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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

【小説】大道芸人たち (17)バルセロナ、 色彩の迷宮

見てきたように、書いていますが、実は私はグエル公園に行ったことがありません。旦那が都会が嫌いで、いままでゆっくりとバルセロナに滞在したことがないんです。でも、カーサ・ミラだけはちらりと眺めました。その顛末は、いずれそのうちに、このブログで書くかも。

今回でスペイン編が終わります。次の行き先は……(笑)ほんの少しインターバルに別の小説をアップした後、チャプター3が続きます。


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大道芸人たち Artistas callejeros
(17)バルセロナ、 色彩の迷宮



「なんてことだ」
園城真耶が発送しカルロスの館に届いていた戸籍謄本を見ながら稔が呆然とつぶやいた。

「どうしたの?」
蝶子は訊いた。
「親父が死んでいる」

 戸籍謄本から抹消された日付は三ヶ月ほど前だった。稔は五年近く一度も家に連絡を入れていなかった。その間に日本に対して行ったコンタクトは、遠藤陽子への無言の送金だけだった。父親は婚約者の金を使い込んで失踪した息子のことをどれほど憤り怒りながら生涯を終えた事だろう。稔は初めて自分のしてしまった事の大きさについて認識した。

 蝶子と稔のパスポート更新申請は何の問題もなく受理された。蝶子の方はともかく、稔については捜索願が出ている可能性もあったので、更新時につかまる事も予測していたが、それは杞憂だった。遠藤陽子と家族が連絡を取っていれば、稔が元氣にヨーロッパ各地を動いているのはわかる。すでに失踪から五年が経っている。家族は必死に探してはいないのだろう。


「ねえ。氣になるんでしょう。帰りたいんじゃないの?」
蝶子が言った。稔は二日経ってもしょっちゅう戸籍謄本を取り出してはしまっていた。いつもの稔らしくない逡巡ぶりは、自分たちへの遠慮だと感じた蝶子は、余計なお世話だと知りつつもちょっかいを出したのだ。

 稔は激しく首を振った。
「馬鹿なことを言うなよ。帰りたくなんかないし、だいたい帰れねぇよ」

「せめてお母さんに電話してみれば?」
「親父が死んだのは三ヶ月も前だ。俺が今ごろ電話をかけたところで何も変わんねぇよ」

 意固地になっている稔に、蝶子はそれ以上何も言わなかったが、このままにしておくわけにはいかないと思っていた。もう少し様子を見なくちゃ。


 ヨーロッパ連合の外から来て不法滞在を続けている蝶子と稔のヴィザを取得するためにカルロスは己の政治力をフル活用していた。残りの二人にヴィザは不要だが、まとめて健康保険に加入させるために、住所登録をこの館にした。

 書類作成のために全員のパスポートから名前を移していて、ドイツ人の番にカルロスの太い眉はふと顰まった。アーデルベルト・ヴィルフリード・フォン・エッシェンドルフ? 貴族か? しかもこの名前には聞き覚えがある。ローマで蝶子の打ち明け話を聞いた時に何度も出てきた、忘れられない名前。エッシェンドルフ教授。アーデルベルトの生誕地はミュンヘン。


 カルロスは蝶子と稔がパスポートを受け取りに行き、レネがイネスにエンパナディーリャの作り方を習っている隙に、静かにヴィルを書斎に呼び寄せた。ヴィルは黙って従った。

「あなたは、マリポーサの事が好きなんでしょう」

 ヴィルは憮然として答えなかった。カルロスは笑って言った。
「心配いりませんよ。私だってもちろん彼女を深く愛していますが、あなたのようにではない。あなたが苦しむような事は私と彼女の間には何もないんですから」

「余計なお世話だ」
取りつく島もなくヴィルは答えた。

「その通りです。しかしね。住所登録の手配をした時に、あなたとレネさんの正式な名前が必要になりましてね。あなたの名字が氣になったんです。同じ姓をマリポーサから聞いていたので。マリポーサはあなたの正式な名前を知らないんでしょう」

 ヴィルはじたばたしなかった。してもしかたないという風情だった。いずれはわかってしまうのだ。

「知っていて黙っているはずはないと思う。言っておくが、あいつは一度だって本名を言えともパスポートを見せろとも言わなかった。だが、俺自身が出来る事なら知られたくないと思っていたのは事実だ。あんたが俺を追い払いたいならあれを見せれば十分だ」

「そんなことはしませんよ」
「なぜ?」
「マリポーサを愛しているからですよ。それからArtistas callejerosをね。あなたたちに亀裂を入れてしまったら、マリポーサは私を決して許さないでしょう」


 グエル公園で、四人は新しい試みに挑戦していた。名付けて『銀の時計仕掛け人形』。ヴィルがパントマイムでよくやるように、全身を銀色の衣装で包み、顔も銀色にメイクする。蝶子は銀の長髪のカツラを被った。そして、止まったままで通行人を待つ。目の前の箱にコインが入れられると、金額に応じた長さでそれぞれが持ち芸を披露する。一ユーロだと数小節だが紙幣なら一曲弾く。もし、二人の前に同時にコインが入れられると、組み合わせ芸を披露する。二十ユーロ紙幣などを入れられた場合には、四人が音楽劇を披露することになる。

 初めは勝手のわからなかった通行人も、このルールがわかると、それぞれがちゃりんちゃりんとコインを入れ始める。そうなると四人は目も止まらぬ速さで、ありとあらゆる組み合わせの芸を披露しなくてはならなくなる。蝶子とレネ、ヴィルと稔、稔とレネ、蝶子とヴィル、三人ずつ、もしくは四人全員。人通りの多い時間は止まっているパントマイムをする暇などほとんどなくなる。

 四人はこの方法だと通常の三倍を軽く稼げることを知った。

「でも、こんなの毎日はやってられないわ」
コルタドの館に戻ると、蝶子はぐったりして言った。今日はどうしても熱いお風呂に浸からなきゃ。

「それに、この銀のドウラン、落ちやしない。本当にお肌に悪そう」
ぶつぶつと文句を言う。それでいてやけに充実感がある。

 カルロスは、『銀の時計仕掛け人形』をやった日は、四人が遅くまで酒盛りをせずにさっさと寝てしまうのでおかしくて笑った。


 稔は、仕事をしていないときは、ずっとふさぎ込んでいた。日本に帰って、家族とのことをきちんとしたいという思いは、ここ数日どんどん大きくなっていた。

 これまでは、家族のことを思い悩んだりはしなかった。自分が帰国せずに失踪したことで、遠藤陽子に悪いことをしたという思いはずっとあった。安田流中の笑い者にしてしまったのだ。いくらヘビ女でも、そうとう傷ついたことだろう。だが、安田流に対してや、家族に対しての罪悪感はそれほどなかった。稔が家元を継ぐと言う話は公のものではなかった。単に皆がそうだろうと思っていただけのことだ。

 蝶子と違って、稔は三味線で名を成したいと思ったことは一度もなかった。それは、稔が常に認められていたからだった。ジュニアの頃からいつも稔は発表会のトリを務めていた。家元の長男として、三味線を弾くことは禁じられるどころか多いに推奨されていた。稔は三味線が好きだった。純粋に好きだった。それは有名になるための手段でもなければ、次期家元として持つべき技量でもなかった。それが檜舞台であろうと、ヨーロッパの街角であろうと全く違いを感じることはなかった。

 だが、家族にとっては、そうではなかったのだ。

 稔は、氣っぷがよく一緒に酒を飲むのが楽しい父親が好きだった。優しく暖かい母親が懐かしかった。頼りないが優しい弟とも上手くいっていた。ただの家族でいられたらどんなによかったのだろうと思う。だが、安田流創立者の長男と、その一番弟子で家元を継いだ妻の間に生まれた以上、暖かい核家族の部分だけを求めることはかなわなかった。

 安田流と遠藤陽子から逃げ出したということは、すなわち、大切な家族を失うことでもあった。あの時、粉々に引き裂いて空に投げた航空券の紙吹雪は、家族との絆をも引き裂いてしまったのだ。そんなことをすべきだったのだろうか。どうして自分はこんなところで、一人楽しく生きているんだろう。それでいいんだろうか、稔は迷って考え込んでいた。

 だが、稔はいま一人で日本に行くと、自分のいないうちに仲間たちが解散してしまうのではないかという不安を持っていた。イタリアにいた頃のArtistas callejerosだったら、「きっと待っていてくれる」とのんきに思えたかもしれない。だが、今のArtistas callejerosがどれほど危ういバランスの上に立っているか、稔は承知していた。

 稔は自分がチームをつなぎ止めているとは思っていなかったが、残りの三人だけでいつまでも保っていられるような状態でないこともよくわかっていた。ヴィルと蝶子の間にある不穏なアイレを中和するのは、レネ一人には荷が重すぎる。レネはそういうキャラクターではない。今、自分が離れたら、一週間もしないうちにチームは空中分解して、何もなかったかのように消えてしまうかもしれない。それは自分の片腕をもがれるような感覚だった。


 蝶子は、もうこれ以上放っておくわけにはいかないと思っていた。稔はArtistas callejerosにはいなくてはならない存在だったが、心だけ日本に飛ばしておくわけにはいかなかった。放っておけば稔の心と体は完全に分離してしまう。それはArtistas callejerosの危機だった。稔は日本に行かなくてはいけない。なんとしても。でも、そうしたら私たち三人で待っていなくちゃならない。帰ってくるかどうかの保障もないのに。困ったわね。


「ねえ。次の行き先の事だけれど」
蝶子が意味ありげに言った。稔は上の空だった。だが、他の二人は蝶子の言い方に反応した。

「私、久しぶりに日本に帰りたいんだけれど」

稔ははっと振り向いた。何か稔がいう前に、急いでレネが言った。
「僕、一度日本に行ってみたかったんです。大賛成」

「俺も二人も通訳がつくなら悪いアイデアじゃないと思う」
ヴィルも間を置かずに言った。

「お前ら、何考えているんだよ。航空券だけでいくらすると思っているんだ」

「バンを買うのが少し遅くなるだけよ。どうせ私たちずっと一緒に稼ぐんじゃない」
「ダメだよ。日本なんかじゃまともに稼げないし、宿泊もどれだけかかると思っているんだ」
「だって、多数決ですもの。もう決まっちゃったのよ。なんとかなるわよ。私、日本にまだ銀行預金残っているし」

 稔は地団駄踏んだ。俺はなんて馬鹿なんだ。俺があんな状態でいたら、こいつらがそう言い出すのは予想できたのに。畜生。テデスコに無表情の演技の指導でもしてもらうんだった。

 だが、結局は稔も三人の好意を受け取る事にした。四人で日本に行く。考えてもいなかった解決策だった。自分がいない間に、彼らが消滅してしまうことを恐れる必要はないのだ。
「ありがとう。恩に着る」

 四人がその話をしているのをじっと聞いていたカルロスはおもむろに電話をとり、スペイン語で秘書のサンチェスに何かを指示した。

 夕食前に、サロンでヘレスを楽しんでいる頃、サンチェスがやって来てカルロスに書類ばさみを手渡した。

 カルロスは、それを一番近くにいたヴィルに渡した。四人分の東京までのイベリア航空のチケットだった。ヴィルは片眉をあげて驚きを示し、自分の分をとって残りを隣の稔に渡した。稔は目を瞠りそれらを各自に渡した。蝶子もレネも自分の目が信じられなかった。

「カルちゃん……。どうして」
「バルセロナからの往復です。マリポーサ。あなた方が必ず帰ってきてくれるように、私の保険みたいなものですよ。バンのために貯めたお金は、宿泊代などで入り用でしょうからとっておきなさい。あなたたちも時にはただの休暇の旅行が必要なんですよ」

「ありがとう。この恩は決して忘れないわ」
そういって蝶子はカルロスに抱きついて頬にキスをした。レネは目を剥いた。ヴィルは目をそらした。稔は天井を見上げた。

「私も一緒に美しい通訳つきで日本旅行をしたいのは山々なんですが、ここのところ珍しく仕事が詰まっていましてね。でも、次回はぜひご一緒させてください」
「もちろんよ」
蝶子は最高の微笑みを魅せた。この女。稔は腹の中でつぶやいた。しかし、カルロスの助けは有難かった。


 四人は初夏のグエル公園で再び『銀の時計仕掛け人形』にトライした。日本に行くとなるとそうとう物入りになる。そう思っただけで蝶子の闘志に火がついた。ドウランがお肌に悪いとか言っている場合じゃないわ。蝶子が俄然やる氣になったので、他の三人は容赦なく、このやたらと氣力と体力の必要な仕事を毎日決行した。そのうちに一時的にグエル公園の名物のようになってしまい、週末になると彼らを目当てに集まってくる人まで現われた。

 四人は毎日働く場所を変えた。時には竜舌蘭の回廊で、時には破砕タイルのベンチの前で、傾いだ回廊にて。常連客達は喜んで彼らを捜した。ガウディの常識はずれな建築物の数々が、日常生活を忘れさせてくれる。銀色の妙な大道芸人達、えも言われぬ珍妙で楽しい音楽・手品劇。日差しが強くなり、夏の訪れが心を躍らせる。バルセロナの街は人生の喜びを謳歌している。人々の心に魔法をかけつつ、四人もまた、色彩の迷宮を楽しんでいた。
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Tag : 小説 連載小説

Comment

says...
お邪魔しています、TOM-Fです。

えへへ、やっと追いつきましたよ。
すごく楽しい旅でした。
最初のうちは、大道芸をしながら旅をするという設定に、正直、戸惑いがありました。
でも、次から次に描かれるヨーロッパの町や、そこで繰り広げられる登場人物たちのドラマが
面白くて、どんどん引き込まれていきました。
次はどこに行くんだろう、どんな出会いがあって、どんな物語が紡がれるのだろう。
今はArtistas callejerosとともに、旅をしている気分です。

それにしても、次は……日本ですか。
急展開ですね、これは。連載再開が楽しみです。
2012.07.03 06:41 | URL | #- [edit]
says...
うわあ。感激です。ありがとうございます。

大道芸をさせたのは、事情も出自もバラバラなメンバーが何年もポケットマネーで旅する他の手段を思いつかなかったからです(笑)でも、ずっと大道芸だけというのも無理があるので、ご存知のような状況になっています。
この小説、とにかく私の好きなものばかりを詰め込んでいて、それで長くなっていますが、好きなものは別として、この後、ストーリーそのものはガンガン進んでいきます。
来週、成田空港に降り立つ予定です。今後ともどうぞおつき合いくださいませ!

ありがとうございます
2012.07.03 18:08 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは^^
ようやくここまで来ました。
最新更新によると舞台が日本に移っていたようなので、何故日本に!?とずっと気になっていたのですが、
こういう事情があったのですね。
さりげない蝶子さんの気遣いが彼女らしかったです。

心の変遷が、そのまま旅のルートになっているかのようです。
心が旅を作り、旅が心を作り出しているのでしょうか。

あー旅がしたくなってくる〜> <
八乙女さんのブログに出逢ってから、日々想いは積もる一方です・・・
2012.08.10 08:50 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

比較文化論みたいな側面もあるこのストーリーを書いているうちに、どうしても四人を日本に行かせたくなりまして……。
私の日本に対する視線も、うちのガイジンくんと知り合ってからかなり変わりました。彼のヨーロッパの旅も、もしかしたら別の視点ができたのかも。

一氣読み、ありがとうございます。たぶん、1000拍手踏まれたのCanariaさんだと思います。前後賞もありってことにしているので、キリリク、お好きな物をどうぞ。
2012.08.10 16:45 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
こんにちは、GTです :)

Chapter2をたった今、読了致しました、どんどんと物語に引き込まれ、時間を忘れて読み耽っていました、「エスメラルダ」ってきっとこんな人だろうと、頭の中で想像するのは実は難しくなかったです、もう十年ぐらい前ですかね、似たような人が職場に居ました、パートさんで主婦の人でした、僕はこの物語を読んでて稔さんに親近感を覚えましたね、たぶん女性の好み一緒です、次の物語では東京に行くそうで、どんな珍道中が待っているのか楽しみです!

珍道中にはならないと思いますが…、それから、蝶子さんのパントマイム姿を想像して、なんだか切なくなったのは気のせいだと思いたいです…、僕のツケで行ってきなよと思いました…想像したくない請求額が来るんだろうなぁ…

僕の小説「ルーシーという名の少女」にご感想を頂けて、凄く嬉しいです、可愛いと言って下さって…もう感激のあまりエベレストを全身ユニクロで制覇できます(無理です)、いやもうホント、嬉しいです、連載の企画も練っております、連載中の二次創作が終わるまでに考えを纏めて、発表します、審査の結果は今月末に出るらしいので、そのときはまた、追ってご連絡を差し上げます

それではこの辺で、失礼致します :)
2016.07.03 04:50 | URL | #mQop/nM. [edit]
says...
こんばんは。

貴重な週末、読んでくださって本当に感謝です。

エスメラルダのモデルは、アガサ・クリスティの「ブルートレイン殺人事件」に出てくるミレディという女性なんですけれど、ああいう突き抜けたトンデモタイプを書くのは楽しいですね。あの人、全然へこたれていないので第二部でもちゃっかり出てきます。

稔の好みは、ええ、ああなんですけれど、この人は好みのタイプと上手くいくタイプが違っているんですよね。
この人は自由が好きなので上手くいくとしたら遠藤陽子みたいなしっかりタイプなんです。
でも、そういうタイプは好きになれないんですよね。
いろいろと上手くいかないものです。
GTさんは稔とは違って一人の好みの女性を大切にするでしょうから、きっと上手くいくと思いますよ。うん。

蝶子は、別に日本なんか行かなくてもいいんですから、切なくなる必要はないんですよ!
あれは打たれ強いし「お肌に悪い」とかブツブツ言っていても、けっこう楽しんでいるはず。

「ルーシーという名の少女」、今月末に結果がでるのですね。
上手くいくことをお祈りしています。

コメントありがとうございました。
2016.07.03 18:07 | URL | #9yMhI49k [edit]

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