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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】好きなだけ泣くといいわ

この記事は、カテゴリー表示のためのコピーです。

今年最初の小説は、毎年書いている「十二ヶ月●●」シリーズです。今年は2013年にやったものと同じ「十二ヶ月の歌」にしました。それぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いていきます。一月はジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」を基にした作品です。

かなり有名な曲ですし、著作権的にわからないので訳は書きません。検索するといっぱいでてきますし。歌詞は、不実だった元恋人がやってきて泣いていると言うのに対して「私だって散々泣いたんだから、川のように泣くといいわ」と返すものです。

出てくる登場人物は、「ニューヨークの異邦人たち」シリーズのサブキャラたちです。今回登場しているのは、「ファインダーの向こうに」と「郷愁の丘」のヒロイン・ジョルジアの妹であるアレッサンドラと、その周辺の人物。元夫のレアンドロも別の外伝で既に登場済みですね。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む

【参考】
「ニューヨークの異邦人たち」
「ニューヨークの異邦人たち」




好きなだけ泣くといいわ
Inspired from “Cry Me A River” by Julie London

 丁寧に雪かきをしてあっても、石畳の間に残った雪が凍り付いていた。安全にドタドタと歩ける無粋なブーツを履いていなかったので、いつもよりもスピードを落として慎重に歩いた。アレッサンドラ・ダンジェロが、雪道で滑って転ぶなどという無様な姿を晒すことは、何があっても避けなくてはならない。

 スーパーモデルとしてだけではない。ヴァルテンアドラー候家当主プリンツ・ツア・ヴァルテンアドラー の称号を持つ男と結婚したため、現在の彼女にはそれにふさわしい品格が求められているのだ。
 
 娘のアンジェリカは、暖かい部屋でもうぐっすりと眠っているはずだ。父親のもとでの二週間の滞在を終えて、明後日またアレッサンドラと共にアメリカに帰るのだ。

 九歳になるアンジェリカは、アレッサンドラの最初の結婚で生まれた娘だ。その父親であるレアンドロ・ダ・シウバは、ブラジル出身のサッカー選手で、現在はイギリスのプレミアムリーグに属するチームで活躍している。娘を溺愛しているにもかかわらず、毎週のように会いに来ることが出来ないのは、そうした事情があるからだ。

 だから、学校の長期休暇には、アンジェリカが長い時間を父親と過ごすことに反対したりはしなかった。時おりイギリスまで娘を送り迎えする必要があってもだ。

 今回はレアンドロが、アレッサンドラと今の夫がヨーロッパでの多くの時間を過ごすスイス、サン・モリッツへと足を運んだ。そして、愛する娘との長く大げさな別れの儀式を繰り返した後に、滞在しているクルムホテルに戻った。

 そのまま、彼の鼻先でドアを閉めて、暖かい室内に戻ってもよかったのだ。なのに、どうした氣まぐれをおこしたのだろう。彼女は、前夫に誘われてクルムホテルへと行ったのだ。重厚なインテリアのエントランスの奥に、目立たないバーがある。別れてから五年経っている。アンジェリカの受け渡し以外の会話をしたのは本当に久しぶりだった。

 スイスという国に、有名人の多くが居を構える理由の一つに、この国の住民の有名人に対する態度がある。たとえ、いくら山の中とはいえ少し大きな街に出れば化粧品や香水の巨大な広告は目に入る。金色の絹のドレスを纏い挑戦的に微笑むアレッサンドラの顔はすぐに憶えるだろう。街を歩いていて「あ」という反応を見せる人はいくらでもいる。けれど、彼らはそのまま視線をそらし、何事もなかったかのように歩いて行く。カメラを取り出したり、通り過ぎてから戻ってきてサインをねだったりしない。

 ホテルの従業員たちも、バーにやってきたのがプレミアム・リーグで活躍する超有名選手と、離婚した超有名スーパーモデルだということを即座に見て取っただろうが、それとわかるような素振りは全く見せなかった。

 クルムホテルのバーで、たった一杯カクテルを飲み、一時間後に颯爽と立ち去った。タクシーを呼んでもらうこともなく、迎えをよこすように連絡することもせずに、彼女は一人歩いた。頭を冷やすために。

 別れた夫との会話が、彼女の頭に渦巻き、彼女を戸惑わせている。

 彼は、二人の共通の興味対象について話しだした。
「それで、お前がこちらで過ごす時間が増えているなら、いっそのことアンジェリカの学校もロサンジェルスにこだわる必要はないんじゃないか」
「そうね。でも、この辺りには英語で通える学校はないのよ。ルイス=ヴィルヘルムはフランス語圏には、今のところ行きたくないみたいだし。もう少し大きくなったら寄宿学校という案も考えないでもないけれど」

「そうか。マンチェスターの学校ってわけには……」
「いきません」
ぴしゃりと言われて、レアンドロは仕方ないなという顔をした。

「あなたは父親だし、意地悪で会わせないっていっているんじゃないわ。でも、離婚原因を作ったのも、毎週会えないほど遠くに行ったのも、あなたの選択でしょう。私を困らせないで」

「それは、わかっているさ。だから、あの子にもっと会いたくても我慢しているんだ。それに、その、俺の方もずっとイギリスに居続けるって決めたわけじゃないし。でも、アンジェリカとの時間はとても貴重だし、あの子に家庭のことで悲しい思いはさせたくないんだ」

 それを聞くと、アレッサンドラは片眉を上げた。キールの入ったグラスに光が反射している。その姿勢はお酒の宣伝の写真のように完璧で、レアンドロは改めて元妻がスーパーモデルであることを認識した。だが、彼女の口からは、コマーシャルのような心地よい台詞は出てこなかった。

「よくもそんなことを言うわね。で? ベビーシッターと結婚すれば、家でじっとあなたを待っていてくれる人と、アンジェリカと三人で幸せな家庭になるとでも思ったってわけ?」
「……それとこれとは……」

 レアンドロは三本目のブラーマ・ビールを頼んだ。よく冷えたグラスが置かれ、バーテンダーが注ごうとするのを手で制し、瓶を受け取るとそのままラッパ飲みをした。

「始めから結婚するつもりでソニアに手を出したわけじゃないさ」
「手を出してから、乗り換えようと決心したってわけね」
「そう具体的に思ったわけじゃない」

「でも、そうなのよね。私が、一日中テレビ・ショッピングでも見ながら、家の中であなたを待っていなかったから」
「つっかかんなよ。そりゃ、あの頃は確かにお前に腹を立てていたけど」

「けど、何よ。お望み通り、若くて家庭を守る妻を持ったんだから、私に因縁をつけるのはやめてよ。言っておくけれど、アンジェリカの親権は絶対に渡しませんから。あの女の元になんてぞっとするわ」
「わかっているよ。それにソニアは、その、口には出さないけれど、さほどアンジェリカを歓迎していないし……でも、お前だって、再婚したんだし、おあいこだろう」
「ふふん。あいにくだけど、ルイス=ヴィルヘルムは、アンジェリカを大切にしてくれているわよ」

「その前のヤツは」
「あの男のことを思い出させないで。あの結婚はそれこそ完全な間違いだったわ」

 アレッサンドラは、眉をしかめた。彼女の二度目の夫は、テレビなどで活躍するモデレーターだったが、表向きの人当たりの良さに反して、家庭では支配的で嫉妬深かった。また子供が嫌いで、アレッサンドラがいない時にアンジェリカに対して意地の悪い言動を繰り返していた。

 アンジェリカの様子がおかしいのに氣がついたアレッサンドラが、使用人の協力を得て現場を押さえた。結婚してから半年経っていなかった。一刻も早く離婚したかったため、離婚原因については他言しないという申し合わせをすることになっていた。いずれにしてもレアンドロにその件を詳しく話すわけにはいかない。あの男の愛娘への仕打ちを知ったら、後先を全く考えずに暴力を振るいに行きかねないからだ。

「そうか。二人目と簡単に別れたから、三人目ともすぐかもしれないと思ったけれどな」
「あなたには関係ないでしょう」

「別れるのか?」
「そんなこと言っていないわ。あなたには関係ないって言っているのよ。こぼれたミルクは元に戻らないって、ことわざ、知らないの?」
「お前は、いつもそうだよな。前を見て、闊歩していく。振り返って後悔したりなんかしない。それがお前らしさなんだけれどな」

 苛ついた様子を見せて、アレッサンドラは向き直った。
「ねえ、あなたは確かに私の娘の父親だけれど、私の再婚にあなたが口を出す権利があると思っているの? あの女と再婚したのはそっちが先でしょう?」

「わかっている。だけど、俺はお前と結婚した時ほど、ソニアと結婚する時に舞い上がっていたわけじゃない」
「なんですって?」

「その、半分は離婚したやけっぱちで、それに半分はソニアがかわいそうで……」
「かわいそう?」

「だって、そうだろう。お前は、離婚しようとしまいと、アレッサンドラ・ダンジェロだ。だが、ソニアは、俺に捨てられたらそのまま人生の敗者になってしまう。家庭を壊した性悪のベビーシッターってことでな。だから、俺は……」
「どうかしら」

 アレッサンドラは、多くは語らなかったが、元ベビーシッターが世間の評判を氣に病むような弱いタイプだと思っていないことは明白だった。レアンドロも、今は自分でも元妻と似たり寄ったりの意見を持っていた。

「でも、俺は今でも時々思うんだ。なぜあの時、あんな簡単にお前と離婚してしまったんだろうって」
「あなたは、自分が言ったことも憶えられないの? 私とは完全に終わりで、仕事を持つ女となんか二度と関係を持ちたくないとまで言ったのよ。不貞を働いたのは自分のくせに」

 レアンドロは、じっとアレッサンドラを見つめて、泣きそうな顔をした。
「俺は、拗ねていたんだ。子供みたいに。お前も歩み寄ってくれて、やり直せるんだって、心のどこかで期待していたんだ。アンジェリカのためだけに俺といるんじゃない、俺とずっと一緒にいたいと思ってくれているってね。その甘さのツケを今払っているんだ。申し訳なかったと思っているんだぜ。時折、俺たちの新婚時代を思い出して、こうなった情けなさに泣いたりしてさ」

「そんなあざとい口説きは、他の女にするのね。ごちそうさま、私帰るわ」
 
 アレッサンドラは、石畳を踏みしめながら、わめき散らしたい思いを必死で堪えた。泣きたいなら好きなだけ泣くといいわ。何よ、今さら。

 私がどれほど傷ついて苦しんで、泣いたと思うのよ。私は強くて振り返りもせずに前へと歩いていくですって。そうじゃない姿を世間には見せないだけよ。

 彼女は駅の近くまで降りてきた。タクシーに乗り込むと、今の家族の待つ家へと戻った。静かな一角にあるその邸宅からは、サン・モリッツの街明かりが星のようにきらめいて見える。外側はコンクリートの直線的な佇まいだが、中に入ると古い木材を多用した柔らかいインテリアがスイスらしい住まいだ。

 暖炉には暖かい火が燃えていて、ソファに座っていたルイス=ヴィルヘルムは、さっと立ち上がってアレッサンドラを迎えた。
「お帰り、寒くなかったかい。言ってくれれば迎えに行ったのに」

 1918年に多くの貴族が王位、大公位、侯爵位などを失った、その一人の末裔として、先祖伝来の宝石や城などと一緒にプライドも受け継いだはずなのに、ルイス=ヴィルヘルムにはどこか山間に走る子鹿のような臆病さがあった。優しく礼儀正しい彼は、アレッサンドラを熱烈に崇拝し、大切に扱う。彼女の仕事も、愛する娘もすべて受け入れ、尊重した。だから、アレッサンドラも、新しい夫を困らせないように、彼の家名に傷のつくような仕事は一切断り、品位を保ち、彼の信頼に応える妻であるように、新しい努力を重ねている。

 まだ二十一歳だったアレッサンドラが、若きレアンドロと出会い恋に落ちた時、品位などということは考えなかったし、努力もしなかった。そこにあったのは、火花のように燃え上がる熱い想いだけだった。世界が二人を祝福していると信じていたあの頃、豪華でクレイジーな結婚披露宴に酔いしれたこと、全てが単純で素晴らしかった。

 あれから十年以上の時が流れ、事情はずっと複雑になり、今夜の二人は同じ場所にいても、もう元の恋人同士には戻れない。アレッサンドラは、優しく抱きしめる夫をやはり優しく抱きしめ返しながら、窓の外を見た。レアンドロの滞在するホテルの辺り、サン・モリッツの街明かりが、泣いているように煌めくのを見て、そっと瞳を閉じた。

(初出:2019年1月 書き下ろし)


追記


こちらが原曲であるジュリー・ロンドンの「Cry Me A River」です。


Julie London - Cry Me A River

もっとも、私はこちらの方がこのストーリーにもっと近いと思っています。ハリウッドのショーっぽい歌。大好きなマイケル・ブーブレのバージョンです。


Michael Buble - Cry Me A River 2009
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