎晩彼女と待ち合わせて、彼女のフラットでじっくりと話し込み、大衆食堂《Sunrise Diner》で彼女の友達に囲まれて楽しく過ごした。

 ケニアの《郷愁の丘》に戻り、都会の喧噪と長旅の疲れから解放されて、心からリラックスするはずだった。けれど彼は、いるはずのない人の欠如に苦しむ事になった。イギリスで夢にまで見た懐かしいサバンナは、彼にとって絶対的な約束の地であることに変わりはなかったし、愛犬ルーシーとの静かで穏やかな日常には満足していたが、誰にも必要とされない存在であることを思い知らされる待降節は、彼の表情を暗くした。

 去年の待降節はこれほど憂いを感じなかった。裕福ではなくても少なくとも凍えない我が家があり、サバンナにいて、一緒に祝う家族の代わりに愛犬がいる事に満足していた。夢想する彼の女神は、二度と逢う事もない遠い存在で、彼女との未来に何も期待していなかった。

 同じ家、同じ一人の待降節が寂しいのは、彼女とたくさんの思い出を作ったからだ。この家に彼女は二週間滞在し、味わい深い家庭料理を向かい合って食べた。今、目の前の椅子に彼女は座っていない。彼女の笑い声や静かで落ち着いた語り口はまったく聞こえない。その静寂は、彼に現実を思い知らせる。彼女は例外的に、氣まぐれで彼と時間を過ごしてくれただけで、人生を共に歩んでくれる家族ではないのだと。彼は、これまでと同じように独りなのだと。

 彼女は、きっとこんな想いはしていないだろうと思った。

 ニューヨークで知った彼女の環境。彼女を心から愛する家族がいて、きちんと支えてくれるハドソン氏のような同僚がいる。そして、いつも笑いの絶えない楽しい仲間が《Sunrise Diner》に集っている。華やかなニューヨークのネオンに加えて、クリスマスの飾り付けと、それらしい音楽が氣分を盛り上げているだろう。クリスマスカードやプレゼントが次々と送られてくるのだろう。

 彼が心をこめて書いたカードと、木彫りシマウマのロウソク立ては、おそらくたくさんの贈り物の中に埋もれて、貧相な様子で佇むのだろう。

 クリスマスは苦手だ。彼はひとり言をつぶやき、母親が義務にかられて書いた味氣ないカードだけの置かれたチェストから目を逸らした。
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Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
前半部分のグレッグ、ちょっと悲惨ですね。
自分のせいではないのですが、どうやって彼の性格が形作られたのかがよくわかります。
夕さん、きちんと設定を考えられて書かれているなぁ・・・夕さんの筆力、さすがです。
執筆を終えてから順番に発表される事もあって、きちんと辻褄をあわせることができるんでしょうね。
行き当たりばったりのサキとはえらい違いです。

子供どうしは残酷ですからこういういじめのようなことはあり得ます。そういう時こそ大人のフォローが必要なのですが、実の母親がこれではねぇ。
「無理に来なくてもいいのよ」この台詞、どんなニュアンスで言われたのか、文字だけではわかりにくいのですが、文章からはビンビン伝わってきます。

クリスマスカードのエピソード、この分析も面白いです。
母親から届いたクリスマスカードの通り一遍な文面は理解不能です。
反面、必要以上の関わりを持ちたくない人間に、クリスマスだからといって祝福を与えるのを偽善と感じる・・・の方は、わかるような気がします。
父親とは両竦み状態みたいな状態でしょうか?これでは永遠に2人が接近することは無さそうですね。
でも、やっと慣れてきたグレッグの孤独な人生に、ジョルジアはとんでもないインパクトを与えたんですね。これじゃぁ、寂しくてたまらないでしょう。

届いているのは、あの母親からのクリスマスカードだけなんですね。
あれ?ジョルジアからは届いていないもかな?
クリスマスに何が起こるのか楽しみにしています。
2017.12.13 11:30 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
更新、お疲れ様でした。

外伝というより、作品の一章でもいいような気がします。それくらい、一体感がありますね。

グレッグ、なんとも酷い境遇で育ちましたね。
あそこまで存在を否定されたら、そりゃあ自己否定的にもなりますよね。もうちょっと年齢がいっていたら、また違ったかもしれませんが……。
グレッグの両親、それぞれに事情はあるんでしょうけど、なんとも無責任な。子供に罪は、なかろうに。
ダメ男呼ばわりすることに、ちょっと気が引けてきました。これからは、もうすこし優しく接してあげようかな(笑)

グレッグの幼年期と現在がシンクロしていて、クリスマスだというのになんともいえない寂寥感が漂っていますが、これ、後半になにかを期待していいんですよね?
来週を楽しみにしています。
2017.12.13 13:45 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

お。そちらも降ったのですね。こっちも結構降ったのでお揃いです!

彼の子供時代の設定は、本編を書き出す前から用意していたものなんです。
ジョルジアとグレッグは似ている部分がとても多いのですが、この家族の設定だけは正反対ですね。
ジョルジアは、どちらかというと溺愛されて育ち、グレッグは失敗した結婚の思い出したくない遺物として疎外されて育っています。
彼の自信のなさは、愛情を得られなかった原因は自分の方にあると思っているところにあります。
本当は、ただの大人たちの都合と、たまたま起こったことへの対処方法がうまくいかなかっただけなのですが。

この母親の件は、続編の方でもう少し掘り下げるべく現在執筆中です。父親の方は、「郷愁の丘」本編で少し登場します。

母親はものすごく形式的なことにこだわるけれど、情緒などはあまり理解できないタイプの女性で、グレッグ少年がご馳走や立派な屋敷などよりも、ただ普通の愛情を必要としていることに思いがいきません。また、息子の自分の意に沿わない部分は全て憎い前夫から受け継いだものだと思い込んでいて、その接し方もグレッグ少年を凹ませ続けてきました。という設定ですね。

父親の方は、実は「どうせあの女に悪く吹き込まれていて、だから自分に寄り付かないのだろう」と思っていました。それに「あの女の生んだ子供だ。誰が父親かわかりはしない」とずっと思っていてあまり可愛がってきませんでしたので、グレッグも全然懐いていなかったという背景もあります。離婚の時にDNAテストで実子であることははっきりしたのですが、そこから可愛がるということも特にありませんでしたので、いまだに他人のような仲です。

さて、こういう子供がとにかく育って、地の果てで人との関わりをほとんど持たずに平穏な生活を送ろうとしてきたわけですが、ジョルジアと再会してから、それどころではなくなってしまったのですね。
それも、これまで通り嫌がられたり、無視されたりしていれば、それほどジョルジアにのめり込まないで諦められたのでしょうが、中途半端にキープされているのでどうしていいのかわからずにぐるぐるする羽目になっているというわけです。

さて郵便物ですが、《郷愁の丘》は人里から離れすぎているので郵便配達はしてもらえません。つまり自分で町の私書箱に取りにいかなくちゃいけないのです。待降節は四週間ありますが、ジョルジアからの郵便は前回取りに行った時にはまだ届いていなかったようですね。

来週、後半を発表しますので、その時までのお楽しみです。

コメントありがとうございました。
2017.12.13 22:26 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

この作品を書いたのは本編より後で、間に挟むことも考えたのですがそうするとグレッグ視点の比率が必要以上に増えるので、外伝のままにしておくことにしました。でも、発表するにあたっては、季節的にも時系列もぴったりだったのでここで。実をいうと、本編をもう少し進めると変なところで中断することになるので、その調整の意味もあります。

グレッグの成長過程は、彼の例の性格に大きな影響を及ぼしています。それに、十歳まで子供の友達もいない環境で育ったので、寄宿学校に放り込まれてからもうまく人付き合いができず、結局ダメダメぶりが強化されてしまいました。

ダメなのはその通りですから、優しくしなくてもいいけれど、ジョルジアのちょっとひどい放置ぶりにはもっと文句言ってもいいかも(笑)

さて、前半はかなり惨めな感じですが、まさかこの題名でそのままということはないので、少しだけご安心ください。といっても、大したことないですけれど(笑)

コメントありがとうございました。
2017.12.13 22:52 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
なんなんだろうなあ。。。。
クリスマスの過ごし方って色々ですよね。
私は仕事だからアレだけど、
日本だと当たり前ですけど祝日でもないのですよね。
(まあ、私は正月3が日も仕事ですけど・・・)。


人それぞれで思い出って残っているんですよね。
私の子どもの記憶では、クリスマスは美味しい洋風ご飯を食べて終わり。
父親は仕事から遅く帰ってきて、それを食べる。
・・・それだけだったので。
クリスマスに感慨がないですけど。

人によって、クリスマスの意味が変わる。
ううむ。。。重いですよね。

2017.12.15 00:49 | URL | #- [edit]
says...
グレッグの学生時代の境遇に、改めて驚きますね。
よくぞグレずに大人になったもんです。
子供のままで居たいという言葉は、満ち足りた子供だけのセリフなんだなあ~と、切実に感じますね。
グレッグの母親、最低だなあ。親になる資格の無い粗悪品。
新しいパートナーも子供も、似たもの同士かあ~。とことん、グレッグはついてない。

グレッグがこんな卑屈な部分を持ってしまったのは、仕方ないですよね。
そこに現れたのがジョルジア。今までのマイナスを全てチャラにして、プラスにしてしまうような幸運。

ここでグレッグがまだ「寂しい」なんて思ってるのは、自分がジョルジアにまるで思われてないと思ってる証拠ですよね。
こりゃあ、神様はひと肌ぬがなきゃ。
生誕を祝ってもらってるだけじゃダメですよ。
迷える子羊に、幸せを与えなきゃ。ね><
2017.12.15 02:59 | URL | #GCA3nAmE [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

そうですねぇ。日本だと子供がプレゼントをもらい、恋人たちがイチャイチャする日扱いですが、キリスト教がメインの国では完璧にお正月ですね、日本の。
だから、仕事は休みになるし、家族が集まるし、掃除もしなくちゃいけないし、そういうときに一人ぼっちだと「なんだかなあ」と感じたりするんですよ。

さて、日本人ですが、実家はカトリックだったので、平均的な日本の方たちよりも欧米人に近いクリスマスを過ごして育った私です。そして、残念ながら日本ではまったくモテなかったので(笑)日本式「恋人たちのクリスマス」をやったことはないですね。もっとも、ケン●ッキーフライドチキンのクリスマスはちょっとやってみたかったなあ。今は、近くにあのチェーンがないので、幻の過ごし方になってしまいました。

クリスマスも三が日もお仕事ですか。お疲れ様です。
お身体を大切に頑張ってくださいね。

コメントありがとうございました。
2017.12.15 21:57 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

そうなんです。「いつまでも子供のままでいたい」というのは、きっと幸せな子供である証拠なんですね。
辛い境遇の子供は、早くこの環境から抜け出したいと切実に願っているんですよね。
グレずにって、シャレですか(笑)
彼は内向的なので、外側に発散できずに内側にこもってしまったのですね。

こういうタイプなので、キャシーみたいなシャキシャキして誰とでも仲良くできるタイプの女性には自分から話しかけることもできません。
でもジョルジアは、わりと同類に近い社交性だと思ったので、氣後れせずに近づけたのですよね。
で、ニューヨークに行ってみたら、実際にはけっこう友達もいて、家族からも溺愛されていて、自分ほど一人ぼっちじゃないとわかってしまったので「そうだったのか」とまた落ち込んでいるわけなんですよ。

彼の母親も父親も、社会的には(犯罪者とかDV常習とか無職などとちがって)「立派な人」と思われているのですけれど、それが理想的な両親の条件ではないということですよね。

このストーリーを組み立てるにあたって、ジョルジアの方は言葉の暴力によるトラウマとできすぎた兄妹に対するコンプレックスを、そしてグレッグの方はアダルト・チルドレンであることをそれぞれの足枷として設定しています。どちらも実際の世界にも普通にある人間関係の障害ですけれど、私が作品で使うのは今回が初めてかもしれません。

グレッグはため息なんかついていますけれど、世界にはもっと切実に可哀想な人たちもいるから、幼子キリストはそっちにかかりきりじゃないでしょうかね。とはいえ後半は、一応題名にふさわしい方向にいきますのでご期待ください(笑)

コメントありがとうございました。

2017.12.15 22:45 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
コメント欄でアダルトチルドレンという言葉がありましたが、
なるほど!
本編のほうでもそうですが、わたしがこんなにグレッグにシンパシーを感じるのは、育ってきた環境が所々彼とリンクする部分があるからなのかも。
わたしもそうですが、クリスマスやお正月が苦手なのも、「家族」というものを否応なく意識させられるから……それは日本でも欧米でも変わりないのですね。
父母との関係も、その複雑さ、微妙さがよく描写されていると思います。
あからさまなDVやネグレクトじゃなく、両親ともにそれぞれの思惑で動いているんだけれど、それがどこまでも上手く噛み合わないところとか、リアルですよね。
冬という季節と冷たい料理と両親の冷たい反応と。
それらがセットになって、グレッグの心にどんどん冷たいものが蓄積されていったんだろうなあ……って思いました。

グレッグにとって《郷愁の丘》が特別なのは、祖父との血の通った思い出と
一体化している部分があるからなのですね。
《郷愁の丘》で1人で過ごす時間は、これまでは家族とのしがらみや煩雑さから逃れ得る安全で最良の方法だったのかもしれないけれど、ジョルジアといっしょに過ごしたことでそのある意味閉じられた安寧に風穴が開いてしまったのですね。
グレッグが1人椅子に座って、向いにジョルジアの姿を幻視している姿が
ありありと浮かぶようです。

ニューヨークで彼が感じたであろう疎外感、ここではっきりと描写されていますね。
確かに、彼とジョルジアでは、育った環境だけでいえば正反対ですものね、
彼がそういう誤解というか解釈をしてしまうのは仕方がないのかな……って感じました。
だいぶん後ろ向きな勘違いをしてますが……
とはいえ、後編ではもう少し希望が見える展開になっているのかな?
どうかグレッグにあったかいクリスマスを〜
祈らずにいられません……!
2017.12.18 02:13 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

アダルト・チルドレンのことは、日参させていただいている某ブログで定義やどういうことなのかなどを学ばせていただいているのですけれど、実は「アダルト・チルドレンという設定にしよう」と決めてキャラクター設定をしたわけではなく、勝手に生まれてきたキャラクターを執筆しながらブログで確認したら「原因も結果もそのまんまじゃん」だったわけです。ジョルジアの方も「トラウマを持っている事にしよう」と決めたわけでなく、勝手に生まれてきたキャラと状況を解説するとそういうことになる……のですよね。

「父親は厳しいけれど子供思いで、母親は優しくて子供のためになんでもする」的な両親はもちろん多いのかもしれませんけれど、「親なら我が子を無条件に愛して当たり前」ではないんですよね。私の小説には、いわゆる愛情深い親があまり出てきません。いや、設定しているんですが、あまり大きな役割を果たさないのですよね。例えばジョルジアの両親はわりと普通のいい両親です。でも、描写するとストーリーの方向性がぶれるので全然出しません。むしろ親であっても人間であって、期待された役割をうまく果たせない事がある、という方向で使う方が多いです。そのボタンのかけ違いがストーリーを動かすてこになるんですよね。これも、多分私の育った状況と関係があるのだと思います。

それに、私の執筆テーマからすると、そうなっちゃいがちなんですよ。

グレッグの父親は社会的には超立派、母親も主婦の鏡ですが、どちらも失敗した最初の結婚のことは忘れたいに近い想いがあるようです。一方で祖父は、割と普通に孫を愛していますが、アル中の上にいろいろな事にだらしなく、理想の祖父とは言えない状態です。愛情の与え方もムラがあって、グレッグは本当に辛いときはいつも一人という育ち方をしてきました。今回はその状況を端的に表すために書いた外伝です。

さて、クリスマスは日本でいう正月なんですね。
「家族なんてご免。一人で本当に幸せ」という人は関係ないでしょうが、グレッグのように暖かい家族が欲しかったのに手に入らなかったという思い出を持つ人間には、クリスマスはちょっときつい季節です。もっとも住んでいるところは赤道直下のサバンナですから、イギリスにいた時ほど「ぼっち」を辛く思うことはなかったはずです。今年だけ例外ですね。

グレッグが一人で涙目になっていることを、多分ジョルジアは認識していません。彼の生い立ちのことは聞いていますが、本人があまり見せないようにしているので、社会とうまく行かなくて悩んでいることや暖かい家族が欲しいと願い続けている事にもいまいち氣がついていません。ジョルジアは自分のトラウマのことで一杯で、彼の心の傷にまで想いが至っていないのですね。しかも相変わらず都合のいいポジションに放置しています。

canariaさんが指摘してくださったように、彼は一つだけ大きな勘違いをしています。彼は「ジョルジアにとって自分はたくさんいる友達の最末尾、どうでもいいポジションにいる」と思っています。ジョルジアは彼のことをどういう存在なのか決めかねているのですが、「恋人」にしろ「友達」にしろなんだか分からないなりに一番大切な存在だと思っています。ここが彼女のずるいところで、それを彼に教えないのですよね。ま、周りにはバレバレですが、個人主義であることもあるし「そりゃ、わかるだろう」と思っているので誰一人敢えて指摘はしません。

後編は、流石にこの題名で放置プレイで終了というわけにはいきませんので(笑)
あまり後味の悪くない着地を目指していますのでご期待くださいませ。

コメントありがとうございました。
2017.12.18 20:58 | URL | #9yMhI49k [edit]

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