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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】霧の彼方から(7)恩師 - 3 -

「霧の彼方から」の続き「恩師」のラストです。

前回、サザートン教授に遭い、心地よい歓迎を受けた二人。結局、ジョルジアにはちんぷんかんぷんの話で盛り上がっています。

私自身がこうした世界に疎いので、極力ぼろが出ないように最低限の記述しかしないのですけれど、あまりにも何も書かないと、まるでグレッグがニートみたいな感覚に陥ってしまう。悩ましいところです。それで、今回は少しは努力したんですよ。結局はジョルジア視点にして逃げましたけれど(笑)

オックスフォード大学の多くのカレッジにある「シニア・コモン・ルーム」(在籍する学生の入れる「ジュニア・コモン・ルーム」とはまた別の部屋)というのは、お茶を飲んだり、ディナーを取ったりすることの出来る部屋ですが、教授や名誉教授など、カレッジで教える資格のある人のみが入室許可証を持ち、一般人は入れません。ここに入る資格を持つことが、一つのステータスなのですね。招待されて入室すること自体、大変な栄誉……みたいです。ま、私には無縁の世界だな。


霧の彼方から「霧の彼方から」を読む
あらすじと登場人物




霧の彼方から(7)恩師 - 3 -

 ウォレスは親しげに笑いかけ、思い出話を始めた。

「ジョルジア、ヘンリーから聞いているかもしれないけれど、もともと私は、あまり面倒見のいい方じゃなくてね。チュートリアルでは、最低限の指導しかしないのが常だったんだ。とくに口が立って調子がいい割に、言ったことをやってこないような学生たちにうんざりしていて、チューターをやめたくて仕方なかったんだ。で、このヘンリーたちを受け持った時期には、必要以上に課題を多くして、嫌われて評判を落とそうと画策していたんだけれどね。彼だけがどんなに大量の課題を出しても全部真面目にやってくるんだ。なのに討論させると、周りの勢いに負けて黙ってしまう。それが歯がゆくてね、とにかく言いたいことだけは言えるようにと、妙に熱心に指導してしまったんだ。そういう意味で、忘れられない学生だったんだよ」

 ジョルジアは、納得した。グレッグは穏やかな性格にもかかわらず、ここぞという時にははっきりと意見を口にする。それは、オックスフォード時代にこのウォレスが熱心に指導した成果なのだ。

「こっちは、写真集ほど簡単には手に入らなかったけれどね。でも、手を尽くせばなんとかなるものさ」
そう言って、ウォレスが手にしたのは一冊の革表紙の本だった。

「あ、それは……」
グレッグが驚いた声を出す。「東アフリカにおけるサバンナシマウマの遺伝子的多様性の解析」という題名が見えた。渡されたジョルジアは、開いて著者の名前を見て納得した。共著になっているが、二番目の著者は「ヘンリー・G・スコット博士」だった。

「レイチェルと三回もEメールを交換して、ようやくこの本が出ているという情報をもらえたんだ。次にこういうのを出版したら、ちゃんと知らせてくれよ」
「すみません。興味があるとは思わなかったので。次回はお送りします」

 ウォレスは、破顔して言った。
「もちろん興味はあるさ。ここで君が書いているマサイマラのサバンナシマウマと、ツァボ周辺集団の遺伝子配列の分析だけれど、離れた地域での行動の類似と結びつけるあたり、面白いアプローチじゃないか。特に、この個体間の遺伝子配列差が少ないグレービーシマウマとの混血個体から、キーとなるアンドロゲン受容体の配列を仮定したやり方に感化されてね。同じ方法をウェールズやスコットランドの馬との比較考察に使ってみようと、関係省庁に申請を出した所なんだ。もしよかったら、改めて意見を交換できないかい?」
「はい、ぜひ」

 それからしばらくの会話は、ジョルジアにはほとんど意味がわからなかったが、ウォレスと生き生きと話すグレッグの様子が嬉しくて、微笑んで見ていた。

「いや、これはまずいな。君の婚約者を退屈させているぞ。ジョルジア、もうしわけない。喉も渇いただろう? そろそろお茶の用意ができているはずだから、シニア・コモン・ルームに行こう」

 樫のパネルに覆われ、深い臙脂の絨毯が重厚な雰囲氣を醸し出すシニア・コモン・ルームは、単なる休憩所ではなく、フェローと呼ばれる教員たちが自由にコーヒーなどを飲みながら意見を交換する大切な社交の場だ。ウォレスが二人を連れて行った時にも、中にいた何人かの教授たちが真剣に何かを語り合っていて、入ってきたウォレスとも親しく挨拶を交わした。

「ここのコーヒーは、アメリカから来た君には濃すぎるだろうか。むしろ紅茶の方がいいかい?」
ウォレスが訊いた。ジョルジアは首を振った。
「いえ、私はイタリア系の家庭だったので、コーヒーは濃い方がいいんです」

「もちろんだな! 君の苗字だけからわかって然るべきだったのに」
その日ウォレスには会議の予定があったので、面会は決して長い時間ではなかった。だが、グレッグもジョルジアも楽しく「ここに来てよかった」と心から思える時間を過ごすことができた。

 退出してから、二人はホテルの前にあるアシュモレアン美術・考古学博物館を見学した。世界最古の大学博物館には考古学資料、イスラムや日本など各国からの美術コレクション、ラファエル前派の絵画コレクション、ミケランジェロやダ・ヴィンチの線画、ターナーやピカソの油彩画、ヴァイオリンの名器メサイア・ストラディバリウス、英国の歴史に興味を持つものは見逃せないアルフレッド大王の宝石やガイ・フォークスが所持していたランタンなどが所狭しと陳列されている。

「公開はしていないけれど、貴重な動物標本なども所蔵しているんだよ。たとえば、ヨーロッパで見世物にされていた最後のドードーの剥製もあったんだ」
「どうして過去形なの?」
「傷みがひどくって、残念ながら十八世紀に頭部と爪を残して焼却されてしまったんだ」
野生も含めて永遠に失われてしまった生物への悼みの籠もった言葉だった。

 博物館の中をゆっくりと見て回り、イタリア・ルネッサンス絵画のコーナーへ行った。目を引いたのはピエロ・ディ・コジモの「森の火事」で、中心に配置された森の火災から逃げ惑う動物や人々の姿が描かれている。

「不思議な作品ね。とても写実的な動物の姿もあれば、ファンタジーのような動物もあるわ」
左の中心部にいる豚と鹿には人間の顔がついている。燃え盛る焰は、まるで本物のような印象を与える。グレッグがスケッチで見せるような写真に近い写実性ではないが、不思議なことにそれでも人の眼にはそれが火に見える。

 二人は、動物たちの特徴や、絵画から受ける印象などについてあれこれ語り合っていた。そこへ、グレッグの携帯電話が鳴った。
「失礼」

 彼が電話を受けるために部屋から出ていったので、ジョルジアはしばらく一人でその部屋の絵を眺めていた。戻ってきてから彼は言った。

「ウォレスからだった。もし明日時間があるなら、また少し研究のことについて話がしたいんだそうだ」
「今日、話をしたりなかったみたいだものね。行くんでしょう?」
「そうだね。君は、どうしたい? その、ウォレスは歓迎すると思うけれど、退屈なんじゃないかい?」

 ジョルジアは、少し考えた。
「そうね。動物行動学の話にはついていけないのははっきりしているし、どちらでもいいなら私は失礼していいかしら。せっかくだから、オックスフォードの街を観光しようと思うの」

 グレッグは頷いた。
「そうだね。きっとその方がいい。じゃあ、夕方にでも待ち合わせしよう」
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
更新、お疲れさまでした。

そっか、グレッグの『ここぞというときは、はっきりと言う』は、この先生によって教えられたことなんですね。こりゃ、たしかに恩師ですね。
それにちょっと驚いた、というか感心したのは、グレッグがたんに絵が上手い学者というだけじゃなく、アカデミックな研究もちゃんとやっていたことですね。さすが博士号もちだ。ちょっと見直しました。研究の中身については、まあその、アレですね(必死にスルーw) 頑張られたとのことで、ご苦労様でした。こういうのって、適度に入れておくと、おっしゃる通り学者という職業が、たんなる設定上の記号ではなく実感できていいですね。

グレッグだけだったら、また何時間もジョルジアを放置していたんでしょうけど、サザートン先生、さすがに気が利くなぁ。
そしてシニア・コモン・ルームでのコーヒーブレイクも含めて、グレッグとジョルジアにはいい思い出になりましたね。いいなぁこういう先生がいるのって。

あ、ストラディヴァリウス・メサイア。ドルフィン、アラードと並ぶ三大ストラディヴァリウスですよね。じつはこれ、ウチの某性悪娘が演奏するというシーンが、オトナの事情でお蔵入りになっているんですよ。……つか、そこに食いつくか(笑)

さて、お一人様でのオックスフォード観光が決定のジョルジア、まさかあそこが気になってとか?
次話を楽しみにしています。
2019.09.18 14:11 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

そうなんですよ。この方に鍛えられたからなのですね。
この「ここぞというときにはちゃんと言う」は、「郷愁の丘」の時から設定していた彼の言動で、そうじゃないとそもそもアフリカに一人で住むなんて無理なのですね(笑)

そして、彼の研究についても、実は以前にも出てきているくらいこの設定があったのです。誰も憶えていないと思いますが、彼がジョルジアと再会することになった「リチャードに頼む用事」というのはマサイマラのシマウマのDNA最終許可に関する事務だったのです。電話で済ませるつもりだったのにジョルジアに逢えるかもしれないとわざわざナイロビまで出てきたあの日のことですね。

一応、天下のオックスフォードで学位を取って、さらにケニアで博士号をとっているということは、いくら窓際研究者とはいえお絵かきだけじゃダメだろうと判断しての設定でした。しかし、設定があるのと、記述するのでは、大きな違いがありまして、今回かなり困りました。で、実際にあるとある方の論文を参考に、こんな記述を……。TOM−Fさんのように学があれば、さらさらっと書けるんでしょうけれど……しくしく。

ウォレスは、誰かさんと違って超有能です。コミュ力も政治力もきちんとあり、しかも、「どんな事にでも抜群の記憶力をもつ」とグレッグが口にしたように、半端じゃなく頭がいいという設定なので、夢中になって他のことを忘れてしまうなんてことはないようですね。

さすがTOM−Fさん、お詳しいですねぇ。メサイアのこともご存じでしたか。私は、ランドルフ・マクドナルド・ホテルでお茶する方に時間を使ってしまい、観にいっていないんですけれど、あんなところにあるんですね。
え〜、姫君が演奏する? どんな事情かわかりませんが、お蔵入りはだめですよ。ぜひ、近いうちに解禁していただきたい! お待ちしています。

というわけで、ジョルジアは、一日一人で市内観光です。大人しく名所巡りだけする……と思います?

コメントありがとうございました。
2019.09.18 19:50 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
 でもサザートン教授、面倒見が悪いのややる気が無いのは別として、やっぱり人を公平に扱うことが出来る人物だと思いますよ。グレッグと熱心でない他の学生を、求めてくる者とそうでない者を、“ある意味”公平に扱ったんじゃないかなぁ。
 弟子のようでもあったし、今は同じ研究者として見てくれているようですし、それにここぞというときにはっきりとものを言うことを叩き込まれたようですし、グレッグにとって素晴らしい恩師だと思います。
 いままで疎遠にしていたのはグレッグのせいですが、これってけっこう恩知らずですよね。これからはしっかりと交流を維持していくのでしょうが、グレッグのことですから彼の方からこの繋がりを積極的に利用する・・・なんてことは無いでしょう。

 グレッグの研究についての描写は上手く書かれるなぁと思いました。必要以上に掘り下げず、けれども専門的にも見え、そしてそれをジョルジア視点でまとめる・・・これくらいの記述が程よいリアリティーを生んでいるように感じます。こういうの、難しいんだよなぁ・・・。

 さてグレッグの携帯を鳴らした教授ですが、今度は研究者としてのグレッグに用事があるのでしょうね。それともその話とは別に何か他の話でも・・・?
 わざわざ視点を変えてここの描写はされないだろうから、考えすぎかな?
 ジョルジアは遠慮してオックスフォードを散策するようですが、彼女がただ素直に観光をするとはサキも思えません。疑問がたっぷりと置き去りになっていますから。
 次話を楽しみに待ちます。 
2019.09.19 11:39 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

ウォレスは、一度グレッグが口にしているように、「どんなことにも抜群の記憶力を持つ」人です。たぶん脳みそが他の人より重くて、きっとIQもとても高いのでしょうね。そして、観察力も鋭いのですね。で、引っ込み思案で埋没しているコツコツ型のグレッグにちゃんと氣付いていたというわけです。要領が悪く、美味しいところを人に持っていかれている彼がもどかしかったのでしょう、徹底的に鍛えたようです。

実は、グレッグのこういうところが氣になって、面倒を見たのはウォレスだけではなく、例えばレイチェルもそうですし、立場は全く違いますがリチャード・アシュレイもなんとなく放っておけずに現在まであれこれと世話を焼いています。まあ、リチャードのやることはありがた迷惑なことも多いようですが。

グレッグは、いつものクセで「きっと僕がうるさくしたら迷惑なんだ」的に距離を置いていますが、ウォレスは迷惑だなんて言ったことはないのですよ。アフリカへ去る時に礼儀正しく挨拶に行ったグレッグに「別れの挨拶なんかしに来るな」言ったのは、「そんな形式的なことじゃなくて、普通にもっと交流しろ」という意味だったのですが、誰かさんは「うっ」となってそれから連絡できなくなってしまったようです。

でも、実母レベッカのことがあってイギリスに来ていなかったら、この再会はなかったわけですから、この旅は彼にとってラッキーだったはずです。ま、レイチェルがウォレスに言ってくれたお陰でもあるのですけれど。

さて、オックスフォードの教授と教え子の研究の会話ですから、何も出さないというわけに行かず「うーん」と唸りながら書きました。全くないとおかしいのですけれど、かといって書きすぎると、詳しい方に対してボロが出るだけでなく、興味のない方にはうるさくなりますよね。さらっと通過するのはどのくらいの内容かと、かなり何度も書き直しました。それでもこのていたらくですけれど。

で、ウォレスは、もちろん研究の話で呼び出しました。それ以外のことは、余計なお世話ですからね。っていうか、ウォレスの登場はこれでおしまいです。

ジョルジアは、ええと、普通に観光だけをするつもりでいたようです。少なくともグレッグにそういった時点では(笑)

一度べつの小説が挟まりますが、またすぐに再開する予定です。お楽しみに。

コメントありがとうございました。 
2019.09.19 20:14 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ふうむ。
ちょっと視点を変えて読んでみた感じになりました。

動物にしても、植物にしても、
今は減少傾向にありますよね~。
アマゾンの森が減り続けていたり、動物の種類が減っていたり。
人間が経済発展を続ける代償として、
自然が減少傾向になっているのですが。。。
なかなか動物を研究する人にしても難しい環境になってきたな。。。
・・・と思いながら読んでおりました。
2019.09.21 01:31 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

グレッグは、アフリカの動物学者なので、都会にいるよりもずっと自然が人間に脅かされていることを肌で実感しているのでしょうね。

現在一年に百種類の生き物が絶滅していて、あと数十年で地球上の生き物の四分の一が絶滅してしまうそうです。

悲しいことですよね。そして、それだけでなく地球上の生物のバランスが崩れることで、結局人類の生存も危険にさらされるのだから「人類の発展のためには仕方ない」という他人事で済まされることではないのですよね。

なんてことも考えながら書いていました。

コメントありがとうございました。
2019.09.21 21:08 | URL | #9yMhI49k [edit]

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