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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】燃える雨

「十二ヶ月の歌」の六月分です。うかうかしていたら七月になってしまいますね。

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「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。六月はAdeleの”Set Fire to the Rain”にインスパイアされて書いた作品です。

この曲も歌詞は特に書きません。ものすごく有名な曲ですし、ネットには日本語和訳が山のように転がっていますので。Adeleといったら、やはり失恋ソング……なので、オマージュして、そのまんまの失恋ストーリーを作ってみました。オチはないので、悪しからず。

六月といったら梅雨、といったら雨、という単純な思考で選んだ曲ですが、日本ではなく三月に遊びに行ったロンドンを舞台にしてみました。一年中、雨の降っている印象のある国ですね。


短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む 短編小説集「十二ヶ月の歌 2」をまとめて読む



燃える雨
Inspired from “Set Fire to the Rain” by Adele

 しばらく待って、やはり出て行くことを決めた。座っていたティールームの入り口には、濡れる前にと駆け込んできた客たちが、早く出て行って欲しいという視線を投げつけてくる。こんな時に、「それがどうした」と跳ね返して、粘れるような強い精神力をリサは持っていなかった。

 次々と入ってくる客たちの対応に追われている店員はなかなか勘定を済ませてくれなかった。ようやく戸口から出た時には、雨は更にひどくなっていて、冷たい風が吹き付けてくる。

「ちゃんと閉めてよ。隙間風が寒いじゃない!」
出てきたばかりの店から、不機嫌な注意を浴びせられ、リサはこの店には二度と来たくないと思った。かつては、あんなに好きだったのに。

 彼と大英博物館で数時間を過ごすと、いつも足が棒になった。世界中から訪れた観光客でごった返す博物館内のカフェではなく、少し歩いてこの店で休んだ。手作りのタルトやスコーン、丁寧に淹れた上質の紅茶、それらを楽しみながら見てきたばかりの博物館の展示に関する話題で盛り上がった。

 ある日は、古代アッシリアやエジプトの展示を中心に観て当時の王権の強大さや発掘品がイギリスに運ばれた経緯について語ったし、また別の日にはジャパニズム・ブームで集められた浮世絵や鎧などについて、リサの方が熱弁を振るった。

 違う日に別の展示の前で、この前と同じ人と偶然であった、そんなきっかけで始まった付き合いは、やがてティールームからパブへ、それから送ってもらったリサの部屋へと移動した。はじめから誘われたわけでもなければ、彼女がを狙って近づいたわけでもなかった。ごく普通に恋に落ちただけだ。彼は、自分のことを多く語らず、友人にもまだ紹介してもらっていなかったけれど、そうなるのにはまだ時間が掛かるのだと思っていた。

 一日で全てを経験できると教えられた天候の変わりやすさは同じでも、希望に満ちてこの街に遷ってきた十年前には、濡れるほどの雨が降ることは珍しいと言われていた。けれどここ数年は、傘を持っていないと憂鬱になるような降り方をすることが多い。

 彼女は、軒下から軒下へと小走りに伝いながら、ニュー・オックスフォード・ストリートを目指した。屋根つきのバス停に駆け込んで一息ついていると、目の前を一台のメルセデスが派手に水をかけていった。

 助手席に座っていたのは、あの令嬢だ。財閥の跡取りを父親に持ち、高級デパートのはしごをして時間を潰していると評判だった。料金を全く考えずに毎晩携帯電話で国際電話をかけまくっているという噂を伝えたら、彼は「金があるだけが取り柄の人間もいるさ。いちいちやっかむ必要はないよ」と笑った。

 でも、今は、やっかむ正当な理由ができたじゃない。彼女は、俯いて唇を噛んだ。メルセデスのボルドーがかったブラウンは、発売当時に人氣がなかったために非常に台数が少ない稀少カラーだ。彼が自慢にするだけあって、同じ車を見たことはまだ一度もない。だから、車を見ただけで運転席に彼が乗っていることをすぐに予想できた。通り過ぎる瞬間に彼の姿を目に留めて、リサは水たまりに注意して身を引くのを忘れた。

「忙しくてしばらく会えない」
その言葉と共に連絡が途絶えたのを、信じようとしていた。飽きられて捨てられたなんて、認めるのが苦しかった。

 電話をかけても出てもらえないことも、メールに返事がないことも、疑惑を大きくしたけれど、それでも決定的な言葉を投げつけられたわけではないと、自分を納得させ続けてきた。

 彼の言葉が、真実ではなかったと知るのも嫌だった。知らなければ、まだ夢を見て彼の誠実さを大人しく待ち続けることができたのだから。

 彼は知的だったし態度も優しかった。氣後れするほどの一流レストランに連れて行ってくれたわけではないけれど、食事をする時には決して吝嗇ではなかった。将来に関する約束などをしたわけではないから、欺されたということもできないだろう。

 どうしようもなく惹かれ、期待して、夢を見たのは彼女の方だった。令嬢などではないだけでなく、誇れる学歴も、輝かしいキャリアも、何一つ手にしたことがない。日々の生活に追われるだけの生活。

 彼を愛するようになり、何かを期待していなかったかといえば嘘になる。磨き抜かれた、一目で高価だとわかる内装のメルセデス。言葉遣いや服装からも、彼女よりもずっと上の社会に属している人だと感じていた。愛と未来の両方を彼が授けてくれることを願っていた。

 その虚しい期待は裏切られ、すげなく水たまりの飛沫を跳ねかけられた。助手席には、美しく彼のビジネスや人生にもっと有用な助けもできるあの令嬢が座り、リサは一人でここで濡れている。

 雨は、どんどん激しくなった。ドラムを叩くようにアスファルトを打つ。濡れている表面は、雨と風で凍るように冷たくなっている。けれど、彼女の内部は、ひどく熱くなっていった。もはや呼ぶことを許されない彼の名前を叫び、惨めな嘆きが届くように願っている。

 美しくない自分、富豪の娘ではない自分、愛されていない自分、顧みられずにびしょ濡れになった自分。そんな自分を戯れに弄び心を奪っていった男に向けていいはずの、怒りや憎しみはそこにはなかった。未だに抱擁を求めて、リサの心は美貌の令嬢を乗せた彼の車を追っている。

 雨と涙でにじむニュー・オックスフォード・ストリートの街灯を、もう見えなくなった車を探しながらリサは立ちすくんでいた。赤い二階建てバスが、静かに停まり、ドアが開いた。待っていた他の客を乗せると、動かない彼女に運転手が声をかけることなく、ドアは再び閉まった。

 バスが行ってしまうと彼女は、深いため息を一つだけついた。冷たく燃える雨に濡れたまま、トッテナムコートロード駅までの道のりを歩き出した。


(初出:2019年6月 書き下ろし)

追記



Adele - Set Fire To The Rain (Live at The Royal Albert Hall)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の歌 2)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の歌 2
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
執筆、お疲れさまでした。
久しぶりに重箱の隅を。『ボルドーかがったブラウン』→『ボルドーがかったブラウン』かと。

大英博物館で展示品についての議論かぁ、と感慨にふけりながら拝読しました。
記念すべき初コラボでしたねぇ。あの初々しさが懐かしい(笑)

リサは、どんな事情でロンドンに移ってきたんでしょうね。
彼にとっては、いっときの遊びの相手、ということだったんでしょうね。玉の輿のは乗りそびれてしまったようですけど、月並みな言い方をすれば、実のない男のようですから、ゴールインしなくて正解だったのかもしれませんよ。
そんな男なんてさっさと忘れて……というふうには、割り切れないようですね。雨に打たれ、バスに乗ることもせずに、なにかを期待していたんでしょうか。諦めて(?)地下鉄の駅に向かうリサの後ろ姿が悲しいですね。
歌詞のように、雨ごと燃やし尽くしてしまえればいいですね。
2019.06.19 10:33 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

わわわ、またやっちゃいましたね。いつもありがとうございます。助かります!

そうそう、最初のコラボはロンドンだったのですよね〜。
リサたちがデートしている横に、例の閣下や蝶子がニアミスしていたかも?

リサは、わざとどちらとでも取れるようにカタカナで書いたのですけれど、日本人の可能性もあります。
なんというのか、ほら、ロンドンやニューヨークへ行ってみたら、特別な感じの自分になれるかも、という美穂みたいなタイプの女性かもしれません。基本はご想像にお任せですけれど。

ここは、徹頭徹尾リサの視点でしか書いていないので、「彼」がどういうつもりだったのかも藪の中です。
弄んでポイしたという読んだままの状況もあり得ますし、「令嬢」はただ車に乗っていただけで特につきあってはいないけれど,要するにリサに何か許せないところがあって距離を置いた,なんてこともあり得ます。ただの誤解で、本当に仕事が忙しくて後から連絡が来た,なんてこともあるでしょう。まあ、でも、大抵はそんな簡単に玉の輿なんて転がっていないのですよ。

さて、このバス停や駅は、実際にこの三月に私も行ったところです。地下鉄やバスをいろいろと乗り継いで目的地に行くのですけれど、バスで一本というルートがあると一番楽なのですよね。地下鉄は乗り継ぎにけっこう時間がかかりますし、慣れないとものすごく無駄なことをしてしまうのです。それにバスの方が安い……。

もっとも、中心地ではないところに向かうのならば、地下鉄の方がいいし、雨に濡れないのは地下鉄ですよね。

リサは、バスでとある駅まで行って、それから地下鉄で一本というルートを考えていたようですが、ショックでバスを逃してしまい、その場で待つのが嫌だったのでとぼとぼ歩くことにしたみたいです。もっと濡れると思うけれど。

以前は傘なんかいらないような、すぐに晴れるか、もしくは霧みたいな雨が多かったらしいのですが,ここのところはびしょ濡れになるようなひどい雨が増えてきたそうです。私もスイスでは滅多に使わない折りたたみ傘を何回も使いました。燃やしちゃえるといいんですけれどねー。

コメントありがとうございました。
2019.06.19 21:32 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ああ、この辺はロンドンロケハンの成果かな?などと思いながら読ませていただきました。
メルセデスの情報はどこで仕入れられたのでしょうね。

いやいや、それにしてもリサかわいそうですよ。ティールームで、バス停で、コテンパンにやられちゃってるじゃないですか?
しかも相手はご令嬢様?
出会いが劇的だっただけに、そして相手が彼だけに余計にショックでしょう。
ここまで典型的な失恋ストーリーがそのまま終わってしまうのは悔しいので、サキはこの続きを想像しています。ちょっとハッピーなエンディングも創ろうと思えば創れてしまう展開で、ちょっと楽しかったです。
彼にも腹を立てていますが、リサ視点のみでの展開ですから、彼の言い分も聞いてみたいかも。

ポルト、しかもサン・ジョアンのお祭りかぁ・・・いいなぁ!
チューリヒのホテルちゃんと取れましたか?
2019.06.20 11:06 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

ロケハンというか、これはおまけみたいな感じでしょうか。
「霧の彼方から」にはロンドンの街の話は全く出てこないのですけれど、私個人が滞在中にあちこち行ったその記憶から作品に使ってみました。
メルセデスの情報は、適当にネットからいただいてきました。単に一目で「彼の車だ」とわかるように書かないといけなかったので。

この作品も、私のデフォルトで、かなりキャラをいじめていますよね。
ま、こんなことは、よくありますよ。

ストーリーは、インスパイアされた歌の歌詞そのまんまで作りましたから、救いはないまま終わっていますけれど、続きはいかようにでもなりそうですよね。私は,何も考えていないし、例によって書きっぱなしですけれど。

彼の視点は皆無なので、本当にこんなロクデナシなのかどうかはわかりません。
単にリサの思い込みが激しかっただけだったりして。

さて、明日からまた旅行モードですね。無事にチューリヒのホテル、取れましたよ。土曜日は朝6時15分の飛行機なので寝るだけですけれど。
というわけで、行ってきます。

コメントありがとうございました。
2019.06.20 21:18 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ひえっ鬱展開
お金だけって言ってたはずなのに…
男女問わずその場で適当なことを言ってる人の方が
モテるのかな…><
2019.06.21 14:06 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。

お金を持っているイケメンと、グラマラスな美女が一般的にモテるようです。経験からも、そういう傾向ですね。私も、その法則にばっちり則ってモテません(笑)

コメントありがとうございました。
2019.06.22 03:41 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
どうなんでしょうね。
一般的に富豪と呼ばれる人たちの生活や性格というのはよく分からないっていうのが私の意見というか、立場ですが。。。
私はお金には苦労してないですけど、
お金持ちではないですからね。。。

やはり、そういう立場の人は色々と大変なこともあるし、
融通が利かないというか、
譲れないものがあるんでしょうかね。
・・・というのを小説を読んで感じました。
( 一一)
2019.06.28 07:25 | URL | #- [edit]
says...
こちらにもありがとうございます。

そうですねぇ。
いわゆるシンデレラ的な成り行きを設定するラノベも多いみたいですけれど、普通に考えるとあまり生活や育ちと極端に離れている人の所に玉の輿的にくっつくと、それなりの苦労はありそうですよね。夢ないですけれど。

もっともこの話は、ある女性の一瞬の視点なので、相手側がどう考えて行動したのかは藪の中です。

コメントありがとうございました。
2019.06.29 20:53 | URL | #9yMhI49k [edit]

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