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Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(6)蜂蜜色の街 - 4 -

「霧の彼方から」の続き、「蜂蜜色の街」の四回に切ったラストです。

バースの「観光案内」的描写、ローマンバスでもなく、バルトニー橋やロイヤルクレセントでもなく、ましてや「サリー・ラン」でもなく、一番さりげないここを選びました。このくらいなら「いかにも観光名所を入れてみました」的な記述にはならないかなと思って……。

さして、こんな形で二人はバースを去ることになります。


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(6)蜂蜜色の街 - 4 -

 表に出ると石畳が濡れていたが、柔らかい陽の光が射していた。
「あら、いつの間にか雨が降っていたみたいね」
ジョルジアは、空を見上げた。噂に聞く英国の天候、一日の間に全ての天氣を体験できるというのは、冗談でも大袈裟でもなく、普段傘を持ち歩かないジョルジアでも今回は毎日折りたたみ傘をバッグに入れることを覚えた。

「傘を広げずに済んでラッキーだったわね。ホテルに帰る前に、また少し散策しない?」
そういうと、グレッグは頷いた。

 彼は、しばらく歩いて向かいの道を指さした。
「あそこに女性の人形があるだろう?」

 オブジェが眼に入った。昔のファッションをしたマネキン人形のように見えるが、全身チョコレート色で艶やかな仕上がりと相まってまるで巨大なチョコレートのように見える。
「ええ。あれ、チョコレート屋かしら?」
「そうだ。バースでは一番有名なチョコレート専門店だろうな。十八世紀にシャ―ロッテ・ブランズウィックという女性が始めた伝統のある店なんだ」

 彼は、店に歩み寄ると、窓から色とりどりのパッケージの並ぶ店内をのぞき込んだ。
「思い出があるの?」

 彼は頷いた。
「ケニアからここにつき、母とマッケンジー氏が正式に結婚するまでの間、僕たちは市内の小さなアパートメントに住んだんだ。僕は、こんな風にショーウィンドウにいろいろな物が並べられている街に住むのは初めてだったし、驚きと憧れでいつもキョロキョロしていた。母は、いつも叱りながら僕を引っ張っていたよ。でも、一度だけ、ここでチョコレートを買ってくれたことがあったんだ」

 それは、彼の誕生日の一ヶ月ほど前だった。二週間後に寄宿学校に入る彼のために、必要な買い物をしながら、二人はバースの街を歩いていた。当日やその直後の週末に、自宅に戻り彼の誕生日を祝うという計画はなかった。母親はマッケンジー氏と結婚し、マッケンジー氏の二人の子供や使用人たちの面倒を見る主婦としての新しい仕事に全力を傾けるつもりだった。

 彼自身は、誕生日を祝ってもらった記憶もなかったので、特別に悲しいとは思っていなかった。歩きながらチョコレート店のウィンドウをのぞき込んだのも、買ってもらえるという期待があったわけではない。彼は、アフリカにいた時から、生存に必要な物か、もしくは教育に役立つ物以外は頼んでも絶対に買ってもらえないことに慣れていたので、物欲しそうな顔すらしなかった。ただ、ひたすらに眩しかったのだ。華やかで楽しそうな箱に詰められた、宝石のようなチョコレートの数々が。

 また歩みが遅れている息子を振り返り、いつものように小言を言おうとしたレベッカは、留まり息子を見た。母親に叱られると悟ったのだろう、少年は黙ってウィンドウから離れて、彼女の元にやってきた。レベッカは、「欲しいの?」と訊いた。

「きれいだと思ったんだ。前におじいちゃんがくれた、キスチョコみたいに美味しいのかな」
そう言うと、母親は呆れた顔をした。

「アメリカの大量生産チョコレートとは全く違うのよ。ずっと美味しいに決まっています。いらっしゃい、入りましょう」
彼女の息子は、目を丸くした。

 中にいた感じのいい店員は、少年に試食用のチョコレートの欠片を二つ三つくれた。高級チョコレートを始めて口にした少年にはどう表現していいのかわからなかったが、その滑らかで香り高い口溶けは彼を天にも昇る心地にした。彼は、その経験だけでも十分に幸せだったが、母親はプラリネが四つ入った小さな箱を買い求めた。

 誰かへのプレゼントにするのだろうと彼は思っていたが、料金を払って受け取ったそれを、彼女は息子に手渡した。
「少し早いけれど、誕生日祝いです。しばらく帰って来られないけれど、しっかり勉強しなさい」

 彼は衝撃を受けた。まさか自分がそのリボンのかかった美しい箱の持ち主になるなんて。嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

「そうだったの。それはお母様との美しい思い出ね」
ジョルジアは、窓の向こうのプラリネの山を見ながら語るグレッグに微笑みかけた。

「この話にはまだ続きがあるんだ。僕はそのチョコレートを大切にしすぎて、クリスマスの前まで開けなかったんだ。愚かなことに、暖房ラジエーターの近くに飾っておいたせいで、溶けてしまってね。食べられなくはないけれど、大して美味しくなってしまっていた。それを母に手紙で書いて叱られた。今にして思えば、母にしてみたらせっかくのプレゼントを粗末にされて悲しかったのかもしれないな」

 ジョルジアは、初めてもらった美しいチョコレートをいつまでも取っておこうとした寂しいグレッグ少年を抱きしめたかった。もし彼が喜ぶのならば、この店中のチョコレートを買い占めて、彼の寄宿舎の部屋に飛んでいきたかった。けれど、彼が待っていたのはチョコレートではなく、きっと暖かな楽しい家庭だったのだ。

 レベッカが、息子に普段は買い与えないチョコレートを贈ったのは、もしかしたら厄介払いをするように寄宿学校に送ることへの後ろめたさだったのかもしれない。でも、そのことを口にしたら、彼にとって数少ない母親との美しい思い出にケチをつけることになる。同様にここで彼にこの店のチョコレートを贈ることも、やはり彼の母親に対するノスタルジーを傷つけることになる。

 テレビでのドキュメンタリーのように、母と子が愛を確かめ合う感動の再会にならなかったことは、しかたがない。けれど、そうであっても、グレッグにとってレベッカは母親で、彼女に対する子供としての想いはこれからも続いていくのだろう。そして、レベッカにとってもそれは同じなのだろう。

 振り返ると、彼はもうチョコレート店を覗いてはいなかった。ジョルジアは、彼に近づいた。彼は、スマートフォンを見ながら何かを思案していた。
「何かあったの?」
ジョルジアが訊くと、彼はメールの画面を見せた。

「いま例の恩師、サザートン教授からメールが来た。教授は、レイチェルとも親しいんだ。僕がイギリスにいるって彼女から聞いたんだろうね、会いに来いと言っている」

 ジョルジアは言った。
「まあ、素敵じゃない。あなたは逢いたくないの?」
「いや、久しぶりだし、可能なら逢いたい。母のところの用事は終わったから、バースに長居をする必要はなくなったんだし。その……また予定を変更してオックスフォードへ行ってもいいだろうか」
「もちろんよ。あなたが学んだ街を見てみたいわ」
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れさまでした。

グレッグにチョコレートを買い与えたレベッカの真意は、なんだったのだろう。
安物ではない高級なチョコの味を教えようとしたのか、グレッグが珍しく欲しがっているように見えたからか。
いずれにせよ、チョコひと箱を宝物のように大事にしていたグレッグ少年が、じつにいじらしいですね。きっと食べてしまったら、やっと手に入れた母親からの贈り物がなくなってしまうと思ったんでしょうね。
ジョルジアが洞察したとおりで、たぶんそのチョコはレベッカからもらったということに意義があるのだろうと思います。それに、今回の訪問で、そこはグレッグのなかで折り合いがついていることでしょうし。

ヴァースの旅は静かな終わりを迎えましたが、こんどはオックスフォードですね。
恩師と、もうひとりのマデリンのご登場、楽しみです。
2019.08.21 06:42 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

TOM−Fさんの想像なさった理由や、ジョルジアの考えた理由もあり得ますけれど、それと同時に、レベッカはジェームスのことも大嫌いでしたが、義父グレゴリー(アル中のおじいちゃんですね・笑)をもっと嫌っていました。で、そのグレゴリーのくれたというアメリカ(ごとき)の安物チョコを我が子が「美味しい」と思っているのが許せなかった……のでは。

毎年誕生日やクリスマスにプレゼントをもらいつけている子供なら、そこまで大事にとっておいたりはしないと思うんですよ。でも、グレッグが親にプレゼントをもらったのは、おそらくこれが最初で最後でした。

彼自身は、もうそれに慣れてしまって、ジョルジアが思っているほど自分のことをかわいそうだとは、もう思っていないと思います。
反対に、今回のことで本当にある意味区切りがちゃんとつけられた、そんな感じでしょうか。

ところで!
TOM−Fさん、私の原稿、いつ読んだんですか?!
章のタイトル、ばっちり当てられてしまった(笑)

そんなこんなで、九月発表分からはオックスフォードに舞台が移ります。

コメントありがとうございました。
2019.08.21 19:11 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
チョコはそれぞれで思い出がありますよね。
日本だったら、バレンタインデーとかを連想させますし。
私の子ども時代は明治のチョコレートを
おやつとして、週に3回は食べていたものです。
今は酒のつまみとして、ビターチョコを食べてます(笑)。
2019.08.23 00:06 | URL | #- [edit]
says...
おはようございます。

明治のチョコ、本当に美味しいですよね。
スイスに住んでいながら、帰国すると明治のチョコを大人買いして帰る私です。
微妙に味が違うんですよ。そして、馴染んだ味が懐かしいのですね。

ビターチョコも美味しい。
健康のためと称して、食べている私です。
ダイエットはどこへ行ったorz

コメントありがとうございました。
2019.08.23 07:38 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
あ、やっぱり夕さんです。
物語が観光へ寄り道するかと思えば、また食べ物の方向へ寄って行きました。
ヨーロッパのチョコレートって、入っている物や風味など、少し癖があるものが多くて、物によっては苦手な印象があるのですが(実はロッテで充分などと思っている)、スペインやポルトガルで手に入れた物は癖が無くて美味しかったですね(塩チョコはちょっと??でしたけど)。
ここのお店のチョコはどんなだろう?
イギリスのチョコってまだイメージを持っていないので、ちょっと興味があります。

さて、レベッカがどういう気持ちでグレッグにチョコを与えたのか、物語だけではまったく想像の域を出ませんが、もちろんキスチョコに対抗する意識は大いにあったと思います。おそらく後ろめたさも・・・。
そして、息子に対する愛情も含まれていた・・・と信じたいです。
ああ、でも夕さんの書き方だと、それは希望的な観測なのかなぁ。
それくらいドライな母子の関係に思えてしまいます。
暖かな部分の描写がありません。レベッカ、損な性格です。
反面、お気に入りの息子だったら子どもが成長できないくらいベッタベタだったのかな?
それはそれで、ねぇ。
グレッグもこういう関係なんだと割り切って、要らんことを母親に知らせなくても良かったのに・・・こんな所にまで律儀な性格なんですね。
ジョルジアの配慮も初めは素晴らしいと思ったのですが、いっそのことチョコを贈ってそんな思い出なんかぶっ壊してしまえ!なんて思ったりして・・・。
揺れ動くサキでした。

お!サザートン教授の登場ですね?
オックスフォードでどのような話が聞けるのか、楽しみに待っています。
2019.08.25 08:28 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんにちは。
バースの有名観光地でひとつだけ選べと言われたら、少なくともここではないと思うんですよ。わざとここにしたのは、いかにもな名所でなかったからです。

それと、ここ店はバースの有名店ですが、世界の有名店ではないですね。それなりに美味しいですが、スイスやベルギーの美味しいチョコは、本当に美味しい。ただし、お値段もすごいです。

さて、レベッカの真意はどうなのでしょうね。ここはあくまでジョルジアの想像です。レベッカは、グレッグはともかく、ジョルジアには全く想像もつかない考え方をする人で、愛情とは何かの定義そのものが違っている可能性もあります。息子に正しい味覚を覚えさせる事や、寄宿制の学校へ送り立派な教育を受けさせることを愛情と信じているのかも。つまり、お氣に入りの息子だったのかも。

グレッグは、本質的にはチョコが欲しかったわけではないし、少なくとも今はチョコは要らないので、これでよかったのでしょう。

さて、新キャラに呼ばれて、二人はオックスフォードに行くことになりました。

来週は別の小説なのでお待たせしますが、また読んでくださいね。

コメントありがとうございました。
2019.08.25 15:13 | URL | #9yMhI49k [edit]

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