FC2ブログ

scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (15)ロンダ、崖の上より

アンダルシアでもう一つのお氣に入りの街がロンダです。崖の上に浮かんでいるような街。マラガからバスに乗って行きます。遥かに広がる大地を眺めていると、日々の生活のつまらない事を忘れていきます。

あらすじと登場人物
このブログではじめからまとめて読む
FC2小説で読む


大道芸人たち Artistas callejeros
(15)ロンダ、崖の上より


「ヤスは、遅いわねぇ。今からみんなで出るとすれ違っちゃうかもしれないし、どうしようかしら」

 蝶子は買い出しにはもうあまり時間がないと、心配して時計を見た。

 稔は園城真耶に電話をしにいっていた。蝶子がそろそろ手紙が着いた頃なので電話をしにいくというと、大学以来面識のない自分の分まで戸籍謄本をとってもらうのに、挨拶の一言もないというのは礼儀にかなわないと主張した。それももっともだと蝶子も思ったので、電話の方は稔に頼むことにしたのだ。しかし、思ったよりも時間がかかっているようだった。

「二人で行ってきてください。ヤスが帰ってきたら、そういいますから」
レネが言った。
「なんだか熱っぽいんです。今晩は食事抜きで寝ていますよ」

 怪訝な顔で蝶子はぐったりするレネの額に手を置いた。レネは赤い顔をもっと赤くした。

「いやだ。すごい熱じゃない! 今すぐベッドに入って」
蝶子は命令した。ヴィルはすぐに上着を取り、出て行く準備を始めた。閉店前に薬を買ってこなくてはならない。蝶子は「すぐにもどるから」と言ってヴィルと一緒に外に出た。

「確か、パラドール前の広場に薬局があったはずよ」
その通りだった。ヴィルは熱冷ましの薬と体温計を買った。

 蝶子は外に出ると言った。
「ビタミンCも摂った方がいいわよね。オレンジかしら。ついでに買いに行きましょう」

「交渉は、あんたがするんだな」
ヴィルはぼそっと言った。蝶子は吹き出した。はじめて会った時、この人イタリアの果物屋の親父にぼったくられていたわよね。

 果物屋を求めて、橋の向こう側へと渡る。橋の上にきた時に、蝶子は思わず停まった。
「まあ」

 ロンダの街は本当に崖の上にあるのだ。橋は地上百メートルの高さに浮かんでいるようだ。その先にはアンダルシアの大地が広がっている。

 鷹が風に支えられて遥かに続く赤茶けた大地の上を遠くへ遠くへと飛んでいく。その力強い飛翔をみつめる蝶子の横顔に夕日があたっていた。
「ああやって、飛べたらいいっていつも思っていたわ」

 ヴィルは黙っていたが、聴いているという印に蝶子の方に向き直った。蝶子は鷹を目で追っていた。父親のことを考えているのだろうかと、ヴィルは考えた。腹の底に痛みが走る。ミラノで会った時には、こんなことになるとは夢にも思わなかった。

 半ば強制的に引かされた二枚のタロットカード。愛の始まりと誤算。ブラン・ベック、あんたは本当に大した占い師だ。これが運命だとしたら何の因果なのだろう。父親が愛し、母親が憎んだ女。

 父親は絶対に認めないだろうし、母親が今でも生きていたとしたら、間違いなく更に逆上した事だろう。

「ああいう風に自由になりたかった。本当の自由になんか、誰もなれないのにね」
蝶子は続けた。

「あんたは今でも過去から自由になれないのか」
蝶子は、振り向いた。
「逃れたかったものからは自由になったわ。でも、失いたくないものが出来てしまったの。前はそんなもの何もなかったのに」

「あんたがいま持っているものは、何も失わない」

 蝶子は意外そうにヴィルを見た。ヴィルは青い目で蝶子の目を覗き込みながら続けた。
「あんたは最低限のものしか持っていない。そしてそれは誰にも奪えない。あんた自身が手離そうとしない限り」

 でも、それはヤスやブラン・ベックやそれからあなたの事なのよ、テデスコ。蝶子は思った。私が絶対にあなたたちを失わないなんて、どうして知っているの。

 だが、ヴィルは蝶子の言う意味を正確にわかっていた。稔やレネはArtistas callejerosから離れる事はない。つまり蝶子の側を離れない。ヴィルの心も同じだった。だが、いつかは俺が誰なのか、あんたにわかる日が来る。その時にはあんたは俺から離れていくだろう。

「急がなくちゃね」
蝶子は足を速めた。ひどい後ろめたさを感じて。かわいそうなブラン・ベックのことを完全に忘れてしまったじゃない。青い目に吸い込まれそうだった。

 レネや稔だけでなく、蝶子もヴィルの変化を感じ取っていた。出会った頃は殻にこもり、いつもひどく身構えていた。そしてもっと冷たかった。とくに蝶子に容赦がなかった。あの頃、蝶子はヴィルとの舌戦を楽しんでいた。すぐに傷ついてしまうレネや、日本人同士の稔とは出来ないゲームだった。世界を斜めに見ているヴィルの冷たさは、自分も同じく世界に熱くなれない蝶子には心地が良かった。それでいて、多くを語らなくてもわかり合える何かがあった。蝶子がヴィルの無表情から、彼の喜怒哀楽を正確に読み取れるようになるのにさほど時間はかからなかった。稔やレネも同じくその技術を身につけた。

 ヴィルはレネに優しく、稔に敬意を表し、蝶子に厳しかった。そのバランスが三人ともとても心地よかった。それが動き始めている。蝶子に対しての鋭さが薄れてきているのだ。時には優しいとすら言えるような態度を示す。それが蝶子を不安にさせた。

 変わらないでほしい。それが蝶子の願いだった。この果てしない旅をいつまでも四人で続けたい。本来は無理な願いを蝶子は持っていた。いつ、レネがパリに戻りたいと言い出すか、いつ稔が日本に戻ると宣言するか、それは誰にもわからないし止められなかった。過去の事を一切語ろうとしないヴィルも、まともな暮らしをもとめていつ去ってしまうかわからなかった。けれど蝶子には帰るところがなかった。

 かつては誰にも求められない存在である事に傷ついたりはしなかった。フルートを吹きたい、それだけが蝶子の生きている意味だった。家族や友だちなど必要なかった。自分に愛を打ち明けた何人もの男性を拒否することにも何の感傷もなかった。彼らがその後、簡単に自分の人生から姿を消してしまったことにも苦痛はなかった。

 けれど、蝶子はArtistas callejerosのメンバーは失いたくなかった。最初からレネが女としての自分に興味を示していても、頑として無視したのはそのためだった。レネは蝶子のコンピュータの重要データのたとえを理解し、蝶子には真剣になっていない。いつものブラン・ベックとして蝶子の側にいる事を選んでくれている。この距離感があれば、蝶子はレネと百歳になるまで仲間として一緒にいられる事を肌で感じていた。

 稔が蝶子をトカゲ扱いして、最初から恋愛対象から完全除外してくれているのもとても有難かった。兄妹のような近さで、同じ国から来た同胞としてやはり変わらない友情と尊敬を保ち続けられる、その予感が蝶子を安心させていた。

 けれど、ヴィルの事は何もわからなかった。何も知らなかった。知りたいと思うのは、興味本位ではなく、信頼の問題だった。はじめの頃は一切話さなかった両親との確執や、エッシェンドルフ教授との問題を、蝶子はぼかした形とはいえ、三人にさらけ出していた。他の二人も、そうだった。ヴィルだけが違った。レネが泣きながら妹の思い出を語ったような、もしくは稔が遠藤陽子にあてた送金の話を打ち明けたような、痛みの共有が何もなかった。両親の思い出も、バイエルンでの体験も何も話そうとしなかった。なぜピアノがあれほど上手いのか、それでいてなぜ演劇をやっていたとしかいわないのか、それも蝶子を不安にさせた。

 最初は蝶子のようなタイプの女が嫌いなのだと思っていた。こういう性格だと女としては好かれるよりも嫌われる事が多いので、不思議はなかった。稔がそうであるように、人間として仲間として認めてくれていれば、それで十分だったし、かえって有難かった。蝶子も安心して男としての除外範囲に押し込められるからだ。ハードディスクの重要データとして、それはとても大切な事だった。そうでなくともレネのようにうかつに尻尾を振ってくれれば、軽くいなす事もできた。

 けれど、先ほどのように青い目でじっとみつめられると、蝶子の居心地はひどく悪くなる。めったに口を開かないくせに、全く不似合いな優しい言葉を遣われると、どうしていいのかわからなくなる。何を考えているのかわからない。彼も、自分も。蝶子にできるのは、はぐらかす事だけだった。


「う~ん。ひどい熱だな」
稔が体温計を透かしながら言った。レネはヴィルから薬と水を入れたグラスを受け取り、難儀そうに飲み込んだ。蝶子はオレンジを絞っていた。

「いつから具合悪かったんだ?」
「今朝寒いなと思ったんですけれど……」
赤い顔でつぶやくレネはまるで稔に怒られてしょげているように見えた。

 稔はオレンジジュースを持ってきた蝶子に場所を譲った。
「この部屋は風が通るんだよな。少しましな宿に移そうか」
「そうね。その方がいいかもね。ホテル探してこようかしら」

 するとレネは大きく首を振った。
「探さなくていいです。みんなが側にいる方が安心だから……」

 三人は顔を見合わせた。ヴィルが毛布をもう一枚かけてやった。やがて薬が効いてきたのかレネは寝息を立てだした。

 三人はレネが目を醒まさないように、小声で話をした。
「どうする。ブラン・ベックが治るまで、仕事には出ない方がいいよな」
「そうね。ずいぶん心細くなっているみたいだし」

「医者に診せなくていいのか」
「明日の朝まだ同じ状態だったら、診せた方がいいと思うわ」

 蝶子は不安そうにレネを見た。今まで仲間の誰も医者が必要になるような病氣や怪我をしたことがなかった。だから、そういうものとは無縁だと思っていた。けれど、生きている以上、こうしたことはいつでも起こりうる。明日蝶子自身もそうなるかもしれないのだ。蝶子は健康保険に加入していないことを思い出した。

「ブラン・ベック、保険に入っているのかなあ」
稔も同じことを考えていたらしかった。

「フランスの保険はスペインでは効かないぞ」
ヴィルが言った。

「だよなあ。テデスコ、お前は?」
「かつては、海外でも効く保険に入っていたよ。だが、ドイツを出て以来、掛け金を払っていないから申請をしても支払いを拒否されるだろうな。あんたたちは保険かけて大道芸人しているのか?」

「そんなわけないでしょう。私たち全員アウトだわ」
蝶子はため息をついた。

「大道芸人生活って、若くて健康だからこそできるのよね」
「そうだな。ヴィザすらない俺たちは保険だってかけられないぞ」
稔も真剣な顔でいった。

「ねぇ。なんとかしましょう」
蝶子はきりりとした目で稔を見つめた。稔はたじたじとなった。
「なんだよ、なんとかって」

「ヴィザよ。とにかく少しでも合法的にこの生活が続けられるように、取得しましょう」
「そんなこと言ったって、どうすんだよ」

「だって、私たちには何人か雇い主がいるじゃない。コモのロッコ氏とかマラガのカデラス氏とか。誰か一人でもヴィザの申請をしてくれるように頼んでみるのよ。なんなら、色仕掛けでも……」

「やめろよ、そんなこと」
稔が即座に否定した。

「なぜよ」
「そりゃ、お前なら、結婚でもしてすぐにヴィザ用意してくれそうなヤツだってすぐに見つかるだろうけど、そんなことをしたらせっかく逃げ出してきた意味がないじゃないか。それに男の純情をヴィザのためなんかに利用するんじゃねぇ」

 稔が蝶子にこんこんと説教するのを、ヴィルは少しほっとして聴いていた。稔が言っているのはカルロスのことだと思った。だが、稔は実はヴィルのために蝶子を説得していたのだ。自分の分も含むヴィザのためにヴィルが苦しむようなことをさせるのは絶対に嫌だった。

「わかったわ。色仕掛けはやめるわよ。でも、助けてくれるか頼むぐらいはいいでしょう? それとも、私たち二人、日本に帰るべき?」
「ち。なんだよ。俺の泣き所をついてくるじゃねぇか。まあ、いいよ。とりあえず例によってギョロ目にでも相談するんだな。だけど、色仕掛けは厳禁だぞ」

「カルちゃんに色仕掛けの必要はないわよ」
蝶子は澄まして答えた。ヴィルが苦しそうな表情をしたのを、稔は目の端で捉えた。


 幸いレネの熱は朝には下がっていた。
「すみません。お騒がせしました」
「まだ寝ていなきゃ。あらやだ、すごい汗をかいたんじゃない。すぐに着替えて。ついでだから今日は洗濯日にしてしまいましょう」

 蝶子はてきぱきと面倒を見た。レネは幸せだった。弱っている時に頼れる仲間がいるってなんて素敵なんだろう。
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち)
  1 trackback
Category : 小説・大道芸人たち
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
この物語の作者の頭の中には、実にたくさんの経験と知識が詰まっている。
そう感じます。
これだけの物語を、文字や映像の資料だけから作り出すことは不可能です。
きっと経験や記憶が、物語の進行と共にプロットの上に溢れてきているんでしょうね。
不自然さなんか微塵も感じませんし、登場人物などはほんと、まるで生きているように、そしてストーリーは流れるように進んで行きます。
街の情景や屋敷の設定などまるでその場に立っているようです。
人物は1人ずつ丁寧に描き分けられリアルです。(ここは本当に羨ましいです)
3Dの映像で外国のディナー(だったかな?)の場面を体験したことがあるんですが、そのリアリティーを思い出すくらいです。目の前で3Dの人物が何人か、楽しそうにおしゃべりをしながら食事をしているのです。すぐ傍に自分が立っているのに登場人物はまったく気付かない、不思議な感覚でした……読んでいてまさにそんな感じです。
サキが仮想世界にはまり込んでいるのは、こういう経験や知識の不足が原因かもしれません。
センテンスごとに巻き起こる新しい事件、登場する不思議な、でも本当に存在しそうな人物。それに4人4様の対応をしながら何故かまとまっているArtistas callejeros、4人の書き分けが本当に上手いです。本当に楽しいです。この物語の設定が実に巧妙だと、回を重ねるごとに強く思います。また新たな流れの出現にちょっとドキドキしています。
どうするんだろう?
2012.10.20 09:47 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
おはようございます。
変な返事ですね。七時間の時差です。

長いのに、読んでいただけてとても嬉しいです。

ロンダは街の地理が頭に入るくらい、何回か行って滞在したりしています。一方でうろ憶えの街や、実は足を踏み入れたことのない街も混ぜています。その違いは描写の差に出ているんだろうなと思います。

四人は、頭の中に実在しているので、それにふさわしい動きしかしません。明確な一人ずつのモデルはいないのですが、稔は日本の男友達、ヴィルはドイツ人、レネはフランス人をイメージして書くので書き分けやすいです。蝶子はね、「自分の絶対にやらないこと、言わないこと」を混ぜるのです。才能があって孤独なキツい美人ですからね。

ちょうど今いる所の問題が、現在終わったチャプター4まで、続きます。でも、ここまで来たらもうすぐに日本編ですものね。

二、三週あいたら、チャプター5に行こうと思っています。

今後とも、どうぞよろしくおつき合いくださいませ。

コメントありがとうございました。
2012.10.20 10:12 | URL | #9yMhI49k [edit]

Post comment

管理者にだけ表示を許可する