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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】走るその先には

「十二ヶ月の歌」の十月分です。十月はいろいろあって発表できなかったので、ここで。

「十二ヶ月の歌」はそれぞれ対応する歌があり、それにインスパイアされた小説という形で書いています。十月はホイットニー・ヒューストンの “Run To You” にインスパイアされて書いた作品です。これまた超有名な曲ですので、歌詞やその和訳はネットにたくさん出回っています。

歌詞を聴いて(読んで)いただくと、何にインスパイアされたのかがわかると思います。この話も実話をモデルにして書いています。


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走るその先には
Inspired from “Run To You” by Whitney Houston

 最初にヴェルダの存在を意識したのは、いつだっただろうか。レオニーが最初にヘルツェン野犬保護センターでのボランティアに参加したのが二年前だったので、その時にはもう出会っていたのかもしれない。

 最初の年、レオニーは実に軽い心構えでそのプログラムに参加した。好きな動物と触れ合いながら、エキゾティックなイスタンブールの街を楽しめる、パッケージ旅行のようなものだと。

 でも、その考えが甘ったれたものだと、初日に思い知らされた。センターはレオニーと同郷の獣医フライシュマン女史が自費で立ち上げた。彼女は定年後の人生をトルコの放置されて傷ついた野犬たちの保護活動に捧げている。色艶の悪い顔は表情に乏しく、痩せた筋肉質の肌は日焼けで荒れていた。ギスギスとしているのは外見だけでなく、口のきき方も同じだった。だが、あの地獄を毎日続けていたら誰だって朗らかで自分の容姿に氣を配ることなんてできなくなるだろう。

 荷物を奥に置いて一息つく余裕もなく、レオニーはフライシュマン女史が棘を抜こうとしている大きな犬を共に押さえつけるように言われた。それは、後からわかったのだが、アバクシュというトルコの固有種の成犬で、白く豊かな体毛が特徴なのだが、黒っぽい犬だと思い込むほどにひどい汚れにまみれていた。

 痩せこけ、疥癬にまみれて、所々の露出した肌にウジ虫がたかり、さらにどこかの有刺鉄線に引っかかったのだろうか、目の近くに鉄の棘が深く刺さり化膿しかかっていた。ひどい目に遭い続けてきたのだろう、人間不信がひどく、センターのメンバーたちが保護したときも、処置を受けているときも吠え続けていた。

 それから、少しは人なつこさを残している小さな犬たちの世話でくれた一週間は、レオニーに動物保護の現実を思い知らせた。それは愛情に満ちた崇高な旅などではなく、人間の身勝手さと己の無力さに向き合うだけの日々だった。

 同じプログラムに参加した同郷のメンバーで、翌年の休暇もヘルツェン野犬保護センターへ行くことを決めたのはレオニー一人だった。
「思っていたよりも、骨があるようね」
フライシュマン女史は、そう言って初めて笑顔を見せてくれた。

 二年目に担当するように言われたのが、身体が大きい犬たちの世話だった。ヴェルダは、そのうちの一頭だった。トルコ固有種カンガールの血を引くと思われる雑種犬で、身体の多くの部分は白い短毛で覆われ、くるんと撒いた尾と鼻の頭が黒い。保護されたときは生後三ヶ月だったというが、すでにそこら辺の成犬より大きかった。唸ったりはしなかったが、檻の奥に張り付くようにうずくまり疑い深くレオニーを眺めていた。

「ヴェルダって、どういう状態で保護されたんですか?」
フライシュマン女史は、顔を曇らせて答えた。
「ひどい状況だったわ。母犬と一緒に放り出されたみたい。母犬は打ち据えられてあの子を含む三匹の子犬を抱きかかえるようにして冷たくなっていた。生きて保護されたのは二匹だけで、生き残ったのはヴェルダだけ」

「そうだったんですか。人なんか信用できないって思うのも無理ないのかな。じゃあ、名前は先生がつけたんですか?」
彼女は、奥で作業している青年エミルを示して答えた。
「これだけたくさんいると、私が考えつく名前にも限りがあるのよ。だから、この子の名前はエミルが考えてくれたの。近所の雌犬と同じなんですって、薔薇って意味らしいわ」

 ヴェルダは、食事を入れて檻の扉を閉めると、そろそろと近づいてきて喉につかえるかと思うほど急いで平らげた。
「心配しなくても、だれもあなたのご飯を取ったりしないよ、ヴェルダ」

 レオニーは、前回と違い三週間滞在したので、以前よりも犬たちと信頼関係を築くことに成功した。一週間目の終わりには、食事の用意や散歩だけでなく、多くの犬たちのブラッシングやシャンプーもできるようになったし、ヴェルダも匂いを嗅いで身体を撫でさせてくれるまでになった。尻尾を振って黒い鼻先をすり寄せてくる様子が愛しくて、レオニーはたくさんの言葉をかけながら心を込めて撫でた。

 次に来るのはまた一年後のつもりだったが、フライシュマン女史が人手不足に悩んでいるとメールをよこしたので、レオニーは半年後のクリスマスにも一週間だけまたセンターへ行った。

 夏に馴染んだ大型犬たちのほとんどは姿を消していた。怪我が治りきらなかったアバクシュ犬のように亡くなってしまった犬もいたし、幸い新しい飼い主に引き取られてセンターを去った犬たちもいた。

 ヴェルダは、まだいた。レオニーの姿を見ると狂ったように尻尾を振った。
「あなたの後任の子とは合わなかったのよね。スタッフにも時間もなかったから、かわいがってもらうこともなかったし。だからあなたに会えて嬉しいのよ」
フライシュマン女史は頷いた。

 センターは深刻な人手と資金の不足に悩んでいた。一週間の滞在中、レオニーは以前の三倍の数の犬たちを担当し、ヴェルダと遊ぶ時間はほとんどなかった。けれど、大きくなった白い犬は、哲学的な面持ちで、食事や散歩のために近づいてくるレオニーをじっと見つめ嬉しそうに尻尾を振って見せた。

「レオニー、お願いがあるの」
フライシュマン女史が、クリスマスケーキの一切れを手に彼女の側に座ったのは、レオニーが発つ二日前だった。

「なんでしょうか」
「ヴェルダの引取先がチューリヒの老婦人に決まったことは話したでしょう。その輸出許可関連の書類が、今日届いてね。急だけれど、あなたが帰る時に付き添って欲しいの。こちらから付添人のために航空券を買う余裕がないから。空港に私の知人が引き取りに来て先方に届けるので、多くの手間は取らせないわ」

 レオニーは、ヴェルダに家ができることにほっとすると同時に寂しさも感じた。新しい飼い主に愛情を注がれて、幸せになったらきっと私の事なんて忘れちゃうんだろうな、そんな風に思ったから。

 イスタンブールで、ヴェルダを連れて車に乗り込んだ。尻尾を振るレオニーに「一緒に行くんだよ。新しいお家に行くんだよ」と語りかけた。ヴェルダは、まるで意味がわかっているかのようにことさら激しく尻尾を振り笑顔を見せた。特別貨物室へ向かうヴェルダは不安そうだったのでやはり声をかけた。
「大丈夫。同じ飛行機に乗るから。チューリヒでまた逢おうね」

 チューリヒのクローテン空港で、ヴェルダを受け取ったとき、疲れていたのかぐったりしていたのが、レオニーを見てまたちぎれんばかりに尻尾を振って立ち上がったのが愛しくて、思わず駆け寄った。税関と検疫の長く煩雑な手続きも無事に終えて、綱をつけたヴェルダと一緒に到着ゲートを越えた。

 フライシュマン女史の言った通り、そこには迎えが来ていてそこでヴェルダと別れることになった。不審げに幾度も振り返りつつ連れられていくヴェルダをレオニーは涙ぐんで見送った。

* * *


 三ヶ月後にフライシュマン女史からもらったメールを読んでレオニーは驚いた。ヴェルダを引き取った老婦人が老人ホームに入ることになり、大型犬を飼い続けることができなくなったというのだ。費用や検疫手続きを考えるとトルコに送り返すのは現実的ではないが、このままではチューリヒの動物保護施設に送られ場合によっては安楽死になることもある、できれば新しい引取先を見つける手伝いをして欲しいというのだ。

 だったらはじめからトルコから大きな犬を引き取ったりしなければいいのに。あの檻の奥で絶望的に眺めていたヴェルダの表情を思い出して、レオニーの心は痛んだ。虐待で母親や兄妹を失い、ようやく慣れたセンターから遠くスイスまでやって来たというのにまた別のセンターに逆戻りで、さらに生きられる保証もないなんて。レオニーは憤慨した。

 レオニーは、急いでチューリヒに向かい、老婦人の話を聞きに行った。もう誰か引き取り手を見つけたのか、どのくらい時間の余裕があるのか知りたかった。

 レオニーを見たヴェルダは、狂ったように尻尾を振って近づいてきた。老婦人は、驚いて言った。
「まあ、こんなに喜びを表現することもあるのね。大人しいけれど感情に乏しい犬だと思っていたの。今まで飼った犬みたいに、人なつこいと引き取り手も見つけやすいのだけれど、この子のように相手を選ぶとなかなかね。それにこんなに大きいし」

 成犬になったヴェルダは、85センチもの体高になっていた。それにトルコでは牧羊犬として狼や熊にも立ち向かうといわれる勇猛さ故、子供のいる家庭では敬遠されるだろう。でも、それもわかっていて引き取ったはずなのに。

 これからヴェルダは、どれだけ長く家族が見つからない不安な状態を過ごすのだろう。新しい飼い主が見つからなければ、邪魔者扱いされてこんな故郷から遠く離れたところで命を落としてしまうのだろうか。

「私が引き取ります」
ほとんど何も考えずにレオニーは口にしていた。老婦人は驚いた。自分でも驚いたが、もう後には引けない。

 フライシュマン女史に報告したところ「おすすめじゃないわね」と言われた。関わる犬を全て引き取ることはできない、割り切ることも大切だと言うのだ。それはわかっている。でも、そうやって割り切って、後からまた嫌なニュースを耳にすることには我慢がならない。

 それにヴェルダが茶色の瞳を輝かせて見ていたのだ。尻尾を振り、大きく口を開いて。
「おいで、ヴェルダ。はじめから私が飼えばよかったんだよね。私の住む村は、散歩するところもたくさんある。だから一緒に行こう」

 白い大きな犬が、体当たりするように駈けてきた。まだ20キロくらいしかなかった頃によくしてきたように。50キロ近くになり、大きくてがっしりとした彼女の身体は、責任感の重さそのもののようだった。でも、きっと上手くいく。こんなに喜んでくれるんだもの。

 レオニーは、思いがけず大型犬と過ごすことになる、大きな生活の変化に向けて、あれこれと思いを巡らせた。

(初出:2019年10月 書き下ろし)

追記


もともとは、恋愛の歌なんですけれど……。



Whitney Houston - Run To You (Official Music Video)
関連記事 (Category: 短編小説集・十二ヶ月の歌 2)
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Category : 短編小説集・十二ヶ月の歌 2
Tag : 小説 読み切り小説

Comment

says...
執筆、お疲れ様でした。

ホイットニーの痛切なラブソングから、こんなお話をひねり出すとは。相変わらず創作力が旺盛ですね。

この作品に出てくる野犬センターのような施設って、個人のボランティアによって成り立っているのがほとんどなんでしょうね。
同じ野良でも、ネコの場合はさして気にならないのに、イヌとなると怖い印象がありますね。御作に出てくるように、ひどい目にあっているイヌの方が多いのでしょうけど。

ヴェルダはレオニーにしか、心を開いていないんですね。
やはり最初に懐いた相手、というのが大きかったのでしょうか。レオニーの手から、見知らぬ老夫婦の手に渡されたヴェルダ、どんな心境だったんでしょうね。なんか後味の悪い別離だなぁと思ったら、もうひと悶着ありましたね。

老夫婦にも事情はあったのかもしれませんが、私もレオニーと同じ心境になりました。
それに老婦人の発言も、人間の側の勝手な言い分だなぁ、と。
なんにしても、ペットとして生き物を飼うということの意味を、考えさせられるお話でした。重いですね、これは。
2019.11.13 08:40 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
恋愛の唄だけど、人生の唄になっているのですね。縁ってやっぱり不思議です。

時々訪問させていただいているブロガーさんが、もともとはピアノ記事ばっかりだったのですが、保護犬を引き取られて、毎日そのポメちゃんの様子をアップしておられます。引き取るに至ったのも、目が合ってほとんど勢いだったようですが、その方も還暦越えの一人暮らしで、息子さんの「お母さんに何かあったら俺が引き取るから」という言葉で決心したのだと書いておられました。
そうなんですよね、歳をとると動物と暮らしたいって気持ちは湧いてきちゃうけれど、後のことを考えると、仔猫(子犬)を飼うのは55歳までにしなさいって、現実的な話がどこぞかに書いてありました。保護犬・保護猫を何とかしてあげなくちゃって気持ちだけでは動けない現実があるのですよね。
ちなみに引き取られたときには、繁殖屋さんで汚いところで皮膚炎になって毛を刈られてたポメちゃんは、そのブロガーさんのところですかっりポメらしくなっていっています。やっぱり縁、なんですね。

レオニーの気持ちも分かるし、でも、引き取った老婦人の気持ちも、単なる無責任ではなかったんだろう、そう信じたいと思うし(元気に110歳まで生きるつもりだったかもだし)。要するに老人ホームでも飼えるようになればいいのだ。でもでっかい犬はそういうわけにはいきませんよね。

このところ、さだまさしの『関白宣言』の替え歌で(本人が歌っている)『にゃんぱく宣言』というのがラジオで流れていて、「飼えない数を飼ってはいけない~、忘れてくれるな、俺の頼れる飼い主は生涯お前一人」って、歌詞が、深いなぁ、ただ可愛い・可哀相ではすまない現実だよなぁと思っていたところだったので、なんともタイムリーなお話でした。
2019.11.13 11:20 | URL | #nLQskDKw [edit]
says...
こんばんは。

普通に人間の女から人間に対しての想いとして書いてもよかったのですけれど、ほんの少しだけひねってみました。

このレオニーは、私が通っている美容師さんがモデルなのです。彼女はすでに何回かこの手のボランティアに行っています。
ただし、いつも同じところじゃない様子。あちこちにあるのでしょうね。
で、ヴェルダのモデルになった犬、この間美容室にいたので見たんですけれど、めっちゃデカかったです。
そして、やはり、警戒心が強い様子でした。

寂しいと「ペットでも飼おうか」となる人がいるのはどの国でも同じで、ペットショップではなくてこうした施設から迎え入れるということ自体は立派だと思うのですけれど、やはり、高齢の方が平均して十年以上の余命のある生き物を簡単に迎え入れることには疑問を感じますね。

でも、この手の方はまだいい方で、子供が欲しがったから入手して、興味をなくして世話をするのが大変だからという理由で永眠させてしまったなんてひどい話を聞くこともあります。命を自由にできると思う傲慢さには腹が立ちますね。

今回は単純に、犬はどう思っているかな、というイメージと歌詞のイメージを重ねてみました。

コメントありがとうございました。
2019.11.13 22:19 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

単純に人間の女の恋愛話を書いてもいいかなと思ったのですけれど、それだとつまらないかなと考えていたときに、いつもお願いしている美容師さんのところでワンちゃんと知り合い「これだ!」と思いました。歌詞に重なるなって。

その美容師さんが、ほぼこの短編と同じような状況で引き取った犬なんですけれど、新しい生活に満足しているようでした。でも、やはり警戒心が強いようで、なでなでできるまでに、しばらくかかりました。

ご高齢の方だけでなく、例えば「かわいいから」と猫を飼って、平日のほとんどを誰もいない部屋に閉じ込めた状態にしたり、大型犬を狭い檻に入れたままほとんどの時間を過ごさせたり、日本では特に虐待と捉えられていないような動物の飼い方にも、私はけっこう批判的だったりします。あと、「●●カフェ」というような所に行って「癒やされる」というのも、そりゃ可愛いのはわかりますけれど、その動物たちにとってはどうなんだろうと首を傾げてしまったりするのです。とはいえ、その方達も決していじめているつもりではないと思うのですよ。

年齢が若いと勤めに出たりしてなかなか一緒にいる時間を作れないので、時間ができてからようやく動物と暮らせるってことはあるとは思うのですよ。今は六十代の方などはまだ健康的にも問題ない方が多いと思うのですけれど、さすがに八十過ぎてから仔猫や仔犬を飼いだすのは、ちょっと遅いかなと思います。でも、まあ、ご本人は「まだしばらくは大丈夫」と思われるから飼いだすんでしょうけれど。

こちらの老人ホーム、猫を飼っている方はいます。小型犬もなんとかなるかもしれませんが、大型犬は難しいでしょうね。そもそも一日に何キロも運動させなくてはいけないので、本人が健康でないと大型犬は飼えませんよね。
 
『にゃんぱく宣言』一度聞いてみたいなあ。

コメントありがとうございました。
2019.11.13 22:54 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ああ、動物愛護ってそんな感じですよね。
一見、というか、イメージ的には穏やかな感じを受けますが。
所謂、孤児の集団ですからね。
そこは殺伐としていますよね。
だから、それを保護しようというのは
並大抵の覚悟じゃ成り立たないですからね。
日本でも野良猫・野良犬の問題は多いですね。
2019.11.17 00:17 | URL | #- [edit]
says...
おっ、またまた夕さんの新しい引き出しの中を覗いてしまいました。
ペットというのは人間にとってとても魅力的な存在なのですが、ペットとなった動物にとってどうなのか、そして相思相愛だったとしてもその関係をいつまで維持できるのか、というのが大きな問題になってくるんですね。
自分の子どもですらちゃんと育てることができない人が一定数存在するのが人間ですから、ペットとの関係を維持できない人が存在するのは自明の理なのですが、ペットは飼い主を選ぶことはできませんから、なんとか上手い方法はないのでしょうか?
レオニーの気持ちはよくわかりますがまだまだ甘かったのですね。
徐々に現実を理解しそれに順応し、ヴェルダと心を通わせていくレオニーの成長が素敵です。ヴェルダにはちゃんとわかったのでしょう。
そしてフライシュマン女史が徐々に目をかけていくのは、現実に真摯に向き合うレオニーの姿が見えたからなのでしょう。
フライシュマン女史がレオニーがヴェルダを引き取ることを良しとしなかったのは、レオニーのその素質を惜しんだからかもしれないですね。
ヴェルダ一頭だけで満足してしまわないで、もっとたくさんの問題に立ち向かって欲しかったのではないでしょうか。

老婦人の態度にはちょっと腹が立ちました。欧州の方がペットに関しては先進的だと思っていたのですが、それでも彼女みたいな人、いるんですね(事情は事情として理解はできますが・・・)。日本だともっと酷いことがたくさん起こっているんだろうなぁ・・・いろいろと考えさせられました。
2019.11.17 14:14 | URL | #0t8Ai07g [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。
例えばスイスなどでは、一般的には人間に衣食が足りているので動物保護なども盛んで、このようにひどい保護活動はあまりないのですけれど、人間社会に余裕のないところでは動物愛護もそんなに理想主義的にはいかないようです。

日本の方は、また少し問題が違うようで、ペットショップがさほど害悪視されていないのですよね。
むしろ保護動物よりもペットショップから購入する方を好む方が多いようです。
ペットショップによる命の選別や劣悪環境などの問題もあるので、それはそれで法律などの整備が必要とされる一方で、一般の方の認識が変わることも大切のように思います。

いずれにしても、ペットといっても生命を預かることなので、並大抵の覚悟ではできないということですよね。

コメントありがとうございました。
2019.11.17 20:18 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんばんは。

ペットを飼う理由って、人によって様々です。私の近くでは仕事のパートナーとして(牧羊犬の類いですね)飼っている人もいるし、子供の教育にいいからという理由で飼う人もいます。そして、意外に多いのは「寂しいから」という理由ですね。
もちろん利己的な動機で飼い始めても構わないのですけれど、飼われる動物の方も生命である以上、双方にとって幸せであるような飼い方をする必要があると思うんですよね。

私自身は、犬も猫も(シマウマやパンダやペンギンも)大好きですが、やはり好きだけでは動物の命と幸福に責任を持てないので飼うという選択肢はありません。

まあ、基本的にスイスは日本の都会などと較べて、どこにでもわりとペットを飼うのに適した空間があるので、見ている限り幸せそうなペットは多く見られます。

老婦人は、特に自分勝手な思惑でヴェルダを引き取ったわけではなくて、あくまで自分で面倒をみるつもりだったのでしょうが、ある程度の高齢になると、突然状況が変わってしまうなんてこともよくあります。例えば骨折してから一人暮らしができなくなった、なんて話もあります。モデルとした実話ではどういう理由で老人ホームに入ることになったのかはわかりませんけれど。

もっとひどい話を聞いたこともあります。子供たちに懇願されて犬を飼ったけれど、結局子供たちは面倒をみなくて、散歩ぐらいしてくれと奥さんに言われて腹を立てた夫が、安楽死させてしまったというもの。その心ない振る舞いが最後の引き金になって結局離婚になったみたいですけれど。

フライシュマン女史がレオニーの決意に難色を示したのは、「これから会う何百もの犬を一々自分で飼うことはできないでしょう」といいたかったのでしょう。実際に彼女は、非常に多くの犬を救ってきているのですけれど、それを全部自分で飼うことは不可能ですからね。

レオニーのモデルにした人は、犬を引き取った後もまたボランティアに行くことを予定しています。もちろん犬を連れて行くと、また戻されるのかと不安にさせるので、一緒に住んでいる恋人に世話を頼んで一人で行くそうです。レオニーもそうするんじゃないかしら。

コメントありがとうございました。

2019.11.17 21:31 | URL | #9yMhI49k [edit]

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