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scribo ergo sum もの書き・八少女 夕のブログ Since March 2012


Posted by 八少女 夕

心の黎明をめぐるあれこれ(4)受け入れて、生きましょう

本日は、クリストファー・ティンの『Calling All Dawns』というアルバムにちなんだエッセイ連作『心の黎明をめぐるあれこれ』の四作目です。

第四曲は『Se É Pra Vir Que Venha』使われている言語はポルトガル語です。


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心の黎明をめぐるあれこれ
(4)受け入れて、生きましょう
 related to 'Se É Pra Vir Que Venha'


 第四曲目は、ポルトガル語。そう、住んだことのある日本とスイスを除いたら一番に思い入れがある国の言葉だ。

 ここしばらく私がポルトガル礼賛ばかりしているので、ずっとポルトガル狂だったと思われているかもしれないが、そうではない。2012年に初めてポルトに行ったのは「なんとなく」の思いつきで、まさかその後にこれほど嵌まり、毎年訪れることになるとは思ってもいなかった。

 日本とも縁の深い国ではあるけれど、かつての私にとってポルトガルは「よく知らない国」でしかなかったのだ。イベリア半島に共存しているというだけで「スペインみたいな国かも?」と考えていたくらいに。とんでもない無知である。

 この四曲目を歌っているのは、私の大好きな歌手ドゥルス・ポンテスだ。ファドの歌手という言い方もできるのだけれど、この人はどちらかというと典型的なファド以外も歌うし、映画音楽や海外の音楽家との共演などでの活躍の方が目立つ。今回のアルバムへの参加も然り。

 この曲の歌詞は、第三曲の『老子道徳経』に由来する歌詞に比較すると、かなりわかりやすい。だからと言って、内容に深みがないわけではない。

 歌詞はこんな感じで始まる。

私の牛を野に放とう
牧草地に横になろう
風景を私のものにし
悲しむことなく微笑もう



 実は、私はポルトガルで放牧を見たことはない。しかし、住んでいるスイスでは隣家が牧畜農家で、放牧された家畜は東京で見る鳩や雀くらいに馴染みがある風景だ。

 東京で育った私は、スイスに移住するまで生きた牛や羊、山羊などのことをほとんど知らなかった。牛乳や牛肉は、スーパーマーケットで製品として買うもので、動物園や□□ファームといった特別の場所で目にする動物との別の姿だとは知っていても実感がなかった。現代の子供たちは海に魚の切り身が泳いでいると想像していると笑い話を聞いたことがあるけれど、それを笑うことができないほど、私の家畜と食料の関連性についての意識は薄いものだった。

 ごく普通の日本人と同じくかつての私なら、この歌詞を読んで牧歌的で美しい光景をイメージするだろう。アニメに描かれるようにきれいでのんびりとした光景を。それは間違いではないけれど、その後ろにはもっと多くのものが横たわっている。

 オフィスワークなどと較べてずっと長い労働時間。肉体的に厳しい労働、その中には糞尿の処理なども含まれている。優しい瞳をして懐いてくる家畜たちに名前をつけて可愛がっても、何年かすれば屠殺に送らざるを得ない現実もある。家畜はペットではないのだ。

 見渡す限りの美しい牧草地で、優しい風に吹かれながら、僅かな平和と美しさを享受する時間の背後に、現在の私はこうしたあれこれを感じ取ることができる。その背景は、美しさや平和を否定することはない。むしろ深みを増させる要素だと思うのだ。

 曲の題名にもなっている「Se é pra vir, que venha」というリフレインは、「やってくるものがあるならば、来るに任せよう」という意味である。とても牧歌的で心地よいメロディにのせて歌っているので、爽やかな詩かと考えてしまうが、最後まで読むとやはりそれだけではないことがわかる。

私は人生や
また、その反対にあるものを恐れない
何かが来るのなら、来るに任せよう



 生きることの反対にあるものとは、やがてやってくる死のことだろう。死を怖れるのは、未知のことだからだ。同様に生きることを怖れるのも、どうなっていくのかわからないからだろう。これまでがどうであったかに関わらず、未来を見通すことは難しい。だからこそ、人は怖れる。この歌はそれを優しく否定する。

 ポルトガルは、ヨーロッパの中でも経済的に困難な状況にある。平均給与は低く、家族がバラバラになっても他国への出稼ぎに行かざるを得ない人も多い。でも、人々は比較的当たりが柔らかい。地域にもよるだろうが、私がよく行く北ポルトガルの人々は勤勉で、家族や友人との関係を大切にし、美味しいものを食べ、彼らの文化を大切にしながら生きている。

 そんなポルトガルを大好きな私には、この歌詞は受け身の姿勢ではなく、懸命に生きた上での潔い受容なのだと聞こえてくるのだ。

 人によって人生はとても過酷で、たとえば生まれてからずっと爆撃に怯えながらの生活だけをしている人もあれば、長いあいだ病に苦しんでいる人もいる。そういった大変な苦難を背負っている人に較べたら、私は恵まれた非常に楽な人生を歩み続けてきた。

 そうなのだけれど、やはり時には「これはなんとかならないものか」「頑張りでは打開できないぞ」と思うようなことが起こる。「こんなはずじゃなかった」や「間違ってきちゃったかなあ」と過去の選択に涙目になることもある。

 隣の芝生が青く見えることもしょっちゅうだ。誰よりも努力したとは口が裂けてもいえない一方で、でも、まったく何もしなかったわけではないと、時には唇を噛みしめたくなることもある。

 それでも、他の人生を生きたかったかと問われれば、私は否と答えるだろう。違う家庭環境であれば、異なる配偶者を選べば、もしくは一人で生きてくれば、あるいは別の思い出が蓄積したかもしれない。他のことを学び、別の職種を探し、別の土地で暮らせば、もっと笑顔になったかもしれないし、その反対もあるだろう。でも、その「もし」の存在は、私ではない。

 実のところ私は世の中のためになることを成し遂げていない。世界平和にはほとんど貢献していない。人に感謝されるようなすごい仕事もしてこなかったし、これからもきっとしない。生きているだけで、どちらかというと環境破壊に加担してしまう。

 そんな自分を肯定するのは、時に非論理的に感じられて、とても難しい。

 かつては自己肯定感や自尊心がもっと強かった。

 中学校から高校生のはじめくらいまでは、今で言うところの『厨二病』に罹患していた。つまり、見合った努力は全くしていないにもかかわらず、自分には世界を救うとまではいかないけれど、素晴らしい運命が待っていると期待していた。もちろん何も起こらなかった。

 高校に入った頃から、急に周りの似たような境遇の人たちとは微妙に違う役割が与えられるようになった。最初は、生徒会の役員に抜擢されたというような、大したことのないものだった。大学のサークルでも、就職してからも『○○連盟」といった団体の役員や、労働組合の執行委員というような役割に抜擢される。本人はその様な目立つことをしたいとは全く思っていないにもかかわらずである。

 中学時代からの勘違いの延長で、自分をどこか特別な存在だと思っていたのを、察知されていたのかもしれない。スケールは『厨二病』時代に考えていたものよりもかなり小さいけれど、どこか自分は他の人とは違うものを持っているのだと、まだ考えていた。だから、それらの与えられた役割を、私は全力でこなした。

 今にして思えば、私がそれぞれ所属した団体にどれほどの尽力をしたかと問われれば、大したことはないと言うしかない。「女性初の△△」などという肩書きも「革命的な●●」といわれた当時の働きも、時間が経てば「過渡期の小さな半歩」でしかない。おそらく誰も憶えていない何かでしかないのだ。

 日本からスイスに移住して、それがはっきりした。ちょうど日本では履歴書に書かれた大学名が就職を若干有利にしたような、もしくは、ずっと住んでいた街の名前を言うだけで実際よりもハイクラスのように扱われたような、本人とは本来は無関係なのに下駄を履かせてくれた前提は、ほかのあらゆる業績と共に全て消えた。残ったのは、そこら辺のティーンよりもまともに話せず、文法正しく体裁の整った文章も書けず、当たり前の教育も受けておらず、極東の聞いたこともないどこからか来た取るに足りぬ外国人だった。私は平均以上に特別な存在ではなく、平均以下の存在になったとはっきりと感じた。

 それは認めるのはつらかったけれど、紛れもない事実で、私は『厨二病』の第二段階からも卒業しなくてはならなかった。それから、もう一度生きる意味を探すことになった。そして、たどり着いたのは、やはり自分の歩いた道と学びを肯定することだった。

 すべての経験が特別なことだった。外側である世界にとってではなく、内側つまり私本人にとっては。何かを成し遂げたとか、よいことをしたとか、立派な功績を残したといった、世界にとっての貢献ではなかったかもしれないが、それらはみな天から与えられた課題で、私はそれらをこなしてきたのだと。

 私が選んだ道は、きっと他の誰かにとっては不正解で、つまらなく、通るに値しないだろうが、私にとっては常に必要で、意味があり、何を犠牲にしてでも通るべきだったのだ。つまり、私は小市民であることを認め、その範囲でしぶとく生きることを受け入れたのだ。

 それを自覚するようになってから、私の書く小説は現在のようなスタイルになった。主人公が小市民で華々しい活躍はしない。世界を救ったり、華麗などんでん返しもない。そうではなく、苦しんだり、笑ったり、美味しいものを食べたりして、それぞれにとってはかけがえのない一つの命を生きる等身大の人生を扱うのがメインだ。

 そういえば、ポルトガルへの愛を詰め込んで書いた小説『Infante 323 黄金の枷 』をはじめとする『黄金の枷』シリーズのテーマは「運命との和解」だった。与えられた困難と戦って打ち勝つという「RGPの勇者」のようなアプローチではなく、自らに与えられた運命を受け入れつつ、その範囲の中で主人公たちがより良く生きていこうとする姿を描きたいと思ったのだ。

 この第四曲が、ポルトガル語で受容のメッセージを伝えてくれることに、改めて縁を感じてしまうのは、その辺りにもあるのかもしれない。
 

(初出:2020年4月 書き下ろし)

追記



Se É Pra Vir Que Venha (feat. Dulce Pontes)

【歌詞はこんな意味です】

私の牛を野に放とう
牧草地に横になろう
風景を私のものにし
悲しむことなく微笑もう

手綱を締めたり
ルールにも従うことなく
後悔も渇望もなく
ダンスをしそびれることもない
何かが来るのなら、来るに任せよう
 
すべてが色彩に満ちている
たとえ白や黒であっても
私が描くものは美しい
そして、その線はシンプル
直線でも曲線でも
球であっても線であっても

人生は常に正しい
私は、私の人生を恐れない
何かが来るのなら、来るに任せよう
 
何かが来るのなら、来るに任せよう
たとえ黒や白であっても
私は人生や
また、その反対にあるものを恐れない
何かが来るのなら、来るに任せよう

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Category : エッセイ・心の黎明をめぐるあれこれ
Tag : エッセイ

Comment

says...
シンプルな歌詞ですが、八少女夕さんのエッセイとともに読むと、力強さと深さを感じます。
あるものをあるがままに受け入れる、無理はせずに自然体であることは、一見かんたんなように見えて、じつに難しいものだと思います。
人生なんて、順風満帆なら得意になるし、逆境続きなら腐りもする。上手くいかないときは、無理をして足掻いてみたりもする。
この歌のように、悲しみもせず、後悔もしないし、なにかを望むこともない。すべてを楽しみ、正しいと思い、受けいれる。これは、なかなかできないことのように思います。

未来に対する不安や過去に対する後悔は、もっと良い自分、もっと良かったはずの自分という、ありもしない幻想にとらわれているだけなのでしょうね。たられば、や、もしも、と思うことも多いですけど、それは自分の歴史ではない。そして、いま自分はこうしてたしかに存在しているのだから、今までやってきたことは他にやりようはなかったのだろう、と思うべきなんですよね。

白状しますと、私は自分が小市民であることは、すでに認めています。
この年齢まで「山なし谷なし」人生を歩んできた身で、自慢できるようなドラマティックな出来事も、特別な足跡も業績もありません。どこにでもいる、ありふれた人間だなぁ、と思います。もっとも、それは受容というよりは、現実逃避に近いんですけどね。
そのうえで、あんな小説を書いております。慢性かつ重症の「厨二病」患者です(笑)

常々、八少女夕さんの書く小説は、どれも地に足がついていると感じていましたが、「等身大の人生」に軸足を置いているからなんでしょうね。なるほど、納得です。
2020.04.22 12:56 | URL | #V5TnqLKM [edit]
says...
こんばんは。

最初に聴いたときは、本当にただの心地いい歌という印象だったのです。単にドゥルス・ポンテスが歌っていたので飛びついた、というだけで。
現在、ポルトガル語会話を少しずつ勉強しているので、ついでに頑張って訳してみました。そうしたら「あれ?」と思うことが。

大多数の人々は、怯えたり、もがいたり、文句言ったりもするんですけれど、それでも、それを受け入れて(諦めて?)そこから一歩ずつ次に向かって歩いて行く、そんな人生しかないのかなと思っています。
桁違いの生活を見せつけてくれるセレブなどがいて、それを横目で見て、ブツブツ言ったりもしながら。
羨んでも、妬んでも、結局それは、自分の人生ではないのですものね。

TOM−Fさんが小市民だなんて、なにをおっしゃるウサギさん、だと思いますが、もちろんたとえば某オッドアイの殿下のようなスケールの違うキャラクターと比較したら……確かに。
でも、どういう小説を書くかは、本当にご本人の心のままでいいと思うんですよ。
単純に、私が以前の作風からずいぶんと変わって、ああいう地味なものを書くようになった経緯みたいなものを開示してみたのです。
とはいえ、今でもアレッサンドラ&マッテオみたいな脇役で遊んだりしていますし、ときどきはワイヤーワークで空飛ぶ神仙が出てきちゃったりします。そして、それはそれで楽しいのです。

この作風の話をはじめたのは、こんな背景情があります。
ここしばらく、食わず嫌いをやめて、コミカライズされたり書籍化された創作を読んでみたりしたのです。で、世間が熱狂している類いの小説、どういう所が受けるのか、こういうのが求められているのかと納得したのです。
とてもよくできているストーリー展開、求められる結末、なるほどと思ったのですけれど、私は、こういうのは書かないだろうなと、ますますはっきりと思ってしまいました。いくつか読んだのですが、どれにも乙女ゲームの世界に転生する、ゲームによくいるパターンの登場人物が出てくる、そんな話でした。でも、そういう前提の小説は私には書けませんしねぇ。

まあ、私はオリジナルの世界で遊ぶのがとても好きなので、たとえ世間には受けないとわかっていても自分が楽しいやり方で書いていこうと思います。
というわけで、あいかわらず地味な作風で書き続ける予定ですが、辛抱して読んでいただけたら嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2020.04.22 22:40 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
ファドって、もっと演歌っぽいコテコテのイメージがありました。
こんな曲もあるんですね。
認識が間違っていたようです。
2020.04.24 08:50 | URL | #em2m5CsA [edit]
says...
こんばんは。

いわゆる観光地のファド・ナイトのようなショーで歌われるファドはもっと泥臭い感じで、日本でいうと演歌や民謡という認識に近いと思うのです。
でも、メジャーデビューして国際的に名の売れていくような歌手は、たとえファドから入ってもずいぶんと洗練された感じになるようですね。
どちらがいいということではなく、聴く方の好みかもしれませんね。

とくにこのドゥルス・ポンテスは、エンリオ・モリコーネのお氣に入りの歌手で彼のコンサートでマカロニ・ウェスタン映画の主題歌を歌ったりすることの方が多く、ポルトガルでCD探すときもファドのコーナーにはないかも。彼女が世界的に有名になったきっかけの曲が、リチャード・ギア主演の『真実の行方』という映画で、『Canção do Mar』が使われたことなのですって。

この『Canção do Mar』は全く違う歌詞で、伝説的ファド歌手アマリア・ロドリゲスが歌っている伝統的ファドメロディなのですが、まったく演歌っぽくないので、是非一度聴いてみてくださいね。っていうか、今度これで記事を書こうかな。

コメントありがとうございました。
2020.04.24 17:52 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
農業や畜産業は大変みたいですね
重労働だしまとまった休みも取れないとか

色々活躍してたんですね
海外移住もだけど厨二病じゃなくても普通にすごいです
もし同じクラスだったら委員長として
ぼっちの私と組まされてしまったり?
2020.04.25 09:19 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

日本同様、スイスでも第一次産業は若い世代に不評で、なかなかなり手がないようです。
それでも日本よりは農家が多いかなあ。ううむ。

いやあ、全然すごくないですよ。
オフ会で知り合った方、みなさん、すごいんですよ。
私だけこんな下流人生だなあ、ははははは。などど毎回思っていますよ。

学生時代は、けっこうぼっち系でしたので、ぼっちの方と組む率、高かったです。
でも、ダメ子さんは、「コイツと組まされるか」的ながっかり感は醸し出さないでくださりますよね〜。
って、もう学校行かなくて済むのは、めっちゃ嬉しいです。

コメントありがとうございました。
2020.04.25 22:08 | URL | #9yMhI49k [edit]
says...
牧畜や農業に関しては、
あまり言ってはいけないですけど。
やりたくない仕事ランキングの上位に食い込みますね。。。
いや、私にとってはかなり尊敬している仕事の一つです。
大自然と戦いながら育て、社会の流通と戦わないといけないのですから。
それはそれで困難な仕事なのでしょう。
とても敬意を感じるご職業ですね。
2020.04.26 03:14 | URL | #- [edit]
says...
こんばんは。

そうですね。なくてはならないお仕事だし、尊敬もしますが、自分でやりたいかと訊かれたら「イエス」と言うのは難しいのですよね。
スイスでもやはり多くの農家が後継者問題で悩んでいるようです。
諦めて廃業してしまう農家も多いようです。

コメントありがとうございました。
2020.04.26 22:10 | URL | #9yMhI49k [edit]

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