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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち 2 (12)東京、羊は安らかに -1-

前回は稔視点で陽子との関係などが語られましたが、今回はArtistas callejerosの四人以外の同窓生を通して、稔と蝶子の事が語られます。といっても、稔と蝶子は大学時代はほとんど接点がなかったのですが。

今回でてきている結城拓人というのは、園城真耶のはとこで、私の小説群ではよく登場するピアニストです。学生時代の蝶子とのエピソードは、もしかして初公開かもしれません。誰かさんが偉そうとか、学生の分際で上から目線だとか、その辺の文句は受け付けません(笑)自分でもそう思いますけれど。

今回も二回に分けています。使った曲は、下に動画を貼り付けておきますね。


「大道芸人たち 第二部」をはじめから読むこのブログではじめからまとめて読む
あらすじと登場人物




大道芸人たち Artistas callejeros 第二部
(12)東京、羊は安らかに -1-


 ゆっくりとバチをあてる。力強い音が稽古場に響く。子供の頃に通い、今は自宅になった安田家の一番大きい稽古場だ。

 陽子は、子供のクラスの稽古を終えて、みなが去った後の稽古場に一人座っていた。ここで子供たちを教えるのは、稔だったはずだ。

 彼女は昨日の午後の稔からの電話を思い出していた。ずっと稔に逢いたかった。せめて声だけでも聞きたかった。彼の失踪以来、それは不可能だと、呪文のごとく自分に言い聞かせてきたのだ。こんなにあっさりと会話が実現してしまうなんて考えもしなかった。

それなのに、どうしてあんなつまらない会話にしてしまったのだろう。自己嫌悪でいっぱいになった。フルート科の四条蝶子に嫉妬の炎を燃やしたなんて、馬鹿馬鹿しい。

 陽子はため息をつくと、稽古場を離れ自室に戻った。窓辺に置かれたレトロなラジオに目を留めてゆっくりと手を触れた。

 これはもともと稔のものだったラジオだ。稔がよく聴いていたFM局に周波数が合ったままになっている。陽子はそれを変えたくなかった。稔が帰ってきた時に、そのままであったら喜ぶだろうと思うからだ。

 しばらく撫でていたが、やがてスイッチを入れた。室内楽の演奏でバロック音楽が流れる。なんてこと、よりにもよってこの曲! バッハのカンタータ第二百八番。心は大学一年の秋に戻っていた。

* * *


「ねえ。稔。これってなんて曲か知ってる?」
陽子は、大学で耳にしたメロディを口ずさんだ。

「バッハだよ。カンタータ二百八。『羊は安らかに草を食み』ってやつだ。お前がバロックに興味を持つなんて珍しいな」
稔は、三味線を手に取ると器用に弾き始めた。

「放課後に、誰かがフルートで練習していたの。どこかで聴いたメロディだなって思って」
陽子は、稔の音色を心地良さそうに聴きながら答えた。稔は手を休めずに言った。
「ああ、それはきっと四条蝶子だな。いつも一人で練習しているらしいから」

「誰それ?」
「フルート科の子だよ」

 陽子はきっとなって正座し直した。
「なぜ知っているの? 稔と親しいの?」

「親しくないよ。ソルフェージュのクラスが同じだから知っているだけだ。いつも熱心に学校で練習しているんで有名なんだよ。親に反対されているから家では練習できないって噂だ」 

「ふ~ん」
陽子は教室の戸口からかいま見た彼女の怜悧な美貌の事を考えた。稔のソルフェージュのクラスには美人ばかりいるのね。かの有名なヴィオラの園城真耶と同じクラスになったっていうだけだって心穏やかじゃなかったのに。

 その次の火曜日に、陽子は再びあのメロディを耳にした。四条蝶子が吹いているんだ。そう思って、陽子は必要もないのに階段を上がり、フルートの聴こえる教室の方に向かった。

 すると、向こうから会いたくない人間がやってくるのが見えた。先日からこっちの顔を見ると口説いて来るピアノ科の上級生、結城拓人だ。
「おや、陽子ちゃん。こんな所で会うとは奇遇だね。運命を感じるな」

 陽子は冷たく拓人を一瞥した。
「私は何も感じませんが」

「相変わらず冷たいねぇ。今日の授業は終わったんだろ? どう、これから一緒にお茶でも?」
「あなたとお茶をするつもりなんか、まったくありませんから。いつもの取り巻き連中と、お茶でも何でも勝手に飲めばいいでしょう」

「そうやって無碍にされると、燃えちゃうんだよね。ま、いいよ。そのうちに君の考えを変えてみせるからさ」

 陽子はすっかり腹を立てて踵を返した。
「待てよ。こっちに用があったんじゃないの?」

「いいんです。フルートが聴こえたから来てみただけ。あなたに会うなんて、本当にゲンが悪い」
振り向きもせずに陽子は足早に立ち去った。もう。なんでクラスメート達はあんなナンパ男に夢中なのかしら。ちょっとばかり顔がよくて有名だからって、ただの女たらしじゃない。

 結城拓人は振られて、わずかに肩をすくめたが、陽子の言っていたフルートの音色に耳を傾け、教室の方に行った。いい音色だった。教室の窓から中を見ると、四条蝶子だった。へえ。一年生がこんな音を出すとは、大したものだな。

 蝶子は、ドアが開いた音を耳にして、吹くのをやめた。 

「いいから、続けて。僕の事は氣にせずに」
拓人は笑って言った。

 蝶子は軽く会釈をすると、改めてカンタータをはじめから吹き出した。拓人は戸口にもたれかかったままそのメロディを聴いていた。女たちを口説く時のニヤついた顔ではなく、真剣な面持ちだった。

 しばらくすると蝶子は音を止めて、困ったように拓人を見た。
「なぜ止める?」
拓人は目を閉じたまま言った。

 蝶子はフルートを握りしめて答えた。
「この教室をお使いになるんじゃないかと思って。私、今日は特別許可を取っていないんです」

「その心配はない。いい音だと思ったから、好奇心で聴いているだけだよ」
「でも……」

 拓人は目を開けて蝶子を見た。
「きれいな音だ。メロディやテンポは申し分ない。ただ……」
「ただ……?」
「平和に草を食みっていうよりは、狼がどこかで狙っているのを氣にしている、そんな緊張感があるな」

 蝶子は眉をひそめた。
「最悪じゃないですか」

「ふん。ただの学生には違いはわからないさ。教員でもわからないヤツがいる可能性は多い」
「でも、あなたにはわかるんですね」
「それは君の心の問題だろう」

追記



J.S. Bach: Adagios- Sheep may safely graze

フルートとチェンバロの編曲のものを貼り付けたかったのですが、テンポが趣味ではなかったので、こっちにしました。
関連記事 (Category: 小説・大道芸人たち 2)
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Category : 小説・大道芸人たち 2
Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れ様でした。

おおう、なんかみんな若いというか、初々しい感じです。ちょっと新鮮かも。
稔がソルフェージュで一緒だったのに蝶子に忘れられていた、というあの因縁噺ですね(いやちがうだろw)
稔と蝶子をめぐる人間関係、なんだか面白そうです。

そっか、真耶も蝶子も同じクラスだって言ってましたね。そりゃ、陽子としてはおだやかじゃないでしょうね。
とはいえ、陽子の方も、拓人のお気に入りだったんじゃないですか。隅に置けないですね。もっとも、本人は迷惑してたみたいですね。なるほど、皆が皆、なびくわけじゃないんだ(当り前か)

カンタータ208番、聴きました。
バロックらしい端正さの中に田園曲っぽさもあって、のどかな情景が思い浮かびます。蝶子、いったいこの曲のどこに、狼を忍び込ませたのやら。拓人の言葉に反論しないところを見ると、的を射ているのかも。

そして、拓人がなんだか毒を吐いてますねぇ。
優男というイメージでしたが、芸術に関しては彼も鬼の血統ですもんね。たしかに、偉そうで上から目線だけど、それも実力の裏打ちがあれば納得できますしね。

このエピソード、後半も楽しみです。
2018.11.07 10:17 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
陽子がメチャクチャ可愛いです。
はっきりとした性格は今も変わらないようですが、そのキツそうに見える表面とのギャップがとても可愛いですね。
稔に対する接し方と拓人に対する接し方、そこまで変えなくっても・・・。
今では割り切ってしまったのか、稔に対する感情は変わってしまっているようですが、当時のどっちかというと酸味の勝つ感情がとてもこそばゆいです。
でもね、まだまだ完全に割り切ってしまった風ではなくて、燃え残った焼けぼっくいがくすぶっているような印象ですね。

そして若い時分の(あ、そんなに前ではないのかな?)蝶子。
今の酸いも甘いも噛み分けたトカゲ女とは違って、話し方も含めて、とても初々しいです。
それにしても、拓人の上から目線、いいですねぇ。
彼は基本的にあまり変わっていないのかな?
でも、言っている事は的確なんでしょうね。
蝶子が眉をひそめるような弱点を、一発で言い当てたんですから。
狼がどこかで狙っているのを氣にしている緊張感?
拓人が狙っているのが原因でないのなら、蝶子の環境に原因があるのでしょうね。
2018.11.07 11:27 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
 こんばんは。

そうです。稔も陽子も、蝶子の存在をチェックしていたのに、トカゲ女は全く憶えていなかったという(笑)

別に美人たちと同じクラスだからって、何かあるって訳じゃないのですが、陽子としては嫌だったのでしょうね。

そして、拓人ですけれど、もちろんあんな軽薄なやつに引っかかる女ばかりじゃありません。
やつが女にモテモテに見えるのは、たんに「数打ちゃ当たる」……。
蝶子も落ちていませんしね。もっともあとで「今からじゃダメかしら」などとほざいていましたが。

さて、バッハの「羊は安らかに草を食み」は、バッハの数多くの作品でも、五本指に入るくらい好きなんです。
どの作品で使うか、いろいろと練った結果、ここで使うことにしました。
本当に、そんな微妙な音が聞こえんのか、というような突っ込みもあるかもしれませんが、どうなんでしょうね。
少なくとも私にはわからないかなー。

拓人も後半に出てくる真耶も、妙に上から目線なんですが、これは仕方ないかなーと。
子供の頃から、トップクラスに囲まれ、この時期には二人ともすでに成果を出していたりするので
大学でも特別扱いでした。

後半も、拓人と蝶子の会話が続きます。
「大阪 秋の陣」の後ですが、また読んでくださると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2018.11.07 16:10 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

稔も江戸っ子ですが、陽子もかなりパキッとした性格です。
いろいろな人によく思われようという思いがないので、拓人のようなナンパ男には容赦がありません。
っていうか、稔以外は、全員ナスやカボチャとかわらないのか。
陽子は、全く割り切っていませんね。この人、変な意味で迷いがなさ過ぎるんです。

さて、蝶子の方は、これはまだ学生時代ですので、教授に会っていろいろ教え込まれる前です。
真面目に練習していましたし、すでにトカゲ女的性格の片鱗は見えていますが、まだ普通の日本人女性に近いです。

拓人は、あまり今とかわっていないかもしれませんね。
まあ、これは大失恋の前なので、演奏の方も、女の軽んじ方も、まったくおすすめできない感じです。
でも、今回は、的を得たことを言っている模様。

蝶子には心配事があるのです。
その内容はまた来週。

コメントありがとうございました。
2018.11.07 16:21 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
あ、電話の後の陽子。
そっかそっか、いろいろ気持ちをぶつけてしまっちゃったけれど、
こうして一人反省会をしていたのですね。
顔の見えない電話って、こういうのが歯がゆいですね。
そうですよね、前回の電話、陽子は多分本当に
伝えたかったことの半分も伝えられてなかったと思うのです。

そして過去の回想ですが、おおお、蝶子さんが初々しい……
陽子もそうですし、なんていうかみんな会話が「大学生」ですよね。
何気ない会話なのに行間から大学の匂いとか空気感が伝わってくるようでした。

『羊は安らかに草を食み』拝聴しました。
導入部の穏やかな曲調からの中盤の少し泣きの入るメロディーが
素敵な曲ですね。
上品なのに聴きやすいなぁ、と感じました。

確かに、この曲自体が蝶子さんのイメージとは少し遠い感じです。
でも、演奏者だったらそこを悟らせないのが腕の見せ所なんだろうな。

何だろうな、逆をいうと、教授との出会いは本当に
蝶子さんにとって音楽的人間的熟成、妙技(上にぐんぐん伸びるまっすぐな成長、とはちょっと違うというか)をもたらしたんだろうなって思いました。

蝶子さんの心配ごと……
なんだろう?
この曲には必要ない(?)変な緊張感があるということで
やはり音楽には演奏者の心情が透けて出るものなのでしょうね。
2018.11.13 02:53 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

陽子は稔にどうやって帰って来てもらうか、それでいっぱいいっぱいなのですよね。
稔には帰る選択肢がないのに、それを受け入れられない。
伝えても無駄なのに、さらに100倍伝えたがっています。だから、逃げられるのに。

さて、回想では、まだみな若かったですね。
先の事も分からないし、不安だったでしょうね。同時に理想に燃えて、まだ擦れてはいなかったのかも。

このカンタータは、昔から好きで、いつか使いたいと思っていたのです。
多少唐突感はありますが、ラジオ放送していそうであり、さらにいうと蝶子と稔と陽子と拓人を結ぶエピソードに使う曲としては、妥当だと思いました。
ソナタ形式で、真ん中で陰調に転調しています。 蝶子とチャラい拓人が演奏するバッハというのも笑えます。

蝶子らしさが完成したのは、やはり教授の薫陶を受けた後ですね。
そういう意味で、今との違いが出ていたとしたら嬉しいですね。

さて、後半のエピソードは大したことないのですが、また読んでいただけると嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2018.11.14 13:33 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ま。難しいところがありますよね。会話って。
とっさに出てくる言葉が嘘なのか真実なのかって問題でもありますし。
まとまって言葉を伝えたかったら敢えて、手紙って手段もありますからね。
それを考えると、結構、私も会話で後悔することはありますね。
日本人的問題なのか、全世界共通なんですかね?
(~_~メ)
2018.11.16 01:16 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。
対面の方がちゃんと話せる人もいれば、電話だとうまく話せるという方もいらっしゃいますよね。

ただ、この話の場合は、前もって考えておいて手紙でちゃんと伝える、などということは不可能な状況ですからねぇ。

いずれにしても、「ああ、やってしまった」はけっこう誰にでもあることで、それをどう挽回するか、しないかも本人次第というところでしょうか。

コメントありがとうございました。
2018.11.16 16:04 | URL | #9yMhI49k [edit]

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